犯罪者名鑑 麻原彰晃 2

あさはら1

 
粗暴なジャイ○ン

 
 少年期から、智津夫の名誉欲、権力欲は旺盛でした。学級では常にリーダーシップを発揮しようと頑張り、「俺は将来総理大臣になる」「オリンピックの選手になる」など、自分を大きく見せる発言もこの頃から目立ちました。

 小学五年生のときには児童会長選挙に立候補。下級生にお菓子を配って票を買収するなど、子供らしからぬ念入りさと熱の入りようでしたが、結果はあえなく落選。それもそのはず、彼が配ったお菓子はもともと、以前から恫喝と暴力で下級生から巻き上げたものでした。それをそのまま下級生に返しただけで感謝されるわけもありません。選挙後には、自分に投票しなかった下級生を捕まえて尋問するなどしており、余計に評判を落としてしまいます。

 また、選挙に落ちた智津夫は、普段優しくしてくれる先生を捕まえて、「僕が落ちたとは、先生のせいじゃ。先生が僕に票を入れるなと皆に触れて回ったからじゃ」などと言いがかりをつけます。智津夫は後に麻原彰晃となってから、衆議院選挙で落選した際に「政府による票の操作が行われた可能性がある」などと信徒に発言して武力革命路線に踏み切り、「上九一色村の上空から、米軍や自衛隊の航空機によりサリンが撒かれている」などと思い込み、反撃の手段として自らが松本、地下鉄両サリン事件を起こしましたが、当時から物事をすべて他人のせいにする傾向と、被害妄想の癖があったようです。

 その先生は、大きな勘違いをしている智津夫に対し、「智津夫くんは、どうしてみんなに優しくしてあげんの。お菓子なんかじゃ、人の心は動かんよ」と言って諭します。反省した智津夫はそれから、一人ぼっちでいる下級生などを見つけると「どぎゃんしたとか、話ばしてみろ」と声をかけたりするなど、相手のことを思いやる態度を見せるようになっていきますが、それが人のためではなく、すべて自己の利益のためだけであることは幼い子供たちにも見抜かれていたようで、卒業するまでに立候補した生徒会長選挙では、智津夫はすべて落選してしまいます。
 
 権力欲、支配欲、自己顕示欲だけは人一倍でしたが、この頃の彼はまだ幼く、人を総べる手立てを知りませんでした。自分に人を思いやる気持ちがあることをアピールしようと、「走れメロス」の朗読会を開いておいおい泣いて見せたり、「松本智津夫ショーをやるぞ」などと言い出してリサイタルを開き、西城秀樹や尾崎紀世彦の歌をオンパレードで聞かせるなどして人の心を掴もうとしますが、彼の歌唱力の問題もあったのか逆に人望を失う結果となってしまいます。

 智津夫のやっていることを見ると、目立ちたい思いだけが空回りしており、目的のために地道な努力を重ねるといった考えが抜けていたようです。言動と行動が一致しておらず、理想はやたら高いが中身がまるで伴っていません(私も人のことを偉そうに言えませんけれども)。


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「僕には人徳がなか」


 世話になっている先生の前でワンワン泣きわめきながらそう漏らした智津夫でしたが、彼は一向に改心しようとはしません。人望を獲得しようと躍起になりますが、虫の居所が悪いとすぐ、下級生に暴力をふるっていじめたりして、せっかくの善行をチャラにしてしまいます。悪戯好きも相変わらずで、落とし穴を掘って同級生を怪我させたり、消灯時間を守らなかったことで寮母さんに叱られたのに対し、「電気ばつけられんのなら、寮に火をつけて明るくさせてやっぞ」などと言い返したり、仲間と町に出たときには道案内の見返りに盗みを働かせたりなど、問題行動、問題発言が目立ちました。

 智津夫がある意味不幸だったのは、盲学校の中でただ一人目が見えるという事実でした。盲目というハンディキャップを抱えた人には、やはり生活能力に限界があります。仲間内で連れ立って町へ出たときなど、どうしても智津夫に頼らざるをえない状況も発生するため、どれほど粗暴で嫌なヤツだったとしても、智津夫は一定の地位には君臨できたのです。このことが、智津夫が「気づく」のを遅らせてしまいました。人の信望を勝ち取るために地道な努力をするよりも、手っ取り早く脅して殴って言うことを聞かせる道に走らせてしまったのです。

  麻原彰晃は、本人や信徒たちが思い込んでいるような特別な人間ではありませんでした。カリスマを獲得し、成功を得る過程には、苦い挫折の経験があったのです。この件だけではなく、松本智津夫が麻原彰晃となるまでの人生は挫折の連続といってもいいものですが、挫折を繰り返した経験は、彼に教訓を残し成長させた一方、社会への恨みや破壊願望にも繋がっていったようです。
 

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 柔道との出会い


 
 暴力に物を言わせて威張り散らし、自身の歌唱力も弁えず「傷だらけのローラ」を熱唱し観客をウンザリさせる「ジャイ○ン」が、唯一無二のシヴァ大神の化身に化けるきっかけはどこだったのか。大きなターニングポイントとしては、二十七歳時に麻原彰晃の名を名乗り始め、宗教にのめり込み出したときがよくあげられますが、私はその伏線として、中学の部活動で柔道と出会ったことが大きいと考えます。

 智津夫は稽古に没頭し、盲学校では開校以来初となる初段、さらには講道館二段の段位を獲得します。高校時代、集会の際そのことが発表されたときには、智津夫は拳を振り上げ、目いっぱいの喜びを表したといいます。

 誰にも慕われず、嫌われ、蔑まれ続けてきた智津夫が、初めて人から喝采を浴びた瞬間でした。これまで何かといえば結果を焦り、適当な思い付きばかりで空回りを繰り返し、やることなすこと裏目に出ていた智津夫でしたが、柔道で結果を残し、皆から拍手を浴びる経験により「何事も地道な努力の賜物である」ことを学んだのです。この経験を忘れなかった智津夫は、十数年後、厳しい修行を積み重ねることにより最終解脱を果たし、多数の信徒たちから慕われるようになったのです。
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尊師の歌を聴いた際「教団内に他にいくらでも歌い手いたろ?」というのが率直な感想でした。

が、それは尊師の自己顕示欲やその他諸々が成せる技だったのですね。

No title

>>L、Wさん

 商業目的の歌もそうですけど、歌はうまい下手よりも、誰が歌っているかというのが重要になってくるんですよね。そこをわかったうえで本人が歌ったんでしょう。もちろん、尊師の目立ちたがりということもあると思いますw

 音痴だからこそ印象に残るということもあるでしょうし、オウムソングは曲としての出来栄え云々よりもとにかく覚えやすさに特化した、教団の宣伝目的としては実に完成度が高いというのが専門家の評価です。

 また尊師の声というのは何か引き込まれるというか、人に訴えかける独特の周波数を出していたという説もあります。かのアドルフ・ヒトラーに近い何かがあるとか・・。いずれにしても、尊師の歌が当時の小中学生の間では、安室奈美恵以上に歌われていたことは動かしがたい事実です・・。

 コメントありがとうございます。これからもよろしくです。

1995(ヒトクイキュウコウ)

もしあの電車に乗っていたら
何年も就活失敗に苦しむことはなかった
大学卒業後数年はこんなことばかり考えていた
人生に絶望したのはこの時が初めてではなかったので
それでも小学生時代に比べればマシと思って生きていた
麻原の思想は自分には共感できる所は皆無だが
死刑廃止派のジャーナリストが麻原の事件のせいで存置派に変わったという噂もあり
多くの他人の人生を変えてしまう力は持っていたんだろうな…

No title

>>MSKSさん

 麻原彰晃という人間を大犯罪を犯した狂人というフィルターを外してみると、視力の障害や数々の挫折を乗り越えて成功を掴んだ点や、自分の欲求に素直なところ、面白おじさん的エピソードなど、なかなか共感できるところも多いです。

 就活の失敗などは、まさに多くの若者がオウムに入信するきっかけでもあったんですよね・・・。オウムの大多数の信者は、犯罪的傾向のないごく普通の、悩み多き若者であったといいます。私ももしあの時代に然るべき年齢であったなら、オウムに入っていたんじゃないかという気がしてならないです。

オウムはシゾフレ人間の集まり
と某精神科医に言われているが
自分には全く当てはまる要素がない

むしろ発達障害的な性格とシゾフレ的な性格は両立するのだろうか?

No title

>>MSKSさん

 カルト宗教にのめり込みやすい体質の人は、自分で物事を決断できないシゾフレ的な人とはよく言われますよね。私もそうですけど発達障害は自分の世界を強く持っており、ワガママである分自分の意思は固いですから、、カルト宗教には嵌りにくいようには思えます。ただそれは傾向の話であって、全てのケースに当て嵌まる話ではないようですね。

 オウムというと厳しい戒律と修行の毎日を送り麻原への絶対服従を求められるイメージがありますけど、それは一部の出家教徒に限ったことで、教団の多数を占める在家の教徒については、そこまで教団の意思を押し付けられることもなく、破戒に関してもある程度寛容だったようです。そもそも幹部教徒の中にさえ、麻原を「醜い豚野郎」と陰で言う人もおり、恋愛沙汰など破戒三昧でしたから。麻原が唱える解脱への道筋、カルマ落としの方法なんてこともその時々によってコロコロ変わってますし、教義の内容ははっきり言ってガバガバでした。

 後にまた記事の中で詳しく述べますが、オウムの中で麻原はけして絶対君主ではなく、その考えを誰もが100%真に受けていたわけではありませんでした。一般社会において法律やマナーを守ることが必ずしも尊ばれるわけではなく、ときにワルが持てはやされたり、女子高生をハメたったなんて話が自慢げに語られることもあるように、教義の内容を理解し実践することは、オウムの信徒として必ずしも絶対的なものではなかったように、私は思います。

 洗脳度の浅かった在家の教徒や、途中で脱会した出家教徒へのインタビューでは、一定数の人が「オウムの人はみんないい人で居心地がよかった」ということを語っており、麻原についても「みんなのお父さんみたいだった」と、人格を肯定する意見も聞かれます。

 一連の事件や報道によるイメージで、オウムを狂気のカルト集団と捉えてしまうと本質からかけ離れてしまうと思うんですよね。オウムはむしろ一般社会の縮図であり、雑多な個性が入り混じった、ある意味日本のブラック企業や体育会系なんかよりも健全な部分があったようにも思うのです。そういうところですから、シゾフレとは対極的な位置にある発達障害的な人間も、教団に何かしらの形で貢献さえしていれば「愛すべき個性」として認められていたような気もするんですよね。

 発達障害は自分の意思がなにより大事ですから、確かに門をくぐるまでのハードルは大きいと思います。でも一度入ってしまえば、オウムの中は案外居心地がよかったんじゃないかという気もするのです。ワークができなかったからといって怒る人もいないですしね。

 まだ勉強の途中であり自信を持って言えることではないんですが、これが取りあえず今の時点の自分の考えです。

私にも人徳がないよヽ(;▽;)ノ
偏見で恐縮だけどスポーツとは縁遠いイメージの尊師が柔道に長けていた事とリアルジャイアンの時期があった事に驚いたよ…
尊師は柔道から努力を学んだんだね

No title

>>OKBさん

 凶悪犯罪が起きると、ヤフコメなどで「努力しなかった自業自得」という意見が並びますが、それも100%間違っているわけではなく、確かに凶悪犯罪者には勤勉性に欠けた人が多いです。しかし、麻原はその特徴として非常に勉強家で、目的のためになら地道な労力を惜しまない強みを持っていました。麻原もあれだけの組織を一朝一夕に作り上げたわけではなく、地道な努力をしていたわけで、その勤勉性をいつ、どこで、何で体得したかといえば盲学校時代の柔道だったと思います。

No title

麻原の学生時代はなかなか濃い時間だったようですね。
権力欲、支配欲、自己顕示欲だけでは人は付いてこないということを学習するあたり流石ですね。
麻原の朗読会やリサイタルは後に教祖になってから信者達の前で行うことと重なりますね。
挫折の経験は両面あるのは確かでしょうね。
今後の成長の糧になる面もあれば社会への復讐心も湧き上がるものですからね。
部活で柔道をしていたというのは凄いですね。
体力も精神力も必要とされる競技で途中で辞めずに結果を出すというのは自信になったでしょうね。
何事にもへこたれずに物事に対して努力する能力は柔道で養われたのかもしれませんね。

No title

seaskyさん

 麻原のカリスマ性というのはけして持って生まれたものではなく、挫折の経験と学習によって身に着けたものであるというのは興味深い点ですよね。「人は誰でも、神秘の力を持っている」――凡人でも強く願い、努力すれば、神の力を身に着けることができるという、超越神力の歌詞をまさに地で行く人生です。

 麻原の学生時代で唯一、ホンモノの財産になったといえるのは柔道の経験でした。ペテン師特有の一発逆転の発想ばかりではなく、地道に一つのことをやり遂げるということを知っていたのが、あれだけの成功につながっていきましたね。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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