私小説の続き15 近畿旅行

あづいち


 「1泊4日」近畿旅行初日、23:45に、私は横浜駅近くの天理ビル前から、夜行バスに乗り込みました。横浜から京都を目指した場合、新幹線だと一万五千円ほどしますが、夜行バスだと三千八百円程度にまで抑えられ、かなりリーズナブルです。

 お金をかけなければ、当然、それなりの代償というものはついてきます。まず、夜行バスでは「寝られません」。神経が図太い人や、軍隊経験者みたいにどこでも寝られる訓練を受けている人なら違うのでしょうが、私には、あの硬いシートに、毛布を一枚被っただけという環境では、途切れ途切れに、二時間程度眠るのが精いっぱいでした。トイレも、午前二時ごろに寄ったサービスエリアが最後のチャンスで、もしそれ以後に行きたくなった場合は、漏らすしかありません。

 夜行バスでの移動は安いですが、それなりの体力的な負担とリスクがありますので、低予算での国内旅行を計画されている方でも、神経質な方や体力に不安がある方は、宿や食費などで節約をし、安易に夜行バスは利用しない方が賢明でしょう。

 朝六時に京都に到着すると、そのまま在来線に乗って、滋賀県――近江の国に入りました。最初の目的地は、信長が築いた幻の城、安土城址です。

 安土城が築かれたのは、城の主流が室町初期以来の山城から平城に変わっていく過渡期でした。高い山の上に築かれた山城は、防衛上は有利ですが、城下町に降りるのが大変なため、領国経営上は非常に不便です。そのため戦国末期から江戸初期にかけては、経済の利便性を重視し、山城を捨て、平地に城を建てる大名が増えてきました。防衛上の弱点は、縦に盛れない分、掘りを掘って水を張り、二の丸、三の丸を作って、横に拡張していくことで補うという発想の転換です。信長の時代に急速に普及した火縄銃に対しては、縦に盛るよりも横に広げたほうが防衛力が高いと言われています。

 秀吉の大阪城も家康の江戸城も平城で、平城が日本で主流になったのは、信長が安土城を造ったのがキッカケだと言われています。安土城は完全な平城ではなく、小高い丘の上に建てられた「平山城」で、頂上にある天守跡にたどり着くまでには私の足で20分ほどかかりましたが、壮健な戦国武将にとっては、平地にあるのとほとんど変わりなかったでしょう。

 まさに近世城郭のプロトタイプと呼ぶべき革新的な城で、天守閣も、美的センスに優れた信長らしく非常に壮麗なデザインだったのですが、その天守閣は信長が本能寺の変で倒れた後、野盗に火を点けられて燃えてしまい、現在でも復元はなされていません。

 誤解している人も多いのですが、通常、天守閣は有事の際の司令塔として使われるのみで、城主は普段、城の中の屋敷で生活をしていました。ところが、信長は初心者の方がイメージする通り、安土城の天守閣で生活していたと言われています。

 これは、安土城が単なる軍事要塞としてだけでなく、信長が天皇や本願寺などの既成の権威を超える為に造られた「神殿」だからです。信長は七層の階下にそれぞれ仏や八百万の神々を描かせ、自分がその上で寝起きすることによって、自分が「神」であることを演出していたのです。

 自らを神格化しようとするほどスケールの大きい、日本史上最高の英雄である信長の安土城をみた後、私はそのすぐ近くにある、六角氏の居城、観音寺城址に足を運びました。

 こちらの城は、室町時代の名門守護の城らしく典型的な山城で、標高約四百メートルもの高地にあり、城にたどり着くには一時間弱かかり、道のりも険しいものでした。平山城の安土城と比べれば差は歴然で、この地にいけば、時代の移り変わりというものを足で体験することができます。

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 続いて私が向かったのは、秀吉が北近江領主時代に本拠地とした、長浜城です。

 この長浜城が一つの鍵を握った賤ヶ岳の合戦は、私が戦国の合戦で特に好きな合戦で、本能寺の変から僅か一年の間に、ライバルの柴田勝家を政略、謀略、軍略の限りを尽くして追い詰めていった秀吉の完璧なシナリオは震えるほどです。

 長浜城も平城で、すぐ傍には琵琶湖が広がっています。信長の指示もあったのでしょうが、それまで北近江の主城であった浅井氏の小谷城を捨て、水運の発達した琵琶湖のほとりに城を建てた秀吉の高い経済的センスが伺えます。

 ただ、私が見た琵琶湖は汚かったです。こういう場所を汚すのは、観光客よりもむしろ、近くにあるためありがたみのわからない地元民だと思われますが、湖岸にプカプカ浮かぶゴミをみたときは、なんとも悲しい気持ちになりました。

 すっかり夕方になり、そろそろ観光施設も閉鎖されるという時間になって、今度は姉川の古戦場に向かいました。

 姉川の合戦は、徳川の大本営発表では、2万もの軍勢を率いているにも関わらず、8千たらずの浅井に押されまくった織田軍を、5千足らずの徳川軍の奮戦で助けたというストーリーになっていますが、実際には物資に勝る織田軍がほぼ単独で圧勝したというのが近年の研究では有力です。

 このとき浅井、朝倉の連合軍を完膚無きまで打ち破った信長に対し、秀吉が、この際小谷城まで攻め込んで浅井を滅ぼすべきだと意見したのを、総大将の信長がなぜか却下してしまったというエピソードがあります。もしその進言に従っていれば、高い確率で浅井は滅び、信長包囲網の打倒はだいぶ楽になったことは間違いなく、信長の大きな戦略的ミスの一つにあげられますが、反面、浅井との同盟修復という自らの決めた外交政策に固執しすぎる、信長の執着癖が垣間見え、個人的には好きなエピソードの一つでもあります。

 姉川では、降り積もった雪の上を歩いていたところ、気づかずに川の中に足を突っ込んでしまい、靴がびしょぬれになってしまうというハプニングもありましたが、なんとか無事に、七時ごろまでには見物を終え、在来線で京都まで戻り、その夜はビジネスホテルに泊まりました。

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 翌朝は観光施設が開放される時間にチェックアウトし、レンタサイクルで京都市街地を観光しました。金閣寺、銀閣寺、清水寺・・・と、定番のコースを回りつつ、小さなお寺にも立ち寄っていきました。

 金閣寺は戦後に再建されたもので、室町将軍の中でも最大の傑物である、天皇になろうとした将軍、足利義満の旺盛な野心を窺い知ることができますが、城ならともかく寺に金を張り付けるという趣味は私はあまり好きではなく、政治家としては無能ながら、優れた美的センスを持ち、文化の保護者としては大きな貢献をした足利義政の建てた銀閣寺の方が好きです。
 
 余談ですが、京都の人がいう「戦後」とは、太平洋戦争のことではなく、室町時代の応仁の乱を指すそうです。京都はあまり空襲の被害を受けませんでしたから、応仁の乱の方がよほど、歴史的な建造物が失われたのでしょう。

 実は京都、滋賀は中学の修学旅行でも訪れており、その際、三年生全クラスで、信長に焼き打ちされた比叡山延暦寺で座禅修行をする機会があったのですが、静まり返ったお堂の中で座禅修行に耽っている最中、大きな音で放屁をしたバカがいました。

 当然、笑いの渦が起きたのですが、そのとき、坊主に背中を精進棒でたたかれたのは私だけでした。三年生全クラスの中で、私だけが叩かれたのは、私が修学旅行ということで気合をいれまくり、素肌にNBAのレプリカジャージを着て、ネックレスをつけるという、チャラチャラした格好をしていたからだとしか思えません。偉そうにしていますが、坊主も結局、人を見た目で判断するということです。比叡山自体は好きで、このときから三年後の一人旅でも行きました。

 二日目の旅を終えて、レンタサイクルも返し、あとは23時の夜行バス発信まで、時間を潰しているというだけでした。京都タワーに登ったり、コンビニで立ち読みをしているうちに時間が近づいてきたのですが、なんと、バス乗り場は私思っていた乗り場とは、駅を挟んで反対側にあったことが判明。バスに乗り遅れる失態を犯してしまいます・・・・。

 その晩はやむなくカラオケ店で一夜を過ごし、翌朝、新幹線で新横浜まで帰りました。
 
 京都市街地観光ではほぼ一日中自転車に乗っており、強行軍だったためグルメはあまり楽しまなかったのもあり、帰ってから体重計に乗ると、二日で1.5キロほど落ちていました。

 身長163㎝の私は、ベスト体重57㎏です。成長が止まった中学二年からずっと変わらず、これ以上増えれば身体のキレが鈍り、これ以下に減ればスタミナが落ちてしまうのですが、57㎏の時点で体脂肪率10%前半のため、実際には増えることはあっても、減るということは滅多にありません。この近畿旅行当時は一番太っていた時期で、65キロほどありました。

 私の身体が生きることを拒絶しようとし、食物を受け付けなくなり、中学二年以降初めて体重が57キロを下回ったどころか、40キロ台にまで落ち込み、生死の境を彷徨う寸前までいったのが、翌年に入った専門学校時代のことでした。
 
 私小説の続き 完
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非公開コメント

No title

良い旅行をされましたね。
好きな戦国武将がいればその土地やらお城などに行ってみたくなりますよね。
写真などで見るよりも実際その場で実物を目にすることはかなり感動するのでしょうね。
安土城は迫力がありそうです。
雪が積もったお城は綺麗でしょうね。
座禅修行中の大きな屁は自分もおそらく笑ってしまいますね。
意図的なのか偶然なのか分かりませんが犯人は緊張感がなかったことは間違いなさそうです。
専門学校時代はかなり危ない時期ですね。
体重が40キロ台から無事に現在の状態に戻れて本当に良かったです。
私小説の続き今まで楽しく読ませて頂きました。
ありがとうございました。

No title

seaskyさん

 旅行はお金がゆるす限り色々なところに行きたいです。現地に行かないと語る資格がないような気がしますしね。私の場合は飯とか泊まるところはどうでもいいんで、ひたすら観光したい派ですね。

 不快な思いをしたことは中学時代のことでもよく覚えていますね・・・。楽しいことも沢山あったと思いますが、全部塗りつぶされちゃってるんで、あんまり覚えてないです。

 あの学校で出会った連中にはいまだに恨みを抱いています。いまでも町であったら、咄嗟に殺してしまわないとも限りません。

 とりあえずここで終わりになります。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

私は歴史には疎いですが、確かに戦国時代などにはロマンを感じますね。きっと詳しく調べれば更に面白いのでしょう。



興味がある物事の縁の地を巡るのは楽しいでしょうね。


私だったら、好きな学者、好きな文豪、好きかどうかは解らないですが民俗学的な事柄、それらに纏わる土地に足を運んだら楽しいのかな、と思います。



それから、確かに夜行バスの中では寝られませんね。


安いやつだと揺れる揺れる。

眠れなくて窓の外を眺めれば、ローカル感満載のラブホのネオンが視界を流れ、余計に眠れない。ただ、なんとなくあの感じは嫌いじゃないです。


一応私は都会育ちと言われる部類の人間なので(反感を買いそうな物言いですが、事実は事実ですし、これ以上気を使った物言いを考えるには疲れ過ぎています)あの非日常感が心地よいのでしょう。

No title

L.Wさん

 歴史はどんな世代にも一定のファンがいるので語る場には事欠きませんが、日本は米国などと違い、1800年近い歴史に恵まれた国なのだから、、もっと親しまれてもいいとは思うんですけどね・・・。根本的には、学校の教え方があまりに酷過ぎるのが原因だと思います。あれで食わず嫌いしてしまっている人が多すぎる。いい民間の書籍に巡り合えれば、学校で習ったあのクソつまらん歴史は何だったのかと衝撃を受けるはずです。私もいずれそれを伝える仕事ができればと思いますが、まだまだ勉強中の身です。

 夜行バスは寝られないですね。あれならトイレに行ける分在来線を乗り継いだ方がマシかと一瞬思いましたが、観光施設が開いているのは昼間ですからね・・。

 最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

歴史にはあまり興味はありませんが旅行は好きですね。
安土城、長浜城には行った事ないので機会があれば行ってみたいですね。
夜行バスは乗った事ないので知りませんでしたが乗りごこちがそんなにひどいのですか?
トイレに行けないのが辛そうですね。
京都には何度か行った事有りますがレンタサイクルだと効率的に観光地を巡れそうですね。私は徒歩とバスで移動したのであまり効率的で無かったのでまた行く機会があればレンタサイクルを利用しようと思います。
私小説大変に参考になり色々と知らなかった事を知り勉強になりました。

Re: タイトルなし

まっちゃんさん

 京都や奈良は最近は中国人観光客も沢山来てますが、歴史に興味なくてああいうとこ回って面白いものですかね💦(悪いとは言ってません)

 レンタサイクルはバスを待つ時間がないのでせっかちな人向けです。定番コースを回るだけだったらバスでいいと思いますが、途中の小さなお寺とかにもよれるのがいいです。

 私小説の続きは作品ではないので、私の好きなことを、好きなように書くというコンセプトでやってきました。意外なところに食いついてくる読者さんもいるかと思ったのですが、あんまりそれはなかったですね・・・。

 終わってみれば、当初私小説第二段をリクエストされていた読者さんはいなくなってしまい、いつもコメントくださる方が残る形になりました。コメントをくれるのは、やはり私どうこうの問題よりも、読者さんの気持ちに依存するところが大きいようです・・・・。(愚痴みたいになってしまいすみません)

 最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

もう少しだけ続くのじゃと思われるような締め方だけどこれにて完結なのか…デbじゃなかった出不精な性分としては夜行バスで一人旅を決行した行動力は素直に尊敬するよ
バトル序盤のイニシエーション中のくだりは修学旅行の実体験が元だったのかな
しかしかつての生放送や顔写真を見た限り修学旅行にレプリカジャージとネックレス着用で臨むようなオラついたイメージが皆無だったから意外だったよ…赤い彗星の人の名言がふと脳裏をよぎった

No title

ちゃんむくさん

 イニシエーション懐かしいです。2年半以上前のことなので覚えていませんがもしかしたらこのときの記憶がヒントになったのかも・・・。

 あと、22歳のころでは特筆すべきエピソードはないのでこれで終わりになります。あと5か月でサイトの更新は停止しようと思うんで私小説第二段の構想は夢になってしまいましたね・・・。

 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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