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偽善の国のアリス 12


 自分が餓死できる―――自分が死ぬところを、神山に見せつけられるという不思議な充実感に包まれていた私は、飢餓状態に陥りながらも、学業や就職活動に邁進していました。

 自分が生きる希望を失っていた私が、本気で就職したかったわけではありませんでした。私が頑張る理由は、食わずに行動することによってカロリーを消費し、より痩せ細るため。一歩でも「死」に近づくための、就職活動でした。

 およそ2か月弱、絶食状態が続く中で、衰弱しきった私に、死神の鎌が振り下ろされるときがやってきました。6月半ば、脳に栄養が行き渡らない状態で受けた「応用情報試験」でのこと。試験を終えて、ロビーで語り合っている友人たちの輪の中に入っていった私は、神山に、「試験の結果はどうだった?」と話しかけました。私の問いに対し、神山は何も答えず、隣にいた、「金澤」と目を合わせ、おかしそうに微笑みました。

 「金澤」は、一年生のはじめのころ、私をバカにしていた男です。私だけでなく、神山のこともバカにしていた男です。その「金澤」と、神山が顔を見合わせて微笑んだ―――。

 「キモイ顔してるくせに、コイツなに言ってんの?」

 とでも言っているような、心底おかしそうな笑顔。死神の冷たい鎌の感触を、私は確かに、首筋に感じていました。

 神山の笑顔がどうしても受け入れられなかった私は、帰宅後、酒を煽り、神山にメールを送ってしまいました。内容はよく覚えていませんが、「やっぱり好きだ。好きすぎて苦しい」といったことだったと思います。

 誰もが、「よせばいいのに」と思うでしょう。神山は一種の情性欠如者であり、私が餓死寸前だろうが情けなど一切かけることなどなく、むしろ「気持ち悪いな、早く死ねよ」と思うような女です。いくら信じたくないといっても、現実に神山はそういう女なのだから、この後に及んで執着しているお前も悪いと言われれば、返す言葉はありません。しかし・・・。

 当時の私の頭の中には、野村や金澤たちに小馬鹿にされて苦しんでいたときに話しかけてくれて、私を和ませてくれた神山の記憶が残っていました。あのとき神山が私に向けた笑顔と、試験後に金澤と顔を見合わせて浮かべた、私の死を心底願っているかのような笑顔が、私の中でどう考えても一致しないのです。

 辛いときに私を助けてくれた「女神」が、私を「殺しにきている」事実が、私にはどうしても受け入れられませんでした。

 女神といっても、神山は特別な家柄の生まれでもなく、特に容姿がいいわけでもない普通の女ですから、「崇拝」の対象にはなりません。それこそ「プリンセス・カコ」だったら、性的な目でみるなどおこがましいと思えたでしょう。高貴な家柄の生まれでなくても、せめて美人だったら、「ちょっと優しくされただけで勘違いした俺が悪い」と思えたでしょうが、美人ですらない野口似の庶民を好きになったのを「勘違い」と言われるのは納得できないし、まして「神と崇めよ」と言われても、そりゃ無理だろって話なわけです。

 しかし、私が腹を立てているのは、ただ単にブスに見下されたからムカついているのだ、といえばそういうわけでもなく、私の中には、「美人ですらない庶民」こそ、踏みつけられる人間の痛みがわかる高尚な存在であり、本当に素晴らしいのは、そういう弱い者の痛みがわかる(はずの)優しい女と慎ましく生きていくことである――「理想の女」に想いを踏みにじられたから辛かったのだ、という考えもあるわけですから、話はなんとも複雑です。
 
 宅間守は、もっとも愛した3番目の妻に対する感情を「好きやったんかな。それと憎しみと何もかもミックスしとった」と語りましたが、神山に対する私の感情もまた、あまりにも色々なものが混ざりすぎて、とても一言では言い表せません。このサイトを開いたのは今から三年前のことですが、三年前の表現力では、たぶんすべてを書き記すことは無理だったでしょう。結果的に、ここまで寝かせて正解でした。

 神山に送ったメールですが、私の元に直接は、神山からの返信は返ってきませんでした。代わりに、稲生と田之上のところに、私にあてられたメールが届き(また、他の人間を巻き込むことによって、私の名誉を貶めようとしている)、彼らが仲介する形で、私のところに神山からのメッセージが届きました。

 ・ブツブツと独り言を呟くな
 ・半径5メートル以内に近寄るな
 ・野村達を扇動して協力させようとするな(私からそんなことを頼んだ覚えは一度もない)
 ・以上のことを破った場合には裁判所に訴える

 そんなことが書いてあったと思います。

 あれから4年強の月日が経って、ある程度冷静な目で振り返ってみても思いますが、よくもまあ、ここまで一方的に相手のことを悪くいえるな、と思います。

 私は人殺しでもしたのでしょうか?あのダダは、一点の曇りもない、聖人君子のような人生を歩んでいるとでもいうのでしょうか?

 私の方に一方的な非があったケースですら、ここまで言われたら相手のことを恨んでもいいと思うのですが、どうでしょうか?

 神山が私のことを心底嫌っていることは、当時の私にも、十分すぎるほどわかりました。問題は、あの三面怪人が、私のことをなぜ嫌っているか、その理由に十分な正当性があるのかないのか、ということです。一体どちらの非が大きいのか?どっちが本当の被害者なのか?
 
 この時期、あの女に話しかけたとき、「反省してください」という言葉をかけられたような記憶があります。私に反省しろということは、神山は、私が悪いことをしていると思っている、ということです。

 私がした悪いこととは、一体何なのか?しつこく神山に好意を抱き続けていること?

 神山は周囲に対しては、それで通していたようです。しかし、これまでの話を読んでいただけたならわかると思いますが、実際には、神山は私が「しつこくする前」から、私の名誉を傷つけたり、侮辱するようなことをしていたのです。

 もう一度言いますが、神山は私が「しつこくする」前から、私の人格を否定するような、酷いことを言ったり、周囲に私の名誉を貶めるようなことを言っていたのです。すなわち、「迷惑行為」は神山が先だったのです。なのに、どういうわけか、神山は一方的に、被害者意識を抱いている。

 神山が「反省しろ」といっているのは、けして私が「しつこくした」ことではないのです。周囲の連中はみんな勘違いしていたみたいですが、神山が私を嫌っている理由は、「あいつは乞食のくせに、身の程知らずにも、ロイヤルプリンセスの私に恋をしたから」なのです。

 それで「迷惑かけたな。申し訳なかったな」などと思えるでしょうか?

 「反省」などできるでしょうか?

 神山にも十分に非はあったはずなのに、「ええかっこしい」「周囲に対してはまったく品行方正」なあの女に、「こっちばっかりワルモンにされた」。

 私はこのことが悔しくて悔しくて、食事も喉を通らず、2か月で10キロ以上も体重が落ちてしまったのです。

 神山が性格が悪いのはわかった。だが、それがわかりきっていて執着したお前も悪い――ごもっともですが、それは大事にしたい自分がある人の意見です。当時の私が自分というものを大事にできなかった理由、「進むも引くも地獄なら、進む」しかなかった事情は、すでに説明しました。

 神山がまだ好きなのと、怒りと憎しみと、あらゆる感情が、私の脳内でグジャグジャにミックスされていました。試験の結果に関わらず、就職活動はしなくてはならなかったのですが、精神的にも肉体的にも、とても外に出て活動できる状態ではありませんでした。私はここまで皆勤だった学校を、初めて休みました。

 三日間をほとんど寝たきりで過ごした後、私の元に、二人のクラスメイトから連絡が届きました。一人は、「鍋島」で、早く元気になって出てきてください、という内容のメールでした。もう一人は「野村」で、メールではなく、直接電話をかけてきてくれました。

 野村が私に伝えたメッセージは、みんなが私を心配しているということ、神山のことはもう諦めろ――世間は広い――ということ、君は真面目な性格だし、きっといいシステムエンジニアになれる、また一緒に頑張ろう、ということでした。

 野村という人物は、一年生の最初のころは、27歳という年齢の割りに非常に未熟な、はっきり言えば愚かな人物だったと言っていいと思いますが、人というものは、一年という期間でも、大きく成長することはあります。野村も就職を真剣に目指す中で自覚に目覚め、28歳という年齢にふさわしい人物に成長したのかもしれない。

 最終的に私は、このとき野村を信じたことを激しく後悔するようになるのですが、このときは、野村は本当に、私のことを心配して電話をしてくれたのだろう・・・ありがたいことだ・・・と、純粋に感謝していました。そして、野村に言われた通り、三日間学校を休んだだけで復帰しました。

 しかし、神山が目の前にいるという状況が変わったわけではありません。野村に励まされたことで、私はもう一度頑張る決意はしましたが、神山への執着を断ち切れたわけではありませんでした。神山に見られている限り、私は「飢餓状態」から抜け出せません。このままの状態が続くのはまずいと判断した私は、メンタルクリニックに通い、精神安定剤と、食欲を増進する薬をもらうことにしました。

 薬をもらい、食べられるようになったこと―――見た目の上では、体調を回復したこと――それが私を、さらなる地獄の深奥へと導いていくことになるのですが、今回はひとまず、この辺で切りたいと思います。

 ちなみにこのとき、なぜか学校では、神山のメールを私に仲介した「稲生」が悪いのではないか、という空気になっていたようです。私からすれば、稲生はあくまで仲介しただけであり、メールの件での恨みは全くなかったのですが、どうやら稲生は、私が神山のメールを見せられた晩、稲生とスカイプで会話しながら、散々泣いていた私のことを学校でからかったりしていたようで、それで稲生が悪いみたいな空気が生まれていたようです。

 稲生は神山のような腹黒いヤツではないのですが、見た目同様、脳みそまで筋肉で出来ているようなガサツなヤツで、ナイーブな気質の人間をまったく理解できないという短所がありました。単細胞だけに裏表は無く、私のことも陰でからかっているだけではなく、目の前で、ガリガリのゾンビだとか、そんなことを言ってバカにしてきたりしていました。

 文字で書くととんでもなく酷いヤツみたいですが、稲生はゴリラのような単細胞の男だったゆえに、当時の私がいかに深刻な状態だったかよくわかっておらず、単に、普通に私が元気だったときのノリで軽口を叩いていただけで、私のことを心底嫌っているわけではなかったようです。神山のような人間のクズではないのですが、非常にショウジョウバエめいた、カス的な人物でした。

 カスということでもう一人上げさせていただければ、「嘉納」というガキもいました。

 嘉納は頭がヘルメットを被っているみたいにでかいのに、脳みそがスカスカのヤツで、当時、三枚目的なキャラとして扱われていた私を本気で舐め腐っており、「コイツはプライドがないヤツだから、何を言ってもいいんだ」とか思っていたらしく、東日本大震災があった夜に、カラオケ店でみんなの金を建て替えた私に、金を返そうとしなかったり、「津島くんって頭おかしいけど、津島くんのお父さんお母さんもそんな感じなの?」とか、ふざけたことを抜かしてきたこともありました。

 神山のような腹黒い人間のクズや、初期野村や稲生、嘉納のような極めてカス的なヤツは、年齢にかかわらず、どんな集団にも一定数いるように思われます。そして、社会というものは、えてしてこういう、感情が鈍磨な人間が幅を利かせている場所でもあります。

 自分と合わない連中とも平和的な人間関係を築いていかないといけない会社員は、やはり私には最初から無理であったように思います。ある読者さんからは、「あなたは他人の人生に厳し過ぎだ」なんてことを言われましたが、無理に我慢しようとすると、このときのように、私の方が壊れてしまうのです。餓死寸前にまでなったわけですから、もう、厳しいとか厳しくないの次元ではないのです。

 「他人の人生に厳し過ぎ~」と言われた読者さんからは、神山との一件について、「いい経験だったと思え」「納得して生きろ」といったような意見も頂きました。まだ中盤に差し掛かったばかりのことで、多少フライング気味に判断されてしまったようですが、もしかしたら、内心同じように思っていた読者さんもいたかもしれません。しかし、「いい経験だったと思う」「納得して生きる」が、そう簡単な話ではないことは、もうわかって頂けたと思います。私も実際に「餓死しかける」という体験をした上で、神山に対する復讐心を口にしているのです。

 理屈では復讐心など抱かない方がいいことなど、私もわかっています。わかった上で、どうしても理屈では収まりきらない感情があるからこそ、私は神山への憎しみを口にしているのです。あまりにも、神山への復讐心を「滅殺する(和解ではない)」を前提に私を説得しようとされても、話は余計に拗れていくだけです。

 神山だけが悪いとはいえないのはわかっています。神山は確かに性格の悪い女であり、「情が薄い」ことに関しては私は足元にも及びませんが、悪の基準を「社会不適応」とするなら、私は神山など比べものにならない極悪人です。神山の「情性欠如」が異常だといっても、それで死にかけるまで落ち込む私もまた「異常」なことには違いありません。そんなことはわかった上で、それでも私は神山を恨んでいます。

 一番最初にも断りましたが、人に言われて考えが変わるレベルの話ではないのです。読者さんにとってこの物語は他人事であり、私が感じた苦痛をすべて理解できないのは当然ですが、だからこそ、「納得しろ」「忘れろ」と言われても、当事者である私がそれを受け入れるのは無理であるということを、終盤に入る前にもう一度強調しておきます。

 
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犯罪者名鑑 宅間守 7


けっこん



 四度の結婚 



 宅間の結婚について纏めて紹介します。

 一番目の妻Sと結婚したのは、平成二年、宅間27歳のときのことでした。

 Sの詳しい供述がないため詳細は不明なのですが、Sは宅間より十数歳年上で、宅間と知り合ったばかりのうちに、宅間から脅されるような形で強引に結婚を迫られて婚姻届けに判を押したものの、すぐに別れることが決まり、結婚から数日で、Sの家族が割って入る形で和解が成立、宅間には百二十万円が支払われることになったといいます。

 宅間がSに愛情を持っていたかどうかにもよりますが、まあ、女体と引き換えに金をとれたわけですから、「勝ち」といえるかもしれません。

 二番目の妻Kとは、一番目の妻Sと別れてから数か月後に結婚。Kは宅間の小学校時代の担任教師でした。

 宅間はKの家にいきなり電話をかけ、職業などのことについてウソを言って会い、強引に肉体関係を持って、付き合ってから半年ほどで結婚にまでこぎ着けました。KはSF作家の小松左京の実妹で、特殊なコネクションを持っていたようで、宅間は結婚生活中、市バスの運転手として、公務員として働いていました。

 このKとの間には、珍しくトラブルは少なく、結婚生活は四年間持ちましたが、最終的には、宅間が31歳のときに起こした強姦事件によって離婚してしまいます。しかし、小学校の教師であったKは面倒見のいい性格だったようで、拘置所にも足しげく面会に通い、宅間が別の女性と結婚してからも、度々顔を合わせていたようです。

 Kは宅間との結婚当時、なんと、宅間守「定めの地」大阪池田小学校で働いていました。宅間は自分に公務員の仕事に就くチャンスを与えてくれたKに対しては特別に感謝の気持ちを持っていたようですから、Kが池田小で働いていたことは、動機としてはまったく関係なかったでしょうが、改めて、宅間守と大阪池田小の深い因縁を感じずにはいられません。

 一番目、二番目の妻は宅間とは年齢が離れており、宅間は「飯を作ってくれる女、家のことをやってくれる女がほしかった」と、愛情はまったくなく、生活の安定のためだけに結婚を申し込んだことを公言しています。その宅間が初めて、惚れた腫れたで結婚を申し込んだのが、宅間が平成九年、33歳のときに結婚した二歳年上の三番目の妻、Iでした。

 宅間はこのIに対して、一貫して強い執着を抱き、獄中においても敵意を持ち続けていました。

 Iについて宅間は、「容貌が美しかった。セックスが気持ちよかった」と、珍しく褒めたたえる発言をしています。しかし、愛情を持っていたからこそ、裏切られたと感じたときの憎しみも激しいものとなってしまいました。

 宅間は例によって、強引に迫る形で、Iと短期間での結婚にこぎ着けたのですが、結婚後間もなく、新婚旅行で訪れた香港で、ツアーで一緒になった客と、ガンをつけたのつけないのといったトラブルを起こしたり、執拗に浮気を疑ってきたり、騒音に過敏に反応して騒ぎ出したりと、愛するIの前で神経質なところを見せてしまうようになります。

 病院でカウンセリングを受けるように勧めるIの前で、宅間は「すごく神妙に、涙目みたいな感じ」に、「しんどいんや。人を常に疑いの目でみないといけないのは」ということを言ったといいます。

 宅間にも人に縋る気持ちがあり、女に甘えられる一面もあったというエピソードですが、問題は、宅間が女を見た目だけでしか選べなかった、ということでした。宅間も面倒見のよかった二番目の妻や四番目の妻にもっと誠意を見せたうえで、思い切り甘えていたらよかったと思うのですが、三番目の妻Iは、どちらかといえば自分優先のタイプだったようで、トラブルメーカーで猜疑心の強い宅間に対して、「あんたみたいなんとは、付き合いきれんわ」と、離婚を申し出てきたのです。

 宅間は自分から逃げようとするIに対し、自宅や職場に押しかけたり、中傷ビラをばら撒いたり、脅迫電話をかけたりなどのストーカー行為に及びました。宅間は本気でIを手放したくなかったようでしたが、Iの方の意志も固く、彼女は、宅間との間にできた子供をおろしてしまいました。

 なんだかんだと言っても、お腹の中には子供がいるのだから、必ず帰ってくるだろう――。一縷の望みが断たれた宅間は激しく落胆し、他に聞いてくれる人もいなかったのか、あれほど嫌っていた父親に電話をかけ、大号泣しながら、悲しみを訴えたといいます。
 
 宅間はIに執着した理由として、「好きやったんかな。それと憎しみと何もかもミックスしとった」と語ると同時に、「周囲に対しては全く品行方正」「ええかっこしい」「こっちばっかりワルモンにされた」「お前もこんなヤツやないか言うてね、暴いてやりたい気持ちもかなりあって」ということを語っています。

 宅間のような被害妄想の強い男の言うことですから、100%真に受けるわけにはいかないとしても、ストーカーの被害者がまったく落ち度がなかったケースは少なく、「言わなくてもいい余計な一言」を言っていたり、「やらなくてもいい余計なこと」をやっている場合が多いのは事実ですから、確かにIの側にも、何らかの非はあったのかもしれません。

 自分の容姿を鼻にかけて、男のプライドを平気で傷つける、高飛車な物言いが目立つ女性であったのか、もしくは、悪い人間ではなかったかもしれませんが、負けん気が強く、宅間に対しても物怖じせず言い返すタイプの女性だったのか・・・。まあ、さすがに宅間レベルの破天荒な男と一緒にいれば、何か一言言いたくなる気持ちもわからないではないですが、むしろそういう人物相手だからこそ、安易にプライドを傷つけるような一言を吐くのは避けた方が無難ということは言えるでしょう。

 平成十一年、宅間35歳のときに結婚した四番目の妻Hは、宅間と関わった女性の中で、もっとも不憫な女性です。

 宅間はお見合いパーティで出会った、数歳年下のHとの結婚を「緊急避難的な決断だった」などと語り、同棲中も、頻繁に暴言、暴力を振るっていました。逮捕されてからも、「セックスも気持ちええことない」「タイプじゃない」「頭も悪い」「インテリとまったく正反対」「なんでそんなんに縛られないとあかんねん」と散々です。

 宅間はIとの間に出来た子供には、父親に泣き言を言うほど執着したにも関わらず、Hとの間に出来た子供には、出産費用のことばかり気にして、「おろせ!」と怒鳴ったこともあったそうです。宅間にとって子供とは、好きな女を繋ぎ止めるためだけの道具であり、どうでもいいと思っている女との子供は、逆に邪魔だったようです。

 宅間に散々酷いことを言われながらも、Hは子供をおろしたりはせず、宅間が勤務していた小学校で薬物混入事件を起こしたのをきっかけに離婚し、実家で元気な男の子を出産しました。このとき生まれた子供が、今どうなっているのかわかりませんが、宅間はIよりは情深い女性であったろうこのHになぜ甘えられなかったのか、もっと大事にしようと思えなかったのかと、残念ではあります。

こうむいん


 
 公務員

 
 宅間は平成五年から平成十一年にかけて、縁故により大阪市に採用されて、公務員として勤務していました。不況に強い公務員は今や夢の職業とも言われていますが、宅間も 「給料そこそこもらって、仕事も無茶苦茶楽で、休みもふんだんに取れて、で聞こえがよくて、安定して終身雇用いうて。ほんなら僕にとったら、学校も出てない、頭もそないええことない僕にとったら、最高の仕事をしよった」と本人が語る公務員の仕事を維持することには、並々ならぬ意欲を燃やしていました。関わった人間すべてを悪く言っている宅間が、唯一、自分が公務員になれるように便宜を図ってくれた二番目の妻にだけは恨みごとを述べていないことからも、宅間がどれだけ公務員の仕事を大事にしていたかがわかります。

 それでもやはり、市バスの運転手時代には、気に入らないお客に文句をつけてクレームを浴び、小学校の用務員時代には、子供を怒鳴ったり、暴力を振るったりなどのトラブルを起こし、最終的には、用務員室でオナニーをしていたのを見られた腹いせに、教員がお茶を飲むのに使う給湯器に精神安定剤を混入させる騒ぎを起こして解雇されています。

 宅間が公務員の仕事を得られたことは、彼の人生で最大のチャンスだったと思います。客観的に見ても恵まれた立場にあり、本人もその重要性を十分にわかっていたにも関わらず、結局は放り出してしまったわけですから、やはり宅間にまともな社会生活を送ることは無理だったのかもしれません。

 それでも、公務員の職を得た三十代の宅間には、「二十代に比べれば」というレベルではあるものの、トラブルが少なかったのは事実です。市バスの運転手時代には、裁判のことなどで、親身に相談に乗ってくれるような同僚もいました。これをこうしていれば、というアイデアを上げろと言われればそれは難しいのですが、もうちょっと、何か一つ一つの噛み合わせがうまいこと行っていれば、何とかなったのではないか、という気もしないではありません。
 

 

偽善の国のアリス 11

 
 3.11、東日本大震災が起きた瞬間、私は歓喜に打ち震えました。あの津波がすべてを押し流し、神山も、神山に手を出すかもしれない他の男連中も、私が生まれ育った町である横浜も、すべてを破壊してくれることを望んでいました。津波が神山を飲み込んでくれるのなら、私自身の命もなくなってもいいと思っていました。

 神山が中尾と「付き合いたい」などと言い出したことは、私をそれほどの絶望に叩き落としていました。

 最初から自分に好意を持っていた男をグチャグチャに潰し、ルックスさえよければ、最初は自分をバカにしていた男にも好意を寄せる。女がみんなこんな生き物なら、この先いくら女を好きになっても無駄。私にはもう、女を得られる望みなどないということになる。女を得られない人生などは、私にとって、生きたところでまったく意味のないものでした。そんな索漠とした人生ならば、キレイさっぱりなくなった方がマシでした。

 周知の通り、首都圏は帰宅困難者で溢れ返り、私も横浜に、友人と一緒に取り残されてしまいました。一緒に行動していたのは「関口」「鍋島」といった、当時、特に仲の良かった連中でした。

 まだ肌寒い時期で、ずっと外にいるのも大変だと判断した私たちは、カラオケボックスに入りました。

 この糞みたいな世界が終わってくれる―――嬉し過ぎて、テンションがハイになった私は、当時まだ飲めなかった酒を、浴びるように飲みました。

 すっかり酔って気持ちよくなったのですが、問題は、いつまで待っても、関東方面には、大地震も津波も来てくれなかったことでした。いつ、私や神山を押し流してくれるんだ?いつ、この生まれ出てから23年、嫌な思い出しかなかった横浜を滅茶苦茶にしてくれるんだ?

 肩透かしを食らった気分が蔓延してきたころ、友人の「関口」「鍋島」の元に、神山から一通のメールが届きました。

――今日、帰れないようだったら、うちに泊まっていけば?

 このメールを、こっそり横目でみた瞬間、私の心がざわめき出しました。

 神山の家は、学校から電車を使わずに行ける範囲にあります。神山は両親と同居していますが、当然、個室は持っています。
 
 もしかして、神山は男を家に連れ込み、気持ちいいことをしようとしているのではないか?関口や鍋島は、当時の私が特に仲良くしていた連中で、ほのぼのとしたところがあり、普段は性的な雰囲気はまったく醸し出していませんでしたが、いざ、神山の裸体を目にしたら、襲い掛かってしまうのではないか?神山は、あの童貞っぽい連中の、筆おろしをしようとしているのではないか?

 神山がこのメールを、私とは別行動していた他の男――中尾や深沢にも送っていたら?奴らが代わる代わる、神山に勃起ちんこを突っ込んでいたら?疑心暗鬼が、脳みそからつま先までを侵食していました。

 震災で人が何人死のうが、私にとっては関係ありませんでした。日本がどうなろうと、知ったことではありませんでした。家で待つ家族のことはまぁ心配でしたが、それも一時、頭から消えていました。

 2011年3月11日。私の頭を埋め尽くしていたのは、神山が男とセックスをしないか、ただそれだけでした。

 神山は純粋な(ロイヤルプリンセスが下々の者に宮殿を開放するという)善意で、男たちに、うちに泊まったらどうかというメールを送ったのかもしれません。しかし、もはや神山を性的な目でしか見れなくなっている私にとっては、邪推は避けられないところでした。私だって、誘われてもいないのに、私を嫌う神山の家になど行きたくありませんでしたが、「万が一、神山が男とセックスをするのを阻止するため」に、関口と鍋島に同行しなければなりませんでした。

 とんでもない野郎だと言われるかもしれませんが、とんでもない野郎でも別にいいです。穿った見方というなら、神山とて、地震が起きて学校のすぐそばの公園に非難するとき、最後まで神山を心配して教室に残っていた私を、「私が困っているところを見て楽しんでいた」とか言いやがったのだから、おあいこです。

 結局、神山のうちに泊まったのは、神山からメールを受け取った鍋島、関口と、彼らに同行した私の三人となりました。ほかの連中では、「深沢」や「田之上」らがメールを受け取ったようですが、彼らには彼らで避難場所があったようで、神山の家に来ることはありませんでした。私が家に来た事について、神山は別に嫌そうな顔はしませんでしたが、歓迎もしませんでした。

 神山の家に泊めてもらった件に関して、感謝の気持ちはあるかと言われれば、神山のお父さんお母さんには感謝していますが、神山には「イケメンとセックスできなくてざまあw」としか思っていません。

 私が鍋島と関口についていったのは、万が一、神山が男とセックスしないか心配だったからであり、別に、本当に泊めてほしかったわけではありません。一晩かけて歩けば自宅まで帰ることも可能でしたし、若かったのですから、一晩ぐらい野宿しても平気でした。神山が(私にとって)余計なメールを鍋島と関口に送らなければ、ヤツの世話になどならずに済んだのです。

 そもそもの話として、私は震災で死んでもいい、死にたいと思っていたわけですから、「生き残るため」泊めてもらったということには、正直な話、心からの感謝の気持ちは抱きようがないのです。日本中が悲しみにくれた震災の日に、一人の女がセックスをしていないかを心配していたことを、不謹慎と思うこともまったくありません。

 それでも一応、後日、お菓子のお礼は神山に渡して、最低限の感謝の気持ちは伝えました。あのお家は神山のお父さんお母さんのものですから、お父さんお母さんに感謝の気持ちがあれば十分であって、別に神山に感謝する必要はないでしょう。とんでもない野郎だと言われるなら、とんでもない野郎でいいです。

 ともあれ、東日本大震災が「期待はずれ」に終わってしまったことで、私はさらなる地獄へと落ちなくてはいけないことになってしまったのです。

 短い春休みが明け、二年生になると、「応用情報」と「基本情報」で分かれていたクラスが統合されました。一年生のころは、全く別のクラスで学んでいた生徒も加わり、総勢30名あまりの大所帯となりました。

 新しく一緒になった人の半分くらいは、この後、また別のコースに進んでいったので、あまり印象には残っていません。よく覚えているのは、髪の短いちんちくりんの女「吉岡」と、鈴木紗理奈の出来そこないみたいな顔をした女「島野」、あと、ざんぎり頭に濃い青ひげという、とっちゃん坊やみたいな、老けてるのか幼いのかよくわからない顔をした男「梶原」の三人くらいです。

 ほとんどは知り合いだったため、新しい環境にはすぐに慣れましたが、私の心は、すでに崩壊を始めていました。

 神山が中尾となら付き合いたいと言い出した一件以来、自分はこの先、女をいくら好きになっても無駄であり、女と付き合うことは一生無理である、という思い込みに縛られてしまった私は、食事がまともに喉を通らなくなっていました。

 私はこの時期から、自分の容姿を、ことさらに卑下するようになっていました。そして、そんな醜い容姿をした自分が、「食べる」=「生きようとする、身体を作ろうとする」という行為に、ひどく疑問を覚えるようになっていました。

 一度、自分が容姿に悩んでいることを友人に話したら、「お前全然普通だよ。お前より酷いのなんかいくらでもいるよ」と言われましたが、私からしてみれば、神山レベルの女一人とも付き合えないのだったら、ちょっとブサイクぐらいだろうが、化け物のようなブサイクだろうが一緒です。極端な話、自分をイケメンだと思っていても、女ができなければどうしようもないわけで、女から評価されないことには、自信にも何にもなりません。

 いっぱい飯を食って、栄養を身体に取り込んでも、こんな汚い顔ができ上がるだけ。こんな汚い顔を作るために、必死になって飯を食ってる―――と神山に思われていると思うと、食事に手をつける気になれず、母親が作ってくれた弁当は、いつも帰ってから便所に捨てていました。

 最初は学校でだけ食べられなかったのが、次第に家でも食べられなくなり、代わりにアルコールに依存するようになりました。この頃には辞めていたタバコも吸うようになり、人が生存のために使う「口」という器官を、食事以外の快楽物質を取り入れることにしか使えなくなっていました。

 食べていなければ、当然、身体はドンドンと萎んでいきます。3月には60キロ近くあった体重は、震災の影響で3月から6月に延期になった「応用情報試験」のころには、40キロ台にまで減っていました。このころにはもう、一日にきゅうりの浅漬けを二、三枚、プロセスチーズ一つを食べるのがやっとで、一日に何も食べないこともありました。

 一日たったそれだけの食事量で力が出るのかと思うでしょうが、「飢餓状態」に陥りながらも、私は寝たきりになるどころか、逆に活動的になり、居残り勉強などもしていました。自分が確実に、死に向かっているという「充実感」が、身体を突き動かしていたように思います。ただ、さすがに、頭を目いっぱい使う、創造的な作業はできず、この時期、というかこの後ほぼ二年間は、小説の執筆は完全に止まっていました。

 わずか二か月あまりで10キロも体重が減れば、見た目の変化も顕著に表れます。周囲の連中も、段々と私のことを心配しだしました。母親にも、「頼むから食べてくれ」と頼まれましたが、私は食べることができませんでした。人間の身体というのはよくできたもので、飢餓状態が極限を超えると、腹に何も入っていなくても、大して苦痛ではなくなるのです。苦痛どころか、このときの私は、餓死できるという「充実感」に包まれていました。このまま楽に死ねるのなら、ずっと食わない方がいいではないか。逆に自ら進んで、食を拒絶していました。

 こうした極限状態の中で、「応用情報試験」を迎え、その晩、私は死の寸前まで行くことになるのですが、今回はここで終わります。

 誤解の無いように書いておこうと思いますが、私が「食べられなくなった」ことについて、私はけして、神山がすべて悪いとは思っていません。神山の「男を完全に道具としか見ない」も確かに異常だと思いますが、そのことで飯も食えなくなるほど思い詰める私もまた異常であり、私が「死にかけたこと」を、すべて神山のせいだと考えるのは無理があることはわかっています。

 私のような、特別に思い詰めやすい人間が、この先社会のレールからドロップアウトせずにやっていけたかといえば、それは余程の幸運に恵まれないかぎりは、やはり難しかったでしょう。私が「壊れる」のは早いか遅いかの問題であって、たまたま引導を渡したのが神山であったというだけ。そういう意味では、神山は運の悪い女ではありました。

 神山は神山で、復讐心を抱かれても当然の女だと思いますし、私の神山への恨みは消えるわけではないですが、私が「就職を諦めたこと」「堅実にレールの上を歩む人生が崩壊したこと」まで神山のせいにするつもりはないということは、ここでもう一度強調しておきたいと思います。

犯罪者名鑑 加藤智大 7



かとーもともだい



 女


 コメント欄の方には何度も書いてきましたが、この犯罪者名鑑では、加藤が法廷で語った、真実と報道のギャップについて、「格差社会への復讐」「派遣の反乱」「学歴コンプレックス」などについては、加藤の「ネタ」あるいは、マスコミが面白おかしく仕立て上げていただけだったと認めてもいいものの、「女」については真実であった、という前提のもとで分析をしていくというスタンスを、ここで明確にしたいと思います。

 ただ、犯人である加藤が若くして社会からドロップアウトしたため、読者さんからのコメントにもあったように、本人の「自覚」が今後変わってくる可能性もあります。あのときは自己責任だと思っていたものが、本当は社会からそう思わされていただけであって、やっぱり構造の問題だったんだ、と、考えが変わるかもしれないということです。

 「格差への復讐」などについても、本人が気づいていないだけで、本当はそれも大きな原因の一つであった可能性もありますが、ひとまずそれは置いておき、本人が明確に自覚しており、かつ、世間にウソをついているのは「女」だけであるという前提で、事実関係を列挙していきます。


あわび



 女、女、女



 地元の運送会社に就職して間もないころ、加藤は出会い系サイトを通じて、一歳年下の女性と知り合いました。加藤は彼女と、カラオケやゲーセン、花火大会などに遊びに行くなどデートを重ね、先輩の藤川の飲み屋に連れていったこともありました。藤川は、「若くてかわいい子」という印象を抱いたといいます。

 さらに、加藤は女性を家まで上げることにも成功(複数回)したそうですが、なんと、結局、最後まで行くことはなかったそうです。加藤はある日突然、合鍵を渡し、「一緒になろう」と言ったそうですが、女性は「いや。それはないから」とツレナイ返事をし、それきり二人が会うことはなかったそうです。

 家の中でどんなやり取りがあったのか、詳しくはわかりませんが、なんで家にまで上げてヤレなかったのかな、と、疑問というか、なんとも切ない気持ちにはなります。加藤が言うには、「おなかに顔を押し付けて甘える」くらいはできたそうですが、そこでもうちょっと強引に迫ってみたら良かったんじゃない?とか、女の方も、家まで上がったんだったらヤらせてやれよ、とか、どっちも別に、悪いとまでは言いませんが、このときもうちょっとうまいこと行っていたら、何かが違ったかもしれないのにと思うと、非常に残念ではあります。

 加藤が掲示板で出会った、「群馬の女性」、「兵庫の女性」とのその後を紹介します。

 まず、加藤に「20歳になったら会いに行くよ」と言ってくれた「兵庫の女性」ですが、彼女は実は、19歳ではなく、18歳だったことが、後から明らかになりました。19歳だったならば、あと半年ほどすれば会うことができますが、18歳では、あと1年半も待たなくてはならない。そんな先のことなんかわからないし、人生の希望にもならない。自分は適当にあしらわれただけではないか。絶望した加藤は、再び自殺を考えるようになってしまいました。

 一方、「群馬の女性」とは、その後も掲示板やメールでやり取りを続けており、「近所に開店するラーメン屋に食べに行きたい」を口実に、また会いに行くことになりました。

 約束を取り付けたのは、退職後も交流の続いていた藤川の居酒屋で飲み会をしていたときのことでしたが、加藤は飲み会に最後まで参加することもなく、突然席を立って、「これから、群馬に行ってくる」と、車で出て行ってしまったそうです。

 藤川が加藤をシャバで見たのは、これが最後になりました。

 3度目となった群馬の女性宅の訪問では、もう一人、掲示板で知り合った男性も参加していました。この日も「自虐ネタ」を繰り返す加藤を中心に、とりとめもない話をして、日中はそこそこ盛り上がったのですが、夜になって、「事件」が起こりました。

 加藤が眠っている女性の腹部にまたがり、腰を振り始めたというのです。

「のいてくれる?」

 女性はそう頼みましたが、眼鏡の奥の加藤の目は血走り、

「嫌だ」

 と聞く耳を持ちません。

「重いから、とりあえずのいてから話そう」

「こういうことはよくないから」


 女性が恐怖を押し殺しながら、加藤に冷静に語りかけると、加藤はハッと我に返り、女性に謝罪を繰り返して、家を飛び出していってしまいました。

 翌日、女性が加藤に連絡をし、荷物を取りに戻ってくるように言うと、まだ近くにいた加藤は、すぐに女性の家に帰ってきました。女性は加藤に、シャワーを使うように勧めました。加藤が着替えを取り出しに開いたバッグからは、コンドームの袋が見えていたそうです。

 加藤が風呂から上がると、女性は、加藤と「そういうこと」をする意志はないことをハッキリと伝えました。加藤はひたすら、すみません、すみません、と、頭を下げ続けていたといいます。

 子供もいるのに、男を簡単に家に泊めた女性の方にも責任はあるのだし、そんなに恐縮することねーって気もしますが、申し訳なさそうに謝る加藤を不憫に思ったのか、女性は加藤に対し、「もし本当に悪いと思ってるなら、頑張って仕事して、ワンピースでも買って。そしたらまた会おう」と、人生の目標を与えて、その場は円満な雰囲気で別れたといいます。

 しかし、加藤の方には、胸につっかえたものがあったようで、この一件の後、女性に彼氏ができたことを知ると、掲示板に「主人が蒸発して、精神的に不安定でも、彼氏がいるんだったら、俺より幸せ」と、女性を皮肉るような書き込みをしてしまいました。女性がそれを見つけて非難すると、加藤はスレッドを削除し、メールもすべて無視して、完全に音信不通になってしまったといいます。

 わかっている限りで、加藤の「生殖活動」は、ことごとく不首尾に終わっていたようです。


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 女女女女女女女女女女・・・・・。



 前回まで、「タメ」の話をしてきましたが、タメの中にも当然、優先順位というものがあります。順位は人によって様々ですが、私はこの時期の加藤にとって、何より大事なものは「女」だったのではないか、と思っています。加藤がどれだけ言い訳しても、藤川のような信頼できる「友人」がいた「仕事」を突然やめて、大金を叩いて、二人の女に会いに行く旅に出発したという行動が、それを証明しているといえると思います。

 前回、読者さんから頂いたコメントにもありましたが、ちょっとイタイ性格が原因で恋人ができない、モテない人に、「そんなんだからダメなんだ」という、辛辣な意見を浴びせかける世論もあります。「モテないのも自己責任」ということですが、私はこれはちょっと、世の中、恋愛弱者に厳し過ぎるのではないかと思っています。

 確かに加藤の手記を読む限り、加藤というのは非常に面倒くさい野郎であり、ひねくれた男であるようにも思います。こんな男がモテないのは当然と言いたくなる気持ちもわかります。

 しかし、「そんなんだからダメだ」と言われても、そもそも経験を積む場がなくては、スキルを磨くこともできません。
  
 世の中には「恋愛マニュアル」といった類の本も多く出回っていますが、ああいうのは所詮、「机上論」にしか過ぎません。机上論がまったく重要ではないとはいいませんが、実際のデートや口説きの際には、現場にいなければわからない間合いや呼吸というものがあり、また、女にも個性があって、マニュアルが必ずしも通用するわけではありません。戦場では戦争オタクなんかよりも、百戦錬磨の古参兵が強いように、机上論ばかりいくら学んだところで、実戦では何の役にも立たないものです。

 恋愛は相手あってのものです。自分でいくら経験が積みたいと思っていても、相手がチャンスを与えてくれないのでは、どうしようもありません。童貞はイタイと思うかもしれませんが、最初は誰だって、イタイ童貞です。女と長く付き合い、女の心と身体を知って、男としての自信をつけていく中で、だんだん角が取れて、女性に好感を持たれる振る舞いができるようになっていくものです。

 男の立場として、私は世の中の女性に、「そんなんだからダメなんだ」と切り捨てるのではなく、「最初はダメで当たり前」と見方を変えて、もっと門戸を広く開けてほしいな、と思います。

 最初から完成された男と付き合っても、どんどんアラが見えて嫌になるだけ。逆に最初ダメだった男の方が、成長していく過程が見えて、どんどん楽しくなっていく・・という面もあると思うのですが、そういうふうには考えてもらえないものでしょうか。どこかの誰かさんのように、中身をまったく見ず、ただ「顔面」「収入」だけで足切りされるというのなら、もうどうしようもないですが。

 彼女ができない、モテないと嘆く男の子でも、本人がまったく動いていないなら、あまり同情はできませんが、加藤はわかっているだけでも、かなり積極的に動いていたように思います。このくらい頑張って、全然女と「いいこと」ができなかったのなら、確かに可愛そうかなという気はします。
 
 加藤の人生を客観的に眺める我々は「まだ25歳、生きてりゃいいことある」といえますが、本人は「もう25歳」と思っている場合もあります。20代前半なら童貞でも許されるかもしれないが、20代後半で童貞なんて、誰も相手にする女はいない。どうせ一生女もできない人生なら、なくなったって構いはしない。思い詰めて、自棄になってしまう加藤の気持ちを、私はことさらに非難することはできません。

 加藤が女ができなことで悩んでいたのは、状況からして明らかだと思うのですが、これほど思い詰めた「女」に対する執着、思いを、加藤はなぜ「欺瞞」で覆い隠したのでしょうか?

 それこそ、「男らしさの病」と言われるものです。

 男なら皆、多かれ少なかれ、「女のことでクヨクヨ悩んでいるなんてみっともない」という感覚を持っていると思います。少なくとも、「女とヤレナイ、女に愛されない」ことが、世紀の大事件を起こした動機の一つだったと思われて、まったく恥ずかしい思いをしない人はいないのではないでしょうか。「犯罪の影に女あり」とよく言われますが、まさに、女のことは男にとって、「陰に追いやりたい」ものです。

 恥ずかしいと思うから、男は色々な、「もっと壮大に見える」「もっともらしい」理由を言って、女のことを覆い隠そうとします。社会への復讐・・・・・異常快楽殺人者・・・・。

 加藤の場合は、「掲示板のトラブル」に、すべてを押し込めようとした。

 自分の経験を重ね合わせている部分もあるかもしれませんが、私はこのように考えています。

偽善の国のアリス 10

 新年が明けたのちも、神山に想いを寄せ続ける私でしたが、好意をむき出しにする感じではありませんでした。最初はただ単に、「よく話しかける」程度のことだったと思います。

 しかし、周りの連中には私の想いは丸わかりだったようで、期せずして、「私の想いを後押しする空気」のようなものが生まれていました。具体的には、私が神山と喋っているときに茶化してきたり、神山が学校主催のお菓子教室に出ることになった際、誰かが私の名前を参加希望者の欄に勝手に書いて、私も一緒に出ることになったり、といったことでしたが、こういう空気自体は、私は悪い気はしませんでした。

 そういう雰囲気を作る中心になっていたのは「野村」でしたが、彼はどうやら私の恋を真剣に応援してくれていたようですし、周りの連中も、神山のことを一途に想い続ける私のことを、暖かく見守ってくれていたようだったからです。神山がもっと、「流される」タイプの女だったら、ここで私と結ばれることもあり得たかもしれません。もしそうなっていれば、私は野村たちに、一生足を向けて寝れないほど感謝していたことでしょう。

 結果的には、ヤツの絶対の信念である「顔の良い男のちんこは新鮮なマツタケの味。顔の良い男のちんこだけをしゃぶりたい」「男はアクセサリーとして連れ歩けるか、友達に自慢できるかどうかだけがすべて」は、どう頑張っても突き崩すことはできず、神山は私には振り向かなかったのですが、実は神山を手に入れられなくても、私が「頑張る」意味はありました。

 神山と付き合うことが望み薄だとわかった私が次に考えたのは、「負け犬にならないこと」でした。神山と付き合えないのは、まあ仕方がない。神山が他の男と付き合うのも、まだ耐えられる。しかし、それを「見せつけられる」のは、もう耐えられない。私の中で本当に明確な一線があったのは、実はそこでした。

 神山が他のところで男を作ってくる分には、まだ「学校や職場などでは恋愛しない主義だったのかな」とか言い訳できる。しかし、同じ学校の、同じクラスという、まったく同じ条件下の中で恋愛をされたなら、もう、ぐうの音も出ない敗北になってしまいます。

 「言い訳」が見苦しいと思っている人もいるかもしれませんが、とんでもない。男にとって、言い訳は「命」です。喧嘩でコテンパンにのされたとしても、「体調が悪かったから」「相手が卑怯な手を使ってきたから」とか、言い訳ひとつさえあれば、納得して矛を収めることができる。ボロボロになって倒れた男がまた立ち上がるための魔法の言葉こそが、「言い訳」なのです。

 私が絶対に避けねばならないこと、それは、同じ学校の、同じクラスの中から、神山と付き合う男が出てきてしまうことでした。曲りなりにも友人は多かった私が、神山をいまだに好きだということを周囲にアピールしておけば、周囲の連中は、神山に手が出しづらくなる。私が「進む」決断をしたのには、こういう苦し紛れの理由もあったのです。

 しかし、私をサンドバッグのようにボコボコにして、最後は笑い話にして終わらせた気になっている神山には、私がいまだに神山に想いを寄せ続けていることは、甚だ不快なことであったようです。また、周囲に漂う、「私の恋を後押しする空気」これは別に、私が野村たちに頼んでやってもらったことではないのですが、神山からすれば私が頼んだのだろうが、野村達が自発的にやっているのだろうが同じことで、私を疎ましく思う理由になったようです。

 あくまで自分を「ロイヤルプリンセス」だと思い込む神山には、自分が私のプライドを傷つけすぎたせいで、私が引くに引けなくなってしまったという事情はまったくわかりません。「乞食が、分を弁えよ」と思うだけです。三学期、初めは普通に仲良くしていた神山の態度は、だんだん辛辣なものに変わっていきました。

 神山に嫌われるのは辛いことでしたが、正直、そのことは考えていられませんでした。私にとって何より重大なこと、「負け犬にならないこと」のために、私は神山が好きだということを、周囲にアピールし続けるしかなかったのです。

 しかし、私が神山にまったく相手にされていないとなると、「津島の恋を後押しする空気」も変わってきます。ここまで私を応援してくれていた野村もいい加減業を煮やしたのか、それとも単なる気まぐれか、ある日、次のような質問を、神山にぶつけました。

「このクラスの中で、誰だったら付き合う?」

 野村はクラスの男の名前を順番に上げていきました。私にとって、このときほど生きた心地がしなかったときはありません。何人かの男は、神山の御眼鏡にかなわなかったようで、神山は首を横に振りましたが、ある男の名前が野村の口からでた瞬間、神山は弾けんばかりの笑顔とともに、首をコクリと縦に振りました。

 「中尾」でした。長身で色黒の、ホスト風の容姿をした「中尾」です。ヤクルトスワローズの鵜久森選手によく似ていたような気がします。

 第二回の最後に、私は、「中尾」が、最初、神山を馬鹿にしていたことを書きました。忘れてしまった方は、一度戻って読んでみてほしいのですが、まだ情報の授業が始まったばかりのころ、「中尾」や「金澤」が、神山をバカにしていたところを、私は確かに、この目で見ました。

 私も以前には、中尾からバカにされていました。この当時は普通に仲は良かったのですが、過去のいきさつを忘れたわけではありません。「親友」になれるかといったら、それは無理だったでしょう。そっちの方が普通の感覚だと思うのですが、神山は、過去、自分をバカにしていた男と、「真剣交際したい」と言い出したのです。

 自分をバカにしていた男でも、顔さえよければ付き合える・・・。こういう考えの女を、私は好意的に見ることはまったくできませんが、一応、理解はできます。

 ようするに、男を自分を飾るためのアクセサリーのようにしか思っていないということでしょう。「アクセサリー」は自分が大切にさえしていればいいのであり、「アクセサリー」が自分のことをどう思っていようが、まったく関係ありません。神山にとって、男というものは、人生を一緒に歩むパートナーではなく、友達に自慢して優越感に浸るための道具にしかすぎないというわけです。

 では、ルックスが良くない私は、神山にとって、全く利用価値がない男だったのか?そんなことはありませんでした。ルックスの良くない男はルックスの良くない男で、神山にとっては「サンドバッグ」としての価値がありました。サンドバッグは、自分が好き放題ボコボコに殴れればいいのであって、サンドバッグも痛いだろう、苦しいだろうと、気持ちを思いやる必要などまったくありません。神山にとって、イケメンでない男とは、好き放題ボコボコにして、「私はこんなヤツと付き合うようなレベルの女ではない」と、自分自身や周囲にアピールするための道具でしかなかったのです。

 繰り返して書きますが、「中尾」は、最初、神山のことをバカにしていたのです。自分をバカにした中尾と、神山は「付き合いたい」とか言い出したのです。確かに異性を選ぶ基準として、ルックスは大事なのかもしれません。しかし、ここまで極端なヤツも、そうはいないのではないでしょうか?

 神山はもしかして、一種の「変態」だったのでしょうか?

 私も自分を侮辱した女に性欲を催すことはあります。神山だって、頭の中で何回犯したかしれません。しかし、それはあくまで、ムカつく女をレイプして、グチャグチャにしたいという、男なら誰しも一度は思う願望であり、間違っても、自分をバカにした女と真剣交際したい、結婚したいなどと思うことはありません。私は自分を真剣に想ってくれる女が好きです。
 
 では、お前はなぜ神山を諦めないのか、矛盾しているではないかと言われるかもしれませんが、それは「最初は神山が優しかったから」です。最初から中尾にバカにされていたのに、中尾と付き合いたいなど言い出した神山とは、まったく質が違います。

 また、それ以外に選択肢がなかったからでもあります。この時点で、自分を愛してくれる女など、私の周りには一人もいません。「進むも引くも地獄なら、進もう」という決断をしただけです。極端な話、このとき誰かが私に告白してきてくれていたら、私は間違いなくそっちに行ったと思います。

 自分を想っている男がちゃんといるのに、それをただ振るだけならまだしも、ケチョンケチョンに貶し、あろうことか自分をバカにしていた男に、うんこのカスがいっぱいこびりついたマンコから、どぶ臭い汁を垂れ流しながら近寄っていくような変態の考えることは、私には理解できません。

 何度でも書きますが、「自分をバカにしていた男と真剣交際したい」と思うなど、私からすれば変態以外の何物でもなく、悍ましさすら感じます。私も「特殊性癖」の持ち主ではありますが、ここまで理解不能な「変態」ではないと言えます。それこそ、頭の中にウジが湧いているとしか思えません。

 神山は、中尾が自分を馬鹿にしていたことを、知らなかったのかもしれません。もしそうだとするなら、以前に触れた、「神山は津島が悪だと見抜いていた説」は、完全にあり得ないということになります。あの時点での交流頻度、交流期間で私の人格を見抜けるくらい感性の鋭い女が、自分が中尾にバカにされていたことに気づかないはずがないからです。

 つまり、神山は何の正当性もなく私の人格を貶めていたのであり、仮に私が悪だったとしても、それは神山に精神を破壊された結果、そうなったものであるという証明になると思います。

 女がみんな神山のような生き物だったら、いくら「恋」などしても、すべて無意味。女のことをいくら想っても、まったく無駄ということになってしまいます。

 今だったら、神山が特別に異常な、男というものを完全に道具のようにしか考えられない、もしくは異常な変態女であったと理解することもできます。しかし、当時の私はまだ23歳。女経験も少なく、広く世間を見渡すということも知りません。

「女というものは、全員神山のような生き物なのではないのか?」

 このように思い込んでしまった私は、自分の人生には、もはや女方面の希望はまったくないと絶望してしまったのです。

 読者さんの中には、私がいつまでも神山を諦めないことについて、「神山に迷惑だとは思わなかったのか?」とか考える人もいるかもしれません。神山が「男なんて興味ない」「学校や職場では恋愛しない主義」だったなら、私も確かに、「迷惑かけたな、申し訳なかったな」と思ったでしょう。

 しかし、実際には、神山は学校のクラス内にいる男を品定めし、一々序列をつけて、深沢や中尾といった顔の良い男たちには、シラミの湧いた股間から腐敗した膿汁のような汁を垂れ流しながら近寄り、御眼鏡にかなわなかった男は、滅茶苦茶に罵倒してストレス発散をするような女でした。

 婚活サイトとかでやるならともかく、現実世界でそんな男を完全に舐め腐ったことをやるような女に、「迷惑かけた」と思うような感覚は、私は持ち合わせていません。神山にしつこくしたのは確かかもしれませんが、私には何の罪悪感もありません。

 神山のみならず、女すべてに絶望を抱えた状態で、「あの日」―――3.11の悲劇がやってきました。

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 終


 

ざつこら

 失敗した少年A更生プログラム


 猟奇的な愉快犯の正体が、「触法少年」にあたる14歳の少年だったという衝撃は日本全国を駆け巡り、加熱した報道合戦の結果、週刊誌には顔写真が公開されるに至りました。ニュースやワイドショーでは、連日、酒鬼薔薇の抱えた「心の闇」が取りざたされ、事件の取材に訪れた記者の後ろに写った、酒鬼薔薇と同じ年頃の少年がピースサインをしていたことがやり玉に挙げられ、「土地柄が悪いのではないか」などと言われたり、例によってホラービデオの規制が叫ばれるなど、不毛な議論が交わされました。

 地下鉄サリン事件と、阪神・淡路大震災という「二大カタストロフィ」からわずか2年で起こった惨劇。当時の世の中に蔓延していた「終末」の予感に拍車をかけるには、十分すぎる出来事でした。

 裁判の結果、関東の医療少年院に送致された酒鬼薔薇は、通常の収容期間を延長し、「少年A更生特別プログラム」を受けることになりました。

 プログラムの内容は、「少年院内に”疑似家族”を作り、親の愛を知らない酒鬼薔薇を赤ん坊のように包み込む」というものでしたが、このプログラムの経過について、ここで詳しく紹介するつもりはありません。知っての通り、酒鬼薔薇本人が、自らの行動によって、このプログラムの成果を完全否定してしまったからです。
 
 後出しみたいに言うのもなんですが、私は「少年A更生プログラム」は完全なる失敗であり、また、「失敗は予期できたこと」だったと思っています。

 理由はこれまで述べてきたことの繰り返しなので、ここで長々とは書きません。簡単にまとめれば、失敗の原因は、「酒鬼薔薇のお母さんが”鬼母”であったなどと、なぜか決めつけ、親の人格や教育を全否定した」こと。そして、その決めつけが間違いであると気づく根拠が無数にあったことは、第1回からここまで書いた内容で、概ね証明できたと思います。

 酒鬼薔薇は、裁判や矯正教育の過程において、自分自身、「母親が悪い」と、司法関係者によって思わされていた時期があったことを述べています。そのことから、面会に訪れた母親に反抗的な態度をとってしまったのかもしれません。一種の洗脳ですが、この、一時期「自分を歪められたこと」が、洗脳から覚めた後、酒鬼薔薇が「少年A更生プログラム」を余計に憎む理由になった可能性もあります。

 「絶歌」から、酒鬼薔薇本人の声を紹介します。

「母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。事件後、新聞や週刊誌に、”母親との関係に問題があった”、”母親の愛情に飢えていた”、”母親に責任がある”、”母親は本当は息子の犯罪に気づいていたのではないか”などと書かれた。自分のことは何と言われようと仕方がない。でも、母親を非難されるのだけは我慢できなかった。母親は事件のことについてはまったく気づいていなかったし、母親は僕を本当に愛して、大事にしてくれた。僕の起こした事件と母親には何の因果関係もない。母親に気づいてほしくて事件を起こしたとか、母親を振り向かせるために事件を起こしたとかいうストーリーは、確かにわかりやすいし面白い。でも実際はそうではない」

「事件のさなか、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともなかった。須磨警察署で自白する直前になって、初めて母親のことを思い出した。あの事件は、どこまでもどこまでも、僕が、”超”極私的にやったことだ。母親はいっさい関係なかった」

「誰もかれもが、母親を悪者に仕立て上げようとした。ともすれば、事件の元凶は母親だというニュアンスで語られることも多かった。裁判所からは少年院側に、母子関係の改善をはかるように、という要望が出された。そんな状況の中で、いつしか僕自身、”母親を悪く思わなくてはならない”と考えるようになってしまった。そうすることで、周囲からどんなに非難されても、最後の最後まで自分を信じようとしてくれた母親を、僕は二度も裏切った」

 もしかしたらこれこそが、酒鬼薔薇が一番書きたかったことなのかもしれません。


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 出所


 2004年、関東医療少年院を二十一歳で出所した酒鬼薔薇は、はじめ更生保護施設を利用しながら、日雇い派遣や廃品回収の仕事をしながら生活していました。しかし、ここでは身元バレのトラブルに見舞われ、一時、保護施設の職員の手引きでウィークリーマンションに引っ越すなど、しばらくは安定しない生活が続いていました。

 酒鬼薔薇がようやく腰を落ち着けたのは、地方にある篤志家の家でした。篤志家というのは、もともと警察官や刑務官など、犯罪者に関わる仕事をしていた人で、引退してからも犯罪者の更生を支援する活動を無償で行っている人のことです。

 篤志家の夫婦は、酒鬼薔薇と二人きりで夜道を歩くことをまったく怖がらなかったり、酒鬼薔薇が自らの意志で、自分についての報道をTVで観たとき、一緒に付き添ってくれ、酒鬼薔薇について辛辣な意見がでたとき、「私はAくんを、そんな風には思わなかったけどなぁ」とフォローしてくれるなど、非常に理解のある方で、酒鬼薔薇は、「自分のことを、こんなに想ってくれる人がいるなど信じられなかった」と、衝撃を受けたといいます。

 篤志家の家にお世話になりながら、ハローワークで就職先を探していた酒鬼薔薇は、数か月かかってようやくプレス工の正社員の口を見つけ、アパートで独り暮らしを始めることになりました。

 プレス工の会社では一年ほど働いていましたが、あるとき酒鬼薔薇は、急に仕事を辞めて、遠くへと引っ越してしまいました。酒鬼薔薇は仮退院の期間が終わって本退院となってからも、篤志家や保護施設の職員から、遺族に手紙を届けてもらったり、生活の相談に乗ってもらったりなどのサポートを継続して受けていましたが、彼らとの連絡も、自ら断ち切ってしまいました。

 身元バレの経験がある酒鬼薔薇には、彼らの支援を断ち切るのがどれだけ社会生活をする上で不利になるか、重々わかっていたはずですが、酒鬼薔薇はこれまでの全てを捨てて、「逃亡」してしまったのです。

 酒鬼薔薇はその理由について、

 ・一人になって、自分自身と向き合いたい。贖罪ということについて考えたい。
 ・広い世界に出て、自分がなんぼのもんか確かめたい。自分を試したい。
 ・若気の至りのようなもの。

 などと書いていますが、私はこれは欺瞞で、酒鬼薔薇は本当は、たとえ社会生活が不自由になってもいいから、忌々しい「矯正」から逃げたかったのだと思います。客観的に見て恵まれていると思える環境すら捨ててしまったことが、酒鬼薔薇の、「矯正」への憎悪を物語っていると言えると思います。


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 自由 



 2006年、酒鬼薔薇二十三歳。サポートの手を一切断って、一人になった彼は、いくつかの建築会社を転々としながら、キツイ肉体労働をする日々を過ごしていました。

 酒鬼薔薇は、カタコト外人の指示がわからずボヤっとしていると、顔に工具を投げつけられたり、鋼材が足に落ちて大けがをした仲間を見て、「あのガキ、労災いくらもらえんだろうな?」などとヘラヘラ笑いながら話していた同僚に不快な感情を抱いたりなど、気性の荒い労働者たちと、危険な仕事をする中で随分苦しみ、ストレスのせいで、何度か断片的な記憶喪失に陥ってしまったといいます。

 プレス工の仕事を辞めてから四年間。こうした何のスキルも身につかない劣悪な労働環境にいても、いつか心身を壊されるだけだと判断した酒鬼薔薇は、必死で就職活動に励み、ようやく、少年院内で培った技術が生かせる、溶接の仕事に就くことができました。酒鬼薔薇は二十七歳になっていました。

 酒鬼薔薇の溶接の腕はよく、仕事ぶりも真面目で、社長からの覚えは良かったのですが、飲み会の誘いを断ったり、休憩時間も守らずに働くなど、協調性が欠如していたために同僚からは嫌われ、身に覚えのないミスの責任を取らされるなど、イジメまがいのことも受けていたようです。
 
 なんとか耐え忍びながら三年間働き、三十歳になったころ、酒鬼薔薇はこの会社も辞めて、短期のアルバイトを転々としながら食い繋ぐ生活を始めました。このとき2012年。「絶歌」の出版が2015年で、2014年には出版社に400万円の借金をし、執筆作業に専念する生活を送っていましたから、約一年間が「短期バイト時代」ということになります。酒鬼薔薇はおそらくこの時期に、「絶歌」を出版し、印税生活を送る青写真を描き始めたのでしょう。

 酒鬼薔薇は、趣味である読書を通じ、自分は書くことでしか救済されないという確信に至っていました。「救済」の意味をすべて知っているのは本人だけですが、

 ・酷い労働環境から抜け出す、金銭を獲得することで、自分自身を救う。
 ・「真の動機」を公表することで、言われなき批判から母を救う。

 おそらくはこの二つが、出版における彼の主な目的だったものと思われます。よく言われる「自己顕示欲」は、ないとは言いませんが、本人の中で一番大事だったことかといえば、少し違うのではないかと、私は考えています。 

 

 
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 社会的抹殺へのカウントダウン


 
 現在、酒鬼薔薇は33歳。「絶歌」で数千万円の印税を手にしたと言われ、会社に雇われて働く形での労働はせず、貯金で悠々と生活しているといいます。

 実際には、税金や出版社への借金を差っ引いて、酒鬼薔薇の手元に渡ったのは多くても千五百万円程度だったでしょうが、食事は毎日カップ麺で平気、趣味は読書とナメクジ採集程度、女にも興味がないという酒鬼薔薇なら、余裕で五年は暮らせる額です。仕事を転々としていたにも関わらず、酒鬼薔薇は一時期最高で百万を超える貯金を持っていたときもあったそうで、この「金を使わない」ことが、酒鬼薔薇が身元バレを恐れながら、底辺社会でやっていけた大きな理由の一つでもありました。

 彼の暮らしを「羨ましい」と見るかは人それぞれですが、まあ、底辺労働の現場で這い蹲って働くよりは「勝ち」と言えるのではないかと思います。

 前述したとおり、「絶歌」では、少年院出所後の酒鬼薔薇が、人並みに世の中にもまれ、底辺労働の世界で苦しんできた様子が綴られていました。いくつかのエピソードには、酒鬼薔薇の方に問題があったケースもありましたが、いずれもよくある程度のことで、酒鬼薔薇の社会性に、それほど大きな欠陥があったとは思いません。

 中学時代にも、酒鬼薔薇に友人はいましたが、社会に出てからも、職場で中国人の留学生などと仲良くなるなど、それなりに社交的なところも見せています。酒鬼薔薇が労働者として生活することはまったく不可能ではなかったと思いますが、彼は低賃金、単純労働を繰り返す日々に耐えられませんでした。

 我慢が足りない、納得して生きろ、などと、偉そうに説教じみたことを言うつもりはありません。犯罪者的傾向のない人でも、底辺労働は辛いと思うのですから、衝動を抑えられず、人を二人も殺した酒鬼薔薇が耐えられないのは、ある意味当然ともいえます。そこで昔のように、簡単に弾けることなく、向上心を持って底辺から抜け出す努力をするのなら、それは尊いことではないかと思います。

 しかし、限度はあります。会社の中で責任ある仕事を任されたり、結婚して平和に暮らす程度のことだったら、なにも問題はなかったでしょう。ですが、「大儲け」はいけません。世間は元重大犯罪者が「勝ち組」の仲間入りをすることは、絶対に許してはくれないのです。

 真面目にやってる俺たちが苦しい思いをしているのに、なんで人殺しのアイツが左うちわで暮らしているんだ?という、当然の感情。私も自分の努力が報われていないと感じる一人として、これに関しては、世間に共感します。

 猛勉強をして弁護士になった少年すら、社会的制裁を受けたのです。自分の犯罪をネタに手記で大儲けした酒鬼薔薇に、世間が黙っているはずはないでしょう。すでに週刊文春の取材によって、酒鬼薔薇の現在の顔写真が公開されました。少年時代の面影は残っており、まず本人とみて間違いないでしょう。

 酒鬼薔薇が社会から再び抹殺される日は迫っています。彼は今後、いったいどういう形で、世間と対峙していくことになるのでしょうか。趨勢に注目していきたいと思います。



 総括:酒鬼薔薇のお母さんは、けして鬼母でもないし、お母さんの育て方にそれほど大きな問題があったわけでもありませんでした。こうした少年院側の決めつけ、及び、「悪いヤツには何を言ってもいい」式のマスコミの乱暴な報道の仕方が、酒鬼薔薇の態度を硬直化させ、彼の反省を妨げてしまった面はあったと思います。当時、酒鬼薔薇の矯正や報道に関わった人間の中には、酒鬼薔薇に偉そうに「反省」を言う資格のない人たちが大勢いるはずです。

 が・・・そのことと、自分の起こした重大犯罪をネタに金儲けをするという行為は、まったく別の問題です。
 
 本を買った人は、何も悪くありません。売った人も、そんなに悪くありません。書いた人はまあ悪いですが、一番ではありません。一番悪いのは国です。個人や企業が利益を求めて動くのは、ある意味当たり前のこと。それを制限するのが国の仕事です。国が危険を予期し、適切な法の整備を怠っていた結果が、今回の遺族の悲劇でした。

 サムの息子法の成立は急がれるべきでしょう。「やったもん勝ち」の世の中には、してはいけません。
 
 酒鬼薔薇聖斗 完

 
 

犯罪者名鑑 加藤智大 6


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 「タメ」

 2007年1月、加藤は地元の運送会社に就職しました。毎朝3時に出勤し、市内の学校に牛乳の配達を行う仕事です。ハードでしたが、やはり加藤はどこまでも車が好きで、仕事は彼にとって、大変やりがいがあったそうです。運転の技術も確かで、贈り物のお返しはキッチリとし、花見では場所取りをするなど如才なく、同僚からの評判は上々だったそうです。

 貧困問題の第一人者である湯浅誠氏は、人間が社会生活を営む上で大切なものを「タメ」と表現しています。「タメ」の定義も人それぞれで、タメの中でも優先順位は人それぞれ違ってくるでしょうが、25歳で独身の男ということであれば、「家族」「仕事」「友人」「恋人」「趣味」の五本線が基本になると思います。

 当時の加藤は、「タメ」のうち、「家族」「仕事」「友人」関係が充実していました。「趣味はゲームがありますが、これについては微妙なところで、ゲームでも一本のソフトを何年も遊んでいるというのなら立派な趣味になると思いますが、数か月遊んで飽きたら次のゲーム、というのでは、「オンリーワン」の趣味とはいえず、自分の中の軸といえるかどうかは怪しいところです。まあ、「○」「△」かでいったら、「△」だったでしょう。

 とはいえ、三本の柱はしっかりとしており、25歳の男にこれだけ揃っていれば、安定した生活は十分送れるという状態だったのですが、間もなく柱の一角が崩壊してしまいます。もともと別居中だった両親が、突然離婚することになったのです。家族のやり直しを真剣に考えていた加藤にとって、両親の決断は大変ショックなものでした。

 このとき、どういうやり取りがあったのかわからないのですが、加藤はまた実家を出て、一人暮らしをすることになってしまいました。ご両親のうち、どちらか一人とでもいいから一緒に生活すればよかっただけの話だと思いますが、「みんな一緒じゃなきゃ意味ない」と思ってしまったのでしょうか。

 こうして、「タメ」の一角は、あっという間に崩壊してしまったのです。

かととおおお


 
 失踪

   
 家庭の方が崩壊してしまってからも、仕事の方では、まだ充実した日々が続いていました。

 加藤にとって良い出会いもありました。加藤の先輩に、居酒屋の経営と運転手を掛け持ちしている「藤川(仮)」という、30代の男性がいたのですが、加藤は普段からこの人を慕っており、飲み会の席などでも、積極的に話しかけていたそうです。

 ある日のこと、加藤は藤川に、「藤川さんは経営者じゃないっすか。勝ち組っすよ。羨ましいっすよ」と、軽口を叩きました。藤川が本当に勝ち組なら、トラック運転手との兼業などしているはずもありません。藤川は怒りをこらえて、加藤に「お前は、将来なにがやりたいの?」と返しました。加藤はそれに対し、「ゲームセンターをやりたいっす」などと、適当に思いついたようなことを答えます。

 藤川は、加藤がゲームで、月に五、六万円ものお金を使っていることを知っています。本当に夢があるなら、そんな無駄遣いはしないはず。連日の激務の疲労もあり、藤川はここで切れてしまいました。

「お前は経営者をなめてんのか!本当に勝ち組なら、俺はお前なんかと出会ってねえから!」


 藤川の怒りはもっともですが、加藤の発言は若さ特有の「軽さ」であって、悪気があって言ったわけではありません。藤川もちょっと大人げなかったと思ったのか、自分の店の経営が苦しいこと、家族を養っていかねばならないこと、会社には自分と同じように、生活に苦労している仲間が大勢いることを、加藤に滔々と説明してやりました。

 藤川の怒りの意味が理解できた加藤は、自分を恥じて号泣したといいます。

 加藤はどうも、自分に対して本気でぶつかってきてくれた人に懐くタイプのようで、この一件から、加藤は藤川をますます慕うようになりました。藤川もそんな加藤を弟のように思うようになって、家に招いて、一緒に食事をとったこともあったそうです。

 他の同僚とはトラブルもあったようですが、やりがいのある仕事、尊敬できる先輩がいる職場で、加藤にとってはそこそこ充実していたはずです。ところが、加藤はこの職場を、いきなり飛び出してしまったのです。

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 旅


 
 加藤は当時、一時辞めていた掲示板を再開していました。加藤が利用していた掲示板は、2ちゃんねるのような大人数が集まるところではなく、少人数ですが、その分深い会話ができる、個人が運営する小さな掲示板でした。
 
 加藤は掲示板で、自分がスレッドを建てたり、他の人が建てたスレッドに書き込んだりしているうち、管理人を含む、三人の利用者と特に親しくなりました。そしてあるとき、加藤は北九州に住む管理人の家をゴールとして、加藤が三人の利用者の家を訪問する旅を行う、という企画を立てました。三人は快く同意してくれ、加藤は彼らに会うため、二週間の「旅」に出ようとし、会社に休暇を申し出たのです。

 まずかったのは、休暇の理由を、馬鹿正直に「遊びに行くから」などと言ってしまったことでした。会社としても、入社してから一年も経っていない新人が、遊び目的で二週間もの休暇を突然取るということには、簡単には頷けません。結局、加藤の申し出は会社から却下され、加藤はその不満を藤川に伝えましたが、藤川には逆に呆れられてしまいました。

「長期休暇を取るのはいいが、遊びたいから、などと馬鹿正直に言うヤツがあるか。そこは親戚の結婚式に出たいからとか言っておけよ」

 藤川の言うことはもっともです。派遣社員時代、上司の正社員にいちいち余計な提案などをして煙たがられていたエピソードもそうですが、どうも加藤は、そこそこ能力はあるものの、自分の置かれた立場を理解する感覚や、人情の機微を読む力が欠けていたようです。アスペルガーなども疑えば疑えますが、若さゆえに融通が利かなかっただけという可能性もあり、断言はできません。

 休暇については、普通ならここで断念するところですが、なんと、加藤は会社を突然やめて、「旅」を強行してしまったのです。

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 漂流



 加藤が最初に向かったのは、群馬県に住む、二歳年上の女性の家でした。女性はシングルマザーで、睡眠障害を患って療養中でした。加藤は沢山の土産を持ってきたといいます。

 その晩は女性の部屋で一泊し、翌日、加藤は女性と子供の三人で、町にデートに出かけました。加藤は買い物中、女性が「これ、可愛い」などというと、すぐに買ってあげようとするなど、異常ともいえるほど、女性に気を遣う様子を見せていました。加藤は手記の中で、自分は人を喜ばせることに快楽を覚える性格であると語っていますが、女性は加藤が悪い人に騙されないか、気になったようです。

 その日のうちに、加藤は今度は、兵庫の女性の家に向かいました。この女性は19歳で、顔写真を交換していたのか、加藤が前から想いを寄せていた女性でした。加藤は女性に告白したようですが、無残にも振られてしまったそうです。その晩は車内に宿泊し、翌日、最終目的地である、北九州に到着しました。

 北九州では、掲示板の管理人の男性と名物のラーメンを食べるなどしながら、加藤は自分の生い立ちを語り、「居場所がない」と嘆いていたそうです。管理人の男性は「俺たち友達だろ」と励まし、青森に帰っていく加藤を見送りました。

 加藤が向かったのは、最初に会った、群馬の女性の家でした。ここで加藤は、兵庫の女性に振られたことを泣きながら報告し、群馬の女性の前で、

「寂しい」
「一人は嫌」
「彼女がいれば」
「不細工だから彼女ができない」


 などと叫んだといいます。

 終始、他人事のような語り口で、淡々と自己分析をする加藤の手記からは伺えない、激しい感情の爆発が見て取れます。一体、どちらが加藤の本当の顔なのでしょうか。結論は最後に出すとして、一つ言えるのは、加藤はこの旅において、ほぼ間違いなく「いいこと」を期待していたであろう、ということです。本命は兵庫の女性だったかもしれませんが、群馬の女性でもいいと思っていたでしょう。加藤はこの夜、「部屋に泊まっていけば」という女性に対し、「一緒に寝たら、手を出してしまいそうだから」と、自分の車の中で寝たそうですが、本当は、女性が子供を置いて、車の中に来てくれるのを待っていたのではないでしょうか。

 しかし、二人はせっかく遠路はるばる足を運んだ加藤に、指一本触れさせてくれませんでした。

 一人は子持ち、もう一人はまだ若かったということもあり、仕方ない面もあるかもしれませんが、青森から北九州まで、総額15万円にはなったであろう旅費をつぎ込んで、名刀を鞘から抜くこともできなかった加藤には、男として同情します。こうなるのだったら、ソープで全部使い果たしたほうがマシだったと、加藤は嘆いたはずです。

 仕事を失い、金を失ってまで出かけた旅で得たものは、愚にもつかない励ましの言葉と、たまりにたまったザーメンだけ。旅から帰ってきた加藤は、徒労感からか、今度こそ自殺しようと思ったようですが、直後に兵庫の女性から届いたメールを見て、元気を取り戻しました。

――20歳になったら、会いに行くよ。

 兵庫の女性が19歳になるのは、あと半年後のこと。少し希望が見えた加藤は、新しい仕事を探し始めました。

偽善の国のアリス 9


 神山が、私の「神山は性格が悪い」というメールを見てやったこと。それは、「慰謝料として罰金100万円」などと書いた紙に、私に指印を押させ、それをみんなに見せびらかす、というものでした。

 神山のやったことは、みんなには受けていたようです。非常に胸糞が悪いのですが、当時の私は愚かなことに、いかにコケにされ、挑発された結果とはいえ、好きな女である神山に「性格が悪い」と言ってしまったことを申し訳ないなどと思って、神山に謝罪などをしてしまっていましたから、逆に神山が笑いのネタにしてくれて、「救われた」などと思っていました。私の惚れた弱みに付け込む神山の、思うつぼに嵌まってしまっていたのです。

 結局あの女は、私を散々コケにして、サンドバッグのように言いたい放題言ってボコボコにしてスッキリしたら、すべてを笑い話にして終わらせようとしていたのです。最初から最後まで、あの女は、私の想いを真剣に受け止めることもなく、私の話を真剣に聞くこともありませんでした。

 テレビのバラエティ番組の弊害として、「笑いになれば何でも許される」と、子供やバカが勘違いしてしまうようになる、ということがあります。人によっては、暴力描写のある映画やゲームなどを問題視する人もいますが、犯罪との因果関係は立証されていませんし、私は暴力をメインにした作品でも、「暴力は悪である」が伝わっている限りは、それほど問題はないのではないかと思います。

 それよりも、人間のプライドを踏みにじっても、それが笑いに変わるなら正しいことである、と、ポジティブな印象で伝わってしまうテレビのお笑い番組の方が、私は危険であると思っています。確かに面白いとは思いますし、分別のある大人が観る分にはいいと思うのですが、ああいうのを観ることによって、「笑いになれば何でも許される」・・・逆に、「人生などテキトーに、笑い話にするべきものであり、マジになって生きるのはカッコ悪い」と思ってしまうアホなヤツもいるのです。神山も、そんな一人だったのではないでしょうか。

 確か、ラガーマンの稲生だったと思いますが、私の神山への想いというか、私の生き方そのものについて、「お前は重すぎるんだよ」と言われたことがありました。これは稲生がけして珍しいことを言っているわけではなく、割とどこでも聞かれる意見です。

 確かに人間社会というものをマクロに見れば、人ひとりの存在などはちっぽけなもので、人生などは儚いものです。我執、プライドなどは生きる上で無駄なものであり、ひたすら社会を回す歯車のように生きた方が賢明だというのも、一つの答えとして間違いではないと思います。別に稲生に言われたことを真に受けたわけではありませんが、確かに当時の私は、我執、プライドを消すことに努め、自らをひたすら「歯車」にしようと頑張っていました。

 結局、その道が完全にポシャッたことで、私は我執、プライドをむしろ強固にすることに努め、絶対に折れない、誰に何と言われようが他の色に染まらない、「自分」を作りあげることに励むようになりました。

 一度人生が半壊するという経験を経てそうなった私を、まだ、稲生のような神山周りの人間が、”重い”(=悪い)といって非難するのなら、私は逆に、「そんな自分の一回しかない人生を、テキトーに、笑い話にしながら生きてるヤツの人生なんか、グチャグチャにぶっ壊しても問題ないんじゃねえの?」と答えます。

 別に、歯車に徹する生き方が悪いと言っているわけではありません。マルクス史観ではないですが、人間社会というのはそういう人の力によっても回ってきたのは確かです。ただ、私にその生き方を強要するなら、猛烈に反撃せざるを得ないということです。

 こうして、私の想いはすべて笑い話にされたまま、冬休みに入りましたが、こんなモヤモヤとした気分の中で、楽しい毎日が送れるはずもありません。悶々とした日々の中、私が熱心にやっていたのは、出会い系サイトでした。

 私が神山への想いを断ち切る唯一の手段は、新しい出会いを見つけることしかありませんでした。幸いにもネットが発達した世の中で、リアルでなくても、出会いの機会は無数にあります。思えば初めて関係を持った女の子も、出会い系で出会った子でした。交際期間は二か月足らずしかなく、会った回数も通算五回ほどしかなかったため、彼女というのも憚られるのですが、当時私は19歳で、彼女は二つ下、顔は特別可愛いわけでもありませんでしたが、現役の女子高生といいことができたわけですから、まあ、ラッキーだったと思います。

 しかし、どうも私の女運というか出会い系運は、そのたった一回で使い果たしてしまったようで、それから先はいくら女にメールを送っても、交際どころか、セックスにまでこぎ着くこともできませんでした。この冬休みでも100人くらいにメールを送ったのですが、ほとんど相手にもされません。何が何でもという執念でやれば何とかなったのかもしれませんが、私も成果がまったくでないものにそこまで熱心になれるほど、根気強い性格ではありません。冬休みが終わるころには、出会い系で女を見つけるのは、ほぼ諦めていました。

 結局、私は新学期が始まると、また神山を好きになってしまいました。

 神山を諦められなかった理由は、今まで述べてきたことの繰り返しです。箇条書きにすれば

 ・私の執念深さ・ストーカー気質。
 ・神山が美人ではなかったため、振られたことを簡単に納得できなかった。
 ・神山にケチョンケチョンにけなされたせいで、傷つけられたプライドを修復するために、余計に後に引けなくなった。 
 ・やっぱり神山が好きだった。「女神」が私の嫌うタイプの女だと信じたくなかった。

  といったようなことです。もう一つ、これまで述べてきたことと重なる理由があるのですが、それについてはまた後で触れるとして、先に、当時の私が、なぜ神山に執着することの「リスク」を考えなかったのか、ということを書いていきたいと思います。

「このまま神山さんへの想いを断ち切れなかったら、津島さんはすべてを失うことになりますよ」

 もうちょっと後になってからのことですが、私に対し、このような忠告をしてきた男がいました。確かに、この後の結果を見れば、神山への恋心を断ち切れなかった私はどんどん精神を病み、就職を棒に振り、友人を失うことになってしまったわけですから、彼の忠告は正しく、耳を傾けなかった私が悪いようにも思えます。

 多分、私にその忠告をしてきた男――「関口」は、「あのとき僕が言ってやったのに、バカな人だ」とでも思っているのでしょうが、私がひとつ言っておきたいのは、私は今も当時も、就職を棒に振ったことも、友人を失ったことも、大して後悔はしていないということです。

 そもそも私は、自分が正社員として就職するということに、あまり希望を抱いていませんでした。

 日本の正社員と非正規社員を比較する有名な言葉に、「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」というものがあります。

 非正規社員は確かに安定しない立場で、給料も低いのは確かですが、「何の責任もなく、期待もされない。適当に手を抜きながら言われたことだけやって、余計なことはやらなくていい」という、仕事で自己実現を目指さない人にとっては、非常に気楽な立場ともいえます。

 一方、正社員になると、給料はよくなり、名刺も持てて、社会的なステイタスを獲得できるのは確かですが、反面、過重な責任を押し付けられ、会社に束縛され、残業地獄に陥り、プライベートを持てなくなる・・・という面もあります。

 労働問題について書き始めるとまた何話分にもなってしまうのでこれくらいにしておきますが、ようするに、正規も非正規も一長一短であるということです。非正規社員を対象とした世論調査においても、「正社員になりたい」と答える人と同じくらい、「非正規のままで、待遇の改善を望みたい」と考える人がいることが明らかになっています。

 正規だろうが非正規だろうが、どちらにしたところで、働くことは嫌なこと、苦しいことであるには変わらない。まさに「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこ」のようなものです。テレビ局などの、よっぽど好待遇の企業ならまだしも、ただの「正社員」というだけなら、私にとっては、失って痛いものとまではいえません。

 それならなぜ就職なんて目指していたのかといえば、「希望的観測」に縋っていたからです。何事も、やりもしないのに冷めた目で見ていても仕方ありません。頑張ってやってみたら、ものすごくホワイトな会社に入社でき、また、仕事も案外面白いかもしれません。見た目はいいけど味は悪い「うんこ味のカレー」の中にも、もしかしたら、本当のカレーが混ざっているかもしれない。

 非正規の仕事などは、20歳から始めても40歳から始めても同じです。せっかく、若い今しかできないことがあるんだから、やってみよう・・・。そんなくらいの気持ちであり、それが別に悪いことだとも思いません。同級生の中に、何でもいいから正社員になりたい「正社員信仰」など持っていたヤツが何人いたのか知りませんが、そういうヤツよりも、むしろ課題はしっかりやっていたと思います。

 また、友人についてですが、私という人間にとって、友人というものは、もともと大きなウェイトを占めていません。戦記モノなどで描かれる男同士の友情をみたとき「いいもんだなぁ」と思うことはありますが、現実世界で、そういう素晴らしい友情体験をしたことはなく、経験がない以上、友人というものを大した財産とは思えません。

 まあ、ここまで冷めてしまったのは、この専門学校で出会った奴らが、とんでもない「偽善の国の民」であったから、ということもありますが、当時の私が、「友人全員に嫌われてもいいから、神山一人に好かれたい」と、友人というものを、かなり低い位置に見ていたことは確かです。

 奴らにそれを非難する資格はありません。まさにこの後、私が友人だと思っていた連中の中から、「友人(ヤツが私のことをそう思っていたのか知りませんが)をグチャグチャに潰してでもいいから、神山にイカくっさい包茎ちんこをぶち込みたい」奴が出現し、周りもそれを黙認したのですから・・・。

 当時の人間で、私が今現在も神山に恨みを持っていることを知っているヤツが何人いるかわかりませんが、そいつらは多分、私が神山を恨む理由を、「就職と交友関係を台無しにされたから」などと思っていることでしょう。確かにわかりやすくはなりますが、そういう理由をくっつけられると、真実からはかけ離れてしまいます。

 私が神山を恨んでいるのは、単純に「名誉を傷つけられたから」また、「ヤツにも非はあったはずなのに、一方的に被害者面をしていた」さらに、この後のことですが、「死の一歩手前に落ちるほどの地獄を見せた」からであり、私はアイツのせいで就職が台無しになって悔しいとか、友人を失って悲しかったなど、まったく思ってもいません。そこまで神山のせいにしたら、完全に逆恨みになると思っています。そして、失っても大して困らない以上は、それは何の歯止めにもならないわけですから、「関口」の忠告は、それが私を思って言ってくれたのだとしても、完全に的外れなものになるということです。

 執念深く、ストーカー気質の強い人でも、失うものが大きい人――貧困問題の第一人者である湯浅誠氏の言葉を借りていえば、「タメ」を沢山持っている人は、興味を持った異性がちょっと見込みがなさそうだったら、すぐに撤退できるものです。しかし、当時の私には、失うものは何もありませんでした。「タメ」が何もない人間が、惚れた弱みに付け込まれるという形で、「名誉」を著しく傷つけられた。

 「引くも地獄、進むも地獄」。だったら、神山に傷つけられた名誉を回復させるために、0.1%以下の可能性にかけてでも、「進む」。それが、私の決断でした。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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