犯罪者名鑑 麻原彰晃 7

 第二章 教祖誕生~初期オウムと最終解脱への道

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 麻原彰晃を名乗る

 西山に絶縁されたはずの智津夫ですが、彼は性懲りもなく、もう一度西山を訪ねていました。英雄になるには能力以上に、どれだけ負けようがぶっ倒れようがへこたれない不屈の心を持っていることが大事な条件ですが、智津夫のメンタルは歴史上の英雄やビジネスでの大成功者と肩を並べるといっても過言ではありません。

とはいっても、並の人間なら、どういう神経をしているのかと呆れて追い返すところでしょうが、西山は財を成した人物だけあって器が大きく、昔のわだかまりを捨てて暖かくもてなしてやったそうです。智津夫としては、旧交を暖めるだけではなく金銭的な援助を期待していたことでしょうが、さすがにそれはやらず、寿司を振る舞うだけに留めたようでしたが。

 その後は西山を直接訪ねることはありませんでしたが、一度だけ電話はしていたようです。その際に智津夫が口にしたのは、「渋谷に宗教団体を作りました」とのこと。ついに、宗教家としての道を本格的に歩み始めたのです。

 ただ、智津夫ははじめ宗教を大っぴらにアピールするのではなく、表向きはあくまで学習塾という形を取りました。その塾の名が、「鳳凰慶林館」。胡散臭い名前を考える才能において、麻原彰晃の右に出るものはいません。松本智津夫が麻原彰晃の名を公式に名乗り始めたのも、この時期のことでした。

 チラシには「君の成績がグングン伸びる!脅威の能力開発法」「着実な成果 東大合格」と、まだ何の成果もあげていないのに誇大な見出しが並んでいますが、言うまでもなく、最終学歴が「代々木ゼミナール中退」の麻原が、勉強を教えようとしていたわけではありません。

 「サイコロジー(心理学)・カイロプラクティック理論・東洋医学理論、ヨーガ理論・仙道理論・漢方理論を応用した食療法(これらを統合した能力開発指導を行います)」・・・。ようするに、自分の培った修行の成果を試したかったということです。成績を上げるというのは人を釣り上げるための方便で、本当に成績が上がればそれは自分の力のお蔭だとし、成績が上がらなくとも、何か体質が変わったとか、運気が向上したとか、たまたま起きた別の効果に注目させて自分の力のお蔭でいいことがあったとする、オカルト系のインチキ商売の常套手段のようなことがやりたかったのだと思われます。

 この鳳凰慶林館はうまくいかなかったようですが、今度は学習塾から一歩踏み込んで、ヨーガを全面に押し出した「オウムの会(a=ヴィシュヌ u=シヴァ m=ブラフマーで、ヒンドゥー教の神を表す)」を設立すると、徐々に会員が集まり始めます。石井久子、飯田エリ子、山本まゆみらオウムの女性幹部らが麻原の元に集ったのはこの時期のことです。

 麻原のオウムが始動したわけですが、この時期にはまだ宗教色は前面に押し出されておらず、純粋にヨーガを修行する団体というイメージが、会員の間には強かったようです。後にはヨーガ道場を宗教団体に変えていく構想はすでにあったようですが、それにあたり熊本の長兄に「教祖になってくれないか」と頼むなど、方針はまだ固まっていませんでした。

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 修行に明け暮れる

 オウムの会を開いた麻原は、ヨーガによって神秘の力を身に着けようと、日夜熱心に修行に明け暮れました。後、オウムの大幹部となった上祐史浩は、麻原について「間違いを起こした人物であるが、天才的な瞑想家であったことは確かである」ということを語っています。また、麻原の施すシャクティパット(額に手を当て、エネルギーを送り込む。背中が熱くなり、身体中にエネルギーが満ち溢れていく)は本物だったという声が多く、麻原のヨーガ修行がかなり高いレベルにあったのは確かなようです。

 まだ宗教的色合いを表に出していないこの時期、麻原は、狭い道場の中でオウムの会の会員と一緒になって、「解脱できない、解脱できない」と頭をかきむしりながら、真剣に修行に明け暮れていました。来るハルマゲドンの際に人類を救済するとか、あまり現実離れしたことは口にされておらず、純粋に自己の精神を高めることを目的とする、平和的な集団であったようです。

 また一方で、麻原は古今東西、あらゆる宗教関係の書物を読み漁り、宗教に関する知識を深めていきました。先天性の弱視は年を重ねるごとに進行し、確実に盲目へと近づいていく中、ますます目を悪くする読書に耽るのがどれほどの気持ちであるか、大きな身体の障害がない私には、想像することもできません。その眼から光が失われてしまうのと引き換えにしてでも、麻原は必死に、成功を掴もうとしていたのです。

 私は、このときの麻原の悲壮な覚悟が、彼の内から滲み出る、形容しがたい「カリスマ性」に結びついたのだという気がしてなりません。いかに大犯罪を起こした人物といえど、この時期に麻原がした努力と凄まじい執念については、誰も侮辱も軽蔑もできないと思います。私などは尊敬の念すら覚えます。

 あの西山祥雲に追い出されたとき、麻原は怒鳴られ、涙を流しながらも、必死に西山の教えを吸収しようと、ノートにペンを走らせていました。目がほとんど見えない彼の文字はミミズが這ったようで、ところどころ重なっていたそうです。そんな麻原の悲壮な姿を目の当たりにし、執念に心を打たれたからこそ、西山は最後の餞に、「詭弁術を身につけろ」という言葉を与えたのです。

 麻原は西山の教えを忠実に守りました。オウムの教義は、大乗、小乗、チベット密教、ヒンドゥー教など、あらゆる教義をブレンド・ミックスしたものですが、麻原はそれをさらに、自分に100%都合のいい解釈へと変えていきます。本来、殺生を否定する立場にあるはずの仏教を、殺人を肯定する教えにまで捻じ曲げたのはまさに詭弁術です。麻原は説法の達人でもありますが、確かな宗教的知識と荒唐無稽な妄想をうまく織り交ぜて、その「詭弁術」により、説得力のある言葉を作り出していました。だからこそ、高い知能を持ち、高等教育を受けたエリートの若者たちまでもが、麻原に心酔し、洗脳されてしまったのです。

 三十歳。怪物、麻原彰晃が、いよいよ完成へと近づいていきます。
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目が見えない=心の目で見る=兄を教祖に担ぎ儲ける
他の感覚を上げたければ目を閉じる(英語力無いのにヒアリングテストは目を閉じて毎回学年トップでした。クラシックを聴く時に目を閉じて曲の中の景色を見たり)
シャクティーパットは古くからある医学の手当て(患部に手をあてる)
気を送ると緩和することがあります
祈りも一度だけ古来宗教と新興宗教の間の人にされて3ヶ月止まらない咳が止まったり
現代医学ではわからないなんらかの力があったりも経験しました(無宗教なので後日布教活動をしている治してくれた人に食料の差し入れをしただけ)

渋谷に修行スペースを手にいれるのは当時の不動産相場を考えると賃貸も分譲も高額な筈
尊氏に一般就業は難しそうだから漢方等で貯めたお金かな?
一度失敗してオウムをつくって出直したとすれば相当貯めてたと思う
と言うことは宗教家にならなくても漢方薬局や鍼灸師として有名になれたような
障害年金+漢方鍼灸師で一般人の倍以上の収入がありそう

尊氏は悪い人に見えないし、オウム事件が幹部達の暴走(サリンも尊氏を選挙で落選させた払いせ)で本当に「私はやってない潔白だ」かも
幹部達は減刑受ける為に尊氏命令と言ったのだとすれば

No title

>>Nさん

 シャクティパットなど神秘の体験はオウムの売りとするところですが、オカルトに興味を持たない私にはそうした体験がありません。たぶん信じる者にしか体験できないことなんでしょうね。

 渋谷に拠点を構えるにあたっては、兄から三百万の借金をしていたようです。バブルのころでもありますしそんなもんで足りるとは思えないので、まあ方々からせっせと金を掻き集めたのでしょね。西山祥雲のもとを訪れたときには、貯金は五、六十万程度ということでした。

 尊師はまあ、「清濁併せ呑む」って感じですかね。犯罪行為には、本人もそれを聖なる行いと思っていたかもしれませんし、信者から多額の金を巻き上げていたのは、何も100%騙そうとしていたわけではなく、本当に功徳を積んで救われてほしい、善意の気持ちはあったと思います。

 証拠のテープもありますし、一連のオウム事件は尊師が主導したと考えて間違いはないでしょうけど、上祐の光の輪のように、尊師一人にすべての責任を負わせるかのような態度はおかしいでしょうね。オウムはけして麻原の独裁国家ではありませんでした。

 賢明な元サマナは、「道は間違っていたかもしれないが、麻原さんはみんなの願いを背負って、ああいう道に行ったんだ。責任はみんなで考えるべきなんじゃないか」ということを語っています。一連の事件は麻原の被害妄想や破壊願望の賜物でもありますけど、そこに麻原なりにオウムの信徒たちのためを思ってああいうことをしたという考えを結び付けないのは浅はかだと思いますね。いずれにしても、この時代の修行者としての麻原と、オウムの教祖としての麻原は別人物のようです。

No title

犯罪者名鑑の更新ありがとうございます。
当時は何故知性も教養もある高学歴のエリート達がオウムの信者になっているのか不思議でした。
でも完成されつつある麻原を目の前にしたら今まで出会ったことのない人物で圧倒されたのではないかと思います。
エリートゆえの生きずらさや虚無感などについても麻原は勉強していたのでしょうね。

No title

>>seaskyさん

 麻原の説法については今後書いていきますけど、荒唐無稽な内容を語っていてもしっかりとした知識を混ぜて筋が通っているように「聞こえる」ように理論が構築されているから、生半可な知識だと迂闊に反論できないんです。あれは深く考えるエリートの方がむしろ洗脳されるでしょうね。

 逆にこういう説法は、私のように「わかんね」と、すぐ考えることを投げるタイプの人にはあまり通じません。でもそういうタイプの人も大勢信者にはなっていますから、論理的ではなく直観的な人を惹きつける魅力も、麻原にはあったということです。単純に「おお、すげえ」という。その魅力が発芽したのが、失明の恐怖の中目に負担をかける読書や修行に熱中していたこの時期だと思うんですよね。常人を超えた修行をした人には、それなりの徳がつくものです。

なぜインテリが? という声を幾度となく聞きましたが、完成度が高ければ例に漏れずインテリをも虜にするのが宗教の魅力なのでしょうね。


ノーベル物理学賞受賞者や、理性をとことん突き詰めたような学者も、宗教に肯定的な興味をしめしていますね。



私が尊師に関して凄いと思った点は、何も活動だけにとどまりません。

髭です。日本人にしてあれが自前とは……。


冗談抜きで、あれが「カリスマ」の一要因であったと言っても過言でない気がします。


No title

>>L.wさん

 どうも宗教には理系のエリートの方が傾倒しやすいところがあるようですね。専門家が語るところによれば、理系のエリートは研究室に籠りがちで世間を知らず、専門分野に関しての知識は凄いが他の分野、とくに文学書の読書量は少ないため、人間の持つ悪意や恨みなどの負の感情の消化の仕方がわからず、宗教の投げかける救いに縋りつきやすい・・・だそうです。サリンを作った土屋正実などは、失恋によるショックから立ち直れなかったことが入信のきっかけでした。

 常人離れした風貌も尊師のカリスマ性の一因ですよね。普通の仕事をやっていれば、まずあそこまで髭を伸ばすことができないですから、あれを間近でみたときの衝撃は並々ならぬものがあったと思われます。尊師といえば100名近い女性信者との関係が噂されていますが、あの髭では口淫による愛撫はできなかったでしょうね・・・。

オカルトと言うよりプラセボ=偽薬的なもの
幼い頃の「痛い痛いの飛んでゆけ」や泊まりのボランティアしてた頃に小学生が風邪の症状を訴えればビオフェルミンを風邪薬と言って飲ませれば9割型翌日に治ってたり(風邪薬のアレルギーの可能性があるから副作用の無いビオフェルミン使用)
過去に医学文献で手術時に生食注射して患者に「局所麻酔打ちました」と言えば5%が痛みを感じずに手術完了したり
プラセボについては新薬治験等で乳糖を使ったり等が続いてます
私が受けた○○教の祈りは無料だからダメ元で
実証されてない効果があるのか無意味なのかわかりませんがされても失うものが無いから
今でもバス待ち等で暇な時はキリスト教の祈りをしたい人がいれば祈ってもらいます

オウムは朝原氏が教祖になってからしかわかりません
当時週に何度も行く所の近くにオウムスーパーが有り、全商品1割引で売っていて他店で定価のパンストを良く買ってました
店舗でオウムラーメンが300円位で販売されてたのは食べる物はなんか怖くて食べなかったり教祖の歌声が録音されてるカセットテープ500円か1000円も買ってませんが消費者にとってありがたいスーパーでした
ラーメン食べた人は勇者扱いでした
その街を離れて暫くしてからスーパーは無くなりました

No title

>>Nさん

 違う薬でも風邪が治る話はよく聞きますね。結局思い込みに勝る薬はないってことなのでしょうか。シャクティパットは信心のない私のような者にまで利くのかは興味があります。

 オウムのお店は飲食でも雑貨でもパソコンでも、あり得ないくらい安かったそうですね(今でもどこかにあるそうですけど)。何しろ人件費がタダですからね。給料を支払う代わりに、「成就」を餌にして信者のモチベーションアップを図る麻原のやり方は本当に巧妙で舌を巻くほどです。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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