犯罪者名鑑 山地悠紀夫 5

 やまじ



 後編~壊れたマリオネット




 
 「楽しい」管理生活


 入所した岡山少年院では、山地は分刻みでの細かいスケジュールで行動することを強制されました。

 一般人なら息苦しさを感じるような生活ですが、山地にとっては、管理される生活はむしろ楽で、幸せなものでした。

 アスペルガーの人は時間管理や、物事の優先順位をつけることが苦手です。例えば、何時までに終わらせなければいけないと決まった仕事があったとしても、なぜか日報の記入など、後回しにしてもいい仕事を先にやってしまうなどして、指定された時間内に仕事を終わらせられない、ということがよくあります。アルバイトで雇った人が、作業がとても早いので、正社員にしてアルバイトを管理する仕事を任せてみたら、アルバイトとトラブル続きで上手くいかなかった、などというケースもあります。アスペルガーの人にとって、時間や行動に裁量を与えられることは、むしろ苦痛なのです。

 一方、アスペルガーの人は順法精神が高く、規律を守ることを好みます。山地は相変わらず、同じ寮生に対しては「見下したような」尊大な態度が目立ち、ほとんど嫌われていたといいますが、教官に対しては従順で、手のかからない少年だったといいます。後年、山地は、この少年院での生活が一番楽しかったかもしれない、と振り返っています。

 山地は素行の面には問題がなく、模範生ともいえる態度でしたが、反面、事件に対する贖罪意識が薄いところが、教官たちの懸念でした。山地は少年院に入ったあとも、母親を殺したことについて「あんな母親は、殺されて当然だった」「今でも後悔していない」と、開き直った態度を貫いていたのです。面会に訪れ、山地に経本を差し入れた叔父(母の兄)にも、「自分の妹を殺した奴にわざわざ会いにくる気が知れない」と冷めた態度です。

 山地の母親への感情、また、なぜこれほどまで頑なに母親を恨むのかについては、第一回からずっと触れてきたところなので割愛し、今回は、日本の司法が犯罪者の刑罰や更生に異常なまでに重視する、「反省」ということについて、私なりの意見を述べたいと思います。


さいばん


 
 メディアの言う「反省」への疑問

 
 
 贖罪意識の見えない山地に、教官たちは何とか反省の念を引き出そうとアプローチをかけます。山地に人に対する共感性が薄いのではと判断した教官は、試しに「池田小学校事件の被害者、あるいは阪神大震災の被災者をどう思うか」などと言った質問をしました。これに対し、山地は「被害者、被災者が悲しいだろうことはわかる」と答える一方で、「彼らのことを考えても、心を揺り動かされない」と答えています。

 この池田小や大震災の質問への答えを見て、お偉い学者先生は、山地の共感性が薄いと断定したらしいのですが、みなさんはどう思われるでしょうか?私はぶっちゃけ「そんなもんだろ・・」と思いました。

 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大は、自分が起こした事件について、「自分がまったく関係のない第三者だったら」という想定をしたうえで、「自分や自分の友人が巻き込まれていたら、怒りを覚える」と語る一方で、「自分や自分の友人が巻き込まれているのでなければ、何とも思わない」と語っています。

 これを皆さんはどう思われるでしょうか?「薄情な奴だな」「頭おかしいな」と思ったでしょうか?加藤智大は特殊な人間だと思われた方は、あの事件の際、多数の野次馬が、現場に携帯カメラを向けていたあの光景は何だったのかを説明してみてください。

 加藤智大の意見にも、私は「そんなもんだろ・・・」と思うのです。自分の周りで起きたことと、「他人事」は、どう取り繕ったところで天と地の差があります。上記の質問の答えは、山地や加藤を「正直者」とする証明にはなっても、共感性が薄いとする証明にはならないでしょう。自分と無関係な人が事件や事故に巻き込まれたときにも、自分や自分の知り合いが事件や事故に巻き込まれたのと同じくらい共感できたとしたら、それは特別に情深いのではなく「エスパー」ではないでしょうか。

 山地は出所間際には、母親殺害について、「あのときは思いつかなかったが、逃げるなり他の人に相談するなり、別の選択肢はあったと思う」と、「反省」の態度は見せないものの、「後悔」はするようになりました。

 加藤智大は、「人の死」について、「自分に共感できるところがなければ、親兄弟や知り合いでも哀しみはないが、自分に共感できるところがあれば、ゲームやアニメのキャラでも涙を流す」と語っています。

 山地の答えは、それほど異常なものでしょうか?加藤はゲームオタクの、気持ち悪い奴でしょうか?私は、どうしても許せない、恨みのある人間を殺したことに対する山地の答えは自然だと思いますし、ゲームやアニメに感情移入したことがある人間の答えとして、加藤の感情は何もおかしくはないと感じました。

 偉~い学者さんたちや、文章で収入を得ている方々は、どうも上記の事柄を、山地や加藤が異常だったことにする材料にしたいようなのですが、私には山地や加藤の発言が、何を異常とする根拠になっているのかわかりませんでした。

 もちろん、偉~い学者さんやジャーナリストさんには公人としての立場があり、メディアの前で発言する際には、多くの人の死を悼むという、人間の気持ちとして理想とされる発言をしなくてはなりません。私でもそうします。ですが、それを一人の私人を異常とする根拠として使うのはおかしいのではないでしょうか?

 加藤の発言は手記に記されていたことであるからともかく、山地の発言は、個人的に交流する弁護士に対してされたものです。山地はこの発言が、世間一般に広く公開されることを想像していたでしょうか?公人としての論理を私人に当て嵌めて人格を攻撃するなら、では学者やジャーナリストは、家にいるときでも一言一句、聖人君子的な発言ばかりをしているというのでしょうか?そんなに偉そうに言うなら、大震災で亡くなった人を悼んでいるという学者やジャーナリストは、震災被害者のために、どれだけのお金を寄付したというのか?口で言うだけなら、学者であろうが乞食であろうが、誰でもできることです。

 もしも、山地、あるいは加藤を「反省させる」ための試みとやらが、こんな的外れな質問を繰り返しぶつける程度のことだとしたら、それは矯正にも何にもならないでしょう。日光の猿軍団ではないのだから、ただ口で「反省しろ!」を言われるだけで、反省などできるはずがありません。

 では、人を「反省」させるためには、どうすればいいのでしょうか?それを次の項で考えてみます。

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 「反省絶対主義」が、本当に加害者を反省させるのか?

 

 日本という国は、犯罪者の矯正に世界でも類を見ないほど「反省」を重視する国です。裁判の結果にも「反省の態度」が重視され、裁判官の、「反省しているかどうか」という主観的な印象だけで、死刑が無期になったりします。それほど「反省」を重んじる反面、作業報奨金の異常な少なさなど、受刑者の社会復帰の支援などは疎かになっています。まるで「反省」さえしていれば何でも解決するという、「反省絶対主義」とでもいうべき姿勢です。

 私はこの、何においてもまず「反省」を優先する日本の犯罪者への矯正教育には違和感を覚えます。

 自分の罪を悔い改めることは、確かに大事なことです。でも、それは一番最初にすべきことではありません。

 「反省」というのは過去を振り返る思考であり、また、「自分がいかにダメか」を考える思考です。いわば後ろ向きの思考であり、これから何かにチャレンジしよう、前に踏み出そうというときには、逆効果にすらなる思考ともいえます。

 現在の私と同じ、無職あるいは非正規労働者の立場にある人は、「自己責任」という言葉を思い浮かべてみてください。「自分は努力をしなかったのだから、こうなるのは当然だ」「あの人は努力をしたから、高収入を得ているのも当然だ」・・・こういう考えが、「自分も努力をして、高い収入を得よう」というポジティブな考えに結びついているでしょうか?

 結びついている!という人もいるかもしれませんが、どちらかといえば、自己責任という考え方は、社会の下層にいる人に不遇な環境を受け入れさせ、かつ、搾取を行っている層に、不満や嫉妬を起こさせないようにする目的の方が強いはずです。社会の下層にいる人で、かつ自己責任論を唱えている人にとっては、「私は自己責任を自覚しているんだから、これ以上責めないで」と、ただ単に努力不足への非難を回避し、逆に努力をしないための論理になってしまっている方が多数派ではないでしょうか。

 犯罪を起こした人に、思考停止で「反省しろ!」というのは、それと同じことです。刑務所に入ってからならまだしも、裁判の過程でも「反省」を重要視し、判決内容にまで影響させるのは、明らかに行き過ぎているようにしか思えません。

 裁判で一番大事なことは、言うまでもなく、真実を語ることです。加害者が、良い判決を貰うためだけに、上っ面だけ「反省」したフリを見せ、それを信じて実際に刑を軽くしたりするのは、正しい裁判の結果といえるでしょうか。判決が出た途端に態度を変え、被害者遺族への謝罪をやめたり、被害者を侮辱するようなことを始めたとき、傷つくのは被害者や被害者遺族だということを、司法関係者はわかっているのでしょうか。

 確かに死刑囚や長期受刑者など、社会復帰が現実的に考えられない人たちには、現在の境遇を受け入れさせる意味でも、とりあえず反省させようとするのでもいいかもしれません。しかし、短期受刑者や、少年院で矯正を受けている少年たちにまで「反省!」をいうのは、むしろ前向きな更生を妨げている負の要素の方が大きいのではないでしょうか。

 私の経験から言っても、心からの「反省の気持ち」というのは、過酷な環境にいるときに起きるものではありません。逆に、「とても楽しい!充実している!」と思える環境にいるときに、「人に酷いことをした、酷いことを言った自分が、こんなに楽しい思いをしていいんだろうか・・・」と、フッと沸き起こるものです。

 裁判中、あるいは刑期のはじめのころで「人生終わったな」と絶望している人に反省を促してみても、そんな心の余裕はないというのが、正直なところだと思います。それよりは、出所が間近に迫って、気持ちが前向きになり、希望が開けてきたそのタイミングで、初めて「反省」を言ってみる方が、よっぽど効果があるのではないでしょうか。「反省」と「更生」を同一に考えるのではなく別個に扱い、まず「更生」を優先として、頃合いを見て「反省」を促してみるといいのではないか、ということです。

 犯罪加害者に反省を促すためには、厳罰化を進めたり、バカの一つ覚えのように「反省!」を言ったり、刑務所の環境を必要以上に過酷にするのではなく、刑務所の環境をむしろ緩やかにしたり、 作業報奨金の増額や、継続的な就職支援などで、出所後の社会復帰をスムーズにさせることの方が重要だと思います。刑務所の規律が日本より遥かに緩いにも関わらず、再犯率は日本よりも低いヨーロッパの刑務所を参考に、「許す」ということの効果を見直してみてもいいのではないでしょうか。

 遺族感情に配慮することも勿論大事ですが、それならばこそ、すぐに「反省!」と叫んで上っ面だけの反省、謝罪の言葉を引き出すのではなく、長い目でみて加害者が本当に反省できるような、システムや環境を整備することの方が大事ではないかと、私は考えます。

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非公開コメント

No title

山地の少年院での生活が一番楽しかったという発言は驚きますね。
他の囚人なら逆の発言をしそうなものですよね。
実社会での暮らしよりも性に合っていたのかもしれませんね。
刑務所生活を前期と後期に分けて更生期と反省期にしてみると良さそうですね。
刑務所は労働を重視する場所ではなく心の教育を教える場所であって欲しいですね。
厳しい環境の中で罰を与えるというだけでは囚人の気持ち的には更生には繋がらないのではないかと思いますね。
どうも反省という言葉は当事者にとっては責められている発言として受け取ってしまいかねないですよね。

No title

seaskyさん

 山地の生涯のポイントを幾つか見てみると、「ああ、もうパニックになって何も考えられなかったんだろうな」というところが沢山あるんですよね。小説にもちょっと書きましたけど、自己管理ができないだけで、管理してあげれば真面目に働くのに、誰もそれを知ろうとしなかった、知っていても助けられなかったのかな、という気がします。
 

>>反省という言葉は当事者にとっては責められている発言として受け取ってしまいかねない

 まさにこれで、犯罪を起こすほど追いつめられている人の多くには、「本当の被害者はどっちだ!?」という意識があるんですよね。そういう被害妄想、逆恨みが悪いとかじゃなく、現実としてあるんだから、それを踏まえたうえで真の更生を考えていけばいいと思うわけです。

 

確かに、自分と直接関わりをもたない事件の被害者に対し傷心を抱かないからといって、共感性が「足りない」とまで言われてしまうのはちょっと……。

私の場合、とりわけ残忍な事件に関しては、事件の概要を知った時に怒りや悲しみが込み上げてくる事もありますし、概ねどの事件に対しても「可哀想」ぐらいは思います。しかしその一方、こうしている間にも世界のどこかでは誰かしら虐殺されている、という動かし難い現実がある事も鑑み、「そんなもんだろ」とも思います。


それに、怒りや悲しみも、真に心の状態がそうであるというよりは、唯名論的な「怒り」「悲しみ」といった言語が関わる認識のパターンであると捕らえられなくもないです。皆もそうではないでしょうか?


偉~い先生曰わく、人間には、生得的に他人に共感する細胞が備わっているそうですね。

だとすれば、人は皆、釈迦にもヒトラーにも同時に共感せねばならなくなってしまいますよね?

それは話が飛躍し過ぎだ、と考える人がいるとするならば、まさに私が言いたいのはそこです。つまり誰しもがもっている共感性とやらは、その他多くの事柄(道徳律とか)の影響を受けているという事です。だから、それを単なる共感性という一言に集約しようとする論説は、雑です。


反省について。


個人が心から反省しているかどうか、結局それはその個人のみぞ知るところであり、反省したふりをする犯罪者もよくいます。

反省が矯正に繋がるというロジックは解ります。ただ、そればかり追求しすぎると、事件の本質的部分が軽く扱われてしまうような気がしなくもないです。

だいたい他人を反省させるなんて、難しすぎますよ。

サイコが、自分が反省せねばならぬ理由を問うてきたとしましょう(なぜ人殺しちゃダメなの状態です)それに対し、しっかりとした論理を突きつけたとしましょう(それだけでも割と凄いです)でも、きっとサイコは反省しないでしょうね。じゃあ愛でも与えてみましょう。でも反省はしないでしょうね。仕方なく、事件を起こさない方がサイコに利益があると説明してみましょう。でも反省はしないでしょうね。


No title

L,wさん

 たぶん学者先生が偽善者とかではなく、確実に書店に並ぶことがわかっている本を書いているときや、裁判の席やテレビカメラの前で喋っているときのテンションで犯罪者の内面を語ろうとするからおかしなことになってるんだと思いますね。世の中で起こる事件や事故の被害者全部に共感しないと人間としておかしいなら、2ちゃんねらーなんて全員サイコパスですよ。

 山地が共感性が薄いかどうかと言われたら、確かに薄いと思われるところはあったとは思いますが。少なくともこの場面では、「被害者が悲しいだろうことはわかる」と言ってるんだから、十分ではないかと思いますね。


 山地の回ではちょっとタイミングを逃してしまったので、畠山鈴香あたりの回ができたら語ろうと思いますが、日本社会の決まりは「情」ありきで決められすぎているんじゃないかということを思いました。

 親が子供を思うのは当たり前という前提で、社会の制度が決められている。子供を上手く愛せない親のことをまったく想定していないから、虐待が起きたとき子供をどう助けていいかもわからない。ただ親だけを責めて終わりになる。親もパンクしますよ、それでは。
 
 犯罪者の反省云々もそれと同じだと思います。もともと人間なんて原始時代は殺し合い上等、近親相姦上等の生き物だったのに、いつの間にか情があることが当たり前だと思って物事を考えてしまっている。そこに傲慢さがあるんじゃないかと思います。

MONKEY DANCE

恨み対象である本人に復讐した犯人は反省しない方が普通
恨み対象の子供や孫
または無関係の他人を攻撃した者については
生い立ちなど同情する部分はあっても犯罪については擁護しない
恨み対象である本人だけ復讐した場合は刑罰は受けるべきだが
嘘にしか聞こえない反省の言葉はない方がマシと思う

関係ないが某週刊誌で
最近のいじめ自殺事件で暴力的ないじめっ子と思われていた子が
自殺発覚の日に泣いていじめを否定したらしいが
これを信じる純粋な同級生もいたようだが
大半の生徒達は内心「白々しい」「サル芝居w」と思っていたに違いない

反省は意味が無いと思う
反省を減刑理由にするなら嘘発見器が必要
反省しても再犯もいる
長期間刑務所にいたい人は反省の素振りを見せないと思う

人の成功は
環境×運×労力(努力)と思う
努力(形にならない言葉なので嫌いですが)が0なら成功は無いと思う
若い頃の私は不可能な成功に労力を使い環境がダメで挫折して気力を失った
仮に高校生からやり直せるならパチンコ貯金でC欄大学に入って可能性を上げる

刑務所の賃金を上げれば刑務所に入る為に犯罪者になる人が増えそう
資格を取る為に刑務所に入りたいと考えた事もある
資格取得費用が刑務所では無料なのは羨ましい
死刑囚でも賃金が貰える軽作業を内職でやりたい

出所後は生活できる迄生活保護希望
刑務所に戻る為に犯罪しなくてもいいように

No title

 MSKSさん

 恨みがある人間に復讐した場合は、反省した時点で自分のすべてを否定することになっちゃうので、余計頑なになる方が普通ですよね。

 
 週刊誌のネタを鵜呑みにしていいものかはまた疑問ではありますけどね・・・。全容が解明されていない段階から子供を責めに行くのは危険だと思います。


Nさん


>反省は意味が無いと思う

  贖罪意識は尊いことだと思いますが、無理やり反省をさせるために無駄に働きかけるのは逆効果ということですね。

>環境×運×労力(努力)と思う

 ゴールが人それぞれなのでなんともいえないですが、安定した職について結婚する程度の幸せを掴むのに死にもの狂いにならないといけない世の中は良くないです。

>刑務所の賃金を上げれば刑務所に入る為に犯罪者になる人が増えそう

 ・・・という意見がでたとき、福祉や雇用を充実させるのではなく、「刑務所を厳しくして行きたくないようにしよう!」という方向に行くのが、日本人のダメなとこです。格差論の話になってきますが、シャバを極楽にするのではなく、地獄をもっと地獄にするやり方だと、シャバもジワジワ地獄になっていきます。「アイツよりはマシ」理論が働くと人間なかなか気づきません。

>出所後は生活できる迄生活保護希望
刑務所に戻る為に犯罪しなくてもいいように

 セーフティネットをしっかり機能させて、刑務所に入る前になんとか救済できるようにすることが大事です。

書き方が悪くてすみません
自分が言いたいのは
事件が起きてすぐの漠然と疑いを持たれている段階で
泣いたりしたら余計怪しく見えてしまう
ということ
責めるも何も名前すらわからない
ネットで晒されてる名前が何人もいるが
どの名前が泣いた子なのかは判明せず
前も別のいじめ事件で無関係の名前も晒されていたので
鵜呑みにはしていない
泣いたり心にもない言葉と思われることを言うくらいなら
黙秘権を行使した方がいいと思った
自分も余計なことを言う人間なので
近所で事件が起きたりしたら
自分が疑われた時思った通りに出来る自信はないが…

No title

MSKSさん

 こちらこそすいません、「子供を責めるのは~」は、週刊誌などメディアに対して言ったつもりでした。

>事件が起きてすぐの漠然と疑いを持たれている段階で
泣いたりしたら余計怪しく見えてしまう

 これはその通りでしょうね。状況が詳しくはわかりませんが、子供の稚拙な頭で、墓穴を掘ったのかもしれません。

確かに山地や、加藤の発言はその通りだといますね。はっきり言って自分に関係ない事はどうでもいいですね。
反省した振りして死刑が無期になってとこがいいんですかね。30〜40年も刑務所で強制労働の無期なら一瞬で終わる死刑の方が私なら断然いいですけどね。
ほとんどの犯罪者は無期がいいみたいですけどね。
まぁ〜私もその立場になっらどうなるか分かりませんが…
私も山地みたいに自分のやった事に対して後悔はしますが反省はしませんね。
確かに努力して高収入を得ている人は当然だと思うが自分も同じように努力しようとは思いませんね。
山地は上告取り消しさっさと死刑になったのに対して加藤は最高裁まで争ってやはり死にたく無いのですかね。やってることが中途半端なか気がします。
刑罰を懲罰化する事に対しては反対ですね。無期とかでも仮釈放の可能性があるから教官の指示に従うのであって永久に出所出来ないあるいは老人になる迄出れないとなれば誰も教官の言う事聞かなくなり刑務所が大変な事になると思います。
今の時点でよく刑務所で暴動が起きないか不思議ですね。

No title

まっちゃんさん

 久々に読み返してみると、整理しきれていない記事でした。すみません💦

 死刑か無期かでいったら私も死刑ですが、どっちにしても、判決内容に反省してるかどうかを反映させるのがいい結果を生むとは思えませんね。

 死刑になることが確実だとわかったら、後は時間稼ぎしかないですからね・・・。加藤のやってることはまあ一応普通です。あとは吊るされる前に、どれだけ獄中で本を書けるかですね。
 
 厳罰化は遺族感情を和らげる以外の効果はまったくないです。世論がそうなっているのは、煽動されているだけなんですよね。アメリカの刑務所なんかはまさに終身刑の受刑者は腫れ物に触るような扱いで、結構やりたい放題にやってるみたいです。

 山地の記事書こうと思ったのですがすみません、今手元に資料がない状況でして、週末までお待ちください。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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