犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 5

させぼ




  PTSD 

 事件は子供たちの心に、深刻な傷痕を残しました。6年生の児童の一部は、事件後、しばらくは言葉を発せなかったり、夜、電気を消して眠れなかったりするなどのPTSDに苦しめられました。

 中でも症状が重かったのは、事件前、Aから暴力を受けていたというBくんでした。彼はマスコミからの取材を受け、事件前、Aにカッターナイフを振り上げられたときのことを語ったのですが、後日、学校側の記者会見で、マスコミからその件について質問があった際、佐世保小学校の出崎叡子校長がとんでもない発言をして、Bくんを傷つけてしまったのです。

「学校では、何かあったらすぐに担任に報告するよう、指導を徹底していました。カッターナイフ振り上げ事件のことを、(Bくんが)事前に言ってくれていたら、対応は違ったと思います」

 これではまるで、事件が起きたのはBくんのせいだと言っているようなものです。さらに、話しはこれで終わらず、出崎校長は、「ナイフを振り上げられた児童は、アスペルガー症候群だった」などと、事実無根の記者発表をして、Bくんを不当に貶め、自分たちの監督不十分を誤魔化そうとします。

 出崎校長も、想定外の事態でいっぱいいっぱいだったのでしょうし、悪気はなかった可能性もあります。しかし、それにしたところで、あまりに稚拙な対応です。出崎校長は、発言の撤回を求めるBくん親子から逃げ続け、「訂正発表をしたら、マスコミにまたあることないこと書かれますよ」と、脅すようなことさえしたといいます。結局、謝罪が行われたのは、事件から一年も経ってからのことでした。

 最終的に作成された第一次報告書には、AがBくんに振るっていた暴力について、「ある特定の生徒がちょっかいを出しており、それに反発した」などとウソの記載がされていました。報告書には、ほかにも「担任は適切な処置を行っていた」「事前の予見は不可能であった」などと、学校関係者の責任を回避するかのような内容が書き並べられていたといいます。

 学校というところには昔から身内を庇う体質があり、校内暴力が盛んであった80年代ごろから、校内で起きた問題の責任を特定の生徒に被せて始末をつけるといったことが、当たり前のように行われていました。時代は変わり、今では「モンスターペアレント」の出現など、逆に生徒や保護者側の方が力をつけすぎてしまったという見方もありますが、どちらにせよパワーバランスを均等に保つためには、行き過ぎた行為は批判されなければいけないところです。佐世保市や出崎叡子校長のBくんへの対応は最悪といってもいいものでしたが、では、彼らの言っていることは、全部がデタラメであったのか?

 今度は学校側の視点から見てみようと思います。即ち、「予見は本当に不可能だったのか?」ということです。


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 「普通の子」


 家庭裁判所でAと接した弁護士は、Aが自分のことを「チュウカンの子」と評していたことを語っていました。記者会見では、佐世保小学校の出崎叡子校長も、女児は「普通の子」という印象だったと、同様のコメントを残しています。

 凄惨な事件が起きたとき、他人、特に子供を持つ親は、「事件は異常な家庭で育った異常な子供が犯したもので、ウチには関係ない」と思いたがる心理が働きます。話しを面白おかしくしようとするマスコミの悪ふざけがそれを煽り、ときに事実とは全く異なる犯人像が世間に伝えられることがあります。しかし、Aに関しては、関係者の誰もが、当初は「普通の子」と言っていたのです。

 「普通の子」の基準も人それぞれですが、一応の解答としては、「特別優れた能力はないが特別遅れた能力もなく、もの凄く褒められた行動をするわけでもないが、もの凄い問題を起こすわけでもない児童である」・・・・と、いえると思います。この事件は、そうした「普通の子」が犯した事件とされ、被害者のお父さん、御手洗恭二さんも、その点を不審に思う手記を残していました。

 Aは「普通の子」であったのか。わかっている情報を元に、Aがどんな子であったかと聞かれたら、私は、「頑張り屋さんで、年相応に分別もあり、友達付き合いもちゃんとできる子」と答えます。御手洗さんらとのトラブルも、この年頃の子にはよくある程度のものです。取調べに当たった刑事も、「コロシに発展するほどのことじゃないんだけどなぁ・・・・・」と、首を捻っていました。

 では、「予兆」がまったくなかったかといえばそうではなく、Aは同級生の男子生徒に馬乗りになって暴力を振るうなど、明らかに異常な行動が目撃されていました。過激な映像作品にのめり込むというのは、私は特にまずいとは思いませんが、そういうものをまずいと思う人が注意して見ていれば、別のもっと深刻な問題に気付けていたかもしれません。

 一つ一つは小さかったかもしれませんが、「予兆」はあったのです。では、それに気づけなかった関係者が悪いのでしょうか。それはそれで追及するべきかもしれませんが、親や教師など、少数の人に責任を背負わせただけで、今後の改善に繋がっていくのでしょうか。私が言いたいのは、「目が足りない」のではないか、ということです。


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 地域社会の連帯感の復活 


 事件を受け、大久保小学校と同じ中学校区内にある春日小学校の校長は、

「今回の事件は対岸の火事ではない。だが、学校だけで何ができるだろうか。これまで学校は閉鎖的だった。もはや、みんなの目を借りなければ、教育はやっていけない」

 と発言しました。学校関係者として、現実をよく捉えた、勇気ある発言といえます。

 昭和の中期まで、日本の地域社会には、子供を持つ家庭もそうでない家庭も一体となって、子供を見守り、育てていこうという機能が働いていました。余所の家庭の子をとっ捕まえて叱るといった光景も珍しくはなかったといいます。

 ところが、時代が下り、個人のプライバシーということが喧しく言われるようになると、地域の繋がりは薄くなり、ご近所同士、顔も知らない、挨拶も交わさないといったことが当たり前の社会になってしまいました。

 そもそも、忙しすぎる現代人には、余所の家庭を気にしている余裕などありません。地域で子供を見守るという機能が失われ、学校や親にかかる負担、責任があまりに重くなり、事件が起きた際には親と学校だけがもの凄く叩かれてしまう。そのせいで、事件が起きた際に学校が隠ぺいに走り、親は逃げるという態度に繋がり、結果的に、世間に真実が伝わらないという結果になっているように思います。

 今年は大阪で中学一年の児童二人が誘拐、殺害されるという痛ましい事件が起きました。あの事件でも、ビラを作って一生懸命子供を探したお母さんが何故か叩かれるという現象が起きましたが、あれはインターネットの普及により、昔から人々が感じていたことが炙りだされてきただけなのでしょうか?

 遠く離れた場所に住んでいる人の意見はあんなもんだったのかもしれませんが、少なくとも、近隣住民は違ったはずです。深夜に外を出歩いている子供がいれば、とりあえず声をかけるというのが、昔の地域社会だったはずです。防犯カメラの映像には、営業中のコンビニが映されてもいましたが、子どもが夜中に外に出ていても、取りあえず朝まで過ごせてしまうという、コンビニやファストフード店の二十四時間営業化も見直していかなければならないでしょう。

 ここまで、「昔は良かった、今はダメ」といったようなことを書いてしまいましたが、当の私も近所づきあいは面倒だと考える方で、そもそもそういう社会で小さい頃から育ってきたため、昔に還れといっても、具体的にどうすればいいのかまではわかりません。また、今は昔と違って個人の移動範囲も広く、コミュニティも無数に存在し、パソコンを開けば、自分の居心地のいい場所は幾らでも見つかるという時代です。「家が近いからというだけで、なんで世代も違う、よくわからん連中と付き合う必要があるんだ」という考えも当然といえば当然です。

 ただ一つ確実にいえるのは、「子供を作り、育てるのも自己責任」といった社会では、今後少子化はますます進む一方で、子どもが凶悪事件に巻き込まれるのを抑えることもできず、また、多数の老人を少数の若者で養う社会の維持はできないであろう、ということです。

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 その後の加害者
 
 
 犯行当時11歳、刑罰の対象にならない「触法少年」であったAは、少年院でも少年刑務所でもなく、児童自立支援施設での生活を命ぜられました。栃木県の「国立きぬ川学院」です。当初の収容予定期間は2年間でしたが、その後延長され、2008年、併設された中学校を卒業したAは、心身に問題なしとして、強制措置を解除されました。

 きぬ川学園の中でのAの様子、更生に向けてどのようなプログラムが行われたかについて、詳しいことはわかっていません。供述の中で、事件を起こしたことにたいして反省、悔悟の気持ちが弱いとされたAには、アスペルガーなど発達障害の疑いがあったことから、「他人の気持ちを理解する」ことを、感性ではなくロジックで覚えさせる、ソーシャル・スキルなどのトレーニングが行われたものと推察されますが、どれほどの成果をあげたのか、本当に社会生活を送っていけるほど更生できたのかは不明です。 
 
 今年は「元少年A」酒鬼薔薇聖斗が手記を出版したとして、大きな話題となりました。自己陶酔に満ち溢れた表現からして、彼が反省など一切していなかったのは明らかですが、私が注目しているのはそこではありません。

 手記の後半には、酒鬼薔薇が出所後、人並みに世間の波にもまれ、厳しい労働環境で苦労してきたことが伺える内容が記されていました。私は彼の手記出版の一番の動機は、「強烈な自己顕示欲」などではなく、その底辺の悲惨な労働環境から脱出したかったのではないか、と睨んでいます。

 犯罪の素養がない人間でさえ「やってらんねぇ」と思うような世の中で、ちょっとしたキッカケで一線を越えてしまう人間が、果たしてやっていけるでしょうか。「少女A」は現在22歳になりますが、22歳は大学をストレートで卒業した人が社会に出る年齢で、まだまだ人生は始まったばかりです。これから社会の矛盾や理不尽、トラブルにぶつかっていく中で、Aの「狂気」が絶対に弾けないとはいえないでしょう。

 本人だけではなく、社会全体が変わらなくては、悲劇はなくなりません。Aの事件から10年間、あれほど「命の大切さ」を子供たちに教えてきたはずの佐世保で、高校一年の女子が同級生を殺傷するという事件が起きてしまいました。「高1女子」では、事件を予見できるポイントが「小6女児」とは比較にならないほど多かったにも関わらず、見過ごされてきた経緯があります。「小6女児」の教訓をなぜ生かせなかったのか?どんなに生かそうとしても、やはり「目が足りない」のか?

 「佐世保は呪われた土地」などと言われないためにも、教育関係者には諦めず研究を続けてもらい、もう十年後には、「真の教育発祥の地」といわれるようになって欲しいものです。


 総括 : 情報が発達した今の社会は、昭和の中期に比べ、「大人は昔よりずっと子供で、子供は昔よりずっと大人」になっていると、個人的には思います。今の子供は大人が考えているより、ずっと複雑な想いを抱えて生きています。昔と同じ感覚では、もう子供を育てていくことはできません。一方で、昔の社会が持っていたいいところを、もう一度見直してみる必要もあるでしょう。


 佐世保小6女児殺害事件 完

 
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子供ころ殺したいほど憎い奴は自分にも何人かいましたが、さすがに実行は出来ませんでしたね。
出崎校長の発言は確かに問題ですね。B君は立ち直れたのか気になります。
男子に馬乗りになり暴行する女子は明らかに普通で無いと思いますが…
酒鬼薔薇みたいに全く反省なんてして無いと思います。
酒鬼薔薇の出版の動機は同感ですね。やはり底辺の暮らしからの脱却でしょう。
私の周りでこの様な有名になる事件が起きて欲しいですね。もちろん巻き込まれたくはないですが…
犯罪者名鑑では光市母子殺害事件の福田孝行と市川一家4人殺害事件の関光彦を書いて欲しいです。

No title

子供が安心して学校に通えて無事に卒業するという環境はこれからもっと困難になっていくのではないかと危惧しています。
言い過ぎかもしれませんが子供にとってこれからの社会で生きていくのはとても過酷で適さないとすら思ってしまいます。
今の子供は小さな頃から色々な問題を抱えすぎですよね。
小学生から携帯電話やラインなどを使うことにストレスを感じてしまわないのでしょうかね。
自分の時代にもしあったら苦痛だったと思います。
少年や少女の犯罪が当たり前の社会になってしまうのはとても恐ろしいですよね。
大人が子供に声を掛けることは大事なことであったはずなのに今は怪しまれてしまう時代なのでとても難しいですね。

三大佐世保
・佐世保バーガー
・新條まゆ先生

なぜか最近になって荒れた小学生が再びメディアで話題になるも原因が突き止められずもやもや
注意した教師に暴力を振るう児童なども散見するということで今日びの子どもは昔ほど親から殴られなくなったが為に他人の痛みが理解できないのではと指摘されてたんだね
昭和なら近所の大人が叱ってくれる場合もあっただろうけどseaskyさんが書かれたように赤の他人が子どもに声をかけるだけで事案になってしまう昨今では家庭か学校かに頼らざるを得ない現状が問題だね
当事件の頃のインターネットはガラケーで学校裏サイトやプロフが主流だったけど今じゃスマホでLINEや顔本やらと複雑化してきて子ども達も人間関係ストレス半端ないだろうね…

No title


 まっちゃんさん

 B君は中学進学後も長らく不登校が続いていたようです。家庭には理解があるようだったので、今はさすがに立ち直っているかとは思いますが、学歴などの面でも遅れは出ているでしょうし、今後も不安は残るでしょうね。本当に一生を狂わされちゃいましたね。

 酒鬼薔薇を責める意見に、「社会の底辺で塗炭の苦しみを味わうのも償いのうち・・・」というのもありましたけど、それにはちょっと「オイw」と言ってしまいましたね。だって、その塗炭の苦しみを味わっているのは、大半が前科などない普通の人間なわけですから。酒鬼薔薇が底辺労働をするのが償いなら、俺らが底辺労働する意味はなんやねんwと。

 ただ大儲けはいけません。殺人犯が手記の印税で大儲けなんて商法が世間の反発を買わないはずはないんで、これからもっと大きな騒ぎになっていくとは思いますよ。被害者遺族もそろそろ動き出すでしょう。

 事件が起きて欲しい願望は私も小さい頃からずっとありましたね・・・。親兄弟ならさすがに参るでしょうが、学校のクラスメイトくらいだとあまり落ち込む気はしないのは、単に私に学校にいい思い出がないからなのか・・・。

 福田孝行と関光彦はぜひ取り上げていきたいですね。

No title

 seaskyさん
 
 もう私のころから、友達関係を維持するのに精一杯で、学校の課題をやるところまでいけないという状況が生まれていたような気がします。それを「努力不足」と切って捨てるのは、説教した大人が気持ちよくなるだけで、何の解決にもなりません。携帯やラインを取り上げて解決するかはわかりませんが、子供がポテンシャルを発揮できるような環境になっていけばいいと思いますよね。

 知らない人に声をかけられても付いて行っちゃいけませんと指導するのは大事なんですが、今
の時代、親以外全部知らない大人になっちゃってるからまずいですよね。地域の連帯感が強まっていかないと子供は守れないんじゃないかと思います。
 

No title

OKBさん

 最近の先生はやりにくさを感じる面もあるでしょうが、80年代から90年代の前半にかけて、徹底した管理教育で、体罰を振るったり、問題を起こした生徒をバシバシ退学にしてきたりした過去があるんで100%の同情もできないですけどね。今は生徒の数が少ないから、子供を大事にしないと先生も商売上がったりというところもあるし・・・。

 殴られないから痛みがわからないのではなく、愛情が足りないから痛みがわからないというのが本当のところだと思います。愛情をもって育てれば、ライオンやワニでさえ人間に懐きます。殴って育てれば、チワワでさえ人間にかみつきます。体罰は逆効果ですよ。

 毎日学校裏サイトだのラインだのをみて、自分の悪口が書かれていないかチェックしなければならない環境では、勉強にも集中できないかもしれないですね・・。

殺人事件の件数も少年犯罪の件数も昔に比べ減っているので
昔はよかったとは別に思わないが
このバカ校長のエピソードは自分が小学生の時の担任を思い出す
担任にいじめられる方が悪いと言われたので
他の教師含む担任以外の大人に相談もとい告げ口をしたりしているうち
いじめっ子は転校した
少なくとも担任の息のかかっていない大人は周りにいた
そういう意味では昔の方がよかったこともあるだろう

2004年はまだ仕事が忙しく
ネットをやっていなかったが
もしやっていたらこのバカ校長を叩いていたに違いない
そう考えると知らない方が幸せなことってあると実感
今どうしているのか知らないが元小学校校長ということは
自分の元担任同様に
多額の年金をもらっているはずだ
何とかは世にはばかる
とはまさにこのことか(笑)

No title

MSKSさん

 単純に何件犯罪が起きたかどうかで語れないのは、昔に比べてあらゆる治安のシステムが整備されているはずの現代社会で、劇的な改善には繋がっていないということですよね。相対的な目でみれば、日本の治安は間違いなく悪くなっていますよ。昔がいいということではなく、昔の良かったところを現代に生きる我々が見直す必要があるということです。

 自分たちが逃げ切ることしか考えてない、この世代の爺さん婆さんのテンプレ的対応かもしれませんね・・。

可哀想ですね、B君。

確かに昔に比べ地域ごとの共同体意識は薄れましたね。津島さんが示唆した通り、その原因の1つにコンビニ等が挙げられると思います。


生活必需品を購入するんでも、コンビニとそうでない店(八百屋とか)とでは大分違いますよね。

後者だと、そこで何かしらの絡みがあったりし、地域的な情報の共有がなされたりしますが、前者だとそんな事は稀です。


そういった点で、異常者が異常者である事を気付かれずに生きていきやすい世の中です。



私も、地域の共同体が教育現場の受け皿になるのは良いことだと思います。


大人が職場の同僚よりも飲み屋のオヤジに本音を漏らしてしまうような感じで、子供も学友には言えない事を近所のオッサンになら言うかもしれません。

話がやや脱線しますけれど、私は子供が好きです(勿論あっちの意味でなく)が、見知らぬ子供に話しかけたら不審がられそうなので、話しかける事ができません 笑


No title

L,wさん

 まさしくコンビニやスーパーマーケットの登場が地域社会の連帯を損ねた主原因でしょうね。あの買い物時の何気ない会話の一つ一つがなくなったことで、繋がりがどんどん希薄になっていったのだと思います。便利ですし、今さら元に戻るのは難しいですけどね・・・。

 子供が好きっていう感情は大事ですよ。基本的に今の社会のシステムで人口が減るってのはまずいことなんで、子供はどんどん増やして、教育で質も上げていかないとやっていけません。人口が減ったら移民を大量に受け入れればいいじゃない!とか言ってるアホもいますけど、んなことやったら埼玉のペルー人の事件みたいのが頻発するだけです。愛国心も何もない連中が大量にのさばったら治安は悪くなるし、文化も破壊されるだけで、いいことは何もありません。自国民、特に次世代を優遇しない国に未来はないです。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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