3.11、東日本大震災が起きた瞬間、私は歓喜に打ち震えました。あの津波がすべてを押し流し、神山も、神山に手を出すかもしれない他の男連中も、私が生まれ育った町である横浜も、すべてを破壊してくれることを望んでいました。津波が神山を飲み込んでくれるのなら、私自身の命もなくなってもいいと思っていました。
神山が中尾と「付き合いたい」などと言い出したことは、私をそれほどの絶望に叩き落としていました。
最初から自分に好意を持っていた男をグチャグチャに潰し、ルックスさえよければ、最初は自分をバカにしていた男にも好意を寄せる。女がみんなこんな生き物なら、この先いくら女を好きになっても無駄。私にはもう、女を得られる望みなどないということになる。女を得られない人生などは、私にとって、生きたところでまったく意味のないものでした。そんな索漠とした人生ならば、キレイさっぱりなくなった方がマシでした。
周知の通り、首都圏は帰宅困難者で溢れ返り、私も横浜に、友人と一緒に取り残されてしまいました。一緒に行動していたのは「関口」「鍋島」といった、当時、特に仲の良かった連中でした。
まだ肌寒い時期で、ずっと外にいるのも大変だと判断した私たちは、カラオケボックスに入りました。
この糞みたいな世界が終わってくれる―――嬉し過ぎて、テンションがハイになった私は、当時まだ飲めなかった酒を、浴びるように飲みました。
すっかり酔って気持ちよくなったのですが、問題は、いつまで待っても、関東方面には、大地震も津波も来てくれなかったことでした。いつ、私や神山を押し流してくれるんだ?いつ、この生まれ出てから23年、嫌な思い出しかなかった横浜を滅茶苦茶にしてくれるんだ?
肩透かしを食らった気分が蔓延してきたころ、友人の「関口」「鍋島」の元に、神山から一通のメールが届きました。
――今日、帰れないようだったら、うちに泊まっていけば?
このメールを、こっそり横目でみた瞬間、私の心がざわめき出しました。
神山の家は、学校から電車を使わずに行ける範囲にあります。神山は両親と同居していますが、当然、個室は持っています。
もしかして、神山は男を家に連れ込み、気持ちいいことをしようとしているのではないか?関口や鍋島は、当時の私が特に仲良くしていた連中で、ほのぼのとしたところがあり、普段は性的な雰囲気はまったく醸し出していませんでしたが、いざ、神山の裸体を目にしたら、襲い掛かってしまうのではないか?神山は、あの童貞っぽい連中の、筆おろしをしようとしているのではないか?
神山がこのメールを、私とは別行動していた他の男――中尾や深沢にも送っていたら?奴らが代わる代わる、神山に勃起ちんこを突っ込んでいたら?疑心暗鬼が、脳みそからつま先までを侵食していました。
震災で人が何人死のうが、私にとっては関係ありませんでした。日本がどうなろうと、知ったことではありませんでした。家で待つ家族のことはまぁ心配でしたが、それも一時、頭から消えていました。
2011年3月11日。私の頭を埋め尽くしていたのは、神山が男とセックスをしないか、ただそれだけでした。
神山は純粋な(ロイヤルプリンセスが下々の者に宮殿を開放するという)善意で、男たちに、うちに泊まったらどうかというメールを送ったのかもしれません。しかし、もはや神山を性的な目でしか見れなくなっている私にとっては、邪推は避けられないところでした。私だって、誘われてもいないのに、私を嫌う神山の家になど行きたくありませんでしたが、「万が一、神山が男とセックスをするのを阻止するため」に、関口と鍋島に同行しなければなりませんでした。
とんでもない野郎だと言われるかもしれませんが、とんでもない野郎でも別にいいです。穿った見方というなら、神山とて、地震が起きて学校のすぐそばの公園に非難するとき、最後まで神山を心配して教室に残っていた私を、「私が困っているところを見て楽しんでいた」とか言いやがったのだから、おあいこです。
結局、神山のうちに泊まったのは、神山からメールを受け取った鍋島、関口と、彼らに同行した私の三人となりました。ほかの連中では、「深沢」や「田之上」らがメールを受け取ったようですが、彼らには彼らで避難場所があったようで、神山の家に来ることはありませんでした。私が家に来た事について、神山は別に嫌そうな顔はしませんでしたが、歓迎もしませんでした。
神山の家に泊めてもらった件に関して、感謝の気持ちはあるかと言われれば、神山のお父さんお母さんには感謝していますが、神山には「イケメンとセックスできなくてざまあw」としか思っていません。
私が鍋島と関口についていったのは、万が一、神山が男とセックスしないか心配だったからであり、別に、本当に泊めてほしかったわけではありません。一晩かけて歩けば自宅まで帰ることも可能でしたし、若かったのですから、一晩ぐらい野宿しても平気でした。神山が(私にとって)余計なメールを鍋島と関口に送らなければ、ヤツの世話になどならずに済んだのです。
そもそもの話として、私は震災で死んでもいい、死にたいと思っていたわけですから、「生き残るため」泊めてもらったということには、正直な話、心からの感謝の気持ちは抱きようがないのです。日本中が悲しみにくれた震災の日に、一人の女がセックスをしていないかを心配していたことを、不謹慎と思うこともまったくありません。
それでも一応、後日、お菓子のお礼は神山に渡して、最低限の感謝の気持ちは伝えました。あのお家は神山のお父さんお母さんのものですから、お父さんお母さんに感謝の気持ちがあれば十分であって、別に神山に感謝する必要はないでしょう。とんでもない野郎だと言われるなら、とんでもない野郎でいいです。
ともあれ、東日本大震災が「期待はずれ」に終わってしまったことで、私はさらなる地獄へと落ちなくてはいけないことになってしまったのです。
短い春休みが明け、二年生になると、「応用情報」と「基本情報」で分かれていたクラスが統合されました。一年生のころは、全く別のクラスで学んでいた生徒も加わり、総勢30名あまりの大所帯となりました。
新しく一緒になった人の半分くらいは、この後、また別のコースに進んでいったので、あまり印象には残っていません。よく覚えているのは、髪の短いちんちくりんの女「吉岡」と、鈴木紗理奈の出来そこないみたいな顔をした女「島野」、あと、ざんぎり頭に濃い青ひげという、とっちゃん坊やみたいな、老けてるのか幼いのかよくわからない顔をした男「梶原」の三人くらいです。
ほとんどは知り合いだったため、新しい環境にはすぐに慣れましたが、私の心は、すでに崩壊を始めていました。
神山が中尾となら付き合いたいと言い出した一件以来、自分はこの先、女をいくら好きになっても無駄であり、女と付き合うことは一生無理である、という思い込みに縛られてしまった私は、食事がまともに喉を通らなくなっていました。
私はこの時期から、自分の容姿を、ことさらに卑下するようになっていました。そして、そんな醜い容姿をした自分が、「食べる」=「生きようとする、身体を作ろうとする」という行為に、ひどく疑問を覚えるようになっていました。
一度、自分が容姿に悩んでいることを友人に話したら、「お前全然普通だよ。お前より酷いのなんかいくらでもいるよ」と言われましたが、私からしてみれば、神山レベルの女一人とも付き合えないのだったら、ちょっとブサイクぐらいだろうが、化け物のようなブサイクだろうが一緒です。極端な話、自分をイケメンだと思っていても、女ができなければどうしようもないわけで、女から評価されないことには、自信にも何にもなりません。
いっぱい飯を食って、栄養を身体に取り込んでも、こんな汚い顔ができ上がるだけ。こんな汚い顔を作るために、必死になって飯を食ってる―――と神山に思われていると思うと、食事に手をつける気になれず、母親が作ってくれた弁当は、いつも帰ってから便所に捨てていました。
最初は学校でだけ食べられなかったのが、次第に家でも食べられなくなり、代わりにアルコールに依存するようになりました。この頃には辞めていたタバコも吸うようになり、人が生存のために使う「口」という器官を、食事以外の快楽物質を取り入れることにしか使えなくなっていました。
食べていなければ、当然、身体はドンドンと萎んでいきます。3月には60キロ近くあった体重は、震災の影響で3月から6月に延期になった「応用情報試験」のころには、40キロ台にまで減っていました。このころにはもう、一日にきゅうりの浅漬けを二、三枚、プロセスチーズ一つを食べるのがやっとで、一日に何も食べないこともありました。
一日たったそれだけの食事量で力が出るのかと思うでしょうが、「飢餓状態」に陥りながらも、私は寝たきりになるどころか、逆に活動的になり、居残り勉強などもしていました。自分が確実に、死に向かっているという「充実感」が、身体を突き動かしていたように思います。ただ、さすがに、頭を目いっぱい使う、創造的な作業はできず、この時期、というかこの後ほぼ二年間は、小説の執筆は完全に止まっていました。
わずか二か月あまりで10キロも体重が減れば、見た目の変化も顕著に表れます。周囲の連中も、段々と私のことを心配しだしました。母親にも、「頼むから食べてくれ」と頼まれましたが、私は食べることができませんでした。人間の身体というのはよくできたもので、飢餓状態が極限を超えると、腹に何も入っていなくても、大して苦痛ではなくなるのです。苦痛どころか、このときの私は、餓死できるという「充実感」に包まれていました。このまま楽に死ねるのなら、ずっと食わない方がいいではないか。逆に自ら進んで、食を拒絶していました。
こうした極限状態の中で、「応用情報試験」を迎え、その晩、私は死の寸前まで行くことになるのですが、今回はここで終わります。
誤解の無いように書いておこうと思いますが、私が「食べられなくなった」ことについて、私はけして、神山がすべて悪いとは思っていません。神山の「男を完全に道具としか見ない」も確かに異常だと思いますが、そのことで飯も食えなくなるほど思い詰める私もまた異常であり、私が「死にかけたこと」を、すべて神山のせいだと考えるのは無理があることはわかっています。
私のような、特別に思い詰めやすい人間が、この先社会のレールからドロップアウトせずにやっていけたかといえば、それは余程の幸運に恵まれないかぎりは、やはり難しかったでしょう。私が「壊れる」のは早いか遅いかの問題であって、たまたま引導を渡したのが神山であったというだけ。そういう意味では、神山は運の悪い女ではありました。
神山は神山で、復讐心を抱かれても当然の女だと思いますし、私の神山への恨みは消えるわけではないですが、私が「就職を諦めたこと」「堅実にレールの上を歩む人生が崩壊したこと」まで神山のせいにするつもりはないということは、ここでもう一度強調しておきたいと思います。
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