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犯罪者名鑑 北九州監禁殺人事件 1

じゅんこ

 
 緒方純子

 緒方純子は昭和37年、福岡県久留米市安武町の豊かな旧家の長女として産まれました。

 父親の誉(たかしげ)は民間企業に勤めたあと農協に入り、事件当時は副理事を務めていました。厳格を絵に描いたような性格で、仕事では勤勉。娘二人も厳しくしつけ、純子の妹の理恵子の友達が家に遊びに来たとき、「勉強をしないなら帰れ!」と怒鳴り付けたこともありました。

 母親の静美は民間企業に勤め、美人で賢く、夫の誉を立てる良妻と評判でした。家事、育児の合間に農作業も手伝うなど一日中働き、誉にとっても自慢の妻でした。

 純子より3つ下の妹、理恵子は活発な性格で、高校生になると両親に内緒で男の子と遊んだりすることもあったようですが、純子は真面目一辺倒で、男の子と付き合うこともなく、制服や髪型も学校の規則通りにしていました。純子は短大を卒業すると幼稚園の先生に、理恵子は専門学校を卒業して歯科衛生士になりました。

 純子は子供好きで、保護者にも丁寧に接するなど、幼稚園での勤務態度は良かったようです。周囲の誰もが、純子もちゃんとした男性と結婚して自分の家庭を持ち、順風満帆な人生を送っていくと信じて疑いませんでしたが、短大二年のとき、自宅に一本の電話がかかってきたことから、地獄への扉が開かれてしまいます。

 「ふとしちゃんやけど、覚えとる?高校時代に借りた50円を返したいんやけど」

 「緒方の家にどまぐれた(不良)は一人もいなかった」と言われるほど、周りには謹厳実直で通った一家が、一人の男――松永太と関わったばかりに「全員抹殺」の運命を辿ることになってしまいました。

 松永太

 純子に比べて、松永太の育った家庭については詳しいことはわかっていませんが、母親や祖母に甘やかされて育てられたこと、布団販売店を営む父親は見栄っ張りな性格で、暴力団と交際があり、また松永の母親にたびたび暴力を振るっていたという話が伝わっています。松永が女性を暴力で支配するのは、もしかするとこの父親から受け継いだ性質だったかもしれません。

 小、中学校では大して勉強もしないのに成績が良く、バレー部でキャプテンも務めるなど、一見優秀な生徒でしたが、自分を大きく見せるようなことばかり言ったり、ウソを平気でつくので、教師からの評価は必ずしも良いものではありませんでした。1年生のときに参加した弁論大会で3年生を打ち負かして優勝するなど、弁舌のうまさと声の大きさはこの頃から際立っていました。

 高校に進んでからは風紀委員を務めていましたが、2年生のとき、家出少女を自分の部屋に泊めたことが発覚し(おそらくはおしゃべり好きの松永が自分で周囲に言いふらした)、男子校への転校を余儀なくされます。

 卒業後は大学には進まず菓子店に就職しましたが、わずか10日ほどで退職し、家業である布団販売店を継いで経営者となった松永は、3年後には「松永商店」を「ワールド」の名で有限会社にします。その2年後には「ワールド」を株式会社とし、5000万円の融資を受けて実家の敷地内に3階建てのビルを建てるなど、気鋭の若社長として活躍しているようでしたが、「ワールド」の実態は、詐欺商法を繰り返すとんでもないものでした。

きたきゅうしゅ


 株式会社「ワールド」 

 20歳で純子と再会したときの松永は仕立ての良いスーツを着て高級車を乗り回し、大層羽振りが良く見えたそうで、また自宅敷地内に3階建てのビルを建てたときには300人もの人数を集めて盛大な新築祝いを行ったそうですが、そうした派手な金遣いは松永の過剰な見栄からくるもので、実際の「ワールド」の経営は自転車操業そのものでした。

 従業員にタコ部屋で共同生活をさせ、薄給で散々こき使い、飛び込み営業で高額な布団セットを販売させる。商品が捌けなければ家族に売れ、友人に売れと営業マンに圧力をかける。そこまでは昔のブラック会社にはよく見られた光景ですが(許されないことですが)、松永はさらに、布団を売れない社員や、自分に反抗的な社員に対し、空手チョップや四の字固め、踵落とし、そして「通電虐待」などの暴力を振るっていました。

 通電はもともと、「ワールド」の従業員の一人が戯れに電気を流す器具を作り、酒の席でみんなに見せびらかしていたものでした。初めに造られた器具は、電池の両端に接触した電線の被覆を剥がし、剥き出しの銅線に触れるとピリッと電気が流れる程度のものでしたが、松永はそれに異様な関心を示し、独自に威力を上げる改造を施していきました。

 通常において、詐欺で金銭を得ようとする知能犯の性質と、弱者をいたぶることに興奮を覚える性的サディズムは一人の人間の中に同居することはありません。詐欺を働くような人間はたとえその延長として殺人を犯すことがあっても、それはあくまで最終手段としてであり、また人を必要以上にいたぶることはしません。快楽殺人者は金銭欲よりもむしろ自己顕示欲を全開にし、殺害方法へのこだわりは強くとも、金を得るために手間のかかることはしようとしません。

 松永太は天才詐欺師としての側面と、シリアル・キラーとしての側面を併せ持つ、世界にも類をみない犯罪者でした。詐欺と連続殺人の両方をやってのけた犯罪者としては、「復讐するは我にあり」の西口彰がいますが、西口が殺人についてはかなり雑な面が目立ったのに対し、松永の殺害方法は恐ろしいほどに綿密であり、また松永は「通電」をはじめとする虐待を、「金主」と呼ぶ人間から金銭を得ることに巧みに利用していました。

 天才詐欺師の側面とシリアル・キラーの側面を両立し、尚且つそれが密接に連携している松永は、まさしく犯罪において悪魔に選ばれた男でした。

 ワールド時代の松永にこんなエピソードが伝わっています。

 契約を交わしたあとに支払いを渋る客の家に、松永は従業員を引き連れて乗り込み、客を散々に罵倒する。客を責めるのはもっぱら従業員で、松永は途中までは黙って聞き役に徹し、ときに客の言い分に同意したり、荒ぶる部下を止めるなどして、客に自分の味方であるかのように思い込ませる。松永に気を許し始めた客が仕事がないことを打ち明けると、「ならうちで働けばいい」と客をタコ部屋に押し込めて、2年間、タダ働き同然に働かせる。

 このように、初め善意を装って相手に近づき、相手が自分に心を許し始めたのを見て取ると、今度は一転して相手の落ち度を突き、相手に負い目を抱かせ、自分の要求を飲ませる方向に持っていくのは、松永が緒方家の人々を洗脳にかけた手法と酷似しています。

 「ワールド」時代は松永の原点ともいうべきもので、松永はこのとき学んだ口先三寸と通電虐待のノウハウを強化し、緒方家をはじめとする様々な人から財産をだまし取っていったのです。

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 サイコパス

 上記のような手法で、松永は「ワールド」時代、約1億8000万円を荒稼ぎしたといいますが、「ワールド」は結局、松永30歳のときに9000万円の負債を残して倒産しました。

 松永は大変頭の切れる男だったのは事実ですが、彼の才能はあくまで詐欺師どまりでした。そもそも彼が本当に有能な男であれば布団販売会社の経営に成功し、あのような凶悪犯罪は起こさなかったでしょう。

 サイコパスは経営者の中にも一定数いると言われています。確かに多数の人間を動かしてビジネスを成功させるには、ある意味、人を道具としてみる感覚というのも必要なのかもしれません。それが会社の経営を軌道に乗せ、多くの従業員に高い給料を支払い、十分な休養も与えて幸福な生活を送らせるという方向に行くのであれば必ずしも否定されるべきものではないでしょう。

 しかし、中には従業員を不当に低い賃金で酷使し、自らは贅沢な暮らしをするという経営者もおり、こうしたブラック企業が社会問題化し、総力をあげて撲滅させるという方向に向かっていることは、我々は良く知るところです。

 松永太は稀代のサイコパスといわれる犯罪者ですが、では、普通の人間が松永のようになってしまう可能性はまったくないのか。

 松永の持つ強欲、見栄っ張り、といった資質は程度の差はあれどんな人間も持っているもので、ウソをついたことがない人間もこの世にはいません。日本ではついこの間まで体罰を推奨する風潮があり、ブラック企業やパワハラも絶滅したわけではありません。

 例えば誰にも善人として知られ、従業員を家族のように思う経営者が、傾いた会社を何とか存続させようとした結果、自らも死ぬほど働いたうえで、従業員に無理を強いることがあったとする。従業員からみて、それはサイコパスが私腹を肥やすのと何が違うというのか。確かに経営者に悪意はありませんが、会社の存続のためだ、俺も我慢しているんだからと行為を正当化している分タチが悪いともいえる。

 そもそも我が国には、国家間の戦争に勝つためという名目で国民に「欲しがりません勝つまでは」の我慢を強い、特攻で若い命を無益に散らせた過去がありますが、犠牲になった人々からみれば、当時の日本という国そのものが松永太だったと言えなくもないのではないか。

 松永は本当に特別なモンスターなのか。条件さえ揃えば、普通の人間がサイコパスのような行為に走ってしまうこともあるのではないか。

 また、事件の共犯者である緒方純子は自らの家族を手にかけた殺人者ですが、同時に、松永の暴力の被害者でもあり、また松永とかかわる前の純子は普通以上に善良な人間でした。普通の人間が松永のようなサイコパスに目をつけられたとき、どうやってその魔の手から逃れたら良いのか。

 この記事ではそうした視点からも、事件を追っていきたいと思います。
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party people 6

                                     16

 非正規の派遣という身の上ながら、将来の不安など何もないというように明るく、笑顔の絶えない影沼の周りには、いつも多くの人が集まっていた。

「おはよう、高田っち。今日はお漏らししないように、パンパースを履いてきたかァい?」

「は、ははは、履いてないよ!も、ももも、もう漏らしたりなんかしないよ!」

 影沼が、数日前、作業中に粗相をしてしまった派遣社員、高田を茶化すが、その場の空気に嫌な感じはない。

 高田は、社会人になってからトイレに失敗してしまった者の多くがそうするように、一度は会社を辞めようとしたが、影沼の説得によって思いとどまり、会社に残ることを決めた。

――高田っちは確かに、お漏らしをしてしまったかもしれない。社会人にもなってお漏らしをするような人は死んだほうがマシだし、お漏らしをすることは、自殺をするほど恥ずかしいことだ。だが、死ぬべきことではあっても、仕事を辞めるほどのことじゃない。高田っちはお漏らしをしたって、会社にいていいんだよ。

 影沼の言葉で救われた高田は、翌朝、何事もなかったかのように出勤し、己に集まる白い目を物ともせずにラインに入った。

 影沼の言っていることの意味はわからないが、影沼の言葉には不思議な説得力がある。影沼と言葉を交わした者は皆その不思議な魅力に囚われ、たちまち彼のシンパとなる。

「おお清田っち。どうしたんだァ?そのみかんはァ?」

「あっ。こ、これは、その、道端に落ちてたから」

「道に落ちてたみかんを拾ってきたのかァ。じゃあ、虫に食われているかもしれないし、ワンちゃんのよだれがついているかもしれないなぁ。そのみかんを、大好きな光代さんに食べさせる気かぁい?」

「そ、そそそ、そんなことしないよっ。お、俺が自分で食べるよっ」

 道路の端に落ちていたみかんを、拾って持ってきてしまう。

 なぜ?ただ、持っていきたかったから。

 食べるわけでもないし、後の処理に困るだけなのに、丸いものに惹かれる子供や犬と同じように、ただ持っていきたかったという理由だけで、道に転がっていたものを拾って持ってきてしまう。

 衝動と結論が直結している。小学生や犬なみに、後先のことを考えずにやりたいと思ったことをやってしまう男の行為にフォローを入れて、周りから微笑ましい目で見られるようにしてあげる。 

「こらこら、樋口っちと中村っち。発泡スチロールの棒でチャンバラごっこなんかしたりしたら、ダメじゃないかぁ」

 五十代の、ハゲて腹の突き出たオッサン同士が、発泡スチロールの棒を剣に見立てて打ち合う。

 なぜ?ただ、やりたかったから。そこに深い意味はなく、ただ、楽しそうだったからという理由で、周りからの目を気にせず、剣の打ち合いをやってしまう。

「カッコいいところを女の子に見せたいのはわかる。だが、五十歳を過ぎたら、そんなことをやっても女の子は振り向いてくれないぞぉ?それよりも、大人の男らしく、寡黙に文庫本でも読んでいたらどうだぁい?」

 チャンバラ男たちを茶化して笑いを取りつつ、さりげなく、彼らにモテるためのアドバイスを送る。彼らを見下すことも、頭ごなしに否定することもせず、やることなすことが子供じみた彼らが会社の一員として受け入れられるように取り計らう。

 影沼のお陰で、湿っていた派遣社員たちの雰囲気は明るくなった。これまで、ひと月持てばいい方だった離職率も激減した。
だが、そうした職場の状況の改善を、苦々しい目で見つめる者たちもいた。

 この期に及んでも、貧乏、不細工、無能であっても清く、正しくあることこそが正解だと信じ、それを人にも押し付けてこようとする連中、ココロキレイマンたちである。

「ふざけたことばかりしやがって。職場を何だと思ってる。岸くん、あいつら調子乗ってるんだ。ぶちかましちゃってくださいよ」

 影沼が、ココロがキレイでない方が幸せになれることを「証明」して見せても、未だに納得できないココロキレイマンたちは、亡き藤井の親友、岸を担ぎあげて、影沼のシンパに対抗する動きを見せ始めていた。
「よし・・・・」

 決闘上に赴く剣士のような眼差しで、岸が己の作業するラインへと向かっていく。

 ココロキレイマンが岸を担ぎ上げてやり始めたのは、俺たちがやっていることの逆。

すなわち、貧乏、不細工、無能であっても、金持ち、イケメン、有能と同じように、ココロがキレイであった方が幸せになれると「証明」してみせようとすることだった。

「岸くん!川辺さんが振り向いてくれないからって気にするな!君はこんなに仕事ができるんだから!」

 シゴトスウコウマン、田辺が、岸のライン作業の手際を褒めて、ココロがキレイであった方が幸せになれると、岸を使って「証明」しようとする。

「岸くん!俺たちはこんなに仲が良いんだから、川辺さんが振り向いてくれないからって気にするな!さあ、飲みに出かけよう」

 キズナダイジマン、矢島が、自分たちの親密さをアピールすることで、ココロがキレイであった方が幸せになれると、岸を使って「証明」しようとする。

「任せてください!俺、俺なんでもしますから!仕事終わったら、みんなでパーッと盛り上がりましょう!」

 ヤケクソ顔で、張り切っているように見せる岸だが、彼の姿に、憧れの川辺美都は目もくれない。

 それも無理はない。なぜなら、非正規のライン作業がうまくできることなどはすごいことでもなんでもなく、カッコイイことでもなく、意味があるかないかでいえば、まったく意味のないことなのだから。

 身も蓋もない話ではあるが、それが真実なのだから仕方がない。

 警備員時代に世話になった森尾がいい例だが、常日頃自信ありげなことを言い、実際、人並み程度には能力があると思われながら、条件のいい会社に移ったり、もっとやりごたえのある仕事に挑戦しようとせず、いつまでも低賃金の単純労働の世界に留まり続けているというヤツを、これまで腐るほど見てきた。

 俺がいなければ会社が回らないとか、後に残る人間が心配だとか、奴らはもっともらしい理屈を並べ立てるが、ようは井の中の蛙の立場に安住し、上のステージへの挑戦を恐れているだけにすぎない。ギリギリの生活を半端なプライドだけで支えている連中は、条件の良い職場で埋もれた立場になるよりも、劣悪な職場で王様気取りをしていたいのである。

 正社員のラインリーダーとして派遣労働者を使う中で、そんなくだらない井の中の蛙を山ほど見ている川辺美都は、岸がライン作業で優秀さをアピールしても目もくれない。それは予想通りだからいいのだが、わからないのは、ココロキレイマンに操られるがまま、ライン作業に熱中して醜態を晒し続ける岸である。

「もともと岸のヤツは、ココロキレイマンじゃなかったはずだよな。自分がこんなに頑張っているのに、なんで美都に相手にされないか、その理由はわかっているはずだが・・・」

 俺が言うと、影沼が憐れむ視線を、五メートルほどの長さのラインを縦横無尽に移動し、手際よく作業を進める岸に向けた。

「恋がすべてを狂わせる。イケメンの岸ちゃんは、まさか自分が美都ちゃんにあんなに冷たくされるとは思っていなかった。そこに来て、こんな不細工で何の取り柄もないような俺たちが、美都ちゃんとバーベキューの約束を取り付けたことで、もうどうしていいかわからなくなってしまった。今の岸ちゃんは混乱の極み。藁にも縋りたい状況にあるが、こんなときに頼りになるはずの、親友の藤井ちゃんはもういない。そんなときに声をかけてきたココロキレイマンの囁きに、つい耳を傾けてしまったんだ」

 影沼が、岸がココロキレイマンになってしまった理由を、そう分析した。

「アイツもああなっちまうと可哀そうだな。助けてあげる?」

 自分の言葉に驚いていた。

 親の仇のように憎み、嫉み、根絶やしにしたいと思っていたイケメンに、よもや憐れみをかける日が来るなど、思ってもいなかった。地球上に残っている核を全部集め、頭目掛けて撃ち込んでやりたいと思ったイケメンを、この俺が可哀そうだとか、救ってやりたいと思うときが来るとは、地球は明日なくなってしまうのか?

「いや・・。忘れちゃいけない。俺たちが救うのは、貧乏で不細工で無能、この三重苦を背負ったヤツだけだ。貧乏、不細工、無能、そのどれにも当てはまらないヤツは、同じ派遣をやっていても可哀そうでもないし、救済の対象にはならない。忘れちゃいけない、落ちぶれたように見えても、奴らは俺らの敵だ」

 かつて受けた屈辱を思い出し、唇をわななかせながら言うと、影沼が俺の肩に手を置き、深く頷いた。

 忘れてはいけない、ヤツらから受けた仕打ちを。忘れてはいけない、夜ごと流した涙を。忘れてはいけない、空しくティッシュに吐き出したザーメンの数々を。忘れてはいけない、ヤツらに潰された、俺の無残な恋の数々を。
 
 忘れてはいけない、許してはいけない。貧乏、不細工、無能、このどれにも該当しないヤツとの妥協は、現時点ではあり得ない。
 
 岸がココロキレイマンを頼りにするなら、ヤツを容赦なく追い込んでやる。岸がココロキレイマンなんかと関わったことを心底後悔するまで。さもなくば、あの竹山同様に自殺を選ぶまで、岸の人格を呵責なく踏みにじり、ボロボロにしてやる。

「美都ちゃーん。た、たたた、大変だぁ。か、かかか、完成品の入った箱をひっくり返しちゃったぁぁぁぁ」

「ええ~。もぅ、これからは気を付けてくださいねっ」

 美都の寵愛を受けているのは、美都がリーダーを務めるラインの作業者である影沼と俺。岸ではなく俺たちが、美都の関心を集めている。

「あっ。ところで美都ちゃん、今度のバーベキューなんだけどさ。できたらその、あの泊まりでどうかな?テ、テントとか張ってさ。あ、別に変なことを考えているわけじゃないからね。その、あの美都ちゃんとエッチなことしたり、その、怪しいことしたり、スケベなことしたり、パ、パンツを脱がせたりしたいわけじゃないからね?」

「それ、このタイミングで言いますぅ?でも・・イイですよ、泊まり」

期待が高まり、鼓動が高鳴る。思いも寄らず、川辺美都と泊まりでデートできるというチャンスが舞い込んできて、俺の胸に、甘く切ない感情が込み上げてくる。

「それじゃ、バーベキューじゃなくて、本格的なキャンプですね。青木さんは、彼女さんは連れてくるんですか?」

「え?い、いや・・。満智子は、ど、どうなのかな」

 俺の気持ちなど露も知らない川辺美都が無邪気な顔で訊いてくるのに、俺は答えを濁した。

 美都に話しかけられると、満智子―-何度も身体を重ね合わせた女のことが、頭の中から、まるで初めからいなかったかのように消え去ってしまう。脳裏のすべてが美都で満たされ、もう、美都のことしか考えられなくなっていく。

「おほっ、はほっ、んンンくっ、智哉ぁ、智哉ぁっ」

 あれほど欲情したはずの満智子の波打つ腹が、お下劣なものに見えて仕方がない。

「うううぅぅぐっ、智哉ぁ、アン、ア・・・」

 満智子が俺の上に跨り、ひしゃげた乳房を上下左右に振りたくり、獣のように吼えながら乱れる姿を見ても、エロさを感じない。

 それよりも、淡い果実のような美都を腹の下に抱き、恥じらい、懸命に快楽を押し殺そうとする彼女を、ガラス細工を扱うように優しく、俺の硬いので擦ってやりたいと思う。

「きょ、今日は中でイクぞっ、イクぞっ、イクぞォッ」

 美都の中に、ぶちまけたかった。

17

 週末、俺たちは近所のハイキングコースに、昆虫採集をしに訪れていた。

「夏真っ盛りだからなぁ、カブトやクワガタが、いっぱい取れるといいなぁ」

 二十代後半から五十代前半にかけての男たちが、虫取り網を片手に、木々をかき分け歩いていく。まだ心の痛みを知らなかった頃のように目を輝かせ、カブトはいないか、クワガタはいないかと、クヌギやコナラの樹皮を見て回っていく。

「うォォい、木の割れ目から、ヒラタクワガタが獲れたぞぉ!」

「マジかよぉ。こっちはカナブンばっか・・。あ!カブトムシがいたけど、メスかぁ」

「ヒエーッ、クワガタかと思ったら、マイマイカブリだったぁ!」

 近頃、もう、思い出せないほど遠く昔に置いてきた気持ちを取り戻しつつある男たちの先陣を切って、カブト、クワガタが三、四匹もひしめく虫かごを肩からぶら下げ、雑木林を奥へと進んでいく影沼の姿が、俺には眩しく見えた。

「よし。沢山獲れたようだから、街に戻ろう」

 昆虫採集を終え、車で街まで戻り、ホームセンターでカブト、クワガタの飼育環境を整え、それからみんなでアイスを食べながら、河川敷を練り歩く。

「あ、影沼っちだ。せーの、影沼っち~」

 ヘルメットを被って自転車を漕ぐ女子中学生たちに呼びかけられ、影沼が手を振って応える。

 金もなく顔も悪く、賢くもなくても、明るく前向きに生きる影沼の姿に、人は惹きつけられる。影沼が工場に来てから三か月あまり。いまや影沼は、地元でちょっとした有名人になりつつある。

「あっ・・。おい、あれ」

「ん・・?」

 仲間の一人が指さす方を向いてみると、実の姉を殺害した江島と、新たにココロキレイマンとなった岸が二人で、八月の昼間の強烈な熱線を浴びながら、道端に落ちている空き缶、空き瓶、チリ紙の屑などを拾い集めている姿が目に映った。

「岸くん。いいことをすれば、過去の罪は許される。さあ手を緩めるな。日暮れまでに、このゴミ袋をいっぱいにしよう」

 江島は罪というが、岸が過去にどんな罪を犯したというのだろうか。

 いや、罪なら犯している。イケメンはイケメンらしく、高嶺の花を狙ってくれる分には、美人などは端から諦めている俺とはバッティングしないし、フラれたときの惨めな気持ちも同じと言える。

 いけないのは、イケメンが「見た目よりも内面に惹かれた」などとフザけたことを言って、その実、成功率の高い相手と確実にセックスすることだけを考えて、俺がヤリたくて仕方のない友麻のような微妙な女を持っていくことだ。

 女が岸のようなイケメンと俺のようなキモメンに同時に声をかけられれば普通はイケメンを選ぶし、イケメンが微妙な女を相手にすれば、女どもが勘違いを起こし、ますます俺のようなキモい男を相手にしなくなる。

 見た目よりも内面に惹かれた、なとといって微妙な女と付き合うイケメンは、心がキレイなわけでもなんでもなく、ただ志が低いだけのクソったれ野郎だ。

 生態系を破って、ジャッカルの獲物である野兎を持っていこうとするライオンの如く、ルックスに恵まれなかった男の、切実な性欲の捌け口を奪っていく節操なしのイケメンには死。奴らの罪はそれこそ、実の姉を殺害した江島にも勝る大罪である。

「さぁ、今度は街をパトロールだ。歩きスマホや、老人が横断歩道で立ち往生しているのに渡らせようとしない悪質なドライバーがいたら、即座に注意だ。鉄拳制裁も辞さない覚悟でな。岸くん、俺たちの手で、この町を良くしよう」

 誰かのためではなく、自分が気持ちよくなるためだけに善行をしようとするココロキレイマンは、平和が一番のようなことを言いながら、他人に対して攻撃的である。 

 良いことをしているはずなのに誰にも褒めてもらえず、エクスタシーが満たされない。そんな独りよがりな奴らは、自分のしている良いことをしない他人を見下し、責めることで、自分のしていることの意義を見出そうとするのだ。

「はい、江島さん!頑張ります!」

 藪蚊に刺され、日焼けして真っ赤になった顔を綻ばせながら、トングと袋を持って路上の植え込みの間を歩いて回る岸だが、その目じりには、汗ではなく涙が滲んでいるように見える。

 何をどう頑張っても空回り。もう何をやっていいかわからない。底辺世界でそんな思いを抱えているのは、岸ばかりではない。
我慢、屈従、忍耐・・挫折。

 人生の中で、その比重が理不尽に大きいと感じたならば、そのときは、自分がこれまで人から言われてきた正しいことに、疑いを持たなければならない。

 人を妬まず、憎まず、謙虚であり愚痴をこぼさない。それで本当に幸せになれるのか、それで豊かになれるのか、それが本当に、 人生において必要なことなのか。

 俺たちは解放されなければならない。貧乏、不細工、無能なヤツは、金持ち、イケメン、有能なヤツらが勝ち逃げを決めるために作り上げた常識、ルールなんか守らなくていい。金持ち、イケメン、有能に勝ちたいなら、そいつを絶対守ってはいけない。

 誰にも何も期待されない俺たちは、もっと自由に生きていい。自分を思い切り解き放てば、人生の楽しみは無限だ。

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「うわぁい、海だ海だぁ!」

 夏といえば海水浴。だが、貧困層特有の、異常に糖分に偏った食事メニューで体型の崩れた男たちは、水着姿の若い女がひしめく昼間には、けしてビーチに出たりはしない。

「冷や、冷やぁ。ちべてぇ。ちべたくて気持ちィなぁ」

「おぉい、花火もあるぞぉ。花火やろうぜぇ!」

 これまで、会社の若い女たちから散々、己の容姿に侮蔑の視線を投げかけられていると被害妄想に苛まれていた男たちが、「天敵」である若い女は影も形も見えない、真夏の夜の、無人のビーチで躍動する。

 煌びやかな光を放つ若い女にとって、容姿が悪く、金のないオッサンたちはキモいのかもしれない。だが、金のないオッサンにとって、若い女は「怖い」。

どれほど見目麗しくとも、自分たちに敵意しかないとわかっている相手に、魅力を感じることなどあろうはずもない。

「心の傷ついた俺たちに、太陽の光は眩しすぎる。俺たちには、月の光の淡さが心地良いんだ」

 ビールを飲みながら、線香花火を見つめる影沼の言葉が染み入った。

 俺は花火をバケツに捨てると、ひとつ深呼吸して、みんなで乗ってきたワンボックスカーの方へと歩いていった。

「ハッ、ハッ、フウ。き、きみ、可愛いねぇ。ぼ、ぼくの、お嫁さんになってくれる?」

 ワンボックスカーの中では、四十二歳の田丸が、駅前で拾ってきたホームレスの中年女を全裸に剝いて、ナンのようにペロンと垂れ下がった乳房を揉みしだいていた。

 ホームレスの中年女は、歳は若く見ても五十は越えており、頭髪には白いものが目立ち、犬小屋に敷いたバスタオルのような据えたニオイを放っている。体毛の処理など施しているはずもなく、秘部を覆う毛は太ももの付け根まで生え広がっており、腋毛も男性並みに生い茂って、赤茶けた地肌を覆い隠している。

 田丸がいたずらしているホームレス女は醜悪である。だが、その醜く、臭く、毛むくじゃらな中年女こそが、金のないオッサンにとっての「アイドル」。

 すでに、何人かの男たちが堪能した後の「お姫さま」にむしゃぶりつく田丸は鬱と不安神経症を患っており、飲んでいる精神安定剤の影響でインポテンツになってしまって、勃起はおろか、射精もできない。

だからこそ、長く楽しめる。

「あっ。あっうぉぉぉおっ。や、や、やっべておんべてぇっ、てえ、てぇっ」

 ホームレスの中年女が、鬱と不安神経症に蝕まれているのに、性欲だけは一丁前の田丸に犯され、涙と洟を流して悲痛な叫びをあげるのを見て、俺の股間もテントを張っていく。

「お。青木くんも、戦闘準備万端だねぇ」

「・・・・・・」

 見た目が悪いからといって、恋を、セックスを諦める必要などない。だが、こちらの見た目が悪いのなら、こちらも女の容姿を問うてはいけない。美人と分け隔てなく、ブスとババアにも勃起しなければならない。

 影沼の決めた鉄の掟だが、そんなことは、俺は影沼に出会う前からわかっていた。

 ずっと、ブスとババアを狭い密室に連れ込んで、好きなようにしたかった。警察に駆け込んでもまともには相手にされず、こちらに捜査の手は伸びてこないであろうブスとババアを監禁して、卑猥なことがしたかった。

 俺たち貧乏、不細工、無能にとって美人が高嶺の花で、金持ち、イケメン、有能たちの独占市場となるのなら、ブスとババアとセックスできるのは、俺たち貧乏、不細工、無能だけでなくてはならない。

 住み分けがきっちりとなされるということは重要だ。互いが別路線を歩んでいるという認識なら、身分の違う両者がぶつかることはない。

 金持ち、イケメン、有能が、俺たちの「アイドル」ブスとババアを持っていくなど許されない。もしも金持ち、イケメン、有能がすべての女を独占し、俺たち貧乏、不細工、無能に一人の女も渡さないのなら「窮鼠猫を噛む」。無慈悲にも俺たちの切実な性欲の対象を持っていく奴らは、殺されても仕方がない。

「ふぅ、ふうふぅ、ふぅ・・・っ」

 ホームレスにまで成り下がり、悪臭を放ちながら、それでも貧乏で不細工で無能な男に犯されるのはイヤなブスババアを見て、下半身を熱い血潮が走り、海綿体が膨れ上がる。もう、我慢できない。

「ど、どけっ」

 今日はもう三発も出したのに、まだ女体を求める性欲魔獣の田丸をどかせて、ホームレス女の前に仁王立ちした。ハーフパンツとトランクスを同時に下ろし、猛り狂う怒張を、ホームレス女の眼前にかざした。

「うっうぉっ。うっうっうぉっ」

 赤黒い肉の柱を目の当たりにして、五十歳は超えた、ゴリラっぽい顔をしたホームレス女が、俺の子を宿す恐怖に怯えている。それを見て、ずっと、嫌がるブスとババアを強引に犯し、妊娠させる妄想を繰り返してきた俺は、もうどうしようもなくなってしまう。

「お、うぅををっ」

ホームレス女の子宮に、俺の遺伝子ミルクをぶちまけてやろうと襲い掛かったのだが・・。

「うっ・・・」

 ひしゃげおっぱいにむしゃぶりつこうとしたところで、鼻を突くアンモニア臭にあてられて、怒張が急速に勢いを失っていく。

 自分の身体に起きた異変に驚いていた。

 なぜ、どうして。

 こんなニオイくらいで萎えるはずはなかったのに。裸の女が発する生々しい体臭は、むしろご褒美だったはずなのに。

「あ、青木くん、やらないの?お、お、おで、まだ、この子とこどもづくりしたいんだけど、い、い、いいかな?」

 三度も射精したのに、まだ怒張が勢いを失わない田丸が、物欲しそうな顔で俺の腕を引いてきた。

「ああ・・」

 涙を洟を垂れ流して恐怖に怯えるホームレス女から視線を切り、萎んだ海綿体をトランクスの中に仕舞い込んだ。女を田丸に譲って、ねずみ花火で遊んでいる影沼のところに戻っていった。

 こんなはずじゃなかった。こんなはずではないが、こんなことは起こってしまった。こんなはずではないが、起きたことが現実ならば受け止め、対策を講じなければならない。

 情欲をそそるホームレス女をみて勃起できなかった理由を自己分析するならば、それはここ数か月の恵まれた暮らし、満智子と好きなときにセックスできるのが当たり前になったことで、女を見る目が肥えてしまった、ということになるのだろう。

 人並みの審美眼を手にできたことは良かったのかもしれないが、出されるものすべてに満足できなくなってしまったことは不幸でもある。

 さらに時が経てば、俺は俺に素人女の身体を教えてくれた女、満智子とも身体を重ねられなくなるのだとすれば、これほど悲しいことはない。

 だが、今さら後戻りはできない。

「どしたい青木っち。家なき子ちゃんとエッチして、青木っちのザーメンをあげて、お腹をぷくーっと膨らませて、満足な医療も受けられない家なき子ちゃんに気持ち悪い悪いをさせて、路上でイタイイタイしながら赤ちゃんを産ませるのはやめたのかぁい?」

 ニヤつく影沼の問いに答えず、最後に残っていた打ち上げ花火を手に取った。

 夜空で炸裂する花火に合わせて、叫びたかった。

 もう、不潔なブスとババアじゃ、俺の股間は収まらない。

 俺は、俺は美都が好きだ。美都が好きで仕方がないと、叫びたかった。

                     18

 怨嗟が、とぐろを巻いている。怒り、悲しみの声をあげているのは、底辺世界に生きる貧乏、不細工、無能な男たちだ。

 資本主義の世の中で、格差があるのは仕方がない。問題は格差ではなく貧困なのだ。

 けして、人が羨むような贅沢を望んでいるわけではないのである。

 人として、せめてこれだけはということすらできないから、苦しみ、もがき、それでもどうにもならず、最後に暴発している。

 俺たち貧乏、不細工、無能を踏みつけていった勝ち組たちは、俺たちの嫉妬の目を眩ませるために、世の中にキレイな言葉をばらまいている。

 愛、夢、絆、喜び。あるいは、希望・・・。

 奴らは、俺たちがその言葉を信じ、まやかしの光の周りを飛び回っているうちは優しくしてくれる。だが、俺たちがそのままでは朝は永遠に訪れないことに気が付き、本物の光を探し始めた途端、俺たちにこれまでとはうって変わった汚い言葉を浴びせかけ、冷たい地べたに撃ち落としにかかる。

 憎悪、憤怒、嫉妬、孤独。あるいは、絶望・・・。

 悲劇的な最期を迎えないために、そのまやかしの光は見るな、影を信じろ。陳腐なハッピーエンドに、けして丸め込まれるな。くだらぬ今を納得させようとするヤツらの声に耳を傾けるな、たとえ少しの足掻きは必要でも、錦の未来を語るヤツの声を聞け。

 誰よりも深い影を背負いながら、底抜けに明るく生きようとする男に導かれ、俺は最悪の状況を脱し、夢を見ることのできるところまで来た。

 すでに、足を向けて寝られないほどの恩がある。影沼の言葉に、疑いを差し挟むことは許されない。俺はこれからも、影沼とともに歩いていかなければならない。

 たとえ影沼が美都を独り占めにしようと、彼の幸せを笑顔で祝福しなければならない。

 だけれども。

19

「わぁぁぁぁぁっ」

 ある日の作業中、岸が突然大きな声を出して、完成品の入った箱をひっくり返してしまった。

「な、なんでっ。なんで俺がこんな思いしなきゃならねぇんだよぉっ」

 盟友の藤井を失い、美都にフラれ、ココロキレイマンに救いを求めるほど追い詰められていた岸が、とうとう「キレた」。

 連日、姉殺しの江島と一緒に町内のゴミ拾いに明け暮れているせいで真っ黒に日焼けした顔を悲痛に歪め、大事な製品をぐちゃぐちゃにして暴れる姿からは、ヤツが工場に来た当初の、俺を見下した余裕綽綽の感じは消えていた。

「・・・」

 岸を担ぎ上げて、俺たちに対抗しようとしていたはずのココロキレイマンたちは、工場の男性社員に羽交い絞めにされて涙と洟を垂らす岸を見て見ぬフリし、自分の作業を続けていた。

「なんだありゃ。薄情なヤツらだな」

「あれがココロキレイマンというものだ。口では仲間を思っているようなことを言いながら、そいつが何かやらかしたときはあっさりと見捨てる。結局、彼らの頭にあるのは、己の保身のことだけなんだ。岸くんは可哀そうに」

「保身って、あいつらは何を守ってるんだよ」

 守るものなど何もないのに、なぜか守るものがあるヤツと同じことを考えて生きている。それがココロキレイマンだとわかっているが、呆れてしまう。あれほど友情が大事だと口にし、親密さをアピールしていた岸をかばうこともせず、初めから関係なかったかのようにしている姿は、まさしく軽蔑に値した。

「・・・・・・・」

 社員たちに両脇を抱えられ、作業場から連れ出される岸が、恨めしそうな目で俺と影沼を睨み付けてくる。俺たちの存在が、岸がこの工場で送るはずだったリア充ライフを台無しにしてしまった。

「気に病むことはない。岸ちゃんを壊したのは青木っちではなく、ココロキレイマンだ。貧乏、不細工、無能な者をさらに不幸へと追いやるココロキレイマンに関わってしまったせいで、岸ちゃんは己を見失ってしまった」

 影沼の言葉に、納得して頷いた。

 深く考える必要はない。悪いことは、すべてをココロキレイマンのせいにできる。それくらいには、ココロキレイマンは罪深い存在である。

「悲劇的な結末を迎えないために、ココロキレイマンを信じてはいけない。麻薬と同じで、ココロキレイマンとの戦いは死ぬまで続く。自分は大丈夫だと思ったときが危ないときだ。克服したと思い込み、油断した隙をついて迫ってくるココロキレイマンの魔の手を、けして握ってはならない。わかったな、青木っち」

「ああ・・」

 その肉体だけでなく、そいつが生きた痕跡まで消したい。それほど憎んだイケメンの心を壊し、会社から追い出してやることに成功した。

 これまで負けっぱなしだったイケメンに、ようやくのことで待望の一勝をあげた。だが、どこか満たされない。

 肝心なのは、岸に勝ったところで、俺が実質的にここで何かを得たわけではないことだ。ゴミ溜めの中のゴミ同士の戦いに勝っても、俺の人生が前に進んだわけではない。

 新たなステージに行かなくてはならぬときがやってきた。

 この会社を去り、自分の夢に向かっての活動を本格的に開始する。三十路前でも入れる飲食の会社に正社員で入社し、三年以内に独立する。

 資本主義の恩恵を何ら受けていないにも関わらず、ゴミ溜めの中でまだ争い、ゴミ溜めの中での保身に勤しみ、底辺が底辺の足を引っ張り合って進歩がない。いつまでも、そんなココロキレイマンたちと同じ環境にいてはいけない。

 ココロキレイマンを信じていない方が幸せになれると、本当の意味で「証明」してみせる。

「岸くん、ちょっと頭を冷やそう。大丈夫だから、な」

「岸くん、ちょっとイライラしちゃったんだよな。岸くんまだ若いから、いろいろ悩みがあったんだよな」

 会社に損害を出す大変なことをやらかして、クビが決定的となった岸を心配して駆け寄り、声をかけるのは、岸をチヤホヤしていたココロキレイマンではなく、岸がついこの間まで軽蔑し侮辱していた、影沼のシンパたちだった。

「見ろ青木っち。ココロキレイマンを信じない方が、結果として心が綺麗になり、人として思いやりのある行動が取れるようになる。ココロキレイマンのくびきから解放されたことで、彼らは少年が大人となる過程で失った大切なものを取り戻せた。いいタイミングだから、彼らにこの世を卒業させてあげよう」

「え?」

 予想だにしなかった影沼の言葉で、頭が白ペンキをぶちまけられたようになる。

「なぜ、死を否定的に捉える?死は究極の癒し、救い。すべての苦からの解放だ。これからの人生は苦痛に満ちていると決まっているが、いまは充実している。この世から去るのに、これ以上のタイミングはない」

 影沼が、俺の思考を先回りしたように言った。

「で、でも・・・」

「ん?嫌なのか、青木っち」

「ま、まあ・・・」

 ここに来ての殺人の誘いに、動揺を隠すことができない。

 藤井と友麻を殺したときの俺は失うモノなど何もない状態だったし、藤井と友麻は憎みてあまりある相手だった。

 いまの俺は派遣をやめて今後の展望を描けるところまで来ており、殺そうとしているのは恨みがないどころか親しい友人、ココロキレイマンを打倒する「同士」である。相応の動機もなく、リスクを負う価値もわからない殺人の実行をためらうことに、詳しい説明がいるとは思えなかった。

「青木っち。これが最後の仕上げだ。ビビる気持ちもわかるが、ここで二の足を踏んでは、俺たちのやってきた活動が無意味になってしまう。さあ一歩を踏み出そう。最高の卒業式を、彼らに送ってあげよう」

 殺人、それも大量殺戮を行うというのに、影沼の顔は至って真剣で、目は輝いている。

「いや・・・。しかし」

 俺とて、世話になった影沼に協力したいのは山々なのだ。しかし、今回ばかりは、容易には首を縦には振れない。

 昨今の風潮では、二人以上殺せば死刑はほぼ免れない。どん底の状況下で、深い恨みのあるヤツを殺して吊るされるなら納得できたが、これからというときに、恨みもないヤツを殺して死刑台に登るなど、悔いても悔やみきれない。

「ようするに青木っちは、警察に捕まることを恐れているのだろう。その点は心配するな。仲間の中から、身よりもなく誰も探さない者たちをピックアップした」

 そう言う影沼から受け取ったA4の紙には、ココロキレイマンを憎むグループにありながら、俺が内心疎ましく思っていた三人の名が記されていた。

 三十一歳の林田はギャンブル依存症で、多額の借金を作っては親兄弟に尻ぬぐいさせることを繰り返し、いまはすべての親族から見放され天涯孤独の身の上にある。

 俺たちと仲良くなった当初はギャンブルとは縁を切っていたが、二週間前ほどから再開しており、毎日の勤務が終わるやパチンコホールに足を運び、出そうだとなれば丸一日仕事をズル休みすることもあった。

 勤めた先でも会社に給料を前借りしてはフケることを繰り返し、親しくなった同僚からも借りパクすることも。俺たちの集まりの中でもその素振りが見られ、近頃やや問題視されていた男だった。

 五十七歳の真白は婚活中で、婚活サイトに登録し、これまで五〇〇件以上見合いを申し込んでいるが、無残にも断られ続けている。

 頭髪は焼け野原、体重三桁の肥満体という容姿は仕方ないとして、問題は一八〇万円程度という年収と、非正規の派遣社員という身分を正直に言ってしまうことで、それ以外にも、己のDNAを残したい、認知症を患う親の世話を一緒にしてくれる人が欲しい、などと、いつも己の願望をストレートに言いすぎるため相手にドン引きされてしまう。その交換条件となるものが、収入は相手に管理させる、浮気は絶対にしない、というものではいかにも苦しい。

 俺たちと知り合った当初は女への憎しみを口にし、婚活はすっぱり辞めていたが、人生初の彼女を得るという夢は諦めきれていなかったようで、近頃は俺たちの生きがいであるブスおばちゃんレイプに加わらず、俺たちの行為を女性に対する冒とくだ、などと言って批判することもあった。

 三十九歳の西島は軽度の知的障碍者で、これまで万引きなど軽微な犯罪で刑務所に入り、娑婆に出たら少し遊んで、また軽犯罪を起こして刑務所に入ることを繰り返してきた累犯者でもある。

 知力が足りないせいで働いても失敗ばかり、日常生活さえも満足に送れない西島は、生きていくために、人から管理されることを求めてわざと刑務所に入らなければならなかった。刑務所の中には西島のように、身よりのない軽度知的障碍者で、自分から刑務所に入りたがる累犯者は大勢いるという。

 知的障害のある西島は、俺たちの集まりに参加はしているが、ココロキレイマンに反して生きようとする俺たちの思想を十分に理解してはいない。ただ、娑婆で珍しくよくしてくれた俺たちを「優しいお兄ちゃん」だと思って無邪気についてくるだけ。

 野球のルールを知りもしないくせにチームに入ってきて、打ってもいないくせにきゃあきゃあ叫びながら一塁に走り出したり、おばちゃんの上で頑張って腰を振っているときに、後ろから肩を叩いてきてブーブーで遊んでと言ってくるなど、空気を読まない行動に辟易としていた。

「でも、だからって・・・・」

 人に迷惑をかけることしかできないそんな奴らでも、生に希望を抱いている。惨めで不器用でも、生に縋りつこうとしているヤツらを、俺たちの価値判断だけで殺してしまっても良いものか・・。

「こんな状態になっても生にしがみつく彼らは、己が死んだ方が幸せであることも理解できない。自分が死んだ方がいいという、当然の判断もできない彼らがこのまま生きていても、どの道いいことはない。客観的に彼らの人生を眺められる俺たちが、彼らを葬ってあげた方がいいんだよ」

「ううむ・・・」 

 影沼がピックアップしたメンバーに共通するのは、身よりがなく、殺しても露見性が少ないことに加えて、俺たちの和を乱したり、俺たちの違法行為を外部に漏らす危険性があるということ。

 影沼が最初に口にした、今が楽しいのだから、楽しいうちに殺してあげようという理屈はあまり理解できないが、組織を保つための粛清ということなら、話はわからないでもない。

 大義名分さえあれば、人を殺すことなど屁でもない。快楽殺人者のように、血を見て悦ぶなどという趣味はないが、それによって俺だけでなく周りの者もよくなる、また殺された本人にとってもハッピーであるという説明さえできるなら、俺は躊躇なく人の柔腹にナイフを突き刺せるし、細首を絞め上げることができる。

 だが、昨今の風潮では、二人以上殺せばほぼ死刑。誰からも愛される善男善女でも、誰からも嫌われる極悪人でも、人の命は平等に扱われるということになっている。

 ドン底まで落ちてから、ようやく拓けた俺の未来。これから正社員の職を得て、それから自分の店を持つ。満智子とこれからもセックスしまくり、それから・・。

 美都・・・。

 俺の夢を、希望を、あんな何のために生きているかもわからないようなヤツらを殺すことで失くしてしまってもいいものか。これからも末永く影沼と共にあるというならともかく、まもなく影沼とは別の道を歩むことが決まっているのに、ここで大きなリスクを負う価値があるのだろうか。

 俺が影沼の提案を拒んだとき、影沼は秘密を知る俺を消しにかかってくるかもしれない。藤井のように、腹に何度もナイフを突き立てられ、血潮に塗れながら、打ち上げられた魚のようにピクピクとしている姿を、イトミミズの走った眼で眺めるかもしれない。

 もう思い出せないほど久しぶりに、命を失うこと、他人の命をみだりに奪うヤツのことを「怖い」と感じる。これが、失って困るものを持つということ――未来を思い描く楽しみを持つということなのか。

 ふと俺の脳裏に、けして許されない考えが浮かんでくる。

 それほど人の命を軽んずるのならば、己の命も軽く扱われることを思い知らせてやるのはどうだろうか。
 
 影沼が殺そうと言っている三人はどうしようもない社会不適合者で、人に迷惑をかけることしかしない最低の奴らだが、そんな奴らでも、生きていれば誰かの役に立つかもしれない。人の可能性を否定し、それを摘み取ろうとするなど、あの男は神にでもなったつもりなのか。

 影沼は俺にとっては恩人だが、世間から見れば二人、いや、本人の言動から察するに、両手で数え切れない人数を殺しているであろう殺人鬼だ。社会不適合者であろうと、人殺しまではやらない奴らと、どちらがこの世に生きる価値がないというなら、それは・・。

 影沼は十人以上殺しているのかもしれないが、俺とて、二人の人間をこの手で殺した殺人鬼だ。友麻の生命活動を止めたのは影沼の顔面踏みつけだが、友麻という人を殺したのは、俺が入れたちんぽだった。

 友麻を殺したのは影沼ではなく俺だったということは、俺の中での密かな誇り。影沼にできないことが俺にはできる。俺が影沼に勝てる公算は十分にある。

 それに・・。

 何よりも、それが俺にとって一番だから。

「青木っち・・・?」

 急に頭を左右に振った俺に、影沼が怪訝な顔をする。

 そうしよう、やるべきだと頭は言っている。だが、心は、影沼をナイフで突くことを拒絶している。

 どん底にいた俺をここまで導いてくれた影沼に弓を引いたりして、俺にこれから人としての幸せが待っているのか?人を殺したことがある、殺したことがないなどというのは些細な問題であって、大事なことは、俺にどれだけ美味しい思いをさせてくれたか、それだけではないのか?

「わかったよ。影沼くん。彼らにこの世を卒業させてあげよう。俺たち二人でやろう」

 まだ決意が定まっていないままに、とりあえず承諾の返事をした。

 自分がどうするべきなのかわからない。とてもではないが、すぐに決められる問題ではない。当日になっても、答えは出ないのかもしれない。

「おお。やってくれるか、青木っち。そうそう、美都ちゃんとのキャンプももうすぐだぞ。楽しみだな、青木っち」

 今は破格の男の決めた方針に、同意したフリをしておこうと思う。

 影沼の言う通りにして、今まではうまくいってきた。今度も・・という気もするし、今度という今度は・・という気もする。どちらにするか、当日までにゆっくり考えればいいと思う。

 そう、美都と過ごす最高の時間が、もうすぐ俺を待っている。三バカを殺すとか、影沼を殺すとか、俺が死刑になるとか・・。美都が来る、一泊二日のキャンプのことを思うと、もうなんでもいいかなと思えてくる。

「そうさ、このまま・・・」

 たくさん遊んで、たくさん笑って。ときにはブサイクおばちゃんを犯して、ちょっとばかり、人も殺して。

 快楽の階を駆け巡り、極彩色の未来へ行こう。
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