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外道記 改 19



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 勤務を終えた俺は、電車に乗って、隣の市に向かった。コンビニで食料品を買い求めてから、事前に予約を取っていたレンタルルームに入り、ある男の到着を待つ。待っている時間中、菓子パンを貪りながら、今日発売の週刊誌に目を通した。

――本誌記者が直撃!十八年前の同級生殺害事件の加害者少年、衝撃の現在!

 近頃、インターネットの匿名掲示板で密かな話題となっているニュースがある。十八年前、都内の中学校で、一人の女子生徒が、同級生の男子生徒に、刃物で全身三十か所を刺されて殺害された事件。猟奇的な殺害方法と、振られた逆恨みという身勝手な動機から当時大きな話題を呼んだ少年事件であったが、その加害者少年Aが、S県の運送会社で働き、家族と幸せに暮らしているといった個人情報が、ネット上に流出したのである。

 元殺人犯に家族がいて、普通に働いているというだけで、騒ぎになったりはしない。Aは社内でも責任ある立場にあったそうだが、年齢的に違和感のない中間管理職である。その昔、Aと同じく少年時代に人を殺めた少年が、出所後に勝ち組の象徴である弁護士となって社会復帰し、地元の名士として声望を集め、裕福な暮らしを送っていたことが世間の顰蹙を買い、Aと同じようにネット上に個人情報が流出して弁護士を廃業に追い込まれ、社会的な制裁を受けるという事例があったが、そういう例外的なケースとは違う。

 更生した元少年院出所者が仕事に意欲を持ち、責任ある仕事を任されようとするのなら、それは素晴らしいことであり、更生の成果といえる。あまりにも分不相応な成功を収めない限りは、個人の努力として平等に尊重すべきであろう。自分の過去を完全に隠した上でのこと・・というのなら多少気になるところはあるが、家族と幸せに暮らしていてもいいはずだ。被害者遺族に手紙を書いたり、送金を欠かさないなど、反省の態度は、珍しいほどしっかり見せていた方である。

 なぜ、模範的な出所者ともいえるAの個人情報が流出し、それがネットユーザーの顰蹙を買って拡散される「祭り」が起きてしまったのか?加害者少年は、勤務する運送会社において、部下である派遣社員に、日常的なパワハラを行っていたからである。以下は、職場で実際にAのパワハラを受け、Aに対抗するために労働組合を結成したK氏からのインタビューである。

――酷かったですよ。派遣を人間として見てなかったですからね。彼は派遣が、正社員である自分たちと同じモチベーションで働かないのが不満だったみたいですが、そもそも派遣って、そういうものじゃないですか。それを殴る蹴る、死んでしまえと罵る・・。一人だけ大昔の奴隷労働の時代にタイムスリップしてたって感じでしたね。偏見は良くないですけど、昔、人を殺したことがあるって聞いて、正直、納得しちゃいました。やりかねないなって。

 K氏が中心となって結成された労働組合の活動の一環として、Aが勤務する倉庫の所在地周辺にばら撒かれたビラ。タイミングからすると、どうやらこれが、Aの命取りになったようだが、Aの職場での態度が昔からだとするなら、過去にAにイジメられた人物が、たまたまこのタイミングでAの過去に気が付き、ネット上に情報を流したのかもしれない。いずれにしても、自業自得、身から出た錆によって、Aは職場で孤立し、非常に困難な生活を余儀なくされているようである。

 本誌がこの話題を取り上げたのは、加害者少年Aを、社会的に抹殺する目的ではない。筆者も一人の労働者であり、組合員の一人でもあるが、Aにひどい仕打ちを受ける、弱い立場の派遣労働者を守ろうという義憤にかられたわけでもない。

 本誌が、曲りなりにも更生し、社会人として真面目に働き、家庭を築いて生きている一人の三十二歳の男の人生を破滅させる恐れがあるのを承知で、今回の記事を掲載したのは、十八年前、同級生の女の子の命を無慈悲にも奪った少年Aが、今また、ひとつの新しい重大事件に関わっている可能性が浮上したからである。

 重大事件というのが、東山の女房が失踪したことを指すのは、この先を読むまでもなかった。週刊誌も凄いが、もっと凄いのは、「ネット探偵団」の仕事の早さである。俺と桑原が、東山の女房の死体を片付けたのは十日前の話だが、俺がチェックしていた限りでは、その三日後にはすでに、ネット上では東山夫人の失踪疑惑が囁かれていた。週刊誌はその情報を元に動いたのであろう。

 ネット上で個人のプライバシーを侵害するような情報を垂れ流すのは、一日中家にいて暇なニートや、既婚女性を略して「鬼女」などと呼ばれる専業主婦と言われているが、彼、彼女らに目をつけられた人間は、一巻の終わりだ。東山のような元殺人犯でなくとも、SNSなどで薬物や軽犯罪行為などを自慢している連中や、酷いときには掲示板上で煽り行為を繰り返し行っていた程度のことでもターゲットにされ、会社をクビになったり、通っていた大学を退学に追い込まれたり、交際相手と破局に追い込まれたりなど、大きな損害を受ける。平均以上の人生は、まず破壊されるのである。

 ネット上に流出している東山の個人情報のテンプレには、近頃自主的に、東山のボディーガードを務めている桑原のことも、いつの間にか追加されていた。「ネット探偵団」がターゲットの自宅を直接訪れる、突撃を略した「凸」を仕掛けてきた連中と、桑原とのやり取りが、ユーチューブなどの動画投稿サイトにUPされていたのである。

―――んだこらてめぇ!東山先輩にちょっかい出す野郎は、ぶっ殺してやっぞ!

 金属バットを振り上げて、動画の投稿者を追いかけていく桑原の様子を見て、動画のコメント欄には、「こんなDQNを子分にしてるのか。やっぱ全然反省してないんだな」「社会悪なんだから、どんどん晒して潰せばいいっしょ」「あーこれ見て同情する気まったくなくなったわ」などといった、視聴者からの批判的なコメントが寄せられていた。東山を守るつもりが、桑原自身が、東山の評判を余計に落としてしまったのである。

 東山の事件は、当時あらゆる媒体で紹介され、事件のあらましをまとめた本も発売されていたが、そうした過去の文献を元に、掲示板には東山の悪行だけではなく、東山の善行、すなわち中学時代に取り組んでいた校外活動であるとか、イジメ撲滅組織「君を守り隊」の活動についての情報も書き込まれてはいた。

 ただ、やはり「善行」といっても、そのやり方があまりにも独りよがりで、他人の迷惑を鑑みないものであったことの方が全面に押し出されており、東山はアスペルガーなどの発達障害者だったのではないか、山里愛子を殺害したのも、やはり独りよがりな思い込みだったのではないか、という意見が大半を占め、けして東山を擁護する方向には働いていないようだった。

 東山と「生存競争」を繰り広げていた当の本人である俺のことについては、まったく取り上げられる向きはないようであった。事件についてまとめられた本は俺も読んだが、東山への「イジメ」について、「中心となっていた一人の少年がいたようだ」との記述があり、俺がもともと別の知的障碍者の生徒をイジメていたことをキッカケに「君を守り隊」が結成されたという経緯についてまでも調べられていたようだったが、当時、俺に直接取材が行われるようなことは、結局一度もなかった。

 自分がイジメられていることを認めたくなかったからだろうが、そもそも加害者である東山本人が、取り調べや裁判において俺のことをあまり問題とすることもなかったため、当時、俺の存在が大きく浮かび上がることがなかったのだ。

 学業もスポーツでもパッとしない。他人の印象に残るような風貌でもない。東山との「生存競争」以外の場面では、そんなに面白い事ができたわけではない。もしかしたら、「生存競争」の中心人物は、俺ではなく別の誰かだと思われていたのかもしれない。何一つ取り柄もなく、影も薄いことが、この点に限っては良い方向に働いたといえる。

 週刊誌の記事の内容は、それから東山夫人の両親への取材結果に続いていた。俺も一度、家族団らんの風景を目にしたことがあったが、家庭での東山は、職場での暴君ぶりが信じられないようなマイホーム・パパで、東山夫人の両親にとっても、東山は自慢の婿であったようた。東山夫人の両親は、実の娘を殺害した疑惑が浮上している東山を一言も責めず、ただ、東山に大罪を起こした過去があったことなど、到底信じられないとコメントしている。

「信じられないっつっても、実際、あんたらの娘も、アイツがやっちゃったんだよなぁ・・・・・」

 最後まで読み終えたところで、来客が、部屋のドアをノックした。俺は、ポケットに忍ばせた護身用のスタンガンのストッパーを外し、来客を迎え入れた。

 緊張の一瞬。もし、来客がいきなり俺に襲い掛かってくるようであれば、俺は来客の首筋にスタンガンを押しあて、一撃でダウンさせる。首筋じゃなくても、身体のどこか、服の上から触れても効果があるように、ハイパワーの九十万ボルトスタンガンを買ってきた。

 それでも、あの化け物に勝てるかはわからない。ヤツもまた同じように武器を持っていたら、俺に勝ち目はない。最悪、ここで命を失い、すべての計画が潰えてしまう未来も想像した――が、目の前に現れた来客の様子を見て、すべての危惧は霧消したことがわかった。

 来客――東山の足取りは幽霊のようで、瞳はトマトのように充血し、頬骨が浮いて顎が鉛筆のように尖り、顔色は全体に黒ずんでいた。二十代前半のころ、養女に精液を振りかけた事件で留置場に入った際、薬物中毒者を何人も見る機会があったが、東山の様子は、彼らとまったく同じであった。とても人を殺せる状態には見えない。

 一応、ニット帽を被り、普段しないコンタクトで外見を変えているが、仁王の如き巨体は、否が応にも目立つ。週刊誌やネット住人の尾行に合っている可能性を考慮して、わざわざ隣の市のレンタルルームにまで、東山を呼び出したのだ。

「大丈夫かよ、おめえ。ちゃんと飯食ってるか?食わなきゃ力でねえぞ」

 東山はうつろな目を泳がせただけで、俺の問いかけに応えようとしない。

「まあ、あれだ・・・。疲れてるとこすまねえが、せっかく来てもらったからよ、この前言った、お前の”道”について、俺なりに考えたことを、聞いてもらいてえと思う」

 東山の予想以上の憔悴ぶりに内心戸惑いつつ、俺はスマートフォンを操作し、ある映像ファイルを起動した。

――いちごちゃん、おはよう。今日もドレスが似合ってるね。いちごちゃんにごはん、持ってきたからね。

 作り笑顔を浮かべながら、地蔵山の山小屋の中に入っていく、中学のジャージ姿の莉乃の姿。俺が東山に見せた映像とは、地蔵山でゆかりに餌付けをする、莉乃と唐津の様子を収めた動画であった。

「ここは、地元の地蔵山。知ってるだろ、俺がお前に首絞められて殺されかけた山の、登山道だ。登山つっても、電気屋が頂上にある電波塔の点検に行くくらいにしか使われてねえみたいだが、途中の山小屋っつーか、物置みたいなとこに、女のホームレスが住み着いててよ。莉乃と唐津が定期的にそこにやってきて、おばさんに食料をやってるんだ」

 画面に映し出される、赤いお姫様ドレス姿の老婆、ゆかりを、食い入るように見つめる東山。莉乃が山小屋に入ってからは、俺は入り口から手だけを伸ばして撮影をしているため、ゆかりは俺に気づいてはいない。

――いちごちゃん、今日はいちごちゃんと、お人形さん遊びをしようと思って、私が小さいころ遊んでた、バービーちゃんを持ってきたの。いちごちゃん、どっちか好きな方を選んで。あっ・・・鼻水拭くのに使っちゃ・・・・いいや、それ、あげる。

――いちごちゃん、もうそろそろ夜は冷えるから、よかったら、これ着てください。

 ゆかりに玩具や防寒着を与える莉乃と唐津の姿は、一見、弱い人間を思う、心暖かい青年の姿に見える。だが、奴らの行動には、一つ大きな落とし穴がある。

「コイツらがやっていることを見て、おかしい点があることに気づかないか?ホームレスに餌付けをするのは偉いことみてえだが、本当にこのおばさんを思うのなら、行政とか、民間の支援団体とかに連絡すりゃあいいだけの話だ。そうした方が、より良い環境におばさんを移してやれる。なぜ、こいつらは素人のくせに、こんなボランティアごっこをしていると思う?唐津は己のヒロイズムに酔いしれるため。莉乃は若い恋人の唐津に、自分の優しさと甲斐甲斐しさをアピールするためだ。うろ覚えだが、この話をもっと大々的に広めて、ネットかなんかにアップして、就職の面接のときの自己アピールに使おうとか言ってたような記憶もある」

 何も喋らず、質問もせず、スマートフォンの画面に釘づけになっている東山に、俺は一方的に解説を続けた。

「これが、お前を偉そうに叩いてたやつらの正体だ。偽善のために弱者をおもちゃにするこんな奴らが、中学時代、イジメ撲滅のために心血を注いで活動していたお前のことを、悪魔みたいに言っていたんだ。まあ、酷い話だよな・・・」

「・・・・・・」

「まあ、その、なんだ・・・。自分でもわかってると思うが、お前がこの先、まっとうな人生を取り戻すっつーのは、正直、厳しいと思う。お前がどんだけ反省の態度を表したとしても、世間はもう、まともな目じゃ見てくれねえ。世間に面が割れちまった以上、再就職も難しいだろう。美織ちゃんと一緒に暮らすのも、まあ、無理だろうな・・・・」

 東山の肩が震え、真っ赤に染まった瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。人生の破滅。俺から言われなくても、毎日ネット住人からの嫌がらせを受けている本人が一番、痛感していることである。

「それでもお前が、どこか遠くの場所で、一からやり直したいってんなら、止めはしねえが・・・。俺がお前の立場だったら、もう真面目に生きててもしょうがねえと諦めるけどな。。ネット風に言えば、今さらハードモードからニューゲームするよりも、自分のこれまでの人生にケジメをつけて、とっととあの世へ行く道を選ぶと思う。そんとき、ただで死ぬんじゃ、あんまりにも悔しいから、自分を苦しめてきた世間に対して、何らかの爪痕を残してから死ぬんだ」

 涙だけでなく鼻も垂らす東山に、ティッシュの箱を差し出してやる。

「お前が今の時点で、一番憎いと思ってるのは、もしかしたら、俺かもしれねえ。確かに、お前の人生が狂うキッカケを作ったのは俺だ・・・。だが、前にも言ったが、一歩間違えたら、俺たちの立場は逆になっていたかもしれない。あれは”生存競争”だったんだ。それに、一応俺は、自分のことを悪だとわかっている。お前が年少に行ったように、俺もシャバで、それなりに制裁は受けてきたしな・・・」

 このタイミングで、再び、禁断の扉を開いた。東山を刺激する、かなり危険な賭けに出ているのはわかっている。俺はポケットの中のスタンガンに、再び手を伸ばした。

「正義の味方であるお前を、こともあろうに悪人呼ばわりして、追い詰めようとしたヤツらがいる。世間はそいつらのことを、今どき珍しい、清々しい心の持ち主だと思っているようだが、そいつらは実は、自分が正義の味方だと思われるために、弱者を利用してるだけの偽善者だった。誰よりも正義を貫こうとしたお前が悪党呼ばわりされる一方で、下心しかない奴らが、正義の味方と思われ、就職もして成功を収めようとしている。人それぞれ、考え方も違うだろうが、お前がケジメをつける相手として相応しいのは、俺よりも・・・・」

 殺人教唆とならぬよう、慎重に言葉を選び、唐津や莉乃の名前は一回も出さないように気を付けながら、東山の気持ちを「誘導」していく。東山が「本懐」を遂げられるように後押ししてやる。

「こんなことでしか力になってやれなくてすまねえが・・・俺もお前のダチとして、せめてお前に、悔いのないエンドを迎えて欲しいと思ってる。お前が人生の最後に、すべてをぶつけられる相手として、今日、ひとつの例を示した。あとは、自分で考えてみてくれ。あと、これ、お前のこと書いてあるから」

 瞳から大粒の涙を流しながら、俺が渡した週刊誌の記事を貪るように読む東山を残して、俺は部屋を後にした。

 やれるだけのことはやった。あとは、東山がどう判断するかだけである。

 帰りの電車の中で、週刊誌の末尾に書かれていた、K氏こと唐津のインタビューを思い出す。

――Aの正体が明らかになってから、色々ネットで調べたんですけど、あの人中学生のころ、イジメっこを守るための活動をやってたんですよね?なんで元々はそんな正義感の持ち主だった人が、あんなパワハラをやっちゃうのか・・・。自分のやったことが報われなくて、百八十度変わってしまったんですかね。もし、僕と彼が同級生で、同じ学校に通っていたら、別の道があったのか・・・おこがましいもしれないですけど・・・なんか、悲しいですよね。

 唐津は、東山にもっとも言ってはならない言葉を口にしてしまった。戦士である東山にとってもっとも屈辱的なのは、罵倒されることではなく、憐れまれることである。俺が渡した週刊誌の記事を読んだ東山は、今ごろ激しい怒りに打ち震え、唐津に対する殺意の炎を燃やしていることだろう。

 莉乃をにんにく大魔人で仕留めなくてはならないのと同じように、唐津に対しては、東山を差し向けなくてはならない。

 俺は唐津という男の、ソフトの部分を憎んでいるわけではない。ソフトだけだったら、労働組合の活動において、最終的に俺を右腕とまで信頼してくれた唐津は、むしろ友達として仲良くなってもおかしくない、いいヤツである。唐津の心を傷つけても、俺の心の傷は癒えはしない。

 俺が唐津という男の中で憎んでいるのは、ヤツのハードの部分である。俺が寿命を十年削ってでも入れたかった莉乃のヴァギナに、硬くいきり立ったものを突き刺した唐津が、憎くて仕方がない。

 唐津が莉乃のヴァギナに、硬くいきり立ったものを差し込めたのは、ヤツの顔面の造形が良かったからだ。社会的地位は俺と同条件、性格が滅茶苦茶良いわけでも、特別面白いことが言えるわけでもない、それどころか、最初は莉乃のことをバカにしていたはずのあの男が莉乃に惚れられたのは、あの男の顔が良かったから、ただそれだけの理由である。

 たった一ミリ、鼻が高いだけ。たった一ミリ、目が大きいだけ。たかが一ミリだが、現代人にとって、それは一生ついて回る一ミリである。たかが一ミリの違いで、経験できる異性の数は一ケタ変わる。たかが一ミリの違いで、年収が百万は変わる。それが現代社会。ルックス至上主義の世の中に生まれた人間は、たった一ミリの違いに翻弄され続ける人生を送らなくてはならないのだ。

 俺に散々に辛酸を舐めさせてきたルックス至上主義の世の中に復讐するには、イケメンである唐津の顔面を破壊しなければならない。唐津の心を壊しても、唐津の勃起力までも奪うことはできない。唐津に対する復讐方法としてもっとも相応しいのは、俺から莉乃を掻っ攫っていった唐津のハードを、圧倒的な暴力よって粉砕することである。

 世間に対する俺の怨念を成就させるためには、にんにく大魔人だけではなく、東山も使わなければならない。俺と同じく、唐津によって純粋な想いを潰され、今ここで死んでもいいからやりたかったことを邪魔された東山ではなくては、俺の代理にはなりえないのである。

外道記 改 18



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「わあ~。今日もいちごちゃん、可愛い~」

 百獣の王、ライオンの臭いが漂う山小屋に、赤の地に紫のラインが入った、中学のジャージ姿をした莉乃が、乾パンやカロリーメイトの入った袋を持って入っていった。

「あ!いちごちゃん、おっぱいの時間だったんだぁ~。けんじくんと、たつやくん、おっきくなるといいね~」

 莉乃の願い通り、俺の息子は大きくなっていた。俺にさんざん身体を弄ばれ、種を植え付けられた女がミルクを出しているところを、俺が身体を弄りたくてたまらなかった女が笑顔で眺めているという光景に、けんじとたつやを作った俺のミルクは、暴発寸前になっていた。

「しかし、酷いところですね・・・。うわわっ。ウンコが落ちてるっ」

 唐津が足元に注意しながら、扉の向こうに見える莉乃の後ろ姿を、不安そうに眺める。莉乃をこの地蔵山におびき寄せることができたのは、まちがいなく彼の功績である。労働組合の活動が下火になっている今、アピールの場に飢えている莉乃は、唐津に自分のダルクぶりをみせつけるため、出産を控えたいちごに栄養のある食べ物を届けてあげるとの名目で、定期的にこの地蔵山に入ることを同意したのだ。

 弱い者を守る使命感に満ち溢れた唐津さえ、戦意喪失気味になってしまうほど衛生的に劣悪な環境だが、莉乃は嫌な顔ひとつ見せず、いちごの糞を、バレリーナのような華麗なステップでかわし、小屋に入った後は口呼吸に切り替えて、まるで、大好きなお花畑にいるかのように振る舞っている。

 おそらく莉乃は、掃き溜めに鶴の言葉通り、そのままでは凡百並みでしかない自分のルックスが、お下劣な婆のいる、お下劣な環境に足を踏み入れれば映えて見えることを、本能的にわかっているのだろう。この地に、自分が追い詰めたにんにく大魔人の怨念と精気が渦巻いていることを知らぬ莉乃は、ここが死地とも知らずに飛び込んできたのである。

「けんじ、たつや、ゆかりの子。けんじ、たつや、ごはんのじかん」

 百獣の王の臭いを放ち、還暦にして妊婦という、ハードな見た目をしたいちごと莉乃が仲良くなれるかは気がかりなところであったが、いちごを、自分が「弱者を労わるプリンセス」を演じるためだけに利用しようとしているだけの莉乃にとっては、いちごがグロテスクであればあるほど都合が良く、張り切って優しくしようと思えるらしい。いちごの方は、この二年間というもの、俺、純玲、にんにく大魔人と、怖いことをする人間か、えっちなことをしようとする人間としか接してこなかったせいか、久々に、人間らしく接してくれた莉乃にはよく懐いているようであった。

「わあ!いちごちゃん、私にプレゼントをくれるのね!ありがとう~」

 言うやいなや、莉乃が引き攣ったような不自然な笑顔を浮かべて、小屋の中から出てきた。左手には、にんにく大魔人が買ってきたものと思われる、バナナが握られている。

「はい、蔵田さん。私、お腹すいてないんで、食べてください」

 いちごが、莉乃に友好の印にと渡してきたらしいバナナは、母乳とよだれと手垢で、びとびとに汚れていた。いちごの身体から出た雑菌が莉乃の身体に入るところをぜひ見たかったが、ここでイジメて、莉乃に機嫌を損ねられてもつまらぬ。俺にとっても、久々に味わうゆかりの雑菌は貴重な栄養素である。ありがたく、頂いた。

 すでに山小屋の中には、にんにく大魔人が買ってきた食料の他に、莉乃が持ってきた食料も置かれている。また、莉乃がここに来たと猿にもわかるように、山小屋の前で記念撮影した莉乃の写真も置いておいた。それらの痕跡から、にんにく大魔人は、地蔵山の愛の巣に、侵入者が現れたことに気が付くはずであった。愛の巣への侵入者の正体が、事もあろうに、己を人間から怪物にした帳本人である莉乃だと知ったならば、にんにく大魔人は今度こそ、莉乃を犯し、殺害するはずであった。

 が――。

 二週間前、莉乃がいちごへの餌付けを始めてから今日まで、にんにく大魔人がアクションを起こそうとする形跡は、まったくなかった。

 あの男は、このままいけば、大事な大事な、エッチなことし放題の女体を失うということを、わかっているのか?このまま手をこまねいていては、もう一生涯、素人女とセックスをする機会は巡ってこぬであろうことを、わかっているのか?

 愛の巣に侵入者が現れたことがわかったとき、にんにく大魔人は、いちごを行政に引き渡されることを怖れるはずだが、あるいはにんにく大魔人は、莉乃の目的が、弱い者に優しくする自分を周囲にアピールし、褒めてもらうことだけであることを理解しているのだろうか。かつて宮城であったにんにく大魔人が、そうであっただけに――。だから莉乃は、逆にどんなことがあっても、いちごを行政に引き渡したりなどはすまいと、安心しているのだろうか。

 いや。他人の気持ちを想像できないことにかけては東山クラスのあの男に限って、そんなはずはない。あの男はただ、この期に及んでもキレイごとに縋りつき、「然るべき場所に保護されるほうが、いちごさんにとっても幸せですから・・・」などと自分に言い訳して、莉乃への恨みを押し殺し、ただ犯罪者の汚名を着るのを恐れておるだけだ。

 あのにんにく大魔人は、魔人のくせに、どこまで腰抜けなのか?俺や唐津がいるから出ていけないというのならまだ仕方がないにしても、莉乃の家を調べて、一人でいるときに襲い掛かるとか、幾らでも方法はあるだろうに、なにをいつまでも、ぐずぐずしておるのか。

 もし、俺のにんにく大魔人に対する一連の行動を、あたかも神のように俯瞰して見守っている者がいたとすれば信じられないだろうが、俺はにんにく大魔人に対しては、実のところ、かなり同情的である。

 不細工な顔に生まれてしまったのは、本人は何も悪くはない。その顔のせいで女に酷い扱いを受け、女への接し方がおかしくなってしまったのも、本人のせいではない。あそこまで女の気持ちがわからないのは、顔のせいで敬遠され、まともな恋愛経験を積めなかったことよりも、何らかの発達障害を抱えているせいなのかもしれない。

 にんにく大魔人を笑いはしても、彼を責めるつもりは一切ない。元より、俺にその資格があるなどと思っていない。社会不適応の先輩として、俺がにんにく大魔人に偉そうにいえるのは、社会不適応者だからといって卑屈になり、社会に遠慮する必要などは一切ないということだけだ。

 負けることが恥なのではない。負けたままでいることが、恥なのだ。俺たちも間違っているかもしれないが、社会はもっと間違っている。こんな社会に、無理に適応する必要などはない。自分がどうしようもなく、この社会、世間と相容れない存在であることがわかったとき、その人間がやるべきことは、適応の努力をするのではなく、自分の不適応を愚弄し、屈辱を味あわせた者に対して、泣き寝入りせず復讐することだ。俺が莉乃や唐津にしようとしているのはそれであり、もしそうしたなら、俺は一人の男として、にんにく大魔人に拍手を送る。

 まだ親の援助を受けられるとか、愛する妻や子供がいるとか、立派な仕事があるとか、失うものがあるうちなら、人生を棒に振るのを躊躇うのはわかる。まだ、莉乃に振られてバカにされただけだったら、殺すまではしなくてもわかる。だが、今のにんにく大魔人は何も失うものがない、住む家すらないホームレスなのである。

 莉乃にはただ振られただけではない。にんにく大魔人は、莉乃が怪物・でぶ雑菌おじさんからみんなに守られるお姫さまを演じるために、散々利用されたのだ。その挙句、莉乃に絶望の淵に落とされ、死ぬことを考えていたときに見つけた生きる希望、いちごすら、莉乃に奪われようとしているのである。ここまで滅多糞にされて、一体どこに、莉乃への復讐を躊躇う理由があるというのか?あの魔人は、キンタマがついていないのではないか。

 いや、キンタマはついている。それも、途方もない量のおたまじゃくしを抱えたキンタマだ。なぜ、一生懸命こさえたおたまじゃくしで、いちごに子どもを産ませ、自分のペニスで作った母乳を飲むのを邪魔しようとする莉乃を、殺そうと考えないのか?なぜ、悪臭放つガーリックモンスターとなってまで作ったおたまじゃくしを莉乃の顔にべったりとつけ、恐怖を味あわせようと考えないのか?仮にも魔人ならば、耐えがたい屈辱を浴びせた莉乃に、怒りの一撃を食らわせるべきではないのか?

 断固として言うが、俺はにんにく大魔人を、自分の欲望のために利用しているだけではない。俺はあの魔人が男になるための舞台を整えてやったのである。俺は、不適応の先輩がここまでお膳立てしてやっているにもかかわらず、どこまでも煮え切らないにんにく大魔人に、怒り心頭に達していた。

「よう。そういえばさ、唐津くんのところに、週刊誌の取材が来たって話、もう少し詳しく聞かせてくれねえか?」

 昨日受け取ったメール――東山の個人情報流出事件のことで、週刊誌が唐津に取材を申し込み、早くもその晩のうちに、インタビューが行われた。なんでも、来週から週刊誌で、ネットで話題の東山の特集連載記事が始まるということで、唐津への取材の内容は、次号はやくも掲載される予定だという。東山破滅のマジックナンバーが、いよいよ点灯してしまったのである。

「僕が聞かれたのは、東山の職場での横暴な振る舞いについてのことです。どこで調べたのか、僕が労働組合を作ったことを知って、聞きに来たみたいですね。全部話しましたよ。僕たちがやられてきたことを」

「それで、記者は何だって?」

「東山のパワハラのことも書いてくれるみたいですけど、特集のメインテーマは、東山の奥さんが失踪したことらしいです。ひょっとしたら、東山が殺しちゃったんじゃないかって・・・もしそんなことになってるんだったら、話はパワハラとかの次元じゃなくなっちゃいますね・・」

 親族など、いつかは怪しむ人間が出てくるのは仕方がないが、週刊誌が早くも動くというのは、東山が「スーパースター」だからである。十八年前の同級生殺傷犯が、社会復帰後、奴隷工場の暴力親方として、弱い立場の派遣労働者をいたぶり、それが仇となってネットに個人情報を流され、挙句の果てに、妻殺害の疑惑まで浮上した・・・。週刊誌のネタとしては、申し分ないスキャンダルでだ。

 東山が追い詰められていくことは、東山を決起させる上では都合がいいが、それだけ手綱を握るのは難しくなるということである。これから俺は、ベテランの騎手のような絶妙なバランス感覚で、うまく東山を操縦しなければならない。金銭搾取から始まった東山利用計画は、いよいよ大詰めの段階に入ったのである。

「わあ。けんじくんとたつやくん、おいしそうにしているね。いちごちゃん、元気な赤ちゃんを産んでね。私、応援しているからね」

 いちごちゃん、いちごちゃんと、山姥のような悍ましいゆかりを、さも可愛い娘のように言う莉乃。女が、男の基準では明らかにブスでしかない女を褒めることがあるのは莉乃に限ったことではなく、その心理は複雑怪奇であるが、莉乃の場合は、「この女を可愛いということにしておけば、みんなは私のことを超可愛い、と思ってくれる!」というような願望でも込められているのであろうか。

 しかし、莉乃の中学のジャージ姿は何ともそそる。本当の子供が子供の恰好をしても何の魅力も感じぬが、成人を迎えた女が子供の恰好をしているというのが、マニアックで非常に興奮するのである。あざとい莉乃のことであるから、それを計算ずくでのコーディネートだったかもしれない。

 ボロボロの木戸の隙間から見えるいちごは、出産を控えてパンパンに張った乳房を絞り、皮膚の弛んだ腕に抱いたけんじ地蔵とたつや地蔵に、大量の母乳をばぴゅ、ばぴゅ、ばぴゅうと放射している。六十過ぎの妊婦が母乳を出すという、世にも奇妙な光景。これもまたこれで、たまらなかった。

 レイプ魔の血が騒ぎ出す。このままでは俺の方が先に、いちごと莉乃に、おたまじゃくしをべっとりと付けてしまいそうである。俺が我慢できなくなる前に、にんにく大魔人には一刻も早く動いて欲しいところであったが、どうやらヤツには、その気がないらしい。

 あの、肝心なときに役に立たないふにゃちん大魔人を奮い立たせるには、どうしたらいいのか?
時間的にシビアなのは、もう一方の怪物、東山よりも、むしろこちらの方である。

 いちごの腹はバスケットボールよりも大きくなっており、出産は間近に迫っているように思える。もし、いちごが子供を産んだなら、にんにく大魔人は子供を適当な赤ちゃんポストに放り込み、身軽になったいちごをさらって、何処かへと消えてしまう可能性が高い。

 派遣会社の寮かどこか、住む場所を確保したにんにく大魔人は、いちごに鍵付きの首輪をつけて監禁し、エッチなことをしまくって、今度は自分の赤ちゃんを産ませることだろう。その生活を眺められるというならそれでもいいのだが、俺の知らないところでやられたのでは、何の意味もない。

 長く見積もって、あと一か月。にんにく大魔人がこの地に留まっているうちに、勝負を決めなければならない。多少強引な手段を使ってでも、にんにく大魔人のリミッターを外し、莉乃を葬らせなくてはならない。

「なあ莉乃ちゃん。近頃この地域を徘徊している、にんにく大魔人って知ってるかい?」

 俺は、用事を終えて山から下りた後、商店の裏にあるトイレの水道で、汚物を触ったように入念に手を洗う莉乃に近づき、にんにく大魔人の話題を持ち出した。このまま一人で頭を捻らせていても、埒があかない。ターゲットである莉乃本人の口から、何かヒントを引き出せないかと考えたのである。

「・・・・聞いたことあります。街の方で、ものすごく臭くて、汚い顔をした、五十歳くらいのおじさんがウロウロしてるって」

 街の女子高生と同様、この女も、にんにく大魔人を五十路と言った。

 二十九歳で五十歳に見られるにんにく大魔人は、卒業アルバムを見る限り、十五歳で四十歳に見える顔立ちをしていた。近頃はアンチエイジングの研究も盛んであるが、おそらくこの先、彼がどれだけ努力をしても、二十代以下に見られることはないだろう。

 生涯の中で、十代二十代が「無い」という彼の人生を思うと、暗澹たる気分にならざるを得ない。たとえ本人の気持ちは若くても、周りはそうは見てくれないのである。肝心の女からオッサンだと言われれば、そうだと思うしかない。

 若さがすべてではないが、中身が同じだったら、若い方がいいに決まっている。心の中は、今まさに世に雄飛せんと意気込む若者で、セックスの経験は一度もないにも関わらず、肝心の若い女からは、人生の黄昏時を迎える中年で、もうバイアグラを使わなければ役に立たないと見られてしまう。冴えない顔だちではあるが老け顔ではない俺にとって、宮城の悲しみは、想像を絶する。

「・・・それじゃあ、ちょっと前まで同じ丸菱の倉庫で働いていて、莉乃ちゃんに告白してきた、宮城のことは覚えてない?」

「ああ・・・。あの人、どうしているんですかね。何だか凄い思いつめていたみたいだから、心配ですよね」

 よくもまあ、いけしゃあしゃあと言ってのけたものである。まるで宮城利通という人間が、にんにく大魔人という怪物になった経緯について、自分が何も関与していないとでも言いたげではないか。実際問題、そういうことにしておきたいのだろうが。

「その莉乃ちゃんに告白してきた宮城が、にんにく大魔人なんだよ。あいつは莉乃ちゃんに振られたことで心が壊れて、あれ以来、お嫁さんになってくれる女の子を探し求めて彷徨い歩く性欲の怪物、にんにく大魔人となって、この地域を彷徨い歩いてるんだよ」

 莉乃の顔が露骨に歪んだ。宮城を心配しているなどと言いつくろってはみたが、生理的な拒絶反応は、どうしても抑えられなかったようである。

「無理です。ほんとに迷惑です。なんでそんな夢を見ているんですか。結婚するだけが、人生じゃないのに」

 どうしてこう、息を吐くように、人の尊厳を踏みにじる言葉が出てくるのかと思う。

 学習障害を抱えたこの女は、小さい頃から人一倍、差別という言葉に敏感になって生きていたことだろう。世の中は平等でなくてはいけない。自分は平等に扱われなくてはいけない。その考え自体は立派なものだが、一つ解釈がずれているのは、この女は、「差別される障碍者の側ならば、健常者に対して何を言ってもいい」というふうに思い込んでいることだ。弱者の立場を、他人を貶める正当化に使っている。また、世間には自分が属するカテゴリとは別の弱者がいることにも考えが及んでいない。

 そしておそらくは、都合が悪くなれば、学習障害で語彙が少なかったせいにして逃げようとでも思っているのであろう。「学習障害」を保険として持ち歩き、都合の悪くなったときだけ、障害者の枠に雲隠れすることを、常に念頭に置いているのである。

「・・・私、間違ったことしましたか?しつこい人に諦めてもらうために厳しくいうのは、間違ってますか?私の中学校からの友達が、みんなああしろって言ってたんですよ?」

 中途半端に希望を持たせるよりは、最初から思い切り突き放した方がいい。家族、友人、財産など、失いたくない、大切なものがある相手にならば、それが有効なときもあるだろう。しかし、かつての俺や宮城のような、失うものが何もない相手にキツく言い過ぎても、反対に、火に油を注いでしまうだけだ。

 失うものが何もない人間には、踏み止まる理由がないのだ。これより下はもうないという、追い詰められたところにいるのである。立ち止まるも地獄、進むも地獄。だったら、コンマ幾つの可能性にかけてでも、希望の光へと向かって進んだ方がマシではないか。

 莉乃はさっきの言い分で、にんにく大魔人を理不尽な理由でズタボロにしたことを正当化できていると思っているのだろうが、とんでもないことである。

 莉乃の弁明を真に受けるなら、莉乃は絶望的に女にモテない三十路男――俺や宮城のように、極端に追い詰められた人間と今まで関わったこともなく、その気持ちもまったくわかっていないということになる。

 生まれつきコンプレックスとは無縁の美人がそうだというのなら、まだ仕方がないと諦められる。しかし、さして美しくもない三十路女が、自分を無理やり美人の側だと思い込んで――いや、「思い込むため」に、本来同じ穴の貉であるモテない三十路男を見下し、ケチョンケチョンに貶してくるというのはどうであろう。

 莉乃にコンプレックスがないのではない。莉乃はむしろ、俺に勝るとも劣らない、強烈なコンプレックスの持ち主である。

 莉乃と俺の違いは、コンプレックスというものを、否定するかしないかだ。莉乃はコンプレックスというものを心底恥ずかしいものだと思い込み、コンプレックスを抱えている自分を全否定している。だから、自分を必死に、生まれつきコンプレックスのないイケメンや美人の側に置こうとして、俺やにんにく大魔人のような、自分に言い寄ってくるモテない男の気持ちを滅茶苦茶に踏みにじろうとする。

 一方、俺はコンプレックスというものをある意味肯定的に捉えており、小さいときからちやほやされてきた美人よりもむしろ、莉乃のような不美人こそが、踏みつけられる者の痛みがわかる高尚な存在であり、本当に素晴らしいのは、そうした弱い者の気持ちがわかるはずの、優しい心の女と慎ましく生きていくことであると思っている。ただ単にブスに見下されてムカついているのではなく、「理想の女」に裏切られたことが悔しかったのだ、という考えもあるから、想いは複雑なのだ。

 田辺のように、都合の良いときばかり、女は星の数ほどいる――などと、ありきたりなことを言って、事なかれ主義を俺に押し付けようとしてくるヤツのことが、ずっと嫌いだった。そいつは一生そんなことを言って、誰一人本気で愛することもなく、絶対に手放したくない女も見つけられずに死んでいくのか?

 物事はすべて裏表である。失恋して思い切り落ち込めない男に、本気で女を愛することはできない。女を本気で恨める男は、同じくらい本気で、女を愛せる男。餓死しかけるほど苦しもうが、殺意を抱こうが、俺は莉乃への執着を否定する気はない。

 莉乃に対して俺の中で、愛情と憎しみと、あらゆる感情がミックスされて、熱くドロドロに煮えたぎっている。莉乃への感情は、それはまたそれで特別なもので、純玲を手に入れたところで消し去れるものではない。愛する純玲を手に入れたのだから忘れろ、ではなく、純玲を愛するためにも、消し去ってはいけないものなのだ。それこそが、俺の中での無謬性というものである。

「私の友達には、法律に詳しい人がいます。私があのおじさんに言ったことは、法律で違反じゃないって言ってました。裁判になったら、私が勝ちます。おじさんは、私に迷惑なことをしてはいけないんです」

 莉乃のことで前々から気になっていたのが、要所要所で登場する、中学時代からの友人とやらのことである。莉乃はいつも、特に人を責めたてる場合において、田辺や松原など、すぐ近くにいる人間だけではなく、俺やにんにく大魔人、あるいは東山に何の関係もない、別の集団に属している第三者にわざわざ相談をし、彼らの同意を得ているとしたうえで意見を述べることがあるが、これにもちゃんとした意味があることが、最近わかってきた。

 まったく関係のない、別の集団にいる第三者の名前を出すメリットは、こちらから確認のしようがないことだ。これが、俺が所属する集団にいる松原とか田辺の名前を出した場合なら、言われた方が彼らに、本当にそんなことを言っていたのかと確認を取ってしまうかもしれない。そこで誤解だと分かったら、今度は勝手に名前を使った莉乃の立場が危うくなる恐れがある。しかし、まったく関係のない第三者なら、そんな心配はまったくなくなる。

 もちろん、メリットもあればデメリットもあり、まったく関係のない第三者では、どうしても信憑性や説得力には欠ける。本当に俺やにんにく大魔人を悪く言っていたのだとしても、それは莉乃が、中学時代の友人とやらに、俺やにんにく大魔人を必要以上に悪しざまに誇張して伝えたせいかもしれない。だから聞き流してしまってもいいのだが、しかし言われた方には、なんとなく多数から責められているような、モヤモヤとした気持ちが残る。効果は薄くても、ノーリスクで確実に、相手を痛めつける手段なのである。

「法律に違反しなきゃ、何を言ってもいいって考えもどうかなぁ・・・。正直、ちょっと莉乃ちゃんは言い過ぎなんじゃないかって思うときはあるぜ。別に、今の時点で、なにか危害を加えてきたわけでもないのに・・・。自分を好きになってくれた男に、なんでそこまで言えるのかな?あいつが本当にブチ切れる前に、あいつに言い過ぎたことはとりあえず謝っておこうとは、思わねえのかな?」

 自分でも、愚問だとは思う。答えは、聞かずともわかりきっていた。

 莉乃は俺やにんにく大魔人のことを、人間だと見做していない。見世物小屋の珍獣のようなものだと思っている。だから、檻の中から愛嬌を振りまいている分には優しく接してくれる。だが、珍獣が一たび分を弁えずに恋心などを抱き、自分と同じステージに立とうとするのなら、「侮辱」であるととらえ、態度をガラリと変える。銃を持って、排除する側に回るのだ。

「・・・知らないです。どうせ・・・どうせあの人は、何もできないと思います」

 無視という選択。間違ってはいない。和平を持ちかけるにしても、中途半端に終われば、返って相手を刺激するだけで、逆効果になることもある。俺のような、煮ても焼いても食えぬ相手に対しては、確かに無視という手段しかないであろう。

 しかし、にんにく大魔人は、俺とは違い、話してわからないヤツではない。まだ良心の欠片が残っているあの魔人に対してすら、無視という手段しか取れないから、莉乃は愚か者なのだ。

 この女は本当に、自分が一点の曇りもない、すべてにおいて正しい聖人君子のような生き方をしていると思っているのだろうか。その可能性もあるが、俺の考えは少し違う。

 人には後ろめたさという感情がある。自分も言い過ぎた、自分の邪な考えのために、自分を好きになった男を利用してしまった。誰かに対して後ろめたいと思ったとき、自分の感情に素直に向き合い、現実的な解決策を探っていこうとするタイプと、ムキになって自己正当化を図ろうとするタイプの、二つの人種がいる。莉乃は典型的な後者のタイプである。

 毒を食らわば皿まで――。それならそれで、にんにく大魔人に徹底的に追い打ちをかけて潰そうという気概を見せるまだしも、莉乃はただ単に、都合の悪いことは忘れる、無視するという手段しか取れない。

 無能というより、莉乃はにんにく大魔人を完全に舐め腐っているのだ。人の悪意というものが、自分のおとぎ話の中に入ってくるなど夢にも思っていないのである。

「わかったよ・・・。莉乃ちゃんがそういうなら、仕方ねえな」

 莉乃を確実に葬る方法がわかったわけではないが、やはりどうあっても、この女を懲らしめるには、東山だけではなく、にんにく大魔人の手も借りなくてはならないことはわかった。

 莉乃は東山のこともにんにく大魔人のことも怖いと言っているが、二人に対する恐怖の質は、まったく異なる。東山の怖さがライオンやトラなどの猛獣の怖さだとしたら、にんにく大魔人の怖さは、ゴキブリやナメクジなど、不快害虫の怖さである。

 確実に莉乃の命を奪いたいなら、ライオンやトラをけしかけるべきだろうが、俺は必ずしも、莉乃の命を奪うことは目的とはしていない。純玲と出会う以前ならいざしらず、今の俺は、この世間に、小さな糞を擦り付けられればそれでいいのである。

 そもそも俺は、莉乃という女の、ハードの部分を憎んでいるわけではない。むしろハードの部分だけだったら、俺は毎日ぺろぺろと舐めても飽きないくらい愛しているのである。ただ単に、圧倒的な暴力によって莉乃の身体を傷つけるだけでは、俺の心の傷は癒えはしない。

 俺が憎んでいるのは、莉乃という女のソフトの部分――キレイなもの、都合の良いものしか目に入れないことで作られた、おとぎ話の世界である。

 にんにく大魔人は、莉乃にとって、この世でもっとも醜い存在であり、けして自分のおとぎ話に入れたくはない存在だ。莉乃がこの世でもっとも醜いと見做すにんにく大魔人に、莉乃のおとぎ話を侵略させることこそが、莉乃のソフトを完膚なきまでに破壊する、莉乃への復讐に最も相応しい手段ではないか。

 世間に対する俺の怨念を成就させるためには、東山だけではなく、どうしても、にんにく大魔人を使わなくてはならない。俺と同じく莉乃に惚れ、莉乃に「雑菌おじさん」扱いされ、同じ屈辱と憤怒に塗れたにんにく大魔人でなくては、俺の代理にはなりえないのである。

外道記 改 17


 自宅で東山からのメールを受け取った俺は、対応を考えあぐねていた。

「あの野郎、早まったマネしやがって・・・」

 この場面で、俺はどうするべきなのか?今すぐ通報する?ここで黙っていれば、犯人隠避の罪に問われてしまうかもしれない。だが、俺の口から通報して、警察に俺と東山との関係を詳しく調べられたら?東山を恐喝していたことのみならず、ゆかりのことで捕まってしまうかもしれない。

 下手に動くのは愚策、しかし、何もせず手を拱いているのは、更なる愚策である。ヤケになった東山が、警察に自首する前に、俺を殺しに来てしまうかもしれない。東山が逮捕されるまで、おちおち外も出歩けないとなったら、莉乃や唐津への復讐計画を進められない。

 ほかに相談できそうな相手がいないということもあるが、追い詰められた状況で俺を頼ってきた東山は、俺のことを信頼している。ただちに、俺を殺したりはしないだろう。むしろ、これはチャンスではないのか?東山の恨みを、俺ではなく莉乃と唐津に振り向ける絶好機・・・。

 幸運の女神には後ろ髪がない。いや、目の前に現れた幸運を逃せば、往々にして、それ以上の不運が襲ってくる。ピンチとチャンスは裏表。グズグズしていれば、東山の信頼を掴むチャンスを失い、東山の心に疑心暗鬼を生み、俺への反感を増幅させてしまう。

 それに・・・外道の俺にも、罪悪感というものがある。東山を利用するだけ利用しつくすだけというのでは、さすがに良心が咎める。ここで東山に協力するにしても、ヤツが破滅するには違いないが、最低限、ヤツを正しい道――この世間に対し、復讐する方向へと向けてやらなくては、この先寝覚めが悪い。

 決断を下して、スマートフォンを手に取った。後には引かない覚悟だった。

「よう、東山。落ち着いて、何があったか話してみろよ。まだ、すべてが終わったわけじゃない。お前はまだ大丈夫だから、な」

 今からでも直接会って話した方がいいのだろうが、むざむざ殺されるわけにもいかない。今の東山は、巣穴を破壊されたグリズリーの状態である。絶望のあまり、敵味方の識別もできず、目の前を動くものすべてに襲い掛かる。結局は直接会わなくてはいけないことにはなるが、まずは電話で話し合い、様子をうかがう必要があった。

「家に帰った途端、女房に過去のことを問い詰められた。俺と別れ、美織を連れて実家に帰ると言ってきた。頭に血が上って、わけがわからなくなった。気が付いたら・・・」

「・・・大体わかった。それで、美織ちゃんはどうしてるんだ」

「・・・・美織は、女房の実家にいる。大事な話し合いをするからと、女房が預けてきたんだ」

 娘が無事なら、まだ希望はある。東山がギリギリ理性を保ち、最後の最後のところで踏み止まる理由はある。

「奥さんのご両親は、その・・・お前のこと、知ってるのかよ」

「わからん。女房がいうには、まだ詳しい話はしていないみたいだが・・」

「・・まあ、奥さんも、確証が取れるまでは、知らない人間にまでは言いふらしたりはしないだろうしな・・・。実際はどうかわからねえが、今は取りあえず、それを信じて動くしかないだろう。美織ちゃんを迎えに行くのは、いつってことになってるんだ?」

「明日の昼には、女房が行くということになってる」

「明日の昼か・・・・・。ちょっと待ってろ。十五分したら、俺の方からかけなおす」

 俺は一旦電話を切り、ガラクタ入れの中からペンとメモ帳を取り出して、パッと思いついたシナリオを文字にして整理し、きっかり十五分後に、東山にこちらから電話をかけた。

「こういうのはどうだ。実は嫁さんは、ずっと浮気をしていた。昨日は美織ちゃんを実家に預けて、そのまま間男と駆け落ちをした」

「・・・だが、女房は明日、美織を迎えに行く予定で・・・」

「・・・っていうのは、両親を安心させるための嘘だった。奥さんは、そのまま姿を消した」

「・・・いや、しかし・・・・」

「・・・まあ、俺の考えたシナリオが気に入らなきゃあ、後でじっくり考えればいいよ。いまはとにかく、遮二無二物事を進めていくしかねえ。明日の朝までが勝負だ。明日は怪しまれないように、お前は普通に休養を取って、いつもと同じように出勤するんだ。その間になんとか、俺がカタをつけてやる」

「カタを・・・?なにを、どうやって・・・」

「全部、俺に任せろ。お前はいつも通りにしてりゃいいんだ。今からそっちに行く。お前は俺が着く前に、嫁さんの実家に電話して、嫁さんが帰ってこなくて、心配しているふうに装え」

 東山に、今後の動きについての説明を終えた俺は、取るものも取りあえず、駅前のレンタカー屋に向かった。

 東山が通常通りの生活を営むには、当然のことながら、女房の死体をどこかに移動させなければならない。女房の死体を移動させるためには車が不可欠だが、東山が自分の車を使ってしまったら、途中でNシステムに引っ掛かって、深夜の外出を怪しまれてしまう。表向きには東山とは親しい関係にあるわけではない俺が、代わりに動いてやらなければならないのだ。

「よう。ところで、おまえんちのアパート、防犯カメラとかはついてんのか?」

 ペーパードライバーの俺は、車を借りてから、しばらく付近を流して試運転をしていたが、その途中にふと気がついたことを、東山に電話して確認した。女房の死体を車に運ぶところを映像に収められてしまったら、一発でアウトである。

「・・・各階の通路に、カメラが一台ずつ設置されているように見えるが、あれは全部ダミーカメラだ。触ったわけでも、大家に直接聞いたわけでもないが、まず、間違いない」

 防犯カメラの設置費用など、精々三万から四万円程度のことで、維持費も電気代くらいのものだが、ケチってダミーカメラを使っている物件は多い。それでも設置しているだけマシかもしれないが、プロの犯罪者はダミーカメラなどすぐに見破る。

 本物とダミーカメラは、回線の敷き方が不自然でないか、静電気で埃りがつきやすい性質のカメラの表面がちゃんと汚れているか、などといったことから判別することができる。少年院の中で、聞くともなしに聞いた知識で、東山はカメラが偽物であることを見破っていたのだろう。

 ダミーカメラを設置する意義とは、抱き合わせ商法と同じことである。福袋などで、ガラクタばかりを貰ってもまったく嬉しくはないが、一つだけは良い品を混ぜておけば、ガラクタも客にお得感を味あわせるという効果を生む。ダミーカメラも同じことで、一番目立つところに一台だけは本物を設置し、あとはダミーを併用して数を水増しするというやり方なら高い効力を発揮するが、全部ダミーというのでは、何も置いていないのと同じことである。

 防犯カメラがないということであれば、女房の死体を運ぶ際における問題は、住人の目に触れぬかどうか、ということだけである。俺は一般的なライフスタイルの人間が寝静まるであろう、早朝三時まで待ってから、東山の自宅マンションを尋ねた。

「・・・・」

 東山が顔を真っ青にしながら、インターホンを鳴らした俺を迎え入れた。一度東山の家に入ったら、俺はもう、袋のネズミである。万が一に備えて、最低限の護身用具は持ってきたが、猛獣のような東山相手には、おもちゃの鉄砲を持っているのと同じこと。争いになればまず勝ち目はないが、俺も腹は括ってきた。猛獣を相手にするときは、ビビったところを見せないのが一番肝心である。堂々としている相手には、猛獣だってそうそうは襲い掛かってこないものだ。

 東山は、到着した俺を、すぐにリビングへと通した。人生で初めての、死体との対面である。心の準備はしてきたはずだが、否が応にも足がすくみ、心臓の鼓動は高鳴る。静かに目を閉じて横たわる東山の女房は、旦那と激しい言い争いをして殺されたのだとは信じられないほど、穏やかな顔をしていた。

「とにかく、死体を車まで移動させなくちゃならねえ。お前、ブルーシートとガムテープは持っているか?」

「ブルーシートはないが・・・。ダブルベッドのカバーの予備では、代わりにならないか?」

「それでいいよ。奥さんの身体を包めればいい」

 俺は東山と力を合わせて、女房の死体をベッドカバーに包み、ガムテープで固定した。傷口の付近はサランラップを巻き、血液がレンタカーの車内に付着しないようにしておいた。

「バラバラにした方が、運びやすいんじゃないか?」

 ついさっきまで、観音様のように大事にしていたはずの女房をバラバラにする、などということを、野菜を細切れにするかのように平然と言う東山。立場が逆で、純玲が俺を裏切ったときに、俺も同じことを平然と言う自信がある。どれほど深く結びついた相手でも、一度自分の世界から離れてしまった者に対しては驚くほど残酷になれるのが、俺たちという人種である。

「人間を解体したときの臭いって、半端じゃねえらしいぞ。指についたら、洗っても一週間は取れないんだと。お前が独身ならいいけど、明日には美織ちゃんが帰ってくるんだろ?奥さんの両親も来るかもしれねえ。異臭対策がちゃんとできてるならいいが、もう、この近くの店は、コンビニ以外どこも閉まっちまってる。朝を待ってから解体作業を始めたんじゃ遅すぎる。人の形をしたまま持っていくしかねえ」

 俺は、ベッドカバーに包み終えた東山夫人を、お姫様だっこの要領で抱え上げた。東山夫人の体重は、純玲より少し軽いくらいの四十五キロ前後だろうが、プロレスの受け手のように、持ち上げられる準備ができている人間と違い、完全に脱力し、弛緩しきった人間の身体というのは実際の体重以上に重く感じられるものである。ヘビー級の東山なら軽々抱えて車まで歩いていくのだろうが、派遣で引っ越しの仕事を一日しただけで足腰がまともに立たなくなる貧弱な俺では、一歩歩くのも一苦労だった。

「んじゃあ・・・・ちょっと、行ってくるから。お前は朝までに部屋の中を掃除しておけ。取りあえずは、血のついたところを水で洗っとくだけでいいけど、ルミノール反応を消すための洗剤を早めにネットで注文して、それが届いたら、もう一度、部屋全体を入念に掃除しろよ。あとは、死体さえ上がらなきゃ、事件にはならねえ」

「・・・わかった。あとは、頼む」

「任せとけよ」

 東山を安心させるため、力強く返事をして、俺は東山夫人を抱きかかえながら、玄関を出た。死体の冷たい感触が、両掌から伝わってくる。不気味さから全身に鳥肌がたち、思わず死体を取り落してしまいそうになるが、歯を食いしばって耐え、建物のすぐ前にある駐車場に停めてあるレンタカーのミニバンまで、一気に歩を進めた。

 腕が軋み、膝が笑う。身体が悲鳴を上げる重労働であったが、どうにか、約二十メートルの距離を歩ききり、ミニバンのトランクに、東山夫人の遺体を積み込むことに成功した。ゆかりへの子種植えつけ強化期間と称し、十五日連続、一晩三発のセックスをやり切ったとき以来の疲労を感じたが、休んでいる暇はない。次なる問題は、この死体をどうやって処分するか、である。

 建築や産廃の業者と懇意にしているヤクザならば、焼却炉で産廃と一緒に焼いたり、ビルの基礎工事の際に土台に埋めてしまったり、プラントで数千度にもなるアスファルトの合材と一緒にドロドロに溶かして、天下の公道に敷いてしまうというなどといった手段で、確実にこの世から一人の人間を消せるというが、俺にヤクザの知り合いなどはいない。

 素人でもできる方法なら、遺体を解体して、鍋で液状になるまで煮込んでトイレに流し、溶けきらなかったものは手のひらサイズになるまで細かくし、団子状にしたうえで乾燥させ、川魚のエサにしてしまうという手がある。だがその場合、遺体解体の際に発生する異臭をどう解決するかという問題がある。家々の距離が離れているか、素材のしっかりしたマンションならともかく、俺の住んでいるような安アパートでは、どれだけ防臭処理を施そうとも、建物の隙間から漏れ出る異臭を抑えることは難しいだろう。ゆかりとにんにく大魔人の愛の巣を乗っ取るということも頭に浮かんだが、歩きで二十分以上かかる山小屋まで、あの重い死体を担いでいくのは非現実的である。

 あとはそれこそ、原始的に山で穴を掘って埋めるくらいしかないが、死体を埋めるには、野犬に掘り返されないために、最低でも三メートルは掘らなくてはならないという。一人で掘るとしたら、今からやり始めても、昼まではかかってしまうだろう。東山夫人を車の中まで運んでくるだけでも大変だったのに、昼までの重労働など、考えるだけで気が滅入る。

 この状況で力を貸してくれそうな知り合いには桑原がいるが、彼は昼間、東山にボロボロにされたばかりで、今ごろは高熱を出して床にふせっているところであろう。とても、肉体労働を頼める体調ではないはずだ。

「どうすっかなぁ・・・」

 勢いで引き受けてしまったはいいものの、早くも暗礁に乗り上げてしまった。もう、時刻は早朝の四時を回っている。グズグズしていたら、あっという間に陽が昇ってしまう。

 変に怪しまれないためにも、ひとまずは、この場から離れなくてはならないだろう。俺はあてどもなく車を発進させたのだが、そのとき途方もない恐怖を感じて、思わず車を停めてしまった。トランクに横たわる東山夫人の遺体に、身も凍るような恐怖を感じたのである。

 死体と一緒に、車の中のような狭い空間にいるというのは、思った以上に恐ろしいことであった。自分が殺したのであればアドレナリンが出ているから平気かもしれないが、俺は東山夫人には何の恨みもなく、精神的に興奮状態にあるわけでもない。一緒に誰かがいるわけでもなく、ウィンドウの外は漆黒の闇に包まれている。

 停車しているときならまだいいのだが、車が走っていて、両手が塞がれているときに、すさまじい恐怖に襲われる。死んだはずの東山夫人が突然起きて、トランクから座席を乗り越え、首を絞めでもしてきたら・・・などと、バカな想像が浮かんできて、嫌な汗が出てくるのを止めることができない。カーラジオを点けても、ちっとも気が紛れない。一般道もろくに走れないようでは、高速にも入れないし、ましてや山など登れたものではない。

「やっぱ、一人じゃどうにもならねえ。桑原を呼ぶか・・・」

 桑原の手を借りようと電話をかけると、車の近くで、電子音が鳴っているのが聞こえた。音のする助手席の方を振り向いてみると、ウィンドゥから、車を覗き込む人影が見えた。

 あまりの恐ろしさに、脳天からつま先までを、電流のような衝撃が貫いた。

 ガラス窓の向こうに立つ、エレファントマンを想起させるような、歪な顔をした男――誰であるか、気づくまでに時間がかかったが、闇に溶け込む黒のツナギ服から、どうやら男は、東山の無二の信者、桑原であることがわかった。

「アニキ。何をやってるんですか」

 半開きにした助手席のウィンドゥ越しに、桑原がさっそく話しかけてきた。

「おめえこそ・・・こんなとこで、何を」

「これ以上、東山先輩のプライバシーが侵されてはいけませんからね。今晩から、俺が明け方まで警備をすることにしたんです」

「明け方までって、それじゃお前、仕事は・・・」

「今日付けで、派遣会社に退職の申し出をしました。おふくろと姉貴と同居ですし、失業給付の条件は満たしているんで、生活に不安はありません」

「そ、そうか・・・・体調は、大丈夫なのか?」

「熱冷ましの座薬を三本も打ってきたんで、その副作用で少し頭がボーっとしますが、気力で支えられないレベルではないです」

「そ、そうか・・・。すげえな、お前」

「東山先輩の置かれた困難な状況を思えば、屁でもありませんよ。それより、アニキの方は何をしてるんですか。さっき、俺に電話をかけたみたいですが」

「ああ・・・話せば長くなるんで、入ってくれねえか」

 俺は助手席のロックを解除して、桑原を車内に招じ入れ、俺が死体と一緒に車の中で過ごすことになった経緯を説明した。

「わかりました。そういうことでしたら、俺が奥さんの遺体を処分してきますよ。右翼の連中に言えば、協力してくれるはずですから。死体を明日まで隠しておくのにいい場所があるんで、取りあえずそこに行きましょう」

「お、おう・・・」

 桑原の東山への信仰の強さは俺には理解不能の世界であるが、死体から解放されるのは、願ってもない話である。俺は桑原の言う死体の隠し場所に向かって、車を発進させた。

「なあ・・・お前、なんでそこまですんだよ。お前にとって、東山って何なんだよ」

 雑談をする気分でもないが、会話をしていないと間が持たない。この機会に、俺は異常としか思えぬ、東山に対する桑原の信仰心の秘密について、桑原本人に問うてみることとした。

「・・・俺は十三のとき、俺やおふくろ、姉貴に暴力を振るう親父をぶっ刺して、少年院に収監されました。アニキには、俺は昔から悪であったかのようにウソをついていましたが、実はその当時、俺は不良でもなんでもなかったんです。身体も小さかったんで、先輩の院生から、よってたかってイジメを受けましたよ。殴る、蹴るはもとより、変態ヤローに身体を弄ばれたり、中での唯一の楽しみである飯に汚物をかけられたり、酷いもんでした。肉体的にも精神的にも追い込まれ、自殺を考えるほどでしたが、当時少年院で語り草となっていた、東山先輩の伝説を知ったことで救われたんです。俺と同じイジメられっこから、少年院を仕切るまでにのし上がった東山先輩の伝説を心の支えにして、俺は少年院の中で成長し、生きて娑婆に出ることができたんです」

 地獄に差した、一条の光。乗り越えた苦しみが苛烈だった分だけ、支えにしてきた神への信仰も強固なものとなったのだろう。他者を自分以上に押し抱いたことが一度としてない俺には、到底立ち入れる世界ではなかった。

「・・・アニキの方こそ、東山先輩とは、どういう関係なんですか。ただの旧友というだけで、死体遺棄まで手伝うというのは妙な話です。重大な秘密を共有できるような、特別な間柄なんじゃないですか」

 ご明察であるが、桑原の東山への信仰心の根底が、イジメを克服したことへの共感にあると知ってしまっては、東山との本当の関係について、正直に話すことはできない。

「・・・・中学校のころ、俺と東山は大の親友でよ。実は最初にイジメられていたのは俺だったんだが、東山は俺を庇ったことで、イジメっこグループに目をつけられちまったんだ。俺にとっても、アイツは恩人なんだよ。だからアイツに頼まれたことは、断れねえんだ」

「・・・そうだったんですか」

 桑原は、東山が自分を差し置いて、俺に重大な仕事を任せたことに、嫉妬心を燃やしている。桑原を、俺の言葉だけで誤魔化すことはできないだろう。あとで東山と、口裏を合わせておく必要があった。

 桑原の案内で辿り着いたのは、山中の畜産家であった。なんでも、所属する右翼の会長の親友が所有する敷地なのだという。なるほどここなら、少々遺体が傷んでも、臭いで気づかれることはない。遺体を解体して乾燥させ、肉団子にするやり方では、川魚に食わせるほかに、家畜の飼料に混ぜて食わせてしまう方法もあるそうだが、雑食性の豚を飼っているここなら、それも可能だろう。安心して任せても良さそうだった。

 俺は、敷地の所有者と話をつけてくるという桑原を待ちながら、東山に、桑原に俺との関係を問われたときの対応について、メールを送っておいた。神経が昂って、まだ眠れていなかったらしく、東山からはすぐに電話がかかってきた。

「・・・・女房の件は・・・・大丈夫なんだな」

「とりあえずは、な」

「今回は、何から何まで・・・・本当に、世話になった」

「気にすんなって。俺も随分借金が減って、助かったんだからよ。お互いさまだよ」

 本人もわかっている通り、俺は東山が少年院に入ってからの人生には、一切タッチしていない。東山の過去がバレ、女房を殺害してしまったことに関しては、なにも責任はないのである。

 俺と東山は、本質的には、一卵性双生児のように似た人間である。東山が少年院に入る前にあった出来事、「生存競争」の件にどうケリをつけるか・・・ただそれだけが、俺と東山が「友」となることを妨げている。

「よう・・・・。中学時代のことだけどさ、俺、あれに関しては、お前に謝る気はねえんだ。一歩間違えれば、俺が逆の立場だったかもしれないんだから」

 敢えて触れないでおくという手もあるが、俺はここで、賭けに出ることにした。東山の俺への信頼が最高潮に達しているこのタイミングで、いよいよ禁断の話題に触れる。いままでずっと平行線だった東山と、二人一緒に、十八年間のわだかまりに真剣に向き合うことで、真の和解への扉を開くのである。

「やりすぎはお互い様。数の暴力を使おうとしたのも同じ。ただ、お前は正しい道を走っていたかもしれないが、周囲を顧みない暴走をしていた。一方、俺は最初から正しい道を行ってる奴らとぶつからないように、裏道を走った。そこが違った。結果、あの集団の中では、たまたま俺の方が支持された。もしあの学校のメンツが全然別の奴らだったら、立場は逆で、お前が俺を追い詰め、俺がトチ狂って誰かを殺してたかもしれない。それはわかるか?」

 東山からは反論もないが、同意もない。理屈はわかるが、納得はしていないということであろう。

 国際法に従って、正々堂々と戦争した結果だとしても、勝者と敗者の間に何の遺恨も生じないということはありえない。戦争ならまだ、勝者の側にも多数の犠牲が出たという言い分があるが、「生存競争」では、確かに途中経過では俺が追い詰められたこともあったが、最終的には、俺は無傷、東山はすべてを失って少年院に入るという結末を迎えたのである。俺だって、逆の立場なら一方的に被害者意識を抱いていただろう。

 確かに、東山が労働組合の件でヤバい立場になってからは、色々と協力してやった。犯罪の片棒も担いでやった。できる限り、東山の信頼を勝ち取るための努力はしたはずだが、その直前まで、俺は東山から金をむしり取っていたことを忘れてはいけない。冷静に考えれば、よくてその分をチャラにするぐらいが関の山だろう。

 あとは、外交において最も重要なもの、タイミングに賭けるしかない。東山のために仕事をしてやった、東山がいま俺に感謝をしている、まさにそのときなら、普通なら受け入れられるはずのない和平交渉が成立する可能性もある。今を逃したら、もう永遠に、そのときは巡ってこないだろう。

「少年院にいたころ、俺を理解したように語る教官が言う、俺はイジメを受けた被害者だ、同情されるべき立場なんだ、という言葉が、ずっと引っかかっていた」

 俺の意見に何か思うところがあったのか、東山が、少し考え込んでから言った。

「どういうことだい」

「俺はっ・・・・俺はけして、イジメられていたわけじゃない。イジメられているヤツを・・・助けようとしていた!確かに、やり方は間違っていたのかもしれないが・・・。俺は、ずっと、最後の最後まで、戦っていたんだっ!」

 確かに、中学時代の東山は、鬱で頬がこけるまで追い込まれようと、驚くべき精神力で、君を守り隊の活動を続けていた。考えてみれば、男らしさに絶対の価値を見出す東山が、自分がイジメの被害者だった事実を認めるはずがない。俺が心配するまでもなく、東山の意識も、イジメではなく、「戦争」だったのだ。

 戦士としての誇り。なにもかも失った東山に、たった一つ、残されたもの。金を奪われてもいい、職を奪われてもいい、家族を奪われてもいい、刑務所に入ってもいい。だが、誇りを傷つけられることだけは許さない。東山が、この世間の中で生き残るための「巣」が破壊され、東山円蔵という人間のすべてがむき出しになった。どのツボを刺激してやれば、東山を突き動かすことができるようになるのかがわかった。

 東山と俺は同じDNAの持ち主だが、同志ではない。動物ではなく、誇りある人として生きるための、大切な価値観を分かち合っているわけではない。

 君を守り隊――東山が命を懸けて取り組んでいた「聖戦」を、よりにもよって、当の東山を相手にやった奴らがいる。東山が絶対に触れられたくなかった傷を、ドライバーの先で抉るようなことをしていた奴らがいることを、俺は知っている。

 最後の作戦を思いついた。にんにく大魔人と東山、二人の怪物を利用して、莉乃と唐津を葬り去る計画のプロットが、ようやく最終章まで描けた。

「やり過ぎは謝る。だが、戦ったこと自体は、今でも間違いじゃねえと思ってる。やり過ぎたことに対する償いは、それなりにしようと思う。今度、お前にある事実を教えようと思う。俺の話を聞けば、今のお前が何をするべきなのかがわかるはずだ。お前に道を示すことで、俺なりの償いをしようと思う。とりあえず今晩は、一時間でも二時間でもいいから、ゆっくり休め」

 俺が示す道を東山が忠実に進んだなら、東山は死刑か無期懲役か、いずれにしても、シャバでの生命を完全に断たれることになるだろう。だが、東山はけして、後悔はしないはずである。

 イジメられた八つ当たりと、振られたことの逆恨みで、最後まで自分と仲良くしてくれた女の子の尊い命を奪った、とんでもない鬼畜。出所後も反省せず、運送会社でパワハラを働き、弱い立場の派遣労働者を虐めていたクソ野郎。それが、いまネット上で騒ぎを起こしている東山の、世間での評判である。

 これまで東山の人生は、どこで何を言われても構わないと思えるぐらい充実していた。東山に幸福を運んできてくれたのは、ヤツの最愛の女房である。女房がいなければ娘も産まれず、東山がこの生きづらい世間の中に、家庭という自分の「巣」を作りあげることはできなかった。

 東山が女神のように大事にしてきた女房は、今日この日、豚の餌になって消え失せる。死体が発見されなければ、逮捕は免れるかもしれない。だが、三十二歳にして無職、殺人の過去があり、世間に面が割れている東山が、ここから再起し、これまでと同等の暮らしを取り戻すのは、まず不可能といっていいだろう。

 名実のうち実を取り戻せないのならば、名誉を取り戻すしかない。しかし、殺人犯の東山が、今更にんにく大魔人のように、発展途上国へのボランティア活動などを行っても、世間は白々しいパフォーマンスだとしか見てくれない。

 殺人のような重大な罪を犯した者が何を言っても、何をやっても、世間は認めてくれないのだ。東山はもう、日の当たる場所には二度と出てこれない。今回のことで、東山本人も身に染みてわかったはずである。

 東山が名誉を取り戻す手段は、ただ一つ。どうせ世間が殺人犯としか見てくれないのなら、同じ殺人犯という括りの中で、名誉を取り戻す。身勝手な理由から人様の命を奪ったのではなく、己の信ずるところの正義を貫き、悪を成敗した義人として名を遺すのである。

 副産物的なことだが、東山がその道をいったとすれば、俺は完全に、東山に殺される候補からは外れる。東山がどれだけ俺のことが憎くても、俺を殺したのでは、単なる私怨になってしまう。世間から認められるためには、自らではなく、他人のために手を汚したのだという形にしなくてはならない。

 とっておきの相手がいる。東山にとって、私怨でも俺を上回る可能性があり、世間に誉れと見做されるための正義の鉄槌を下すのに、うってつけの相手。

 舞台はすでに整っている。中学時代、東山がすべてを賭けていた合唱コンクールに参加するのを邪魔してしまった罪滅ぼしとして、俺が東山を、生涯最後の晴れ舞台に連れていってやる。

「ずっとやりたかったんだろ、それを。ガキんとき、邪魔しちまった詫びに、今度は俺が手助けしてやっから、勘弁してくれよな。すべてが終わったとき、おめえは殺人犯で、ムショの中。あるいは、そのまま自殺でもしてもらおうと思うけど、化けて出ねえでくれよ。おめえが冷たい土の中に埋まってからも、俺は女房と二人で、幸せに暮らそうと思うけど、恨まねえでくれよな」

 通話が終わった後の受話口に向かって、俺は一人言を呟いた。

 俺、東山、にんにく大魔人。強すぎる自我を持って生まれてしまったために、この世間と、どう頑張っても相容れない怪物たち。復讐の定めを持って生まれた魔物。三人がそれぞれ、憎き世間にケジメをつけた結果、俺は愛する女房と、たった二人だけの世界でずっと生きていく暮らしを手に入れ、東山とにんにく大魔人の人生は終焉を迎える。この世間を憎み、世間の価値観を有難がって生きている連中に復讐することを彼らに強要しておきながら、俺自身は、世間一般的な幸せを手に入れようとしている。

「そいつぁ、しょうがねえだろうが。お前らが世間に媚び売ってる間、俺はずっと一人で頑張ってきたんだ。純玲はそのご褒美。てめえらずっと逃げて、俺一人に背負わせてきた分、人生終わるときぐらい働け」

 俺たちは怪物。俺の敵は世間。俺にまつろわぬ全て。
 

外道記 16

 朝礼の場に現れた東山の姿を目の当たりにして、派遣スタッフたち全員が、息を飲んだ。

「おい・・・・なんだよアレ」

「なんか、やばくないか・・・?」

 目の下に大きなクマが広がり、頬がこけた、幽鬼のような東山の顔は、まぎれもなく、十八年前、俺との「生存競争」により精神を蝕まれ、鬱状態に陥っていたときの東山弘樹くんの顔と同じであった。

 東山が匿名掲示板で自分の記事を発見してから三日間で、ネット上では、東山の個人情報を突き止め、拡散しようとする「祭り」は、大きな盛り上がりを見せていた。凶悪な殺人事件の加害者であるにも関わらず、現在は一児の父として幸福な家庭を築き、仕事ではブラック運送会社の親方として、社会的に弱い立場の派遣労働者をイジメているという事実が、世間の反感に火をつけたのである。

 匿名掲示板には関連スレッドが五つも六つも建ち、何十万、何百万人というネットユーザーが、自分のことを噂し合っている。現実世界においても、いつ、どこで、誰が自分のことを見ているかわからないという状況で、東山は夜も眠れない日々を過ごしているのだ。

 東山は、腹心の部下、中井でさえ近寄ることができない異様な雰囲気を発していたが、そんな彼に、ただ一人、敢然と立ち向かっていく英雄がいた。

「東山!お前は許されないことをしました!大変な罪を犯したお前は、この世から消えるべきです!」
 インターネットのサイトをコピーしたA4の用紙を捜査令状のように東山に突きつけ、息を巻く莉乃の姿に、誰もが呆気にとられていた。

「東山!お前は過去の罪を反省もせず、私たちにひどいことをしていたのですか!お前は、人間ではありません!鬼です!」

 莉乃はもちろん、紙に書いている文字が読めるわけではない。だが、書いてある内容は理解できている。ある人物によって、東山の過去がインターネット上の「祭」となっていることを知らされた莉乃は、ネットの書き込みをコピーしてきて、東山が何よりも大切にする職場で、東山が何より隠しておきたかった忌まわしい過去を暴いてしまったのである。

 倉庫内に、絶対零度の空気が広がっていく。東山の小さな頭の中で、何かが崩壊していく音が、はっきりと感じ取れるようだった。

「り、莉乃ちゃん、その話は、あとにしましょ。ね。ね」

 松原の取り成しで、どうにか場は収まったが、倉庫内の空気が暖まったわけではない。俺も生きた心地がしなかった。

「東山職長が、あの事件の・・・?」

「まともな奴じゃないとは思ってたけど、人殺しだったんかよ・・・」

 午前の勤務時間中、どのテーブルでも、東山の話題に花が咲いている。あの三バカトリオたちでさえもが、口を動かすのに夢中で、作業の手が進んでいないようだ。

 こういうとき、東山信者の桑原がどうしているかといえば、彼は目の前に繰り広げられる光景に何の関心も示していないかのように、黙々と作業に励んでいる。本人が言っていたように、悪事が勲章の桑原には、東山の過去が暴露されたことは、東山の栄光が明らかになったのと同じことであり、むしろ誇らしいことなのだ。

「東山は、とんでもない男でした!あの男は、かつて、同級生の女の子を、めったざしにしてころしていたんです!あの男は、殺人犯だったんです!殺人犯が、今まで私たちに、酷いことをしていたんです!みなさんも、これは大変なことだと思うでしょう!」

 そして昼休みに入った途端、莉乃は派遣スタッフ全員に、自分がコピーしてきた資料を見せて、東山への反感をさらに煽ろうとする。その一点の曇りもない瞳の色からは、殺人という恐ろしい罪を犯した東山への恐怖の念はまったく感じられない。

――東山でけえな、情報によると小柄で痩せぎすだったということだが。

――派遣が労働組合作って反乱か。人殺しが成長してパワハラ野郎になってたとか、これは社会的に抹殺しないといけないでしょ。

――殺人鬼でも結婚して子供作ってるのにおまえらと来たら

――普通に俺より勝ち組だわ。

――真面目に生きてる人間が孤独なのに、殺人犯が暖かい家庭築いて幸せに生きてるってどういうことだよ。

 莉乃が配布したプリントに書かれていた、東山についての、ネットユーザーのコメントである。これはあくまで一部であり、ネット上には、これの何千倍もの数のコメントが寄せられ、何十、何百万人もの人間が、東山について書かれたコメントを目にしている。燃え上がった炎は、匿名掲示板からSNSにも飛び火し、東山は一躍、ネットの有名人になろうとしていた。

 ネットの力を、舐めてはいけない。一九六九年。神奈川県で起きた高校生首切り事件の犯人が、出所後、勝ち組の象徴である弁護士の職についていたことが、あるジャーナリストの取材によって明らかにされた。弁護士は地元の名士として声望を得ており、収入も高く、家族もいて、社会的に成功を収めていたが、被害者への弁済をまったく行っていないことや、取材に訪れたジャーナリストに対し、反省の見られない、不誠実な対応を取っていたことなどが世間の反感を買い、ネット住人に個人情報を特定され、電話や郵便物による誹謗、中傷を受け、最終的に弁護士を廃業するところまで追い込まれた。

 真面目に生きている自分の人生が報われないのに、人殺しのアイツが、なぜ反省もせず、左うちわで暮らしているんだ――?そんなヤツは、引きずり降ろしてやれ。

 元殺人犯の弁護士に対する世間の感情は、当然のものである。弁護士にまでなったのは本人の努力もあるが、それでも世間は、人殺しが勝ち組になり、裕福な暮らしをすることは、許してはくれないのだ。

 東山は、経済的には勝ち組とまではいえないが、日常的なパワハラで弱い立場の派遣労働者を追い込んでおり、「燃える」要素は十分にあった。弁護士の時代よりも、ネット住人の数は遥かに増えている。今後、丸菱運輸にはクレームの電話や、嫌がらせの郵便物などが山と届くだろう。騒ぎが大きくなり、利益にも関わるようになれば、会社も東山を庇い切ることはできない。東山の解雇は、時間の問題である。

「世の中のみなさんも、東山を悪いやつだと言っています!みんなで、東山を倒しましょう!東山は、ひどい奴なのです!」

 相手から見えない匿名掲示板などで犯罪者をボロクソに非難できる人間は大勢いても、実際に人を殺した人間を指さして、お前はこの世から消えるべきだ、などと叫べる人間はそういないだろう。
 クソ度胸があるからではない。莉乃が東山にまったく怯えることなく、巨悪に立ち向かうジャンヌ・ダルクアピールができるのは、莉乃が人の悪意を知らないからである。

 この女は、かつて俺やにんにく大魔人を「化け物」のように言い、ネガキャンを張ることによって、怖い怖い「雑菌おじさん」たちから、みんなに守ってもらっている構図を演出し、自分に酔いしれていた。莉乃は口では怖い怖いなどと言っていたが、実際には、俺やにんにく大魔人を舐め腐っていたはずである。本当に俺やにんにく大魔人に恐怖を感じていたのなら、そんな猿芝居に利用することなどできないはずだ。

 自分にとって都合のいいものだけしか目に入れずに育ってきた莉乃は、人の悪意を認識できない。あるいは、悪意というものがあったとしても、それは自分が主役を務める、おとぎ話の世界には絶対に侵入できないものだとタカをくくっているのだ。

 悪意なく人を傷つける莉乃に、東山の過去の犯罪を教えたのは、俺であった。正確には、純玲が発見したという形にして、おしゃべり好きの松原に伝えさせ、松原を通じて、莉乃のところにまで伝えたのである。

 目的は言うまでもなく、莉乃と唐津に、東山を攻撃させるためだ。目論見は成功し、とっておきのネタを与えられた莉乃は、あろうことか公衆の面前で、東山の過去を暴いた。あそこまで刺激されて、ただでさえ脳の容量が小さい東山が、冷静でいられるわけがない。ボクシングでいえば、一ラウンドからなりふり構わず、スタミナ配分も度外視のラッシュを仕掛けられたようなものである。

 莉乃と唐津に対する東山の恨みを増幅させるのに成功したなら、お次は俺に対する東山の恨みを和らげる作業である。東山にとって危機的状況である今、東山をフォローするような言葉をかけることで、俺が東山の味方であることを印象付けるのだ。

 俺は五分で昼飯を済ませて、休憩室を出た。 廊下を歩き、東山のいる事務室へと近づいていくと、鈍器で人肉を殴っているような、嫌な音が聞こえてきた。少し進んでみると、廊下に赤い斑点が見えた。歩を進めるごとに、斑点は大きくなっていく。やがて目に入ってきたのは、能面のように無表情の東山が、桑原を殴打している姿だった。

「お・・・あ・・・」

 かつて東山に「完勝」したはずの俺が、東山から放たれる、怪物的なオーラに圧倒され、身動き一つ取れなかった。今、俺の目の前にいるのは、人外の獣である。

「ごぅっ・・・うぅううっ!!!」

 熊が唸るような声を出して、東山が、こちらを振り向いてきた。

「おっ、落ち着けよ。お前の気持ちは、わかってるよ。お前は悪くないよ」

 密林でグリズリーに出くわしたチワワのように、全身の体毛が震えている。自分が何を言ってるのか、わからなかった。

「・・・・・俺から金銭を搾取しているお前が、俺の過去を暴くメリットはない。俺の過去をネットに流したのは、コイツ以外には考えられない」

 東山が底冷えのするような声で、自分が短絡的な決めつけによって、桑原を殴打していた事実を述べた。

「・・・いや、そんなのはわからねえだろ・・・。お前の場合、いろんなヤツから恨み買っちゃってるんだから・・・」

 東山の個人情報がネットに流出したのは、たまたまタイミング的には労働組合と争っているときであったが、東山の職場での横柄、いや横暴な態度が昔からのものだとするなら、動機があるヤツはこの世に山ほどいる。十八年前の「少年A」と、三十二歳の東山職長が同一人物だと知っていたのは、この職場では俺と桑原だけかもしれないが、どこかの誰かが、何かをキッカケにして、偶然真実に辿りつくといったことがないとはいえないし、東山を殺したいほど恨んでいるヤツが、金も使って本気になって正体を調べようと思えばすぐわかることだ。

 容疑者は、それこそ無数に浮かび上がる。特定しようなど、考えるだけ無駄なのである。

 自分が個人情報を流出させておいて言うのもなんだが、結局東山は、自らの手で墓穴を掘ったのだ。こそこそと目立たないように、自己主張を控えて、周りと穏便にやりながら生きておればよかったものを、自分の過去に後ろ暗いことは何もないとでも言わんばかりに威張り散らし、パワハラなどをして弱い者をイジメていたから、いざ隠したい過去がバレてしまったときにも、自業自得という形になり、誰が犯人かもわからなくなってしまう。

 自己弁護するわけでもなんでもなく、東山を恨みに思った誰かの手によって個人情報が流出し、東山の忌まわしい過去が暴かれるのは、単に遅いか早いかの問題だったと思う。何度でも言うが、東山が少年院を出てから、再び俺に出会うまでの人生に関しては、俺には何の責任もないのである。

「なんにしても、ぶん殴っちゃうのはまずいよ。どうすんだよ、お前・・」

 事実無根の勝手な決めつけにより、いち派遣スタッフを血が出るまで殴打し、怪我を負わせてしまった東山。もはやどう取り繕っても、懲戒解雇は免れないところである。結局、東山は己の単細胞のせいで、大事な職を失ってしまったのである。

「・・・ら、らいびょうぶっすよ・・・・。俺、このことは、誰にも言いませんから・・・・東山先輩は、心配しないでください・・・・」

 東山の殴打を受け、両目が塞がり、鼻はピエロのように赤く膨らんでしまった桑原が、健気にも東山を庇おうとする。この男の東山愛も大したものである。特別に恩義を受けたわけでもない他人に、これほど深く心を寄せられる「信仰」の強さは、親にすら感謝をしたことがない俺には、まったく理解できなかった。

「・・・ほかの連中に見られたらまずいから、取りあえず、空き部屋に避難しようか」

 ひとまず俺が場を仕切る形で、桑原を、人がいない用度品室に連れていき、東山には、事務室に救急箱を取りに行かせた。

「お前、東山に何言ったんだよ」

 東山は、桑原が自分の過去を暴いたから殴ったのだと言ったが、いくら東山が単細胞でも、それだけで人を半殺しにしたりはしないだろう。東山が、桑原が犯人だと思い込んでいたところに、桑原がまた、超カッコいいとか何とか、無神経なことを言って、東山を無暗に刺激したに違いないのだ。

「俺は・・・・気づいてしまったんです・・・」

「何に?事件のこと?」

「いえ・・・俺が気づいたのは・・・合唱コンクールの歌とは、おせち料理である、ということです」

「は?」

「俺の中学で行われていた合唱コンクールでは、”翼をください”という曲が大人気で、毎年全学年全クラスが、自由曲でこの曲を歌いたがって、女子が喧嘩して泣き出す騒ぎが起こっていたのですが、俺は彼らのことがずっと不思議でした。確かに俺もいい曲だとは思いますが、ウォークマンで聞きたいと思うほどではありません。それはみんなも同じで、合唱コンクールの時期以外に”翼をください”が話題に上がることはなく、みんな普段は、お気に入りのアイドル歌手やロックバンドの曲を聴いていました。おかしいと思いませんか?合唱コンクールのときは、”翼をください”を異常なまでに持ち上げるのに、普段は見向きもしないなんて。俺は彼らのやっていることに強烈な違和感を感じ、合唱コンクールの時期がくるたび、いつも何か、モヤモヤとした気持ちになっていました。しかし、ついさっき、合唱コンクールとはお正月であり、翼をくださいはおせち料理だったのだということに気づき、やっと合点がいったのです。おせち料理は確かにおいしいですが、お正月以外には、基本的に食べる機会はありません。普段は話題にも上らないのに、お正月という特定の時期だけ食卓に並んで、みんなに持て囃される。そうか、正月料理という制約の中で持て囃されるおせち料理と同じように、”翼をください”も、合唱曲という制約の中で持て囃されていたのか。両者の性質が、まったく同じであることに気づいた俺は、東山先輩に褒めてほしくて、つい、先輩の機嫌も考えずに、報告してしまったのです」

 わかったようなわからないような話だが、合唱コンクールに強烈なトラウマを持つ東山の前でそんな話をしたというのであれば、殴られるのは仕方ないとしか言いようがない。

 五分ほどで、東山が救急箱を持ってやってきた。桑原の顔面の、サメのエラのようにバックリと裂けた傷口に止血剤を塗り、ガーゼをあててテープで固定する。手当てを終えると、桑原はそのまま早退させた。

「おい、大丈夫なのか?あいつは本当に、今日のことを誰にも言わないか?」

「少しはアイツのことも、信じてやれよ。お前のことを神様みてえに思ってるんだぜ。とにかく、これに懲りたら、お前もあんまり、軽率なマネはするな。まだ、すべてを失ったわけじゃないんだからさ」
 気休めである。東山は、どう足掻いても破滅だ。これから、俺という間違った相手を殺すという形で「暴発」もしくは、自殺という形で「犬死に」しようとしている東山を、正しい相手にケジメをつけることで、「成仏」させてやるというのが、これから俺がやろうとしている「仕事」である。

「あのっ、あのっ、あの女はっ、何なんだっ。アイツがアイツが、俺のことをっ」

「わ、わかった。莉乃は俺が黙らせておくから、落ち着けよ」

 クマが顔面の周りを飛び回るハチを追い払うような、滅茶苦茶な動きをして暴れ狂う東山にびっくりして、せっかくの莉乃殺害の好機を逃すようなことを言ってしまったが、多分、これが正解である。物事には順序というものがある。今、この段階で東山を唆すようなことを言ってしまったら、東山は俺に疑いの目を向けてしまうかもしれない。

 少しずつ、幼子の手を引くように、東山を導いていく。今はとにかく、東山の信用を得ることが先決である。

 休憩時間が終わり、作業場に戻った俺は、さっそく、愚か者の莉乃に口を慎むよう説得に入った。

「どうして、東山を責めてはいけないんですか。あいつは、絶対に許されないことをしたんですよ」
「だからだよ。何するかわからねえアイツを、無暗に刺激するなよ。莉乃ちゃんが騒げば、逆上した東山に、みんな殺されちゃうかもしれねえんだぞ」

 首を傾げる莉乃には、自分が殺人事件という、物騒な出来事に巻き込まれることのリアリティがまったく感じられないようである。

「東山が私たちを殺そうとするなら、アイツを完全に、この社会から追い出しちゃえばいいと思います。人を殺すような奴は、自殺をするべきです」

 何も考えないのが私の考えです、とでも言わんばかりの態度。宇宙人と話しているようだった。

 誰もが快楽や金のためだけで罪を犯すわけではなく、どうしようもない事情に迫られて一線を踏み越える場合もあるということを想像もできない、感受性の鈍さ。善悪の二元論でしか物事を考えられない人間が、安易に正義を振りかざす愚かさと恐ろしさ。まさに幼児がナイフを振り回しているようなもので、その刃は周りにいる人間を無差別に傷つける。東山にボロ雑巾のようにされた桑原が、まさにその被害者である。

「そんな身も蓋もねえこと言うなよ・・・アイツにだって」

 それでも粘り強く、東山を追い詰めることの危険を説こうとしたところで、莉乃の顔面が、何ものかの平手によって叩かれた。大きな二重の目をカッと見開き、憤怒の形相を浮かべているのは、純玲であった。

「いい加減にしろよ、世間知らず!誰もがキレイゴトで生きてるわけじゃないんだ!理屈じゃどうにもならないことが、この世にはあるんだ!」

 頬を張られた莉乃の目から、大粒の涙が零れ落ちた。貧困家庭に育ち、死刑囚の兄を持ち、発達障害まで抱えながら、それでも道を違えずに生きてきた純玲の言葉とビンタは、人を傷つけるのは平気でも、自分が傷つくことは耐えられない莉乃に、強烈なダメージを与えたようだった。

「私・・・私は、みんなを、守りたくて・・・」

 莉乃が隣で作業をしている唐津に、縋るような目を向けながら寄っていった。唐津は一応、莉乃の頭を撫でてやったが、表情は戸惑い気味である。唐津にしても、まさか莉乃がここまでやるとは予想外だったのかもしれない。

 純玲のお蔭で、どうにか頭から湯気を出す莉乃を押さえることができた。東山からの信頼度を高めたところで、俺は東山に、今後のアドバイスを送った。

――お前しばらく、会社を休め。今の状態で出てきたって、いいことねえだろ。

  ところが東山は、俺のアドバイスを無視して、翌日も普通に出勤してきてしまった。
 
――今日休んだら、変に怪しまれる。まだ会社の上層部にバレたわけでもない。俺が確実に少年Aだという証拠があるわけでもない。

 東山の意志が固く、翻意させるのが難しいことがわかった俺は、東山に二点のアドバイスを送った。一つは、自分に後ろめたいことは何もないかのように毅然としていること。もう一つは、自分から、「その話題」に触れないことである。

 人の噂も七十五日。誰が何を言おうが、カエルの面に水の心境でやり過ごし、誰に何を聞かれようが、黙ってシラを切り通す。そうしているうちにネットの「祭り」も沈静化し、何事もなかったかのように、元の生活に戻れる。天文学的確率だが、そのようにうまく事が運ぶ可能性もないとはいえない。

 しかし、直情型の東山にポーカーフェイスを要求するのは無理な注文だったようで、朝礼で派遣スタッフたちの前に立った東山は毅然とするどころか、表情は険しく、睡眠もまったく取れなかったのか、目の下のクマは、昨日よりもさらに色濃くなっていた。とても人前に出て話せる状態ではないように見えるが、一応、毎日の決まりである。時間になると、喋り出す前のいつものルーティーンで、東山は一歩前に進み、一つ咳払いをした。

「お前らに・・・・・ひとつ、言っておくことがある」

 バカなヤツ。東山は、自分から「その話題」に触れないというアドバイスにも従えなかった。俺の立場では、もう彼を止めてやることはできない。黙って様子を見守るしかなかった。

「インターネットで、色々言われているみたいだが・・・。俺は、ネットに書かれているようなことなど、していない。それだけは、お前らに言っておく」

 東山の釈明を聞いて、何か口を挟もうとする者は誰もいない。桑原は東山に殴られて仕事を休んでおり、莉乃は昨日の純玲のビンタが効いて、昨日のような大暴れはできなくなっている。唐津も、さすがに相手が殺人鬼ともなると、軽々しくコメントをすることはできないようである。

「俺は・・・お前らのことを・・・仲間だと思っている。戦友だと、思っている・・・・」

 本当に、バカなヤツ――。今さら仲間などと、白々しいにもほどがあるという話であろう。自分で、僕は突っ込まれたら痛い腹があるから、これ以上探らないでと言っているようなものである。

「俺は今まで・・・・・お前たちに、怒りすぎたことを・・・・」

 まさか、謝るのか?派遣スタッフたちが、固唾を飲んだそのとき、東山腹心の部下、中井が、東山の後ろから歩み出てきて、東山の肩を叩いた。さっきから、中井は電話で誰かと話していたようであったが、受話口の向こうの相手は、四メートル近く離れた俺の耳にまで入ってくるほど大きな声で怒鳴り散らしていた。相当に激昂していたようだが、相手はおそらく丸菱運輸の重役で、用件はおそらく、東山を出せということであろう。さっきまで、東山の胸ポケットに入った携帯も鳴っていたが、本人はまったく気づいていないようだった。

「・・・はい・・・・はい・・・・いえ、その・・・・・」

 重役と話す東山の表情が、みるみる青ざめていく。大方、朝から本社にクレームの電話が入ってきて、東山の過去が、重役に知れるところとなったのだろう。電話が終わった東山の表情は、すべての生気が抜け落ちたかのようにやつれていた。

「あとを、頼む」

 重役から、呼び出しを受けたのだろう。中井に弱弱しい声で言い残して、東山は倉庫を出て行った。

 午前の作業中、倉庫内は、今日も東山の話題で持ち切りとなった。自分たちの上司が、有名な殺人事件の犯人であるという可能性が、極めて高くなったのである。気にしないで働けという方が難しい。昼休憩前になって、東山は倉庫に戻ってきたが、さっきよりも頬はやつれ、肩が落ち、三時間あまりの間に五歳以上も老けたようになっていた。

 東山は、深山たち三バカトリオが作業をしているテーブルに近づき、何かを手振りで示し始めた。どうやら、仕事熱心な三バカトリオに、早く正確な箱の作り方を伝授しているようだ。これまで歯牙にもかけていなかった三バカトリオに縋らなくてはならないほど、東山は追い詰められているのである。

「あ?人殺しが何言ってんだよ。箱の作り方なんて、こっちはもうわかってんだよ。邪魔だから、失せろよ」

 耳を疑った――今まで、靴の裏を舐める勢いで東山に媚びを売っていた深山が、東山に、あからさまに反抗的な態度をとったのである。

 莉乃のように、他人の悪意を認識できないのとは違う。出世の足掛かりになりそうな人間には全力で媚び、付き合ってもメリットのない人間は、とことんまで見下す。どんな人間にも長所は一つくらいはあるものだが、深山の一貫性には、ある種の尊敬すら覚えた。

 倉庫内に戦慄が走ったが、東山は力なくうなだれただけで、特に言い返すでもなく、とぼとぼと歩いて、倉庫内を出て行ってしまった。東山がいなくなったところで昼休憩のチャイムが鳴り、皆が休憩室に引き上げていった。

「さっきはマジで焦ったわ。深山さん、心臓に悪いからやめてくれよ」

「何をビビっとる、桟原。あんな奴に、何を遠慮する必要があるんだ。人殺し野郎なんか、神聖な職場から追い出して正解だ」

 東山が耐えてくれて、心からよかったと思う。こんなカスのようなヤツを殺害して捕まったのでは、東山も浮かばれない。

「ただでさえ威圧的な風貌に、威圧的な言葉遣いの人が殺人犯だとわかったら、みんな怖いですよね・・・ちょっと、吉沢さんに相談してみますか」

 谷口と一緒に入った障碍者グループも、事ここに至っては、東山を擁護する姿勢は見せなかった。この丸菱の倉庫に、東山の味方は一人もいなくなったのである。

 意外なことは、唐津が東山の過去話にまったく興味を示そうとしないことだった。おそらくは、唐津が手を下すまでもなく、東山は破滅だとわかった以上、下手に刺激して、狂った東山の刃に倒れたくはないということであろうが、もしかしたら、横暴な東山を、派遣労働者自らの手で葬り去ることに価値を見出していた彼には、東山が自滅により職場を去るという結果は不本意だったのかもしれない。

 こちらは本当に不本意そうなのが、純玲にダルクアピールを潰された莉乃であった。ムスッとした表情からは、燻った闘志を持て余しているのがありありと見てとれる。ただ、みんなの前で殴られたからやめただけで、おそらく、自分の何が悪いのかは、サッパリわかっていないのだ。

 不完全燃焼に終わった唐津と莉乃の闘志をもう一度ぶつけるときは、必ずやってくる。これから俺が東山を説得し終え、恨みの矛先を唐津と莉乃に向けるのに成功した後、莉乃と唐津に最後のひと押しをさせる。ブチ切れた東山が、ついに奴らの息の根を止めるのである。
 
――いま、仕事が終わった。お前はいまどうしてる、東山。

――実家に帰るだと?許さん。今すぐ帰る。家で待ってろ。

 夕方に送った俺のメールに対して、東山からは、まったくちぐはぐな内容の返信が返ってきた。おそらく、女房に送るはずだったメールが、間違って送られてきたのだろう。相当に気が動転しているようである。

――落ち着け、東山。脳みそを沸騰させたままで動くな。

 俺が続けて送ったメールの返信が返ってきたのは、夜更けになって、そろそろ晩酌を始めようかというときだった。

――女房を、殺ってしまった・・・・。

 冥界から響く山里愛子の声に、耳を傾けてしまったのか。東山の転落は、もはや誰が支えようとも止められないほどの速度で進んでいた。

外道記 改 15

翌日曜日は、桑原を連れて、にんにく大魔人の捜索のため、ヤツの現在の住処とみられる地蔵山に登ることになっていた。

 駅前で集合した俺たちは、まずは情報収集のため、駅前の商店を訪ねる。

「よう、婆ちゃん。今日は、ハゲデブオヤジは見た?」

「おお・・・。今朝も、孫のクラブをみながら、食べ物を買って、地蔵山の方に入っていったねえ。私に、そのチャンチャンコ素敵ですね、とか、わけのわからないことを言っていたねえ」

 精力を極限にまで高め、野獣と化したにんにく大魔人には、七十歳を越える老婆すら、「女の子」に見えているのである。

 老婆から情報提供を受けた俺は、桑原とともに、勇んで山の中へと、足を踏み入れていった。今日は登山ということで、俺は昔の派遣先で返却し忘れてそのままになっている、黄土色の作業服を着ていた。桑原はいつものツナギ服ではなく、迷彩の軍服姿である。

「あっ。アニキ、あそこ見てください。オオヒラタシデムシの幼虫が、すげえ速さで走ってますよ!うおっ!あっちでは、節の部分が黄色くなった一センチ級のダンゴムシが、落ち葉を食っています!おわわわっ、スギヒラタケだっ!アニキ、お腹すいてても、これは食べちゃだめですよ!」

「うるせえな・・・んなもん、みたくねえし、食わねえよ・・・」

 山道は滅多に人が立ち入らないためか、倒木などがそのままにされ、水はけも良くないため、昆虫類やキノコが至る所から顔を出している。人間の女が放出する糞尿、悪臭といった方面のグロテスクには性的興奮を覚える俺であったが、動植物方面のグロテスクは守備範囲外であり、恐怖でしかなかった。

「あっ!アニキ、あれを見てください!」

「やだよ・・・。さっさと行こうぜ」

「あれはっ!あれはヤバいですよ!」

 桑原がしつこいので、桑原が指さす方向に視線をやってみると、そこには虫ではなく、四体の地蔵が並んでいた。おそらく、これが地元民に地蔵山と呼ばれる所以なのだろうが、妙なことには、普通は六体で並ぶ地蔵が、二体欠けて四体しかいなかった。確かに、地蔵の身長は三十センチほどで、大人の男であれば何なく持ち運べるほどの重さであるにしても、一体誰が、何の目的で、こんな地蔵を持ち去ったというのか?

「アニキ、見てください。こんなところに、ハートチップルの袋と、金剛鳳凰丸のビンが落ちています。これは、にんにく大魔人が落としたものではないでしょうか」

 地蔵が置かれている周辺は休憩所のようになっており、ベンチに座って休むことができる。おそらくにんにく大魔人は、愛する「いちご」に会う前に、ここでおやつを食べ、勃起エネルギーを増幅していたのだろう。

「あの野郎、俺の愛する地元の自然を破壊しやがって・・・。許せん!」

 粗暴な桑原に環境愛護の精神があったとは意外であったが、彼がにんにく大魔人を何がなんでも見つけ出そうとする決意は、これでより強くなったようである。

 さらに山道を十五分ほど進むと、古びた山小屋が見えてきた。木造の一階建てで、壁面は朽ちかけてキノコが生え、関西の野球場のように、蔦が垂れ下がっていた。曇った窓からは、積み上げられた布団や、ひっくり返ったのようなものが見えている。どうやらここは、物置小屋か何かに使われているようだ。

「こりゃ、何かがありそうだな・・・うおっ!」

 足元の注意をおろそかにして山を登っていると、突如、何かを踏んですべり、前につんのめってしまった。同時に、鼻毛が干からびそうな悪臭が漂ってくる。足もとを見ると、足が何本もある、わけがわからない虫が二十匹くらい、ワーッと逃げ散っていくのが見えた。

「な、なんだってんだよ・・・」

 全身に走る悪寒に耐えながら、桑原と一緒に、もう一度足もとをよく見みてみた。

「こっ・・・これは、糞だっ!アニキは、糞を踏んだんですよ!」

 俺が靴で潰したことによって、無数の落ち葉に塗りたくられた、茶褐色の物体。踏んだ瞬間、足に伝わった柔らかい感触。辺り一面に広がる悪臭。確かに桑原の言う通り、俺が先ほど踏みつけたのは、まぎれもなく、何らかの哺乳類の糞であるようだった。

「こんなところまで犬や猫が入ってくるとは思えないし・・・。クマでもいるんですかね・・・?」

「いや・・・それにしては、一か所にこんなに沢山の糞があるのはおかしくねえか?」

 よく見ると、糞は一つではなく、山小屋の周りを取り囲むように、十個以上も落ちていた。時間が経って表面が干からびており、臭いは強くはないが、どれも大きさは、フライドチキン一ピースほどはある。これを全部、野生のクマがしたものというなら、こんなに一か所に多数の糞が集まるというのは不自然な話である。

 結論――目の前の山小屋の中に、一定以上の大きさの生物が定住している。おそらくその生物こそが、にんにく大魔人が妊娠させた女、「いちご」ではないだろうか?

「山小屋の中を、調べてみようぜ」

 俺はいざというときの盾とするため、桑原を前に歩かせ、生い茂る草木をかき分けて、山小屋の扉へと近づいていった。ボロボロに塗装が剥げた茶色の扉には、鍵はかかっておらず、半開きになっている。ノブを掴み、引っ張ろうとした桑原がその手を止め、鼻を摘み、手を横に振って、「ヤバい」とジェスチャーした。

 山小屋の中から漂う、肉食獣の檻のような悪臭・・。侵入者を全力で拒むかのようなその臭いは、あたかもカメムシやスカンクが、外敵を退けるために刺激臭を発しているような危機感、あるいは悲壮感に溢れていた。

 臭いとくれば、俺の出番である。桑原と交代して先頭に立ち、ノブを引っ張ろうとしたが、扉の隙間から漏れ出てくる声を聴いて、思わず手を止めてしまった。

「いちご・・・・いちご・・・・いちご・・・・」

 いちご―――にんにく大魔人の愛する女の名を繰り返し呟いているのは、まぎれもなく、かつて俺の子を二人も産んだ四十四歳の女、ゆかりであった。

「どうしたんすか?アニキ・・・」

 押し殺した声で、桑原が尋ねる。どうしたもこうしたも、俺自身、目の前の現実をどう受け止めていいのか、整理ができない。

 恐る恐る、少しだけ開けたドアの隙間から、中を覗いてみる。山小屋を埋め尽くす布団やガラクタの中に、ちょこんと座る女は、俺が知るゆかりに比べれば随分痩せているが、身にまとっている赤いお姫様ドレスや、肉厚で一重の瞼の奥に覗く細い目、プロボクサーのパンチを貰ったようにひしゃげ、鼻毛が何十本も飛び出した鼻、口角から耐えず涎を垂れ流す半開きの口、脂に塗れてギトギトと光った、海ゾウメンのような髪は、まぎれもなくゆかりのものだった。

 山小屋の外に無数に転がっていた糞は、おそらくほとんどゆかりのもので、何個かはゆかりにエサを運んでいる、にんにく大魔人のものだろう。今から約三か月前、にんにく大魔人の部屋から逃亡したゆかりは、何日かの旅の末、この地蔵山の山小屋へと逃げ込んでいたのだ。

 ゆかりの身体は、最後に見たときに比べ、半分ぐらいに痩せているが、腹だけは以前と同じように膨らんでいる。ゆかりの周りには、にんにく大魔人が運んできたと思われる菓子パンの袋やバナナの皮などが散乱しているから、貧困国の子供のような栄養失調に陥ったわけではないだろう。おそらくは、妊娠・・・時期的に考えて、にんにく大魔人ではなく、俺の子を身ごもっているのだ。

 肥満で気づかなったが、ゆかりは俺の下から逃亡した時点で、すでに子宮内に命を宿していた。直前に見せていた、異常な食欲はそのためであった。そしてにんにく大魔人は、子供を身ごもったゆかりのため、「たまごクラブ」を参考にしながら、妊婦に優しい食品を届けていたのだ。

「けんじ、たつや、ゆかりの子。けんじ、たつや、ごはんのじかん」

 ゆかりが気味の悪い声で呟きながら、ガラクタの山の中に手を伸ばした。腕をあげた瞬間、生命の力強さを感じさせるような、黒々と生い茂るわき毛が覗く。

 ゆかりがガラクタの山の中から取り出したものを見て、俺は息を飲んだ。それは紛れもなく、山道の休憩所から消えていた、二体の地蔵であった。

「けんじ、たつや、ゆかりの子。けんじ、たつや、ごはんのじかん」

 ゆかりが、赤いお姫様ドレスを脱ぎ、顕わになった、垂れさがった乳房を絞り、「けんじ地蔵」と「たつや地蔵」に、乳を与え始めた。出産が近づいているのか、ゆかりの乳からは芳醇な母乳が、ビャクウッ、ピルピル、ビャクウッ、ピルピルと勢いよく迸っている。柔らかな笑みを浮かべる地蔵の顔は、たちまち濡れそぼった。

 ゆかりの顔には、太っているときには目立たなかった深いしわが刻まれ、脂ぎった髪には、白いものも増えているようである。近頃はアンチエイジングブームで、通常なら閉経を迎える年齢であっても、四十歳ぐらいにしか見えないような容色を維持している女も多いことを考えれば、ゆかりの年齢は、六十歳を越えているようにも見える。還暦を越えた女が、大量の母乳を噴射している光景は、さながら妖怪物語のようで、いかにも壮絶であった。

 お地蔵様を己の子に見立てて母乳で濡らすとは、なんとも罰当たりな女であるが、あるいはゆかりは、若き日の釈迦が修行で疲弊して倒れた際、村娘スジャータの乳粥を飲んで回復したというエピソードを知っているのであろうか?いくら悟りを開き、煩悩に惑わされなくなった釈迦とて、三か月以上も身体を洗っておらず、ヴァギナから肉食獣の臭いを発し、飛び出させた鼻毛に付着する鼻くそを何気なしにパクっと食べてしまう、知的年齢十歳、実年齢四十四歳、見た目年齢六十歳の女の乳では回復はせぬと思われるが・・。もし、そんな毒汁のようなもので回復するとしたら、俺くらいであろう。釈迦と違って煩悩にまみれた俺は、山小屋の壁に押し付けられた股間が熱くなるのを抑えられなかった。

「アニキ、一体どうしたんですか。小屋の中に、一体何が・・・うわっ!!」

 俺の肩ごしに小屋の中の様子を覗いた桑原が吃驚し、尻もちをついた。俺のようなアブノーマルな性癖のない男にとっては、ゆかりの姿は異常も異常。裏社会で修羅場を潜ってきた桑原でさえも、猛烈な悪臭を発する妊娠した中年女がお姫様ドレスを着て、地蔵に母乳を与えている光景などをみたときは、腰を抜かしてしまうのだ。

「けんじ、たつや、いちご、けんじ、たつや、いちご、けんじ、たつや、いちご、けんじ、たつや、いちご、けんじ、たつや、いちご・・・・」

 侵入者の存在に気付いたゆかりが、パニックに陥ったのか、突如、己の息子の名を連呼し始めた。生意気にも、胸元を両手で覆っている。

 俺は、今すぐにでも小屋に飛び込んで、ゆかりのお姫様ドレスを引き千切り、雑菌がうようよといる、舐めたら腹痛必至のヴァギナにむしゃぶりつき、ゆかりの陰毛で培養された菌を甘い母乳で流し込んでタンパク質の補給をした後、「マカパワーX」「金剛鳳凰丸」「超竜爆発」「オットビンビンAAA」を一気に飲んでいきり立ったものをゆかりの股間に差し込み、残った雑菌のお掃除をしつつ、子どもが入ったボテ腹が揺れるのを眺めながら射精をしたい衝動を抑え、桑原を連れて一時小屋から離れ、作戦会議に入った。

「アニキ、なっ、なんなんすか!あれがにんにく大魔人の女房、いちごですか?いくらにんにく大魔人でも、あんなのとセックスできるんですか?あれで勃つとか、人間じゃないですよ!」

「そこまでは、言い過ぎだろ!」

 人にあらずとまで言われ、つい、怒気を露わにしてしまった。

「え?なぜ、アニキが怒るんですか?」

「いや・・。それより、あのいちごは、うまくすれば、莉乃をこの世から葬り去るのに使えるかもしれねえぞ」

 数か月前・・・「頭のおかしい魔人から、みんなに守ってもらっているワタシ」を演じるという莉乃の目的によってズタボロに傷つけられ、その莉乃を装った俺のメールによって存在意義をも否定され、トドメのように、自分が生身の女を前にしては勃起できない身体である事実を突きつけられたにんにく大魔人は、人生に絶望し、命を断つ決意をして、地蔵山に入った。しかし、にんにく大魔人はそこで、生きる希望――女体と出会った。

 にんにく大魔人が出会った女体は、実年齢は四十四歳、見た目年齢は六十歳を越えている。しかし、にんにく大魔人は、あともう間もなくで「ヤラミソ」になってしまい、贅沢を言っていられる立場にはない。もし、にんにく大魔人が社会と繋がっている状態であれば、あんな化け物を妻とすれば、周囲からの嘲笑を浴びるのではないかと危惧するところかもしれないが、幸いというべきか、海南アスピレーションの寮を飛び出したにんにく大魔人は現在、ホームレス状態にある。汚い女体を有難がって抱いていたからといって、馬鹿にするような人間は、誰一人としていないのである。

 何とかは三日で慣れる、などという言葉もある。にんにくを沢山食べ、精力を高めているうちに、彼の目には、六十歳を過ぎているようなホームレス女が、「女の子」に見えるようになってきた。

 山小屋にいた「女の子」は、腹に赤子を宿しており、満足に身動きが取れない状態だった。「女の子」は、あんなことやこんなことをしても、簡単に逃げられる状態ではないのである。

 「女の子」は悪臭を放っていたが、もともと「女の子」の内縁の夫であった男によれば、それは「女の子」が性的に興奮していることを表すフェロモンということであった。「女の子」のおっぱいは、ひしゃげて垂れ下がってはいるものの、まあまあ大きく、しかも甘い母乳まで噴射する。

 にんにく大魔人は、名前のわからず、会話も通じない「女の子」に、ひとまず、彼女が口癖のように呟いている、「いちご」という名前をつけることにした。それは奇しくも、己がかつてお世話になったAV嬢と同じ名前であった。「女の子」――いちごちゃんは、にんにく大魔人にとって、まさに「エンジェル」であった。

 そして、ここが肝心であるが、にんにく大魔人は、いまだ「いちご」の身体を貫いていない可能性が、極めて高い。 

 にんにく大魔人が街で紛失し、女子高生に拾われたメモの内容からは、にんにく大魔人は、「いちご」をレイプするのではなく、あくまで、合意の上でのセックスに拘っていることが伺えた。「いちご」がにんにく大魔人をどう思っているのかわからないが、あの「子供が欲しいというまで手をださない」という一文から考えても、にんにく大魔人は、他人の子を宿したままの、今のいちごを抱く気にはなっていないのではないか。

 にんにく大魔人が「いちご」とセックスができていないもう一つの根拠は、にんにく大魔人は、駅前の商店の、七十歳を過ぎた老婆が着たチャンチャンコを褒めていることだ。「いちご」よりも三十歳近く上の七十過ぎの老婆すら、性の対象である「女の子」に見えるほど飢えているというのは、にんにくを沢山食べているだけでは説明がつかない。そんなことは、長い間性器を刺激しておらず、極限まで快楽に飢えている場合にしか起こりえないはずだ。

 おそらく、にんにく大魔人は、海南アスピレーションの寮で純玲に抜いてもらってから今までの約二か月間、にんにくや「超竜爆発」などの精力剤の摂取により作った精液を、まだ一度も放出せず、ずっと溜め込んでいるのだ。そんなに溜め込んでいれば、自慰行為をせずとも、精液は夢精により放出されたり、精巣の中でほとんど死に絶えてしまっているだろうが、少なくとも射精によるオルガスムスは、三か月近く味わっていないのは確実である。

 にんにく摂取のみならず、禁欲もすることにより、性欲が極限にまで高められたにんにく大魔人が、この人目に触れぬ山小屋に、かつて惚れて惚れぬいた女、莉乃がいるのを見てしまったら――?イカ臭きペニスを刺し込むのは、必然ではないだろうか?

 莉乃を犯さなくてもいい。むしろ、にんにく大魔人が莉乃を犯さず、いちごへの純潔な愛を貫いてくれた方が、結末はより悲惨なものとなる。

 自分といちごの「愛の巣」と思っていた山小屋に、他の人間が立ち入ったとわかったらば、にんにく大魔人は、行政の人間にいちごを連れていかれることを恐れるであろう。いちごは、三十年間、女に飢えて飢えて飢え続けたにんにく大魔人がようやく見つけた、大事な大事なエンジェルなのである。エンジェルの身体を散々貪りつくした後というなら、行政に引き渡してもいいかもしれないが、にんにく大魔人はまだ、エンジェルには指一本触れておらず、童貞のままである。

 いちごを連れて逃げようにも、寮を飛び出してしまったにんにく大魔人には、身重のいちごを連れていくあてがない。せっかく見つけた、エッチなことし放題のミルクエンジェルをなにがなんでも失わぬために、今度こそにんにく大魔人は、莉乃を殺すことを選ぶのではないか。

 行政云々を抜きにしても、莉乃は、人間、宮城利通に引導を渡し、性欲に全てを支配された怪物、にんにく大魔人に変えた張本人なのである。人間であることを辞めさせられた女に、生きる希望であるいちごまで奪われそうになれば、にんにく大魔人は、「鬼」と化すのではないか――。

 莉乃をこの地蔵山におびき出すのは、そう難しいことではない。四方八方にアンテナを張り巡らせ、唐津にいいところを見せるためのネタを探している莉乃に、劣悪な環境の山小屋で、大きなおなかを抱えながら途方にくれている「いちごちゃん」のことを教えれば、莉乃は唐津の手を引っ張って、スキップしながら山道を上ってくるはずである。

 にんにく大魔人が抱くであろう危惧に反して、莉乃がいちごを行政に引き渡すことはないだろう。せっかくの唐津へのアピール材料を、自ら手放すはずがない。しかし、そんな事情は、にんにく大魔人の知るところではない。

 いちごに食料などの支援物資を運びに来た莉乃に、何度も「愛の巣」を踏み荒らされて、にんにく大魔人の怒りはとうとう限界に達する。あの女は、自分にこの社会でまともに生きる道はないと「引導」を渡しただけでなく、死ぬために入った山の中で見つけた希望、いちごまで奪おうというのか――?

 自分のストレス発散のために、さんざモテない男を愚弄し続けてきた莉乃は、忌み嫌う「雑菌でぶおじさん」の、悲しみの刃によって屠られるのである。

「なるほど・・・。面白そうっすね」

 俺の計画を聞いた桑原が、腕を組み、顎に手を当て、感心したように頷いてくれた。

「だろ。そんでよ、もっといいこと考えてんだけどよ・・・」

 俺は持ってきたリュックサックの中から、小型の赤外線カメラと、盗聴器を取り出した。

「なんすか、これ?なんでこんなもん持ってるんです?」

「女便所とかに、仕掛けるためだよ。お前、コイツを小屋の中に仕掛けてこいよ。にんにく大魔人が、莉乃を犯すか、ぶち殺すところ、見てえだろ?」

 無論、目的はそれだけではない。あわよくば、にんにく大魔人と「いちご」が織りなす、「超劣等東洋種族製造計画」をこの目に収めたいという願望もあった。

「そりゃ、見たいっす!でも、変態であるアニキが自分でやった方が、失敗がなくていいんじゃないすか?」

「変態じゃねえよ。実はよ、アイツは元、俺の女だったんだよ。俺が散々暴力を振るっていたから、逃げられちまったんだ」

 いちいち誤魔化すのも煩わしい。止めどもない興奮の前では、もはや、自分の特殊性癖を晒すことも、恥とは思わなかった。

「え?アニキ、あれとセックスしてたんすか?やっぱり、変態じゃないですか・・・」

「じゃあ変態でいいよ。とにかく、俺は昔、アイツのことを散々甚振ったから、俺が来たとわかれば、アイツは身重の身体を推してでも逃げてしまうかもしれないだろ?お前だったら、まずその可能性はない。だから、お前やって来いよ。場所とか、角度とか、俺が部屋の外から指示するからさ」

「なるほど、そういうことなら、俺がやるしかないっすね。では、行ってまいります!」

 桑原は勇んで小屋の中へと入り、俺が外から身振り手振りで指示をするのに従って、ガラクタの山の中に、監視カメラと盗聴器を仕掛けるのに成功した。作業中は、ゆかりに対し、「あなたを助けに来たんですよ」「我々は役所の人間ですからね」などと声をかけさせ、また非常食のカロリーメイトを与え、ゆかりを安心させるための言葉をかけさせるのを忘れなかった。ゆかりの警戒心さえ解けば、身重のゆかりがどこかへ逃亡する心配はなくなる。

「それじゃ、いちごさん、また来ますからね~」

 長居は無用。これ以上いたら、俺はゆかりの背中にできた汗疹を齧り取り、それを口の中で、ゆかりの足の爪に挟まる黒々とした垢と混ぜ合わせ、さらにゆかりとディープ・キスをすることで、ゆかりの歯槽膿漏でうんこの臭いがする口の中に移し、汗だくになったゆかりと、汗だくになりながら絡み合い、ゆかりのヴァギナのお下劣な臭いを俺のペニスに移動させつつ、射精をしたい衝動を抑えることができない。俺はカメラと盗聴器を仕掛け終えた桑原とともに、下山を始めた。

「しかし、いちごを見つけることはできましたが、にんにく大魔人を見つけることはできませんでしたね。あの商店の婆ちゃんの勘違いか、行き違いになっちゃったんですかね」

「まあ、そのおかげで山小屋にカメラを仕掛けることができたし、莉乃を殺す作戦も思いついたんだから、いいとしようじゃねえか」

 禍転じて福となす。あのとき、俺の下から逃げたゆかりは、莉乃殺害の可能性を運んで戻ってきた。己に都合の良い、キレイな世界しか目の中に入れずに生きてきた莉乃は、この汚わいと汚臭に塗れた山小屋で、終焉の時を迎えるのだ。

「ところで、アニキ、さっきから電話鳴ってますよ」

 桑原に言われて、俺はポケットの中で振動するスマートフォンを手に取った。メールが、知らぬ間に十六通も届いている。莉乃殺害が現実味を帯びてきた興奮で、まったく気づかなかった。

 送信者は、すべて同じ人物――東山。内容はほとんどが、なぜ返事を寄越さない、電話に出ろ、といった意味のないもので、要件が書かれているのは、最初の一通だけであった。

――俺の過去の犯罪がばれた。俺はもう終わりだ。

 本文に添付されているURLを辿ってみると、それは匿名掲示板のあるスレッドに繋がっていた。一九九×年、同級生女子メッタ刺し殺害事件の犯人の現在――というのが、スレッドのタイトルである。スレッド内では、丸菱運輸の集合写真と、東山の中学時代の写真が公開されており、居住している地域、体格、職業、家族構成などの事実関係は、すべて真実であった。

 東山の個人情報をネット上に流出させた犯人は、他ならぬ俺であった。東山を、莉乃と唐津への復讐に使うことを決断した俺は、業者から五万で仕入れた他人名義の携帯電話を用いて、匿名掲示板にスレッドを建て、東山の個人情報を書きこんだのである。

 労働組合の連中を説得して、東山を助けてやることは、十分に可能だった。それは俺にしかできないことであり、そうしてやれば、東山は俺に深く感謝して、気持ちよく金を吐き出してくれるようになるのはわかっていた。わかっていて、俺は敢えて、東山を見捨てた。のみならず、俺は東山を更なる窮地に追い込む一手を打った。

 今、俺が何を差し置いてもやらなくてはいけないのは、莉乃と唐津への復讐だ。今、ここで世間に対してケジメをつけなくては、俺に未来はない。東山からいくら金を引き出しても意味がないのである。二兎を追う者は一兎をも得ずの諺に従ったわけだが、問題は、俺が捨てた一兎は、少しの努力で確実に手に入った一兎だったのに対し、俺が求めている一兎は、多大な努力をしなければ手に入らない一兎であるということである。

 俺にギャンブルを決断させたのは、唐津に舞い込んだ、海南アスピレーション正社員の誘いであった。唐津は労働争議に決着がつき、契約期間が終了したら、すぐさま丸菱の倉庫を去ってしまうだろう。唐津がいなくなれば、当然、莉乃もすぐにいなくなる。奴らの契約期間が俺と同じなら、残り一か月弱。奴らが俺の手の届く範囲にいる、ごくわずかな間で奴らを仕留めるためには、悠長に構えている暇はなかった。

 百九十センチ、百十キロ。悲しみの巨人、東山を「暴力装置」として利用する計画――。やるべき作業は多くはないが、簡単ではない。とにかく、できる場面で、できる仕事を、一つ一つ片付けていくしかない。

「なあ。東山の個人情報がネットに流れちまったみたいなんだけど、お前、何か知らねえか?」

 俺はさっそく、東山の個人情報を流した犯人が俺であるという疑いを回避するための芝居を始めた。

 今現在、俺と肩を並べて、一緒に山道を下りている男。俺が知る限りでは、現在、北関東に住み、丸菱運輸の倉庫で働いている東山円蔵が、十八年前、首都圏の中学校で、同級生を三十回以上も刺して殺した少年Aと同一人物であることを知っているのは、この男しかいない。東山の俺への疑いを逸らすために、容疑を被せるのに最も適当な相手がいるとしたら、それはこの桑原ということになるが、俺にそこまでの意図があるわけではない。 

 あれだけのパワハラをしてきた男である。海南アスピレーションで、労働組合を結成して戦ってきた派遣スタッフだけでなく、いまどこで働いているかもわからない何百、何千という人間から、深い恨みを買っているはずだ。犯人探しをしようとしたら、それこそキリがないだろう。わざわざ罪を被せることなど考えなくとも、東山が俺にたどり着く可能性は皆無に近い。俺が桑原に東山の危機を教えたのは、ただ単に、俺は何も知らないという芝居を打っているだけである。

「え!東山先輩の過去が!」
 
 大層驚いた様子で、桑原が、山小屋から回収してきた、剥きたてのバナナを取り落とした。
「なるほど・・・・ようやく東山先輩の凄さに、世間が気づき始めたってことですね。そっかぁ、ついに東山先輩も全国区かぁ~」

 特に、東山を心配する様子もみせない桑原。悪事を勲章として生きてきた桑原にとっては、東山の後ろ暗い過去が明らかになったことは、東山の栄光が明らかになったのと同じことになるらしい。

「まさか、おめえが・・・?」

「え?そんなわけないじゃないですか。東山先輩の凄さに世間が気づいたのはうれしいですが、そういう過去がバレたら、世間で不自由な暮らしを送ることになることくらい、俺にだってわかってますよ」

 一応、アレとソレはちゃんと弁えていたようである。桑原の前で芝居を打った俺は、続いて、東山に自らの「潔白」をアピールするため、地蔵山の麓まで降りてきたところで、東山にメールを打った。「今、どこにいるのか」という問いに対し、返ってきたのは、「名古屋だ」という返事。東山の家からだと、新幹線で三時間はかかる距離である。さっき気づいたばかりで、もうそんな遠くにまで行ってしまっていたとは。相変わらず、気が動転すると、頭より先に身体が動いてしまう男である。
 
―――世の中では様々な事件が起きている。山里愛子が殺された事件は、もう十八年も前のことだ。お前が特定されたといっても、「祭」になるかまではわからない。大して燃えないうちに鎮静化する可能性もある。嫁や職場の連中にバレてないならまだ平気だ。天むすでも食って気分を落ち着けて、今晩中には帰ってこい。明日、明後日にでも会って、今後のことについて話し合おう。大丈夫、俺はお前の味方だ。
 
 なんとか東山を励ますメールを送ってみたが、東山の杞憂は大きくなるばかりのようで、怖い、俺は終わりだ、不安だ、などといった、意味のない内容のメールが、次々に届いてきた。

 本人が心配している通り、東山の過去が身内にばれれば、東山は完全に破滅である。この世間の中で、ずっと生きづらさを抱えてきた者――さながら、大海原に放り込まれた淡水魚のように生きてきた俺には、東山が錯乱する気持ちがよくわかる。

 自らに全てを委ねる妻子と、好き勝手に威張り散らせる職場。弛まぬ努力により、ようやく安住できる空間を――大海原の中に、小さな淡水のプールを作り上げることに成功した東山には、もうそのプールから出て生きていくことは考えれられない。今更すべてを失い、一からやり直すくらいだったら、人生そのものを終結させることを選ぶだろう。

 人生を終結させるといっても、ただ自殺するだけじゃ能がない。それでは、お前が世間に負けたことになってしまう。どうせ死ぬなら、自分をずっと虐げてきた世間に、せめてもの一矢を報いてから死ね――。

 東山という暴走車両に「道」を示すと同時に、いくつかある目的地の中から、うまく唐津と莉乃のところまで誘導してやる。

 東山が、己の人生が終焉を迎えると悟ったとき、せめてもの道連れに殺したいと思う相手――順当に考えるなら、それは他ならぬ俺であろう。俺はあの中学時代の出来事を、「生存競争」であったと解釈しているが、東山が同じように思っているとは限らない。一方的な被害者意識にとらわれて、世間一般的な見方と同じように、ただのイジメであったとしか思っていないかもしれない。むしろ、その可能性の方が高いだろう。

 世間に個人情報が流出したことに関して、奴はほかに相談する相手もいないから俺にメールを送ってきているが、東山は俺のことを、けして友人とは考えていないはずだ。もし、東山が世間に一矢を報いる手段として、本当に殺したいヤツに復讐することを考えるなら、ヤツは間違いなく、俺を狙ってくるはずである。

 東山が、この世でもっとも恨む人間――復讐の対象を、短期間の間に、俺から唐津と莉乃にすげかえなくてはならない。困難な作業ではあるが、やってやれないことはない。

 マジックのタネは、もちろん、労働組合の活動である。少年時代の東山が魂を込めて取り組んでいた、「君を守り隊」を思い起こさせる活動を展開する莉乃と唐津を、東山は激しく敵視している。中学時代の自分が倒したかった敵の立場を、今現在、他ならぬ自分自身が演じているという「矛盾」に耐え切れず、苦悶に喘いでいる。莉乃と唐津が東山を刺激し続け、逆に、俺が東山を擁護するような態度をこれから取り続けていけば、復讐の優先順位が入れ替わる芽は、十分にある。

 にんにく大魔人・宮城。少年A・東山。二匹の悲しき怪物が、今、冷たい檻の中にいる。二匹の怪物は、長年に渡って世間の連中から差別を受け、酷い生きづらさを抱え続け、ついには檻の中へと閉じ込められ、殺処分を待つ運命となってしまった。

 怪物に麻酔銃を打ち込んで檻の中へと追いやったのは、他ならぬ俺であるが、怪物は自分に直接手を加えた俺を憎むばかりで、自分が本当に恨むべきは、長年にわたって自分を虐げてきた世間であることに気づいてはいない。今、俺が檻を開けたら、二匹の怪物は俺に襲い掛かってしまう。

 俺はこれから、二匹の怪物に調教を施し、手綱をしっかりと握って、怪物が本当に襲うべき相手――怪物をここまで追い詰めた、この世間の代表者のところへと、誘導しなければならない。俺などではなく、唐津と莉乃の喉笛を引きちぎり、腸を食い破るのでなければ、怪物たちの怨念は成就できないことを、しっかりと教えなくてはならない。

 悲しき怪物どもが殺処分される日時は、刻一刻と迫っている。急がねばならない――。
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津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
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