凶悪犯罪者バトルロイヤル 第四十四話

 

 加藤智大は、サイドウィンドウを二センチほど開き、車内に籠もるタバコの煙を追い出した。喫煙で肺活量が落ちるというのは、医学的根拠もあり、まるきりの迷信でもないらしいが、一箱吸ったら直ちに持久走のタイムに影響が出るというような切羽詰まった話ではない。

 ところが俺には、この絶えず鼻孔に侵入するいがらっぽい煙が、なにか吸った瞬間に寿命が半分に縮むような、とてつもない毒物のように嫌悪されてならなかった。生きている価値もない、こんなどうしようもない俺が、自らの身体を大事にしている。滑稽極まりない図ではあるが、日々の修練の成果が損なわれることは、今の俺にとって、もっとも大きな苦痛だった。

 助手席に座る松永さんが、ペットボトルのお茶を飲んでいる。思わず、喉が鳴った。俺、松村君、尾形さん、栗田さん、松山くん、小原さんの戦闘部隊5人、総指揮官の永田さん、参謀の重信さんは、昨夜の22時を最後に、水分は一滴も補給していない。トイレに行ってはいられないからだ。いつ、どのタイミングで、内通者の間中博巳がドアを開けるかわからないため、片時も小林軍のアジトから目を離すことができないのだ。

 間中との約束の午前3時までは、特に渇きは感じなかった。が、それを過ぎると、突然に喉がひり付き始めた。人間は、覚悟をしていた苦痛にはある程度耐えられるが、想定の範囲外にある苦痛には脆いのである。この程度の展開も想定できなかった、俺が甘いだけなのかもしれないが。
 
 マナーモードに設定していた携帯が振動した。みんなの視線が、一斉に俺に集まる。

「Nです」

 ディスプレイに表示されていた名前を、松永さんに報告した。「スカーフキッス」では、キャストの出勤管理もボーイの仕事の一つだ。ボーイはそれぞれ2、3名のキャストの担当となり、モーニングコールや出勤管理などを行っている。仮病を使って休もうとするキャストに対しては、病気見舞いと称して家まで押しかけ、真偽を確かめるようなこともする。プライベートの侵害だ、と、鬱陶しがるキャストもいるが、そこまでしないと、時間にルーズで自己管理の苦手な彼女たちをコントロールすることはできないのだ。

 派遣労働時代にも、自己管理が出来ず、遅刻や無断欠勤をする同僚は多かった。確かに遅刻は褒められたものではないが、寝坊は100%本人の責任ともいえない。体質的な問題で、前日どんなに早く寝ても、決まった時間に起きられないという人はいる。自己管理ができないだけで、管理してあげればちゃんと働けるのに、「だらしがない」の一言で片づけられている内に、最初はあった労働意欲をなくし、ニートや引きこもり、犯罪者になってしまうという人が大勢いる。彼らをサポートする社会の受け入れ態勢が、早急に必要ではないか。

「出てあげなさい」

 松永さんが言った。オープンから一か月、早くもナンバー入りを果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長するNのことは、たかが局地戦の今日の戦よりも気になるらしい。

「どうした?」

「あ、加藤さん?夜分遅くにすみません。ちょっと、今日の接客のことで、気になることがあって――」

 Nの貪欲さは凄まじい。接客で少しでも気になることがあると、昼でも夜でも、かまわず担当である俺に電話をかけてアドバイスを求めてくる。接客についてのアドバイスなら先輩キャストに訊いた方がよさそうなものだが、キャストは個人事業主であり、同じ店で働く仲間であると同時に売上を争うライバルでもあるため、容易なことでは後輩の技術指導などしないのだ。

 真夜中の接客談義は、1時間にも及んだ。喋りすぎたせいで、余計に喉が渇いてしまったが、気持ちは爽快だった。自分の教えで、確実に人が伸びていく。指導をするのが、これほどの楽しさとは思わなかった。自分が努力して伸びるより楽しいかもしれない。

 あともう1か月もすれば、遊び慣れていない俺がNに教えられることはなくなるだろう。そうなるのが、今から楽しみで仕方なかった。そう思えるのも、相手がNだからだ。俺と同じ波長を持つ、Nだから――。

 電話を切った。誰のものともわからない貧乏揺すりが聞こえてくる。時刻は、5時15分になっていた。

 永田さん――「あの人」を思い起こさせる、怖いオバサン――復帰年齢は僕とそう変わらぬ27歳だが――が告げた作戦延長時間が終了するまで、残すところあと15分。苛立ちと、今日は殺し合わなくて済むかもしれない、という安堵がないまぜになった空気が、車内に漂っている。前者は主に永田軍の面々、後者は主に重信軍の面々が発しているようだ。

 俺は、といえば、不思議と前者よりの感情が強かった。理由は、バドラ麻原軍から一時的に戻ってきた、正田くんの報告だ。

 宅間守――。俺が事件を起こしたちょうど7年前、同じ無差別殺傷事件を起こした男。裁判の中でも、彼の名前はなんども耳にしてきたし、外の報道で、散々に比較されていたことも聞いた。

 その宅間が麻原軍との戦いで見せた鬼神のような立ち回りを事細かに聞いて、俺は戦慄した。今のままでは、俺は宅間に勝てない。いつかあいまみえるその日に備え、もっと鍛えなければならない。百の練習より一の実戦。今のうちに、多くの修羅場を潜っておきたかった。

 が、それはひとまず、今日のところは叶えられることはなさそうだった。車内のデジタル時計の表示が、5:30分に変わった。

「時間ね。骨折り損のくたびれ儲けになってしまうけど、今日のところは撤退しましょう」

「まだ、もう少し――」

 女革命家二人の問答が始まりそうな気配になったところで、アパートのドアが開いた。中から顔をのぞかせたのは・・50代の中年男。石橋栄治。間中博巳ではなかった。

 予想外の事態に、脳細胞が壊乱する。どうする?どうすればいい?永田さんからも、重信さんからも、指示はない。石橋栄治は、なにか不安げな面持ちで、辺りに視線を彷徨わせている。

「間中博巳が土壇場で翻意し、仲間たちに我々の作戦を伝えた。ところが、それを聞いた石橋栄治が間中の役を引き継ぎ、仲間を裏切り、我々の味方になる決断をした」

 パニックに陥る車内で、松永さんが一人、冷静な推理を展開した。

「ですが、それについても確証はありません。ここは石橋も殺すべきでしょう」

「・・よし。全軍突撃!小林正人軍を殲滅せよ!」

 松永さんの推理を受け、総指揮官の永田さんが直ちに決断を下した。ドア側に座っていた戦闘部隊5人が、一斉に車を降りる。

 朝焼けの空の下――。閑静な住宅街に建つアパートの一室に、空の色にも勝るとも劣らぬ、赤い赤い血しぶきがあがろうとしていた。
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Re: 暇が出来たらニコ生観ますね

>>夜桜さん

面白かったです。情景がありありと浮かんできましたよ。
看守もその状況を楽しんでいたってのがいいですねw
収監されていた人たちも、心から憎んでいたわけではなく、
どこかで「やってくれた!」みたいな感覚があったように感じました。
阪神ファンが選手を野次るみたいな感覚ですかね??
ってかこれ、フムフムちゃんに見せたいですねw

罪状により中でヒエラルキーが発生してしまうことについては、
最近では当局も少しは対策を講じているみたいですね。
強姦犯だけを集めた工場とかもあるらしいです。
最近は、実の子供をころす事件が頻発していますが、
彼らはさぞかし大変な思いをするんでしょうね。
ま、自業自得ですね。犯罪者に他意はまったくない僕ですが、
子殺しだけは許せないです(同情すべき理由があった畠山鈴香は別)

次回、期待してます。

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津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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