犯罪者名鑑 麻原彰晃 16

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 グルのクローン ”マンジュシュリー・ミトラ”村井秀夫

 今回はオウム事件当時にニュースを理解できる年齢であった方ならば、一度は名前を聞いたことがあるであろう有名幹部を紹介します。

 村井秀夫。入信から一度の蹉跌も味わうことなく出世を遂げ、最高幹部の証である正大師、最末期にはあの石井久子をも追い抜いて、事実上の№2にまで上り詰めた、幹部中の幹部です。報道番組にもよく出演し、その美声を生かしてオウムソングを歌ったりもしていましたから、オウム事件はよく知らなくても村井のことは知っているという方もいるでしょう。

 大阪大学大学院を卒業し、神戸製鋼に入社したエリート組の一人である村井は、教団では科学技術省の長官を務め、テロにも使われた化学兵器の製造の指揮を執っていました。最終的には、彼の部下にあたる土屋正実が作り上げたサリンが日本に未曾有の衝撃をもたらしたわけですが、当初において、科学技術省の前身である科学班は大きな成果をあげられず、表の№2である村井に対し、裏の№2といわれた早川紀代秀の建設班などに比べれば遅れを取り、麻原からも強い叱責を浴びていました。しかし、村井は早川よりも早く出世の階段を上り、早川が正悟師に上り詰めたのと同時期に、一段上の正大師に登っています。

 村井が早川とは違ったのは、麻原の忠実な「イエスマン」であろうとしたことです。会議の席で麻原に直接反対意見を述べることもあった早川と違い、村井は麻原の意見に絶対服従で、どれほど実現困難だと思える命令にも忠実に従いました。麻原自身が「これは難しいだろうな」というほどのアイデアでも「いえ、やります」と答えるなど、その姿勢は麻原に挑戦するかのようでもあったようです。

 しかし、実際には、彼が麻原の命で発明したのは、ドラム缶にパイプとつなげた洗面器をくっつけて呼吸器とし、自分でペダルを漕いで操縦する「潜水艦」(それを幹部の端本悟に運転させて失敗、沈没して地元のダイバーに救助される)などの珍妙なものばかりでした。真面目すぎるタイプだったのでしょう。

 いくら忠誠心があるといっても、ある程度能力も伴わなくては、出世の階段を登ることはできません。発明では、最後の最後、サリンを作り上げるまでは成果をあげられなかった村井でしたが、その代わりに大きな貢献をしていました。監視屋、密告屋としての仕事です。

 村井は、教祖として自己を神格化し、下々の信徒の前にあまり顔を出さなくなった麻原に代わり、信徒の行動、発言に目を光らせ、信仰心が疑われる信徒を見つけ次第、麻原にチクっていたそうです。行いがよくない信徒がいれば、大師の地位にある自分が直接注意をすればいいものを、わざわざ麻原の耳にまで入れていたのは、自分が評価され、ステージを上がるためでしょう。野心的な一面が垣間見えますが、もしかしたら「チクり」を純粋に「修行」と信じていたのかもしれません。

 オウムがマスコミに注目されるようになると、村井はテレビにも頻繁に登場するようになります。端正なマスクと美声に惹かれて入信した女性信者もいたことでしょう。同じスポークスマンとしては上祐史浩がいますが、時に激すこともあった上祐と違い、村井の場合はキャスターの挑発を浴びても冷静で、終始穏やかな口調を保つところは、宗教者として強い自覚があったのでしょう。

 オウムが引き起こした数々の事件に深く関わり、最末期には石井久子に代わって№2の座に君臨していた村井ですが、彼は麻原が逮捕される直前、暴漢によって命を奪われます。村井秀夫刺殺事件で検索すれば、今でも刺殺の瞬間の映像を見ることができます。犯人は在日系の暴力団員でしたが、その動機については、麻原の指令、幹部の裏切り、暴力団による謀殺など諸説あり、いまだにはっきりとしたことはわかっていません。オウム事件には暴力団の陰がちらついており、暴力団にタカられて資金難に陥っていたことが麻原の妄想、現実逃避を肥大させ、事件に繋がったという説もあるのですが、真相を解き明かすカギは、村井刺殺事件の犯人が握っている可能性は大きいでしょう。

 村井はオウム出家の理由について両親から尋ねられた際、「カモメのジョナサンを読んでください。あの本に私のすべてが書いてあります」と答えたそうです。カモメのジョナサンとは、食べることばかり考えている他のカモメと違い、「空を飛ぶ」ことに生まれた意味を見出そうとするジョナサンが、皆から変わり者と見做されて迫害されてしまうお話です。オウムに若者が集まった理由について、とにかく食うことを考えて生きてきた親世代と、高度成長期を終え、物質的な豊かさが満たされた世の中で、「生まれてきた意味」を探そうとする若者世代の考えの相違ということがあげられますが、それを証明する発言といえるかもしれません。普通の若者は、「反抗期」によって親とぶつかり合うことで溝を乗り越えていくものですが、機械とばかり戯れ、大人しく手のかからない子供だったという村井は、「出家」という方法でしか、親世代の考え方に反抗することができなかったのでしょうか。

 麻原からは、「饅頭」と、ホーリーネームをさらに仇名にして呼ばれるなど、村井は、麻原とは師と弟子を超えた特別な絆で結ばれていました。麻原が逮捕され、裁判で醜態を晒すのを見ることなく、最期まで麻原を信じて死んでいった村井。彼はすべてのカルマから解き放たれた理想郷「マハー・ニルヴァーナ」へと旅立つことはできたのでしょうか。


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 尊大なミニ麻原”マイトレーヤ”上祐史浩

 村井秀夫とならび、オウムで麻原に次ぐ有名人なのがこの人でしょう。

 早稲田大学大学院在籍中にオウムに入信した上祐は、修行をしながら大学院を修了し、宇宙開発事業団に入りましたが、その後すぐに出家。以後はトントン拍子に出世し、村井秀夫より二年も早い1992年に正大師に上り詰めました。

 坂本弁護士事件など、オウムの主要な事件に関与していない上祐がこれほど早い速度で出世の階段を上ったのは、”ああいえば上祐”で知られる、弁舌の才によるものでした。上祐はディベ-トの達人で、語彙も豊富で構築もうまく、時に麻原を言い負かすこともあったといいます。

 麻原に反対意見を述べることがあったのは早川紀代秀も同様ですが、最後の最後でやっと正悟師にのぼった早川と違い、上祐がオウム中期の段階で早くも正大師の座を射止めたのは、ただ反対するにしても、意見の説得力が全然違ったのでしょう。その弁舌の才はマスコミに対しても発揮され、時に煙に巻き、時に捻じ伏せるなど世間を散々に翻弄しましたが、一方であまりにも相手を言い負かそうとするあまり、和解の交渉などでは逆に決裂させてしまうこともあり、一説にはそれが坂本弁護士一家殺害事件に繋がったとの見方もあります。

 しかし、いくら有能な人物だったとしても、反対意見で麻原を言い負かすような上祐のことは、麻原も内心小面憎いと感じていたようで、教団が総選挙で惨敗し、武装化の道を歩むようになった矢先、上祐はロシア支部へと飛ばされてしまいました。ただ、麻原も感情的な理由で、正大師にまでした人間を遠くに追いやるような器の小さい男ではありません。上祐は英語が得意で、ニューヨーク支部の支部長を務めていたこともありますが、ロシア支部長就任は単なる左遷ではなく、上祐を海外進出の尖兵として利用しようという前向きな方針でもあったでしょう。上祐自身は、極寒のロシアに飛ばされて気落ちしているかと思えば、足を組んで座りながら部下を顎で使うなど、「ミニ麻原」ともいえる尊大な態度で振る舞っていたようで、案外、好き勝手にできる環境を楽しんでいたのかもしれません。

 地下鉄サリン事件ののちに日本に呼び戻され、またテレビの前で得意の弁舌を振るうようになった上祐は、重大犯罪が立て続けに起こった最末期に海外にいたことが幸いしてか、男性幹部の中では異常なほど軽い刑に服しただけで出所しました。これは私の憶測ですが、彼は多くの事件を「目こぼし」してもらう代わりに、出所後に教団をコントロールする役割を、当局に与えられていたのではないでしょうか。上祐出所後、教団は麻原崇拝を続ける「アーレフ」と、上祐自身が代表者を務め、麻原からは脱却し修行だけを続ける「光の輪」の二つに分派し、弱体化が進み、現在まで世間を揺るがすような事件は起こっていません。社会に向かうエネルギーを内部抗争に注がせるよう仕向け、分断工作を図るのは、戦国時代に大名や庶民を散々悩ませた本願寺に対し、かの徳川家康が打った策でもあります。真相は本人のみが知るところで、おそらくそれが語られることはないでしょうが・・・。 
 
 教団のスポークスマンとして頻繁にテレビに出演していた上祐には、「上祐ギャル」などというおっかけが存在しました。私はあまりピンと来ないのですが、彼のルックスは当時の女性に受けていたようです。上祐の恋人、都沢和子も上祐とともに出家し、上祐は都沢と別れ、都沢は麻原の愛人の一人になったそうですが、「寿町男子」「代ゼミ中退」の麻原が、早稲田卒のモテ男の女を奪たい取った快感はいかなるものだったでしょうか・・・。
 
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No title

村井氏と上祐氏は2人ともエリートで知性を感じられる人でしたね。
オウム事件の報道でよく思うのが幹部達がもしオウムに入信していなかったらということを考えてしまいます。
村井氏は大学の教授になり研究者になっていたかもしれませんし上祐氏は海外でも活躍する敏腕弁護士になっていたかもしれません。
麻原は幹部の条件に容姿と知性が高い人物を選んでいたと思います。
当時のオウムには能力の高い人達が相当数いたのではないかと思うとかなりの宗教団体ですよね。

ジョナサンは奇しくも昨年完成版が発行されてたん!70年代に書かれたと思えないほどフレキシブルな物語も面白そうだから実写版かどちらか挑戦してみたいね。
上祐氏といえば当時転入してきたクラスメイトのあだ名の一つが上祐だったな…w言われてみれば似てる程度だったけど確かに今頃は女受けしそうなルックスに成長してるかも

No title

seaskyさん

 彼らは実社会でも通用はしたでしょうが、大きな功績をあげたかはわからないですね・・。やはり環境が特殊だからこそ上に行けたという部分はあったでしょう。

 村井秀夫は求道者的な気質が強く、本文にも書いたように真面目過ぎるところがありますから、社会ではいわゆるお利口バカみたいな評価を受けてしまうかもしれませんね。民間企業では出世できないタイプでしょう。やはり研究者の道が合っていそうです。

 詰め込み教育世代のエリートは総じてプライドが高く、うまくいっているときは凄い能力を発揮するが、挫折に弱く一度の失敗で転びやすいなどと評価されています。上祐などはその典型のように思えますがどうなんでしょうね。「上祐は、自分には社会に戻っても居場所がない。オウムに入ったことで、私はオウムしかなくなった」ということを、信者の一人に呟いていました。

 オウムの中ではみんなの憧れの正大師でも、一歩社会に出たら、大学を卒業して何年もたった、スキルもないただの三十路男に戻らなくてはならないという不安。彼の雄弁の裏には、自分が唯一プライドを保てる世界を守ろうと、必死に気を吐いていた悲壮感のようなものもあったかもしれませんね。

No title

OKBさん

ジョナサンが発表された当時のアメリカは、前回書いたチャールズ・マンソンが活動していたヒッピー最盛期のころですね。物質的な豊かさが満たされた社会で、衣食住の環境を満たすことだけを考えて生きる親世代と、そこから一歩進んで、生きる意味を見出そうとする若者とが対立するのは世界共通なのかもしれませんん。最近はまた「遮二無二働け」に戻った感じありますけどね・・。

 私の場合、重罪を犯しても相応の罰を受けた人には筆が甘くあり、相応の罰を受けず社会でのうのうと生きている者には筆が厳しくなりますが、それを抜いても上祐のルックスが女受けするとは思えないんだけどなあ・・・。イケメンなのはむしろ村井秀夫のほうかと思うが・・。私の周りで、小学校のときオウムのせいで二次的な被害を受けたのは「しょうこちゃん」でした。もちろん見た目はあんなんじゃないよ💦

私の通っていた小学校でも当時、しょうこちゃんはイジられていました。



犯罪者名鑑は素晴らしいと思います。様々な物事の概要を調べる際、ネットか書籍かに委ねるのが普通だと思われますが、前者の情報は信憑性に欠けたり偏っていたりしますし、後者は時間が掛かります。その点、ネットでも書籍でも情報を得、犯罪に通暁してらっしゃる津島さんのような方が書かれた、要点をまとめた文章は、素晴らしいと思います。

No title

LWさん

 最近になって思うのは、勉強は資料の良し悪しと同じくらいに、読む側の頭が大事ということですね。知能の良し悪しではなく、経験ということです。

 よく知識の吸収は頭が柔らかい十代が一番いいと言われますが、学校で習う社会科以外の四教科はそうかもしれませんが、犯罪の研究のような「人間」を考察する分野は、ある程度社会経験を積んで、人の世に揉まれてからでないと覚えることはできないです。私が初めて本格的にオウムの書籍を読んだのは二十歳ごろのことですが、当時できなかった発見が次々とあって驚きます。最初は勉強不足を嘆きましたが、最近は、宅間守の言葉を借りていえば「勉強に適した頭になった」と思ってますね・・。

 人間が物を覚えるには、インプットと同じくらいにアウトプットも大事ですが、犯罪者名鑑を書くことによりさらに知識を深めていければいいですね・・・。

こんにちは。
私は村井秀夫刺殺事件について調べています。
村井刺殺犯の男は、かつて右翼を自称していましたが、過去に朝鮮総連、主体主体研究会の支部長を務めていた事実についてはご存知でしょうか。

この犯人は、当時各媒体から在日韓国人2世と報じられていますが、出所後のブログでは、3世を自称しています。

また当時の裁判記録と現在のインタビューを検証した所、一致しない点が多く、証言に信憑性が無いことがわかっています。

例えば、犯行の動機が逮捕直後と法廷の供述と出所後のインタビューが二転三転していること

村井殺害の背景に暴力団が関与している説がある、と回答していた上祐が、犯人と面会後、Twitterで背後関係を否定したこと

犯人の経済的な事情諸々
(犯人は過去に催事企画会社を経営していたが、倒産して2300万円の負債を抱えていたこと、提携していた会社に300万の未払いがあり、そのまま行方をくらましたこと、インタビューで借金はあったものの返済は逼迫していなかったと主張したこと

出所後、急に経済状況がよくなりフィリピン人と結婚、ヨットを購入しパールレースを満喫していること

男は足立区の朝鮮第四初級学校で北朝鮮の教育を受け、工業高校を2ヶ月で退学し、一時期空白だった期間がありました。また、男は世田谷区祖師谷3丁目の友人宅に居候していましたが、家の関係者が北朝鮮工作、シンガンスでした。

男は現在ブログで拉致事件の解決署名活動をしていますが、北朝鮮との接点は明らかにしていません。

No title

 ミトラさん

 こんにちは。初コメントありがとうございます。

 村井秀夫刺殺事件は単独犯だと動機が見つからないので黒幕は間違いなくいたでしょうね。何らかの理由があってまだ表には出せないのでしょう。「○○年目の真実!」とかでこれから語られることを期待します。

No title

お返事ありがとうございます。

テレビでは分からない麻原の内面が繊細に描かれていて毎度楽しみにしています。

先月末に村井刺殺事件の特集か二回放送されていましたが、どれも当時の週刊誌で既報されたもので、特に新たな真実、といったものは見受けられませんでした。

さて、刺殺事件の犯人なのですが、男が北朝鮮と関係があった、という情報を何度も見てきたかと存じます。

しかし、この情報が事実なのか陰謀論なのか、デマや詳細が不足しているため十分判別できない部分もあるかと思われます。

2013年、刺殺犯と上祐史裕、鈴木邦男が「終わらないオウム」を出版しました。私は早速購読したのですが、刺殺犯の証言に違和感を感じ、事件を調べるようになりました。

早速男のブログを閲覧した所、第一印象は事件を反省し、ボランティアに励む任侠の持った男と感じました。それでも腑に落ちない所があり、ブログのコメント履歴に目を通した所、男と閲覧者達が、挑発・誹謗中傷を繰り広げている光景が延々と続いていました。

しかし、それは序の口でした。私は男がパフォーマンスで、「断罪」のふりをしているのでは、と思い、更にブログを探った所、驚く事実に突き当たりました。

刺殺犯のブログの右側に、「お気に入りブログ」があります。
「ushioga-ikuさん(旧)朝鮮問題をひも解く」が登録されています。そのページを開いてみてください。

男とushioga-ikuが何者なのか、中身を読むとわかると思います。

No title

ミトラさん

 刺殺犯とうしお?なる人物のブログにざっと目を通しました。しかし、正直、隅々まで読むには、今はなかなか手が回らない状況です・・。なのでズバリお伺いしますが、ミトラさんは、村井刺殺事件の背後に在日系の団体の思惑が絡んでいたとお考えなのでしょうか?

No title

村井事件の背景には、在日団体の他新右翼団体など 複数の組織が関与しているのではないかと私は考えてます。
(某宗教団体やユダヤ団体、CIAも関わっている説もありますが、根拠が稀薄であり、拡大解釈されたものに過ぎないためここでは取り上げません)

うしおという人物は、プロフィールを見る限り出身校や交友関係から在日であると思われます。

このうしおは金正日を妄信しており
朝鮮学校を無償化しない日本の対応を罵り
拉致問題を軽々しくあしらった莉
落語の時事ネタで北朝鮮ネタがでたことに逆上し
天皇陛下を不敬な名称で書き込んだり…

と日本の価値観から逸脱したコメントを延々と書き続けています。
(URLを波浪としたのですが禁止ワードなのか書き込めませんでした。)
一体何故、犯人はこんなブログをマイリストに登録したのでしょうか?

No title

ミトラさん

すみません、在日系の団体とオウムとの関わりが見えてこないのですが、もう少し詳しく根拠など教えていただけないでしょうか?
暴力団などが背後にいるとすれば、麻原含むオウム幹部の口から、暴力団への資金の提供、暴力団員の坂本弁護士一家殺害事件への関連などが漏れないよう警告、恫喝したのだと私は考えますが、そういったことが背景にあるということでよろしいでしょうか?

No title

坂本弁護士事件に暴力団が関与していた、という話は聞いたことがあります。しかし、何故教団側が死刑囚になってまで暴力団を匿う必要に迫られるのか、この辺りはよくわかりません。 

 刺殺犯は1988年に催事企画会社イベントダイヤルを経営していました。従業員は八人(男性五人、女性三人)で、広告代理店の宣伝イベントや当時人気だった「人面魚」の貸し出しをしており、テレビ出演もしていたといいます。
刺殺犯は「田中」と描かれた名刺を配布していました。しかし反面、韓国人であることに誇りを持っていた、と当時の仕事仲間は証言しています。更に刺殺犯は「友達には威勢のいい連中がいる」と語り、幼い頃から付き合ってきた韓国人グループの存在を仕事仲間に示唆していました。しかし、仕事仲間立ちと韓国人グループは接点が無く、刺殺犯が紹介することもなかったといいます。

刺殺犯がH組へ入るきっかけを作ったのは朝鮮学校時代の友人、K・Hでした。
刺殺犯はK・Hが経営する債権取立業の手伝いをしたり、在留期間が切れた韓国人をと偽装結婚し150万円の謝礼を受け取ったり、宅配ヘルス業をしながら生活していました。一方で韓国籍、朝鮮籍を問わない20代、30代で作る都内の在日グループと接触を重ねていました。

刺殺犯が逮捕された後、複数の組員が逮捕されていますが
H組に多数の在日朝鮮人が在籍していたことが判明してます。またH組長の妻も在日朝鮮人だったことが確認されています。

警察は刺殺犯の背後関係を明かすためK・Hを逮捕したり、犯人の関係者に事情聴取を行うなど手を打ちましたが、ほとんど供述を得られず背後関係を解明できずに終わりました。

刺殺犯の初公判時、679人の傍聴希望者が裁判所に集まりました。
一般傍聴席は18席だったため競争率は38倍まで高くなったといいます。
傍聴席にはメディアが雇ったアルバイト学生や若い女性、佐木隆三氏の姿がありました。その中に白いスーツに柄物のシャツの男が混ざっていました。開廷直後、刺殺犯が現れると男が冊から身を乗り出し『がんばれよ。皆で待っているからな!』 と叫びました。
安広文夫裁判長は『その男を退廷させなさい』と廷吏に指示し、男を法廷から引き摺り下ろしました。男は『根性を入れてな!』ともう一度叫び姿を消しました。男はK・Hでした。(朝日新聞95年7月25日夕刊より抜粋)

「現代コリア95年6月号」によれば、K・Hは他のH組員と共に北朝鮮へ何度も訪問していた、と報じられています。

刺殺犯は暴力団とは別に、北朝鮮との接点がありました。
まだまだ続きます。

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No title

ミトラさん

まだ続くということですが、結論としては、事件は北朝鮮による陰謀ということでしょうか?

続きお待ちしています。

No title

G組を主犯に、北朝鮮工作機関、G組と親密な新右翼関係者、一部のオウム信者複数が共謀した事件であると考えています。

オウムと暴力団の関係は麻原の青年時代、波野村の土地買収、薬物取引等その都度マスコミに注目されていました。

暴力団の関係をオウム裁判に持ち込むと審理が10年、20年では済まなくなり、麻原の極形まで不可能となるため意図的に捜査を打ち切ったといいます。
実際、捜査陣に取材をした警視庁クラブの記者は次のように語っています。

「警視庁の幹部と話していても長官狙撃事件の話ばかりです。話の流れで村井刺殺が話題になっても”ああ、あの事件ねえ”と、もはや昔話ですよ。それに刑事サイドでは事件を手掛けた公安への批判が強いんです。きっちり証拠を固めない公安手法の捜査では”裁判の結果はやる前から見えていたじゃないか”とね。再捜査する気なんて現場には全くありません」
(週刊新潮97年5月1日・8日号170項より)


刺殺犯と北朝鮮の関係について話を戻します。

刺殺犯はブログで拉致事件の署名活動を呼びかけていますが、シンガンス(原敕晁さん拉致事件の実行犯)との関係については一切触れていません。

しかし週刊金曜日2011年9/16号では居候先の関係者がシンガンスであったことは事実であると認めています。(直接の関係は否定)

刺殺犯は出所後、新右翼団体・一水会の鈴木邦男と関係を持ちました。

一水会は1992年に北朝鮮国内にいるよど号事件の犯人から招待を受け交流を結んでいます。 その後一水会の関係者が北朝鮮を訪問、よど号リーダーの田宮高麿やその日本人妻と面会しました。

よど号事件の実行犯は北朝鮮へ渡った後、北朝鮮の工作員として訓練を受けました。その仲間の中に、八尾恵という女がいました。
八尾は刺殺犯と同じ団体「主体思想研究会」の会員で、北朝鮮へ渡った後ヨーロッパへ送られ、そこで「有本恵子さん拉致事件」を引き起こしました。
更にその後日本へ渡り、自衛隊基地を監視したり諜報活動をしていたといいます。

1991年10月20日、東京・練馬区の練馬文化センターで「真の自由と平等を求める市民の集い」という集会が開催されました。
集会はオウムが主催しており、青山吉伸弁護士や鹿島とも子の姿があったといいます。

ところがその集会に八尾もパネリストとして参加していた、という情報が高沢皓司著「オウムと北朝鮮」の闇を解いた__11」に記載されています。

No title

ミトラさん

 なるほど審理の長期化を恐れて捜査機関が意図的に暴力団絡みの捜査を打ち切ったという見方もあるのですね。まあ麻原裁判の長期化は弁護士団の無能というのが一番納得できる意見ですが・・・。

 オウムと北朝鮮の関係についてはご紹介いただいた書籍に目を通せばわかりますかね。

No title

そうですね。出来ることなら著者や関係者に直接確認して信憑性を検証したいところです。

さて、警察が村井事件を放置する中、ある刑事が必死に捜査の継続を働きがけていました。刑事の名は小山金七。勤続30年以上でありながらロス疑惑やトリカブト殺人事件に携わり、オウム事件では坂本弁護士一家殺害事件や警察庁長官狙撃事件を担当していました。

小山は村井刺殺事件に、H組とは違う、ある暴力団の存在に注目していました。

オウム真理教は1987年に「富士宮総合本部道場」を開設しました。
この時、オウムはとある不動産業者に依頼し、膨大な広さの土地を購入します。この不動産業者はG組の関係者でした。

G組は静岡県富士宮市に拠点を置き、山口組傘下組織でも悪名高い組織でした。創価学会とも只ならぬ関係があったとされ、また組員が伊丹十三監督襲撃事件を引き起こし、武闘派暴力団として注目を集めました。同事件で警視庁は捜査員200人以上を動員していますが、G組事務所に熊が飼われていたといいます。(毎日新聞92年12月4日東京夕刊15項より抜粋。伊丹は後に怪死。)

G組組長は自著において、オウムとの関係を次のように語っています。

「 富士宮に進出してきた当初は、あいつら(オウム)も土地がいるんで、俺の知り合いの不動産業者の所に来たらしいわ。「農地を売って欲しい」とか言って。オウムとの「関係」といったって、その程度のことだ。不動産屋も、(オウム信者が)変な格好してるし、おかしな奴らだと思ってたようだが、宗教団体ってのは、だいたい土地を相場よりも高く買うんだな。広くてまとまった土地が欲しいし、そもそも「迷惑施設」といって、嫌われることが多いそうだ。だから農地でも宅地並みの値段で買ってくれるもんで、不動産屋にとってはいい客になるんだな。

 しかし、俺もあいつらが、あそこ(地下鉄サリン事件)までやるとは思わなかったよ。確かに、ウチの事務所よりも高い塀を作ってみたり(笑)、街の中を妙な格好して歩いたりしてたから、不思議な団体だな・・・・とは思っていたよ。そのうちに工場かなんか作り始めて、中でタイヤ何かをボンボン燃やして、地元じゃ「人を殺してやいてるんじゃねえか」っていう噂が立っていた。それがホントに殺してたとはなぁ・・・・。そんな奴らと「関係がある」って噂されたもんで、もう勘弁してくださいよって話だよ(笑)。

 坂本弁護士の一家が殺された事件でも、テレビで、あの「河上」(和雄・元検察官。現在は弁護士で、日本テレビ客員解説員などを務めている)とかいうヤメ検が、「あんな事件は素人ができるもんじゃない。ヤクザじゃないとできない。神奈川県警じゃ、G組の犯行と見ている」とか、堂々と言うんだもの。テレビのコメンテーターとかいう連中はホント、いい加減なこと言うよな。けど後から聞いたら、神奈川県警じゃホントに、ウチの関係者が関わってるんじゃないかって見てたオマワリも多かったそうだ。」

また、G組長は新右翼活動家、N・Sと非常に親しい間柄でした。
N・Sは「河野一郎邸焼き討ち事件」「経団連襲撃事件」を引き起こし、またG組長と一緒に糸山英太郎を脅したこともありました。

このN・Sの弟子が鈴木邦男でした。
鈴木はG組長とも親しく、共に食事をしている写真がネットで閲覧できます。
鈴木は村井秀夫事件直後から、刺殺犯を庇う発言をしており、その様子が小林よしのり著「ゴーマニズム宣言9」 1996年3月18日の中で描写されています。

オウムは波野村進出時、地元民の反対運動に巻き込まれていますが、この時地元の暴力団からも攻撃を受けていました。
オウムは手打ちをする目的で懇意があった暴力団に依頼し、ことを済ませたといいます。この組は刺殺犯が属していたH組に金を貸していたといいます。
H組はK・Hが経営する金融業やシラスの仲介業をしていましたが、経営が行き詰まっていたといいます。(毎日新聞(大阪)95年6月8日夕刊11面)

そのため借金を帳消しにする引き換えで刺殺犯を雇い、組と教団の関係をもみ消す目的で事件を起こしたのではないか、という話が「迷宮入り!―昭和・平成未解決事件のタブー (宝島社文庫) 」の中で取り上げられています。

G組長はその後「真珠宮ビル事件」で逮捕されすぐに釈放。山口組執行部から除籍処分を受けた後にカンボジア国籍を取得。カンボジア国王から爵位を授かりました。

一方、刺殺犯はG組組織へ合流し、復興活動を名目とした炊き出し活動を行いました。(これも結局の所、震災利権や貧困ビジネス、売春婦集めの投資だと思われます。)

No title

ミトラさん

 坂本弁護士事件については実行犯のオウム幹部の口からも「誰かわからないヤツがいた」という証言が出たということが実しやかに囁かれていますね。現場にプルシャが残されていたというのは実行犯のミスではなく、暴力団の警告だったという説もありますからね。異聞の域を出ないですが、そうだといわれればそう思えます。麻原があれほどスパイに怯えていたのは、実際に情報がヤクザに漏れて脅されていたからかもしれませんね。

No title

坂本都子さんの父、大山 友之氏は「村井の死は坂本事件の真相を知る上でも大きな痛手だった」と話していた通り、本当にオウムだけの犯行だったのか不可解に感じています。

プルシャのバッジの件もそうでしたが、警察長官狙撃事件の時も、現場に北朝鮮のバッジと韓国のコインが捨てられていました。

一方、G組も事件を敢行した後、「G組の犯行」を匂わせるものを放置する癖が警察当局では知られてました。

伊丹十三襲撃事件では、凶器として使用したナイフの刃先がわざと残されてます。

昭和63年3月の山口組内の抗争事件では、一和会会長宅にG組のダンプカーが激突しているが、これもわざわざG組の拠点である静岡ナンバーのプレートが付けられていました。

平成元年の富士宮市の朝霧高原のゴルフ場開発を妨害した「オイルばら撒き事件」では、組員の運転免許証がわざと落としていました。

そして、最近だとG組長と刺殺犯が直接関係あるような情報まで向こう側から流しているのです。

小山金七刑事は、静岡県富士宮市の土地購入の世話役として動いていた人物が村井秀夫だと断言しています。
先ほどG組長の回想を引用しましたが、G組関係者がオウム教団と不動産取引をしていた話が出ていました。このあたりに村井が殺害された動機が存在するのでしょうか。

更に村井刺殺事件を調べた所、教団と暴力団を結びつける重大な点に直面しました。

それは、事件当日の昼、刺殺犯が接触したある女性の話についてです。

No title


 ミトラさん

 現場にわざと証拠を残して、自分たちの犯行だと顕示するのは暴力団の常套手段のようですね。プルシャが落ちていたら普通誰のモノかすぐ明らかになるでしょうし、やはり怪しいですねえ・・・。

No title

今日は村井秀夫殺害から20年です。

刺殺犯は事件決行前に足立区の実家へ立ち寄り、焼き肉を食べ終え終え家を後にすると、渋谷区道玄坂のラブホテルでホテトル嬢を呼び一夜を過ごしました。フライデー6月2日号によるとこの女性は刺殺犯と月に2〜3回会っていたそうで、金払いが悪く、いつも値切っていたといいます。ところが事件直前、刺殺犯は料金2万5千円に加えチップまで渡していた、と風俗業関係者の証言しています。

また一方で中日新聞(1995.5.12朝刊)は「宿泊したホテルで、顔見知りのホステスから現金約100万円を受け取っていたことが、警視庁など捜査当局の調べで分かった」と報じています。また、週刊現代(1995.8.12号)では「女の弟がYという男で、これも主体思想研究会の幹部で、行動隊長的存在だと聞いている」という情報を記載しています。この辺りは断片的かつ曖昧に書かれているので、記者に直接問詰めてみたいものです。

水商売の女性とは別に、ある女が共犯者として浮上していました。
朝日新聞1995.5.3朝刊の一面左端に次の文面があります。

『徐容疑者、刺殺前に女性と接触 オウム真理教の村井秀夫氏殺害事件』
 東京都港区のオウム真理教東京総本部前で4月23日夜、教団「科学技術省」トップの村井秀夫氏(36)が刺殺された事件で、(中略)徐裕行容疑者(29)が事件当日の昼、現場を一時離れて近くのコンビニエンスストアに行き、若い女性と会っていたことが警視庁の調べで2日、分かった。徐容疑者は事件について「自分一人で考え、だれにも相談していない」と供述しているが、警視庁は、この女性から何らかの指示や情報を受けた可能性もあるとみて、身元の特定を急いでいる。(中略)

  徐容疑者が女性と会ったのは、事件当日の昼すぎに目撃された。徐容疑者は、教団東京総本部近くのコンビニエンスストアを訪れてパンを買った後、「トイレを貸してほしい」と店の奥に向かった。後を追うように若い女性が入ってきて、二人は店の奥のジュース売り場の前で数分間、話ていたという。
 徐容疑者は先に店を出たが、この時、包丁を入れていたアタッシェケースは持っていたなかった。女性は20~30歳で、メガネをかけていたという。
 徐容疑者は、一時、総本部前を離れて、コンビニエンスストアへ行ったことを認めている。(中略)

 警視庁は、事件当日に接触した女性が、どんな役割を果たしたのか、徐容疑者を追及するとともに、事件の背後関係についてさらに詳しく調べている。


週刊現代(1995.8.12号)はこの女性がオウム信者であり、教団「東信徒庁」に所属していたS・T(33歳)であると報道しています。7月上旬に名状等不実記載容疑で赤坂署に逮捕されたが、その後釈放されたと伝えられています。警察は刺殺犯と刺殺犯との結びつきを調べようとしましたが「徐とこの女性信者を追及したが、両者の供述は『道をたずねた』『道を聞かれた』ということで一致していたため、それ以上、追求できなかった、といいます。

No title

ミトラさん

女性はオウム側の内通者ですかね。最後に親の顔を見て、大好きな焼肉を食べホテトル嬢と一戦に及んで、シャバへの未練を断ち切ったんですね。

No title

そうですね。
ただし、刺殺犯の行動を見ると、実家へ向かう前にラーメン屋で昼食をしていますし、事件当日の夕食もラーメンであることから、麺類が好物である印象があります。

オウム側の内通者といえば、オウム東京総本部ビルの地下室に鍵がかけられていたエピソードは有名ですよね。

村井は群衆を避けるため一旦地下階段を下りて教団施設へ入ろうとした訳ですが、入ることが出来ず、「空いてない」と呟きながら仕方なく地上側の入り口へ向かいました。一方刺殺犯は、元から知っていたかのように、地上側の入り口付近で待ち伏せしていた。

(この時、地下室内にはジャーナリストの山路徹氏が独占取材のため待機しており、ドアノブが動くのを目撃していました。その後山路氏は村井が移送された都立広尾病院へ向かい、警察側から取材を抑止されています。
しかし不思議なことに、教団側が山路氏をオウム信者だと紹介され、病院内の取材が特別に許可されました。これは1995年サンデー毎日5月28日号で触れられ、後年 Mrサンデー(フジテレビ・2015年3月22日)で再現映像として放送されています。)

No title

ミトラさん

事件当日の動きもそうですがオウム内部から何者かが実行犯に情報を流していたのですね。衆人環視の前で犯行を行うのはデモンストレーションとしての効果大だったでしょうね。

村井刺殺事件の記事以外にもコメント頂けると励みになります。肝心の犯罪者名鑑の記事が盛り上がっておらず寂しいので、感想いただけたら本当に嬉しいです。

No title

刺殺事件を最大限に活用し、宣伝工作に利用したのは誰か。

事件直後、上祐史浩は都立広尾病院前に集まった取材陣に対し、村井の危篤状態を説明すると突如激高した態度で次のように答えました。

「「あなた達は、マスコミの報道で、犯人にまだなっていない人間を、起訴もされていないし逮捕もされていない人間を、犯人と決めつけ、そして、感情をあら…煽り、そしてそういう結果、いらぬ敵意を抱く暴漢を作り出し、そしてこういう結果に陥ったんじゃないのか!!」」

「麻原を殺す気ですか今度は!!麻原を殺す気です今度は!!尊師を殺すんですか今度は!」

上祐は村井刺殺のきっかけをメディアのせいであると主張し、麻原の身の危険を訴えて取材を一方的に打ち切ってしまいました。ところが、信者が村井の容態を上祐に聞こうとしたところ、冷淡な口調でただ「死んだ」とだけ答えました。信者は上祐の無神経な態度に怒りが込み上がったといいます。


それから翌日、スポーツニッポンや日刊スポーツが村井の死亡について上祐に取材を行った所

「大きな力が動いているとしか思えない」
「いまは言うべきではない。言ってしまえば危険な目に遭う。具体的な人物ではない。」「具体的には何か申し上げる時期ではない」
「個人的な感情の中では、だれかに指示されてやったのではないかと思う」
「犯行者個人にも犯行の背景にあるかもしれないものにも、何ら憎しみを抱いていない」
「村井は死んでしまったわけだし、彼(刺殺犯)には愛情を持っている」と答えました。

(この時上祐は厳戒態勢のため10人程の信者に回りを囲まれながら歩いて移動した。また暴漢対策だと称し頭にヘルメットを被っていました。)


上祐は、たかじん委員会 (2012/06/17 放送)の中で出演者達から村井事件の質問を受け、暴力団の関与を匂わせる回答をしました。

上祐「失礼ながら私が警察、関係者の方からお聞きしている構図というのは、富士山総本部道場の方で関係のあった教団が、あった暴力団と、それからあのその、(刺殺犯)の上の暴力団には繋がりがあって、そういった教団のルートで教団の犯行ではないか
という話で、海外の勢力とはというのは関係ない」

司会「関係ない?今の話でいうと関係ありそうなのはやっぱりあの薬物の流通に関しては暴力団と繋がりがあったようで」

上祐「ええ、またその第2の説というのがあって、その暴力団が村井と謀って、あの秘密裏に薬物を流していた、そういった暴力団、それが発覚すれば自分たちの、まぁ団体も完全に取り潰しとなるのでそれを恐れたという説二つある」


ところが、上祐は2013年に刺殺犯と面会すると、それまでの言及を否定し、全面的に刺殺犯の主張を支持する見解を示すようになりました。
2015年3月27日、Twitte上での発言 です。

「あれは単独犯ですね。オウムをやっつけるという義憤によるものです。 背景にオウムも暴力団も関係していない。犯行者の徐裕行氏と会って話しましたが、 警察も徐氏が事後にお金をもらっていないことなどを確認しているそうです」

刺殺犯の現在の主張は、取り調べの証言を無視した虚言であり全く信憑性がないものです。(週刊新潮はこの矛盾点を直接指摘しますが、刺殺犯は何も答えなかったといいます。)それでも何故上祐は刺殺事件の背後関係をもみ消すようなマネを働くのでしょうか?ここがポイントなのです。

No title

ミトラさん

 個人的義憤というのは到底信じられないですよね。それで片付くなら、歴史上謎とされる暗殺事件のほとんどがそれで片付いてしまいます。

 他の記事はまったくご覧になって頂けてないでしょうか?せっかくですので、村井刺殺事件というピンポの話題だけでなくオウム事件全体についてや、他の記事についても色々お話できればと思うのですが・・・。

No title

失礼しました。

ただ、私がこの事件に拘り続けたのも、犯行側のデマを防ぐこと、犯人の一味が判明してるにも関わらず、未解決事件として報じられているのが腑に落ちなかったこと、朝鮮総連にいた刺殺犯が再び暴走し、今度は拉致被害者の活動に不利益をもたらす危険があるのを一人でも多くの方に伝えたいと思い、調査を続けてきました。

公安調査庁入省 調査部第二部長の菅沼光弘氏は著書「日本を貶めた戦後重大事件の裏側」の中で出所した刺殺犯を実名で指摘し、非常に危険な状況であることを警告しています。

更に公安調査庁の公式資料「内外情勢の回顧と展望(平成26年1月)」には出所した刺殺犯の写真が掲載されている。この事件は終わってはいないのです。


村井事件は一旦ここで筆を置こうと思います。
余談ですが、個人的にはよど号事件、北朝鮮の工作事件、アナハタン島事件や三菱銀行人質事件、特攻兵機桜花の発案者の末路やジョン・ゲイシーについて興味があります。

No title


 ミトラさん

 いえ、村井事件語って頂いて結構なんですが、そここは一応私が発信する場なので、やはり私が書いたものに関しての感想も、同時に頂きたかったのです。村井事件これほど詳しく調べておられる方なら、オウム事件や他の事件への関心もそれなりにあるかと思うので・・・。

 特攻と北朝鮮は少しカテゴリがずれてしまうので書けるかわかりませんが、他の事件については取り上げられるかと思います。ただ麻原や闇サイトが今のコメント状況ですと厳しいんですよ・・・。全然読んでくれる人がいないのに続ける気力はもちません。読者のみなさんに盛り上げて頂けないと、今後いろいろな事件を取り上げていくことは難しいんです・・・。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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