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party people 1



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 アラームの音で目を覚ます。シャワーを浴び、カップ麺をすする。何度も繰り返される日常の合間に、ウッとした倦怠感と、頭が潰れそうなほどの気分の重さが、絶え間なく割って入ってくる。

 四畳一間の独身寮を出て、自転車に乗って工場に向かう。派遣会社から、月に千円でリースしているオンボロ自転車。たぶん、とっくに原価は払い終えているはずだが、会社は買い取りを許可してくれない。修理代も自己負担。テレビ、冷蔵庫、寝具。すべて、新品を購入した方がずっと安上がりなのはわかっているが、なかなか惰性が断ち切れない。
 
 半年前から働いている電子基板製造工場。タイムカードを押し、共用のロッカーで制服に着替え、作業場に向かう。ラインリーダーから朝礼を受け、作業を開始する。 

 仕事は嫌いじゃない。金がもらえて時間が潰せる。人生という名の罰ゲームを、少しでも意味のあることで消化できる。

 だけど、心は擦り切れていく。

 無機質で、硬く冷たい金属の基盤を、右から左に流していく。俺じゃなくても、誰でもできる仕事。俺が明日からいなくなっても誰も困らないし、誰かがすぐにやってきて代わりを務める。

 勉強もスポーツも頑張らなかったし、手に職をつけようともしなかった。なるべくしてなった部分もあると思っている。だけど、全部自分が悪いとも思えない。だってあの頃は、少しくらいそれを頑張ったところで、何かが変わるとは思えなかったから。

 誰でもできる単純労働では何も身に着くものがなく、時間ばかりが奪われ、歳を重ねて先細りになっていく。普通にやっていても、浮上のチャンスは巡ってこない。

 何とかしなきゃいけないのはわかっている。だが、死に物狂いになるにはキッカケがいる。頑張れば幸せになれるって保証が何もなければ、頑張れない。

 誰かに愛され、必要とされたことがなかった。俺が今現在、二十八歳という年齢で、非正規の派遣労働なんかやっている理由はそれに尽きるし、今現在、片田舎の電子基板製造工場で働いている俺を苦しめている理由もそれに尽きる。
 
 まず、誰かに愛され、必要とされたい。頑張る前に、そっちが先に来ることが、そんなに情けないことなのだろうか。

 頑張れば誰かに愛され、必要とされるなんて信用できない。ゼロをどんなに掛けても、イチにはならない。学のない俺でも、それぐらいの計算はカンタンにできる。

 頑張るために、最低限の保証が欲しい。誰かに愛され、必要とされれば、もっと誰かに愛され、必要とされるために頑張れる。

 最低限、誰かに愛され、必要とされるために、そんなに死に物狂いの頑張りが必要だとは、どうしても思えない。俺より頑張っていないヤツが、当たり前のように誰かに愛され、必要とされているのに、どうして俺が頑張らなくてはいけないのかわからない。

 でも頑張らないから、やっぱり、誰にも愛されないし、必要とされない。悪循環の泥沼に、つま先から頭の天辺まで浸かりきって、身動きすら取れなくなってしまった。
            

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 正午のチャイムが鳴らされた。一日のうちでもっとも苦痛な、昼休憩の時間が始まった。

「さぁ、メシだメシだ。さあ行こう、青木くん、竹山くん」

「・・・はい、田辺さん」

 俺が、同じラインに所属する竹山と二人、足早に作業場の入り口を出て行こうとすると、後ろから、工場に十六年も勤めている古株の派遣社員、田辺が追いついてきて、先頭に立ち、俺たちを食堂に引っぱっていった。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛し、必要としてくれるのなら、誰でもいいというわけじゃない。

 食堂に到着し、テーブルにつくや、入り口で、社員証を読み取り機に充てて定食を注文するやり方がわからずにまごついていた新人をゲストに招いて、承認欲求モンスター、田辺のオナニー午餐会が、盛大に幕を開く。

「岸くんはもう、この工場で、誰を作業の師匠にするか、決めたかい?みんなそれぞれやり方が違うからさ。混乱しないためには、誰か一人を師匠に決めて、その人の動きを徹底的に追うのが一番だからね。無理には勧めないけど、もしよかったら、俺の動きを参考にしてみるといいよ。俺の作業は機械のように正確だって、社員の人たちみんなから言われてるからさ。間違っても、君の隣の工程の、片田さんなんかは見習っちゃだめだよ。あれは人柄はいいけど、やることが適当だから」

 誰でもできる単純労働の世界で稀に発生する、頼むから弟子にしてくださいではなく、師匠の押し売りというパターン。

 自分の仕事に誇りを持つのは尊いことである。だが、誰でもできる単純労働に誇りを持つのが悲しいのは、それが自分が向上することには繋がらず、ほとんど他人を見下す材料にしか使えないことである。

 こんな誰でもできるライン作業などはつまらなくて当然なのだし、みんなで仲良くやればいいだけなのに、誰それは手が遅いとか、誰それはミスが多いだとか、くだらないことで仲間を貶め、優越感に浸ろうとする。そんなことが、どれだけ愚かなことかをわかっている二十代の新人、岸は、苦笑いを浮かべながら、俺と竹山が、もう百回くらい聞かされた田辺の自慢話をやり過ごしている。

「そういえば、岸くんはもう、俺たちのフロアの責任者、宮塚部長に挨拶はしたのかな?俺は宮塚さんとは工場に入ったころからの付き合いでさ。あの人がまだ、ラインリーダーやってたころには、改善の案を積極的に出したり、随分協力したもんだよ。岸くんはまだ入ったばかりだから知らないだろうけどさ、あの人を部長にまでしたのは俺みたいなもんだよ。それと、うちの営業の石島くんのことは知っているかな?彼、入ったのは僕より後で、年下なんだけど、彼ができる男だっていうのはすぐに見抜けたからさ。十年前、俺を管理者に引き上げるって話が出たとき、俺が石島くんにその話を譲ってやったんだよ。だから石島くん、今でも俺に足を向けて眠れないって言ってるよ」

 片田舎の工場に長年勤めて、自分が何かを成し遂げた気になっているようだが、自慢しているのはすべて他人の実績。片田舎の工場、片田舎の派遣会社を世界のすべてのように思い込み、狭い世界の中で少しでもデカい顔をする材料を集めることだけに必死な、井の中の蛙である。

「この間、統合ラインの小林さんのとこに入った新しい子、二日で根を上げちゃったらしいね。まったく、最近の若いヤツはなってないよ。ちょっと厳しく言われただけでメソメソしちゃってさ。世の中に出たら、辛いことなんていくらでもあるのに。長続きしてる子にしたって、要領ばっかよくて、手ぇ抜くことばかり覚えちゃってるだけでしょ。そんなんで渡っていけると思ったら大間違いだって」

 資本主義社会の中で何の恩恵も得ていないくせに、ゴミ溜めの中でまだ争おうとする愚か者。弱い者同士で足を引っ張り合うことしか能がなく、自分自身が上に行くという発想がまったくない、田辺のような模範的な奴隷が厄介者扱いされているなら、その職場は健全だ。

 水が変われば、魚も変わる。この世界、田辺のような絵に描いた底辺労働者が主流となって幅を利かせている職場など山ほどある。これまで、そんな泥溝のような環境に馴染めず、嫌な思いばかりさせられてきたはずが、今の俺は、泥溝から清流に這い上がってきたアメリカザリガニのような男と仲良く、肩を寄せ合いながら飯を食っている。

 除け者、嫌われ者、厄介者。それでも一人ではいられず、どこかに自分の居場所がないと不安になってしまう寂しがり屋という共通項が、忌み嫌う人種である田辺と俺を結び付けている。
 
「それじゃ、俺はこれから、工場の偉い人と話してくるから。青木くん、後は任せたからね」

 一足先に食事を終えた田辺は、聞いてもいない行き先を伝えてから席を立ち、俺たち三人を残して、工場の上の人間がたむろしている喫煙所へと向かっていった。

 田辺が工場の上の人間と、いつも仲良さげに喋っているのは本当である。だからといって、何も羨ましいとは思わないし、田辺がそれで具体的に何か、得をしているわけでもない。

 どれだけ上に媚びを売ろうとしても、四十歳を過ぎて、性格に問題のある田辺を工場の正社員に引き上げようという話は出てこないし、時給が一円でも増えているわけでもない。仲がよさそうに見えても、向こうは半分、絡んでくるので仕方なく付き合ってやっているにすぎず、本当に大事な話には混ぜてもらえない。

 田辺がお偉いさんと仲良くしているのは、ただの自己満足。俺は他の派遣の奴らとは違うぞ、会社から必要とされた人材であるぞ、と思い込んで、他の派遣の連中を見下したいだけの目的でしかない。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要としてくれるなら、誰でもいいというわけではない。

 そもそも田辺が俺や竹山を必要とするのは、自分より下だと、田辺が勝手に思っている人間を傍に置き、自分が誰かより優位に立っているという確認がしたい、ただそれだけの理由でしかない。ここにしか居場所がないから留まり続けてはいるが、自分が田辺の仕切る、掃き溜めの中のゴミ捨て場グループに組み入れられているのは、不本意でしかなかった。

 しかし、人のことは言えない。俺が同じラインに所属する三十八歳の派遣スタッフ、竹山と常に一緒にいるのも、田辺が俺を傍に置きたがるのと、まったく同じ理由なのだから。

「竹山くんさぁ、今日の動き、あれ何?最悪だったよ。この前俺が教えたこと、全然できてないじゃないか」

 田辺に場を任された俺は、スマホをいじり始めた新人には目もくれず、気心の知れた竹山に、ライン内での作業のことで説教を始めた。

 背丈は日本人の平均より少し低い俺とちょうど同じだが、体重は九十キロもある肥満体。分厚い眼鏡、天然パーマ、滝のように流れ出る汗。典型的秋葉ヲタクのような見た目だが、アニメは観ず、ゲームもやらないという竹山は、常に受け身で、自分の意志がなく、みんなで輪になっても、積極的に話題を上げることはない。

 そのくせ、俺と同様、職場に自分の居場所がないと不安になってしまうタチで、同時期の入社で、ラインも同じ俺の後を、いつも金魚のフンのように追いかけてくる。それをいいことに、俺は俺で、工場のスタッフの中でただ一人、自分以下の人間だと思える十歳上の竹山に、日常のどうでもいいことで説教をすることで、自分が誰かより上で、価値のある人間だという確認をし、優越感に浸るための材料にしていた。

「今日も竹山くんのせいで、午前中に数が間に合わなかったんだよ。竹山くん、やる気あるの?」

 竹山の仕事のできなさが誰の目にも余るほどで、ラインの足を引っ張り、リーダーから度々叱責を受けているのは、紛れもない事実ではある。しかし、別にそのことで、俺が迷惑しているわけではない。むしろ、自分よりできないヤツがいるお陰で、自分が相対的にマシに見えている点において、竹山は俺にとっては立派に存在価値があった。

 無能が切られたら、次に無能なヤツが新たな標的になる。竹山を潰しても、俺には何のメリットもない。無駄であるどころか、己の首を絞めるだけの行為であるとわかっていて、それでもやってしまう。

 弱い者が、弱い者同士で潰し合う。ともに手を取り合い、世間の逆風に立ち向かっていかなくてはいけない、不安定な立場の人間同士が、なぜか互いに足を引っ張り合い、潰し合おうとする。長年に渡って忌み嫌ってきたはずの愚かな図を演じなくてはやっていけないほど、俺もギリギリの状態にある。

「ぼ・・僕も、頑張ってるよ」

 調子に乗って、上から目線でしゃべり続ける俺に、竹山が、喉が肉で圧迫されたような声を絞り出し、精いっぱいの口ごたえをした。

「竹山くんが頑張っているのはわかっているよ。だけど、結果が出てないんだよ。竹山くんはもう学生じゃないんだから、結果を残さないと、社会は認めてくれないんだよ。わかってる?」

 こんな単純労働の世界で、プロ野球選手のようなことを言って得意げになっている俺の、その視線の先で、ある男女の三人組が、楽しそうに盛り上がっている。

 食堂では百名を超す工場の従業員が食事を取っており、二列も離れたテーブルでの会話はまったく耳に届かない。しかし、彼らの笑顔をみれば、身分は同じ非正規の派遣社員ながら、彼らの人生が、俺とはまったく違った充実したもので、生きる喜びに満ち溢れているのはわかる。

 向かいに座る二人の女と楽しそうに喋っている男、藤井は、俺より一つ下の二十七歳で、身長が百八十五センチもある。無駄な肉がそぎ落とされてプロポーション抜群、色黒で、顔立ちも細面で整っている。

 容貌貴種。仕事は同じ非正規の派遣労働でも、イケメンは生まれながらに、俺とは住む世界が違う。普通にレールの上を走っていれば、俺とは交わることもなかったはずだが、藤井は十代のころからミュージシャンなんぞに憧れて、叶いもしない夢を追いかけていたせいで、夢も希望もないままに掃き溜めに寄せられた俺と同じ時給で働く身となった。

 掃き溜めの鶴が、掃き溜めのクソとゲロが抱く、ささやかな希望をかっさらっていく。

 タレントのような美女を抱きたい願望など、端から抱いてはいない。ごく普通の容姿をした女、たった一人に愛されれば、俺はそれで満足できた。

 それを得るために、死に物狂いの頑張りが必要だとは、どうしても思えなかった。仕事が派遣でも、服や髪の毛に何万も使っていなくても、トークがうまくなくても、ごく普通の容姿をした彼女が、たった一人くらいはできてもいいと思っていた。

 それまで二十八年間も生きてきて、商売以外の女を抱いたことが一度もないという経歴をみれば、それがとんだ高望みであったことはわかったはずなのに、彼女がいつも明るく挨拶してくれるせいで、ついつい期待してしまった。

 石田友麻。藤井の侍らせる女のうちの若い方。目はクリクリとして大きいが、しもぶくれで前歯が出ており、ビーバーみたいな顔立ち。だが、笑った顔が、ハンパなく可愛かった。その笑顔を、俺にだけ見せてくれる瞬間が欲しくて、思い切って、食事に誘った。

 セクハラだと騒がれ、嫌らしい目で見てくるとか、作業の中で偶然を装って触ってくるとか、あることないことでっち上げられ、担当者に報告され、叱責を受け、ラインを移された。クビにならなかっただけマシなのかもしれないが、気分はひどく惨めになった。

 藤井が入ってきたのは、そのすぐ後だった。友麻が藤井に向ける笑顔を見て、かつての俺がカワイイと思っていた友麻の笑顔は、所詮、その他大勢に向ける用のものだったことを思い知らされた。

 友麻が俺と藤井を差別するのは仕方がない。同じ工場で、同じ時給で働いていても、俺と藤井では、住む世界が違う。容姿も頭のキレも性格の良さも、何もかもが違う。

 俺が連絡先を聞けば怪しい宗教のお誘いでも、藤井が連絡先を聞けば嬉しい恋の始まり。俺が言えば不快なセクハラになる友麻への褒め言葉も、藤井が言えば素直に嬉しく、自信になる。

 現状、藤井と友麻の交際の事実が確定しているわけではなかったが、いずれはそういう流れになっていくであろうことは、陳腐なメロドラマの展開よりも容易に予測できた。さっさと付き合って、俺にトドメを刺して欲しかった。

 早く、仲睦まじく、手を繋いで歩く姿を見せてくれ。お前らが愛で結ばれ、俺をこの世で一番惨めな男にしてくれたら、すべての抑止を振り切り、躊躇なく奴らの背中に、冷たい刃を突き刺せるのに――。

「あれ?岸、何やってんの?」

 バンド仕込みの、透き通るようなテナーボイス――。食事を終えて、女二人と一緒に、俺たちの座るテーブルの傍を通りがかった藤井が、俺と竹山の会話にはまったく関心を示さず、終始スマホと睨めっこをしていた新人、岸に声をかけた。

「いや。俺が定食の注文の仕方がわからなくて、この人たちに聞いたら、この人たちと一緒に、飯食うことになって。別にそこまではお願いしてなかったんだけど」

 岸が、向かいの俺と竹山に、あからさまな侮蔑の視線を投げて言った。

「つーかお前、いつからここに入ったんだよ」

「今日からだよ」

「なんだよ、だったら挨拶しに来いよ、水くせえな」

「んなこと言ったって、俺もお前がこの工場にいたなんて知らなかったし」

 新人の岸は、どうやら、藤井とは旧知の間柄のようだった。

 食事を取っているときは意識しなかったが、よく見てみれば、岸は藤井ほど背は高くないものの、涼やかで切れ長の目をしており、鼻も細く通って、顔立ちはまずまず整っている。髪色は明るく、オシャレにも精通していそうである。

 どうやら、コイツも藤井と同じだったようだ。俺と同じ掃き溜めにいても、まるで価値のないゴミではない人間。俺とは、住む世界の違う人間――。

「まぁ、でもこうしてせっかく久々に会ったんだし、週末に飲みにでも行く?」

 岸が、俺たちと喋っていたときとは打って変わった明るい声音で、藤井を飲みに誘った。

「あぁ、わりぃ。週末は俺、主任と予定あるんだわ。飲みに行って、次の日は、朝からゴルフ連れて行ってくれるって」

「へぇ。すげえじゃん。気に入られてるんだな、お前。もしかしたら、ここで正社員になれるんじゃねえの?」

「そんな簡単じゃねえよ。俺だってまだバンド続けたいし、社員になれとか言われても困るしな。つーわけで週末は無理なんだけど、今日だったら空いてるから、軽く一杯やるかい?」

 親し気に、座っている岸の肩を叩きながら話す藤井の様子と、その後ろから、好意的に岸を眺める二人の女の様子で、密かに期待していた「枠」が埋まってしまったのを理解する。初めから、チャンスがあったわけでもないのに――確率が一パーセントもなかったのはわかっていたのに、胸の奥から、湿気含みの嫌な熱がジワリとこみ上げる。

 世の中全体を見渡せば、嫉妬を向けるべき対象は他にゴマンといるのはわかっている。しかし、人というのはどうしても、今、現在目の前にいる、近いレベルの相手としか争うことができない。

 彼らとて、同じ掃き溜めの住人。どこかで、何かに敗れて、ここに掃き寄せられた連中。しかし、人の集団というものは、敗残者の中でもさらに、明と暗に分岐する。

 気に入られ、頼りにされ、友達もいて、彼女もいるヤツ。そいつがいつも、俺の欲しいものをすべて持っていく。値打ちがあるものをみんな食い散らかして、残りカスを俺に押し付ける。

 学生時代から苦しめられて、やっと解放されたと思っても、まだ俺の前に立ちはだかってくる。

 リア充――もっと新しい言葉で、「陽キャ」とかいわれる連中が、ずっと羨ましくて、妬ましかった。

 こいつらと一緒になれれば、何かが変わる気がした。勉強やスポーツを頑張る前に、まずこいつらの仲間に入りたかった。こいつらになれなければ――誰かに愛され、必要とされなければ、何かを頑張る意味はないと思った。

 今も、こいつらになりたいと思っている。ずっとこいつらになりたくて、なりたくてなれなくて、一方的に邪な感情を抱き続けている。永遠にこいつらになれないのなら、ぶっ殺して、目の前から消してやりたいと思っている。

「いいね。つかさ、昼休憩の時間、あと十分くらい残ってるし、俺もそっちに混ぜてよ」

「ああ、もちろん。ごめんね青木くん、コイツの面倒見てもらっちゃって」

 誰にも愛想の良い藤井は、非リア――もっと新しい言葉で「陰キャ」とかいわれる位置で、湿ったナメクジのように生きている俺にも、煌めく笑顔を向けてくる。そのまばゆい光が俺を焼き焦がし、余計に惨めな気持ちにさせているのも知らずに――。

「あのさぁ。もう話すこともないだろうから言っとくけど・・・」

 俺たちから解放され、藤井たちに合流できることになった岸が席を立ち、侮蔑に満ちた視線で、俺と竹山を見下ろしてきた。

「あんたら、キモイんだよ」

 予想通り飛び出した、気持ち悪い、というストレートな感情と、略し言葉で相手の不快感を煽る、二十一世紀最強の罵倒語。岸が吐き捨てるように言った瞬間、後ろにいた友麻の口角がニッと釣りあがったのを、俺は見逃さなかった。 

 ただ、連絡先の交換を頼む。俺が友麻にやったことは、本当に、ただそれだけだった。ただそれだけのことで、派遣の担当者とラインリーダーから叱責され、まるで犯罪者のように扱われて、ラインを移された。

 美人ではないごく普通の女を、口説く自由も許されない男に、キモいという評価は、まったく相応しい。女に好意を持ったとき、その女から、好きになってくれて嬉しいではなく、こんな男に落とせると思われた、侮辱されたと取られるような俺は、キモイと言われて当たり前。正しいことを言われていると思ったから、岸に何も言い返せなかったし、怒る気もしなかった。

「バカ。お前、青木くんと竹山さんは、ここでは先輩だろうが。なんて口の利き方すんだよ」

「だってよぉ。もっさいオッサン同士が、食事中にマジな顔して、羨ましくも何ともねぇ自慢話とかしたり、熱血学園マンガみたいな説教したりしてんだぜ。そんなん見せられたら、せっかくのメシがまずくなるっつうんだよ。一言くらい、なんか言いたくもなるだろ」

 先にいなくなった田辺の分まで、俺のせいにされている。俺がどれだけ、自分は田辺とは違うと思っても、「リア充」「陽キャ」から見れば、同じ除け者、嫌われ者――泥溝の中にいるのが相応しい「非リア」「陰キャ」の枠に括られているのだ。

 泥溝の中にいるのが嫌で嫌で仕方ないのに、泥溝の中から抜けられない。俺が行きたい、澄み渡った清流の中に入れてもらえることは、絶対にない――。

「うるせえよ。ごめんな、青木くん。気にしないで・・つっても無理かもしれないけど、ほんと気にしないで。こいつも、本当はそんなに悪いヤツじゃないんだけど・・・ごめん、とにかくごめん」

 藤井が俺と竹山に手を合わせ、申し訳なさそうな顔をしながら、友人の無礼を繰り返し詫びた。

 藤井は俺とは対極の立ち位置にいるが、本当にいいヤツだ。しかし、藤井がいいヤツであることが、岸の罵倒よりも余計に、俺の心を蝕む原因になっている。

 俺からすべてを奪うなら、せめて、飛び切り嫌なヤツであって欲しかった。俺が欲しいものをすべて持っていて、俺がなりたくてたまらないヤツ。そいつを妬み、嫉み、恨み、憎むことさえ許されないなんて、残酷すぎるではないか。

 やがて藤井と岸、女二人が食堂の外へと消え、俺と竹山だけが残されたテーブルに、気まずい沈黙が流れていった。

 誰も、俺たちに注目している人間などいないのはわかっている。だが、あんなことがあった後、傷をなめ合っているように見られるのが嫌で、竹山とはどうしても話せない。スマホでネットを見ても、ニュースや掲示板の書き込みの内容は、まったく頭に入ってこなかった。食堂にいる全員が、俺たちのことを笑っているような気がする。

 隣に座る竹山が、肩を震わせている俺の方を、心配そうにチラチラとみてくるのに、無性に腹が立った。こいつは、岸や友麻の侮蔑の視線が、自分にも向けられていたのをわかっていないのか?自分もバカにされていたのに、まるで他人事扱いか?

 理不尽に打ちのめされるのは初めてじゃないはずなのに、こみ上げてくるものを抑えられない。どうせ痛みしか味わえないのならば、いっそのこと、擦り切れてなくなってしまえばいい。願いはかなわず、胸の奥が酸っぱくなって、目の端から熱いものがこぼれ落ちてくる。

「あっあ・・青木くん、これ使って」

 俺が制服の袖で涙をぬぐおうとすると、竹山が、顔に似合わない、ひよこのキャラクターがあしらわれた黄色いハンカチを差し出してきた。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要とされるなら、誰でもいいというわけじゃない。

 俺は竹山の毛むくじゃらの手を振り払い、乱暴に椅子を引いて立ち上がった。

「あっ・・あ」

「うるせえ!付いてくんな!」

 慌てて席を立ち、追いかけてこようとした竹山にピシャリと言い放って、俺は早足で食堂を出て行った。
 
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 チャイムが鳴らされ、地獄のような昼休憩が終わり、作業場へと向かう。掃き溜めの中のゴミ捨て場に捨てられた湿ったナメクジで非リアで陰キャな俺にも、仕事は与えられる。

 どんな仕事も、誰かの役に立っている。だが、誰かの仕事は、俺の役には立っていない。

 世の中で楽しい思いをするのは、藤井や岸、友麻のような、リア充で陽キャな連中だけと、相場が決まっている。奴らが楽しい思いをするために、非リアで陰キャな俺が汗水たらし、奴隷のように働かなければならない。

 非リアで陰キャな俺が、冷たく硬い金属の塊を触れている間に、リア充で陽キャな藤井は、あったかくて柔らかい友麻の肌に触れている。非リアで陰キャな俺が上司からの罵声を浴びている間に、リア充で陽キャな藤井は、友麻と愛のささやきを交わしている。非リアで陰キャな俺が、誰でもできる単純労働で身体を動かしている間に、リア充で陽キャな藤井は、ベッドの上で腰を振り、友麻を突いている。

 藤井と友麻だって同じ空間にいて、同じような作業に従事しているはずなのに、なぜだか変な錯覚に襲われる。一度思考が悪い方に向かうと、嫌いじゃなかった仕事も苦痛になる。

 その藤井と友麻が、俺がかつていたラインの中で、社員の連中と楽しそうに喋っているのが、視界の端に映る。奴らと同じことを、俺がすれば嫌われる。俺が集団で居場所を確保するためには、ただ空気のように、誰に見向きもされない存在でいるしかない。誰かに愛され、必要とされたくても、自己主張をする権利が、俺には認められない。誰かに愛され、必要とされている人間が、もっと誰かに愛され、必要とされるようになっていくのを、指を咥えて眺めていることしか許されない。 

 職場という空間の中に、どこにも逃げ場がない。完全に詰んだのかもしれない。

「青木くん、竹山くん。午前中に言ったと思うけど、俺、今日でリーダーから外れるから。今日の午後からは、この子の指示で作業して」

 午後の作業が始まる前に、ラインリーダーの交代と、午前中に研修を受けていた、新しい作業者の加入の挨拶があった。

 繰り返される日常の中に、まったく想定もしていなかった人種が割り込んできた瞬間だった。

「ひょ!この子がラインリーダー?カワイイ!まじカワイイ!この子のいるラインに入れるの?うぉー、俺持ってるわ。っしゃ~きたコレ!ね!俺!影沼!よろしく!君、名前なんていうの?」

 ラインに新しく入った作業者、影沼が、二十代半ばと思しき新ラインリーダーの女の顔を覗き込み、いきなり興奮気味にまくしたてた。

「か、川辺です。よろしく・・・」

「川辺さん。美都ちゃんね。美都ちゃん!みなさんよろしく!新ラインリーダーの川辺美都といいます!歳は二十二歳、趣味はデコレーションケーキ作りです!」

 新ラインリーダー、川辺美都が挨拶を終える前に、影沼が川辺美都の社員証を覗き込み、フルネームを口にし、勝手に決めた年齢と趣味までも紹介した。

「あ、二十二歳じゃなくて二十六歳で、ケーキは作ったことないです・・あの、もう言われちゃいましたけど、川辺美都といいます。よろしくお願いします・・・」

 川辺美都が影沼の挨拶を訂正し、元々の作業者だった俺と竹山に、ペコリと頭を下げた。

「あ。よ、よろしくお願いしまふ・・」

「あ!噛んだ噛んだ!神田明神発見!しまふってなんだよ、しまふって!おまえはシマフクロウか!」

 影沼が、影沼の意味不明なテンションの高さと、川辺美都の可憐さに動揺したせいで、思わず噛んでしまった俺の頭をチョップし、ツッコミを入れてきた。

 言うまでもなく、俺と影沼は、これが初対面である。影沼は、面識のまったくない相手に、いきなりチョップをかましたのである。

 なんだこいつは――?あまりに常識はずれの影沼の行動、言動に、俺は悪寒を覚えていた。宇宙人よりもなお奇怪なこんな男と、一緒に仕事ができるのか?俺はついさっきまで、藤井と友麻を殺して人生を終わらせることを考えていたのをすっかり忘れ、これから繰り返される日常のことを心配していた。

「青木さん。私、まだこのラインの作業よくわからないんで、私と影沼さんに、作業の要領を教えてもらえますか?」

 気を取り直し、いつも通りに作業を始めようとすると、川辺美都が俺の傍に寄り、作業内容の指導を請うてきた。上目遣いと、独特の甘えたような声に、思わず心音が高鳴り、頬が熱を持つ。

 小柄で顔も小さく、一重だが大きな瞳をしており、鼻と口元はやや、ネコ科の動物に似ているかもしれない。パーツの形は完ぺきではないが、配置のバランスが絶妙で、遠くから見れば見るほど美人に見えるタイプ。正直、川辺美都の外見は俺好みだった。

 だが、もちろん、美都に気に入られたいとか、美都と付き合えるのではないかという願望などは、欠片も抱きはしない。

 この女は、俺とは住む世界の違う人間。子供のときから誰かに愛され、必要とされ、レールの上で、やるべきことをしっかりやってきた人間。藤井のように夢があったわけでもなく、何の実績もないままにレールの上から外れ、掃き溜めに寄せられた俺とは、これまで見てきた景色も、これから見る景色もまるで違う、本当の別世界の住人である。

 近くにいて、同じ職場で働いていても、けして交わることのない平行線。この女の目からは俺の存在など、ラインで扱われる部品、いや廃棄品のようにしか見えていない。

 高鳴る心音を、深呼吸で掻き消した。住む世界の違う女に、恋心を抱くなどおこがましい。あるはずもないし、あってはいけない。その先にあるのは、友麻のとき以上にボロクソにされて、掃き溜めの中のゴミ捨て場からも放り出される末路だけなのだ。

「青木先生!ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

 口を開く度に、隣のラインの作業者がビックリするほど大きな声を出す影沼は、俺より目線一つ分背が低く、小太りの体型。帯電帽の後ろのネットから砂鉄のように飛び出た髪の毛は金色で、眼窩からこぼれ落ちてきそうなほど大きな目は視点が定まっておらず、ギラギラと異様な光を帯びて、まるで薬物中毒者のようである。

 年齢は、肌の質からいえば三十半ばくらいが妥当なところだろうが、二十代といわれれば二十代にもみえるし、四十代といわれれば四十代にもみえる。なんというか、解釈の幅が広すぎる顔立ちをしていた。

「う~ん・・と。これ、こうでいいですかぁ?」

 肩が触れ合う距離にいる美都から、柑橘系の果実のような匂いが漂ってくる。小首を傾げる仕草や、語尾を伸ばす喋り方は、二十六歳という年齢に比しても幼いが、絶妙に可愛らしい。

 現業系の正社員。男社会を渡り歩いてきた経験で、男心をくすぐる癖がナチュラルに身についているのだろう。ありえない、おこがましいと思っても、どうしても、男の本能がざわめいてしまう。鏡をみなくとも、今の俺の顔がゆでだこのようになっているのはわかった。

「あ!青木先生、いま、美都ちゃんに恋した!青木先生、美都ちゃんのこと可愛いって思った!青木先生は美都ちゃんに恋をし、三か月後には告白しちゃう!でもその告白は失敗し、青木先生は美都ちゃんにストーカー扱いされ、精神を病んで、通り魔殺人を起こしちゃう!駅前とかでナイフを振り回して大暴れして、人を五人くらい殺しちゃう!美都ちゃんとエッチできない悔しさを、無関係の人にぶつけちゃう!」

 影沼に今現在の俺の心境と、これから起こることを勝手に予測され、それを川辺美都の前でやけに具体的に述べられて、さっきとは違った意味で、顔が熱くなっていく。

 自分が犯罪者予備軍であることぐらい、よくわかっている。しかし、それを他人から言われて快く思う人間など、一人もいない。今、この瞬間、影沼は俺の中で、血祭りに上げたい一人に追加された。

「そんなこと、しませんよ。影沼さん、青木さんに失礼ですよ」

 川辺美都が頬を膨らませて、影沼を𠮟りつけた。

「あ!そうだね。ご!ごめん、そんなつもりじゃなかった!ごめんね、美都ちゃん」

「私じゃなくて、青木さんに謝ってください!」

「あ、そ、そうだね。ごめん、ごめんな、青木先生!いや、青木っち。そうだ、今日から青木くんのことを、青木っちと呼ぼう。たまごっちって、昔流行ったよな。俺ら世代はみんなやってたよな、竹山っち。青木っちや美都ちゃん世代は、やったことないかな?」

 影沼のハイテンションに、ラインのメンバーはまったく付いていけないが、中でも俺の心は特に冷めていた。

 住む世界が違う――というより、人の世界に住んでいない。思ったことをそのまま口にしてしまう、協調性の欠片もない影沼のような男と、これから同じラインで一緒に作業ができるとは思えなかった。

 普通に考えれば、こんな滅茶苦茶な男はすぐにクビになるはずだが、万が一ということもある。世界に住んだことのない男と、世界で最底辺の男――世界の中での生き残り競争で、俺が勝てる可能性は五分五分といったところだろう。影沼の代わりに、俺がこの工場を放り出される未来は、十分にあり得る。

 部品の一部と同じように、労働市場を右から左に流されるのが当たり前の立場だとわかっている。しかし、掃き溜めの中で繰り広げられる敗残者の争いにすら敗れ、切り捨てられていく屈辱は、何度味わっても慣れるものではない。

 抵抗しようのない人間の脅威に、次々と見舞われる。策を打つ間もなく、加速度的に状況が悪くなっていく。これが運命によるものだとしたら、きっと俺を後押ししているのだ。

 年に一度は起こる、派遣社員の暴発。もしかすると、今年は俺に順番が回ってきたのかもしれない。

 場所はどこにして、道具は何を使おう。計画を練る時間は山ほどある。何しろ俺の仕事は、誰でもできる単純労働。頭の中で別のことを考えながら、手を動かすだけで金になる。

 遅くとも今月中には、人を殺す気がしている。早ければ、今日から明日にかけて殺すかもしれない。

 人を二人以上殺して死刑になる。確実にそれを成し遂げるその方法を、右から左に金属の基盤を流すだけの、誰でもできる単純労働を繰り返しながら考える・・。


                             3


「竹山くん、昼間は悪かったな。帰りに、外で飯でも食おうか」

 定時で勤務が終わったあと、俺はいつものように、自分の後を金魚のフンのようについてきた竹山を誘い、工場近くのファミレスに入った。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要としてくれるのなら、誰でもいいというわけじゃない。

 醜い容姿で、面白い話もできない、人としての魅力がまったくない嫌われ者といるくらいならば、一人でいた方がマシというものである――と、多くの人間は考える。だから俺と竹山は、工場の誰からも相手にされない。例外があるとすれば、田辺のように、自分以下の人間を傍に置いて、優越感に浸りたいという目的のヤツだけだ。

 俺が、自分の後を金魚のフンのようにくっついてくる竹山を敢えて突き放そうとしない理由も、基本的には田辺と同じだが、もう一つある。

 愛され、必要として欲しい人のランクが、年々下がってきている。竹山のような男でも、邪険にして突き放してしまったら、いずれ後悔するときも来るんじゃないかと思う。

 クソみたいな人生だが、チャンスが一度もなかったわけじゃない。

 高校の頃、クラスメイトの一人に、太って眼鏡をかけた、吹き出物だらけの女がいた。クラスの中ではつまはじきにされ、グループ活動でそいつと一緒になるのは罰ゲーム、あの女と付き合うくらいなら彼女がいない方がマシといわれるような女だったが、俺は実のところ、彼女にそれほど嫌悪感は抱いておらず、下校時に電車の中で会ったとき、何となく話すこともあった。

 話してみると、意外とウマがあった。今でいう歴女というヤツで、俺と同じように、歴史関係の本を読んだり、城や寺巡りをするのが好き。食い物の好みも似通っており、帰省先で買ってきた土産をくれたこともあった。

 電車で隣の席に座ったとき、偶然、スカートから露出した太ももに手が触れてしまったことがあったが、嫌な顔はしていなかったと思う。一度だけ恋愛話をしたとき、カッコイイ男は苦手、優しければ容姿は気にしないとか言っていたと思う。

 あのとき、あの女に告白していれば、人生が変わった気がしてならない。

 イケるという確信はあった。ヤリタイ気持ちもあった。だが、周りの目が怖かった。

 当時の俺はクラスの中心人物とは言い難かったが、今とは違って誰にも相手にされないほどではないポジションにはおり、プライベートで遊ぶ友人もかろうじて存在した。

 もし、クラスの中でバケモノ扱いされているあの女とヤッていることがバレたら、俺までクラスの連中からバカにされてしまい、クラスメイトとの関係が崩れてしまうのではないか。それが怖くて、一歩を踏み出せなかった。帰宅コースが同じ友人が他にできると、電車の中でも何となくあの女を遠ざけるようになり、教室で一人、寂しげに過ごしているときのあの女にはついに一度も話しかけることなく、連絡先も交換しないまま、高校生活は終わってしまった。

 くだらない見栄を気にして、ヤレそうな女とヤらなかった結果が、このザマだ。
 
 高校時代のクラスメイトとは、卒業したきり一度も顔を合わさず、連絡も取り合わなくなった。奴らの目を気にしてあの女に手を出さなかったのは、後からみれば何の意味もなかった。

 あの女と付き合ったとして、長続きしたかはわからないが、大事なのは、十代のうちに彼女ができて、セックスができたという実績を作ることだった。あのとき、あの女と付き合っていたら、自分に自信がつき、女との接し方も磨けて、トントン拍子に人生の階段を昇れた気がしてならない。

 街を歩いてアンケートを取ったとき、通行人の多くが、あの女の容姿レベルを、十段階中で一と評価したとしよう。レベル一の女と付き合うことは、恥ずかしいのかもしれない。だが、ゼロより小さなイチなどは存在しない。優先すべきはその他大勢の視線なんかよりも、自分を見てくれるたった一人の女だったはずなのに、俺は「見栄」とかいう下らない感情に囚われ、あの女をモノにしようとしなかった。

 あの女に手を出さなかった後悔は、そのまま、女に求める見た目のハードルが下がっていくことに繋がった。今じゃ、女の形さえしているのならば、どんなブスとでもヤレるし、付き合える。ブルドッグみたいな顔をしていても、百キロを超える相撲取りみたいな身体をしていても、鶏ガラのように痩せこけていてもいい。

 ただ一人の女を抱けるのならば、片手の指を全部失っても、腎臓を一つ失ってもいいとすら思っているのに、いつまでたっても、俺が女と仲良くなれる気配はなかった。
 
 悔やんでも悔やみきれないあの経験で学んだこと――個人との絆より大切な多数の目などは、存在しない。見栄などを気にして人を邪険にすると、ロクなことにはならない。

 高校時代のあの女と同じように、みんなの嫌われ者で、内心、一緒にいるところを見られるのが恥ずかしい竹山でも、ここで切り捨ててしまったら、いつかは後悔するときが来るかもしれない。そんな思いから、俺は太っちょの汗っかきで、話が面白いわけでもない竹山との仲を、ずっと切れないでいた。

「なぁ。新しく入った、影沼って人、どう思う?」

 テーブルにつき、料理の注文を終えると、俺は衝撃のデビューを飾った新人、影沼のことを話題に上げた。

「ぼ・・僕、あの人、苦手・・」

 竹山の答えは、聞く前からわかっていた。明るいというよりは頭が沸いており、周囲の空気などお構いなしに暴走する影沼のような男に、竹山のような気弱で根暗な男が好印象を抱くはずがない。

 それはつまり、俺が影沼に好印象を抱くはずもない、ということである。これから先、影沼と日々、ラインの中で顔を突き合わせていれば、また今日のようにからかわれて、不愉快な思いをするのは目に見えている。悪口を言われるだけならまだしも、子分のように扱われ、パシリにされるようなことになれば、もうここには居られない。

 工場を移るという意味ではない。もし、俺が今の職場から放り出されるときが来るなら、俺はそのとき、殺したくてたまらないヤツを殺して、シャバから居なくなる決意を固めつつある。

 それが長年続けたものであればあるほど、惰性を断ち切るのは難しい。人生に本腰を入れるためにはキッカケがいるように、人生を終わらせるためにも、何かしらのキッカケがいる。内心、それを望んでいるのかもしれない。

「それじゃ、ラインリーダーの川辺さんは?」

 続いて、俺は竹山に、新ラインリーダー、川辺美都への印象を問うた。

「ぼ・・僕、あの人も、苦手・・・」

 こちらの答えも、俺の予想した通りだった。

 俺や竹山のようなモテない不細工が、川辺美都のような、若くて可愛い女と仕事ができるのはハッピーだと思うかもしれないが、とんでもない。

 猛獣や毒虫と一緒にラインに入っているのと同じこと。絶対に好意を持たれることがないとわかっている生物から向けられる視線は、恐怖の対象でしかない。

 川辺美都のような女からゴミを見るような目をぶつけられたり、冷たい言葉を投げかけられるくらいなら、いっそ、猛獣に噛みつかれたり、毒虫に刺された方が、どんなに楽だろうかと思う。心を殺された人間にとって、肉体的な死は、救い以外の何物でもない。俺と竹山にとって、女ラインリーダー、川辺美都は、ある意味で影沼よりも脅威の存在だった。

「ところで、竹山くん、渡会さんにはいつコクるのさ」

 女に相手にされず、女に馬鹿にされ、恐怖すら覚えるようになって、しかし、男の性に抗って生きることもできない。自分が若く、容貌の整った女には永遠に好かれないとわかった不細工は、次に若くない女、容貌の整っていない女に好意を寄せるようになった。

「もう、入って半年だろ。そろそろ連絡先くらい聞いとかないと。派遣なんて、いついなくなっちゃうかわからないんだぜ」

 竹山が片思いを寄せる女性、渡会満智子は四十三歳の派遣社員で、昼間、藤井とランチを取っていた女二人組の、年配の方である。

 ふっくらとした体形の満智子は、口数は少ないが、いつもニコニコとしていて愛嬌があり、スタッフでは人気者の一人である。くりくりと大きな目、おかめのような髪型で、皺が少なく、つるっとした肌は年齢を感じさせず、童女のような雰囲気さえ醸し出している。

 しかし、美しいとまではいえない。若くもなく、美しくもないからこそ、俺は満智子に魅力を感じ、竹山は満智子に惚れて惚れぬいている。

 川辺美都のような女に、俺や竹山の存在が廃棄品のようにしか見えていないのと同じように、俺たちもまた、川辺美都のような女を、同じ生き物だとは見做していない。

 ライオンのような力も、チーターのような速さも、ハイエナのような狡猾さもないみすぼらしいジャッカルは、広大なサバンナを駆け回るシマウマには見向きもせず、藪の中をこそこそと動く野兎に食指を伸ばす。

 俺が友麻にこっ酷くフラれ、友麻と満智子が藤井と親しくなる前までは、俺は毎日のように竹山と二人、「恋バナ」で盛り上がっていたものだった。

「む・・無理だよ。僕には、とても・・・」

「無理かどうかなんて、わからないじゃないか。アタックしてみないと、何も始まらないよ」

 アタックしてみなければ、何も始まらない。それは確かだが、当たって砕けて、ボロボロに踏みにじられた男がそれを言っても、何の説得力もない。

 人には分というものがあり、どこかでそれを自覚しなければならない。自分が腐肉を漁るジャッカルですらない、暗い洞窟の奥で、塵や埃に塗れた蟲の死骸を食らっていなければならないドブネズミだったことも知らなかった俺は大馬鹿だった。

 殺意を抱くだけでは罪にならないのと同じように、恋心を抱く自由は誰にもある。だが、その思いを表に出せば罪になる。俺が友麻にしていいのは、ただ友麻の幸せを陰ながら祈り、友麻がイケメンに見初められるために色気を振りまく姿を、暖かく見守ることだけだった。 

 二十八歳という年齢で、自分がごく普通の容姿をした、たった一人の彼女を得ることも許されない男だという自覚もなく、友麻を食事になど誘ってしまった自分は、大馬鹿だった。友麻にボロクソに言われ、セクハラだと騒がれ、ラインを移されたのは、仕方のないことだった。

 馬鹿の巻き添えを増やしたい。俺が竹山に告白を勧める理由は、それだけである。

 歳を重ねてはいるが、女として十分に魅力的な満智子が、肥満体型で、不潔感溢れる竹山の相手などするはずがない。竹山が満智子に告白してフラれ、満智子があの新しく入った岸の女にでもなって、竹山が歯噛みして悔しがるところが見たかった。道連れを増やして、少しでも溜飲を下げたかった。

 「暴発」しない理由――人生を終わりにしない理由を、まだ探している。

 自分が幸せになる方向では、その理由が見つからないことはわかっている。だから、誰かの不幸を目にしたい。俺以下のゴミがいるのを見ることで、自分が世の中で生きていい理由を見出したかった。

「竹山くん、ドリンク取りに行ってくるけど、何か――」

 ドリンクバーを取りに席を立ち上がりかけたところで、全身の皮膚が総毛立ち、天敵の襲来を告げた。

 洞窟で蠢くドブネズミ、暗い地を這う湿ったナメクジが、焼けつくような陽光に照らされて、自分が世の中に生きてちゃいけないんだという気分に満たされていく。

 藤井、友麻、岸、満智子。工場の中で、俺が常に嫉妬の目を向ける四人組がファミレスに入ってきて、俺たちの座る斜め後ろのテーブルに席を取った。

「あれ。あそこに座ってるの、竹山さんじゃん。てことは、その向かいにいるのは青木くんか」

「ふうん、いたんだ。それより、俺が今日やった作業、けっこう腰にきてさ、あれ毎日やるのは・・・」

 俺がすぐに姿勢を低くして身を隠したのに、愚鈍な竹山がいつまでも顔を上げていたせいで、あっという間に見つかってしまったが、奴らはすぐに興味もないという風に、ほかの雑談に移っていった。

 しかし、生きた心地がしない。光り輝く存在である「リア充」「陽キャ」は、ただそこにいるだけで俺にダメージを与える。暴力的な輝きに焼き焦がされ、ナメクジが渇いていくように、俺の存在理由を消されていく。

「あ・・青木、くん・・・・」

 竹山が何を言いたいかはわかる。しかし、俺たちとてまだ、ここには来たばかりなのだ。まだ、料理も運ばれてきてはいない。人としてのプライドが残っている限り、奴らから逃げるようなマネだけはできない。

「それじゃぁ、岸くんの入社を祝して、かんぱーい!」

 あとに注文したはずの「リア充」「陽キャ」グループの方に、先に料理が運ばれてくる。これは、たまたまなのか?思考がどこまでも、被害妄想的になっていく。

 やがて俺たちのテーブルにも料理が運ばれてきたが、まったく箸が進まなかった。ひき肉の塊を豆粒みたいに小さく切っても、口に入れるのに四苦八苦した。

 女と、女を連れた男に、幸せな姿を見せつけられると、食欲がなくなってくる。あんなキモチ悪い顔した男がご飯を食べて、身体を作ろうとしている――女にまったく好かれないのに、必死に生きようとしている――などと、嘲笑されている気がして、口に入れたものから味がしなくなり、水で流しても喉を通らなくなる。

 いま、この世の中で、食べるということは誰にでもできるが、女とセックスをすることは、誰しもに許された権利ではない。同じ生物の三大欲求に数えられるのに、両者を満たす難易度は、天と地ほどにも差が存在する。女と好きにセックスできる男から、誰でもできる食事をしているところを見られると、なんだかバカにされている気分になる。自分でもわけのわからない被害妄想で、頭が一杯になっていく。

「ねえ、これどうする?みんなもうお腹いっぱい?せっかく注文したのに、残していくのもあれだし・・・」

 俺が自分の注文したハンバーグセットと格闘しているうちに、奴らは次々に皿を開けて、これからみんなで、どこかに遊びに行こうという流れになっているようだった。それにあたり、みんなで食べるために注文した、フライドポテトの大皿をどう処理するかが問題になっているらしい。 

「もう冷めちゃって、しなしなになっちゃってるしなぁ・・・そうだ。ちょうどいい処理係がいるじゃん」

 スタンガンで撃たれたように身が震え、頭にカッと血が上った。岸が口にした処理係というのが、俺と竹山のことを指しているのは明らかだった。

「いや・・・・それまずいって」

「けど、もったいないし」

「もらってくれないよ」

 この後、どんな惨めな思いになるかはわかっているが、逃げれば負けになる気がして動けない。抗う術はない。湿ったナメクジのような俺にできるのは、愚図愚図と処刑の時を待つことだけなのだ。

「女の子が頼めば・・」

「早くしないと・・・」

「ほら、友麻ちゃん・・・」

 ひそひそ話が終わり、友麻がフライドポテトの大皿を、俺と竹山のテーブルに運んできた。

「あの・・・よかったら、これ、どうぞ」

 愛想笑いを浮かべながら、友麻は野良犬に餌をやるように、大皿をガチャンとテーブルに置いて、パタパタと走り去っていった。

 腹の底で煮えたぎるどす黒いマグマが昇り、脳を侵していく。

 いつもそうだ。美味しいところは全部お前らが搔っ攫って、俺たちには残りカスばかりが押し付けられる。

 プライドの塊みたいなヤツらに限って、他の人間にも、同じようにプライドがあるってことを想像できない。もしかすると、同じ人間だとすら思っていないのかもしれない。面白おかしい珍獣みたいに思っているから、こんなことが平気でできるのではないか。

 いつまでも、大人しくしていると思うな。

 俺が、レジの前で待つ藤井たちのところに駆けて行く友麻の背中に、フライドポテトの大皿を投げつけてやろうと指をかけた、そのときだった。

「こら!何てことするんだ!」

 神出鬼没――いつから店の中にいたのか、トイレの方からツカツカと歩いてきた影沼が、友麻に向かって、店中に響き渡る声で叫んだ。

「エッチがしたくてたまらないのにエッチができない犯罪者予備軍の青木っちに、あろうことかフライドポテトを食べさせようとするなんて、お前はとんでもない女だな!」

 坊主が伸びたような金髪に野球帽。派手なオレンジ色のパーカーに、ダボダボのジーンズ。典型的、田舎のヤンキーみたいな恰好をした影沼は、無関係の他の客のジョッキを勝手に煽り、ガニ股でのしのしと、友麻に詰め寄っていった。

「自分がこれから大好きな藤井ちゃんとエッチをして、性欲を満たすからって、エッチができない青木っちに食べ物をあげ、せめて食欲を満たさせてあげようとする。お前はなんて、なんて嫌味な女なんだ!」

 突然現れた影沼の発言の奇怪さに、その場にいる全員は、唖然として凍り付いていた。今、この場にいる人間で、影沼の発言の内容を理解できているのは誰もいない。おそらく、ただ一人俺だけが、影沼の言いたいことを、何となくだが理解できている。

 いま、この世の中で、食べるということは誰にでもできるが、女とセックスをすることは、誰しもに許された権利ではない。同じ三大欲求に数えられるのに、両者を満たす難易度は、天と地ほどにも差が存在する。好き放題、タダでセックスができる偉い立場の男と女が、お金をはたいて店に通うことでしかセックスができない可哀想な立場の男に、誰でも食べられる食べ物を与えていい気になるのは、決して許されることのない侮辱である。 

 そんなことを、薄ぼんやりと考えたことのある人間は、他にもいるかもしれない。しかし、それを敢えて口にしようという人間は、おそらく一人もいないだろう。

 常識の世界に住む普通の人間が、頭の中で考えても言わないことを平気で口にする男に、なぜだか俺が、自分自身に密かに抱いている自己評価が重なっていく。

 本人の持っているポテンシャルはけして悪いものではないのに、ついつい、生きる上で考えなくてもいい余計なことばかりに思考を費やしてしまうあまり、やるべきことをやる場面では頭が働かない。結果、無能の烙印を押され、交友関係もうまくいかず、下層階級で燻っている。

 俺と影沼は、もしかして、似た人間なのではないか・・・。

「お前と藤井ちゃんは、ベッドの上でハッスルしまくっているお陰で、カロリーを消費でき、スリムな体型を保てているようだが、エッチができない不満を、ばくばく食べることで満たしている竹山っちなんか、こんなブヨンブヨンに太ってしまっているじゃないか。お前は青木っちにもバクバクとポテトを食べさせて、竹山っちみたいに、ますます女にモテない体型にしたいのか!」

 影沼は友麻を指さして、口角泡を飛ばしながら、異常な言動を――俺が内心思ってはいるが口にはしないことを、一方的に捲し立てる。俺の頭もこんがらかってはいるが、どうやら影沼が、俺と竹山を野良犬扱いした友麻に、激しい憤りを露にしているのは間違いないようだ。

 影沼は、同じラインに所属している俺と竹山を、庇ってくれているのだろうか。一瞬、影沼が、これから俺の頼もしい味方になってくれる、という期待を抱いたが、影沼は自分の言いたいことを言うと、それでスッキリしたのか、そのまますぐに俺たちの目の前から去って、ファミレスを出て行ってしまった。

 一分ほど静寂が流れ、やがてその場にいた全員の表情が、影沼が姿を現す前のものに、すっかり戻った。まるで、影沼が出てきたそのときだけ、ずっと時間が止まっていたかのような再現率の高さである。百万遍生まれ変わっても理解できそうにないものを見てしまったとき、人間の脳は、それが起きたこと自体を忘れようとするらしかった。

「あ!」

 影沼から解放され、レジの前にいる藤井たちの傍まで来たとき、友麻が何かを思い出したように、またパタパタと足音を立てて駆け戻ってきた。

「あの。青木くんのことで、気になってることがあるんですけど、聞いてもいいですか?」

「え?え、なに・・・」

 どうせ、ロクなことではないのはわかっている。わかっているのに、いまも胸の奥底から消えてなくならない友麻への淡い思いが、ドクドクと鼓動を鳴らさせる。

 セクハラだと騒がれ、あることないことでっちあげられ、ラインを移され、幸せを見せつけられ、残飯の処理を押し付けられて、それでも俺はまだ、友麻が好きだった。今からでも藤井たちのグループから離れて、俺の方を振り向いてほしかった。

 俺は友麻のことが常に気になって仕方ないが、友麻の方が俺を気にするなどあり得ない。そう思っているから、友麻が俺に、何かを質問してくれるのが、嬉しくてたまらなかった。

「あの。青木くんと竹山さんって、いっつも一緒にいるけど、二人は付き合ってるんですか?」

 邪気などひとかけらも感じさせない、屈託のない笑顔を浮かべながら、友麻が暗い地の底から舞い上がりかけた俺を、再びどん底まで叩き落した。

 友麻が最初に問いかけてきたとき、せめて、俺と竹山のことで問いたいことがある、と聞いてくれれば、俺は次に続くこの言葉を予測できたかもしれない。理不尽な侮辱を受けるのは一緒でも、あるはずもない良いことに、余計な期待を抱かずに済んだかもしれない。

 友麻が、俺の中にいまだ燻る友麻への思いを知っているのかはわからない。しかし、結果は、俺が友麻に弄ばれたような形になった。

「・・・・・」

 俺が何も答えずに、テーブルの上で握りしめた拳を震わせていると、友麻が可愛らし気に、きょとんと首を横に傾げた。わざとやっているのでなければ、大したタマである。

 友麻の仕草に、岸は腹を抱えて笑い、満智子は何が起こっているのかわからないといった風に、いつものように、童女にもみえる無邪気なほほ笑みを浮かべている。

 ピエロのようになることが、俺の唯一の存在意義。ネタにされ、消費されていくだけの扱いを受け入れれば、集団の中で、俺の居場所は確保される。ただそこに居られることに、感謝しなければならない。本当に欲しいものが手に入らなくても、声をあげることは許されない――。

「おい、やめとけって。ごめんね、青木くん、竹山さん」

 俺の不愉快な気分を察した藤井が、昼間と同じように、俺たちに謝ってから、友麻の肩を抱いて連れていった。

 俺たちに頭を下げても、結局は友麻、あるいは岸の方が大事。俺たち「非リア」「陰キャ」をどれだけ見下し、バカにし、尊厳を踏みにじるようなことをしても、人として値打ちのあるものを持っているヤツは、結局、「リア充」「陽キャ」の位置に留まれる。俺たちはどこまでも、外部の人間なのだ。

 奴らと俺の間に引かれた境界線はけして越えようがなく、どう頑張っても、俺はあちらに混ぜてはもらえない。だから今決めた。明日の勤務中に、藤井と友麻をダガーナイフで刺し殺す。

 怒りが頂点に達すると、人はかえって冷静になるらしい。今すぐブチ切れて、大きな声を上げようとか、友麻に掴みかかろうとかいう考えは浮かんでこなかった。

 藤井たちが去っていったあと、俺は竹山に何も言わないまま、自分で注文したハンバーグセットと、友麻の置いていったフライドポテトの皿、そして昼間と同じく、自分もバカにされた対象であるかをわかっていないように、俺を心配げに見つめる竹山を置いて、さっさと会計を済ませてファミレスを後にした。

 自転車のチェーンロックを外そうとするが、さっきの怒りで、指先が震えてうまくいかない。やがて、竹山が息を切らせながら追いついてきて、何事かをもごもごと口走った。

「青木くんは、僕じゃ・・・僕じゃ、だめなの?」 

「・・・は?」

「僕じゃだめ?僕が一緒じゃ、その、その・・・前向きに生きてみようって気にはならない?」

 俺がなりたくてなれない奴らから、人生を終わらせる決意ができるほどメタメタに打ちのめされた後に、太っちょで汗っかき、面白いことがいえるわけでもない男に暖かい言葉をかけられ、心は白み、背筋を冷たいものが這った。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要とされるなら、誰でもいいというわけではない 

「僕たち・・・とも、トモダ」

「うるせぇっ。もう職場でも、俺に近寄ってくんな。お前に付いてこられると、迷惑なんだよっ」

 馬鹿にもわかるくらいハッキリと、竹山に絶縁通告を突きつけた。明日に予定している藤井と友麻殺害を実行するか否かに関わらず、竹山との付き合いは、本当にこれで終わりにするつもりだった。竹山を邪険にして突き放しても、絶対に後悔しない自信があった。

 高校時代、確かに俺は、見栄という下らない感情から、付き合えた可能性のあった女にアタックしない痛恨のミスを犯した。だが、俺は当時から、周囲の目さえなければ、あの女と付き合いたい、ヤリたいとは思っていた。

 竹山とあの女とは違う。今、現在において、俺は竹山という男を好きではないし、これから竹山という男と、絆を深めていきたいと望んでいない。周りに蔑まれながらも一緒にいるメリットが何一つない竹山との関係を切っても、失うものは何もないし、後悔するはずもない。

 ゼロより価値のないイチは存在する。みんなに馬鹿にされる嫌われ者と一緒にいるところを見られれば、己の惨めさがより増すだけである。

 俺は自転車のチェーンロックを外すと、肩を震わせながら傲然と立ち尽くす竹山を置いて、走り出していった。


                          5


 明日の勤務時間帯に、藤井と友麻を、確実に殺す。大仕事を成し遂げるためには、たっぷり休息をとって、体調を万全にしておかなければならない。俺は帰宅した早々、風呂にも入らないまま布団に潜り込んだ。

 不細工のくせに性欲の強い俺は、寝る前に必ず一度は精を放っていないと、夢の世界には旅立てない。俺は枕元のティッシュを取って、チノパンとトランクスを一緒にずりおろした。

 藤井と岸をロープで柱に括り付け、奴らの目の前で、友麻と満智子を一辺に犯す光景を脳裏に描きながら、神がただ、欲求不満の苦痛を味合わせるためだけに俺に与えたものを扱いた。あっという間に熱を持ち、硬度を増していったそれは、一分もしないうちに、ティッシュ一枚では到底吸いきれない白濁のものを吹き出した。

 大仕事を明日に控え、興奮していきり立ったものは、一度達したくらいでは満足しない。次はロープで柱に括り付けた藤井と岸の顔面を、ハンマーでぐちゃぐちゃに潰しながら、満智子のたわわな乳房を吸い、友麻の中に溢れんばかりの精液を注ぐのを思い描きながら、少し勢いの落ちた二発目をティッシュの中に打ち込んだ。

 次の妄想で、友麻と満智子は俺の子を懐妊しており、その次の妄想では、俺の子を産み落としている。不細工でバカな俺と、美人ではない友麻と満智子の子供は、十歳くらいになると、容姿と頭の悪さから学校でイジメに遭い、鬱になって自殺してしまう。

 友麻と満智子をとても愛している俺は、友麻と満智子に、年に一人は子供を産ませるが、子供は十歳になると必ずイジメに遭い、精神を病んで自殺してしまう。十男が生まれた年には長男が死に、十一男が生まれた年には次男が死ぬ。乾電池が一杯に詰まった筒の中に、後ろから新しい電池を入れれば、前の電池はポコッと落ちてしまうが、そんな感じで、新しい子供が生まれるたびに、古い子供が死んでいく。子供が鬱になり、首つり自殺で死んでいくのを見届けながら、また新しい子供を、友麻と満智子に産ませる。

 死んでいく子供がみんな男なのは、女はそれだけで生きる価値があるからだ。友麻や満智子くらいの容姿ならば、十分イケメンに相手にされるし、俺が高校時代に手を出さなかった女のようなバケモノ顔でも、俺よりもう少し顔が良くて金のある男に相手にされる。すべての女と、俺よりもう少し顔が良くて頭のいい男には生きる希望があるが、俺ほど不細工で頭の悪い男は、ちんぽが精力を持ち、女を求め始める十歳を過ぎたら人生が地獄になるのだから、すぐに死ななければならない。

 俺の劣等遺伝子を植え付けられることは、女にとって、喜びではなく悲劇。だからこそ、中にぶちまける意味がある。地獄の人生を送るとわかりきっている子供を、俺に地獄を味合わせた女に産ませる妄想で愚息を慰める。

 都合六度の射精を終え、いきり立ったものはようやく収まったが、まだ、眠気は襲ってこなかった。スマホのデジタル表示は、二十時ちょうどを指している。

 明日まで待たず、今すぐ、藤井と友麻を殺しに行くことを決めた。

 六枚のティッシュをゴミ箱に捨て、イカ臭くなった手を洗った。シンクから百円ショップで買った包丁を取り出し、ナップザックに入れた。上着を羽織って家を出た。

 工場からほど近い国道沿いに、ネットカフェにカラオケ店、ダーツやビリヤード台などが併設された、複合遊興施設がある。藤井と友麻はそこにいる。俺も今からそこへと向かう。

 年に一度は起こる、派遣社員の暴発。どうやら、今年は俺に順番が回ってきたようだ。

 先達の多くは、社会への復讐と称して無差別に多くの人間を傷つけたが、俺にそれはとてもできそうにない。俺は個人的な恨みでないと、人を殺すところまでは燃え上がれない。

 俺が藤井と友麻を殺すのは、ただのフラれた逆恨みだ。クソみたいに身勝手でクソどうでもいい動機だからこそ、藤井と友麻を殺さなくてはならない。

 人が人を殺すとき、ミステリー作品のようなトリックなんか使わないのは今では誰でも知っているが、同じくミステリー作品のように、人は親や恋人を殺された復讐とか、誰もが同情できるような動機では人を殺さないということは、意外と知られていない。

 俺が抱いているのが、逆恨みではない正当な憎しみだったら、世の中で値打ちのある誰かが傍に寄り添って、温かい言葉をかけてくれる。俺は生きていていんだって思えるし、自分を大切にしようって思える。

 しかし、不細工な俺が、クソみたいに身勝手でクソどうでもいい横恋慕を吐露したところで、心を寄せてくれるのは誰もいない。せいぜい、田辺のような説教好きのオッサンがどこからか現れて、「そんなことぐらい、誰しも経験することだ」「この経験を次に生かせばいいだけだ」など、ありきたりなキレイゴトを吐かれ、オナニーの材料に使われるのが関の山だ。

 この世のどこにも、俺の理解者はいない。だから俺は、藤井と友麻をぶち殺して、人生を終わりにしなければならないのだ。

 途中で寄り道せず、真っ直ぐに、藤井たちの居場所へ自転車を走らせた。こういうのは何よりもまず、勢いが大切である。日が空けるのを待ち、工場に出勤してからではもう遅い。今すぐ人を殺せるほどの熱が冷め、また、何も変わらない鬱屈の繰り返しに取り込まれてしまう。

 藤井と友麻を今すぐ殺すことを決めたのは、紛れもなく正解だ。惰性で続く地獄を、ここで終わりにしてやる。

 目的の施設に着くと、駐車場で、藤井と友麻が並んで歩いているのが見えた。彼らを先導するのは、金髪の男――影沼。どうやら藤井と友麻は、影沼の車へと乗りこもうとしているようである。

 失望――ファミレスで、影沼と一瞬、心が通じ合い、影沼がこれから、俺の頼もしい味方になってくれる気がしたのは、どうやら俺の勘違いだったらしい。考えてみれば、言っている内容はほとんど理解不能だが、底抜けに陽気な影沼は、俺よりよほどあちら側に相応しい。適応能力は、世界で最底辺の男よりも、世界の中に生きていない男の方が上だったのだ。

 仕方ないが、影沼も一緒に殺すしかない。今日、ライン作業中にからかわれただけの影沼に、そこまで恨みがあるわけではないが、運が悪かったと思って諦めてもらう。俺は駐車場の前で自転車を止め、ナップザックから包丁を抜いた。

 鬨の声をあげて飛び出そうとした刹那、射竦めるような影沼の視線に捉えられた。影沼は藤井と友麻に気付かれないようにして、俺の方に手のひらを向けている。ストップの合図を送っているようだ。

 運転席のドアを閉め、車のエンジンをかけた影沼が、ウィンドウから右手を出して、俺を手招きした。付いてこいと言っているらしい。俺は影沼に従って、自転車で影沼の運転する白のカローラを追尾し始めた。

 車の通りが少ない田舎道で、影沼は法定速度をさらに下回るスピードで、のろのろとカローラを走らせる。俺が本気でペダルをこがなくても追えるように、配慮してくれているようだ。カローラは、やがてカエルの鳴き声が響く田園地帯へと入っていった。

 田畑を割る一本道を深々と進み、人家が見えないほど遠くなってきたところで、軽自動車がストップした。慌てた様子で後部座席を降りてきた藤井の背中に、すぐに運転席から出て後を追いかけてきた影沼の手に握られた、煌めく白刃が吸い込まれていった。

 頽れるようにして田んぼにダイブした藤井の背中に馬乗りになり、影沼が滅多無尽に白刃を振り下ろした。ザシ、ザシ、と、人の肉が裂かれる嫌な音と、嘆くような藤井の呻き声が、カエルの大合唱の中に割って入る。肉袋の裂け目から噴き出したもので、泥水がそこだけ赤黒く染まっていく。

「う~ん、う~ん・・ん・・ぅっ」

 藤井の呻き声はどんどんか細くなり、ついにはカエルや夜蟲の声の中に掻き消えていった。

 日常の中で爆発した非日常に、空間が歪んで見える。彫像のように凝固して一歩も動けないでいる俺に、「大仕事」を終えた影沼が、異様な光を帯びる眼と、三日月形にアーチを描く口元を向けた。

「これからさぁ、藤井ちゃん車に乗っけるから、青木っち、手伝って」

 空虚な言動を繰り返す影沼の口から、初めて具体的な指示を聞いて、身体が勝手に反応した。ピクピクと、爪楊枝で突かれたナメクジのように痙攣している藤井の足を掴み、頭の方を持った影沼と一緒に、友麻が震えているカローラの後部座席に運び込んだ。

「な、なんで、こんなこと・・・・」

「なぜって?それは、俺たちの住む底辺世界を蝕む敵、ココロキレイマンを倒すことが、俺の使命だからさ」

 長身の藤井を座席の下に横たえてから、息をゼエゼエと吐きながら問うた俺に、影沼が息一つ切らさずに答えた。

「愛、友情、希望。世の中は、キレイな言葉で溢れかえっている。人を嫉まず、憎まず、すべて自分のせいだと受け入れられる謙虚さを持ち、愚痴をこぼさない。そんな人間が素晴らしいとされている。だけどさぁ。そんな言葉を信じても、そんな人間になろうとしても、どう頑張っても、どうシミュレーションを繰り返しても、幸せにはなれないんだよ。俺たちの住む、底辺世界ではね。だから俺は、俺たち底辺世界に生きる底辺労働者にキレイな言葉を信じさせ、素晴らしい聖人君子にさせようとする悪の勢力、ココロキレイマンを打ち倒す、正義の戦士となったんだよ」

 早口で捲し立てるように言う影沼の言葉が、妙にスラスラと頭に入ってきた。まるで、何年も前から、俺自身がそれを考えていたかのように・・・。

「詳しい話はあとだ。これから山の中に、藤井ちゃんを捨てに行くから、青木っちも乗って」

「いや・・でも、俺、自転車で来てるし・・・」

「自転車ごと乗せちゃいなよぉ」
 
 影沼の指示に、また、意志に関わりなく、身体が反応した。俺は自転車をカローラの助手席に無理やり突っ込んで、足元に横たえられた藤井の亡骸を踏みつけながら、後部座席で怯えて、縮こまっている友麻の隣に腰を下ろした。同時に、カローラが人気のない夜道を、ゆっくりと走り出した。

「青木っち。その女も殺しちゃうから、思い出にヤッちゃいなよぉ」

 ドライブに出かけているように享楽的な口調で、影沼が言った。

「え?え、え、え」

「わかってる。緊張して勃たねぇっつうんだろ?大丈夫だ、そういうときのために、こういう薬を用意してある。飲んでから十五分もすれば、青木っちのチンポは、こんな状況でもビンビンだ」

 言われるままに、影沼に渡された錠剤を奥歯で砕いて飲むと、数分で顔が火照り、下腹部に異変が起こってきた。

「青木っち、ちんちん勃ってきたなら、その女、ヤッちゃいなよ」

 影沼が俺の気を見透かしたように言うと、俺の隣で、藤井の亡骸を踏まないように膝を抱えて座る友麻が、ビクリと身を震わせた。

「え?いや、でも・・・」

「失うもんなんかなんもねえ奴が、失うことを恐れるな!底辺世界の住人に、一瞬より大切な一生なんか存在しねぇ!いま、目の前に置かれたまんこをヤる。お前がやるべきことは、ただそれだけだ!」
 
 シンプルかつ力強い影沼の言葉で、また、身体が勝手に動いた。俺は脇で震える友麻のか細い身体を力強く抱きしめ、青くなっている唇を吸った。
 
「んっんぅむ。んんっむ」

 身をよじって俺を振り払おうとする友麻を固く抱きしめ、歯茎を舌先で撫ぜた。殺したいほど憎んだ女なのに、友麻の唾液は、バニラソフトのような甘い味がした。

「いいねぇ。君たち、ラブラブだねぇ。それじゃぁ次は、おちんちんとおまんまん、ジュポジュポ出し入れしちゃおうかぁ」

 影沼に言われるまでもなく、俺はチノパンとトランクスを脱ぎ去り、剛直を露出させていた。

 狭いスぺースの中で、友麻の衣服を強引にはぎ取り、全裸に剥いて、左右の膨らみにむしゃぶりついた。経産婦ではない友麻の乳から母乳が出るはずもないのに、汗ばんだ友麻の乳房を含んだ俺の口の中には、甘酸っぱい女の味に混ざって、ミルクの甘い味が広がっていた。 

「ばぁぁぁっ。ばぁぁぁっ」

 恐怖が限界を超えた友麻が目を剥き、山姥のように髪を振り乱して叫び出した。友麻の豹変ぶりに、俺がたじろぎ、ペニスを縮こまらせていると、影沼が車を止め、後部座席に身を乗り出してきた。

「騒ぐんじゃねぇ!さ、わ、ぐ、の、や、め、ろ!さ、わ、ぐ、の、や、め、ろ!」

 言葉に合わせて、影沼が友麻の顔面に拳をめり込ませる。女を平手ではなく、グーパンチで打つという、ある意味、殺人以上に思い描きもしなかった所業を目の当たりにし、背筋にゾッとしたものが走った。

 何度も脳を揺らされて、友麻がぐったりとすると、影沼は運転席へと戻っていった。俺は己の手で刺激して勃起を復活させると、友麻を対面座位の形で抱き抱え、挿入を試みた。

 狭くて動き辛い上に、風俗でも、本番からは三年ほど遠ざかっているため、なかなか穴を探り当てることができない。ずっと、硬直した棒を、生魚のような臭いを発している友麻の秘所にすり合わせるのを続けているうち、向こうが段々と濡れてきた。無理やりヤッても、女の身体が反応することに驚くと同時に、とうとう俺のものが、友麻の中にジュプッと入った。

「いいねえ青木っち。ついにまんこに、青木っちの毒毒ナイフ、ブッ刺しちゃったねぇ。それじゃ次は、素人童貞で経験が少ない青木っちのぎこちなピストンで、まんこを突き上げてみようかぁ」

 不細工遺伝子をばら撒く俺の生殖器。女から見れば、たしかに、毒を塗ったナイフのような危険物に他ならない。影沼の言葉を聞いて、硬直の度合いはより高まった。

「青木っち。お前がその女に受けた仕打ちを思い出せ。まんこを突きまくって、お前の中に残った僅かな罪悪感を吹き飛ばせ!すべてのココロキレイ菌を浄化して、俺とともに、ココロキレイマンを打ち倒す戦士となれ!」

 俺が友麻にされた仕打ち――ただ、普通に食事に誘っただけで、セクハラだと騒がれ、あることないことでっちあげられて、担当者から叱責を受け、ラインを移された。

 セクハラ。その言葉は、若い女が、組織で重要なポストに就いている男から、立場上の弱みを突かれて性的な嫌がらせをされるのから守るために存在する言葉のはずである。それを最底辺の社会的地位にいて、生まれてこの方、一人の女にも振り向いてもらえなかった男の不器用な口説きに対して使えば、当然、あらぬ感情の縺れが発生する。

 俺の友麻へのデートの誘い方は、本当におかしかったのかもしれない。本当に好きだったから、ジロジロ見つめてしまったこともあったかもしれないし、ライン作業の中で、偶然身体に手が触れてしまったこともあったかもしれない。

 友麻がこの工場の中で、ほかの誰かと恋愛することがなかったら、「迷惑かけたな、申し訳なかったな」と思うこともできただろう。だが、友麻は藤井が俺と同じことをしたとき、それを嬉しそうに受け入れた。俺は藤井と差別された。これでもう、反省できなくなった。

 組織で重要なポストに就いているわけではない俺は、女からボロクソ言われて、プライドをズタズタに傷つけられて、そこで踏みとどまることができるだけの大切なものを、何も持っていないのだ。非正規の派遣社員の俺が、あそこまでやられて友麻を許す理由は、せいぜい「男らしさ」とかいう感情論しかない。

「男らしさなんて感情は、男が常に、女を上回る地位を得ている世界でしか価値を持たないものだ!地位も財産もないのに、わざわざ男らしさなどという感情で自らを縛りに行くのは、女の奴隷となることを受け入れた愚かな男の選択だ!俺たち底辺世界の住人にとって、男らしさなんて感情は、何の意味もない!どんな事情があれ、男を振るときに遺恨を残さないことを、相手の男らしさなんてもんに依存する対応しかできない時点で、その女は終わっているんだ!そいつに社会的に制裁を加える手段がないのなら、ちんぽをブッ刺して成敗するしかなあぁぁぁい!」

 影沼の放つ言葉は一々至極もっともで、反論の余地がない。俺自身が長年考え続けていたことを、そのまま代弁してくれているかのように聞こえる。

「青木っち。お前が藤井ちゃんから受けた仕打ちを思い出せ。お前の中に残った僅かな罪悪感も吹き飛ばせ!すべてのココロキレイ菌を浄化して、俺とともに、ココロキレイマンを打ち倒す戦士となれ!」
 
 影沼が、友麻と藤井を入れ替えただけで、先ほどとそっくり同じことを言った。

 過剰な対応と侮辱の被害を受けた友麻はともかく、表面上、俺によく接してくれた藤井を憎むのは、ただの逆恨みになるようだが、そうでもない。

 一握りのイケメンが、多数の女を独占する構図。客観的冷静に見て、藤井の容姿と、藤井が仲良くする友麻、あるいは満智子の容姿は釣り合っていないという事実が、俺が藤井を憎む正当な理由である。

 今、この世の中で、節操という言葉は、もっと注目されていいと思う。その気になれば、もっと若くて可愛い女を抱くことのできるイケメンが、不細工が抱きたくて抱きたくてたまらない、おばさんやブスを持っていくという暴挙が、果たして許されていいのだろうか。

 凛々しい鬣をなびかせるライオンが、サバンナでシマウマを追いかける姿を見ても、みすぼらしいジャッカルは何も感じない。自分が同じことをしても、敢え無く後ろ足で蹴り殺されるだけなのをわかっているのだから、ライオンを憎みもしないし、妬みもしない。

 しかし、シマウマの味に飽いたライオンが、深い草藪に潜む野兎をつまみ食いしようというのなら――これから野兎は俺の獲物だから、これからお前はドブネズミに混じって、洞窟で蟲の死骸を追えと言われるのなら、ジャッカルは黙っていられない。

「俺は竹山みたいな、女を諦めなきゃいけないどうしようもないゴミじゃねえ!俺はドブネズミじゃねえ!俺にはまだ、彼女ができる希望はある!女に愛される希望はある!てめえは、俺でもゲットできるような女を持っていくな!イケメンは大人しく、もっといい女のケツを追っかけてろよ!」

 俺は剛直で友麻を突き上げながら、足元に横たわる藤井の顔面を踏みつけた。

 分相応という言葉をわからせてやらないといけないのは、何も、根拠のない自信を振りかざして無謀な挑戦を繰り返そうとする者だけではなく、逆も然りである。友麻のような美人ではない女からみれば、藤井は女を顔で判断しない心もイケメンな男かもしれないが、美人ではない女に最初から狙いを定めている俺からみれば、藤井は謙虚という皮を被りながら俺の獲物を掻っ攫っていく、とんでもない節操なしでしかない。

 無差別に人を傷つけたのでは、きっと後悔し、反省するときがくる。しかし、藤井と友麻を殺しても、俺はこの先ずっと、後悔も反省もしないと思う。奴らを殺すことは、俺をこんなにまでした社会への復讐になる。それほど憎める相手を、俺の目の前に遣わしてくれたのは、神の慈悲だと思う。

 女が心底嫌うグロテスクなもので、女を貫く。自分を女へのご褒美だと思っている藤井のようなイケメンにはけして味わえない高揚感に酔いしれながら、俺は影沼の言う通り、素人童貞のぎこちない動きで友麻の襞を擦り、ツブツブの感触を味わった。

「うぅぅうぅおっ、うぅぅうぅおぉぉおっ」

 この世に生まれたことを呪う友麻の叫びが、鼓膜を心地よく慰撫する。

「友麻っ。友麻っ友麻っ友麻ぁっ」

 愛し合って、するはずだった。

 俺と友麻が、女が社会的に弱い立場で、経済的に男に依存しなけれなならなかった時代に生まれていれば、俺と友麻が、愛し合って肉体を重ねることもあり得たかもしれなかった。

 友麻は知る由もないだろうが、俺が友麻を好きになり、セックスをしなければならないのは、前世からの因縁で決まっていた。友麻の意志に関わらず、俺は友麻に、俺の種を送り込まなければならなかった。時代さえ良ければ、それはもっと、平和裏に行われるはずだった。

 一握りの条件に恵まれた男が、すべての女を独占する社会に生まれてしまったおかげで、俺は友麻を無理やりヤらなくてはならなくなった。

 恨むなら、時代を、社会を憎んでくれ。

 この女に復讐することは世の中に復讐することと同義だと思える女の中で、絶頂の時が近づいていた。

「うぅぅあぁっ。おぉぉぉおぅぅぅぅぅオっ」

 この男に復讐することは、世の中への復讐になる――。足元でこと切れている藤井の顔面をもう一度踏みつけると、友麻の泣き声がいっそう高くなった。友麻の中で、赤黒く鬱血したものがグググッと持ち上がった。

「うっ。ぬっ、むーーーーっ」

 すでにこの晩、六度も射精しているのが信じられないほど大量のおたまじゃくしが、友麻と俺の子が作られる部屋を目がけて、ドヴァッと放たれた。

「ふぅぅっ」

 肺腑から大きく吐息を漏らして、蜜壺から剛直を引き抜いた。精液と愛液が絡みあった体液がてらてらと光って、足元で天井を見上げている藤井の顔面に垂れ落ちていった。

「激しかったねぇ。スッキリした?」

「あ、あぁ・・・」

 俺が肩をつき、息を切らせながら返事をすると同時に、カローラが停車した。周りには、スクラップとなった自動車や冷蔵庫などがうず高く積まれている。山道を中腹辺りまで入り、産廃置き場にまでたどり着いたようである。

「これからその女、殺して燃やしちゃうから。青木っちは、車の周りにガソリンまいて」

 ライン作業に従事しているように淡々と俺に指示を飛ばしながら、影沼が助手席からポリタンクを取って、俺に寄越してきた。

 終始、友麻のことを、モノのように言う影沼。俺が欲しくて欲しくてたまらなかった女を、人として見ていない男に、俺の中にある人の心が反発する。

「ま、待てよ。殺すことないだろ」

「だって、そのまんこ殺さないと、俺と青木っちが、国に殺されちゃうよ。自分が死なないためには、そのまんこを殺さないといけないだろ。さあ、早く車の周りにガソリンをまいて、火をつけるんだ。思い残しがあるなら、その前に済ませておけ。青木っちをバカにしたまんこを、もっとグチャグチャにしたいんだったら、今のうちにやっておけ」

 影沼の言うことは一々至極もっともであり、反論の余地もない。さらに、影沼の言っていることは、俺がずっと、やりたくてできなかったことでもあった。

 着やせするタイプだったのか、友麻を抱いているうち、彼女の腹回りは意外に肉付きが多いことに気が付いていた。俺をお下劣なもの扱いする割には、友麻の身体がだらしなかったことが、俺の劣情を誘い、僅かに残った人の心を吹き飛ばした。

「こんなエロい身体しやがって。許さねえ。許さねえ、許さねえ、許さねえ」

 俺は友麻を車の外に引っ張り出すと、土と雑草の上に押し倒し、正常位で友麻をしっかり抱きしめ、バニラソフトの味がする口を吸いながら、今晩八度目の絶頂に向かう剛直を抽送した。

 何度も、何度も、俺の恨みで友麻を突いた。擦り切れて血を滲ませる秘裂に、幾度出しても収まれない俺の恨みを擦れ合わせた。友麻の中が白濁の憎悪で満ちていくまで、無心で腰を振り続けた。
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No title

影沼の存在は強烈ですね。
影沼は青木を覚醒させてしまうほどの力を持っていますね。
藤井の何気なく行っている行動が青木に相当なダメージを与えているということを影沼は見抜いていたのですね。
青木は周りから陰キャ扱いされていますが竹山と同じレベルにされているということに我慢ならないでしょうね。
できれば陽キャの側に回りたいのですがそれも難しいといった位置付けですね。
派遣社員の暴発は青木のような環境の人間が引き起こすのかもしれませんね。
友麻は青木や竹山にとっては害悪でしかないのですが周りからは好印象を持たれているという厄介すぎる人物ですね。
何をしてもこちらが悪者になってしまうという理不尽さがありますね。
工場という場所でもヒエラルキーはあるのですね。
加藤も後輩に彼女ができたことを掲示板に書き込んでいましたよね。
女がいない状態のままでは相手と対等な関係になれないと考えてしまう部分はあるでしょうね。

底辺の単純労働の派遣の世界にも格差がありそのなかでバカにされてたら流石に辛いですね。
竹山みたいな奴はいくらバカにされても何も感じないのでしょうが青木みたいにまぁ~人並みに知能がある奴は流石にムカつくでしょう。
岸みたいにあからさまにバカにする奴もムカつきますが藤井みたいな奴もよく考えると頭に来ますね。
友麻の青木さんと竹山さんは付き合ってるのですか?と言う質問は流石にキレますね。
影沼は青木より身長が低くブサイクなのにやけに明るい性格ですね。それに人の考えていることを的確に読めるのですかね。
いきなり殺人を犯しこの先、何人殺すのでしょうか?
影沼は青木にとっていい奴なのか悪い奴なのかこれからの展開が楽しみです。
竹山は無害だろうけど青木は竹山に怨まれてもおかしくないですね。

No title

seasky さん

 工場という場所もコミュニケーション能力次第で全然違いますね。いまはどこも人手不足なのでどんな人でもある程度大事にされると思いますが、やはり不潔とか、最低限のこともできない人はそれなりに弾かれます。反対に、長続きするような人はやはりそれなりの魅力を持っていますね。

 差別され、虐げられている人間ほど己の立ち位置は気になるでしょうね。同じ嫌われ者でも、相手が女であればくだらない見栄など気にせずヤレるときにヤッた方がいいですが、相手が男であればどうしようもないですね。

 何をしてもこちらが悪者になってしまうという理不尽さはそこら中に転がっていますね。ほとんどの人間は「何をしたか」よりも「誰がしたか」で物事を見るもので、それはよほどのことでない限り覆りません。

 人に好かれるというのも一つのスキルであり、その努力を怠った方が悪いと言うのも一つの正論ですが、それを盾に調子に乗りすぎてるヤツは一度痛い目に遭った方がいいでしょうね。

No title

青木に暴言を吐かれたのは竹山にとっては逆に満智子に告白するチャンスかもしれない
自分が若い頃片思いの相手に自分から近づいた時は友達と思ってた人に嫌われていたのが判明した時もあった
一人になって失うものがないと分かった時の方が振られる覚悟ができた
しかし相手が年上の人の場合は既婚者かどうかを聞いてからでないと職場に居づらくなる
満智子は独身なのかどうかを聞き出すのはぼっちになった竹山には難しいだろうか?

友麻は藤井の本命彼女ではない気がする
ポテトの件は家族連れとか他の客もいるかもしれないファミレスでこんな事をしたら友麻の方が恥をかく
それを止めない藤井は友麻を大切な人とは思ってない可能性あり
ちなみに自分も人生で一度しかない同窓会で似たようなことをされたが貰った食べ物を完食した(笑)
その時は高校生だったので底辺高校に進学した中学の同級生にそれをされても傷つくという発想はなかった
非正規雇用になった今同じ事をするのは無理だが


No title

 まっちゃん さん

 なにもない派遣の世界でもどこに遣り甲斐を見出すかで変わってきますね。もちろん単純労働に遣り甲斐をもっても仕方がないので、それは主に人間関係ということになりますが、周りとうまくいっているとやはり長続きはしますね。もちろん、そんな職場の人間関係ごときを自分の人生すべてを納得する理由にしているヤツはただのアホですが(ハーレム状態でヤリまくっているとでもいうならともかく)。

 竹山は鈍すぎてイラつくというヤツですがさすがに青木にまで見放されたら傷つくでしょうね。藤井もこっちを気遣っているようですが、結局は自分の身内がよそ様に迷惑をかけたということ謝っているだけですからね。岸や友麻とつるむのをやめているわけではない以上、敵の味方は敵という理屈で嫌われてもおかしくないでしょう。

 影沼は「陽キャ」とはまた違った、頭の沸いた明るいキャラクターとして書いていきたいと思っています。何の面白みもないリア充にならないよう注意して書いていきたいですね。

 話は変わりますが、書いているうちにまた偽善の国のアリスの方で私に説教をしてきた人のことを思い出してしまいました。彼が「十代二十代で恋愛してきた人なら割と誰もが通る道のような気がします」と言っている部分ですが、なぜ「誰しも経験する」ことが、「相手を許さなくてはいけない」理由になるのか。その理屈だとイジメや体罰もなくならないだろっての。

 今にして思うと、彼は最初から自分の中での結論があって、それを私にぶつけるタイミングを伺っていただけのような気がしますね。そんな批判ありきのスタンスで読んでいる人は「読者」とはいいませんし、こちらも感謝はできませんね。

No title

MSKSさん


 女性の場合は年配だとやはり既婚者が多いですね。男なんか高齢独身ばっかりですが・・。単に付き合っているくらいなら粘ってセフレの地位を狙ってみてもいいかもしれませんがさすがに人妻に手を出すのは厄介ですね。


 ポテトをやるシーンは演出上はいいかと思ったのですが、現実的に考えてどうかって部分はありますね。確かに藤井が止めないのも変ですし・・。直しのときには削除しているかもしれません。

 ブス女がモテない男に大事にされるよりイケメンのその他大勢になりたいと願うのは勝手ですが、モテない男を侮辱する権利まではありませんので、レイプされて殺される末路も仕方ないでしょう。

新作第一話面白かったです。青木の気持ちが痛いほど伝わってきてなんだか居たたまれない気持ちになりました。ですが、読んでいて自分が青木の立場なら形だけでも優しい言葉をかけてくれた藤井にはそんなに悪感情を抱かないような気がしました、それは僕がよほどお人好しなのか、それとも自分が青きほどまだまだ暗黒ではないのかはわかりませんが。続き楽しみにしています。

No title

ばかがいこつ さん

 今回はどん底にいる青木の心情描写で、ひたすら鬱屈的な内容でしたね。これから影沼との出会いにより青木の人生が開けていきます。

 藤井についてはどうしようか迷っていますね。やっぱりバカにして、青木が殺すことに酌量の余地ありという風にした方がいいのか、普通にいいヤツの方がいいのか・・。今後の検討課題としていきます。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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