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外道記 16

 朝礼の場に現れた東山の姿を目の当たりにして、派遣スタッフたち全員が、息を飲んだ。

「おい・・・・なんだよアレ」

「なんか、やばくないか・・・?」

 目の下に大きなクマが広がり、頬がこけた、幽鬼のような東山の顔は、まぎれもなく、十八年前、俺との「生存競争」により精神を蝕まれ、鬱状態に陥っていたときの東山弘樹くんの顔と同じであった。

 東山が匿名掲示板で自分の記事を発見してから三日間で、ネット上では、東山の個人情報を突き止め、拡散しようとする「祭り」は、大きな盛り上がりを見せていた。凶悪な殺人事件の加害者であるにも関わらず、現在は一児の父として幸福な家庭を築き、仕事ではブラック運送会社の親方として、社会的に弱い立場の派遣労働者をイジメているという事実が、世間の反感に火をつけたのである。

 匿名掲示板には関連スレッドが五つも六つも建ち、何十万、何百万人というネットユーザーが、自分のことを噂し合っている。現実世界においても、いつ、どこで、誰が自分のことを見ているかわからないという状況で、東山は夜も眠れない日々を過ごしているのだ。

 東山は、腹心の部下、中井でさえ近寄ることができない異様な雰囲気を発していたが、そんな彼に、ただ一人、敢然と立ち向かっていく英雄がいた。

「東山!お前は許されないことをしました!大変な罪を犯したお前は、この世から消えるべきです!」
 インターネットのサイトをコピーしたA4の用紙を捜査令状のように東山に突きつけ、息を巻く莉乃の姿に、誰もが呆気にとられていた。

「東山!お前は過去の罪を反省もせず、私たちにひどいことをしていたのですか!お前は、人間ではありません!鬼です!」

 莉乃はもちろん、紙に書いている文字が読めるわけではない。だが、書いてある内容は理解できている。ある人物によって、東山の過去がインターネット上の「祭」となっていることを知らされた莉乃は、ネットの書き込みをコピーしてきて、東山が何よりも大切にする職場で、東山が何より隠しておきたかった忌まわしい過去を暴いてしまったのである。

 倉庫内に、絶対零度の空気が広がっていく。東山の小さな頭の中で、何かが崩壊していく音が、はっきりと感じ取れるようだった。

「り、莉乃ちゃん、その話は、あとにしましょ。ね。ね」

 松原の取り成しで、どうにか場は収まったが、倉庫内の空気が暖まったわけではない。俺も生きた心地がしなかった。

「東山職長が、あの事件の・・・?」

「まともな奴じゃないとは思ってたけど、人殺しだったんかよ・・・」

 午前の勤務時間中、どのテーブルでも、東山の話題に花が咲いている。あの三バカトリオたちでさえもが、口を動かすのに夢中で、作業の手が進んでいないようだ。

 こういうとき、東山信者の桑原がどうしているかといえば、彼は目の前に繰り広げられる光景に何の関心も示していないかのように、黙々と作業に励んでいる。本人が言っていたように、悪事が勲章の桑原には、東山の過去が暴露されたことは、東山の栄光が明らかになったのと同じことであり、むしろ誇らしいことなのだ。

「東山は、とんでもない男でした!あの男は、かつて、同級生の女の子を、めったざしにしてころしていたんです!あの男は、殺人犯だったんです!殺人犯が、今まで私たちに、酷いことをしていたんです!みなさんも、これは大変なことだと思うでしょう!」

 そして昼休みに入った途端、莉乃は派遣スタッフ全員に、自分がコピーしてきた資料を見せて、東山への反感をさらに煽ろうとする。その一点の曇りもない瞳の色からは、殺人という恐ろしい罪を犯した東山への恐怖の念はまったく感じられない。

――東山でけえな、情報によると小柄で痩せぎすだったということだが。

――派遣が労働組合作って反乱か。人殺しが成長してパワハラ野郎になってたとか、これは社会的に抹殺しないといけないでしょ。

――殺人鬼でも結婚して子供作ってるのにおまえらと来たら

――普通に俺より勝ち組だわ。

――真面目に生きてる人間が孤独なのに、殺人犯が暖かい家庭築いて幸せに生きてるってどういうことだよ。

 莉乃が配布したプリントに書かれていた、東山についての、ネットユーザーのコメントである。これはあくまで一部であり、ネット上には、これの何千倍もの数のコメントが寄せられ、何十、何百万人もの人間が、東山について書かれたコメントを目にしている。燃え上がった炎は、匿名掲示板からSNSにも飛び火し、東山は一躍、ネットの有名人になろうとしていた。

 ネットの力を、舐めてはいけない。一九六九年。神奈川県で起きた高校生首切り事件の犯人が、出所後、勝ち組の象徴である弁護士の職についていたことが、あるジャーナリストの取材によって明らかにされた。弁護士は地元の名士として声望を得ており、収入も高く、家族もいて、社会的に成功を収めていたが、被害者への弁済をまったく行っていないことや、取材に訪れたジャーナリストに対し、反省の見られない、不誠実な対応を取っていたことなどが世間の反感を買い、ネット住人に個人情報を特定され、電話や郵便物による誹謗、中傷を受け、最終的に弁護士を廃業するところまで追い込まれた。

 真面目に生きている自分の人生が報われないのに、人殺しのアイツが、なぜ反省もせず、左うちわで暮らしているんだ――?そんなヤツは、引きずり降ろしてやれ。

 元殺人犯の弁護士に対する世間の感情は、当然のものである。弁護士にまでなったのは本人の努力もあるが、それでも世間は、人殺しが勝ち組になり、裕福な暮らしをすることは、許してはくれないのだ。

 東山は、経済的には勝ち組とまではいえないが、日常的なパワハラで弱い立場の派遣労働者を追い込んでおり、「燃える」要素は十分にあった。弁護士の時代よりも、ネット住人の数は遥かに増えている。今後、丸菱運輸にはクレームの電話や、嫌がらせの郵便物などが山と届くだろう。騒ぎが大きくなり、利益にも関わるようになれば、会社も東山を庇い切ることはできない。東山の解雇は、時間の問題である。

「世の中のみなさんも、東山を悪いやつだと言っています!みんなで、東山を倒しましょう!東山は、ひどい奴なのです!」

 相手から見えない匿名掲示板などで犯罪者をボロクソに非難できる人間は大勢いても、実際に人を殺した人間を指さして、お前はこの世から消えるべきだ、などと叫べる人間はそういないだろう。
 クソ度胸があるからではない。莉乃が東山にまったく怯えることなく、巨悪に立ち向かうジャンヌ・ダルクアピールができるのは、莉乃が人の悪意を知らないからである。

 この女は、かつて俺やにんにく大魔人を「化け物」のように言い、ネガキャンを張ることによって、怖い怖い「雑菌おじさん」たちから、みんなに守ってもらっている構図を演出し、自分に酔いしれていた。莉乃は口では怖い怖いなどと言っていたが、実際には、俺やにんにく大魔人を舐め腐っていたはずである。本当に俺やにんにく大魔人に恐怖を感じていたのなら、そんな猿芝居に利用することなどできないはずだ。

 自分にとって都合のいいものだけしか目に入れずに育ってきた莉乃は、人の悪意を認識できない。あるいは、悪意というものがあったとしても、それは自分が主役を務める、おとぎ話の世界には絶対に侵入できないものだとタカをくくっているのだ。

 悪意なく人を傷つける莉乃に、東山の過去の犯罪を教えたのは、俺であった。正確には、純玲が発見したという形にして、おしゃべり好きの松原に伝えさせ、松原を通じて、莉乃のところにまで伝えたのである。

 目的は言うまでもなく、莉乃と唐津に、東山を攻撃させるためだ。目論見は成功し、とっておきのネタを与えられた莉乃は、あろうことか公衆の面前で、東山の過去を暴いた。あそこまで刺激されて、ただでさえ脳の容量が小さい東山が、冷静でいられるわけがない。ボクシングでいえば、一ラウンドからなりふり構わず、スタミナ配分も度外視のラッシュを仕掛けられたようなものである。

 莉乃と唐津に対する東山の恨みを増幅させるのに成功したなら、お次は俺に対する東山の恨みを和らげる作業である。東山にとって危機的状況である今、東山をフォローするような言葉をかけることで、俺が東山の味方であることを印象付けるのだ。

 俺は五分で昼飯を済ませて、休憩室を出た。 廊下を歩き、東山のいる事務室へと近づいていくと、鈍器で人肉を殴っているような、嫌な音が聞こえてきた。少し進んでみると、廊下に赤い斑点が見えた。歩を進めるごとに、斑点は大きくなっていく。やがて目に入ってきたのは、能面のように無表情の東山が、桑原を殴打している姿だった。

「お・・・あ・・・」

 かつて東山に「完勝」したはずの俺が、東山から放たれる、怪物的なオーラに圧倒され、身動き一つ取れなかった。今、俺の目の前にいるのは、人外の獣である。

「ごぅっ・・・うぅううっ!!!」

 熊が唸るような声を出して、東山が、こちらを振り向いてきた。

「おっ、落ち着けよ。お前の気持ちは、わかってるよ。お前は悪くないよ」

 密林でグリズリーに出くわしたチワワのように、全身の体毛が震えている。自分が何を言ってるのか、わからなかった。

「・・・・・俺から金銭を搾取しているお前が、俺の過去を暴くメリットはない。俺の過去をネットに流したのは、コイツ以外には考えられない」

 東山が底冷えのするような声で、自分が短絡的な決めつけによって、桑原を殴打していた事実を述べた。

「・・・いや、そんなのはわからねえだろ・・・。お前の場合、いろんなヤツから恨み買っちゃってるんだから・・・」

 東山の個人情報がネットに流出したのは、たまたまタイミング的には労働組合と争っているときであったが、東山の職場での横柄、いや横暴な態度が昔からのものだとするなら、動機があるヤツはこの世に山ほどいる。十八年前の「少年A」と、三十二歳の東山職長が同一人物だと知っていたのは、この職場では俺と桑原だけかもしれないが、どこかの誰かが、何かをキッカケにして、偶然真実に辿りつくといったことがないとはいえないし、東山を殺したいほど恨んでいるヤツが、金も使って本気になって正体を調べようと思えばすぐわかることだ。

 容疑者は、それこそ無数に浮かび上がる。特定しようなど、考えるだけ無駄なのである。

 自分が個人情報を流出させておいて言うのもなんだが、結局東山は、自らの手で墓穴を掘ったのだ。こそこそと目立たないように、自己主張を控えて、周りと穏便にやりながら生きておればよかったものを、自分の過去に後ろ暗いことは何もないとでも言わんばかりに威張り散らし、パワハラなどをして弱い者をイジメていたから、いざ隠したい過去がバレてしまったときにも、自業自得という形になり、誰が犯人かもわからなくなってしまう。

 自己弁護するわけでもなんでもなく、東山を恨みに思った誰かの手によって個人情報が流出し、東山の忌まわしい過去が暴かれるのは、単に遅いか早いかの問題だったと思う。何度でも言うが、東山が少年院を出てから、再び俺に出会うまでの人生に関しては、俺には何の責任もないのである。

「なんにしても、ぶん殴っちゃうのはまずいよ。どうすんだよ、お前・・」

 事実無根の勝手な決めつけにより、いち派遣スタッフを血が出るまで殴打し、怪我を負わせてしまった東山。もはやどう取り繕っても、懲戒解雇は免れないところである。結局、東山は己の単細胞のせいで、大事な職を失ってしまったのである。

「・・・ら、らいびょうぶっすよ・・・・。俺、このことは、誰にも言いませんから・・・・東山先輩は、心配しないでください・・・・」

 東山の殴打を受け、両目が塞がり、鼻はピエロのように赤く膨らんでしまった桑原が、健気にも東山を庇おうとする。この男の東山愛も大したものである。特別に恩義を受けたわけでもない他人に、これほど深く心を寄せられる「信仰」の強さは、親にすら感謝をしたことがない俺には、まったく理解できなかった。

「・・・ほかの連中に見られたらまずいから、取りあえず、空き部屋に避難しようか」

 ひとまず俺が場を仕切る形で、桑原を、人がいない用度品室に連れていき、東山には、事務室に救急箱を取りに行かせた。

「お前、東山に何言ったんだよ」

 東山は、桑原が自分の過去を暴いたから殴ったのだと言ったが、いくら東山が単細胞でも、それだけで人を半殺しにしたりはしないだろう。東山が、桑原が犯人だと思い込んでいたところに、桑原がまた、超カッコいいとか何とか、無神経なことを言って、東山を無暗に刺激したに違いないのだ。

「俺は・・・・気づいてしまったんです・・・」

「何に?事件のこと?」

「いえ・・・俺が気づいたのは・・・合唱コンクールの歌とは、おせち料理である、ということです」

「は?」

「俺の中学で行われていた合唱コンクールでは、”翼をください”という曲が大人気で、毎年全学年全クラスが、自由曲でこの曲を歌いたがって、女子が喧嘩して泣き出す騒ぎが起こっていたのですが、俺は彼らのことがずっと不思議でした。確かに俺もいい曲だとは思いますが、ウォークマンで聞きたいと思うほどではありません。それはみんなも同じで、合唱コンクールの時期以外に”翼をください”が話題に上がることはなく、みんな普段は、お気に入りのアイドル歌手やロックバンドの曲を聴いていました。おかしいと思いませんか?合唱コンクールのときは、”翼をください”を異常なまでに持ち上げるのに、普段は見向きもしないなんて。俺は彼らのやっていることに強烈な違和感を感じ、合唱コンクールの時期がくるたび、いつも何か、モヤモヤとした気持ちになっていました。しかし、ついさっき、合唱コンクールとはお正月であり、翼をくださいはおせち料理だったのだということに気づき、やっと合点がいったのです。おせち料理は確かにおいしいですが、お正月以外には、基本的に食べる機会はありません。普段は話題にも上らないのに、お正月という特定の時期だけ食卓に並んで、みんなに持て囃される。そうか、正月料理という制約の中で持て囃されるおせち料理と同じように、”翼をください”も、合唱曲という制約の中で持て囃されていたのか。両者の性質が、まったく同じであることに気づいた俺は、東山先輩に褒めてほしくて、つい、先輩の機嫌も考えずに、報告してしまったのです」

 わかったようなわからないような話だが、合唱コンクールに強烈なトラウマを持つ東山の前でそんな話をしたというのであれば、殴られるのは仕方ないとしか言いようがない。

 五分ほどで、東山が救急箱を持ってやってきた。桑原の顔面の、サメのエラのようにバックリと裂けた傷口に止血剤を塗り、ガーゼをあててテープで固定する。手当てを終えると、桑原はそのまま早退させた。

「おい、大丈夫なのか?あいつは本当に、今日のことを誰にも言わないか?」

「少しはアイツのことも、信じてやれよ。お前のことを神様みてえに思ってるんだぜ。とにかく、これに懲りたら、お前もあんまり、軽率なマネはするな。まだ、すべてを失ったわけじゃないんだからさ」
 気休めである。東山は、どう足掻いても破滅だ。これから、俺という間違った相手を殺すという形で「暴発」もしくは、自殺という形で「犬死に」しようとしている東山を、正しい相手にケジメをつけることで、「成仏」させてやるというのが、これから俺がやろうとしている「仕事」である。

「あのっ、あのっ、あの女はっ、何なんだっ。アイツがアイツが、俺のことをっ」

「わ、わかった。莉乃は俺が黙らせておくから、落ち着けよ」

 クマが顔面の周りを飛び回るハチを追い払うような、滅茶苦茶な動きをして暴れ狂う東山にびっくりして、せっかくの莉乃殺害の好機を逃すようなことを言ってしまったが、多分、これが正解である。物事には順序というものがある。今、この段階で東山を唆すようなことを言ってしまったら、東山は俺に疑いの目を向けてしまうかもしれない。

 少しずつ、幼子の手を引くように、東山を導いていく。今はとにかく、東山の信用を得ることが先決である。

 休憩時間が終わり、作業場に戻った俺は、さっそく、愚か者の莉乃に口を慎むよう説得に入った。

「どうして、東山を責めてはいけないんですか。あいつは、絶対に許されないことをしたんですよ」
「だからだよ。何するかわからねえアイツを、無暗に刺激するなよ。莉乃ちゃんが騒げば、逆上した東山に、みんな殺されちゃうかもしれねえんだぞ」

 首を傾げる莉乃には、自分が殺人事件という、物騒な出来事に巻き込まれることのリアリティがまったく感じられないようである。

「東山が私たちを殺そうとするなら、アイツを完全に、この社会から追い出しちゃえばいいと思います。人を殺すような奴は、自殺をするべきです」

 何も考えないのが私の考えです、とでも言わんばかりの態度。宇宙人と話しているようだった。

 誰もが快楽や金のためだけで罪を犯すわけではなく、どうしようもない事情に迫られて一線を踏み越える場合もあるということを想像もできない、感受性の鈍さ。善悪の二元論でしか物事を考えられない人間が、安易に正義を振りかざす愚かさと恐ろしさ。まさに幼児がナイフを振り回しているようなもので、その刃は周りにいる人間を無差別に傷つける。東山にボロ雑巾のようにされた桑原が、まさにその被害者である。

「そんな身も蓋もねえこと言うなよ・・・アイツにだって」

 それでも粘り強く、東山を追い詰めることの危険を説こうとしたところで、莉乃の顔面が、何ものかの平手によって叩かれた。大きな二重の目をカッと見開き、憤怒の形相を浮かべているのは、純玲であった。

「いい加減にしろよ、世間知らず!誰もがキレイゴトで生きてるわけじゃないんだ!理屈じゃどうにもならないことが、この世にはあるんだ!」

 頬を張られた莉乃の目から、大粒の涙が零れ落ちた。貧困家庭に育ち、死刑囚の兄を持ち、発達障害まで抱えながら、それでも道を違えずに生きてきた純玲の言葉とビンタは、人を傷つけるのは平気でも、自分が傷つくことは耐えられない莉乃に、強烈なダメージを与えたようだった。

「私・・・私は、みんなを、守りたくて・・・」

 莉乃が隣で作業をしている唐津に、縋るような目を向けながら寄っていった。唐津は一応、莉乃の頭を撫でてやったが、表情は戸惑い気味である。唐津にしても、まさか莉乃がここまでやるとは予想外だったのかもしれない。

 純玲のお蔭で、どうにか頭から湯気を出す莉乃を押さえることができた。東山からの信頼度を高めたところで、俺は東山に、今後のアドバイスを送った。

――お前しばらく、会社を休め。今の状態で出てきたって、いいことねえだろ。

  ところが東山は、俺のアドバイスを無視して、翌日も普通に出勤してきてしまった。
 
――今日休んだら、変に怪しまれる。まだ会社の上層部にバレたわけでもない。俺が確実に少年Aだという証拠があるわけでもない。

 東山の意志が固く、翻意させるのが難しいことがわかった俺は、東山に二点のアドバイスを送った。一つは、自分に後ろめたいことは何もないかのように毅然としていること。もう一つは、自分から、「その話題」に触れないことである。

 人の噂も七十五日。誰が何を言おうが、カエルの面に水の心境でやり過ごし、誰に何を聞かれようが、黙ってシラを切り通す。そうしているうちにネットの「祭り」も沈静化し、何事もなかったかのように、元の生活に戻れる。天文学的確率だが、そのようにうまく事が運ぶ可能性もないとはいえない。

 しかし、直情型の東山にポーカーフェイスを要求するのは無理な注文だったようで、朝礼で派遣スタッフたちの前に立った東山は毅然とするどころか、表情は険しく、睡眠もまったく取れなかったのか、目の下のクマは、昨日よりもさらに色濃くなっていた。とても人前に出て話せる状態ではないように見えるが、一応、毎日の決まりである。時間になると、喋り出す前のいつものルーティーンで、東山は一歩前に進み、一つ咳払いをした。

「お前らに・・・・・ひとつ、言っておくことがある」

 バカなヤツ。東山は、自分から「その話題」に触れないというアドバイスにも従えなかった。俺の立場では、もう彼を止めてやることはできない。黙って様子を見守るしかなかった。

「インターネットで、色々言われているみたいだが・・・。俺は、ネットに書かれているようなことなど、していない。それだけは、お前らに言っておく」

 東山の釈明を聞いて、何か口を挟もうとする者は誰もいない。桑原は東山に殴られて仕事を休んでおり、莉乃は昨日の純玲のビンタが効いて、昨日のような大暴れはできなくなっている。唐津も、さすがに相手が殺人鬼ともなると、軽々しくコメントをすることはできないようである。

「俺は・・・お前らのことを・・・仲間だと思っている。戦友だと、思っている・・・・」

 本当に、バカなヤツ――。今さら仲間などと、白々しいにもほどがあるという話であろう。自分で、僕は突っ込まれたら痛い腹があるから、これ以上探らないでと言っているようなものである。

「俺は今まで・・・・・お前たちに、怒りすぎたことを・・・・」

 まさか、謝るのか?派遣スタッフたちが、固唾を飲んだそのとき、東山腹心の部下、中井が、東山の後ろから歩み出てきて、東山の肩を叩いた。さっきから、中井は電話で誰かと話していたようであったが、受話口の向こうの相手は、四メートル近く離れた俺の耳にまで入ってくるほど大きな声で怒鳴り散らしていた。相当に激昂していたようだが、相手はおそらく丸菱運輸の重役で、用件はおそらく、東山を出せということであろう。さっきまで、東山の胸ポケットに入った携帯も鳴っていたが、本人はまったく気づいていないようだった。

「・・・はい・・・・はい・・・・いえ、その・・・・・」

 重役と話す東山の表情が、みるみる青ざめていく。大方、朝から本社にクレームの電話が入ってきて、東山の過去が、重役に知れるところとなったのだろう。電話が終わった東山の表情は、すべての生気が抜け落ちたかのようにやつれていた。

「あとを、頼む」

 重役から、呼び出しを受けたのだろう。中井に弱弱しい声で言い残して、東山は倉庫を出て行った。

 午前の作業中、倉庫内は、今日も東山の話題で持ち切りとなった。自分たちの上司が、有名な殺人事件の犯人であるという可能性が、極めて高くなったのである。気にしないで働けという方が難しい。昼休憩前になって、東山は倉庫に戻ってきたが、さっきよりも頬はやつれ、肩が落ち、三時間あまりの間に五歳以上も老けたようになっていた。

 東山は、深山たち三バカトリオが作業をしているテーブルに近づき、何かを手振りで示し始めた。どうやら、仕事熱心な三バカトリオに、早く正確な箱の作り方を伝授しているようだ。これまで歯牙にもかけていなかった三バカトリオに縋らなくてはならないほど、東山は追い詰められているのである。

「あ?人殺しが何言ってんだよ。箱の作り方なんて、こっちはもうわかってんだよ。邪魔だから、失せろよ」

 耳を疑った――今まで、靴の裏を舐める勢いで東山に媚びを売っていた深山が、東山に、あからさまに反抗的な態度をとったのである。

 莉乃のように、他人の悪意を認識できないのとは違う。出世の足掛かりになりそうな人間には全力で媚び、付き合ってもメリットのない人間は、とことんまで見下す。どんな人間にも長所は一つくらいはあるものだが、深山の一貫性には、ある種の尊敬すら覚えた。

 倉庫内に戦慄が走ったが、東山は力なくうなだれただけで、特に言い返すでもなく、とぼとぼと歩いて、倉庫内を出て行ってしまった。東山がいなくなったところで昼休憩のチャイムが鳴り、皆が休憩室に引き上げていった。

「さっきはマジで焦ったわ。深山さん、心臓に悪いからやめてくれよ」

「何をビビっとる、桟原。あんな奴に、何を遠慮する必要があるんだ。人殺し野郎なんか、神聖な職場から追い出して正解だ」

 東山が耐えてくれて、心からよかったと思う。こんなカスのようなヤツを殺害して捕まったのでは、東山も浮かばれない。

「ただでさえ威圧的な風貌に、威圧的な言葉遣いの人が殺人犯だとわかったら、みんな怖いですよね・・・ちょっと、吉沢さんに相談してみますか」

 谷口と一緒に入った障碍者グループも、事ここに至っては、東山を擁護する姿勢は見せなかった。この丸菱の倉庫に、東山の味方は一人もいなくなったのである。

 意外なことは、唐津が東山の過去話にまったく興味を示そうとしないことだった。おそらくは、唐津が手を下すまでもなく、東山は破滅だとわかった以上、下手に刺激して、狂った東山の刃に倒れたくはないということであろうが、もしかしたら、横暴な東山を、派遣労働者自らの手で葬り去ることに価値を見出していた彼には、東山が自滅により職場を去るという結果は不本意だったのかもしれない。

 こちらは本当に不本意そうなのが、純玲にダルクアピールを潰された莉乃であった。ムスッとした表情からは、燻った闘志を持て余しているのがありありと見てとれる。ただ、みんなの前で殴られたからやめただけで、おそらく、自分の何が悪いのかは、サッパリわかっていないのだ。

 不完全燃焼に終わった唐津と莉乃の闘志をもう一度ぶつけるときは、必ずやってくる。これから俺が東山を説得し終え、恨みの矛先を唐津と莉乃に向けるのに成功した後、莉乃と唐津に最後のひと押しをさせる。ブチ切れた東山が、ついに奴らの息の根を止めるのである。
 
――いま、仕事が終わった。お前はいまどうしてる、東山。

――実家に帰るだと?許さん。今すぐ帰る。家で待ってろ。

 夕方に送った俺のメールに対して、東山からは、まったくちぐはぐな内容の返信が返ってきた。おそらく、女房に送るはずだったメールが、間違って送られてきたのだろう。相当に気が動転しているようである。

――落ち着け、東山。脳みそを沸騰させたままで動くな。

 俺が続けて送ったメールの返信が返ってきたのは、夜更けになって、そろそろ晩酌を始めようかというときだった。

――女房を、殺ってしまった・・・・。

 冥界から響く山里愛子の声に、耳を傾けてしまったのか。東山の転落は、もはや誰が支えようとも止められないほどの速度で進んでいた。
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No title

いよいよ物語は終盤ですね。蔵田はどんな手段でケリをつけるのか?東山はどこまで墜ちるのか?

思ったのですが、やはりと言ってはなんですが莉乃は何も考えてないのが次第に周囲に見えそうな感じがしますね。東山や莉乃のような破綻者がいて、蔵田や純玲、唐津のような一見まともな価値観のある人間がいる。どんな結末を迎えるかたのしみです。

No title

東山が窮地に追い込まれてしまいましたね。
東山は過去の犯罪が公になるなど考えもしなかったのでしょうがネット社会においては個人では太刀打ちできないほどの力がありますね。
スレッドにコメントを書きこむだけで社会に打撃を与えるのですから恐ろしいですね。
軽犯罪ならまだしも殺人事件なら影響は大きいでしょうね。
蔵田は東山を利用して唐津と莉乃に復讐するという計画ですが当の東山が暴走して利用する段階を振り切ってしまっていますね。
過去の事件を払拭するために努力して手に入れた地位があっけなく崩壊するという事実は東山が自暴自棄になってしまって当然でしょうね。
蔵田もここまでの展開になるとは思ってもみなかったという心境でしょうね。
あれからにんにく大魔神はゆかりと出会って山で暮らしていたのですね。
にんにく大魔神もこれからどうなっていくのか気になりますね。

No title

GGIさん

 復讐を考えるなら手っ取り早いのは後ろからぶん殴ることですがあえてそれを選ばず自分なりの手段を取っていったというのがこの話の肝ですね。この辺からは前回UPした内容とはかなり違う展開になっていると思います。次回完結予定です。

 まあ莉乃と莉乃のモデルになった女に言いたいことは、プライドが高いことは悪いことではないが、自分がプライドの塊なら他人にも自分と同じようにプライドがあることを理解しろということですね。

No title

seaskyさん

 長谷川亮太くんと唐澤貴洋弁護士の騒動を知ったのはこの物語を書き終えた後でしたがネットは恐ろしいですね。ついこの間もワンピースの作者が横井軍曹をイジったコメントが問題になって炎上したらしいです。

 純粋な怒りではなく、おそらくワンピースのアンチや暇なクレーマーが吼えていただけでしょうが創作活動する人間も気を付けなくてはいけないですね。デビュー前の書き込みが問題になるケースもあるどうですので。まぁ直木賞とかもらうような作家じゃなければ炎上まではしないと思いますが・・・。

 東山の落ちていく描写は以前UPしたときよりだいぶ書き加えたと思います。色んな対立構造というのがある中で一番の主軸となるのが蔵田と東山の関係なので特に力を入れて書きました。にんにく大魔神などキモ男を書いているときが一番楽しいです。次回最終回です。
 

莉乃は知的障害者だけあって殺人者の東山に面と向かって避難できるのでしょうね?
普通はビビってなかなか面と向かって言えませんもんね。
深山も東山にたいしてよく見下した態度がとれますね。
変わり身の早さにはある意味尊敬できますね。
桑原をぼこぼこにしたのはともかく女房を殺してしまうなんて東山はいよいよ破滅への道をまっしぐらですね。

No title

吉沢と海南アスピレーションまわりの設定が大きく変更されていますね。これで蔵田の復讐の対象が唐津と莉乃に絞られる事になるので、シンプルでいいのかも知れません。これだと桑原の知り合いも出てこなくなると思うのでラストの展開も大きく変わりそうですね。
労組に与しない側を単純に悪と描かない視点もいいと思います。それぞれに思うところはありますよね。これで「ひがしやまはわるいやつなんです!ゆるせないんです!」な莉乃が如何にバカでアホであるかが尚の事引き立っていると思います。
前のバージョンに比べて蔵田がかなり行動的になっている印象です。これだけ動けるのもやはり「復讐」という一大目的のおかげなのでしょうか。この気力を社会で活かせていたらあるいは・・・と思わないでもいられないのですが。
個人的には莉乃に前のバージョンよりももっと酷い目に遭って欲しいです。最終編、楽しみにしております。

この段階で蔵田が金づるの東山を切ってでも、莉乃と唐津への復讐を優先させるとは思いませんでした。ただ金銭欲以上に達成したい目標を持っている以上、むしろ賢明な判断なのかなとも思いました。凶悪犯罪の事例を見ても金銭以外の動機から起こったケースが数多く存在します。 
 また東山の秘密がばれるとすぐに裏切った深山や正社員になれると打診されるとすぐに海南アスピレーションと手打ちにしようとする唐津の悪どさに怒りを覚えました。特に唐津は最初に莉乃を小ばかにしておきながら、好意を寄せられるといって一転して関係を持つなど、蔵田や東山以上に歪んだ人間の様に思えます。ですが、古今東西こういう類の人間が高い地位に就いたまま生き残れるのでしょう。
 逆に蔵田は歪んだ人間だと思う反面、少し羨ましくもあります。ここまで内に秘めた願望を叶える事に労力を注ぎ込んでいる人間はそうはいないでしょう。歴史上の英雄や芸術家の持つモチベーションにも似た物があると思いました。
 最終回、楽しみにしています。

No title

はじめまして。
汚いHNで申し訳ありません。
莉乃の脱糞シーンから学校でウンコを漏らしてウンコマンと呼ばれた経験を思い出して適当に思いついたHNです。

まず施設警備員の話を拝読し、そのついでのような感じで外道記をここまで読み耽ってしまいました。
東山が一体どんな形で暴走するのか、その黒幕である蔵田は最後までバレずに無事で済むのか、興味は尽きません。
莉乃と東山も誰が手を下すかはともかくとして是非とも成敗されてほしいです。
蔵田は嫁殺害の件であっけなく退場して一見おとなしそうなにんにく大魔王が暴走するというパターンもおもしろそうです。

どのような結末になるにせよ、続編を楽しみにしております。

No title

間違えました。

「莉乃と東山」は「莉乃と唐津」です。
それに嫁殺害で退場するかもというのは東山です。

人の名前を覚えるのが苦手な性格なものでごっちゃになってしまいました。

No title

まっちゃん さん

 崩壊していく東山の描写については前回よりかなり補強できたと思います。莉乃と深山についてはこの世で一番恐ろしいのはバカというところですね。殺人者が職場にいるというシチュエーション自体が特殊ですがある意味東山以上のバカが大集合したことでカオスな状況ですね。

 今月で外道記 改を完結、来月はpartypeopleの続きをUPする予定です。

No title

NEO さん

 前回書いて余計だと思ったところを省いてキーマンである東山、莉乃、唐津との関係を徹底的に書き込みました。前の話も覚えていてくださったのは嬉しいです。

 復讐という行為に自分の新しい人生を切り開くというモチベーションが乗ればこれだけやれるという感じでしょうね。行動力があってもそれをレールの上で発揮できない悲しさは私自身が痛感しています。一両日中に最終回をUPします。

No title

テュール さん

 唐津の酷さを書くのはなかなか難しかったですね。莉乃への好意にしろ海南アスピレーションとの闘いにしろ「しれっと」考え方を変えているところをムカついていただけたなら、こちらとしてはしてやったりです。

 そういえば私が度々批判している説教厨の方が前にUPした分の外道記の方に「私は莉乃と唐津には嫉妬しませんね」というコメントをよせられたのを思い出しました。

 たぶん、彼の目的は、私の表現力不足を指摘するのではなく、俺は蔵田(=津島)よりキレイナココロを持った男だ、とアピールすることだったと思うので、どれだけ唐津や莉乃をひどく表現しても無駄だったでしょうね・・。

 東山から金銭を取る→東山を復讐に利用するという目的の変更をスムーズに描くのも難しかったです。単に利用するだけでなく、蔵田なりに東山に人生のケジメをつけさせてやるという大義名分もあることも読み取っていただけると嬉しいですね。

 

 

 

 

No title

学級戦士ウンコマン さん

 教室で粗相された件はご愁傷様でした・・。うんこはありませんが、小学校低学年時、学校からちょっと遠くの学童保育に通っていたころ、下校時におしっこを漏らしたことはありましたね。ちょうどサリン事件が起こったころ、いまよりコンビニがずっと少なかったころのことでした。

 施設警備員の方は実話ですね。そちらの方にもコメントくださるとうれしいです。完結編は今日中にUPします。初めて書き上げた長編小説ですが自分ではある程度納得のいく形に纏められたつもりです。
 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
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