犯罪者名鑑 畠山鈴香 2


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 離婚

 ニ十歳の夫と、二十一歳で結婚生活を始めた鈴香でしたが、綻びはすぐに見え始めました。

 若い夫婦の生活設計は、最初から破たんしていました。

 夫のKは、二十歳という年齢で、スポーツカーを二台も所有していました。当然、鈴香の父の会社で働く給料だけでローンを工面できるはずもなく、夫婦はサラ金からの借金で首が回らなくなっていきます。

 鈴香も家事が苦手で、とにかく外に着ていく服の洗濯だけは欠かしませんでしたが、掃除や片付けはおろそかになり、部屋の中は、常に足の踏み場もないほど散らかっていたといいます。

 やがて彩香ちゃんが生まれましたが、夫婦に育児能力がないことは明らかで、彩香ちゃんの世話は、主に鈴香の実家で行われていました。とくに夫のKは、最初から蚊帳の外に置かれていたようです。

 完全な自業自得なのですが、自分が除け者にされていると感じたKは、次第に家庭以外に癒しを求めるようになり、浮気をするようになっていきました。これで鈴香も愛想をつかしたのか、二人は結婚してわずか七か月で、離婚を選んでしまいます。

 鈴香は二十一歳という年齢で、シングルマザーとなってしまいました。

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 シングルマザー


 私が世の中でもっとも誤解に晒されている人種のひとつだと思うのが、シングルマザーと呼ばれる女性たちです。

 シングルマザーの人と接した経験は何度かありますが、私が感じた印象は、彼女たちは皆、普通のお母さんと一緒か、それ以上に頑張っているということです。

 シングルマザーは男を見る目がない。結局、彼女たちは、自分の子を不幸にしているのだ、などと非難する人間がいるのも事実です。しかし私は、彼らが言っていることが事実だとしても、それは見る目が悪いからではなく、彼女たちが普通以上に優しい性格だから、何かと問題の多い男を受け入れてしまったのではないか、と考えます。そう思うほど、私が知るシングルマザーたちは、人格的には愛すべき女性ばかりでした。

 鈴香も少々、考えの浅はかなところはあるようですが、根っからの悪人かというと、そうではないように思います。盗癖などもあって、トラブルを起こすことは度々あったようですが、悪意をもって人を陥れるようなことはなく、基本的にはいつも受け身の側でした。卒業文集に寄せたメッセージも、あれほどの悪罵を浴びながら、大変健気なものでした。

 ただ、やはり、もともとエネルギーに乏しい鈴香には、一人の子供を育てていくということは荷が重かったようです。

 鈴香は実家の援助を受け、職場を転々としながら彩香ちゃんとの生活を維持していきますが、段々と鬱症状に悩まされるようになり、精神安定剤に頼るようになっていきました。

 鈴香の勤務先での印象は場所によって様ざまですが、一番長続きしたパチンコ店では、勤務態度は真面目で、キツイ仕事も厭わずやり、別の職場で問題になった盗癖や虚言癖もなく、人間関係も良好だったようです。

 このパチンコ店で、鈴香は7歳年下の男性、Tと付き合っていました。彩香ちゃんの父親であるKと同様、やはり、どこか頼りないところのある若者だったそうです。

 私も実際に、メンヘラ気質のある女性が、なぜか年下の男ばかり選んで、短期間に五人も六人もの男を渡り歩いていた(交際以前にフラれたのが多かったようですが)のを見て、不思議に思ったことがあります。そういう女性は、年上の頼りがいのある男性と付き合った方がいいのではないかと思ったのですが、話を聞いてみると、彼女にも鈴香と同様、父親に絶対的な服従を強制されていた過去があったことがわかりました。

 父親から過度の抑圧を受けてきた女性には、年下の男を引っ張っていくことで、これまで抑えつけられていた自尊心を得たいという願望があるようです。鈴香はTを家に招くこともあり、Tは彩香ちゃんとの仲も良かったようですが、これがマスコミに、「連れ込んでいた男と一緒になるため、邪魔になった彩香ちゃんを殺した」と、希代の悪女のレッテルを貼られることに繋がってしまいます。

 相変わらず片付けは苦手で、食事もインスタントものが多かったそうですが、近所にあった実家の助けも受けながら、鈴香なりに懸命に育児と仕事を両立させ、彩香ちゃんは、なんとか小学校に上がるまで成長できました。

 しかし、その小学校で、彩香ちゃんは、イジメを受けるようになってしまいました。校庭のシーソーに「クソ、バカ、シネ、畠山」などという言葉が書かれてあったのです。

 鈴香は自分がされたイジメを思い出したのか、担任教師に食ってかかり、自分が教室に乗り込んで、直接犯人捜しもやると強く主張しましたが、担任は「イジメの事実は確認できなかった」と主張し、肝心の彩香ちゃん自身も、「べつになにもない」と、自分がイジメにあっていた事実を否認します。

 子供は自分がいじめられていることを親に話したがらないものです。鈴香自身もイジメを受けていたことを考えると、この辺りの地域性の問題で、イジメが伝統のようになっていたのではないかとも疑えるのですが、結局、この件はうやむやになってしまいました。

 こうした現状に疲れたのか、鈴香はあるとき、大量の精神安定剤を飲んで、自殺を図ってしまいました。

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 自殺未遂



 360錠もの精神安定剤を飲んで自殺を図った鈴香。しかし、長年の精神安定剤の常用により、身体に耐性ができていた鈴香は、致死量に当たる量を飲んでも死ぬことはできず、入院もせずに、数日で回復してしまいました。

  鈴香は自殺するに当たり、数少ない友人に、「ありがとう。バイバイ」とメールを送っていました。また、彩香ちゃんには、「10年後の彩香へ」と題し、離婚調停の書類と父親の写真を同封したうえで、「大きくなって会いたくなったら、裁判所を通して会いに行きなさい、途中で挫折するお母さんを許してください」といった内容の遺書を書き残していました。そして、パチンコ店で知り合い、六年間付き合った恋人のTには、「死体を発見させることになって申し訳ない」と書いたメッセージを残していました。

 鈴香なりの、関係者への誠意にも見えますが、どこか身勝手で、少女趣味のようにも見えます。

 私は自殺という手段を選ぶ人を、短絡的で乙女チックな人だと思います。死ぬという手段は大変なように見えますが、実際には、悩みから逃れるうえでは、もっとも安易な手段です。

 私も一時は自殺しかないと思った状態から、四年間も底辺の労働をしながら、報われない作家修行を続けていますが、その感、生きていて良かったと思ったことは、別にありません。妻と出会ったこと、おいしい御飯を食べたこと、素晴らしい景色を見たこと、好きな犬との触れ合い・・それらのことも、生きる上での艱難辛苦と相殺すれば儚い幸せであり、四年前に死んでも別に同じだったかな、と思う程度のことです。

 それでもどうにか生きているのは、死んだところで、何の解決にもならないことがわかっているからです。死ねば苦痛からは逃れられますが、苦痛の根本原因を取り除いて解決するには、生きて、もがき続けるしかない。

 それがわかった上で死ぬというのなら仕方ない、と私は思いますが、果たして鈴香はそこまで考えていたかどうか。

 彩香ちゃん事件から遡ること半年。もうこの時点で、鈴香は自分が何に苦しんでいるかもわからないくらいの、深い靄の中にいたのかもしれません。

犯罪者名鑑  麻原彰晃 24

 
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  ドイツ旅行

 
 坂本弁護士を殺害することに成功した麻原は、幹部たちを連れ、西ドイツに旅立ちました。旅の目的は、警察の捜査を恐れ、海外に一時身を隠して様子を伺っていたのだと言われていますが、麻原はもともと海外旅行が大好きで、ただの観光目的だった可能性もあります。

 麻原はドイツの他に、中国、インドなどを歴訪しており、中国に滞在していたときには、自分は貧農の子から皇帝にまでのし上がった、明の朱元璋の生まれ変わりだということを語っていますが、同じく、ホームレスという最下層階級(孤児恩給により食う金には困らなかったそうですが)から欧州の覇者にまで上り詰めたヒトラーにも、何らかの憧れを抱いていたのかもしれません。

 ドイツのホテルで、坂本弁護士宅に指紋を残した村井と早川は、麻原から、指紋を焼いて消すように命じられました。早川は熱さに耐えかねて、焼いた鉄板から何度も指を離してしまったそうですが、「麻原愛」溢れる村井は「グルのために、真理のために!」と叫ぶと、ずっと鉄板に指を押し当て、指紋をキレイに一発で焼いてしまいました。

 陰険な性格で、信徒のほとんどから嫌われていた村井ですが、嫌われ者ゆえに、唯一自分を大事にしてくれる麻原への尊崇の念は、誰よりも強かったようです。

 しかし、熱さと痛さに耐えたのは何の意味もなく、日本に帰って、火傷が治ると、指紋はすべて浮かび上がってしまい、結局、村井と早川は、医師である中川智正の手で、指紋を消去する手術を受けることになりました。

 手術を終えた後の痛みは半端ではなかったようで、早川は術後しばらく、端本悟から身の回りの世話を受けていました。村井も何度も、中川に痛み止めを所望していましたが、中川はプルシャの件で村井にイヤミを言われたのを根に持っており、薬があるのに渡さなかったりと、「適当に意地悪」していたそうです。


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 総選挙出馬


 日本に帰ると、麻原は、坂本弁護士を殺害するそもそもの動機となった、総選挙出馬の決断をします。

 出馬の目的は、表向きには、「マハーヤーナ路線」ということになっています。マハーヤーナとは、大乗の教えに乗っ取った救済方法のことで、オウム流にわかりやすく言えば、できるだけ平和裏に、犠牲が出ない形で世界を救うということです。

 実際には、おそらく創価学会の例を見て、政治に関与することで、教団のますますの拡大を図ろうとするビジョンがあったのでしょう。それにしても、選挙に出馬するには多大なリスクがあるもので、おいそれと決断できることではないと思いますが、麻原は成功に驕り過ぎて誇大妄想に走ったのだとか、反対に、当時、教団は暴力団に付きまとわれて深刻な財政難に陥っており、麻原も追い詰められていて、一発逆転を図ったのだ、という見方もあります。

 消費税廃止などの公約を掲げ、「真理党」として選挙に打って出たオウムでしたが、マスコミからは、当選の見込みが少ない泡沫候補の扱いを受けており、報道の面では不利な状況にありました。事態を打開するため、オウムは、様々な努力を開始します。信者の住民票を選挙区に移す、深夜や早朝に外に出て、ほかの候補者のポスターをはがす(新聞配達のバイクが通りがかったときは、「ラジオ体操のフリをする」)。世界の救済を謳っているわりには、やっていることが地道すぎます。

 オウムが票を得るための努力の多くは、使い古されたありがちな手段であったり、救済者を名乗っているにしてはあまりにもセコイ手段でしたが、唯一、得票には結びつかないまでも、人々の心に深く突き刺さり、社会に大きな印象を残したものがありました。次項でそれを紹介します。

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 オウムソング



 選挙戦の中で、渋谷の街では、麻原が歌う「オウムソング」が、毎日のように、街宣車のスピーカーからかき鳴らされていました。駅前では、麻原のお面を被った信徒たちが、オウムソングに乗ってノリノリでダンスを踊るなどして、本当にこの国を変えてくれると期待されていたかはともかく、人々の視線は集めていました。

 オウムソングはユーチューブなどで、今なお多くの人に視聴されています。今回は代表的なオウムソングをいくつか取り上げてみたいと思います。

 まずは、

 「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 でおなじみの、「尊師マーチ」。おそらく、もっとも有名なオウムソングで、 私や私の少し上の世代なら、小学生のころ、音楽の時間に、リコーダーや鍵盤ハーモニカで演奏した経験がある人は沢山いると思います。

 この曲はオリジナルバージョンと選挙バージョンの二種類とがあり、選挙バージョンの方には、「若きエースだ」という歌詞も出てきますが、選挙のとき、実は麻原はまだ34歳でした。髭面、肥満体のふてぶてしい姿はどうみても50くらいにしか見えませんが、国会議員としては若手も若手、今の麻生太郎や小沢一郎などから見れば、「小童」といっても差し支えない年齢だったのです。

 34歳といえば、ちょうど「嵐」のメンバーと同じ世代です。麻原が「嵐」に混じって、ステージで歌を歌っていても、おかしくはないということです。あの髭面の豚親父が、「嵐」の連中のセンターに立って、武道館で「尊師マーチ」を歌い、ジャニーズファンの女どもに悲鳴を上げさせているところを、私は見てみたいです。

 続いて、「しょしょしょしょしょしょしょしょーこー」でおなじみの、魔を祓う尊師の歌。これもリコーダーや鍵盤ハーモニカで演奏しやすく、小学生に大人気の曲でした。子供はくだらないことを考えるものですが、隣のクラスで、しょうこちゃんという女の子をからかって泣かせていたり(私じゃないよ)、「インコ真理教」とか意味もなく言って喜んでいたりしていたのを、私はよく覚えています。

 「超越神力」は8分もある長い曲ですが、宗教の歌というよりも麻原の人生そのものを歌っているような深みが感じられ、私がオウムソングでもっとも好きな曲です。歌詞はオウムの特色である「自力救済」を歌ったもので、このように「自分も救世主になれる、世界を救える」と、善行がしたいという人の心を巧みに煽ったのが、オウムがあれほど信徒数を増やした理由の一つでした。

 「私はやってない、潔白だ」で知られる「エンマの数え歌」は、よく、一連の事件でオウムに疑いの目を向ける警察や世間に対する弁解のため作られた曲と勘違いしている人がいますが、実際には、事件よりも前に作られた曲で、地獄に堕ちた魂のストーリーを歌った内容です。麻原が歌っているのもいいですが、フリーゲームソフト「麻原の野望」で、ラスボスの森総理大臣との戦いで流れるアレンジが最高の神曲で震えます。ニコニコ動画で今も聞けると思います。

 オウムソングはどれもメロディが単調で、フレーズが耳に残りやすく、宣伝のための曲としては非常に有効で完成度の高い曲だと言われています。こうした優れた曲を作れる人材が揃っているというのは、オウムにはやはり、高学歴など能力のある人を引き付ける何かがあったのでしょう。

 選挙では惨敗しましたが、オウムソングは多くの人々の脳裏に、麻原やオウムという団体の記憶を刻み付けました。

 布教に音楽を利用したのはマンソン・ファミリーなどと同じ手法です。90年代に入り、教団は信者数の上でのピークを迎えますが、オウムソングを聞いたのをキッカケにオウムに興味を持ち、オウムに入ったという人も、少なくはなかったはずです。

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 惨敗

 
 選挙に出馬し、平和路線により世界を救済しようという決意も空しく、真理党は党首の麻原さえ、わずか2000にも満たない票しか得られず、最下位当選者の得票数にも60倍近い大差をつけられる惨敗を喫してしまいます。

「この世界はもはや、平和的な方法では救済できないところまで来ている。世界を救うためには、もはや手段は選んでいられない」

 選挙戦の惨敗を期に、麻原は、なるべく犠牲が出ない形で、世界を救済しようというマハーヤーナ路線とは対極的な「ヴァジラヤーナ路線」へと変更する方針を打ち出します。

 ヴァジラヤーナとは、金剛乗に基づいた救済方法で、オウム流の解釈でいえば、必要とあらば過激な手段をとることも辞さず、救済のためなら、少々の犠牲は仕方ないという考え方です。これ以後オウムは、まさに「ヘルタースケルター」に備えて過激な道に走り出したマンソン・ファミリーのように、「ハルマゲドン」に備えるとの名目で、サリンなどの危険な化学兵器の製造や、軍事訓練といったテロ行為の準備を、着々と進めていくようになるのです。

 振り子が右から左に振れるような極端な変化に至った背景には、選挙に惨敗したことで世間に逆恨みを抱いたとか、供託金の没収により資金難に陥った教団が、破滅に向かって動き出したのだとか色々言われていますが、ヴァジラヤーナの教え自体は選挙の前からあり、麻原がこのとき突然、悔し紛れに言い出したものではなかったようです。

 修行により神秘の力を獲得しよう、世の中の困っている人たちを救おうと決意してオウムに入ったはずの人が、どうして殺人という、もっとも残虐な行為に走ってしまったのか。そう考えたときに、

「人を救おうと思うのなら、まずお母さんから救ってあげたらどうだろう?」

 坂本堤弁護士の言葉が、胸に響きます。マザー・テレサも言っていますが、近くにいる困っている人を見捨てて、遠くの他人を助けたいと考えるのは、「偽善」ではないかと思います。

 千里の一も一歩より。いきなり大きなことを考えている時点で、彼らは、本当に人を救いたいのではなく、人を救う自分に酔いたかっただけではないか。ある意味、麻原のような悪人に付け込まれてもおかしくない、邪な考えの持ち主だったのではないか。

 厳しい見方をすれば、そういうことになります。

 第四章 完

犯罪者名鑑 麻原彰晃 23


みっつのぼひょう



 遺棄


 実行犯グループの6人は、富士総本部道場に戻ると、少し休憩をとった後、ドラム缶に詰めた坂本弁護士一家の遺体を埋めるために、一路北陸へと向かいます。

 警察の捜査をかく乱するために、三人の遺体は、それぞれバラバラの山に埋めるという作戦が取られました。六人のうち、指揮をとっていたのは、村井、早川、岡崎の年長者三人組で、若くて体力のある端本と中川が穴掘りを担当、新實が見張りを担当というのが、主な役回りでした。

 今回の記事は、ベストセラーのノンフィクション作家、佐木隆三氏の著書「三つの墓標」を元に書いていますが、坂本弁護士一家を遺棄しに北陸へと向かった6人のやり取りは、一種のロードムービーのようでなかなか味わいがあります。

 私が特に気に入っているのは、鳥取県の美保湾で実行犯の一人、中川智正が、現場にプルシャを落としたのをみんなに打ち明けた場面です。

 ここで、チクリ屋で嫌われ者の村井は、自分が現場に土足で入ったり、手袋をつけ忘れたのを棚に上げて、中川をネチネチと追い詰めていた一方、求道者的な新實智光は、「あまり気にするな。現世では、うまくいかないこともあるよ。チベットの仏教だって、うまくいっていないじゃないか。また転生して、やり直せばいいんだ」と前向きに励まし、建設現場の親方のような気風で慕われていた早川は、最初に中川をどやし付けたものの、すぐに、「ワシとマンジュシュリー大師も手袋を忘れた。中川くんを責める権利はないんや」と庇い、「中川くんも出家して早々、こんなことに巻き込まれて、辛かったやろうなあ」と慰めるなど、メンバーの性格の違いが現れており、同じオウムの幹部でも、それぞれ個性がまったくバラバラであったことがうかがい知れます。

 中川智正はまだ27歳という年齢で、出家して日が浅いにも関わらず、幼い瀧彦ちゃんの命を奪い、現場にプルシャを落とすというミスをしたことで、精神的に鬱状態になっていました。程度の差こそあれ、他の5人も落ち込んでいたのは同じだったはずで、そんな彼らが、「真理のために」と、お互いに励まし合いながら臨んだワークは、新實に言わせれば、「幹部みんなの心が一つになって、本当に団結できたのは、坂本弁護士事件が最初で最後だった」そうです。

 弁護士一家を遺棄するワークは、6人にとって、精神的にも肉体的にも重労働だったでしょうが、いつも一日一食、粗末な食事しか取れないところを、食べたいものを腹いっぱい食べることができ、(坂本弁護士の遺棄現場では、カニヤ横丁で買ってきたカニを食っていた)風呂にも一週間は入れないところを、サウナで「命の洗濯」ができるなど、いいリフレッシュになった面もあったのかもしれません。

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 三十歳

 自分で書いた麻原の記事を読み返すと、犯罪者名鑑全体の方向性が固まっていなかったこともあり、随分余談だらけだなあという感想を抱きますが、どうせすぐには終わらない企画ですので、今回も余談を挟ませてもらいます。

 私が今回話題にしたいのは、麻原が挫折の連続を経て、ようやくヨガの行者として頭角を現し始めた、「30歳」という年齢についてです。

 麻原彰晃は日本史上最悪の犯罪者であり、狂気の独裁者という評価は覆ることはありませんが、一方で、彼が社会の中で一定の成功を収めた人物、「勝ち組」であったことも否定はできません。麻原という怪物が完成し、「ビクトリー・ロード」を歩み始めたのが、30歳という年齢でした。

 ほかの宗教家でいえば、3章で紹介したジム・ジョーンズの人民寺院が世にその名を知られはじめたのが、ジョーンズ32歳のとき。チャールズ・マンソンのファミリーが異様に膨れ上がり始めたのも、マンソンが30代前半のときでした。麻原がライバルと目していた大川隆法(麻原と違い、高学歴ですが)が幸福の科学の主宰者になったのも、30歳のころです。

 もっとスケールの大きな人物でいえば、かのアドルフ・ヒトラーが野戦病院から帰還し、軍の命令を受けて、調査員として潜り込んだはずのナチの集会で、たまたま演説を振るったのを褒められ、ナチに入党したのがちょうど30歳のときで、それから彼は瞬く間に頭角を現し、ドイツの指導者を飛び越え、欧州全体を支配する独裁者へと成長していくことになりました。

 どうも、「30歳」という年齢は、「学歴も、過去にこれといった栄光もなく、挫折まみれの半生を歩んできた男」が、人を統べるカリスマを表す最初の時期のようなのです。

 ちょっと違うタイプでいえば、当時木下姓を名乗っていた豊臣秀吉(低学歴であるが、人の下に就いている)が、織田家の高級将校として初めて文献に名前が登場し始めたのも、やはり30代前半のころ。世界で一番有名な革命家であるチェ・ゲバラ(カリスマではあるが、高学歴)がキューバ革命を成功させたのは、30歳直前の29歳のときでした。

 なぜに今回、こんな記事を書こうと思ったかといえば、私自身が、あと半年で30歳という年齢を迎えるからです。栄養状態や医療の発達、定年の引き上げにより、日本人の体感年齢は年々若くなっているともいわれています。麻原の時代の30歳と比べても、今の時代の30歳は、自分のことも、他の30歳のことも、「若い」と思っている。それを考えると、私にはもうちょっとチャンスがあるともいえます。

 世の中の人には、独裁者と聞いただけで嫌悪感を示す人もいますが、正直、私は自分がなれるものならなってみたいと思います。犯罪を起こすのがダメなのであって、独裁者自体が悪いわけではない。実現するかどうかはともかく、夢を見るぐらいは自由でしょう。

 今回名前を挙げた中で、ヒトラーとゲバラの成功は麻原とは桁が三つも四つも違いますが、彼らは私利私欲の塊のような麻原とは対象的にストイックで、女性との浮いた噂もほとんどありませんでした。ここが一教祖で終わった麻原との差なのでしょう。

 どちらに憧れるかと言われたら、私はあんなむさ苦しい髭面の豚親父の癖に、女性教徒100人と性行為に及んだという麻原の方に憧れます。ヒトラーやゲバラのように世界史にまで名を遺すのはすごいことですが、そのために、味わおうと思えばいくらでも味わえる快楽を捨て、自分の存在を国家と同一に考えて己を律するのも大変そうです。今回名前を挙げた中でいえば、天下を取ったうえで、己の欲望も満たした秀吉が最高かもしれません。

 「30歳」がひとつのターニングポイントなのは確かなようですが、ただし、30歳ごろに開花した独裁者たちには皆、栄光を掴むまでに、苦難の半生がありました。

 麻原彰晃は、幼いころから弱視でコンプレックスに苦しんでいました。そんな彼が、二十代半ばから始めた宗教の勉強、修行は本物といえるもので、間違った道を突き進みはしましたが、彼は確かに努力家ではありました。ジョーンズも若いころから、宗教活動には熱心に取り組んでいました。ヒトラーも実科学校を成績不良で退学になるなど、少年時代は劣等生で、20代では絵画の修行や読書の日々、従軍経験など、濃密な体験をしています。無学なマンソンにしても、人生の半分を矯正施設で過ごすという波乱万丈の人生を歩んでいました。

 「30歳」が、カリスマを売りにする独裁者にとってのターニングポイントであるのは間違いないようですが、まともな人生を歩んできた20代、何もやってこなかった20代が、30歳でいきなり開花するということはなさそうです。

 コンプレックスに塗れた10代と、血反吐を吐く努力をしてきた20代。不謹慎とは知りつつも、麻原、ヒトラーと似た人生を歩んできた私は、自分が「独裁者」となる未来を妄想するのを、抑えることはできません。

栃木リンチ殺人事件 3



犯人c

 写真:少年c


 栃木リンチ殺害事件




 石橋署の無能警官から電話を受けたAたちは慌てふためきました。

 警察が自分たちを探している。恐喝、傷害、詐欺・・・捕まったなら、刑務所に入れられることは確実である。無い頭を必死で絞った彼らは、逃げ切るためには、須藤さんを殺害し、Cのホンダ・インテグラを処分するしかないという結論に達しました。

 このころから、犯人グループに、「第4の少年」が加わり、Aらとともに行動するようになっていました。「第4の少年=D」は、Aらより二歳下で、東京のクラブでAと意気投合。Aらとともに、飲み食いや女遊びをして、ホテルを泊まり歩いていましたが、須藤さんに暴力を振るうことはなかったようです。

 須藤さん殺害を決意したA,B,Cの三人は、とにかく殺して山に遺体を埋めると決め、栃木県を北上します。が、Aが「ここでいい」と殺害現場に選んだのは、山奥でも何でもない、幹線道路から数メートルも離れていない林の中でした。

 BとCが、須藤さんを埋める穴を堀り、遺体を固めるためのコンクリートをこねる間、Aはこの期に及んでも、須藤さんに消費者金融のCMソングを歌わせていました。Dはといえば、三人と行動をともにしながら、「あれ須藤さんを埋める穴じゃないっすよね?」などと尋ねるなど、殺害に関して詳しい話は聞かされていなかったようで、三人との間には一定の距離があったようです。

 自分が殺されることを悟った須藤さんは、Aが車を降りた後、Dにセブンスターを所望しますが、Dの一存では決められません。最後に煙草一本吸うことさえ許されないまま、須藤さんはBとCに紐で首を絞められ(Cは途中で紐を離し、Bが一人で締め上げた。これが二人の量刑に差をつけた)、殺害。須藤さんの遺体は、コンクリートで固められて穴に埋められました。その晩、Bはホテルにて、Cが殺害の状況をジェスチャーで再現するのを見て、マスターベーションに耽ったといいます。

 事件が発覚したのは、最後に仲間に加わった、Dの自首がキッカケでした。自宅に帰って、罪悪感に駆られたDは、母親と祖母に事件のことを話し、自首する考えを伝えました。このとき、母親は反対したようですが、 「あいつら、絶対許せねえ」と、Dの決意は固く、祖母に付き添われる形で、警視庁に出頭しました。

 警視庁はすぐに動き出しました。Dの記憶には曖昧なところもあったようですが、Dの自首からたった6時間で、須藤さんの遺体は発見されたそうです。

 Dがギリギリのところで人に戻ったのは確かですが、褒められるべきというほどではなく、逆に、今さら遅い、なぜもっと早く通報しなかったのかと言われてもおかしくはないでしょう。ですが、もしDの通報がなければ、こんなわかりきった事件が迷宮入りしていた可能性もあったのです。警視庁がたった6時間で見つけた須藤さんを、栃木県警は、2か月間もの間、探そうともしなかったのです。

 一体、なぜ、栃木県警は、これほどまでに「動かなかった」のか?

 この事件がけして、3匹の悪魔をムショ送りにしただけで終わるものではないということを、次項で明らかにしたいと思います。

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 日産

 
 事件を精査したジャーナリストは、栃木県警が二か月もの間動かなかったことは、ただの「怠慢」とは思えず、上層部からの「強い意志」が働いていたとしか思えない、という推論を展開しています。

 冒頭でも書きましたが、日本の警察官は世界的に見ても非常に優秀で、末端の警察官も常に正義感と使命感を持って、日々の勤務にあたっています。何割かは「不良警官」がいたとしても、栃木県警のすべての警察官がそうであったとは考えられません。23年間も、実際に警察に在籍したジャーナリストの意見ですから、私はこれを信用したいと思います。

 何か、この一件を「事件にしたくない」という強い意志が働いていた。その意志の出どころは、いったいどこだったのか?

 主犯格であるAの父親は警察官でした。警察には身内を庇う体質があり、現役警察官の息子が事件を起こしたことが発覚するのは都合が悪いと判断したというのであれば、確かに辻褄は合います。

 しかし、Aはもともと札付きの悪で、Aが何か悪いことをすると、いつも警察官であるAの父親のところに連絡が行っていました。父親の責任で何とかしろ、ということですが、今回に限って、なぜかAの父親のところにも連絡が行かず、父親が事件を初めて知ったのは、警視庁がAらを逮捕した後のことだったそうです。

 そもそも、Aがかつて、100万円の恐喝事件を起こしたときには、警察に逮捕され、ちゃんと取り調べを受けています。今回に限って、身内を庇うというのもおかしな話です。

 Aの父親を庇う目的ではなかったのならば、いったい、なにが「動かなかった」理由だったのか?栃木県警に、どんな圧力があったというのか?

 ここで浮かびあがるのが、須藤さんが勤めていた大企業「日産」の思惑です。

 日産のような大企業のほとんどは、警察など官公庁の天下りの受け入れ先となっているものです。天下りは、官、民が一体となって世の中に貢献していくために必要な良い面もありますが、ドラマなどでもよく取り上げられるように、癒着の温床となってしまっている場合もあります。

 日産は、被害者である須藤さんだけではなく、犯人グループの一人であるBが勤めていた企業でもありました。須藤さんは、無遅刻、無欠勤、残業も断らずやる優良な社員でしたが、Bは自動車工場に勤める身でありながら、入社早々、シートベルトを着用せず自動車事故を起こして休暇扱いになるなど、会社からすると、何かと問題の多い社員でした。

 日産は、被害者が勤める企業であると同時に、加害者が勤める企業でもあった。企業イメージを大事にする日産が、天下りを受け入れている警察に対して、「事件として取り扱わないように」と、要請した可能性があるということです。

 天下りで民間企業に受け入れられるのは、署長クラスの職を歴任した一部のエリートだけで、現場で働くほとんどの警察官にとっては、天下り先の意向などに配慮したところで、何のうまみもないはず。どうして、思考停止で上からの命令に従ってしまうのか、私のように、組織に忠誠を尽くした経験のない人間にはよくわからないのですが、警察というところでは、組織の意向を無視して動く警察官など「杉下右京」くらいしかおらず、ほとんどすべての警察官は、とにかく「上司の命令は絶対」になってしまうようです。

 もしかしたら、日産側も事態を楽観視していたのかもしれません。最初のニュアンスは、もっと穏やかなものだったのかもしれません。しかし、人から人に伝わるうちに、簡単な「要請」が、強力な「命令」に化けてしまい、栃木県警が、意地でも動かないという態度になってしまった――これが、真相のようです。


あくにん



 悪党ども



 それにしても、日産と栃木県警が、須藤さんの両親にとった態度は、酷いものでした。

 日産、そして警察は、自分たちが動かなかったことを正当化するために、須藤さんが自ら望んで、Aらと行動を共にしているようなでっち上げ工作を行おうとしていました。事件中だけではなく、事件が発覚して以後も、です。

 確かに、須藤さんはAらの悪ふざけによってスキンヘッドに刈り上げられて、凄みのある風貌に代わっており、また、電話などでは、確かに望んでAらとつるんでいるかのように喋らされていたようですが、須藤さんの日ごろの勤務態度や、周囲からの評判を考慮すれば、望んでAらと行動していたなどあり得ないと、素人にもわかる話です。こともあろうに、捜査のプロが見誤るはずなどありません。自分たちが馬鹿だと言ってるようなものだと思うのですが、どうすればここまで開き直ることができるのでしょうか。

 日産はある一時期から、須藤さんの両親に、しきりに、須藤さんが退職届を出すように迫っていました。須藤さんを日産とは関係ない人物だと主張するためでしょうが、入社以来一日も休まず、身を粉にして働いた青年に、どうしてこんな冷たい態度がとれるのでしょうか。論旨解雇――須藤さんに下された処分の内容ですが、犯罪の被害に遭った人の処分が、「労働者側に非があった」というニュアンスなのは、どういうことなのか?

 日産からは、須藤さんの葬儀に参列した者は、ただ一人としていませんでした。あくまで、「我々には関係ない」というポーズ。警察ともども、縦割り組織の弊害といったらそれまでですが、組織の中に、人の心を持った人間は一人もいなかったのでしょうか。

 警察、日産の責任転嫁は、須藤さんのみに留まらず、両親にも及びました。

 須藤さんの両親が警察署を訪れた際、無能な五十代の警官はメモも取らず(警察は異常なほど記録を重視するにも関わらず)椅子をグリンコグリンコ(お母さん談)回しながら、ボールペンを回して遊んでいたはずですが、後になって、突然、警察署で行われたという会話の記録を持ち出してきました。その内容が噴飯ものです。

警官 「須藤君か。はやく帰ってきなさい」

須藤さん 「うるせえ。俺の勝手だ仙台だ」

お母さん 「この馬鹿野郎、家にそんなにお金があるはずはないだろう。お前みたいな馬鹿野郎は死んでしまえ。このデレスケ野郎」

 嘘をつくにも、もう少しまともな嘘をついて欲しいと思います。警察官は多忙で、ドラマや映画など滅多に観れないのかもしれませんが、いい大人が知恵を絞って、こんなくだらないセリフしか思いつかなかったのかと思うと、呆れを通り越して失笑が漏れてしまいます。

 このように事実をねつ造して、須藤さんや須藤さんの両親の名誉まで傷つけていた栃木県警の非道を、我々は絶対に忘れてはいけません。

 センスのかけらもない栃木県警と違い、須藤さんのお母さんは、言葉のチョイスが可愛らしい、言語感覚の素晴らしい人で、法廷に現れたA,B,Cに対し、「重役みたいだったわよ」という感想を残しています。20そこそににして顎が二重になるほど太り、ガニマタでのしのし歩く姿を表現したものですが、心が醜い人間とは、姿形まで醜くなるものなのでしょうか?

 法廷にて、主犯である少年Aが放った言葉――。

「出所したら彼女とやり直して、殺してしまった須藤くんの分まで長生きしたいと思います」

 一見、被害者遺族を煽る目的であったかのようですが、もしかすると、Aなりの、心からの「反省の弁」だった可能性もあります。こういう、人とあまりにも感覚が違い過ぎる人間をどう受け入れていくか、社会全体の在り方が問われるところです。判決では、主犯のA、須藤さんを直接殺害したBに無期懲役、積極的に犯行に加わったCには、5~10年の不定期刑が下されました。

 文字通り、虫も殺せぬ優しい青年であった須藤さんの周りにこれほどの悪党どもが集まってしまったのは、皮肉としかいいようがありません。


 総括:

 事件を取材した元警察官のジャーナリストは、犯人グループの少年たちが悪魔に変貌してしまった理由を「親の甘やかし」「与えすぎ」に求めています。確かに、犯人グループの少年たちは、暴走族の少年に多い貧しい家庭の子供ではなく、普通以上に裕福な家庭で、何不自由なく育てられた子供でした。犯人グループの金銭感覚は常軌を逸しており、なんでも与えられすぎ、甘やかされすぎて育てられるのは、確かによくないことなのかもしれません。

 他人を思いやる気持ちをまったく持てない犯人グループの凶行、「上からの命令」があったとはいえ、困っている人にかくも非情になれる日産、警察の対応には、戦慄すら覚えます。こういう悪党どもにつけ入られないためには、やはり、ある程度の「エゴ」も必要なのかもしれません。

 「優しい」というのは、世の中に生きる誰もが持っているべき、大切な性格的資質だと思いますが、「性善説」に偏りすぎるのもよくありません。この世には、話しても分かり合えない、どうしようもない悪党もいるものです。善人の皮を被った悪人もいます。

 警察の責任は追及されてしかるべきですが、そもそも世界的にみれば、警察とはあまり頼りにならないものであり、最低限、市民が自己防衛の意識を持つのも大事なことである。

 それが、事件を客観的に眺められる立場にある我々が、須藤少年の死を無駄にしないための教訓ではないかと思います。

 栃木リンチ殺人事件 完

不定期更新3 「見る目があった」という欺瞞

高畑雄太



 先日、有名女優のドラ息子が熟女を強姦して逮捕された事件が話題になりました。

 それについて、事件の少し前に放映されたバラエティ番組にて、ドラ息子が橋本なんとやらという女のタレントに告白し、「友達としてもあり得ない。触れられるのも嫌」という言葉を投げかけられて、こっ酷く振られたということがあり、それで傷ついたドラ息子が、自棄になって事件を起こしたのではないかと推測する記事を目にしました。

 テレビでの企画の一環だったので、橋本なんとやらもウケ狙いのつもりだったのかもしれません。こういうバラエティでのことを、一般人の間にあった恋愛トラブルと同じに考えるのはオカシイと思います。ドラ息子がレイプ事件など起こしたのは、橋本なんとやらに振られたこととは一切関係なかったはずですし、あったとしてもそれが本人だったらともかく、別の女性に危害を加える理由には全然ならないのは百も承知ですが、ちょっとヤフーのコメント欄で書かれていた意見で、私の書いた作品とこじつけて語れる部分があったので、記事にさせてもらいます。

 私が気になったのは、「橋本なんとやらは高畑の異常性を見抜いていた。見る目があったんだ!」という意見です。「偽善の国のアリス」を読んでいただけた方なら、私がこの意見を気になった意味はわかっていただけると思います。
 
 偽善の国のアリス本編でも同じような説明をしましたが、橋本とやらの「辛辣な言葉」が「高畑の異常性を見抜いていたから」というのは絶対におかしいことです。本当に警戒していたのなら、むしろ相手を刺激するような言葉は使わないはず。「大人の対応」で、やんわりと断っていたはずです。

 「こういうタイプにはキッパリ言わないとダメなんだ!」という意見もありましたが、それは何度もしつこくされてからのことでしょう。一番最初の最初に好意を見せた段階、まだ男が何も悪いことをやっていない段階で、男の人格を否定するような言葉を吐くのは、逆に女の人格の方に問題があったはずです。そんな段階で相手を見抜くことができるとしたら、洞察力云々ではなく「エスパー」である。こういうことをする女には、男を愚弄し、侮辱し、自分の優越感を満たす目的があるはずです。

 「神山」のように。

 後出しで「最初からわかっていたんだ」などと言うだけだったら、バカにでもできます。結果論だけでしか物事考えられない人間は、すべての出来事を一方が悪いとするための材料にしようとする。犯罪など起こせば、なにがあっても擁護することはできないというのは一理ありますが、だからといって、「見る目があった」などと、傷つけた側が称賛されるように言われるのはいかがなものか?

 「大河原」卒業以来、当時の連中とは会っていないのですが、私が反社会的な問題を取り上げたサイトを立ち上げたことで、もしかしたら飲み会の席などで、神山のバカが「見る目があった」などと持ち上げられるようなことがあったかもしれないと思うと、憮然とした気持ちになってしまいます。

 コメント欄を見れば、私は自分の記事をしっかり読んでくれ、私を応援してくださる読者さんには誠実に対応していることはわかると思いますし、奥さんと仲睦まじく生活し、職場でもトラブルなど起こさず、周りと仲良くやっています。そういう人間を自殺寸前にまで追い込んだのが、神山のやった行為です。私も自分がすべて正しいとは思っていませんが、アイツが100%の被害者面するのは絶対に間違っている。そもそも、中尾や金澤が自分を馬鹿にしていたことも知らずに、どぶ臭いマンコをいじくってアイツらの写真とかでオナニーしてる神山に、「人を見抜く力」などあったはずはない。神山は見る目があったのではなく。、ただ単に格差の下にいる男を愚弄してストレスを発散していただけである。

 ドラ息子のようにレイプ事件など起こしたら何を言われても仕方がないかもしれませんが、私はただ単に、世の中のおかしな風潮に疑問を持っているというだけです。それが悪だというなら悪でもいいですが、だったらそれこそ私も「後出し」「結果論」で、「神山に不当に貶められたりしなければ、悪になどならなかった」と主張します。

 サイトの定期更新を中断してから、4か月の歳月が過ぎました。サイトの定期更新を中断してから、4か月の歳月が過ぎました。常連の読者さんは、「アリス」の話はもういいよ・・・と思われるかもしれませんが、正直、自分の書いた作品とのこじつけでもないと、まだ更新する動機を見いだせないというのが現状です。犯罪者バトルロイヤルなど、未完に終わった作品のことは、ずっと心に残ってはいるのですが、サイトの方にあまり比重を置きすぎてしまうと、文学賞応募という今のメインの活動がおろそかになってしまいます。

 定期更新を再開するとしたらプロになってからということになると思いますが、プロになってからも壁にぶち当たることはあると思いますし、そうなったら私のような人間はまた愚痴などを書いてしまうかもしれません。そのときに寄せられる「説教」の数は、アマチュアだったときの比ではないでしょう。それに一々反応していたら炎上してしまうかもしれない。だったらいっそ、サイトというかSNSなんてやらないほうがいいのかもしれない。

 定期更新の再開のビジョンはなかなか見えてきません。あるとしたら、有料のブロマガという形でしょうが、そんなのでまともに稼げるのはプロの中でもごく一部でしょう。私が神山の悪夢を振り払えるレベルに設定する「年収400万レベル」ではたぶん無理だと思います。それこそ、普段本を読まない人でも名前を知っているレベルにまでいかないと難しいと思いますが、私がそこまで上がれるのかどうか・・。

 なんにしても、暗い道を抜け、未来への扉をこじ開けられる日が来ることを信じたいです。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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