犯罪者名鑑 麻原彰晃 8

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 オウムの女帝”マハー・ケイマ” 石井久子


 今回はオウムを彩った女性幹部たちを紹介します。

 まずは麻原の一番弟子、石井久子。オウムの女性幹部の中でも特に麻原から深い寵愛を受け、最末期でも五人しかいなかった正大師の地位に、真っ先に上り詰めたのが彼女でした。麻原の弟子の中では一番最初に修行を成就したと見做され、初期から教団のナンバー2として、オウムの発展に高く貢献。オウムで省庁制度が導入されると大蔵省の長官となり、教団の経理を担い、金庫番として権勢を振るうようになりました。

 石井が麻原にこれほどの寵愛を受けたのは、なんといってもその美貌のお蔭でした。修行により身に着けたエネルギーが洗い流されてしまうのを恐れてのことなのか、ろくすっぽ風呂にも入らないほど衛生観念が欠落していたといわれるオウムという教団の中で、ほとんど化粧もしていないであろう状態でこの容貌というのは、確かに女性の顔立ちとしてかなり美しい部類と、私も思います。飯田エリ子が岡崎一明と通じるなど、戒律で禁止されているにも関わらず意外に性に放埓なオウム教団の中で、石井は教祖の麻原とのみ関係を通し、麻原の子を三人も産みました。

 石井が麻原と子をなすほど深く愛し合っているとなると、正妻の”ヤソーダラー”松本知子は当然面白くありません。麻原は妻の知子も石井久子同様の正大師の地位に就けましたが、教団の中では、教祖の妻という理由で高い地位に就いた知子よりも、修行により成就を果たしたとされる石井の方が信徒からの尊崇を集めていました。

 まるで太閤秀吉の政権での北政所寧々と淀殿の関係のようです。もっとも、北政所は大河ドラマなどで描かれるように、あからさまに淀殿に嫉妬し、嫌がらせをするようなことはなかったようですが、オウム麻原の正妻知子は、後妻である石井に激しい嫉妬の感情を露わにします。ある日、知子が瞑想をしている際、信徒の一人から「そのやり方はケイマ大師と違う」と指摘されたときには、鳥のような叫び声をあげて怒りくるったといいます。また石井が麻原の子を産んだのが知れたときには、激怒して麻原の顔をひっかいて傷つけ、信徒への弁解として「これがグルと弟子を超えた夫婦の関係だ」などと言わしめるなど、出会ったころのおっとりした少女はどこにいったかと思うほど、三十代ではヒステリックな女性になっていたようです。

 麻原は逮捕されるまで石井を愛し続けましたが、教団の運営については、オウム後期には石井よりも、村井秀夫や上祐史浩といった男性の幹部を重用するようになっていきました。これには石井が妊娠し表に出られなくなったことも大きいでしょうが、多数の信者獲得を目指していた初期のころには、広告塔として容姿の優れた女性幹部の役割が重要だったこと、社会の破壊を目指すようになっていった後期には、科学の知識に優れ、マスコミとの交渉術に長けた男性幹部の役割が重要だったこと、という役割上の問題であったと思われます。石井本人が言うような、麻原の男尊女卑の思想だけの問題ではないでしょう。


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 魔性の女”サクラー”飯田エリ子

 オウムの女帝石井久子を麻原に引き合わせたのが、石井と同じ会社でOLをしていた、同期の飯田エリ子でした。まだオウムがヨーガ道場であった頃からの会員で、美容や健康に効果があるというヨーガの修行に励むうち、麻原個人の人柄に惹かれるようになり、「麻原の女」となったのでした。

 オウムに入ったのは石井よりも飯田が先でしたが、オウムが宗教色を全面に出すようになってくると、飯田は次第に、石井に遅れをとるようになっていきます。最終的に正大師の地位にまで上り詰めた石井に対して、飯田は正悟師止まりで、オウム後期には信徒の前で麻原に叱責されるなど、幹部の中で特に高い地位にあったわけではないようです。

 その理由は、おそらく彼女の「蓮っ葉」ではないでしょうか。最後まで麻原一人に尽くした石井と違い、飯田は岡崎一明と関係し、逮捕され裁判にかけられるようになると、自分より九歳も年下の井上嘉浩と熱烈なラブレターを交し合うなど、恋多き女でした。その点が、九州は熊本の出身で、女は一歩引いて男を立てることをよしとする麻原には快く思われなかったのでしょう。

 しかし、彼女が省庁制度導入後、東信徒庁長官として、後に恋仲となる「諜報省長官」井上とともに、数多くの信者を入信させ、多額の布施を集めたのは事実で、教団の発展に大きく貢献したことは間違いないようです。

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 オウムの女将さん”キサーゴータミー”山本まゆみ

 山本まゆみも、石井久子、飯田エリ子同様に最初期からの麻原の信奉者でした。ただ、麻原より一歳年上で、特に美人だったという話もない山本との間に、石井や飯田と同じような肉体関係があったかどうかは不明です。

 オウム初期から機関誌の作成などで麻原を助け、その功績により正悟師として認められ、省庁制度導入後には労働省の大臣となります。オウムの中での労働省の役割というのはよくわからないのですが、本人が語るところによれば、信者の修行やワーク、生活などの指導にあたっていたということで、年齢的にも、相撲部屋の「女将さん」のような立場にあったのではないかと思われます。

 石井や飯田の役割というのもおそらくそれほど変わるものではないと考えられ、オウムの中では一般信者の管理など内向きなことは女性の幹部が取り仕切り、テロ行為や交渉など対外的なことに関しては男性幹部が中心となって行うといったような役割分担があったようです。麻原の適材適所の人事により、教団は大きく発展を遂げていったのです。
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世の中には、美女を抱ける男と抱けない男がいます。

醜男が前者になる手っ取り早い方法は、金持ちになる事、というねは最早自明の理でしょう。

ただ、大概の場合、金で買った女は、悪まで金で買った女です。


確かに、尊師も金は持っていました。加えて権力までも。けれども、その両方を持っていても、本当の意味で相手の心を射止める事の出来る者はそういないでしょう。


美女から本気で愛される醜男なぞ、そうおりますまい。


そこが、尊師と御上りさんとの決定的な差だと思います。



もはや畏怖の念さえ覚えます。

No title

オウムの女性信者達は皆黒髪ロングでしたね。
髪を染めないのは当然として切ってはいけない戒律があったのかもしれません。
こうみるとオウムの女性信者が清純な女性に見えてきます。
もし自分がタイプの女性から勧誘を受けたら断れず入信してしまうかもしれません。

No title

>>L.wさん

 石井久子などが麻原に惚れたのは初期オウム時代に優れたヨーガの行者として尊敬していたのが次第に恋愛感情に変わっていったというところでしょうね。実際にある種の超能力者であったのは確かなようです。その頃はまだブクブク太ってはいませんでしたし・・。自慢の超能力も衰え、ただ横柄な大教祖となってからの女はどうだったんでしょうね。その女たちにも単に出世目的だけでなく心の底から愛されていたなら凄いですが・・。

>>seaskyさん

 実際に雑誌に掲載された石井久子や飯田エリ子の写真を見て入信したという信者は少なくないようです。アーナンダ井上や飯田エリ子に勧誘されて入った人の中にも、彼らのフェロモンに参ってしまったという人も多かったのですかねえ。

 

 

No title

一連のオウム事件の頃に多感な時期を過ごしたので、麻原関連の記事、興味深く読ませていただきましたが…

この記事の、飯田エリ子さんの欄に貼られている写真は飯田さんではなく、上祐氏の元恋人の都沢和子さん(ホーリーネームはウッパラヴァンナー)ですね。

No title

nooさん

 指摘ありがとうございます。ほかの記事にも感想ください。よろしくお願いします。

石井久子の子供は今はどのように過ごしているのでしょうね。

知子は名前を変えて居るようですが、現在も麻原とは離婚してないですよね?離婚したくても麻原の現状ではできないのでしょうか?

オウムの女性たちのその後の人生もとても気になります。

No title

まんじゅうさん

 犯罪者の子供がその後どうなっているかについては興味がありますね。松永太や宅間守の子供なども、今頃は社会人になっているころですね・・。米国のチャールズ・マンソンの子供などは、親とは似ても似つかない穏やかな性格の持ち主だったようですが、死刑囚の血を受け継ぐ彼らがどのように育っているのか、気にはなるところです。

No title

始めまして。もうあの事件のことをしらない世代も増えましたね。ということは、石井さんを知らない人、石井さんのかとなど忘れた人も多いということですね。
実は私はあの当時、よくか彼女に間違えられました。わたしも日本を離れていて帰国したら当然あの事件があり、そして、女帝を言われる彼女とそっくりだとどこにいっても注目されて、かなり精神的にしんどかった(早くオウム騒動と関係ない日本を離れたいと思ったり…)ものでした。私自身あの教団とも彼女とも接点はありません。があまりたよく似ていると言われると、彼女に私情を感じ、彼女の人生どこで間違ったのか?とか、彼女にも幸せな人生を送ってほしかったと、思うようになりました。彼女は私よりも年上ですので、姉か私を妹なように可愛がってくれた先輩のように感じたものです。

余談ですが、当時地下鉄で時の総理橋本龍太郎氏にそっくりな男性が今した。私は思わず「クスッ」と笑ってしまった(当時、よくわたしもねんじゅうクスッでやられましたが)のです。すると彼も私を見てニコッとして。なんか、おたがいのしんどさが、通じたものです。で妙な親近感を感じ、お互い笑顔で
「大変ですね。橋本総理(笑)」
「お互い大変ですね。石井久子さん」
といって心がなごんだものでした。小さな幸せです。

No title

Have you ever seen the rain?さん

 ああ、いまニ十歳以下の子は事件のこと知らないんですね。そういう私も、サリン事件のときによくテレビに出ていた村井、上祐のことはよく知っていましたが、末期には陰の薄かった石井久子のことはあまり知らなかったです。坂本事件からはもう28年ですか。改めて時の流れを感じます。

 石井久子は今でいうスピリチュアル女子みたいなもんで、麻原と出会わなければ普通のOL、主婦としてそれなりに幸せな人生を送っていたと思いますね。とはいえ幸せかどうかは本人が決めること。いまは子供とも別れ、老いた両親とアパートでひっそりと暮らしているという本人に聞いてみなければわかりませんが、もし普通より数奇な人生が幸せということであれば、ブ男の麻原に性根で惚れて第二の妻となる決心をしたのは間違いではなかったのでしょうが・・。

 初対面で以心伝心というのは素敵な話ですね。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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