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外道記 改 9

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 丸菱運輸に派遣されている海南アスピレーションのスタッフ間で、ついに正式な労働組合が結成され、その結成大会が、市内にある莉乃の自宅で開かれた。莉乃、唐津打倒を目論む俺は、表向き協力しているかのような態度を見せるため、純玲、桑原を引き連れ、結成大会に参加していた。
「それでは、労働組合サン・エサージュの結成大会を開催します。まず、組合の正式な役職について決定したいと思います」

 唐津の宣言により、大会の幕が上がる。

 サン・エサージュ――フランス語で、「聖戦」を意味するとかいう言葉が、労働組合の名称となった。発案者は莉乃である。莉乃はおフランスの文化に関心が深いらしく、職場でもよくフランスの話をしている。俺のフランスについての知識は、フランス人にはセックスの際に事前にシャワーを使わず、お互いの体臭を楽しむ習慣があり、英雄ナポレオンも妻の股間がブルーチーズの臭いを発するまで洗わせない臭いフェチだったということくらいしかなかったが、もしかしたら、おフランスのことから莉乃攻略のヒントが見えてくるかもしれぬ期待を抱き、近ごろ勉強に明け暮れていた。

「まず、委員長は不肖ながら、私、唐津が務めさせて頂きたいと思います。副委員長は松原さん。書記長は田辺さんにお願いします。承認して頂ける方は、拍手の方をお願いします」

 沸き起こる拍手。満場一致での承認である。

「ありがとうございます。では、会社側への要求を纏めたいと思います。まずは、派遣先企業である、丸菱運輸への要求です。みなさん、職場の待遇への不満を挙手して述べてください」

 一斉に何人かの手が上がる。まず、唐津が指名したのは、書記長の田辺である。

「あの職場に勤めて八か月になるけど、いい思いをしたことなんて一度もなかったよ。社員の中井には、頭を殴られたり、使えねえな、はげおやじ、とか罵られたりしたし、現職長の東山や、前の職長からも暴力を振るわれたり、暴言を吐かれた」

 続いて、副委員長の松原が発言する。

「一度、遅刻をしたことがあったんだけど、そのとき東山がでっかい声で、ババアーーーーっ、遅刻すんじゃねーーーっ。ババアは化粧なんかしたってババアには変わりねえんだから、朝飯だけ食ったらすぐ来いいいっ、とか言いやがったのよ。完全にパワハラだし、セクハラだよね。むかついて、ぶっ殺したかったよ」

 中心人物二人の意見を皮切りに、組合員が次々に不満を述べ始める。

「休憩時間に資格の勉強をしていたら、いきなり現れた東山に、お前は四十歳すぎて、人生終わってるんだから、資格の勉強なんかしても意味ないからやめろ、と言われた」

「同じく、休憩時間に、モヤシに醤油だけをかけた弁当を食べていたら、いきなり現れた中井に、豚のエサか、と言われた」

 前者は酷い話だが、後者は中井の言いたくなる気持ちも、わからないでもなかった。病気のせいとかならともかく、ただ金を節約するためだけにそんな食生活を送っているのでは、いったい何を楽しみに生きているのか、と思ってしまう。以前勤めていた派遣会社には、雀の涙のような交通費を浮かすために、何駅も歩いて職場に通うようなヤツがいたが、そんなみみっちいところに注ぐ労力があるのなら、本当に上に行くためのスキルを磨く努力をしたらどうかと思う次第である。

「東山の野郎が、お前、この野郎!仕事ができない奴は死ねー、とか言いながら、段ボール箱をぶつけてきたんだ」

 ゴリラが興奮してうんこを投げるのと同じぐらいの思考能力しかないのであろう。よく今まで問題にならなかったものである。

「私は東山に、おしりを叩かれました!東山は、教育だ、と言っていましたが、私は東山にえっちな心があったと思います!」

「冤罪だろ、バカ野郎。死ねよ低能ドブス」

 セクハラの被害を得意げに話す莉乃に、純玲が眉をヒクつかせながら小さな声で毒づく。莉乃の家は、十数名からの人が一堂に会せる程度に大きな家であり、貧困家庭に育った純玲は、到着した瞬間から激しい嫉妬心を抱いていたらしい。

「なんですか、島内さん。聞こえるように言ってください」

「なんでもねえよ!」

 純玲には、くれぐれも莉乃とは喧嘩をしないように言っていたのだが、無理があったようである。純玲を連れてきたのは間違いだった。俺はわっと泣き出してしまった純玲の肩を抱いて落ち着かせてやり、早めに家へと帰らせた。

「しかし、東山のバカにはムカつくよな。仕事ができるかなんか知らないけど、威張りくさりやがって。あいつはたかがケチくさい運送会社を、世界のすべてのように思っているんだ。視野が狭すぎるんだよ」

「小学生のとき、浴槽の中でちんこをいじくっていたら、精子が出てきてしまいました!出てきた精子は、お湯の中を、クリオネみたいにふよふよ漂っていました!面白かったけど、俺の後に入った姉ちゃんが妊娠したんじゃないかって、しばらく怖くて怖くてしょうがなかったです!」

 桑原が、突如興奮して、会議とは何の関係もないことを口走ってしまった。尊敬する東山を批判されまくって怒り心頭に達していたが、復讐計画のために唐津や莉乃たちと波風を立てるわけにもいかず、混乱してわけがわからなくなってしまったのだろう。俺は桑原をいったん外に退出させ、頭を冷やさせた。

「下には厳しいくせに、上には諂うのも腹が立つよな。社長が現場に顔を出したときにはヘコへコしちゃってさ。いつも以上に張り切っちゃって、横暴さがさらにアップするよな」

「そうそう。前にいた藤吉君が社長の前でミスしたとき、お前は今、会社にどれだけの損害を与えたかわかってんのかアー!!とか叫んで、藤吉君の頭を掴んで、無理やり社長に頭を下げさせてさ。その後、責任を感じてるんだったら、明日坊主にして来いとか言いやがってさ。結局それで藤吉君、辞めちゃったんだよな」

 中学時代、父兄の授業参観があったときや、校長が扉の窓から教室を覗いていたときなど、十秒に一回の間隔で挙手をしていた目立ちたがり屋、東山の面目躍如といったところか。髪型といえば東山は中学時代にも、夏休み明け、生活指導の教師が、明るい色の髪をしたヤツを捕まえて強制的に散髪させるため巡回するのに、バリカンを携えてくっついて回っていたこともあった。懐かしさでついにやけてしまう。

「三か月前、昼休み中トイレに行ったとき、東山が廊下で、ビスコを食べていたんだ。俺に見られたことがわかった東山は、このことは言うなよ、絶対言うなよ、と必死で念押ししてきた。それまではどちらかというと、東山には可愛がられていた方だったんだけど、その日から急に厳しくなってさ。ビスコを食っていたことがみんなにバレないように、やめさせようとしてたんじゃないかなあ」

 ビスコはおいしいのだから、堂々と食べればいいものを、袋に子供の絵が描いてあるだけで、大人が食べるのは恥ずかしいお菓子だと思ってしまう。アホなプライドで不自由な人生を送っている男である。

「昼休みといえば、この前ワールドカップで日本が勝ったときさ、東山が、中井と、あともう一人応援で来ていた社員と、ドライバーさんを捕まえて、なんか肩を組んで揺れながら、俺たちの前でなぜか社歌を歌ってるのを見せつけてきたことがあったよな。なんかすげえ得意げな顔だったけど、はっきりいって薄気味が悪かったよ」

 ヤンキー上がりが経営する零細企業などに、プライベートで撮った集合写真が不自然に沢山飾ってあるように、カルトな思想で結びついた連中ほど、自分たちの絆の深さを周囲にアピールしなければ気が済まないようである。そういえば、中学時代の東山も、「君を守り隊」で撮った写真を、教室の掲示板に貼りまくっていた。

「僕は最初入ったばかりのころ、深山さんと仲良くしていたんですけど、あるとき深山さんが、会社の飲み会の話を聞きつけて、居酒屋に先回りし、偶然を装って飛び入り参加しようと言ってきたんです。深山さんは、帰れ帰れと言われても土下座をして同じテーブルを取らせてもらったんですが、実際に一緒に飲み始めると、なぜか僕の方が気に入られてしまって・・・。それで、話題が僕の体型のことになったんですけど、東山さんが、お前は太りすぎてヤバいからやせろ、とか言い始めて、なんかトレーニングメニューを渡されたんです。これを毎日やれ、と。それと食事も管理するとか言われて、毎日指定されたメニューを作って持っていかなくてはならなくなって・・。自分で作ってきた弁当は、東山さんに見せてから毎日捨てて、買ってきたものを食べてるんですよ。それで体重が減らないからといって、この前は思いっきり怒鳴られました」

 独善的で他人を管理したがり、己の持論を他人に押し付けなければ気が済まない性格は、まだ直っていなかったようである。他人にも実践させないと自信が持てない程度の持論などは捨ててしまえばいいと思うのだが、それができないところが東山のジレンマなのだろう。どうせやるなら、桑原のような本当に自分を慕っているヤツにやればいいものを、なぜか嫌がっているヤツに無理やりやらせようとするのは、逃げる者を追いたくなる狩猟本能なのか何なのか。

「食材を調達したときのレシートなど、証拠が残っているなら、東山からの賠償請求を有利に進められますね。今度、まとめて持ってきてくれますか?」

「ちょっと待て。団体交渉は丸菱の会社を相手に行うんであって、東山個人と争うのとは違うんじゃねえのかい?」

 話の雲行きが怪しくなってきたのを感じ、俺は慌てて口をはさんだ。

「いえ。東山、中井はあまりにも悪質ですから、奴らのやったこと、特に暴力行為に関しては、刑事事件として立件させようと考えています」

 委員長の唐津が、意志の固さを感じさせる瞳を俺に向けて答えた。

 丸菱運輸だけでなく、東山個人の財布も脅かそうというのであれば、東山から資金を提供されている俺も損害を被る。唐津がやろうとしている労働運動自体には協力体制を取ろうと思っていたが、海南アスピレーションはともかく、対丸菱運輸方面については、今後、何らかの妨害を画策する必要があるかもしれない。

「ションベンしているときに見えたんだけど、東山の奴、あんな図体してるくせに、ちんこは滅茶苦茶小せえの。笑いそうになっちまったよ」

 中学時代の東山のポークピッツが思い出される。体がでかいのはいいことだが、ペニスに回すべき大事な成長ホルモンまで投入してしまうくらいなら、普通でいいという話である。

「昼休みに俺らの休憩室にやってきたときさ、テレビのクイズで、関ヶ原の合戦で西軍の大将は誰か、て問題が出たとき、あいつ得意げに、石田三成に決まってるだろ、視聴者をなめてるのか、とか言ってたけどさ、その後の解答で、毛利輝元(石田三成は全体の調整役)ってテロップが出てきてさ。休憩室がシーンと静まり返って、あいつ顔真っ赤になってんの。バカだよな、マジ」

 間違うことは恥ではない。それで痛い目をみるのは、普段他人に偉そうにし、威張り散らしている輩だけなのである。

「東山に対して、みなさんが感じていることは大体わかりました。東山個人ではなく、職場の取り決めなどに不満はありませんか?」

 会議が東山の悪口大会のようになってきたところで、唐津が話しの流れを変えた。

「会社についての不満といえば、毎日必ず十五分前の朝礼に参加しないといけないことかなあ。給料は八時から十七時までの分しかもらってないんだから、朝礼にも出ろっていうなら、その分の割り増しが欲しいよ」

「だよな。大体、十五分間も必要ないのにな。十五分間もあっても、ほとんどただ突っ立って待っているだけで、東山が来て実際に話すのは、最後の五分くらいのもんだし」

 この不満をきっかけに、組合員が様々な職種で経験した、労働時間の違反についてのエピソードが噴出する。

「俺が前いた工場も、朝礼と体操で十分前集合だったけど、午前と午後にそれぞれ二十分前後の長い休憩時間があったから、そんなに気にならなかったかな」

「道路交通誘導の警備員をやってたときには、三十分前に上番報告をしなくちゃいけないって決まりがあったな。あれも時間外だから、五分前だろうが十分前だろうが、現場について報告さえすればカネには影響しないのに、三十分前にしないとすっげー怒鳴られたよ。まあ、スポットの仕事だから、それぐらい早く着くつもりで出ないといざというときヤバいのは事実だし、仕事は定時より一時間か二時間くらい早く終わるときが多かったから、そんなに不満はなかったけどね」

 実質的な時間外労働を課せられていたとしても、休憩時間が長いとか、早出があってもすぐ帰れるとか、もしくは仕事が滅茶苦茶楽だとかいったメリットがあれば、不満は相殺され、いちいち文句を言う者は出ないものである。だが、丸菱運輸の勤務では、休憩時間は法律で定められた一時間だけで、あとは八時間、みっちりとキツイ立ち仕事が続くにもかかわらず、十五分間の朝礼参加が義務付けられている現状なのである。これはどう考えても理不尽だった。

「管理職でない労働者は皆、時間で給料を貰っています。一週に四十時間、一日八時間以上の労働をすれば、時間外割増が出なくてはいけません。朝礼の件に関しては、問題にすべき事案ですね」

「あれ?ちょっと待って、一日八時間以上働いたら、時間外割増がつくの?俺は前に牛丼屋でバイトしてて、一日十五時間とか働いたことあったけど、給料は一緒だったよ」

 契約書もロクに読まない底辺労働者は、給与に直結する時間のことにも無知、無頓着な者が多い。話しても無駄だと思っているのか、採用する側も一々説明はしないものである。

「飲食店だと、変形労働時間制を採用しているところが多いからな。変形の場合だと、一週間の時間制限さえ守ってれば、一日の時間制限については融通が利くようになるんだよ」

 教えたのは、俺である。会議で積極的に発言することは、唐津の信頼を得ることに繋がる。この調子で懐に入り込み、弱点を探し出すのである。

「俺が中学出て働き始めたバブルのころなんかは、日雇いで建築の仕事行ったとき、実質七時間半で八時間分の給料貰えたもんだけどなあ。着替えとか、仕事の準備に十五分、帰る準備をするのに十五分で、三十分働いたって計算だよ。それで一日一万とかもらえたからね。最初はそれが当たり前だと思ってたのに、いつの間にか、着替えは勤務時間外に済ませておけって話になって、日給も八千円とかになっていったからなあ」

 景気の良し悪しは、労働条件にも直結する。売り手市場になれば、企業は我勝ちに人手を確保しようと、なりふり構わず待遇を上げる。仕事は楽になり、上司は優しくなり、給料は良くなる。みんなが幸せになる。

 自己責任論イコール政治無責任論。政治家が、失業率が改善しないのは労働者が仕事を選んでいるからだ、条件を選ばなければ仕事はあるなどと発言するのは、私は仕事をちゃんとやってませんと言っているようなものである。

「あとは、派遣には会社のゴミ箱を使わせてくれないってことかな」

「あんなのは差別でしかないよな」

「勤務中、私語は一切禁止ってのもどうなのかな。俺が前にいた倉庫では、あまりにも羽目を外しすぎていなければ、作業中の私語も認められてたぜ」

「仕事は真剣にやらなくてはいけないのはわかるけど・・・。だからって、怒鳴られるほどのことではないよなあ。食品加工工場みたいに衛生面の問題があるとかならわかるけど、あんな梱包の仕事くらい、少しくらい話しながらやった方が和気藹々として、人間らしい働き方でいいと思うけど・・」

「東山のバカが、頑張った奴には職長賞を授与するとかいってるけどさ、あれの基準が意味わかんないよな。前にいた高山君が、二時間くらいサービス残業をしたときにもらってたけど、金一封っていっても、千円しか出なかったんだろ?残業手当の分に全然達してないし、東山の自己満足でしかないよな」

「深山さんは三時間サービス残業しても、誰がお前に残業など頼んだ!とか言われて貰えなかったのは、ちょっとかわいそうだったな・・・」

「酷い話を思い出したよ。一年前、作業中に骨折してしまった人がいたんだけどさ、前の職長はいつまでたっても救急車を呼ばないで、結局、会社の車で運んでさ・・。なんか休憩時間中に遊んでて怪我したことにしろとか言われたらしいよ」

「労災にしたくないからってな・・・。ふざけた話だよな」

 丸菱の会社に対する不満が続々と噴出する中、莉乃が突然、生白い額に青筋を浮かべ、興奮した様子で立ち上がった。

「トイレに行けないような雰囲気を作るのは、どうかと思います!東山が私たちをあんなに怒ったりしなければ、私はあんなふうになりませんでした!」

 あのとき、倉庫に漂った香ばしい匂いを思い出し、股間のものがそそり立つ。莉乃の隣りに座る俺は、異変に気づかれないよう、そっとズボンに手をねじ入れ、テントが張らないよう、ポジションを調整した。

 しかし、本人にとっては忘れたい過去だったと思っていたのだが、まさか自分から堂々と言い放つとは・・・。女という生き物は、どうも「被害者」という立場を、まるで天皇か何かのように思っているようで、一度でも被害者側に立てば無敵になったと思い込むらしいが、莉乃が被害者となることによって得られる優越感は、人並みの羞恥心すら超越してしまうものらしい。

 被害者といえば、莉乃は俺をストーカー扱いし、しつこく付きまとわれているという体を装って、「みんなに守られているか弱い私」という己の立場に酔いしれていた。だが、俺に言わせれば、俺が莉乃にいつまでも執着していたのは、莉乃が俺のプライドを必要以上に踏みにじって、引くに引けない状況を作ったからである。俺が送ったメールを唐津や松原に転送してバカにしたことなどは、明らかに問題のある行為であろう。莉乃にも非はあったはずなのに、一方的に被害者ヅラをされた。それが結局、今現在の、俺の激しい恨みにつながっているわけである。

 激しい恨みを抱く人物がいても、そいつが周囲に嫌われ、悪人扱いされている人物であれば、一緒に悪口を言い合ったりできて、少しは溜飲が下がるものだ。だが、そいつがエエかっこしいで、本性とは裏腹に、周りから善人だと思われ、人望を集めたりしていたら、発散することのできない怒りが蓄積していってしまう。

 人間の恨みとは、単に相手から受けた被害の大きさだけでなく、被害の大きさ✖相手の経済力、社会的地位✖相手の好感度という乗算で求められるものだというのが、俺の持論である。実家を頼れるか頼れないかという違いはあるが、俺と莉乃の社会的地位はまったく同じ。今回問題となっているのは、好感度の部分である。

 莉乃は俺の名誉を貶めるなら、せめて自分自身も、周囲の連中に嫌われているべきだった。莉乃がみんなから嫌われる悪女で、あんな女に恋をした俺が不幸だったということでみんなの同情を買えていれば、俺は莉乃をここまで恨んではいなかった。


 人格に問題があるのはお互い様で、言動、行動に問題があったのもお互い様なのに、莉乃だけが一方的に被害者ヅラをし、俺だけがおかしいように言われるから、理不尽な憎しみが募ってしまう。あの件で失墜した俺の名誉と、上昇した莉乃の名誉の差分が、そのまま恨みの強さになってしまっているのである。

「コブラさん、何かありませんか?」

 会社に対する不満も粗方出そろい、少し間が空いたところで、ここまでただ一人、まだ一言も意見を言っていなかった「コブラさん」に、唐津が話しを振った。

 コブラさん――本名は知らない。俺が気づいたときには、彼はコブラさんと呼ばれていた。唐津によれば、それは本人が「俺のことはコブラさんと呼んで」と頼んだから、らしい。コブラというのは中学時代の彼のあだ名で、中学時代が一番楽しかったから、コブラさんと呼んで欲しいのだという。

 コブラさんの年齢は、唐津第一の腹心、書記長の田辺と同世代の、四十四歳である。四十四歳のコブラさんの髪の毛は、某国民的ヒーローアニメの主人公ばりの金髪である。四十四歳が、金髪である。それだけでちょっと、ウッ、と思ってしまうが、俺とて、何も外見だけで彼のことを軽蔑しているわけではない。髪の色だけなら、ミュージシャンとか、海の家の店主とか、職業上の理由かもしれない。四十四歳で金髪のコブラさんには、とてもその年齢に相応しいとは思えない言動が日頃からあまりにも目立つから、軽蔑しているのである。

 たとえばコブラさん、送迎バスの窓から外を見て、道を若い女が歩いていると、あの子は可愛い、あの子はブスだ、など、毎日査定をしている。こんなわけのわからん金髪オッサンに顔の査定をされる女たちこそ、大きなお世話といった話だろうが、そもそも、そんなことをして何になるのか?何か意味はあるのか?

 声をかけようというならまだわかる。コブラさんが路上で人に声をかけたところで、女どころか、職質の警官くらいにしか相手にされないだろうが、まだナンパをしようというならわかる。だが、そういうちゃんとした目的は一切なく、ただ、一般人の通りすがりの女の顔を、無意味に査定しているだけなのである。唐津とか、二十そこそこのガキと一緒になって、いつもそれをやっているのである。

 誰が誰と、どんな会話をしようが、人の勝手という話ではある。が、コブラさんの年齢は四十四である。四十四だったら四十四らしく、もう少し実りのある会話をしたらどうかと思う。雑談もいいし猥談もいいが、そればかりなのはどうであろう。コブラさんが他に話すのは、競馬のこととパチンコのこと、昔持っていたが、今は維持できなくて売りに出した、バイクのことだけである。

「俺は何もないよ」

 特に熟考するわけでもなく、コブラさんはあっさりと、実に爽やかな顔で、自分の意見は何もないと言い切った。いったいこのオッサンは、この場に何をしに来たのだろうか。唐津も、少し呆れたようにため息をついている。

「そうですか。それでは一旦、休憩しますか」

 丸菱運輸に続き、派遣会社、海南アスピレーションに対する要求を話し合う前に、二十分間の休憩が取られることになった。その、直後のことであった。

「ねえねえ、こんどみんなで、ディズニーランドに行くって話したじゃない。そのとき、どういう順番で乗り物に乗るか、考えてきたんだけどさあ」

 会議では一言も発言がなく、終始うつむき、居眠りを始めそうな気配すらあったコブラさんが、急に活気づき、ディズニーランドのパンフレットを取り出し、熱く「遠足」の計画を語り始めたのである。
 真面目な会議の席では沈黙するのに、遊びの話になると雄弁になる――。まだ十九や二十の小僧ならわかるが、コブラさんの年齢は、四十四歳である。資質が疑われる態度といえよう。

 いい年をしたオッサンになっても、子供のような会話や、子供のような感覚でしか、人間関係の構築ができない男。若い頃の友情を継続しているならともかく、新しく交友を求めようというのなら、ギブアンドテイク、自分からも人に何かを提供するという姿勢が重要のはずだ。だが、コブラさんは本当に中学生や高校生と同じ感覚で、友達が欲しい、みんなと遊びたいからこの集会に参加しているだけであり、労働環境の改善などには、これっぽっちも興味がないのだ。

 こういう人間は、基本的に同世代には相手にされない。だから、もっと下の世代、十代や二十代前半の若い奴らの仲間に入ろうとして、定時制の高校に入ったり、最近ならインターネットのSNSサイトで、若い奴らが集まる、アニメやゲームなどのコミュニティに居場所を見出そうとする。しかし、ガキどもだって、三十や四十にもなって、自分たちと同じ次元の会話しかできないオッサン、オバサンなどは扱いに困るから、往々にしてトラブルに発展してしまいがちである。

 知能そのものが低いのか、中、高時代に、交友関係での充実感が満たされなかったゆえなのか――。学校機関で救えなかった人間が、大人になってから、底辺世界で空しく漂流を続けているのだ。

「みなさん、コーヒーとお茶菓子をお持ちしましたので、召し上がってください」

 莉乃が祖母と一緒に、盆にコーヒーと、手作りと思われるクッキーを載せて運んできた。莉乃の祖母は八十すぎくらいだろうか。品のある田舎マダム風だが嫌味な感じではなく、コブラさんのような、品性が疑われる外見の人にも笑顔を振りまき、丁重に持て成している。

 ちょっと詰めれば十人が座れるテーブル、大型のテレビ、皮張りの三人掛けソファ、ムートン生地のカーペット。暖かい中流家庭の風景は、経済的に恵まれているとはいえない家庭で育った純玲には、さぞ妬ましく映っていたことだろう。王族のようなセレブなら諦めもつくが、坪単価の低い田舎で、ちょっといい家に住んで、ちょっといい暮らしをしている世帯年収一千万くらいの家なら、ちょっと違っていれば自分だって、と思うものである。 

 家庭環境に恵まれた莉乃がまともに就職できず、非正規の派遣労働者になってしまったのは、教育の誤りによるところが大きいのは間違いない。その責任の多くは、莉乃を育てた親や祖父母にあるはずだが、当の莉乃がそれに気付き、親に反感を抱いている様子は一切窺えない。それは単に、読み書きが満足にできないゆえに情報が制限され、「疑う」ところまで行きつかないだけなのだろうか?

「あ、桑原さんが戻ってきた。おばあちゃん、コーヒーとお菓子、もう一人分出して」

「あら、いらっしゃい。日本がお好きなんですね。どうぞ、上がってゆっくりしてください」

 坊主頭に剃り込み、旭日旗が刺繍されたつなぎ服を着ている桑原が家に上がってきても、ニコニコと笑顔を絶やさない祖母も、相当なタマである。この世代のばあさんは、戦争絶対反対、憲法改正絶体反対というのが多いイメージであったが・・。これは、孫の顔を立てるために、努めて平静を装っているだけなのだろうか?それとも・・・。

「ぐおるぁ、てめえ、何晒しとんじゃ、おおっ!」

 丸菱運輸に対しての意見交換が終わり、もう東山の悪口が出ることもなかろうと判断して桑原を呼び戻したのだが、桑原はさっそく、喧嘩をしてしまったようである。相手の桟原の胸倉をつかみ、かなり険悪な雰囲気だ。

「おい、やめねえか。一体どうしたんだ」

「この野郎が、俺のチョコチップクッキーのチョコを抜いて、その穴に鼻くそを詰めやがったんすよぉっ!」

 桑原が怒るのももっともだが、当の桟原はすました顔である。

「なに怒ってんだよ。ちょっとしたイタズラだろうがよ。莉乃ちゃんの作ってくれたクッキーはうまいから、俺の鼻くそくらいじゃ味は落ちねえよ。気にせず食えよ」

 桟原は三十八歳。明るくひょうきんな性格で、ユーモアのセンスもそこそこあり、ムードメーカー的な資質があるともいえるのだが、イタズラが好きという欠点がある。それも節度を守ってやれば周囲も和むところだが、桟原の場合は度を越しているのである。

 また、イタズラをしたり、冗談を言ってみるのはいいにしても、それでスベると、「周囲にウケるまで、何度でもしつこくやる」という欠点もある。俺も以前は桟原と仲良くしていたのだが、桟原が「俺、この前純玲ちゃんとエッチしちゃったんだ」などと、糞面白くもない冗談を何日もしつこく言ってくるので、この男とは距離を置くようになった。

 どうも桟原の辞書には、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が載っていないようなのである。人懐っこくて、話しも面白く、コミュニケーション能力自体は高いのに、最低限のTPOを弁えられず、ついつい羽目を外してしまうせいで、本当の意味では人に慕われず、友達はむしろ少ない。これも人間の一つの型だろう。突出した個性や魅力、能力よりもまず、「和を乱さない」ことが重んじられる日本社会においては、こういう人間は弾かれがちである。外国なら違った人生があったかもしれない桟原も、日本という国においては、堕ちるべくして堕ちるしかなかった。

「てめえクソ野郎っ、俺のチョコチップクッキー台無しにしやがって、てめえのをよこせ!」

「やめねえか。そんなことより、莉乃ちゃんが俺と唐津くんに部屋を公開してくれると言ってるから、お前も一緒にどうだ」

 桑原の興味の矛先をほかに向けるため、莉乃の同意を得ずに言ってみた提案だったが、雰囲気を察した莉乃は頷いてくれた。もちろん、真の目的は、莉乃の弱点探しである。ちょうどいい口実であった。

「散らかっていますけど、どうぞ」

 三十二歳の女の部屋には、少女趣味のぬいぐるみなどは置かれておらず、ベッドのカバーも至って地味で、シンプルなデザインである。学習机に整然と並べられた書籍は、おフランス関係のもの以外は、小学校低学年向けのものが多い。必要以上の物は極力置かないスタンスのようである。特別に気になることといえば、写真の多さくらいであろうか。

「この子は、小学校からずっと一緒だった、麻利絵ちゃんです。とってもかわいい子で、雑誌のモデルとかをやっていました。この子も小学校から一緒の、瑠衣ちゃんです。頭がすごくよくて、東大を卒業したんです。みんな、凄く仲良くしてくれました」

 俺が気にしているのを察した莉乃が、写真についての解説を始めた。

「みんなはいつも、私を守ってくれました。中学校のとき、副校長先生に七組さんに入れられそうになったときも、みんなが署名を集めてくれて、助かったんです。宮城に嫌なことをされていたときも、この子たちが私にアドバイスをくれました。みんなのおかげで、私は助かったんです」

 俺が莉乃に迫っていた当初も、莉乃は田辺や松原を使って俺を遠ざけようとしていたが、この女は、多数派工作を図り、争い事において数的優位に立つ才に関しては、非凡なものを持っているのかもしれない。

 莉乃に限らず、基本的に女という生き物には、一対一で相手と戦う、という美学が存在しない。女同士のイジメが男以上に陰湿だというのはそういうことで、単純に多くの相手から責められているというプレッシャーの効果を狙うため、いざというときの責任の回避のため、何かといえば、女は数の力を頼みにする。女同士の争いでさえそうなのだから、相手が女の自分より強大な「男」であれば、何の遠慮もなく、大勢で寄ってたかって叩き潰してもいいという理屈になる。

 インターネットのSNSや匿名掲示板に象徴されるように、現代は、弱者が強者を叩くという時代である。今この法治国家で、肉体的に強者であるということは、社会的には弱者であるということ。誰かと争いになって法廷に立ったとき、もっとも有利になるのは、子供、老人、障碍者といった連中で、その次が女だ。肉体的には最強である青年から壮年の男は、社会的には、もっとも周囲の同情を買いにくい、最弱の存在である。

 それを逆手にとって、「肉体的弱者」という武器を構えながら、丸腰の「肉体的強者」を攻撃しようとする女がいる。自分のストレス発散のため、コンプレックスを解消するため、「みんなから守られているか弱いお姫様」を演じるため―――あるいは、女グループ特有の、歪んだ共同体意識を満たすため。

 ルックスの良い莉乃の友人たちは、皆それぞれ、ストーカーの被害に遭った経験があった。自分だけが、三十二にしてまだストーカーの被害に遭っていないことに、莉乃は焦りを感じていた。このままでは、みんなから仲間外れにされてしまうかもしれない。そうだ、私に言い寄ってきた、あの「雑菌おじさん」たちをストーカーってことにしよう。

 あたかも、みんなが持っているブランドもののバッグを自分も手に入れて、集団のトレンドに取り残されまいとするような理由で、俺はストーカー扱いされて、必要以上にプライドを踏みにじられたのかもしれない。

「一番多いのは、お婆ちゃんと写ってる写真か。莉乃ちゃんはお婆ちゃん子なんだな」
「お婆ちゃんは、私の憧れの人です。大変な時代に生まれたおばあちゃんは、女性がつよく生きることの大切さを、私に教えてくれました。私はいつか、お婆ちゃんのような、とっても、とっても、と~ってもかっこいい、お婆ちゃんになるんです」

 莉乃が尊敬する祖母が、コブラさんや桑原のような異質な見た目の人を、何の抵抗もなく受け入れていた光景がよみがえる。人を見た目で判断してはいけません、と、莉乃に対してはきれいごとで誤魔化し、コブラさんや桑原が帰った後には、必死の形相で床を雑巾がけする祖母の姿が想像される。

 日本が驚異的な復興を遂げた高度成長時代に生きた祖母は、孫に前だけを向き、上だけを目指して生きることだけを教えてきた。後先を考えない環境の破壊とエネルギーの浪費によって泡沫の繁栄を享受し、散々好き勝手やった挙句に、老後を逃げ切るための制度をガッチリと固めた上で、雇用を崩壊させ、後生にツケを回して、知らん顔して生きながらえようとする姑息な老人は、学習障害を抱える莉乃に、都合の悪い部分はみんな隠して、自分のキレイなところだけを見せて育ててきたのだ。

 キレイなものだけを見せられて育った莉乃は、悪意を知らない。悪意を知らないのなら他人に心優しくできるかといえば、実際はその正反対である。

 悪意を知らないから、自分の言っていること、やっていることが、どれだけ人を傷つけるかわからない。悪意を知らないから、どれだけキレイごとで覆い隠しているつもりでも、現実に感じてしまう嫉妬や劣等感といった負の感情を冷静に受け止め、良い意味で自分の現実を知るための材料として処理することができない。

 自分の心には一点の曇りもないと信じている人間ほど、危険極まりない人間はいない。「純粋」と「善」は、姿かたちは似ているが、本質はまったく異なるものだ。悪を知らない純粋無垢な人間は、純粋なまま人を傷つける。本当の善行を行いたいのなら、むしろ「悪」から目を逸らしてはいけない。他人の心の境界線が見えず、踏み越えてはいけない立ち入り禁止区域に平気で入り込む、莉乃のような「純粋」な人間こそが、ちょっとうまくできないだけのタダの無能者をズタズタに傷つけて、犯罪者にまで追い込むのだ。

「お。これは、莉乃ちゃんの元カレの写真かい?」

「あ、この写真・・・外すの忘れてた・・・」

「元彼氏なんだろう?」

「あ、いえ、その・・・・その・・・・はい」

 照れて頬を赤らめる莉乃。写真の中の男は、かつて職場で本人が自慢していたように、なかなかの男前である。昔の交際相手の写真をいつまでも後生大事に抱えているのは未練がましいととられるのを恐れて、うっかり外し忘れたように装っているが、多分いざというとき他人に自慢するための過去の栄光、「トロフィー」として、大切に保管していたのだろう。男を道具としてしか見ていない莉乃は、例え今現在肉体関係がない男であろうとも、利用できるならとことんまで利用しつくすのである。

「へえ。イケメンですねえ。頭もよさそうだ。いい大学か、いい会社に勤めてたんじゃないですか?」

 唐津は呑気な口調で、莉乃の過去の男を褒めてみせる。二十歳の男が三十二歳の女に、処女であることは求めていないだろうが、過去の男の写真を見せられて、唐津の心にさざ波が起きた様子がみえないというのは、やはり二人には肉体関係はなく、唐津は莉乃を女としては見ていないのだろうか?それとも、莉乃は所詮肉体だけが目的で付き合っているのであるから、過去の男を紹介されても動揺する必要はないということか?はたまた、莉乃はもう、ずっと自分から離れることはないであろうという、余裕の表れか?ただ単に、細かいことを気にしない性格なだけか?

 莉乃の方は、どうなのであろうか。過去の男の写真を、今現在の思い人の前で見せる狙い・・・煮え切らない唐津に嫉妬の火を点けて、焦らせようとしているのか?恋愛に奔放なおフランス流を気取っているのか?こちらもただ単に、細かいことを気にしない性格なだけか?

 真相がわからないというのは、なんともいえずヤキモキするものである。知るのは怖いが、やはり聞いてみたい。今、このタイミングで、聞かなければいけない気がする。でも怖い。喉まで出かかっているのだが、出てこない。 

「うん。最後は別れたけど、この人とは、すごくフィーリングが合ったんだ」

 男を顔と学歴だけで選ぶのは、世間的にはあまり褒められたものではないとみられることを、莉乃はよくわかっている。己が良く思われることに全力を尽くす莉乃は、イケメン高学歴の写真を見せつけながら、そいつをあくまで内面で選んだのだというポーズを取ろうとする。

 言いようのない違和感と不快感を覚える。顔の悪い俺を振った莉乃が、顔の良い写真の男と付き合っていた理由を、「フィーリングが合ったから」などと主張することに、である。

 たとえば、ある俳優がハンティングをするテレビの企画があったとする。武器に、ライフルと黒曜石の槍を選べたとする。俳優はライフルを選んで、見事に獲物を仕留めた。インタビュアーが俳優に、「なぜ、武器にライフルを選んだのですか?」と質問をぶつけた。俳優はこう答えた。「ライフルの方が、私との相性が合ってるからさ」と。

 何かが違わないだろうか。相性もクソも、黒曜石の槍よりもライフルの方がはるかに殺傷能力が高いことは、子供でもわかることである。もし、俳優がライフルではなく黒曜石の槍を選んだうえで、「相性が合ってるから」というなら、どこから疑いの声が出ることもなく拍手が起こるところだろうが、逆では何の説得力もない。俳優がライフルを選んだ理由は、ただ単に「強いから」ということでしかないはずだ。

 恋愛もそれと同じこと。もし、莉乃がイケてる写真の男ではなく、イケてない俺の方を選んだうえで、「フィーリングが合ったから」というなら、みんな素直に感心するところだろうが、イケてない俺の気持ちを踏みにじって、イケてる男の方にマン汁を垂らしながら近づいておきながら、「フィーリングが合ったから」などと言っても、「いやいや・・・」という話であろう。

 「フィーリングが合ったから」なんてことは、本人だけが感じているかもしれないことで、相手の方は何とも思ってないかもしれないことである。そんなことより、写真の男はイケメンであり、それは,皆が認めていることなのだから、莉乃が惚れた理由として、明確で伝わりやすいのはそっちであって、実際、ただ単にイケメンだったから、莉乃はチーズ臭いマンコから、ドブ臭い汁をベタベタ垂らしながら近づいていっただけのはずだ。

 莉乃がウソをついたのは、他人から「ビッチ」「肉食女」「男を顔だけで判断する女」と思われたくなくなかったからであろう。それなら、写真の男と交際していたこと自体言わなければいいだけの話だが、自分の「過去の栄光」を自慢するのは、どうしてもやらなければならなかったのだ。そこで、何とか取り繕うために、「フィーリングが合ってたから」などと言い出したに違いない。

 莉乃は自分の評判を落とさないための姑息な計算が働く女だが、所詮頭が悪いため、わかる人間にはわかる「浅知恵」にしかならない。莉乃が自分の印象をよく見せようと言い繕うたび、俺の神経はますます逆なでされることになるのである。

「この人は、私を救ってくれた人です。中学を卒業して就職した工場で、毎日パチンコしてたりとか、お酒を飲んでいるような人に好きだと言われたとき、この人が助けてくれたんです。莉乃はそっちの世界に行く人じゃないよって、言ってくれたんです。今ではほうこうせいの違いで別れましたが、尊敬できる人です」

 美女に飽きたイケメン高学歴に、物珍しさでつまみ食いをされ、遊ばれ、そして飽きて捨てられただけのことを、よくもここまで美化できるものである。

 不可解なことがある。いかに健常者の世界にしがみ付こうとする障害者の声ばかりを重んじる世の中とはいえ、莉乃に真実を伝え、適切な教育機関に繋ごうとする人物が一人もいなかったというのは、おかしいのではないか?

 莉乃を適切な機関に繋ごうとした人物は、いた。本人の話によれば、中学の副校長は、莉乃を特殊学級に入れようとしていた。まだ日本では知られ始めたばかりのころだから、学習障害専門のカリキュラムとはいかなかったかもしれないが、特殊学級ならまだ、個別の指導も受けられたろう。意欲ある教員に恵まれるかどうかにもよるが、少なくとも、成人しても小学校低学年レベルの学力しかない、ということにはならかったのではないか。

 中学の副校長だけではない。三十二年間も生きていれば、莉乃を真に正しい道に導こうとする者は、何人かはいたのではないか。莉乃がそうした者たちの声に耳を傾けなかったのは、親や友人たちによる洗脳のせいなのか?正しい道に導こうとした者たちの説得力が足りなかったせいなのか?

 それだけではあるまい。莉乃本人の意志による決断というのも、大きな意味を持っていたはずだ。
 莉乃は明らかに、か弱く、純粋無垢の存在として庇護される立場に酔っていた。友人たちにちやほやされたり、物珍しさでイケメンに構ってもらうという勝利の経験によって、莉乃は自分の「純粋無垢」という魅力を生かす路線に、絶対の自信を持ってしまった。お世辞にも容姿に恵まれているとはいえず、生まれつき脳の構造に障害も抱えている自分が、美人や高学歴の女と並び立つためには、むしろ学は身に着けてはいけない、と確信してしまった。

 莉乃も確かに、それでいい思いをしたこともあったかもしれない。しかし、美人や高学歴たちの路線に比べ、莉乃の路線では、ひとたび若さを失えば、その市場価値は途端に暴落する。莉乃の魅力は、蓄積されるものでもなければ、年を重ねるごとに洗練されるものでもない。若い娘なら魅力になる「無垢」が、おばはんになると「ボケ」になり、評価がガラリと一辺する類のものである。莉乃は当然ながらゆかりのことは知らないが、莉乃にも下手をすれば、ああいう未来が待っているかもしれないのである。

 莉乃も薄々それに気づき、焦りを感じているのかもしれない。今さら後には引けない――歩む道を変えられない――しかし、タイムリミットは近い。その焦りによってたまったストレスを、自分の眼中にない、いまいちな見た目の男の想いをグチャグチャに踏みにじることで発散していたのかもしれない。

「おばあちゃんやお父さん、お母さんが、字が読めない私を一生懸命に育ててくれました。学校や働き先で出会ったみんなが、私を守ってくれました。みんなとの出会い、みんなとの絆は、私の一生の宝物です」

 キレイな世界、自分にとって都合のいい世界の情報だけを取り入れることで育まれた、悪意について鈍感な心と、女特有の計算高さ、プライドの高さ―――それが歪に結びついた姿というのが、莉乃という女の全体像であろう。

 大人たちや、学歴や容姿に恵まれた友人たちは、学習障害を抱える莉乃を、自分たちの都合のいいところばかりを見せて教育してきた。この社会で力を持っている者が、能力が劣る者、心に問題を抱える者、正義に疑問を持つ者など、社会に不要とされる人間をすべて排除して作り上げた、キレイごとだらけの、おとぎ話の主人公――それがこの女、莉乃である。この女は、俺が憎むあらゆる感情の集合体。俺が憎むあらゆる人間が創り上げた「作品」なのだ。

 改めて、決意を固めた。俺はなんとしても、この女を地獄に叩き落とさねばならない。恨みつらなる世間に、小さな糞を擦りつける対象として、この女以上に相応しい人間はいないと、今、確信した。莉乃の人生を潰すことは、世間を潰すのと同義。この女が主役として生きるおとぎ話を崩壊させるのは、俺自身がこの世で成功を掴むのと同じくらいに、価値のあることではないか。

「しかし、莉乃ちゃんはあれだな。本当にフランスが好きなんだな」

「はい。中学生のとき、家族で行ったときから、大好きです。この絵画や、凱旋門の模型は、みんな現地で、お婆ちゃんが買ってくれたものです」

 ミーハーな女は、部屋の中を所せましとグッズで覆い尽くしてしまいがちだが、本物の通は物を選ぶ。ガラクタは置かないものだ。シンプルな莉乃の部屋を見れば、莉乃のフランス好きは筋金入りであることがわかる。

「フランスっていうのはあれだろ、昔は空からうんこが降ってきたんだろ」

 莉乃に脱糞事件を思い出させる目的の桑原が、鼻を膨らませ、片方の口角を釣り上げ、マルキ・ド・サドさながらの、邪悪な愉悦に満ちた表情で言った。

「街の中はあんまり清潔じゃなかったみたいですね・・。ハイヒールも元々、道に落ちている汚いものを踏まないように作られたものですから」

 意外にも莉乃は、答えにくいはずである質問を、さらりと返してのけた。

「フランスってえと華やかなイメージだけど、革命から植民地支配の時代なんかは野蛮な国だったよな。ナポレオンとかも、攻め込んだ都市から略奪しまくったり」

 俺も負けじと、莉乃攻略のために、ここ数日で詰め込んだおフランス関連の知識を披露した。

「十八、十九世紀のフランスは、男らしさが価値を持っていた時代でしたから。フランスだけが特別だったわけではなく、あの時代のヨーロッパは、どこの国の事情も同じようなものだったって、お父さんが言ってました」

 「キレイな情報だけを取り入れて生きる」莉乃が、ことフランスのことに関しては、得意分野ではない下品なことでも、野蛮なことでも、ちゃんと学んでいるようである。いよいよもって、莉乃のフランス好きは筋金入りのようだ。

「丸菱運輸や海南アスピレーションの非道に敢然と立ち向かう莉乃ちゃんは、さながら戦乙女、ジャンヌ・ダルクのようだな」

「ジャンヌ・ダルク・・・」

 莉乃が唾をゴクリとのみ込み、表情を引き締めたのがわかった。世界史永遠のヒロインに自分を重ね合わせた莉乃は、虐げられし派遣スタッフを守るため、強大なブラック企業に立ち向かおうとしている自分に陶酔してしまっているようである。

 莉乃攻略の、大きなヒントが見えてきたような気がした。限られた手段でしか情報を取り入れることができぬ莉乃が、牛歩の速度でこつこつ、地道に造詣を深めてきた趣味―――莉乃が生涯のすべてをかけて極めようとしている学問、憧れ―――それを汚されるのは、自分の顔を傷つけられるぐらい、大きなダメージになるのではないだろうか。

 神がかりの状態を利用され、事が済んだ後は走狗として業火に焼かれた悲劇のヒロイン同様の最後を、この女に迎えさせることを想像すると、胸の奥が熱くなるのを感じる。史実のジャンヌダルクはお世辞にも容姿には優れておらず、乱暴するような兵士は誰もいなかったそうだが、労働組合のジャンヌダルクには、できれば俺のランスをぶち込みたいものである。

「さ・・・・それじゃ、会議に戻りますかね」

 
 腕時計に目を落とした唐津が、俺たちを引っ張るように、最初に部屋を出て階段を下りていった。
「おっ・・おい!その、君たちは、結局、付き合ってるんか?付き合ってないんか?」

 なにかが爆ぜるように、言葉が飛び出していた。先頭を切って歩く唐津の背中に、これまで喉まで出かかっていたが言えなかった質問を、とうとうぶつけてしまった。

 唐津と莉乃は、どこまで行ったのか。セックスはしたのか。今やそれこそが、俺の一番の関心事であった。

 俺だけの莉乃の身体。焦がれて焦がれて、抱きたくて抱きたくて仕方なかった、熟れた莉乃の身体が、唐津に征服されたのか、されていないのか。考え始めると、脳みそに火が付いたようになる。 
 オナニーの際、莉乃の身体をおかずにしたことは数知れない。最近では、純玲の身体を抱きながら、莉乃のことを想像していることさえある。純玲には申し訳ないが、俺は愛した女よりも、恨みが強いオンナの方が、性欲が増してしまうのである。生まれ持った性で、どうしようもないのだ。

 はっきりさせて、楽になりたかった。どれだけ怖くても、一縷の望みが消え去ってしまうのがわかっていても、聞かずにはおれなかった。

「いや・・・その・・・・まあ・・・・・まだ、そこまでは・・・・」

 唐津の返事は煮え切らない。もし交際の事実がないなら、はっきりと否定すればいいだけの話。横目でチラチラと莉乃の表情を窺っているのを見ても、やはり交際の事実がありながら、隠し立てをしているだけなのではないか。

 同じ職場に勤めている以上、実際に関係があるのなら、いくら隠そうとしても無理があると判断するのが普通だと思うが、やはり、まだ二十歳かそこらの少年にとっては、三十路を過ぎて、小学校低学年レベルの学力も持たない女と、周囲が認めたうえで真剣交際するという事実は重すぎるのだろうか?俺自身が、二十歳で女に飢えていたことを考えれば贅沢極まりない話で、それだけでも万死に値するともいえるが・・・。

「莉乃と圭一くんは、付き合ってるんです!もう三回もデートをしたんです!これからも、いっぱい、いっぱい、い~っぱい、二人で、いろんなところに行くんです!」

 莉乃がいっぱい、いっぱい、い~っぱいのところで、両手を大きく広げながら、唐津と交際の事実があることを力説した。下手するとリビングにいる連中にも聞こえそうなボリュームだが、わざと聞かせようとしたのかもしれない。

「へっへっへ。セックスはしたのかよ」

 俺がショックを受けているのが、内心おかしくて仕方ないのであろう桑原が、首を落としている俺を薄笑いしながら見て、さらに踏み込んだ質問をした。

「私たちは、もう愛し合いました!莉乃は、圭一くんの赤ちゃんを産むんです。元気いっぱいの赤ちゃんを、産むんです!」

 また、リビングにも聞こえるような大きな声で、莉乃が唐津と肉体関係があったことを、俺の目の前でアピールした。羞恥と喜びと、達成感とが入り混じって、莉乃の顔面は紅潮している。長い間の我慢が噴出したように、声音には熱が籠っている。今までみんなに発表したくて発表したくて仕方がなかった唐津との交際を、唐津と愛し合った事実を、とうとう明らかにできた。莉乃にとっては、今ここで人生が終わっても悔いはないといった心境であろう。

 一方、俺の心境はといえば、やはり唐津に莉乃の身体を征服されていたことがわかった口惜しさと、これで一切の迷いがなくなり、モヤモヤしていたのが晴れた爽快な気持ちとが混ざりあった、複雑なものであった。

「いや、あの、避妊はしてますから・・・」

 苦笑いしながら、莉乃の言葉を修正する唐津の顔面に拳をめり込ませたくなるのを、必死にこらえた。貴様が遊び程度の気持ちで抱いた莉乃に、俺がどれほど焦がれていたかわかっているのか。

 莉乃の洗っていないマンコの臭いを、嗅ぎたかった。莉乃の抜けるように白い肌を、隅々まで触り、舐めたかった。たった一度でも、莉乃の中で果てたかった。

 交際まで行かなくともいい。莉乃に一度でも俺を男として見てもらえれば、俺はそれでよかった。莉乃が俺を本気であしらいたかったのならば、むしろ、一度ヤラせるべきであった。

 男と女の根本的な違いとして、女は一度抱かれると、男への執着をより強めてしまうのに対し、男は昔の狩猟時代の名残からか、一度女を抱ければ、どれだけ焦がれた女にも、憑き物が落ちたように興味を失ってしまうということがある。執念深いこと無類の俺も、例外ではない。莉乃が俺にそんなに諦めてほしかったのなら、俺を傷つけるのではなく、むしろ一回ヤラせておけばよかったのだ。

 現代の基準ではお世辞にも美人とはいえない平安貴族じみた容姿で、しかも若くもない莉乃程度の女が、中古品であるところの汚く、臭いコーマンを、さも大層な物のように考え、宮城のような壊滅的不細工男ならともかく、俺ぐらいの男に何もさせないなど、お高くとまるにもほどがあるというものだ。恋愛に奔放なおフランス女を気取るならば、張り切って選り好みするのではなく、男をとっかえひっかえつまみ食いすればいいのであり、つまみ食いして貰えたなら、俺が莉乃を恨むことはなかった。

 俺が焦がれてやまない莉乃の身体を抱いたのが、宮城のような不細工男だったならば、何の問題もなかった。その男が経済力もない不細工だったなら、莉乃は単なる物好きだと見ることができるし、経済力がある不細工でも、努力ではどうにもならない顔の造形で負けたわけではないのだから、まだ納得できる。判官びいきの感情もあり、自分より弱い立場の相手に負けるのであれば、俺は潔く身を引く決意ができる。

 だが、相手が俺をルックスで上回る男に負けるのでは、簡単には納得できない。言い訳出来る余地がまったくない、ぐうの音もでない敗北では、俺に立つ瀬がまったくないではないか。

 度を越えた贅沢をする唐津が、許せなかった。他にもっといい女をいくらでも抱けるくせに、腐れかけの三十路女になど手を出してきおって。俺が死ぬほど焦がれた三十路女を持っていきおって。
 
 確かに今は俺にも女がいるが、だからこそむしろ、戦わなくてはならない。唐津のような男の贅沢を許していたなら、この先大切な純玲まで、唐津のような節操なしに奪われてしまうかもしれない。そうなってから騒いでも、もう遅い。災いの種は、災いになる前に、摘み取っておかなければならないのである。

 窮鼠猫を噛む――これは性的な鬱屈が臨界点に達した非モテ男の、生存権をかけた戦いである。世のモテない男を代表し、生態系の秩序を乱す極悪人に、この俺が天誅を下してくれる。直接的な動機は単なる嫉妬でも、唐津を懲らしめるのは、俺の中で十分な大義を見いだせることだった。

 階段を下りてリビングにつくと、ヒューッ、という大きな歓声と同時に、拍手が沸いた。莉乃、歓喜の瞬間である。こうして「王子様」と交際している事実を皆の前でアピールし、周囲から称賛の眼差しを浴びるために、莉乃は今までずっと、十二個も年下の男に色香を振りまいてきたのだ。

 莉乃が俺の想像を超えるバカでなければ、唐津への恋を人生最後の恋とし、この後、これ以上の男を得ることは望まないだろう。恐らく死にもの狂いで唐津を自分のもとに引き留めるように努力することだろうが、三十路女を重く感じている唐津の今現在の様子をみれば、可能性は五分五分以下といったところだ。 

 唐津に捨てられた後も、まだ莉乃が己の商品価値を客観的に見ることがなければ、四十になっても五十になっても「婚活」から解放されず、生涯独身で過ごすことになり、そうなれば俺の溜飲もいくらかは下がるだろう。が、あいにく、俺はそこまで自分に都合よく物事を考えることができない。莉乃が幸運に恵まれ、唐津と結ばれるか、唐津以上の男と結ばれる可能性だって、ないとはいえない。やはりこのタイミングで莉乃を潰さなければ、俺の気が晴れたことにはならない。

 これまで、おとぎ話のように自分に都合がいいだけの世界で生きてきた貴様に、初めて溝泥のような、汚い人間のリアルを見せつけてやる。今までうまく逃げてきたのだろうが、今度は俺が、逃がさない。キレイなものばかりを目におさめて生きてきた貴様に、世の中にはきれいごとではどうにもならないことがあるということを、思い知らせてやろうではないか。

 決意を新たに、後半の会議に席についたところで、一通のメールが入った。自宅に帰った、純玲からである。

――もう私、重治さんと別れる。

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尊敬してる東山の悪口を言う場になってしまっては桑原としては気分良くないでしょう?
しかし散々なパワハラを受けみんな良く辞めないですね。
蔵田は唐津と莉乃が最後まで行ったと知ってかなりムカついたでしょうが復讐する決意がより固まったでしょうね。
流石に唐津は莉乃との事はたんなる遊びでしょう?

No title

まっちゃん さん

 パワハラを受けなぜ辞めないのかという点についてはもう少し説明がいるのかもしれません。何しろ世の中に派遣会社は数千くらいあるらしいので・・。

 己の身の丈を弁えずにイケメンしか狙わない女を見てきましたがその高すぎるプライドが自分の首を絞めていると気づかないままでは、自分がプライドを踏みじった相手に復讐されるのも仕方ないことでしょう。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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