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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第三十話

 宮崎勤は、江東区のアパートで、今しがた殺したばかりの服部純也の死体を眺めていた。

 成人を殺すのは初めての経験だったが、意外にあっけないものだった。こいつは比較的最近の犯罪者だから、僕のことはよく知っているはずなのに、僕が友好的な笑顔を見せて近づくと、警戒もせずホイホイ家に上げてしまった。確かに僕の風貌が、一見穏やかで人畜無害なオタク青年っぽいのは認めるが、殺し合いをしている相手を見た目だけで判断するのはどうなのか。そんなだから、ガキの頃から何度も警察にパクられて、最後にはナンパして振られた腹いせに女を焼き殺すなんていう、しょっぱい罪で捕まっちゃうんだよ、まったく。

 殺害方法は、後ろから灰皿でドゴン!だったのだが、久しぶりに運動をしたら、ちょっと疲れてしまった。僕はしばらく、服部の部屋で休んでから、木嶋佳苗のマンションに帰ることにした。

 あの女に殺人を命令されたときは、心底ビビった。人に対して、あんなに恐怖を感じたのは初めてだ。「ネズミ人間」も怖かったが、あの女の怖さは質が違う。大魔王ミルドラース的なアレである。しゃくねつのほのおで焼かれてはひとたまりもない。

 ただ、何人たりとも、たとえ大魔王であっても、僕を支配するのは罷りならない。いつかは思い知らせてやる必要があるが、今はまだ、そのときではない。何不自由ない安穏とした暮らしを守るためには、不本意ではあるが、あの女の言葉にも従うしかない。いつか来るであろう、その日までは・・。

 その大魔王ミルドラースをデザインした国民的作家、鳥山明の代表作、「ドラゴンボール」が、書棚に収まっている。疲れが引くまでの間、ちょっと手に取って読んでみることにした。

 「ドラゴンボール」は、我が国が世界に誇る、不朽の名作である。作品単体で見れば、この作品を上回る評価を得ているマンガは、この地球上には存在しないだろう。「ワンピース」などからマンガに親しんでいった最近の子供も、「ドラゴンボール」を知るや、たちまち鞍替えする場合が少なくないという。国境も時空も越える、怪物作品である。

 僕はこの作品のファンというわけではないが、それでも、この作品がいかに優れているかは、オタとして認めなければならない。この作品を通過せずしてサブカル通を名乗ることは、もはや許されないのだ。
 
 「ドラゴンボール」が優れている点に、まず、この作品は少年誌のバトル漫画でありながら、勧善懲悪の物語ではない、ということが挙げられる。意外に思う人もいるかもしれないが、悟空はけして正義のヒーローではないのだ。その証拠に、実の息子の悟飯をわざと怒らせて覚醒させたり、自分がその気になれば防げたのに敢えて地球人を全滅させ「ドラゴンボールがあるから大丈夫」と、サラリととんでもない発言をしたり、けっこう鬼畜な一面も覗かせている。

 この話は、「戦いが大好きな少年(青年)が、強い奴と戦っていたら、結果的に世界を救っていた」物語なのである。だから嫌味がないし、クドさがない。

 僕みたいな犯罪者ではない普通の人でも、ちょっと気分が落ち込んで、暗黒面に陥ることはあるだろう。そういうとき、人はキレイゴトや、説教臭い言葉をまったく受け付けなくなる。変に正義とか言われると、逆にヒネくれてしまうのだ。キレイゴトを言わない「ドラゴンボール」は、そういうとき、元気になるために読むにはうってつけの作品なのである。

 もう一つは、斬新な敵キャラクターのデザインである。ドラゴンボール最大の敵キャラといえば、十人中九人はフリーザの名前を挙げるだろうが、彼の見た目は「気持ち悪い」である。これは革新的なことなのだ。

 普通バトル漫画においては、章を締めくくるような大ボスは、筋骨隆々の勇壮な大男に描かれることが多い。キン肉マンのバッファローマンやネプチューンマン、北斗の拳のラオウなどが代表選手か。彼らは見た目に違わず性格も気高く、敵ながらアッパレな志の持ち主でもあった。

 ところが、バトル漫画の最高傑作ドラゴンボールの大ボスであるフリーザは「気持ち悪い」のである。体格は悟空よりも小さいし、顔は病的だし、口調もオカマっぽい。性格も残虐で、共感できるところは何一つとしてない。他のバトルマンガで似たようなキャラを探せば、同時期に連載されていた「幽遊白書」の戸愚呂兄、「ダイの大冒険」のザボエラやキルバーンが挙げられるだろうが、彼らは大ボスではなかった。フリーザは、「幽遊白書」における戸愚呂弟、「ダイの大冒険」におけるハドラーのポジションなのである。そのポジションに「気持ち悪い」を持ってきているのである。

 これがいかに凄いことかわかるだろうか。見た目が気持ち悪くて、弱そうな敵を、マッチョで強そうな敵よりも強く見えるように描くことが、どんなに凄いことか、わかるだろうか。戸愚呂兄やキルバーンみたいに搦め手に頼るのではなく、純粋なパワーにおいても、強く見えるように描くのである。よほど画に説得力がないと、出来る芸当ではない。

 しかも、「気持ち悪い」系のボスキャラは、ドラゴンボールにおいては、なにもフリーザだけの専売特許ではない。その次のセルも、完全体になって多少シュッとしたとはいえ十分気持ち悪い。また、後にベビーフェイスに転向したため、あまりそういうイメージはないが、ピッコロの見た目も、先入観を排除すれば普通に気持ち悪い。魔人ブウだって、カッコよかったのはゴテンクス、御飯吸収形態だけだった。

 それでも彼らは、悟空らベビーフェイスと変わらぬ人気を誇っている。あんなにキモメンなのに、みんなに愛されているのである。最近、マンガ界にも波及している「イケメン至上主義」が、いかに甘えであるかがわかる話である。イケメンキャラを使ってしか人気作家になれない漫画家は、自分にいかに画力がないかということを証明しているようなものなのだ。本当に実力ある漫画家は、リアルなら人に蔑まれているだけのキモメンを、超モテキャラにしてしまうのだ。

 このように、まさに神的作品である「ドラゴンボール」であるが、もちろん人間が作ったものだから、まったく非の打ちどころがないわけではない。強さに制限がなく、インフレが酷過ぎることや、たった数日の特訓で別人のように強くなってしまうインスタント的な修行描写は、大人になってから読むと少し萎える部分ではある。といっても、ドラゴンボール以前からバトル漫画はそんなものだったし、後のバトル漫画にもそれは継承されているため、問題点というのは酷なのかもしれない。悪しき伝統とでもいうべきだろうか。これに関しては、今後、その系譜に一石を投じる作品が出るのを期待しようか。子供ウケは悪くなるかもしれないが、僕は支持する。
 
 また、パチンコとタイアップすれば大ヒット間違いなしの「ドラゴンボール」だが、作者の鳥山明は、なぜかその話を頑なに拒んでいる。理由は、「子供のために作ったものが大人の欲望のはけ口に使われるのが嫌だから」だそうだ。

 これは現実と矛盾している。なぜなら、「ドラゴンボール」の直撃世代は、現在、20代半ば~30代半ば。そう、今、もっともパチンコ産業に金を落としている世代だからだ。彼らに夢を与えるという姿勢なら、パチンコ化の話にも応じるべきだろう。僕はギャンブルはやらないから、個人的にはどうでもいいのだが。

 一時間くらい「ドラゴンボール」を読んでいたら、疲れも引いてきた。すると、なんだか腹が減ってきた。冷蔵庫を開けたら、ビールしか入っていなかった。葛城ミサトみたいなやつだ。コンビニにでも行こうかと思ったが、ふと思いとどまった。

 目の前に、殺したてほやほや、新鮮な人間の「肉物体」があるではないか。
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津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
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