犯罪者名鑑 麻原彰晃 20

asahara.jpg



 相談
 


 坂本弁護士がオウムと関わりを持つようになったのは、友人であるフリージャーナリストの、江川紹子の紹介がきっかけでした。

 当時、記事の中でオウムの悪辣なやり口を批判していた江川のもとには、オウムの出家信者の家族から、教団から家族を奪回するにはどうしたらいいか、という相談が寄せられていました。重要なのは、オウムの出家信者本人が自分を被害者だと思っていない点で、こうなると、民事不介入の原則のある警察を動かすことはできません。そこで江川は、何とか法律的な手段により出家信者を取り戻せないかと、坂本弁護士のところに話を持って行ったのです。

 横浜法律事務所で事情を聞いた坂本は、当初、この問題に関わるのを躊躇っていました。オウム側は交渉に応じる姿勢を見せず、子供がどこの支部にいるのか、そもそも本当にオウムにいるのかもわからない。「人探しみたいなもので、弁護士の仕事じゃないよなァ」というのが正直な気持ちでしたが、本当に困っている家族をみると、放っておくわけにもいきませんでした。

 坂本は相談者のため、オウムと全面的に対決する決意を固めたのです。

さかもと




 
 被害者の会設立



 調べにより、相談を受けた人物が教団に在籍していることの確認がとれると、坂本は、出家信者の家族から相談を受けている旨を教団に連絡しました。すると、オウム側も法律の知識に長けた信者を交渉の席に出してきました。現役弁護士の青山吉伸です。

 法曹関係者なら、まともな話し合いができる・・・坂本は安心しましたが、その期待は後日設けられた、青山との初めての面談の日に、アッサリ裏切られました。

 まず青山は、坂本に対し、教団の機関誌の一ページを、参考資料として提示しました。

 大した内容ではありません。「私はオウムに入って、こんな幸せになりました、こんなに成長しました」・・・ようは、オカルト雑誌の宣伝ページに乗っているような、「驚きの体験談!」の類です。

それがどうした・・?と、唖然としている坂本に、青山はさらに、

「○○(信者の名前)の親たちは、○○の気持ち、考えを十分に理解できなかったこと、そして○○の本当の成長を妨害し、心を傷つけてきたことを反省すべきです」

 と、出家信者の家族の側に非があるという論理を突きつけます。

 一方的で不遜な言い分ではありますが、あながち間違いでもないところもあり、信者の親には耳の痛い話でもあったでしょう。

 親世代と子世代の対立。いつの時代もあることで、「ゆとり世代」と言われる私などは、「なぜ、これをやらなければいけないのか」納得してからでないと動けない特質が子どものころからありましたが、軍隊式に「あれやれ、これやれ」だけで動けた世代の親にはそれが理解できず、無為、無駄な軋轢を繰り返し、散々に迷走してきた過去がありました。

 この当時においては、戦後から高度経済成長期にかけて、人は働いて飯が食えていればそれでいいのだ、という価値観から、物質的な豊かさが満たされ、人の本当の幸せとは、経済的に裕福であることとは違うところにあるのではないか、という価値観への変容期にあり、時代の変化に乗り遅れた親と、時代の申し子のような子供との間で対立が起きていました。

 親たちが何も悪くなかった、ということはないでしょう。しかし、それをオウムに言われる筋合いもありません。坂本はこのまま青山と話していても埒が明かないと判断し、とにかく一度、信者と家族を会わせる方向で話を進めていきました。青山は渋ったものの、結局数か月後、オウムの本部がある富士宮市内で、信者と家族の顔合わせが実現しました。

「人を救いたいなら、まずお母さんから救ってあげたらどうだろう。お母さんはとても心配している。家に戻って、そこからオウムに通うこともできるんじゃないかな」

 坂本の説得に、出家信者も一瞬、顔色を変えましたが、その場にいた仲間の教徒ににらまれて、「私は自分の意志でここにいる」と突っぱね、教団に戻ってしまいました。

 坂本も、最初からすべて上手くいくとは思っていません。とにかく、信者と家族を会わせるところまで食い込めたのだから、本番はこれからだ、と、前向きに考えていました。

 坂本がオウム問題に本気になってくれることがわかると、他の出家信者の家族からも、次々に依頼が舞い込むようになり、坂本は次第にオウム問題に忙殺されるようになっていきました。仲間の弁護士が、「坂本さんもインコ真理教でも作って、オウムを乗っ取ればいいじゃない」などと軽口を叩くと、いつもならジョークで返すはずの坂本が、「人がこんなに真剣になっているのに・・・」と難しい顔をするなど、余裕がなくなっていったようです。
 
 坂本は相談者の訴えを効率的に取りまとめるため、「オウム真理教被害者の会」を設立しました。横浜市の開港記念会館で第一回の集会が開かれ、永岡弘行が委員長に就任。永岡は就任の挨拶の中で、坂本との出会いについて「地獄で仏に出会ったようだ」と語りました。


aaaaassasasasas.jpg


 
 加熱するオウム批判の動き


 坂本はオウムから信者を奪還するため、法律的な面から、オウムを追及していく構えを取りました。血のイニシエーションにかかる異常に高額の料金などの消費者被害や、次の総選挙に真理党として立候補を予定している教団が、票集めのために、信者の住民票を一か所に移動させるなどの行動を問題として取り上げていったのです。 

 坂本と連携して、サンデー毎日では「オウム真理教の狂気」と銘打ち、オウムの違法行為を追及していく連載が始まりました。第一回の内容は、オウムの信者の家族七人が集まって、オウムのおかしな活動内容を紹介し合うという座談会形式でしたが、同誌が発売されると、麻原自らがさっそく信者を率いて、サンデー毎日編集部に乗り込んできました。

 はじめは穏やかに話し合いが行われましたが、編集長の牧太郎が、オウムが未成年の信者から三十万、四十万の布施を取っていることを追及すると、突如麻原が、「だったらいくらならいいんだ!」と声を荒げ、席を立ってしまい、これ以後、サンデー毎日とオウムは対立状態に入ります。

 この日以降、サンデー毎日編集部に、オウムから抗議や嫌がらせの電話が頻繁にかかってくるようになり、街頭で牧太郎を批判するビラが配られたり、街宣車での抗議活動も行われるようになりました。麻原は毎日新聞社の爆破も計画していたといいますが、当時のオウムではまだ爆弾を作る技術はなく、計画は未遂に終わりました。

 テレビも反オウムの動きに注目し、主にワイドショーで、オウムの特集番組が組まれるようになりました。オウム本部を訪れた被害者の会に、出家信者が熱湯を浴びせるシーンや、狂ったように瞑想をする修行風景などが放映され、世間に教団の異様さが認知されていったのです。

 特に、テレビ朝日の「こんにちは2時」では、麻原が自ら幹部教徒を率いて出演したのですが、その際、収録に連れてこないという約束だった十代の出家信者を女装させて出演させ、カメラの前で両親を罵倒させるというパフォーマンスを行い、その場に居合わせた被害者の会代表の永岡や、視聴者を唖然とさせました。

 加熱する報道合戦の中、TBSは、反オウム連合の盟主ともいうべき、坂本弁護士に出演を依頼。坂本のインタビューが行われることになったのですが、このテープの内容が、坂本弁護士が殺害される、決定的な理由となってしまったのです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

地獄で仏に出会ったようだ
まさに、被害者家族にとっては
坂本弁護士との出逢いは一縷の望みだったでしょうね。
ここでの結果が違っていたらオウム真理教はどうすすんでいってたのでしょうね。
次の更新も楽しみにしてます。
ありがとうございました。

No title

坂本弁護士はオウム真理教のような宗教はあってはならない宗教なのでいずれは解散まで追い込むという気持ちで活動していたのでしょうね。
麻原はテレビや雑誌でのオウムの話題は全てチェックしていたのですね。
無視せずに問題があるようなら必ず反撃に出るのが麻原流ですね。
まだネット社会になる前の時代ですからメディアから情報が洩れなければ問題はないと考えていたのでしょうね。
この頃はもうテロや殺人も厭わない過激な集団に向かいつつありますね。

坂本弁護士がもし殺されていなかったからオウムはどうなっていたのでしょうかね。

更新ありがとうございます。
次回も楽しみにしています。

どちらかというと私も、自分の理想とする正義になぞらえた行いを旨として生きてきたつもりですが、オウムクラスの強大な悪を目の前にした時でもそのようでいられるかは、甚だ疑問です。


実際に坂本弁護士は殺されてしまったわけですし、世の中やはり触れない方がいいものもあるでしょう。


流石にオウムは恐すぎる。

No title

seaskyさん

 坂本弁護士は信教の自由については考慮すべきだという意見でしたから、解散までは考えていなかったと思いますね。メディアの動きについては、かなり神経をとがらせていたのは事実のようです。やはり二件の殺人で吹っ切れた感がありますね・・・。

No title

L,wさん

 社会悪とは誰かが戦わないといけないわけで、その決断は讃えられるべきですが、慎重論もありえたとかの議論はあっていいでしょうね。当時はオウムの凶悪犯罪がまだ明るみに出ていない時期でしたから、まさか殺しまでやるとは予想していなかったでしょうが・・・。

No title

まんじゅうさん、知子さん

 この一件のしばらく後、90年代前半には、麻原がとんねるずやビートたけしの番組で面白おかしく取り上げられるなど、オウムが世間に好意的に受け入れられていた時期がくるので、坂本弁護士を殺害したのが正解だった、と言えなくもないのが怖いところです。

 坂本弁護士など反対勢力と徹底的に争うのではなく、妥協してうまく社会との融和を図る方向でいたら、オウムは今も存続していたのではないかと言う気もしますね。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR