犯罪者名鑑 麻原彰晃 23


みっつのぼひょう



 遺棄


 実行犯グループの6人は、富士総本部道場に戻ると、少し休憩をとった後、ドラム缶に詰めた坂本弁護士一家の遺体を埋めるために、一路北陸へと向かいます。

 警察の捜査をかく乱するために、三人の遺体は、それぞれバラバラの山に埋めるという作戦が取られました。六人のうち、指揮をとっていたのは、村井、早川、岡崎の年長者三人組で、若くて体力のある端本と中川が穴掘りを担当、新實が見張りを担当というのが、主な役回りでした。

 今回の記事は、ベストセラーのノンフィクション作家、佐木隆三氏の著書「三つの墓標」を元に書いていますが、坂本弁護士一家を遺棄しに北陸へと向かった6人のやり取りは、一種のロードムービーのようでなかなか味わいがあります。

 私が特に気に入っているのは、鳥取県の美保湾で実行犯の一人、中川智正が、現場にプルシャを落としたのをみんなに打ち明けた場面です。

 ここで、チクリ屋で嫌われ者の村井は、自分が現場に土足で入ったり、手袋をつけ忘れたのを棚に上げて、中川をネチネチと追い詰めていた一方、求道者的な新實智光は、「あまり気にするな。現世では、うまくいかないこともあるよ。チベットの仏教だって、うまくいっていないじゃないか。また転生して、やり直せばいいんだ」と前向きに励まし、建設現場の親方のような気風で慕われていた早川は、最初に中川をどやし付けたものの、すぐに、「ワシとマンジュシュリー大師も手袋を忘れた。中川くんを責める権利はないんや」と庇い、「中川くんも出家して早々、こんなことに巻き込まれて、辛かったやろうなあ」と慰めるなど、メンバーの性格の違いが現れており、同じオウムの幹部でも、それぞれ個性がまったくバラバラであったことがうかがい知れます。

 中川智正はまだ27歳という年齢で、出家して日が浅いにも関わらず、幼い瀧彦ちゃんの命を奪い、現場にプルシャを落とすというミスをしたことで、精神的に鬱状態になっていました。程度の差こそあれ、他の5人も落ち込んでいたのは同じだったはずで、そんな彼らが、「真理のために」と、お互いに励まし合いながら臨んだワークは、新實に言わせれば、「幹部みんなの心が一つになって、本当に団結できたのは、坂本弁護士事件が最初で最後だった」そうです。

 弁護士一家を遺棄するワークは、6人にとって、精神的にも肉体的にも重労働だったでしょうが、いつも一日一食、粗末な食事しか取れないところを、食べたいものを腹いっぱい食べることができ、(坂本弁護士の遺棄現場では、カニヤ横丁で買ってきたカニを食っていた)風呂にも一週間は入れないところを、サウナで「命の洗濯」ができるなど、いいリフレッシュになった面もあったのかもしれません。

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 三十歳

 自分で書いた麻原の記事を読み返すと、犯罪者名鑑全体の方向性が固まっていなかったこともあり、随分余談だらけだなあという感想を抱きますが、どうせすぐには終わらない企画ですので、今回も余談を挟ませてもらいます。

 私が今回話題にしたいのは、麻原が挫折の連続を経て、ようやくヨガの行者として頭角を現し始めた、「30歳」という年齢についてです。

 麻原彰晃は日本史上最悪の犯罪者であり、狂気の独裁者という評価は覆ることはありませんが、一方で、彼が社会の中で一定の成功を収めた人物、「勝ち組」であったことも否定はできません。麻原という怪物が完成し、「ビクトリー・ロード」を歩み始めたのが、30歳という年齢でした。

 ほかの宗教家でいえば、3章で紹介したジム・ジョーンズの人民寺院が世にその名を知られはじめたのが、ジョーンズ32歳のとき。チャールズ・マンソンのファミリーが異様に膨れ上がり始めたのも、マンソンが30代前半のときでした。麻原がライバルと目していた大川隆法(麻原と違い、高学歴ですが)が幸福の科学の主宰者になったのも、30歳のころです。

 もっとスケールの大きな人物でいえば、かのアドルフ・ヒトラーが野戦病院から帰還し、軍の命令を受けて、調査員として潜り込んだはずのナチの集会で、たまたま演説を振るったのを褒められ、ナチに入党したのがちょうど30歳のときで、それから彼は瞬く間に頭角を現し、ドイツの指導者を飛び越え、欧州全体を支配する独裁者へと成長していくことになりました。

 どうも、「30歳」という年齢は、「学歴も、過去にこれといった栄光もなく、挫折まみれの半生を歩んできた男」が、人を統べるカリスマを表す最初の時期のようなのです。

 ちょっと違うタイプでいえば、当時木下姓を名乗っていた豊臣秀吉(低学歴であるが、人の下に就いている)が、織田家の高級将校として初めて文献に名前が登場し始めたのも、やはり30代前半のころ。世界で一番有名な革命家であるチェ・ゲバラ(カリスマではあるが、高学歴)がキューバ革命を成功させたのは、30歳直前の29歳のときでした。

 なぜに今回、こんな記事を書こうと思ったかといえば、私自身が、あと半年で30歳という年齢を迎えるからです。栄養状態や医療の発達、定年の引き上げにより、日本人の体感年齢は年々若くなっているともいわれています。麻原の時代の30歳と比べても、今の時代の30歳は、自分のことも、他の30歳のことも、「若い」と思っている。それを考えると、私にはもうちょっとチャンスがあるともいえます。

 世の中の人には、独裁者と聞いただけで嫌悪感を示す人もいますが、正直、私は自分がなれるものならなってみたいと思います。犯罪を起こすのがダメなのであって、独裁者自体が悪いわけではない。実現するかどうかはともかく、夢を見るぐらいは自由でしょう。

 今回名前を挙げた中で、ヒトラーとゲバラの成功は麻原とは桁が三つも四つも違いますが、彼らは私利私欲の塊のような麻原とは対象的にストイックで、女性との浮いた噂もほとんどありませんでした。ここが一教祖で終わった麻原との差なのでしょう。

 どちらに憧れるかと言われたら、私はあんなむさ苦しい髭面の豚親父の癖に、女性教徒100人と性行為に及んだという麻原の方に憧れます。ヒトラーやゲバラのように世界史にまで名を遺すのはすごいことですが、そのために、味わおうと思えばいくらでも味わえる快楽を捨て、自分の存在を国家と同一に考えて己を律するのも大変そうです。今回名前を挙げた中でいえば、天下を取ったうえで、己の欲望も満たした秀吉が最高かもしれません。

 「30歳」がひとつのターニングポイントなのは確かなようですが、ただし、30歳ごろに開花した独裁者たちには皆、栄光を掴むまでに、苦難の半生がありました。

 麻原彰晃は、幼いころから弱視でコンプレックスに苦しんでいました。そんな彼が、二十代半ばから始めた宗教の勉強、修行は本物といえるもので、間違った道を突き進みはしましたが、彼は確かに努力家ではありました。ジョーンズも若いころから、宗教活動には熱心に取り組んでいました。ヒトラーも実科学校を成績不良で退学になるなど、少年時代は劣等生で、20代では絵画の修行や読書の日々、従軍経験など、濃密な体験をしています。無学なマンソンにしても、人生の半分を矯正施設で過ごすという波乱万丈の人生を歩んでいました。

 「30歳」が、カリスマを売りにする独裁者にとってのターニングポイントであるのは間違いないようですが、まともな人生を歩んできた20代、何もやってこなかった20代が、30歳でいきなり開花するということはなさそうです。

 コンプレックスに塗れた10代と、血反吐を吐く努力をしてきた20代。不謹慎とは知りつつも、麻原、ヒトラーと似た人生を歩んできた私は、自分が「独裁者」となる未来を妄想するのを、抑えることはできません。
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栃木リンチ殺人事件 3



犯人c

 写真:少年c


 栃木リンチ殺害事件




 石橋署の無能警官から電話を受けたAたちは慌てふためきました。

 警察が自分たちを探している。恐喝、傷害、詐欺・・・捕まったなら、刑務所に入れられることは確実である。無い頭を必死で絞った彼らは、逃げ切るためには、須藤さんを殺害し、Cのホンダ・インテグラを処分するしかないという結論に達しました。

 このころから、犯人グループに、「第4の少年」が加わり、Aらとともに行動するようになっていました。「第4の少年=D」は、Aらより二歳下で、東京のクラブでAと意気投合。Aらとともに、飲み食いや女遊びをして、ホテルを泊まり歩いていましたが、須藤さんに暴力を振るうことはなかったようです。

 須藤さん殺害を決意したA,B,Cの三人は、とにかく殺して山に遺体を埋めると決め、栃木県を北上します。が、Aが「ここでいい」と殺害現場に選んだのは、山奥でも何でもない、幹線道路から数メートルも離れていない林の中でした。

 BとCが、須藤さんを埋める穴を堀り、遺体を固めるためのコンクリートをこねる間、Aはこの期に及んでも、須藤さんに消費者金融のCMソングを歌わせていました。Dはといえば、三人と行動をともにしながら、「あれ須藤さんを埋める穴じゃないっすよね?」などと尋ねるなど、殺害に関して詳しい話は聞かされていなかったようで、三人との間には一定の距離があったようです。

 自分が殺されることを悟った須藤さんは、Aが車を降りた後、Dにセブンスターを所望しますが、Dの一存では決められません。最後に煙草一本吸うことさえ許されないまま、須藤さんはBとCに紐で首を絞められ(Cは途中で紐を離し、Bが一人で締め上げた。これが二人の量刑に差をつけた)、殺害。須藤さんの遺体は、コンクリートで固められて穴に埋められました。その晩、Bはホテルにて、Cが殺害の状況をジェスチャーで再現するのを見て、マスターベーションに耽ったといいます。

 事件が発覚したのは、最後に仲間に加わった、Dの自首がキッカケでした。自宅に帰って、罪悪感に駆られたDは、母親と祖母に事件のことを話し、自首する考えを伝えました。このとき、母親は反対したようですが、 「あいつら、絶対許せねえ」と、Dの決意は固く、祖母に付き添われる形で、警視庁に出頭しました。

 警視庁はすぐに動き出しました。Dの記憶には曖昧なところもあったようですが、Dの自首からたった6時間で、須藤さんの遺体は発見されたそうです。

 Dがギリギリのところで人に戻ったのは確かですが、褒められるべきというほどではなく、逆に、今さら遅い、なぜもっと早く通報しなかったのかと言われてもおかしくはないでしょう。ですが、もしDの通報がなければ、こんなわかりきった事件が迷宮入りしていた可能性もあったのです。警視庁がたった6時間で見つけた須藤さんを、栃木県警は、2か月間もの間、探そうともしなかったのです。

 一体、なぜ、栃木県警は、これほどまでに「動かなかった」のか?

 この事件がけして、3匹の悪魔をムショ送りにしただけで終わるものではないということを、次項で明らかにしたいと思います。

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 日産

 
 事件を精査したジャーナリストは、栃木県警が二か月もの間動かなかったことは、ただの「怠慢」とは思えず、上層部からの「強い意志」が働いていたとしか思えない、という推論を展開しています。

 冒頭でも書きましたが、日本の警察官は世界的に見ても非常に優秀で、末端の警察官も常に正義感と使命感を持って、日々の勤務にあたっています。何割かは「不良警官」がいたとしても、栃木県警のすべての警察官がそうであったとは考えられません。23年間も、実際に警察に在籍したジャーナリストの意見ですから、私はこれを信用したいと思います。

 何か、この一件を「事件にしたくない」という強い意志が働いていた。その意志の出どころは、いったいどこだったのか?

 主犯格であるAの父親は警察官でした。警察には身内を庇う体質があり、現役警察官の息子が事件を起こしたことが発覚するのは都合が悪いと判断したというのであれば、確かに辻褄は合います。

 しかし、Aはもともと札付きの悪で、Aが何か悪いことをすると、いつも警察官であるAの父親のところに連絡が行っていました。父親の責任で何とかしろ、ということですが、今回に限って、なぜかAの父親のところにも連絡が行かず、父親が事件を初めて知ったのは、警視庁がAらを逮捕した後のことだったそうです。

 そもそも、Aがかつて、100万円の恐喝事件を起こしたときには、警察に逮捕され、ちゃんと取り調べを受けています。今回に限って、身内を庇うというのもおかしな話です。

 Aの父親を庇う目的ではなかったのならば、いったい、なにが「動かなかった」理由だったのか?栃木県警に、どんな圧力があったというのか?

 ここで浮かびあがるのが、須藤さんが勤めていた大企業「日産」の思惑です。

 日産のような大企業のほとんどは、警察など官公庁の天下りの受け入れ先となっているものです。天下りは、官、民が一体となって世の中に貢献していくために必要な良い面もありますが、ドラマなどでもよく取り上げられるように、癒着の温床となってしまっている場合もあります。

 日産は、被害者である須藤さんだけではなく、犯人グループの一人であるBが勤めていた企業でもありました。須藤さんは、無遅刻、無欠勤、残業も断らずやる優良な社員でしたが、Bは自動車工場に勤める身でありながら、入社早々、シートベルトを着用せず自動車事故を起こして休暇扱いになるなど、会社からすると、何かと問題の多い社員でした。

 日産は、被害者が勤める企業であると同時に、加害者が勤める企業でもあった。企業イメージを大事にする日産が、天下りを受け入れている警察に対して、「事件として取り扱わないように」と、要請した可能性があるということです。

 天下りで民間企業に受け入れられるのは、署長クラスの職を歴任した一部のエリートだけで、現場で働くほとんどの警察官にとっては、天下り先の意向などに配慮したところで、何のうまみもないはず。どうして、思考停止で上からの命令に従ってしまうのか、私のように、組織に忠誠を尽くした経験のない人間にはよくわからないのですが、警察というところでは、組織の意向を無視して動く警察官など「杉下右京」くらいしかおらず、ほとんどすべての警察官は、とにかく「上司の命令は絶対」になってしまうようです。

 もしかしたら、日産側も事態を楽観視していたのかもしれません。最初のニュアンスは、もっと穏やかなものだったのかもしれません。しかし、人から人に伝わるうちに、簡単な「要請」が、強力な「命令」に化けてしまい、栃木県警が、意地でも動かないという態度になってしまった――これが、真相のようです。


あくにん



 悪党ども



 それにしても、日産と栃木県警が、須藤さんの両親にとった態度は、酷いものでした。

 日産、そして警察は、自分たちが動かなかったことを正当化するために、須藤さんが自ら望んで、Aらと行動を共にしているようなでっち上げ工作を行おうとしていました。事件中だけではなく、事件が発覚して以後も、です。

 確かに、須藤さんはAらの悪ふざけによってスキンヘッドに刈り上げられて、凄みのある風貌に代わっており、また、電話などでは、確かに望んでAらとつるんでいるかのように喋らされていたようですが、須藤さんの日ごろの勤務態度や、周囲からの評判を考慮すれば、望んでAらと行動していたなどあり得ないと、素人にもわかる話です。こともあろうに、捜査のプロが見誤るはずなどありません。自分たちが馬鹿だと言ってるようなものだと思うのですが、どうすればここまで開き直ることができるのでしょうか。

 日産はある一時期から、須藤さんの両親に、しきりに、須藤さんが退職届を出すように迫っていました。須藤さんを日産とは関係ない人物だと主張するためでしょうが、入社以来一日も休まず、身を粉にして働いた青年に、どうしてこんな冷たい態度がとれるのでしょうか。論旨解雇――須藤さんに下された処分の内容ですが、犯罪の被害に遭った人の処分が、「労働者側に非があった」というニュアンスなのは、どういうことなのか?

 日産からは、須藤さんの葬儀に参列した者は、ただ一人としていませんでした。あくまで、「我々には関係ない」というポーズ。警察ともども、縦割り組織の弊害といったらそれまでですが、組織の中に、人の心を持った人間は一人もいなかったのでしょうか。

 警察、日産の責任転嫁は、須藤さんのみに留まらず、両親にも及びました。

 須藤さんの両親が警察署を訪れた際、無能な五十代の警官はメモも取らず(警察は異常なほど記録を重視するにも関わらず)椅子をグリンコグリンコ(お母さん談)回しながら、ボールペンを回して遊んでいたはずですが、後になって、突然、警察署で行われたという会話の記録を持ち出してきました。その内容が噴飯ものです。

警官 「須藤君か。はやく帰ってきなさい」

須藤さん 「うるせえ。俺の勝手だ仙台だ」

お母さん 「この馬鹿野郎、家にそんなにお金があるはずはないだろう。お前みたいな馬鹿野郎は死んでしまえ。このデレスケ野郎」

 嘘をつくにも、もう少しまともな嘘をついて欲しいと思います。警察官は多忙で、ドラマや映画など滅多に観れないのかもしれませんが、いい大人が知恵を絞って、こんなくだらないセリフしか思いつかなかったのかと思うと、呆れを通り越して失笑が漏れてしまいます。

 このように事実をねつ造して、須藤さんや須藤さんの両親の名誉まで傷つけていた栃木県警の非道を、我々は絶対に忘れてはいけません。

 センスのかけらもない栃木県警と違い、須藤さんのお母さんは、言葉のチョイスが可愛らしい、言語感覚の素晴らしい人で、法廷に現れたA,B,Cに対し、「重役みたいだったわよ」という感想を残しています。20そこそににして顎が二重になるほど太り、ガニマタでのしのし歩く姿を表現したものですが、心が醜い人間とは、姿形まで醜くなるものなのでしょうか?

 法廷にて、主犯である少年Aが放った言葉――。

「出所したら彼女とやり直して、殺してしまった須藤くんの分まで長生きしたいと思います」

 一見、被害者遺族を煽る目的であったかのようですが、もしかすると、Aなりの、心からの「反省の弁」だった可能性もあります。こういう、人とあまりにも感覚が違い過ぎる人間をどう受け入れていくか、社会全体の在り方が問われるところです。判決では、主犯のA、須藤さんを直接殺害したBに無期懲役、積極的に犯行に加わったCには、5~10年の不定期刑が下されました。

 文字通り、虫も殺せぬ優しい青年であった須藤さんの周りにこれほどの悪党どもが集まってしまったのは、皮肉としかいいようがありません。


 総括:

 事件を取材した元警察官のジャーナリストは、犯人グループの少年たちが悪魔に変貌してしまった理由を「親の甘やかし」「与えすぎ」に求めています。確かに、犯人グループの少年たちは、暴走族の少年に多い貧しい家庭の子供ではなく、普通以上に裕福な家庭で、何不自由なく育てられた子供でした。犯人グループの金銭感覚は常軌を逸しており、なんでも与えられすぎ、甘やかされすぎて育てられるのは、確かによくないことなのかもしれません。

 他人を思いやる気持ちをまったく持てない犯人グループの凶行、「上からの命令」があったとはいえ、困っている人にかくも非情になれる日産、警察の対応には、戦慄すら覚えます。こういう悪党どもにつけ入られないためには、やはり、ある程度の「エゴ」も必要なのかもしれません。

 「優しい」というのは、世の中に生きる誰もが持っているべき、大切な性格的資質だと思いますが、「性善説」に偏りすぎるのもよくありません。この世には、話しても分かり合えない、どうしようもない悪党もいるものです。善人の皮を被った悪人もいます。

 警察の責任は追及されてしかるべきですが、そもそも世界的にみれば、警察とはあまり頼りにならないものであり、最低限、市民が自己防衛の意識を持つのも大事なことである。

 それが、事件を客観的に眺められる立場にある我々が、須藤少年の死を無駄にしないための教訓ではないかと思います。

 栃木リンチ殺人事件 完
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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