サイト開設当初から 考え方の変化 5

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 最後に神山のことですが、ヤツのことに関して変化したのは、あの記憶を自分の中で、前向きに生かせるようになってきた――生かそうとしている、ということです。

 サイト開設当初に神山のことを思い出すときには、

「神山を捕らえ、まず飽きるまで自分で犯しまくった後、河川敷で拾ってきた汚いジジイにあの女を預け、神山にジジイの子を産ませ、その子供を、金澤に蹴殺させ、その光景を見せつけながら、アホの関口に「自分の恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですかぁ~」と叫ばせながらオナニーをさせ、子供の死体にかけさせながら、野村に「神山のおかげで彼女と出会えた。あーよかったな(その当時はまだその名言は生み出されていませんし、野村のセリフでもないですが)」と叫ばせながら、あの豚まんのような顔を殴りまくり、中尾と深沢には、子供を蹴殺した後で鬱になっている金澤をフェラさせ、腐ったザーメンを全部飲ませ、三人目の講師と加納に関してはただ単に殴りまくり、あとの連中がその光景を見ておいおい泣いているのを眺める」

 という妄想をするだけだったのが、最近というか、サイト運営中に徐々に変わってきて、私が一定の成功を収めたのち、なんかのキッカケであの連中に再会して、得意げに振舞ったりするといったようなシーンを想像するようになりました。

 その想像の内容は恥ずかしいので、ここでは書きませんが、そうしたことは自分のモチベーションを掻き立てるために大事なことで、下積み時代にそういうことを実践していた成功者は沢山いたそうです。具体的に成功を実現するための努力をしているなら、ただの「妄想」にはならないはずです。

 当時の連中――野村や関口らは、私と神山とのことを、「なかったこと」にして終わらせようとしました。

 冗談ではない。私にとって、あの経験は絶対に忘れてはならないことであり、これからの人生の糧にしていかなければならいことである。

 神山が私に対して言い放った言葉の中に、私に「反省しろ」というものがありました。当時の私は、それを「神山にしつこくしたことを反省しろ」という意味だと思い、鬱になっていましたが、慎重にヤツのやったことを振り返った結果、それは「お前のような乞食が、私のようなプリンセスに恋をしたことを反省しろ」という、極めて差別的な、身勝手な意味であったことが判明しました。

 その真相に気が付いた以上、「神山に執着したこと」を反省するのは、神山及び、あの「偽善の国」の連中の都合であり、私には何の得にもならないことです。

 神山が誠実に対応してくれたのに私がいつまでもしつこくしていたのなら、それは私の方がどうしようもないストーカー野郎だということになり、私が全部悪いということになりますが、神山の方が先にナメ腐ったことをしてきたのならおあいこであり、むしろ、鬱にまでなり、今現在の社会的地位が低い私の方が「被害者」ともいえると思います。

 では、あの当時のことで何も反省することがなかったかといえば、そうではありません。

 あの当時のことで、私が本当に反省しなくてはならないのは、「自分の気持ちを誰にも伝えなかったこと」「伝える能力を持たなかったこと」だと思っています。

 このサイトにも、コメントを積極的に下さる読者さんと、そうでない読者さんがいらっしゃいますが、「思い」というのは、相手に「伝え」なければ何の意味もないものです。

 以前、私がレビューの記事を消したときに恨み言を言ってきた読者のことを書きましたが、自分が今でも読んでいることを私にまったく伝えようとしなかったにも拘わらず、私が彼はいないもんだと思って記事を消したあとになってから突然出てきて、「俺は読んでいたのに何てことをするんだ!」などと、恨みごとを言われても、こっちはただムカつくだけです。また、「このサイトができたころから、ずっと読み続けてきた者です」などとでかい顔をされましても、HNをつけてコメントをされない以上、私から見れば初見とまったく変わりはなく、そんな相手から説教されても反発心しか湧きません。

 私があの専門学校を卒業した後、しばらくして、証書を受け取りに学校に顔を出した時、私は講師から、あのクラスの連中が、私のことを心配していたと聞きました。しかし、私が休暇に入ったとき、私に連絡をくれたのはごく僅かにすぎず、その連中も、私の本音については、まったく聞こうともしませんでした。相手に伝わらない「心配」などは、何にも思っていないのと同じことであり、こっちがどう歪もうが、奴らを恨もうが勝手ということになります。

 しかし、そういう私も、彼らに自分の本音を「伝えようと」していなかったのも事実ではないか。

「神山は私がしつこくしているから嫌っているように装っているが、実際に失礼な対応を取ってきたのは神山の方が先である。私にも問題があるにしても、神山が一方的に被害者ヅラをしているのはおかしい」

「私のことを当初バカにしており、その後も特に良くしてくれたわけでもない金澤に好きな女を持っていかれたらムカつくのは当たり前であり、それを祝福しろ(そこまでは言われてませんが、そんな雰囲気だった)なんてとんでもないことである」

 この辺は私が明確な「被害者」として主張できる部分であり、ここをうまく説明できれば、私に同情がいく向きもあった可能性は十分あったと思います。

 私が一番信頼していた関口に、「悩み事なんか相談してくんな」というふうに防衛線を張られてしまい、野村にしても、「神山のことは忘れろ」と自分の結論を押し付けられ、「なかったことにしよう」というふうにされてしまったことで、私も相談しにくくなった部分もありましたが、それでも、「伝えなかった」ことは、私が悪かった部分だと思います。もし、私がちゃんと「伝えようと」していたら、神山と金澤以外の連中には恨みは抱いていなかったかもしれない。

 とはいえ、伝えようにも、当時の私の能力で、ちゃんと伝えられたかという問題もあります。うまく整理できないまま伝えれば、やっぱり私の「逆恨み」「邪な嫉妬」で片付けられた可能性もあり、彼らに余計に恨みを募らせていただけかもしれません。


 「自分の思いを伝えなかったこと」「伝える能力を持たなかったこと」

 あの一件で私が反省しなくてはならないのは、この二点です。だから私は、自分の内に抱えたものをすべて吐き出し、それを人にうまく(面白おかしく)伝える道――「小説を書くこと」を始めた。

 アイツらのことは、もうしょうがないと思います。結果的に、恨みしか残らない形で終わってしまった以上、これからもずっと恨んでいくしかない。大事なのは、それを前向きな形で生かすことです。

 サイト開設当初には、あの連中に、物理的な方法で「復讐」することばかり考えていました。今も、完全にその選択肢を捨てたわけではありません。例えば40近くになってもまだ底辺に沈没したままで、もう絶対に逆転は不可能だと思ったときには、「やるしかない」とも思います。

 でも、その前に、限界までやってみなくてはいけないのではないか?限界までやってダメならともかく、中途半端のまま復讐などしても、自分の中で後悔が残るだけではないか?

 「そのとき」が来るまでには、あの時期のことを、できるだけ前向きな形で生かさねばならない。奴らのことを思い出すにしても、どうしようもない妄想ではなく、実のある「想像」をしなくてはならない。今はそのように考えて、当時の記憶に向き合い、また、活動に取り組んでいます。 

 また、神山と並んで、私小説の主役格を務めた折茂にも触れておきますが、彼に関しては、勝手に頑張ってくれとしか言いようがない。とにかくエネルギーはある男なのだから、ちゃんとやってれば、人並以上の人生は拓けると思います。ああいう意欲のある人間が30過ぎても底辺に沈没したままだとするのなら、それはもう社会の方が悪いということになる。

 私自身、世の中での成功を目指す立場として、あの男にはむしろ、それなりの成功を掴んでほしいと思います。というか、今生きていれば30半ばですから、すでにどこか、彼の能力を遺憾なく発揮でき、それに見合った報酬を得られるところで、それなりの立場に収まっていることを信じたいです。

 考え方の変化シリーズはここで終わります。あと、確実に更新できる予定は「麻原彰晃 24」となりますが、こちらの最終回もコメント数のノルマ達成できましたら(できるだけ早めに。一週間以内くらい)、最後におまけとして、一連の総括的な記事を書きたいと思います。よろしくお願いいたします。

犯罪者名鑑 麻原彰晃 23


みっつのぼひょう



 遺棄


 実行犯グループの6人は、富士総本部道場に戻ると、少し休憩をとった後、ドラム缶に詰めた坂本弁護士一家の遺体を埋めるために、一路北陸へと向かいます。

 警察の捜査をかく乱するために、三人の遺体は、それぞれバラバラの山に埋めるという作戦が取られました。六人のうち、指揮をとっていたのは、村井、早川、岡崎の年長者三人組で、若くて体力のある端本と中川が穴掘りを担当、新實が見張りを担当というのが、主な役回りでした。

 今回の記事は、ベストセラーのノンフィクション作家、佐木隆三氏の著書「三つの墓標」を元に書いていますが、坂本弁護士一家を遺棄しに北陸へと向かった6人のやり取りは、一種のロードムービーのようでなかなか味わいがあります。

 私が特に気に入っているのは、鳥取県の美保湾で実行犯の一人、中川智正が、現場にプルシャを落としたのをみんなに打ち明けた場面です。

 ここで、チクリ屋で嫌われ者の村井は、自分が現場に土足で入ったり、手袋をつけ忘れたのを棚に上げて、中川をネチネチと追い詰めていた一方、求道者的な新實智光は、「あまり気にするな。現世では、うまくいかないこともあるよ。チベットの仏教だって、うまくいっていないじゃないか。また転生して、やり直せばいいんだ」と前向きに励まし、建設現場の親方のような気風で慕われていた早川は、最初に中川をどやし付けたものの、すぐに、「ワシとマンジュシュリー大師も手袋を忘れた。中川くんを責める権利はないんや」と庇い、「中川くんも出家して早々、こんなことに巻き込まれて、辛かったやろうなあ」と慰めるなど、メンバーの性格の違いが現れており、同じオウムの幹部でも、それぞれ個性がまったくバラバラであったことがうかがい知れます。

 中川智正はまだ27歳という年齢で、出家して日が浅いにも関わらず、幼い瀧彦ちゃんの命を奪い、現場にプルシャを落とすというミスをしたことで、精神的に鬱状態になっていました。程度の差こそあれ、他の5人も落ち込んでいたのは同じだったはずで、そんな彼らが、「真理のために」と、お互いに励まし合いながら臨んだワークは、新實に言わせれば、「幹部みんなの心が一つになって、本当に団結できたのは、坂本弁護士事件が最初で最後だった」そうです。

 弁護士一家を遺棄するワークは、6人にとって、精神的にも肉体的にも重労働だったでしょうが、いつも一日一食、粗末な食事しか取れないところを、食べたいものを腹いっぱい食べることができ、(坂本弁護士の遺棄現場では、カニヤ横丁で買ってきたカニを食っていた)風呂にも一週間は入れないところを、サウナで「命の洗濯」ができるなど、いいリフレッシュになった面もあったのかもしれません。

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 三十歳

 自分で書いた麻原の記事を読み返すと、犯罪者名鑑全体の方向性が固まっていなかったこともあり、随分余談だらけだなあという感想を抱きますが、どうせすぐには終わらない企画ですので、今回も余談を挟ませてもらいます。

 私が今回話題にしたいのは、麻原が挫折の連続を経て、ようやくヨガの行者として頭角を現し始めた、「30歳」という年齢についてです。

 麻原彰晃は日本史上最悪の犯罪者であり、狂気の独裁者という評価は覆ることはありませんが、一方で、彼が社会の中で一定の成功を収めた人物、「勝ち組」であったことも否定はできません。麻原という怪物が完成し、「ビクトリー・ロード」を歩み始めたのが、30歳という年齢でした。

 ほかの宗教家でいえば、3章で紹介したジム・ジョーンズの人民寺院が世にその名を知られはじめたのが、ジョーンズ32歳のとき。チャールズ・マンソンのファミリーが異様に膨れ上がり始めたのも、マンソンが30代前半のときでした。麻原がライバルと目していた大川隆法(麻原と違い、高学歴ですが)が幸福の科学の主宰者になったのも、30歳のころです。

 もっとスケールの大きな人物でいえば、かのアドルフ・ヒトラーが野戦病院から帰還し、軍の命令を受けて、調査員として潜り込んだはずのナチの集会で、たまたま演説を振るったのを褒められ、ナチに入党したのがちょうど30歳のときで、それから彼は瞬く間に頭角を現し、ドイツの指導者を飛び越え、欧州全体を支配する独裁者へと成長していくことになりました。

 どうも、「30歳」という年齢は、「学歴も、過去にこれといった栄光もなく、挫折まみれの半生を歩んできた男」が、人を統べるカリスマを表す最初の時期のようなのです。

 ちょっと違うタイプでいえば、当時木下姓を名乗っていた豊臣秀吉(低学歴であるが、人の下に就いている)が、織田家の高級将校として初めて文献に名前が登場し始めたのも、やはり30代前半のころ。世界で一番有名な革命家であるチェ・ゲバラ(カリスマではあるが、高学歴)がキューバ革命を成功させたのは、30歳直前の29歳のときでした。

 なぜに今回、こんな記事を書こうと思ったかといえば、私自身が、あと半年で30歳という年齢を迎えるからです。栄養状態や医療の発達、定年の引き上げにより、日本人の体感年齢は年々若くなっているともいわれています。麻原の時代の30歳と比べても、今の時代の30歳は、自分のことも、他の30歳のことも、「若い」と思っている。それを考えると、私にはもうちょっとチャンスがあるともいえます。

 世の中の人には、独裁者と聞いただけで嫌悪感を示す人もいますが、正直、私は自分がなれるものならなってみたいと思います。犯罪を起こすのがダメなのであって、独裁者自体が悪いわけではない。実現するかどうかはともかく、夢を見るぐらいは自由でしょう。

 今回名前を挙げた中で、ヒトラーとゲバラの成功は麻原とは桁が三つも四つも違いますが、彼らは私利私欲の塊のような麻原とは対象的にストイックで、女性との浮いた噂もほとんどありませんでした。ここが一教祖で終わった麻原との差なのでしょう。

 どちらに憧れるかと言われたら、私はあんなむさ苦しい髭面の豚親父の癖に、女性教徒100人と性行為に及んだという麻原の方に憧れます。ヒトラーやゲバラのように世界史にまで名を遺すのはすごいことですが、そのために、味わおうと思えばいくらでも味わえる快楽を捨て、自分の存在を国家と同一に考えて己を律するのも大変そうです。今回名前を挙げた中でいえば、天下を取ったうえで、己の欲望も満たした秀吉が最高かもしれません。

 「30歳」がひとつのターニングポイントなのは確かなようですが、ただし、30歳ごろに開花した独裁者たちには皆、栄光を掴むまでに、苦難の半生がありました。

 麻原彰晃は、幼いころから弱視でコンプレックスに苦しんでいました。そんな彼が、二十代半ばから始めた宗教の勉強、修行は本物といえるもので、間違った道を突き進みはしましたが、彼は確かに努力家ではありました。ジョーンズも若いころから、宗教活動には熱心に取り組んでいました。ヒトラーも実科学校を成績不良で退学になるなど、少年時代は劣等生で、20代では絵画の修行や読書の日々、従軍経験など、濃密な体験をしています。無学なマンソンにしても、人生の半分を矯正施設で過ごすという波乱万丈の人生を歩んでいました。

 「30歳」が、カリスマを売りにする独裁者にとってのターニングポイントであるのは間違いないようですが、まともな人生を歩んできた20代、何もやってこなかった20代が、30歳でいきなり開花するということはなさそうです。

 コンプレックスに塗れた10代と、血反吐を吐く努力をしてきた20代。不謹慎とは知りつつも、麻原、ヒトラーと似た人生を歩んできた私は、自分が「独裁者」となる未来を妄想するのを、抑えることはできません。

サイト開設当初から 考え方の変化 4


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 「無駄な劣等感から解放された」に並ぶ、私の開設当初からの大きな精神的変化として、「信仰の対象を求めなくなった」ということが挙げられます。

 日本は無神論の国と言われますが、そんな中でも、ある人は好きなアニメのキャラクターに、ある人はスポーツ選手やタレントにと、特定の何かを「神」として崇め、心の支えにしている人は多いと思います。そういうのも、立派な「宗教」といえると思います。

 私もかつては、「信心深い」人間でした。レビューを書いていたように、ほかの作品に熱狂していたこともありましたし、少年時代には、格闘技の選手を崇拝していたこともありました。

 「神山」にあそこまで執着したのも、蛆村や野村、金澤といった連中に精神的に苦しめられ、キツイ状況下にあったときに親し気に話しかけてくれた神山を、「女神」として崇めてしまったのが理由でした。 

 後に、「女神」が私と親しくしてくれたのは、「ロイヤルプリンセスが乞食を哀れに思って優しくしてやっている」 といったような見下した感情からであったことがわかり、「女神」を、よりにもよって私を苦しめていた当の本人に持っていかれてしまったことから、かつて好きだった以上の憎しみを抱くことになってしまった。

 しかし、20代半ばという年齢で一度ぶっ壊れ、いちから自分という人間を作り上げるという作業を進める中で、私は「神」を追い求めなくなっていきました。

 サイトの開設当初は、明らかにそうではなかった。初期からの読者さん(今じゃほとんどいなくなってしまいましたが)ならご存じのように、サイト開設当初、私は変なニコ生主を崇拝する記事を書いていましたし、レビューも書いていました。今は奥さんとなった彼女を崇めるような記事も書いていたと思います。

 一時期、本当にやめようかと思った絶望の時期を乗り越え、犯罪者名鑑を始めた2年目の後半あたりから、「神」を必要としなくなった。その理由は、自信がついた・・・というより、サイトを運営し、小説の修行を進める中で、物事を自分の頭で考える癖がついてきたからだと思っています。

 「信仰する」というのは、ある意味、思考を停止する行為です。それがどういう行為か考えもせず、上から言われるままに地下鉄にサリンを撒いたオウムの信者を見れば、それがよくわかると思います。

 物事を考えるにおいて、「信仰」は邪魔である。思考をフルに使う小説の修行に励む中で、自然と、私の頭からは、「信仰心」というものが消えていきました。

 自分で判断して「信仰心」を捨てた私に、「俺の信じる神を、お前も信じろ!」などと押し付けるのは、とんでもない行為です。

 何度も同じ話をして恐縮ですが、今回の不定期更新期間の中で、私は、かつてレビューの記事を消したときに恨み言を言ってきた読者と、「彼女ができたな。あーよかったな」などというふざけた結論で私の物語を片付けようとしてきた読者を盛大に叩かせてもらいましたが、彼らがやってきたことは、結局、他の人が書いた作品や、彼女(妻)という自分の信仰の対象を、私に押し付けるという行為です。

 彼らは、それを信じることはいかにもイイことだという風に言ってきましたが、世界中で宗教戦争を起こしまくっているのは、そういう、人の考えを頭ごなしに否定し、自分の信じるものを押し付けることしかできない人間です。他の人が書いた作品も、うちの奥さんも、私にとっては大切な存在ですが、それに「依存」し、それ中心の人生を生きるのは考えられません。

 26歳から始めた活動の中で、自分以外の誰も信じないし、誰も崇拝しない、絶対にブレない自分自身を作り上げられたということは、創作だけではなく生活面においても、私にとって大きな成果でした。そして、それができたのは、他ならぬ、私のサイトにコメントをくれた読者さんのお陰です。

 自分自身というものは、自分で思うだけではなく、他人に承認してもらうことによって初めて固まるものです。承認されるだけではなく、「説教」に滅茶苦茶反論し、説教厨を叩きまくることでも固められる。

 私の書いた私小説や雑文に好意的なコメントを寄せてくださった方々には、本当に感謝したいと思います(説教厨には、帰ってくるなら感謝してあげます)。

 精神面の変化というより、純粋な進歩といえるかもしれませんが、社会に対する、必要以上の恐怖がなくなったこともあります。

 先に書いた通り、私はサイト開設当初、いわゆるニートの状態にありました。当時の私にとって、「働く」という行為が物凄く過酷なもののように見えていた理由の一つは、「健康で文化的な最低限度の女」ひとり与えられないのに、なんで労働の義務ばかり果たさなくてはいけないのだという不満。もう一つは、これまでの働き先が合わなかったことから、底辺労働の現場というものを、それこそ産業革命時代の奴隷工場のようなものと恐怖していたからでした。

 後者の認識については全面的に考えを改めたわけではなく、実際問題、酷い職場はあちこちにあると思います。結局、マッチングの問題であり、どうせ正社員でもないのだから、自分に合わない、酷いところだと感じたら、さっさと逃げればいいだけの話なわけですが、あまりにもそれが連続すると、社会に対する不信感、恐怖に繋がっていくことになる。同じ経験をした人は、たぶん何人もいるのではないでしょうか。

 給料は安くても、そこそこ楽ができて、まともに人間として扱ってくれる職場を見極める目を養い、労働に関する正しい知識を身に付けることが、正規の道から滑り落ちた人間が、「社会や、会社に殺されない」ために大事なことです。非正規労働の現場では、自分はとにかく身体ひとつで働いているのだからと安心して、ニートやホームレスを見下して喜んでいるような人間もいますが、ただ馬車馬のように働くだけではなく、「机上論」を身に着けるのも大事なことです。

 世の中は、無知な人間が食い物にされるようにできています。非正規労働の現場には、非正規は有給ももらえないと思っているような人もいますが、社会に関する基本的な知識がないばかりに、ブラック企業やブラック上司にいいようにされている人の、いかに多いことか。本当は、学校である程度教えるのが筋だと思うのですが、日本という国ではそうなっておらず、個人が自己防衛していくしかありません。
 
 まともな職場に入れるかは運もありますが、労働法の勉強はどんな環境でもできること。戦争も恋愛もそうですが、経験則と机上論、どちらかに偏ることなく、両方をバランスよく備えていることが大事になると思います。 

 現在、私は職場において、まずまず快適に過ごせています。相変わらず非正規の派遣労働で給料は安いのですが、仕事はキツくはなく、周りとはうまくやっています。

 ですが、私は今の境遇に、まったく満足していません。友人はどうでもいいというわけではありませんが、その程度の些細な幸せに逃げ込んで、「あーよかったな」で終わらせる気は、まったくありません。

 私はまだ、まったく救われてなどいない。こんな程度では、自分も自分の人生も好きにはなれません。

 私が血反吐を吐きながら作り上げたこのサイトには、一部過激な内容も含まれています。もし、現在の同僚にこのサイトを発見されたら、変に誤解されて、私から遠ざかってしまうかもしれませんが、私はこのサイトを閉鎖しようとも思いませんし、サイトから顔写真を撤去する気もありません。まだデビューのチャンスも掴んでいないのに、「守りに入る」つもりなど、まったくありません。

 私が救われる唯一の方法――最低限、達成しなければならない目標――正社員であり、正社員の夫を手に入れると想定される神山の人生を上回る。

 文章で生涯1億円稼ぐ。神山や、神山の夫の生涯賃金には及ばなかったとしても、組織の枠に縛られず、自分の名前を売れて、飲み屋でちょっとお姉ちゃんにモテて(わかりませんが)、この出版不況の中で、非常に希少価値の高い職業であり、自分のやりたいことで金を稼いでいるという満足感を得ることができるという付加価値を考慮すれば、十分、神山に「勝った」と言えると思います。

 かつて、自分がまだあやふやだったころの私を洗脳して、自分の承認欲求を満たすためだけの玩具にしようとした「折茂」という男もいましたが、私はあんな安っぽい男と違い、たった一人に承認されるだけでは満足できない。もっと大勢の、何十万、何百万という人に、私というか私の書いた作品を承認してほしい。1億円というのは最低の目標であり、もちろんもっと高みに登れるのなら登りたい。

 最終的な目標のことを思えば、些細なリスクなど気にもならない。「捨て身」の姿勢というのは、サイト開設当初からまったく変わっていない点です。

栃木リンチ殺人事件 3



犯人c

 写真:少年c


 栃木リンチ殺害事件




 石橋署の無能警官から電話を受けたAたちは慌てふためきました。

 警察が自分たちを探している。恐喝、傷害、詐欺・・・捕まったなら、刑務所に入れられることは確実である。無い頭を必死で絞った彼らは、逃げ切るためには、須藤さんを殺害し、Cのホンダ・インテグラを処分するしかないという結論に達しました。

 このころから、犯人グループに、「第4の少年」が加わり、Aらとともに行動するようになっていました。「第4の少年=D」は、Aらより二歳下で、東京のクラブでAと意気投合。Aらとともに、飲み食いや女遊びをして、ホテルを泊まり歩いていましたが、須藤さんに暴力を振るうことはなかったようです。

 須藤さん殺害を決意したA,B,Cの三人は、とにかく殺して山に遺体を埋めると決め、栃木県を北上します。が、Aが「ここでいい」と殺害現場に選んだのは、山奥でも何でもない、幹線道路から数メートルも離れていない林の中でした。

 BとCが、須藤さんを埋める穴を堀り、遺体を固めるためのコンクリートをこねる間、Aはこの期に及んでも、須藤さんに消費者金融のCMソングを歌わせていました。Dはといえば、三人と行動をともにしながら、「あれ須藤さんを埋める穴じゃないっすよね?」などと尋ねるなど、殺害に関して詳しい話は聞かされていなかったようで、三人との間には一定の距離があったようです。

 自分が殺されることを悟った須藤さんは、Aが車を降りた後、Dにセブンスターを所望しますが、Dの一存では決められません。最後に煙草一本吸うことさえ許されないまま、須藤さんはBとCに紐で首を絞められ(Cは途中で紐を離し、Bが一人で締め上げた。これが二人の量刑に差をつけた)、殺害。須藤さんの遺体は、コンクリートで固められて穴に埋められました。その晩、Bはホテルにて、Cが殺害の状況をジェスチャーで再現するのを見て、マスターベーションに耽ったといいます。

 事件が発覚したのは、最後に仲間に加わった、Dの自首がキッカケでした。自宅に帰って、罪悪感に駆られたDは、母親と祖母に事件のことを話し、自首する考えを伝えました。このとき、母親は反対したようですが、 「あいつら、絶対許せねえ」と、Dの決意は固く、祖母に付き添われる形で、警視庁に出頭しました。

 警視庁はすぐに動き出しました。Dの記憶には曖昧なところもあったようですが、Dの自首からたった6時間で、須藤さんの遺体は発見されたそうです。

 Dがギリギリのところで人に戻ったのは確かですが、褒められるべきというほどではなく、逆に、今さら遅い、なぜもっと早く通報しなかったのかと言われてもおかしくはないでしょう。ですが、もしDの通報がなければ、こんなわかりきった事件が迷宮入りしていた可能性もあったのです。警視庁がたった6時間で見つけた須藤さんを、栃木県警は、2か月間もの間、探そうともしなかったのです。

 一体、なぜ、栃木県警は、これほどまでに「動かなかった」のか?

 この事件がけして、3匹の悪魔をムショ送りにしただけで終わるものではないということを、次項で明らかにしたいと思います。

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 日産

 
 事件を精査したジャーナリストは、栃木県警が二か月もの間動かなかったことは、ただの「怠慢」とは思えず、上層部からの「強い意志」が働いていたとしか思えない、という推論を展開しています。

 冒頭でも書きましたが、日本の警察官は世界的に見ても非常に優秀で、末端の警察官も常に正義感と使命感を持って、日々の勤務にあたっています。何割かは「不良警官」がいたとしても、栃木県警のすべての警察官がそうであったとは考えられません。23年間も、実際に警察に在籍したジャーナリストの意見ですから、私はこれを信用したいと思います。

 何か、この一件を「事件にしたくない」という強い意志が働いていた。その意志の出どころは、いったいどこだったのか?

 主犯格であるAの父親は警察官でした。警察には身内を庇う体質があり、現役警察官の息子が事件を起こしたことが発覚するのは都合が悪いと判断したというのであれば、確かに辻褄は合います。

 しかし、Aはもともと札付きの悪で、Aが何か悪いことをすると、いつも警察官であるAの父親のところに連絡が行っていました。父親の責任で何とかしろ、ということですが、今回に限って、なぜかAの父親のところにも連絡が行かず、父親が事件を初めて知ったのは、警視庁がAらを逮捕した後のことだったそうです。

 そもそも、Aがかつて、100万円の恐喝事件を起こしたときには、警察に逮捕され、ちゃんと取り調べを受けています。今回に限って、身内を庇うというのもおかしな話です。

 Aの父親を庇う目的ではなかったのならば、いったい、なにが「動かなかった」理由だったのか?栃木県警に、どんな圧力があったというのか?

 ここで浮かびあがるのが、須藤さんが勤めていた大企業「日産」の思惑です。

 日産のような大企業のほとんどは、警察など官公庁の天下りの受け入れ先となっているものです。天下りは、官、民が一体となって世の中に貢献していくために必要な良い面もありますが、ドラマなどでもよく取り上げられるように、癒着の温床となってしまっている場合もあります。

 日産は、被害者である須藤さんだけではなく、犯人グループの一人であるBが勤めていた企業でもありました。須藤さんは、無遅刻、無欠勤、残業も断らずやる優良な社員でしたが、Bは自動車工場に勤める身でありながら、入社早々、シートベルトを着用せず自動車事故を起こして休暇扱いになるなど、会社からすると、何かと問題の多い社員でした。

 日産は、被害者が勤める企業であると同時に、加害者が勤める企業でもあった。企業イメージを大事にする日産が、天下りを受け入れている警察に対して、「事件として取り扱わないように」と、要請した可能性があるということです。

 天下りで民間企業に受け入れられるのは、署長クラスの職を歴任した一部のエリートだけで、現場で働くほとんどの警察官にとっては、天下り先の意向などに配慮したところで、何のうまみもないはず。どうして、思考停止で上からの命令に従ってしまうのか、私のように、組織に忠誠を尽くした経験のない人間にはよくわからないのですが、警察というところでは、組織の意向を無視して動く警察官など「杉下右京」くらいしかおらず、ほとんどすべての警察官は、とにかく「上司の命令は絶対」になってしまうようです。

 もしかしたら、日産側も事態を楽観視していたのかもしれません。最初のニュアンスは、もっと穏やかなものだったのかもしれません。しかし、人から人に伝わるうちに、簡単な「要請」が、強力な「命令」に化けてしまい、栃木県警が、意地でも動かないという態度になってしまった――これが、真相のようです。


あくにん



 悪党ども



 それにしても、日産と栃木県警が、須藤さんの両親にとった態度は、酷いものでした。

 日産、そして警察は、自分たちが動かなかったことを正当化するために、須藤さんが自ら望んで、Aらと行動を共にしているようなでっち上げ工作を行おうとしていました。事件中だけではなく、事件が発覚して以後も、です。

 確かに、須藤さんはAらの悪ふざけによってスキンヘッドに刈り上げられて、凄みのある風貌に代わっており、また、電話などでは、確かに望んでAらとつるんでいるかのように喋らされていたようですが、須藤さんの日ごろの勤務態度や、周囲からの評判を考慮すれば、望んでAらと行動していたなどあり得ないと、素人にもわかる話です。こともあろうに、捜査のプロが見誤るはずなどありません。自分たちが馬鹿だと言ってるようなものだと思うのですが、どうすればここまで開き直ることができるのでしょうか。

 日産はある一時期から、須藤さんの両親に、しきりに、須藤さんが退職届を出すように迫っていました。須藤さんを日産とは関係ない人物だと主張するためでしょうが、入社以来一日も休まず、身を粉にして働いた青年に、どうしてこんな冷たい態度がとれるのでしょうか。論旨解雇――須藤さんに下された処分の内容ですが、犯罪の被害に遭った人の処分が、「労働者側に非があった」というニュアンスなのは、どういうことなのか?

 日産からは、須藤さんの葬儀に参列した者は、ただ一人としていませんでした。あくまで、「我々には関係ない」というポーズ。警察ともども、縦割り組織の弊害といったらそれまでですが、組織の中に、人の心を持った人間は一人もいなかったのでしょうか。

 警察、日産の責任転嫁は、須藤さんのみに留まらず、両親にも及びました。

 須藤さんの両親が警察署を訪れた際、無能な五十代の警官はメモも取らず(警察は異常なほど記録を重視するにも関わらず)椅子をグリンコグリンコ(お母さん談)回しながら、ボールペンを回して遊んでいたはずですが、後になって、突然、警察署で行われたという会話の記録を持ち出してきました。その内容が噴飯ものです。

警官 「須藤君か。はやく帰ってきなさい」

須藤さん 「うるせえ。俺の勝手だ仙台だ」

お母さん 「この馬鹿野郎、家にそんなにお金があるはずはないだろう。お前みたいな馬鹿野郎は死んでしまえ。このデレスケ野郎」

 嘘をつくにも、もう少しまともな嘘をついて欲しいと思います。警察官は多忙で、ドラマや映画など滅多に観れないのかもしれませんが、いい大人が知恵を絞って、こんなくだらないセリフしか思いつかなかったのかと思うと、呆れを通り越して失笑が漏れてしまいます。

 このように事実をねつ造して、須藤さんや須藤さんの両親の名誉まで傷つけていた栃木県警の非道を、我々は絶対に忘れてはいけません。

 センスのかけらもない栃木県警と違い、須藤さんのお母さんは、言葉のチョイスが可愛らしい、言語感覚の素晴らしい人で、法廷に現れたA,B,Cに対し、「重役みたいだったわよ」という感想を残しています。20そこそににして顎が二重になるほど太り、ガニマタでのしのし歩く姿を表現したものですが、心が醜い人間とは、姿形まで醜くなるものなのでしょうか?

 法廷にて、主犯である少年Aが放った言葉――。

「出所したら彼女とやり直して、殺してしまった須藤くんの分まで長生きしたいと思います」

 一見、被害者遺族を煽る目的であったかのようですが、もしかすると、Aなりの、心からの「反省の弁」だった可能性もあります。こういう、人とあまりにも感覚が違い過ぎる人間をどう受け入れていくか、社会全体の在り方が問われるところです。判決では、主犯のA、須藤さんを直接殺害したBに無期懲役、積極的に犯行に加わったCには、5~10年の不定期刑が下されました。

 文字通り、虫も殺せぬ優しい青年であった須藤さんの周りにこれほどの悪党どもが集まってしまったのは、皮肉としかいいようがありません。


 総括:

 事件を取材した元警察官のジャーナリストは、犯人グループの少年たちが悪魔に変貌してしまった理由を「親の甘やかし」「与えすぎ」に求めています。確かに、犯人グループの少年たちは、暴走族の少年に多い貧しい家庭の子供ではなく、普通以上に裕福な家庭で、何不自由なく育てられた子供でした。犯人グループの金銭感覚は常軌を逸しており、なんでも与えられすぎ、甘やかされすぎて育てられるのは、確かによくないことなのかもしれません。

 他人を思いやる気持ちをまったく持てない犯人グループの凶行、「上からの命令」があったとはいえ、困っている人にかくも非情になれる日産、警察の対応には、戦慄すら覚えます。こういう悪党どもにつけ入られないためには、やはり、ある程度の「エゴ」も必要なのかもしれません。

 「優しい」というのは、世の中に生きる誰もが持っているべき、大切な性格的資質だと思いますが、「性善説」に偏りすぎるのもよくありません。この世には、話しても分かり合えない、どうしようもない悪党もいるものです。善人の皮を被った悪人もいます。

 警察の責任は追及されてしかるべきですが、そもそも世界的にみれば、警察とはあまり頼りにならないものであり、最低限、市民が自己防衛の意識を持つのも大事なことである。

 それが、事件を客観的に眺められる立場にある我々が、須藤少年の死を無駄にしないための教訓ではないかと思います。

 栃木リンチ殺人事件 完

サイト開設当初から 考え方の変化 3

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 今回は考え方が変化した点と反対に、開設当初からまったく変わっていない点について書きたいと思います。

 私はサイトを開設したころから今までずっと、執筆に臨むにおいて、常に明日のデビュー、明日有名になることを願って書いてきました。

 私の考えをよりわかりやすく説明するために、デビュー前の経歴が定かではない小説家ではなく、経歴がわかりやすいプロ野球選手を例に挙げたいと思います。

 プロ野球選手は、高卒の野手でいえば、大体6年目、7年目の、24,5歳くらいまでに一軍に定着し、選手としてもっとも脂が乗る27,8歳くらいまでにレギュラーとして活躍できれば、順調な成長曲線だと言われています。

 その順調な成長曲線を辿った選手を、仮にA選手としますが、24,5歳から一軍に定着し、27,8歳くらいでレギュラーとして活躍したA選手が、入団時からそういったキャリアプランを思い描いていたかといえば、答えは否であったと思います。

 A選手が27,8歳でレギュラーを掴んだという結果は、A選手が19歳のころから、明日こそは1軍、来年こそはレギュラーと信じて、血のにじむような練習をした結果だったはずです。A選手も松井やイチロー、今でいえば山田哲人や大谷のように若くして活躍したかったが、プロの壁は厚く、一軍に上がることも簡単ではなかった。しかし、意識としてはあくまで、松井やイチロー、山田や大谷と一緒。彼らと同じだけの志を抱き、同じだけの努力をした結果、彼らのようなスーパースターにはなれなかったが、なんとかプロで飯を食っていけるくらいの地点には着地できた。

 19歳のA選手が、最初から「僕は27,8歳でレギュラーになれればいいか・・・」という程度の志だったのでは、おそらく一軍の土すら踏むことはできなかったでしょう。

 私もA選手と同じように、サイト開設当初から、明日こそはこのサイトを大きくして有名になるんだという意気込みのもとで、ずっと執筆を続けていました。結果、その目標は叶わず、文学賞への応募というところに活動のメインをシフトすることになりましたが、今も当初の意気込みはまったく変わっていません。

 そう考えると、A選手のような意識のもとで生まれてしまった私と読者さんとのトラブルは、もうしょうがないことだったのかな、とも思います。明日こそデビュー、明日こそ有名になるという意識でやっていたからこそ、うまく数字が稼げなければ愚痴も漏れてしまう。それに読者さんがキレられ、出ていかれてしまうことがあるのも、すべては仕方のないことだったのではないか。

 サイトから去って行かれた読者さんに、「右肩上がりにうまくいくと思うのですか!」と叱咤されたこともありましたが、そもそもそういう意識でやっていないと成長もないし、結果も出てこないものだと思います。私が愚痴を言ったことで去って行った読者もいたのかもしれないが、専業作家となるという最終目標を叶え、何万、何十万の読者に私の本が読まれるようになれれば、それは実に些細なことであったと思えるはずです。

 必死の我慢、強い心で、「愚痴」を抑え込めばいいではないか!と言われるかもしれませんが、3年前の時点でそれができるような精神の持ち主なら、私は小説ではなく就職を目指していました。こういう性格も含めて私という人間なのであり、私は私なりにやっていけばいい。愚痴を吐かないのが偉いのではなく、愚痴を吐きながらだろうが、続けて、結果を出すのが偉いのである。当時の状況で続けるためには、「愚痴」がどうしても必要だった。

 野球選手の全盛期は、概ね27~32歳ごろと言われていますが、有名作家のデビュー時の年齢で一番多いのは、三十代です。二十代、四十代もいますが、私の見た感じでは、7割近くが三十代に集中している。これはけして偶然ではなく、作家に必要不可欠な資質である瑞々しい感性と言語能力を司る結晶性知能が、一番高いところでクロスオーバーする三十代という年齢が、作家のピークに一番近いのだと思います。

 私は現在29歳。「全盛期」はまだ先ともいえますが、それに胡坐をかいていたら、あっという間に年を食って、40の坂が見えてきてしまうことでしょう。私はこれからも、「右肩上がりに上るつもりで」書いていこうと思います。

 もう一つ、変わっていないのは、「執念深さ」という私の性格です。

 私の執念深さについては、「偽善の国のアリス」の方でも書かせていただきました。神山に対して執着するあまり、当時の人間関係をすべて台無しにしたことで、「津島は人間関係を大切にしていない」と激怒された読者さんもいらっしゃいましたが、今現在の職場においては、私は非常に良好な人間関係を築けていると自負しています。その理由は、以前の記事でも述べましたが、私が職場の人間関係に、まったく執着がないからです。

 人は執着がなければ楽に生きられる。人間関係の形成に大事なのは、思いの強さよりも、適切な距離感であると思います。「偽善アリス時代」においても、私は宿敵である神山以外の連中とはうまくやっていました。それも、私が彼らに執着がないため、適切な距離感を測れたからだったと思います。

 今にしてみれば、女に対しても、今の私だったら、また違った結果になっていたように思います。

 よくありがちな話ですが、ガッツキ過ぎていた部分があった。19歳から20代前半にかけて、私は異常ともいっていいほど女にモテませんでしたが、それはルックスやスキルよりも、あまりに切実に女を求めすぎていたせいだったのではないか。適度な自信がついて角が取れ、自然体で女と接することができるようになった今の私なら、あそこまで惨憺たる青春時代にはならなかったのではないか。少なくとも、単純に経験人数を増やしたいだけだったら、ガツガツしていない方が、何かと好都合のように思います。

 ただ、本当に一人の女と愛を極めたいというのなら、やはりある程度の「執着」は必要だと思います。世の中には神山のような、情緒というものがまったく欠落した、男を道具以上には考えない女も存在しますが、こっちが好きになればなるほど好きになってくれるという女も確実にいます。そういう女とは、よほど酷いやらかしさえなければ、「結婚」まで行くことになります。

 奥さんと付き合い始めた当時は、私もまだ経験不足から痛々しい部分が抜けておらず、別れを切り出されたこともあったのですが、そこで持ち前の執着心を発揮して食い下がったからこそ、ここまで来れた。

 そこそこのものを手に入れるためには、執着は邪魔になるのかもしれないが、本気で価値のある、欲しいものを手に入れたかったら、やはり本気で執着しないといけないのではないか。

 小説も同じこと。私は何がなんでも、文章で生活できるだけの金を稼ぎたかった。執着がなければ、ここまで続けていなかった。

 私が強く執着しているこのサイト上で、文章で金を稼ぎたいという私の執着に関わった人たちだから、しばしば強くぶつかり、ケンカになってしまった。私のまずい返信により、大切な読者を失ってしまったこともあったのかもしれないが、それも仕方のないことだったのかもしれない。

 津島は人間関係を大切にしていないと言われた読者さんは、私の物語を「塞翁が馬」などという言葉で片付けようとされましたが(その読者のことを何度も言い続けるのが、執念深さである)、それなら私はその読者さんに、「臥薪嘗胆」という言葉を送りたいと思います。

 なぜに負の感情を全否定するのか?コンプレックスやトラウマはバネとなって、人を成長させるものである。「彼女ができたな。あーよかったな」などと、いかにも「終わった人間」の発想で、人の物語を勝手に完結させないでいただきたい。

 今の時点では、損したことの方が多いかもしれませんが、いつか、私の念願が叶ったときは、「執着が強い性格でよかった」と、心から思えるはずです。そのときを信じて、精進するのみです。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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