私小説の続き6 孤独と孤立の違いと動物愛

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 私小説の続きを進めていきます。

 現在、小説「外道記」を、九月完結目標に週二回のペースで更新しています。完結後は残りの小説二作と、犯罪者名鑑を中心に更新していこうと考えていますが、この私小説の続き、またその先の私小説第二段も、一応候補として検討しています。また、四月に一度消してしまいましたが、「私小説 施設警備員以前」を、もう一度再構成して書いてみるのもいいかなと思っています。

 なんにしても、読者様に好評をいただいているものを優先的に更新していこうと考えております。判断の基準は、何度も言いますがコメントです。コメントの数で、どのコーナーを優先的に更新すべきかを判断していきます。よろしくお願いします。

 

 外壁清掃の会社を後にする前だったか後だったか、施設警備員時代の塩村からのメールが届きました。私のことを遊びに誘ってくれたのですが、私はその誘いを断ってしまいました。

 なぜ、良くしてくれた塩村からの誘いを断ってしまったか、理由は三つありました。

 まず一つは、あの悍ましい折茂が背後にいるのではないかと疑ったということ。彼との出来事を小説にまとめ、折茂と心の中での決別を果たした現在と違い、当時の私は、折茂のトラウマを克服できていませんでした。

 二つ目は、当時無職で、金欠の状態にあった、惨めな私を見られたくなかった、ということでした。塩村に会うのが恥ずかしかったのです。


 当時の私を思い返すにつけ、「開き直り」という気持ちが欠けていたと本当に思います。

 自分が現在、困窮しているのは、自己責任以上に時代のせいである。また、百歩譲って自己責任だとしても、自分が社会でうまくいかないのは、努力が足りないのでもなく我慢が足りないのでもなく、生まれ持った気質のせいであり、それはけして変えられないものだから、引け目に思う必要はない。自分を惨めに感じる必要なんてない。

 このくらい割り切っていたら、塩村の誘いを受けるかどうかはともかく、自分自身を惨めに思うことはなく、余計な劣等感に苛まれ、鬱々とした毎日を送ることはなかったはずです。「自己責任」の毒が、当時の私の脳には濃厚に回っていました。

 またもう一つ、なぜかこの時期、十代のころの私を悩ませていた、「寂しい」、という感情が薄れていたこともあげられます。この時期の私は社会と繋がっておらず、家族以外との会話が絶無の状態で、普通なら索漠とした感情はより強くなりそうな気もしますが、なぜかこのときの私は、孤独をあまり苦にしていなかったのです。

 人それぞれでしょうが、どうも私の場合、「孤独」はそれほど致命的な苦にはならないようです。私が辛いのは、孤独ではなく孤立。「大勢の他人に囲まれているのに、友達がいない。誰も相手にしてくれない」という状況であり、社会との交わりを断ち、他人との関わりが全てなくなった状態は、ある意味、気楽とも思えるようです。かといって積極的に孤独になろうとも思いませんが、極端な話、死刑囚になったら達観した気持ちになれるタイプかもしれません。だから何が何でも、人に会いたい、友達が欲しいというわけではありませんでした。

 しかし、もしかしたら、それより何より大きいのは、私が「自分という存在を好きになれない」ことだったかもしれません。「私小説以前」でも触れたことですが、私自身が自分を嫌っているから、自分を良いと思ってくれる人がいても、うまく対応できないということです。私が、「他人が自分に好意を抱くこともあり得る」と信じられるようになったのは、このサイトを始めて人に褒められるという経験をし、多少なりとも「自分が嫌い」という感情が和らぎ、そして現在の婚約者と出会った、つい最近のことです。

 ただ、その婚約者の想いも、幼いころある動物との交流がなければ、信じられるようにはならなかったかもしれません。その動物とは犬です。女に愛される以前に、私は犬に愛されるという経験をしていました。犬という動物との交流を通じて、私は他者が自分に抱く好意というものを認識できるようになったのです。幼い頃から犬と一緒に育ったことが、私の情緒形成には大きく役立ちました。

 凶悪犯罪者の生い立ちを辿ってみると、どこかで犬や猫を虐待していたというエピソードが出てくることが非常に多いことは有名です。また、米国の少年院で、犬の訓練を通じて命の尊さを学ぶ「プロジェクト・プーチ」というプログラムが導入されており、そのプログラムの受講者400名は、ただの一人として再犯をしなかったというデータがあります。犬や猫に情を抱けるかどうかは、やはり塀の向こうに入る人間とそうでない人間を分けるひとつのポイントかもしれません。

 とはいえ、友達が沢山いるようなリア充なのに、犬を簡単に捨てるようなヤツもいますし、私のように、震災で飼い主と離ればなれになった犬のための募金は惜しまなくても、震災で家を失った人の募金にはビタ一文も協力しない人間もいますから、一筋縄ではいきません。私の場合は、人間や社会への憎しみから、動物との結びつきをより求めているのかもしれません。

 施設警備員時代の中で、私は十四年間一緒に生きてきた犬と永遠の別れをしたことを書きましたが、この頃、ようやく立て替えが済んだ我が家に、新しい犬がやってきました。弟が余所からもらってきた雄のポメラニアンですが、彼との出会いが、ニート状態だった私の生活に張り合いを齎してくれました。

 犬という生き物は、人を偏った目で見ることがありません。いい大人が働いていないとか、金を持っていないプータローとかいったことを一切気にせず、ただ、自分に世話を焼いてくれた人に恩を返そうとする生き物です。彼らはどんな人間にも平等に、「生きていていいんだ」と言ってくれます。毎日犬のさんぽに行き、一緒に遊ぶなかで、私も自分を惨めに思うこともなくなっていきました。

 気力を取り戻した私は、外壁清掃会社を辞めてから二か月後、施設警備員退職後、三つ目のアルバイトをする決断をしました。
 
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No title

犬は本当に素晴らしい動物だと思います。
人間のように色眼鏡で見ることもないですし絶対に裏切らないという忠誠心がありますよね。
引きこもりや精神を病んでいる人には人間不信になってしまっている人もいるでしょうからそのような人にとっても犬や猫の存在は大きいと思います。
アニマルセラピーの効果は相当あるでしょうね。
日本でも更生プログラムにぜひ取り入れて欲しいですね。

私が読んだ小説に次の様なセリフがありました。

「人が死んでもその人の嫌なことは思い出すが、犬が死んだら良いことしか思い出せない」と。

私はこの台詞は真意だと思います。実際我が家でも15〜16年程飼ってた犬が居たのですが、その犬が死んだ時も嫌な事を思い出すことはなかったです。ただ、ああしてれば良かった、こうしてあげれば良かった、という後悔の念はありましたが。

あと、最近作品にコメント出来ずすみません。他の方が余りにも的確なコメントをしてるので、私の稚拙なコメントを投稿するのが恥ずかしかったのです。これからは投稿する様にします。

No title

seaskyさん

 プロジェクト・プーチは少年院の院長先生が私費を投げ打って開設されました。普通の人にはできないことですよね。

 日本はブリーダーの規制が甘くて乱繁殖が横行しており、海外に比べて犬猫の殺処分数が異常に多いのですが、動物を殺す費用があるんだったら、こういう有意義なプログラムに使えって話ですよね。まあ似たような取組はすでにあるんですけど、もっと強化して大々的に行えばいいと思います。

 金満家さん

 コメントの質とかは全然気になりませんよ💦むしろ金満家さんは毎回非常に良いコメントをしてくださると思っています。

 仮に二、三行くらいのコメントでも数が集まればそれなりの意見になりますし、その意味で、もっと沢山の方にコメントしてもらいたいのですが、同じような感情でコメントできない方がいるんですかね・・・。

 その小説のセリフは確かに真意です。私も亡くなった犬との間にわるい思い出はまったくなく、もっとさんぽに行ってあげればよかったと後悔はありますね。みんな同じなんですね。

 

ありがとうございます!

実は私も15年くらい前ですが、テキストサイト全盛の時に暗いポエム系のテキストを書いていたのですが、10年ほど前にサイトを閉鎖してからは一切文章を書かなくなりましたが、文章力は継続的に書かないと確実に衰えます。想像力が無くなるんですね。私みたいにならない様にまだ若い津島さんには継続して小説を書いて頂きたいです。

No title

金満家さん

 今は00年代初頭に比べてネット上で情報を発信する人が増えすぎて、一人に注目が集まりにくい状況にはなってますよね。生まれた時代が遅すぎたのかも、とは少し思います。

 一応自分の中での区切りというか、来年の今頃くらいまでは続ける気ではいます。それくらいまでは貯金でつなげると思うので。そこから先はわからないですね。文章が収入に結びついてなくても、何かしら希望が見えていれば続けると思いますが、今の状況からまったく前進していないようだったら、どうなるかわからないです。想定もできないですね・・・。

私も学生時代、津島さんがこの記事で仰られているような考えを抱いた事があります。


かのゲーテが「見知らぬ人の中を掻き分けていく時ほど孤独を感じる時はない」みたいな事を言っていましたが、私の場合はその逆でした。


見知った人で満たされた空間においてこそ孤独感を感じました。同年代の殆どの人と、これほどまでに分かり合えぬのかと感じ、暗澹としました。




犬は可愛いですよね。
飼った事はありませんが、預かった事はあります

衛生的な問題はさて置き、キスしたくなるのも解りますよ。

No title

L.Wさん

 同意して頂けたようで安心しました。中途半端に集団の中にいることで、寂しいという気持ちが起きる。考えてみれば皮肉な話ですよね。

 「ゴルゴ 犬」でググると、子供が生まれたときには犬を飼えみたいな詩が出てきます。親が説教なんかするより、百万倍立派な人間を作ることに効果があると思いますね。

 

孤独は辛いけど孤立は好き

特に未成年の頃は同年代の流行や遊びが苦手で友達は年上多数、年下少数

うぇーいやキャッキャウフフと一緒にいる位なら1人が楽で仕事や学校等の寄せ集めの中で友達がほしいとは思わなかった

高校時代から現代に至るまでしがらみのある人と一緒の食事が困難なのは少数派でしょうが
高校時代から周りに何を言われようが1人昼食
文化祭等で盛り上がってるのをウザイと思いつつ邪魔しないが仲間にも入らない中立

友人知人の経済状態は様々
上は年収ミリオン下はナマポやナマポ以下の単身派遣
どちらと過ごす時でも予算を決めて遊べば問題無い
家以外で会って安上がりなのは一品頼んでドリンクバーや平日昼フリータイムカラオケ
逆に金持ちに寿司屋に行きたいと言われれば3000円しか出せないと伝えたり
友人と遊ぶ時にお互いに無理しないだけ
収入や職種の区別はしません
自分のことが嫌いでもある人によっては好感を持つこともありますし、自分に自信がある人も人から嫌われることがある

自分にとって普通の生活をかわいそうや辛そうと言われるのが苦手(一人っ子、毎日服薬14種類)
しがらみの無い人なら喧嘩腰で言い返せるけど

男性は女性より立場が大切なのはわかります

自分に求愛するホモはノンケにとっては恐怖

犬は親戚の所に老犬がいて可愛い
犬嫌いな人以外に懐く(犬が嫌いで犬から逃げて飼い主に懐く)
前の犬が老衰で死んだ時には他の方と同じように思った
精神的ショックから食欲不振、500円ハゲになって両親が亡くなる以上に辛かった

犬にしてあげると言う気持ちはありません
なでさせてもらってる散歩させてもらってると言う感じ
1人散歩より犬との散歩の方が好き
昨夜も中型犬のいる飲食店に行って食事中撫でて幸せだった

動物虐待する人の気持ちがわからない
虐待する位なら飼わなければいいし、虐待以外にもストレス発散できると思う

No title


 人に何を言われても気にしない、孤立しても苦にならない人は強いと思います。憎まれっ子世に憚るというのか、ある意味一番、重大犯罪からは遠い人のような気もします。

 犬好きの人がいることを知ると嬉しい気持ちになります。ドッグランで飼い主同士の交流が盛んなのもわかります。ただ、いい加減な飼い方している人はいただけないですが。この前おきた、3匹のポメラニアンが余所の大型犬に襲われた事件とか、大型犬の躾がなってないこともそうですが、無理な多頭引きしてた方にも問題があると思いますね。どんなケースであろうが犬は悪くない。

こんにちはー

小説にも書いてありましたが、塩村さんとは出会う場所が違ければ、良い関係になれたんでしょうね…
つい折茂と比べてしまうから、なおさら強くそう思ってしまいます。
って言うか、折茂が居なければ良かったんだ(笑)!
でも居たから、この小説の面白さが増した……複雑な心境です(>_<)
愛犬とお別れした津島さんに、彼がトンチンカンな事を言ったのを思い出しました。
強烈な人格者でしたよね。こんな人が居るのかと、今でも信じられない思いです。
現在の彼が気になる…遠ーーーーーくから観察してみたいです(笑)

3つ目のバイト、なんだろう??
楽しみにしています!!

No title

ひなさん

 私小説の直しに、「折茂は僕との関係を、昔のアメリカの白人と黒人のように考えているのだろう」という文章を加筆しましたが、まさに同じ人間だと思ってないからああいう態度が取れるんですよね。なんであそこまで人のことを見下せるのか、本当に不思議に思います。愛犬の部分まで読んでいただけたなら安心しました。あの後は全体の纏めだけで、特に驚くような展開はなかったので。折茂がいなければ、塩村とはいい友人だったでしょうね・・。

 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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