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サイト開設当初から 考え方の変化 4


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 「無駄な劣等感から解放された」に並ぶ、私の開設当初からの大きな精神的変化として、「信仰の対象を求めなくなった」ということが挙げられます。

 日本は無神論の国と言われますが、そんな中でも、ある人は好きなアニメのキャラクターに、ある人はスポーツ選手やタレントにと、特定の何かを「神」として崇め、心の支えにしている人は多いと思います。そういうのも、立派な「宗教」といえると思います。

 私もかつては、「信心深い」人間でした。レビューを書いていたように、ほかの作品に熱狂していたこともありましたし、少年時代には、格闘技の選手を崇拝していたこともありました。

 「神山」にあそこまで執着したのも、蛆村や野村、金澤といった連中に精神的に苦しめられ、キツイ状況下にあったときに親し気に話しかけてくれた神山を、「女神」として崇めてしまったのが理由でした。 

 後に、「女神」が私と親しくしてくれたのは、「ロイヤルプリンセスが乞食を哀れに思って優しくしてやっている」 といったような見下した感情からであったことがわかり、「女神」を、よりにもよって私を苦しめていた当の本人に持っていかれてしまったことから、かつて好きだった以上の憎しみを抱くことになってしまった。

 しかし、20代半ばという年齢で一度ぶっ壊れ、いちから自分という人間を作り上げるという作業を進める中で、私は「神」を追い求めなくなっていきました。

 サイトの開設当初は、明らかにそうではなかった。初期からの読者さん(今じゃほとんどいなくなってしまいましたが)ならご存じのように、サイト開設当初、私は変なニコ生主を崇拝する記事を書いていましたし、レビューも書いていました。今は奥さんとなった彼女を崇めるような記事も書いていたと思います。

 一時期、本当にやめようかと思った絶望の時期を乗り越え、犯罪者名鑑を始めた2年目の後半あたりから、「神」を必要としなくなった。その理由は、自信がついた・・・というより、サイトを運営し、小説の修行を進める中で、物事を自分の頭で考える癖がついてきたからだと思っています。

 「信仰する」というのは、ある意味、思考を停止する行為です。それがどういう行為か考えもせず、上から言われるままに地下鉄にサリンを撒いたオウムの信者を見れば、それがよくわかると思います。

 物事を考えるにおいて、「信仰」は邪魔である。思考をフルに使う小説の修行に励む中で、自然と、私の頭からは、「信仰心」というものが消えていきました。

 自分で判断して「信仰心」を捨てた私に、「俺の信じる神を、お前も信じろ!」などと押し付けるのは、とんでもない行為です。

 何度も同じ話をして恐縮ですが、今回の不定期更新期間の中で、私は、かつてレビューの記事を消したときに恨み言を言ってきた読者と、「彼女ができたな。あーよかったな」などというふざけた結論で私の物語を片付けようとしてきた読者を盛大に叩かせてもらいましたが、彼らがやってきたことは、結局、他の人が書いた作品や、彼女(妻)という自分の信仰の対象を、私に押し付けるという行為です。

 彼らは、それを信じることはいかにもイイことだという風に言ってきましたが、世界中で宗教戦争を起こしまくっているのは、そういう、人の考えを頭ごなしに否定し、自分の信じるものを押し付けることしかできない人間です。他の人が書いた作品も、うちの奥さんも、私にとっては大切な存在ですが、それに「依存」し、それ中心の人生を生きるのは考えられません。

 26歳から始めた活動の中で、自分以外の誰も信じないし、誰も崇拝しない、絶対にブレない自分自身を作り上げられたということは、創作だけではなく生活面においても、私にとって大きな成果でした。そして、それができたのは、他ならぬ、私のサイトにコメントをくれた読者さんのお陰です。

 自分自身というものは、自分で思うだけではなく、他人に承認してもらうことによって初めて固まるものです。承認されるだけではなく、「説教」に滅茶苦茶反論し、説教厨を叩きまくることでも固められる。

 私の書いた私小説や雑文に好意的なコメントを寄せてくださった方々には、本当に感謝したいと思います(説教厨には、帰ってくるなら感謝してあげます)。

 精神面の変化というより、純粋な進歩といえるかもしれませんが、社会に対する、必要以上の恐怖がなくなったこともあります。

 先に書いた通り、私はサイト開設当初、いわゆるニートの状態にありました。当時の私にとって、「働く」という行為が物凄く過酷なもののように見えていた理由の一つは、「健康で文化的な最低限度の女」ひとり与えられないのに、なんで労働の義務ばかり果たさなくてはいけないのだという不満。もう一つは、これまでの働き先が合わなかったことから、底辺労働の現場というものを、それこそ産業革命時代の奴隷工場のようなものと恐怖していたからでした。

 後者の認識については全面的に考えを改めたわけではなく、実際問題、酷い職場はあちこちにあると思います。結局、マッチングの問題であり、どうせ正社員でもないのだから、自分に合わない、酷いところだと感じたら、さっさと逃げればいいだけの話なわけですが、あまりにもそれが連続すると、社会に対する不信感、恐怖に繋がっていくことになる。同じ経験をした人は、たぶん何人もいるのではないでしょうか。

 給料は安くても、そこそこ楽ができて、まともに人間として扱ってくれる職場を見極める目を養い、労働に関する正しい知識を身に付けることが、正規の道から滑り落ちた人間が、「社会や、会社に殺されない」ために大事なことです。非正規労働の現場では、自分はとにかく身体ひとつで働いているのだからと安心して、ニートやホームレスを見下して喜んでいるような人間もいますが、ただ馬車馬のように働くだけではなく、「机上論」を身に着けるのも大事なことです。

 世の中は、無知な人間が食い物にされるようにできています。非正規労働の現場には、非正規は有給ももらえないと思っているような人もいますが、社会に関する基本的な知識がないばかりに、ブラック企業やブラック上司にいいようにされている人の、いかに多いことか。本当は、学校である程度教えるのが筋だと思うのですが、日本という国ではそうなっておらず、個人が自己防衛していくしかありません。
 
 まともな職場に入れるかは運もありますが、労働法の勉強はどんな環境でもできること。戦争も恋愛もそうですが、経験則と机上論、どちらかに偏ることなく、両方をバランスよく備えていることが大事になると思います。 

 現在、私は職場において、まずまず快適に過ごせています。相変わらず非正規の派遣労働で給料は安いのですが、仕事はキツくはなく、周りとはうまくやっています。

 ですが、私は今の境遇に、まったく満足していません。友人はどうでもいいというわけではありませんが、その程度の些細な幸せに逃げ込んで、「あーよかったな」で終わらせる気は、まったくありません。

 私はまだ、まったく救われてなどいない。こんな程度では、自分も自分の人生も好きにはなれません。

 私が血反吐を吐きながら作り上げたこのサイトには、一部過激な内容も含まれています。もし、現在の同僚にこのサイトを発見されたら、変に誤解されて、私から遠ざかってしまうかもしれませんが、私はこのサイトを閉鎖しようとも思いませんし、サイトから顔写真を撤去する気もありません。まだデビューのチャンスも掴んでいないのに、「守りに入る」つもりなど、まったくありません。

 私が救われる唯一の方法――最低限、達成しなければならない目標――正社員であり、正社員の夫を手に入れると想定される神山の人生を上回る。

 文章で生涯1億円稼ぐ。神山や、神山の夫の生涯賃金には及ばなかったとしても、組織の枠に縛られず、自分の名前を売れて、飲み屋でちょっとお姉ちゃんにモテて(わかりませんが)、この出版不況の中で、非常に希少価値の高い職業であり、自分のやりたいことで金を稼いでいるという満足感を得ることができるという付加価値を考慮すれば、十分、神山に「勝った」と言えると思います。

 かつて、自分がまだあやふやだったころの私を洗脳して、自分の承認欲求を満たすためだけの玩具にしようとした「折茂」という男もいましたが、私はあんな安っぽい男と違い、たった一人に承認されるだけでは満足できない。もっと大勢の、何十万、何百万という人に、私というか私の書いた作品を承認してほしい。1億円というのは最低の目標であり、もちろんもっと高みに登れるのなら登りたい。

 最終的な目標のことを思えば、些細なリスクなど気にもならない。「捨て身」の姿勢というのは、サイト開設当初からまったく変わっていない点です。

栃木リンチ殺人事件 3



犯人c

 写真:少年c


 栃木リンチ殺害事件




 石橋署の無能警官から電話を受けたAたちは慌てふためきました。

 警察が自分たちを探している。恐喝、傷害、詐欺・・・捕まったなら、刑務所に入れられることは確実である。無い頭を必死で絞った彼らは、逃げ切るためには、須藤さんを殺害し、Cのホンダ・インテグラを処分するしかないという結論に達しました。

 このころから、犯人グループに、「第4の少年」が加わり、Aらとともに行動するようになっていました。「第4の少年=D」は、Aらより二歳下で、東京のクラブでAと意気投合。Aらとともに、飲み食いや女遊びをして、ホテルを泊まり歩いていましたが、須藤さんに暴力を振るうことはなかったようです。

 須藤さん殺害を決意したA,B,Cの三人は、とにかく殺して山に遺体を埋めると決め、栃木県を北上します。が、Aが「ここでいい」と殺害現場に選んだのは、山奥でも何でもない、幹線道路から数メートルも離れていない林の中でした。

 BとCが、須藤さんを埋める穴を堀り、遺体を固めるためのコンクリートをこねる間、Aはこの期に及んでも、須藤さんに消費者金融のCMソングを歌わせていました。Dはといえば、三人と行動をともにしながら、「あれ須藤さんを埋める穴じゃないっすよね?」などと尋ねるなど、殺害に関して詳しい話は聞かされていなかったようで、三人との間には一定の距離があったようです。

 自分が殺されることを悟った須藤さんは、Aが車を降りた後、Dにセブンスターを所望しますが、Dの一存では決められません。最後に煙草一本吸うことさえ許されないまま、須藤さんはBとCに紐で首を絞められ(Cは途中で紐を離し、Bが一人で締め上げた。これが二人の量刑に差をつけた)、殺害。須藤さんの遺体は、コンクリートで固められて穴に埋められました。その晩、Bはホテルにて、Cが殺害の状況をジェスチャーで再現するのを見て、マスターベーションに耽ったといいます。

 事件が発覚したのは、最後に仲間に加わった、Dの自首がキッカケでした。自宅に帰って、罪悪感に駆られたDは、母親と祖母に事件のことを話し、自首する考えを伝えました。このとき、母親は反対したようですが、 「あいつら、絶対許せねえ」と、Dの決意は固く、祖母に付き添われる形で、警視庁に出頭しました。

 警視庁はすぐに動き出しました。Dの記憶には曖昧なところもあったようですが、Dの自首からたった6時間で、須藤さんの遺体は発見されたそうです。

 Dがギリギリのところで人に戻ったのは確かですが、褒められるべきというほどではなく、逆に、今さら遅い、なぜもっと早く通報しなかったのかと言われてもおかしくはないでしょう。ですが、もしDの通報がなければ、こんなわかりきった事件が迷宮入りしていた可能性もあったのです。警視庁がたった6時間で見つけた須藤さんを、栃木県警は、2か月間もの間、探そうともしなかったのです。

 一体、なぜ、栃木県警は、これほどまでに「動かなかった」のか?

 この事件がけして、3匹の悪魔をムショ送りにしただけで終わるものではないということを、次項で明らかにしたいと思います。

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 日産

 
 事件を精査したジャーナリストは、栃木県警が二か月もの間動かなかったことは、ただの「怠慢」とは思えず、上層部からの「強い意志」が働いていたとしか思えない、という推論を展開しています。

 冒頭でも書きましたが、日本の警察官は世界的に見ても非常に優秀で、末端の警察官も常に正義感と使命感を持って、日々の勤務にあたっています。何割かは「不良警官」がいたとしても、栃木県警のすべての警察官がそうであったとは考えられません。23年間も、実際に警察に在籍したジャーナリストの意見ですから、私はこれを信用したいと思います。

 何か、この一件を「事件にしたくない」という強い意志が働いていた。その意志の出どころは、いったいどこだったのか?

 主犯格であるAの父親は警察官でした。警察には身内を庇う体質があり、現役警察官の息子が事件を起こしたことが発覚するのは都合が悪いと判断したというのであれば、確かに辻褄は合います。

 しかし、Aはもともと札付きの悪で、Aが何か悪いことをすると、いつも警察官であるAの父親のところに連絡が行っていました。父親の責任で何とかしろ、ということですが、今回に限って、なぜかAの父親のところにも連絡が行かず、父親が事件を初めて知ったのは、警視庁がAらを逮捕した後のことだったそうです。

 そもそも、Aがかつて、100万円の恐喝事件を起こしたときには、警察に逮捕され、ちゃんと取り調べを受けています。今回に限って、身内を庇うというのもおかしな話です。

 Aの父親を庇う目的ではなかったのならば、いったい、なにが「動かなかった」理由だったのか?栃木県警に、どんな圧力があったというのか?

 ここで浮かびあがるのが、須藤さんが勤めていた大企業「日産」の思惑です。

 日産のような大企業のほとんどは、警察など官公庁の天下りの受け入れ先となっているものです。天下りは、官、民が一体となって世の中に貢献していくために必要な良い面もありますが、ドラマなどでもよく取り上げられるように、癒着の温床となってしまっている場合もあります。

 日産は、被害者である須藤さんだけではなく、犯人グループの一人であるBが勤めていた企業でもありました。須藤さんは、無遅刻、無欠勤、残業も断らずやる優良な社員でしたが、Bは自動車工場に勤める身でありながら、入社早々、シートベルトを着用せず自動車事故を起こして休暇扱いになるなど、会社からすると、何かと問題の多い社員でした。

 日産は、被害者が勤める企業であると同時に、加害者が勤める企業でもあった。企業イメージを大事にする日産が、天下りを受け入れている警察に対して、「事件として取り扱わないように」と、要請した可能性があるということです。

 天下りで民間企業に受け入れられるのは、署長クラスの職を歴任した一部のエリートだけで、現場で働くほとんどの警察官にとっては、天下り先の意向などに配慮したところで、何のうまみもないはず。どうして、思考停止で上からの命令に従ってしまうのか、私のように、組織に忠誠を尽くした経験のない人間にはよくわからないのですが、警察というところでは、組織の意向を無視して動く警察官など「杉下右京」くらいしかおらず、ほとんどすべての警察官は、とにかく「上司の命令は絶対」になってしまうようです。

 もしかしたら、日産側も事態を楽観視していたのかもしれません。最初のニュアンスは、もっと穏やかなものだったのかもしれません。しかし、人から人に伝わるうちに、簡単な「要請」が、強力な「命令」に化けてしまい、栃木県警が、意地でも動かないという態度になってしまった――これが、真相のようです。


あくにん



 悪党ども



 それにしても、日産と栃木県警が、須藤さんの両親にとった態度は、酷いものでした。

 日産、そして警察は、自分たちが動かなかったことを正当化するために、須藤さんが自ら望んで、Aらと行動を共にしているようなでっち上げ工作を行おうとしていました。事件中だけではなく、事件が発覚して以後も、です。

 確かに、須藤さんはAらの悪ふざけによってスキンヘッドに刈り上げられて、凄みのある風貌に代わっており、また、電話などでは、確かに望んでAらとつるんでいるかのように喋らされていたようですが、須藤さんの日ごろの勤務態度や、周囲からの評判を考慮すれば、望んでAらと行動していたなどあり得ないと、素人にもわかる話です。こともあろうに、捜査のプロが見誤るはずなどありません。自分たちが馬鹿だと言ってるようなものだと思うのですが、どうすればここまで開き直ることができるのでしょうか。

 日産はある一時期から、須藤さんの両親に、しきりに、須藤さんが退職届を出すように迫っていました。須藤さんを日産とは関係ない人物だと主張するためでしょうが、入社以来一日も休まず、身を粉にして働いた青年に、どうしてこんな冷たい態度がとれるのでしょうか。論旨解雇――須藤さんに下された処分の内容ですが、犯罪の被害に遭った人の処分が、「労働者側に非があった」というニュアンスなのは、どういうことなのか?

 日産からは、須藤さんの葬儀に参列した者は、ただ一人としていませんでした。あくまで、「我々には関係ない」というポーズ。警察ともども、縦割り組織の弊害といったらそれまでですが、組織の中に、人の心を持った人間は一人もいなかったのでしょうか。

 警察、日産の責任転嫁は、須藤さんのみに留まらず、両親にも及びました。

 須藤さんの両親が警察署を訪れた際、無能な五十代の警官はメモも取らず(警察は異常なほど記録を重視するにも関わらず)椅子をグリンコグリンコ(お母さん談)回しながら、ボールペンを回して遊んでいたはずですが、後になって、突然、警察署で行われたという会話の記録を持ち出してきました。その内容が噴飯ものです。

警官 「須藤君か。はやく帰ってきなさい」

須藤さん 「うるせえ。俺の勝手だ仙台だ」

お母さん 「この馬鹿野郎、家にそんなにお金があるはずはないだろう。お前みたいな馬鹿野郎は死んでしまえ。このデレスケ野郎」

 嘘をつくにも、もう少しまともな嘘をついて欲しいと思います。警察官は多忙で、ドラマや映画など滅多に観れないのかもしれませんが、いい大人が知恵を絞って、こんなくだらないセリフしか思いつかなかったのかと思うと、呆れを通り越して失笑が漏れてしまいます。

 このように事実をねつ造して、須藤さんや須藤さんの両親の名誉まで傷つけていた栃木県警の非道を、我々は絶対に忘れてはいけません。

 センスのかけらもない栃木県警と違い、須藤さんのお母さんは、言葉のチョイスが可愛らしい、言語感覚の素晴らしい人で、法廷に現れたA,B,Cに対し、「重役みたいだったわよ」という感想を残しています。20そこそににして顎が二重になるほど太り、ガニマタでのしのし歩く姿を表現したものですが、心が醜い人間とは、姿形まで醜くなるものなのでしょうか?

 法廷にて、主犯である少年Aが放った言葉――。

「出所したら彼女とやり直して、殺してしまった須藤くんの分まで長生きしたいと思います」

 一見、被害者遺族を煽る目的であったかのようですが、もしかすると、Aなりの、心からの「反省の弁」だった可能性もあります。こういう、人とあまりにも感覚が違い過ぎる人間をどう受け入れていくか、社会全体の在り方が問われるところです。判決では、主犯のA、須藤さんを直接殺害したBに無期懲役、積極的に犯行に加わったCには、5~10年の不定期刑が下されました。

 文字通り、虫も殺せぬ優しい青年であった須藤さんの周りにこれほどの悪党どもが集まってしまったのは、皮肉としかいいようがありません。


 総括:

 事件を取材した元警察官のジャーナリストは、犯人グループの少年たちが悪魔に変貌してしまった理由を「親の甘やかし」「与えすぎ」に求めています。確かに、犯人グループの少年たちは、暴走族の少年に多い貧しい家庭の子供ではなく、普通以上に裕福な家庭で、何不自由なく育てられた子供でした。犯人グループの金銭感覚は常軌を逸しており、なんでも与えられすぎ、甘やかされすぎて育てられるのは、確かによくないことなのかもしれません。

 他人を思いやる気持ちをまったく持てない犯人グループの凶行、「上からの命令」があったとはいえ、困っている人にかくも非情になれる日産、警察の対応には、戦慄すら覚えます。こういう悪党どもにつけ入られないためには、やはり、ある程度の「エゴ」も必要なのかもしれません。

 「優しい」というのは、世の中に生きる誰もが持っているべき、大切な性格的資質だと思いますが、「性善説」に偏りすぎるのもよくありません。この世には、話しても分かり合えない、どうしようもない悪党もいるものです。善人の皮を被った悪人もいます。

 警察の責任は追及されてしかるべきですが、そもそも世界的にみれば、警察とはあまり頼りにならないものであり、最低限、市民が自己防衛の意識を持つのも大事なことである。

 それが、事件を客観的に眺められる立場にある我々が、須藤少年の死を無駄にしないための教訓ではないかと思います。

 栃木リンチ殺人事件 完

サイト開設当初から 考え方の変化 3

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 今回は考え方が変化した点と反対に、開設当初からまったく変わっていない点について書きたいと思います。

 私はサイトを開設したころから今までずっと、執筆に臨むにおいて、常に明日のデビュー、明日有名になることを願って書いてきました。

 私の考えをよりわかりやすく説明するために、デビュー前の経歴が定かではない小説家ではなく、経歴がわかりやすいプロ野球選手を例に挙げたいと思います。

 プロ野球選手は、高卒の野手でいえば、大体6年目、7年目の、24,5歳くらいまでに一軍に定着し、選手としてもっとも脂が乗る27,8歳くらいまでにレギュラーとして活躍できれば、順調な成長曲線だと言われています。

 その順調な成長曲線を辿った選手を、仮にA選手としますが、24,5歳から一軍に定着し、27,8歳くらいでレギュラーとして活躍したA選手が、入団時からそういったキャリアプランを思い描いていたかといえば、答えは否であったと思います。

 A選手が27,8歳でレギュラーを掴んだという結果は、A選手が19歳のころから、明日こそは1軍、来年こそはレギュラーと信じて、血のにじむような練習をした結果だったはずです。A選手も松井やイチロー、今でいえば山田哲人や大谷のように若くして活躍したかったが、プロの壁は厚く、一軍に上がることも簡単ではなかった。しかし、意識としてはあくまで、松井やイチロー、山田や大谷と一緒。彼らと同じだけの志を抱き、同じだけの努力をした結果、彼らのようなスーパースターにはなれなかったが、なんとかプロで飯を食っていけるくらいの地点には着地できた。

 19歳のA選手が、最初から「僕は27,8歳でレギュラーになれればいいか・・・」という程度の志だったのでは、おそらく一軍の土すら踏むことはできなかったでしょう。

 私もA選手と同じように、サイト開設当初から、明日こそはこのサイトを大きくして有名になるんだという意気込みのもとで、ずっと執筆を続けていました。結果、その目標は叶わず、文学賞への応募というところに活動のメインをシフトすることになりましたが、今も当初の意気込みはまったく変わっていません。

 そう考えると、A選手のような意識のもとで生まれてしまった私と読者さんとのトラブルは、もうしょうがないことだったのかな、とも思います。明日こそデビュー、明日こそ有名になるという意識でやっていたからこそ、うまく数字が稼げなければ愚痴も漏れてしまう。それに読者さんがキレられ、出ていかれてしまうことがあるのも、すべては仕方のないことだったのではないか。

 サイトから去って行かれた読者さんに、「右肩上がりにうまくいくと思うのですか!」と叱咤されたこともありましたが、そもそもそういう意識でやっていないと成長もないし、結果も出てこないものだと思います。私が愚痴を言ったことで去って行った読者もいたのかもしれないが、専業作家となるという最終目標を叶え、何万、何十万の読者に私の本が読まれるようになれれば、それは実に些細なことであったと思えるはずです。

 必死の我慢、強い心で、「愚痴」を抑え込めばいいではないか!と言われるかもしれませんが、3年前の時点でそれができるような精神の持ち主なら、私は小説ではなく就職を目指していました。こういう性格も含めて私という人間なのであり、私は私なりにやっていけばいい。愚痴を吐かないのが偉いのではなく、愚痴を吐きながらだろうが、続けて、結果を出すのが偉いのである。当時の状況で続けるためには、「愚痴」がどうしても必要だった。

 野球選手の全盛期は、概ね27~32歳ごろと言われていますが、有名作家のデビュー時の年齢で一番多いのは、三十代です。二十代、四十代もいますが、私の見た感じでは、7割近くが三十代に集中している。これはけして偶然ではなく、作家に必要不可欠な資質である瑞々しい感性と言語能力を司る結晶性知能が、一番高いところでクロスオーバーする三十代という年齢が、作家のピークに一番近いのだと思います。

 私は現在29歳。「全盛期」はまだ先ともいえますが、それに胡坐をかいていたら、あっという間に年を食って、40の坂が見えてきてしまうことでしょう。私はこれからも、「右肩上がりに上るつもりで」書いていこうと思います。

 もう一つ、変わっていないのは、「執念深さ」という私の性格です。

 私の執念深さについては、「偽善の国のアリス」の方でも書かせていただきました。神山に対して執着するあまり、当時の人間関係をすべて台無しにしたことで、「津島は人間関係を大切にしていない」と激怒された読者さんもいらっしゃいましたが、今現在の職場においては、私は非常に良好な人間関係を築けていると自負しています。その理由は、以前の記事でも述べましたが、私が職場の人間関係に、まったく執着がないからです。

 人は執着がなければ楽に生きられる。人間関係の形成に大事なのは、思いの強さよりも、適切な距離感であると思います。「偽善アリス時代」においても、私は宿敵である神山以外の連中とはうまくやっていました。それも、私が彼らに執着がないため、適切な距離感を測れたからだったと思います。

 今にしてみれば、女に対しても、今の私だったら、また違った結果になっていたように思います。

 よくありがちな話ですが、ガッツキ過ぎていた部分があった。19歳から20代前半にかけて、私は異常ともいっていいほど女にモテませんでしたが、それはルックスやスキルよりも、あまりに切実に女を求めすぎていたせいだったのではないか。適度な自信がついて角が取れ、自然体で女と接することができるようになった今の私なら、あそこまで惨憺たる青春時代にはならなかったのではないか。少なくとも、単純に経験人数を増やしたいだけだったら、ガツガツしていない方が、何かと好都合のように思います。

 ただ、本当に一人の女と愛を極めたいというのなら、やはりある程度の「執着」は必要だと思います。世の中には神山のような、情緒というものがまったく欠落した、男を道具以上には考えない女も存在しますが、こっちが好きになればなるほど好きになってくれるという女も確実にいます。そういう女とは、よほど酷いやらかしさえなければ、「結婚」まで行くことになります。

 奥さんと付き合い始めた当時は、私もまだ経験不足から痛々しい部分が抜けておらず、別れを切り出されたこともあったのですが、そこで持ち前の執着心を発揮して食い下がったからこそ、ここまで来れた。

 そこそこのものを手に入れるためには、執着は邪魔になるのかもしれないが、本気で価値のある、欲しいものを手に入れたかったら、やはり本気で執着しないといけないのではないか。

 小説も同じこと。私は何がなんでも、文章で生活できるだけの金を稼ぎたかった。執着がなければ、ここまで続けていなかった。

 私が強く執着しているこのサイト上で、文章で金を稼ぎたいという私の執着に関わった人たちだから、しばしば強くぶつかり、ケンカになってしまった。私のまずい返信により、大切な読者を失ってしまったこともあったのかもしれないが、それも仕方のないことだったのかもしれない。

 津島は人間関係を大切にしていないと言われた読者さんは、私の物語を「塞翁が馬」などという言葉で片付けようとされましたが(その読者のことを何度も言い続けるのが、執念深さである)、それなら私はその読者さんに、「臥薪嘗胆」という言葉を送りたいと思います。

 なぜに負の感情を全否定するのか?コンプレックスやトラウマはバネとなって、人を成長させるものである。「彼女ができたな。あーよかったな」などと、いかにも「終わった人間」の発想で、人の物語を勝手に完結させないでいただきたい。

 今の時点では、損したことの方が多いかもしれませんが、いつか、私の念願が叶ったときは、「執着が強い性格でよかった」と、心から思えるはずです。そのときを信じて、精進するのみです。

サイト開設当初から 考え方の変化 2

ふこう


 本当に、余計な劣等感を抱かなくなった。

 サイト運営初期において、私は、自分の「不幸」「ダメ人間」ということを全面に押し出していました。

 自分は軽度の発達障害があり、性格も歪んでいる。とてもではないが、社会に適応できそうもない。まともに働くこともできない――。自分の弱みをあえて積極的に晒し、それで客を集めようとしていました。

 不幸を売りにしていたことは、メリットもデメリットもありました。メリットとは、女性が優しくしてくれたことです。

 初期において、私はブログとは別に、とある動画配信サイトを利用していたのですが、そのとき、私の放送によくコメントをくれる女性がいました。私より2つ3つ若い子で、二人の坊ちゃんを一生懸命育てているシンママさん。一度、写真を見せてもらったことがあったのですが、色白で非常にかわいらしい女の子でした。小説の方にもたまに感想をくれて、随分勇気づけられました。

 ほかにも、そっちの動画配信サイトの方で親しくなった女の子とSkypeのやり取りもしていました。結局、会うまでに至ったのは現在の奥さんだけで、他の女性とは恋とかセックスとかいうところには発展しなかったので、「モテ期」というのも憚られるのですが、あの不幸を売りにしていた時期、女性が私に好意的に接してくれたことと、不幸色を弱めて以降、(彼女がいると公言していたこともあるかもしれませんが)そういう話がまったくなくなったのは事実です。

 デメリットというのは、私があえて自分の弱みを晒け出したことで、俺がこいつを「説教」して、正しい道に導いてやらなければならないと思う人たちが集まってしまったことです。

 説教する人は、自分は正しい道を歩む、「漢の中の漢」であると思っているのでしょう。「漢の中の漢」たちは、私を「爽やかで、強い心を持ち、お友達をとっても大切にする、キラキラキレイな好青年」にしたがりますが、私はそんなものには、まったく憧れを持っていません。

 憧れというか、そういう男らしい男にならねばいけないと思っていた時期はありました。「偽善の国のアリス」の時代ですが、男らしい男にならなければいけないと思っていた私に与えられたのは、好きになった女からの侮辱だけでした。

 男らしい男は、女にモテるのではない。男らしい男は、女にいいようにされるだけである。少なくとも、私の場合はそうでした。私は、女にモテもしない「漢の中の漢」になど、なりたくもありません。 

 私を元気にさせるのは、「漢の中の漢」の説教などではなく、可愛いお姉ちゃんの優しい言葉です。

 私に優しくしてくれた女性の筆頭は言うまでもなく私の奥さんですが、説教厨は、自分は大したことをしてないくせに、勝手に奥さんのことを持ち出してきて、ちゃっかり、奥さんを使って、「津島を変えた男」の称号を掴もうとしてくる。とんだ「漢の中の漢」もいたものです。本当に腹立たしいやつらです。

 発達障害ADHDに関しては、パソコンをなくしたりなど今も失敗は多く、困ることもあるのですが、サラリーマンになろうとしているわけではなく、小説で身を立てようと決意しているのだから、もうそこにコンプレックスを抱く必要はないと、完全に割り切っています。

 性格は今も別に良いわけではありませんが、神山や金澤と違って、それを表に出している分マシではないかと思っています。「アリス」時代、私を散々愚弄してきた「稲生」を私が憎みきれないのは、ヤツは裏表がないという長所はあったからです(裏も表もない馬鹿というのが玉に瑕ではありますが)。

 劣等感を否定はしないが、余計なところで劣等感を抱いても仕方がない。小説を書くため、そういうところに劣等感を抱いていた「記憶」だけは残して、今の生活からは切り離しています。

 不幸、ダメ人間を売りにするのをやめたのは、前述のように、サイトの状況がよくなり、生活が上向いてきただけでなく、2015年の中ごろ、とあるブログを見つけて、自分の考えの甘さに気が付いたからです。
 
 45歳司法浪人で検索すればトップに出てくると思うのですが、いやはや凄まじい経歴の持ち主である。

 45歳、童貞。20年以上の月日を司法浪人生という名のニートとして過ごしてきた。現在の職は底辺の仕訳バイトで、月収は55000。精神年齢は高校生で止まっており、今も男子高校生が夢見るような日常に憧れている。

 中卒で父親が性犯罪者、自身も前科持ちで、たった一人、自分を愛してくれた女性に暴力を働き、一年で同棲を解消したという、芥川賞作家の西村賢太と同等かそれ以上の経歴の持ち主といえるでしょう。

 マイナスの経歴だけで人の注目を浴びるというのはこういうレベルである。私は自分の本を世に出したいと思いますが、その夢のためだけに、司法浪人のブログ主や、西村賢太のような境遇になりたいかと言われたら、答えはノーです。

 特異な経歴もなく、破滅的な人生を送る覚悟もない以上は、ひたすら能力に磨きをかけるしかない。それは私だけでなく、夢を持つ人間ならみんながやっていることであり、努力がまだ結実していないのも私だけではない以上、私はけして「不幸」ともいえない。今現在、私の中では、「不幸」「ダメ人間」を売りにするという考えは消えています。

 ただ、私が自分を不幸だと思っていた時代に感じていた、「世間の連中は、できる人間の視点から、できない僕にモノを言ってくる」という被害者意識、これは小説を書く上だけではなく、社会人としても、いつまでも忘れてはいけない感情ではないかと思っています。

 気づけば私も、「できる人間の視点から」、上から目線でモノを言う人間になってしまっているかもしれない。早い話が、サイトを運営するうえで必要不可欠な、読者のコメントのこと。

 私がサイトからカウンターや拍手ボタンを撤去し、ただただ、コメントだけを頼りにサイトを運営するようになった経緯は、すでに説明しました。とにかく、読者さんの方にいっさい労力がいらない「読んでいる」というだけで偉そうにされ、説教されるのは、私には納得できないところである。そういう、人に偉そうにできるハードルが極めて低い「説教厨」の出現を防ぐには、これしか手段はありませんでした。

 コメントを求める上で、私はいつも、2、3行でいいから、私の書いたものに関する感想が欲しいと言っていました。これがないと、私としては読者が自分の文章を読んでくれたかもわかりません。また、コメントをしてもらうときは、簡単なHNも付けてほしい。やはり名無しとか、あまりに適当過ぎるHNで書き込む方は、荒らしまがいのコメントをされる率が高い。

 という二つのお願いを、私は一昨日、新規の読者さんにさせていただきました。新規の読者さんは、書き込むときいつも名無しで書き込まれ、「更新期待してます」といったことは言ってくれるのですが、私の文章への具体的な感想は、まったくと言っていいほど書いてくれなかったからです。

 しかし、その読者さんは、まずHNの意味がわからないと言う。読んではいるが、どうしてもうまく感想が書けないのだという。

 HNで検索すれば、意味を説明しているサイトはすぐ出てきますし、そうでなくとも、普通に文脈でわかるかと思ったのですが、その方はHNの意味がわからないと強固に主張し、私が怒っていると決めつけられて(丁寧に対応したつもりだったのですが)「もうここには来ません」と、去っていかれてしまいました。

 少し前の記事で紹介した、自己完結の読者と同じ態度であり、そういう態度で来られるのなら、私としても、どうしようもありません。私はその方のコメントを削除してしまったのですが、少なくともその方は荒らしの類ではなく、私の方がもう少し気を配っていたら、お互いにとって、もっといい結果になった可能性もあります。

 少し前の記事で、私は、「私の作品への感想をまったく書かず、自分語りばかりをされる読者」「書けない理由を長文で延々と語る読者」を、一方的に叩いてしまいましたが、それは、文章の修行をしているお陰で、普通の人よりは書く力はある私の思い上がりではなかったか。

 世の中には、2,3行の感想も本当に書くことができない方もいるのかもしれないし、個人のサイトにコメントをするときはHNを付けるという常識もない方もいるのかもしれない。わからなければ検索するという発想もない方も、本当にいるのかもしれない。感想をうまく書けない読者が、なんとか自分が読んでいることを伝えようとした結果が、「自分語り」だったのかもしれない。

 馬鹿にしているわけではなく、そういう方にもっと配慮する方法はなかったのかと、後悔と反省をしています。もう少し、「できない人間」の視点に立つことはできなかったのだろうか。ただ、どうしても、コメントの代わりになるものがないというのは、紛れもない事実でもあります。

 いや、たった一つ、あることはあります。それは私の最終目標です。

 それは、私の口からは要求できないことです。いくら私でも、そこまでの図々しさはない。それをこっちから要求するのは、今までコメントで成り立ってきた私と常連さんたちの関係も破たんしかねない、危険な行為である。読者の方から言ってもらえれば嬉しかったのですが、3年間のサイト運営で、私にそれをくれた読者さんは、ただ一人の方だけでした(諭吉5人もくれた)。

 ちょっと私との感情の行き違いがあり、いまはもうコメントもされなくなり、私的な連絡も取っていないのですが、その方に対する感謝は、今も消えていません。

 なんにしても、もう少し私の方がうまくやっていたら、3年間のサイト運営期間はもっと充実したものになったのかもしれないと思うと、慙愧に耐えません。




サイト開設当初から 考え方の変化 1



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 このサイトを開設した当時と、今の私の中で考えが変わったことについて、シリーズでお送りしていこうと思います。予定では五回くらいに分けて書こうかと思っています。今の状況ですから多くは望みませんが、連載を続けるのに、一回につき最低3コメントは欲しいかなと思っています。3コメント以下になったら、そこで静かに打ち切らせてもらおうと思います。ご協力のほどお願いします。

 8月に、警備員時代の私小説を読み返したのですが、当時の自分とは、だいぶ考え方が変わったなと感じました。

 変に悲観しなくなった。自分に蓋をしなくなった。無駄なところで劣等感を抱かなくなった。社会で上を目指すにおいて、無駄な思考の切り捨てができてきたと思います。

 このサイトを立ち上げた当初の私は、社会というものを激しく憎み、反社会的ということを運営のテーマに掲げ、自分の書くエネルギーの一つにしていました。

 26歳。今からまともな企業に就職を目指すには、ちょっと厳しい年齢。野口のようなけったいな頭としょぼくれた顔をした女に、ただフラれるだけではなく散々コケにされ、「お前にはまともな容姿の女と恋愛するのは不可能である」と言われているも同然の仕打ちを受け、人としての喜びを否定された。仕事といえばしょうもない非正規の派遣労働しかなく、そこですら、自己愛性人格障害者に付きまとわれ、精神的に大きなダメージを受け、長くは続かない。

 こっちだって最低限の努力はしているはずなのに、「健康で文化的な最低限度の生活」を送るだけの収入も得られず、「健康で文化的な最低限度の女」すら得られない。

 あの当時の私が社会を憎むのは、まったく正当。逆に、あの境遇で、「全部自己責任だ」とかいって、真面目に頑張る方がどうかしていると思います(そっちの方が圧倒的大多数だったとしても)。

 あれから、様々な状況の変化がありました。

 26歳。まだ、新しいことを始めるのに、遅すぎない年齢。これまで、必ずしも真剣に取り組んではいなかった小説を、本気で自分の生業にすべく活動を始めた。何度もくじけそうになりながらも3年間サイトの運営を続け、固定の読者さんも付いた。文学賞の方でも選考を通るようになってきた。少しサイトの運営に依存し過ぎた面もありますが、じっくりと下積みができたことで、自分のスタイルというものを確立でき、「量産体制」に入る準備ができた。

 私生活では、私も妻を持つ身となり、家族との関係も改善。仕事は相変わらず非正規の派遣労働しかありませんが、警備員時代のように病んだりするようなこともなく、うまくやっていると思います。

 まだまだ、不満を述べてもいい立場であるとは思います。こんなところで満足するのは、偉い人間でもなんでもなく、ただ単に志が低いだけの人間です。ここは私のゴールではない。こんなところで「あーよかったな、と納得しろ」という人の意見には、一切耳を傾ける必要はない。

 ただ、客観的冷静に見て、明らかに、小学校や秋葉原に突っ込むような位置にはいない。「健康で文化的な最低限度の」生活を送れている以上、社会を恨んだり、ねだったりしているばかりではどうしようもない。これ以上の生活は、自分が努力して掴み取るものである。

 もう、「反社会」というのは、人生のテーマから外してもいいのではないか。最近はそのように考えています。

 社会批判をやめるということではない。社会の方がおかしなところもいっぱいあるのは紛れもない事実であり、すべて自己責任で片付けられるのはもってのほかである。ただ、スタンスを変えてみる。これからは、社会に対して反逆を考えるのではなく、より良い社会を目指す社会の構成員として、社会の平和と発展を願って、意見を唱えていくということです。そのために、私が過去、社会に復讐を考えるところまで行った経験が役立つこともあるはずだ。

 最近になって突然、そう思ったわけではなく、まだサイトの定期更新を行っていた一年半ほど前から、段々このように考え方は変わってきていたのですが、決定的となったのは、「偽善の国のアリス」を書いたことで、もう自分は正社員の地位を望んでいないという意思確認が、はっきりとできたことです。正社員になるつもりもなく、正社員を羨ましいとも思わない以上、非正規の派遣である自分の立場を呪うのもおかしな話である。

 非正規の派遣でいまだにシンドイ思いをしているならともかく、折茂のような異常者に付きまとわれたりもしておらず、人を人とも扱わないような馬鹿大集合の職場からは逃げることも覚え、そこそこに働ける職場を見極める目もできて、今はそれなりにやっているのだから、それはそれでいいではないか。もちろん、これで一生終わるというのではいけませんが、必ずやより良い生活を手に入れると決意して活動しているのだから、今はそこに劣等感を抱く必要はない。

 結果論にすぎないとはいえ、ある意味、「宿敵」神山や金澤のお陰といえなくもない点で、「偽善の国のアリス」を書き上げた、今のところ唯一の、実利的な意味といえるかもしれません。もっとも、社会に対する復讐心は消えても、神山や金澤に対する個人的な復讐心が消えたわけではないのですが・・・。

 そして、このことをわざわざ記事に書こうと思った直接のキッカケは、先日、連休中に実家に戻った際、電車の中でノートパソコンを忘れ、それが無事に、自分の手元に戻ってくるという出来事があったからです。

 こういうのは、日本社会の大きな美点だと思います。日本人にはそれが当たり前だと思っている人もいますが、ほかの国では、まずこれは考えられない。パソコンにはパスワードが設定されており、何も知らない他人が拾ってもうまく利用できるものでもないですが、とりあえず持って帰るというのが、日本に訪れたことのない外国人の思考です。

 パソコンの中には、私の小説のデータも入っていました。そんな大切なものを、電車の網棚に上げておくなというのは正論なのですが、パソコンを電車で実家にまで持って帰ろうと思ったのは、私が実家でも執筆活動を頑張ろうと努力しようとしていたからです。これがなくなるのは、私の努力が否定されるのと同じことである・・・。まったくの自業自得ながら、私が社会を再び恨むキッカケにも成りえた出来事でした。

 あまりオカルト的に考えるのは好きではないのですが、「社会が自分の活動を後押ししてくれている。明らかに、自分は社会から拒絶されていない」。パソコンが戻ってきた瞬間、私がそう感じたのは事実でした。

 第一回はここで終わります。連載の継続望まれる方いらっしゃいましたら最低3コメントご協力お願いします。
 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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