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外道記 改 13


 甲高い破裂音が、段ボール置き場の方から響いてきた。両手を口に当て、内またの恰好で泣きそうになっているのは、性同一性障害の福井である。

 福井は、化粧品のビンを床に落としてしまったようだった。作業場の床にはゴムマットが敷いてあり、割れ物を落としても大丈夫なようになっているが、段ボール置き場の床は、剥き出しのコンクリートである。福井は、昼前で集中力が落ちていたのか、補充する段ボールを取りに行くのに、わざわざ商品のビンを持って行ってしまい。ゴムマットの範囲外で落としてしまったのだ。

「なっ。とっ。きっ。なっ。とっ。きっ。なっ。とっ。きっ」

 今までだったら、何やってんだーっ、取り返しのつかないことしてんじゃねーっ、きさまーっ。とでも叫んでいたところだろうが、刑事裁判を起こされようとしている身ではそうもいかず、東山は青筋を立てながら必死に堪えている。

「東山先輩!納豆菌がどうかしたんですか!莉乃は靴を脱ぐと納豆の臭いがしますが、嗅いでみますか」

 莉乃打倒を先走る桑原が、莉乃を指さしながら事実無根の悪口を言うと、莉乃が両手で顔を覆って、ワッと泣き出してしまった。

「バカ、莉乃ちゃんの足は納豆の臭いなんかしねえだろ!」

 俺は莉乃の家を訪れた際、コッソリ莉乃の靴の中身を嗅いでいたが、いい具合に使い込まれ、中敷きが黒ずんでいたにもかかわらず、莉乃の靴は、少し痛んで溶けかけたリンゴ程度の臭いしか発することはなかった。あれならば、冬場にブーツや、夏場に通気性の悪いパンプスを履いたとしても、せいぜい酢イカ程度の臭いしか発さぬことであろう。納豆など、もっての他である。

「莉乃は納豆なんかじゃない。大体、女の足は納豆の臭いとか、オッサンをゴミのような目で見る女子高生の方が、実は足が臭い、などというのは、女の自意識過剰であって、どう考えても普通は、オッサンの方が臭いだろ!」

「アニキ、何をムキになっとる・・・なっとうるんですか」

 俺がムキになるのは、たとえ冗談の上でも、莉乃の足の臭いが納豆とは認めたくないからである。
 ゆかりのような化け物の足が納豆臭いのでは何の不思議もないが、莉乃のような、並み程度の顔の、熟れた三十路女の足が納豆臭いというのは意外性があり、非常に魅力的な性的対象である。自分が、その魅力的な女を逃したという口惜しさを、絶対に認めたくなかったのだ。

 実際の莉乃の足はせいぜい酢イカレベルであるが、その莉乃の足も、夏場にわざと肉類中心の食生活に切り替えさせ、一週間軍用のコンバットブーツを履かせたまま足を洗わせず、一日二万歩をノルマに炎天下の中を歩かせ、夜も絶えず温風を当て続ければ、「納豆足」に進化するかもしれぬ。その希望があるだけでも口惜しい。希望すらも、頭の中から追い出したかった。

 半勃ちになりかけたペニスを、必死の思いで小さくしたところで、お昼のチャイムが鳴った。

「ねえ重治さん見て、今日は私、お弁当作ってきたの」

 休憩室に入ると、純玲がバッグの中から誇らしげに、キャラクターものの弁当箱を出してきた。
「へえ、珍しいじゃないか。どれ、見せてみろよ」

 オカズは冷凍食品であるものの、しっかり紙カップで分けて盛り付けられており、ちゃんとした弁当の形になっている。これまで、純玲の昼食は菓子パンかコンビニ弁当ばかりで、俺を家に上げたときも、料理などしたことはない。自分でこれだけの弁当を作って持ってきたのには、正直驚いた。
「どうしたんだよ、すげえじゃねえか」

「重治さんさえよければ、重治さんにも作ってきてあげるよ。それから、重治さんがずっと言ってる、あいつを酷い目に遭わせるって話・・・私もできる限り協力するから、できそうなことがあったら、何なりと言って」

 以前まで、俺がやろうとしている復讐計画には否定的な姿勢を見せていた純玲が、ここで自ら、積極的に協力することを申し出てきた。

 純玲が弁当を作ってくるという意外な行動を見て、俺は一瞬、純玲が不穏な企みを続ける俺を思い留まらせるために、俺の機嫌を取ろうとしているのであろう、と思ってしまっていた。キレイごとばかり吐きながら、まるで進歩がない。言動と行動が伴っていない――俺の言葉を気にしていた純玲が一念発起し、自分の思いを、言葉でなく行動で示し始めたのだと思っていた。

 半分正解であり、半分は外れ、いや期待以上であった。

 純玲が突然、弁当を作ってくるなど言い出したのは、自分が頑張るから、俺に世間に頭を抑え付けられたまま、膝を折ったままでも我慢して、大人しくしていろ・・・という意味ではなかった。いや、本音はそうなのかもしれない。だが純玲は、俺が純玲の望む通りに出来ないことに、俺なりの理由があることはわかってくれた。俺がなぜ、莉乃と唐津を成敗しようとしているのか、その理由が全てはわからなくても、莉乃と唐津を成敗しなくては、純玲と幸福を掴む道はないことは理解してくれた。

 そして、俺の後押しをすると約束してくれた。自分の男が、反社会的な、しかも一銭の得にもならない行為をしようとしていることを容認するばかりか、協力することを申し出てくれる。それは俺がずっと欲しかったもの・・・・俺に対して盲目的な、「信者」の行動である。俺が自分の世界の中に純玲しか受け入れぬのと同様、もう純玲の瞳にも、俺の姿しか映っていないのだ。

 俺の願いも叶える、自分の願いも叶える。今、純玲は、すべての思いを、俺との未来のために振り向けている。

「・・・・ありがとうな。弁当を作ってきてくれるなら、残さず食べるよ」

「うん、わかった。明日から、楽しみにしていてね」

「おう。ところでよ、今日、終わったあと、久々に遊ぼうぜ。いい加減、溜まってきちまったよ」

「ごめん。今は、ちょっと」

「えっ、どうしてだよ」

 近頃は体調が良くないと言うので、デートの誘いは自重していたのだが、見た感じ体調が回復したようなのにも関わらず、純玲は遊ぶことはできないという。一体なぜなのか、さっぱりわからなかった。

「ちょっと今、どうしてもやらなければならないことがあるんだよ。重治さんと同じで、どうしても今じゃないといけないんだよ」

「やらなきゃいけないって、なんだよ」

「それはお楽しみ。あと半月もしないうちにできるから、それまで待っていて。私もそれまで、自分を甘やかしたくないんだ。だから・・・」
「・・・半月だな?」

「うん」

「・・・わかったよ。お前を信じて、それまで待つよ」

「ありがとう。半月までには、必ず終わらせるから」

 怠惰に身を任せて生きてきた純玲が、今、真剣に、何事かに取り組んでいるという。口だけなら信用せず、自分の性欲を優先させるところだが、現に純玲は、弁当を作って持ってきてみせた。おそらく、何らかの意識改革があったのは本当だろう。俺も莉乃、唐津成敗に向けて、忙しい身である。彼女を信じて、待ってみてもいい気がしていた。

「ここが、お昼を食べるところだから。休憩のときは、基本ここで過ごして」

 昼休憩の時間を十五分ほど過ぎたところで、丸菱正社員の中井が、海南アスピレーションの新しいスタッフ四名を連れて、休憩室にやってきた。四名は事前の顔合わせと、施設の見学に訪れたのだろうが、そのうちの一人を見て、既存の派遣スタッフたちが目を見開き、息をのんだ。

 右の頬に張り付いた、ちぎれたサラミのような肉腫。大きく腫れ上がって、目を塞いでいる右の瞼。プロレスラー出身の某国会議員のように大きく突き出した顎。四十歳前後の新人派遣スタッフは、宮城のようにただ造形が良くないというのではない、先天的な疾患による「ユニークフェイス」のカテゴリに入るような容貌をしていた。

 そしてもう一人、三十代後半くらいの、坊主頭の派遣スタッフは、左手の薬指と小指の第一関節から先がなくなっていた。目つきは穏やかで、その筋の人間という感じではなかったが、明らかに、俺たちとは働く枠が別の人種であるようにしか見えない。あと、比較的年齢の若い男性二人は、特別見た目に変わったところはなかったが、目に見える障害のある二人とは、親し気な様子である。

「最近の業務量からして、特に新しい人を入れる必要はないはず・・・。何か、嫌な予感がしますね、蔵田さん」

「ああ・・・・」

 彼らは一体、何ものなのか?唐津たちの労働運動が開始されたタイミングで、彼らのような人たちが派遣されてきたのは、何か意味があったのか。誰もが海南アスピレーションや丸菱運輸の考えを訝しみ、事の成り行きに不安を感じる中、翌日、新人派遣スタッフが初めて勤務に入った。
「おはようございます。今日から皆様にお世話になります、谷口と申します。こんな顔で驚かれたでしょうが、皆さんと仲良くやっていきたいと思っておりますので、どうかひとつ、よろしくお願いします」

 勤務初日の昼休み、ユニークフェイスの男性、谷口は、俺たち先輩の派遣スタッフ一人ひとりに、丁寧に挨拶をして回った。七福神の蛭子を思わせる、朗らかな笑顔である。

 顔のハンデのことを、自ら口にしていることが重要だった。人には誰しも、触れられたくない心の闇がある。大多数の人間にとって、それは黙っていれば人にはわからないことだが、谷口の場合はそうはいかない。普通の人だと思って接していれば何も問題はないのはわかっているが、健常者は無意識のうちに、障害を持った人を「可愛そう」といった目でみてしまうものである。悪気はなくとも、ふとした拍子に、相手を傷つけてしまわないとも限らない。自然、深入りすることを躊躇し、余所余所しい態度になってしまう。

 しかし、谷口のように、自分からハンデキャップについて口にしてくれれば、随分と心が楽になるものである。僕は顔のことなんか何にも気にしていないとか、神様がくれた宝物だと思ってるとか、キレイごとで塗り固められるより、本人が、そういった顔が世間一般的な感覚からいえばどう見られてしまうか自覚している、それが分かった方がいい。彼が顔の障害を気にしているように、自分にだって、酷いコンプレックスはある。同じ人間であるという実感が湧き、付き合いがしやすくなる。谷口は瞬く間に、派遣スタッフたちの信望を掴んだ。 

「ねえねえ谷口さん、今度谷口さんの歓迎会やるから、絶対来てよ」

「ありがとうございます、コブラさん。喜んで参加させてもらいます」

 友達作りを人生最大のテーマとするコブラさんは、さっそく谷口と、「あそぶやくそく」を取り付けた。
「谷口さん、私も参加します。谷口さんといると、楽しいです」

「うん。楽しもうね、莉乃ちゃん」

 自分が人に良く思われるために、同じく良く思われている人間に取り入ることを忘れない莉乃も、いち早く谷口に接近する動きを見せた。

 容姿のハンデをものともせず、逆に武器として、周囲と積極的にコミュニケーションを取る谷口。同じ醜い容貌でも、それが「障害」のカテゴリに当てはめられると逆に受け入れられ、宮城のように「障害」まで行かなければ、切り捨てられ、自己責任の枠内で扱われる。発達障害などにもいえるが、誰から見ても保護を必要とするレベルの人間よりも、ギリギリ自力でやっていける、ボーダーラインにいる人間の方が、かえって苦労するという社会の現状が、まざまざと証明された格好である。
 
 しかし、こうなると、皆のまとめ役である唐津も黙っているわけにはいかない。自分以外で人望を集める者が、自分と志を同じくするならいいが、自分と志を相反するようでは困ってしまう。早いうちに谷口に意志を確認し、可能であれば手を携えて歩んでもらえるよう、説得する必要があった。

「谷口さん、実は僕たち、こういう活動をしていまして・・・」

 谷口たちが来てから三日目の昼休憩の時間、唐津が書類を見せながら、丸菱運輸と海南アスピレーションに敵対する活動と、その意義について熱弁を振るったのだが、谷口はピンときていない様子である。

「私は、私を雇ってくれた海南アスピレーションに、深く感謝しています。この会社を裏切るようなことは、できません」

 いつの間にか、谷口と一緒に入った三人のスタッフが、唐津を敵意に満ち溢れた、鋭い視線で見つめていた。

「でも、実際に海南アスピレーションでは、労働者に対して常識じゃ考えられないピンハネが行われているし、丸菱運輸では、労働者に酷いパワハラが行われているんです。それを泣き寝入りするわけには・・・」

「ねえねえ、そんなことよりさ、週末、谷口さんの歓迎会で行く居酒屋をどこにするか決めようよ。俺は、敬老の滝がいいと思うんだけど・・・」

「うるさい!!!!谷口さんは、今僕と話してるんだ!割り込んでくるな!」

 握り飯を頬張りながら、唐津を押しのけるようにしてやってきたコブラさんに、唐津が大喝を飛ばした。今だけでなく、度重なるコブラさんの、組合の活動に無関心な態度に、いい加減、唐津も頭に来ていたのだろう。東山に対してすら見せたことのない、溜め込んだマグマが爆発したかのような、激しい怒りだった。

「そんな・・・・・俺は、ただ・・・・」

「あ・・・すみません」

 俺から見てもコブラさんの方が悪いと思うのだが、泣きそうになってしまったコブラさんを見て唐津は引け目を感じてしまったのか、そこで谷口との話し合いをやめてしまった。一方、コブラさんを引き取った谷口は、コブラさんと楽しそうに、遊びの予定を相談し始める――。派遣スタッフ全員が見ている前でこうした光景が繰り広げられたことにより、全体の空気が微妙におかしくなってしまった。

「唐津くん、ごめん。週末の街宣活動なんだけど、今回はキャンセルしてもいいかな・・・」

「私も・・・・。唐津くんと違って、もう歳だからさ。休日はゆっくりしたいんだ・・・・」

 コブラさん一喝事件を境に、労働組合の面々が、活動に消極的な姿を見せ始めたのである。
 伏線はあった。以前の街宣のとき、活動が家庭にバレてしまった田辺は、すでに労働組合からの脱退を申し出ていた。名目上、書記長の立場にあり、温和な性格で皆に慕われていた田辺の抜けた穴は大きく、組合の士気は低下していた。

 それに加えて、刑事告訴を恐れる東山が、近ごろ度を越したパワハラを控えるようになっていたことがある。どう考えても反省したわけではないのだが、どこまでもお人好しな派遣スタッフたちは、これで闘志が薄れてしまったのである。東山にだって人生がある。そこまでやらなくてもいいのではないか――ということだ。それを言うなら、東山に人生を壊された者だって沢山いたはずだが、人は自分さえ困っていなければ、戦って相手を追い詰めようとは思わないものである。

 そこに畳みかけるように、唐津に対抗する新たなカリスマ、谷口が職場に入ってきた。「君を守り隊」で、いじめっ子を守る運動をしていたときの名残なのか、どうも東山には、身体障碍者など、わかりやすい弱者には優しく接するというポリシーがあるらしく、ユニークフェイスの谷口や、指が欠損した新人には、小さなミスを咎めず寛大だった。また、見た目は普通の新人二人の方は仕事熱心で、作業中は脇目も振らず目の前の箱を組み立てるのに集中し、速さ、正確さは、先輩スタッフと比べても群を抜いていた。

「谷口さん、あんたが入ってきてくれて、大助かりだよ。あんたさえよかったら、直接雇用のバイトに切り替えてもいいぞ。いつまでだって、いてくれてもいいんだからな」

「ありがとうございます、東山職長。私のような者にいいお話を頂き、大変嬉しく思っておりますが、私は近々、海南アスピレーションの内勤に異動することになっております。私と一緒に入った篠崎くんと増田くんと大島くん、またコブラさんといった方々のほうが、私よりもずっと若く、お仕事もできますので、ぜひ彼らに同じような言葉をかけてあげてください」

「コブラ・・・あの金髪オヤジか。だが、奴は、あの生意気な労働組合の一員で・・・」

「東山職長。お言葉ですが、本来、労働組合とは、会社に敵対し、会社の利益を損ねるための組織ではありません。労働者と経営者、お互いが気持ちよく働き、会社を盛り上げていく意図で活動をする組織です。東山職長も、彼らを目の仇にするのではなく、膝を突き合わせて、腹を割って話し合う姿勢を見せれば、平和裏に物事を解決する方向も見えてくるのではないでしょうか」
「う、うむ・・・まあ、俺に歩み寄る姿勢のある奴に対しては、考えてみよう」

 労働組合に入っていた面々が、東山に気に入られている谷口たちと親しくするということは、東山が、労働組合に対する敵意を和らげることに繋がる。コブラさんはじめ、労働組合の面々が、東山や中井ら社員らと仲良く談笑しているところを、チラホラ目撃するようになった。

「後から入った奴らに負けてたまるか。意地を見せてやろうぜ」

「おうよ!今日の目標は、二百二十箱だ!アイツらと競争だ!」

 もともと労働組合に敵対していた三バカトリオも、谷口たちが入ってきたことにより、俄然勢いづいてきた。

  北風と太陽ではないが、三バカトリオのように、敵愾心を剥き出しにしていては、労働組合の面々も余計突っ張るだけであった。しかし、谷口は労働組合の面々に、友好を持ちかけて接した。これにより、コブラさんをはじめとする何人かの組合員は、あっさりと骨を抜かれてしまったのである。

「皆さん、もう一度、ここで戦う意志を確かめ合いましょう。僕たちはただ、丸菱運輸、海南アスピレーションを痛い目に合わせるためだけに、戦っているわけではありません。この戦いが終わった後も、僕たちの立場は、不安定な非正規労働者であるには変わりません。しかし、同じ非正規でも、奴隷として働かされる非正規と、自分の意志で道を切り開こうとする非正規ではまったく違う。僕たちは、弱者を食い物にするこの世の中で、もう二度と理不尽に屈しないため、意識を変えるために戦っているんです!いまだ丸菱運輸の社長は団交に応じる姿勢を見せませんが、海南アスピレーション経営陣との団交予定日は、もう間もなくに迫っています。決意を新たに、戦っていきましょう!」

 昼休憩で集まる度に、唐津が呼びかけてみるのだが、組合の士気は上がらない。結局、週末の街宣活動に参加を表明したのは、副委員長の松原と莉乃、俺の四名だけという結果になってしまった。さらに、追い打ちをかけるように、田辺に続いてコブラさんが、労働組合から脱退を表明してしまった。

「唐津くん、ごめんね。俺、一生懸命考えたんだけど、やっぱり、やめることにしたんだ」

 もともと、薄氷の上を歩いているような底辺世界で、足元ばかり見て生きているうちに、視野が狭くなってしまった連中である。今日明日を食いつなぐのに精いっぱいの人間に、大義、正義を示したところで、彼らにはそれがどんな価値があるものかがわからない。

この戦いに勝っても、一人頭十万を超えるような金が手に入るわけではない。プライベートを犠牲にして戦ってまで取り戻すほどのプライドは、端から持ち合わせてはいない。組合員たちは、唐津の若さに感化され、東山憎し、海南憎しで活動に参加してみたはいいものの、「敵」と本格的に争うまで、その熱を持続させることはできなかったのだ。

 街宣活動の参加人数として、四人はけして、少なくはない。しかし、組合の気持ちが一つになっていない状況で活動をすることに、意義があるのかどうか――。勤務終了後、唐津は俺とともに休憩室に残り、今後の方針を話し合っていた。

「あの谷口って人が来てから、何もかもがおかしくなった。このタイミングであの人が来たのは、偶然とは思えない。海南アスピレーションが手を打ってきたんだ」

「・・・だろうな」

 あれが嫌だ、これが嫌だと駄々をこねている子供を大人しくさせるためにもっとも有効なのは、その子供よりもっと小さい子供が、不平不満を言わずに大人しくしている姿をみせることである。これまで、海南アスピレーションや丸菱運輸のやり方に不満を感じていた派遣スタッフたちは、障害のある谷口たちが、にこやかな笑顔を浮かべながら、東山と仲良く仕事をやっている姿を見て、間違っているのは自分たちではないかと思い始めているのだ。

 唐津の考えている通り、これは完全に、海南アスピレーションの狙い通りの展開だろう。不当労働行為に抵触するような方法を使うのではなく、労働組合を自然消滅させるため、別の派遣先で働いていた谷口たちを、刺客として送り込んできたのである。

「谷口さん、お食事中にすみません。ちょっとお話いいですか」

 街宣の予定を翌々日に控えた木曜日の昼休み、唐津が、コブラさんがコーヒーを買いに行った隙を見計らって谷口の向かいに座り、自分たちの味方になってくれるかどうか、最終の意思確認の話し合いを申し出た。

「構いませんが、どういったお話でしょうか」

「谷口さんは、いったいなぜ、海南アスピレーションのような会社に、そんなに恩義を感じているんですか?」

「気になりますか?」

 若者らしい、直球の質問。一瞬、谷口と一緒に入った、篠崎、増田、大島といった連中が気色ばみんだが、谷口は微笑みを崩さず、穏やかな調子で応える。

「もし、唐津さんのご都合がよろしければ、今度、我々の寮で一夜を過ごしてみませんか?海南アスピレーションの違った顔をご覧になっていただけると思いますよ」

 谷口の提案に、唐津は少し考えた後、首を縦に振った。いまや、組合を抜けた田辺に変わって、唐津の「一の家老」となった感のある俺も誘われ、翌日の晩、俺たちは意気揚々と「敵地」に乗り込むことになった。
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労働組合はほぼ消滅しそうですね。
東山にとってはいい方向に向かっているようですね。
唐津はコブラさんを怒鳴ったりして焦り初めているようですね。
顔面醜態の谷口は普通、皆から避けられるのに親しまれるのは相当な人格者なのでしょう?
顔面醜態だと身体障害者になるのでしょうか?
なったとしても男より女の方が等級が上なんでしょうね?
田辺たちが住んでいる寮がきになりますね。

No title

まっちゃん さん

 容姿のハンデの場合ですと精神障碍の枠に入るのが一般的でしょうね。程度にもよりますが男よりは女の方が保護の対象に入りやすいかもしれません。コブラさんは唐津でなくとも怒鳴りたくなる気持ちもわかりますね。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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