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外道記 改 6



                        6
  

 身に降りかかった災厄に、いかにしてケリをつけるか。日々思案を続けていたが、有効な手立ては何も思い浮かばない。俺は悶々と不快感を抱えながら、朝礼の際、仲良く並ぶ莉乃と唐津の背中に、邪悪な瞳を向けていた。

「莉乃さん、フランスの文化に関心があるんだって?松原さんから聞いたよ」

「うん。私は、フランスが大好きなの。こんど、圭一くんに、美術館に連れていってほしいな」

 このところ、連夜の大酒とゆかりへの暴力、睡眠不足で、思考能力が低下している。腰につけたシザーケースの中には、仕事で使うカッターナイフやハサミだけでなく、殺傷力の高いダガーナイフも入っている。いつ、スイッチが入って、莉乃と唐津を刺殺してもおかしくない、危険な状態にあった。

 東山から振り込まれる金のおかげで借金は減り、人生を立て直す道筋も見え始めた。ここですべてを台無しにしてしまうのは、あまりに勿体ない話ではある。まだ四、五十年ある人生を穏やかに暮らすことに比べたら、莉乃と唐津への嫉妬などは、実につまらない、些細な問題かもしれない。しかし、どうせつまらないことに拘るあまり、数少ないチャンスも棒に振り続けてきた人生である。最後まで自分を貫いて、人生そのものを棒に振るというのも一興ではないか。

 四、五十年生きたところで、俺に何がある?俺が持っている唯一の財産といえばゆかりだが、ゆかりは間もなく閉経を迎え、母乳は飲めなくなる。新陳代謝が悪くなってくれば、股間の臭いも少なくなるだろう。母乳も飲めない、まんこも臭くない、まともにコミュニケーションも取れない老いた女など、豚以下のシロモノだ。そんな汚物を抱えながら生きる四、五十年の人生よりも、ここで潔く社会、世間にケジメをつけて、拘置所で菓子とオナニーを日々の楽しみに、吊るされるまでの四、五年の人生を、ゆっくり、のんびりと暮らす人生の方がよくはないか。

 もう、楽になりかった。腹いっぱいまで、飯が食いたかった。俺が向日葵のような笑顔を向け合う莉乃と唐津の背後に忍び寄り、シザーケースの中身に手を伸ばした、そのときであった。

「先輩!先輩じゃないっすか~~!!」

 突然、俺の隣に立っていた新人の桑原が、育ちの悪さが滲み出た濁声を倉庫中に響き渡らせるのを聞いて、俺は寸でのところで凶行を思いとどまった。

「先輩!久しぶりっす~!」

 桑原が先輩と呼ぶのは、朝礼で本日の作業を指示するために派遣スタッフたちの前に立った、東山のようであった。東山の目の前まで歩み寄ってきた桑原に対し、彼に慕われている様子の東山は、ひきつったような表情を見せている。俺と再会したその日、俺に向けた顔と同じ顔である。明らかに、桑原を歓迎しているようではなかった。

「おい、お前!今は朝礼中だぞ!それになんだ、東山職長に対して、その馴れ馴れしい態度は!立場をわきまえろ!」

 桑原に注意をしたのは、派遣スタッフのリーダーを気取る深山である。桑原は百八十センチはある長身に、ガッチリとした体格をしており、髪型は五分刈り、背中に旭日旗と愛国烈士の刺繍が施された繋ぎ服を纏い、その上から派遣スタッフ用の作業エプロンを着ているという、世にも恐ろしい出で立ちをしているのだが、そんな相手に対しても、同じ派遣スタッフでさえあれば、しょぼくれたオッサンや根暗なオタクと分け隔てなく、偉そうに注意をする深山の一貫性は、ある意味尊敬に値した。

「東山先輩。先輩に会えて感激っす」

 桑原は、深山の注意には一切耳を傾けようとしない。雑魚には構ってられない、といった塩梅である。

「お、おう・・・。俺も嬉しい。俺も嬉しいから、作業の指示を聞いてくれ。な」

「はい!わかりました!」

 目を泳がせ、動揺している東山が頼むと、桑原は居酒屋の店員のような、とってもいい返事をして、大人しくもといた場所に下がっていった。過去に東山と何らかの関わりがあったらしい桑原は、中井のように、上司と部下の関係で渋々従っているわけではなく、本当に心から、東山を尊敬しているようである。

 桑原と東山との関係は、東山を金主とする俺には、当然気になるところである。俺はこの日、桑原と一緒のテーブルを取り、タイミングを見計らって話しかけてみた。

「なあ。お兄さん、職長の東山とは知り合いなのかい?」

「あ?なんだてめえ、文句あんのかてめえ?」

 こちらは文句など一言も言っていないのに、いきなりの喧嘩腰である。コイツとは意思の疎通が取れるのだろうか。深山と違い、人を見た目で判断する俺は、異様な風貌をし、死んだ魚のような目で俺を睨めつける桑原に恐れおののいた。

 桑原から話を聞くことは無理と判断した俺は、今度は廊下で東山を捕まえ、二人の関係について問いただした。

「アイツは、俺が以前働いていた運送会社の後輩だ。そのときから、奴は妙に俺に懐いていてな。前の運送会社が潰れるちょっと前、ヤツは暴行事件を起こしてムショに入り、そのとき以来になっていたんだが、当時とは人相が違っていたし、姓も変わっていたから、適当に履歴書を見て、若いってだけでついうっかり採用しちまったんだ・・・。どうしたもんか」

 労働者派遣法では、派遣会社から紹介された派遣社員に採用試験を課したり、面接を行うことを原則として禁じている。ただ、それではあんまりだというので、どこの会社でも見学や顔合わせの機会を設けているが、面接というほどではなく、あくまで時給や業務内容などの面でのマッチングの確認がメインで、よほどのことがなければ、顔合わせが原因で派遣先に断られるということはない。桑原も顔合わせのときは右翼のつなぎ服など着てこなかったのだろうし、二人は今日の朝礼のときにひさしぶりの再会を果たしたようだったから、おそらく忙しい東山が、顔合わせを中井に任せてしまったのだろう。

 しかし、体育会系のカルトな思想に魅入られた東山なら、自分を心の底から慕ってくれる後輩がいたら、逆に目に入れても痛くないほどに可愛がりそうなものだが、実際には、東山は桑原を苦手にしており、扱いに困っている様子である。 

「後輩ってのは、職場の後輩ってだけの意味じゃねえよな?」

 何かがある、と踏んだ俺は、東山にカマをかけてみた。

「ああ、知っての通りだ。アイツは俺と同じ医療少年院の出身だ。前の会社が、少年院や刑務所を出た若いのを積極的に受け入れる方針だったんでな。言っておくが、俺は二人分の金などは払えん。お前がアイツと一緒になって、二人して俺を強請るというのなら、俺はもうこの会社を辞め、家族も捨てて何処かへと去る」

 自分が威張り散らせる職場と、自分が腕一本、男根一本で作り上げた家族。俺と同じ、世間を自分の色で染め上げなくては生きていられない東山が、血の滲むような努力をして手に入れた生活環境、この生きづらい世間の中に作りあげた自分の「巣」を、簡単に捨てるとは考えられない。これは、そこまでやれば俺を殺害する、という警告である。

「心配すんなって。そんな自分の分け前が少なくなるだけのことをして、俺になんのメリットがある?見てるとお前のことを慕ってるみたいだし、桑原にもそんなつもりはねえだろ。ただよ、その代わりといっちゃなんだが、ちょっと協力してもらいたいことがあるんだ」

 桑原は、別の目的――忌々しい莉乃と唐津に復讐するための駒として、使えるかもしれないと見込んだ俺は、桑原を自らの配下に引き入れるため、東山に協力を仰ぐことにした。協力といっても、大したことではない。桑原の目の前で、俺と東山との親密さをアピールしてもらうだけのことである。

 しかし、それが効果覿面だった。バカに対しては、論より証拠である。桑原は、派遣の身分でありながら、己が尊敬する東山に偉そうにタメ口をきく俺をタダモノではないと思ったらしく、その日から俺に一目置くようになった。

「アニキ・・・お近づきの印に、これを・・・」

 桑原が入って二日目、彼からおもむろに手渡されたのは、中学二年の社会科の教科書であった。さっそく開いてみると、二ページめの日本地図の、上の方の余白に、マジックで大きく「天下統一をどうするか」などと書かれているのが目に入った。

「これは俺が中学時代に考えた、パクス・ジャポニカ、つまり、日本を中心とした世界秩序を作るための軍略です。一介の右翼にとっては机上の空論ですが、アニキのような、真に実行力のある方ならば、必ずや役立てて頂けると確信しています」

 日本地図には、余白の部分に、「二○一九年、天皇をよう立する」「二○二一年、そうりをたおす」「二○二四年、大陸侵攻を開始する」などの走り書きがなされ、その年度における版図拡大の様子が、歴史関係の書籍におけるイラスト風に、地図上に各色のマーカーペンで塗り表されている。ポジティブなことばかりを書くのではなく、「二○二六年、ばくりょう長が裏切る」など、勢力にとってマイナスな自体も想定されているのは、芸が細かいのか何なのか。

 大事な教科書を汚さず、せめてジャポニカ学習帳にでも書き込んでいろといった話だが、昨日、作業中の会話で、自分が歴史好きであることを語った俺に、桑原は好意のつもりでこれをくれたらしい。

 いくら天才軍略家の書といっても、一介の外道、一介の変態に過ぎない俺にこれを活かす道があるとは到底思えないが、これから大きな力になってもらう配下からの献上物を粗略に扱うわけにもいかない。

「お、おう。ありがとう。参考にさせてもらうぜ」

 常識離れした発想で、俺の度胆を抜いた桑原。しかし、桑原の規格外の言動は、これだけではなかった。

「東山先輩は、マジちょーかっけーっすよ。俺もレイプに盗みに恐喝に、数えきれないくらいの悪事を働いたけど、殺しだけはできねーもんなー。せいぜい、少刑で反目してた相手を、自殺未遂に追い込んだくらいですよ。同級生の女の子を滅多刺しにするなんて、ぜってーできねーもんなー」

 悪事が勲章になる世界で育った桑原にとっては、東山の殺人は英雄的行為に映っているらしい。その英雄を人殺しまで追い込んだのは俺であるが、英雄のさらに上をいったと俺を評価してくれるのか、彼のヒーローを追い詰めた俺を憎むのか、どちらともいえず、俺と東山の過去の関係を暴露するのは躊躇われた。

 また、ある日、二人並んで小便をしたときのこと。

「アニキ・・・。宇宙船の部品とかが地球の周りをものすごい速さで回ってるやつを、宇宙ゴミっていうじゃないですか。それを英語で言うと、スペース・デブリじゃないですか」

 桑原は顔に似合わない横文字を口にし、世界征服だけでは飽き足らず、宇宙にまで話しのスケールを広げていく。

「あ、ああ・・。それがどうした」

「じゃあ、俺のこの、ちんこのゴミは、ペニス・デブリっていうんですかね」

 それを言うならせめて、ペニス・ダストではないかという話であるが、たぶん、真顔で恥垢まみれのペニスを俺に向ける桑原の脳内には、常人には理解しえない、大宇宙が広がっているのだろう。

 バカと天才は紙一重などというが、世の中にはどうしても、日常生活を営む上でなんら必要のないことばかりに思考を費やしてしまう人がいる。その発想が社会にとって有益なものに結びつけば、その人物は天才と呼ばれ、役に立たぬものなら、その人物はバカと呼ばれる。傲慢な社会の側が、勝手にそれを決めるのだ。

 歴史の授業中に自分が世界征服することを、天体や生物の授業中に宇宙ゴミと恥垢を結びつけて考えてしまう桑原が社会からドロップアウトし、犯罪行為に走ってしまうは、仕方のないことである。それは彼の脳の構造の問題なのであって、自己責任などではない。桑原も俺と同様、社会への復讐者としての定めを背負った男だったのだ。

 空前絶後のバカか、希代の天才か。どれだけ働いてくれるかまったく計算できず、下手したら大損害を与えられるリスクもあるが、ときに計算以上の大仕事をやってくれるのも、こういうタイプである。

 莉乃、唐津、その周辺の者ども――。俺に不快な思いをさせたあの者どもは、絶対に許さない。
かならず目にもの見せてくれる。平和ボケの脳内お花畑野郎どもが発散する気だるい空気を、必ずや霧消させてやる。歓喜のエンディングが約束されためくるめくおとぎ話をぶち壊せるのは、桑原のような、既成概念の外にいる人間なのだ。

 新しく入った桑原とバカのようなやり取りをすることで、とりあえず三食、飯が食えるくらいまでには回復してきたものの、莉乃と唐津が日を追うごとに親密度を深めていく、忌々しい状況が変わったわけではない。また、その状況を打破する具体的な策が描けたわけもない。このままいけば、せっかく獲得した駒である桑原を使う前に、俺が単独で「暴発」してしまいかねなかった。

 復讐を決意した人間にとって、恨みの強さはそのまま原動力となるが、そればかりに囚われていてもいけない。想いというものは内に秘めておくべきものであり、冷静に事を運ぶには、ある程度、余裕というものがなければいけない。

 やはりどうあっても、女を作らなければならないようだった。俺が莉乃と唐津への恨みを無くすのだけでなく、莉乃と唐津に復讐するためにも、俺の身体は若い女体を必要としていた。

 この時点の俺は、莉乃と唐津への強烈な敵意から、まるで桑原を除く派遣スタッフの全員が、莉乃と唐津に味方しているように思い込んでいた。

 だが、実際にはそうではなかった。丸菱で働く海南アスピレーションのスタッフは二十名近い。その二十名すべてがおとぎ話の住人であったはずもなく、奴らの世界にまつろわぬ者は、ちゃんといたのである。

 ある日のこと、作業中に莉乃と、ある女の派遣スタッフとの間で、揉め事が起きた。

「島内さん。ここはさっき、圭一くんにいわれたところです。同じ失敗を、二度するのはいけないことだと思います」

 莉乃にそう注意をされ、女の派遣スタッフ、島内純玲が、わっと泣き出してしまったのである。かなり取り乱した感じで、とても仕事は続けられそうもない様子であったため、純玲は東山から早退を命じられ、定時間を待たずして帰っていった。

 その直後に、莉乃とその取り巻きから聞こえてきたのが、次のような会話である。

「なんなの、あれ。ちょっと注意されたくらいで泣きわめいちゃって」

「失敗ばっかしてるし、それをすぐ報告も、相談もしない。あれじゃ言われるのは当たり前なのにね」

「性格もちょっとおかしいとこあるしな。変にバカ丁寧かと思いきや、いきなり怒ったり、泣きだしたり、不安定だよな」

「和を乱す人には、辞めてほしいよ」

 イジメは絶対になくならない。それは人が団結して生きるために、必要不可欠な行為だからである。

 国家でも軍隊でも学校のクラスでもいいが、人間同士が、思想や生い立ちの垣根を越えて強固な団結心を得るためには、必ず「アイドル」「ヒーロー」と、「巨悪」が必要だ。丸菱運輸の派遣スタッフでいえば、莉乃や唐津のような、愛すべき王子様、お姫様をみんなで盛り立てていくことと、東山のような「暴君」に対抗するために心を一つにすることがそれに当てはまるが、もう一つ、特定の人間を見下して「賤民」とし、みんなで一緒になって差別するというやり方もある。自分たちより大きな存在を崇める、あるいは立ち向かうだけでなく、弱く、小さな者を叩くことでも、集団の団結力は高められるのである。

 その場合必ず、自分たちの後ろめたさを解消するために、あいつは劣っているから、うまくできないから、ではなく、あいつは「悪いヤツ」だから、差別されても当然なのだという大義名分が掲げられる。やっていることはただのイジメだとしても、その行為をけして悪とは認めず、逆に自分たちのほうが、正義の名のもとに、秩序を乱す悪を叩いているのだ、と主張する。俺と東山の「生存競争」は、最初は巨悪に立ち向かう構図だったのが、いつの間にか立場が逆転し、「賤民」への差別となってしまった例であろう。

 正義などは、人が欲望を正当化するためにでっちあげた、ただの欺瞞である。所詮はその場、その時々の強者の都合によって変わるものでしかない。

「まあ、辞めてほしいは言いすぎですけど、一回みんなで、ガツンと言ったほうがいいかもしれませんね」

 上から目線で、偉そうにそう語るのは、近頃、古株の深山を差し置いて、派遣スタッフの若きリーダーの風格を漂わせつつある唐津である。

 おとぎ話の住人どもから悪のレッテルを張られ、「魔女裁判」を受けさせられそうになっている島内純玲に同情した俺は、その晩、勤務を終えると、もちろん下心もあるが、半分は本当に彼女を慰めるつもりで、東山から住所を聞いて、純玲のアパートに足を運んでみた。純玲とは数回、あいさつ程度の言葉を交わしただけであったが、彼女は俺の訪問を快く受け入れ、外食の誘いに応じてくれた。

「ほんとありがとう。誘ってもらって嬉しい・・」

 居酒屋の席につくと、島内純玲はすでに涙ぐみながら、俺に感謝の念を伝える。昼間の件は、やはり相当に、彼女の心にダメージを与えていたらしい。

「いや、昼間あんなことがあったからよ、本当に心配になったんだ。まあブスだったら心配なんかしねえけどさ、姉ちゃんは可愛いからよ」

 濃い目の化粧、明るく染めたソバージュの髪。東山から聞いた年齢は、二十七歳。冗談が通じ無さそうな印象だった莉乃とは違い、経験した男の人数が多そうで、それなりに酸いも甘いも噛分けてきたような印象の純玲には、最初からくだけたナンパ口調で会話をすることができた。

「見苦しいところを見せてごめんなさい。他の人から注意されるのはどうもないんですけど、あの人だけはちょっと・・・。理屈じゃなく、頭に血が昇っちゃって、冷静になれなくなって・・」

「あの人ってのは、下川莉乃のことかい?アイツが嫌いか?」

「・・・・・はい」

 男女問わず、派遣スタッフのほとんどから愛されている莉乃に、なぜか敵意を示す純玲。彼女の心の中で何が起こっているのか探るため、俺は純玲にアルコールを勧めつつ、これまで彼女が送ってきた人生について聞き出してみることとした。

「子供のころからちょっとしたことで泣いたり怒ったり、感情の揺れ動きが激しくて、人間関係がうまくいかなかったんです。友達になってくれた子がいても、私から縁を切っちゃって・・・」

「自分から縁を切ったってのは、どういうことだい?」

「すごく仲が良かった友達だったんだけど、その子はみんなから好かれる子だったんです。私以外の子と仲良くしてるのを見るのが耐えられなくて、ある日、電話で、私と縁を切ってくれって頼んじゃって・・・」

 悩み患うくらいなら、悩みの種ごと消し去ってしまうという発想。思いつめると極端な思考に走るタイプの女だろうか。いずれにしても、女友達に対してそこまで強い執着と嫉妬心を見せてしまうほどなら、好きな男などができたら、とんでもないことになってしまうのではないか。

「恥ずかしいけど、その通りです。電話の向こうから、全然関係ない通行人のハイヒールの音が聞こえてきただけで不安になったりするくらい、異常に嫉妬深くて。そのくせに、向こうが私のこと大事にしてくれてるのに、私が勝手に怒って別れを切り出して、音信不通になっちゃったこともありました。一人の人と、長く続いたためしがないんです」

 ファストフード、ファストファッション――気軽に物が手に入り、気軽に捨てられる時代である。人間関係にも、同じことが言えるのかもしれない。

 他人を深く思えることよりも、他人に執着しすぎず、一定の距離感を保てることが重要視され、多くの異性の間を渡り切ったことが一種のステータスとされる。昔なら情が深いと言われていた人間が、重い、面倒くさいなどと言われて敬遠され、昔なら情熱的とか言われていた人間が、ストーカーの烙印を押されて気味悪がられる。良くも悪くもドライな世の中で、人間味豊かで、思いが強い人間が、生きづらさを感じてしまっている。

 優しく、思いやりに満ち溢れた純玲は、薄味の人間関係が尊ばれる時代に生まれてしまったせいで、ずっと苦労を重ねてきた。今の世を憎む者として、俺は純玲にシンパシーを覚える。この女は紛れもなく、俺と似た女である。

 だが、この女の方が、俺に共鳴してくれるかどうかはわからない。俺が社会的弱者に同情的なのはあくまで一般論であって、個人の立場としては、俺は俺の思想信条をよく理解し、何らかの形で支援してくれる者だけの味方である。若い女であれば、セックスの相手をしてくれるかどうかも大事なことだ。いくら同じ社会的弱者といっても、莉乃や唐津のように、俺の価値観に相対し、俺に何らの利益も齎してくれないヤツだったならば、そいつは俺の敵でしかない。

「両親はどっちもすぐ怒る人で、殴られたりもしました。私がだらしなくて、言いつけを全然守らなかったり、すぐ物を失くしたり、部屋を散らかしちゃったりしたのもあるけど・・・。一度、怒り狂った母親に、部屋に閉じ込められたことがあって、どうしてもトイレに行きたくて、二階の窓から飛び降りたら、背中を怪我しちゃって・・・。親は虐待を疑われるのを恐れて、病院には連れて行ってもらえなくて・・。学校に言うのも止められてたから、体育の授業を休んだとき、先生に仮病だと疑われて怒られたのは辛かったなあ・・・。今でも気温が下がると、古傷が疼くんです」

 感情の起伏の激しさは、血筋なのかもしれない。良い親か酷い親かで言ったら酷い方だとは思うが、どんな親でも、子供にとってはこの世に二人しかいない親である。俺もかつて両親と骨肉の争いを繰り広げ、廃人にまで追いやった過去を持つが、だからといって、何も知らない他人から親を悪く言われれば、いい気はしない。この場面は、頷くのみに留めた。

「もう一つ酷かったのは、これは完全に私が悪いんですけど、お兄ちゃんが友達とファミコンで遊んでいるとき、私に構ってほしくて、偶然を装ってファミコンを蹴飛ばしちゃったこと。セーブデータが飛んじゃって、お兄ちゃんすごく怒って、私に熱湯を浴びせかけてきて。そのときの火傷が、ほら、今も残ってるんです。自業自得ですけどね。あのときはお兄ちゃんに、本当に申し訳ないことしちゃったなあ」

 お人好しで、寂しがりやで、自罰的な傾向が強い女。騙して金を奪うことは、俺にも容易にできるかもしれない。しかし、この女を陥れてやろうなどという考えは、どこからも湧いてこなかった。この女を、俺がどうにかして守っていけたらと思う。この女に、俺を支えてほしいと思う。同じ社会の中で生きづらさを感じている者として、この女には強いシンパシーを感じる。そのうえ見た目がいい。

 飛び切りの美人というわけではない。細面の輪郭はいいが、鼻がぺちゃんこに潰れ、目は大きいが、その下には苦労からか濃いクマができ、まだ二十代だというのに、深いほうれい線が目立ってしまっている。ランク分けすれば十点中五点、どこにでもいる普通の女である。だからこそ強く惹かれた。

 俺が美人を追い求めないのは、単に競争率が激しく、手に入れられる望みが少ないからというだけではない。何もかもに恵まれ、踏みつけられる人間の気持ちなどまったく知ることもなく生きてきた美人とは、どれだけ会話や趣味が合ったとしても、最後の最後のところで、絶対に分かり合えないに決まっているからである。

 コンプレックス――俺の宝。俺はコンプレックスを否定しないし、捨てようとも思わない。コンプレックスのないヤツとは、友人にも、恋人にもなれない。コンプレックスも持たず、踏みつけられる人間の気持ちがわからないヤツなどは、野蛮人と一緒だ。野蛮で下等な美人などよりも、俺はコンプレックス塗れの、並み程度の女に強く惹かれる。太陽のように眩い光には耐えられない、傷つき弱った俺を、コンプレックスに塗れているがゆえに人の痛みがわかる優しい女に、月のように照らして欲しい。

 俺が当初、莉乃に期待していたのも、それであった。お世辞にも美人とは言えない地味な容貌で、若くもなく、学習障害まで抱えた莉乃は、コンプレックスの塊であり、自分に自信がない女だと思っていた――が、莉乃は俺が期待するような女ではなかった。

 コンプレックスがなかったわけではない。むしろ莉乃は、俺と同等か、それ以上のコンプレックスの持ち主である。

 莉乃が俺と違ったのは、コンプレックスを全否定していたところだった。莉乃はコンプレックスはすべて悪いものだと決めつけ、コンプレックスを抱えている自分を、心底恥ずかしいと思い込んでいる。莉乃にとっては、自分と同じ、コンプレックスの塊である俺のような男と付き合うことは、「傷のなめ合い」にしか見えず、到底受け入れられるものではない。コンプレックスの塊のような俺に、「同じ穴の貉」と見られていることに異常な嫌悪感を示す莉乃は、俺をメタクソに踏みにじることで、自分を必死に、生まれつきコンプレックスとは無縁の、イケメンや美人の側に置こうとしていた。

 コンプレックス塗れの、並み程度の女を、「同族」だと考える。だから、気持ちを踏みにじられたとき、より強い憎しみを感じてしまう。

 ある国で、「並顔族」という民族が「美刑族」に支配され、苛烈な収奪を受けていた。並顔族の男Kは、並顔族にとって不倶戴天の敵である「「美形族」には強い反感を感じているが、あんな野蛮な連中には何を言っても通じまい、という諦めの気持ちもあり、反乱を起こそうとまでは思わない。それよりも、並顔族は並顔族どうして、お互いをいたわり、仲良くやっていければいいのではないか、と考えていた。

 しかし、ここに「並顔族」でありながら、自分を「美形族」の一員だと信じ込み、美形族に徹底的に媚びを売り、美形族と一緒になって、並顔族を虐げ、収奪を行う女Rが現れた。

 大事なのは、このとき、並顔族の男Kの憎しみは、もともと並顔族を虐げていた美形族ではなく、「同族」を裏切ったRの方に、強く向かうということである。言葉も通じない野蛮な美形族には何を言っても無駄かもしれないが、Rは同じ並顔族なのに、どうして奪われ、虐げられ、踏みつけられる人間の痛みがわからないのか、と思ってしまう。長い間自分を支配していた美形族に腰寄せるなど、なぜそんなプライドのない、恥知らずな行為ができるのかと思ってしまう。

 願わくは、純玲は自分のコンプレックスを全否定しない女であってほしい。干上がった泉のような、カラカラに渇いた心を持った者にも構わず照りつける太陽のような女ではなく、強すぎる熱と光に傷つけられた心にも優しい、月のような優しい女であってほしい。

 俺は純玲と結ばれるべく、純玲が語ったのと同様、彼女に自分のことを話し始めた。東山との「生存競争」など過激なエピソードは取りあえず伏せておいて、自分がいかに社会に適応できなかったか、社会の中で生きづらさを感じてきたかを伝え、俺が純玲と同じ苦しみを抱えた人間だということをアピールした。

 互いを分かり合えたとき、男女の仲は急速に深まる。夜更けに、俺は純玲と結ばれた。ゆかりのような化け物ではなく、ちゃんと女の形をした女と性交するのは久々の機会であり、年甲斐もなく二回戦、三回戦を所望し、繰り返し絶頂に達した。

 今まで、世間の連中とは考えが違うことを散々思い知らされてきた俺だが、女を愛する気持ちだけは、世間一般的な男と大差はないと思っている。純玲との出会いにおいて、俺は、三十二年の屈辱と恨みから、束の間解放されたのである。

 かくして、俺と純玲の交際はスタートした。

「お前はずっと俺の女だからな。お前が他の男に走ったら、そのふざけたヤローは絶対殺す」

 俺は純玲の心を掴むため、早い段階から過激な言葉を用いていた。男を道具のようにしか考えていない、莉乃のようなドライな女になら、引かれて逆効果になるのだろうが、人を想う気持ちの強い純玲ならば、女のことをそれほどまでに想っている愛の証と受け取ってくれると確信したのである。

「私は重治さんから離れないよ。ずっと大事にしてね」

 純玲の答えはまさに俺の思い通りで、交際は出足から順調であった。

 だが、付き合い始めて一週間ほどが経ったころ、一つの問題が浮上してきた。純玲のアパートは丸菱の倉庫から歩いて三十分ほどのところにあるそうなのだが、彼女はどういうわけか、俺を家に上げてくれないのである。

 男と女が身体を重ね合わせるには、身を横たえられる場所が必要である。俺の家には化け物ゆかりがおり、純玲を上げてやることはできない。ラブホテルに行くしかないのだが、せっかくタダでヤレる環境が近くにあるのに、毎回わざわざ金を払ってホテルに行き、時間制限の中で、限られた回数しかできないというのは、やはり口惜しいものがある。

「なあ、いい加減そろそろ、お前のうちでしようぜ。一人暮らしなんだろう?何も問題はないじゃねえか。それとも、俺に住所を知られるのが嫌なのか?」

「そうじゃないよ。私の家は散らかってて、人を上げられる状態じゃないんだよ・・」

「なんだよ、それ。片づけりゃあいいじゃねえか」

「簡単に片づけられるような次元の汚さじゃないんだよ・・・」

 仕事で失敗の多い純玲を見ていて、俺は彼女には、ADHD――注意欠陥、多動性障害があるのではないかと、前々から疑っていた。学校や会社で、落ち着いて自分の席に座っていられなかったり、町へ出たとき、フラフラと親の目を離れてよく迷子になったり、後先のことがまったく考えられず、高いところから飛び降りたりなどの無茶をよくする「多動性」と、忘れ物や落とし物が多く、時間の感覚が希薄で期日を守れなかったり、遅刻をしがちで、仕事や日常生活で細かいミスの多い「注意欠陥」の二つを併せ持つ発達障害である。

 整理整頓が苦手で、部屋の片づけができないのも、ADHDの典型的な特徴だ。十何年か前に、そういう女が多いというタイトルの本がベストセラーとなったが、昔からの性役割のイメージで、女は男よりも家事がちゃんとできなければいけないと思いこんでしまうせいで、男よりも余計に気に病んでしまう傾向があるという。

 欧米では古くから認知されている障害で、特効薬も市販され、学業や仕事でも一定の配慮を受けることができるが、例によって発達障害の理解が遅れている日本では、いまだに「怠け病」などとも言われ、本人の努力不足だけで済ませられがちである。学齢期はまだいいが、社会に出てからは、失敗を繰り返すせいで自信を失ってしまい、失職や、うつなどの精神障害にも繋がりやすい。
 ADHDは俺自身にもその特徴が疑われるため、莉乃の学習障害よりも、知識は豊富であった。純玲が今まで味わってきた苦労も、容易に想像できた。

「だけど、このままラブホで金を払い続けるのはバカらしいだろう」

「それはそうだけど・・・」

「じゃあ、こうしよう。あと一週間待つから、何とか部屋を掃除してくれ。それができなきゃ、汚いままでいいよ。ゴミためみてえな部屋だろうが、俺はお前と一緒にいられるなら、まったく気にはしねえよ」

 反対に、俺の方がゆかりを追い出せばそれでも解決にはなるのだが、ここ一か月ほどの絶え間ない暴力により、ゆかりの顔面には無数の傷が出来ており、今放り出せば警察沙汰になってしまう恐れがあった。なんとしても、純玲に片づけを頑張ってもらわなくてはならなかった。

 が――。純玲は頑張れなかった。一週間経っても、部屋を片付けられなかったのである。

 純玲が発達障害、ADHDなのだとしたら、これは頑張る、頑張らないの問題ではない。ADHDに整理整頓をきっちりやれというのは、半身不随者にフルマラソンを走れと言っているようなものだ。努力が足りないのではなく、脳の構造が人と異なっているのである。

「やっぱり、ホテルに行こう。私がこれからずっとお金を払い続けるから」

「バカなこと言ってんじゃねえよ。ゴミためだろうが気にしないって言ってるだろ。俺が信用できねえのか」

「・・・・わかったよ」

 渋る純玲を説得し、ようやくのことで、俺は純玲の部屋に入ることができた。

「・・・・ごめんね」

 申し訳なさそうに謝る純玲。確かに、部屋は足の踏み場もないほどに散らかっている。生活用品や書物だけでなく、食べ物の袋や紙くずなどのゴミも溢れかえり、衣服も脱ぎっぱなし。布団を見れば、シーツに生理の経血がシミになってしまっている。

「ごめんね、汚いよね」

 純玲は部屋の状態について俺に謝りながら、ガムテープで布団についた髪の毛を拾い集めている。それより先にやるべきことがあるだろう、とは、誰もが突っ込みたくなるところだろうが、ADHDの脳は、物事の優先順位をつけるのが極端に苦手なのである。やらねばいけないことがいつも後回しになり、どうでもいいこと、後でやればいいだけのことから先に手をつけてしまうのだ。

 誰にでもできることが、本当にできない。この障害の持ち主は、本来、活発で明るいという性格的特徴を持ち、子供のころは友達が多かったりするのだが、成長するにつれ、社会生活の中で周囲の理解を得られないために、自信を極端に失ってしまい、大人になってからは、殻に閉じこもりがちな人生を送ってしまう場合が多い。

 純玲が二十七年の人生で味わってきた苦労と苦悩は、純玲がずっと閉じこもってきた、この部屋の状態を見れば、容易に想像できた。

「気にしねえって言ったろう。お前のようなイイ女が俺の女でいてくれる。それだけで十分だ」

 常識的な感覚として、純玲が俺に後ろめたさを感じるのはわかるが、俺にはまったく気にならなかった。別に、自分で宣言したことを無理に守ろうとしているわけではなく、本当に気にならないのである。逆に、ここまで汚れていれば簡単に引っ越したりなどはできず、俺から逃げないと安心できる。大体、こんな程度で汚れているなら、一人の少女を間接的に死に追いやり、自分の親を廃人にまでした俺は、どうなるというのか?俺の心象風景を映しているかのような純玲の部屋の状態は、むしろ心地が良かった。

「部屋はこれから少しずつ、片付けていけばいいよ。何だったら、俺も手伝うしさ。ゆっくり、お前のペースでやればいいんだ。全部終わってきれいになったら、二人で一緒に住もう」

 パートナーに発達障害があることがわかって、それでも一緒にいたいと思うなら、何よりもまず、寛容さが必要だ。

 まったく何もさせないのではない。できることを、本人のペースでやってもらう。半身不随者がフルマラソンを健常者と競争することはできないかもしれないが、何日かけてもいいから、自分のペースで完走することだったらできる。他人とくらべてどうこうではなく、パートナーのペースに合わせて、一緒に走る喜びを大事にできるかどうかである。

「ありがとう。私も重治さんのような人が私の男でいてくれるだけで十分よ」

 俺が部屋の中で十分に寛いでいる様子を見て安心した純玲は、俺にますます気を許し、人に話しづらい己の過去について語ってくれた。

「家にはお金がなかったから、私たち兄妹は、中学を出たら働いて暮らさないといけなかったの。先にお兄ちゃんが入った酪農家に私も入れてもらって、二人で中国の留学生たちと一緒に働いてた。でも、どんなに一生懸命に働いても、月給は食費と寮費を抜かれたら五万もいかなくて・・。お兄ちゃんは段々真面目に働かなくなって、とうとう仕事をやめて、中国の人たちと一緒に悪いことをするようになっちゃったの。それで二十一歳のとき、敵対する日本の不良グループのメンバーを殺して、死刑判決を受けて・・・・」

「話してくれてありがとうな。兄さんは可愛そうな人だったと思う。俺としては、お前がイイ女であり、俺の女である。何度でもいうが、それだけで俺は十分だ」

 それ以外に、何も求めるものはない。純玲の過去は、交際になんら不都合とはならない。それどころか、俺を信頼して話しづらいことを話してくれたと嬉しくなる。純玲が他の男に走らず、ずっと俺の元にいてくれる確信が持てて嬉しくなる。

 俺は純玲に総選挙で一位を取ってほしいわけでもなければ、誰もが憧れる純玲を手に入れた自分を誇りたいわけでもない。ただ、島内純玲という女と一緒に居られればいいだけだ。

 俺からすれば、世間からの純玲の評価などはどうでもいい。いや、悪ければ悪いほどいい。純玲の持つ劣等感が深ければ深いほど、純玲の背負った不幸が大きければ大きいほど、純玲は俺のところにいてくれると、安心できるのである。

 何事も裏表である。世間の者どもから情緒不安定と見られる純玲は、俺から見れば感情豊かで天真爛漫な女。世間の者どもから執念深いストーカー気質と見られる俺は、純玲から見れば、一人の女にとことん愛情を注げる一途な男。世間の価値観に染まれないということは、固定観念に囚われた人間が、正当な理由もなく敬遠しているものを、何らの抵抗もなく受け入れることができるということ。

 愛情に恵まれぬ家庭環境があった、発達障害があった、犯罪加害者の血縁だった。だから、この女を大事にしなければならない・・・不幸の三重苦を背負った人だから、幸せにしなくてはならない・・・。そんな上から目線で、純玲を見るつもりはまったくない。ただ、この女とずっと一緒にいたい。それだけだった。

 純玲を手に入れた俺は、東山に命じ、職場に掻き集めたアホ女たちとの契約を一斉に切らせた。もともと、働きぶりに問題があった連中である。どこからも文句が出る筋合いはなかった。

「もう、これからはあんな無茶を言うのは勘弁してくれよ。こっちは大変なんだ」

「わかってるって。詫びと言っちゃなんだが、来月の支払いは半分でいいからよ」

「え?いいのか?・・・・すまない」

「迷惑かけたんだからな、当然だ。お前の方も、俺に協力できることがあったら何でも言って来いよ。ガキの幼稚園の送り迎えから盗みに殺しまで、何でもやってやるぜ」

 寄生虫としての生活も安定してきた。宿主を生かさず殺さず、じわじわと養分を搾り取ることを長らく続けていると、宿主はいつしか、それが普通の状態なのだと錯覚するようになる。時々情けをかけてやったり、頼みをきいてやれば、なぜか感謝され、次から気持ちよく養分を吐き出してくれるようになる、というおかしな現象が起きる。

「お前にとっちゃ災厄だろうが、俺はこの丸菱に派遣されてきて本当によかったよ。今までの派遣先じゃ、散々な目に遭ってきたからな。お前や中井なんて仏に見えるような奴らに散々扱かれて、ケガも負ってきたし、精神を病んで、鬱になったこともあったからな」

 自分の人生を卑下し、とことん情けない男を演じる。これも寄生虫には重要な仕事である。人というものは、どれだけ自分に酷いことをした憎い相手であろうと、そいつが自分よりも社会的に低い地位におり、恵まれない労働環境、生活環境の中で苦労していると思えば、溜飲も下がり、ある程度納得できるものだ。少なくとも、そんなヤツに復讐してもしょうがないと思うだろう。

 プライドの高い東山に、これは強請りなどではなく、俺のようなどうしようもないゴミに、東山のような聖人が施しをやっているのだ、というふうに思わせられれば、こちらのものだ。身体はでかいが脳みそは小さい東山は、徐々に徐々に、俺の術中に嵌っていっているようだった。

「純玲。この間行った、まんこつラーメン屋にまた行こう」

「うん。重治さんが前に付き合っていた、ゆかりさんって人のあそこの臭いがする、とんこつラーメン屋さんね。私もまんこつラーメン大好きよ」

 考え方から趣味嗜好、造語の使用まで俺に合わせようと努力してくれる純玲。世間の常識から隔絶された、俺の独自の世界を理解してくれ、好きだと言ってくれる存在はどこまでも愛しい。純玲との交際によって、莉乃や唐津に蝕まれた俺の精神は日増しに回復してきた。

 純玲との交際に自信を深めた俺は、自分に同居人がいることを、純玲に打ち明けた。純玲の部屋の状況と同様に、いつまでも隠し通せることではない。いつかは話さなければならないことである。

 純玲は初めびっくりしていたが、ゆかりに愛情はまったくないこと、DVが発覚する可能性があり、放り出すわけにもいかないことを伝えると、納得してくれた。そして、ゆかりに見せつけながらセックスをし、俺を他の女に奪われたゆかりの嫉妬心を利用して、新鮮な刺激が得たいという俺の頼みを聞いてくれたのである。

 純玲は初めびっくりしていたが、ゆかりに愛情はまったくないこと、DVが発覚する可能性があり、放り出すわけにもいかないことを伝えると、納得してくれた。そして、ゆかりに見せつけながらセックスをしたいという俺の頼みを聞いてくれたのである。

「凄い・・いいっ、いいよぉっ。重治さん好き、大好きよ」

 最初は戸惑いを見せていた純玲も、いざ、醜い婆であるゆかりに見せつけながらするセックスを始めてみれば、すぐにノリノリになった。嫉妬深い純玲は、それであるがゆえに、他の女から男を奪うことに興奮を覚えるタチでもあったらしい。

 危惧していたのは、ゆかりへのDVが発覚してしまうことで、純玲が俺に恐れを抱いてしまうことだったが、その不安は見事に払しょくされた。純玲はむしろ、他の女に酷いことをする男が、自分にだけは優しくしてくれるという事実に、喜びを感じてくれたのである。

 良い人よりもちょっと悪いくらいがモテるというのは、ようするにそういうことなのだろう。自分勝手といえば自分勝手な話だが、女は一度好きになった男には、とことん盲目的なのだ。

「ゥうううう・・ケンちゃん、一たす一は二、一たす二は三だからね・・・・・ゥううううっ・・・・」

 ゆかりは俺と純玲が重なり合うのを直視しようとはせず、ひたすらに気味の悪い呻き声と、わけのわからぬ言葉を発し続けていた。これまで散々に酷い目にあわせており、俺への感謝と愛情はとうに失せているはずだが、いざ俺を他の女に奪われるとなると、現実を受け止められぬようである。

 顔が腫れあがるほど殴られ、毎日五キロで千円の家畜の飼料米だけを餌とする食生活に耐え、最愛の我が子まで捨てられて、それでも俺の元から逃げ出さず、毎晩セックスの相手を勤めてきた自分の苦労は、いったい何だったのか・・・。ゆかりは今、深い絶望と、ひどい理不尽を突き付けられたと感じているのであろう。ゆかりのその絶望こそが、俺のペニスに、鋼鉄を断ち切る硬度を与え、純玲に天に昇るような快楽をもたらす媚薬となるのだ。

「気持ちいい。気持ちいいなあ、純玲。どっかの不潔な豚と違って、純玲の身体は石鹸のいい香りがするぜ」

 真夏に何日も風呂に入らせず、排泄の後ウォシュレットは絶対に使わせず、部屋の中にいるときも通気性の悪いブーツを履かせるなど、今まで俺は、ゆかりの身体を臭くすることに、徹底的なこだわりを持っていたはずだったが、純玲とセックスをするときに限っては、どういうわけか、俺の不潔嗜好的な性癖は陰をひそめていた。女の肉体を貪るだけなら臭いほうが興奮しても、外を連れ歩くときなどは、風呂に入っていなければ何かと不都合がある。ゆかりと違って純玲に対しては、俺は肉欲以外の幸せを求めているという証拠である。

 つい最近まで、醜く汚いゆかりとしかできなかった俺が、今はそこそこの容姿で清潔な純玲とできている。何であれ自分の生活が向上するというのは、嬉しいものである。同時に、自分が乗り捨てた女を苦しめることで、いま愛している女にも、勝利の快感と、男に愛される幸福を与えてあげられるこのひと時は、俺に何ものにも代えがたい喜びを感じさせてくれた。

「ううががあああっ!!ががががああっ」

 乗り捨てられた女は、大人しく負け犬のままではいなかった。豚が鬼の形相になり、ゆかりは己から男を奪った純玲に殴りかかっていったのである。気の小さい俺は突然のことに竦みあがり、情けない話だがペニスを萎えさせながら、ただ純玲が背中を打たれているのを眺めているしかできなかった。

「いっ・・・・・てええんだよ、クソババアがっ!」

 体重は重いが、家の中で寝転がっているだけで筋肉が衰えていたゆかりの攻撃は大してダメージを与えられていなかったらしく、純玲はすぐに反撃に転じた。

「てめえばブスで臭すぎて、生きる価値がねえんだから、死ねよっ!」

 純玲は平手ではなくグーパンチで、ゆかりの腹、顔面を滅多打ちにする。鈍い音が室内にこだまし、ゆかりは鼻血を吹き出しながら畳の上にダウンした。Tシャツの裾がめくれ、露わになった腹肉が、皿に落とされたプリンのようにぶるんと揺れる。

「私の重治さんに暴力を振るったら、てめえタダじゃおかねえからな。てめえは自分の立場を弁えて、汚え顔してそこで見てろよ、クソ豚が」

 純玲はドスの利いた声で凄み、ゆかりの顔を踏みつけ、血にまみれ、ぐちゃぐちゃになったゆかりの顔に唾を吐きかけた。長きにわたり劣等感に苛まれ続ける中で、純玲の中には屈折した嗜虐性と暴力性が育まれていたようである。

 これまでの人生において、唐津のような「美形族」に散々踏みつけられて生きてきた、俺と純玲。人の痛みがよく理解できるはずの俺や純玲がゆかりを虐げるのは、矛盾しているように見えるが、矛盾していない。

 「美形族」に奪われ、傷つけられた痛みを解消する方法は、「美形族」に反乱を起こすことだけではない。自分がやられた痛みを、他の民族に味あわせるという方法もある。ある民族に虐げられている民族が、別のある民族を虐げ、収奪を行っているなどという例は、歴史上珍しくもない。
「並顔族」が思いやれるのは、同じ「並顔族」だけ。自分と別のDNAや文化を持った「醜形族」を、自分が「美形族」にやられてきたのと同じように痛めつけ、奪っても、何らの罪悪感も感じない。 
暴力は連鎖するのである。

 これまで虫も殺せないような優しく、か弱い姿しか見せてこなかった純玲の思わぬ一面を見たことで、俺の彼女への愛はますます深まった。この女は、俺のすべてを肯定してくれる女である。こんな女には、もう二度と遭うことはできないだろう。もし、今後、俺の目の前に新たな女が現れたとしても、けして目移りすることはないと断言できる。この先何があろうとも、この女は手放せない。いまこのとき、俺は出会ってからまだ一か月も経っていない純玲を、生涯の伴侶と定めたのである。

「わっ。なんすかこの、トドの腐乱死体みたいな化け物は!俺も殴っていいんすか?アニキ!」
「いく。いくぜっ」

 純玲の中でオルガスムスに到達した俺は、愛欲の落とし子を、床に仰向けの状態で倒れ、呆然と天井を見上げているゆかりの顔面に放出した。血まみれの顔面に、白濁の液が降り注ぐ。

「ケチャップとマヨネーズをかけて、さあオムライスを召し上がれってところか?」

「きゃはは。こんなくっさい、きったないオムライスなんか、食べられないって」

 莉乃と唐津、その周辺にいる者どもが今の俺たちの姿を見れば、鬼畜の所業と非難するのであろう。しかし、俺たちがやっていることは、奴らが俺や純玲を愚弄し、あざ笑っているのと、まったく変わらない。所詮人は、自分以下の弱者を見下すことでしか、己の存在価値を見出せない生き物だ。欲望を欺瞞で覆い隠さず、正直に生きている分、俺たちの方がマシではないか。

 世間の者どもが、己の嗜虐心と暴力衝動をキレイごとで覆い隠し、悪意なく人をいたぶる様は、俺たちにも増して醜い。奴らに俺たちを非難する資格はないのである。


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津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
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