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偽善の国のアリス 15


 
 講師に連絡することもせず学校を休んだ私の携帯に、2通のメールが届きました。一人は「関口」で、「元気ですか~」という一言だけが書いてありました。あんまり心配していなさそうな感じだったので、これには返信しませんでした。

 もう一人は、送り主不明のメールでした。内定先の企業の課題をやっておいた方がいいという内容だったので、このときは、内定先が同じで、そこそこ仲もよかった「江原」という人物からのメール(私がアドレスを登録し忘れていただけ)だと思い、そのつもりで返信をしたのですが、のちに江原からは、前のアドレスでまたメールが来たので、おそらく江原ではなかったのでしょう。このときの送り主は誰だったのかは、結局いまだにわかっていません。

 野村からの連絡は、今度は来ませんでした。もう、ここに至っては、私を説得するのは不可能であることをわかっていたのでしょう。

 前回において、私は「野村は金澤が神山と付き合うにあたって、後顧の憂いを断つために、津島をキレイごとで丸め込もうとした」は誤解であった、と書きましたが、あとでそれは、完全な誤解とは言えないことに気づきました。

 私が立ち直るのは、確かに「自分のため」かもしれませんが、それによって神山と金澤に、「津島に後ろからぶっ刺される危険に怯えることなく、パコパコをヤリまくる」安心感を与えてしまうというのも、紛れもない事実だからです。野村が「津島のために」と思ってくれたのは確かだとしても、私は「なんでアイツらが安心してセックスするために、僕が立ち直らないといけないのだろう・・」と思ってしまうのです。私自身、当時は気づいていませんでしたが、心のどこかにそういう感情はあったのだと思います。
 
 結局のところ、神山と金澤が付き合い始めた時点で、私はもう「詰み」だったといえます。神山と金澤がイチャイチャしているのを見せつけられながら、学校生活を幸せに終えるということは、絶対にありえないことなのです。

 私に奴らの交際を「納得しろ、祝福しろ」などと言うのは、太陽を西から昇らせろ、石を水に浮かべろと言われるのと同じ。「ムリなものはムリ」という話であって、人に言われて考えが変わることなどはないのです。

 野村も今更自分が何をいっても、神山と金澤のためのおためごかしにしかならないことをわかっていたから、私に「二度目の励まし」はしてこなかったのでしょう。おそらく神山と金澤にそこまでの意思はなかったと思いますが、結果的に、私は二人の交際によって、当時の友人との関係を、全部ぶち壊されてしまいました。

 無断欠席が続いたことで、講師からは、私のケータイではなく自宅の固定電話に電話がかかってくるようになりました。うちの母親が対応していたのですが、どうもこのとき、講師は母親に、「このまま欠席が続くと、津島くんは除籍処分になる可能性がありますよ」などと脅していたようです。

 裏を取ったわけではありませんが、私はこのときの講師の発言は「真っ赤な嘘」であり、「脅し」であったと確信しています。

 除籍処分というのは、会社でいえば懲戒解雇のようなもので、通常、留年があまりにも長く続いているとか、犯罪行為などによって、学校の名誉を著しく損ねた場合などにおいてしか適用されません。

 私はこの時点で後期の学費も納め終わっており、三学期の授業は一月で終わりになるので、全部休んでも高々二十日程度にしかなりません。どうも、卒業式の記念品を購入する証紙を提出していないことが問題になったみたいですが、たったそれだけのことで、「除籍」などという重い処分になるとは、ちょっと考えにくいことです。

 第一、内定先企業にはどう説明するのか?それこそ著しく学校の名誉を損ねる行為があったならともかく、大した理由もないのに生徒を除籍処分などにしたなどといえば、学校の方が、内定先企業から信頼を失うことになるのではないのか?

 この講師は、自分の査定のために、生徒を「騙して」「脅して」出席させようとしていたのではないのか?

 このときの一件が決定的だったのですが、他にも、3人目の講師は、書類にミスが多いとか、ミーティングの話をちゃんと聞いていなかったというだけで、私のことを人前で怒鳴ってきたり、(就職できなくて困るのは私だけであって、誰に迷惑をかけているわけでもない。怒るなら裏で怒れ)。「俺なんか一日15時間労働だぜ~。社会に出たらそれが普通だぜ~」とか、これから社会に出ようとする生徒に夢をなくさせるようなことを言ったり(本人はそれがカッコいいと思っているみたいでしたが)しており、どうも彼には、あまりいい印象がありません。

 神山、金澤のように殺意を抱くほどの恨みはないですが、関口、野村、深沢、中尾、稲生、加納あたりと同列で、後ろからハンマーでぶン殴りたいリストのなかには入っています。

 私が学校を休んでいる間に、三学期の授業、そして卒業式が終了しました。後で講師から連絡があり、私が無事に卒業はできたこと(除籍云々は最初から嘘だったに違いないですが)、みんなが私のことをとても心配していたことが伝えられました。

 心配・・・。神山と金澤が交際していることを知らない人ならともかく、あの二人の交際を祝福している連中が言っても白々しいだけで、何も胸には響きません。まあ、今さら何を言っても無駄だとわかって、変な励ましとかしてこなかったのは、賢い選択だとは思いますが。

 それから、三月の終わりごろ、突然、関口の方から連絡があり、心配というか多分興味本位から、関口、稲生、梶原、田上の四人が、私の家の近くまで会いにきてくれることになりました。「自分が愛した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」という伝説の名言を残した関口と、ガサツな体育会系の稲生というコンビですが、このときは糞みたいな説教やキレイごとを聞かされるわけでもなく、毒にも薬にもならない言葉をいくつかかけられただけでした。

 ただ一つ、私のはらわたを煮え繰り返させたのは、稲生から聞かされた「神山が津島のことを心配していた」という言葉でした。自分が散々、私をサンドバッグにしてきたことを反省したのか?と一瞬思ったのですが、答えは「否」でした。神山は、

 「津島くんがずっと学校来ないけど、どうしたのかなぁ?」

 などと、私が精神的に潰れた件に、自分が深く関与している事実を一切認知していないようなことを言っていた、というのです。

 私は稲生からこれを聞かされたことで、神山への、殺意を伴う恨みの感情を明確にしました。

 一体、神山の言葉のどこが、私を心配しているというのか?

 私は「男らしさの病」から、神山の件でずっと悩んでいたことを、あまり自分の口からは言っていませんでしたが、私が潰れた理由は、少なくとも一年からずっと一緒だった連中はみんな知っていたはずです。もちろん、「当事者」である神山が知らないはずなどなく、これはどう考えても、万が一、自分が悪者扱いされることを恐れて、「とぼけたフリ」をしていただけです。

 これまで神山は、私のことを、「ロイヤルプリンセス様に部不相応な恋心を抱く、醜い乞食」と見下しながらも、乞食のコミュニティに入ればプリンセスには何の力もないという風に、クラス内の立場としては、自分が私に比べて「弱い存在」であるということを、私を潰す正当化の理由にしていたフシがありました。

 確かに、一年次の私は沢山の友人に囲まれており、周囲からは「学校生活を満喫している、リア充である」というふうに見えていたはずで、もしかしたら、クラス内において、神山よりも優位な立場にある部分もあったのかもしれません(それを誇りにしたことなど一度もありませんが)。

 しかし、いつの間やら立場は逆転し、私は友達がいなくなったわけではないものの、いつも表情が暗く、休み時間には話し相手もおらず放置され、ついには学校にも来なくなってしまった。それと、また後で書きますが、私が内定した企業は、けして努力の結果入れた会社とはいえない、言ってしまえばブラックの可能性がかなり高い企業でした。

 それに引き換え、2年生になってからの神山は、周囲に「独特の感性を持った、不思議っこちゃん」などと言われて好意的に受け入れられ、素敵な恋人まででき、努力の結果内定を勝ち取った、ブラックである可能性は低い企業に入社を待つ身である。

 ここに至って、神山は「弱者」という大義名分が完全に消失し、私をメタクソに潰したことを正当化できなくなってしまったことを察したのでしょう。いくら相手が「醜い乞食」だとしても、さすがにやりすぎてしまった。これで自殺でもされた日には、相当寝覚めが悪い――。

 いや、罪悪感は一切なく、ただ、自分が津島をサンドバッグ代わりに利用してストレスを発散していた事実を覆い隠し、ションベンをしたときに拭きもせず、常にシラミを繁殖させているマンコを舐めてくれる金澤を手放さないために「保身」を図ろうと、「どうしたのかなぁ?」などと恍けて見せたのです。

 本当に、余計なことしかできないバカです。「やらなくてもいい余計なこと」「言わなくてもいい余計なこと」を、一々やったり言ったりするから恨まれる。私の方に、「復讐心を抱く正当性」が生まれる。アイツは最初から最後までそうでした。

 私を振ったときに、人として普通に、誠実な対応をしてくれていれば、神山は私から殺意を抱かれることなどありませんでした。

 もし、神山がちゃんと、人として言うべきことを言った上で、丁重にお断りした上で私がしつこくしてきたのなら、その時こそ正々堂々と私を非難し、私が潰れたとしても毅然とした態度を貫いていればよかっただけです。礼儀を弁えた上でのことなら、神山に何も非はない。結局、自分にも疚しいところがあるから、最後、「津島くんどうしたのかなあ?」などと、恍けた振りをしなくてはならなくなる。

 私に復讐を正当化する理由を与えた時点で、アイツの過失です。

 古代中国の兵法家の名言に、「戦は六分の勝ちをもって良しとすべし」という言葉があります。なまじ十分の勝ちを収めてしまうと、心に傲りが生まれてしまい、次の戦では必ず大敗するということを説明するときによく使われますが、そのほかに、相手に逃げ道も復興の道も与えないほど完勝しすぎてしまうと、相手から余計な恨みを買ってしまう、という意味にも解釈できます。

 神山はあまりにも私を、完膚なきまでに叩きのめしすぎました。

 私を振るまではいい。百歩譲って、「ありがとう」の一言が言えなくてもいい。百二十歩譲って、私を侮辱し、私の名誉を貶めるまでを既定路線としてもいい。

 しかし、私にわざわざ、幸せを見せつける必要はなかった。ただ男を作るだけならまだしも、よりにもよって、私をバカにしていた金澤と付き合わなくてもよかった。せめて、自分が「独特の感性を持った不思議ちゃん」などではなく、「顔だけでしか男を選べない、ただのミーハーなビッチ」だという事実を公言しているべきだった。

 男にとって、言い訳は醜いことでも、みっともないことでもありません。言い訳は、「また立ち上がるための魔法の言葉」です。言い訳の余地もないほど叩きのめされてしまったら、こっちだって引くに引けなくなってしまいます。

 神山に「ペンペン草も生えないほど」ギタギタにされた私は、完全に心が壊れ、2012年の年明けから、その年の10月ごろまでもの間、労働も勉強も、何もできなくなってしまいました。企業からの内定も辞退しました。

 私が内定した企業というのは、創業から10年も経っていない新興の企業で(IT業界はそういう会社が多いですが)、急成長中ということで大量募集を行っていたらしく、なんと最終面接すら集団面接で、筆記試験も、学校で情報処理のことを勉強してきたなら外す方が難しいというぐらい簡単な問題ばかりが並んでいました。大河原からも、大量7名が採用され、その7名は私以外、全員基本情報の資格を持っていませんでした。

 入社のハードルが低いからといって悪い企業とは限りませんが、後先考えずとりあえず大量に採って、あとで人員が過剰だとわかったら、嫌がらせでも何でもして退職に追い込む(解雇してたかはわかりませんが)というのは、ブラック企業にありがちなパターンです。入社前の課題として、社長が書いた本を「自腹で買って」、その感想文を書くというのも、なにかワタミチックな香りがします。

 憶測で企業の名誉を貶めるようなことを言うのは何なのでこれくらいにしておきますが、ただ一つ言えるのは、あの会社に入ったのは、私の努力の結果でもなんでもなかったということです。極端な話、「大河原」に通っていなくても、新卒のブランドがなくても入れた会社だったと思います。

 人間、努力をせずに得られたものにはありがたみを感じないものです。それ以前に、私はあの神山と金澤と同じ業界で働くということが、どうしても嫌でした。私がITの分野に物凄く興味があって、ずっとITに関わって生きていたいというなら、逆に意地でも身を引かず、神山と金澤の方を破滅させようとしたのでしょうが、実際のところ、私はITの分野には特に関心はなく、飯の種以上には考えていなかったので、自分が身を引くことに全く躊躇はありませんでした。

 これで正社員の道は閉ざされたわけですが、何も後悔はありません。勿体ないとも思いません。一生を神山と金澤の風下に立って生きるくらいなら、貧乏の方がマシです。

 家に引きこもっている間は、日がな一日パソコンとゲーム、そして、暗い妄想ばかりをしていました。ほとんど生きる気力も失っていた私が唯一元気になれるのは、「神山を強姦して子供を産ませ、その子供を神山本人か金澤に絞め殺させてまた強姦し、飽きたらそこら辺の汚いおじさんに種付けさせて、その子供も神山か金澤に殺させる」のを想像するときだけでした。

 いわゆるキレイごとは、私に何の力も与えてくれませんでした。それもそのはず、あの学校で味わった、私にとって最大の恐怖は、野村や関口といった連中のキレイごとに丸め込まれて、「偽善の国」に取り込まれることだったのですから。

 キレイごとで成り立っているといっても過言ではない世の中で、キレイごとを信じられないというのは不便なこともありますが、アホみたいに聞こえのいい言葉を信じるのではなく、物事を自分の頭で考える癖が付いたことは、よかったことだと思っています。別に凄いことでもなく、できる人はそれこそ十代から自然とそういう思考になっているんでしょうが、私がそうなるには二十数年という年月と、多大な犠牲を払う必要があったということです。

 「自分の顔を世にも醜いものだと思う」醜形恐怖はずっと続いており、私には暇さえあれば顔面を叩いたり、頬を押したりする(そうすることで顔を小さくしようとしている)癖がついてしまい、いつの間にか、頬の下に、安田大サーカスのHIROくんなど、極度の肥満の人にできるような黒い痣ができてしまっていました(現在は消失)。

 この癖がなくなったのは、サイト開設当初、私の顔写真をサイトにUPしたとき、読者さんから好意的なコメントをもらえたからです。私の顔を褒めたところで一文の得にもならない読者さんから顔を褒めてもらうことによって、私は心的外傷を克服することができたのです。そのときの読者さんはほとんどいなくなってしまいましたが、今でも感謝はしています。

 「偽善の国のアリス」連載中、ある読者さんから、「津島は人間関係を大切にしていないのではないか」といったようなコメントを頂きましたが、ハッキリ言いまして、それは完全なる誤解です。私だって、自分が好感を持つことができ、付き合う上でメリットがある人間関係だったら、維持できるように最大限の努力をします。結果的には破綻してしまいましたが、「大河原」に通っていた当時だって、私は神山や他のクラスメイトたちと良好な人間関係を維持できるよう、私なりに最大限の努力をしていました。

 私も人間関係を大事にするのは、皆さんと変わりません。ただ、「自分を殺してまで」人間関係を維持することに全力を尽くそうとしないだけです。

 とはいっても、程度の差こそあれ、自分を殺して、我慢してまで人付き合いなどしたくないのは誰しも同じはずで、私を批判してきた読者さんは、考え方が違うというより、それこそ関口のように「他人事だから、好き放題言ってるだけじゃないのか?」という部分が見受けられたので、厳しく反論させていただきました。

 その読者さんからは、その後コメントはなくなってしまいました。今読んでいるのかどうかもわかりませんが、自分の主張に無謬がないことを証明した結果読者を失ってしまうのなら、寂しいですが仕方ないことだと思っています。大体、あのコメントに対して、私が”確かにそうだ”と言っちゃったら、そこで物語終わっちゃいますから。

 正直なところ、(コメントをくれないという意味で)私との人間関係を大切にしない方に、私のリアルでの人間関係云々を言われるのも釈然としないという気持ちも若干あるのですが、その読者さんから見て、「自分を殺したくない」点において、私はかなり異常に見えているのは確かなようです。

 まあ、実際その通りで、私はいわゆる平均的サラリーマンには確実に向いておらず、労働者として生きていこうと思うなら、派遣のような、しがらみのない働き方をするしかないのだと思います。ですから、何度も書いてきたことですが、私は就職を棒に振ったことに関しては何も未練はありませんし、そのことで神山を恨んだりはしていません。

 自分を殺してまで人付き合いをしようとは思わないということは、反対に、ありのままの自分を受け入れてくれた人のことは、本当に大事に思うということです。ときどき感情的になってしまうこともありますが、このサイトにコメントを寄せてくださり、サイトの運営を3年間支え続けてくれた皆さんへの感謝、とくに、多数のコメントを寄せて応援してくださった方々――キレイごと抜きで、私に何らかの利益を齎してくれた人への感謝の気持ちというのは、絶対に忘れてはいけないことだと思っています。

 もちろん、ネットだけでなく、リアルで関わりがある人たちに対しても同じです。

 この当時、自分の顔を世にも醜いものだと思い込んでいた私は、私をそんな醜い、神山程度の女と付き合う幸せも与えられない顔に産んだ親を恨み(親を恨む理屈については、宅間守のコーナーで詳しく書きました)、ここではとても書けないような罵詈雑言を浴びせつつ、小遣いだけはしっかり貰いながら、一年半近くも生活していました。

 しかし、26歳のとき、生涯の伴侶となる女が出来たことで、私は自分にも、人並みの幸せは許されていたことを知り、親を恨む正当化の理由を失いました。「お前らが頼みもせんのに勝手に俺を産みやがったのだから、責任をもって最後まで生活の面倒を見ろ」などと言って小遣いをせびるわけにもいかなくなり、そもそも親からもらう小遣いだけでは交際費にはまったく届かないため、サイトの運営を継続しながら、派遣の仕事で働くことにもなりました。ニートを働かせるのは「説教」ではなく、「希望、喜び」とであるということを、身をもって証明したことになります。

 今も「産んでくれた感謝」をしているかといえば微妙ですが、とにかく生きていなければいけない以上、金銭的に援助をしてくれる存在は貴重ですし、キレイごと抜きで私の面倒をずっと見てくれたことに関しては、親兄弟、妻、ペットの犬(実家を出て唯一悲しいのは、毎日彼に会えなくなったことである)には、感謝をしています。人間最後に頼れるのは家族です。

 家族ということで言えば、もう一匹――、兄妹同然に過ごした、今は亡き先代の愛犬の思い出も忘れてはなりません。

 はっきり言って、10代のころの私は、自分でも信じられないような大馬鹿者で、彼女にほとんどイジメ同然の酷い八つ当たりなどもしていた(弟にもそうで、申し訳なく思う)のですが、そんな私を何も疑うこともなく受け入れてくれ、帰宅したときなど尻尾を振って出迎えてくれた、私はけして悪い人間ではないと信じてくれた彼女の純粋さに触れたおかげで、私は口では色々言いながらも、中学時代のチャリパクの件以外では警察の厄介になることなく生きていられているといっても過言ではありません。

 神山にあそこまで執着したのは、今は亡き先代の愛犬と、名前(本名)が一緒だったということもあります。それ自体、神山には何も罪はなく、不幸な巡りあわせとしか言いようがないのですが、もしかしたら、私の一番大事な思い出を汚されたということが、私にとって、もっとも致命的なことだったのかもしれません。

 神山に対する感情は、ただの恨みでもないし、一時期は本当に好きだったこともあるし、ここまで、400字詰め原稿用紙で約300~400枚分くらいの文量を費やしてもまだ語り切れているかわからないくらい、さまざまな思いが混ぜこぜとなった複雑なものとなっています。

 あえて一言で言うなら、「固定観念」。理屈ではけして割り切ることができないものであり、いくら神山に対する復讐心、殺意を消した方が私のためだとわかっていたとしても、それだけではどうしようもないことなのです。

 神山への恨みを消すというのは、池に石を浮かべろと言われるのと同じように、「ムリなものはムリ」というものです。「それ他人事だから言えるだけでしょ?」レベルの中途半端な説得では、火に油を注ぐように、神山への恨みが余計に増してしまうだけです。
 
 度々引用してしまって申し訳ないのですが(反対意見としては貴重なので)、ある読者さんから、神山にこっ酷い振られ方をしたおかげで、女房と出会った=よかったな、と考えることはできないのか、人間万事塞翁が馬というふうに考えることはできないのか、というコメントをいただきました。

 結論からいって、「現時点で」それは完全に無理です。確かに今の女房とはこのサイトを通じて出会ったのであり、このサイトを開いた理由が、神山に精神をメタメタにされて、サラリーマンとして生きる道がポシャッたからだと考えれば、神山のお陰で女房と出会えたと言えなくもないですが、それとて「結果論」にしかすぎません。サイト以外を通じて女房と出会えたかもしれないし、神山と円満に別れてから女房と出会うルートだって考えられるはずです。

 私にとっては一大事でも、読者さんにとって、私の体験は他人事です。私と同レベルで感情を共有できないのは当たり前のことです。私が他の人に、自分の気持ちを100パーセント理解することを強要してはいけないように、読者さんの方にも、他人事だからといって、簡単に「考え方を変えろよ」という権利はありません。

 女房と出会えたことは、確かによかったことだと思います。しかし、私はそんなことは、誰の人生にも与えられる当たり前のことだと思っています。結婚もできない、女もできない人に比べたらお前は幸せなんだから我慢しろと言われても納得などできませんし、自分より不幸な人を見て納得しろなどという理屈を突き詰めたら、それこそ、世界で一番不幸な人以外は、不平不満を述べてはいけないということになってしまいます。

 例えば年俸数億円のプロ野球選手で、黙っていれば監督の座が転がり込んでくるような、一般人の百倍くらい色んなチャンスが存在する恵まれたご身分であるにも関わらず、巨人がどうのこうのと、過ぎ去ったことをいつまでもグチグチいったり、不平不満をタラタラ延べて、挙句、薬物にまで手を出してしまうというような人であれば私もどうかと思いますが、億万長者でもなんでもない私なんかは、変な話ですが、過去のわだかまりに拘っていてもいいし、自分の境遇に不平不満を述べる「権利」もあると思います。

 ご自身は奥さんがいるというだけで満足できているのかもしれませんが、だからといって、その価値観を、赤の他人の私にも押し付けようとしてはいけません。大体、女ができたから幸せとか、そんな陳腐なハッピーエンドに私を落とし込もうとするのは、いまだ世間には認められていないとはいえ、物語を作るという活動を3年間続けてきた私への「侮辱」とも取れます。

 では、どのようにすれば、私は神山との一件を「納得」し、新たなステージへと進むことができるようになるのか?私が神山への恨みを「滅失」させる方法はひとつも存在しないのか?

 その方法はただ一つであり、実現するための手段は二つあります。方法とは、単純明快に、「私が神山より条件のいい生活をする」ことです。

 重要なのは、「神山より条件がいい」ということであって、孫正義のような大金持ちにならなくてはわけではないということです。極端な話、神山が世界最貧国で、その日の食事にも事欠きながら、過酷な強制労働をさせられる奴隷生活を送っているのなら、私はその少し上で、新宿のガード下でホームレス生活を送るのでもいいということになります。

 ちょっとハードルが低くなりましたが、作中でも申しましたように、私の頭には、「物事を自分に都合よく考える」回路が存在しません。神山はどうせ金澤に遊ばれて捨てて、適齢期を過ぎても結婚できず、相変わらず男を顔でえり好みしている婚活ババアに変貌しているに違いない、そんな惨めなヤツを恨んでも仕方ない、俺は俺で一歩を踏み出せばいいではないか、というような考え方はできないのです。

 かといって、孫正義のような金持ちの妻になってるとか、女社長として何千何万人の部下を使っているとか、あまりに大出世しているところを想像してしまったら、私が一生かかっても追いつくのは不可能ということになり、もう今すぐ復讐するしか実現の手段がなくなってしまいますので、基準は、私が知る最後の神山の生活レベルということになります。すなわち、

 ・一流半企業の正社員として、仕事ではそこそこ苦労しながらも、安定した収入がある。
 ・金澤か金澤レベルの男と結婚か結婚を前提に付き合っている。
 ・多数の友人に囲まれ、充実したプライベートを送っている。

 まあ、このくらいが、私が超えるべき最低ラインということになります。

 今の私の生活は、明らかにこれを上回っていません。
 
 私の今現在の職業は、派遣労働者です。本文中でも述べた通り、私自身、ここ数年で労働に対する見方が大きく変わっており、非正規の派遣労働を必ずしも正社員の下位に置くという考え方は消えたのですが、収入では確実に負けていますし、神山が責任の重い正社員の仕事に大きな遣り甲斐を見出しており、今の仕事は「カレー味のカレー」だと言われてしまったら、もうぐうの音もでない敗北ということになってしまいます。

 女房と出会えたのだから幸せだと思えと言われた読者さん(また、引用してしまい申し訳ない)もいましたが、神山の方にもパートナーがいる以上、それは神山を上回った証明にも何にもなりません。読者さんはどういう想像をされているのか知りませんが、世の中に完璧な女などはいない以上、当然のことながら、私にだってパートナーに対する不満はありますし、そもそも夫婦生活が幸せかどうかなど自分の考え方次第であり、極端な話、神山が夫や恋人に暴力を振るわれていたとしても、「私は幸せ」だと言われてしまったら、こっちは何も言えなくなる。

 友人多数は別に羨ましいことではないのですが、問題は、神山がそれで多好感を味わっているということです。「孤独」というのはそれ以上でも以下でもないものですが、「友達がいる充実感」は上下動するものです。場合によってはマイナスとなることもありますが、私から見た神山は、ほぼ確実にプラスの方向にいる状態でした。0である私より上にいる以上、これも看過できない問題となります。

 女房は唯一無二の存在で、大切な家族ですから、別れたり乗り換えたりすることなど考えられず、友人は欲しいとも思わない。「パートナー」「友人」で上回るということが実質不可能である以上、「仕事」で神山を上回るしか、挽回の手段はありません。私は自分をそこまで金銭への執着が強い人間だとは思わないのですが、やはり目に見える数字で上回らない限り、実質手段はないのではないかと思います。

 では、いったいどれくらい稼げばいいのか?

 私は学校を卒業して以降の神山の人生を知りませんから、神山の卒業時の社会的地位である、サラリーマンの生涯賃金といわれる二億円がひとつの基準となります。この収入を、私は「文章で飯を食っていく」ことによって超えようと思っています。もう私も30間近で、これから他の才能が開花するとも考えられませんから、実質これしかないでしょう。

 今は出版不況の時代で、印税や原稿料だけで生活できている作家はそれこそ一握りだけです。ひと昔前に比べ、そもそも枠自体が少なくなっており、入口に立つことすら容易ではありません。正直、二億円は相当な運もないと難しいと思います。

 ただ、私は会社に束縛されずに仕事をする生き方をサラリーマンの生き方より勝ちと考えますから、必ずしも二億のノルマを達成できなくてはいけないというわけではありません。私は別に書くことが大好きというわけではないのですが、読者の方から自分の作品を褒めてもらえたり、感想をもらえたりしたときは大変うれしく、書いていてよかったと思えるもので、それでお金を得られるということになれば、それは大層幸せだろうなと思います。今後ますます小説が斜陽になり、専業作家の希少価値が増すということになれば、ある意味、「俺はすげえ独特の生き方をしているんだ」、という自己満足を味わうことにも繋がります。そういう付加価値というものも合わせて、もっと総合的に考えていきたいと思っています。

 まあ、フリーターの生涯賃金との間をとって、一億二千五百万円。子供は生涯持たず、女房にも頑張って働いてもらうとして、一億円。定年を迎える65歳までの(年金の問題もあって、もっと引き上げられるって話もありますが)残り36年でこれだけ稼げれば、まあ、「神山よりも勝ち」と思っても良いかと思います。

 ただ、生涯賃金が明らかになるのはずっと先のことですから、ひとまずは、一億ないし一億二千五百万円の目標を順調に消化できていることが確認できる、年収四百万円程度の収入があれば、神山への復讐心はとりあえず消えた状態になるのではないでしょうか。

 ここまで上手く行って、まだ「結果論」と言い続けるのは、さすがに冷め過ぎているように思います。ここまで成功したのなら、それは確かに神山との一件があって、あのとき進路変更を余儀なくされたおかげであり、とある読者さんに言われたように、「塞翁が馬」と考えてもいいでしょう。これだけ充実した人生を送れるのなら、私も「復讐なんて馬鹿なことはやめよう。自分を大事にしよう」と思えるはずです。

 私が神山より幸せになれないのなら、そのときは、神山の方を不幸にしなければなりません。私は「神山よりほんの少しでも幸せなら、それでいい」のであって、けして億万長者にならなければいけないということではありません。確か「刃牙」で読んだセリフだったと思うのですが、「あの女が世界で一番不幸な人間なら、僕は世界で二番目に不幸な人間でいい」、極端に言えばそういうことになります。

 それが「方法は一つだが、手段は二つある」ということですが、後者について具体的な計画を練るのは、もっとずっと後になってからでいいと思っています。気力も体力も落ちてきて、もう完全に世の中での上がり目もないとわかった37,8歳くらいになっても芽が出ず、女房とも別れて、親も二人とも死んで財産もない・・・そういう状況に追い込まれていたら、いよいよやるしかないということになると思います。そこでリサーチする過程で、神山が私よりももっとゴミのような人生を送っていることが分かれば、それはそれで結果オーライということで、見逃してやってもいい。ホストに騙されてソープにでも沈んでいたら、遊びに行ってやるために、真面目に働くのもいい。

 自分には何もないが、実家に少なくとも中流程度の経済力があり、安定した住環境がある分、まだ恵まれている方で、まだ若いといえる年齢(当時25歳)でもある。まだ、「復讐」は時期が早い。もうちょっと、頑張ってみよう・・・。

 私がこのように考え始めたのは2012年の10月ごろからで、そのころから私は、私が神山以上になる唯一の手段として、「大河原」二年生のころから中断していた、小説の執筆を開始しました。

 小説を選んだのは、そこそこ得意で人から褒められた経験もあるというのに加え、やっぱり、神山の件だけではなく、人生の中でずっと感じてきた「怨念」を、はっきりとした言葉で書き表したい、自分が感じてきたあの不快な感情は何だったのか、自分自身はっきりと知りたい、という目的もあったと思います。犯罪者でいえば、読み書きもできない状態から、このまま何も知らないままでは死んでも死にきれないと、獄中で勉強して「無知の涙」を書き上げた、永山紀夫に近い感情だったと思います。

 当時の私はリフレックスの影響で、一日12時間以上も寝ていましたが、小説を書き始めると、そんなに寝ていては時間があまりに勿体ないということで、薬を切る決断をし、半年以上かけて精神安定剤依存から脱し、ドグマチールのせいで65キロまで太っていた体重も元に戻りました。

 ただ、小説を書き始めたはいいものの、誰も読んでくれる人もおらず、世に出るのでなければゴミになってしまうだけというのでは、いまいち、気分が乗らない。そもそも、正攻法で文学賞に応募して、何千作品という中から大賞を取るなど、雲をつかむような話で、どうしたって運の要素も絡む。調べてみたら、個人でブログを書いて、それが注目されたことをキッカケに世に出た作家などもいるようである。ブログだと、自分の作品を読んで感想をくれたりする人もいて、そういうリアクションをもらえればやる気が出そうだ。僕もやってみようか。そう考えたのが、このサイトを立ち上げるキッカケでした。
 
 サイトを立ち上げて以来、私は「神山より少し上に行くため」、自分にできることを必死でやってきました。それは夢に向かうという爽やかなものではなく、強迫観念に近いもので、成果を上げられなければ底なし沼に嵌ってしまうような、「暗く冷たい努力」の毎日でした。

 3年間、苦しみながら続けたサイトの運営ですが、本日を持ちまして、更新の方は一度終了させていただきます。理由はこれまでにも述べて参りましたが、また労働を開始して執筆に割く時間が減ってしまい、更新頻度や一回の文量が間違いなく減ってしまうこと、そうなるとコメントをくれる読者さんも減ってしまい、モチベーションの維持が困難になる――サイトを運営していることが、逆に執筆の妨げになる可能性が高いからです。

 いまだ作品を世に出し、文章で金を稼ぐという目標は達成できておりませんが、自分の中での課題や得意な部分というのが明確になってきて、なにか「固まってきた」という感触はあります。お付き合いして頂いた読者さんたちのおかげで、小説のストックもでき、3年間、犯罪者というテーマで運営してきたこのサイトも、「作品」としてそれなりの形になり、出版社へのアピール材料として利用できるようになりました。あとはもう、自分の書いたものに100パーセントの自信をもって、世間に「押し付けて」いくだけだ――、と信じて、5月以降からは、文学賞への応募という正攻法でやっていこうと思います。

 ちなみに、最後の最後まで書く機会がありませんでしたが、タイトルの「偽善の国」というのはあのクラスと、世間そのものを表現した言葉で、「アリス」は、大河原で行われていた「朝の10分間読書」の時間に、神山が読んでいた本のタイトルからとったものです。

 10分間読書の目的は、面接のときの引き出しを増やすということで、それだけであれば正直どうかとは思うのですが、それをキッカケに、今までテレビや漫画ばっかりで活字媒体に親しんでこなかった子が読書に目覚めるなら素晴らしいことです。

 他にも大河原では、「最近は挨拶ができない子が多いから、挨拶をきっちりできるようにしよう」という目的から、講師が朝、駅や正門の前に立って、生徒に大きな声であいさつをするという取り組みも行われていました。「面接のため」という目的はどうかと思うのですが、そういう基本的なことを「できているのが当たり前」で片づけずに、「できてないなら、できるようにしよう」と大真面目に考える学校の方針自体は大変素晴らしいのではないかと思います。

 あの学校の環境自体は良いと思えるもので、良い子も沢山いたはずです。「大河原」には何の恨みもないということは、最後に改めて書いておきます。
 
 神山への憎しみは現在、小康状態というところにあります。休火山のような状態で、いつ爆発するか危ういもので、極端な話、いま、目の前に神山がいたら「ヤッちゃう」かもしれません。今は首都圏を離れたところで生活しているので、その心配はほぼないと思いますが、消えたわけではまったくなく、ほとんど当時のままの激しい怒りのマグマが、私の胸の奥に眠っています。

 この恨みを忘れるときは、私が歩みを止めるときです。恨みを忘れた瞬間、私は書く理由を失います。つまり、私の文章を読んでいながら、「神山を恨むのやめたら・・?」と説得するということは、完全に「矛盾」しているということになります。恨みがなかったら、そもそも書いていないのですから。

 恨みはある意味、希望よりも人に大きなエネルギーを与えるのかもしれません。ここまで執筆活動を続けてこられたのもそうですが、あれ以来、けして気のせいなどではなく、「若く」みられることが増えました。酒類を買うときは半分以上の割合で年齢確認をされますし、初見で25歳以上にみられたことはほぼないです。肌には皺もなく、今でもピンピン水を弾きます。

 自分に嘘をつかず、本音で生きていることが大きいのでしょう。たぶん、「自分の恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」などという言葉を真に受けて、自分を誤魔化して生きていたら、こうはならなかったんじゃないかと思います。

 神山との一件で得たものは、けしてゼロではありませんでした。サラリーマンとして、組織に縛られて生きる道が潰えたことによって膨大な時間を確保でき、また、「キレイごと」に反感を持ったことによって、私の世界は確実に広がりました。そのこと自体は本当に良かったと思っており、神山と円満に別れていたら、たぶん得られなかったものだと思っています。

 ただ、それを「神山のおかげ」「塞翁が馬」と思うには、ちょっとまだ、時期尚早です。今の状況では、まだ明らかに、ダメージの方が大きい。

 「塞翁が馬」とするためには、自分らしく生きていること、人に恨みを持っていること、世界が大きく広がったこと、時間が確保できたことが、唯一完全に生かせる道――専業作家になるしかありません。

 聞こえのいい言葉ばっかり信じて生きている世間の連中の、お花畑のような脳内に、「劇薬」をぶち込んでやる――。

 これから目的を叶えるまで、今まで以上に苦しく、また孤独な闘いになりますが、本当にもう、上がり目がなくなったと確信するときまで、もうちょっと、頑張ってみようと思います。


 偽善の国のアリス 完
 
 
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犯罪者名鑑 加藤智大 9


かーとともだいええ

 
 掲示板 


 「自慢女」とレスバトルを繰り広げてからというもの、加藤が建てたスレッドは、荒らし、なりすましが多発し、滅茶苦茶になっていました。ネットで活動している者が荒らし、なりすましに対して感じる不快感は「番外編」の方で書きましたが、スルーすればいいだけのこととはいえ、それができない、もしくは「それしかいない」という状況なのであれば、精神的には相当辛いものがあったと思います。

 加藤は事件の動機を、「日本のどこにいるかわからない荒らし、なりすましに、自分がどれだけ怒っているかを伝えるためだった」ということを語っています。それがすべてではなかったと私は思っているのですが、それが嘘というわけでもなかったのでしょう。

 そんなに荒らし、なりすましが憎いのなら掲示板などやめたらいいと思うかもしれませんが、掲示板は彼にとって、大切な居場所のひとつでした。行きつけの飲食店やサークル活動など、人にとって大事な憩いの場で、他の客とトラブルを起こしたことから出禁を食らうのと同じかそれ以上のダメージを、彼は感じていたのです。自分の意志で行かなくなるのはよくても、「アイツのせいで・・・」という感情があると、人はなかなか、執着心を断ち切れないものです。

 もしくは、自分でブログか何かをやっていればよかったと思う方もいるかもしれませんが、私はそれもうまく行かなかったのではないかと思います。

 私の利用しているFC2ブログにはホスト名でコメントの主を判別する機能があり、荒らしやなりすましの書き込みを、内容に一文字も目を通さずに削除することができます。何度もやっているとウジ虫を潰すような作業になってきて、次第に不快感を感じることもなくなります(荒らしにとっては皮肉ですが、書きこまれれば書きこまれるほど気にならなくなる)。

 加藤も自分でブログをやっていれば荒らしやなりすましの被害に悩まなくて済んだかもしれませんが、ただ、個人でブログをやる場合大変なのが、人を呼び込む作業です。もう2008年くらいですと需要に対して供給過多になり始めており、たぶん、有名人のブログ以外は、なかなか人集めが難しい状況になっていたと思います。

 また、私がやっているのを見ればわかると思いますが、人が集まっても、その人たちに反応してもらうための努力というのがまた大変です。リアクションがなければ、当然、書くモチベーションは起こりません。それが、辞める、執着を断つという方向にいけば結果オーライかもしれませんが、また掲示板に戻ってしまうようではまったく意味がありません。

 結局のところ、当時の加藤の状況で掲示板への執着、そして荒らしやなりすましに有効な対策を打つことは難しかったと思います。掲示板でなくとも、別の何かに執着してストレスを抱えていたかもしれませんし、そもそも掲示板で女との出会いがうまくいっていたら、加藤がいい方向に向かっていた可能性もありました。掲示板そのものを悪とする考えは、的外れといえるでしょう。

 「日本のどこにいるかわからない荒らし、なりすましに対抗するため」という直接的な動機に、「彼女を得られないこと、好きな女に彼氏ができたことへの不満」「借金やコンプレックスなどもろもろのストレス」などが加算されて膨れ上がり(”男らしさの病”から、ここを本人は否定している)、母親から受けた教育による「自分の怒りを言葉ではなく、行動で示す」癖を、最悪のやり方で表現してしまった。

 秋葉原事件の動機に関する、私の結論です。


かーとともだい


 
 消滅の園へ



 2008年6月5日、事件3日前の時点から、加藤の掲示板の書き込みを紹介しつつ、加藤の行動を追っていきます。


 6月5日

 
 ・彼女がいれば仕事を辞める必要はなかったし、彼女がいれば車を売る必要もなかったし、彼女がいれば車のローンも払ってるし、彼女がいれば夜逃げする必要もなかったし、彼女がいない、その一点で人生崩壊。希望があるヤツにはわかるまい。で、また人のせいにしていると言われるのか。

 ・女に生まれてたらよかったのに
 
 ・管理人は起きてるのかしら。起きててもどうせ無視なんだろうけど。俺も女だったら管理人が守ってくれるのにな。


 加藤の手記には、「肉体的に最強である大人の男は、社会的には最弱の存在である」という記述もありましたが、実際問題、仕事で本気で上を目指すとか、スポーツで大成したいとか考えない限りは、今の世の中、女の方が有利といえるところまで来ていると私も思います。男と女がトラブルになったとき、問答無用で男が悪いとされたりするケースは多々あるでしょうし、結婚や交際を望んだとき、収入の少ない男と収入の少ない女ではその難易度は段違いになります。基本的に、女が選ぶ立場である。

 女ができない、女に相手にされなくて悔しいという加藤の憎しみは、やがて「自分が女だったらよかったのに」という僻みに変わっていったようです。


 ・作業場行ったらツナギがなかった。辞めろってか。わかったよ。

 ・工場で大暴れした。被害が人とか商品じゃなくてよかったね。それでも、人が足りないから来いと電話がくる。俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから。誰が行くかよ。誰でもできる簡単な仕事だよ。


 気分がどん底のときは、すべての出来事を被害妄想的に捉えてしまいがちです。怒った加藤は、勝手に会社を早退してしまいましたが、あとで同僚たちが、加藤が起こって床に散乱させた制服を探してみると、ウケ狙いのため、自分で肩に「萌え~♡」とマジックで書いていた加藤の制服はちゃんと見つかり、連絡を受けた加藤は、気を取り直したそうです。

 加藤が事件を起こした原因が派遣切りにあると言われていた当時は、このツナギの件が事件を起こした直接のキッカケのように言われていましたが、加藤本人は、事件の原因が派遣の待遇の悪さにあったことを否定しており、実際に行動を追っても、それについてはとくに不自然な点は見られません。

 これはあくまで数あるトリガーの一つに過ぎなかったようです。


 6月6日


 ・スローイングナイフを通販してみる。殺人ドールですよ。

 ・明日福井に行ってくる。


 
 事件2日前、加藤は福井のミリタリーショップで、凶器となったダガーナイフを購入していました。「通販」から直接店で購入するのに切り替えたのは、2日後の決行に間に合わないと考えたからで、この時点で加藤は、事件の青写真を頭の中にしっかりと描いていたことになります。

 しかし、店に直接買いにいくにしても、加藤はなぜ、静岡から新幹線で二時間もかけて、福井県にまで足を運んだのか?加藤が購入したナイフはどこでも売っている一般的なもので、もちろん静岡にも取り扱い店舗は多数存在しました。

 どうも加藤の目当ては、ネットで評判の「感じのいい女性店員」だったようです。ミリタリーショップの防犯カメラには、女性店員と楽しそうに話をする、加藤の姿が映されていました。女性店員と話した後、福井から静岡に帰る途中の加藤の書き込みは、


 ・店員さんいい人だった。人と話すのっていいね。タクシーのおっちゃんとも話した。


 と、一転してポジティブな内容となり、「浜名湖だ浜名湖」「回転ずしおいしいよ」などと、旅行を満喫しているような書き込みも見られました。

 福井への日帰り旅行の締めには、三島で風俗店にも寄っていました。借金のある加藤がこれだけ散財したのは、「もう明日をみていな」かったのでしょう。

 

 ・土浦の何人か殺したヤツを思い出した。
 
 ・犯罪者予備軍って、日本にはたくさんいる気がする。

 ・ちょっとしたキッカケで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり、やっぱり人って大事だと思う。

 ・人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし。難しいね。

 ・「誰でもよかった」なんかわかる気がする。



 加藤は事件が近づくに連れて、自分が殺人を決意しているということを明確に語るようになっていました。

 自棄になっているようなことを書いていますが、やはり彼は、誰かに止めてほしかったのだと思います。説教やキレイごとではなく、普通に相手をして欲しかった。

 ここで誰かが加藤の相手をしてくれたところで、加藤の問題すべてが解決するわけでもなく、加藤という人そのものが変わることはなかったと思います。極端にいえば、一か月後には、また同じような状態になったかもしれない。しかし、誰かが相手をしてくれたら、事件は起こさなかったかもしれなかった。少し時間を稼ぐことができたら、加藤が変わる本当にキッカケを掴めたかもしれなかった。時間稼ぎの連続をしている内に、なんとなく、人生を過ごせたかもしれない―—。

 加藤はまさに、「ちょっとしたキッカケ」を求めていましたが、そのちょっとすら、加藤には与えられませんでした。自業自得の面もありますが、加藤の書き込みにまともに反応してくれる人は、もう掲示板には一人もいなかったのです。

 
 6月7日
 


 ・定価よりも高く売れるソフトもあった。さすが秋葉原

 
 犯行前日、加藤は現場の下見と、ゲームソフトを売ってトラックを借りる資金を作るために、秋葉原に出かけていました。

 加藤は事件の舞台に秋葉原を選んだ理由について、「日曜日なのは秋葉原の歩行者天国が思い浮かんだからで、秋葉原なのは、大事件は大都市、大都市は東京、東京でよく知っているのは秋葉原、という連想だったと思います」と語っていますが、思い浮かんだ時点では大した拘りがなかった点で、宅間守や造田博が事件を起こす場所を決めた理由とよく似ています。宅間守などは後付けで色々な理由が浮かんできたそうですが、加藤の場合は本当にたまたま、彼が良く知る場所だったというだけで、秋葉原が選ばれてしまったようです。

 ・さあ帰ろう。電車に乗るのもこれが最後だ。

 東海道線で帰路についた加藤は、途中、三島駅で昨日寄った風俗店にまた行ったあと、沼津駅でレンタカーを借り、裾野の自宅に帰りました。

 ・もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる。体調が悪いのが気がかり。中止はしない。したくない。
 
 これが、加藤がシャバで明かす最後の夜となりました。

あきはばらじけん



 秋葉原無差別殺傷事件


 6月8日


 ・ほんの数人、こんな俺に長いこと付き合ってくれた奴らがいる。全員一斉送信でメールをくれる。そのメンバーの中にまだ入っていることが、少しうれしかった。


 犯行当日の朝、加藤は地元の友人のことについて言及していました。また、秋葉原に出発する直前には、職場の年下の後輩に、自分が持っているゲームソフトや同人誌をプレゼントしていました。

 友人を嫌いなわけではないが、彼らはもはや、加藤にとって、何の歯止めにもなりませんでした。

 東名高速道路に入った加藤は、休憩や渋滞のたびに、掲示板で「実況中継」を行いました。


 9:41 晴れればいいな
 9:48 神奈川入って休憩 いまのとこ順調かな



 横浜青葉インターで高速を降りた加藤は、国道246号線を走り、東京へ。


 
 10:53 酷い渋滞 時間までに着くかしら
 11:07 渋谷ひどい
 11:17 こっちは晴れてるね



 11時45分ごろにようやく秋葉原に到着した加藤は、いったん、ドン・キホーテの前でトラックを止め、トイレの中で、掲示板のスレッドタイトルを書き替えました。

 秋葉原で人を殺します。


 意を決して投稿ボタンを押した加藤は、今生への未練をすべて断ち切るため、電話帳の番号をすべて削除した後、最後の書き込みを行いました。


 12:10 時間です 


 加藤は東西に走る神田明神通りをトラックで走り、中央通りとの交差点に向かいました。目の前は歩行者天国でにぎわっていました。

 加藤は突入しようとしましたが、信号が赤に変わり、とっさにトラックを止めました。歩行者天国に突っ込むつもりなら、信号が赤だろうが青だろうが関係ないはずですが、いざとなると、本能的に体が拒絶反応を起こしたのです。加藤はその後、歩行者天国の周りを二周、三周と周回しましたが、なかなか決心はつきませんでした。

 加藤にも人間らしい感情は残っていたということですが、当時のワイドショーでは、「加藤はイケメンを物色し、イケメンを殺すために歩行者天国の周りをウロウロしていたんだ!そうだそうに違いない!」と、ドヤ顔で発言したコメンテーターがいたそうです。有名人でもない私のような一般人のサイト上ではなく、公のメディアでそんな妄想をたれ流せるのは、よほどのアホなのか、クソ度胸の持ち主なのかわかりませんが、そういう人物が知識人として発言権を持っているというのも、世の中の現実です。

 加藤もよほど中止にしようと思いましたが、ここでやめたところで、どうせこの世の中に、自分の居場所はない。

 「進むも引くも地獄なら、進む――」

 12:23、加藤はとうとう、秋葉原の歩行者天国に突っ込みました。2トントラックでのアタックで数人が死亡、十数人が重症。さらに、ダガーナイフを持って車を降りた加藤は、通行人を次々に切りつけました。 

 死者7名、重軽傷者23名――。


かとーもともだい



 余波



 秋葉原事件は、社会に大変大きな影響を与えました。

 事件現場では、傷だらけになって倒れる人を携帯のカメラで撮影する野次馬の姿が問題となり、現代人はモラルが希薄になっているのではないかということが言われました。まあ、野次馬というのは昔からおり、モラルがどうのこうのというより、ただ単にカメラを日常的に持ち歩くか持ち歩かないかの違いと、群集心理によるものであり、当日その場でああいうことをしたこと自体をそこまで気に病むことはないと思いますが、あとで冷静になってマズいと思うかどうかが、人としての分かれ目でしょう。
 
 世間では、加藤に共感する若者が多くあらわれ、ネット上では、加藤を一種のカリスマにまで祭り上げようとする動きも起こりました。諸悪の根源は派遣など非正規労働の待遇の悪さではないかと言われ、世間が派遣という働き方を問題視する向きも強くなりました。

 私個人の最近の考えは、日本の労働問題は派遣そのものが問題というより、正規と非正規の待遇の格差、というより、正社員が既得権益にしがみつきすぎているせいで、労働市場の流動化が非正規に押し付けられすぎ、二極化が進んでいるのが一番の問題であると(労働の長時間化など、それが正社員を必ずしも幸せにしているともいえない。非正規の側にも気楽というメリットがあり、単純な問題ではない)考えていますが、加藤本人の意に反して、この事件が、日本人が「格差」というものを見直す一つのキッカケとなったのは、紛れもない事実でした。

 加藤本人はといえば、法廷で遺族の言葉に涙するなど、一定の反省の気持ちを表しつつも、手記からもわかる通り、全体としては冷めた態度で、事件のことを他人事のように分析する余裕も見せています。

 また、加藤は、「逮捕され、ケータイと離されてからというもの、掲示板に対する執着は憑き物が取れたように無くなった」と語っていますが、私はある意味、これは宅間守の侮辱発言よりも、遺族にとって残酷な言葉ではなかったか、と思います。第一回でも書きましたが、たとえ無差別であろうと、自分の家族が、加害者なりに強烈な思いがあった上で殺されたのならともかく、「今となっちゃどうとも思ってない」と言われたのではやり切れません。いかにそれが真実だとしても、まったくもって余計な発言だったと思います。

 加藤家では、弟さんの自殺があり、加藤も死刑を待つ身ですから、ご両親は、息子二人の死を先に見送るということになります。最大の親不孝は親より先に死ぬことだと言われますが、息子が成人してから、自分の子育ては間違っていたと気づき彼らに謝罪したというお母さんは、いま何を思っているのでしょうか。

 総括:

 宅間守と並び、私がもっとも思い入れの深い犯罪者の生涯を最後まで書くことができました。

 最後に私が自分の分析をまとめる形で何かを書き加えるとすれば、加藤の事件で経済格差が見直されるようになったのは結構なことだと思いますが、事件を起こした原因として本当に見直されるべきは「恋愛格差」ではないかというところです。
 
 恋愛格差も経済格差と関係があり、世の中の構造の変化もあるので、全部ひっくるめる形で議論されてもいいですが、非モテの抱えるリビドーというものを軽視して欲しくないなあと、私も自分の経験から、本当に世の中に訴えたいです。

 「いつかはきっと、君にも素敵な出会いが」「自分の恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」などと、キレイごとで丸め込むのでもなく、「彼女が欲しいのなら、自分を磨け!努力をしろ!我慢して働け!」などと説教するのでもなく、一回でいいから、チャンスをやってくれと言いたい。チャンスをもらったうえで失敗するのなら、本人も諦めがつくし、努力して今度はチャンスをつかもうという気持ちにもなる。

 加藤はわかっている限りで「三打数ノーヒット」という結果でしたが、私の経験からいえば、これは本人が絶望して、「自分には何の希望もない」と思い込むのには十分な結果です。26歳、真面目に生きていればこれからいいこともあっただろうに、若者をここまで思いつめさせてしまうモテ格差の闇というものを、キレイごとも説教も弱いものを見下すのも抜きにして、大きな問題としてとらえてほしいな、と切に願います。

偽善の国のアリス 14


 11月の半ばでようやく就職が決まった当時の私は、「薬漬け」という状態でした。

 ドグマチールの他に、デパスとリフレックスという薬も服用していたのですが、このうちリフレックスという薬の睡眠効果が大きすぎて、当時の私は、学校が3時ごろに終わったとしたら、家に帰ってすぐに寝始めて、翌朝の6時までずっと起きないという生活を送っていました。一日の睡眠時間は12~15時間で、ほぼ、相撲取り並みに寝ていました。

 まだ身体も無理がきき、遊びたい盛りで、毎日が楽しくて仕方ないはずの20代前半という年齢で、一日の半分も寝ているというのは明らかに健全ではありません。この時期の私は、薬のお陰で幾分かストレスは和らいでいたのですが、毎日頭がボーッとしているような状態で、とにかく思考能力が鈍っていました。毎日、夢遊病のような感じだったといってもいいと思います。

 だから、これから書くことが、100%確実とはいえない、ということは、あらかじめ前置きしておきます。

 神山はこの時期から、「金澤」と交際を始めていたようです。一年生のころ、私及び、神山のこともバカにしていた、あの「金澤」です。

 本当にこの時期の私は、薬の影響で常に頭がボーっとしていて、状況認識が曖昧なところがありました。それでも、周りが彼らの交際の事実を伺わせる会話をしていたのは確かに聞いたので、ほぼ確実だとは思うのですが、本人たちに確認を取ったわけではありません。だったら決めつけるなと言われるかもしれませんが、自分で確認が取れるくらいだったら、そもそも私は奴らのことを憎んでなどいません。もう、当時の人間とは誰一人として連絡を取り合っていないので、確認を取る術もありません。とにかく、私は現在、この事実を前提として、彼らに激しい恨みを抱いています。

 以前の回で、私の中で本当に明確な一線が存在したのは、「神山と付き合えない」ことではなく、「神山に彼氏ができる」ことでもなく、「神山が誰かと付き合っているところを見せつけられる」ことだと書きましたが、「神山が金澤と付き合うこと」は、明らかにその一線を越えています。同じクラスの誰かと付き合うにしても、よりによって、蛆村がいたときから私を小馬鹿にしていた、金澤と付き合わなくてもいいではないか!神山を好きになって以来、私は常に激しい嫉妬心に苛まれていましたが、まさに最悪の想定が実現してしまったのです。

 神山が「中尾」と付き合いたいと言い出したところで説明したことと重複しますが、私は二人が交際しているという事実を知ったとき、凄まじい気持ちの悪さを覚えました。

 金澤は最初、神山のことを、確かにバカにしていたのです。私はそのときの光景を、確かにこの目で見ています。神山は「気づいていなかった」というかもしれませんが、神山が私を「極悪人」と決めつけられるほど洞察力に優れた女だというのなら、間違いなく気づいていたでしょう。津島が侮辱して潰しても構わない極悪人であることは見抜いていたが、金澤が自分をバカにしていたことには気づかなかった。そんなご都合主義は認めません。

 金澤のルックスについてですが、もうあれから4年弱の月日が過ぎて記憶も多少薄れかけており、写真の類もまったく残っていないので、金澤の顔が「イケメン」と呼べるほどであったのか、若干、自信がないところもあります。私の記憶の中では、顔だちはかなり整っていた方だと思うのですが、元AKBのあっちゃんのように、パーツがやや中央よりでバランスが悪かったような気もしますし、「中尾」「深沢」のように、周囲からイケメンイケメン言われていたわけではなかったと思います。ただ、「中尾」「深沢」と特別仲が良く、いつもつるんでいたために、なんとなく「同族」という気がしているだけかもしれません。

 ただ、「中尾」「深沢」に、うんこのカスがびとびとくっついたマンコから、イカの香りが漂う汁を垂れ流しながら近寄っていった実績のある神山の選んだ男ですから、間違いなくイケメンであったのでしょうし、イケメンと思った方が私の恨みが増幅するので、イケメンということにしておきます。

 最初から自分に好意を持っていた男をグチャグチャに潰し、ルックスさえよければ、最初は自分をバカにしていた男にも好意を寄せる・・・。女がみんなこんな生き物なら、この先いくら女を好きになっても無駄である。私にはもう、女を得られる望みなどない。中尾のときはまだ、「冗談で言っただけかもしれない」と思うこともできましたが、金澤とは正式に交際しているというのであれば、もう、逃げ道はありません。私はもうこの時点で、すべての生きる希望を失ってしまいました。

 本当に、神山という女の精神構造は、どうなっているのでしょうか?

 私もかつては、金澤にバカにされていました。その後、N県への研修旅行あたりから関係はよくなり、一年生の終わりごろには、「友人」といえるくらいの仲の良さにはなっていたと思いますが、過去のいきさつを忘れたわけではありません。胸の中にはけして消えないしこりが残っています。「親友」になれるかと言ったら、それは無理だったでしょう。

 本当に負け惜しみで言っているわけではなく、「自分をバカにしていた男」と、いつの間にか普通に付き合っちゃう、臭い短小包茎ペニスもペロッとなめて、汚いチンカスも食べちゃう、という神山の神経は、私にはまったく受け付けられません。弱い人間はとことん見下し、強い人間にはとことん媚びる。一言でいうなら、「山ほど高いがハリボテのように薄っぺらい」プライドの持ち主だから、こういうことができるわけです。
 
 神山も神山ですが、「自分がバカにしていた女」と、いつの間にか普通に付き合っちゃう、という金澤も金澤です。一応、納得のいく説明があるとしたら、もうちょっとイイ女と付き合おうと思って頑張ってみたけどうまくいかなかったから、とりあえず神山で妥協した、遊びのつもりだった、ということしかありません。もしそこで、「女を見た目で判断するのはやめた。俺は彼女を内面で愛したんだ」とかキレイごとを抜かすなら、私は金澤を神山以上に憎み、殺したいリストの筆頭に置かなくてはならなくなります。

 キレイごと――私が一番憎む、私の最大の敵ですが、キレイごとが嫌いになったまさにそのキッカケが、このときの一連の出来事でした。

 今の世は持てる者がすべてを独占し、持たざる者はケツの毛まで毟り取られるという世の中であることを否定する人は誰もいないでしょうが、それでも最低限、強者の利益を弱者に再分配するシステムは存在します。金儲けのうまいヤツが、いくら能力のある人間が富を独占するのは当然だと嘯いたところで、現実には、どんな国でも一定以上の収入がある人間は、低所得者より余計に税を納めなくてはならない仕組みになっていますし、労働者や扶養家族に対する社会保障もあります。なんだかんだといっても、経済については、世の中は完全には「弱肉強食」ではありません。

 その一方、完全に規制がなく、強い者が何でも好きにしていいということになっているのが、「恋愛」です。一部のイケメンが女を独占したところで、法的に罪に問われるなどまったくなく、モテない男に対して最低限の保証があるわけでもない。ライオンとジャッカルの例えも書きましたが、恋愛の世界こそ完全に弱肉強食の世界であり、サバンナのような「無法地帯」といえます。

 規制がないという中で、なんとか強者の一人勝ちを抑止しようと、「風潮」を作ろうとする動きはあります。もう最近は「イケメン至上主義」でそれすら薄れつつありますが、まだ、「人は外見じゃなく中身」ということを、ドラマやアニメ、バラエティなどを通じて頑張って主張していこうとする向きはあり、その成果もあって、「中身で異性を見られる人」はイメージがよく、「顔や経済力でしか異性を見れない人」はイメージが悪いと、誰もがなんとなく思っています。

 ここで、外見や経済力重視の人を批判しようとしているわけではありません。私が言いたいのは、「神山が自分のやったことを周囲にどう捉えさせたか」「周囲が目の前で起こったそれをどう捉えたか」という問題です。

 神山は最初からずっと神山のことを好きだった私をグチャグチャに潰し、最初は神山を馬鹿にしていた金澤や中尾には、マン汁を垂れ流しながら近づいていった。本人がいくら違うといっても、事実関係が、神山は「外見」だけで男を判断しており、「中身」など一切見ていないということを物語っています。

 しかし、深沢のところでも書きましたが、あの女は、どう考えても顔だけで選んだ男を「中身で選んだ」などと嘘の主張をし、どう考えても顔で足切りした男を「中身が悪いから振った」と主張していました。すべて、「自分がビッチだと見られたくない」という、つまらない見得のために、です。

 私は人間の恨みの強さというものは、

 ①相手から受けた被害 × ②相手の経済力、社会的地位 × ③相手の好感度

 という乗算で求められると思っています。

 ①、②についてはわかりやすいと思いますが、例えば親を殺されたとして、相手が刑務所に入っていたり、経済的に貧しく、社会の底辺でのたうち回っているというのと、シャバでのうのうと暮らし、しかも、ステイタスの高い職について高収入を得ているというのとでは、当然、後者の方により強い恨みを抱くことになります。サレジオの首切り少年が弁護士を廃業に追い込まれたり、印税生活の酒鬼薔薇が大バッシングを浴びているのもそういうことです。

 今回ポイントになるのは③ですが、親を殺した相手がステイタスの高い職に就いていたとしても、そいつが、「暴君」「金の亡者」など、周囲から「極悪人」とみられていたとしたら、そいつに対する恨みは多少緩和されるはずです。同じ被害者がいれば、一緒になって心を支え合ったり、手を組んで立ち向かうということもできます。

 しかし、相手のその本性が世間に理解されず、むしろ人望を集めていたとしたら・・・?相手の醜い本性を知っており、相手を恨んでいるのが自分一人だけであったとしたら・・・?逆にそいつを恨んでいる自分の方が、「悪者扱い」されていたとしたら・・?

 傷をなめ合う相手もおらず、やり場のない怒りが内で膨れ上がり、そいつへの恨みは、「殺意」にまで昇華することになってしまいます。 

 神山は、自分に情緒というものが欠落しており、男を顔だけでしか選べないミーハーなビッチであるという事実を、ちゃんと公言しているべきでした。堂々と言ったところで、別に犯罪を犯したわけでもないのだから、ヤツのことを叩く人間などいなかったはずです。むしろ私の方が、「お前の見る目がねぇだけだ」と、呆れられていただけだったでしょう。神山が汚名を着るというか、自分を正直に打ち明けていたなら、私自身、少しは納得できたはずです。

 それを、ちっぽけな見栄を張って、本当は醜い心のヤツが変にいいカッコしようとするから、「全部相手が悪い」という形にしなくてはならなくなる。結果、相手に深く恨まれることになる。人から殺意を抱かれるようになったのは、アイツが自分で蒔いた種です。

 「自分のイメージを悪くしない」ことに全力を尽くす神山の努力が功を奏して、クラス内では、神山は相変わらず「独特の感性を持った不思議っこちゃん」として親しまれていました。私からすれば、鳥居みゆきが美少年を食い漁りながらあのキャラを維持しているような強烈な違和感があったのですが、クラスの連中に、神山をビッチ扱いするような雰囲気はまったくありませんでした。

 とはいってもまあ、そもそも、私と神山、金澤のこと自体、クラスの他の連中にとっては「他人事」ですから、神山の本性に気づいてもらうことを期待するのは、ちょっと無理があることだったのかもしれません。大体、神山がビッチだったところで、彼らにとってはどうだっていいという話ですから。

 だから問題は、「他人」である彼らが、私に対してどう接してきたか、他人事だと思えば何でも言えるからって、無責任でくだらない説教などをしてこなかったか、ということになります。

 さすがに、直接、「神山と金澤の交際を素直に祝福しろよ」とか言ってくる人間はいませんでした。ガサツな体育会系の稲生のような男でさえも、そこまで無神経ではありませんでした。

 一応、少しは気を使ってくれていたようなところもあったようにも思います。小さな声で、「神山と金澤が○✕・・・」と話しているのは聞きましたが、少なくとも、私の前でおおっぴらに、神山と金澤の二人を囃し立てるようなことはなかったと思います。

 だから、彼らを無理やり私の「敵」と考えようとすれば、どうしても被害妄想的な思考が入ってきてしまうのですが、このとき、私の頭の中にあったのは、当時私が一番の友達だと思っていた関口の、

「自分が恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」

 という言葉でした。

 私は今ではこの言葉、関口が真剣な気持ちで言ったわけではなかったと思っているのですが、当時はやっぱり、何となく、「それが世論なのかなぁ」という気も少しはありました。

 冗談で放ったつもりでも、軽い気持ちで言ったつもりでも、言葉というのは生きているものです(私自身、気をつけなくちゃいけないと思いますが)。この時期私は、関口だけではなく、クラス全体から、「お前も男だったら、神山と金澤を素直に祝福しろよ」と言われているかのような「同調圧力」みたいなものを、なんとなく、肌身で感じていました。

 また、当時、私が関口と同じくらい信頼していた人物でありながら、神山と金澤の交際が発覚した件をきっかけとして、逆に疑いの目で見ざるを得なくなってしまった人物がいました。

 「野村」です。

 こんな結末を迎えるなら、野村は私に、励ましの電話などしなかった方が良かったと思います。

 野村は金澤と、特に親しい関係にありました。一年の最初のころ、彼らは「福山」「中尾」らと一緒につるんで、私のことをよく小馬鹿にしていました。野村や金澤の中ではなかったことになっていたのかもしれませんが、私はそのことを、まだよく覚えています。二年生になっても、彼らの仲は相変わらずで、たぶん野村の中での優先度は、金澤>津島だったと思います。

 だから当時の私は、こう考えました。

「野村は金澤が神山と付き合っても気まずくならないようにするために、津島をキレイごとで丸め込もうとしただけではないか?」

 ひねくれた見方と思われる方もいるかもしれませんが、私の中で、「落ち込んでいる津島を励ます」と、「金澤と神山の交際を祝福する」という二つの行為が、どうしても相容れないのです。だって、私が落ち込んでいる原因は神山のことであり、野村はそれを良く知っているのですから。にも拘わらず、二つの行為を同時にやってのけることに何の矛盾も感じない野村の脳みそは、どんだけご都合主義にできているんだ?と思ってしまうのです。

 矛盾した行為を平然とやってのけられるのは、「裏」があったからだ――。当時の私はそのように考え、野村に対しての信頼を完全に失ってしまったわけですが、関口に対する穿った見方が消えたように、今は別の考えがあります。

 野村のやったことは、何もかもすべて「100%の善意」だった。結局、野村の目には、「楽しいこと」「きれいなこと」「明るいこと」「前向きなこと」しか見えてなかったんだ・・・ということです。

 落ち込んでいる友人を励ますのは、「きれいなこと」「前向きなこと」です。だからそれは全力でやる。

 一方、経緯がどうあれ交際に至った友人を祝福するのは、「楽しいこと」「明るいこと」です。だからそれも全力でやる。

 一種の宗教みたいなものなのでしょう。野村のような、「前向き教の前向き族」にとっては、「楽しいこと」「きれいなこと」「明るいこと」「前向きなこと」を全力でするだけが大事なのであって、「津島を励ます」のと、「神山と金澤の交際を祝福する」ことを同時にやってのける矛盾は、まったく見えていなかったのです。

 矛盾というなら、そもそも「神山を最初バカにしていた金澤」が、いつの間にか神山と平気で付き合っていること自体が、私にしてみれば大いなる矛盾です。金澤は神山のことを、最初はバカにしていたにも関わらず、奴らは自分たちを、出会うべくして出会った理想のカップルのように装い、周囲もまた、結ばれるべくして結ばれたベストカップルのように祝福している。「他人事」ならまた違ったのでしょうが、「当事者」として、私はこの構図に、とてつもない気持ちの悪さを感じていました。

 私がこのとき突きつけられたのは、どうも私という人間は、「矛盾」に対する抵抗が人よりも弱い、ある意味、潔癖すぎるところがある人間だという事実でした。

 動物愛護を唱えながら、人間の都合で異常に品種改良されたブロイラーの肉を平気で口にする。

 環境保護を唱えながら、一日何キロものゴミを出す。

 遠くの国で苦しんでいる人を心配しながら、自分の会社の部下をイジメている。

 世の中は、あらゆる矛盾の元に成り立っています。矛盾を平気で受け入れられるヤツ、矛盾を平気で見て見ぬフリをできるヤツが、社会に適応できるヤツです。

 現代社会に適応するために、人は矛盾に適応していかなければならない。「臭いモノに蓋をして」、前だけを見て進まなければならない。たとえ「当事者」であっても――。
 
 ここは偽善の国――。

 本音なんてどうだっていい。そいつの本性なんてどうだっていい。上っ面だけ良ければ、それで十分。腹の中で何考えてようが、目に見える部分だけ良ければ、それでいい。

 他人の「楽しいところ」「きれいなところ」「明るいところ」「前向きなところ」だけを見る。「楽しいアイツ」「きれいなアイツ」「明るいアイツ」「前向きなアイツ」だけが友達なのであって、「本当は寂しいアイツ」「本当は汚れたアイツ」「本当は根暗なアイツ」「本当は後ろ向きなアイツ」には目もくれず、黙殺する。「本当は寂しいところ」「本当は汚れたところ」「本当は根暗なところ」「本当は後ろ向きなところ」を見せた瞬間、そいつは友達でもなんでもなくなる。

 性格が良いか悪いかなんて関係ない。「良いヤツ」とは、「醜い本性を隠すのがうまいヤツ」のこと。「悪」とは、社会不適応のこと。悪は神山じゃない、悪は君だ。全部君が悪い。

 君の居場所は、ここにはないよ。

 私が神山たちから突きつけられていると感じていたメッセージは、そういうこと――いや、それよりも、もっとタチが悪いものでした。

 彼らは、けして私を拒絶などしていなかった。それこそが、私がもっとも耐えがたい屈辱でした。

 彼らに言われるまでもなく、この「偽善の国」に、私の居場所はないのだと思います。変化の早い現代社会で、悩んでいる暇なんてない――悩むこと、立ち止まることは悪である。深く考えることは悪である。強い感情を抱くことは悪である。社会の発展ということを考えるなら、正しいのは私ではなく、彼らなのだと思います。

 わかった上で、私は彼らの仲間に入ることを拒絶します。「矛盾」に対する抵抗が極めて弱い私には、そんな生き方はしようと思ってもできないからです。私が間違っていると言われるなら、正義そのものが私の敵ということになります。正義を敵に回しても、私が神山と手を握ることなどはあり得ません。

 それだけの覚悟を決めている私にとって一番の苦痛は、間もなくに迫った卒業式で、みんなの晴れ晴れしい門出を祝う会場において、神山たちから、「津島もこれで幸せだ――」などと思われてしまうことでした。

 卒業式というと妙に大団円というか、無理やりにでもハッピーエンドにしようとするような演出を、誰しも想像すると思います。昔の中学校で、卒業生のお礼参りを防ぐためにああいう演出をするようになったのがキッカケという説もありますが、あの一種暴力的とも思える「幸せの押し売り」が間もなく迫っているという事実が、当時の私には怖くて怖くてたまりませんでした。

 情報クラスでは、卒業式の後に、みんなで居酒屋に繰り出してどんちゃん騒ぎをするというのが恒例になっているという話を、私は講師から聞いていました。

 「幸せの押し売り」の雰囲気の中、神山と金澤も抑制が利かなくなって人前でイチャイチャしはじめ、野村たちがそれを囃して立てる・・・。結婚はいつするの?とか聞いちゃう・・・。一人ちびちびと酒を飲んでいる私のところに関口がやってきて、「津島さん。自分が恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿ですよ」とか言っちゃう・・・。私も新生活に向けて、夢と希望に満ち溢れているだろう、と勝手に思っている神山と金澤が二人手をつなぎながらやってきて、「津島くんも頑張ってね」とか言って、握手を迫ってきちゃう・・・・。

 「本当は幸せじゃない」私を、「無理やり幸せだったことにしようとする」――彼らの「偽善の国」に取り込まれることへの恐怖。私が私ではなくなる・・・私を殺される。神山を取られないかという妄想でもなく、飯を食えなくなって死にかけたことでもなく、それこそが、私が学校生活で味わった、最大最強の精神的な苦痛でした。

 二学期の終わりまでは気力で頑張れたのですが、冬休みを挟んでしまったことで気持ちが途切れてしまい、私はもう、立ち上がることはできなくなってしまいました。ドグマチールが効き過ぎたせいで正月太りしてしまったこともあります。こんな容姿を見られたら、ますます「津島もこれで幸せだ」と思われてしまう・・・・。
 
 「偽善の国」に取り込まれないために――。私は三学期の授業を全休し、卒業式にも出席しないことを決断しました。
 

犯罪者名鑑 宅間守 9


たくまあ


 大阪池田小事件


 2001年6月8日、朝七時ごろに目を覚ました宅間は、自宅の布団に、火のついたタバコを落としてから家を出ました。以前から大家にちょっとした恨みがあり、その意趣返しに、うまく燃えてくれればいいな、というくらいの軽い気持ちだったそうですが、幸いにも火事にはならず、火は自然に鎮火したようです。

 近所の刃物屋で、凶器となった出刃包丁を購入した宅間は、カーナビに池田小の住所をセットして、「戦場」へと出発しました。車を走らせていく途中、宅間は道を歩く女性を殺害するなどの想像をしながら、「戦闘」に向けて、徐々にテンションを高めていきました。

 そのときにふと思い浮かんだのは、「よく考えると僕死んどったんじゃないか。たまたま助かっただけやないか、と思ったのを覚えているんです。飛び降りたときに。あの時死んどったんや。おまけの人生やないか、と」という考えでした。

 「自分は一度死んだ人間なのだから、何をやってもええんや」、という理屈ですが、他にも、「一度死んだ人間が、自分の人生をそんなに大切に考えるのはあほらしい」「自分が命を粗末にしているのだから、他人の命も粗末にしていい」、という風にも考えられ、宅間にとっては、犯行を正当化するに十分な理屈になりました。

 私も一時、自殺という選択を真剣に考え、自分の身体を破壊しようとした経験のある者として、宅間のこの考えを、一概に「身勝手」と切って捨てられないところがあります。事件を起こして逮捕された後、宅間の元には、「そんなに死にたいなら、勝手に自殺していればいいだろ!」という声が多数届いたことでしょうが、宅間にしてみれば、「ワシだって死のうとした」という話だったでしょう。「もう一度飛べよ」とは、私にはとても言えません。

 犯行に一切の躊躇がなくなった宅間は、包丁が二本入ったビニール袋をぶら下げながら、大阪池田小の校門を潜りました。途中、教員の一人とすれ違いましたが、父兄だと思われたのか、軽く会釈をされただけで、怪しまれることもなく、宅間はそのままノシノシと歩きながら、校舎へと向かいました。

 宅間はできるだけ多くの命を奪うために、逃げ足の遅い低学年を襲うことを、最初から決めていました。宅間が用務員を務めた小学校では、低学年の教室は二階にあったそうですが、大阪池田小では、低学年の教室は1階にあり、玄関のように扉もあって、外から簡単に入り込めるような構造になっていたようです。宅間は外から見える教室のうち、たまたま教員が席をはずしていた教室に、土足のまま上がりました。

 父兄や教員の一人が入り込むように、いとも簡単に大阪池田小の校舎に侵入した宅間は、警戒心もなく、フラフラと近づいてきた女児を、さっそく出刃包丁で突き刺しました。

「終わりやな――」

 宅間は逃げ惑う児童、腰を抜かして立てなくなる児童を、次々に刺しまくりました。最初に入った教室の児童がみんな逃げて、数が少なくなると、次は隣の教室に移り、事態が把握できていない児童を、同じように、次々と刺しまくりました。

 宅間は凶行に及んでいるときの自分の感覚を、

「国家の命令で戦争してるような感じ。自分が悪いんと違うて。戦争は国の命令やから、冷静にみんな戦ってるでしょう。ああいう」

 と語っています。また、犯行中は無我夢中で、子供が騒ぐ声など、音が一切聞こえていなかった、とも語っていますが、これは 極度に集中力が高まったアスリートなどによく起こる現象です。とにかく異常な精神状態にいたということでしょう。

 やがて、二つ目の教室にいた女性教諭から連絡を受けて駆け付けてきた男性教諭の一人によって、宅間は取り押さえられました。そのときは悔しいというよりも、もう疲れたし、ずいぶん殺したからこんなもんでええやろうと、達成感のような気持ちが強かったといいます。

「あー、しんど」

 現場で最後にこう呟いた宅間は、通報を受けた警察によって現行犯逮捕、警察署へと連行され、史上まれにみる惨劇は幕を閉じました。

 死者は女子児童7人、男子児童1人、計8人に及びました。

タックマン


 
 宅間守名言集


 大阪拘置所へと移送され、被告人の身分となった宅間は、法廷で遺族を侮辱する発言や、あくび、貧乏ゆすりなど、反省の見えない態度を取り続け、一審で死刑が決まると、弁護団の控訴を自ら取り下げて、早々に死刑が決まりました。

 拘置所での宅間は比較的穏やかな毎日を過ごしたようで、七十五キロだった体重も八十キロまで増えていました。精神鑑定などにも積極的に応じ、笑顔もみせていたそうです。シャバでの悩み、煩いごとから解放され、一日三食、決まった時間に出てくる生活は、宅間にとって、案外快適だったのかもしれません。山地のケースなどもそうですが、「自由」を与えられることが、必ずしも本人にとって幸せとは限らないこともあります。

 父、武士もそうでしたが、宅間という男の言い回しは独特の味があり、言葉のチョイスなどもセンスがあって頭に残りやすく、非常に「聞かせる」催眠的な磁力があるように思います。それが社会正義として見たときに正しいかどうかはともかく、本人が自分の生き方を正当化する理屈には一応なっており、私は宅間という男は、少なくともけしてバカではなかったと思います。

 最後に、宅間が裁判所や拘置所で放った発言の中から、特に印象深いものを紹介して、波乱に満ちた怪物の「物語」を完結させたいと思います。




次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。
そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも安定した職でもあり、
ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いをしながらも生きて、
むしろ普通の人間よりも死なないように、バイクの乗るのをやめたり、
他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのではないかな。

しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、早くおさらばしたい気持ちで一杯です。
今度生まれてきたら、金持ちのボンボンで、中の上の知能で3流私立医大へ行き、内科医になって、
トラブルで殺されたりしないよう気をつけて、ベッピンの女とセックスをしまくりたい。
まあ今生でもセックスはしまくったが・・・・・・

年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」という人がいるとは思うが、
そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。あんまりワシに憎まれ口を叩くな。
人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、
人間なんか、いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。


これでよかったのだ。これで、私は、生まれて来たのが間違いだったのだ。
しかし、宝くじ3億当たっとたら、今回のブスブス事件は起こしてないよ。
やはり金なのかな、イライラカリカリしていても、温泉につかり、マッサージされて、
美人に酌でもしてもらったら少しはおだやかになれるだろう。
やはり、皆が言うように金だな、世の中は金、世の中は金。金があれば美人の嫁も買える。

犯罪者諸君は思っているのでないか、「宅間はバカだな、あんな事するんだったら、大口のタタキ5回出来るぜ」と、
しかし、強盗君よ、「おまえらとワシは価値観が違うのだ、成功すれば一億失敗すれば10年、ワシはそのリスクは困ります」

話変わりますが、あんな親から出来ていたら、こうなりまっせと言いたい。
ワシが悪いんじゃない、全て親が悪いのだ。その親の家のガラスが一枚も割れていないとは、ワシには理解できません。
ジロジロ見る奴、わざとイヤキチする奴、もううんざりです。

遺族は、国から7500万もらってホクホクですな。よろしいな、
自分の子供に保険金かけて、殺す親もいるのだから、転り込んだ7500万円よろしいな、もうワシは後、確定するだけです、

人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪くなり、
現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。湯川なんとやらという歌手の歌で
「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、50やったら人生の7分か8分か過ぎているではないか、
100まで生きる人間もいるが、60から感性も体力もよぼよぼで、
70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、臭い口臭をハーハーやりながら老害をまきちらして生きているだけではないか、

追伸
人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。


 非常に言いたいことがわかりやすく、内容はともかく、簡潔で明瞭ないい文章だと思います。酒鬼薔薇よりはよっぽど読ませる力がある。

 シャバにいるヤツ(数十人)への恨みとありますが、これが本当だとしたら、やっぱり「無差別大量」しかなかったのかな、という気はします。

 例えば恨みのある対象が一人だったとすれば、ただ単にそいつを殺せば済む話です。

 複数いたとしても、そいつらがまったく同じ集団に属していたとしたら、皆殺しにするのも比較的容易であるし、それが無理でも、「代表者」を一人殺すだけで、アイツが死んだのはお前のせいだという形でダメージを与えることができる。

 ところが、恨む対象が複数いて、それぞれは縁もゆかりもないというときには、皆殺しにするのはまず不可能で、「代表者」を殺害して、全員に罪悪感というダメージを与えるのも難しい。たとえば恨みのある父を殺害したとしても、まったく別の集団に属して、関係のない三番目の妻などは痛くも痒くもなく、「私関係なーい」で終わってしまう。

 私もちょっと真剣に考えてみたのですが、それぞれ別の集団に所属する複数の人間に「罪悪感」というダメージを与えるためには、無差別に、それもできるだけ社会的に弱い存在を殺して、「これはアイツらのせいだったんや」と後でコメントをする、という方法しかないようです。

 宅間は手記では「やっぱり父や三番目の妻を殺していればよかったかな」と後悔を見せており、「父と三番目の妻以外への恨みはない」と語っている資料もありますが、やはり宅間という男が人生をケジメをつける手段は、「無差別大量」しかなかったのかな、と思います。


コラッ雑民、コラッ二、三流大学出、コラッ下級公務員

コラッ大工、コラッ左官屋、コラッ職工、コラッ運転手

コラッ貧乏人、コラッ、ブスの嫁はんとオメコしている奴、

コラッ、ホームレス、コラッ借家住まい、コラッ団地

コラッ、マイホームやけどローンにあえいでいる奴、

コラッ自衛隊、コラッ二、三流職人、コラッ散髪屋

コラッコック・板前、コラッーコラッ雑民たちよ、

ワシを下げすむな、ワシをアホにするな

おまえらに言われたない、おまえらに思われたない、
お前らの人生よりワシの方が勝ちや。

処女と20人以上やった事、おまえらにあるか?

ホテトル嬢50人以上とケツの穴セックス、
おまえらやった事あるか?医者のねるとんパーティーに行って、
ベッピンの女、数人とオメコやった事、おまえらにあるか?
複数回、再婚やのに初婚とだまして結婚した事おまえらにあるか?
歩いている女、スパッとナイフで顔を切って逃げた事あるか?
ワシは全部、全部、おまえら雑民の二生分も三生分も
いやそれ以上の思いも、事もやったのや。おまえら雑民の
人生なんかやるより、大量殺人やって、死刑になる方がええんや。

コラッ ホームレス おまえら、何にしがみついているんや。
おまえらは、動物や。

ただ、死ぬのをびびって、生き長らえている動物や。
人間のプライドが、少しでもあるのやったら、無差別なり、又、
昔、不愉快な思いをさせた奴にケジメをつけて、懲役なり、死刑なりに、
ならんかい。ウジウジウジウジ、生ゴミ喰うてるのか。
何を喰うているのか、知らんが、おまえらは、動物や。

無差別に殺すまでは、せんでいい。
女の顔をスパッとナイフで切ってみろ、殺すより顔を切られる方が、
女によったら、ダメージが、あるし、殺したら、家族に金が入るけど、
顔を切っても金は、入らん。

顔を切れ 顔を切れ 顔を切れ 顔を切れ

 
 私が宅間の名言の中でもっとも好きなのが、この言葉です。

 私のサイトにも「説教厨」が多数出現しましたが、彼らが言っていることは、全部、「みんな辛くても我慢してるんだから、お前も我慢しろ!」ということでしかありませんでした。

 自分が上にあがる努力をするわけでもなく、どこかに助けを求めに行くわけでもなく、ただ単に「辛い現状を我慢している」なんてことは、自慢になるようなことでも何でもありません。どっちかと言えば「能無し」がやることです。それは本人も良く分かっていることで、結局、悪いことをしたヤツとか、愚痴を呟いているヤツを見つけて説教をし、自分の下位に置くことで、心の均衡を図ろうとしている。

 本当にさもしい、蛆虫みたいな惨めな奴らです。そんな奴らにグダグダ言われるほどは、宅間も落ちぶれた男ではないと思います。

 金もなく、女もできず、孤独のまま爺さんになるよりは、宅間のように、散々好き放題やって死んでいった方が勝ちではないかと、私も思います。そういう風に思わせる社会が悪いのです。

宅間被告、口笛を吹きながら入廷する
   ・・・どよめく法廷、
  裁判長 「静粛に!、被告は法廷では口笛を吹いてはいけません」
  宅間  「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、、ひまなヤツらがようけ来て、、、あほやのお~」
  裁判長 「被告は許可があるまで、みだりに喋ってはいけません。わかりましたか?」
  宅間  「おう、座っちゃあかんか?」    
  裁判長 「立って聞いていなさい」
  裁判長 「判決の前に、被告は何か言いたい事はありますか?」
  宅間  「えー、発言してもよろしいか?・・・なら話すわ。まあ、まだ判決はでとらんのやけども、 もうすぐ出るし、わかっとる事やから、最初に言うとく。 どうも死刑にしてくれてありがとう!、裁判長さん。 感謝するわ!わし、もうはよう、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」

 ・・・どよめく室内。「宅間ああ~、はよう、死ね!」「独りで死ね」等の怒号が飛び交う・・・
  混乱する法廷。怒号は収まらない

宅間 「おまえらに言われたない、お前らの人生よりワシの方が勝ちや」
  さらに混乱する法廷、怒号は収まらない
  宅間 「いわせてーな!」
裁判長 「静粛に!・・・被告は裁判を誹謗しないよにしてください。これ以上、不穏当な発言を続ければ
 退廷させます。いいですね」
宅間 「今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出たほんまの気持ち。
 わかってもらわんでもええ。言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!」
 ・・・混乱収まり、一瞬、どよめく室内。まさか?謝罪するのか?との期待感・・・
宅間 「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。
 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!
 でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
  ・・・再びどよめく法廷内、怒号が飛び交う「宅間、しねええ」


宅間「あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことびびってないで。
遺族にはなにもできへんし最高や!、世の中どんなに金かけてもワシに一瞬に
して殺されれば勝ちも負けもあらへん!。世の中は公平やない!。わしは世の
中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来
に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺
される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃう
ぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かっ
てよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生
きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。ワシを悩ませた糞親に
も嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへん
な!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ぶすぶす事件は、ほんま!、おもろ
い!、ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」

・・・遺族は泣きながら退場者もでる。
裁判長 「被告は不穏当な発言を控えなさい!」
かまわず宅間は暴言を吐き続ける。
宅間  「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、
ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、
後悔もない!。しょうもない貧乏たれの人生やったら今回のこのパターンの方
がよかったんや。あるんは自分への後悔だけや!。なんで、幼稚園にせんかっ
たんやろ?、幼稚園ならもっと殺せたと今でもこんなんことばかり考えてしま
うんや、なんで、ダンプにせんかったんやろ、その方が数もいけた!。親父を
殺しておればもっと違う人生があったかもしれん、○○(元妻)の顔をあの
時、ズタズタにしてやればよかった。何でせえへんかったんやろと今でも、ほ
んま、後悔しとる。まあ、いずれにせよ、こんなひどい人生に終止符を打てら
れて、ほんま、幸せや!。死刑は、はようにしてな!、そや、裁判長、死ぬ前
日はうまいもんでも食いたいが、ワシ、うまいもん、食べれるやろうか!」
   ・・・混乱を極める室内。裁判長が退廷を命じる・・・

   宅間(引きづられなから) 
   「おい、こらっ、なにするんじゃ、離せ!、喋りよう途中じゃ、おい
    コラァ!!くそガキの親ども!○○××△△◇◇!(実際は被害者4    
    人の親の名前を連呼)、おまえらは、ほんなに偉いんか?、
    おまえらは、7500万円、もらってホクホクやな!。よろしいな。
    転がり込んだ7500万円よろしいな!。
    そやけど、おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの
    程度の価値やったんやぞ!
    エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!ガキどもが死
    んだ原因はおまえらあるんやぞーー!、せいぜい一生反省せいよ!、
    あの世でもおまえらの子供、追いかけ回して、しばき倒したるから
    な!
    あははははは!あははは!、こらおもろい、!こら、傑作や。」

  ・・・どよめく室内。 退廷・・・

(廊下から小さく)
  宅間 「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人 
      の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」


 2ちゃんねるなどでは、「煽りスキル高すぎ」という書き込みもみられましたが、まったくその通りだと思います。幾つかの言葉は、拘置所の独房の中であらかじめ考えてきたのだとしても、法廷という舞台でこれだけ口の回る男はそういないでしょう。一流の脚本家が頭を捻って考えても、これ以上に人を地獄に突き落とすセリフを果たして生み出せるでしょうか?遺族にしてみたらたまったものではありません。自分の遺族の裁判だとしても、下手に裁判所まで見に行くのも考え物です。

 本当に私個人には遺族を愚弄する考えはまったくないのですが、紛れもない事実として、今から4年ほど前、宅間と同様に鬱のどん底にあり、食欲もなくなって死の寸前にあったとき、私に生きる力を与えたのは、「キレイごと」や、「温かい励ましの言葉」や、「説教」ではなく、宅間のような「悪の権化」が吐く、人を自殺に追いやるような強烈な言葉でした。宅間の言葉が、当時死にかけていた私の心に、砂漠の砂に水が染み込むように、瑞々しく入り込み、私に生きる力を与えてくれたのです。

 「バトルロイヤル」の連載当初、「宅間ファン」を名乗る女の子がよくコメントをくれていたのですが、閲覧数が伸び悩み、私が愚痴めいたことを書くと、「そんなことでプロとしてやっていけると思うのですか!」「右肩上がりにうまく行くと思ってるんですか!」「愚痴を吐かず、弱音を吐かず、書き続けてください!」とか、ありきたりな言葉で叱咤激励されて、なんかすごく残念な気持ちになったのを覚えています(その方はもうずっとコメントを書きにきてくれません。だから紹介した)。「それ宅間に言ったら激昂するか撃沈するだけだろう」と・・・(笑)

 やっぱり、同じ思いを共有した者にしかわからないんでしょう。どれだけ資料を読もうが、ファンを名乗ろうが、「あっち側」を覗いたことがない人間には、宅間のことを本当に理解することはできないんだと思います。

 一度死にかけて、恨みのあるヤツを八つ裂きにして殺したいと思った人間――宅間は何というか知りませんが、私は彼を「命の恩人」だと思っていますし、「絶望友達」だと思っています。

 ここまで書いて冥福を祈るというのも白々しいですが、本当に被害者や遺族を侮辱するつもりはありません。 しかし・・・。宅間の行為を「称賛」するわけではないのですが、気持ちはわかりますし、彼が一時期の私に生きる力をくれたのは紛れもない事実なのです。勝手ですが、「それはそれ。これはこれ」という風に考えさせていただいて、宅間についてこういう風に書く人間が、世の中に一人くらいいてもいいんじゃないかという思いで、このような文章を書き残させていただきます。

たくくま


 
 最期

 最期まで遺族を愚弄し続けた宅間は、死刑確定から僅か一年というスピードで、刑が執行されました。

 宅間には獄中結婚した女性がいました。死刑囚が獄中結婚するのは、家族という立場で、面会をしやすくする目的がある場合も多いそうですが、宅間と結婚した女性は、宅間を一人の男性として愛し、本当に宅間のためになりたいと思って、彼に結婚を申し込んでくれたそうです。

 世間は女性に対し、「自己満足」とか、「偽善者」などと心無い言葉を浴びせましたが、「人のためになりたい、救いたい」という尊い気持ちを、こういう言葉で汚してしまうのはよくないと思います。それこそ、口でワアワア言うだけで、遺族のために何もしない連中の方が「偽善者」なのではないか?そういう世間の言葉にめげて、中途半端に終わったりするようであれば、彼女も偽善者といえたかもしれませんが、獄中妻は足しげく宅間の面会に通い、物資などでの支援を最後まで責任をもって続けました。

 宅間も「キレイごと」ではなく、批判を承知で、本気で自分の世話を焼いてくれた女性だからこそ、心を開いたのでしょう。宅間は最期に、大好きなタバコとリンゴジュースを味わうと、「妻にありがとうと伝えておいてください」という言葉を残し、絞首台の露と消えました。享年40。


 総括: 

 加藤と並び、私がもっとも思い入れのある犯罪者についての文章を最後まで書くことができました。

 まさしく悪の権化という言葉が相応しい男で、脳の前頭葉に欠陥があったことがわかっており、この男の矯正は、何をどうあがいても無理だったのかもしれません。

 しかし、コメント欄で度々申し述べていることですが、「近親相姦」の一件がなかったらどうだったかな、ということは、やはり思わずにはいられません。この件自体、真偽のほどが定かではないので、確かなことは言えないのですが、この件が宅間が犯した過ちの中でもっとも致命的なものだったのではないかと。これによって、宅間の中で「何でもアリ」になってしまって、自制が効かなくなり、せっかくのチャンスも生かせなかったのかなあという考えはあります。

 欠けたパズルのピースを補うように、ちょっとした何かが噛みあっていれば、宅間のような男でも、まっとうに生きる道はあったのではないか、と信じたいです。

犯罪者名鑑 宅間守 8




たく0あ
あさd無題


 しんどい


 小学校の用務員時代に起こした薬物混入事件により、人生最大のチャンスといえた公務員の職を失ってしまった宅間は、これで何もかも燃え尽きてしまったようです。

 読者さんからのご意見にもありましたが、宅間のエピソードを見ていると、あれほどブチ切れて、大暴れして、女ともヤリまくって、随分タフな男だな、という印象を持つ方もいると思います。

 「血と骨」の主人公、金俊平のように、世の中には超人的な体力を持ち、若いころから暴れまくり、女とヤリまくりでも、爺さんになって死ぬまで元気でいられるという人もいるのかもしれませんが、どうも、宅間の場合はタフというより、感情の赴くまま、とりあえずグワーーッと暴れて、後で我に返ったときにグターーッとダウンしていただけだったようです。

 金俊平はウジ虫の漬け物を食べたりなど、健康面にかなり気を遣っていたようですが、宅間は一日八十本はタバコを吸うヘビースモーカーで、飲んでいる薬の影響もあったのか、事件のあった平成13年ごろにはめっきり食欲が落ちて、一日バナナ一本や、カロリーメイト一箱だけで済ませるような状態でした。

 無理をしすぎたしわ寄せが、37歳、まもなく人生の折り返し地点に差し掛かるという年齢で、ドッと襲い掛かってきたようです。公務員の職を失ってからの宅間は抜け殻のようになってしまい、仕事も長続きせず(若い頃もそうですが)、あれほどあった性欲も枯れ果てて、お見合いパーティに出ることもなくなり、自分の家に泊まっていった女性と行為に及べない体たらくを晒したりもしていました。

 それでも、時々は元気になるときもありました。事件が起きた平成13年の二月か三月には、当時飲んでいた精神安定剤の影響か、宅間は「物事を合理的に考えられるようになり、勉強に適した頭になってきた」ようで、突然、難関の司法書士試験を受けようと思い立ち、父親に五十万円ものお金を出してもらって、専門学校の社会人講座に通い始めました。

 得意の「希望的観測」であり、こんな適当な思いつきで始めたことが、うまく行くはずもありません。案の定というべきか、授業にはまったくついていけず、四月には宅建に切り替え、五月の終わりごろには、宅建も諦めてしまったようです。

 これでますます絶望的になった宅間は、仕事もせず、部屋にこもりがちの生活を送るようになってしまいました。テレビもつけず、ロクに食事もとらないまま、家でゴロゴロしていた宅間の頭に浮かんでいたのは、恨みのある人間を殺害して自分も死に、今生に別れを告げる妄想だけでした。

 苦しい状態にある宅間は、それでもしばらくは、二番目の妻、パーティで知り合ったスナックのママ、市バスの運転手時代の同僚などに連絡を取り、食料の援助などをしてもらっていました。宅間にも親しい人物はいたということですが、彼らとの交友関係は、宅間にとっては歯止めとまではなりませんでした。

 宅間の家族についてですが、宅間と近親相姦があった疑惑のある母親は、10年前から精神を病んでおり、ずっと父、武士が介護をしてきましたが、宅間が事件を起こす前年から、とうとう入院をしていました。7歳上の兄は、この前年に事業に失敗して、自ら頸動脈を切って自殺。シャバに残されていたのは、父、武士と、守の二人だけという状態でした。

 結局、宅間は、最後に実の父親、武士に、金の無心を頼んで断れられたところで、人に頼ろうとすることもやめ、世間に対してケジメをつけて、人生を終わらせることだけを考えるようになります。


せーかつほふぉ

 


 生活保護


 事件直前の宅間について、様々な文献をめくっても情報がハッキリとしないのですが、この時期、彼は生活保護を受けていなかったのでしょうか?

 宅間の半生を見るに、彼はよほどの幸運に恵まれなければ、労働者として生きていくことは難しかったように思いますし、それなりの罰も受け、十分に苦しんできたと思います。精神病歴など振り返っても、受給資格は十分にあったと思いますし、事件など起こすよりは、一生保護を受けて暮らさせた方がよかったように思います。

 宅間という男について確実にいえるのは、彼は就労意欲はあった男だということです。あれほど押しの強い男ならば、ゴネ得でもなんでも生活保護を取りにいってもおかしくないように思いますし、仮に受給資格が微妙でも、女を強姦するエネルギーを全部生活保護を取ることに振り向けていたら何とかなったんじゃないかとも思いますが、彼が生活保護を取りに動いた形跡は一切見えない。何よりも大事にしていた公務員の職を失い、上がり目が完全になくなってからですら、何とか働いて金を得ようとしている。

 立派と言っていいのかわかりませんが、成人してから29歳となる現在まで、およそ半分近い期間を、就学も就労もせずに過ごしてきた私などよりも、ある意味、宅間は社会に貢献してきた面もあったともいえると思います。これだけ就労意欲のある人間が、最後に犯罪という形で人生を終えなくてはならないのは、どこか残念に思います。


いけだしょう


 
 
 なぜ、池田小に向かったのか


 宅間が事件の動機として述べているのは、「自分が死から逃れるため」であったということです。
 
 激しい鬱状態にあった宅間が、少し元気を取り戻したのは、人を殺すことを考え始めたときでした。特に恨みのあった三番目の妻を殺害しようと、具体的な計画まで考えると、宅間は食欲が「モリモリー」と湧いてきて、カレーひと皿をペロリと平らげてしまったそうです。

 おそらくこの経験により、元来短絡的な上に、鬱で思考能力も弱まっていた宅間の脳は、「殺人=己の生きる道」というふうな結び付けをしてしまったのでしょう。「このままだと自分の命が危ないから、警察に捕まえてもらいたかった」ということも言っていますが、ようするに、毎年暮れになると、ホームレスがとりあえず雨風をしのいで三食食べるために、わざと万引きなどの軽微な犯罪を起こして警察に捕まろうとするのと同じような動機もあったようです。

 宅間に限らず、犯罪なんかするくらいならなぜ生活保護を受けようとしなかったのか?と思いますが、あるいは「男らしさの病」にかかっていたのでしょうか?生活保護についての情報は結構重要だと思うのですが、私のリサーチ力の限界で、十分なことがわかっていません。

 事件の前日、所有していた中古車の支払いの件で業者と話しをした宅間は、その帰りに、自宅アパートの隣の家のおばさんが、しゃがんで花に水をあげているところを見て、「殺したいなあ」とふと思い、それで完全にスイッチが入ってしまいました。自分の部屋に戻った宅間は、もう明日やろうと決断し、ターゲットの選定に移りました。

 パッと思いついたのは、宅間の人生にもっとも大きな影響を与えた父親と、宅間がもっとも執着した、三番目の妻のことでした。後に宅間は、獄中で、やはり恨みのある父親と元妻を殺しておけばよかったかな、と、後悔の言葉を口にしているのですが、このときの宅間は鬱状態で、衰弱の極致にあり、大人を確実に殺せるほどのエネルギーはどうやっても湧いてこなかったのでしょう。宅間は自分が警察に捕まるため、死から逃れるために、今の弱った自分でも確実に殺せる子供に刃を向けることを思い立ってしまいました。

 子供を殺すという選択肢の中で、大阪池田小を狙うことを決めた理由は、単に、宅間が当時住んでいた池田市の中で知っていた小学校が池田小しかなかった(加藤が秋葉原を選んだ理由とよく似ている)からでしたが、一度決断すると、後付けのように色々な理由が思い浮かんでいきます。

 国立の池田小に通っている子供は将来のエリート予備軍である。エリート予備軍を殺すのはエリートを殺すのと同じことであり、自分を虐げてきたこの社会に復讐することができる。家が安定した裕福な子供でも、自分のような将来の展望もないオッサンに5分か10分で殺されることもあるという不条理を世の中にわからせたかった。世の中、勉強だけちゃうぞと一撃を与えたかった。恨みのある父親と三番目の妻に対しても、自分が事件を起こして、多数の被害者が出ることで、罪悪感というダメージを負わせることができる・・・・。

 宅間が大阪池田小を選んだきっかけは、単に「近所で知ってる学校がそこくらいしかなかった」程度のものでしたが、後付けでもこれだけの理由が浮かんでくるということは、宅間にとって、やはり大阪池田小は「定めの地」だったのでしょう。

 考えれば考えるほど、宅間の中で、大阪池田小襲撃は素晴らしいアイデアのように思え、宅間の決意は揺るぎないものになっていきました。

偽善の国のアリス 13


 6月の半ばで「応用情報試験」の勉強が終わり、私は就職活動に専念することになりました。

 最初は本当に頑張ろうと思っていました。「野村」から励ましの電話をもらったことで自己肯定感を取り戻し、初心に返って、就職という目標に向かって突き進んでいこうと思っていたのですが、その決意はもう、最初の三日、四日で砕けていました。私は神山への執着を、どうしても断ち切ることはできなかったのです。夏休み期間、神山と顔を合わせていない間は平和が訪れていましたが、2学期に入ると、また「地獄」が始まってしまいました。

 二学期に入ったころの私は、メンタルクリニックから処方される精神安定剤や、夏休み中に神山と会わなかったお陰で食欲を取り戻していたのですが、私の苦しみは、まさに「食べられる」ことから起こっていました。

 身体が食物を求め始めたといっても、私の「食べたくない」という気持ちが変わったわけではありません。

「あんな汚い顔のヤツが、ごはんを食べて身体を作ろうとしている、生きようとしている。キモチワルイ」

 神山からそう見られていると思うと、神山がいる空間では、相変わらず箸が進まないどころか、食べ物を机の上に出す気すらしないのですが、空腹感は強烈にあるため、家に帰ってからは、普通に食べることになります。食べれば当然、萎んでいた身体は元通りになるわけで、見た目が変化すれば、神山の前で食べていなくても、私がちゃんと食べていることはわかってしまう。

 神山から、「汚い顔のくせにごはん食べてる~」などと思われるくらいなら、食べられず痩せこけていく方が、まだマシでした。この時期の私は、口に物を詰め込むごとに、涙を流していました。食べること、痩せこけていた身体に肉がついていくことは、耐えがたい苦痛でした。

 ちなみに、2年生の2学期からは、また担任講師の交代がありました。3人目の担任講師ということになります。1人目、2人目の講師からは、私はどちらかといえば好かれていた方だと思うのですが、この時期は、学習や就職活動に意欲をなくしていたため、3人目の講師からは、度々みんなの前で、大声で叱責されるなどしており(就職できなくて困るのは私だけであって、誰に迷惑かけてるわけでもないのに、人前で怒鳴られるってのも若干意味わかりませんが)、嫌われるまではいってなかったなかったでしょうが、困った生徒だとみられていたと思います。

 当時の私は、自分が精神的に参っている本当の理由を、周りには言っていませんでした。まあ、神山とのいきさつを知っている人間には全員わかっていたはずですが、わからない人間にまでわかってもらう必要はありません。3人目の担任のような、私と神山の間にあったいきさつをまったく知らない人は、私を「就職できないことで悩んでいる」と思っていたようで、私も特にそれを訂正することはしませんでした。

 私がサイト内で度々触れてきた、「男らしさの病」というものです。女のことで悩む自分を、「カッコ悪い」と思い込み、「就職できないことで悩んでいる」と、よりもっともらしい、周りから同情を買いやすい性質のことで悩んでいると主張する。

 そんなのはただの虚勢であり、やせ我慢にしか過ぎず、本音を押し殺してカッコばっかり気にしていても、状態はますます悪化するだけなのですが、自分自身に素直になれず、中途半端に世間に迎合しようとしていた当時の私は、このような惨めな思考に陥っていました。

 「就職活動で悩んでる」ことになっている私のところには、様々な的外れなアドバイスが飛んできました。その一つが、私の母親から言われたことですが、

「家を出て、牧場かどこかで住み込みで働けば、甘えがなくなって、前向きになるのではないか」

 というものでした。

 私もただ文句を言うだけではなく、実際に見学にも行きました。牧場というと高校時代の修学旅行で行った北海道の牧場のイメージが強く、空気の美味しいのどかな所で、おやつでも食べながらのんびり働くといった感じを想像していたのですが、私が見学に行った西日本の牧場は、生き物相手の仕事だけに夜も昼もなく、毎日悪臭の中で泥だらけになって働く、労働基準法もへったくれもない地獄のような職場でした。

 最初はほのかな期待もあったのですが、実際に見学に行ったうえで、こいつぁ無理だと判断し、以後、住み込みで働くという選択肢は、私の頭からは完全に消え、母親もそれ以来、家を出ろと言ってくることはなくなりました。

 鬱などは甘え病であり、ニートや引きこもりに安定した住環境を与える親も悪い、ニートは追い込め、追い出せ、という意見を、いまだに言い続けている老害もいます。震災で津波が来たときに引きこもりが家から出て、働いて真っ当になったとかいうエピソードをドヤ顔で披露して、悦に耽るような人もいます。戸塚ヨットのようなやり方をいまだに称賛する人もいます。

 うちの母親もそういう世論を真に受けて、プレッシャーを感じた末、私に家を出てみろなどと言い出したようですが、鬱もニートも引きこもりも経験した私に言わせれば、そもそも、そうやって個々人が追い詰められるに至った経緯をまったく無視し、世の中で生きづらさを抱えている人をひと括りにして語ること自体が、完全に間違っていることです。

 確かに、人が厳しい環境に置かれることで前向きになる、人として成長するという例はあると思います。震災以外の例でいえば、戦後、またはがん患者のドラマ、あるいは借金まみれの多重債務から立ち直った人なんかのエピソードがそれです。成功例が華々しく語られているだけで、実際にはうまく行かなかったケースもそれと同じかそれ以上にあるはずですが、まあ、そういう例は確かにあるんだと思います。

 ただし、人を厳しい環境に追い込むことで変えるというのは、いわば「劇薬」です。劇薬は、誰しもに効果があるわけではありません。人それぞれ、体質が合うか合わないかを慎重に見極め、用法、用量を守って飲まなければ、むしろ逆効果になってしまいます。

 肝心なのは、「自分の境遇を納得しているかどうか」です。震災や戦後のように、「苦しいのは周りも同じ」、がん患者のように「誰を恨んでも仕方がない」、あるいは多重債務者のように、「100%自分が悪い」ということなら、人は自分が厳しい環境に置かれているのを納得し、そこからどう這い上がるか、と、前向きな方向に思考を切り替えることができるようになります。

 一方、当時の私はどうだったかといえば、まず、学校に行けば、毎日楽しそうにしている連中がおり、「苦しいのは周りも同じ」ではない。恨む対象は明確におり、客観的にみても、100%自分が悪いとは到底思えない。

 なんであの神山が、実家で家事もせず悠々自適に暮らしながら、冷暖房完備のオフィスでぬくぬくと働いているのに、俺は一人暮らしで毎日死ぬ思いして、泥まみれになって働かないかんのか?

 こういう思いが先に立っている限りは、厳しい生活環境に自ら足を踏み入れることなど納得できません。心の中には鬱屈が溜まるだけで、前向きな気持ちに思考が切り替わることなど到底あり得ません。もしこのとき、テレビの引きこもり特集の番組のように、親から家を強制的に追い出されていたとしたら、私は九分九厘、自殺するか犯罪を起こしていたでしょう。

 また、母親ほどではないにしろ、私が何に対して悩んでいるのか、神山との一件で本当は何があったかをよく理解していない友人「関口(神山さんへの想いを断ち切らないと津島さんはすべてを失いますよと言った友人)」からは、こんなことを言われました。

「自分が恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」

 私と神山との間にあったいきさつをすべて理解している人間なら、まず出てこない言葉です。

 今は消去してしまいましたが、確か、このサイトを開設した当初、私は彼のこの言葉を取り上げて、関口を「偽善者」などと、かなり辛辣にこき下ろす記事を書いたと思います。

 ブログに書くほど怒りを覚えたのは、卒業してから半年以上が経ったころの後、切羽詰まっていた私が、「もう死にたいと思っている」というようなメールを関口に送ったところ、彼が「死ぬなら死ねよ」といったような、突き放すメールを返してきたからです。

 関口は、私を友達だと思っていたわけではなく、私のような病んだ人間と仲良くすることで、「アイツは優しい奴だ」と、周囲にアピールするために私と仲良くしていたのではないか?だから、学校を卒業して、用済みになったら、あっさりと切り捨てたのではないか?

 口ではキレイごとを言いながら、困っている友人をあっさり見捨てるという行為。一時期の私は、かつては一番仲の良い友人であった関口を、神山と神山の男の次ぐらいに憎んでいました。

 今は多少、考えは変わりました。さすがに、周囲にアピールするだけの目的で私と仲良くしていたというのは穿ちすぎで、関口が当時、私に友情を感じてくれていたこと自体は本当だったのだと思います。

 私と関口は、土日などプライベートでもよく遊んでいました。私から誘ったのもあれば、関口が誘ってくれたのもあります。ただ単に周囲へのアピール目的というだけなら、時間とカネを使って、プライベートで遊ぶまではしないでしょう。関口が、一時期は本当に、私のことを友人だと思ってくれていたのは確かだと思います。

 ただ、関口が友達だと思っていたのは、私の「明るい部分、きれいな部分」だけでした。

 関口の、「自分が恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」という発言。この発言、関口が、神山と私の間にあったいきさつを全て知った上で、本気で言っていたとしたら、それこそドン引きするレベルで、こんなことを本気で口にしていながら「死ぬなら死ね」と友人を見捨てたのでは、関口はキレイごとばかりの偽善者だと言われても仕方ないと思いますが、私はこれは、関口が真剣な気持ちで言った言葉ではなかったと思います。

 関口は、ただ単に厄介ごとに巻き込まれたくなかったため、適当なことを言って、私をやり過ごそうとしていたのでしょう。事実、このセリフを聞いた瞬間、私は「ああ、コイツにマジになって話しても無駄だ」、と思って、それきり、卒業後10か月近く経って、本当にどうにもならなくなるときまでは、彼にメンタル面の悩みの相談をするのをやめてしまいました。

 厄介ごとに巻き込まれたくなかった――こんな風に思われている時点で、関口は私にとって、「親友」ではなかったのでしょう。関口は他にも、「津島さんのこと尊敬してますよ」など、よく調子のいいことを言っており、だからこそ私も彼を特に信頼してしまったところもありましたが、これも今から考えると、「尊敬してる、つまりお前を上に見てるんだから、さっさと立ち直れよ。俺に依存してくんなよ」という意味に捉えることもできます。

 調子のいいことばっかり言ってるだけで、私を親友とまで思っているわけではない男を、勝手に親友だとか思って、勝手に信頼して、勝手に助けを求めて、勝手に裏切られたとか思っていた私が悪かっただけだ、と言われれば、返す言葉はありません。

 「津島を親友ではないただの友人だと思って」おり、「明るい津島」が好きであった関口は、私が鬱になったところまでは仲良くし、元気になるように励ましてくれた。しかし、学校を休み始め、卒業後に自殺を仄めかすほどまでに落ち込んでしまっては、もう面倒を見切れなくなり、友情も冷めてしまった。

 関口はただ単に、私にとって親友とまではいえなかっただけで、「偽善者」というのは、彼を信頼しすぎた私の一方的な見方ではなかったか。今では、このように考えています。

 就職活動の結果ですが、私は結局、クラス25人中、一番最後の11月終わりになって、ようやく内定が決まりました。必ずしも早く内定が決まることが偉いわけでもないとはいえ、結果的には、世間は私のことを、社会人としては「クラスで最低」とみていたということになるわけですが、ともかく、来年の進路は決まりました。

 体調の方も、11月の頃にはほぼ、ベスト体重を取り戻していました。私の場合、ドグマチールという薬が非常に体質にあっていたようで、この頃は学校で食べていないということを差し引いても、それこそ中学生のような狂った食欲に襲われて、食べたくない、肉をつけたくないという意志に反して、過食を繰り返すようになっていました。

 就職内定が決まり、体調も戻って、関口のような友人もいる。周囲の人間には表面上、津島もこれで幸せだ、ハッピーエンドに向かっているという風に見えていたのだと思います。

 とんでもありませんでした。むしろ、私の懊悩はこの頃がピークであり、鬱状態は最悪になっていました。 

 関口は、「このまま神山さんへの想いを断ち切れなければ、津島さんはすべてを失うことになりますよ」と、私に忠告してきました。これは要約すると、私がこのままどんどん鬱になって落ち込んでいけば、就職活動もうまく行かないし、友人も離れていく、ということです。

 関口の忠告は、完全に的外れなものでした。私にとって一番大事だったのは、「神山の件で負け犬にならないこと」であって、就職が友人がということは、私にとって二の次三の次でした。

 とはいえ、まさか友人の前で、「お前らのことなんてどうだっていい」というわけにもいきません。また、当時の私は「男らしさの病」にかかってもおり、一番仲の良かった関口に、「厄介ごとに巻き込まれたくない」という態度を取られたこともあって、もう神山のことを、自分の口からは言い出せなくなっていました。

 そのせいもあって、11月ごろになると、どうも、関口以外の、私にとって「親友ではないただの友人たち」も、関口と同じことを考えていたようです。すなわち、津島にとって何より大事なのは就職と友人を失わないことであって、それは何とかなりそうだ。神山のことにはもう執着はないだろう、いい加減吹っ切れただろう――。

「神山に男ができても大丈夫だろう」

 と、この頃には思われていたようです。

 私の本心と、私に対する周囲の認識とのズレが、私と当時のクラスメイトとの関係を、二度と修復できぬものにしてしまいました。

加藤智大 番外編3   説教厨へのレクイエム

 説教厨↓

こかんしみ

 
 加藤智大番外編として、ここまで主に、ネット上の不快なウジ虫「荒らし」についての記事を書いて参りましたが、最終回では、荒らしに勝るとも劣らぬネット上のゴミ虫、「説教厨」という人種について書いていきたいと思います。

 「説教厨」の定義は、作品の評価ではなく、私の人格が問題あるとして、「もっと立派な社会人になれ!好青年になれ!強い男になれ!」とかいった、作品の評価とはまったく関係のない、文章で金を稼ぎたいという私の目標とは何の関係もない、極めて自己満足的なコメントしかしてこない(その多くは名無し、単発である)ことを言ってくる人のことです。

 私はサイト開設以来、散々、「説教厨」のテロに悩まされてきました。地道に叩いてきたり、そもそも説教が来たときは読まずに消すという対応を取ってきた成果もあって、ここ一年ほどはその手の輩が出ることはなくなっていますが、今よりもっと好き勝手に色々なことを書き、また、荒らし的な書き込みにも一々丁寧に応対していたいていた初期の頃は、その手の輩が出るたびに、本当に不快な思いをさせられていました。

 説教厨は所詮バカですから、いつもありきたりなことしか言えません。

 ・弱音を吐くな、愚痴を吐くな、そんなことでプロになれるか!
 ・人気ものになりたいなら、お前が面白いものを書けばいいだけだ!
 ・彼女がいるなら、実家がそこそこ裕福なら幸せと思え!


 毎回、微妙に言い方は変えてくるのですが、結局、彼らが言いたいことは全部、「我慢しろ」ということだけです。いつも言ってくることが同じで、ウンザリするだけだから嫌いだというところもあります。

 「我慢」についての記事も色々書いてきましたが、私は別に、我慢を全否定しているわけではありません。何かしらの希望が見えている状況での我慢はいいが、まったく意義を見いだせないただの「やせ我慢」は、むしろ状況を悪化させるだけで、害毒にしか過ぎないということをずっと言っていました。

 辛い状況が良くなる見通しもないまま、愚痴も吐かずにやれ。全部自己責任だと思って納得しろ。説教厨が言っているのは全部、ただの「やせ我慢」です。説教厨は、意味のある我慢とやせ我慢の区別もつかないタダのアホです。もしくは、「我慢」しか能のない惨めな人生を送っている自分を否定されたくなくて、「我慢」せず向上しようと前向きに活動している人間の足を引っ張ろうとするのです。

 彼女が実家がどうのこうのなんてことは、どんな人間にも与えられる程度の幸せであり、こんな程度の幸せで満足できる人間だったら、そもそも私は、執筆活動=自分の生活を向上させるための努力などしていません。つまり、私が説教厨のいうことを受けいられる人間であれば、そもそも説教厨が「説教できる機会」もなくなってしまうわけですが、説教厨は頭が悪すぎるせいで、そんなこともわからないようです。

 説教厨の中には、それから常連というほどではないものの、ごくたまにコメントをくれるようになってくれた方もいますが、それはごく僅かで、ほとんどの説教厨は、一度説教をしたきり、二度とサイトに書き込んでくることはありませんでした。酷いヤツになると、HNも書きこまずに「名無し」で説教をしてくる。

 考えられますか?「名無し」で説教です。名前も生年月日も顔写真も出して堂々と活動している人間に、「名無し」で説教してくるのです。どれだけ卑怯で、まったく説得力がない行為であるかはわかると思います。

 私がいらないと言ってる説教はするけど、私が欲しい通常の感想コメントはしない。説教でしか人とコミュニケーションをとることができない人間のくせに、本当は自分に自信がないから、名指しで悪く言われる勇気がないから、深く突っ込まれたらこまるから、自分の名は明かさない。一体どういう生き方をしてきたヤツなんだろう?と、心底疑問に思います。

 また、こちらは現実の話ですが、サイト運営中に勤めた派遣先では、私の仕事の覚えが遅いのをいいことに、一緒に働いてからまだ一か月も経っていないうちから「もう二十代後半なんだからさぁ」「彼女と結婚するつもりだったら、もっとしっかりしなきゃ」とか、親父みたいな口をきいてくるバカにも出会いました。

 「説教厨」の口ぶりは、いかにも、相手のことを真剣に考えているかのようですが、こいつらの頭の中には、相手のことを思いやる気持ちなどは欠片もありません。こいつらはただ、「人に偉そうな言葉を吐いて、自分が気持ち良くなりたいだけ」です。相手に反論されないために、他の読者に批判されないために、「お前のために言ってるんだ!」という態度をとっていますが、本質的には荒らしと大差ない、さもしい根性の持ち主です。

 もう一度書きますが、説教厨は、「コメントが欲しい、リアクションが欲しい」という私のお願いは一切聞かないくせに、自分の言いたいことは言ってくるというゴミ虫です。自分のお願いは一つも聞いてくれない人から説教などされて、真剣に耳を傾けようと思う人間などいないはずです。

 派遣先で出会ったヤツにしても、1年2年一緒に働いて、十分な信頼関係があるならともかく、出会ってからまだ一か月も経ってない、ただ齢が上という以外なにも敬う要素のない、わけのわからないオッサンから説教されて、ムカつかない人間などいないはずです。

 自分の要求は何一つ聞いてくれないヤツに偉そうにされたくない。尊敬も信頼もしてないただの汚いオッサンにわかったふうな口を利かれたくない。それは、「説教厨」だって同じのはずです。こいつらは、「自分がされて嫌なことは、人にやらない」という、小学生でも知っている基本中の基本もわからないカスです。小学生でも知っている常識を弁えていないカスに、人に「説教」などする資格などあるのでしょうか?

 以前、加藤智大についての記事で、ある読者さんから、「言葉ひとつで人を思いとどまらせる手段はないのでしょうか?」というコメントを頂きました。答えを言わせてもらえば、そんな安易な手段はない、ということになります。

 言うだけならタダ、という言葉もある通り、言葉というのは安いものです。自分の生活上なんの関わりもない、自分が肌を脱ぐ必要もない相手に、無責任なことばっか言うだけで人を変えられると思うのは、その人を舐め腐っているともいえます。

 本当に人を変えたいと思うんだったら、まずは信頼を得るために、その人が望む何かを提供するという姿勢が必要なはずです。例えばジュース一杯おごる程度のことでも、相手の聞く態度は違ってきます。

 私の場合は、お金どころか、コメントをくれればそれでいいから、と、ずっと言っていました。そんな「お安い御用」も聞かないくせに、自分の言葉だけは受け入れられると思っている。信頼を得る、というプロセスをすっ飛ばして、いきなり自分の言いたいことを言ってくる。説教厨は、自分のことを、神様か何かだと思っていたのでしょうか?

 確かに「読者は神様」といえるかもしれません。私に説教をしてきた人たちも、「俺は読者だから神様だ。こいつに何を言ってもいい」と思っていたのかもしれません。しかし、彼らがどれだけ「俺は神様、読者様だ」と思っていたとしても、私の方は彼らから何のリアクションも貰っていない以上、彼らを読者とは認識していません。私からすれば、どこの誰かもわからない、自分の読者かもわからないキモいオッサン(オバハン)から説教をされているという感覚です。説教厨は他人の気持ちを思いやる想像力が欠如しているから、そんなこともわからないのです。

 まさに「説教厨」とは、「自分さえよければ、相手の気持ちなどどうでもいい」という考えの持ち主であり、他人に上から目線で何かを言う資格があるような立派な人間ではないのです。 

 説教厨は、今のように、このサイトを「作品」として残すという考えがなく、それこそ通常のブログ形式でもっと好き勝手に書いていた初期のころ、私のサイトによく現れたのですが、二年、三年と月日を経るごとに、段々と数を減らしていきました。私がサイト内で散々批判したこともあるのでしょうが、もしかしたら、私が人に説教されるほど落ちぶれた人生を送っているわけではないことが伝わったからかもしれません。

 私は別に自分を立派な人間だとは思いませんし、努力だけを誇る気もありません。が、三年間、自分の生活を少しでも良くするために、能力を開発していくという作業を地道にやり続け、間もなく、一人の女を真剣に愛して結婚もするという時点で、少なくとも、自分自身はなんの努力もせず、努力している人間を応援しようという気もなく、ただ「説教」などという行為によって、他人を自分よりも下位に置くことでしか自分の存在価値を認識できないさもしい人間よりかは、大分マシな生き方をしているのではないかと思います。そして、ここが肝心なことですが、私がそういう生き方をしていることについて、説教厨の口から放たれた言葉が役に立ったことは一つもありません。

 ・こちらに何も提供する姿勢がないくせに、自分の言いたいことだけは偉そうに言ってくる。
 ・十分な信頼関係を築けていないにも関わらず、偉そうに説教をしてくる。

 最後に啓発めいたことを言わせてもらいますが、十代、二十代の若い読者さんは、どこかでこのような人間に出会っても、こいつは頭の悪いバカだと思って、言っていることをけして真に受けないようにしましょう。

犯罪者名鑑 加藤智大 8


かtttっと

ともだち



 歯止めにならなかった「友人」


 2007年11月から、加藤は最後の派遣先である、静岡県沼津市での、自動車の検査業務で働いていました。

 相変わらず、適当に手を抜いてやりゃあいいものを、正社員でもしないような細かい指摘をしてときにラインを止めてしまうなど、バカ真面目なところも目立ちましたが、この職場でも周りに打ち解けることには苦労はせず、連れ立って初もうでや秋葉原に行くほど仲の良い友人ができました。

 加藤の生涯を振り返ってみてみると、本当に友人には恵まれていたと思います。友人に恵まれていたはずの彼が、なぜ孤独を感じていたのか?なぜ友人の存在は、彼の歯止めとならなかったのか?

 加藤自身の友人付き合いについての発言を見たとき、私が少し気になるのは、「ウケ狙い」あるいは「ネタ」という言葉がよく登場するということです。そして、実際に加藤は、友人付き合いにおいて、「自分が楽しむよりも、人を楽しませることを第一に考える」性分の男でした。

 例えば、この時期に行った秋葉原ツアーにおいても、加藤は大ざっぱに行き先を決めるのではなく、あの店を回ったら次はあの店、など、ルートを細かく決め、今の流行りもネットで勉強するなど、入念すぎるともいえる準備をしてから友人を案内していました。

 そのほかにも、掲示板で知り合った人に遠方から会いにいくときなどは、いつも相手が恐縮してしまうほど大量の土産を持って行ったり、久々に地元の友人に会うときは、友人がプレイしているゲームを自分もプレイして話を合わせる努力をしていたり、カラオケでアニメソングを歌うときなどは振り付けを事前に勉強して行ったり、アニメの視聴会では、事前にセリフを一字一句覚えてから行ってみんなを驚かせるなど、加藤はいつも、「ウケるネタを仕込む」ことに余念がありません。

 本当に楽しんでやっているなら、何も言うことはありません。友達付き合いの楽しみ方など人それぞれですし、細かい計画を立てることが大好きという人もいるでしょう。しかし、一方で、「ちょっと肩の力が入り過ぎているのではないか?」という気もします。

 先ほども書いた通り、加藤自身はあくまで、「自分が楽しむよりも、人を楽しませることを第一に考える」ということを語っていました。しかし、それが100%の本心ではなく、どこかに「自己欺瞞」があったのだとしたら・・・・。

 本人にしかわからないことではありますが、もしかしたら、加藤にとって「友人づきあい」とは、伝わっている印象ほどには楽しいものではなかった可能性もあります。

 ところで、加藤の高校時代の友人や、兄貴分的存在「藤川」とは、この時期どうなっていたのでしょうか?

 実は、加藤は地元で消費者金融からの借金を踏み倒し、帰ることができなくなっていました。メールすらしていなかったようで、地元の友人とは音信不通になっていました。正確にいえば、友人たちからは何度も連絡が来ていたのですが、加藤本人は、「借金があることで、友人たちに迷惑をかけたくなかった」と、メールの返信をすべて無視していたのです。

 自業自得というところでしょうが、では、加藤は地元の友人と会えないのが寂しくて、孤独を感じていたのかといえば、私はそれも違うのではないか、と思っています。

 わかっている限りにおいて、加藤の借金の原因で一番大きいのは、おそらく、あの無謀な「日本縦断旅行」だったと思われます。そして、旅の目的は、私は「下半身を繋ぎ合わせること」であったと思っています。

 すなわち、旅に出かけた時点で、こういう事態になることはわかっていた。加藤は女を得るために、友人を自ら捨ててしまった、ということです。

 この時期の加藤の脳内は、女9:男1、いや、

「♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀


 という状態にあったのではないでしょうか。

 以前、読者さんから、普段、周りと社交的に付き合っているせいで、自分は人と遊ぶのが好きという風に思われていたようだが、本当は自分は一人でいる方が好きなのであって、周囲の認識とのギャップを感じた、というコメントを頂いたことがありました。

 加藤も同じことで、彼は友人に恵まれているように見えても、加藤的には「友人付き合い」という、社会生活を営む上で必要不可欠な行為の中で、彼なりのベストを尽くしていただけであって、けして「友人付き合い」がチョー楽しい、絶対に失いたくない、というわけではなかったのではないか。

 加藤は沢山の友人と会話を繋ぐより、一人の女と股間を繋ぎ合わせたかったのであり、それができないのなら、「生きてるのも死んでるのも同じ」だったのではないか。

 手記を読むと、加藤は色々なことをゴチャゴチャと述べているのですが、客観的に彼の行動を見てみると、結論は意外とシンプルなのではないかと思われます。



きのこぐも


 何かが壊れた

 

 女の柔肌に触れる夢は一向に叶わず、毎日相手にするのは、硬く冷たい工具と鉄板ばかり。満たされない毎日の中で、加藤はますます、掲示板への依存度を高めていきました。

 加藤は会社や学校など、リアルの世界でのやり取りを「タテマエ社会」、掲示板などバーチャルな世界でのやり取りを、「ホンネ社会」と表現しています。氏名や勤務先などを一々名乗る必要のないネットの空間では、だからこそ人間の本音が飛び交います。時にはモラルを逸脱したような言葉が見られることもありますが、それだけ人間が普段押さえこんでいるホンネが見れるところが、ネットの魅力であり、中毒性のあるところです。

 加藤は事件直前のこの時期、「身の回りで起きた不幸な出来事を全部不細工にこじつける不細工キャラ」という設定を自分で作って、掲示板に書き込んでいました。加藤のキャラはウケて、一時期、掲示板内ではかなりの人気者だったようです。

 加藤は自分の作りあげた「不細工キャラ」に、ネタをネタと分かって面白い切り返しをしてくれる人と当意即妙の会話をしたり、「逃げるな、自分と向き合え」「努力は人を成長させてくれるよ」などと「マジレス」してくる人を、「報われない努力は人を蝕むだけです」などと返して否定し、からかうなどして楽しんでいたといいます。

 第一回でも説明しましたが、加藤自身は、自分の顔について、「良いか悪いかでいったら悪い方だが、掲示板に書いているような絶望的な不細工だとは思っていない」と語っており、掲示板の不細工キャラはあくまで「ネタだった」と主張していますが、加藤の生涯を追ったジャーナリストは、果たしてすべてがネタだったのか?と、疑問の声をあげています。

 特に加藤の「ホンネ」が垣間見えたのは、事件から10日ほど前に行われた、若い女性と思われる人物とのやり取りでした。


 女:ぶっちゃけアタシ前は主嫌いだったんだ。主は何に対しても否定的な感じで。アタシもそんな主を否定してたんだけど、でも毎日このスレを見るようになったら主みたいな人もありだなと思うようになった。冗談抜きで友達になりたいと思うようになったよ。 


 加藤の建てたスレッドに、若い女性と思われる人物の書き込みがされた。まだ顔写真を交換したわけでもありませんが、加藤にとって、自分に好意的に接してくれる女性と掲示板上でやり取りするのは久々のことでした。

 加:それは嬉しいですけど、私と友達になってもあなたにとっては何のメリットもないですよ。

 加藤はしばらく、「不細工キャラ」のまま、会話を進めました。こんな卑屈な返しに対しても、女性は加藤を見捨てず、翌日もレスを返してくれました。

 女:そーいえば主は今日の仕事終わったの?


 加:はい、終わりました。

 女:お疲れさーん☆アタシチューハイはピーチが好きだな。主ピーチは飲まない?


 実は、事件前月の五月半ばごろ、加藤がかつて想いを寄せていた、19歳の「兵庫の女性」に、彼氏ができたことが判明していました。加藤は兵庫の女性に「おめでとう、彼氏とちゃんとメールするようにね」などとメールを送っていました。加藤にしてみれば精一杯の虚勢だったでしょうが、加藤のカッコつけを真に受けた兵庫の女性は掲示板上で、彼氏との「ラブラブぶり」をアピールするようになってしまいました。

 「俺へのあてつけか」

 加藤の苛立ちは募り、ちょうどこの時期から、掲示板上には卑屈な書き込みが増え、勤務先の工場でもトラブルが目立つようになったといいます。こうした状況もあってか、加藤は新しい女性?とのやり取りに、夜遅くまで夢中になっていました。

 やがて、女性?が寝落ちしてからのこと。加藤は掲示板に、彼の「ホンネ」と思われる、一つの書き込みをしていました。


 私は愛が欲しいわけでも、愛してほしいわけでもないのです。精一杯、誰かを愛したい・・・・愛している証がほしいのです。


 誰が何を言っても卑屈なレスしか返さなかった当時の加藤の書き込みの中で、異様に浮いた、前向きな言葉。状況から考えて、新しい女性とのやり取りによって、加藤の中に希望が芽生えた証と取って、まず間違いないと思います。しかし・・・。


 女:主こんばんわ。アタシ中卒で、元カレもヤンか職人だった。でも今は大卒の超真面目なリーマンと付き合ってる。人生どう転ぶかわからないね。良い意味で。主にもきっと良い相手ができると思うよ。


 天国から地獄。女性?には、彼氏がいた。淡い希望を打ち砕かれた加藤は、結局また、投げやりで卑屈な態度になってしまいました。


 加藤:こんばんわ。やっぱり女性は学歴を気にするのですね。三流の短大卒の私にはチャンスはなさそうです。

 女:今の彼氏は学歴で選んだわけじゃないよ。たまたま大卒だっただけ。学歴で選んでるなら職人とかヤンと付き合ってないからね。大卒は今の彼氏が初めてだし。


 なんだかなぁ・・と思ってしまいます。女に悪気があったわけでもないし、善意から加藤に接してくれてるんだと思いますが、その善意は、加藤が求めている善意と決定的に食い違っているのです。例えるなら、盲腸で腹が痛くてどうしようもないときに、クリームたっぷりのケーキを差し出されるようなものでしょうか。
 
 一応、ツッコミどころとしては、さりげない自慢が入っていることです。「彼氏が大卒」を自慢と感じるかどうかは人それぞれでしょうが、この場合、低学歴の自分が「玉の輿に乗った」「彼氏を乗り換えてステップアップした」というニュアンスに取れますから、やっぱり加藤は「自慢」と受け取ってしまったのではないかなと思います。

 自分が本当につらいとき、「君もいつか幸せになれるよ」と言われるのはいいとしても、その根拠が、「私が今幸せだから・・・?」どう考えても、根拠として成立していないのがわかるでしょう。オメー自慢したいだけかよ、と、加藤がキレたとしても、まったく不思議ではないと思います。

 おそらく相手の女は、善意は善意でも、加藤のことを真剣に思っているのではなく、自分が気持ちよくなりたい方が強かったのでしょう。私が散々叩いてきた「説教厨」もそうですが、ネット上には、善意を装って、弱者をオカズにオナニーをしようとするこの手の輩がたまにいます。悪い人間ではないのかもしれませんが、本当に悩み苦しんでいる人にとっては、神経を逆なでされるだけで、どちらかといえば害悪に近いタイプの人間といっていいでしょう。

女:「異性にモテたいと思ったらファッションに興味を持てるんじゃないかな。ん~着たい服を着たらいいと思うけどな。自分が着たい服が自分に似合う服とは限らないけど、そんな気にするのはもっと後でもいいし」

加:「つまり、私の彼女が欲しいという思いそのものを否定するのですね。服や靴に興味がない人は恋愛する資格がないのですね。服なんて着れればなんでもいいですもの。服服服服、みんな服です。どうして服にこだわるのでしょう。彼女が欲しいのに服に興味を持てない私だけが異常なのでしょうね。イライラします。なぜでしょう、イライラします」

 いつもの加藤には、「不細工キャラ」として振る舞う余裕がありましたが、この日の加藤の書き込みは異様にささくれ立ち、女に対して攻撃的になっていました。

女:「でもさ、主にも、異性からよく見られたいって気持ち少しはあるんでしょ?皆はそこから服に気を遣うようになるんだよ」


加:「不細工な私でもいい服を着ればたちまち彼女ができるのですか。意味がわかりません。イライラします、みんな殺してしまいたいです」


女:「服に気を使っただけで彼女ができるわけないじゃん。服に気を使うことは彼女を作るための準備。なんで異性からよく見られたいって気持ちがあるのに主は実行しないの?」

加:「中身、中身とキレイごとを言っているくせに、結局見た目で判断してるじゃないですか」


女:「変わる気がないなら無理して変わる必要ないよ。そのままの主が良いって言う人がいるかもしれないし」


 この辺まで来ると、さすがに加藤に同情します。

 わかると思いますが、結局、女は「上から目線」で加藤に物を言っているわけです。これが男ならまだしも、相手が女というのが厄介なところです。

「そんなに偉そうに言うなら、一回お前がヤラせてやれよ」

 周りからこんな意見が出てきてもおかしくないところですが、彼氏がいると言っている以上、そういうわけにもいかない。

 つまり、女は、「絶対安全圏」から、好き放題、加藤に「無責任」なアドバイスを送り続けているということになります。女も売り言葉に買い言葉で言ってるんでしょうが、これでは加藤が怒るのも無理はありません。

 しかし、掲示板で二人のやり取りを横から見ていた人間にとっては、彼らのやり取りは他人事です。加藤の立場に立ってみれば、女の方にかなり大きな問題があったことはすぐわかることですが、このとき、加藤の仲間でもなんでもない第三者からは、「人の善意にひねくれた解答しかできないヤツ」と、加藤の方が悪者に見えてしまったようです。

 もう女がとっくに落ちた、朝6時ごろのこと。加藤の、

 寝なくてはいけないのにイライラして眠れそうもありません。

 という書き込みに対し、

 不細工でもイライラするんだな。


 と、「名無し」から、無神経な書き込みがされました。

 加藤はすぐにレスを返しました。


 何かが壊れました。私を殺したのはあなたです。


 
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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