外道記録 改 10


                           10
                      

「すまねえ、急用が入った。会議の結果は、後日連絡してくれ」

 委員長の唐津に言い残して、俺は急ぎ、純玲の家へと走った。途中、何本電話を入れても、何十通と連続してメールを送っても、純玲は応じようとしなかった。

 手放せるものか。純玲は、俺が世間と和解するために、絶対に必要な存在なのだ。純玲が俺の元を離れるというのなら、もう、世間に対し、小さな糞を擦りつけるどころでは、話が収まらなくなってしまう。今すぐ莉乃の家にとって帰して、あの場にいる連中を、皆殺しにしなければならなくなってしまう。

 俺が今こうして、酸欠と悲壮感で心臓が割れそうになりながら走っているということは、俺も結局、世間と和解する手立てを模索していたということ。いざとなったら大量虐殺、世の中にケジメをつけて死刑になるんだと嘯いてみたところで、俺も本心では、大きな罪を犯さず、幸せに生きていたいのだ。幸せな未来を手に入れるためには、純玲をけして手放してはならないのだ。

「おい、来たぞ。開けろ。開けろって」

 純玲の部屋に到着した。インターホンを何度も鳴らし、壊れるぐらい、ドアを連打した。警察を呼ばれるかもしれない――。知ったことじゃない。

「やめてよ。近所に迷惑だよ・・・」

「てめえのせいだろうが!いったいどういうことなのか、説明してみろ」

 やっと出てきた純玲に怒声を浴びせかけて、強引に部屋の中へと押し入った。茶を出そうとする純玲を制して、万年床の上に座らせ、先ほどのメールの内容についての釈明をさせた。

「丸菱の施設への入館証を失くしちゃったんだよ・・・。このことを会社に突っ込まれたら・・・。せっかくこれから会社と戦おうとしているのに、重治さんに迷惑かけちゃうよ・・・」

「んーなもん、再発行してもらえればいいだけだろうが。なんで別れるとかいう発想になるんだ。いい加減、極端に走る癖をやめろ」
 泣きじゃくる純玲の瞼は、試合を終えたボクサーのように腫れている。問題解決能力は小学生レベルの純玲は、俺が来るまでの間、どうすることもできず、ただずっと泣いていたのであろう。

「相変わらず、あの女と仲良くしてるしさ。ほんとはまだ、あの女のことが好きなんじゃないの?」

だから、ちげえっつってんだろ。俺がやりたいのは、あのクソアマを地獄に突き落とすことであって、クソアマを忘れたいわけじゃねえ。あの女に復讐するつもりなんだったら、クソアマを避けるんじゃなく、表向き仲良くしておいた方が、いろいろ得だろうが」

「・・・だから、どうしてあの女に復讐とかするの。もうやめようよ。あの女に復讐するのをやめて、二人でどこか、遠くに行って幸せに生きるんだったら、入館証を失くしたままでもいいんだ」

 俺がどうするつもりであろうが、入館証は見つけなくてはいけないはずだが、純玲はあたかも、自分は俺の復讐のせいで苦しんでいるかのように言う。いったいコイツは。どれだけの甘ったれ体質なのだろうか。俺が莉乃と唐津に復讐をしようとしているのは、すべてをキレイごとで覆いつくそうとするこの世間と戦わなくてはならないのは、何もかもすべて、この女と二人、平和に暮らしていくためであることが、まだわからないのか。

 ただでさえ、突然に別れるなどと告げられ、勝手な我儘のせいで会議の席から退出を余儀なくされたところに、俺の思いをまったく理解していないかのようなことを言われ、俺の苛立ちのボルテージが上がっていった。

「・・・お前がだらしなくて入館証を失くしたのに、俺のせいで苦しんでいるみたいに言うのはやめろ。それに・・・復讐をやめろというが、お前、あの女にやられっぱなしでいいのか?アイツの家を見て、お前、悔しそうにしていたじゃねえか。悔しいまま終わらせていいのかよ」

「復讐なんて、バカらしいことしたって、何も解決しないよ・・・。そんなことより、二人で楽しい思い出を作っていくことを考えようよ」
「バカらしいだと・・・・」

 血も凍てつくような怒りが、頭の中に充満していく。愛する者に、自分の気持ちを理解して欲しいという思いのこめられた、熱い怒りではない。相手と分かり合えないことがわかったときの、冷たい怒りである。

 部屋が散らかっていようが関係ない。風俗に勤めていようが構わない。俺が憎む世界で求められることがいくらできなかろうが、俺はまったく気にならない。だが、俺のやりたいこと――やらなければならないことを否定し、どこかで聞いたようなキレイごとで丸め込もうとすることだけは許さない。俺が今まで抱えてきた思いを踏みにじって、俺が憎んでやまぬ、くだらないキレイごとの世界に引きずり込もうとするヤツは、どこまでも酷い目に遭わせてやる。

「お前よぉ。俺と幸せになりたいとか言ってる割りには、俺と出会ってから何も進歩がねえよな。部屋は相変わらずきったねえままだしよ。デートの時は毎回遅刻してきやがるしよ。この前なんか何分遅れたよ。四十分だぞ。待ち合わせ時間を決めてる意味が全然ねえだろ。お前は、お前を信頼して待っていた俺を裏切ったんだぞ。お前がそんなんなら、お前にだけわざと早い時間を伝えるとか、嫌らしいことをやってもいいんだぞ?」

「悪かったよ、悪いと思ってるよ」

 布団に顔面を押し付けて泣きわめく純玲に、腹の底にたまった毒の塊をぶつける。一度スイッチが入ってしまったら、もう止まらない。かつて、俺を育てた両親の精神を崩壊させた猛毒を、俺のことを愛してくれた女に、すべて浴びせかけようとしていた。

「幸せになろうとか言ってるわりに、お前は俺が幸せを信じられるようなことを何もしていないじゃねえか。ハッピーハッピー言ってりゃ、それだけで幸せになれるとでも思ってんのか?都合の悪いことはみんな見て見ぬふりをして、キレイごとですべてを誤魔化そうとしやがってよ。それじゃまるで、お前の嫌いな莉乃と一緒じゃねえかよ。お前も今までずっと、ああいう奴らに傷つけられてきたんじゃねえのか?お前は、アイツの仲間だったのか?」

「そんなつもりじゃないよ、私はただ、重治さんと幸せになりたかった」

「何が幸せだ。何がハッピーだ。てめえといられるだけでハッピーか?思い上がるな。この世界に俺の居場所はねえ。お前と一緒だろうが、この世で最高の美女と一緒だろうが、それは同じだ。俺だって今まで、何もやってこなかったわけじゃねえ。この世でなんとか生き残るために、色々なことをやってきた。だが、だめだった。足掻いてもがいて、どうしようもならなくなったから、せめてこのクソな世界に糞を擦りつけてケジメをつけてから、それから次のステップに進もうとしてるんじゃねえか。それをバカらしいだと?俺がどんな思いで今まで生きてきたか、知りもしねえくせに、好き勝手なことを言いやがって」

「悪かったよ。私が悪かったよ、私が死ねばいいんだ、みんな私のせいなんだ。うっうおうっ、うっうおうっう」

 唸るような嗚咽とともに、純玲の腹の奥から、俺が抱えてきた想いと同等の感情が溢れ出てきたのを感じ、ハッと我に返った。
「うっうおうっ、うっうっうおうっうっ・・・・」

 この女に、悪気はなかったのだ。俺の世界を否定する気などはなかった。

 金にも愛情にも恵まれず育ち、身内から犯罪者まで出し、日常生活を維持するだけの能力も持たないにも関わらず、人を人とも思わぬ奴隷派遣で働くことを余儀なくされ―――しかし、無知なこの女は、それでもこの世間を疑うことができない。理不尽に満ちた社会の仕組みと、それを良しとして生きる連中が作った、欺瞞に満ちた風潮に気付いてしまったら、もう幸せにはなれないという俺の考えを理解できない。知れば知るほど生きるのがイヤになるこの世界で、無知はある意味、幸せでもある。俺はこの女のただ一つの幸せまでも奪い取ろうとしていた。

「・・・・」

 急に泣き止み、立ち上がった純玲は、幾層にも重なった衣類や食品類のゴミ、ビニール袋などを、夜叉のような形相でかき分け始めた。

「・・・おい、どうした」

「・・・・・ツッ」

 ゴミの山に埋もれていたフォークを踏んで足から血を流しても、純玲はゴミをかき分けるのをやめようとしない。

「・・・・おい。どうしたって聞いてんだよ」

「・・・・・入館証を探してるんだよ」

「・・・・おい、よせって」

 明らかに尋常ではない様子の純玲を、後ろから羽交い絞めにして止めた。部屋中が震えるような慟哭をあげ、純玲は頽れる。
「俺が悪かったよ・・・。だからやめてくれ。な」

 俺はしばし、純玲を無言のまま後ろから抱いた。お互いに言葉を発することもなく、やがて横になり、抱き合いながら眠りに落ちた。

 目が覚めたときには、窓の外に見える空は赤く染まっていた。季節の変わり目で、大分気温は下がってきたが、二人で一つの布団に入っていたことで、二人とも身体は汗ばんでいる。

「おい、風呂に入ろうぜ」

「・・・・うん」

 まだ寝たりなそうな純玲を起こし、風呂を沸かさせた。肩に手をやりながら脱衣所へと向かい、服を脱いでいる途中で、純玲がふとあることに気づいた。

「あっ。重治さん、シャツが綻んでる。お風呂から入った後、直してあげるね」

「ん?ああ・・・・」

 言葉通り、入浴後、純玲は押し入れからミシンを引っ張り出してきて、脇の下に穴が空いた俺の服を修繕し始めた。

「ほう、うまいもんだな」

「これでも子供のころは、ファッションデザイナーを夢見ていたんだ」

「へえ。そりゃ知らなかった。じゃ、絵とかも描いていたのかい?」

「うん。これ・・」

 純玲が照れた様子で、押し入れから、服飾のデッサンや、自作の漫画などを描いたノートを取り出してきた。

「下手っぴで恥ずかしいよ」

「そんなことねえよ。よく描けているじゃねえか」

 絵の良し悪しは俺にはよくわからないが、純玲に昔、夢を追いかけ、真剣に一つのことに取り組んでいた時期があったのはわかった。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。中学を卒業したころから何もしなくなっちゃったんだけど、続けていたら、モノになってたのかな・・・二十代前半のころまでは、同僚と相部屋だったのもあるけど、部屋の片づけもできていたんだよ。二年前にこの部屋に越してきてから、自分に甘えちゃって・・。毎日働いて生きていくのがやっとで、気づいたら、こんなになっていたんだ」

 純玲はけして、最初から何もできない人間ではなかった。昔はできていたはずのことが、何故かどんどんできなくなっていく純玲。俺と出会ってからも、何一つ進歩のない純玲。純玲の部屋が散らかり、生活環境が崩壊しているのは、果たして、生まれ持った障害のせいだけだろうか。

「昔のお前は片づけができていたどころか、夢を追って活動することもできていた。つまり、お前はやればできる。何かキッカケがあって、奮起さえすればできるんだ。俺との出会いは、何のキッカケにもならなかった?」

 人間の能力には個人差がある。それは間違いない。生まれつきの天才には勝てないと言い訳する一方で、平均的な能力に達しないものには一方的に「努力不足」とするのは、あまりにも不公平な考え方だ。凡人を超越する優れた人間がいるなら、同じ数だけ、凡人に遥か及ばない人間だっているのである。純玲が発達障害――「ちゃんとできない脳」である可能性はかなり高いだろう。

 だが――どんなに人より遅れていたとしても、能力はゼロではない。IQが平均に及ばない知的障害ですら、訓練によって、ある程度の生活能力を身に着けることはできるのだ。いかに障害があろうと、それを克服しようとする人間の意志だって、案外バカにならないものである。

 俺は純玲に、百メートルを九秒で走ることを期待しているわけではない。一日二日で、いきなり部屋をキレイにしろと言っているわけでもない。

 どんな人間でもできること。少しずつでも部屋を片付けるのでもいいし、他の何かの面で向上が見られるのでもいい。些細な変化でもいいから、俺との出会いにより何かが上向きになったというところを見せてくれれば、それでよかったのである。千里の道を踏破するのではなく、一歩進むだけなら、それは純玲の能力でも充分、出来ること。あとは意志を捻りだせるかだけだ。

 俺との出会いが、その意志を捻りだす理由にならなかった。この女は、実は俺を愛していないのではないか?その猜疑心が、さっきの怒りに繋がった部分はあった。 

「私だって、重治さんのために頑張ろうとしたんだよ。でも、身体が動かないんだ。どうしてもできないんだよ。信じてよ」

「それは、なんか重大な病気とかじゃねえのか?」

「医者には、身体は何の異常もないって言われてる。もしかして、呪われているのかな・・・・」

「違うよ。そんなんじゃない」

 人が自分の生活を向上させようと活動することを、一口に努力という。努力というと精神論的な響きが強いようだが、俺の経験からいえば、努力は精神論ではなく、習慣の問題だと思う。

 運動なり勉強なり家事なり、何かの活動をする。最初は大変だが、それが一日のルーチンワークに組み込まれてしまえば、逆にやらない方が苦痛になる。活動量が増えれば、それは自信へと繋がり、より活動量が増えていく。それをまた、ルーチンワークに刻み込んでいく。その繰り返しで、人はできない人間から、できる人間へと変わっていく。

 それは、逆も然りである。怠惰が本当に怖いのは、なにもやらないことではない。それならプラスマイナスゼロだが、実際には、怠惰を長年積み重ねていくと、次第に何もやらないことが当たり前になり、活力や体力がどんどん失われていってしまう。一日のルーチンワークを一個削れば、一個削った分の活力が落ちていき、二個削れば、二個削った分の活力が落ちていく。怠惰が染みついて、できる人間から、できない人間に変わっていく。

 怠惰が骨の髄まで染み込んでしまったら、ちょっとやそっとでは落ちはしない。長い年数怠け続けて落ちた活力を取り戻すには、同じくらいの年数が必要である。長期の引きこもりの社会復帰が難しいのも、そういうところに原因があるのだろう。

 純玲は引きこもりではないが、長いこと食い扶持を稼ぐのに精いっぱいで、家のことまでは手が回らなかった。それが当たり前になってしまうと、いざ家のことをやろうとしても、その活力の出し方がわからなくなる。やる意志があっても、純玲のいうように、本当に頭と身体がついていかなくなってしまうのである。

「私は鬱病なんだ。発達障害を抱えている人は、二次障害として鬱病になりやすいって、テレビでやってた。私はうつ病なんだよ。だから、こういう薬だって飲んでるんだ」

 惰性を断ち切れないことを、「病気」のせいにしようとする純玲。向精神薬を水戸黄門の印籠のように翳す純玲の顔は、どこか得意げである。

 発達障害、精神障害など、他人に見えづらい問題を明らかにするために、ある程度分かりやすい名前をつけて型に当て嵌めようとすること自体は、必要なことだろう。だが、その治療を、薬物というインスタントな方法で行おうとするのはどうなのだろうか。

 俺も鬱になった経験があるからわかるが、薬は所詮気休めで、根本的な解決には結びつかないものである。辛い状況からの脱却は、少しずつでもいいから一歩一歩前に進んで、地道に自信を取り戻していくしかない。もちろん、本当に何もできず、薬に頼るしかない重度の人もいるのだろうが、食欲も性欲もあり、笑顔も出る純玲は、薬を絶対に必要とするレベルではないように思う。

 心の弱った人間を金の生る木としか見ていない精神科の医者は、回転効率だけしか考えていない三分診療で、カウンセリングもロクにせず、患者にいとも簡単に鬱病のレッテルを張り付け、ドバドバと薬を出してしまう。本来そこまで深刻でない患者を、薬物依存症という新しい病気にして、製薬会社とつるんで金儲けをしている。そんな医者に騙されていることにも気づかない、依存心が強く他力本願な性格だから、病んでしまったのだ――というのは酷に過ぎるとしても、薬を飲むだけで病気から立ち直れる、生活が上向きになるなどと考えるのは、やはり安直であり、甘すぎる考えというしかない。だが・・・。

「そうだな。お前は病気なんだ。無理をさせようとして、悪かったよ」

 今はまだ、それでいいと思う。

 純玲は今まで、限界ギリギリまで頑張ってきたのだ。怠惰に憑りつかれ、何もできなくなったのは、楽をしようとしたせいではなく、限界まで頑張った結果、壊れてしまったのである。そういうことにしてやってもいいではないか。

 貧困家庭で育ち、身内から犯罪者まで出し、日常生活を成り立たせる能力も持たないにも関わらず、奴隷派遣で働いて生きることを余儀なくされたこの女は、俺が想像もできない、激しい抑圧の中で生きてきたのだ。恵まれた家庭に生まれた人間なら見なくてよかったものも、純玲は見なくてはならなかった。真っ当な能力を持っていれば味合わなくてもよかった苦労も、純玲は味合わなくてはならなかった。莉乃のように、都合のいい、キレイな情報だけを取り入れながら生きていきたくても、この女が生きてきた環境は、それを許してくれなかったのだ。

 人が頑張って生きて、それでもうまくいかなかったとき、言い訳になる何かは必要だ。自分が怠けものなのではない、病気なのだ。純玲が自分を鬱病とし、薬を飲むことで救われるなら、それでもいいではないか。

 このさき同棲、結婚を考えるならば、いつまでもこのままではいられないだろう。部屋の片づけもしないままで、家事も全部俺任せ、純玲はただ、ボーッとテレビばかり見ているというのでは、千年の恋も醒めようというものである。下手したら、ゆかりの二の舞だ。

 だが、今はこれでいい。彼女は十分苦しんだ。今はうつ病のせいで何もできないのだということにして、無理にケツを叩いたり、深くは干渉しないようにしようと思う。

「はい。重治さん、修繕が済んだよ」

「ああ・・・ありがとう」

「ねえ、私もそっちに行っていいかな」

「ああ・・・」

 激しく怒られてもめげず、俺の胸の中に飛び込んできてくれる純玲は、俺が出会ってきたどの人間よりも優しい。ゆかりのような豚をどれだけ痛めつけようとも、俺にだけ優しければ、それでいい。

 優しい純玲が、優しいだけで生きていけないこの世の中に、俺は間もなくケジメをつける。それまでは束の間、この柔らかい肉の感触に触れていたい。

 夜のとばりが降り、純玲の部屋の中も暗くなる。部屋の有様を見たくないのか、純玲は電気をつけることを好まない。俺がいないときは、夜はテレビの明かりだけを頼りに、暗い部屋で過ごしているのだという。

「ごめんね、暗いよね。電気をつけようか」

「いや、このままでいいよ」

 無理に、純玲に合わせたわけではなかった。大体、今の世の中は明るすぎる。

 コンビニやファストフード店が深夜に煌々と光を放って二十四時間営業を行い、社会の超長時間労働化を助長している。原発安全神話が崩壊し、エネルギーの抜本的な改革が求められる今なお、国庫に金の入らない賭博屋のパチンコ店が、日夜町中に騒音をまき散らしている。

 愛、夢、絆、友情、幸福、希望――世間には、明るい言葉ばかりが溢れている。栄華栄達を極めた持てる者たちは、俺たち持たざる者の目を晦ませ、悪意の矛先を自分たちに向けさせないために、明るい言葉をばら撒いている。持たざる者は、頑張り続けていれば、いつか自分も持てる者になれることを信じ、偽りかもしれぬその明るい言葉に縋りつく。電燈の周りを飛び交う羽虫のように、持てる者に身体を酷使され、痛めつけられていく。

 持てる者は、持たざる者が明るい言葉を信じている間は、どこまでも夢を見せてくれる。夢を見せるだけならタダである。だが、持たざる者たちが、朝は永遠に来ないことに気付き、まやかしの光の周りを飛び交うことをやめた瞬間、持てる者どもは、持たざる者をどこまでも追い詰め始める。憎悪、怨恨、嫉妬、孤独、絶望――明るい言葉を信じなくなった者に、生まれたことを呪いたくなるような言葉を浴びせかけ、冷たい地面の上に打ち落とそうとする。

 経済の発展は、必ずしも人間の心を豊かにしなかった。今の世の中が押し売りをしてくる明るい光は、俺や純玲にとってあまりに眩しい。

 太陽のような強い光は、心に傷を負い、弱った者を焼き焦がす。俺や純玲には、淡くとも優しく包み込んでくれる、月の光が心地よい。願わくは、ずっとこの優しい闇の中にいたかった。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR