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犯罪者名鑑 市橋達也 8 (2009年11月)

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 終わりの始まり

 大阪の飯場を出た市橋は、名古屋で眉間を高くする整形手術を受けることを決めました。

 美容を目的とした整形手術は健康保険の対象外であり、当時は身分証明書なしでも受けられたようで、実際、福田和子をはじめとする逃亡犯は、整形して人相を手配写真とかけ離れたものとすることで長期間の逃亡を可能としていました。

 名古屋で受ける整形手術を最後にしよう・・そう決めていた市橋ですが、しかし、市橋が最後に手術を受けた名古屋の病院の医師は偶然にも、市橋が取り上げられたテレビのバラエティ番組を観ていました。医師は術前に市橋がかつてほくろを取り除いた跡を見つけて疑問を抱き、手術が終わった後に警察に通報したのです。

 そして手術前と手術後の比較写真が掲載されたあのポスターが刷られ、全国の交番に貼り出されました。名古屋の病院を出た市橋は、自分で抜糸を行い、ビジネスホテルやネットカフェを泊まり歩いていましたが、自分が名古屋の病院で整形手術を受けたという報道を目にすると恐怖に青ざめ、沖縄のオーハ島を目指して南下を始めました。

 何とか鹿児島までたどり着きましたが、市橋はフェリー乗り場の近くまで来てあることに気づき、フェリーに乗ることを断念しました。

 市橋は複数のネットカフェの会員証を持っていましたが、偽名はすべて同じものを使用していました。警察は手当たり次第にネットカフェを当たっているはずで、市橋の偽名はすでにわかっており、途中、福岡のネットカフェで沖縄行きのフェリーの出航時間を検索した履歴を調べられているかもしれない。また、市橋は名古屋で手術を受けたときから服を変えておらず、監視カメラからおおよその居場所を突き止められているかもしれないという判断でした。

 市橋は鹿児島から沖縄に渡ることを諦め、熊本へと向かいました。

オーハ島


 逮捕

 行くあてもなく熊本を彷徨う市橋は、携帯販売店の前にパソコンを発見しました。これなら警察に検索履歴を調べられることなく、沖縄に行くための情報が得られるかもしれない。市橋は店員に頼み込んでパソコンを使わせてもらいました。

 調べてみると、沖縄行きのフェリーは九州からだけではなく、神戸からも出ていることがわかりました。

 大分県の別府から神戸行きのフェリーに乗り、神戸から那覇へと向かう算段を立てた市橋は、その晩はホテルに泊まり、翌朝から、熊本から大分に向かって線路沿いを歩き始めました。

 昼過ぎまで無心に歩いていると、「こんにちは」と声をかけられ、後ろからポンと肩を叩かれました。振り向いたところに立っていたのは、一人の制服警官でした。

 市橋は一目散に逃げ出しました。後ろから「どこに行ったって捕まるぞ」と声が聴こえましたが、振り返らずに走り続けました。逃げる途中に上着を失いましたが、構わず走りました。

 川を泳いで渡り、土木作業員の作業服とヘルメット、放置自転車を盗み、有刺鉄線を乗り越え、工場に忍び込み、自動車教習所に忍び込み、疑似道路を横切って、市橋は逃げました。トウモロコシ畑の中に四時間も隠れ、腹が減るとトウモロコシを生のまま齧り、民家に忍び込み、スーツを盗み、自転車をまた盗んで、市橋はさらに逃げました。

 熊本駅までたどり着いた市橋は、新幹線の博多駅を目指しました。途中、路線を間違え、終電がなくなってホームで一夜を過ごすアクシデントもありましたが、二日間かけて博多駅に到着し、神戸に向かう新幹線に乗ることに成功しました。

 新幹線の中は警官が巡回していましたが、頻繁に服を盗んで姿を変え、このときはベレー帽とサングラスをかけていた市橋は気づかれることはありませんでした。

 新神戸で新幹線を降りた市橋は、新聞で自分についての記事をチェックすると、コインランドリーで持っていた服を洗濯し、着替えをしました。ニット帽、サングラス、グレーのパーカー、ジーンズ、ブーツ。逮捕時に着ていたあの服装でした。

 なんとかしてオーハ島に渡り、島の風に吹かれながらひっそりと餓死する。市橋はそのことだけを考えていました。死ぬのは構わない。ただ、逮捕してさらし者にだけはなりたくありませんでした。

 大阪千里中央駅に、硬貨を入れればインターネットが使えるパソコンがあることを知っていた市橋は、そこで神戸発那覇行きのフェリーの時間を調べ、フェリーターミナルに向かいましたが、出航日を勘違いしていたらしく、ターミナルには船も人もいませんでした。

 市橋は予定を変更し、大阪の港にむかいましたが、沖縄行きのフェリーが出るまでには時間がありました。市橋が大阪の飯場で働いていたことはすでに報道されており、繁華街には警察が大勢いるはず。時間まではターミナルで待っているしかありませんでした。

 ベンチに腰掛け、フェリーの到着を待つ市橋の傍に、二名の警察官が近づいてきました。「あきらめなさい」直感がそう言っている気がしました。

 死に場所が変わっただけだ。

 警察官に「名前きかせてくれよ」と言われた市橋は、偽名ではなく「市橋達也です」と、自分の本当の名前を答え、逮捕されました。

西成


 別の未来

 こうして市橋の2年7か月に及ぶ逃亡生活は終わりを告げました。死体遺棄の時効の3年を過ぎたとしても、容疑を殺人に切り替えて捜査が継続されることは確実だったでしょうが、方法を間違えなければ、市橋の逃亡はまだ続いていたのでしょうか?

 市橋が逃亡にあたって選択した、人口の少ない離島に潜伏するというアイデアはよかったと思います。しかし、市橋がオーハ島に滞在していたのは意外に短い期間で、彼はオーハ島の存在を充分に活かしきれていなかったように思います。環境面など厳しいところもあったのでしょうが、もし市橋がオーハ島に隠れ住むことをもっと本気で考えていたら、結果は違ったものになった可能性もあります。実際に、月に一万円ほどの現金収入だけで、沖縄の離島に何十年も住み着いているホームレスもいます。

 人相を手配写真とかけ離れたものにするというのは長期の逃亡を可能にするうえで有効な手段であり、整形手術を受けるという選択は間違いではないですが、結果的にはそれが仇になり、市橋は逮捕されました。もし市橋が整形手術を受けず、稼いだ金を食料や道具を買うことに費やして、オーハ島に長期滞在していれば、彼の逃亡生活はまだ続いていた可能性もあります。

 もちろん性別や体力、性格などによっても違うでしょうが、市橋が体力のある若い男性であったことを考えると、やはり飯場労働でお金を貯めて沖縄のオーハ島に長期滞在する、というのが、逃亡を長期にわたって継続するにあたりベストな手段であったように思います。

 また、言うまでもないことですが、そもそも殺人事件など起こさなければ、逃亡生活など送る必要はありませんでした。
 
 逃げている間、感謝ってどういうことなんだろうって、ずっと考えていた。事件を起こすまで、僕は親や周りの人たちから沢山のチャンスをもらってきた。でもそのことに気付かなかった。それが恵まれた状況だということを、僕は考えようともしなかった。

 感謝、という言葉の意味を知っていれば、自分はあんなことはしなかったのではないか。


 と本人は語っていますがその通りだったでしょう。市橋が20代だったときは今より就職が厳しかった時代ですが、医者の家に生まれ、高身長に悪くない顔立ち、能力も普通以上にある市橋には、客観的にみて洋々たる前途が拓けていました。

 人の好意を無碍にしたり、つまらぬプライドからチャンスを棒に振ったりということは誰しも覚えがあることではあり、特に若い頃はそういうことには気づきにくいものですが、殺人という罪を犯してからようやくわかるというのはあまりに遅すぎました。

 市橋が犯したのはけして許されない罪であり、本人も自らの行為を深く悔やんでいることでしょうが、第三者の立場からみると、市橋の逃亡劇は一風変わったロードムービーのようであり、平凡な日常を送る人間がけしてしないような体験や、けして考えないであろうことを考えた彼の2年7か月はある意味で光を放っており、市橋はこの2年7か月のために生まれたのではないかという気もします。

 1979年生まれの市橋は現在41歳。現在の無期懲役は事実上の終身刑として運用されていますが、身元引受人のいる受刑者には僅かに釈放の可能性があり、もし両親が生きながらえていれば、市橋は60~70歳くらいで刑務所を出てくる可能性もあります。

 
 犯罪者名鑑 市橋達也 完
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犯罪者名鑑 市橋達也 7 (2008年8月~2009年10月)

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 最後の沖縄

 飯場に戻った市橋は、業者の斡旋を受け、解体現場で夜も昼もなく働きました。

 寮から現場までは他の労働者と一緒にボックスカーで移動することが多かったのですが(たまに電車で行くこともあった)、ある日、交番の前を通りがかり、市橋の手配写真が貼ってあるのが目に入ったとき、隣に乗った労働者が「イギリス人事件の犯人、まだ捕まってなかったんだな。もう死んでるよ」と口にしたのを聞いたことがありました(市橋は「ここにいるよ」と思った)。

 死体遺棄の時効である3年が迫り、市橋に関する有力情報には100万円の懸賞金がかけられるようになっていました。飯場に流れ着く人は皆事情を抱えており、他人の素性にはあまり踏み込まない人が多いですが、それだけの大金がかかれば、金目当てで通報する人は出てくるかもしれない。

 ウェストバッグの中に四十万円ほどのお金を貯めると、市橋は沖縄に戻ることを決めました。食料を買い込み、あのオーハ島に長期滞在すると思われましたが、市橋が四度目となったオーハ島にいたのは一か月程度の短い間でした。

 夏真っ盛りの沖縄には、台風が近づいていました。台風といっても内地のそれとはわけが違い、熱帯性気候の沖縄の台風は車を容易に吹き飛ばす強烈なもので、それを警戒してオーハ島を撤退した市橋の判断は決して間違いではなかったでしょう。

 那覇に戻った市橋は、なるべく安い宿を泊まり歩いて暮らしていました。開放的な南国の空気にあてられたのか、このときの市橋は繁華街をぶらつき、パブに酒を飲みに行ったり、ゲストハウスのような場所で知り合った若い女性とバスケットボールをしたりなど、典型的な逃亡犯のイメージのように息をひそめるようにしているわけではなく、普通に遊んで暮らしていたようです。

 ゲストハウスでは死に場所を求めて大阪から沖縄にやってきたという30代の男としばらく行動を共にし、彼からデリヘルを共同経営しないか、偽造パスポートを作らないか、と話を持ち掛けられたこともありました。結局、すべて断ったのですが、根無し草のように見える人も常に繋がりを求めていて、それがこういう場所で知り合うんだなと思わせるエピソードです。

 三か月ほど沖縄に滞在し、所持金が尽きた市橋は、また大阪に戻ってお金を稼ぐことを決めました。

たく0あ



 飯場3
 
 西成に着いた市橋は、人を集めている業者の中から一番寮費が安いところを選び、大阪の飯場に入りました。昔の飯場は大部屋に雑魚寝というところもあったようですが、市橋が入った飯場はすべて個室で、さらにこのとき入った飯場は衛生状態も良く、まかないが作る食事も美味く、住み心地はそう悪いものではなかったそうです(それでも寮費は適正とは言い難いと思いますが)。

 現場での作業は、地上15メートルの建物の屋上にトタンを貼り付けるというものでした。足場は細い鉄筋だけで、転落防止用のネットはところどころにしか張られていない。安全帯は一応あるが、つけていると作業にならないため誰も装着していない。さらに、トタンの下につけられている断熱材は体に悪いとされるグラスウールでしたが、マスクをつけていると作業にならないため、これも誰も装着していませんでした。

 安全策はあってないようなものですが、飯場で紹介される仕事にはこうしたところは珍しくありません。だから飯場では、労働者が突然いなくなってしまう「トンコ」が後を絶たないのですが、このとき市橋がいた飯場には若い労働者が定着しており、仕事からの帰りにはバカ話でよく盛り上がっていたそうです。

 交通整理やマンホール交換の手伝いの仕事をすることもありました。ボックスカーで大阪池田小の前を通りがかったとき、同僚と「かわいそうだね」と話しましたが、自分が犯した罪のことを考えて微妙な気持ちになった、ということもあったそうです。

さけおにばらあ


 報道


 逃亡犯という境遇では、人は現実逃避に走りそうな気もしますが、市橋の場合は、世間がどの程度自分に関心を抱いているかを確かめるために、自分に関する報道には常に目を光らせていました。

 テレビのバラエティ番組や、コンビニコミックで紹介される内容はまったくデタラメなものばかりで、市橋は呆れる思いでそれらを観ていたそうですが、「市橋は女装して逃げている」「市橋はゲイにカラダを売って逃亡資金を稼いでいる」という内容には本気で怒りました。

「僕はそんなことはしていない!僕は性的倒錯者なんかじゃない!そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだ!」

 市橋の心の叫びであり、これを主張したかったのが市橋が著書を出版した動機の一つだと考えられますが、私はたとえ犯罪者であろうと、まったく根拠のないデタラメや誹謗中傷に反論すること自体はいいのではないかと思います。

 あの酒鬼薔薇聖斗が「絶歌」を出版した動機のひとつは、「報道の中に母親を鬼母のように言うものがあり、自分自身、周囲の影響でそのように考えてしまったことがあったが、実際の母親は鬼母などではないし、自分が母を恨んだことなど一度もない」ことを主張したかったのだと私は考えています。それにより金銭を得ているというのがいただけないですが、動機としてはこちらの方が市橋よりも筋が通っています。

 一方、逃亡犯を扱ったバラエティ番組は、面白おかしくするために内容はデタラメでも、事件の風化を防ぐという意義はあると私は思います。事実、こうした番組が決め手となり、市橋は逮捕されることになります。

タコ部屋


 飯場4
 
 このとき市橋がいたのはもともと仕事が少ない飯場でしたが、年が明けるとさらに日当が下がってしまいました。新しく口の整形手術を目指していた市橋には痛手でしたが、住み心地の良い飯場だったのでそのまま働くことにしました。

 現場で行われていたのは地中に電線を通す作業でしたが、ここで市橋はいちど他の労働者とケンカをしました。二人で別れて、堀った穴に電線に見立てた紐を通す導通試験のときに、市橋が紐を引くのがはやすぎて、反対側で紐を持っていた作業員が手にやけどをしてしまったというので文句をつけてきたのです。

 この作業ではよくあることで、お互い様だろうと思いましたが、相手は周囲に人だかりができると、止めてくれるのを計算してか市橋に掴みかかってきました。

 キレた市橋に襟首を掴み返された男はあっけなく後ろに下がり、情けない顔になりました。あとで廊下ですれ違いましたが、男は小さな声で「なんだよ・・・」と小声で言ってくるだけでした。

 「喧嘩を売ってきた彼には相手を殺す覚悟はあっても、自分が殺される覚悟は明らかにないようだった。その覚悟もなくて、騒ぎを起こさないように我慢している僕にどうしてケンカなんかふっかけてくるのか、信じられなかった」というのが市橋の言葉ですが、人を殺害し、警察から逃げるという経験の中で、市橋には独特の凄みのようなものが生まれていたのかもしれません。

 飯場の労働者は、初めのうち印象がよくても、後になって使い走りをさせたり、文句ばかり言ってくる人が多かったようです。世話をするのは親切ではなく、後々相手を利用するためだけだったのでしょう。「事件を起こす前には、僕は空気を読まない自己中心的な人間に見えていただろう」と分析する市橋ですが、一癖も二癖もある労働者相手によくやっていました。

 「事件を起こす前は、小さなことで悩んだり、ささいなことに対してすぐ怒っていたが、こういう仕事をして色々な人たちと付き合うようになって、細かいことは気にしなくなった。そんなことはどうでもよくなった」と本人が言う通り、逃亡犯という最低以下の身分に堕ちたことで、市橋は余計なプライドを捨て去ることができ、ある意味で自由な気持ちになれたのでしょう。まったくの皮肉ですが、誰より繊細で神経質な男が、逞しい労働者でありサバイバーに変貌を遂げていたことは事実でした。

 最後の飯場を、市橋は「寮の前の駐車場に見慣れぬ車が停まっており、スーツを着た男たちが出入りしていたのが見えた」という理由で抜け出しました。住み心地が良かっただけに未練はありましたが、市橋は自分の直感を信じました。

 ウェストバッグの中には90万円ほどが貯まっていました。
 

犯罪者名鑑 市橋達也 6 (2007年九月~2008年八月)

西成

 飯場

 大阪の西成に戻ってきた市橋は、ハローワークの前で人夫を募集している「手配師」を見つけると、行き先も会社名もわからないままバンに乗り込みました。

 市橋が連れていかれたのは、暴力団が管理する「飯場」でした。飯場は昔はタコ部屋労働などと言われ、多重債務に陥った人などが、衛生環境の悪い寮に詰め込まれ、労働基準法の無視された危険な現場で働かされる場所でしたが、市橋が働いていた2008年ごろも状況は大きく改善されてはおらず、市橋はアスベストが舞う解体現場で、コンビニに売っている簡易マスクをつけただけで作業に従事していたこともあったようです。

 現場仕事のスキルがない市橋は、現場でとび職の補佐を行う「土工」として働きました。鉄や木材、アルミ、銅線、コンクリートのガラなどを分別してまとめる単純作業で、キツイ肉体労働でしたが、市橋は「リンゼイさんはもっと辛かったんだ」と思って耐えていたそうです。

 飯場で働く人はすべてが多重債務者というわけではないのでしょうが、やはり収入の中から遊ぶということができない人が多いらしく、給料の前借をしない市橋は会社から珍しがられ、重宝されていたようです。

 日勤で1万円、夜勤では1万3千円の日当がもらえましたが、寮費が1日3千円、洗濯機を使用するのに2百円かかるので明らかなボッタクリでした。売店で売られているお菓子や酒、タバコなどの嗜好品、カミソリやタオルなど日用品も普通に買うより高く、飯場特有の抜け出したくても抜け出せない搾取の構造でした。

 飯場の労働者は気が荒く、意地悪をされて精神的に辛い思いをしたこともありました。断熱材の繊維がチクチクと刺さったり、上を向いている釘を踏んだりと危険もありました。部屋に帰ると涙が出てくることもありましたが、腰に巻いて片時も離さぬウェストバッグに溜まっていくお金を見て耐えました。

 経験者は口を揃えて「飯場で貯金ができたヤツを見たことがない」という飯場ですが、わずかな睡眠時間で昼も夜も働き、贅沢はしない市橋は月に10万~15万円ほどのお金をためることができていました。周囲から金の使い道について詮索されたときは「女の子を買いに行っている」と答えていましたが、市橋は自分の犯した罪からセックス恐怖症になっており(身勝手な話ですが)、逃走期間中、性欲はまったくなかったといいます。

 休みもなく働き、疲労の泥沼に浸ることは、逃走生活のプレッシャーを忘れる意味でも良かったのでしょう。便所の解体工事では大便まみれになりながら働きましたが、市橋には充実感があったそうです。

 忙しくてテレビを観る暇はありませんでしたが、ある日、夜勤の仕事がなく、たまたまつけたテレビで、市橋の特集が放送されていました。超能力者が容疑者の行き先を予言するという内容で、市橋が外国に詳しい知人と接触し、海外への逃亡を企てているということが言われていたようです。

 現実には市橋に海外逃亡を手助けしてくれる知人などおらず、バラエティ番組のデタラメさに呆れる思いだったそうですが、しかし市橋にプレッシャーを与える効果はあり、翌日の仕事で、昼休み、同僚に「昨日の番組みたか?」と訊かれた市橋は、通報を恐れて飯場から逃走しました。すぐに福井の飯場に入りましたが、そこでも、寮の前にパトカーが停まっているのをみてすぐに逃走しました。

 ウェストバッグの中には80万円ほどのお金が貯まっており、市橋は大阪で、かねてから考えていた整形手術を受けることにしました。小鼻を高くし、鼻を細くする整形手術は60万円ほどかかり、ネットカフェに寝泊まりし、抜糸は自分で行いました。

 サングラスをかけて、顔の印象が変わったことに満足した市橋は、フェリーに乗ってオーハ島に戻りました。季節は冬に入り、沖縄でも野宿は厳しかったようですが、前回植えた野菜のうちネギが生えており、岩場では岩海苔も取れ、食生活の面では喜びもありました。

 寒い季節を乗り切るのに一番いいのは沖縄にいることだったはずですが、市橋はなぜか、10日ほどで島を出ることを決めました。

 その理由は、「東京ディズニーランドに行きたい」というものでした。


タコ部屋



 飯場2


 千葉県出身の市橋にとって、ディズニーランドは特別な思い入れのある場所だったでしょうが、それにしても、事件現場からも近いディズニーランドに行くことは大変危険な行為です。2年間、雲隠れすることに成功し、多少は気のゆるみもあったのでしょうが、それにしても大胆すぎました。

 結局は衝動性を抑えられない人間だったのでしょう。そうした傾向のある人、すべてが犯罪を起こすわけではありませんが、市橋の場合は特に、その後のことをよく考えず、思い付きで(リスクの高い)行動をしてしまう傾向が強い人間であるように思えます。

 貴重な逃走資金を使い、危険を冒して出かけた東京ディズニーランドの感想は「ディズニーランドってこんなものだったか。楽しくなかった」でした。

 兵庫県に戻った市橋は、再び飯場に入って働き始めました。入ってすぐ、重機のアームにぶつかって怪我をしたのに労災にならないというトラブルがあり、飯場労働という劣悪な働き方の現実を味わいました。

 同僚とのケンカ騒ぎもありました。現場では、仕事が終わった後に伝票をもらうことになっており、15時を過ぎれば17時まで働いたことにして良いというルールだったのですが、そのことを知らなかった市橋は、監督に言われるまま15時でサインしてしまい、給料が2時間分減ってしまったということで、「どういうことだ!使えねーな、お前!」と、50代の労働者が絡んできたのです。

 知らなかったのなら仕方ないことであり、そこまで怒るのならそもそも自分で伝票を貰えばよかっただけの話ですが、50代は市橋に激怒し、殴り合いになりそうな勢いでした。腹は立ちましたが、逃亡犯の市橋が一番困るのは、騒ぎが大きくなって警察が来るような事態です。市橋は黙ってその場をやり過ごし、50代が倒した消化器の粉を掃除しました。50代は執拗で、その後も現場でよく嫌味を言ってきたようですが、じきに飯場からいなくなっていきました。

 日勤夜勤の連勤をこなしていたことで、いつも3人でつるんで行動しているガラの悪い男たちに「働きすぎだ」と嫌味をいわれたこともありました。ある日、リーダー格の男に腕相撲を申し込まれ、はじめ右手で勝ち、次に左手で圧勝(市橋は左利きだが、現場では目立つと思って右手を使っていた)すると絡まれなくなったそうです。

 前の会社で一緒だった単純粗暴なロシア人は、現場素人の市橋に「ネコ(一輪車)持ってこい!」「シバ(木材)持ってこい!」などと命令して、市橋がわからないで困っているのを見てニヤニヤしていたそうですが、話してみるといいヤツで、金を貸してくれと言われたとき(飯場では借りパクのリスクが高い)には「実家に送っているといって断れ」とアドバイスしてくれたり、昼間着ていた作業着にが夜までにかわかず、Tシャツの上にヤッケ姿で現場に出てきた市橋を「アニキは外でも寝れるよ!(実際に寝てたよ、と思った)」とからかったりしてきたそうです。

 紹介料目当てか、通いで来ている労働者から遠洋漁業の仕事に誘われたこともありました。船の上はお金を使うことがないため溜まる一方で、アパートを借りたいなら保証人にもなってやるとのこと。一見、美味しい話のようにも思えますが、逃げ場もない海の上で素性がバレてしまえば一たまりもありません。このときの申し出を断ったのは正解だったでしょう。

 飯場という環境で、粗野な労働者に囲まれながら生活するのは初めてのことで、事件さえ起こさなければ一生経験することはなかったでしょうが、市橋は我慢するべきは我慢し、主張するべきは主張して、不器用なりにうまくやっていこうとしていました。

 
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