説教するなら消えないで

だおらもん


 3年間のサイト運営期間中、私は「説教厨(まっすぐな心を持て!強い心を持て!愚痴を言わずに黙々と書け!などと、専業作家になりたいという私の目標とは何の関係もない精神論を言ってくる人たちのこと)」という、極めて害毒的な連中に散々悩まされてきました。

 説教厨のほとんどは、初めてのコメントが説教であり、説教をしたっきりいなくなるという、説教でしか人とコミュニケーションが取れない(たぶん、生まれて以来、誰からも好かれたことがない)という人間でしたが、説教をしてきた人の中には、それ以前には好意的な感想コメントをくれていたり、説教から入ったけど、後には感想コメントをくれるようになった方もいました。

 「これだけサイトを盛り上げるのに協力してやったんだから、一言いわせろ」

 「いきなりあんなこと言って悪かったな、少し協力しなきゃな」

 こういう態度なら、まだ理解はできます。そういう人たちの説教には、私も少しは耳を傾ける気持ちにもなれます。今回はそういうパターンだった人たちのことを紹介していきたいと思います。

 サイト開設初期、「バトルロイヤル」をメインに連載していたときのこと、「宅間ファン」を名乗る女性の方が、熱心にコメントをしてくれていました。個性が強すぎる部分もありましたが、宅間守に対する熱い思いが伝わってきて、言い回しにちょっとセンスを感じることも多く、私のサイトの名物的な読者さんでした。

 その読者さんが、私が閲覧数が伸びないと愚痴をこぼすのにキレてしまった。「右肩上がりにうまくいくと思うのですか!」「弱音を吐かずに書き続けてください!」と、叱咤激励をされた。

 言っていることはごもっともなのですが、もしこの方が本当に女性だとして、宅間と同棲したら、おそらく一週間もしないうちに引っぱたかれて終わっていたことでしょう。宅間にそんなことを言ったら、激昂するか、撃沈するだけ。この方は宅間が好きだったわけではなく、宅間が好きな自分に酔っていただけ――「ミーハー」だったと思います。

 この方は宅間の獄中妻のような、真の宅間の理解者にはなれなかったとは思いますが、私自身はといえば、この読者さんのことは本当に好きで、ありがたい存在だと思っていました。

 私の場合、私の作品に対する、純粋な「ファン」という立場でコメントをしてくれる方とは、非常に気持ちよく会話ができるようです。

 前回の記事で紹介しましたが、私に対して「同志」という立場でコメントされる方は、あまりにも自分を出しすぎる。

 ここは私が発信する場であり、私が表現をする場です。はっきり言いまして、私は読者さんの人生そのものには、あまり関心はないわけです。それを話題の一環として話してもらえる分にはいいのですが、本気で「僕を理解して!」という態度で来られてしまうと引いてしまう。そういう人は、往々にして、私の書いたものに対する感想をまったく書かずに、ただ単に自分語りをされるので、私もちょっとスルーしたくなってしまう。

 その点、宅間ファンの読者さんは、ほんとうに私の書いたバトルロイヤルを好きでいてくれて、私はともかく、バトルロイヤルを愛してくれていることが伝わってきました。私にとって、一番ありがたいタイプの読者さんでした。
 
 いつか帰ってきて、またコメントをくれるのを待っていたのですが、結局、最後までその読者さんは帰ってきてくれず、バトルロイヤルの連載のほうが先に終了してしまいました。

 大事な読者さんを、私の「愚痴」のせいで失ってしまったことは痛恨の極みであり、後悔すべき点ではあるのですが、覆水盆に返らずです。

 次に、宅間ファンの読者さんとは逆に、「説教」から入ってきたパターンの人を紹介します。

 サイト開設から二年目のとき、私のサイトで、一人の説教をきっかけに、何人かが便乗して説教をしてくるという、「プチ炎上事件」が起こりました。炎上事件のきっかけが、今回紹介する読者さんの説教でした。

 あんまりにも腹が立ったので、言われた内容はまだ覚えています。

 サイトができたころから、ずっと読み続けてきた者です。コメントがないと嘆くなら、あなたが面白いものを書けばいいだけです。読者に頼らないでください!こっちに反応してほしかったら、心がうちふるえるような、素晴らしい作品を書いてください!書くのをやめるというのなら、就職をして、彼女を幸せにしなさい!

 細かいところは間違っているかもしれませんが、大体こんな感じだったと思います。

 ツッコミどころを箇条書きにすれば、

 
 ・コメントもできないほど面白くないと思うなら、なんで開設当初から一年も読み続けていたのか。
 ・コメントも書かず、当然金も払わず、ただ読んでいただけでなんでそこまで作者に対して偉そうにできるのか。
 ・ありきたりのこと言ってドヤ顔決める、ありきたりのつまらないヤロー。就職して幸せになるのはテメーの彼女だけだ。勝手に私にあてはめんな。
 ・読者に頼るなとか、常連の人がいうならわかるが、テメーは一度もコメントしたことがねーんだから言う資格がねーだろ。私はオメーが読者か確認する術がねーんだからしらねーんだわ。読んでるってだけでデケー顔すんな。おめーに頼ったことなんぞ一度もねー。
 ・全部自己責任だというなら、鳥山明にだって言うだけなら言えるわ。テメーはたまたま自分から弱みを晒しているヤツを見つけて叩いて、自分の憂さ晴らしをしているだけだろーが。いかにも私のことを思っているように装って、ええかっこすんな。

 こんな感じです。

 この件を申し訳ないと思ってくれたからなのかわかりませんが、それから後、その読者さんは普通の感想コメントもくれるようになったので、私としては大歓迎で、普通の読者さんと同じように感謝していました。

 私の書いた作品を面白いと思ってくれて、褒めてくれることもあったのですが、その人は相変わらず言い方に棘があるのが玉に疵ではありました。「毒舌キャラ」を確立しようとしていたのかもしれません。ただ、出禁にしたいというほどではなく、私の文章をちゃんと読んでくれていることは伝わってきました。反対意見というのはある意味貴重で、読者さんとの議論が、私の作品に、より深みを増してくれることもあります。私にとっては、大事な読者さんの一人で、まあまあいい関係は築けていたと思います。

 ただ、「偽善の国のアリス」の連載を開始したころから、その読者さんの中に潜む「虫」がまた騒ぎ初めてしまったようで、ついに、致命的に独りよがりな「説教」をされるに至り、とうとう私との関係が決裂してしまいました。まだやり取りは残っていますので、詳しく知りたい方は、偽善の国のアリスのコメント欄を読んでみてください。

 その読者さんが気に入らなかったのは、私が「人間関係」を大切にしていないということでした。確か、「愛獣」の前身となる作品を連載していたころに、最後になぜ「塩村」との関係をもっと大事にしなかったのかという意見もいただいたと思いますが、その読者さんにとって、私という男はなんとも薄情な、友達がいのない男だと見えていたみたいなのです。

 私は、男子たるものは「金、名誉、女」を目標に生きるべきものであり、その過程で発生するのが、「友達」だと考えています。「友達」はいたらいたで楽しいものであり、尊いものだとも思いますが、目標にしたり、生きがいにするべきものではないと思っています。

 いや――私が「友達」を生きがいにする人生もあり得たかもしれません。その可能性を完全に摘み取ったのが、金澤です。

 金澤が、「俺の目的は神山とヤることであり、津島は首くくって死のうがどうでもいいし、アイツに格の違いを見せつけてやるのは楽しい」と考えているのに、なんで私の方だけが、「おともだちをたいせつにして、おともだちのしあわせをすなおにしゅくふくする、こころのただしいおとこのこ」とかいうわけのわからんものにならなくてはいけないのか?金澤と神山のことを、野村や関口といった連中に、「キレイごと」で丸め込もうとされたことで、私にとって、「友達」という存在の価値は暴落しました。

 最初から自分の結論ありきで、私と神山との間にあった経緯を全ては知らないにも関わらず(その読者さんが説教をされたのは物語中盤。フライングです)、私の恨みを頭ごなしに否定し(人を説得するときに、一番やってはいけないこと)、十分とはいえない条件をもって、私を丸め込もうとしてくる。

 わかると思いますが、例の読者さんがやろうとしてきたのは、野村や関口と同じことです。自分が安易な友達関係に逃げ込んで、金、名誉、女を得るための努力を放棄する生き方をするのは自由ですが、私にそれを押し付けないでほしいです。

 例の読者さんは、私が神山にコテンパンにされたことについて、私に「彼女ができたんだから、納得しなさい」ということを言ってきました。 

 物事はなんでも、対価というものが大事です。例えば甲子園の通算ホームラン記録を持つ元プロ野球のスター選手が、巨人がどうのこうの、桑田がどうのこうのと文句をグチャグチャ垂れていたとして、「あなたは今も解説などの仕事があって、心酔しているファンも多い。黙っていても監督の椅子が転がり込んでくる恵まれた立場なんだから、過ぎ去ったことをいつまでも言わなくてもいいのではないか」と言われたら、「確かにそうだ」と思うわけです(実際には、覚せい剤にまで手を出してしまいましたが)。

 ですが、過去に何の栄光もなく、危うく死にかける経験をし、今もなお貧困層から這い上がれない人間が、自分を侮辱した奴らのことをグチャグチャ言っているのに対し、「あなたも奥さんができたんだから(特別なことでも何でもない、誰の人生にも訪れる、当たり前の幸せです)、納得しなさい。神山の努力も認めなさい」とは??
                   

                        ??????


 それでは、私にとって奥さんは、「神様」になってしまいます。その人は自分の奥さんを神様だと思っているのか知りませんが、私にとっては、奥さんは奥さんでしかありません。奥さんの見た目は神山に勝っていると言えるかはわかりませんが確実に負けてはおらず、奥さんを得たことは神山に「振られたこと」を納得する理由にはなりますが、神山に侮辱されたことをも納得する理由にはなりません。自分が奥さんを神だと思っているからといって、私にもそう思えとか押し付けてこないでほしいです。

 そもそも、私にはこの人が、そんなに人間関係を大切にしている人とは思えません。

 先にも説明しましたが、この読者さんは、好意的なコメントをくれるようにはなっても、相変わらず言い方が厳しいところがありました。たぶん、「毒舌キャラ」を気取っていたように思うのですが、問題はそれが面白いかどうかです。私としては、読者さんに私をいじって笑いを取りにいってもらっても何でも構わないわけですが、イジリ芸というのは、センスのない人がやると、普通のギャグ以上に悲惨なことになってしまいます。

 その読者さんが、たぶん面白いと思って放ったギャグに、「津島さんがトップページに載せている写真は寄り目になっていて(自撮りをして、顔の前にかざした携帯を見ているからです)、障害者みたいに見えますね!」というのがありました。

 私は、そのギャグのどこが面白いのか、まったくわかりません。自分が滑るのは勝手ですが、私を巻き込まないでほしいです。

 私は面白くもないギャグで、安易に差別用語を使うようなこの人が、それほど頭が切れる人だとはどうしても思えません。センスがないことはまったく悪いことではないのですが、そういう人は、人をいじったり、いちいち噛みついたりはしないほうが、やはり無難だと思います。私ならまだ、私を巻き込んで滑らないでくれで済みますが、本気で不愉快に感じる人もいると思います。こういうことをする人が、本当に人間関係を大切にできているのだろうか?と心配になります。よくありがちな話ですが、大事にしていると思っているのは本人だけではないのか?

 大体、この人は私に人間関係を大切にしろと言いながら、「説教」以来サイトに顔を見せず、いなくなってしまったではないか。私はその人に、もう二度と来るなといったわけではありません。逆に、「どうしても共感できないならそれでもいいから、物語として読んで、またコメントをください」と言っていました。人間関係を大切にしているというのなら、何度でもコメントしてくださればいいものを、説教したきり二度とかえってこなくなる。どこが、「人間関係を大切にしている」のか?

 説教する人はみんなそうですが、言っていることとやっていることが矛盾しているのです。

 人間関係を大切にしていないといわれますが、私は現在の派遣先で、普通以上によくやっていると思います。友達とプライベートで遊ぶこともあります。ここ数年間、いろいろなところに派遣され、トラブルもありましたが、私と喧嘩になったのは、そいつ自身、派遣先で嫌われているヤツだけでした。

 友達を作ることには、まったく苦労しません。それは私が、友達関係を目標にしていないからです。執着がないから、適切な距離感を測れる。私のような異常に執着の強い野郎が友達関係を大切に考えていたら、それこそ「神山」とのようになってしまうのを、その読者さんはわかって言っていたのでしょうか?

 たった一人の読者の、たった一つのコメントに、ここまで言わなくてもいいではないかと思われる方もいるかもしれません。

 しかし、「偽善の国のアリス」は、私が今現在、小説を書く原動力となっている物語です。あのときの恨みをエネルギーに、今書き続けている。私の奴らへの恨みを否定されるなら、私は書くことをやめなければならなくなる。書くことを続けるために、私はこの読者さんに猛烈に抵抗しなければならないのです。

 私にとっては、私の志も努力も理解しない(言ってねーなら仕方ないという話ではありますが)「友達」よりも、「ファン」のほうがずっと尊い存在です。ファンは神様といってもいいかもしれない。だが、神様にも言っていいこと悪いことがある。

 説教されたきり、ただで終わるのはあまりにも癪です。それだったら、説教に滅茶苦茶反論することで、私の考えの一貫性をより盤石にさせることに利用させてもらう。

 説教は私を、逆に頑なにする行為です。説教するのはいいが、説教するなら、ずっとコメントをし続けてほしい。説教したきりいなくなるなら――「どうせ読んでねえなら、もう私の読者じゃねえなら好き勝手言わせてもらうぜ」です。
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一方通行



だだ

 せっかくの不定期更新期間中ということで、少しリスクのある話をしていきたいと思います。今だからこそ話せる暴露話というか、私がサイトの運営期間中、一部の読者さんに感じていた、正直な気持ちです。

 以前、私のサイトでは、ほかの作品のレビューを掲載していました。が、創作を行う自分という人間の純度を高めていく中で、ほかの人が書いた作品を「神視」している自分が気恥ずかしくなり、レビューの記事はすべて消去してしまいました。

 そのとき、自分が好きだったレビューの記事を消されたことについて、恨み言を言ってきた読者さんがいたのですが、はっきり言って、私は激しい不快感を催しました。その読者さんは、他人が書いた作品のレビューのほうには、自分がいかにその作品を素晴らしく思っているかを熱く語ったコメントをくれるにも関わらず、肝心の私の小説や、犯罪者名鑑の方にはまったくコメントをくれなかったからです。

 それでは、レビューの作品は面白いが、私の書いたオリジナルの作品にはまったく興味がないと言われているようなものです。それはいいにしても、何でそれで自分の要望が通ると思うのか?

 飲食店に例えたらわかりやすいと思うのですが、自分の店にろくすっぽ訪れず、たまに来たとしても、店の主力商品でも何でもないサイドメニューばかりを注文して来る客の要望に、いちいち耳を傾ける店主はいないと思います。私は自分の作品の読者さんを本当に大切に考えていますが、いるかいないかもわからん、私の作品を読んでいるかもわからん読者さんにまでは、気を使ってはいられないのです。

 その読者さんは「旅立ちの時」などというタイトルで、「もう二度とここには来ません」などと捨て台詞を吐いて行かれましたが、そうやって自己完結しちゃってるところがいかにもコミュ障っぽいです。

 そういえば、「説教厨」の中にも、「もう二度とここには来ません。あなたが執着する閲覧数がこれでますます減りますね(コメントもせず、たた見てたというだけでなんでそこまで偉そうにできるのかがわからん)」などと捨て台詞を吐いて、自己完結しちゃってる人がいました。そうやって脅すことで、私が愚痴を吐くのを辞めさせようとしていたようです。

 私の書くもの自体は面白いと思ってくれており、愚痴を吐かず、前向きに書いてほしいと思うのなら、常連の読者さんのように、これからちゃんとした感想コメントをしてくれればいいだけなのにそれはせず、「説教する」「脅す」というやり方でしか、自分の不満を訴えることができない。レビューの方の読者さんは、自分が人付き合いが苦手(だからコメントをしない)ということをおっしゃっていましたが、人付き合いがうまくいかないのは、自分が勝手に人との間に壁を作っているだけなのを理解してほしいです。

 論外レベルで言うと、私のサイトの感想そっちのけで、自分がほかのサイト主とトラブルになったことを伝え、自分はどうすればいいのかという相談をしてきた方もいました。私は気のいいおじさんではないので、自分の作品の読者かもわからん人の相談に無償で応じることはできません。

 また、私が3年間の定期更新を終えた最後のコメントが、私の作品についての感想ではなく、ただ単に自分の近況を報告しただけという読者さんがいましたが、申し訳ありませんがそのコメントは消させてもらいました。

 今思えば、以前はちゃんとした感想をくれたこともあった読者さんにそこまでしなくてもよかったかなと後悔していますが、結局、私の書いた文章に対する感想がなく、ただ単に自分のことだけを語られると、私としては、自分が書いた作品を読んでもらったのかわからないのです。キャッチボールでいえば、私の投げたボールを捕って投げ返すのではなく、まったく別の方向から、横っ面に思いっきりボールをぶつけられたような感覚です。それではとても、笑顔で返球する気になれません。

 定期更新中は、自分がコメントがないと続けられないと言ってきた手前、あまりうるさいことは言わないようにしていましたが、今だからこそ、「どれだけ私に伝えたいことがあっても、一方通行では何も響かないし、聞く気もおきない」ということを言わせてもらおうと思います。

 ここは私が表現する場であり、みなさんがそれに反応してくれる場です。私の作品を読んでもいない人に、私の作品に全然関係のない自分のことを語られても、悪いですけど興味はわかない。あくまで自分が発信したい側なら、自分でブログをやればいい。人集めがどんなに難しいかがわかれば、私がこうやってブー垂れる気持ちも、少しはわかってもらえると思います。

 サイトを開設した当初の私は、そういう方たちから「同志」と思われていた(レビューの方の読者さんが言ってました)ようですが、三年間のサイト運営の中で、私のほうは少なくとも、そういうステージからは脱却できたようです。

 最後の方にだけは少し申し訳なく思いますし、人とのコミュニケーションについては私もまだまだで、偉そうなことはいえないと思っていますが、そういう未熟な自分を戒める意味でも、今回の記事を書かせてもらいました。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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