私小説の続き9 間違った意識改革1

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 寿町での一件があってから、私はアルバイトを辞めて、翌年に専門学校に通うための準備を始めました。資格を身につけ、真っ当な会社に就職して、底辺世界から脱出し、一生、堅実に生きていこうと決意をかためたのです。

 ネットや書籍で情報収集をし、幾つかの学校に目星をつけて、見学に足を運ぶようになったのですが、それにも増して重点を置いていたのは、「意識改革」という部分でした。

 度重なる失敗により、当時二十二歳の時点で、私という存在が、おそらくは社会不適応者である、ということは、十分に自覚していました。軽度のADHDを持つ私の特徴は、能力的な面でいえば、整理整頓が苦手なこと、注意散漫で忘れ物や落し物が多いこと。性格的な面では、執着心と嫉妬心が強すぎるところです。

 私の執着心に関しては、このサイトを長らくご覧になってくださっている方なら、よくお分かりかと思います。そもそも、二年半という期間に渡って、これだけの文章量のサイトを続けるということ自体、執着心がなければできないことです。

 私の場合、もう一般就職という道を諦めており、文筆業以外に生きる道を見いだせないから、という事情もありますが、「後がない」というだけだったら、今のご時世、そういう人はゴマンといます。いくら後がないからといっても、誰しもが二年半にもわたって、成功する保証もない(ここが本当に重要です)活動を二年間、ほぼ毎日休まず続けることはできないでしょう。

 自分を凄いと言っているわけではありません。努力というと美しいみたいですが、それが最終的に報われなければ、すべては無駄となってしまいます。私の場合、活動に大金がかかっているわけではないですし、もう他にチャンスはないわけですから、失うものは何もないようですが、徒労という精神的ダメージは負ってしまいます。したがってリスクはゼロではありません。

 リスク覚悟で、報われるかわからない活動に時間を捧げる。はっきりいって、恐怖ですよ。見返りがなければやってられませんよ。私がせめてコメントを、と皆さんにお願いする気持ちが、少しはわかっていただけるでしょうか。

 これだけのサイトをやっている。それ自体が、執着心の賜物であるということはいえると思います。

 嫉妬心に関しては、今は該当する記事は消してしまいましたが、以前通っていた映画の専門学校で失恋をし、心を病んでしまったことを紹介しました。好きなあの人が、他の男と付き合っているのでは・・・という妄想で、食欲不振に陥り、体重が落ちてしまうほど精神的に参ってしまうのです。振られた女にいつまでも拘り続けるのは、執着心の強さの表れといえるでしょう。

 当時の私がいけなかったのは、執着心と嫉妬心という、この二つの性格的特徴を直さなかったこと・・・・ではなく、この二つを欠陥だと決めつけ、完全に否定するという意識改革を行ってしまったことでした。

 執着心も嫉妬心も、悪いことばかりではありません。執着心がいい方向に向かえば、どんな困難にぶつかろうとも、何が何でも物事を最後までやり遂げようとする精神力に繋がり、社会にとって有意義な業績を成し遂げることもあります。嫉妬心が強いことは、それが他人と切磋琢磨することで、自らの向上に繋げていく良い意味での競争心になることであったり、社会や集団の中で、あからさまに理不尽な格差を是正することに繋がるならいいと思います。

 歴史上の有名人では、織田信長やトーマス・エジソン、坂本竜馬も、私とおなじADHDの持ち主だったと言われています。

 しかし、もちろん悪い面がかなり深刻なのも事実で、信長でいえば、離反した盟友、浅井長政との友好回復という方針に執着し過ぎるあまり、姉川の合戦で打ち破った長政をみすみす本拠の小谷城に逃がすという大きな軍事的ミスを犯したことがあり、エジソンでいえば、同じ発明家のライバルへの競争心が強すぎ、自分の発明の特許を取るために、ライバルをかなり陰湿なやり方で追い落としたことがあります。

 現代社会においては、人に対する執着が強い人は、しばしばストーカーと化してしまうことは周知のことかと思います。嫉妬が強いことは、それを自分が向上することに生かさなければ、心を腐らせる結果にしかなりません。

 ようするに良い面もあれば悪い面もあり、良い面は大いに生かして、悪い面はうまく制御して生きていけばよかっただけの話なのですが、当時の私はその性格を全否定し、殺すことだけを考えてしまいました。

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 たとえば、当時の私は、「今後は一切、恋愛をするのを辞めよう」という、ひとつの決意をしていました。映画の専門学校での経験を経て、「自分が恋愛をしても、自分が不幸になるだけで、他人にも迷惑をかけるだけだ・・・」と思い込んでいたのです。

 今から思えば、バカな事を考えていたものです。殺人犯ですら、出所後に結婚して子供がいる人もいるのに、別に悪いことをしたわけでもない私が、「迷惑をかける」などと考え、恋愛を自重しようと思うなど、今からすれば、まったくバカげた思い込みとしか言いようがありません。

 これだけ価値観が多様化した世の中では、恋愛をまったくしない生き方というのも選択肢の一つでしょう。恋愛に興味がないという草食男子にまでそれを押し付けるのは、野暮でしかありません。しかし、恋愛に興味がある人間に恋愛をするなというのもまた野暮、というか、そんな無理な生き方をすれば、絶対に歪みが出てきます。

 今現在のことを言えば、私には丁度二年間、結婚を前提に交際している女性がおり、関係は至って良好です。彼女に苦労をかけたこともありましたが、沢山笑顔にさせてあげられたという自負もあります。

 執着が強いということは、裏を返せば、一人の女性をずっと大切にできるということです。当然といえば当然のことですが、私は交際中、浮気を考えたことは一回もありません。男の本能として、多数の女とセックスをしたい望みはありますが、他の女を好きになろうという気持ちはまったく起こりません。嫉妬の怖さを知っているだけに、その苦しみを彼女に味あわせたくないと考えます。

 作家の岩井志麻子か誰かの言葉で、「最近の人は語彙が貧困になり過ぎている。昔だったら、情熱的だとか、一途だと言われていたような人でも”ストーカー”という言葉で一括りにされてしまっている」というのがあったと思います。

 語彙が貧困というよりは、電車の中で、赤ちゃんを泣かせる母親を一々咎める器の小さい人がいたりするように、”他人に迷惑をかけない”という意識が最重要とされる風潮が行き過ぎた結果のような気がします。

 迷惑をかけないことは大事かもしれませんが、それを考えすぎたら、欲しい物は何も手に入らなくなってしまいます。特に異性にはそれがいえるでしょう。「絶対に欲しい!」というエゴを貫き通し、6年間アタックを続ければ、天下の大女優が奥さんになってくれることもあるのです。それは極端な例としても、やはり本気で恋愛をしようと思ったら、ある程度のエゴは必要ではないでしょうか。

 世の中誰しも、良いところも悪いところもあります。私の場合は、ちょっとその幅が人より大きかっただけ。恋愛を自重する必要などまったくなかったということですが、当時の私は、失敗経験を大げさに捉えすぎて、自分は恋愛をしてはいけない、恋愛をしようとしたら社会ではやっていけない、と思い込んでいました。勝手に思い込んだ私も悪いですが、「そう思わせる空気」が社会の中にあったということも事実です。

 「社会に適応するために、恋愛をしてはいけない」

 「自分は恋愛をしてはいけない人間である」

 こんな風に決めつけなければ、この後に入った専門学校で精神が壊れる経験をしなかったかと思うと、慙愧に堪えません。
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No title

自分はどちらかというと無気力人間ですぐ諦めてしまうタイプなのでサイトの更新を長期継続されていることは純粋に凄いと思っています。
もし自分がサイトを開設しても最初は頑張っても途中で嫌になってやめてしまうと思います。
人間の感情は厄介な代物ですがそれをプラスの方向に持っていくことが出来る人と出来ない人では結果が違ってきますよね。
怒りや悲しみのような感情をやる気や行動力につなげるようなものでしょうか。
完全無欠で聖人君子のような人間は存在しないと思っているので必要以上に自分を責める行為は無益でしかないですよね。
あまりにも物事に遠慮しすぎると消極的になり何も出来なくなってしまうので欲は断たないほうが楽しみや充実感のある生き方だと感じますね。

No title

seaskyさん

 執着心ということだったり、継続できる資質というのは自分の中にあると思いますが、他に何やっていいかわからない、他に何もやることがない、というのも正直大きいですけどね。役者とか声優の方面に行っている人とかも同じだと思います。夢を追ってるとか言われると、ちょっと違うな、と思います。就職できる世の中だったらとっくに就職してる、という人は結構いるでしょうね。

この社会と、社会の風潮を有難がっている連中への怒りを滾らせることで書き続けてきて二年半が経ちました・・・。いまだに状況は変わっていませんが、景色は変わってきましたね。色々と知ったこともあって、社会と折り合いをつけられるようになった部分もあるし、より一層怒りを滾らせるようになった部分もあります。

自分を責めるのは意味ないですね。もともと今回は自己責任論について書こうと思ったのですが、長くなってしまったので分離しました。一つだけ今の内に書いておけば、自分を責めている人は、「自分は今だめだから、もっと頑張ろう」ではなく、「私は自分がダメなのがわかってるから、もう責めないで」の意味で使っているということです。人が前向きになることにまったく作用しない考え方なんですよね。自己責任論。

学齢期、集団を拒絶するあまり、安定した性欲処理の機会を得られぬ私は、粛々と軟派に勤しみました(私が拒絶する集団内にも別に率先して抱きたい程のタマはいなかったのですが)


自分の恋愛が成就せぬ理由を「出会いがなくて」などと言う人間にはなりたくなく、1対1のギラッチに勤しみました。が、ギラッチそのものを余り肯定的に受け入れない風潮が周囲を満たしており、私はチャラ男の烙印を押されました。

また、岩井先生が仰られた問題に照らして考えるなら、私もある種ストーカー的であったと言えるでしょう。

イタリアに生まれたかった。などと嘆きましたね、当時。

No title

L,wさん

 ギラッチという言葉は初めて知りました。

 今だとナンパをする場もネット上に移ってしまって、路上でナンパをする人自体をあまり見ないですね。ちょっと前だと、ナンパ代行業とかもありましたけど、ネットナンパ代行業は効率が悪すぎて商売としては成立しなさそうですね。

 

本当にこれだけのサイトを二年半もやっているなんて凄いですよ!
自分もかなり執着心有りますがこれだけのサイトを続けるのは絶対無理ですね。
充分自慢できるし自慢してもみんな納得すると思います。
私ももう一般就職は諦めてますね。
自分はFXで成功する事をねらってます。その為に10年以上勤めた正社員の仕事も辞めました。兼業で二年で300万稼いだので専業トレーダーになれば普通のサラリーマンの年収位軽く稼げる甘くみて辞めたのですが専業になったとたん稼げないどころか一年であり金全部損しました。
でもう自分にはもうFXしかないので執着心で派遣をしながら金を貯め日々研究してます。本当に凄い恐怖です。
まぁ〜お互いに道は違いますが、頑張りましょう。

Re: タイトルなし

まっちゃんさん

 結局収入に結びついていないので、続けてきただけでは何の役にも立ってないので誇れませんよ。時間を無駄にしてきただけかもしれません。私がこのサイトを続けることで誇りに思えることがあるとすれば、「みなさんにコメントをお願いしてきたこと」ですかね。

 何を言っているのかと思われるかもしれませんが、自己責任の記事で書いたように、世の中には「助けてくれっていえない」人が大勢います。そういう中で、「サイトを存続させるためには皆さんがリアクションしてくれないと無理だ」とずっと言ってきたこと、「助けてくれっていえる」人間であれたことを、私は生きる上で大事なことだと思っています。

 中には私がコメントをお願いする記事を書くと、それはみっともないと不快に思われてしまう方もいらっしゃるみたいですが、私はむしろ、そういう方のほうが「男らしさの病」に囚われていると思います。カッコつけて、痩せ我慢して生きたって、誰も褒めてくれるわけではありません。その究極の姿がホームレスです。追い込まれる前に、ちゃんと「助けてくれ」っていえる人間であれたこと、それだけが自信を持てることですね。

 裕福になるためには不労所得を稼がないといけないという人もいますが、なかなかリスク覚悟の生き方には、興味がありますが手は出ないですね・・・。うまくいくことを祈っています。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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