完成版私小説 愛獣 1(1月31日までの掲載となります)

                    
           

 二○○八年二月某日、僕は警備会社、南洋警備保障(仮)の面接を受けた。

 横浜市内の百貨店での夜間施設警備業務。夜十九時から翌朝十時までの十五時間拘束、途中三時間の仮眠付で実働十二時間。勤務シフト応相談、交通費全支給、日給一万三千円・・・というのが、求人広告に記載されていた労働条件である。面接官の話では、客先との契約期間中に、常駐の隊員に一人欠員が出てしまい、その補充のための募集ということだった。

 僕は十六歳から二十歳にかけて、都合五つ以上の会社でバイトをしたが、半年以上の期間、一所に落ち着いたことがない。いつも向こうから不必要とされるか、精神的肉体的に辛くなって自分からやめてしまうことの繰り返しである。労働にいい思い出はまるでないが、一年前、専門学校の夏、冬休み期間中に経験した、道路交通誘導警備のバイトが、比較的好感触であったのは覚えている。

 所謂底辺の非正規労働での話だから、何が楽しかったとか、勉強になったとかいうことではまったくないのだが、あの仕事はとにかく暇で、とくに人も車も通りが少ない住宅街の通行止めなどでは、一日中、迂回経路を示す看板と一緒にただ突っ立っているだけで仕事が終わってしまう。県から道路使用許可を取ったうえで行う仕事だから、時間を厳守しないとクレームに繋がるため、作業はある程度余裕を持って段取りが組まれており、大抵は定時よりも早く終わる。天候不良などのアクシデントにより、午前中だけで終わってしまうようなことだって、そう珍しくはない。

 工事ではなく、イベント会場などの雑踏警備なら、そのイベントが開催されている時間に合わせた勤務時間になる。サッカーの試合で観客席の警備業務についたときなどは、試合とハーフタイムの合計の約二時間だけで、勤務が終わった。給料は日給で出ているため、勤務が定時より早く終わっても、ちゃんと一日分の賃金は保証される。

 どれだけ長く勤め、成果をあげたところで給料は上がらない非正規の仕事で大事なのは、賃金に対してどれだけ楽ができるかということだけだ。今回の募集は、屋外で雑踏や工事の警備を行う二号警備ではなく、施設内の警備を行う一号警備だったが、二号警備をやっていたときの「おいしい」思い出が残っていた僕は、求人を見つけるや否や、さっそく応募することを決めたのだった。

 面接は過去のアルバイト歴に関する軽い質問だけで、十五分程度で終わった。その翌日、すぐに採用の連絡があった。履歴書の書き方も知らず、誤字を修正液で直したような代物を平気で提出してしまう世間知らずであったが、採用は随分あっさりと決まった。年中人手不足の交通誘導警備と違い、施設警備の求人は結構人気があり、椅子の取り合いとなる場合が多く、このときも他に競合相手が数名いたそうだが、僕はその競合を勝ち抜いたという形である。

 決め手となったものがあるとすれば、二十歳という若さのおかげであろう。警備員はサービス業である。そして、スキルもいらない、誰でもできる仕事である。水商売ほどではないが、若くて元気のあるガードマンの方が、客には喜ばれる。二号警備をやっていたとき世話になった建設会社の親方も、「十の仕事が出来る爺さんより、七しか仕事ができない若者、もっといえば、一しか仕事ができなくてもいいから、若い女の子に来てほしい」なんてことを、冗談半分に言っていた。よほど経験値に差がない限りは、少しでも年齢が若い方が優先されるのだ。

 こうして採用が決まり、僕はこれより少し前まで通っていた映画の専門学校を中退して以来、四か月あまりのニート生活を脱して社会とつながった。それは同時に、初めて学生の身分を失い、社会人として歩み始めたということである。昇給も休業補償もない非正規労働であり、前途には不安しかなかったが、学校という、あのリア充至上主義の、僕にとっては眩しすぎる環境から離れられることに、わずかな安堵もあった。

 しかし、このときは疑問の抱きようもなかったが、この時点で早くもおかしなことは起こっていた。そもそも、南洋警備保障が、欠員をわざわざ求人広告で募集をする、ということが、すでにおかしいのである。

 南洋警備保障は中堅の警備会社で、一号、二号合わせて数百名の隊員を抱えている。底辺の非正規労働の類であるから、皆が皆、市常識のある人材というわけにはいかないが、しかし九割以上の隊員は、現場に出して無事仕事を果たして帰ってくる分には問題のない、最低レベルの人格と能力は備えている。

 だから、その中から選抜した者を、現場に送り込めばいいだけの話であった。常駐現場で、決められたシフト通りに動いている一号警備はともかく、日々違う現場にスポットで派遣される二号警備の隊員なら自由に動かせるのだから、あの現場でやってくれと、命令一つしてやればそれでよかったのである。命令といっても、冷暖房が備わった室内で働ける一号の仕事は、二号の仕事に比べて大概は楽なのだから、隊員の方から希望者が殺到するはずである。どこの馬の骨ともわからない人間を、わざわざ求人広告を打つ手間と費用をかけてまで、わざわざ外から招き入れる必要はない。計算のできる既存の隊員をあてがえば、それで済む話であったのだ。

 南洋警備保障がなぜそれをせず、外からまったく新しい、計算のできない人間を雇い入れなければならなかったのかといえば、現場・・横浜市のデパート、「伊勢佐木屋(仮)」警備隊には、「魔物」が住んでいたからである。「魔物」と働くくらいならば、雨に打たれ、暑さ寒さに耐えながら、二号警備の仕事をしていた方がいい。既存の隊員が皆そう言って聞かなかったため、何も知らない外部の人間を、新たに雇い入れなければならなかったのである。


 しかし、人の好さが滲み出る五十代の人事担当に面接を受けた時点では、現場に住む「魔物」のことなどは知りようもなく、僕はただ日給の一万三千円を、川崎市の格安ソープランドで使い果たすことばかりを無邪気に考えていた。

  ☆      ☆       ☆              

 南洋警備保障に入社し、横浜伊勢佐木屋への配属が決まった僕は、面接を受けた翌日から、警備業法で定められた三十時間の新任研修を受けることとなった。座学十五時間、実技十五時間からなるカリキュラムで警備業の基本を学ぶ、警備員の要となる研修である。

 我が国における近代警備業は、昭和中期、東京オリンピックの頃から俄かに勃興した。しかし、当初の警備業界は、反社会勢力が経営に携わるなど無法地帯の様相を呈しており、隊員の質も悪く、泥棒を防ぐために置いた警備員に泥棒された、などという話は日常茶飯事であった(発展途上国では、右記の文章の警備員の文字が警察官に変わるから、問題はもっと深刻である。それは現在でも、である)。

 そこで法律が整備された。厳格な警備業法を定め、反社会勢力を業界から排除し、真の安心と信頼を提供する日本の近代警備業が始まったのである。

 身分証明、直近五年の会社への在籍証明の義務。入社時の新任、半年に一度の現任研修受講の義務。装備品の規定制定と、機関の検査を受ける義務。何より大切なのは、警備業法第十五条、特別な権限がないことを、各隊員にしっかりと認識させることである。

 今はそうでもないが、昔の警備員の制服は警察官の制服と酷似しており、またテレビドラマなどでは、ガードマンが派手な立ち回りを演じて犯罪者を取り押さえるようなシーンが描かれる機会がよくあることなどから、警備員には警察と同等の権限が与えられているような勘違いをしている人もいる。

 これは大きな誤りである。例えば、百貨店などで万引き犯を捕らえたとする。民間人にも逮捕の権限はあるから、その場で取り押さえること自体は違法ではない。しかし、事務所などに連行して勝手に取り調べなどを行えば、立派な監禁罪、あるいは強要罪となってしまう。そうした場合は速やかに警察に連絡し、警察官の指示を仰いで行動しなければならないのである。

 交通誘導にもおいても同じで、警察官には交通規制の権限があり、車両の通行、停止を強制できるが、警備員には特別な権限はないため、ドライバーの判断を強制することはできない。行きたいと言っているものを、無理に止めることはできないのである。あくまで、「お願いする」という立場なのだ。

 警備員とは、「頭を下げること」「報告すること」が仕事である。イメージと違うかもしれないが、「男気がある」「骨がある」ような人は、反対に警備員には向かないのである。

 座学ではそんなことを、ビデオを観ながら、講師役の内勤に教わった。以前に勤めた警備会社では、他にも数人の新人と一緒に研修を受けたが、南洋警備保障での研修では、たまたま入社時期が重なった人がおらず、三日間一人で受けた。研修には最低賃金も保障されており、三十時間で約二万五千円がもらえる。昔はこの研修費を目当てに各警備会社を渡り歩き、研修だけを受けて本勤務になるとバックレてしまう「研修荒らし」なる存在もいたらしい。そのため現在では、どの警備会社でも十五勤務前後は本勤務に入らないと、研修費を受け取れないようになっている。

 そして三日間の座学を終え、四日目の実技研修へと移った。実技研修は、実際に現場に赴いて行われる。三十時間の研修は、すべてのカリキュラムが法律で細かく決められているわけではなく、ある程度は警備会社に任されている。もっとも、だからといって、研修生を最低賃金の給料でこき使えると思って、研修とは名ばかりで、事実上本勤務に入れさせるようなことをやっていれば、すぐに警察ににらまれて、営業停止に追い込まれてしまうが。

 時刻は午後十八時三十分、勤務開始の三十分前・・上番時刻に、僕はインテリヤクザ風の南洋警備保障部長に連れられ、現場である伊勢佐木屋の保安室へと入った。

 いよいよ、「魔物」との邂逅が迫っていた。

   ☆         ☆        ☆

 迎えた伊勢佐木屋施設警備での初勤務。四畳の畳が敷き詰められた保安員控室に足を踏み入れた僕を、三人の先輩隊員が出迎えた。

「・・・・」

 暗い光を帯びたジト目で僕を見るのが、隊長の戸叶。年齢は四十歳で、南洋警備保障には、七年前の創業当時からいる古株という話である。元は内勤で、隊員からの電話連絡を受けとり、翌日派遣される現場の指示をしたりする管制官を務めていたというが、どういう事情があったのか、今は現場の隊員に「降格」となっている。僕を現場に連れてきたインテリヤクザ風の部長とは、南洋警備保障創立以前からの旧知の仲らしい。

「おはようございます(夜勤であるが、最初の挨拶はおはよう、で統一する決まりになっている)。今日からお世話になる、津島と申します・・・」

「・・・・よろしく」

 この戸叶という男、顔は俳優の堤真一似で、中々の二枚目なのだが、どうにも不愛想で雰囲気が暗い。第一印象は最悪である。同じ創業以来のメンバーであるインテリヤクザ部長が今、会社の首脳になっている一方で、この戸叶が管制官も降ろされて、隊長とはいえ最前線の現場で働いているのは、もしてかして人格面の問題によるものなのだろうか。

「おう、君が新人くんか。よろしくな」

 戸叶とは大違いの爽やかスマイルで僕を迎え入れてくれたのが、副隊長の折茂。年齢は二十四歳で、僕が入ってくるまでは警備隊で最年少であった。年齢は若いが、南洋警備保障では三年も務めており(人材の入れ替わりが激しい警備会社では、一年も務めれば立派なベテランである)、二号警備の隊員だったころは、どこの現場からも引っ張りだこの優秀なガードマンであったらしい。

「いやー、若いなー。一瞬高校生かと思ったぞ。ま、俺も若いんだけどね」

 弾むような声音。底抜けの明るいといった印象である。きっと性格もいいのだろう。年齢も近く、本来なら、いい友達になれるかも、と期待を抱くところなのだろうが、あいにく僕は、真っ暗な世界の住人である。生き生きと輝くようなオーラを発せられると、反対に委縮し、壁を作ってしまうのだ。そんな僕にとっては、この副隊長の折茂は、隊長の戸叶とは違った意味で苦手なタイプであった。

「あ、どうも。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれた小柄な隊員が、鳥居。年齢は四十五歳で、警備隊では最年長である。年相応に落ち着いており、後輩で若輩の僕にも腰が低い。三人の中では一番、好感のもてるタイプだった。

「あと一人、今日は非番の、塩村って隊員がいるから。その人が君の教育係になる。今日はまだ研修だし、何もわからないだろうから、とりあえず俺たちの仕事を見ていて」

 初日は仕事をせず、見学に徹しろとの指示。僕は頷き、真新しい制服に着替えた。

 伊勢佐木屋施設警備の業務は、通常、三名体制で行われる。全体の司令塔となり、売り場がある本館の巡回を担当するA番。同様に本館の巡回を担当し、競馬のエクセルがある西館の巡回、及び受付業務も行うB番。そして、伊勢佐木屋の社員が会議やデスクワークを行う事務館の巡回を担当するC番の三ポジションである。

 各隊員の担当は、戸叶がA専門。折茂がA,Bの兼務で、鳥居と塩村がB、Cの兼務である。僕の担当はCで、後々にはBとの兼務もあるかもしれないが、当分はC専門でやっていく、ということであった。

 十九時、勤務開始。最初の仕事は、本館従業員通用口から外に出ていく、各テナント従業員の、手荷物検査である。従業員が店の商品を持ち出さないための確認であるが、少ない警備員で多数の従業員を迅速に捌かなければいけないから、実際にはおざなりになりがちで、十分に点検することはできない。しかし、抑止にはなる。重要な仕事である。

「手荷物確認します。はい。はい。オッケーです。お疲れ様でした。はい、鍵の返却ありがとうございます。授受簿にハンコを押して下さい」

 通用口の入り口に立って手荷物の確認に専念できるのはCのみであり、通用口に面した保安室の中にいるAとBは、窓口越しに鍵の受け渡しや、搬出入業者にバッジを渡したりなどの受付業務を並行して行わなくてはならない。警備の仕事は「のんびり」したものであると、ぶっちゃけ舐めていたのだが、この目まぐるしく動き回る様は、かつて働いたファミレスの調理を思い出させる。半年間働いたファミレスで、店長から「君はいつまでたっても成長がないな」などと吐き捨てられ、行き辛くなって辞めることになった嫌な思い出が蘇り、業務開始早々、心は暗鬱となった。

 二十時になり、各テナントの退館が粗方済むと、Cは立哨を終え、事務館の閉鎖巡回へと出発する。総務を除く事務館の各部屋を施錠する巡回で、所要時間は二十分ほど。僕がいずれ行う仕事であるが、初日ということで、Cの鳥居には帯同せず、保安室で待機となった。

「これが工事の業者に渡す腕章で、こっちが搬入業者に渡すバッジ。あとこれはリボンで、バッジとはちょっと使い方が違うんだけど、それは後で説明しよう。それから、これが鍵のボックスで・・」

 副隊長の折茂が色々と説明してくれるのだが、何が何だかさっぱりわからない。もとより優秀な頭脳を持っているとは言い難いうえ、仕事に臨む心構えに問題があるのが、僕という人間である。

「ただ聞くだけじゃ覚えられないだろうから、ほら。メモ帳をあげる。これに書いて、しっかりと仕事を覚えるんだ」

 折茂から新しいメモ帳を渡される。わざわざ買ってきてくれたのだろうか。家にある使っていないものを持ってきてくれただけかもしれないが、いずれにしてもタダでくれるのは、よほど面倒見がいい人なのだろう。

「ありがとうございます」

 一応、お礼を言っておいたが、正直、戸惑いの方が大きかった。

 僕はメモを取るという行為が苦手である。学生の頃からそうだった。同級生が、授業を受けつつ、大事なところをノートに纏めるということを平然とやっているのはわかるのだが、僕にはどうもその要領がつかめない。やろうとすると、いつの間にか、先生が黒板に書いたことを丸写ししているだけということになり、しかもその字は解読不能な古代文字みたいな代物で、後で見直したりなどするわけがないから、結局書いた意味がまったくなく、意味がないからやめてしまおうとなる。ノート検査のときには、いつも先生からは苦い顔をされていた。

 メモを取る習慣、メモの取り方が身につかない。それが原因で、学生時代、僕の成績は散々だった。しかし、この南洋警備保障を辞めた後に入学した専門学校では、ノート学習ではなく、問題集を解き、その問題ごとに解説を行うという授業のスタイルを取っており、それに従った結果、僕は在学中に簿記二級と、情報処理の国家資格を取得できた。だから知能そのものが低いわけではなかった。ただ単に、どこかでタイミングを逃し、同年齢が本来身に着けているべき「メモを取る」スキルを掴めなかったがために、勉強が遅れていただけだった。

 学校の先生には、それに気づいてくれる人は誰もおらず、ただ頭ごなしに「努力しろ」「集中しろ」と、具体性に欠けるアドバイスをするだけだった。母親も、である。

 日本にはどうも、原因不明のよくわからないことを、じっくり考えることをせず、取りあえず「努力不足」で解決しようとする風潮がある。生来、ADHD――注意欠陥・多動性障害を抱える僕の半生は、この風潮との戦いといってもいいものであった。

「おい、ちゃんと聞いてるか?まだ初日だからいいけど、そんなにボーッとしてたら、この先、仕事覚えられなくなるぞ」

「す、すいません・・」

 学校の先生にも気づいてもらえなかったことが、今日初めて会ったばかりの折茂にわかるわけもなく、眉を顰めて、不安げな表情をされてしまっただけだった。

 二十時三十分。Cが事務館の施錠巡回を終えると、ここから一時間、交代で食事休憩の時間となる。その後、二十一時三十分から、AとBが合同で所要一時間の本館施錠巡回に向かい、その間は、Cが保安室で受け付け業務を行う。二十二時からは、Cがメインの巡回である事務館点検巡回を行い、二十三時に帰ってくると、今度はAとBが、メインの本館点検巡回に向かう。一時から二時までは、三名が揃っての受付業務となり、その後に交代で三時間の仮眠休憩に入る――というのが、夜間の業務の流れである。

 巡回には、三名がそろって出発する、ということは絶対にない。従業員通用口の入口にあり、セキュリティ上もっとも重要な本館保安室には、非常事態でもA、B、Cの誰か一名は、必ず身を置いていなければいけない決まりとなっている。反対に、三名がそろって保安室にいる、という状況も少ない。保安室は畳八畳ほどの広さで、そこにデスクを二つ、五十センチ立方のキーボックス、本棚、消火器などを置いたら、大人二人が身動きするのがやっとのスペースしか残らない。三人の隊員が、巡回、受付、休憩、というサイクルを回し、保安室に交代で出入りしていくことで、伊勢佐木屋の警備業務は成り立っている。

 巡回と受付。この二つが施設警備業務の柱であり、それは入社前のイメージと違いはなかったのだが、一方で、色々と予想外のこともあった。

 まず、扱う書類の多さである。鍵、腕章、バッジなどの貸し出しには、すべて授受簿への記入と押印が必要で、また、各テナントの最終退館者にも、書類に名前を記入してもらわなければならない。ちょっとした事務職のようで、それら書類の管理が、実に面倒そうなのである。

 そして、警備日誌の記帳である。その日の勤務で行った巡回業務、機械警備の発報の有無などを、時系列で書き記すのだが、これは南洋警備保障に仕事を依頼している、大手警備会社ALSOKの担当が目を通すため、それなりに丁寧な字で書かなくてはならない。これが、乱字、雑字の帝王である僕には、なかなかに億劫な作業だった。

 さらに、巡回で使用する鍵の多さである。Cのメインである事務館点検巡回においては、およそ十本以上ものカギを使用することとなり、それは全て、腰に巻く帯革についたキーバッグの中に納められる。キーバッグの中には、伸縮式の操作ロープが取り付けられており、先端のナスカンフックに鍵を一本一本つけ、ドアを開ける際は、ロープを伸ばして鍵を使用する、という構造である。
 鍵は紛失してしまうと、ドアごと取り替えなくてはならないため、取扱いはとくに慎重に行わなくてはならない。幸いにも、Cが担当する事務館では、複数の扉に対応するマスターキーの使用はないが、それでも責任は重大である。

「鍵をなくしたら、ドアの取り換えには百万円かかるからね。絶対になくしたりしちゃだめだよ」

 百万円はさすがに大げさにしても、それほど鍵の管理は重要だということはわかる。これについては初日から、先輩隊員全員から、厳しい口調でもって言われたものである。

 ADHD――注意欠陥、多動性障害。僕が抱えた発達障害の一種である。ADHDには大きく分けて、落ち着きがなく、じっとしていられないなどの多動性と、忘れ物やなくし物が多く、整理整頓が苦手な不注意の障害があり、多動が優勢の「ジャイアン症候群」、不注意が優勢の「のび太症候群」などといった俗称もある。

 僕の場合は不注意の方が優勢で、小学校のころから、必要な教材を学校に持ってこなかったり、給食の際に机に敷くナプキンの袋を持って帰るのを忘れて、いくつも机の端のフックにぶら下げていたりして、よく親や先生に怒られていた。

 中学に上がっても改善は見られず、体育のグループ学習でリーダーを務めた際、皆の記録カードをうっかり外に置き忘れて、雨に晒してグチャグチャにしてしまったこともあったし、修学旅行に着ていく服を選ぶために母親からもらった二万円を、財布ごと落としてしまったこともあった。ADHDにも学習能力というものはあるから、年齢を重ねるにつれマシにはなるのだが、段々と責任が重大になり、扱うお金の額も大きくなった分、問題はさらに深刻になっていったともいえる。

 何より一番つらい思い出は、小学校三年のとき、餌やりを忘れて、飼っていたハムスターを餓死させてしまったことだ。今まで迷惑をかけた人間に対してはあまり申し訳ないと思う気持ちはないが、ハムスターにだけは、本当に悪いことをしたと思っている。

 警備員以前に勤めたアルバイトでも、コンビニでは入って三日目に早々「使えない」とのことで自主退職を促され、ファミレスの調理のアルバイトでも前述の通りうまくいかず、比較的好感触だった道路交通誘導警備の仕事でも、制服や仕事道具を忘れるなどして叱責を浴びたことがあった。 

 そんな僕が、大事な鍵の管理ができるだろうか。多少不安にはなったが、やるしかないことである。また、アルバイトの職場で出会うような人に自分の障害を訴えても理解されないのは、経験上わかっている。

 それに・・・・小さなミスならともかく、自分の首に関わるようなミスだから、さすがの僕にも、「いくらなんでも」という気持ちもあった。その過信――健常者にとっては、過信でもない当たり前の自信だが、ADHDの僕にとっては紛れもない過信のせいで、後の悲劇は起きてしまった。

「おーっす」

「あ、塩村さん。どうしたんですか」

 夜間の業務が終了し、全社員、全テナントの最終退館も済んだ午前一時、一人の男性が、通用口の鉄扉を開けて入ってきた。両腕には、なにやら大きな荷物を抱えている。

 塩村――伊勢佐木屋警備隊隊員であり、僕の教育係になるという先輩隊員である。

 年齢は三十三歳。痩せ型で、彫りが深い顔立ち。明るい、というより、気さくな性格で、暗い世界に生きる僕にも、実に親しみやすい。属性としては紛れもなく陽性で、それだけなら副隊長の折茂と同じなのだが、折茂の場合、自分に合わない人間は排除しそうなキツさが感じられるのに対し、塩村の場合は、陰性の人間にも合わせられる温厚さと柔軟性が感じられる。僕の教育係に指名されたのは、ポジションが同じということ以外にも、性格的な適正の面も関係がありそうだった。

「明日から、俺が仕事教えるからよ。今日はコイツで、ゆっくり寝ろよ」

 塩村が持ってきた荷物とは、布団であった。隊員が仮眠休憩を取る待機室の押し入れには、布団は二枚入っている。シフト上では、三人がいっぺんに仮眠に入ることはまずないため、普段はそれだけで十分なのだが、明日からは僕がインターンに入るため、自分の家から布団を持ってきてくれたのだ。こんな時間にこれだけの荷物を持ってきてくれる、ということは・・・。

「俺んちは、伊勢佐木屋から徒歩で三十分ほどの場所にあるからよ。いつでも遊びに来いよ」

 と、いうことである。その日は、塩村はそれだけ言って帰っていった。

 とにもかくにも、教育係の塩村がいい人そうで安心した。塩村だけではなく、他の先輩も、概ねいい人そうである。隊長の戸叶は少し陰湿そうで、癖がありそうだが、それも明らかに異常というレベルではない。

 労働にまつわる人間関係にいい思い出はまるでないが、ここでなら、そこそこ楽しくやっていけるのではないか。この時点で、この四人の先輩隊員の中に「魔物」が紛れていたことを知らない僕は、そんな淡い期待を抱きながら、仮眠休憩に入った。そして朝を迎え、本館、事務館の開放巡回、出勤してくる社員や各テナント従業員への受付業務などの仕事を見学してから、下番となった。

 十五時間という拘束時間は長いが、仮眠休憩もあり、また、僕が担当することになるCに関していえば、事務館の点検巡回が終わった二十三時から、通用口シャッターを開放し、朝の受付業務が本格的に始まる七時までは仕事らしい仕事はなく、実労働時間は八時間程度であるから、体力的な消耗は思ったよりは少なそうだ。普通の仕事とは逆に、夜の帳が明け、気持ちのいい朝に仕事を終えるのは、何か爽快な心地にもさせられる。

 不安が無くなったわけではなかったが、実地研修を終えた時点では、手ごたえの方が大きかった。
 
  ☆        ☆         ☆    
 
 実地研修を終えた翌日――正確にいえば、その日の夕方から、僕のC番インターンが始まった。給料の計算上では今日から本勤務となるが、正式にシフトに入るわけではなく、先輩隊員の塩村と一緒に動いて、Cの業務を覚える、という期間で、途中に休みを挟みながら、計五日間が予定されている。

 伊勢佐木屋警備隊のシフトは、「勤務」「明け」「公休」という、三つのサイクルを回すことで成り立っている。朝の十時に仕事が終わって、その晩十九時からの仕事もあるという日が「勤務」。朝の十時に仕事を終え、その晩は休んで、翌日の夜十九時から仕事があるという日が「明け」。そして、一日のうちどの時間帯も仕事に入っていない、という日が、「公休」である。

 仮眠があるとはいえ、十五時間も拘束される仕事だから、普通の勤め人のように、月曜日から金曜日まで五日連続で仕事をする、ということは、基本的にはない(ブラック会社に勤めている人なら、そういう働き方をしているのかもしれないが・・・)。二日か三日、長くても四日勤めたら明けや公休を取るという配分で、隊員の身体に無理がないよう、シフトが組まれている。

 しかし、僕の前任の隊員が、会社に連絡もなしに退職してしまった後は、一時的に全隊員が無理をしなければならない状況が発生した。そもそも、三つのポジションを五人の隊員で回すという発想に無理があり、万が一のときに備えて補欠要因をもう一,二名は育成しておくべきだったのだが、会社がインターン代をケチって、シフトを組めるギリギリの人数で警備隊を結成してしまったため、その内の一人が欠けてしまった後は、本当に悲惨な状況となったらしい。

 人数が少ないだけならまだよかった。問題は、それが寒い季節だったことである。誰かが風邪を患えば、狭い保安室の中にはあっと言う間に菌が蔓延してしまう。僕が入る半月ほど前には、隊員全員がマスクをつけ、フラフラになりながら仕事をしていたという。さすがにたまりかねて、一刻もはやく隊員を補充してくれと上に頼んだが、前述の通り、既存の隊員が伊勢佐木屋警備隊に配属されるのを嫌がったために、事情を知らない僕が外部から雇われることになった。

 このとき僕は、前任の隊員――阿川が、なぜ会社に連絡もせずバックレてしまったのか、もう少し気にすべきだった。気にしたところで何か対策を打てた、というわけでもないかもしれないが、先輩隊員たちにもう少し警戒することはできたのだ。

 しかし、当時の僕は、まだまだ人を疑うことを知らない二十歳の青年である。ここの先輩たちは、皆いい人に違いない。そう信じたい気持ちが強かった。

「よう、来たか。今日からビシビシ鍛えてやっからな。覚悟しとけよ~」

 僕の願いに一番応えてくれそうなのが、教育係の塩村だった。この塩村、とにかく愛想がよく、周りの隊員や、社員、テナント従業員にも働きかけて、僕が現場に馴染みやすくなるような雰囲気を作ってくれる。これだけコミュニケーション能力が高く、年齢もまだ若い彼が、なぜに警備員などで燻っているのだろう。そう思うくらい、僕から見れば優れた人だった。

「お疲れ様です。手荷物を確認します。はい。はい。オッケ―です」

 インターン初日、十五時間の勤務が始まった。最初の仕事は手荷物確認。何も難しいことはない。従業員が検品台の上に置いた荷物の中身を確認する、それだけの作業である。見よう見まねで充分できた。

「大人しい印象だけど、声は出るみたいだな。ガードマンはそれが一番大事だからよ。仕事ができなくてもいくらでもフォローできるが、声を代わりに出してやることはできない。従業員と世間話をしろとまでは言わないから、挨拶だけはきっちりな」

 塩村の言葉に、僕は深く頷いた。仕事ができないのはわかりきっているのだから、せめて愛想だけはよくしよう。今までの失敗を踏まえ、それだけは常に心がけようと、僕は入社の前から決意していた。内面にドス黒いものを抱えているとはいえ、表向きは、僕はそれほど根暗でも無口でもない。人と話すのは、むしろ好きな方だ。愛想よくしていれば、多少なりとも評価の対象になるのなら、喜んでするつもりだった。

「よし。次は、事務館の施錠巡回だな」

 手荷物確認を終え、いよいよ、初めての巡回業務へ出発である。この日は、塩村に一緒にくっついて回るだけであるが、いずれは一人で回らなければならない。保安室での受付業務なら、先輩がいくらでもサポートしてくれるが、巡回ではそうはいかない。五日間のインターンで、すべてを覚え込まなくてはならないのである。覚えの悪さ無類の僕の緊張は、否が応にも高まった。

「事務館の場合に気を付けるのは、各ドアや金庫の施錠確認。それと今の時期は、電気ストーブだな。それと、窓のシャッターの閉鎖と解放。そんなところだ。別に難しくはない。五日もありゃ、簡単に覚えられるさ」

 ホンマかいな、と思ってしまうが、インターン初日、まだ何もしていない内から、自信のないようなことを口にするわけにはいかない。巡回中、僕はありったけの集中力を動員し、塩村の動きを追った。

「ま、ざっとこんなもんだな。じゃ、鍵返したら、飯にするぞ」

 所要二十分の巡回を終え、保安室に戻ったときには、脳みそは疲弊しきっていた。

 二十時三十分、事務館施錠巡回を終えてから、九時までの三十分は、Cの食事休憩時間である。

 繁華街のど真ん中であるから、コンビニなど食料品を売っている店は付近に幾らでもあり、この時間に買いに行くこともできる。冷蔵庫や電気ポットもあるから、予め買ってきて保存しておいてもいいし、カップ麺を調理することもできる。

また、嬉しいことに、何も食事を用意しなくても、食料品を扱うテナントから、差し入れを貰えることもある。廃棄のものだが、賞味期限なんてものは、一日二日過ぎたところで、素人の舌には影響しない。二十時どころか、翌朝までとっておいても、十分おいしく頂くことができる。

 パン、巻きずし、カツサンド、ケーキ。ごくたまには、おでんなどももらえる。これが金銭的に非常に助かるのである。警備隊の先輩連中は、施しを受けているような恥ずかしさがあったのか、あまり積極的には手をつけなかったのだが、そうしたプライドの一切ない僕は、仕事を辞めるまでずっと、ありがたく頂戴していた。

 二十一時に、AとBが本館の施錠巡回に出発すると、Cは保安室での受付業務となる。この時間帯には、社員や各テナント従業員の最終退館があり、最終退館者には書類に名前を記入してもらっている。これが重要で、全社員、全テナント従業員の退館を確認しないと、施設の消灯ができないのである。

 そして二十三時から、いよいよC番メインの、事務館の点検巡回となる。十本以上のカギ、そして懐中電灯を持ち、僕は塩村に連れられ、本館と道路を一つ挟んだ敷地に建つ、事務館へと出発した。

「よし、着いたぞ。まず、やることは?」

 夕方の二十時以降、手荷物確認が終わった段階で、事務館は電子錠によって施錠される。ロックの解除は、本館の保安室にあるボタンで行うようになっており、夜間に事務館に入るには、鉄扉の脇に取り付けられたインターホンを押し、保安室の警備員に連絡しなければならない。

「じゃあ、ここからは俺についてこい。口頭で色々説明していくから、必要ならメモとってな」

 そして巡回が始まった。一階、商品管理、二階、会議室、三階、総務販促オフィス、四階、外商オフィス、五階、用度、労働組合、社員食堂、六階、電話交換室・・社員がすべて退館した事務館内の、様々な部屋を点検していく。

 やること自体は大したことはない・・・と思えてきたのは慣れてきてからで、最初の印象は「無理だろ」であった。一度回っただけではチンプンカンプンである。所要五十分の巡回が終了した時点で、僕の頭は真っ白、何も入っていない、という状態だった。

「まあ、五日間あるんだから、焦る必要はないさ。大体、俺たちのときは、八日間貰ってたんだから。五日で覚えさそうって会社のやり方に無理があるんだ。なんなら、インターンを期間を延ばしてもらえばいいさ」

 塩村はそう言ってくれたが、僕は不安だった。八日貰おうが十日もらおうが、覚えられる気はまったくしなかったが、とりあえずはまだ、インターン期間である。続けるか辞めるか、あるいはインターン期間を延ばしてもらうか、最終的な判断は五日間が終わってからすればいいと気を取り直し、仮眠室の布団敷きや、保安室内の簡単な清掃などの雑事を済ませた。

 午後二十三時半から午前二時までは、AとBが本館の点検巡回に出ている時間帯で、Cは完全に暇になる。本当に、何もすることがないのである。備え付けのテレビを見ていてもいいし、本を読んでいてもいい。携帯をいじっていてもいい。とにかく、保安室に身を置いてさえいればそれでいい、という時間帯である。インターンが終わって、正式にシフトに組み込まれるようになれば、当然一人で過ごすことになるのだが、インターン期間中は、塩村が一緒である。この時間に、僕は塩村と、お互いのことを語り合った。

 塩村は、前職はクリーニング店の新規開拓の営業。その前は、地元で自動車会社の、やはり営業職として勤めていたという。彼のコミュニケーション能力の高さは、長年営業畑で培ったものであったらしい。趣味はパチンコで、これは月単位ならほぼ確実にプラスに持っていけるほどの腕前とのこと。 

 余談だが、警備員にはギャンブル好きが非常に多い。中には仕事中に、トイレを借りにホールに立ち寄った際、どうしても我慢できず台に座ってしまい、制服姿のまま打っていたところ、たまたま通りがかった客先の作業員に見つかってしまい、結局クビになってしまった、という猛者もいるらしい。サボるならサボるで、せめて上着を脱ぐなりすればいいではないかと思うのだが、いわゆる依存症の人は、いったん勝負モードに入ると、子供でも回る頭も回らなくなってしまうのだろうか。

 ちなみに、当時の僕の趣味はゲームである。そして、直近では、映画の専門学校に通い、仕事中はメガネをかけ、小柄で弱そうな風貌。とくれば、人が抱く印象はひとつしかない。

「なんだよ~、津島はオタクか~」

「ええ、まあ・・・」

 アニメは子供向けのもの以外には、ジブリ作品と「ルパン」「エヴァンゲリオン」くらいしか見たことがなかったし、自分がいわゆるステレオタイプのオタクだとは思わないが、別に間違ってはいない。いちいち訂正するのも面倒だったし、オタクキャラならオタクキャラでよかった。

「じゃあ、あれか。休日はいつも、ダチと秋葉原まで行ってんのか」

「いや、秋葉原にはまだ、一、二回くらいしか行ってないですね。それに、僕、友達とかいないですから」

 何気なく言った言葉だったが、塩村はこれに案外、深刻そうな受け止め方をする。

「え?友達いないのかよ。一人も?」

「ええ・・まあ・・ここ半年、メールのやり取りとかは誰ともしてないですね・・」

「マジかよ・・。お前、その若さで・・・。高校も出てから何年も経ってないのにそんな孤独なのって、やばくないか」

 やばいとまで言われるとは思わなかったが、友達の少ないことと、自分が社会不適応者であることは、百も承知である。

 友達ができない――いや、より正しくいえば、友達はむしろ出来やすい方なのだが、折角できた友達が、すぐいなくなってしまう。これもADHDの特徴の一つなのだが、よく言えば天真爛漫、悪くいったら情緒不安定な僕は、感情の起伏が激しく、しかもそれが表情や態度に出やすい。何かいいことが続いているときはどこまでも明るく振る舞うことができ、友達が沢山寄ってくるのだが、トラブルを抱えたり、うまくいかなくなると、露骨に不満を露わにしたり、落ち込んだり、口数が少なくなってしまったりする。喜怒哀楽の喜と楽だけを表現していればいいものを、怒と哀までもを豊かに表現してしまうからいけない。自己主張が強く、何かといえば和を乱しやすい僕は、今まで長く一つの集団に溶け込んでいるということができなかった。

「ま、まあ、僕は一人でいるのが好きなんで・・。友達とか、別にいなくても平気ですから、ご心配なく」

 強がりというわけではない。高校の頃までは、友達の少なさに人並みにコンプレックスを抱えていたが、この頃になると、友達――同性との、対等な立場での人付き合いというものに執着する気持ちはなくなっていた。この頃欲しかったのは、もっぱら異性である。

 何も、人が羨むような美しい容姿の女を望んでいるわけではない。最低限、女とわかる顔かたちをしていて、健康で、会話が成り立つ程度の知性がある人ならば、それでよかった。年齢層も幅広く、四十歳くらいまでだったら喜んで飛びついた。そのくらい門戸を広く開けており、なおかつ、黙って待っているだけではなく、割りと積極的に動いているのに、まるで相手にされない。交際にまでこぎつけないのである。

 女のぬくもりに触れたくて触れたくて、仕方がなかった。女がいる同世代の男が、羨ましくて羨ましてくて仕方がなかった。

 二〇〇八年、二月――。僕と同じことを、インターネットの掲示板上に書き込んでいた一人の男が、秋葉原で無差別殺傷事件を起こす、四か月前のことであった。

 二時にAの戸叶とBの折茂が巡回から帰ってくると、Cは仮眠となる。シフトに組み込まれれば、当然一人で眠ることになるのだが、この日は塩村と一緒に就寝タイムに入った。枕が違うと眠れないということはないが、まだ、生活のリズムが、伊勢佐木屋の勤務に適応できていない。ようやく夢の世界に入れたのは、Bの折茂が仮眠に入る四時ごろのことで、五時に起きるまで、約一時間程度しか休めなかった。

「よし。じゃあ、目え覚ましに巡回に行くぞ」

 仮眠から明けて一発目の仕事は、伊勢佐木屋の周囲と、客用駐車場を回る、外周巡回である。施設内と違い、扉の開け閉めはないため鍵は必要なく、主な仕事は、敷地内で横たわっている路上生活者への声掛けとなる。

 伊勢佐木屋の周辺は、横浜市内でも有数の繁華街であり、また有名なドヤ街も近くにあるためか、路上生活者の数が非常に多い。いまどきの路上生活者には、見た目ではそれとわからない、意外と小奇麗にしている人もいるが、この町の路上生活者は仙人のような、昔ながらの浮浪者といった趣きの人が多かった。

 実家暮らしの僕には、路上生活というのはさほどリアルではないが、「明日は我が身」である。
 近々現物支給になるとか、施設で集団生活をさせるとかいう話もあるが、今の日本にはまだ、生活保護という制度がある。しかし世の中には、生活困窮者が、なかなか生活保護の利用に漕ぎつけない現実がある。

 罪が大きいのは、「自己責任」の風潮だ。政治家やメディアが繰り返し、生活保護の利用者をバッシングし続けることで、なんとなく「生活保護を貰うのは悪いこと」「生活保護者はだらしない奴らだ」と思わされている。そのせいで、いざ自分が露頭に迷っても、役所に生活保護の申請に行けなかったり、いわゆる「窓際作戦」で、役人にちょっと厳しく突かれただけで、あっさり申請を引っこめてしまう人がいる。

 また、信じられないような話だが、生活保護の制度があること自体を、本当に知らない人もいる。名前だけは知っていたとしても、年金のように六十五歳以上の人しか利用できないとか、身体に障害がある人しか利用できないとか、間違った覚え方をしている人も少なくない。

 これは学校が悪いだろう。中学校とか高校で、社会のセーフティネットについての学習を、ちゃんと時間をとってやるべきなのだ。ヨーロッパではそれが常識である。

 もちろん、中学校や高校で生活保護のことなど教わっても、ちゃんと中身を理解できる子供は少ないだろう。だが、「そういうものがある」ことだけでも知っていれば、大人になって困ったとき、「あのとき、先生が教えてくれたことをもう一度調べてみよう」となる。だが、存在すら知らなかったら、調べてみるところまでも行けない。

 もちろん、生活保護のことは十分知っていても、ヤバい筋からの借金や、犯罪を起こして逃げているというケースもあり、問題はそう単純ではない。だが、彼らを救うために、国ができることはもっとあるはずである。

 彼らに対して色々同情するところはあるが、あくまで自分の仕事のうえでは、彼らには関わりたくない思いが強かった。面倒はごめんなのである。Cの外周巡回の時間は、朝の五時。スルーしたところで、それを先輩隊員にチクるような人が外に歩いているわけではない。クソ真面目に仕事をして、彼らを叩き起こしたりして、反撃にでもあったらたまらない。僕はこのインターン期間の時点で、実際に路上生活者を目にしたら、迷わずスルーすることを心に決めていた。

 所要時間十五分。五時三十分に保安室に帰って、しばらくはコーヒーでも飲みながらゆっくりとし、六時ごろからは、食料品の搬入業者の受付が始まる。新聞の配達もこの時間にあり、全国紙や地方紙を各部署のポストに入れる仕事がある。まだやることは少ないから、適当に遊んでいても、食事をとっていても大丈夫だ。 

「よーし、じゃあ開放だ」

 そして七時に、いよいよ通用口シャッターの開放である。朝の陽射しが入り込んで、実に気持ちがいい。同時に、搬入業者の入館が一気に増え、社員、テナント従業員も続々と出勤して、受付業務が本格的に忙しくなってくる。

「ここからの時間は、立って受け付けな」

 保安室内の受付業務は、シャッターが閉まっているときは座っていてもいいが、一度シャッターを開放したら、立って行う決まりになっているという。別に座ってやっていたところで怒られるわけでもないと思うが、客の目を意識してのことだそうだ。C番の残りの巡回は、八時三十分の事務館開放巡回のみで、あとは最後まで、本館保安室での受付業務である。

「よーし、今日はこれで下番だ。一日、お疲れさん」

 受け付け業務、事務館の開放巡回、最後の立哨警備を終え、午前十時、ついに一日の業務が終了した。普通の勤め人とは反対に、清々しい朝の光を浴びながら帰宅し、その晩は、夜のネオンを浴びながら出勤する。これまでとは一線を画す生活パターンであるが、なにか、当時僕が憧れていた、アンダーグラウンドの住人になれたようで、少し嬉しくもあった。

 その後、明け公休を挟みながら、五日間のインターンは無事終了した。僕の覚えは悪く、塩村には声を荒げて怒られたこともあったが、どうにか五日目には、一人で施設の巡回も回れるようになった。

 五日目の勤務が終了した際、塩村は僕をモスバーガーに連れて行ってくれ、食事をおごってくれた。

「次回から俺と一緒に勤務するときは、俺はB番ってことになるけど、わからないことがあったら、何でも聞けよ」

「はい。ありがとうございます」

 五日間、塩村は、本当によく面倒を見てくれた。途中、挫けそうになったこともあったが、無事最後までインターンを乗り切れたのは、彼が親しみを持って接し、丁寧に指導してくれたからだ。感謝、感謝である。

「それと、これ。俺のアドレスな」

 塩村は僕の携帯を取って、電話帳に自分のアドレスを入力した。警備隊とは、インターン初日の時点で、全員の番号を交換済みだが、メールアドレスを交換したのは、塩村ただ一人である。

「なんか仕事の悩みで、言いにくいこととかあったら、メールで連絡してこいよ。電話でもいいけどよ」

「は、はい。ありがとうございます」

「それと、津島は友達がいないとか言ってたけど、一緒に休みに入れた日には、遊びにでもいこうや」

「え?ああ、はい。ありがとうございます」

 これまでの人生で、アルバイト先の人と携帯電話の番号を交換したのは初めてのことである。仕事はお金を稼ぐためだけに行くところと割り切っており、それ以上のことは期待していなかった僕の心は弾んだ。本当に嬉しかったのである。

「それじゃ、またな。今晩はゆっくり休めよ」

「はい、お疲れさまです」

 五日間のインターンを終えた満足感。そして、一つの確信。この塩村という先輩は、確実に僕の力になってくれる。

 すでにこのとき、「魔物」の瞳は、僕をじっと捉えていたことを知らない僕は、弾む心地で電車に乗り込み、週払いの給料を持って、川崎の格安ソープランドへと向かっていた。
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私も色々な仕事しましたが施設警備員の仕事はした事がありませんが交通誘導警備員の仕事と比べ大変そうですね。拘束時間が15時間の時点で無理ですね。性格上親しくも無い人間とこれだけ長時間一緒に居るのに耐えられないと思います。
選考を通過したのは私もやはり若さだと思います。
施設警備員は底辺労働でなくちゃんとした労働だと思っていましたが底辺労働だったのですね。やっている人間もまともじゃぁ〜無いんですか?
津島さんは物覚えが悪いのですか?
これだけの文章書けるのだから頭のいい人だと思っいました。
(すまみません。けなしてるわけではありませ。)
私小説だと島津さん自身を意見してるみたいになってなんかコメントしづらいですが、リクエストした以上コメントしますが気を悪くしないで下さい。
この先魔物が明らかになるのが楽しみです。
私は今マンションの通勤管理人をしようと思っいるのですが施設警備員みたいに見た目と違い大変なんでしょうか?
給料が安いので楽だと思っているのですが…
働く目的が私の場合金はもちろんですが、社会保険が目的ですから金額でなく社会保険はいれれば楽な程いいですから…

No title

まっちゃんさん

仕事内容はこれから紹介していきますが、15時間といっても本当にみっちり働いているわけではないので、体は非常に楽でした。本とか読めるような時間もあるんで、少なくとも工場勤務や清掃よりは労働条件は良かったと思いますね。

物覚えは好きなこと限定ならいいほうだと思っていますが、仕事の物覚えは悪いですね。興味のあることしか覚えられないのは、発達障害的な人の特徴的な傾向です。まあさすがに当時に比べたら今はよくなっているとは思いますがどうなんでしょうね。あんまり興味もないです (笑)

気にせず忌憚ない意見をお待ちしています。明らかに悪意を感じるようなレベルでなければなんでも嬉しいですよ。

社会保険は入らせないところ未だにありますよね。大手の派遣とかはまだその辺はしっかりしてるんで、直接雇用という響きに惑わされず派遣のほうがいい場合もありますよね。

リクエスト云々に関してはまっちゃんさんにまで余計なプレッシャーを背負わせてしまったみたいですみません。

王貞治の友人が飲み屋で流しのギタリストに曲をリクエストしておきながら、ちゃんと聞かずに他の友人とくっちゃべっていたのをみて、王貞治が「お前がリクエストしたんだから、ちゃんと聞けよ!」と怒ったなんてエピソードもありますけど、どうも私の中でも、リクエストしておきながら何のリアクションもないということに非常にモヤモヤした感情がありまして。

リクエストしていただいたこと自体感謝すべきことで、もし期待に添えられなかったというなら私が悪いだけなのはわかっているんですけどね…。

お久しぶりです

私小説~施設警備員時代、完全版!!
やったー\(^o^)/!ラストが読めるー!
1月31日までらしいので、今度こそ見逃さないようにしないと(笑)
前のコメントの返信に“読んでないとこをupしてくれる”とおっしゃってくれてたんですね。ありがとうございますm(_ _)m!
せっかく言ってくださったのに間が空いてしまい、申し訳ないです。
ごめんなさいm(_ _)m&ありがとうですm(_ _)m!

これから少しずつ(掲載中に‼)読ませていただきます。
塩村さんって、ホントいい人!ホッとします(^.^)
魔物のせいで既存の警備隊が誰一人来たがらないなんて、尋常じゃないですよね・・・恐ろしい!
津島さんには今のうちに走って逃げてほしいー (/_;)/~~

No title

ひなさん

 あけましておめでとうございます。昨年は私小説の続きにコメントいただきありがとうございました。完成版私小説の方にコメントくれる方もういないと思ってたので安心しました💦

 完成版はあらすじは変わっていませんが、無駄な文章を削いで、自分でも何言ってんだかよくわからない文章を徹底的に直したので、以前UPしていた作品よりだいぶ読みやすくなってると思います。最後だけでもコメント頂けると嬉しいです。

 完成版のUPが済んだら私小説第二弾ではありませんが、専門学校時代の顛末もやりたいなと思っているので、見にきてくださるとうれしいです。

No title

すいません。
愛獣の方は長編だったので読むのが遅くなってしまいました。
誠に申し訳ありません。
警備の仕事に一号と二号があるとは知りませんでした。
警備員は工事現場や交通誘導をするというイメージでしたね。
塩村は人当たり良く会話能力もあり良い人物のようですね。
ここまで動き回る仕事で覚える事柄も多いのにインターンが5日間は厳しいですね。
新人を丁寧に教えてくれる人がいないと無理なような気がします。

No title

seasky さん

 いえ、こちらこそ無理にお願いしてすみません💦
 肌に合わなくて感想もらえないなら仕方ないと思っていたんですが、まったく反応ないとコメント返信の方読んでいただけているのか不安になってしまいまして何度もお願いしてしまいました(そもそも最初にお願いした私が勝手に疑心暗鬼に陥ったって話です)。感想もらえて本当にうれしいです。

 警備は1号から5号まであって3号は現金輸送車の警護、4号がいわゆる要人警護で5号が機械による警備です(実際は1号の一部といった方がいいですが)。棒振りの2号警備員には今は辛い季節ですね。日勤はまだいいですが夜勤とか地獄だと思います。塩村は普通にいい人で彼と音信不通になったのはもったいなかったですね・・・。
 

コメント遅れて、本当にすみません💦

塩村さんいい人ですね!おりしげさんとは、最初の段階から、印象いまいちですね笑

わたしもバイトで、あなたは何も成長してない、やる気ないなら帰ってって言われた事ありまし。思い出すと鬱で涙目です。津島さんも、大変でしたね、頑張っていて、偉かったと思いますよ!

No title

あやかさん
 
 折茂は確かに最初の印象からそんなに良くはなかったですが、彼の本性を知ったうえで書いてるので、どうしても後付けの解釈になっちゃってる部分も、もしかしたらあるかもしれませんね。それだと作品としてどうかってところはありますが、まあ仕方ないですかね・・。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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