
しんどい 小学校の用務員時代に起こした薬物混入事件により、人生最大のチャンスといえた公務員の職を失ってしまった宅間は、これで何もかも燃え尽きてしまったようです。
読者さんからのご意見にもありましたが、宅間のエピソードを見ていると、あれほどブチ切れて、大暴れして、女ともヤリまくって、随分タフな男だな、という印象を持つ方もいると思います。
「血と骨」の主人公、金俊平のように、世の中には超人的な体力を持ち、若いころから暴れまくり、女とヤリまくりでも、爺さんになって死ぬまで元気でいられるという人もいるのかもしれませんが、どうも、宅間の場合はタフというより、感情の赴くまま、とりあえずグワーーッと暴れて、後で我に返ったときにグターーッとダウンしていただけだったようです。
金俊平はウジ虫の漬け物を食べたりなど、健康面にかなり気を遣っていたようですが、宅間は一日八十本はタバコを吸うヘビースモーカーで、飲んでいる薬の影響もあったのか、事件のあった平成13年ごろにはめっきり食欲が落ちて、一日バナナ一本や、カロリーメイト一箱だけで済ませるような状態でした。
無理をしすぎたしわ寄せが、37歳、まもなく人生の折り返し地点に差し掛かるという年齢で、ドッと襲い掛かってきたようです。公務員の職を失ってからの宅間は抜け殻のようになってしまい、仕事も長続きせず(若い頃もそうですが)、あれほどあった性欲も枯れ果てて、お見合いパーティに出ることもなくなり、自分の家に泊まっていった女性と行為に及べない体たらくを晒したりもしていました。
それでも、時々は元気になるときもありました。事件が起きた平成13年の二月か三月には、当時飲んでいた精神安定剤の影響か、宅間は「物事を合理的に考えられるようになり、勉強に適した頭になってきた」ようで、突然、難関の司法書士試験を受けようと思い立ち、父親に五十万円ものお金を出してもらって、専門学校の社会人講座に通い始めました。
得意の「希望的観測」であり、こんな適当な思いつきで始めたことが、うまく行くはずもありません。案の定というべきか、授業にはまったくついていけず、四月には宅建に切り替え、五月の終わりごろには、宅建も諦めてしまったようです。
これでますます絶望的になった宅間は、仕事もせず、部屋にこもりがちの生活を送るようになってしまいました。テレビもつけず、ロクに食事もとらないまま、家でゴロゴロしていた宅間の頭に浮かんでいたのは、恨みのある人間を殺害して自分も死に、今生に別れを告げる妄想だけでした。
苦しい状態にある宅間は、それでもしばらくは、二番目の妻、パーティで知り合ったスナックのママ、市バスの運転手時代の同僚などに連絡を取り、食料の援助などをしてもらっていました。宅間にも親しい人物はいたということですが、彼らとの交友関係は、宅間にとっては歯止めとまではなりませんでした。
宅間の家族についてですが、宅間と近親相姦があった疑惑のある母親は、10年前から精神を病んでおり、ずっと父、武士が介護をしてきましたが、宅間が事件を起こす前年から、とうとう入院をしていました。7歳上の兄は、この前年に事業に失敗して、自ら頸動脈を切って自殺。シャバに残されていたのは、父、武士と、守の二人だけという状態でした。
結局、宅間は、最後に実の父親、武士に、金の無心を頼んで断れられたところで、人に頼ろうとすることもやめ、世間に対してケジメをつけて、人生を終わらせることだけを考えるようになります。
生活保護
事件直前の宅間について、様々な文献をめくっても情報がハッキリとしないのですが、この時期、彼は生活保護を受けていなかったのでしょうか?
宅間の半生を見るに、彼はよほどの幸運に恵まれなければ、労働者として生きていくことは難しかったように思いますし、それなりの罰も受け、十分に苦しんできたと思います。精神病歴など振り返っても、受給資格は十分にあったと思いますし、事件など起こすよりは、一生保護を受けて暮らさせた方がよかったように思います。
宅間という男について確実にいえるのは、彼は就労意欲はあった男だということです。あれほど押しの強い男ならば、ゴネ得でもなんでも生活保護を取りにいってもおかしくないように思いますし、仮に受給資格が微妙でも、女を強姦するエネルギーを全部生活保護を取ることに振り向けていたら何とかなったんじゃないかとも思いますが、彼が生活保護を取りに動いた形跡は一切見えない。何よりも大事にしていた公務員の職を失い、上がり目が完全になくなってからですら、何とか働いて金を得ようとしている。
立派と言っていいのかわかりませんが、成人してから29歳となる現在まで、およそ半分近い期間を、就学も就労もせずに過ごしてきた私などよりも、ある意味、宅間は社会に貢献してきた面もあったともいえると思います。これだけ就労意欲のある人間が、最後に犯罪という形で人生を終えなくてはならないのは、どこか残念に思います。
なぜ、池田小に向かったのか
宅間が事件の動機として述べているのは、「自分が死から逃れるため」であったということです。
激しい鬱状態にあった宅間が、少し元気を取り戻したのは、人を殺すことを考え始めたときでした。特に恨みのあった三番目の妻を殺害しようと、具体的な計画まで考えると、宅間は食欲が「モリモリー」と湧いてきて、カレーひと皿をペロリと平らげてしまったそうです。
おそらくこの経験により、元来短絡的な上に、鬱で思考能力も弱まっていた宅間の脳は、「殺人=己の生きる道」というふうな結び付けをしてしまったのでしょう。「このままだと自分の命が危ないから、警察に捕まえてもらいたかった」ということも言っていますが、ようするに、毎年暮れになると、ホームレスがとりあえず雨風をしのいで三食食べるために、わざと万引きなどの軽微な犯罪を起こして警察に捕まろうとするのと同じような動機もあったようです。
宅間に限らず、犯罪なんかするくらいならなぜ生活保護を受けようとしなかったのか?と思いますが、あるいは「男らしさの病」にかかっていたのでしょうか?生活保護についての情報は結構重要だと思うのですが、私のリサーチ力の限界で、十分なことがわかっていません。
事件の前日、所有していた中古車の支払いの件で業者と話しをした宅間は、その帰りに、自宅アパートの隣の家のおばさんが、しゃがんで花に水をあげているところを見て、「殺したいなあ」とふと思い、それで完全にスイッチが入ってしまいました。自分の部屋に戻った宅間は、もう明日やろうと決断し、ターゲットの選定に移りました。
パッと思いついたのは、宅間の人生にもっとも大きな影響を与えた父親と、宅間がもっとも執着した、三番目の妻のことでした。後に宅間は、獄中で、やはり恨みのある父親と元妻を殺しておけばよかったかな、と、後悔の言葉を口にしているのですが、このときの宅間は鬱状態で、衰弱の極致にあり、大人を確実に殺せるほどのエネルギーはどうやっても湧いてこなかったのでしょう。宅間は自分が警察に捕まるため、死から逃れるために、今の弱った自分でも確実に殺せる子供に刃を向けることを思い立ってしまいました。
子供を殺すという選択肢の中で、大阪池田小を狙うことを決めた理由は、単に、宅間が当時住んでいた池田市の中で知っていた小学校が池田小しかなかった(加藤が秋葉原を選んだ理由とよく似ている)からでしたが、一度決断すると、後付けのように色々な理由が思い浮かんでいきます。
国立の池田小に通っている子供は将来のエリート予備軍である。エリート予備軍を殺すのはエリートを殺すのと同じことであり、自分を虐げてきたこの社会に復讐することができる。家が安定した裕福な子供でも、自分のような将来の展望もないオッサンに5分か10分で殺されることもあるという不条理を世の中にわからせたかった。世の中、勉強だけちゃうぞと一撃を与えたかった。恨みのある父親と三番目の妻に対しても、自分が事件を起こして、多数の被害者が出ることで、罪悪感というダメージを負わせることができる・・・・。
宅間が大阪池田小を選んだきっかけは、単に「近所で知ってる学校がそこくらいしかなかった」程度のものでしたが、後付けでもこれだけの理由が浮かんでくるということは、宅間にとって、やはり大阪池田小は「定めの地」だったのでしょう。
考えれば考えるほど、宅間の中で、大阪池田小襲撃は素晴らしいアイデアのように思え、宅間の決意は揺るぎないものになっていきました。
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