淳くん殴打事件 酒鬼薔薇の小学校高学年時代の問題行動について語っていきます。
酒鬼薔薇が小学校高学年になると、万引きで補導されたり、友達に暴力行為を働くなど、次第に家庭の外での問題行動が目立つようになっていきます。殺人事件の被害者となる土師淳くんに初めて暴力を振るったのも、このころのことでした。
淳くんは、酒鬼薔薇の下の弟の友達でした。淳くんは知的障害の持ち主でしたが、非常に軽度なもので、日常会話程度ならまったく差し障りがなく、酒鬼薔薇の家にもよく遊びにきていました。お母さんが見る限り、酒鬼薔薇とは、おやつのときに顔を合わせる程度だったようですが、同じ小学校に通っている間柄でもあり、二人で遊ぶようなこともあったのでしょう。ある日、酒鬼薔薇は、学校のグラウンドで、「吊り輪、吊り輪」といって酒鬼薔薇の手を引き、吊り輪の遊具まで導こうとする淳くんを、突然、馬乗りになって殴りつけたといいます。
先生に対しては、淳くんのほうがちょっかいを出してきたと言い訳をしていた酒鬼薔薇でしたが、それは真っ赤な嘘とわかり、あとで先生と一緒に、淳くんの家に謝りに行くことになりました。酒鬼薔薇は、たんこぶができるまで殴りつけた淳くんが、何事もなかったかのように「Aや!」と、笑顔で迎えてくれたのを見て、泣いて謝っていたといいます。このときは本当に反省したのだと思います。
しかし、酒鬼薔薇はこれ以後も、純粋無垢で、天使のような淳くんを、あまりにも醜く汚れた自分と対局の存在として、ずっと複雑な感情を抱いていたようです。そしてこのときから二年後、酒鬼薔薇はついに、淳くんの命を奪ってしまいました。
なぜ酒鬼薔薇は、暴力事件を起こしてもなお、友達のお兄ちゃんだからと酒鬼薔薇を信頼してくれていた淳くんを、最悪の形で裏切ってしまったのでしょうか?
「絶歌」の中で、酒鬼薔薇は、「淳くんの純粋無垢な世界に、醜く汚れた自分が受け入れられることで、自分を壊されてしまうような気がして怖かった」と語っています。
人にはいいところもあれば悪いところもあります。いいところも悪いところも含めて、かけがえのない自分という存在です。普通の人であれば、良いところだけを見せ合って仲良くするのが当たり前で、悪いところは全部隠したいと思うのでしょう。しかし、自己顕示欲の強い人は、自分の悪いところまで、人に受け入れてもらわなければ満足できません。
もしかしたら、自己顕示欲と自己愛が強い酒鬼薔薇にとっては、いかに純粋無垢な淳くんといえど、自分の悪いところをまったく見ず、いいところばかり見て仲良くしようとされるのは、自分を否定されているようで、激しい苦痛だったのではないでしょうか。「お前の都合のいいように、俺を作り変えるな!」という抵抗の感情です。
この推測は、酒鬼薔薇が「絶歌」の中で、少年院で行われた「少年A矯正2500日計画」についてまったく語らなかったこと、また、そもそも酒鬼薔薇が「絶歌」を執筆し世に出した理由に関しても重要な意味を持ってくるので、ぜひ頭に留めておいていただきたいと思います。
阪神・淡路大震災
酒鬼薔薇小学校六年生のとき、西日本と東日本の中心地を、未曾有の惨劇が襲います。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件です。
神戸在住の酒鬼薔薇にとってより衝撃が大きかったのは、やはり阪神大震災のほうだったでしょう。酒鬼薔薇が住んでいた須磨区は大きな打撃を受けませんでしたが、子供心にも関心が深かったようで、酒鬼薔薇は学校で書いた作文の中で、被災者の救援活動が遅れたことで批判された当時の首相、村山富市に対して、次のような怒りを露わにしています。
村山さんが、スイスの人たちが来てもすぐに活動しなかったので、はらが立ちます。ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います。
弟たちや淳くんをいじめたり、弱者に対する思いやりが欠けたところと矛盾するようですが、私は酒鬼薔薇の作文は、思いやりというより「正義感」から書かれたものではないかと思います。
世の中にはしばしば、「正義感は強いが思いやりがない」という人がいます。早い話、「ジャイアン」を思い浮かべていただければいいかと思うのですが、曲がったことが大嫌いで、男が女子供を襲ったりするような犯罪や、権力者が不正を働き私腹を肥やすようなことを厳しく批判する反面、なぜか当の自分は、近くにいる弱い立場の人をいじめている、というような人です。
歴史上では、三国志の張飛など戦場で勇敢さを発揮する武将にこのタイプが結構おり、意外に優秀な人である場合もあります。しかし、私の私小説に出てきた某O氏を知っている方ならわかると思いますが、バカがやるとこれ以上にタチが悪いものはないというタイプです。
「正義感は強いが思いやりがない」タイプの人間、私はこれは警察官にも多いタイプだと思っています。知っての通り、犯罪者には社会的弱者が多く、生い立ちやトラウマなどの面に情けをかけていたら仕事にならないというところを考えれば、性格的には適正があるといえなくもありません。人格的な問題を抱えながらも、どうにか社会に適合しルールを守っていけるなら、それも個性のひとつということもできます。
もしかしたら、この正義感という部分に着目し、うまく利用して導くことができていれば、酒鬼薔薇が罪を犯さずに成長できた可能性があったのかもしれません。体力のない酒鬼薔薇に警察官は無理だったでしょうが、今ごろは溶接工場(酒鬼薔薇が出所後に勤めたのが溶接の会社)の、陰気でちょっと意地悪な兄ちゃんくらいで済んでいたかもしれません。
可能性の話ですが。
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