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外道記 改 10


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「すまねえ、急用が入った。会議の結果は、後日連絡してくれ」

 委員長の唐津に言い残して、俺は急ぎ、純玲の家へと走った。途中、何本電話を入れても、何十通と連続してメールを送っても、純玲は応じようとしなかった。

 手放せるものか。純玲は、俺が世間と和解するために、絶対に必要な存在なのだ。純玲が俺の元を離れるというのなら、もう、世間に対し、小さな糞を擦りつけるどころでは、話が収まらなくなってしまう。今すぐ莉乃の家にとって帰して、あの場にいる連中を、皆殺しにしなければならなくなってしまう。

 俺が今こうして、酸欠と悲壮感で心臓が割れそうになりながら走っているということは、俺も結局、世間と和解する手立てを模索していたということ。いざとなったら大量虐殺、世の中にケジメをつけて死刑になるんだと嘯いてみたところで、俺も本心では、大きな罪を犯さず、幸せに生きていたいのだ。幸せな未来を手に入れるためには、純玲をけして手放してはならないのだ。

「おい、来たぞ。開けろ。開けろって」

 純玲の部屋に到着した。インターホンを何度も鳴らし、壊れるぐらい、ドアを連打した。警察を呼ばれるかもしれない――。知ったことじゃない。

「やめてよ。近所に迷惑だよ・・・」

「てめえのせいだろうが!いったいどういうことなのか、説明してみろ」

 やっと出てきた純玲に怒声を浴びせかけて、強引に部屋の中へと押し入った。茶を出そうとする純玲を制して、万年床の上に座らせ、先ほどのメールの内容についての釈明をさせた。

「丸菱の施設への入館証を失くしちゃったんだよ・・・。このことを会社に突っ込まれたら・・・。せっかくこれから会社と戦おうとしているのに、重治さんに迷惑かけちゃうよ・・・」

「んーなもん、再発行してもらえればいいだけだろうが。なんで別れるとかいう発想になるんだ。いい加減、極端に走る癖をやめろ」
 泣きじゃくる純玲の瞼は、試合を終えたボクサーのように腫れている。問題解決能力は小学生レベルの純玲は、俺が来るまでの間、どうすることもできず、ただずっと泣いていたのであろう。

「相変わらず、あの女と仲良くしてるしさ。ほんとはまだ、あの女のことが好きなんじゃないの?」

だから、ちげえっつってんだろ。俺がやりたいのは、あのクソアマを地獄に突き落とすことであって、クソアマを忘れたいわけじゃねえ。あの女に復讐するつもりなんだったら、クソアマを避けるんじゃなく、表向き仲良くしておいた方が、いろいろ得だろうが」

「・・・だから、どうしてあの女に復讐とかするの。もうやめようよ。あの女に復讐するのをやめて、二人でどこか、遠くに行って幸せに生きるんだったら、入館証を失くしたままでもいいんだ」

 俺がどうするつもりであろうが、入館証は見つけなくてはいけないはずだが、純玲はあたかも、自分は俺の復讐のせいで苦しんでいるかのように言う。いったいコイツは。どれだけの甘ったれ体質なのだろうか。俺が莉乃と唐津に復讐をしようとしているのは、すべてをキレイごとで覆いつくそうとするこの世間と戦わなくてはならないのは、何もかもすべて、この女と二人、平和に暮らしていくためであることが、まだわからないのか。

 ただでさえ、突然に別れるなどと告げられ、勝手な我儘のせいで会議の席から退出を余儀なくされたところに、俺の思いをまったく理解していないかのようなことを言われ、俺の苛立ちのボルテージが上がっていった。

「・・・お前がだらしなくて入館証を失くしたのに、俺のせいで苦しんでいるみたいに言うのはやめろ。それに・・・復讐をやめろというが、お前、あの女にやられっぱなしでいいのか?アイツの家を見て、お前、悔しそうにしていたじゃねえか。悔しいまま終わらせていいのかよ」

「復讐なんて、バカらしいことしたって、何も解決しないよ・・・。そんなことより、二人で楽しい思い出を作っていくことを考えようよ」
「バカらしいだと・・・・」

 血も凍てつくような怒りが、頭の中に充満していく。愛する者に、自分の気持ちを理解して欲しいという思いのこめられた、熱い怒りではない。相手と分かり合えないことがわかったときの、冷たい怒りである。

 部屋が散らかっていようが関係ない。風俗に勤めていようが構わない。俺が憎む世界で求められることがいくらできなかろうが、俺はまったく気にならない。だが、俺のやりたいこと――やらなければならないことを否定し、どこかで聞いたようなキレイごとで丸め込もうとすることだけは許さない。俺が今まで抱えてきた思いを踏みにじって、俺が憎んでやまぬ、くだらないキレイごとの世界に引きずり込もうとするヤツは、どこまでも酷い目に遭わせてやる。

「お前よぉ。俺と幸せになりたいとか言ってる割りには、俺と出会ってから何も進歩がねえよな。部屋は相変わらずきったねえままだしよ。デートの時は毎回遅刻してきやがるしよ。この前なんか何分遅れたよ。四十分だぞ。待ち合わせ時間を決めてる意味が全然ねえだろ。お前は、お前を信頼して待っていた俺を裏切ったんだぞ。お前がそんなんなら、お前にだけわざと早い時間を伝えるとか、嫌らしいことをやってもいいんだぞ?」

「悪かったよ、悪いと思ってるよ」

 布団に顔面を押し付けて泣きわめく純玲に、腹の底にたまった毒の塊をぶつける。一度スイッチが入ってしまったら、もう止まらない。かつて、俺を育てた両親の精神を崩壊させた猛毒を、俺のことを愛してくれた女に、すべて浴びせかけようとしていた。

「幸せになろうとか言ってるわりに、お前は俺が幸せを信じられるようなことを何もしていないじゃねえか。ハッピーハッピー言ってりゃ、それだけで幸せになれるとでも思ってんのか?都合の悪いことはみんな見て見ぬふりをして、キレイごとですべてを誤魔化そうとしやがってよ。それじゃまるで、お前の嫌いな莉乃と一緒じゃねえかよ。お前も今までずっと、ああいう奴らに傷つけられてきたんじゃねえのか?お前は、アイツの仲間だったのか?」

「そんなつもりじゃないよ、私はただ、重治さんと幸せになりたかった」

「何が幸せだ。何がハッピーだ。てめえといられるだけでハッピーか?思い上がるな。この世界に俺の居場所はねえ。お前と一緒だろうが、この世で最高の美女と一緒だろうが、それは同じだ。俺だって今まで、何もやってこなかったわけじゃねえ。この世でなんとか生き残るために、色々なことをやってきた。だが、だめだった。足掻いてもがいて、どうしようもならなくなったから、せめてこのクソな世界に糞を擦りつけてケジメをつけてから、それから次のステップに進もうとしてるんじゃねえか。それをバカらしいだと?俺がどんな思いで今まで生きてきたか、知りもしねえくせに、好き勝手なことを言いやがって」

「悪かったよ。私が悪かったよ、私が死ねばいいんだ、みんな私のせいなんだ。うっうおうっ、うっうおうっう」

 唸るような嗚咽とともに、純玲の腹の奥から、俺が抱えてきた想いと同等の感情が溢れ出てきたのを感じ、ハッと我に返った。
「うっうおうっ、うっうっうおうっうっ・・・・」

 この女に、悪気はなかったのだ。俺の世界を否定する気などはなかった。

 金にも愛情にも恵まれず育ち、身内から犯罪者まで出し、日常生活を維持するだけの能力も持たないにも関わらず、人を人とも思わぬ奴隷派遣で働くことを余儀なくされ―――しかし、無知なこの女は、それでもこの世間を疑うことができない。理不尽に満ちた社会の仕組みと、それを良しとして生きる連中が作った、欺瞞に満ちた風潮に気付いてしまったら、もう幸せにはなれないという俺の考えを理解できない。知れば知るほど生きるのがイヤになるこの世界で、無知はある意味、幸せでもある。俺はこの女のただ一つの幸せまでも奪い取ろうとしていた。

「・・・・」

 急に泣き止み、立ち上がった純玲は、幾層にも重なった衣類や食品類のゴミ、ビニール袋などを、夜叉のような形相でかき分け始めた。

「・・・おい、どうした」

「・・・・・ツッ」

 ゴミの山に埋もれていたフォークを踏んで足から血を流しても、純玲はゴミをかき分けるのをやめようとしない。

「・・・・おい。どうしたって聞いてんだよ」

「・・・・・入館証を探してるんだよ」

「・・・・おい、よせって」

 明らかに尋常ではない様子の純玲を、後ろから羽交い絞めにして止めた。部屋中が震えるような慟哭をあげ、純玲は頽れる。
「俺が悪かったよ・・・。だからやめてくれ。な」

 俺はしばし、純玲を無言のまま後ろから抱いた。お互いに言葉を発することもなく、やがて横になり、抱き合いながら眠りに落ちた。

 目が覚めたときには、窓の外に見える空は赤く染まっていた。季節の変わり目で、大分気温は下がってきたが、二人で一つの布団に入っていたことで、二人とも身体は汗ばんでいる。

「おい、風呂に入ろうぜ」

「・・・・うん」

 まだ寝たりなそうな純玲を起こし、風呂を沸かさせた。肩に手をやりながら脱衣所へと向かい、服を脱いでいる途中で、純玲がふとあることに気づいた。

「あっ。重治さん、シャツが綻んでる。お風呂から入った後、直してあげるね」

「ん?ああ・・・・」

 言葉通り、入浴後、純玲は押し入れからミシンを引っ張り出してきて、脇の下に穴が空いた俺の服を修繕し始めた。

「ほう、うまいもんだな」

「これでも子供のころは、ファッションデザイナーを夢見ていたんだ」

「へえ。そりゃ知らなかった。じゃ、絵とかも描いていたのかい?」

「うん。これ・・」

 純玲が照れた様子で、押し入れから、服飾のデッサンや、自作の漫画などを描いたノートを取り出してきた。

「下手っぴで恥ずかしいよ」

「そんなことねえよ。よく描けているじゃねえか」

 絵の良し悪しは俺にはよくわからないが、純玲に昔、夢を追いかけ、真剣に一つのことに取り組んでいた時期があったのはわかった。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。中学を卒業したころから何もしなくなっちゃったんだけど、続けていたら、モノになってたのかな・・・二十代前半のころまでは、同僚と相部屋だったのもあるけど、部屋の片づけもできていたんだよ。二年前にこの部屋に越してきてから、自分に甘えちゃって・・。毎日働いて生きていくのがやっとで、気づいたら、こんなになっていたんだ」

 純玲はけして、最初から何もできない人間ではなかった。昔はできていたはずのことが、何故かどんどんできなくなっていく純玲。俺と出会ってからも、何一つ進歩のない純玲。純玲の部屋が散らかり、生活環境が崩壊しているのは、果たして、生まれ持った障害のせいだけだろうか。

「昔のお前は片づけができていたどころか、夢を追って活動することもできていた。つまり、お前はやればできる。何かキッカケがあって、奮起さえすればできるんだ。俺との出会いは、何のキッカケにもならなかった?」

 人間の能力には個人差がある。それは間違いない。生まれつきの天才には勝てないと言い訳する一方で、平均的な能力に達しないものには一方的に「努力不足」とするのは、あまりにも不公平な考え方だ。凡人を超越する優れた人間がいるなら、同じ数だけ、凡人に遥か及ばない人間だっているのである。純玲が発達障害――「ちゃんとできない脳」である可能性はかなり高いだろう。

 だが――どんなに人より遅れていたとしても、能力はゼロではない。IQが平均に及ばない知的障害ですら、訓練によって、ある程度の生活能力を身に着けることはできるのだ。いかに障害があろうと、それを克服しようとする人間の意志だって、案外バカにならないものである。

 俺は純玲に、百メートルを九秒で走ることを期待しているわけではない。一日二日で、いきなり部屋をキレイにしろと言っているわけでもない。

 どんな人間でもできること。少しずつでも部屋を片付けるのでもいいし、他の何かの面で向上が見られるのでもいい。些細な変化でもいいから、俺との出会いにより何かが上向きになったというところを見せてくれれば、それでよかったのである。千里の道を踏破するのではなく、一歩進むだけなら、それは純玲の能力でも充分、出来ること。あとは意志を捻りだせるかだけだ。

 俺との出会いが、その意志を捻りだす理由にならなかった。この女は、実は俺を愛していないのではないか?その猜疑心が、さっきの怒りに繋がった部分はあった。 

「私だって、重治さんのために頑張ろうとしたんだよ。でも、身体が動かないんだ。どうしてもできないんだよ。信じてよ」

「それは、なんか重大な病気とかじゃねえのか?」

「医者には、身体は何の異常もないって言われてる。もしかして、呪われているのかな・・・・」

「違うよ。そんなんじゃない」

 人が自分の生活を向上させようと活動することを、一口に努力という。努力というと精神論的な響きが強いようだが、俺の経験からいえば、努力は精神論ではなく、習慣の問題だと思う。

 運動なり勉強なり家事なり、何かの活動をする。最初は大変だが、それが一日のルーチンワークに組み込まれてしまえば、逆にやらない方が苦痛になる。活動量が増えれば、それは自信へと繋がり、より活動量が増えていく。それをまた、ルーチンワークに刻み込んでいく。その繰り返しで、人はできない人間から、できる人間へと変わっていく。

 それは、逆も然りである。怠惰が本当に怖いのは、なにもやらないことではない。それならプラスマイナスゼロだが、実際には、怠惰を長年積み重ねていくと、次第に何もやらないことが当たり前になり、活力や体力がどんどん失われていってしまう。一日のルーチンワークを一個削れば、一個削った分の活力が落ちていき、二個削れば、二個削った分の活力が落ちていく。怠惰が染みついて、できる人間から、できない人間に変わっていく。

 怠惰が骨の髄まで染み込んでしまったら、ちょっとやそっとでは落ちはしない。長い年数怠け続けて落ちた活力を取り戻すには、同じくらいの年数が必要である。長期の引きこもりの社会復帰が難しいのも、そういうところに原因があるのだろう。

 純玲は引きこもりではないが、長いこと食い扶持を稼ぐのに精いっぱいで、家のことまでは手が回らなかった。それが当たり前になってしまうと、いざ家のことをやろうとしても、その活力の出し方がわからなくなる。やる意志があっても、純玲のいうように、本当に頭と身体がついていかなくなってしまうのである。

「私は鬱病なんだ。発達障害を抱えている人は、二次障害として鬱病になりやすいって、テレビでやってた。私はうつ病なんだよ。だから、こういう薬だって飲んでるんだ」

 惰性を断ち切れないことを、「病気」のせいにしようとする純玲。向精神薬を水戸黄門の印籠のように翳す純玲の顔は、どこか得意げである。

 発達障害、精神障害など、他人に見えづらい問題を明らかにするために、ある程度分かりやすい名前をつけて型に当て嵌めようとすること自体は、必要なことだろう。だが、その治療を、薬物というインスタントな方法で行おうとするのはどうなのだろうか。

 俺も鬱になった経験があるからわかるが、薬は所詮気休めで、根本的な解決には結びつかないものである。辛い状況からの脱却は、少しずつでもいいから一歩一歩前に進んで、地道に自信を取り戻していくしかない。もちろん、本当に何もできず、薬に頼るしかない重度の人もいるのだろうが、食欲も性欲もあり、笑顔も出る純玲は、薬を絶対に必要とするレベルではないように思う。

 心の弱った人間を金の生る木としか見ていない精神科の医者は、回転効率だけしか考えていない三分診療で、カウンセリングもロクにせず、患者にいとも簡単に鬱病のレッテルを張り付け、ドバドバと薬を出してしまう。本来そこまで深刻でない患者を、薬物依存症という新しい病気にして、製薬会社とつるんで金儲けをしている。そんな医者に騙されていることにも気づかない、依存心が強く他力本願な性格だから、病んでしまったのだ――というのは酷に過ぎるとしても、薬を飲むだけで病気から立ち直れる、生活が上向きになるなどと考えるのは、やはり安直であり、甘すぎる考えというしかない。だが・・・。

「そうだな。お前は病気なんだ。無理をさせようとして、悪かったよ」

 今はまだ、それでいいと思う。

 純玲は今まで、限界ギリギリまで頑張ってきたのだ。怠惰に憑りつかれ、何もできなくなったのは、楽をしようとしたせいではなく、限界まで頑張った結果、壊れてしまったのである。そういうことにしてやってもいいではないか。

 貧困家庭で育ち、身内から犯罪者まで出し、日常生活を成り立たせる能力も持たないにも関わらず、奴隷派遣で働いて生きることを余儀なくされたこの女は、俺が想像もできない、激しい抑圧の中で生きてきたのだ。恵まれた家庭に生まれた人間なら見なくてよかったものも、純玲は見なくてはならなかった。真っ当な能力を持っていれば味合わなくてもよかった苦労も、純玲は味合わなくてはならなかった。莉乃のように、都合のいい、キレイな情報だけを取り入れながら生きていきたくても、この女が生きてきた環境は、それを許してくれなかったのだ。

 人が頑張って生きて、それでもうまくいかなかったとき、言い訳になる何かは必要だ。自分が怠けものなのではない、病気なのだ。純玲が自分を鬱病とし、薬を飲むことで救われるなら、それでもいいではないか。

 このさき同棲、結婚を考えるならば、いつまでもこのままではいられないだろう。部屋の片づけもしないままで、家事も全部俺任せ、純玲はただ、ボーッとテレビばかり見ているというのでは、千年の恋も醒めようというものである。下手したら、ゆかりの二の舞だ。

 だが、今はこれでいい。彼女は十分苦しんだ。今はうつ病のせいで何もできないのだということにして、無理にケツを叩いたり、深くは干渉しないようにしようと思う。

「はい。重治さん、修繕が済んだよ」

「ああ・・・ありがとう」

「ねえ、私もそっちに行っていいかな」

「ああ・・・」

 激しく怒られてもめげず、俺の胸の中に飛び込んできてくれる純玲は、俺が出会ってきたどの人間よりも優しい。ゆかりのような豚をどれだけ痛めつけようとも、俺にだけ優しければ、それでいい。

 優しい純玲が、優しいだけで生きていけないこの世の中に、俺は間もなくケジメをつける。それまでは束の間、この柔らかい肉の感触に触れていたい。

 夜のとばりが降り、純玲の部屋の中も暗くなる。部屋の有様を見たくないのか、純玲は電気をつけることを好まない。俺がいないときは、夜はテレビの明かりだけを頼りに、暗い部屋で過ごしているのだという。

「ごめんね、暗いよね。電気をつけようか」

「いや、このままでいいよ」

 無理に、純玲に合わせたわけではなかった。大体、今の世の中は明るすぎる。

 コンビニやファストフード店が深夜に煌々と光を放って二十四時間営業を行い、社会の超長時間労働化を助長している。原発安全神話が崩壊し、エネルギーの抜本的な改革が求められる今なお、国庫に金の入らない賭博屋のパチンコ店が、日夜町中に騒音をまき散らしている。

 愛、夢、絆、友情、幸福、希望――世間には、明るい言葉ばかりが溢れている。栄華栄達を極めた持てる者たちは、俺たち持たざる者の目を晦ませ、悪意の矛先を自分たちに向けさせないために、明るい言葉をばら撒いている。持たざる者は、頑張り続けていれば、いつか自分も持てる者になれることを信じ、偽りかもしれぬその明るい言葉に縋りつく。電燈の周りを飛び交う羽虫のように、持てる者に身体を酷使され、痛めつけられていく。

 持てる者は、持たざる者が明るい言葉を信じている間は、どこまでも夢を見せてくれる。夢を見せるだけならタダである。だが、持たざる者たちが、朝は永遠に来ないことに気付き、まやかしの光の周りを飛び交うことをやめた瞬間、持てる者どもは、持たざる者をどこまでも追い詰め始める。憎悪、怨恨、嫉妬、孤独、絶望――明るい言葉を信じなくなった者に、生まれたことを呪いたくなるような言葉を浴びせかけ、冷たい地面の上に打ち落とそうとする。

 経済の発展は、必ずしも人間の心を豊かにしなかった。今の世の中が押し売りをしてくる明るい光は、俺や純玲にとってあまりに眩しい。

 太陽のような強い光は、心に傷を負い、弱った者を焼き焦がす。俺や純玲には、淡くとも優しく包み込んでくれる、月の光が心地よい。願わくは、ずっとこの優しい闇の中にいたかった。


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外道記 改 9

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 丸菱運輸に派遣されている海南アスピレーションのスタッフ間で、ついに正式な労働組合が結成され、その結成大会が、市内にある莉乃の自宅で開かれた。莉乃、唐津打倒を目論む俺は、表向き協力しているかのような態度を見せるため、純玲、桑原を引き連れ、結成大会に参加していた。
「それでは、労働組合サン・エサージュの結成大会を開催します。まず、組合の正式な役職について決定したいと思います」

 唐津の宣言により、大会の幕が上がる。

 サン・エサージュ――フランス語で、「聖戦」を意味するとかいう言葉が、労働組合の名称となった。発案者は莉乃である。莉乃はおフランスの文化に関心が深いらしく、職場でもよくフランスの話をしている。俺のフランスについての知識は、フランス人にはセックスの際に事前にシャワーを使わず、お互いの体臭を楽しむ習慣があり、英雄ナポレオンも妻の股間がブルーチーズの臭いを発するまで洗わせない臭いフェチだったということくらいしかなかったが、もしかしたら、おフランスのことから莉乃攻略のヒントが見えてくるかもしれぬ期待を抱き、近ごろ勉強に明け暮れていた。

「まず、委員長は不肖ながら、私、唐津が務めさせて頂きたいと思います。副委員長は松原さん。書記長は田辺さんにお願いします。承認して頂ける方は、拍手の方をお願いします」

 沸き起こる拍手。満場一致での承認である。

「ありがとうございます。では、会社側への要求を纏めたいと思います。まずは、派遣先企業である、丸菱運輸への要求です。みなさん、職場の待遇への不満を挙手して述べてください」

 一斉に何人かの手が上がる。まず、唐津が指名したのは、書記長の田辺である。

「あの職場に勤めて八か月になるけど、いい思いをしたことなんて一度もなかったよ。社員の中井には、頭を殴られたり、使えねえな、はげおやじ、とか罵られたりしたし、現職長の東山や、前の職長からも暴力を振るわれたり、暴言を吐かれた」

 続いて、副委員長の松原が発言する。

「一度、遅刻をしたことがあったんだけど、そのとき東山がでっかい声で、ババアーーーーっ、遅刻すんじゃねーーーっ。ババアは化粧なんかしたってババアには変わりねえんだから、朝飯だけ食ったらすぐ来いいいっ、とか言いやがったのよ。完全にパワハラだし、セクハラだよね。むかついて、ぶっ殺したかったよ」

 中心人物二人の意見を皮切りに、組合員が次々に不満を述べ始める。

「休憩時間に資格の勉強をしていたら、いきなり現れた東山に、お前は四十歳すぎて、人生終わってるんだから、資格の勉強なんかしても意味ないからやめろ、と言われた」

「同じく、休憩時間に、モヤシに醤油だけをかけた弁当を食べていたら、いきなり現れた中井に、豚のエサか、と言われた」

 前者は酷い話だが、後者は中井の言いたくなる気持ちも、わからないでもなかった。病気のせいとかならともかく、ただ金を節約するためだけにそんな食生活を送っているのでは、いったい何を楽しみに生きているのか、と思ってしまう。以前勤めていた派遣会社には、雀の涙のような交通費を浮かすために、何駅も歩いて職場に通うようなヤツがいたが、そんなみみっちいところに注ぐ労力があるのなら、本当に上に行くためのスキルを磨く努力をしたらどうかと思う次第である。

「東山の野郎が、お前、この野郎!仕事ができない奴は死ねー、とか言いながら、段ボール箱をぶつけてきたんだ」

 ゴリラが興奮してうんこを投げるのと同じぐらいの思考能力しかないのであろう。よく今まで問題にならなかったものである。

「私は東山に、おしりを叩かれました!東山は、教育だ、と言っていましたが、私は東山にえっちな心があったと思います!」

「冤罪だろ、バカ野郎。死ねよ低能ドブス」

 セクハラの被害を得意げに話す莉乃に、純玲が眉をヒクつかせながら小さな声で毒づく。莉乃の家は、十数名からの人が一堂に会せる程度に大きな家であり、貧困家庭に育った純玲は、到着した瞬間から激しい嫉妬心を抱いていたらしい。

「なんですか、島内さん。聞こえるように言ってください」

「なんでもねえよ!」

 純玲には、くれぐれも莉乃とは喧嘩をしないように言っていたのだが、無理があったようである。純玲を連れてきたのは間違いだった。俺はわっと泣き出してしまった純玲の肩を抱いて落ち着かせてやり、早めに家へと帰らせた。

「しかし、東山のバカにはムカつくよな。仕事ができるかなんか知らないけど、威張りくさりやがって。あいつはたかがケチくさい運送会社を、世界のすべてのように思っているんだ。視野が狭すぎるんだよ」

「小学生のとき、浴槽の中でちんこをいじくっていたら、精子が出てきてしまいました!出てきた精子は、お湯の中を、クリオネみたいにふよふよ漂っていました!面白かったけど、俺の後に入った姉ちゃんが妊娠したんじゃないかって、しばらく怖くて怖くてしょうがなかったです!」

 桑原が、突如興奮して、会議とは何の関係もないことを口走ってしまった。尊敬する東山を批判されまくって怒り心頭に達していたが、復讐計画のために唐津や莉乃たちと波風を立てるわけにもいかず、混乱してわけがわからなくなってしまったのだろう。俺は桑原をいったん外に退出させ、頭を冷やさせた。

「下には厳しいくせに、上には諂うのも腹が立つよな。社長が現場に顔を出したときにはヘコへコしちゃってさ。いつも以上に張り切っちゃって、横暴さがさらにアップするよな」

「そうそう。前にいた藤吉君が社長の前でミスしたとき、お前は今、会社にどれだけの損害を与えたかわかってんのかアー!!とか叫んで、藤吉君の頭を掴んで、無理やり社長に頭を下げさせてさ。その後、責任を感じてるんだったら、明日坊主にして来いとか言いやがってさ。結局それで藤吉君、辞めちゃったんだよな」

 中学時代、父兄の授業参観があったときや、校長が扉の窓から教室を覗いていたときなど、十秒に一回の間隔で挙手をしていた目立ちたがり屋、東山の面目躍如といったところか。髪型といえば東山は中学時代にも、夏休み明け、生活指導の教師が、明るい色の髪をしたヤツを捕まえて強制的に散髪させるため巡回するのに、バリカンを携えてくっついて回っていたこともあった。懐かしさでついにやけてしまう。

「三か月前、昼休み中トイレに行ったとき、東山が廊下で、ビスコを食べていたんだ。俺に見られたことがわかった東山は、このことは言うなよ、絶対言うなよ、と必死で念押ししてきた。それまではどちらかというと、東山には可愛がられていた方だったんだけど、その日から急に厳しくなってさ。ビスコを食っていたことがみんなにバレないように、やめさせようとしてたんじゃないかなあ」

 ビスコはおいしいのだから、堂々と食べればいいものを、袋に子供の絵が描いてあるだけで、大人が食べるのは恥ずかしいお菓子だと思ってしまう。アホなプライドで不自由な人生を送っている男である。

「昼休みといえば、この前ワールドカップで日本が勝ったときさ、東山が、中井と、あともう一人応援で来ていた社員と、ドライバーさんを捕まえて、なんか肩を組んで揺れながら、俺たちの前でなぜか社歌を歌ってるのを見せつけてきたことがあったよな。なんかすげえ得意げな顔だったけど、はっきりいって薄気味が悪かったよ」

 ヤンキー上がりが経営する零細企業などに、プライベートで撮った集合写真が不自然に沢山飾ってあるように、カルトな思想で結びついた連中ほど、自分たちの絆の深さを周囲にアピールしなければ気が済まないようである。そういえば、中学時代の東山も、「君を守り隊」で撮った写真を、教室の掲示板に貼りまくっていた。

「僕は最初入ったばかりのころ、深山さんと仲良くしていたんですけど、あるとき深山さんが、会社の飲み会の話を聞きつけて、居酒屋に先回りし、偶然を装って飛び入り参加しようと言ってきたんです。深山さんは、帰れ帰れと言われても土下座をして同じテーブルを取らせてもらったんですが、実際に一緒に飲み始めると、なぜか僕の方が気に入られてしまって・・・。それで、話題が僕の体型のことになったんですけど、東山さんが、お前は太りすぎてヤバいからやせろ、とか言い始めて、なんかトレーニングメニューを渡されたんです。これを毎日やれ、と。それと食事も管理するとか言われて、毎日指定されたメニューを作って持っていかなくてはならなくなって・・。自分で作ってきた弁当は、東山さんに見せてから毎日捨てて、買ってきたものを食べてるんですよ。それで体重が減らないからといって、この前は思いっきり怒鳴られました」

 独善的で他人を管理したがり、己の持論を他人に押し付けなければ気が済まない性格は、まだ直っていなかったようである。他人にも実践させないと自信が持てない程度の持論などは捨ててしまえばいいと思うのだが、それができないところが東山のジレンマなのだろう。どうせやるなら、桑原のような本当に自分を慕っているヤツにやればいいものを、なぜか嫌がっているヤツに無理やりやらせようとするのは、逃げる者を追いたくなる狩猟本能なのか何なのか。

「食材を調達したときのレシートなど、証拠が残っているなら、東山からの賠償請求を有利に進められますね。今度、まとめて持ってきてくれますか?」

「ちょっと待て。団体交渉は丸菱の会社を相手に行うんであって、東山個人と争うのとは違うんじゃねえのかい?」

 話の雲行きが怪しくなってきたのを感じ、俺は慌てて口をはさんだ。

「いえ。東山、中井はあまりにも悪質ですから、奴らのやったこと、特に暴力行為に関しては、刑事事件として立件させようと考えています」

 委員長の唐津が、意志の固さを感じさせる瞳を俺に向けて答えた。

 丸菱運輸だけでなく、東山個人の財布も脅かそうというのであれば、東山から資金を提供されている俺も損害を被る。唐津がやろうとしている労働運動自体には協力体制を取ろうと思っていたが、海南アスピレーションはともかく、対丸菱運輸方面については、今後、何らかの妨害を画策する必要があるかもしれない。

「ションベンしているときに見えたんだけど、東山の奴、あんな図体してるくせに、ちんこは滅茶苦茶小せえの。笑いそうになっちまったよ」

 中学時代の東山のポークピッツが思い出される。体がでかいのはいいことだが、ペニスに回すべき大事な成長ホルモンまで投入してしまうくらいなら、普通でいいという話である。

「昼休みに俺らの休憩室にやってきたときさ、テレビのクイズで、関ヶ原の合戦で西軍の大将は誰か、て問題が出たとき、あいつ得意げに、石田三成に決まってるだろ、視聴者をなめてるのか、とか言ってたけどさ、その後の解答で、毛利輝元(石田三成は全体の調整役)ってテロップが出てきてさ。休憩室がシーンと静まり返って、あいつ顔真っ赤になってんの。バカだよな、マジ」

 間違うことは恥ではない。それで痛い目をみるのは、普段他人に偉そうにし、威張り散らしている輩だけなのである。

「東山に対して、みなさんが感じていることは大体わかりました。東山個人ではなく、職場の取り決めなどに不満はありませんか?」

 会議が東山の悪口大会のようになってきたところで、唐津が話しの流れを変えた。

「会社についての不満といえば、毎日必ず十五分前の朝礼に参加しないといけないことかなあ。給料は八時から十七時までの分しかもらってないんだから、朝礼にも出ろっていうなら、その分の割り増しが欲しいよ」

「だよな。大体、十五分間も必要ないのにな。十五分間もあっても、ほとんどただ突っ立って待っているだけで、東山が来て実際に話すのは、最後の五分くらいのもんだし」

 この不満をきっかけに、組合員が様々な職種で経験した、労働時間の違反についてのエピソードが噴出する。

「俺が前いた工場も、朝礼と体操で十分前集合だったけど、午前と午後にそれぞれ二十分前後の長い休憩時間があったから、そんなに気にならなかったかな」

「道路交通誘導の警備員をやってたときには、三十分前に上番報告をしなくちゃいけないって決まりがあったな。あれも時間外だから、五分前だろうが十分前だろうが、現場について報告さえすればカネには影響しないのに、三十分前にしないとすっげー怒鳴られたよ。まあ、スポットの仕事だから、それぐらい早く着くつもりで出ないといざというときヤバいのは事実だし、仕事は定時より一時間か二時間くらい早く終わるときが多かったから、そんなに不満はなかったけどね」

 実質的な時間外労働を課せられていたとしても、休憩時間が長いとか、早出があってもすぐ帰れるとか、もしくは仕事が滅茶苦茶楽だとかいったメリットがあれば、不満は相殺され、いちいち文句を言う者は出ないものである。だが、丸菱運輸の勤務では、休憩時間は法律で定められた一時間だけで、あとは八時間、みっちりとキツイ立ち仕事が続くにもかかわらず、十五分間の朝礼参加が義務付けられている現状なのである。これはどう考えても理不尽だった。

「管理職でない労働者は皆、時間で給料を貰っています。一週に四十時間、一日八時間以上の労働をすれば、時間外割増が出なくてはいけません。朝礼の件に関しては、問題にすべき事案ですね」

「あれ?ちょっと待って、一日八時間以上働いたら、時間外割増がつくの?俺は前に牛丼屋でバイトしてて、一日十五時間とか働いたことあったけど、給料は一緒だったよ」

 契約書もロクに読まない底辺労働者は、給与に直結する時間のことにも無知、無頓着な者が多い。話しても無駄だと思っているのか、採用する側も一々説明はしないものである。

「飲食店だと、変形労働時間制を採用しているところが多いからな。変形の場合だと、一週間の時間制限さえ守ってれば、一日の時間制限については融通が利くようになるんだよ」

 教えたのは、俺である。会議で積極的に発言することは、唐津の信頼を得ることに繋がる。この調子で懐に入り込み、弱点を探し出すのである。

「俺が中学出て働き始めたバブルのころなんかは、日雇いで建築の仕事行ったとき、実質七時間半で八時間分の給料貰えたもんだけどなあ。着替えとか、仕事の準備に十五分、帰る準備をするのに十五分で、三十分働いたって計算だよ。それで一日一万とかもらえたからね。最初はそれが当たり前だと思ってたのに、いつの間にか、着替えは勤務時間外に済ませておけって話になって、日給も八千円とかになっていったからなあ」

 景気の良し悪しは、労働条件にも直結する。売り手市場になれば、企業は我勝ちに人手を確保しようと、なりふり構わず待遇を上げる。仕事は楽になり、上司は優しくなり、給料は良くなる。みんなが幸せになる。

 自己責任論イコール政治無責任論。政治家が、失業率が改善しないのは労働者が仕事を選んでいるからだ、条件を選ばなければ仕事はあるなどと発言するのは、私は仕事をちゃんとやってませんと言っているようなものである。

「あとは、派遣には会社のゴミ箱を使わせてくれないってことかな」

「あんなのは差別でしかないよな」

「勤務中、私語は一切禁止ってのもどうなのかな。俺が前にいた倉庫では、あまりにも羽目を外しすぎていなければ、作業中の私語も認められてたぜ」

「仕事は真剣にやらなくてはいけないのはわかるけど・・・。だからって、怒鳴られるほどのことではないよなあ。食品加工工場みたいに衛生面の問題があるとかならわかるけど、あんな梱包の仕事くらい、少しくらい話しながらやった方が和気藹々として、人間らしい働き方でいいと思うけど・・」

「東山のバカが、頑張った奴には職長賞を授与するとかいってるけどさ、あれの基準が意味わかんないよな。前にいた高山君が、二時間くらいサービス残業をしたときにもらってたけど、金一封っていっても、千円しか出なかったんだろ?残業手当の分に全然達してないし、東山の自己満足でしかないよな」

「深山さんは三時間サービス残業しても、誰がお前に残業など頼んだ!とか言われて貰えなかったのは、ちょっとかわいそうだったな・・・」

「酷い話を思い出したよ。一年前、作業中に骨折してしまった人がいたんだけどさ、前の職長はいつまでたっても救急車を呼ばないで、結局、会社の車で運んでさ・・。なんか休憩時間中に遊んでて怪我したことにしろとか言われたらしいよ」

「労災にしたくないからってな・・・。ふざけた話だよな」

 丸菱の会社に対する不満が続々と噴出する中、莉乃が突然、生白い額に青筋を浮かべ、興奮した様子で立ち上がった。

「トイレに行けないような雰囲気を作るのは、どうかと思います!東山が私たちをあんなに怒ったりしなければ、私はあんなふうになりませんでした!」

 あのとき、倉庫に漂った香ばしい匂いを思い出し、股間のものがそそり立つ。莉乃の隣りに座る俺は、異変に気づかれないよう、そっとズボンに手をねじ入れ、テントが張らないよう、ポジションを調整した。

 しかし、本人にとっては忘れたい過去だったと思っていたのだが、まさか自分から堂々と言い放つとは・・・。女という生き物は、どうも「被害者」という立場を、まるで天皇か何かのように思っているようで、一度でも被害者側に立てば無敵になったと思い込むらしいが、莉乃が被害者となることによって得られる優越感は、人並みの羞恥心すら超越してしまうものらしい。

 被害者といえば、莉乃は俺をストーカー扱いし、しつこく付きまとわれているという体を装って、「みんなに守られているか弱い私」という己の立場に酔いしれていた。だが、俺に言わせれば、俺が莉乃にいつまでも執着していたのは、莉乃が俺のプライドを必要以上に踏みにじって、引くに引けない状況を作ったからである。俺が送ったメールを唐津や松原に転送してバカにしたことなどは、明らかに問題のある行為であろう。莉乃にも非はあったはずなのに、一方的に被害者ヅラをされた。それが結局、今現在の、俺の激しい恨みにつながっているわけである。

 激しい恨みを抱く人物がいても、そいつが周囲に嫌われ、悪人扱いされている人物であれば、一緒に悪口を言い合ったりできて、少しは溜飲が下がるものだ。だが、そいつがエエかっこしいで、本性とは裏腹に、周りから善人だと思われ、人望を集めたりしていたら、発散することのできない怒りが蓄積していってしまう。

 人間の恨みとは、単に相手から受けた被害の大きさだけでなく、被害の大きさ✖相手の経済力、社会的地位✖相手の好感度という乗算で求められるものだというのが、俺の持論である。実家を頼れるか頼れないかという違いはあるが、俺と莉乃の社会的地位はまったく同じ。今回問題となっているのは、好感度の部分である。

 莉乃は俺の名誉を貶めるなら、せめて自分自身も、周囲の連中に嫌われているべきだった。莉乃がみんなから嫌われる悪女で、あんな女に恋をした俺が不幸だったということでみんなの同情を買えていれば、俺は莉乃をここまで恨んではいなかった。


 人格に問題があるのはお互い様で、言動、行動に問題があったのもお互い様なのに、莉乃だけが一方的に被害者ヅラをし、俺だけがおかしいように言われるから、理不尽な憎しみが募ってしまう。あの件で失墜した俺の名誉と、上昇した莉乃の名誉の差分が、そのまま恨みの強さになってしまっているのである。

「コブラさん、何かありませんか?」

 会社に対する不満も粗方出そろい、少し間が空いたところで、ここまでただ一人、まだ一言も意見を言っていなかった「コブラさん」に、唐津が話しを振った。

 コブラさん――本名は知らない。俺が気づいたときには、彼はコブラさんと呼ばれていた。唐津によれば、それは本人が「俺のことはコブラさんと呼んで」と頼んだから、らしい。コブラというのは中学時代の彼のあだ名で、中学時代が一番楽しかったから、コブラさんと呼んで欲しいのだという。

 コブラさんの年齢は、唐津第一の腹心、書記長の田辺と同世代の、四十四歳である。四十四歳のコブラさんの髪の毛は、某国民的ヒーローアニメの主人公ばりの金髪である。四十四歳が、金髪である。それだけでちょっと、ウッ、と思ってしまうが、俺とて、何も外見だけで彼のことを軽蔑しているわけではない。髪の色だけなら、ミュージシャンとか、海の家の店主とか、職業上の理由かもしれない。四十四歳で金髪のコブラさんには、とてもその年齢に相応しいとは思えない言動が日頃からあまりにも目立つから、軽蔑しているのである。

 たとえばコブラさん、送迎バスの窓から外を見て、道を若い女が歩いていると、あの子は可愛い、あの子はブスだ、など、毎日査定をしている。こんなわけのわからん金髪オッサンに顔の査定をされる女たちこそ、大きなお世話といった話だろうが、そもそも、そんなことをして何になるのか?何か意味はあるのか?

 声をかけようというならまだわかる。コブラさんが路上で人に声をかけたところで、女どころか、職質の警官くらいにしか相手にされないだろうが、まだナンパをしようというならわかる。だが、そういうちゃんとした目的は一切なく、ただ、一般人の通りすがりの女の顔を、無意味に査定しているだけなのである。唐津とか、二十そこそこのガキと一緒になって、いつもそれをやっているのである。

 誰が誰と、どんな会話をしようが、人の勝手という話ではある。が、コブラさんの年齢は四十四である。四十四だったら四十四らしく、もう少し実りのある会話をしたらどうかと思う。雑談もいいし猥談もいいが、そればかりなのはどうであろう。コブラさんが他に話すのは、競馬のこととパチンコのこと、昔持っていたが、今は維持できなくて売りに出した、バイクのことだけである。

「俺は何もないよ」

 特に熟考するわけでもなく、コブラさんはあっさりと、実に爽やかな顔で、自分の意見は何もないと言い切った。いったいこのオッサンは、この場に何をしに来たのだろうか。唐津も、少し呆れたようにため息をついている。

「そうですか。それでは一旦、休憩しますか」

 丸菱運輸に続き、派遣会社、海南アスピレーションに対する要求を話し合う前に、二十分間の休憩が取られることになった。その、直後のことであった。

「ねえねえ、こんどみんなで、ディズニーランドに行くって話したじゃない。そのとき、どういう順番で乗り物に乗るか、考えてきたんだけどさあ」

 会議では一言も発言がなく、終始うつむき、居眠りを始めそうな気配すらあったコブラさんが、急に活気づき、ディズニーランドのパンフレットを取り出し、熱く「遠足」の計画を語り始めたのである。
 真面目な会議の席では沈黙するのに、遊びの話になると雄弁になる――。まだ十九や二十の小僧ならわかるが、コブラさんの年齢は、四十四歳である。資質が疑われる態度といえよう。

 いい年をしたオッサンになっても、子供のような会話や、子供のような感覚でしか、人間関係の構築ができない男。若い頃の友情を継続しているならともかく、新しく交友を求めようというのなら、ギブアンドテイク、自分からも人に何かを提供するという姿勢が重要のはずだ。だが、コブラさんは本当に中学生や高校生と同じ感覚で、友達が欲しい、みんなと遊びたいからこの集会に参加しているだけであり、労働環境の改善などには、これっぽっちも興味がないのだ。

 こういう人間は、基本的に同世代には相手にされない。だから、もっと下の世代、十代や二十代前半の若い奴らの仲間に入ろうとして、定時制の高校に入ったり、最近ならインターネットのSNSサイトで、若い奴らが集まる、アニメやゲームなどのコミュニティに居場所を見出そうとする。しかし、ガキどもだって、三十や四十にもなって、自分たちと同じ次元の会話しかできないオッサン、オバサンなどは扱いに困るから、往々にしてトラブルに発展してしまいがちである。

 知能そのものが低いのか、中、高時代に、交友関係での充実感が満たされなかったゆえなのか――。学校機関で救えなかった人間が、大人になってから、底辺世界で空しく漂流を続けているのだ。

「みなさん、コーヒーとお茶菓子をお持ちしましたので、召し上がってください」

 莉乃が祖母と一緒に、盆にコーヒーと、手作りと思われるクッキーを載せて運んできた。莉乃の祖母は八十すぎくらいだろうか。品のある田舎マダム風だが嫌味な感じではなく、コブラさんのような、品性が疑われる外見の人にも笑顔を振りまき、丁重に持て成している。

 ちょっと詰めれば十人が座れるテーブル、大型のテレビ、皮張りの三人掛けソファ、ムートン生地のカーペット。暖かい中流家庭の風景は、経済的に恵まれているとはいえない家庭で育った純玲には、さぞ妬ましく映っていたことだろう。王族のようなセレブなら諦めもつくが、坪単価の低い田舎で、ちょっといい家に住んで、ちょっといい暮らしをしている世帯年収一千万くらいの家なら、ちょっと違っていれば自分だって、と思うものである。 

 家庭環境に恵まれた莉乃がまともに就職できず、非正規の派遣労働者になってしまったのは、教育の誤りによるところが大きいのは間違いない。その責任の多くは、莉乃を育てた親や祖父母にあるはずだが、当の莉乃がそれに気付き、親に反感を抱いている様子は一切窺えない。それは単に、読み書きが満足にできないゆえに情報が制限され、「疑う」ところまで行きつかないだけなのだろうか?

「あ、桑原さんが戻ってきた。おばあちゃん、コーヒーとお菓子、もう一人分出して」

「あら、いらっしゃい。日本がお好きなんですね。どうぞ、上がってゆっくりしてください」

 坊主頭に剃り込み、旭日旗が刺繍されたつなぎ服を着ている桑原が家に上がってきても、ニコニコと笑顔を絶やさない祖母も、相当なタマである。この世代のばあさんは、戦争絶対反対、憲法改正絶体反対というのが多いイメージであったが・・。これは、孫の顔を立てるために、努めて平静を装っているだけなのだろうか?それとも・・・。

「ぐおるぁ、てめえ、何晒しとんじゃ、おおっ!」

 丸菱運輸に対しての意見交換が終わり、もう東山の悪口が出ることもなかろうと判断して桑原を呼び戻したのだが、桑原はさっそく、喧嘩をしてしまったようである。相手の桟原の胸倉をつかみ、かなり険悪な雰囲気だ。

「おい、やめねえか。一体どうしたんだ」

「この野郎が、俺のチョコチップクッキーのチョコを抜いて、その穴に鼻くそを詰めやがったんすよぉっ!」

 桑原が怒るのももっともだが、当の桟原はすました顔である。

「なに怒ってんだよ。ちょっとしたイタズラだろうがよ。莉乃ちゃんの作ってくれたクッキーはうまいから、俺の鼻くそくらいじゃ味は落ちねえよ。気にせず食えよ」

 桟原は三十八歳。明るくひょうきんな性格で、ユーモアのセンスもそこそこあり、ムードメーカー的な資質があるともいえるのだが、イタズラが好きという欠点がある。それも節度を守ってやれば周囲も和むところだが、桟原の場合は度を越しているのである。

 また、イタズラをしたり、冗談を言ってみるのはいいにしても、それでスベると、「周囲にウケるまで、何度でもしつこくやる」という欠点もある。俺も以前は桟原と仲良くしていたのだが、桟原が「俺、この前純玲ちゃんとエッチしちゃったんだ」などと、糞面白くもない冗談を何日もしつこく言ってくるので、この男とは距離を置くようになった。

 どうも桟原の辞書には、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が載っていないようなのである。人懐っこくて、話しも面白く、コミュニケーション能力自体は高いのに、最低限のTPOを弁えられず、ついつい羽目を外してしまうせいで、本当の意味では人に慕われず、友達はむしろ少ない。これも人間の一つの型だろう。突出した個性や魅力、能力よりもまず、「和を乱さない」ことが重んじられる日本社会においては、こういう人間は弾かれがちである。外国なら違った人生があったかもしれない桟原も、日本という国においては、堕ちるべくして堕ちるしかなかった。

「てめえクソ野郎っ、俺のチョコチップクッキー台無しにしやがって、てめえのをよこせ!」

「やめねえか。そんなことより、莉乃ちゃんが俺と唐津くんに部屋を公開してくれると言ってるから、お前も一緒にどうだ」

 桑原の興味の矛先をほかに向けるため、莉乃の同意を得ずに言ってみた提案だったが、雰囲気を察した莉乃は頷いてくれた。もちろん、真の目的は、莉乃の弱点探しである。ちょうどいい口実であった。

「散らかっていますけど、どうぞ」

 三十二歳の女の部屋には、少女趣味のぬいぐるみなどは置かれておらず、ベッドのカバーも至って地味で、シンプルなデザインである。学習机に整然と並べられた書籍は、おフランス関係のもの以外は、小学校低学年向けのものが多い。必要以上の物は極力置かないスタンスのようである。特別に気になることといえば、写真の多さくらいであろうか。

「この子は、小学校からずっと一緒だった、麻利絵ちゃんです。とってもかわいい子で、雑誌のモデルとかをやっていました。この子も小学校から一緒の、瑠衣ちゃんです。頭がすごくよくて、東大を卒業したんです。みんな、凄く仲良くしてくれました」

 俺が気にしているのを察した莉乃が、写真についての解説を始めた。

「みんなはいつも、私を守ってくれました。中学校のとき、副校長先生に七組さんに入れられそうになったときも、みんなが署名を集めてくれて、助かったんです。宮城に嫌なことをされていたときも、この子たちが私にアドバイスをくれました。みんなのおかげで、私は助かったんです」

 俺が莉乃に迫っていた当初も、莉乃は田辺や松原を使って俺を遠ざけようとしていたが、この女は、多数派工作を図り、争い事において数的優位に立つ才に関しては、非凡なものを持っているのかもしれない。

 莉乃に限らず、基本的に女という生き物には、一対一で相手と戦う、という美学が存在しない。女同士のイジメが男以上に陰湿だというのはそういうことで、単純に多くの相手から責められているというプレッシャーの効果を狙うため、いざというときの責任の回避のため、何かといえば、女は数の力を頼みにする。女同士の争いでさえそうなのだから、相手が女の自分より強大な「男」であれば、何の遠慮もなく、大勢で寄ってたかって叩き潰してもいいという理屈になる。

 インターネットのSNSや匿名掲示板に象徴されるように、現代は、弱者が強者を叩くという時代である。今この法治国家で、肉体的に強者であるということは、社会的には弱者であるということ。誰かと争いになって法廷に立ったとき、もっとも有利になるのは、子供、老人、障碍者といった連中で、その次が女だ。肉体的には最強である青年から壮年の男は、社会的には、もっとも周囲の同情を買いにくい、最弱の存在である。

 それを逆手にとって、「肉体的弱者」という武器を構えながら、丸腰の「肉体的強者」を攻撃しようとする女がいる。自分のストレス発散のため、コンプレックスを解消するため、「みんなから守られているか弱いお姫様」を演じるため―――あるいは、女グループ特有の、歪んだ共同体意識を満たすため。

 ルックスの良い莉乃の友人たちは、皆それぞれ、ストーカーの被害に遭った経験があった。自分だけが、三十二にしてまだストーカーの被害に遭っていないことに、莉乃は焦りを感じていた。このままでは、みんなから仲間外れにされてしまうかもしれない。そうだ、私に言い寄ってきた、あの「雑菌おじさん」たちをストーカーってことにしよう。

 あたかも、みんなが持っているブランドもののバッグを自分も手に入れて、集団のトレンドに取り残されまいとするような理由で、俺はストーカー扱いされて、必要以上にプライドを踏みにじられたのかもしれない。

「一番多いのは、お婆ちゃんと写ってる写真か。莉乃ちゃんはお婆ちゃん子なんだな」
「お婆ちゃんは、私の憧れの人です。大変な時代に生まれたおばあちゃんは、女性がつよく生きることの大切さを、私に教えてくれました。私はいつか、お婆ちゃんのような、とっても、とっても、と~ってもかっこいい、お婆ちゃんになるんです」

 莉乃が尊敬する祖母が、コブラさんや桑原のような異質な見た目の人を、何の抵抗もなく受け入れていた光景がよみがえる。人を見た目で判断してはいけません、と、莉乃に対してはきれいごとで誤魔化し、コブラさんや桑原が帰った後には、必死の形相で床を雑巾がけする祖母の姿が想像される。

 日本が驚異的な復興を遂げた高度成長時代に生きた祖母は、孫に前だけを向き、上だけを目指して生きることだけを教えてきた。後先を考えない環境の破壊とエネルギーの浪費によって泡沫の繁栄を享受し、散々好き勝手やった挙句に、老後を逃げ切るための制度をガッチリと固めた上で、雇用を崩壊させ、後生にツケを回して、知らん顔して生きながらえようとする姑息な老人は、学習障害を抱える莉乃に、都合の悪い部分はみんな隠して、自分のキレイなところだけを見せて育ててきたのだ。

 キレイなものだけを見せられて育った莉乃は、悪意を知らない。悪意を知らないのなら他人に心優しくできるかといえば、実際はその正反対である。

 悪意を知らないから、自分の言っていること、やっていることが、どれだけ人を傷つけるかわからない。悪意を知らないから、どれだけキレイごとで覆い隠しているつもりでも、現実に感じてしまう嫉妬や劣等感といった負の感情を冷静に受け止め、良い意味で自分の現実を知るための材料として処理することができない。

 自分の心には一点の曇りもないと信じている人間ほど、危険極まりない人間はいない。「純粋」と「善」は、姿かたちは似ているが、本質はまったく異なるものだ。悪を知らない純粋無垢な人間は、純粋なまま人を傷つける。本当の善行を行いたいのなら、むしろ「悪」から目を逸らしてはいけない。他人の心の境界線が見えず、踏み越えてはいけない立ち入り禁止区域に平気で入り込む、莉乃のような「純粋」な人間こそが、ちょっとうまくできないだけのタダの無能者をズタズタに傷つけて、犯罪者にまで追い込むのだ。

「お。これは、莉乃ちゃんの元カレの写真かい?」

「あ、この写真・・・外すの忘れてた・・・」

「元彼氏なんだろう?」

「あ、いえ、その・・・・その・・・・はい」

 照れて頬を赤らめる莉乃。写真の中の男は、かつて職場で本人が自慢していたように、なかなかの男前である。昔の交際相手の写真をいつまでも後生大事に抱えているのは未練がましいととられるのを恐れて、うっかり外し忘れたように装っているが、多分いざというとき他人に自慢するための過去の栄光、「トロフィー」として、大切に保管していたのだろう。男を道具としてしか見ていない莉乃は、例え今現在肉体関係がない男であろうとも、利用できるならとことんまで利用しつくすのである。

「へえ。イケメンですねえ。頭もよさそうだ。いい大学か、いい会社に勤めてたんじゃないですか?」

 唐津は呑気な口調で、莉乃の過去の男を褒めてみせる。二十歳の男が三十二歳の女に、処女であることは求めていないだろうが、過去の男の写真を見せられて、唐津の心にさざ波が起きた様子がみえないというのは、やはり二人には肉体関係はなく、唐津は莉乃を女としては見ていないのだろうか?それとも、莉乃は所詮肉体だけが目的で付き合っているのであるから、過去の男を紹介されても動揺する必要はないということか?はたまた、莉乃はもう、ずっと自分から離れることはないであろうという、余裕の表れか?ただ単に、細かいことを気にしない性格なだけか?

 莉乃の方は、どうなのであろうか。過去の男の写真を、今現在の思い人の前で見せる狙い・・・煮え切らない唐津に嫉妬の火を点けて、焦らせようとしているのか?恋愛に奔放なおフランス流を気取っているのか?こちらもただ単に、細かいことを気にしない性格なだけか?

 真相がわからないというのは、なんともいえずヤキモキするものである。知るのは怖いが、やはり聞いてみたい。今、このタイミングで、聞かなければいけない気がする。でも怖い。喉まで出かかっているのだが、出てこない。 

「うん。最後は別れたけど、この人とは、すごくフィーリングが合ったんだ」

 男を顔と学歴だけで選ぶのは、世間的にはあまり褒められたものではないとみられることを、莉乃はよくわかっている。己が良く思われることに全力を尽くす莉乃は、イケメン高学歴の写真を見せつけながら、そいつをあくまで内面で選んだのだというポーズを取ろうとする。

 言いようのない違和感と不快感を覚える。顔の悪い俺を振った莉乃が、顔の良い写真の男と付き合っていた理由を、「フィーリングが合ったから」などと主張することに、である。

 たとえば、ある俳優がハンティングをするテレビの企画があったとする。武器に、ライフルと黒曜石の槍を選べたとする。俳優はライフルを選んで、見事に獲物を仕留めた。インタビュアーが俳優に、「なぜ、武器にライフルを選んだのですか?」と質問をぶつけた。俳優はこう答えた。「ライフルの方が、私との相性が合ってるからさ」と。

 何かが違わないだろうか。相性もクソも、黒曜石の槍よりもライフルの方がはるかに殺傷能力が高いことは、子供でもわかることである。もし、俳優がライフルではなく黒曜石の槍を選んだうえで、「相性が合ってるから」というなら、どこから疑いの声が出ることもなく拍手が起こるところだろうが、逆では何の説得力もない。俳優がライフルを選んだ理由は、ただ単に「強いから」ということでしかないはずだ。

 恋愛もそれと同じこと。もし、莉乃がイケてる写真の男ではなく、イケてない俺の方を選んだうえで、「フィーリングが合ったから」というなら、みんな素直に感心するところだろうが、イケてない俺の気持ちを踏みにじって、イケてる男の方にマン汁を垂らしながら近づいておきながら、「フィーリングが合ったから」などと言っても、「いやいや・・・」という話であろう。

 「フィーリングが合ったから」なんてことは、本人だけが感じているかもしれないことで、相手の方は何とも思ってないかもしれないことである。そんなことより、写真の男はイケメンであり、それは,皆が認めていることなのだから、莉乃が惚れた理由として、明確で伝わりやすいのはそっちであって、実際、ただ単にイケメンだったから、莉乃はチーズ臭いマンコから、ドブ臭い汁をベタベタ垂らしながら近づいていっただけのはずだ。

 莉乃がウソをついたのは、他人から「ビッチ」「肉食女」「男を顔だけで判断する女」と思われたくなくなかったからであろう。それなら、写真の男と交際していたこと自体言わなければいいだけの話だが、自分の「過去の栄光」を自慢するのは、どうしてもやらなければならなかったのだ。そこで、何とか取り繕うために、「フィーリングが合ってたから」などと言い出したに違いない。

 莉乃は自分の評判を落とさないための姑息な計算が働く女だが、所詮頭が悪いため、わかる人間にはわかる「浅知恵」にしかならない。莉乃が自分の印象をよく見せようと言い繕うたび、俺の神経はますます逆なでされることになるのである。

「この人は、私を救ってくれた人です。中学を卒業して就職した工場で、毎日パチンコしてたりとか、お酒を飲んでいるような人に好きだと言われたとき、この人が助けてくれたんです。莉乃はそっちの世界に行く人じゃないよって、言ってくれたんです。今ではほうこうせいの違いで別れましたが、尊敬できる人です」

 美女に飽きたイケメン高学歴に、物珍しさでつまみ食いをされ、遊ばれ、そして飽きて捨てられただけのことを、よくもここまで美化できるものである。

 不可解なことがある。いかに健常者の世界にしがみ付こうとする障害者の声ばかりを重んじる世の中とはいえ、莉乃に真実を伝え、適切な教育機関に繋ごうとする人物が一人もいなかったというのは、おかしいのではないか?

 莉乃を適切な機関に繋ごうとした人物は、いた。本人の話によれば、中学の副校長は、莉乃を特殊学級に入れようとしていた。まだ日本では知られ始めたばかりのころだから、学習障害専門のカリキュラムとはいかなかったかもしれないが、特殊学級ならまだ、個別の指導も受けられたろう。意欲ある教員に恵まれるかどうかにもよるが、少なくとも、成人しても小学校低学年レベルの学力しかない、ということにはならかったのではないか。

 中学の副校長だけではない。三十二年間も生きていれば、莉乃を真に正しい道に導こうとする者は、何人かはいたのではないか。莉乃がそうした者たちの声に耳を傾けなかったのは、親や友人たちによる洗脳のせいなのか?正しい道に導こうとした者たちの説得力が足りなかったせいなのか?

 それだけではあるまい。莉乃本人の意志による決断というのも、大きな意味を持っていたはずだ。
 莉乃は明らかに、か弱く、純粋無垢の存在として庇護される立場に酔っていた。友人たちにちやほやされたり、物珍しさでイケメンに構ってもらうという勝利の経験によって、莉乃は自分の「純粋無垢」という魅力を生かす路線に、絶対の自信を持ってしまった。お世辞にも容姿に恵まれているとはいえず、生まれつき脳の構造に障害も抱えている自分が、美人や高学歴の女と並び立つためには、むしろ学は身に着けてはいけない、と確信してしまった。

 莉乃も確かに、それでいい思いをしたこともあったかもしれない。しかし、美人や高学歴たちの路線に比べ、莉乃の路線では、ひとたび若さを失えば、その市場価値は途端に暴落する。莉乃の魅力は、蓄積されるものでもなければ、年を重ねるごとに洗練されるものでもない。若い娘なら魅力になる「無垢」が、おばはんになると「ボケ」になり、評価がガラリと一辺する類のものである。莉乃は当然ながらゆかりのことは知らないが、莉乃にも下手をすれば、ああいう未来が待っているかもしれないのである。

 莉乃も薄々それに気づき、焦りを感じているのかもしれない。今さら後には引けない――歩む道を変えられない――しかし、タイムリミットは近い。その焦りによってたまったストレスを、自分の眼中にない、いまいちな見た目の男の想いをグチャグチャに踏みにじることで発散していたのかもしれない。

「おばあちゃんやお父さん、お母さんが、字が読めない私を一生懸命に育ててくれました。学校や働き先で出会ったみんなが、私を守ってくれました。みんなとの出会い、みんなとの絆は、私の一生の宝物です」

 キレイな世界、自分にとって都合のいい世界の情報だけを取り入れることで育まれた、悪意について鈍感な心と、女特有の計算高さ、プライドの高さ―――それが歪に結びついた姿というのが、莉乃という女の全体像であろう。

 大人たちや、学歴や容姿に恵まれた友人たちは、学習障害を抱える莉乃を、自分たちの都合のいいところばかりを見せて教育してきた。この社会で力を持っている者が、能力が劣る者、心に問題を抱える者、正義に疑問を持つ者など、社会に不要とされる人間をすべて排除して作り上げた、キレイごとだらけの、おとぎ話の主人公――それがこの女、莉乃である。この女は、俺が憎むあらゆる感情の集合体。俺が憎むあらゆる人間が創り上げた「作品」なのだ。

 改めて、決意を固めた。俺はなんとしても、この女を地獄に叩き落とさねばならない。恨みつらなる世間に、小さな糞を擦りつける対象として、この女以上に相応しい人間はいないと、今、確信した。莉乃の人生を潰すことは、世間を潰すのと同義。この女が主役として生きるおとぎ話を崩壊させるのは、俺自身がこの世で成功を掴むのと同じくらいに、価値のあることではないか。

「しかし、莉乃ちゃんはあれだな。本当にフランスが好きなんだな」

「はい。中学生のとき、家族で行ったときから、大好きです。この絵画や、凱旋門の模型は、みんな現地で、お婆ちゃんが買ってくれたものです」

 ミーハーな女は、部屋の中を所せましとグッズで覆い尽くしてしまいがちだが、本物の通は物を選ぶ。ガラクタは置かないものだ。シンプルな莉乃の部屋を見れば、莉乃のフランス好きは筋金入りであることがわかる。

「フランスっていうのはあれだろ、昔は空からうんこが降ってきたんだろ」

 莉乃に脱糞事件を思い出させる目的の桑原が、鼻を膨らませ、片方の口角を釣り上げ、マルキ・ド・サドさながらの、邪悪な愉悦に満ちた表情で言った。

「街の中はあんまり清潔じゃなかったみたいですね・・。ハイヒールも元々、道に落ちている汚いものを踏まないように作られたものですから」

 意外にも莉乃は、答えにくいはずである質問を、さらりと返してのけた。

「フランスってえと華やかなイメージだけど、革命から植民地支配の時代なんかは野蛮な国だったよな。ナポレオンとかも、攻め込んだ都市から略奪しまくったり」

 俺も負けじと、莉乃攻略のために、ここ数日で詰め込んだおフランス関連の知識を披露した。

「十八、十九世紀のフランスは、男らしさが価値を持っていた時代でしたから。フランスだけが特別だったわけではなく、あの時代のヨーロッパは、どこの国の事情も同じようなものだったって、お父さんが言ってました」

 「キレイな情報だけを取り入れて生きる」莉乃が、ことフランスのことに関しては、得意分野ではない下品なことでも、野蛮なことでも、ちゃんと学んでいるようである。いよいよもって、莉乃のフランス好きは筋金入りのようだ。

「丸菱運輸や海南アスピレーションの非道に敢然と立ち向かう莉乃ちゃんは、さながら戦乙女、ジャンヌ・ダルクのようだな」

「ジャンヌ・ダルク・・・」

 莉乃が唾をゴクリとのみ込み、表情を引き締めたのがわかった。世界史永遠のヒロインに自分を重ね合わせた莉乃は、虐げられし派遣スタッフを守るため、強大なブラック企業に立ち向かおうとしている自分に陶酔してしまっているようである。

 莉乃攻略の、大きなヒントが見えてきたような気がした。限られた手段でしか情報を取り入れることができぬ莉乃が、牛歩の速度でこつこつ、地道に造詣を深めてきた趣味―――莉乃が生涯のすべてをかけて極めようとしている学問、憧れ―――それを汚されるのは、自分の顔を傷つけられるぐらい、大きなダメージになるのではないだろうか。

 神がかりの状態を利用され、事が済んだ後は走狗として業火に焼かれた悲劇のヒロイン同様の最後を、この女に迎えさせることを想像すると、胸の奥が熱くなるのを感じる。史実のジャンヌダルクはお世辞にも容姿には優れておらず、乱暴するような兵士は誰もいなかったそうだが、労働組合のジャンヌダルクには、できれば俺のランスをぶち込みたいものである。

「さ・・・・それじゃ、会議に戻りますかね」

 
 腕時計に目を落とした唐津が、俺たちを引っ張るように、最初に部屋を出て階段を下りていった。
「おっ・・おい!その、君たちは、結局、付き合ってるんか?付き合ってないんか?」

 なにかが爆ぜるように、言葉が飛び出していた。先頭を切って歩く唐津の背中に、これまで喉まで出かかっていたが言えなかった質問を、とうとうぶつけてしまった。

 唐津と莉乃は、どこまで行ったのか。セックスはしたのか。今やそれこそが、俺の一番の関心事であった。

 俺だけの莉乃の身体。焦がれて焦がれて、抱きたくて抱きたくて仕方なかった、熟れた莉乃の身体が、唐津に征服されたのか、されていないのか。考え始めると、脳みそに火が付いたようになる。 
 オナニーの際、莉乃の身体をおかずにしたことは数知れない。最近では、純玲の身体を抱きながら、莉乃のことを想像していることさえある。純玲には申し訳ないが、俺は愛した女よりも、恨みが強いオンナの方が、性欲が増してしまうのである。生まれ持った性で、どうしようもないのだ。

 はっきりさせて、楽になりたかった。どれだけ怖くても、一縷の望みが消え去ってしまうのがわかっていても、聞かずにはおれなかった。

「いや・・・その・・・・まあ・・・・・まだ、そこまでは・・・・」

 唐津の返事は煮え切らない。もし交際の事実がないなら、はっきりと否定すればいいだけの話。横目でチラチラと莉乃の表情を窺っているのを見ても、やはり交際の事実がありながら、隠し立てをしているだけなのではないか。

 同じ職場に勤めている以上、実際に関係があるのなら、いくら隠そうとしても無理があると判断するのが普通だと思うが、やはり、まだ二十歳かそこらの少年にとっては、三十路を過ぎて、小学校低学年レベルの学力も持たない女と、周囲が認めたうえで真剣交際するという事実は重すぎるのだろうか?俺自身が、二十歳で女に飢えていたことを考えれば贅沢極まりない話で、それだけでも万死に値するともいえるが・・・。

「莉乃と圭一くんは、付き合ってるんです!もう三回もデートをしたんです!これからも、いっぱい、いっぱい、い~っぱい、二人で、いろんなところに行くんです!」

 莉乃がいっぱい、いっぱい、い~っぱいのところで、両手を大きく広げながら、唐津と交際の事実があることを力説した。下手するとリビングにいる連中にも聞こえそうなボリュームだが、わざと聞かせようとしたのかもしれない。

「へっへっへ。セックスはしたのかよ」

 俺がショックを受けているのが、内心おかしくて仕方ないのであろう桑原が、首を落としている俺を薄笑いしながら見て、さらに踏み込んだ質問をした。

「私たちは、もう愛し合いました!莉乃は、圭一くんの赤ちゃんを産むんです。元気いっぱいの赤ちゃんを、産むんです!」

 また、リビングにも聞こえるような大きな声で、莉乃が唐津と肉体関係があったことを、俺の目の前でアピールした。羞恥と喜びと、達成感とが入り混じって、莉乃の顔面は紅潮している。長い間の我慢が噴出したように、声音には熱が籠っている。今までみんなに発表したくて発表したくて仕方がなかった唐津との交際を、唐津と愛し合った事実を、とうとう明らかにできた。莉乃にとっては、今ここで人生が終わっても悔いはないといった心境であろう。

 一方、俺の心境はといえば、やはり唐津に莉乃の身体を征服されていたことがわかった口惜しさと、これで一切の迷いがなくなり、モヤモヤしていたのが晴れた爽快な気持ちとが混ざりあった、複雑なものであった。

「いや、あの、避妊はしてますから・・・」

 苦笑いしながら、莉乃の言葉を修正する唐津の顔面に拳をめり込ませたくなるのを、必死にこらえた。貴様が遊び程度の気持ちで抱いた莉乃に、俺がどれほど焦がれていたかわかっているのか。

 莉乃の洗っていないマンコの臭いを、嗅ぎたかった。莉乃の抜けるように白い肌を、隅々まで触り、舐めたかった。たった一度でも、莉乃の中で果てたかった。

 交際まで行かなくともいい。莉乃に一度でも俺を男として見てもらえれば、俺はそれでよかった。莉乃が俺を本気であしらいたかったのならば、むしろ、一度ヤラせるべきであった。

 男と女の根本的な違いとして、女は一度抱かれると、男への執着をより強めてしまうのに対し、男は昔の狩猟時代の名残からか、一度女を抱ければ、どれだけ焦がれた女にも、憑き物が落ちたように興味を失ってしまうということがある。執念深いこと無類の俺も、例外ではない。莉乃が俺にそんなに諦めてほしかったのなら、俺を傷つけるのではなく、むしろ一回ヤラせておけばよかったのだ。

 現代の基準ではお世辞にも美人とはいえない平安貴族じみた容姿で、しかも若くもない莉乃程度の女が、中古品であるところの汚く、臭いコーマンを、さも大層な物のように考え、宮城のような壊滅的不細工男ならともかく、俺ぐらいの男に何もさせないなど、お高くとまるにもほどがあるというものだ。恋愛に奔放なおフランス女を気取るならば、張り切って選り好みするのではなく、男をとっかえひっかえつまみ食いすればいいのであり、つまみ食いして貰えたなら、俺が莉乃を恨むことはなかった。

 俺が焦がれてやまない莉乃の身体を抱いたのが、宮城のような不細工男だったならば、何の問題もなかった。その男が経済力もない不細工だったなら、莉乃は単なる物好きだと見ることができるし、経済力がある不細工でも、努力ではどうにもならない顔の造形で負けたわけではないのだから、まだ納得できる。判官びいきの感情もあり、自分より弱い立場の相手に負けるのであれば、俺は潔く身を引く決意ができる。

 だが、相手が俺をルックスで上回る男に負けるのでは、簡単には納得できない。言い訳出来る余地がまったくない、ぐうの音もでない敗北では、俺に立つ瀬がまったくないではないか。

 度を越えた贅沢をする唐津が、許せなかった。他にもっといい女をいくらでも抱けるくせに、腐れかけの三十路女になど手を出してきおって。俺が死ぬほど焦がれた三十路女を持っていきおって。
 
 確かに今は俺にも女がいるが、だからこそむしろ、戦わなくてはならない。唐津のような男の贅沢を許していたなら、この先大切な純玲まで、唐津のような節操なしに奪われてしまうかもしれない。そうなってから騒いでも、もう遅い。災いの種は、災いになる前に、摘み取っておかなければならないのである。

 窮鼠猫を噛む――これは性的な鬱屈が臨界点に達した非モテ男の、生存権をかけた戦いである。世のモテない男を代表し、生態系の秩序を乱す極悪人に、この俺が天誅を下してくれる。直接的な動機は単なる嫉妬でも、唐津を懲らしめるのは、俺の中で十分な大義を見いだせることだった。

 階段を下りてリビングにつくと、ヒューッ、という大きな歓声と同時に、拍手が沸いた。莉乃、歓喜の瞬間である。こうして「王子様」と交際している事実を皆の前でアピールし、周囲から称賛の眼差しを浴びるために、莉乃は今までずっと、十二個も年下の男に色香を振りまいてきたのだ。

 莉乃が俺の想像を超えるバカでなければ、唐津への恋を人生最後の恋とし、この後、これ以上の男を得ることは望まないだろう。恐らく死にもの狂いで唐津を自分のもとに引き留めるように努力することだろうが、三十路女を重く感じている唐津の今現在の様子をみれば、可能性は五分五分以下といったところだ。 

 唐津に捨てられた後も、まだ莉乃が己の商品価値を客観的に見ることがなければ、四十になっても五十になっても「婚活」から解放されず、生涯独身で過ごすことになり、そうなれば俺の溜飲もいくらかは下がるだろう。が、あいにく、俺はそこまで自分に都合よく物事を考えることができない。莉乃が幸運に恵まれ、唐津と結ばれるか、唐津以上の男と結ばれる可能性だって、ないとはいえない。やはりこのタイミングで莉乃を潰さなければ、俺の気が晴れたことにはならない。

 これまで、おとぎ話のように自分に都合がいいだけの世界で生きてきた貴様に、初めて溝泥のような、汚い人間のリアルを見せつけてやる。今までうまく逃げてきたのだろうが、今度は俺が、逃がさない。キレイなものばかりを目におさめて生きてきた貴様に、世の中にはきれいごとではどうにもならないことがあるということを、思い知らせてやろうではないか。

 決意を新たに、後半の会議に席についたところで、一通のメールが入った。自宅に帰った、純玲からである。

――もう私、重治さんと別れる。

外道記 改 8

                         8


 宮城蒸発は東山の口から聞いたのだが、派遣スタッフの中に、奴の行方を気にする者はいなかった。宮城が嫌われていたからというわけではなく、ただ単に「ありがち」なことだからである。

 派遣スタッフが、会社に連絡もなく突然フケることなど、珍しくもなんともない。直接引導を渡した立場でありながら、俺もすぐ宮城の存在など忘れてしまっていたのだが、あるとき海南アスピレーションの社員であり、丸菱運輸の担当営業を務めている吉沢からかかってきた一本の電話により、あの偽善豚男の記憶が脳裏に深く蘇ってくることとなる。

「あ、もしもし、蔵田さん?明日の土曜日予定ない?」

「・・・・いや、一日暇だけど」

「蔵田さん、ふとっちょの宮城くんが飛んじゃったのは知ってるよね?それでさ、同じ寮のよしみで、部屋を片付けてやってほしいんだよ。もちろん、バイト代は出すよ。丸菱の時給、八時間分でどう?」

 まだ借金を返し終えたわけでもなく、けして余裕があるわけではない俺に、たかだか部屋の片づけだけで、八千円強の金が貰える仕事は魅力的である。それに、あの豚男の部屋にも、個人的な興味はある。俺は会社の頼みを二つ返事で引き受け、程なくしてやってきた吉沢から鍵を受け取り、宮城の部屋へと上がった。

 二十四インチのテレビ、冷蔵庫、座卓、パイプベッド。寮の備品は、特に持ち出されていない。ボランティア関係の資料、食器、布団など、私物もそのままである。借金はないであろう宮城が身一つで失踪するとは不自然であるから、もしや自殺したのだろうか。だとするならば、やはりあの男は底なしの間抜け、腰抜けである。

 今この世の中で自殺など、何の意味もない。自殺などしたところで、誰もそいつには関心を向けないし、場所や方法によっては、迷惑だなどと吐き捨てられるだけである。どうせ同じ迷惑なら、昔不快な思いをさせたヤツに一矢報いてから死ななければ、それこそ犬死にしかならない。

 大手の派遣会社を軒並みアウトになり、最後の篩のような底辺派遣会社に流れ着いたような派遣難民に、まともな人生を送ってきた奴はいない。宮城の場合は、おおかた前の職場でも、己の言葉に陶酔したあの調子でボランティア活動をアピールするなどし、周りの顰蹙を買っていたのであろう。また、言うまでもない話だが、あの容姿のせいでも、何かと苦労していたはずである。

 俺は確かに宮城に引導を渡してやったのかもしれないが、最後にほんの少しばかりの力で蹴飛ばしてやっただけで、宮城の心の屋台骨は、とっくの昔にボロボロに朽ち果てていた。あの男には、莉乃以外にも、復讐すべき人間は沢山いたはずであった。人生に絶望して死ぬなら死ぬで構わないが、なぜそのときに、自分に屈辱を味合わせたヤツを道連れにしようとしないのか?

 相手から受けた屈辱が、人から同情されるような真っ当な恨みか、逆恨みか、そんなことは関係ない。仮に自分が恨んでるヤツの方が正しいのだとすれば、そのときは正義ごと憎めばいいだけの話だ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められているのである。世間の価値観など、この際どうでもいいことではないか。今までずっと、望みもせぬのにこんな競争の世界に産み落とされ、理不尽な運命を受け入れて生きてきたのである。死ぬときぐらいは、何が正しいかではなく、自分がどうしたいかで物事を考えればいいではないか。

 本当に言いたいことも言わず、やりたいこともやらずに、自分はキレイな心を持っていましたなどと、まったくの嘘っぱち、痩せ我慢、しかも自分以外の誰も思っていない、褒められもしないことを誇りに、女とセックスもせず死んでいった・・・のかもしれぬ宮城の人生を思うと、悲しいを通り越し、呆れて溜息しかでなかった。

 とはいえ、所詮は他人事である。あの偽善豚男が自殺していようがいまいが、俺にはどうでもいい。俺が気になるのは、着の身着のままで出ていったこの部屋で、宮城は最後に何をしていたのか、である。

 自殺するにしても、あの几帳面な宮城が、部屋の片づけをすることもなく、家を飛び出したのだ。何か、思いもよらない事件が発生したのではないか。メールの件以外で、宮城が発作的に死を決意するような、とんでもない何かが・・・。

 「名探偵蔵田」となった俺は、宮城失踪の真相を探るべく、現場の状況を丹念に調べた。座卓の上には、ボランティア関係の資料、ノートパソコン。それと、飲みかけの茶が入ったコップが二つ置かれてある。誰か、来客があったのだろうか。

 キッチンへと向かってみる。流しには、味ポンとラー油が付着した皿、また、とろろ芋のようなものが付着した丼が置いてある。一週間のレシピがびっしりと記されたメモ帳が貼ってある冷蔵庫の中は、納豆、ニラ、ニンニク、山芋など、やたら精のつく食べ物が多い。

 フローリングの床を調べてみる。掃除がよく行き届いていて、塵ひとつ落ちていないようだが、ただ一つ、ベッドから二メートルほど離れたテレビの下に、なにか牛乳でも零したような白いシミがついているのが気になる。

「これらの状況から考えられるのは・・・・」

 俺は中学時代、女が体育を欠席した日にちから女の生理周期を逆算し、特定の日になると東山に女の家付近のゴミ箱を漁らせ、戦利品を得て性欲を満たしていた時期に発揮した知能を駆使し、宮城がこの部屋で最後にとった行動を推理した。

「・・・・・わからん」

 さすがの俺でも、これほど情報が断片的では、謎を解くことなどできはしない。考えるだけ無駄であった。

 珍しく頭を使ったせいで、疲労してしまった。部屋の片づけに入る前に、少し休憩しなければならない。ベッドに腰掛けたそのとき、俺は座卓に置かれた資料の下に、何か明らかにボランティアに関係ない、花とかハートのイラストが描かれた名刺が置かれていることに気が付いてしまった。

 手繰り寄せて見てみると、それはデリヘルの名刺であった。二十九歳の大人の男の部屋に置いてあるものとして、それは珍しいものでも、おかしなものでもなんでもないが、この部屋の主は、あの堅物の宮城である。

 気になってどうしようもなくなった俺は、さっそくその業者に連絡を取り、名刺のさよこなる嬢を呼び寄せた。あの宮城が、おそらくは生涯で唯一抱いた女を、同じこの部屋で俺も抱いてみたくなったのである。

 三十分ほど待って、玄関でさよこなる嬢と対面した俺は、心臓が止まりそうになった。誰あろう純玲が、そこに立っていたのである。

「ごめん、違うの、ごめんね」

「・・・・・どういうことか、説明してみろ」

「私は最低な女だ、もう死んだ方がいいんだ」

 取り乱した純玲は、寮の通路から飛び降りようとする。安アパートの二階から飛び降りたところで、簡単に死ねるわけもない。本気で飛び降りようとしているわけではない。極めて問題解決能力が乏しい純玲には、トラブルが起きると安易な行動で他人の同情を買うことで、不利益を回避しようとする癖があった。

「いいから。怒ってはいねえよ。なんでデリヘルなんかに勤めているのか、冷静に説明してみろ」

 自分が女がいても風俗を利用する以上、女が風俗に勤めていても浮気にはならないというのが、俺の持論である。男にはカネで簡単に性欲を発散させる方法が用意されており、女には身体ひとつで、真っ当な勤め人では到底稼げないカネを稼ぐ方法が用意されている。まことに素晴らしい関係であり、これを批判するのは、飢えた男でも抱かないような、身体に一文の値打ちもつかない女だけである。

「遅刻の連続で、時給を一割減らされちゃって・・・。副業で稼がないと厳しいんだよ。実際に相手をしたのはまだ十人くらいだよ」

「そうか・・・けど、こういうのって、身内バレしないように、入店時にNGエリアとか申告するもんじゃねえのか?」

 業界のことに多少詳しい俺は、素朴な疑問をぶつけた。

「お店に入ったのは、重治さんと会う前だったから・・・。さすがにこの寮に来たときはびっくりしたけど、一回目で大丈夫だったから、今回も大丈夫だろっていう甘えもあって・・・。いつかは店に言おうとは思ってたんだけど、ついつい忘れちゃってて・・・」

 物事を先延ばしにする癖と、妙なところでポジティブというか、危機意識が欠落しているのも、ADHDの典型的特徴である。自己管理がまったくできないのだ。

 こういう女が借金をし始めたらもう大変である。「何とかなるさ」と思っているうちに、雪だるま式に多重債務に陥って、首が回らなくなる。デリヘルからソープへと落ちて、行きつく先は、危険な生本番ありの裏風俗だ。

 こういう人間には、生活を共にして、ある程度管理してあげる人間が必要である。俺も自己管理に関しては人に偉そうなことは言えないが、相互に監視し合うことはできる。

 だらしない人間同士が一緒になっても、共倒れになるだけだ――そんな風に冷めた決めつけをするヤツは、そいつが勝手に一人でいればいいだけ。マイナスとマイナスを足せばもっとマイナスになってしまうのかもしれないが、マイナスとマイナスをかければ、逆にプラスになるのである。

「わかったよ。俺が会社に頼んでなんとかしてやるから、そのかわりデリヘルはもうやめろ。今までのことはいいよ」

 俺はさっそく東山にメールを送り、東山の口から、海南アスピレーションに純玲のペナルティを解いてもらうように頼ませた。上得意先の丸菱運輸の責任者、東山からの頼みである。海南アスピレーションが聞かぬわけはなかろう。

「もう落ち着いたか。落ち着いたなら、宮城とのプレイ内容を説明してみろ」

 嫉妬深いこと無類の俺であったが、自分の女を抱いた男が、自分よりも容姿の面で劣っていれば、まったく嫉妬心は湧かなかった。宮城とは客と風俗嬢の関係であり、愛情などはないと安心できる。哀れなブサイク男に施しをやったのだという、与える者の優越感に浸ることもできる。そんなことよりも、童貞宮城の初風俗での立ち居振る舞いを聞く方に興味があった。

「最初は、宮城さんの方がキャンセルするかと思ったんだけど、宮城さんは、どうぞ入ってくださいって、平然と私を招き入れたの。HPには上半分の顔写真しか載せてなかったんだけど、宮城さんは私だと確信して予約したみたい。気味が悪かったし、とにかく無心でやろうと思ったんだけど、なんだか宮城さん、にんにく臭くてひいちゃった・・。部屋中に納豆の臭いがするし、本人は消臭剤をまいたり、ブレスケアを食べたりして気を使ってるみたいだったけど、全然消しきれてなくて、ほんときつかった・・」

 流しや冷蔵庫から発見された、精力を高める食品の数々は、どうやら初の性行為時に、フルパワーを発揮するためのものであったらしい。そこまで硬度に拘るなら、本番なしのデリヘルよりもソープに行けばいいという話だが、三十路近くになって初めて風俗を利用した宮城には、その方面の知識がなかったのだろうか。

 それとも、宮城にとって重要だったのは、純玲を抱くということだったのであろうか。俺へのささやかな復讐のつもりであったか、純玲が職場で、宮城にまともに接してくれる唯一の女であったからか。宮城がいかなる思いで純玲を抱いたのか、いかなる手段でその滾る性欲を発散させたのか、純玲の話を聞いて、俺の興味はますますそそられた。

「とりあえずシャワーを浴びて、ベッドに行ったんだけど、宮城さん女を知らないのか、どうしていいかわからないみたいで・・・。私の方から、何がしたい?て聞いてみたら、手をつないで、キスがしたい、て言ったときは、ちょっと可愛かったなあ・・・」

 宮城が莉乃としたかったのも、初心な少年が思い描くような純情恋愛、プラトニック・ラブだったのであろうか。それが悪いとは言わないが、然るべき年齢でその段階を通過できなかったのは、悲しいことである。

「そのあと、私がリードする形でプレイに移ったんだけど、宮城さん緊張してたのか、いつまで経ってもアレが硬くならなくて・・・。気づいたらプレイ時間も過ぎちゃって、結局延長することになって・・・」

 気の小さな男性が、初体験や、懲役などを経て久々に女を抱くときに、緊張してモノが役に立たなくなることはよくあるらしい。このストレスと不摂生の社会で、男性の勃起力そのものも落ちているという。日常から女に相手にされないストレスに塗れ、初体験に緊張しきった宮城のペニスは、精力をつける食品の数々をもってしても勃たなかったのである。

「宮城さんも焦っちゃって、それがますます良くない影響があったのか、延長しても全然勃起しなくて・・・。それで苦肉の策で、宮城さんが普段観ているAVを観ながらしてみることを提案してみたの。宮城さんはそれに素直に従って・・・この作品を観はじめたの」

 純玲がベッドの下に潜り込み、DVDのパッケージを取り出した。一人暮らしにも関わらず、AVをわざわざベッドの下に隠す癖が抜けていないとは、よほど親が干渉的で、それがトラウマになっていたのだろうか。

 DVDのタイトルは、「いちご百パーセント!みるく一番搾り」。明るい家庭を築くことを夢み、子孫を残す欲求が強かった宮城は、母乳に執着があったらしい。もしかすると、ゆかりの母乳を見たときの宮城は、俺の行為を非難しながら、実は密かに興奮し、部屋に帰ったあと、あれを思い出しながら自慰に耽っていたのであろうか。想像すると、俺も興奮を禁じ得なかった。

「それで、宮城さんがベッドに座った状態で、AVを観ながら、私が宮城さんのアレを扱いてたんだけど、やっぱり全然硬くならなくて・・・。しまいには、結局柔らかいままイっちゃったの。でもそのとき出た精子の量が凄くて・・テレビのところまで飛んで行って、もうミサイルみたいに、ビュンビュンって・・。あんなのAVどころか、エロ漫画でも見たことなかったら、びっくりしちゃった」

 テレビの付近にあった、白いシミの正体が判明した。精液が飛ぶのは量の問題だけではなく、極度の快感で小便と精液の射出をコントロールする機能が破壊され、精液と少量の小便が一緒に出てしまうことも原因となって起こる現象だそうだが、とにかく、ニラ、ニンニク、山芋、納豆の力で強化された宮城の睾丸は、容量ぎりぎりの、凄まじい量の精液を作り出していたようである。

 以心伝心というのか、ちょうど話の途中に、桑原から電話で、性に纏わる自分のエピソードの紹介があった。

「アニキ、聞いてください。俺がオナニーを覚えたのは、小学校四年生のときでした。なんとなくチンコをいじくってたら、ピュッとかいって白いのが出て、ちょっと怖かったけど、気持ち良かったから続けるようになったんですが、そのころは性教育もまだだったから、チンコをいじくる行為をなんて言ったらいいのかわからなくて困ってたんですよ。別に他人に言う必要はありませんが、自分で納得する必要はあるじゃないですか。最初は仕方ないから、よし、あれやるか、みたいな感じでやるしかなくてモヤモヤしてたんですけど、小五の性教育で、精子という言葉をやっと覚えて、それからは精子出し、と言って誤魔化すようになりました。その後しばらくして、精子出しをちょっとカッコよくして、セイシングって言うようになったんです。よし、寝る前に一発セイシングやるかって。それでも違和感は拭えなかったんですが、その頃読んだエロ本に、オナニーっていう単語が書いてあって、ああこれはオナニーっていうのか、とようやく納得することができてスッキリしました。何が言いたいかというと、性教育はもっと早くやるべきということです!聞いてくれてありがとうございました!」

 近頃、桑原は自分が子供のころ、人に相談できなくてモヤモヤし、結局は自己解決したエピソードをよく俺に紹介してくるようになったのだが、俺はそれに嫌な顔をせず付き合っていた。頭の中にずっと抱えていたモヤモヤがすべて晴れたとき、桑原の頭には素晴らしいアイデアが浮かんでくるかもしれないのである。莉乃、唐津を痛い目に遭わすにあたって、何よりも知恵を欲する俺には、桑原の頭脳は貴重だった。

「それで・・・宮城がイった後は、どうなったんだ?」

「うん・・・。出すものを出してスッキリしたようだったから、シャワーを浴びて帰ろうとしたんだけど、宮城さんには不満があったのか、なんかいきなり、説教をし始めたのね。さすがに自分がデリを利用しておいて、デリヘル嬢をやめろとはいってこなかったけど、あの豚ババアのことで、ちょっと・・・」

「ゆかりのことか?なんて言ってたんだい?」

「私と重治さんが付き合うのはいいけど、あの女性のことはどうするつもりなんだって・・。一応聞かれたから、いずれは新宿あたりのホームレスにあげる予定だって、重治さんが言ってたことを伝えたら、あなたたちは女性を何だと思ってるんだ!とかキレ始めて・・。聞かれたから答えてあげたのにキレられて、私もムカッとしたから、私も女なんですけど・・・・。って呟いてやったら、うおーーっとか大声で叫んで、服を着て出て行っちゃって・・・。それきりまだ帰ってきてないのは、何か事故にでもあったのかなあ・・・」

 宮城失踪の真相が、すべて明らかにされた。おそらくは童貞喪失を夢みて、当日に向けコンディションを整えていた宮城は、いざ生身の女を目の前にしたとき、普段はコチコチに硬くなるブツがまるで役に立たないという衝撃に茫然自失し、ついには錯乱してしまったのである。

 莉乃に酷い言葉を浴びた一件で、宮城は大きな心の傷を負ったであろう。女と愛のあるセックスをすることを、もう諦めていたかもしれない。しかし、風俗すら満足に利用できないとは、哀しすぎるではないか。この哀しい男に見向きもしないばかりか、事実上トドメを刺した莉乃に対し、俺もモテない男の立場から強い憤りを覚え、何が何でも潰さねばならないという決意を改めて固めるに至った。

「・・・私、やっぱりデリはやめない」

 すべてを話し終えた純玲が、いきなり唇を歪めて呟いた。

「いきなり何を言い出すんだよ」

「自分ばっかり楽しい思いして・・。あのカマトトババアを痛めつけるとかいって、結局は仲良くしちゃってるじゃない」

 純玲が言っているのは、近頃俺が莉乃と、親しげに話していることであろう。今までずっと、俺が女のことで嫉妬をすることはあっても、女が俺のことで嫉妬をすることなどないと思っていた。俺に魅力を感じ、俺のことを独占したいと思ってくれる女がいるのは、どこまでも嬉しいものである。

「それは作戦上のことだと言っただろう。機が熟したら、アイツには必ず思い知らせてやるさ。なに嫉妬してんだよ」

「だって・・・・だって・・・・」

「おい、どうした」

「もう復讐とかやめようよ。二人でどこか、遠い街に行って、新しい人生を始めようよ。重治さんには私がいるよ。昔あった嫌なことは全部忘れて、これから二人で、幸せを一杯集めながら生きようよ。ねえ、そうしよう」

 泣き崩れる純玲は、俺が莉乃を痛めつける目的に協力を申し出たときからずっと抱えていたであろう本音を口にした。莉乃への復讐に協力するとは、俺に無理に合わせただけの話であり、純玲は本当は俺と二人、過去を忘れて幸福に生きることを望んでいたのである。

 純玲が俺を大事に思ってくれるのは嬉しい。だが、女が大事に思っている俺が、本当の俺とは違う俺であるというのは問題である。純玲が好きなのは本当の俺ではなく、純玲が理想化した俺であるというのでは、いつかはボロが出るというものである。純玲が理想化した俺に近づく努力をすればいいではないかという考えもあるが、残念ながら、女のために自分を曲げるようなことは、俺にはできない。

 莉乃と唐津を憎まない俺など、俺らしくもない。過去の不快な記憶をキレイさっぱり忘れて生きる俺など、俺らしくもない。この先ずっと一緒にいるためにも、純玲には、本当の俺を理解してもらわなければならない。俺のすべてを受け入れてもらい、俺が唐津と莉乃への復讐を完遂しなければ、純玲との幸福な人生もないことを理解してもらわなくてはならない。

「俺が莉乃と唐津を痛めつけようとするのは、けして後ろ向きなことじゃねえぞ。お前と幸福な人生を手に入れるために、絶対にやらなくちゃいけねえことなんだ。俺が、俺を受け入れないこの世間と折り合いをつけるためには、アイツらにきっちり、ケジメをつけなきゃいけねえんだ」

「ケジメをつける?どういうこと?」

「俺も何もしないで、文句ばっかりピーピー言ってたわけじゃねえ。自分がこの社会の中でまともにやっていけないことがわかって、それだったら、自分なりの道でなんとかやっていこうと、色々足掻いてはきたんだよ。頑張るっていうなら、普通に資格とか取って就職目指せって言われるかもしれないけど、俺はそれじゃダメなんだ。他人と同じことやってたんじゃ、どうやっても、幸せになれる気がしねえ。俺にとっちゃ、人と変わったことをやる方が、遥かに安定して、長続きする道なんだよ。だけど俺には、どんなに頑張っても、レールの外で成功できるような才能も運もないことがわかった。無駄な足掻きばっか続けているうちに、こんな年齢になっちまった。このまま生きてたってしょうがねえ。最後に、恨みつらなるこの世の中にどでかい糞をぶち撒けて、死刑にでもなんでもなってやろうと思ってた。そんなとき、俺の目の前にお前が現れた。こんな俺を愛してくれる、ずっと一緒にいてくれるというお前を手に入れることができた。俺にも、人として当たり前の幸せは与えられるんだとわかった。それがわかったのに、いつまでも死刑とか喚いててもしょうがねえし、世間を恨むばかりでも仕方ねえとは思ってる」

「だったら・・・・」

「人はそれぞれ、自分の人生に対する期待値ってもんが違う。欲しいもんが何でも手に入る大富豪でも自分を不幸だと思ってるヤツはいるし、食うや食わずの貧乏人でも自分を幸せだと思ってるヤツもいる。期待値ってのは、他人から我慢しろとか、納得しろとか説教されたりすることでは変わらねえもんだ。お前という女を手に入れられたことは、確かに良かったとは思っている。だが、経済的には、俺が今でも世間の平均より下にいることは間違いねえし、この先底辺から抜け出せる可能性もねえ。女と出会っただけで納得して、受け入れて生きられるヤツもいるのかもしれねえけど、俺はそれだけじゃ納得できないんだ。俺がこの先、ずっと底辺暮らしを受け入れて生きていくには、この世間に・・・この世間の風潮を有り難がって生きてる連中に、どでかい糞までいかなくても、指先についた糞を塗り付けてからじゃなきゃならねえ。やられっぱなしじゃいられねえんだ。せめて一矢を報いてからじゃなきゃ、俺はこの世間と折り合いをつけて生きていくことはできねえんだよ。だから俺は、莉乃と唐津を痛い目に遭わせなきゃならねえんだ」

 ひとしきり語り終えたとき、喉はカラカラになっていた。誰かに対し、自分の内に抱えた思いをこんなに一生懸命説明したのは、生まれて初めてのことだった。自分の話を一生懸命に聞いてくれる人がいるというのは、紛れもなく、幸せなことである。俺がこの幸せをずっと守っていくために、俺は強大な世間との闘争に身を投じなければならないということを説明し終えると、純玲は鼻をすすりながら、大きくうなずいた。

「全部を理解することはできないけど、私は重治さんを社会に繋ぎ止めるために全力を尽くすよ」

「ありがとうな・・・。落ち着いたようなら、デリヘル業者に退職の連絡を入れて、一緒に宮城の部屋を片づけようぜ」

 純玲を納得させると、俺は純玲にも手伝わせて、宮城の部屋の片づけを始めた。それほど汚れてもいない宮城の部屋ならば、作業自体は半日もかからず済むはずである。俺の本当の楽しみは、宮城の部屋を家探しし、何か笑えるモノを見つけ出すことにあった。

「さっそく見つけたぜ」

 几帳面な宮城は、小さい頃からの思い出の品を、段ボールにまとめて、押し入れにちゃんとしまっていた。通常こうしたものは、実家に置きっぱなしにしている場合が多いはずであるが、俺のように実家がすでにないのだろうか。それとも、わざわざ一人暮らしのアパートに持ってくるほどに思い入れが強いということなのだろうか。箱を開けると、中からは小中学校で使っていた教科書、卒業文集などが続々と出てきた。

 俺はまず、もっとも興味深い中学校時代の卒業文集を捲ってみた。文は人なりといい、文章には、それがたとえ四百字詰め原稿用紙一枚程度のものでも、その人物の特色が出るものである。宮城の生い立ちを詳しく検証すれば、もし宮城が生きていたとして、ヤツを利用する方法が見えてくるかもしれない。俺は名前順の関係で、全生徒のトリを飾っている宮城の作文を、純玲とともに、食い入るようにして読んだ。

 
―――俺の思い出  

                 三年三組  宮城利通

―――中学に入学したとき、俺の夢は、サッカーで全国優勝することだった。決意を胸に、毎日練習に励む中で、二人の親友ができた。竹里と中岡だ。満開の梅の木の下で、おれたちはアクエリアスの入った紙コップを乾杯し、「世田谷第一公園の誓い」を交し合った。

 世田谷第一公園の誓いとは、三国志の劉備、関羽、張飛が若き日に交し合った、「桃園の誓い」を気取ったものであろう。「我ら入部した日は違えども、願わくば同年同月同日に辞めん」とでも宣言したのだろうか。それならば三年生の夏まで部に所属していれば自動的に達成されるが、果たしていかなる結末を迎えたのであろうか。

―――毎日同じメニューの練習をしていた俺たちだったが、一年の夏ごろから実力に開きが出始めた。主な原因は、食生活にあった。身長を伸ばそうと沢山食べた結果、俺の身体は横や前にも大きくなってしまったのだ。結果、スピード面に課題が生まれた。すでに上級生に交じって試合に出ていた竹里と、次期レギュラーと目されていた中岡に、俺は遅れを取ってしまった。

 物は言いようという言葉があるが、ただ太ったことをここまでもっともらしく書ける中学生もあまりいないだろう。都合の悪いところを誤魔化す詭弁の才能はある男だったのかもしれない。

―――冬、新人戦で惨敗した後、竹里はカラカラと笑いながら、前日、オナニーをしてしまったせいでスタミナが落ち、思ったような活躍ができなかったと言っていた。強がっていたが、俺には竹里が本当は落ち込んでいることがわかっていた。俺は竹里を慰めた。みんなが竹里を責めても、俺は絶対に責めないと言ってやった。

 どうして、人の恥を、一生モノの文集に書き残すようなことを平気でしてしまうのか?宮城が当時から、自分が善人であることをみんなにアピールするためには、人の気持ちなどまったく考慮しなくてもいいというスタンスであった証明である。

―――三年になった。竹里はますますうまくなり、県の選抜チームにも選ばれた。中岡もレギュラーとして活躍した。俺は試合には出られなかったが、俺は二人に、ベンチから精一杯声援を送った。誰よりも大きな声で声援を送った。試合に出ているみんなが飲むアクエリアスを作るときも、しっかり分量を量り、誰よりもうまいアクエリアスを作るよう心掛けた。グラウンドをならすときも真剣にやり、後輩たちからトンボの達人と呼ばれた。みんなに褒められていたわけだから、レギュラーになっても、特に印象に残らないヤツより価値があるものだと思っている。そして最後の大会を終え、引退した。俺はこの三年間を忘れない。

 大仰な書き出しで始まったわりに、ずいぶんとスケールの小さな結末である。最後の方が駆け足なのは、本当は大した思い出などなかったに違いなく、おそらく竹里と中岡にも、新人戦でオナニーがどうのこうのの事件があった当たりから敬遠されていたのであろうが、仲が良かった時期だけを抜粋し、親友と明記して文章に残してしまうとは大した根性である。

 宮城は自分が「補欠の鏡」であったことを誇りにしているようだが、運動部などは、試合に出られるかどうか、出て結果が残せるかどうかがすべてではないのか?成果を試す場も与えられないのに、毎日長時間拘束され、ボロボロになるまで身体を酷使するなどというのは、はっきりいえば、時間の無駄である。アクエリアス名人、トンボの達人などと評価されたことを理由に、補欠のまま三年間を過ごした自分にレギュラー以上の価値を置くなど、ウォシュレット付きの洋式トイレに対して、穴からゴキブリの這い出すぼっとん便所を、他人が座った便器に尻をつけなくていいという利点だけを理由に、優れている、勝っていると主張するような、無茶苦茶な理屈だ。

 勝者がいるところには、敗者もいる。三年間補欠に甘んじているのが悪いことではない。だが、それはほろ苦い思い出として記憶されるべきものであり、誇りにするべきものではないはずである。

 宮城に限らず、毎年、部活動が一段落する時期になると、最後の大会でレギュラー争いから漏れた選手が、試合に出られなくてもチームに貢献する方法はあると、レギュラーを妬まずに、チームのために声を振り絞って応援したとか、裏方に回ったとかいうエピソードがテレビなどで取り上げられるが、なぜ、ああいうのを無理やり美談にしようとするのだろうと疑問に思う。就職面接などでも、その手のエピソードがアピール材料として使われることもあるという。勉学を犠牲にして部活に励んだ学生を救済する意味ではいいことだろう。だが、評価するところを間違えてはいないか。

 彼らが素晴らしいのは、試合に出られなくてもチームに貢献する方法はあると、レギュラーを妬まずに、チームのために声を振り絞って応援したことでも、裏方の仕事を頑張ったことでもない。ボロボロに屈辱を味わって、プライドを叩きのめされ、一時はそのスポーツそのものや、一緒に汗を流した仲間を憎んだこともあるであろう、その挫折した経験こそが、彼らの財産なのではないか。

 挫折――どれだけ取り繕ったところで、彼らが経験したことは、こっぴどい挫折である。努力は報われなかったのだ。その悔しい経験をしたことが、何より素晴らしい。死ぬほど悔しい思いをしたからこそ、負けて傷ついた人間を労わることができる。仲間を妬み、嫉み、恨む、という醜い感情を知っている。知っているからこそ、その醜い感情をコントロールできる。同じ醜い感情に囚われたものを、救ってやることができる。変に美化したり、大人の理想を押し付けるのではなく、そういう現実に経験した感情を、もっと評価してあげればいいではないか。

 なぜ、無理やり美談にしようとする?なぜ、こっ酷い挫折を味わい、仲間を妬み、嫉み、恨んだ事実から、目を逸らさせようとする?負けること、躓くことは、悪いことなのか?屈折した感情を抱いたことは、忘れるべき経験なのか?青春がほろ苦くてはいけないのか?

 今、体育会系の負のイメージの最大公約数といえば「ガサツ」といったことであろうが、本来の経験からいえば、むしろ人の痛みがよくわかり、人を思いやれる人間になれるはずの彼らを、真逆の人間にしてしまっている社会の風潮があるのではないか?

 何もかもをキレイごとで丸め込もうとするくだらない世間の風潮に無理やり共感しようとするから、逆に歪んでいく。この作文が書かれたのは中学時代のことだが、宮城の普段の行いを見る限り、基本的な精神構造は変わっていなかっただろう。どう考えてもキレイごとで救えるような人間ではないくせに、くだらない世間に迎合しようとしたために、ヤツは壊れてしまったのだ。

「でも、考えてみれば、子供の頃に書いた、中二病満開の作文を、大人になってから他人に読まれるって嫌だよね・・」

 純玲に同感だった。よく大犯罪があったとき、犯人の卒業文集などがワイドショーで取り上げられることがあるが、俺がもし今の作文を全国ネットで晒されたなら、死刑を待たず、自ら腹を掻っ切って死ぬだろう。考えてみれば、犯罪者の「黒歴史」を晒すのは、ある意味死刑以上の抑止である。

 続いて俺は、小学校の国語の教科書を捲ってみた。真面目な宮城は、文章の中で特に重要だと思った箇所にサインペンでしっかりと線を引いていたのだが、その中でも特に、小学校五年で勉強した「赤い実はじけた」という話には、重要だと思った箇所とは別に、自分が個人的に気に入った文章にも別の色で線が引いてあるようで、話のほぼ全文に渡って線で埋め尽くされていた。

「赤い実はじけたって、初恋の女の子の淡い気持ちを書いたお話だよね。宮城さん、そんなに彼女が欲しかったんだね・・・」

 純玲の言葉を裏付けるように、「赤い実はじけた」の余白の部分には、宮城の心の叫びを表すように、ピンクのペンで大きく「恋がしたあい」と書かれてあった。教科書に書かれているほかの宮城の文字と微妙に筆跡が異なることから、これは小五当時のものではなく、もっと大きくなってから書かれたものであることがわかる。宮城はその生涯の多くの部分を、淡い初恋を描いた「赤い実はじけた」をバイブルとして生きてきたのだ。

 それほど強く「赤い実はじけた」を崇めているのに引き換え、小学校二年生の教科書に載っていた、俺のバイブルである「力太郎」については、線などほとんど引かれておらず、そればかりか、力太郎の顔にはヒゲが描かれ、おじいさんの頭からは変なツノが生えているなど、ふざけた落書きがされている。余白の部分には、「あかで人をつくるのは汚いと思った」と、切って落とすように書かれているのみである。

「あの野郎・・・・」

 力太郎を批判することは、俺の性癖を批判し、ゆかりのようなグロ婆と行為に及んでいた俺を愚弄するのも同じことである。これまで感じていた宮城への同情は、いっぺんに吹き飛んでいってしまった。

 あと、段ボール箱の中に入っていたのは、宮城の少年期の写真であった。幼いころから、宮城は宮城の顔立ちであったようである。若い頃と年をとってからで容姿が変わらないという点ではいいことかもしれないが、若いころも年をとってからも不細工では、何の救いにもならない。

「おい、宮城のベッドでしようぜ。そうだ、あの婆も連れてこよう」

 宮城の写真を見て、ふと新しいプレイの案が浮かんだ俺は、ゆかりを宮城の部屋に連れてきて、ゆかりの目の前で純玲と身体を交じり合わせることにした。

「なにこれ・・・・・」

 俺が自分で外せないように鍵をつけた首輪をしたゆかりを、大型犬用のリードを使って引っ張ってきたところ、ゆかりを目の当たりにした純玲が絶句した。それもそのはず、この日俺はゆかりに、花模様のひらひらがついたピンクのワンピースを着せていたのである。

 俺は純玲と交際を始めてからも、性懲りもなくゆかりを抱くことは続けていた。外で精を放出するようになってもなぜゆかりの身体への欲求を失わなかったかといえば、新たな楽しみ方を発見したのである。俺は、醜く汚臭を放つゆかりに、あえて可愛い恰好をさせるというところに興奮する要素を見出したのだ。そして、莉乃と唐津のせいでしばらく絶食状態にあったせいで、均整のとれた身体にはなっていた俺の方が、しろいシャツにももひきをはき、腹巻を巻いた「磯野波平スタイル」で襲い掛かるのである。

 本体が気持ち悪いゆかりが可愛い恰好をしているのを、本体はそこそこ見れる容姿だが気持ち悪い恰好をした俺が犯す・・・これがなんとも興奮する。それに、なんといっても、ゆかりの母乳および、股間、脇、アナル、足の裏、へそ、三段腹の隙間の悪臭は捨て難い。ゆかりはゆかりで、まだまだ楽しめるのである。

「がーふむふむふむ。もがーふむふむふむ」

 ゆかりは天敵純玲を目の当たりにし、混乱してわけのわからない言葉を喚き始めた。何を言ってるのかわからないのは、ゆかりが混乱しているからだけではなく、口の中に食物がいっぱい詰まっているせいもある。昔から食欲のコントロールができない豚であったが、近ごろはなぜか、ますます食欲旺盛で、デブ腹はみるみるとせり出し、顔面にも脂肪がついて、化け物具合に拍車がかかっていた。

「ほんっとにてめーはいつ会ってもくっせーなー。死んだほうがいいんじゃねーの?ほらデブ、これも食えよ」

 宮城の部屋に入るや、純玲が悪態をつきながら、ゆかりに、宮城の冷蔵庫にあったニラ、ニンニク、山芋、納豆を放り投げた。ゆかりははじめ抵抗していたが、そのうち食欲に勝てなくなったらしく、納豆に山芋をかけて、貪るように食い始めた。

「がもっがもっぬばあ。がもっがもっぬばあ」

 ゆかりは食い物を口に入れるのに夢中で、呼吸するのも忘れているようである。ゆかりがこんなにうまそうに食うところは、初めて見たかもしれない。

 無理もない。何しろゆかりはここ三日、パン屋で一キロ百円で買える、食パンの耳しか食べておらず、塩味に飢えていたのだから。

 ゆかりに性欲を満たすこと以外の価値を見出さない俺にとっては、ゆかりが乳と尻にある程度の肉付きを維持できればいいのであって、栄養のバランスなどは関係ない。むしろ栄養が偏って、成人病にでもなれば、ますます股間が臭くなっていいかもしれない。俺と一緒にいる限り、ゆかりは貧しい食生活から抜け出せないのである。

「ねえ~。重治さん、豚がちょー臭いよ~。風呂に入ってない臭い豚が臭い納豆を食べて、ぶっぶかぶっぶか、臭い屁をしているの。なんかキモイ恰好してるし。私もういや~」

 純玲が俺にしなだれかかり、甘い声を出しながら、ゆかりを罵倒する。純玲が俺とのラブラブぶりを見せつけながらゆかりを攻撃する姿が、俺にはたまならなく愛おしい。いてもたってもいられなくなった俺は、純玲を脱がし、前戯もそこそこに、いきり立ったモノを挿入した。

「ああん。ああっ。ああっ。重治さんいい。いいよおっ」

 純玲がここぞとばかりに、大きな嬌声をあげる。勝ち誇ったような目を、ゆかりにチラチラと向けることも、もちろん忘れない。ますます興奮した俺は、純玲と合体したまま、食事を続けるゆかりに歩み寄り、段ボールの中にあった宮城の写真を手に取った。

「おらっ。こいつがてめーの未来の旦那だ。てめーはこいつと子供を作るんだよ!ほらっ」

 言いながら、俺は宮城の写真を、ゆかりの顔面、乳、そして股間などに押し付けた。かつて成し遂げようとした「超劣等東洋種族製造計画」を、写真と実物の接触という形であるが、ようやくに実現したのである。もちろん、写真には、フローリングの床にこびりついた宮城の精液をお湯で溶かしたものを擦り付けておくのは忘れなかった。

「おい、宮城の子を孕めよ。そして二人で育てろよ。てめえらが作った子供は不細工すぎてイジメられて、心がねじけて、けんちゃんとたっちゃんを殺してから自殺するに違いないだろうけどな。でも宮城はバカだから、そんなことは気にせず、ただ性欲の赴くままにお前を妊娠させ続けるんだ。そして、不細工な子供を作りまくるんだよ」

「もがっふう。もがもがもが」

「ほら!宮城がおまえのこと、お姫様みたいで可愛い~と言っているぞ。えっちなにおいと、えっちなからだをしているね、と言っているぞ。ゆかりちゃん、僕のお嫁さんになってくれてありがとう、ずっと大切にするからね。いちにち八回はえっちしようね、赤ちゃんいっぱい作ろうね、と言っているぞ」

「もがあ!もがあ!もがあ!」

 ゆかりは宮城の写真に拒絶反応を示し、部屋の隅っこへと逃げていく。ゆかりは己がお下劣な容姿をしているくせに、男を容姿で選んでおり、五十歩百歩にお下劣な容姿をした宮城を拒絶したのである。男尊女卑の思想である俺はこの増上慢に怒りを覚えたが、しかし一方で、強い性的興奮を感じてもいた。宮城を選ばなかったゆかりに、俺は選ばれた、という優越感である。

「ああ、気持ちいい。俺も気持ちいいぜ」

 俺と純玲が愛し合うことの苦痛から逃れるように、バクバクと食いまくるゆかり。かまってもらえない口惜しさを、食うことで紛らわせるゆかり。宮城もゆかりと同じように、女とセックスができない苦しみから逃れるように食い続けた結果、あんな豚になってしまったのかもしれない。

「おい、桑原。実はいまこういう状況でよ・・・」

 俺はベッドに戻ると、この快楽を自分ひとりで味わうのはもったいないと思い、桑原に電話をかけ、現在のシチュエーションをこと細かく伝えた。

「どう思うよ、桑原」

「アニキ、それはこういうことでしょう。この飽食の日本において、食欲を満たすことは容易い。しかし、未婚率のデータが示すように、性欲を満たすことは難しくなっている。やれない哀しみを食うことで紛らわし、かつ下半身の運動ができず、カロリーを消費できない豚はますます肥え太り、容姿はますます醜くなり、ますます異性から敬遠される。逆に、性欲を十分に満たせる者は過剰な食に走ることはなく、また、下半身の運動をすることによってカロリーを消費できるため、容姿を保つことができ、常に安定して異性と性交することできるということです」

「つまり、ゆかりに、えっちがしたあい、と叫ばせ、ゆかりが苦しみながら、なおも飯を食うところを見ながらえっちをすれば、めっちゃくちゃ興奮するってことだな?」

「はい、それで間違いありません。ちなみに、俺は小学生のとき、浴槽の中でちんこをいじくっていたら、精子が出てきてしまいました。出てきた精子は、お湯の中を、クリオネみたいにふよふよ漂っていました。面白かったけど、俺の後に入った姉ちゃんが妊娠したんじゃないかって、しばらく怖くて怖くてしょうがなかったです」

「おう、ありがとうよ。おい、ババア。えっちがしたあい、と叫べ!」

 軍師桑原の同意を得た俺は電話を切り、策を実行するべく、正常位でピストン運動をしながら、ゆかりに命令をした。しかし、返事はかえってこない。

「おい、聞いてんのか!」

「重治さん大変。豚がいない・・・」

「え?」


 慌てて、ゆかりがいるはずの方向を振り向くと、本当にゆかりの姿が消えていた。

 迂闊であった。つい油断して、ゆかりを宮城の部屋に引っ張ってくるのに使った大型犬用のリードを、どこかに固定するのを忘れてしまっていた。俺と純玲が快楽にのぼせている隙を見て、ゆかりは部屋から逃走を図ったのである。

「やべえぞ、早く探し出さねえと」

 俺と純玲は慌てて服を着て、外を探し回った。ひらひらのついたピンクのワンピースを着た化け物が、大型犬用のリードを首からぶらさげながら、外を徘徊しているのである。発見は容易であると思ったが、ゆかりはなかなか見つからなかった。数時間探し回り、一度戻って宮城の部屋の片づけを終え、再度、日が暮れるまで探し回ったが、とうとう、その日のうちに、ゆかりを発見することはできなかった。

 いったいあの豚は、どこへ消えてしまったのだろうか。ゆかりへの虐待が発覚すれば、俺は獄へと繋がれてしまう。そうなったらばもう、莉乃と唐津への復讐どころではない。計画を狂わせる怖れのあるアクシデントの発生に、頭を悩ませねばならぬ事態となってしまった。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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