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犯罪者名鑑 市橋達也 6 (2007年九月~2008年八月)

西成

 飯場

 大阪の西成に戻ってきた市橋は、ハローワークの前で人夫を募集している「手配師」を見つけると、行き先も会社名もわからないままバンに乗り込みました。

 市橋が連れていかれたのは、暴力団が管理する「飯場」でした。飯場は昔はタコ部屋労働などと言われ、多重債務に陥った人などが、衛生環境の悪い寮に詰め込まれ、労働基準法の無視された危険な現場で働かされる場所でしたが、市橋が働いていた2008年ごろも状況は大きく改善されてはおらず、市橋はアスベストが舞う解体現場で、コンビニに売っている簡易マスクをつけただけで作業に従事していたこともあったようです。

 現場仕事のスキルがない市橋は、現場でとび職の補佐を行う「土工」として働きました。鉄や木材、アルミ、銅線、コンクリートのガラなどを分別してまとめる単純作業で、キツイ肉体労働でしたが、市橋は「リンゼイさんはもっと辛かったんだ」と思って耐えていたそうです。

 飯場で働く人はすべてが多重債務者というわけではないのでしょうが、やはり収入の中から遊ぶということができない人が多いらしく、給料の前借をしない市橋は会社から珍しがられ、重宝されていたようです。

 日勤で1万円、夜勤では1万3千円の日当がもらえましたが、寮費が1日3千円、洗濯機を使用するのに2百円かかるので明らかなボッタクリでした。売店で売られているお菓子や酒、タバコなどの嗜好品、カミソリやタオルなど日用品も普通に買うより高く、飯場特有の抜け出したくても抜け出せない搾取の構造でした。

 飯場の労働者は気が荒く、意地悪をされて精神的に辛い思いをしたこともありました。断熱材の繊維がチクチクと刺さったり、上を向いている釘を踏んだりと危険もありました。部屋に帰ると涙が出てくることもありましたが、腰に巻いて片時も離さぬウェストバッグに溜まっていくお金を見て耐えました。

 経験者は口を揃えて「飯場で貯金ができたヤツを見たことがない」という飯場ですが、わずかな睡眠時間で昼も夜も働き、贅沢はしない市橋は月に10万~15万円ほどのお金をためることができていました。周囲から金の使い道について詮索されたときは「女の子を買いに行っている」と答えていましたが、市橋は自分の犯した罪からセックス恐怖症になっており(身勝手な話ですが)、逃走期間中、性欲はまったくなかったといいます。

 休みもなく働き、疲労の泥沼に浸ることは、逃走生活のプレッシャーを忘れる意味でも良かったのでしょう。便所の解体工事では大便まみれになりながら働きましたが、市橋には充実感があったそうです。

 忙しくてテレビを観る暇はありませんでしたが、ある日、夜勤の仕事がなく、たまたまつけたテレビで、市橋の特集が放送されていました。超能力者が容疑者の行き先を予言するという内容で、市橋が外国に詳しい知人と接触し、海外への逃亡を企てているということが言われていたようです。

 現実には市橋に海外逃亡を手助けしてくれる知人などおらず、バラエティ番組のデタラメさに呆れる思いだったそうですが、しかし市橋にプレッシャーを与える効果はあり、翌日の仕事で、昼休み、同僚に「昨日の番組みたか?」と訊かれた市橋は、通報を恐れて飯場から逃走しました。すぐに福井の飯場に入りましたが、そこでも、寮の前にパトカーが停まっているのをみてすぐに逃走しました。

 ウェストバッグの中には80万円ほどのお金が貯まっており、市橋は大阪で、かねてから考えていた整形手術を受けることにしました。小鼻を高くし、鼻を細くする整形手術は60万円ほどかかり、ネットカフェに寝泊まりし、抜糸は自分で行いました。

 サングラスをかけて、顔の印象が変わったことに満足した市橋は、フェリーに乗ってオーハ島に戻りました。季節は冬に入り、沖縄でも野宿は厳しかったようですが、前回植えた野菜のうちネギが生えており、岩場では岩海苔も取れ、食生活の面では喜びもありました。

 寒い季節を乗り切るのに一番いいのは沖縄にいることだったはずですが、市橋はなぜか、10日ほどで島を出ることを決めました。

 その理由は、「東京ディズニーランドに行きたい」というものでした。


タコ部屋



 飯場2


 千葉県出身の市橋にとって、ディズニーランドは特別な思い入れのある場所だったでしょうが、それにしても、事件現場からも近いディズニーランドに行くことは大変危険な行為です。2年間、雲隠れすることに成功し、多少は気のゆるみもあったのでしょうが、それにしても大胆すぎました。

 結局は衝動性を抑えられない人間だったのでしょう。そうした傾向のある人、すべてが犯罪を起こすわけではありませんが、市橋の場合は特に、その後のことをよく考えず、思い付きで(リスクの高い)行動をしてしまう傾向が強い人間であるように思えます。

 貴重な逃走資金を使い、危険を冒して出かけた東京ディズニーランドの感想は「ディズニーランドってこんなものだったか。楽しくなかった」でした。

 兵庫県に戻った市橋は、再び飯場に入って働き始めました。入ってすぐ、重機のアームにぶつかって怪我をしたのに労災にならないというトラブルがあり、飯場労働という劣悪な働き方の現実を味わいました。

 同僚とのケンカ騒ぎもありました。現場では、仕事が終わった後に伝票をもらうことになっており、15時を過ぎれば17時まで働いたことにして良いというルールだったのですが、そのことを知らなかった市橋は、監督に言われるまま15時でサインしてしまい、給料が2時間分減ってしまったということで、「どういうことだ!使えねーな、お前!」と、50代の労働者が絡んできたのです。

 知らなかったのなら仕方ないことであり、そこまで怒るのならそもそも自分で伝票を貰えばよかっただけの話ですが、50代は市橋に激怒し、殴り合いになりそうな勢いでした。腹は立ちましたが、逃亡犯の市橋が一番困るのは、騒ぎが大きくなって警察が来るような事態です。市橋は黙ってその場をやり過ごし、50代が倒した消化器の粉を掃除しました。50代は執拗で、その後も現場でよく嫌味を言ってきたようですが、じきに飯場からいなくなっていきました。

 日勤夜勤の連勤をこなしていたことで、いつも3人でつるんで行動しているガラの悪い男たちに「働きすぎだ」と嫌味をいわれたこともありました。ある日、リーダー格の男に腕相撲を申し込まれ、はじめ右手で勝ち、次に左手で圧勝(市橋は左利きだが、現場では目立つと思って右手を使っていた)すると絡まれなくなったそうです。

 前の会社で一緒だった単純粗暴なロシア人は、現場素人の市橋に「ネコ(一輪車)持ってこい!」「シバ(木材)持ってこい!」などと命令して、市橋がわからないで困っているのを見てニヤニヤしていたそうですが、話してみるといいヤツで、金を貸してくれと言われたとき(飯場では借りパクのリスクが高い)には「実家に送っているといって断れ」とアドバイスしてくれたり、昼間着ていた作業着にが夜までにかわかず、Tシャツの上にヤッケ姿で現場に出てきた市橋を「アニキは外でも寝れるよ!(実際に寝てたよ、と思った)」とからかったりしてきたそうです。

 紹介料目当てか、通いで来ている労働者から遠洋漁業の仕事に誘われたこともありました。船の上はお金を使うことがないため溜まる一方で、アパートを借りたいなら保証人にもなってやるとのこと。一見、美味しい話のようにも思えますが、逃げ場もない海の上で素性がバレてしまえば一たまりもありません。このときの申し出を断ったのは正解だったでしょう。

 飯場という環境で、粗野な労働者に囲まれながら生活するのは初めてのことで、事件さえ起こさなければ一生経験することはなかったでしょうが、市橋は我慢するべきは我慢し、主張するべきは主張して、不器用なりにうまくやっていこうとしていました。

 
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No title

市橋の性格は衝動的な所と慎重な所を併せ持っていますね。
飯場での肉体労働や人間関係も辛かったでしょうが逃げずに何とか耐え抜き貰った給料も使い果たさずきちんと貯金する所は常識的です。
反面思い付きでディズニーランドに行ったり整形手術をしたりと理解できない行動もしていますね。
どんな劣悪な環境でも市橋は適応できているので能力自体は高いと思います。
気質なので難しいことかもしれませんが衝動性を抑えることさえできていればと思わずにはいられません。

No title

seasky さん

 この状況でディズニーランドに行くのはまったく理解できませんね。警察を恐れて慎重に行動したり、搾取の構造の飯場で貯金ができるほど節約するとは裏腹な行動なのでなおさらです。福田和子も四国に戻っていますが、彼女の場合は愛する息子にどうしても会いたいという切実な思いでした。

 月並みですが、まあ、それが欲に負けて罪を犯す人間ということなのでしょう。

この時期の労働といい、的確なコミュニケーションが取れるところといい、能力が高いですね。刑務所でも経理夫として頼りにされているかもしれませんね。月並みですが、違うところで発揮できていればよかったのに。自分なりのパフォーマンスを発揮して生きていければ幸せだったのでしょうが、彼は医師一家に生まれて、いろいろと背負ってしまったので、それ以上の何者かにならなくてはいけないプレッシャーの中で生きていたのでしょう。
奇行が多かったり全体的にだらしなかったりするわけではないのに、たまに衝動的な行動をとるのがかえって奇異な感じがしますね。

No title

愛を乞う人 さん

出自ゆえにプライドが肥大化してしまった面はあったでしょうね。皮肉ですが逃亡犯という立場に堕ちたことで彼は色々なことを割り切れたのだと思います。

長身に悪くない顔立ち、能力も普通以上にはある。当時の自分にどれだけの可能性が広がっていたかということを、刑務所の中で考えているかもしれませんね。

いつも読んでいて大変興味深いです
応援しています

彼の出身大学は名前だけでばかにする人もいますが、それなりに高い学力がないと入れません。私の親族で、そこの出身者がいますが(世代は違いますが医師の子どもというのも同じです)、相当程度偉くなりました。彼にもそんな未来があったのに。スポーツなんかは市橋の方ができるくらいです。
『逮捕されるまで』も読んでみようかなという気になりました。彼がどんな文章を書くのか、そして上手いのか、見てみたいです。

No title

 さん

ありがとうございます。市橋の記事は5月中には終わらせて6月から自分の原点に返り犯罪小説を書いていきたいと思っていますね・・。

No title

愛を乞う人 さん

本当に千葉大学をバカにできちゃうレベルだとして、それだけの学歴がありながらわざわざ他人にマウントを取らなければ自分の存在価値を認識できないような人生なのだとすれば、一体なんのための勉強だったんだというだけですけどね。

文章はスッキリしてて読みやすいですね。しっかり伝えることができていますし、クライマックスのシーンは臨場感があり中々の名著です。
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