犯罪者名鑑 麻原彰晃 10

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 丹沢集中セミナーを開く

 オウムの会の会員数が50名を超えたころ、麻原は山地丹沢にて、修行法を伝授し、またシャクティパットによりエネルギーを授けることを趣旨とした一週間のセミナーを開催します。

 参加費用は一泊ごとで会員が七千円、非会員が一万五千円。シャクティパット一回が、会員で二万円、非会員で三万円。このセミナーで五百万円ほどの儲けが出たそうです。ちなみにオウムの会への入会金が三万円、月会費が二千円、個人指導が三千円という額で、後に出家にあたって全財産を教団に捧げるなど、べらぼうな金を信者から毟り取っていったのを考えると、この時期の麻原の金銭感覚はごくまともだったのが伺えます。特に注目すべきは、オウムの会の月会費、指導料の安さで、この時期の麻原はまだ、自分の世界に入ってきてくれる人はとても大事にしていたことの証明といえるでしょう。

 麻原はこの丹沢集中セミナーを、自分の人生における大きな転機と位置付けていました。夜も二時間しか睡眠をとらず、参加者の生活管理、自らの修行、参加者の修行の指導、シャクティパット、果ては人生相談にまで、精力的に活動します。

 麻原のシャクティパットは本物で、「背骨が熱くなり、ストーブを後ろに置かれているようで、その晩は熱くて眠れなかった」「尾てい骨をガスバーナーで焼かれているようだった」「頭蓋骨がバリバリっと音を立てた」など、驚きの体験談が至る所から出ています。尾てい骨のあたりに眠っているとされる、クンダリニーという生命エネルギーを覚醒させることでそうした現象が起きるということですが、この時期のまだまともだった麻原が、一回に三万ものお金を取るだけあり、このシャクティパットは麻原自身のエネルギーの消耗も大きく、終わったあとにはぐったりとして、足の甲が割れて出血することもあったそうです。それでも麻原は、一人一人が効果を実感できるまで、けして途中で投げたりすることはく、効果がでないものには一時間でも二時間でも根気強くエネルギーを送り続けるなど、自らの負担を鑑みず、参加者を導くため全力を尽くします。参加者は麻原のそんな姿に奮いたち、皆真剣に修行に打ち込んだといいます。


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 人の心を掴む

 
 麻原がセミナーによって人を惹きつけたのは、シャクティパットによる神秘体験のみではありませんでした。

 護摩行に使う薪を集めるなどには自ら率先して山の中に入っていくなど、セミナーでの麻原はリーダーシップを発揮します。また、人の集団の常で、このセミナーでもどうしても除け者にされる人が出てくるのですが、そのときには参加者を集めて「貴方たちは一体ここに何をしに来ているんだ。人のためになってこそのヨーガだろう。邪気を吸収するくらいの気持ちでやらなくてどうする」と叱りつけるなど、慈愛の心、自己犠牲、弱者救済の「菩薩行」を実践します。これに加え、深夜には参加者の悩み相談にも親身になって対応するのですから、人の心を惹きつけるのも当然でしょう。欲得のためもあったでしょうが、それだけでできることではありません。石井久子などが惚れてしまうのも頷けます。

 思い返せば盲学校時代、麻原はあれほど強く名誉を望みながら、それを得られず、空回りを繰り返し、思いとは裏腹に嫌われ者となっていました。それが突然、人から慕われ、「麻原先生は凄い人だ」と賛美の声を集め、自他ともに満たされる経験をしたのですから、麻原の心には戸惑いもありました。「私は人から慕われているのかな・・」と、困惑したようにポツリと独り言ちる麻原の姿が印象的だったと、当時の信者が語っています。

 麻原にとってヨーガの修行は、自らの視覚障害、暗い生い立ち、挫折まみれの青春を乗り越えるための存在でした。欲得を抜きにした、人として何かを極めたいという純粋な思いも強く抱いていたからこそ、金銭や名誉といった、彼が望んでいたもう一つのものも結果的に手に入ったのです。麻原を欲にまみれた俗物としてのみ語る人もいますが、少なくともこの時期の麻原は、けしてただの俗物ではなく、純粋な修行者としての一面を持っていたのは確かといえます。

 麻原は今度こそ何ものかになろうと、命も顧みず一心不乱に修行に励んでいました。「本物」は絶対的に人を惹きつけます。麻原は地道な修行をすることにより、お菓子を配って買収を試みたり、適当な思い付きでリサイタルを開いたり、浅知恵で詐欺行為を働いても得られなかったものを、ついに得ることができたのです。


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 ターニングポイントとしての丹沢集中セミナー


 最終的には一万五千の信徒を抱える巨大な宗教団体となったオウムですが、結局は間違いを起こしたことによりオウムは解散してしまった通り、麻原の活動は完全な成功にはなりませんでした。何かがいけなかったことは間違いなく、逆にそれさえなければ、麻原の能力ならばもっと大きく、恒久的な成功を手に入れられたであろう、という要素が存在します。その過ちは、自己を神格化しすぎたことでした。

 新興宗教に入る人には、「他者への依存心が強く、自分で決断する力を持たない人」が多いといいます。これをもって、一連の犯罪を起こしたオウム幹部に対し、麻原に洗脳された哀れなる者という見方をする人もいますが、上記の言葉を裏返せば、「甘い汁は吸いたいが、責任は誰かにとってもらいたい人」と言うこともでき、行き過ぎたご都合主義のツケが、死刑あるいは無期懲役ともいえます。

 そういった人たちにあまりにも持ち上げられすぎた結果、麻原は次第に自分を見失っていきます。自ら掻き集めた信者たち、そして自分自身を制御できなくなっていった麻原は、破滅の道へと進み始めていくのです。

 宗教団体を起こすにあたって、当初は実兄を教祖の座につけようとしていたことからわかるとおり、麻原は最初から独裁者となることを望んでいたわけではありませんでした。盲学校時代から発揮していた支配欲、権力欲からして、その願望はあったのでしょうが、嫌われ者だった自分には現実的ではないと諦めていたことでしょう。それが「できる」と確信したのが、この丹沢集中セミナーであったと思われ、麻原の大きなターニングポイントとなったイベントでした。

 麻原の真の意味での絶頂は、丹沢でセミナーを開催したこの時代でした。麻原が人望溢れるヨーガサークルの主宰者で終わっていれば、あれだけの大惨事が起きることもなく、また本人も破滅することはなかったのです。

 もっとも、国家を巻き添えに破滅することこそが麻原の真の望みであったとするなら、私の見解も的外れということになっていきますが・・・。
 
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No title

オウムはとてつもなく大きくなりすぎてしまったことが失敗だったのでしょうね。
中規模ぐらいで留めておけば今もオウムは存在しており麻原も教祖として崇拝されていたと思います。
麻原はもしかすると世界規模の宗教団体を目指していたのではないかという気もしてきます。
初期の頃の麻原と後期の自分自身のコントロールもできなくなってしまった麻原、同じ人間とは思えません。

初めは興味なかったけど、読んでいるうちにだんだん面白くなってきました
ミリオン出版のコンビニ本でマンガ化してほしい!
桜壱バーゲン先生作画で(笑)

No title

>>seasky さん

 アメリカやロシアに進出するなど、麻原は海外にも目を向けていました。幸福の科学や創価学会などへの対抗意識もあったでしょう。そもそも麻原は国家の元首になることを目指しており、望みが高かった割には足もとがボロボロだったのが躓きの原因でしょうね。足もとがボロボロなのがわかっていたら、程よいところで守りに入り、目立たないようにやっているべきでした。

>>読者Aさん

 麻原の生涯などは犯罪者の図鑑というより伝記として読めると思うんですよね。犯罪者に興味がない人でも読み物として楽しんでいただけると思っています。

確かに本で読めますね。
楽しめそうです。
というかどうやってこんなに詳しく調べたのですか!?
ネットです?

No title

>>ケイさん

ネットと本ですね。オウム事件なら資料には事欠きません。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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