サイト開設当初から 考え方の変化 2

ふこう


 本当に、余計な劣等感を抱かなくなった。

 サイト運営初期において、私は、自分の「不幸」「ダメ人間」ということを全面に押し出していました。

 自分は軽度の発達障害があり、性格も歪んでいる。とてもではないが、社会に適応できそうもない。まともに働くこともできない――。自分の弱みをあえて積極的に晒し、それで客を集めようとしていました。

 不幸を売りにしていたことは、メリットもデメリットもありました。メリットとは、女性が優しくしてくれたことです。

 初期において、私はブログとは別に、とある動画配信サイトを利用していたのですが、そのとき、私の放送によくコメントをくれる女性がいました。私より2つ3つ若い子で、二人の坊ちゃんを一生懸命育てているシンママさん。一度、写真を見せてもらったことがあったのですが、色白で非常にかわいらしい女の子でした。小説の方にもたまに感想をくれて、随分勇気づけられました。

 ほかにも、そっちの動画配信サイトの方で親しくなった女の子とSkypeのやり取りもしていました。結局、会うまでに至ったのは現在の奥さんだけで、他の女性とは恋とかセックスとかいうところには発展しなかったので、「モテ期」というのも憚られるのですが、あの不幸を売りにしていた時期、女性が私に好意的に接してくれたことと、不幸色を弱めて以降、(彼女がいると公言していたこともあるかもしれませんが)そういう話がまったくなくなったのは事実です。

 デメリットというのは、私があえて自分の弱みを晒け出したことで、俺がこいつを「説教」して、正しい道に導いてやらなければならないと思う人たちが集まってしまったことです。

 説教する人は、自分は正しい道を歩む、「漢の中の漢」であると思っているのでしょう。「漢の中の漢」たちは、私を「爽やかで、強い心を持ち、お友達をとっても大切にする、キラキラキレイな好青年」にしたがりますが、私はそんなものには、まったく憧れを持っていません。

 憧れというか、そういう男らしい男にならねばいけないと思っていた時期はありました。「偽善の国のアリス」の時代ですが、男らしい男にならなければいけないと思っていた私に与えられたのは、好きになった女からの侮辱だけでした。

 男らしい男は、女にモテるのではない。男らしい男は、女にいいようにされるだけである。少なくとも、私の場合はそうでした。私は、女にモテもしない「漢の中の漢」になど、なりたくもありません。 

 私を元気にさせるのは、「漢の中の漢」の説教などではなく、可愛いお姉ちゃんの優しい言葉です。

 私に優しくしてくれた女性の筆頭は言うまでもなく私の奥さんですが、説教厨は、自分は大したことをしてないくせに、勝手に奥さんのことを持ち出してきて、ちゃっかり、奥さんを使って、「津島を変えた男」の称号を掴もうとしてくる。とんだ「漢の中の漢」もいたものです。本当に腹立たしいやつらです。

 発達障害ADHDに関しては、パソコンをなくしたりなど今も失敗は多く、困ることもあるのですが、サラリーマンになろうとしているわけではなく、小説で身を立てようと決意しているのだから、もうそこにコンプレックスを抱く必要はないと、完全に割り切っています。

 性格は今も別に良いわけではありませんが、神山や金澤と違って、それを表に出している分マシではないかと思っています。「アリス」時代、私を散々愚弄してきた「稲生」を私が憎みきれないのは、ヤツは裏表がないという長所はあったからです(裏も表もない馬鹿というのが玉に瑕ではありますが)。

 劣等感を否定はしないが、余計なところで劣等感を抱いても仕方がない。小説を書くため、そういうところに劣等感を抱いていた「記憶」だけは残して、今の生活からは切り離しています。

 不幸、ダメ人間を売りにするのをやめたのは、前述のように、サイトの状況がよくなり、生活が上向いてきただけでなく、2015年の中ごろ、とあるブログを見つけて、自分の考えの甘さに気が付いたからです。
 
 45歳司法浪人で検索すればトップに出てくると思うのですが、いやはや凄まじい経歴の持ち主である。

 45歳、童貞。20年以上の月日を司法浪人生という名のニートとして過ごしてきた。現在の職は底辺の仕訳バイトで、月収は55000。精神年齢は高校生で止まっており、今も男子高校生が夢見るような日常に憧れている。

 中卒で父親が性犯罪者、自身も前科持ちで、たった一人、自分を愛してくれた女性に暴力を働き、一年で同棲を解消したという、芥川賞作家の西村賢太と同等かそれ以上の経歴の持ち主といえるでしょう。

 マイナスの経歴だけで人の注目を浴びるというのはこういうレベルである。私は自分の本を世に出したいと思いますが、その夢のためだけに、司法浪人のブログ主や、西村賢太のような境遇になりたいかと言われたら、答えはノーです。

 特異な経歴もなく、破滅的な人生を送る覚悟もない以上は、ひたすら能力に磨きをかけるしかない。それは私だけでなく、夢を持つ人間ならみんながやっていることであり、努力がまだ結実していないのも私だけではない以上、私はけして「不幸」ともいえない。今現在、私の中では、「不幸」「ダメ人間」を売りにするという考えは消えています。

 ただ、私が自分を不幸だと思っていた時代に感じていた、「世間の連中は、できる人間の視点から、できない僕にモノを言ってくる」という被害者意識、これは小説を書く上だけではなく、社会人としても、いつまでも忘れてはいけない感情ではないかと思っています。

 気づけば私も、「できる人間の視点から」、上から目線でモノを言う人間になってしまっているかもしれない。早い話が、サイトを運営するうえで必要不可欠な、読者のコメントのこと。

 私がサイトからカウンターや拍手ボタンを撤去し、ただただ、コメントだけを頼りにサイトを運営するようになった経緯は、すでに説明しました。とにかく、読者さんの方にいっさい労力がいらない「読んでいる」というだけで偉そうにされ、説教されるのは、私には納得できないところである。そういう、人に偉そうにできるハードルが極めて低い「説教厨」の出現を防ぐには、これしか手段はありませんでした。

 コメントを求める上で、私はいつも、2、3行でいいから、私の書いたものに関する感想が欲しいと言っていました。これがないと、私としては読者が自分の文章を読んでくれたかもわかりません。また、コメントをしてもらうときは、簡単なHNも付けてほしい。やはり名無しとか、あまりに適当過ぎるHNで書き込む方は、荒らしまがいのコメントをされる率が高い。

 という二つのお願いを、私は一昨日、新規の読者さんにさせていただきました。新規の読者さんは、書き込むときいつも名無しで書き込まれ、「更新期待してます」といったことは言ってくれるのですが、私の文章への具体的な感想は、まったくと言っていいほど書いてくれなかったからです。

 しかし、その読者さんは、まずHNの意味がわからないと言う。読んではいるが、どうしてもうまく感想が書けないのだという。

 HNで検索すれば、意味を説明しているサイトはすぐ出てきますし、そうでなくとも、普通に文脈でわかるかと思ったのですが、その方はHNの意味がわからないと強固に主張し、私が怒っていると決めつけられて(丁寧に対応したつもりだったのですが)「もうここには来ません」と、去っていかれてしまいました。

 少し前の記事で紹介した、自己完結の読者と同じ態度であり、そういう態度で来られるのなら、私としても、どうしようもありません。私はその方のコメントを削除してしまったのですが、少なくともその方は荒らしの類ではなく、私の方がもう少し気を配っていたら、お互いにとって、もっといい結果になった可能性もあります。

 少し前の記事で、私は、「私の作品への感想をまったく書かず、自分語りばかりをされる読者」「書けない理由を長文で延々と語る読者」を、一方的に叩いてしまいましたが、それは、文章の修行をしているお陰で、普通の人よりは書く力はある私の思い上がりではなかったか。

 世の中には、2,3行の感想も本当に書くことができない方もいるのかもしれないし、個人のサイトにコメントをするときはHNを付けるという常識もない方もいるのかもしれない。わからなければ検索するという発想もない方も、本当にいるのかもしれない。感想をうまく書けない読者が、なんとか自分が読んでいることを伝えようとした結果が、「自分語り」だったのかもしれない。

 馬鹿にしているわけではなく、そういう方にもっと配慮する方法はなかったのかと、後悔と反省をしています。もう少し、「できない人間」の視点に立つことはできなかったのだろうか。ただ、どうしても、コメントの代わりになるものがないというのは、紛れもない事実でもあります。

 いや、たった一つ、あることはあります。それは私の最終目標です。

 それは、私の口からは要求できないことです。いくら私でも、そこまでの図々しさはない。それをこっちから要求するのは、今までコメントで成り立ってきた私と常連さんたちの関係も破たんしかねない、危険な行為である。読者の方から言ってもらえれば嬉しかったのですが、3年間のサイト運営で、私にそれをくれた読者さんは、ただ一人の方だけでした(諭吉5人もくれた)。

 ちょっと私との感情の行き違いがあり、いまはもうコメントもされなくなり、私的な連絡も取っていないのですが、その方に対する感謝は、今も消えていません。

 なんにしても、もう少し私の方がうまくやっていたら、3年間のサイト運営期間はもっと充実したものになったのかもしれないと思うと、慙愧に耐えません。




スポンサーサイト

サイト開設当初から 考え方の変化 1



sadadadadsa.png


 このサイトを開設した当時と、今の私の中で考えが変わったことについて、シリーズでお送りしていこうと思います。予定では五回くらいに分けて書こうかと思っています。今の状況ですから多くは望みませんが、連載を続けるのに、一回につき最低3コメントは欲しいかなと思っています。3コメント以下になったら、そこで静かに打ち切らせてもらおうと思います。ご協力のほどお願いします。

 8月に、警備員時代の私小説を読み返したのですが、当時の自分とは、だいぶ考え方が変わったなと感じました。

 変に悲観しなくなった。自分に蓋をしなくなった。無駄なところで劣等感を抱かなくなった。社会で上を目指すにおいて、無駄な思考の切り捨てができてきたと思います。

 このサイトを立ち上げた当初の私は、社会というものを激しく憎み、反社会的ということを運営のテーマに掲げ、自分の書くエネルギーの一つにしていました。

 26歳。今からまともな企業に就職を目指すには、ちょっと厳しい年齢。野口のようなけったいな頭としょぼくれた顔をした女に、ただフラれるだけではなく散々コケにされ、「お前にはまともな容姿の女と恋愛するのは不可能である」と言われているも同然の仕打ちを受け、人としての喜びを否定された。仕事といえばしょうもない非正規の派遣労働しかなく、そこですら、自己愛性人格障害者に付きまとわれ、精神的に大きなダメージを受け、長くは続かない。

 こっちだって最低限の努力はしているはずなのに、「健康で文化的な最低限度の生活」を送るだけの収入も得られず、「健康で文化的な最低限度の女」すら得られない。

 あの当時の私が社会を憎むのは、まったく正当。逆に、あの境遇で、「全部自己責任だ」とかいって、真面目に頑張る方がどうかしていると思います(そっちの方が圧倒的大多数だったとしても)。

 あれから、様々な状況の変化がありました。

 26歳。まだ、新しいことを始めるのに、遅すぎない年齢。これまで、必ずしも真剣に取り組んではいなかった小説を、本気で自分の生業にすべく活動を始めた。何度もくじけそうになりながらも3年間サイトの運営を続け、固定の読者さんも付いた。文学賞の方でも選考を通るようになってきた。少しサイトの運営に依存し過ぎた面もありますが、じっくりと下積みができたことで、自分のスタイルというものを確立でき、「量産体制」に入る準備ができた。

 私生活では、私も妻を持つ身となり、家族との関係も改善。仕事は相変わらず非正規の派遣労働しかありませんが、警備員時代のように病んだりするようなこともなく、うまくやっていると思います。

 まだまだ、不満を述べてもいい立場であるとは思います。こんなところで満足するのは、偉い人間でもなんでもなく、ただ単に志が低いだけの人間です。ここは私のゴールではない。こんなところで「あーよかったな、と納得しろ」という人の意見には、一切耳を傾ける必要はない。

 ただ、客観的冷静に見て、明らかに、小学校や秋葉原に突っ込むような位置にはいない。「健康で文化的な最低限度の」生活を送れている以上、社会を恨んだり、ねだったりしているばかりではどうしようもない。これ以上の生活は、自分が努力して掴み取るものである。

 もう、「反社会」というのは、人生のテーマから外してもいいのではないか。最近はそのように考えています。

 社会批判をやめるということではない。社会の方がおかしなところもいっぱいあるのは紛れもない事実であり、すべて自己責任で片付けられるのはもってのほかである。ただ、スタンスを変えてみる。これからは、社会に対して反逆を考えるのではなく、より良い社会を目指す社会の構成員として、社会の平和と発展を願って、意見を唱えていくということです。そのために、私が過去、社会に復讐を考えるところまで行った経験が役立つこともあるはずだ。

 最近になって突然、そう思ったわけではなく、まだサイトの定期更新を行っていた一年半ほど前から、段々このように考え方は変わってきていたのですが、決定的となったのは、「偽善の国のアリス」を書いたことで、もう自分は正社員の地位を望んでいないという意思確認が、はっきりとできたことです。正社員になるつもりもなく、正社員を羨ましいとも思わない以上、非正規の派遣である自分の立場を呪うのもおかしな話である。

 非正規の派遣でいまだにシンドイ思いをしているならともかく、折茂のような異常者に付きまとわれたりもしておらず、人を人とも扱わないような馬鹿大集合の職場からは逃げることも覚え、そこそこに働ける職場を見極める目もできて、今はそれなりにやっているのだから、それはそれでいいではないか。もちろん、これで一生終わるというのではいけませんが、必ずやより良い生活を手に入れると決意して活動しているのだから、今はそこに劣等感を抱く必要はない。

 結果論にすぎないとはいえ、ある意味、「宿敵」神山や金澤のお陰といえなくもない点で、「偽善の国のアリス」を書き上げた、今のところ唯一の、実利的な意味といえるかもしれません。もっとも、社会に対する復讐心は消えても、神山や金澤に対する個人的な復讐心が消えたわけではないのですが・・・。

 そして、このことをわざわざ記事に書こうと思った直接のキッカケは、先日、連休中に実家に戻った際、電車の中でノートパソコンを忘れ、それが無事に、自分の手元に戻ってくるという出来事があったからです。

 こういうのは、日本社会の大きな美点だと思います。日本人にはそれが当たり前だと思っている人もいますが、ほかの国では、まずこれは考えられない。パソコンにはパスワードが設定されており、何も知らない他人が拾ってもうまく利用できるものでもないですが、とりあえず持って帰るというのが、日本に訪れたことのない外国人の思考です。

 パソコンの中には、私の小説のデータも入っていました。そんな大切なものを、電車の網棚に上げておくなというのは正論なのですが、パソコンを電車で実家にまで持って帰ろうと思ったのは、私が実家でも執筆活動を頑張ろうと努力しようとしていたからです。これがなくなるのは、私の努力が否定されるのと同じことである・・・。まったくの自業自得ながら、私が社会を再び恨むキッカケにも成りえた出来事でした。

 あまりオカルト的に考えるのは好きではないのですが、「社会が自分の活動を後押ししてくれている。明らかに、自分は社会から拒絶されていない」。パソコンが戻ってきた瞬間、私がそう感じたのは事実でした。

 第一回はここで終わります。連載の継続望まれる方いらっしゃいましたら最低3コメントご協力お願いします。
 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR