犯罪者名鑑 麻原彰晃 19


 第四章~ 教団の隆盛 坂本事件と総選挙出馬



ikarusu.png



 
 オウムへの批判と反撃

 
 教団内部の死亡事故、殺人事件を隠ぺいすることに成功したオウムは、さらなる膨張を続けていきます。全国に十二の支部を抱え、信徒数は三千人を突破、信徒四百名あまりを引き連れて盛大なインド旅行も行うなど、オウムは、麻原が渋谷のビルの一室で小さなヨーガ道場を開設したときから僅か五年程度で、阿含宗や立正佼成会、幸福の科学などとも肩を並べる、日本屈指の新興宗教団体となっていたのです。

 一方、この頃には、血のイニシエーションなどのデタラメなパフォーマンスによる布施集めや、一日十六時間の立位礼拝などの過激な修行内容が問題になり始め、サンデー毎日が「オウム真理教の狂気」などと題した連載記事で、オウムのネガティブキャンペーンを大々的に行い、また、オウムに出家した信者の家族による「オウム真理教被害者の会」が設立されるなど、教団に対する風当たりも強くなっていました。
 
 オウムはこれらの敵対勢力には、のらりくらりとかわすだけでなく、サンデー毎日に対しては麻原自らが幹部教徒を率いて編集部に乗り込んで直接抗議を行い、逆にオウムの本部に訪れた被害者の会には熱湯を浴びせたりするなど、徹底的に応戦しました。個人においては、サンデー毎日編集長の牧太郎、フリージャーナリストの江川紹子、社会派漫画家の小林よしのり、弁護士の滝本太郎などがオウムと激しく対立し、オウムは彼らに対して化学兵器による攻撃を計画、また実行していますが、その個人に対する攻撃行為が最初に行われ、かつ最も悲惨な形で成功してしまったのが、第四章で取り上げる坂本弁護士一家殺害事件でした。


zxZxZxxZxz.png

 

 坂本堤弁護士 

 

 坂本堤弁護士は、麻原より一年遅い1956年、横須賀に生を受けました。幼い頃は活発な子供で、よく近所の田んぼで泥だらけになって、ザリガニやカエルなどを獲って遊んでいたといいます。

 両親は教育熱心で、堤少年が小学校に上がる前から、バイオリンや絵画を習わせていました。特に絵画では、全国コンクールで優勝するなど素晴らしい才能を発揮し、弁護士になってからも、証人を生き生きした筆遣いでスケッチしたりなどして、弁護士仲間の評判になっていました。

 堤少年が弁護士を志すようになったのは、高校時代のとある出来事がキッカケでした。

 まだ高等教育を受けずに社会に出ていく人が多かった時代、堤少年の通っていた中学校では、全体の五分の一ほどが、高校に行かずに就職していました。中学時代、堤少年と一番仲が良かった友人も、家庭の事情から進学を断念し、就職せざるをえなかったのですが、定時制高校には通わせてもらえるよう、会社と約束をしていました。しかし、実際に就職してみると、会社は約束を破り、友人に毎日残業を言いつけて、学校が始まる時間になっても帰してはくれず、友人は結局、定時制高校を辞めてしまいました。

 世の中には理不尽な力関係があることを知り、モヤモヤした思いを抱えていた堤少年が出会ったのが、米国で弁護士のラルフ・ネーダーが、大企業のゼネラル・モータースを裁判で打ち負かしたという雑誌の記事でした。法律という力を使えば、たった一人でも弱い人たちを守ることができるのを知った堤少年は、これより弁護士を目指して勉学に励むこととなったのです。

 堤青年は、一浪して東大法学部に入りました。司法の道を目指す同級生には、ただ司法試験に合格することだけを考えて、一日中机に向かって過ごすような仲間も多い中、堤青年は、優秀な弁護士になるためには、ただ法律を学ぶだけではだめだと当時から考え、討論会に積極的に参加してディベートの手法を学び、障害者など弱い人たちの本音を知るために、ボランティア活動などにも力を注いでいました。

 堤青年には、当時から一度決めたら絶対に引かないところがありました。大学一年生の学園祭のとき、周りがライブや喫茶店などで人を集めようとする中、自分のクラスでは夜間中学校のドキュメンタリー映画を上映することを強固に主張し、当日は誰も来ない教室の中、数人のサクラだけで何時間も同じ映画を見るハメになるなどといったことがあり、司法修習生となったあとでも、講義の席ではよく教官に食ってかかっていたそうです。

 しかし真面目一辺倒だったわけではなく、冗談を飛ばすのが好きで、同期生や教官にぴったりのあだ名をつけては周囲を笑わせており、毎日のように友人と連れ立って酒を飲むなど交友関係にも恵まれていたそうです。

 大学三年生のとき、都子さんと出会った堤青年は、八十四年、二十七歳で結婚。翌年には司法試験に合格して、司法修習生となりました。八十六年に弁護修習を終えた後は、企業を相手取った労働争議を専門的に行う横浜法律事務所に入所。弁護士としてのキャリアを歩み始め、冤罪をかけられた知的障碍者や、経営者の勝手な都合のために不当に廃園させられそうになっている幼稚園の従業員など、社会の中で弱い立場の人のために、水を得た魚のように働き始めます。

 坂本弁護士は、どんな事案の際にもクライアントの話にじっくりと耳を傾け、相手の不当な要求には絶対に屈しませんでした。経営者が団体交渉の席にヤクザを連れて来るなどしても、毅然と対応していたといいます。理不尽な圧力に苦しむ弱い人の力になりたいという、坂本弁護士の純粋な思いは、彼と接した人すべてに伝わりました。始めは及び腰だったという宗教関係の弁護を引き受けるようになったのも、実際に困っている人に会ってみて放っておけなくなったという、熱い正義感が理由でした。

sdadadadadadada.png


 
 妻・坂本都子


 坂本弁護士の妻、都子さん(以下、敬称略)は、1960年、茨城県で生まれました。

 都子は、幼い頃から弟の面倒をよく見るしっかりした少女でした。後に夫となる堤と同様、自分の意志は絶対に曲げないところが当時からあり、ブラスバンド部の活動に夢中になる都子を両親が心配し、部活は程ほどにしてもっと勉強をしろと言われても、「私は部活のために学校に行ってるんだ」などと言い返して、絶対に練習量を減らさなかったといいます。

 中学三年生のときに開かれたパラリンピックに感動した都子は、障害者のボランティア活動に関心を持ち始めました。高校になると同時に活動を始め、大学生のころ、同じく障害者のボランティアに参加していた堤青年と知り合います。二人は交際を始め、堤二十七歳、都子二十四歳のときに結婚しました。堤はそのとき、まだ司法試験に合格していませんでしたが、都子は「弁護士になれなくても、堤さんはしっかりやっていける人だから」と信頼し、夫を受験勉強に集中させ、自分が働いて家計を支えたのです。

 やがて堤が横浜法律事務所に入所し、都子が長男の龍彦を身ごもると、仕事を辞め、家事と育児に専念するようになります。忙しい毎日でしたが、フルートの練習、ロシア語の勉強などの自己研鑽にも、暇を見つけては励んでいたようです。龍彦ちゃんが成長すると、山下公園などによく連れていって外の空気に触れさせ、その様子をお母さんに手紙に書いて送っていました。

 いつも明るい都子さんを、友人たちは「幸せさがしの名人」と語っていたそうです。


 

 
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

久しぶりの麻原名鑑なので前の記事を思い出しながらコメントしています。
坂本弁護士自身についてはあまり詳しく報道していなかったので知らなかったのですがどのような人物だったのか理解できました。
やはり正義感の強かった人物のようですからオウムの被害者についての弁護も親身になっていたことと思います。
弱者の立場になって考えることのできる坂本弁護士は弁護士の鑑のような人ですよね。
奥さんも上品で優しい人柄であり夫を信頼している理想の夫婦だと思いますね。
オウムがこれほどまでに大きな教団になってしまうとオウムを存続させるためには敵対勢力には反撃するしかなかったのでしょうね。

No title

seaskyさん

 約三か月の放置になってしまいましたね。

 坂本弁護士については悪い話はまったく聞かれず、ドラマに出てくるような、理想に燃える青年弁護士であったようですね。まさに弁護士の鑑ですが、やはりカタギじゃない連中と関わる商売の場合は、あまり熱心に仕事をしすぎれば、「こういうこと」もあり得るということですね・・。

 妥協を許さないところも麻原の性格なのでしょうが、彼の頭の中には、すでに犯した二つの犯罪の発覚を恐れる気持ちがあったと思いますね。一人殺すも、二人殺すも一緒。最初の殺人を起こした時点で、麻原と教団の運命は決まっていたのでしょう。

オウムの全盛期、私は子供でした。

尊師の事は、けったいなオッサンやな、と思う一方、オウムの強大な力を認め、なんかスゴいんだろ~な~、とも思いました。


単なる流行りものと思っていました。


そういえば、絵を描くのが得意だった私は、図工で使うスケッチブックにやたらリアルな尊師のイラストを描いて、教師に怒られました 笑

No title

L,wさん

 人の上に立つことを目指す人間にとっては、見た目のインパクトも重要ですね。見た目に素直に反応してくれるのはやはり子供なので、自分の見た目が人目を引くものかどうかを判断するには、子供の反応を見るのがいいかもしれません。

更新ありがとうございます
坂本弁護士事件も詳しく知りたかったので更新うれしいです!

なかなかコメントする時間が無いのですが毎日更新チェックしております。

更新ありがとうございます。
楽しみに待っていました。

坂本弁護士は弱者の味方になる素敵な弁護士だったのですね。

オウムはインド旅行などしてたのですね?
これは修行の為なのでしょうか?

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

No title

 まんじゅうさん、知子さん

 信仰深い人は聖地というものを非常に大事にします。現地で修行をするというのは、彼らにとっては大変意味のあることなのでしょう。YouTubeにはインドの路上で修行を行い、通行人から奇異の目で見られている麻原一行の姿が映っています。

 七月後半からまたコメント数が落ち始め、バンバン更新できる状況にならず済みません。よければ、別の記事にもコメントください。 

 

坂本弁護士のこと詳しく知りませんでした。この後の悲劇を考えると人格者の夫婦であることが却って悲しいです。正義感の強さが裏目に出たのですね、連載楽しみにしてます。

No title


 かなえさん

 同情論は散々出尽くしていると思うので、あえてシビアな見方をするなら、危険な勢力を相手にする場合は、もっと慎重に行かなきゃいけないってことですね。警察だと本人も戦闘訓練を受けていますし、仲間がやられたら全てを犠牲にしても報復してくるということで裏社会の人間からも一目置かれていますが、特殊訓練を受けていない弁護士のような人は、あまり自分の力や運を過信してもいけないとは思います。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR