偽善の国のアリス 3


 まず、基本情報技術者試験の午前免除試験の結果から書きますが、合格ラインの60点を楽々上回る70点以上で突破しました。この年の試験は特に難易度が低く、クラスの全員が合格したと思います。

 そして午後試験の授業へと進んだわけですが、前回チョロッと書いたように、この午後試験は、勉強の成果よりも、持って生まれたセンスが問われる内容で、中にはまったくの無勉で受かる人もいるようです。

 ただ、ランク的にはそう高くないとはいえ、仮にも国家資格です。無勉で受かったといっても、それはおそらく、すでにプログラマーやシステムエンジニアとして、実務の経験がある人が大半のはずです(実務で必要がなければそもそも受けませんし)。

 ようするに、ある程度基礎体力ができている人なら初めてやるスポーツでもそれなりにこなせるのと同じで、日ごろからエンジニアに必要な論理的思考能力が鍛えられている人なら無勉でも受かる可能性がある、ということであって、まったく何の修練も積んでいない人では、どれだけ素養があっても、なかなか無勉で受かるのは厳しいのは間違いないでしょう。

 午後試験はどれだけ勉強しても出たとこ勝負になってしまうところはあるが、初見の問題にも対応できる論理的な思考能力、「勘」を鍛えるために、授業を行うのである、というのが、新しく担任となった「松山」先生の説明でした。

 松山先生は40代で、「ナイスミドル」といった言葉がぴったりの、思慮深そうな落ち着いた外見でした。お世話になった期間は一番長く、人格的にも優れたいい先生だったと思うのですが、結局この先生に教わったことは今の私には何の役にも立っていませんので、やはり特に感謝もしていなければ、恨みもないといった感じです。

 「大河原」に入ってから、私は勉強の傍ら、朝早く(4時~5時ごろ)起きて、家を出る8時ごろまで、小説の執筆もしていました。私の中では、就職にも失敗して文章を書く以外の生きる道はなくなり、とにかく自分の存在を世間にアピールしようと、このサイトを開設した26歳のころまでの活動については、「下積み」期間にカウントするつもりもないのですが、まあ、軽いトレーニングにはなったのかな、という気はします。

 仕事や学業を抱えている状態で、家の中での作業をするにあたっては、家に帰ってから、疲れた状態でやるよりも、朝、スッキリした脳みそでやる方が効率がいいと思います。朝早く起きれば遅刻することもないし、カロリー的にも、朝にドカッと食べて、夜は控えめにして早く寝た方が、太らなくてすみます。「早起きは三文の得」といいますが、私は早起きの価値は口では言い表せないほど大きいと思っています。

 仕事や学業を抱えているときは、早起きして執筆作業をするというルーチンワークを獲得できたということだけが、まだ自分が何を書きたいかも明確ではなかったこの時期における執筆活動の、唯一の成果といえるでしょうか。

 小説執筆は月~金まで、ほぼ毎日やっていましたが、試験が迫ってきたときなどは、朝の時間は勉強に充てていました。午前免除試験を突破したばかりのこの時期はまだ余裕があったのですが、この時期にも特別に、執筆の時間を減らしてあることに取り組んでいました。

 ダイエットです。「大河原」に入学した当時の私は、身長163cmに対して65㎏もあり、かなり身体がだぶついていたので、これを絞ろうと思っていたのです。もちろん動機は、神山恵美子への想いを成就させるためです。

 男が恋愛をするにあたって、ビジュアルの面でするべき努力は、標準体型を維持することと、毎日風呂に入って清潔にすること、明らかに不自然な髪型やファッションをしないこと、くらいでいいと思います。それで実らない恋の95%は、それ以上努力しても実らないでしょう。

 毎月のように何万もする新しい服を買ったり、流行りの髪型をチェックして高い美容院に行ったり、セットの練習をしたりするのは、コスパが悪すぎるし時間の無駄です。純粋な趣味でオシャレをやってるなら大いに結構だと思いますが、モテるためだけにオシャレに時間とカネをかけるくらいなら、その努力を内面を磨くことに使ったほうが懸命でしょう。

 美人ならともかく、「健康で文化的な最低限度の」女すらできないことまで全部自己責任のように言われるのはおかしいと思いますが、自分が最低限度の努力もしないでおいて、女が悪いと決めつけるのもよくありません。私は夏休みまでには、今のだぶついた身体を標準体型に戻そうと、食事を節制し、毎朝2時間程度のジョギング、筋トレに励んでいました。

 もともと筋量はあるためか、成果はすぐに出て、午後試験の授業が始まったの七月の終わりごろから、夏休みになるまでの三週間ほどの授業の間で5キロ以上も痩せ、腹回りがすっきりし、ほぼベスト体重まで痩せることができました。

 神山のビジュアルにももう少し触れておこうと思いますが、ヤツは夏だというのに、どういうわけか長袖を着て、下もタイツなどを履いて、自分の肌を極力見えなくしているようでした。こういう女性は、神山以外にも結構よく見ます。日焼け対策なのでしょうか?服のチョイスもそんなに金がかかっている風ではなく、地味な紺のワンピースなどを好んで着ていたような覚えがあります。髪型はボブというのか知りませんが、戦中戦後の小学生みたいなおかっぱ頭でしたから、外見に金をかけているという感じではありませんでした。

 どんなに甘めに採点しても、十点中五点。「健康で文化的な最低限度の」女。これに振られたら、もうまともな容姿の女を得ることは諦めなくてはいけないかもしれない。そんな野口さん似の神山恵美子に、私は夏休みの前日、アドレスを聞き、その晩のうちに、メールでデートに誘いました。そのメールは、返ってきませんでした。完全にシカトされたのです。

 一体、なぜ無視されたのか?なにかまずいことでも言ったのか?何度もメールを読み返しましたが、何が悪いのかはわかりません。いや、当時の私がわからなかっただけで、後の神山の行動を考えれば、この時点で童貞でこそないものの、女とのまともな交際経験が通算2ヶ月しかなかった私の口説き文句というかデートの誘い方は、多分、ちょっとおかしかったのでしょう。

 とはいえ、夏休み中の時点では、私はなぜ自分がシカトされたのか、まったくわかっていません。自分は嫌われたのか?そうでないのか?と、自問自答を繰り返してばかりいました。

 しかし、せっかくの夏休みに、ただ悶々とした日々を過ごしているだけでは勿体ありません。「大河原」情報クラスの一年生の夏休みは、わずか2週間と短かったのですが、この2週間で、私は日雇いのアルバイトをしていました。

 勤務をした3日間のうち、2日は佐川の倉庫でのピッキングの仕事に派遣されたのですが、ここがまた、さすが佐川といった現場で、派遣スタッフを「てめえは下っ端!偉いのは俺!黙って命令に従え!」などと怒鳴り散らすのは当たり前、チラっと見た限りで確実ではないのですが、手も出していたような記憶もあります。

 私語も厳禁で、勤務終了まであと5分となり、後片付けに入ったとき、一緒のテーブルについた若い人と軽く談笑していたところ、社員に呼び出されて「喋ってんじゃねえよ!金もらってきてるんだろ!(交通費抜いたら最低時給を下回る)ちゃんとやれよ!!」とか怒鳴られました(一分一秒も休ませないわりに、呼び出して怒鳴る暇はある)。

 佐川のような働き方をさせる会社が現実にある以上、やっぱり日雇いは批判されて当然だな、と思います。派遣労働者自体、技術の蓄積性を考慮されない、派遣先企業にとってはいつ辞めてもらってもいい存在であるため、ぞんざいな扱いをされがちなのは同じですが、それでも長期の派遣ならまだ、少なくとも契約期間中はいてもらわなくては会社も困るため、しっかり面倒を見てもらえる割合は高いです。

 しかし日雇いの場合だと、派遣先からすれば明日来てくれることすら想定していないため、体力的にも限界までこき使いますし、精神的な配慮も一切せず、まさに物扱いされます。日雇いは仕事が入らない日もあり、安定しないというのは良く知られていますが、たとえ仕事があっても、こんな奴隷工場では週5日も働くことなどできず、金など溜まるはずもありません。

 ちなみに、先の法改正において、「日雇い派遣」は確かに原則として禁止になりましたが、「日雇い」という業態は、今でも違法にはなっていません。これを利用して、日雇い派遣会社は、「日々、派遣する」という形から、「日々、別の(直接雇用による)日雇いを紹介する」と言い方を変えて、法改正以前とほぼ同様の業務を行っています。

 この「直接雇用」というのが曲者で、この方法では、派遣会社と労働者の間には雇用関係が存在しないため、雇用保険には入れず、有給休暇も発生せず、離職票ももらえません。ようするに、日雇い派遣を禁止した結果、実態は日雇い派遣よりも悪質になってしまったということです。

 一番悪いのは国であり、次に日雇い派遣会社であり、その次に日雇い派遣会社を利用する佐川のような会社ですが、世の中がいつまでも変わらないのは、こういう働かされ方に何の疑問も抱かない人がいるのもいけないのかな、とも思います。
 
 バカなヤツというのはどこにでもいるもので、こんな奴隷工場のような派遣先に媚びを売って、糞真面目に働く――というか、派遣先に変なやる気をアピールしようとしているヤツもいました。小説でもコイツをモデルにしたヤツを書いたと思いますが、同じ派遣スタッフに対しては滅茶苦茶威張り散らして、一々命令口調なのに、佐川の正社員には平身低頭、阿諛追従するというヤツです。別にその日雇いバカ助が物凄くできるヤツというわけではなく、ただ単に自分ができるアピールをしているだけで、むしろチョロチョロ余計な動きばっかりするので、日雇いバカ助も普通に佐川の社員に怒られていました。

 先ほど書いたように、私は最後の最後に佐川の社員に怒られたのですが、その直後に、日雇いバカ助に最後に言われた一言がいまだに忘れられません。

――お前、お客さんの前で恥ずかしいことするなよな。

 この「お客さん」という言い方、派遣会社の社員が言うのはわかるのですが、使い捨ての駒に過ぎない派遣スタッフが言うのは、まったくおかしな話です。たぶん、気分だけ派遣会社の社員のつもりになって、「俺はおめえらと違うから」がやりたかったんだと思いますが、なんというか闇が深いです。

 井の中の蛙といいますか、そんな変なところで意識高い系やってないで、少しでもまともな、長期の派遣にでも切り替えればいいのにと思いますが、彼には向上心がないのでしょうか?私もまもなく一介の派遣労働者に戻る予定ですが、この日雇いバカ助みたいなヤツは非常に関わり合いになりたくない人種です。

 このときの私は、夏休みにやったアルバイト経験を経て、「もう二度と、非正規の派遣労働などやらない」と、不退転の決意を固めていました。正社員として就職し、真っ当な稼ぎを得て、世間で胸を張って生きられる身分を手に入れる――最後のチャンスを、絶対にモノにしてやると、闘志に燃えるキッカケにはなりました。結局は、非正規の派遣労働者になってしまうことになるのですが・・・・。

 そして二週間の夏休みが明け、二学期が再開しました。私がとにかく知りたいのは、神山恵美子が私をシカトした理由。神山恵美子に嫌われたのかどうかです。事実を確かめるべく、神山恵美子に話しかけてみたのですが・・・・。


 第三回はここで終わります。
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犯罪者名鑑 加藤智大 4


かとーあ


 高校

 当初の報道では、加藤の「挫折」の始まりとされ、学歴コンプレックスを抱くキッカケになったと言われていた高校時代ですが、意外にも本人は、この時代のことを、「人生の絶頂期」と語っています。

 加藤は高校入学当初から、勉強について、「母の期待にある程度答えたのだから、もうそんなに頑張らなくてもいいだろう」と思っていたといいます。加藤が入学後、最初に受けた中間試験では、すでに「ビリから2番目」の成績であり、はやくから授業についていけなくなったのは事実のようですが、それについても、「勉強しなかったのだから、当たり前。最初からわかっていた」ということで、まったく気にしておらず、単なる自分の努力不足にコンプレックスを持つなど持っての他である、と語っています。

 加藤はこの時期、勉強などよりも遊びに夢中でした。一人でゲームをするのも好きだったようですが、友達の家に集まって遊ぶことも多く、交友関係に恵まれていたこの時期は、加藤にとって本当に楽しかった時期なのかもしれません。

 ただその一方、相変わらず「キレるとき、理由を言わずにいきなり行動で示す」癖を発揮してもいました。ある日の集まりでは、加藤がゲームを独占していることを友人に咎められた際、「黙って立ち上がり、そのまま帰ってしまった」また別の日には、加藤が好きなゲームについてケチをつけた友人に、「いきなり殴りかかった」ことがあったそうです。

 殴られた友人はその理由を、なんと、加藤が事件を起こして、裁判を受ける過程で初めて知ったそうです。「そんなこと、言ってくれればよかったのに」と友人は思ったそうですが、十人中十人が、同じ感想を抱くでしょう。

―――とにかく、地雷がどこにあるのかわからない。

 加藤と仲良くしていた友人たちも、加藤が理由も言わずにキレる癖については、大いに困惑していたようです。

 進路について、お母さんは北海道大学への進学を望んでいたようですが、三年生になった時点で、加藤の成績は、合格ラインにまったく届いていませんでした。そのため加藤は、自分の身の丈に合った大学を選ぶことにしたのですが、ここでお母さんが、「北海道大学に行かないのなら、車は買ってあげない」ということを言い始めました。

 逮捕直前、自動車を作る工場で働いており、凶器にも車を選んだ加藤は、高校のころから自動車が好きで、「大学に合格したら、車を買ってもらう」という約束を、母と取り交わしていたようです。ところが、約束破りというよりはおそらく言葉足らず、解釈の違いで、加藤は「四年生大学に合格するのなら、どこでもいい」と考えていたのに対し、お母さんは、「北海道大学に入学すれば、車を買ってあげる」と考えていたようです。

 「よく話し合わない」この親子らしい話ですが、母親に約束を破られたと感じた加藤は、ここで四年制大学そのものへの進学を辞めてしまったようです。落ちこぼれとはいえ名門高校で三年学んだのですから、高望みしなければ四年生大学には行けたでしょうが、加藤は自らその道を閉ざしてしまったのです。

 ただの母親への「当てつけ」であり、当然このときも、なぜ進路を変更したのか、母親に言うことはありませんでした。

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 短大

 
 高校を卒業した加藤は、岐阜県の中日本自動車短期大学へと進学しました。自動車にはもともと興味があったようですから、「当てつけ」の結果だとしても、本人としては望み通りの進路でもあったのかもしれません。

 加藤はここで、自動車整備士になるための勉強を始めたのですが、夢はまたしても、加藤の「怒っている理由を言わず、いきなり行動を示す」癖によって頓挫してしまいます。

 加藤は短大に進むにあたって奨学金をもらっていたのですが、その奨学金は全額父親の口座に振り込まれ、加藤の手元には渡らなかったというのです。加藤はこの件に関する不満を父親に伝える手段として、「自動車整備士の資格を取らない」ことを選びました。

 「なぜ?」「意味がわからない」と思うのが当然ですが、加藤に言わせれば、「父になぜだろうと考えさせたかった。思い当たるフシがあって、関連付けば気づくだろうと思った」ということです。余計に意味がわからない、なぜ、一言言わないのか?という話ですが、加藤にとっては、不満に思ったことを口にする、という発想がそもそもできないのであり、なんとか行動で示そうとするしかない中で、一番理にかなった選択だったのでしょう。

 加藤は試験が近づいてもまったく勉強せず、寮の相部屋に籠ってゲームばかりしていました。ルームメイトが、せめて試験前は勘弁してくれと言うのにも、聞く耳を持ちません。そのくせ、ルームメイトのいびきを不満に思って、壁を叩くなどしていたのですから、トラブルにならないはずがありません。加藤は結局、寮を追い出されることになってしまいました。

 加藤は一人暮らしを始めることになりましたが、相変わらず勉強はしませんでした。結局加藤は、資格も取れず、進路も決まらないまま、短大を卒業することになってしまいました。

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 社会へ


 短大を卒業しても進路の決まっていなかった加藤は、仙台へと移り住みました。仙台には「絶頂期」高校時代に加藤が親しくしていた友人たちが多数おり、就職活動をしながら、誰かの家に集まってゲームをしたりなど、賑やかな毎日を送っていたようです。

 小学校から現在まで、所属した先々で友人を作ることには苦労しないものの、基本的に「その場限り」であり、集団を離れた途端に音信不通になってしまう私からすれば、高校時代の友人と切れずにずっと続いていることは、大したものだと思います。時々、意味のわからないキレ方をしたりもするものの、加藤はそれを補って余りあるユーモアセンスの持ち主であり、面白い男だったのでしょう。

 7月になって、加藤は宮城県内のある会社に職を得ました。アウトソーシングなどの事業を手広く行っている会社で、加藤が配属されたのは警備事業部でした。つまり非正規の使い捨てだったわけですが、現場で能力を見込まれた加藤は、半年後には内勤に異動となり、待遇も固定給の準社員となりました。

 加藤が運転免許を取得したのは、この時期のことでした。自動車が好きで、自動車関係の短大に通っていたはずの加藤が、それまで運転免許を持っていなかったというのは変な話のようですが、これもいつものパターンで、「車を買ってやるという約束を反故にした母親への当てつけ」だったそうです。

 ともあれ免許を取得し、自分のお金で車を買った加藤は、車の改造にのめり込んでいきました。バブル時代の若者なら誰もがやっていたことですが、加藤の世代では珍しい趣味といっていいでしょう。この改造に加え、加藤が購入したスバル・インプレッサーは燃費が悪かったため、加藤は消費者金融に借金をするようになってしまいました。

 ときには昼食を抜くことさえあり、加藤は職場でもイラついた様子を見せるようになっていきます。警備の管制官は、現場の隊員に電話で指示をするのが仕事ですが、加藤はちょっとしたやり取りで怒りを露わにし、「明日から干すぞ、コノヤロー」と怒鳴ったこともあったそうです。

 やがて年末になると、現場の方で人手が足りなくなり、内勤の加藤が駆り出されることも増えてきました。加藤はある日、建設会社でダンプカーの誘導を任されたのですが、その際、運転手が自分の指示に従わなかったことに腹を立て、無断で帰ってしまうということがありました。また、「いつもの癖」です。

 当然、厳しく叱責されることになり、そのときは反省したようですが、やがて加藤は無断欠勤を重ねるようになり、ついに退社してしまいました。

 加藤の「怒っている理由を言わず、いきなり行動で示す癖」が、本格的に社会との摩擦を起こし始めていったのです。
 

偽善の国のアリス 2

 
 実力診断テストの結果が振るわなかった私は、Bクラスに落ちることになりました。

 簿記2級は商業簿記と工業簿記に分かれています。商業簿記と工業簿記の違いは、実務で使う分野はもちろんのことですが、「大河原」のカリキュラム通りに学習を進めた場合、商業簿記の場合は、緩やかな坂道を上るように、着実に成績が伸びていくのに対し、工業簿記はコツを掴むまでは時間がかかりますが、一度コツを掴むと爆発的に、急角度で成績が伸びていくという点でした(なぜそうなるのかは忘れました)。私の場合、工簿の方がまだコツをつかむところまで来ておらず、実力診断テストの段階では、商簿と合計しても点数が合格ラインに達しなかったというわけです。

 工簿の方で一度コツを掴んでしまえば覚えるのはあっという間で、私はBクラスに移って早々に合格ラインに達し、過去5年分の試験でも、一度もラインを割ることはありませんでした。試験が近くなると、居残り勉強などする生徒も増えたのですが、私は一度も授業以外の時間に勉強することはなく、普通に家に帰ってゆっくり休んでいました。

 このBクラスは、公認会計士などを目指す意識の高~い方々が集まったAクラスと違って、なんといいますか賑やかで、非常に緩~い雰囲気だったのですが、割りといい人たちが多かったように思います。ウッジーのような腐れ女もおらず、女の子も(年下の子が多かったと思う)いい子たちばかりでした。

 この話の敵は「神山恵美子」という女であり、蛆村のようなゴミ女のことも書いたので、もしかしたら、私を女嫌いなのではないかと思ってしまう方もいるかもしれませんが、別に私は、人間の女という存在そのものを滅茶苦茶嫌っているわけではありません。まあ、どちらかといえば男尊女卑的な考え方をしているとは思いますが、それは自分が男だから、もっと男に有利な世の中になればいいなと誰もが当然に思っていることから、そこまで突き出るレベルではありません。

 現時点で結婚を約している女もいますし、女のいいところも良く知っているつもりです。優しくていい子だったら、普通に友好関係を築くこともできます。まだ神山と出会っていないこの時期に、恋愛を頑張っておけばよかった・・・とまでは思いませんが、もしかしたら、違った運命もあったのかもしれません。

 肝心の試験の方ですが、90点以上で楽々合格でした。高校生でも持っている資格で、特に難関というわけではありませんが、大学を出ていない私にとっては、履歴書に書けるアピール材料が一個増えて、一つの自信にはつながり、この後に挑む情報処理の国家資格に弾みがついたのは確かです。ここで簿記のカリキュラムは終わり、問題となる情報のクラスに入ることになりました。

 情報のクラスは二十五人前後で、三分の一くらいが高卒現役の子で、あとは20代、20代の中でも半分以上は、回り道していなければ大学を卒業している23歳以上という、比較的平均年齢が高いクラスでした。簿記のBクラスでそこそこ親しくなった人などが一緒だったのは安心したのですが、Aクラスにいたあのウッジーの子分、野村、福山、金澤も一緒だったのはガッカリしました。

 蛆村が私をイジメていた手段を、「遠くも近くもない距離から、私のことを、聞こえるか聞こえないかくらいの声でゴチャゴチャ言ってくる」と表現しましたが、この手法は蛆村から受け継いだのか、はたまたオリジナルは野村たちの方だったのか、親分である蛆村を失ってからも引き継がれていました。ただ、蛆村のような露骨なイジメというわけではなく、私をジロジロと観察して、私の言葉や仕草などを真似たりして、小馬鹿にしているような感じであったというのが少し違うところでしたが、いずれにしろ私にとっては、まったく心地よいものではありませんでした。

 そして、神山恵美子と本格的に関わることになったのも、このときからのことでした。

 最初、話しかけてきたのは向こうだったと思います。確か、私が教室を出ようとしたときに、二つある扉のうちで、誤って開かない仕様になっている方の扉に行ってしまい、開けられずに困っていたのがおかしかったようで、廊下を歩いている際に、そのことを笑いながら言ってきたのを覚えています。

 それをキッカケによく会話をするようになったのですが、すぐに私の中で、神山恵美子は気になる存在になっていました。神山は無口そうな見た目ですが、会話の引き出しは狭くなく、ユーモアにも富んでおり、一緒にいて楽しいと思える女ではありました。情報のクラスには女は3人しかおらず、その中でも特に神山が飛びぬけて可愛いというわけでもなかったと思いますが、だからこそ――「野口さん」系統の、地味でおとなしそうな見た目だったからこそ、気に入ったというところはありました。

 私は女の容姿というものをあまり問いません。美人にまったく関心がないというわけではないですが、打率と一発だったら、断然打率重視という考え方です。

 わかると思いますが、打率というのは付き合える可能性ということです。当たり前の話ですが、美人はすでに彼氏がいる場合が多く、そのとき彼氏がたまたまいなくとも、自分はいつでもイケメンと付き合えると思っているため、私のような風采の上がらない小男が言い寄ってきたところで、通常は相手にもしません。
 
 やはり美人よりは不美人を好きになった方が付き合える可能性は高く、私の価値観はそれに非常に都合が良いように、23歳の時点ですでに、女の容姿にほとんど頓着しないように出来ていました。非力なジャッカルが、食べられる肉は多いが、強靭な脚力を持ち、返り討ちにあう危険が高いシマウマには目もくれず、己の身の丈に合った小さな野ウサギを必死で追いかけるように、冴えない小男の私も、美人はそもそも性の対象にならず、不美人こそを真剣に追い求めるようになっていたのです。

 それは良かったのですが、問題は、自分がそういう価値観だからといって、私がメインターゲットとする不美人の女も、同じように打率重視の考え方だとは限らない、ということを、ちゃんと念頭に入れていなかったことでした。いや、不美人の癖にイケメン狙いという女がいることは知っていましたし、それだけならそこまで怒りはないですが、「自分が不美人であるにも関わらず、同じ穴の貉であるフツメン以下の男を見下し、愚弄するような性根の腐った女」がいることを、当時の私は知りませんでした。

 私小説作家の西村賢太風に言うなら、「若い醜女特有の複雑に捩じれた思考回路にまったく不案内であった」私は、不美人な女ならば、自分のことを良くわきまえており、容姿に恵まれない代わりに、気立てはいいのではないか・・・・などと、今思えば何の根拠もない、あまりにも無邪気すぎる期待を、神山恵美子に寄せてしまっていました。またもや西村賢太風に言えば、「己の高望みが叶えられず、焦りに焦った自分を慰めるため、私のような冴えない風貌の男に言い寄られると、ここぞとばかりに貶して、穴ぼこだらけの自尊心の補修を図ってくる」女がいるということを、まったく頭に入れていなかったのです。

 話が少し先走りました。まだ、この時期は私と神山恵美子の間にはまったくトラブルはなく、普通の話友達という段階です。このままあの女に恋心などを抱かず、最後までその関係のままであれば、無事に就職することもできたのかもしれませんが、まあ、そのことは悔やんでも仕方ありません 

 ちなみに前回書き忘れましたが、神山の年齢は私と同じでした。私と違い大学を出ていましたが、この専門学校に入る直近の経歴、「大卒の神山」と、「フリーター、ニートの私」という違いは、後々、意外に大きな意味を持つことになります。

 肝心の授業の方ですが、この時期に学んでいたのは、「基本情報技術者試験」の、午前試験の範囲でした。基本情報は国家資格であり、難易度的には4段階のうちの2で、IT業界では登竜門的な資格と言われています。試験は午前と午後に分かれているのですが、一部の大学や専門学校に通っている人間に限り、午前試験だけを午後試験の三か月前に受けるということもできる制度もあり、「大河原」でも、この午前免除試験を実施していました。

 基本情報の午後試験は、主に思考力を問われる問題が多く出題され、センス次第では無勉で受かる人もおり、逆にどれだけ勉強しても落ちてしまう場合もあるのですが、午前は暗記系の問題が多く、勉強すればするほど成果が出るという内容です。

 情報のクラスで、最初に担任の講師となったのは、百キロはありそうな巨体につるっとした童顔の、「北の三代目」を思わせる、非常にインパクトのある見た目の先生でした。逆にいえばそれ以外にはあまり印象には残っていないのですが、このジョ○ウン先生の教えもあり、私の成績は概ね良い方で、過去問では毎回合格ラインを上回っていました。

 気持ちにも余裕が出てきて、男の友人も何人か出来ました。「石原(23。芸術家風。長身)」「稲生(23。元ラガーマン。180cm90キロの巨体。良くも悪くも体育会系でサッパリしているがガサツ)」「田上(23。小柄。おぎやはぎの矢作似)」「関口(22。色白で病弱そう。口調が丁寧)」「鍋島(19。色白、痩身)」といった連中で、学校が終わったあと一緒に帰ったり、休みの日に遊んだりなど、この当時は結構楽しくやっていました。

 今現在は友達と呼べる人間は一人もいない私ですが、学校や派遣の職場(比較的長続きしたところでは)など、所属した先々では、割と友達には恵まれていた方だったと思います。今はわかりませんが、20代前半のころの私は非常に人懐っこく、自分で言うのもなんですが、周囲の評価を見るに、妙に愛嬌があるところがあったようです。

 現在でもそうですが、私は感情表現が非常に豊かで、よく言えば天真爛漫というところはあると思います。だから、喜怒哀楽の喜と楽を表現しているうちは、人から愛されたりもするようですが、問題は、怒と哀までも豊かに表現してしまうところでした。

 天真爛漫は悪く言えば情緒不安定。自分の思い通りにいかないことがあると、露骨に不機嫌になったり、過剰に落ち込んでしまう私は、友達は沢山できるが、あっという間に離れていくということを、ずっと繰り返してきました。その証拠に、小学校から専門学校まで、在学中にはそこそこ友達に恵まれていたはずなのですが、私は同窓会というものに一度も呼ばれたことがありません。

 情報のクラスが始まって一か月余りがたち、季節は夏になっていました。親しい友人ができる一方で、「野村」「福山」「金澤」が私を小馬鹿にしているのも、相変わらずでした。このころには、簿記3級のクラスから上がってきた「中尾(20、男。色黒で長身、ホスト系で顔は整っている)」も加わり、喫煙所でヤニを吸いながら、私の方をチラチラと見て、仕草を真似したりするなど、いちいち癪に障る行為で嫌がらせをしてきていました。

 野村達が小馬鹿にしていたのは私だけではありませんでした。奴らは、神山のことも最初、小馬鹿にしていたのです。私が目撃したのは一回だけですが、簿記2級のときに一緒だった連中を教室の前に呼んできて、後ろの方の席に座っていた神山のことを指さして、「あれが、うちのクラスのマドンナ(笑)」など、誰がどう聞いてもバカにしている口調で、神山のことを、確かに嘲っていたのです。

 神山がバカにされていること自体は、特にどうとも思わないどころか、私はそれを自分にとって都合がいいことだと思っていました。

 矛盾しているようですが、矛盾していません。私は神山に総選挙でセンターを取ってほしいわけではなく、神山を手に入れたいと思っているのです。それなら、神山がみんなの人気者ではない方が、ライバルがいなくて都合がいいではありませんか。

 私から言わせれば、好きな女がみんなの人気者であってほしいと思う人は、「みんなの人気者である女を手に入れて、人に自慢したい」だけであり、本気でその女を好いているわけではないと思います。

 好きな女を幸せにするのは、自分だけで十分です。イスラム文化圏ではないので、束縛までするのはいただけないでしょうが、好きな女の友達は極力切り離して、好きな女に邪な感情を抱く男の目玉は全部潰したいと思う(思うだけなら罪にはならない)のが、本当にその女を好きな証拠というのが、私の持論です。

 私の恋愛観についてはどう思ってもらってもいいですが、ここでは、この「金澤」あるいは「中尾」が、最初神山を小馬鹿にしていた、そして、「私」は最初から最後まで神山が好きだった、という事実。このことを、よく頭にとどめておいていただければ、と思います。

 第二回はここで終わります。

犯罪者名鑑 宅間守 4


たくまあ


 高校


 16歳になった宅間守少年は、兵庫県の尼崎工業高校に入学しました。あのダウンタウンの松本と同学年だったそうです。取材があったのか知りませんが、宅間の時代の高校は一学年300人以上は普通ですから、松本氏に宅間との面識はなかったでしょうし、聞かれても困るという話ではあったでしょう。

 184cmの堂々たる体躯を持つ宅間は、部活動に野球部を選びました。恐らく、プロ野球選手になって高給取りになる夢を抱いていたのでしょうが、高校野球でレギュラーをとるような選手は、遅くとも中学に入るころには野球を始めているもので、よほどの天才でもない限りは、ずぶの素人から三年間で経験者に追いつけるものではありません。

 中年になってからも、突然「勉強に適した頭になってきた」などと思い込んで、50万もの金を父親に出させて難関の司法書士の学校に通い始め、案の定数ヶ月で挫折しましたが、どうも宅間にはこのころから、まったく根拠のない「希望的観測」に縋って行動を起こす癖があったようです。突拍子もない夢を描いたものの、現実を思い知らされた守少年は、わずか一週間で野球部を退部しました。

 その後は陸上部に入り直し、学校生活は安定してきたかのように見えましたが、やはり一年生のうちから、すぐに非行が目立つようになってきてしまいます。当時の同級生の証言によれば、 

 ・先輩連中3~4人に追い立てられて、「助けてくれ!」と叫んでいた。

 ・掃除用具入れに小便をしたり、突拍子もないことをいきなりやり出すヤツだった。

 ・誰も友達がおらず、孤立したヤツで、一匹狼のようだった。人に合わせることなんかまったくなく、協調性のかけらもなかった。

 だそうで、中学の頃からまったく成長がなかったことがうかがえます(最後だけちょっとカッコイイと思いますが)。

 初めてレイプ行為をしたのは、高校二年の頃のことでした。あるとき、電話で中学校の同級生を呼び出した宅間は、自慢の単車に彼女を乗せて、海へと向かいました。突然単車を下りた宅間は、彼女の口に布を詰めて、184cmの巨体で圧し掛かったのです。女生徒はなすがままにされ、大事な貞操を失ってしまいました。


たくまあああ



 反省文


 宅間も一向に改善しない自分の性向を自分なりに憂いており、尼崎工業高校時代、長文の「反省文」をしたためていました。長文なので一部のみ抜粋して紹介します。

 
―――パイロットの希望をたくして、ちょっと勉強しだした・・・・だが、勉強どころか、他人と喧嘩をしたり、いろいろと悪いことをやっていた・・・・頑張ろうと思っていたのに、なぜ悪いことをしてしまうのか、自分でも不思議だった。人より大きい希望を描くが、その割には、努力が足りない。その性格が、今まで尾を引くことになったのです。

―――自衛隊に行くことを考え出したのは、自衛隊の試験は内申点一切関係なしの一発勝負だからです。そして尼崎工業高校に希望をたくしてちょっと勉強した・・・合格してしまった・・・入学できたときは、とてもうれしかったです。

―――今思えば、自分の都合しか考えず、他人の都合など一切考えないで行動してきた自分は、最低の人間だったと思います。これからは、もっと他人を思いやれる人間になろうと思います。

 全文を紹介できないのが惜しいのですが、話が唐突に部落差別のことに飛んだりするものの、全体として宅間の作文は高校生という年齢の割にはよく書けており、言葉遣いも割とちゃんとしていて、知能程度はけして低くなかったことが窺えます。自己分析も、この年齢にしてはしっかりできており、進路のことも、自分なりに考えていると思います。

 やはり本人の言うように、「自制心」と「地道さ」という部分がネックだと思うのですが、所属していた陸上部の活動でそれが育まれることはなく、二年生になるころには学校も休みがちになり、最後は退学してしまいました。 

 驚くべきことには、宅間は尼崎工業高校中退後、なんと、自らが強姦した同級生の通っている定時制高校に編入したのだそうです。始業式のとき、強姦した女生徒を見て、ニヤ~ッと笑ったという宅間は、その後あまり学校に通うこともなく、その定時制高校もすぐに中退してしまいました。

 ただの嫌がらせのつもりだったのでしょうか?だとしたら、なんとも手の込んだことですが、宅間ならただレイプ被害者に嫌がらせするために、わざわざ同じ高校に編入するとかもやりかねないと思えるのが、怖いところです。


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 自衛隊


 定時制高校を中退した宅間は、その年のうちに、念願だった航空自衛隊に入隊しました。この時期の宅間については、守秘義務の観点からかあまり伝わっていないのですが、どうやら戦闘機の整備工として勤務に当たっていたようです。

 自衛隊のパイロットに対する宅間の想いはとにかく本物で、小学校高学年のころ、友達のお兄さんがパイロットをやっていると聞くと、その友達の家に「全日空の者やけど、お兄さんはどういう進路を歩まれたのですか?」などと電話をかけたりもしていました。身分を偽る必要性はまったくないとはいえ、パイロットへの純粋な思いは伝わります。
 
 おそらく入隊した当時の宅間は、自衛隊にいれば、いつかは念願のパイロットになれるのではないかという、得意の「希望的観測」を抱いていたと思われますが、パイロットになるには厳しい適性検査があり、勉強もしなければならず、自衛隊で働いているだけでなれるはずもありません。憧れのパイロットが大手を振って基地の中を歩いているのを指を咥えて眺めながら、けして華やかとはいえない整備の仕事を黙々とする毎日は、宅間にとって、ある意味一般の仕事以上にフラストレーションの溜まるものだったのではないでしょうか。

 そんなこともあって、宅間は入隊から一年と数ヶ月後、家出少女を下宿に泊めたかどで訓戒処分を受けたのをきっかけに、自衛隊に依願退職を申し出ました。憧れのパイロットにもっとも近づけた自衛隊での生活は、後味の悪い挫折の記憶として残ってしまうことになったのです。


たくまあああああああ

 
 運送業


 自衛隊を退官した宅間は、いくつかの引っ越しや運送の会社で働きました。期間はいずれも数ヶ月から半年程度だったということですが、勤務態度は真面目で、同僚とトラブルを起こすこともまったくなかったそうです。

 そうして一年ほどしたころに、宅間は自宅の庭にプレハブの小屋を建てて、自営の運送業者を開業しました。運送や引っ越しの会社で働いていたのは、自営のためのノウハウを獲得するためで、自衛隊のパイロットという最大の夢は挫折に終わってしまいましたが、この時期の宅間はまだ、自分なりに将来設計もできていたようです。

 ただ、青写真を描くのと実際に経営するのとでは、当然わけが違います。一年間の実務経験で、現場の流れなどはわかっていたのでしょうが、自分で仕事を取ってくる営業などはまったく頭に入れておらず、何をどうしていいのかもわからなかったのでしょう。結局、仕事らしい仕事もしないまま、運送業者「ごっこ」は終わってしまいました。
 
 このとき、開業資金として、宅間の父、武士は、宅間に百万円ものお金を出してやったそうです。ろくな事業計画も聞かずに、庶民にとっては安くない金をポンと出してしまうのはどうかと思いますが、これだけでも、宅間のお父さんが小林薫の父親のようなどうしようもない冷酷非情の父ではなく、息子の将来を想う父親であったことがわかります。

 武士は早いうちから、守に「お前に学問の道は向かん。職人でも目指したらどうか」と、自分が指導して日曜大工などをやらせていたこともあったそうですが、学業でも優秀な兄の方はてきぱきと要領よく働くのに、肝心の守の方はまったく根気がなく、金づちやのこぎりを振り回して危なっかしい様子だったそうです。

 守と同じように落ちこぼれだった私も、中学の頃、親から職人になれ、工業高校に行けなどと言われたような覚えがありますが、勉強ができなければ職人という考えがそもそも短絡的で、一種の職業差別とも言えるでしょう。結局、根本的な性質が問題なのであり、進路を変えればどうにかなるというものではないはずですが、私の親でさえ安易な考えをしていたのですから、まあ、宅間の時代では仕方ないのかもしれません。お父さんなりに守のことは考えていたようですが、やはり荷が重すぎました。

 お母さんについても触れておきますが、お母さんは夫、武士に言わせれば、「家事全般できん女」で、炊事や洗濯は、いつの間にか武士一人の担当になっていたようです。そうして家事を夫任せにする一方で、息子の食事というか、学校で見栄を張らせることには気を遣っていたようで、遠足の際には夫が作る弁当ではなく、上等な仕出し弁当を持たせていたようです。

 どこかズレた感覚の持ち主で、家事ができないところは発達障害ADHDの陰もちらつきます。遺伝的な面でも育児の面でも、よく叩かれるお父さんよりも、どちらかというとこのお母さんによって失ったものの方が大きかったのかもしれません。

偽善の国のアリス 1


 施設警備員をやめてから一年間、アルバイトを転々としながらプラプラと過ごしていた私は、一念発起して、正社員として就職することを志し、「大河原専門学校」に通い始めました。4月3日が誕生日なので、このとき23歳。高校から大学まで回り道せず出ていれば、ちょうど社会人一年目という年齢です。

 「大河原専門学校」では、公務員、医療事務、司法書士、公認会計士、IT関係、営業職など、様々なコースがあり、私はIT関係を選択したのですが、入ってから適正に合わせて分岐するという道もあります。特に公認会計士や税理士などは誰しもがなれる職業ではないので、2年あるいは3年~5年という中で、向き不向きを考えながら、様々な進路を選択していきます。ITのコースにいながら営業職、営業職のコースにいながら事務系の応募をしたりということも全然可能で、様々な業界から来る求人に対応するために、就職に必要なことを幅広く学ぶ学校である、というのが実態だと思います。

 私の場合、IT関係を選択したのは、特にコンピューターの内部のことに物凄く興味があって、ぜひともIT業界に入りたかったというわけではなく、ただ単にガイダンスで、需要の問題で就職には非常に有利であると聞いたから選択しただけで、自分が何がやりたいか、はっきり決まっているわけではありませんでした。この学校はそういう人間にもウェルカムというか、そういう人間こそ行くべきところであり、この学校を選択したこと自体はよかったのだと思います。

 「大河原専門学校」にもいい先生はいたと思いますし、いい生徒もいたと思います。何より私が、もうちょっぴりまろやかな人間であり、かつ運が良ければ、何も不満を抱えることなく無事に就職して卒業できた可能性はあったと思いますので、この学校や、この学校に関わったすべての人を恨んでいるわけではないことは、一応書いておきます。

 入学した私がまず受けたのは、簿記のカリキュラムでした。「大河原専門学校」はもともと簿記の学校で、簿記についてのノウハウは日本一であり、是非ともみんなに簿記を学んでほしいという想いがあったのか、この簿記のカリキュラムは割りとどんなコースにも組み込まれていました。関連企業の電卓を買わせ、資格を受けさせる目的もあったようですが、まあそれは授業料の一部と見ることもできます。

 簿記はまず1週間かけて3級の授業を行い、習熟度と本人の希望に応じて3級もしくは2級の授業に進むという方針になっていました。この最初のカリキュラムで私の隣の席になったのが、「神山恵美子」でした。

 この時点で神山恵美子について詳しく語るつもりはありません。1週間でサヨナラすることが決まっているし、一度も会話もなく、特に意識もしなかったからです。ただ、色白でおかっぱ頭、奥二重だが細い目、全体的に隆起が少なくのっぺりとした、「ちびまる子ちゃんの野口さん」系統の顔と、地味顔に違わないおとなしそうな雰囲気に好感を抱いたのは確かです。

 私は入学前ニート状態にあり、有り余る時間を利用して簿記3級の勉強はすでにある程度進めていたので、1週間の授業で躓くことはまったくなく、小テストでもほぼ全部満点で、当然の如く2級のクラスに進みました。神山恵美子は3級のクラスに進み、一旦お別れになりました。大河原専門学校では、1年生の生徒数は500人以上もおり、そのうち情報のクラスの定員は30人くらいと聞いていましたから、この時点では、後の再会など想像もしていませんでした。

 2級のクラスは、小テストの結果に応じて、AクラスとBクラスに分かれていました。最終的にはBクラスからも90%以上の合格者が出るということで、実際その通りになったので、たぶんこれは、Aクラスの方はこの後のことも視野に入れて、1級の内容にも踏み込んだ難しい授業を行い、Bクラスの方はとりあえず2級を何としてでも合格させようという配慮だったのでしょう。

 私は入学前の事前勉強が功を奏してAクラスに入ったのですが、今思えば、事前勉強などせず、最初からBクラスに進んでいればよかったと思います。というのも、Aクラスには、神山すら上回る、最低最悪のクズ女がいたからです。

 クズ女の名を、仮に蛆村とします。蛆村は公認会計士か何かのコースで、入学前の講座に参加していたらしく、その講座の仲間とすでに意気投合しており、すでにグループを形成していました。

 4月から普通に入学した私は、最初は当然、親しい友人などいません。それでもしばらくすると、二、三人、話友達らしき者はできたのですが、特別相性がいい人たちでもなく、私の方から距離を置いてしまいましたので、ほとんど”ぼっち”に近いような感じだったと思います。

 別にそれは大きな問題ではなかったのですが、そんな”ぼっち”の私を――酒鬼薔薇聖斗風にいうなら、

 ――勉強も、運動もできない。他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。教室に入ってきても彼の方を見る者はいない。廊下でぶつかっても誰も彼を振り返りはしない。彼の名を呼ぶ人はひとりもいない。いてもいなくても誰も気づかない。それが僕だ。

 という私を、なぜか目の敵にして、ぐちゃぐちゃ悪口を言ってくるヤツがいました。それが蛆村です。

 この蛆村が私をどのように言っていたのか、正確にはよくわかりません。記憶にある蛆村の言葉で、確実に私のことを言っていたとわかるのは、

――人としておかしい。見た目からしておかしい。

――(隣の人を)採点するとき横を向くと、アイツが視界に入ってくる。それが超キモイ。

 という二つだけです。

 繰り返しになりますが、蛆村がなぜ、私をそこまで嫌っていたのかまったくわかりません。私は蛆村と会話をしたこともないですし、蛆村には手を触れたことさえもないのです。蛆村になにも迷惑をかけたわけでもない私を、蛆村は「イジメ」ていました。

 同じ経験がある人がいるかわからないのですが、何と言いますか、仲間と一緒に、遠巻きに私の方をチラチラと見て、「あいつがどうの・・・・」「あいつがなんのかんの・・・・」と、「聞こえるか聞こえないかくらいのギリギリの声で、悪口になるかどうかギリギリのキーワードの言葉」を、蛆村は私に対し、ぐちゃぐちゃと言っていました。

 私は完全に気づいている(蛆村も私が気づくようにやっている)わけですから、「陰口」とは違う。ただ、はっきりと面と向かって言っているわけでもないですから、「抗議」「喧嘩」とも違う。ただ、遠くも近くもない距離から、何かごちゃごちゃと、私に対する悪口を言われているという状況。ロングレンジから小さなジャブをチクチク浴びているような、非常に不快な感覚だったのですが、確実な証拠を掴めないので、私の被害妄想と思われてしまうかもしれないのが、非常に悔しいところです。

 蛆村の仲間で、このとき私のことをゴチャゴチャ言っていた連中には、のちに情報のクラスで一緒になる、「野村(男)」「福山(男)」「金澤(男)」もいました。野村はぽっちゃりとした童顔で年齢よりも幼く見えるのですが、私より4つ上で、のちに編成される情報のクラスでは最年長となる27歳。福山は私より1つ上で、グラサンやブレスレットをつけた(つけてそうなイメージ)のバイク乗り風の見た目。金澤は私と同年齢で、テクノカットの、昔の”あっちゃん”みたいな、やや顔面のパーツがセンターよりの見た目でした。いずれも話の最後まで登場することになる人物です。

 蛆村とはこの2級Aクラスのときだけの短い付き合いだったので、ヤツがこの後どうなったかわからないのですが、早い段階で就職活動をしていたようなので、志望していた公認会計士にはなれなかったのでしょう(会計士は3年制か4年制だったと思う)。ですが、90何パーセントという学校全体の高い就職実績からして、何らかの正社員の職は得られたものと思います。
 
 今の社会の中で、正社員は非正規社員より優遇され、社会的地位として高く置かれています。
 
 正社員とは、能力があって、努力した人であり、「偉い人である」。正社員になれなかった人は能力がなく努力もしなかったのだから、「ダメな人である」。つまり、格差があるのは仕方ないのだ―――と、無邪気に信じてしまっている人もいます。

 果たして本当に、蛆村たちのような、「自分になんの迷惑をかけたわけでもない」人間をイジメるバカが「能力がある人」であり、高い給料を貰っているべき人間だというのでしょうか?蛆村がどれぐらい努力していたのか知りませんが、他人をイジメてストレス発散していなければできないような努力なんか、やらない方がマシでしょう。そんなもんを評価して蛆村のようなヤツを採用した会社はとんでもないバカ会社であり、蛆村を褒めていたあの学校の講師は、とんでもない大馬鹿だと言えるでしょう。

 私の記憶が正しければ、蛆村は最初、子分の野村のことも悪く言っていたと思います。たしか、蛆村の前の席の野村がプリントを後ろに回すとき、後ろを向かずに背中越しに渡してくるとかそんなことが理由だったと思います。野村が「許され」、そのあとに嫌われたのが、私でした。蛆村が私を目の敵にしていた理由は最後までわからなかったのですが、たぶん蛆村が私を悪く言っていたのも、最初野村を嫌っていた程度の超くだらない理由だったものと思われます。

 蛆村のことを思い出すと、「”悪”とはなんぞや?」と、いつも考えさせられます。ただ、少なくとも「正社員の職を得られるかどうか」という点に限れば、「悪」とは、「性格の悪さ」ではなく、「社会不適応」のことらしいです。そのことを蛆村は、私に教えてくれました。

 これから神山のことをボロクソに書くことになると思うので、今のうちに神山のせめてもの名誉のために言っておこうと思いますが、あの学校の中に神山以上のゴミは確実に存在しました。仮に蛆村と神山と関わった日数が逆であれば、私は在学中にも蛆村を「駆除」していたかもしれません。

 この話の中で私の最大の敵は「神山恵美子」ですが、たぶん人間としてのゴミ度でいったら、蛆村の方が二ケタくらい上だったと思います。神山恵美子との一件については、正直私にも非があったと思いますが、蛆村との一件については100%私が被害者であり、恨む理由としては正当だったと思います。

 ただ、いかんせん蛆村とは関わった日数があまりにも少なかったため、私もヤツの顔をよく覚えておらず、町ですれ違ってもおそらく気づけないという問題があります。そもそも私は、蛆村の本名すら知らないのですから(それはむこうもおそらく同じであり、本名も知らないようなヤツのことをイジメていたのが蛆村というゴミである)、何の手掛かりも掴めません。また、全体的な恨みとしても、やはり関わった日数が長かった神山の方が上回ってしまい、相対的に蛆村は、私の中で、復讐の対象としての優先度が下がってしまいました。 

 さすがに蛆村はあまりにもクズすぎて、とにかく四六時中人の悪口ばかり言っていたため、最後の方には野村たちからも呆れられ、まともには取り合われなくなっていたようです。今の蛆村が何をしているかわかりませんが、このレベルのあからさまなクズになると、どこかでしっぺ返しを食らっているのは確実だと思いますし、わざわざ私が手を下すまでもないのかな、という気もします。

 神山も神山で性格的には問題のある人物だったと思いますが、蛆村に比べたらスケールはだいぶ小さく、もしかしたら、「クズ」とまでは言えなかったかもしれません。それどころか、上にも書きました通り、悪の基準を「性格の悪さ」ではなく、「社会不適応」に置くなら、私は蛆村や神山など比較にもならない「極悪人」です。神山も私のような異常に粘着気質の者に出会わなければ、人から殺意など抱かれることもなく、無事に学校を卒業できたかもしれません。

 そう考えると蛆村は悪運が強く、神山は運がありませんでした。

 ただ、神山が蛆村よりはマシだったとして、それで単純に、神山が蛆村より良いともいえません。上にも書きました通り、蛆村ほどのクズになると、こいつがイジメられて排除される可能性も極めて高いと言えますが、神山はクズ度が中途半端な分、社会で長生きできる可能性が高いからです。

 禁煙はヘビースモーカーの方が成功するというように、とことんまでのクズの方が、自分が痛い目を見る分、改心する芽もあるといえなくもありません。しかし、「ちょっとクズ」程度だと、自分の過ちにいつまでも気づかず、いつまでたっても変わらないかもしれません。

 だから、十年、二十年経ったときには、ひょっとしたら、蛆村よりも神山の方が、多くの人間を傷つけているかもしれません。ここが一筋縄ではいかないところであり、私が神山の方により大きな恨みを持つ理由にもなっています。

 この話における私の立場を、「三国志」の劉備に例えれば、蛆村が序盤で立ちはだかる最強最悪の敵、董卓。神山は董卓ほどのわかりやすい悪党ではありませんが、悪でありながら人望もある、より完成度の高い真の宿敵、曹操といったところでしょう(劉備と曹操は同盟を組んでいたこともあった)。野村や福山は、さしずめ 董卓麾下からのちに曹操配下に加わった、カクや張シュウといったところでしょうか。

 金澤だけは何に例えたらいいかわかりません。野村や福山は敵といっても所詮枝葉ですが、金澤は神山に勝るとも劣らない敵だからです。呂布だと曹操の敵になっちゃうし何なんでしょう。わかりません。

 ちなみに劉備だったら関羽、張飛、趙雲、諸葛亮といった、真の絆で結ばれた家臣がいましたが、私には最終的に、仲間と呼べる人間は誰一人いませんでした。しかも、私も神山や蛆村とはまたベクトルの違う悪であり、横山三国志の劉備のような善玉ではありません。だから私も劉備ではなく、なんなんだかわかりません。

 簿記2級のクラスでは、3週間あまりを過ごした後、最初の実力診断テストが行われました。この実力診断テストの結果が良くなかった私は、ここでBクラスに移動になりました。

 最終的にはBクラスからも90%の合格者が出るということでしたので、特に不安はありませんでした。むしろ蛆村たちと別れられ、心底ホッとしていたと思います。蛆村は命拾いしたと言えるでしょう。

 第一話はここで終わります。この時点で2010年の5月半ばくらいです。
 

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 4



 
 後編~絶歌~酒鬼薔薇聖斗の凶行と社会的抹殺へのカウントダウン


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 秘密の儀式


 酒鬼薔薇が小学校5年生のころ、酒鬼薔薇を可愛がってくれていた祖母が亡くなりました。

 酒鬼薔薇は、祖母には大変よく懐き、いつも会うのを楽しみにしていたといいます。手記「絶歌」にも、幼い酒鬼薔薇を抱く祖母の姿が、唯一の写真として挿入されています。
 
 その「絶歌」の中で、酒鬼薔薇は最愛の祖母との思い出を汚す行為をしたことを、自らの「原罪」として記しています。祖母の死後のこと、酒鬼薔薇は押入れを開き、祖母が愛用していた電気按摩器を発見したのですが、それを何の気になしにペニスにあてがったところ、激しい快感を覚え、以後何度も、祖母の部屋で「電マオナニー」を愉しんだ、というものです。

 酒鬼薔薇といえば「性的サディズム」の持ち主と言われていますが、「生物の死」と「性的快楽」が初めて結びついたのがこのときである、と、本人は自己分析しています。酒鬼薔薇は愛する祖母の遺影に見つめられながら、祖母の電気按摩器でオナニーをしたことに激しい罪悪感を感じ、射精の際には快楽とともに激痛を伴った、などと書いていました。

 酒鬼薔薇が、「猫殺し」を始めてしまったのは、この直後のことでした。

 凶悪犯の生い立ちを見ると、幼いころ動物を虐待していたという話が出てくる例が非常に多いですが、動物「殺傷」と「虐待」の間には、明確な隔たりがあるといっていいでしょう。あの宅間守も子供のころ猫を虐待していたことで有名ですが、本人によれば殺すことが目的だったわけではなく、弱い者をイジメて苦しむところを見て楽しむのが目的だったそうです。それだけでも大きな問題には違いありませんが、やはり、「殺して性的な快楽を得る」目的とは、ヤバさ加減もヤバさの質も違ってくると思います。

 酒鬼薔薇が殺していたのは、近所の野良猫でした。本当の動機は、殺して性的な快楽を得ることでしたが、それは心の奥深くに仕舞われていたもので、猫を殺した直接的な「トリガー」として酒鬼薔薇があげていたのは、「亡くなった愛犬・サスケの余ったドッグフードを、サスケのお皿で食べていたのが許せなかったから」ということです。

 私も大好きだった家族の犬と死別した経験はありますが、酒鬼薔薇の気持ちはまったくわかりません。余ったご飯を猫ちゃんが食べてくれたら嬉しいやんけと思うのですが、酒鬼薔薇は変なところに異常に拘って、感じなくてもいい不快感に苦しめられてしまっていたようです。 

 電気あんまオナの件にしても、この時点でそんなに罪悪感を感じる必要があったのかな、という気はします。猫殺しや、2件の殺人事件のあと、「俺が異常になったのは電気あんまオナがキッカケだった」と振り返って罪悪感を感じるならわかるのですが、たまたま婆ちゃんの遺影の前で、溜めに溜め込んだアソコに電気あんまをあてがった結果、ドピュッとイってしまっただけのことになんでそんな罪悪感を感じるのか、私にはよくわかりません。

 お祖母ちゃんが生きていたら、「Sくんも男になったんやねえ」と、むしろ喜んでくれたでしょう。お祖母ちゃんの思い出が汚れたのは、この後に殺人などを犯したからであり、電気あんまオナの時点では何も汚れていなかったはずです。こんなことが「原罪」になるのなら、小学生の頃から同級生だろうが学校の先生だろうが、かたっぱしからオカズにしていた私の方が「原罪者」といえるはずです。

 なんというか、妙に潔癖というか、生真面目なヤツだったのかもしれません。あまりにもウブすぎて、物事をなあなあで済ませられず、ちょっとした矛盾も受け入れられないようなヤツだったから、あそこまで荒れ果て、歪んでしまったのかもしれません。


さじぇいぶヴぁら「

 
 
 劣等感



 1995年4月、酒鬼薔薇は、惨劇の舞台となった友が丘中学校に入学しました。
 
 「絶歌」を読んで私が印象的だったのは、中学生当時に酒鬼薔薇が抱えていた悩みやコンプレックスはけして特別なものではなく、むしろ彼は普通の、どこにでもいるような、ちょっと「もっさい」少年だったということです。

 中学時代に酒鬼薔薇が愛読していたマンガに、「行け!稲中卓球部」という作品があります。私は高校ぐらいのときにチラっと立ち読みしただけですが、私が読んだことのある学園モノでいえば、「スラムダンク」のような、爽やかな青春を描いたものではなく、「GTO」のように荒唐無稽なアクション活劇が描かれているわけでもなく、何の取柄もなく注目もされない、「非リア」階層にいる少年が、ごく日常的に感じている、卑屈で哀れな感情を淡々と描いた作品だったと思います。

 非リアのマンガを愛読する子が必ず非リアであるとはいえませんが、酒鬼薔薇は当時、この作品の登場人物に、深く自分を投影していたと語っています。「絶歌」の冒頭から、酒鬼薔薇は自分のことを、


――勉強も、運動もできない。他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。教室に入ってきても彼の方を見る者はいない。廊下でぶつかっても誰も彼を振り返りはしない。彼の名を呼ぶ人はひとりもいない。いてもいなくても誰も気づかない。それが僕だ。



――どの学校のどのクラスのも必ず何人かはいる、スクールカーストの最下層に属する〝カオナシ”の一人だったぼくは、この日を境に少年犯罪の”象徴(カオ)”となった。



 と書き記しており、当時の自分がいかに、「勉強・運動・ルックス・コミュニケーション」といった、ごく普通の少年が感じるようなコンプレックスに塗れており、全国に事件が報道されたことで、そのコンプレックスを克服した瞬間にいかに歓びを感じたかを語っています。

 「序」では、少年院を出た後の酒鬼薔薇が、人並みに世間の波にもまれ、底辺労働の世界で苦しんできたことも書きましたが、彼は酒鬼薔薇のことを詳しくは知らない人が思っている以上には、「普通」だと思います。
 
 酒鬼薔薇は犯行声明文の中では、自分は「異常快楽殺人者」であり、自分をまるで神聖なものかのように装っていましたが、それは酒鬼薔薇が世間に認知してほしい自分の像であって、本当の自分の姿が、あまりにも卑小かつ「俗物」であり、醜いものだということの裏返しだったのでしょう。

 「絶歌」を出版し、HPを開設した酒鬼薔薇は、当初「ナメクジ」のイメージを強調していましたが、まさしく自分は、日陰者の「ナメクジ」のような存在だったのだと、ずっと思っていたようです。

 その「ナメクジ」が、虫でいえばカブトムシやクワガタのような花形の存在になる唯一の手段として見出したのが、「異常快楽殺人」だったのです。

酒鬼ばあ



 
 卓球


 「稲中卓球部」をバイブルとする酒鬼薔薇は、友が丘中学校でも卓球部に入部し、毎日部活動に取り組んでいました。お母さんも地域の卓球サークルに参加しており、お父さんも卓球をする卓球一家でしたから、中学一年生のころはよく家族で卓球をし、良いコミュニケーションが取れていたようです。

 最初のうちはお父さんお母さんに叶わなかった酒鬼薔薇でしたが、卓球部に入部して半年もするとメキメキと実力をつけ、お父さんお母さんを追い抜いてしまいました。酒鬼薔薇は初めてお母さんに勝った日、記念にカレンダーに印をつけていたようです。

 ただ、卓球部内での酒鬼薔薇の実力は下から数えた方が早いレベルだったようで、対抗試合での選手に選ばれるようなことはなかったようです。酒鬼薔薇も、がむしゃらにレギュラーを取りに行こうと自主練習をするような情熱は見られず、次第に面白くなくなってしまったのか、二年生の中頃には、部活に行くのをやめ、家族での卓球もやめてしまったようです。

 頑張ったうえでの挫折なら心の傷にもなったでしょうし、「試合に出られない生徒にとっては苦行でしかない」日本の部活動システムの欠陥にも言及したかったところですが、最初から情熱もなかったのなら、本人にとってもどうでもよかったことなのでしょう。「絶歌」にも卓球に関する記述はほとんど見られません。

 なので卓球のことに関してはあまり深く掘り下げる必要はないと思いますが、それでも、一時とはいえ家族のコミュニケーションになり、エネルギーの発散場にもなっていたこの卓球をもうちょっと頑張れていたら、酒鬼薔薇が事件を起こすこともなかったのではないか、という一抹の思いはないではありません。
 
 

完成版私小説 愛獣 7

                  

 僕を故郷に連れて帰る成果をもって、僕との関係を決着させようと考える折茂。しかし、当然のことながら、僕は折茂の望む返事はしなかった。

 伊勢佐木屋警備隊が撤退する日は確実に近づいていく。焦る折茂がとった手段は、「嫉妬の感情を利用する」ということであった。具体的には、僕と同じように、己と近しい立場の若者の世話を焼いたり、優しく声をかけた後、僕に対して「お前、あのとき嫉妬してただろ?」と聞いてくるということを、何度も、何度もやってきたのだ。

 あくまで、「僕は本当は折茂に好意を持っているのに、恥ずかしがって素直になれないだけ」との前提で話を進めようとする折茂は、僕に嫉妬をさせて焦らせば、「折茂さんが好き、憧れている」という本音(折茂が思い込んでいるだけであり、そんな本音は一切ない)が引き出せると考えていたのである。

 この時期、バックれた立義の後釜として、伊勢佐木屋警備隊に赤田という新人が入ってきた。二十二歳、僕より一個年上の大学生で、就職活動も終わって卒業に必要な単位もすべて取り終え、余った時間にアルバイトをしようと入ってきたのだという。

 赤田は日勤隊、折茂や僕は夜勤隊と働く時間帯も違うが、折茂はこの赤田に積極的に声をかけ、僕に「嫉妬させるため」の努力をし始めたのである。

「博行。お前はさっき、俺が赤田と話しているのを、凄い怖い目で見ていたな」

 自分の目つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも嫉妬をしていた事実などは、一切ない。全部折茂の妄想である。

「博行。俺が赤田と話しているからといって、不満そうな顔をするな」

 自分の顔つきが人からどう見られているかなどは自分ではわからないが、少なくとも不満を感じた事実などは、一切ない。もし不満気に見えていたとするなら、それは、「どうせまた、後で嫉妬がどうのって話が始まるんだろうな」とうんざりしていたのが、顔に表れていただけの話だ。実際、折茂は僕がいくら嫉妬していないと主張しても聞かず、二十回でも三十回でも、僕に意地でもうんと言わそうと、何度も嫉妬云々の話をしてきたのである。

 折茂の執念は凄まじかった。僕が嫉妬していたことにする、ただそれだけのために、自分の女友達まで巻き込んだのである。

「この前、赤田と俺の女友達を会わせましたよ。あいつになら、女友達を安心して任せられますからね」

 塩村にそんな話しをしながら、僕の方を、チラッチラッと見てくる。そして、塩村がいなくなった後、「嫉妬したか?」と来るのである。

「いや・・・別に嫉妬はしてないですが・・・幸せになればいいんじゃないですか」

 当時、女には飢えていたが、本当に嫉妬などはしなかった。自惚れ屋で、リア充を気取る折茂の女友達などは、自信家で自己主張が強く、容姿や収入などで平気で男を見下すような女に違いなく、そんな女などは、顔面をグチャグチャに潰して泣かせてやりたいとは思うが、付き合いたいとは思わない。それに、その女を通じて折茂との関係も継続してしまうことになっても困る。

「そうか。それはそうだよな。何しろお前は、俺が好きなんだもんな」

 自分の都合のいい解釈をする・・・というより、逃げ道を見つけることにおいて、折茂は天才的であった。

 折茂が言うように、僕が嫉妬深い男であることは、間違いではない。しかし、その嫉妬心は、自分が特別に欲してやまない成功を収めた人間をみたときや、特別に好きな女を取られたときのみでしか発動しない。

 たとえば、僕は小説で成功したいと思っているので小説で成功した人をみたときは嫉妬するが、まったく畑違いの分野で成功した人を見ても、とくに心は動かされないし、共感できるところがあれば素直に尊敬できる。友人が誰と付き合っていてもどうでもいいし、街中でカップルを見かけたとしても何とも思わない。ましてや、自分が快く思っていない折茂が誰の世話を焼いたところで嫉妬などするはずがないし、むしろ「どうぞそっちに行ってくれ」という話である。

 折茂が、僕を「嫉妬していたことにする」ために利用していたのは、赤田だけではなかった。どこで知り合ったのかしらないが、僕と同じ二十一歳の大学生で、アメフト部か何かに入っているという若者である。その若者が、折茂に憧れて、よく電話相談などをしているというのである。ちなみに、僕はその若者に会ったことはない。写真も見たことはない。だから、折茂が作り出した、架空の人物という可能性もある。

「おう、電話してきたか。今?今仕事中だが、電話ぐらいは出られるぞ」

 ある日の勤務で折茂の携帯が鳴り、そのなんとか君との会話が始まった。実に都合よく、まるで見計らったかのように――アラームでもセットしていたかのように――仕事の手が空いて暇なときに、電話がかかってきたのである。

「またその悩みについてか。うん。それは自分次第だよ。うん」

 やり取りについては、それなりに自然であるようには聞こえる。まあ、折茂が握っている携帯の画面に、ちゃんと人の名前と通話時間が映し出されていようと、ただのオプション画面が表示されているのであろうと、僕には関係ない。中学三年生のとき、一緒に野球観戦を約束していた友達が急用で来られなくなり、一人で球場に足を運んだとき、当時、なぜか一人で野球を観ることが恥ずかしいことだと思っていた僕も、自分の席の周りにいる人に対して、わざわざ友人の急用を伝えるための「偽電話」をやった経験はあるから、たとえ折茂が架空の人間と喋っていたのだとしても、折茂をバカにはできない。

 閉口したのは、そのあとのことである。折茂が突然、僕の手を引き、トイレに連行して抱き付いてきたのである。

「ちょ・・・な、なんですか突然」

「博行。嫉妬をするな。俺はお前が一番だからな」

「いや・・・ちょ、やめ・・・」

「博行、ガードをするな。俺に抱かれるのが嫌なのか」

「いや・・・あの・・・やはり男同士でこういうことをするのは、おかしいですよ・・・」

「どうしてそんなことを言うんだ。昔のお前は、俺に抱かれて喜んでいたじゃないか」

「いや・・・あれは、心が弱っていたときだったから・・・」

 それでバカの一つ覚えみたいに何度も抱き付かれては困る、というのが、僕の心の中の声である。
 
 男同士で抱き合うなどは、特別に感極まったときでなければ、人からどういう目でみられるかは、本人だってわかっているはず。だからわざわざ、絶対に人に見られないよう、トイレにまで連行して抱き付いているのではないのか。

 自分でも恥ずかしいとわかっていることをやってまで、僕を信者にしようとする折茂。その執念だけは、確かに凄まじいものがあった。

  ☆         ☆          ☆   

 「嫉妬してることにする作戦」を駆使しても、僕が一向に信者になろうとしないことに、次第に業を煮やし始める折茂。募る苛立ちと焦りが、ついに爆発するときがやってきた。「大説教・大激怒二時間SP、秋の陣」の幕が上がったのである。その理由というのがとんでもないもので、折茂がかねて敵視している戸叶と僕が、仲良さそうに話していた・・・というものであった。

「みんなで戸叶を追い込もうと約束していたのに、お前は何をやってるんだ!俺の言うことが聞けないのなら、戸叶の下で働けばいいだろ!」

 仕事と学歴は関係ないと豪語し、自分の知能は東大卒にも勝り、策を練らせれば右に出る者はいないという「軍師折茂」が、宿命の敵、戸叶を倒すために考えた渾身の策が、「みんなで戸叶を無視する」というものであった。これが天才の策というのなら、日本中の女子中・高生は全員が天才策略家ということになる。中学、高校時代にさっぱり女にモテなかったからだろうか、僕は折茂の天才的な策略についていけず、戸叶と仲良く喋ってしまった。それが折茂の不興を買ったのである。

「湊さんもお前の行為には怒っていたぞ。日勤隊の湊さんは仕事上の絡みがあるから、ある程度戸叶と話さなきゃいけないこともあるが、戸叶と話す必要の薄いお前があんなに戸叶と和気藹々としているのは何事か!とな」

 僕から慕われたいならば、他の人の誤解を解き、僕を庇ってくれるべきであるはずが、他の人が僕に不信感を抱いていることを、言わなきゃわかりゃあしないことなのにわざわざ伝え、みんなが僕を嫌っているように思わせて、追い詰める。これが折茂の本当の姿であった。

 湊が怒っていたというのも、たぶん折茂が煽った結果であろう。冷静に考えれば、こんなことをしたら僕の気持ちは遠のくだけというのは折茂にもわかったはずなのに、彼はやってしまった。怒りが爆発すると歯止めが利かなくなってしまうのである。

「も、もう辞めますよ。あと少しで撤退だけど、もう我慢できない」

 二時間に及ぶ説教に耐えきれず、僕は席を立ち、着替えを取りに待機室へと向かった。

 限界だった。前回の、「大説教・大激怒二時間SP、春の陣」においては、実際に仕事上で失敗があったのは事実であった。隠ぺい工作をするとか卑怯なことをしたわけでもない。物がとられたわけでもない。ごめんで済むことであり、二時間も説教を食らうのは異常であるが、それでも、僕に過失があったことは確かである。

 だが、今回は違う。僕は何も失敗などしていない。誰にも迷惑をかけていない。戸叶と仲良くしゃべることが悪いと考えるのは、「折茂教」の教義にすぎず、客観的に見て、それを僕が守らなかったからといって責められるいわれは何もない。

 着替えをしに、待機室に向かおうとした僕を、折茂は後ろから抱きとめた。

「すまん博行。俺も言い過ぎた」

 自分でも、おかしなことをやっている自覚は少しはあったのだろう。折茂は、ここは素直に謝った。
 
 しかし、自らの存在を、絶対に間違ったことをしない、神聖にして無二の導き手と信じ、僕のことは、未熟にも程がある赤子と思い込んでいる折茂が、己の非を完全に認めるわけはない。仮眠から明けたあとになって、折茂は「お前はあの時、家に帰ろうとしただろう。実はあの戸叶も、仕事で気に食わないことがあったからといって、怒って勝手に家に帰ったことがあったんだ」などと言い出し、暗に僕の行為を非難し、かつ、自分が戸叶を追い込もうとしている正当性を主張し始めた。
 
 もはや鍵紛失事件のときの洗脳も完全に解けており、どう取り繕ったところで折茂への印象が回復するわけもなく、むしろ余計なことを口にすればするだけ不信感、及び不快感は増すだけであったが、当の本人は、この期に及んでも僕が折茂を慕っているという前提で話を進めたいようで、「大説教・大激怒二時間SP・秋の陣」の数日後には、同僚である鳥居や塩村に、僕を故郷に連れて帰るという最終目的を打ち明けたらしい。

「つっしー、折茂さんと一緒に住むの?」

「まさか・・・。そこまでは、さすがに・・・」

「そりゃそうだよね。いくらなんでも、ねえ・・・」

 隊員の中でもっとも折茂を好意的に見ている鳥居にして、この反応である。折茂のジレンマがすべて、彼自身の望みが異常すぎることから来るものであるのが、このことからもわかる。

 折茂はけして、対人関係のバランスが取れない人間ではない。もっと鳥居や塩村、あるいは湊に接するように、近づきすぎず離れすぎず、適正な距離を保って接してくれれば、僕だって露骨に拒絶反応を示さずに済んだはずだった。折茂が僕を信者にしようと、一緒に住もうとか、抱き付いてきたりとかするから、僕も自分の身を守るために、抵抗し、折茂にとっては望ましくないリアクションをしなければならなかったのだ。

 彼がここまで頑なに僕を信者にしようと、異常に高い望みに拘るのは、彼が自己愛を満たすため、己を常に崇めてくれる存在を求めていたからに他ならないが、もう一つ思い当たることがある。もしかしたら彼は、自分の人生の中で、好感を持った相手に、ここまで激しく拒絶されるという経験をしたことがなかったのではないだろうか。

 折茂は僕に好かれようと、あの手この手を尽くしていたが、反対に僕の気持ちは離れていくだけであった。激しいジレンマと屈辱を味わい、膨大な時間を僕のせいで無駄にさせられたと思った折茂は、これを取り戻すためには、もう普通の先輩後輩、友人関係ではだめで、僕が信者にまでなってくれなければ割に合わない、と、歪んだ望みを膨れ上がらせてしまったのではないか。

 これが、ストーカーの心理というものである。ストーカーとは、相手が大好きだから執着するのではない。自分の想いを踏みにじられた屈辱、プライドを取り戻す目的で、相手に執着するのである。
 
 こう思い至ったのは、僕にもまた、折茂と同じ、ストーカー気質があるからである。好きになった異性から想いを踏みにじられ、あまつさえ女のクソみたいなプライドを満たすためのサンドバッグとして扱われた結果、その女への好意がなくなるのではなく、むしろここまでされたからには何としても付き合ってもらわねばならないと、逆に執着を強めてしまう思考に陥った経験があるからである。

 それは折茂と別れてからの経験で、当時はまったく気づかなかったことなのだが、今にしてみれば、思考回路としては似たようなものではなかったかと思うのである。もっとも、ただ単に、自分と同程度の容姿の女に男女の関係を望んだだけの僕と、教祖と信者というより強い結びつきを望んだ折茂とでは、その実現可能性に大きな隔たりがあるはずで、かつ僕は、あの女のように、自ら悪意をもって折茂を傷つけたり、悪口を言ったことなどは一度もない。また折茂のように、己の優位な立場を利用する卑劣さもなかった。従って折茂に同情するつもりなどは一切ない。


  ☆         ☆        ☆    

 伊勢佐木屋が閉店する十月になった。気候的には一年でもっとも過ごしやすい時期で、本当なら仕事にも身が入るところであろうが、折茂と一緒の僕は違っていた。

「博行。こんど、湊さんや鳥居さんたちと一緒に、飲み会をやるぞ。お前も来い」

 伊勢佐木屋警備隊はシフト制で動いているため、これまで皆で集まって一緒に酒を飲む機会もあまりなかったのだが、折茂は最後に打ち上げをしようという。僕はこれに乗り気ではなく、なんとか断る口実を模索した。これからも長らく付き合いがあるというならともかく、もうすぐ別れる人たちと飲んでもカネが飛ぶだけで、僕には何のメリットもないのである。折茂らに好感を持っているならまだしも、折茂以外の人たちはともかく、主催者の折茂には嫌悪感を抱いているのだから、ツラを突き合わせて酒などは飲みたくなかった。

「あの・・・・。もうすぐウチの犬が死にそうで・・。できる限り傍にいて、一緒の時を過ごしたいんですよ。ですから・・・」

 口実は口実だが、まったくの嘘ではなかった。この時期、十四年間、兄妹同然に過ごしたうちの犬は息を引き取る寸前で、もう足腰も立たない寝たきりの状態であった。四六時中起きて看病をしようというわけではなかったが、できるだけ一緒にいたいのは確かだった。

 しかし、それを理由に折茂主催の飲み会を断るというのは、折茂からしてみれば、己が犬に負けたということになる。親兄弟ならともかく、犬に負けるという屈辱を味わった折茂の顔は憮然としていた。そして、悔し紛れに放った一言がこれである。

「言っておくが・・・・犬は法律的には、物として扱われるんだからな」

 他者の所有する動物を傷つけた場合、器物損壊罪として扱われた判例を持ち出して、こんな最低の一言を吐き捨てたのである。これが、僕を故郷に連れて帰り、お前の人生を背負おってやるなどと公言する「人生の師」の言葉というのである。飲み会の誘いを断られた悔しさのあまり、こんな最低の言葉を口にする奴が、「器のでかい男」を気取っているのである。

 声を大にして言うが、僕は折茂の「クソつまらない」飲み会などより、間もなくこの世を去ろうとする犬と一緒にいる時間の方が、ずっと大事であった。折茂との飲み会など、「行くだけ無駄」「寝ていたほうがマシ」であり、また折茂などは「死んでもどうでもいい」存在であり、兄妹同然に過ごした犬こそが、僕にとってかけがえのない存在であった。

 それを物とか言われたのではたまらない。しかしそれを言われてしまったのは、僕が折茂との飲み会を断ってしまったからでもある。一晩中ついて看病しているわけでもなし、別に行くなら行ってもよかったのである。また断るなら断るで、別の口実を使ってもよかった。

 折茂、そして自分自身への憤りと悔しさが、胸の中に渦巻いていた。折茂の方もさすがに失言を自覚したのか、それ以上しつこく誘ってくることはなかった。

 結局、飲み会は僕抜きで開催されたのだが、その後に彼らはみんな揃って、僕と塩村が勤務をする伊勢佐木屋保安室に押しかけてきた。別に邪魔になるような人たちではないし、仕事も暇な時間帯だからいても良かったのだが、厄介だったのは、当時服用していた精神安定剤を飲む瞬間を、折茂に見られてしまったことである。

「博行、お前はいつからこれを飲んでいたんだ?」

「警備隊に入る、少し前からですが・・・」

 己が追い詰めたせいで僕が薬を飲み始めたわけではないことが確認できると、さっそく「折茂劇場」の幕が上がった。

「博行・・・・もう俺がいるんだから、薬は必要ないだろう?それとも、俺の愛では、薬をやめられないのか?」

 どう見ても、みんなに自分の恰好よさをアピールするためのパフォーマンスなのだが、この言葉自体はおかしなものではないかもしれない。というのも、かの有名な「夜回り先生」水谷修氏にも、「愛で薬は辞められる」と信じ込み、自分が献身的に世話を焼いているにも関わらずドラッグを辞められなかった生徒が、自分で然るべき施設を探してきてそこに行くと言い出したとき、自分の愛を否定された気分になってつい冷たい言葉をかけてしまった結果、心乱れた生徒が自殺同前に死んでしまったという過去があったからだ。

 水谷氏はその件で、自論であった「愛で薬は辞められる」はエゴに過ぎなかったと反省し、ドラッグ撲滅と教育に人生のすべてを捧げるようになったわけだが、水谷氏と折茂の違いは、水谷氏の「愛で薬は辞められる」が、深い愛の中の小さなエゴだったのに対し、折茂の「愛で薬を辞められる」は「全部エゴ」だったということである。

 水谷氏の生徒が服用していたのは、人体に多大な害がある違法なドラッグであり、それは「直ちにやめるべきもの」であった。しかし、僕が服用していたのは効き目がマイルドな精神安定剤である。人体にそれほど甚大な害が出るものではない。たとえ無意味なものだったとしても、カネをドブに捨てるのは本人であり、それを無理やり辞めさせようとするのは、「俺が薬を辞めさせた」という栄光が欲しいだけのエゴでしかないであろう。エゴの塊で、エゴで生きているような折茂が、水谷氏のように反省などするわけもない。

 余談になってくるが、精神安定剤について、今現在の僕の考えを述べれば、回転効率しか考えない三分診療で、患者に簡単に精神疾患のレッテルを張り付け、カウンセリングもロクにせずドバドバと依存性のある薬を出す精神医学会のやり方には問題があると思う。 

 本来、うつ病とかいうものは、特に理由もないのに落ち込んでいる状態が続いていることであり、失恋だとか、試験に落ちただとか、原因がはっきりしているうちはまだ病気ではない(その、初期の段階であり、放っておくと本当の鬱になる可能性はある)と思う。そういう人間が立ち直る手段として一番効果的なのは、薬ではない。「良き出会い(誰にでも訪れることではなく、運もあるが)」と、泥にまみれながらも一歩一歩前に進んで、自信を取り戻していくことだ。

 ただ、世の中には、辛くて辛くてどうしようもない、ギリギリの状態の人はたくさんいる。どうしても前には進めないという人もいる。そういう人たちは、「言い訳」を求めている。すなわち、自分は「頑張りが足りないからダメなんだ」ではなく、「病気だからダメなんだ」という、周りの人から同情を買うための何かを欲しているのである。それがなかったら、自殺してしまうかもしれない。この当時の僕もそうだった。病院にいって、鬱病という診断をしてもらうだけで自殺が防げるなら、その方がいいではないか。そういう、必要悪的な側面もないとはいえない。

 問題は、その辛い精神状態の治療を薬物というインスタントな手段で行おうとしていることで、患者を薬物依存症という新しい病気にしてボロ儲けしているヤツがいるということだ。この点は、今後規制の強化などによって改善されていかなければならないだろう。 

 もしかしたら、突然薬が貰えなくなって自殺をしてしまう人も出てくるかもしれないが、そういうリスクを考慮してでも、徐々に薬物中心の治療方法は改めていかなければならない。勿論、病気の人を治す方法ばかり考えるのではなく、そもそも人を病気にしないために、貧富の格差是正やセーフティネットの充実、また、発達障害のように、うまく生きていけない人に対する世の中の理解を深めていくなど、世の中全体の取り組みも必要になってくる。できることは、すぐにでも、そして全部やらなくてはいけない。

 話しに戻る。

 犬を侮辱された件や、薬物の件でますます折茂から心が離れたとき、十一月のシフト発表があった。折茂はこの月が最後で別の現場に飛び、僕と塩村、鳥居らは十二月以降も残務処理があるという予定である。そのシフトを発表したとき、折茂がまたわけのわからないことを言い始めた。

「博行・・・お前は、このシフトでいいと思っているのか?」

「え・・・?」

 言われて、他の月と違うところを探すと、いつも十回はある折茂との相勤が半分近くまで減っていることに気づいた。折茂はおそらくこのことを言っているのだろう。勿論、折茂との相勤が少なければ少ないほどいいと思っている僕は、敢えて気づかないフリをしておいた。しつこくしつこく、何回も聞いてきたが、僕が「わからない」で通していると、折茂はとうとう痺れを切らし、相勤の数を意図的に少なくしたことを打ち明けてきた。

「近頃、お前の心が俺から離れている気がしてな。もしかすると、俺がいない方がやりやすいのかと思って、こうしたんだ」

 今さら気づいたのか、という話であるが、これに同意してしまうと、またいじめられかねない。僕は慌てて、「いや、僕も折茂さんから独立しなければならないと思ったんです」などと、変な言い訳をした。それで納得しておけばよかったものを、一度猜疑モードに入ってしまった折茂は、しつこく僕を問いただしてくる。

「博行。やはりお前は、俺を避けているだろう。この前戸叶と仲良くした件で怒ったときからじゃないか」

 正確に言えばそれよりもずっと以前からであるが、まあ、あれが特別理不尽であったことは間違いない。僕がどう答えればいいかわからず黙っていると、折茂は一人で話しを進める。

「もしかして・・・お前は、厳しくされるのが嫌なのか」

 気づくのが遅すぎた。あまりにも遅すぎた。折茂が己の路線が間違っていたと気づくまでに、僕がどれほどの恐怖と不快感を味わったか。折茂がどれほどの時間とカネを無駄にしたことだろうか。
「博行。俺が怖いんだろう。話しを聞くと、塩村さんや鳥居さんとやってるときは、もっと伸び伸びとやっているそうじゃないか。正直に言え」

「いや・・・」

「いいから、正直に言え」

「こ、怖いです・・・」

 折茂は黙りこくった。このときばかりは、心底自分の行いを恥じ、後悔していたのであろう。本当に沈痛な表情だったのを覚えている。

「・・・・恐怖を植え付けちゃった俺も悪いけどさ・・・・でも・・・・」

 でも、何だというのだろう。あの関係性のどこに・・・僕と折茂が繰り広げてきたやり取りのどこに、僕が折茂を親以上の存在と仰ぎ、故郷にまで付いていくほどの絆を結ぶ要素があったというのだろうか。人の価値観は人それぞれであるが、少なくとも僕には、彼がそう信じた理由はわからない。

 
 ☆           ☆           ☆               

 折茂との相勤は残り五日となった。僕が折茂を慕っているのではなく、ただ恐怖で従っていただけであることがわかってからも、折茂はまだ僕を信者とすることを諦めようとはしなかった。残りがあと三か月もあるなら接し方を変えようともなったかもしれないが、あと一か月、五回しかないならば、もう貫くしかないということであろう。折茂の「ファイナルアタック」が始まったのである。

「博行。お前はまた、俺が他の人と仲良くしているのを見て嫉妬をしていたな」

「いや・・・していませんが・・・」

 これが三十回目くらいの否定である。これほどしつこく繰り返されても根負けしなかった当時の自分に、拍手を送りたい。

「だが、お前は明らかに嫉妬をした顔をしていたぞ。お前は本心と表情が別に出てくるんだな。精神分裂病じゃないのか」

 折茂の趣味はチェスであったそうだが、表情の機微などという主観的な印象だけで人の感情を決めつけてしまう彼には、対人ゲームはとても向いていないだろう。精神分裂病とは現在は統合失調症と言い換えられていて使用されておらず、また統失は、折茂が口にしたような病気ではない。

 また、これはもっと前の話であるが、僕が冷蔵庫に入っている塩村の食べ物を、テナントからの差し入れと勘違いしてうっかり食べてしまったとき、折茂から説教を食らったことがあった。そのときの折茂の言葉がこれである。

「人の物を勝手に食べるのは・・・・ジャイアンと同じだぞ!」

 わかりやすい表現ではあるが、本人が顔を赤らめているように、いささか威厳を損なう表現である。
 前記の統失発言と合わせ、別に折茂の恥を晒す意図ではない。この程度の知識、語彙しか持たず、「伝える」能力に欠けた人間が、「人を教え導く」ことなどをしようとした無謀さ、浅はかさ、無責任さを強調したいのである。

 ぶつ切りのようになってしまって恐縮だが、最後に在庫一掃セールということで、まだ語っていない折茂のエピソードを個々に語る形にしたいと思う。

「博行・・・俺はお前に、薬をやめろとはいわない」

 何とかの一つ覚えに定評があり、しつこさにかけては右に出る者はいない折茂が、珍しく自論を引っこめた瞬間であったが、もちろん何の理由もなく言うのをやめたわけではない。彼は、僕に薬を辞めさせるのと同じくらいの栄光を発見したのである。しかもそれは、努力をまったく必要としないという点で、薬を辞めさせることよりも優れていた。

「だが、俺は精神に病を抱えたお前を差別せず、同じように扱うぞ。こんな人がお前の周りにいるか?」

 人として当たり前のことを、さも凄いことをしているように語るのである。彼の周りにいる人間の平均レベルがあまりにも低いことが伺える発言である。

「折茂輝幸は津島博行を愛している。さあ、お前も、津島博行は折茂輝幸を愛している、と言ってみろ」

 僕はこれ以来、「タ○チ」が観れなくなった。

 折茂の「i love me」エピソード、ここまでは前菜である。いよいよメインディッシュを発表したいと思う。まだミクロのレベルで残っていた折茂への親しみもなくなり、僕が完全に折茂を見限る原因となったエピソードである。

「博行、元気がないな。どうした」

「ええ。昨日、うちの犬が往生しまして。火葬に出かけていたので、寝不足なんですよ」

 十四年間、兄妹同然に過ごしたうちの犬が、とうとう息を引き取った。もっと一緒に散歩に行って遊んでやっていればよかったとは思うが、大きな悲しみはなかった。ラブラドール・レトリバーの平均寿命を超えており、天寿を全うしての死であった。

 その、うちの犬に対して、折茂が「犬は死んだらモノだ」などと発言し、僕がくだらない飲み会の誘いを断ったことを責めてきたことは、すでに紹介した。折茂もおそらくこの件に関しては自身の失言を認め、それ以上しつこく誘ってくることはなくなった。普通なら、この件に関してはもうコメントを控えるか、失言を帳消しにするため、「残念だったな」とか、「思い出の中で生き続けるよ」など、僕と犬の絆を礼賛するような言葉をかけるところであろう。

 しかし、自己愛性人格障害という精神の病を抱える折茂は違っていた。

「博行。さっきの仮眠中、お前のうちの犬が俺の夢に出てきてな。俺になにか、訴えかけるような視線を向けていたんだ。あれは俺に、お前のことを託すと言っていたのかなあ」

 こともあろうに折茂は、このような妄言を吐き、死者までもを自分の目的に利用しようとしたのである。なんで馬鹿正直に犬が死んだことなどを教えてしまったのかと、後悔が募る。折茂がここまで狂っているとは思わなかったのである。

 折茂としてはおそらく、さっきの言葉で、自分の失言が帳消しになったつもりだったのだろう。そのうえで、僕を自分に心酔させる、一石二鳥の手段だとでも思っていたに違いない。

 折茂が見ているのは、自分自身だけ。素晴らしい自分以外のすべての生物を見下しており、本人が口にしているように「モノ」としか見ていない。利用価値がないとわかったら、僕の前任の阿川や、戸叶のように、徹底的に攻撃し、排除しようとする。それが、「正義感溢れる、漢の中の漢」を気取るこの男の正体である。

「どうしようかな。俺、お前の家に挨拶に行った方がいいのかな。やっぱりお前を故郷に迎えるには、お前の家に挨拶に行った方がいいよな」

「いや、いいですよ・・・。折茂さんの故郷には、行かないですから・・」

「・・・・・だったら、俺はお前を誰に託したらいいんだ」

「いや、託すもなにも、僕は実家で特に不自由なく生活できていますから・・・」

「・・・・」

 この一件により、伊勢佐木屋警備隊の保安室は、当時の僕にとって、この世でもっとも不快な場所に変わった。もはや僕の頭には、一か月後にまで迫った退職のことしかなくなったのである。

 ☆        ☆          ☆            

「津島。お前は折茂を避けているようだが、それでいいのか?」

 十一月のシフトが組まれる少し前に、塩村が深刻な顔で僕に尋ねてきた。記憶がはっきりしないのだが、十一月のシフトは折茂ではなく塩村が決めたものであったような覚えもある。もしそうなら、折茂は僕と一緒に勤務に入りたいからなどという理由で、他の人が考えてくれたシフトにケチをつけようとしていたことになる。公私混同である。

「まあ・・・はい」

「そうか。それがお前の考えなら、仕方がないな」

 塩村はかねがね、友人が一人もいない僕を心配していた。最初は自分が友人になれればと、遊びや飲みに誘ってくれていたのだが、折茂が僕を信者にしようと必死になり始めたころからは、自分は一歩引き、折茂と僕をくっつけようと尽力していた。

 底なしの善人である塩村には、折茂の異常性をすべては見抜けなかったわけだが、残り期間も短いこの段階で、今なお僕が折茂を拒絶していることがわかると、もうそれ以上、折茂と仲良くしろとは言ってこなくなった。代わりに、今度こそ自分が僕の友人になってやろう・・・いや、僕の友人になりたいと、アプローチをしてくれるようになった。

「なあ、もう少しだけ一緒にやろうぜ。俺はお前と一緒に仕事がしたいんだよ」

 実は、伊勢佐木屋の閉店に伴う残務処理が思った以上に時間がかかるということで、南洋警備保障との契約期間も二か月延長して二月までやることになっていた。当然、会社側としては僕に残ってやらせるつもりだったのだが、僕はそれを断り、意地でも十二月で辞めると言ってしまっていた。このあたり、当時の僕がなぜここまで依怙地になっていたのかはわからないが、たぶん、嫌な思いばかりした伊勢佐木屋から一刻もはやく離れたかったのだろうと思う。十一月で折茂がいなくなっても、折茂との思い出はなくならないのである。

「博行。お前は俺と仕事ができないなら意味がないから、十二月で辞めるんだな」

 もはや「残気」に触れることも嫌だと思われているとは露も知らない折茂の言葉であるが、もはやこの段階になれば、笑って受け流すだけである。

 そして、その折茂との最後の勤務の日がやってきた。僕がB、折茂がCの日であったのだが、折茂は保安室に入ってきた瞬間、涙を流し始めた。

「博行、俺はお前と最後の日を・・・」

 ここで、僕の様子に折茂が不信感を抱く。

「博行。お前はどうして泣いてないんだ?」

 折茂は、僕が涙を流していないことをもって、己に共感していないと疑い始めたのである。天才的な頭脳を持ち、誰よりも洞察力に優れていると豪語するわりに、目に見えるものだけですべてを判断してしまうのがこの男である。もっとも、本当に僕の心を読んでしまったら、それこそ彼にとっては発狂ものだろうが・・・。

「いえ、最後ぐらいは笑って別れようと思いまして・・・僕も寂しいんですよ」

 このぐらいの嘘は、もうお手のものである。折茂がやりたいのは、「僕を一人前の男にしてやる」であったようだが、実際に僕が折茂と一緒にいることで磨けたのは、嘘をつく能力だけだった。

「博行。俺はお前とずっと一緒に・・・」

「いや、今日はもう帰ります。お疲れ様でした」

 最後に朝食をとり、自宅に行こうという折茂の誘いを振り切って、折茂とはそこで別れた。それきり、彼とはもう会っていない。

 折茂がいなくなった十二月は、実に平和であった。伊勢佐木屋はすでに営業を停止しており、テナントも商品を引き上げた後であったから、巡回や受付の負担もほとんどなく、給料をもらって暇つぶしをしているだけのような日々が続いていた。

 鳥居や塩村も気が抜けて、勤務中はただゲームをやったり本を読んでいるだけで、実に快適な毎日であった。折茂は別の現場に行ってからも伊勢佐木屋にちょくちょく顔を出すと言っており、僕もそれを危惧していたのだが、結局折茂が来ることはただの一度もなかった。

 こうなってくると、早まって十二月に辞めると言ってしまったのを後悔したものだが、すでに会社側は次の人探しを始めており、また僕の方も、折茂の「残気」に触れるのも嫌だったから、最初に宣言した通り、十二月いっぱいを持って退職する予定は変更しなかった。
「どうも、お世話になりました」
 色々とあったが、大きなミスもした僕を十か月も使い続けてくれた南洋警備保障には、やはり感謝の気持ちも忘れてはならないだろう。ここでの嫌な思い出は殆どが折茂によってもたらされたものであり、会社が提供してくれた労働環境自体は良いと思えるものだったのだ。

「しょうもねえ仕事だったけどよ、お前と一緒にやれたのは楽しかったよ」

 僕と友人になろうとしてくれた塩村とは、南洋警備保障を退職したあと、一度だけ会っていた。伊勢佐木屋で残務処理のため残っていた塩村のところに、差し入れをもって遊びに行ったのである。
 退職後、僕はまず自動車の運転免許取得に動き、同時進行で禁煙に取り組んでいた。塩村と会ったのはその時期のことである。

 ちなみに、同じころ、折茂からの電話もあった。二度コールがあったのを二度とも無視したのだが、それきり彼からは、電話もかかってこなくなった。彼は僕の自宅の住所も知っており、もしかしたら、自宅まで来るのではないかという恐怖もあったのだがそれもなく、折茂との交流はここで完全に途絶えた形である。

 読者にとっては、案外あっさり終わってしまったと、期待を裏切る結果だったかもしれないが、折茂の方もいざ僕と離れてみて、憑き物が落ちたということかもしれない。変に話を盛ってしまっては私小説ではなくなってしまうし、折茂本人の名誉にもかかわる。今後の人生で彼と関わる可能性もないとはいえないが、ひとまず、彼との関係はここで終わっている。

 免許取得と禁煙を無事達成すると、宿願であった裏社会への進出を目論み、インターネットでサイトを立ち上げようとしたのだが、当時、知識も行動力もなかった僕は、自分でホームページひとつ作り上げることすらできなかった。そんな無能が裏社会でやっていけるはずもなく、中途半端にうまくいかなくてよかったと思う。

 気分だけでもアウトローになろうと、スタンガンや催涙スプレーなどの防犯グッズを購入し、仕事を確実にこなすため、ADHDの唯一の特効薬であるリタリンを買ったりもし、トバシの携帯まで入手していたのだが、そんなくだらないものを買っているうちに、せっかく貯めたお金はどんどんなくなっていった。そのうち、もし逮捕されたら、実家でぬくぬくと暮らせるこの生活もなくなってしまうという当たり前のことに気が付き、裏社会でやっていこうという気概はなくなっていった。文に起こすと、改めて当時の自分のバカぶりがわかる。

 退職から四か月ほどが経って、貯金が底をつき、そろそろバイトを探さなければいけないとなったころ、塩村から遊びの誘いがあった。すっかり意気消沈していた僕はこの誘いを、断るどころか無視してしまった。ひょっとしたら折茂も来るかもしれないという恐怖もあったので、無視したのは仕方ない部分もあるとは思っているが、それきり、塩村との交流も途絶えてしまったのは悲しいところである。

 自己愛を満たすためだけに僕に接近し、僕を「信者」にしようとし、「お前とずっと一緒にいてやる」などと傲慢極まりないスタンスであった折茂と違い、塩村は僕と対等の友人になろうとし、「友人になってくれ」というスタンスで接してくれた。あの職場に折茂さえいなければ、彼とは今でも続く友人になれていたかもしれない。結局、塩村と別れて以後も、僕には本当の友人はひとりもできず、そのうち友人がほしいという願望もどんどん薄くなってしてしまった。

 僕も、本質的には折茂と同じ人間なのである。「対等の友人」よりも、「支持者」が欲しい。そのために始めたのが小説だ。自分の作品をお金を出して買ってくれ、評価してくれる人が欲しい。今、僕はそのために人生のすべてをかけて活動している。折茂が僕を信者にしようとしていたのとは、比べものにならないくらいの執念で、である。

 ともあれ、南洋警備保障で出会った人々との交流はここで終わった。あとは、この半年後、貯金が尽きた僕が別の警備会社に入ったときに、合同警備で南洋警備保障の管制と顔を合わせたのと、一年後に、バックれた立義と公園で再会したくらいか。

 この時代の僕の思い出は、折茂に始まり折茂に終わるといっていい。彼は、良くも悪くもではなく、すべて悪い意味で僕に影響を与えた人物であった。彼は僕に、社会に対する恐怖を与え、自分に対する自信を必要以上に奪い去った、害悪のような存在であった。

 折茂がその後どういう人生を送ったかについては、少し興味はある。北朝鮮と同じで、直接かかわるのは嫌だが、限りなく第三者的な視線で眺めてみるのは面白そうである。

 折茂がもっとも充実した人生を送るとしたら、ヤクザになることだろう。国が決めた法律や社会の風潮よりも、小さな組織の中での約束事や、組織のなかでの人間関係を大事に生きる折茂の価値観は、まさしくヤクザのそれである。押しの強い性格で、気性が激しいところもぴったりだ。社会にとっては迷惑な話だが、ヤクザになれば折茂の人生はハッピーに違いない。

 もしくは、新興宗教団体の教祖にでもなることか。自己愛に枯渇し、人望を求める当時の折茂を振り返ると、僕には、かの日本史上最悪の犯罪者と言われる、あのオウム真理教の教祖、麻原彰晃がダブってならない。麻原も、己のかつての信者から、自己愛性人格障害の疑いがあると言われていた。麻原と折茂は似ているが、折茂は麻原の域にも達していない。

 結果的には間違った道を進んでしまったが、若い頃の麻原彰晃は、人望を得るため、ヨガの修行や宗教の勉強に明け暮れていた。努力はしていたのである。多数の人間を洗脳し、折茂のように一人の人間をいじめるのではなく、国家に喧嘩を売った。犯罪史の枠に収まりきらない日本史級の人物であり、折茂とはスケールがまったく違う。

 折茂も人望を獲得するため、努力はしていた。しかしそれは、安易な努力であった。勉強や修行をして自分自身を磨くことはせず、空っぽのままの自分を崇拝させようと、僕という個人に執着し、洗脳を試みていた。折茂は口では大層なことを言いながら、本当の努力を惜しみ、安易な努力に逃げ込んでいたのである。

 そして、僕もまた、折茂に似た人間である。いや、はっきりいって僕は、自我の強さという点で折茂を遥かに凌駕している。自己愛だって折茂以上かもしれない。ただ僕は、「今の何もない、空っぽの自分を愛する気持ちが起きない」という点で折茂とは異なっている。それゆえ、何とか社会的な成功を掴もうと――個人ではなく不特定多数の人に自分自身の考えを訴えかけようと――いずれは文筆家として書店に本を並べようと、活動をしている。その点において――まだ成果は十分ではないが―――当時の折茂よりは、進歩していると信じている。

 繰り返し言うが、僕は折茂と同じ側の人間であり、自我の強さという点では折茂以上である。その自我が強い僕を洗脳によって信者にできると思った――今の僕にとっては、それこそがもっとも許しがたいことなのである。折茂から受けたパワハラ、セクハラといった行為は些末な問題にすぎず、そもそも彼が僕を舐め腐っていたことが、もっとも腹立たしい問題なのである。

 とはいえ、それは自我を確立し、はっきりと自分の道を定めた現在の考えである。当時の僕はまだ確かにいかようにでもなった部分はあり、折茂みたいな自己愛性人格障害者につけ込まれる余地もあった。

 この時点でいい出会いがあれば、僕には十分、この社会に大きな疑いを持たずに溶け込める可能性があった。しかし、二十代前半の僕が出会ったのは、折茂のような人格障害者であり、また、この一年と数か月後に入学する専門学校で出会ったクソ女と、それを取り巻く「偽善者ども」であった。

 折茂に洗脳されそうになったこと。そして、「偽善者ども」に丸め込まれそうになったこと。それらに屈服しなかったことにより、僕の自我は、踏まれるほど強くなる麦の如く強靭になってしまった。

 その自我には、おそらく、現在の社会では悪とされる価値観も多分に含まれているだろう。しかし、僕はそれを捨てる気はない。僕の自我は、二度と折茂のようなヤツに洗脳されないため、偽善者どもに丸め込まれないために身に着けた、大切なものだ。自我を捨てた瞬間、僕は死ぬことになる。誰になんと言われようとも、僕は自我を捨てる気はない。

 僕が社会と完全に折り合いをつけることは不可能である。もはや小説を書いてそれで金を稼ぎ、自分の世界の中だけで生きるほかはないと考え、今こうして執筆活動に取り組んでいる次第である。

 色々あったが、今現在、折茂には恨みはない。僕が彼から受けたのは、まぎれもなく被害といえるものであり、当時彼を訴えていれば勝ったとも思うが、今現在、恨みはない。 

 当時の折茂はまだ二十五歳であり、僕が二十五歳のときは、途中で述べた向精神薬依存のニート暮らしをしていたことを思えば、若さゆえ道を誤る事に関しては寛容にみなければならないという気持ちもある。

 だが、もっとも大きな理由はそれではなく、彼が底辺のフリーアルバイターであったことである。上がり目のない底辺で、一生このままかもしれないという絶望の青春を知る人間として、僕は彼に受けた被害を大幅に割り引いて見てしまうのである。

 復讐心というのは、被害の多寡にかかわらず、社会の中で自分より上位にいる人間に向けるべきものだと思う。それが僕の美学である。

 折茂に恨みはない。復讐したいとかは思わない。不幸な人生を歩んでほしいとも思わない。だからせめて、僕の小説のネタとなって、活字の上でその若き日の過ちを衆目に晒し、僕に社会的な成功をもたらすことにより、償いを果たしてほしい。この言葉をもって、折茂との、真の意味での決別としたい。
 
 愛獣 完

完成版私小説 愛獣 6



 折茂の家で一晩を過ごしてからというもの、折茂は僕にますます優しくなった。しかし、僕にとっての安息が訪れたわけではなかった。

「博行、おいで」

 汗臭い胸の中に、僕を抱きしめてくる折茂。鍵紛失事件からの復帰初日、僕を抱きしめた際、僕が安堵の涙を流したことに味をしめた折茂は、そうすることで僕が喜ぶと思い込み、毎日のようにハグをしてくるようになった。

 僕としては、あれはただ、折茂が怒っていなかったことに安堵しただけであり、折茂に抱かれたのが嬉しいわけではなかったのだが、物事をすべて自分の都合のいいように解釈する折茂は、まったくの勘違いをしていたのである。パワハラが止んで始まったのは、セクハラだったのだ。

「いやっ、ちょ・・・」

「博行、照れるな」

 抵抗して腕を突っ張る僕の意思をよそに、折茂は強引に僕を抱きしめてくる。

「博行、お前も俺の背中に手をまわして来い」

「いや、あの・・・・ほんとすいません」

「・・・まだ、自分の気持ちに素直になれないか。だが俺は諦めない。お前の殻を、必ず破ってやるからな」

 こんなやり取りが、毎日のように繰り返されていたのである。

「・・あ、あの、折茂さん。男同士で抱き合うのは、プロ野球でホームランを打ったときとか、僕らで言ったら復帰初日のあのときとか、特別に感極まったときにやるのは、まあいいと思うんですけど、何でもないときにやるのはおかしいですよ・・・」

 一度はっきりと言ってやったこともあったのだが、折茂はきょとんとした顔で、

「何を言っている。愛し合う二人が抱き合うのは、普通のことだろう」

 などと、まるきりズレた解答をしてくるのである。

 こちらがいくら否定しても、頑なな折茂は、僕がゲイであると信じて疑わない。その第一の理由は、何度も書いてきたが、僕の挙動不審なリアクションを、僕の折茂への恐怖ではなく、恋心により出たものであるということにするためである。

 もう一ついえば、一度僕をゲイということにし、自分もまたゲイになったと周囲に表明してしまった手前、引くに引けなくなってしまったということもあったかもしれない。今さらゲイ路線をやめれば、折茂はノーマルな人間のことを勝手にゲイだと思い込んだ、大馬鹿者ということになってしまうからだ。いずれにしても、すべて彼の都合であって、僕にはただ迷惑なだけだった。

 とはいえ、この時点で――形としては歪んでいるが――折茂が僕を、完全に味方と見做したことは事実であった。しかし、折茂が丸くなったわけではない。折茂という男は、「常にトラブルを抱えていなければ気が済まない男」である。年がら年中同じ仕事ばかりをしている警備員の仕事で、自分の有能ぶりをアピールするためには、誰かと意図的に敵対関係を作り、戦いを繰り広げるしかないのだ。

 僕との問題がすべて解決したと思いこんでいる折茂が次に牙を向けたのは、日勤隊の隊長、戸叶であった。

「戸叶のバカが、いつもこの現場を引っ掻き回す。あいつは警備隊のガンだ。あいつからみんなを守るためなら、俺は徹底的に戦うぞ」

 折茂にとっては、僕を怒鳴っているよりも、名目上、自分より上の立場である戸叶に敵対することの方が、「弱い者を守り、強い者に刃向う俺カッコいい!」と、自己陶酔する上では都合がよかっただろう。しかし、実際には、会社中の嫌われ者である戸叶が折茂よりも強い立場にあったとは言い難く、折茂が喧伝しているような、巨悪に立ち向かうという構図と言えたかどうかは甚だ疑問である。
 
 口では立派なことを言いながら、結局折茂は、自分が百パーセント勝てる相手を選んで敵対しているのだ。それはそれで構わないが、だったら男を売りにするような言動もやめろといいたい。そういう安っぽい虚勢の数々が、彼をますます小さく見せていることに、折茂は気づいていなかった。
 
 とはいえ、折茂がまったくおかしなことを言っていたわけでも、戸叶に対して完全な言いがかりをつけていたわけでもない。戸叶は戸叶で、確かに問題はあった。

「十八時の施錠巡回なんか取ってきやがって・・。あいつ一人でやるならいいけど、湊さんたちまでそれをやらなきゃいけないんだからな。伊勢佐木屋の警務の人たちの仕事を奪ったせいで、変な波風が立ってしまったしな」

 戸叶のやっていることは、いわゆる「無能な働き者」がすることである。自分が仕事が大好きで、自分の頑張りを人にアピールしたいからといって余計な仕事をすれば、「あいつがやってるんだからお前もやれ」といって同じことをやらされる仲間が迷惑してしまう。みんながみんな、自分と同じくらいのモチベーションで働いていると思ったら大間違いだ。仕事が増えれば給料も増えるならともかく、見返りがないのに負担が増えるのを喜ぶ人などそういない。戸叶は集団の和を乱しているのだ。

 もっとも、戸叶の場合は働き者とか、仕事が好きというわけではなく、伊勢佐木屋警備隊に配属される以前にまで遡る過去の失敗を挽回しようとして、空回りを続けている、と言った方が正しいようだが。

 リーダーという立場は、基本的には、組織の中でもっとも優れた人が務めるべきである。そして、責任ある立場なのだから、会社はそれに見合った報酬を与えるべきである。普通の会社ではそうなっているだろう。

 しかし、警備員の仕事では、現場の隊長になったところで、賃金が増えるとか優遇されるとかいうことはない。でも、客から見れば、隊長というからにはそれなりの立場だと思われるから、何かあったときにはコイツに言ってやろうということになる。

 まったくもって、責任と条件が釣り合っていない立場。つまり警備員の仕事では、能力のある人ほど隊長などやりたがらないということになってしまうのである。

 警備会社も、現場の管理、運営を円滑に行いたいなら、賃金を上げるなり条件を整えて、隊長の立場にもっと魅力をもたせるべきだろう。今のやり方では、隊長などやりたがるのは、「金などもらえなくていいから、とにかく周りに偉そうにしたい。何でもいいから肩書きが欲しい」という人だけになってしまう。

 「そういう人間」に現場を任せれば、「こういうこと」になるのである。

  ☆         ☆        ☆        

 折茂によるパワハラは止まったが、代わりに始まったのはセクハラであった。すべての歯車の噛み合わせが狂っている僕と折茂は、どういう形であれ友好関係にはなれない運命にあったのである。それならそれで、お互いに距離を置いて付き合っていれば大きな問題は起こらずに済んだはずだが、僕を「信者」にしようとする折茂は、噛み合わない歯車を空回りさせ、無理やりにでも距離を縮めようとしてくる。その結果僕に与えられたのは、激しい苦痛だけであった。

 この状況で何が一番苦痛かといえば、折茂に抗議する手段がまったくなかったことだろう。自分がすべて正しく、僕のことは「外の世界を知らない赤子」のように見ている折茂は、僕の言うことにはまったく耳を傾けてくれない。

 他人の口を通じて苦痛を訴えることもできない。折茂は僕との相性が致命的に悪いだけで、他の仲間たちとは概ね良好な関係を築いており、仕事面での評価は高い。折茂の変なところに気が付いているのは塩村くらいで、その塩村にしても、「異常」とまでは認識しておらず、むしろ僕と折茂の仲を深めようと積極的に動いてくるぐらいだったから、相談などできるような雰囲気ではなかった。
 
 まだ、「鍵紛失事件」から日も浅い状況である。あのとき折茂は、僕を叱ったりはせず、優しく迎え入れるというパフォーマンスを、大々的にやってのけた。ここで折茂のことを悪く言おうものなら、僕の方が逆に「恩知らず」のような扱いを受けかねない空気だったのである。

 だったらだったで、すべてを諦めて逃げ出せばよかったと思うかもしれないが、それも難しい状況だった。

 繰り返しになるが、当時の僕は、ここで仕事を辞めるのは「逃げ」「根性なし」だと考えていた。ここで辞めたら、この先どこに勤めても、何をやっても通用しないと信じていた。そう考えさせられていたことこそ、折茂に洗脳されていた証拠だが、世の中には意外と、このときの僕と同じような考えに囚われ、ブラック企業から逃げ出せなくなっている若者は多いという話しを聞く。「たとえブラック企業に入ってしまっても、三年は勤めろ」なんて言葉も、インターネットの掲示板では飛び交っている。折茂だけが特別なことを言っているわけではないのだ。

 結局おかしいのは、終身雇用、年功賃金の日本型の雇用はとっくに崩壊しているのに、一つの会社に長く勤めないといけない、という精神だけが、なんの根拠もなく生き残ってしまっていることだろう。長く勤めても給料なんか上がったりしない会社が、人の流出を食い止めようとしたら、それは「逃げたら根性なし」「どこいっても通用しない」と、精神論を垂れ流すしかない。向こうが簡単に労働者のクビを切るのに、こっちが「逃げ」「裏切り」「恩知らず」などと思って、辞めることに引け目を感じる必要などまったくないのだが、そう思えない律儀な若者が大勢いるのだ。

 非正規の仕事から、気軽に辞めて、気楽に勤められるメリットがなくなったら、それはもう奴隷でしかない。ストレスなく現代社会を生きるためには馬鹿な精神論に囚われてはいけないが、当時の僕は洗脳されていた。

 また、折茂個人に対する恐怖の気持ちもあった。折茂にはすでに、自宅の住所を知られている。彼の性格を考えると、下手に辞めようとすれば、過激な手段に出てくるのではないかという恐れがあったのだ。

 日々のストレスの中、僕は次第に現実逃避に走り始めた。具体的には、アンダーグラウンドの世界で成功することを夢想し始めたのである。阿呆な話だが当時は本気で、ネットや書籍で色々研究までしていた。

 普通、現在生業にしている仕事とは別の手段でお金を稼ぐことを考え、将来に向けて具体的な努力をしている場合、それを現実逃避とはいわない。ちゃんとした「夢」や「目標」というものであり、二十代、三十代で心身ともに健康な人は、絶対にそれを持っているべきだろう。だが、当時の僕が考えていたのは、ただの現実逃避だった。

 僕がアンダーグラウンドの世界に入ることは、絶対にありえないからである。リスクの高い仕事で生きていこうと考えるのは、これ以上失うものがない人か、絶対的な自信がある人だけである。その点僕は、帰るべき家がちゃんとあり、表の仕事、それも暇な警備員すらまともに勤まらない能無しである。裏稼業に手を染める理由がないし、染めたところで、ずるがしこいヤツにいいように使われてお縄になるのが関の山だったろう。

 しかし、当時まだ小説を書き始めていなかった僕には、今より多くの収入が得られる可能性があり、「なんとなくカッコいい」生き方をするには、ワルになるしか考えられなかった。

 それに・・・・。自分の嫉妬深さ、執念深さなど様々な性格的欠陥を自覚し、すでに心の中はどす黒いもので埋め尽くされ、社会への不信感も徐々に募らせていた当時の僕は、いずれまともな社会に自分の居場所はなくなると思っていた。いつかは社会と決別し、「自分だけの世界」で生きていかねばと考えていた。その手段に、小説を書くことを思いつくのは、もう少し先の話である。

  ☆        ☆          ☆   

 折茂は理不尽に怒ったり説教することがなくなっただけで、けしてまともになったわけではなかった。むしろ、同性愛を仄めかすようなことを言って来たり、突然身体を触られるようなことがあったこの時期以後の方が異常であったろう。

 しかし、鍵紛失事件の直後に比べれば、単純に時が経った分、僕の気分自体は回復していた。笑顔を見せることもできていた。だから傍目には、僕は元気になり、性格が明るくなったように見えていただろう。そうなれば、物事をすべて自分の都合のいいように解釈する折茂が、黙っているはずがない。

「津島が元気になったって?当然ですよ、俺が家に呼んでやったんだもん」

 そもそも僕が元気に仕事ができなかった原因は折茂その人だったわけだが、当の本人は、己のかつてのパワハラを隠ぺいするかのように、会社の人たちに対して己の功績をアピールしていた。平和な土地に踏み入って、散々に民から略奪を繰り返してきた侵略軍が、土地を征服した途端に「解放軍」を名乗るようなものである。勝手にしてくれという話だが、折茂の家での件で彼がついた嘘はこれだけではなかった。

「寝ているとき、博行が俺の布団の中に潜り込んできたりして、大変だったんですよ。職場では、座っているとき膝の上に乗ってきたりしますしね」

 己の想いが僕にまったく受け入れられていないと周囲に思われるのが嫌で、折茂はありもしない、するわけもない話をでっち上げることまでしていたのである。彼にとっては、津島がはやくホモにならないと、津島ホモ説を唱え、自らもまたホモの道に入った俺の顔が潰れる、といった焦りがあったのであったろうが、そんなのは彼の都合であり、僕からすればたまったものではない。

 ある日、塩村がA、僕がB,折茂がC勤務のとき、塩村が戯れに、一枚だけ敷いた布団の上に枕を二個置いたことがあった。BとCは同時に仮眠に入る。僕と折茂に一つの布団で一緒に寝ろというジョークであったのだが、そのとき僕が、

「こんな人が不快な気持ちになるだけのイタズラはやめてほしいですよね」

 と口走ると、折茂の方は急に真顔になり、

「俺はお前の言葉に不快になったよ。俺と仲良くするのが嫌だっていうのか」

 などと怒り出したことがあった。一つの布団で一緒に寝るのと、ただ仲良くするのはまったく次元の違う話だと思うのだが、折茂の感覚はまた違うらしかった。

 パワハラ路線にしろセクハラ路線にしろ、折茂が困った人であるには変わりなかったが、先輩としていいところもまったくなかったわけではなかった。翌日が明けであった場合、勤務終了後に朝食を奢ってくれたことである。

 他人に偉そうにする人は折茂だけではないだろうが、口ばかりでなく、こういう気遣いができるなら、「まあ、アリ」かなとも思う。食事までいかなくてもいい、缶ジュース一本でもいいから奢ってくれるだけで大分ちがう。「ちょっとこの人のために頑張ってやるか」と思える。それすらしないで、人に説教をしたり、自慢話を延々聞かせたりするようヤツは、もう糞でしかないだろう。「人として成長させてやった」「お金に変えられない充実感を与えてやった」など、わけのわからない言葉だけで人に忠誠や感謝を迫ってくるなら、それはもうカルト宗教の世界だ。

 食事の席では折茂のナルシストトークを聞かされるはめにはなるのだが、それには適当に相槌を打っているだけでいい。行先はファストフードか喫茶店くらいだったが、タダで食う飯はなんでもうまかった。鍵紛失事件から一か月ほどが経った日にも飯に付き合ったのだが、その日はナルシストトークのあとに、こんな誘いを受けた。

「博行。こんど、二人で富士山に登らないか」

 折茂と二泊三日の予定で静岡に行き、日本最高峰の山に挑もうというのである。彼は登山のベテランで、富士山以外にも国内の多くの山を制覇しているらしく、僕にもその楽しさを味あわせたいとのことだった。

「ええ・・・いいですね。是非いきたいです」

 僕もアウトドアは好きである。かといって、是非というほど富士山に興味があるわけではなかったが、鍵紛失事件以後、折茂からのあらゆるプライベートの誘いを断ってきたという経緯があり、そろそろ逃げ続けるのも限界という気はしていた。ダーツバーに行くとか、折茂の友人と一緒に遊ぶとかいった誘いよりはまだ楽しそうであるとの、いわば消去法的な承諾の仕方であった。

「よし、わかった。絶対に連れて行ってやるからな」

 これで俄然やる気を出した折茂は、来るその日に向けて、僕との絆を固めるべく邁進していく。自分だけではなく僕の仮眠時間も削ってナルシストトークを繰り広げるのは当たり前となり、いつの間にか、怒鳴ったり、説教したりといったことも再開された。

 矛盾しているようだが、体育会系的な価値観の信奉者である折茂にとっては、怒鳴ること、説教することは、「僕との絆を深めるため、是非やるべきこと」の一つらしかった。今さらやり方を変えたら、過去の自分を否定することにもなり、それも躊躇われたのであろう。以前のように敵意を剥きだしにする感じではなく、説教のあとには優しくフォローもしてくれたのだが、怒鳴られ、説教されて人が成長するということがどうしても信じられない僕には、苦痛の度合いは大して変わらなかった。

 ☆       ☆         ☆       

 撤退の日が近づく伊勢佐木屋警備隊に、またひとつ事件が起きた。日勤隊の立義が、突如何の連絡もなく、会社を去ってしまったのである。

「いったい何があったんですか?」

「さあな。まあ、あいつは戸叶に目の敵にされて色々嫌がらせをされていたから、積もり積もったものが爆発したって感じじゃないか」

 そう語るのは塩村である。確かに立義と戸叶とは折り合いが悪く、先日も、内線をガチャ切りされたとかされないとかで喧嘩をしていた話しを聞いていた。そんなことぐらいで揉めるというのは、これまで何度となくトラブルを重ねてきたという証拠である。

 トラブルのことに関しては、僕が実際にこの目で見たわけではないからはっきりとしたことはいえないが、ひとつ酷いなと思ったことはある。戸叶率いる日勤隊のメインは本館と事務館での受付業務であり、受付は常に立った状態での対応になるのだが、この立ちっぱなし受付をいつまでたっても改めなかったことである。

 椅子がないわけではないのにずっと立ちっぱなしなのは、客の目を意識してのことである。そんなに気にする人もいないと思うのだが、確かに、立って受付をしていた方が、なんとなく「頑張ってる」ふうに見えるというのはわかる。

 しかし、ここで考えるべきは、立義がバックれた時点でもう八月であり、伊勢佐木屋警備隊は、あと二か月で撤退するという事実である。もうすぐお別れすることが決まっているお客に、そんな無駄に頑張っているところを見せたって、どうしようもないではないか。

 戸叶や折茂にそう突っ込めば、「あと数か月だろうが最後まで全力でやり抜くのが警備員として云々・・・」などと説教が飛んでくるに違いないが、それはあまりにも了見が狭い考えではないか。みんなが楽をする方法を考えるのが、リーダーの役割ではないのか。

 夏の暑い最中、通気性の悪い制帽を被りっぱなしで、冷房も利かないところで一日中立ちっぱなしの日勤隊は、日の落ちた夜から仕事をはじめ、ゆっくり座ることもできる夜勤隊よりも仕事はキツかっただろう。それで給料は夜勤より低いのだからたまったものではない。夜勤隊でミスばかりをしている僕は、立義や湊の辛そうな姿を見ると、申し訳ない気持ちになったものだった。

 ひょうきんな性格の立義は、よく馬鹿話などして、折茂に追い詰められていた僕を和ませてくれた存在であり、僕は彼に好感を抱いていた。折茂はそれが面白くなかったのか、立義にはよく、ぐちぐちと細かいことを言っていた。

「立義くん、もっとはやくこようね~」

 日勤隊は戸叶も湊も出勤が早く、いつも上番時刻の二十分前にはいるのだが、立義だけは上番時刻ギリギリの時間に来る。出勤する時間などは本人の勝手であり、早く来るのが偉いわけでもなんでもないのに、折茂は立義に、もっとはやく出勤しろなどと言っていたのだ。自分はいつもギリギリに来るのに、である。

 ちなみに、立義は当時の折茂より一回りも年上の三十五歳であった。年は下でも会社に入ったのは折茂が先だから、百歩譲ってタメ口はいいとしても、「くん」付けはどうかと思う。「年上に舐めた言葉遣いをする俺カッコいい!」という折茂の自己陶酔が透けてみえて、実に気持ちが悪い。立義は折茂に対しても、少なからぬ不満があった可能性がある。

「バックれた立義に根性がないのは事実だが、一番悪いのは戸叶だ。あいつには何とかして制裁を与えなくてはならない。策略を考えていかなければな」

 当時「クロサギ」という漫画に影響を受けたことで、策略に目覚めたと語っていた折茂の言葉である。天才詐欺師折茂の脳内でいかなる策略が練られていたのか、詐欺に遭う可能性はあっても人を欺く知能などない僕には想像の余地もないが、ライバルである戸叶が犯した失策を見て、折茂は本当に嬉しそうだった。

「立義は会社に金を借りたままバックれたそうだな・・。刑事告訴はするんだろうか」

 立義には同情的な僕だったが、これは批判しなくてはいけない。バックれは僕にも経験があり、舐めたことをしてくる会社であれば何も罪悪感を感じる必要はないと思っているが、借りパクはいけない。れっきとした犯罪である。

 ただ、その件に関しては、事実だったかどうかはわからない。というのも、伊勢佐木屋警備隊が撤退してから一年後、僕は旧伊勢佐木屋から歩いて二十分ほどのところにある公園で、立義と再会しているからである。特に南洋警備保障から訴えられたとかは言っていなかったから、実際には借りパクはなかったのかもしれない。

「おう。つっしー、久しぶり。茶でも飲みながらゆっくり話したいところだけど、あいにくそんな暇はないんだ。いま工場で働いてるんだけど、遅刻しちゃってさ・・・。やばいやばい、はやくいかなくちゃ」

 切迫した様子で自転車を漕ぐ立義は、相変わらずの生活を送っているようだった。

 これまで小説の中で登場させる機会も少なかったが、立義は伊勢佐木屋警備隊の中では好きな方で、もし飲む機会でもあったら今でも続く友達になっていたかもしれない存在だった。カツカツの底辺生活の中でも明るさを失わない彼に、幸あらんことを願う。

☆        ☆          ☆               

この時期における、他の警備隊メンバーとの関係であるが、まず塩村は、相変わらず職場では仲良くしてくれたが、僕をプライベートに遊びに誘ってくれることはなくなっていた。僕への親しみが薄れたわけではなく、どうも折茂に遠慮していたようである。

 彼は僕以外で、折茂の異常性に気が付いている唯一の人物であったが、残念なことに人が良すぎた。認識が甘かったのである。折茂を「病気」とまでは思っていない塩村は、僕が折茂のパワハラ、あるいはセクハラに本気で苦しんでいたことは理解してくれず、折茂が僕に抱き付いているときにヘラヘラと笑っていたり、ホモネタでからかったりしてきた。

「友達は何よりも大事だぞ」

 彼が何度も僕に説いてきた言葉である。自らの言葉通り、塩村は僕の友人になろうと、親しく接してくれた。その態度は、「ありのままの僕」を受け入れてくれるものであり、折茂のように、僕を闇の世界から無理やり引っ張り出そうとするものではなく、心地よく感じられた。彼と別の場所で出会っていたとしたら、今でも続くいい友人になれていたかもしれない。

 しかし、この職場には折茂がいた。折茂は、僕が折茂を差し置いて塩村と親しくなることにいい顔をしなかった。僕の気持ちを己に向けようと躍起になってしまった。おそらくそのことに気が付いた塩村は、年長の自分は身を引き、年齢の近い折茂と僕をくっ付けよう・・と考えたのだろう。

 彼はとんでもない思い違いをしていた。折茂の僕へのアプローチの仕方は、塩村とは対照的に暴力的なものであった。「ありのままの僕」を否定し、無理やりに自分の色で染めようとしてきた。僕がそれでいかに嫌な思いをしていたかを、塩村はわかってくれなかった。この点、彼もまた折茂と同じように、僕を大人しそうな見た目だけで、受け身で自分がない人間と勘違いしていたのかもしれない。

 友達は確かに大事かもしれない。だが、誰でもいいから友達になって欲しいと思うほど、当時の僕は孤独に苦しんでいたわけではない。そもそも、友達とは敢えて作ろうとするものではなく、自然に、何となく出来るものであり、逆にそうでなくては、その友情には大した価値はないのではないか。
 
 少し話がずれるが、日本という国では、友達や恋人ができないと嘆く若者に対してすら「お前の努力が足りないからだ」と、努力不足のせいにする論調がある。こんなのは狂っているとしかいえない。

 異性の恋人を作るには、一部の超美人やイケメン以外は確かにある程度自分で動く必要があるが、普通に学校や仕事に行っていて同性の友達が一人もできないのは、発達障害とかコミュニケーション関連の能力が著しく劣っているせいであり、それは本人の努力だけでは中々克服できないものだ。考えるのが面倒だからと、取りあえず努力不足のせいで片づけられてしまう日本独特の風潮のせいで、多くの若者が無用のプレッシャーに苦しめられている。

 次に鳥居であるが、この人こそ折茂信者であった。

「副隊長は凄い人です」

「俺がやっていけてるのは副隊長のお蔭だよ」

 と、常々折茂を讃える発言を見せていた。苦労が多い人生を送ってきた彼には、折茂のように「あなたを買っている、頼りにしている」とはっきり口に出し、必要とされたい欲求を満たしてくれる存在が有難かったのかもしれない。また、彼は隊長の戸叶には入社当時かなりイジメられていたようだから、その反動もあって、副隊長の折茂に靡いたのかもしれない。折茂も信者にしようと思うならこの人だろうという気がするのだが、「おじさんはイヤ」だったのだろうか。

 鳥居に嫌われている戸叶について変わったことは、とうとう子供が産まれ、人の親になったことだろう。四十という年齢でバツイチでもあったから、初めての経験ではなかったかもしれないが、ともかく、彼なりに責任感が芽生え、仕事に身が入るようにはなったようだ。

 日勤隊の勤務時間には、お腹周りがすっきりした奥さんが顔を見せたこともあったらしい。

「四十にして警備員の戸叶とできちゃった婚なんかして、あの女もどうかと思うな、俺は」

 折茂の苦言もわからなくはないが、まあ、男と女のことに口を出すのは野暮というものだろう。

 個人的には、底辺労働者だから結婚できないのではなく、底辺労働者だからこそ心の救いのために結婚するべきではないかと思うし、女性には経済力ではなく中身で男を見て欲しいとも思うから、戸叶の幸せは素直に祝福したいと思う。まあ、戸叶は俳優の堤真一似で、イケメンではあったから、結局は顔という、僕にとっては好ましくない話になってしまうかもしれないが・・・。

 最後に日勤隊の湊であるが、彼は相変わらず折茂に気に入られており、一見仲は良さそうに見えた。ただこの時期、折茂は湊に対し、
「あの人はみんなにいい顔をする。みんなで戸叶を追い詰めようと言ってるのに協力してくれないし・・・」
 このように不満の声を漏らしていた。

 確かに湊には八方美人的なところがあったように思える。誰に対しても愛想がいい人間は、ある意味信用できないところは確かにある。彼も本当は、折茂に心酔しているわけではなかったのかもしれない。だが、この件で折茂が湊に不満を抱くのは、明らかにお門違いだ。

 戸叶をどうにかしようと思うのなら、折茂が一対一で戸叶と対決すればいいだけの話。折茂が戸叶と同じ土俵に立てるだけの立場にないというならともかく、今は日勤隊と夜勤隊のそれぞれ頭という形で、ツートップ体制にあるのだ。何も遠慮することはなく、トップ会談に臨めばいい。

 面と向かって言い争う度胸がないならそれでもいい。だったらだったで、会社の上の人間を通して戸叶に要求をぶつければいい。折茂はそれすらしようとしない。

 結局折茂は、本気で戸叶と戦う気などはなかった。折茂がやりたかったのは、伊勢佐木屋警備隊に、己の「教団」を作り上げたかっただけであり、そのために戸叶を敵として仕立てあげていただけであった。共通の敵を作ることが、集団を一つにまとめるのにもっとも手っ取り早い手段であることは、先の戦争など、いくらでも例がある。

 折茂の過激な思想は、しかし戦後の平和教育を受けた警備隊の隊員には、完全には理解されない。伊勢佐木屋警備隊に「折茂真理教」を作れない折茂のストレスは、すべて一番弱い僕に向かうことになる。折茂と富士登山に行った後の話になるが、戸叶の件で、「大激怒、大説教二時間スペシャル・秋の陣」が開幕されることになるのである。

  ☆          ☆          ☆            

 悪夢の鍵紛失事件から一か月、いよいよ折茂との富士登山の日がやってきた。全三日間の行程で、初日は夜間にレンタカーを借りて折茂の家で前拍し、翌朝五時に横浜を出発。九時くらいに富士山に到着し、五合目から登山開始。下山予定は午後五時ごろで、それから横浜に帰ってレンタカーを返却。そのまま折茂の家に泊まり、翌日に解散・・という予定である。

「まず、必要なものを買い揃えないとな」

 登山には専用の装備が必要である。僕たちは仕事を終えると、その足で横浜の東急ハンズに足を運んだ。登山のベテランである折茂からは、何か色々と紹介された気がするのだが、結局購入したのは登山靴一個だったように記憶している。登山靴は雨水を通しにくい利点があり、普段の生活でも役に立つことはあるが、このとき買ったものは底に金属の滑り止めが付いていたため、アスファルトの上を歩くには向かず、残念ながら富士登山以後は靴箱の番人になってしまった。

 そして折茂の家に向かおうとしたところで、大変なことに気づいてしまった。

「すみません、折茂さん・・明日着る服を忘れてしまって・・」

 まさか、ジャケットにスラックス姿で山を登るわけにはいかない。

「いいよ。そしたら、お前のうちに、一緒にとりに行こう」

 「え!!」と大声で叫びそうになる。丁重に固辞したのだが、結局振りきることはできず、折茂はうちに来ることになってしまった。

「ぜひ、お前の部屋が見てみたいな」

「い、いや、それだけはご勘弁を・・・あまりにも散らかっているので・・・」

 ADHD――「片づけられない症候群」の僕の部屋は、生まれてこのかた、足の踏み場が見えていた時期の方が少ない。親にも何度となく注意されたのだが、こまめに部屋を清掃する習慣は、ついに成人になっても身に付かなかった。

 僕からすれば、「やらない」のではなく、「できない」のだが、これがなかなか親には理解されない。もちろん、百メートルを九秒台で走れとか、物理的に絶対無理なことを要求されているわけではないから、まったくできないわけではないのだが、「人と同じようには」できない。例えば、こまめに掃除をするのは無理でも、一年に一回、年末年始のときにはまとめて掃除するとか、妥協案を容認してもらえれば、お互いにストレスを感じず生活できるようになるのだが、この頃にはまだ、そうなっていなかった。

 喧嘩をしながらも、その親のお蔭で実家に住むことができ、生ゴミ関係の問題には煩わされず、ゴキブリが出ることはあまりなかったのは事実だが、この当時はタバコを吸っていたため、火災の危険性があり、大変な状況だった。そんな部屋に、他人を、しかも内心快く思っていない人間を部屋に上げるなど、冗談じゃなかった。再三再四頭を下げて、どうにか部屋に入ってくることだけは阻止し、リビングに押し込めることには成功した。

「この子が、お前んちの犬かい?」

「ええ。そうです」

 僕が物心ついたときから一緒に過ごしてきた兄妹同然の犬と、折茂が対面した瞬間である。この頃には足腰が大分弱って自力では立てなくなり、床ずれもでき始めてかなり苦しそうだった。

この対面の際には、折茂はうちの犬について特にコメントはしなかったのだが、もう少し経ってから決定的に最悪の言葉が吐かれることになり、それが僕の心が折茂から完全に離れるきっかけとなる。

 ちなみに―――余談になるが、ここまで犬の名前に触れていないことにも、ちゃんとした理由がある。伊勢佐木屋警備隊を去った後に入った専門学校で、僕の心を完膚無きまでに破壊した一人の女と、まったく同じ名前であったからである。僕の惚れた弱みにつけ込んで、僕を散々に罵倒し、自分の歪んだプライドを満たすためのサンドバッグとして利用してくれたあの女への恨みは筆舌に尽くしがたいが、名前が同じだったことはただの偶然であり、別にあの女が悪いわけではない。僕の運が悪かっただけである。大切な家族との思い出も、いつかは真っ黒に染まってしまうというのが、僕の人生ということだ。

「この”カリスマ”って本は、お前が読んでいるのかい?」

 人の家にある物が気になって仕方がない折茂は、今度はテーブルの上に置いてあった、読みかけの小説について尋ねてきた。

「え?ああ、まあ、そうですけど・・・」

「ふーん。お前、カリスマになりたいのか?」

「え?いや・・・・」

 本のタイトルを見て、読者がその通りの人間になりたいのだと思ってしまう発想はよくわからない。それは折茂のように、読書を純粋に娯楽目的でするのではなく、「流行りの○○って作家の本を読んでる私カッコいい!」みたいに、ファッションの一部として考える人特有の発想だろう。

「・・・本ばかり読むのもいいが、知識ばかりつけても、仕事の役には立たないからな」

 以前、折茂の家に行ったとき、クイズ番組で不正解を出したときの負け惜しみと同じようなことを、彼はまた言った。そういえば、いつぞや折茂は、「学歴と仕事は関係ないからな」ということも言っていた気がする。折茂に限らず、底辺のアルバイターにはこれをを言う人が結構多いのだが、これほど「井の中の蛙」を表す言葉もないと思う。

 確かに、知識の蓄積や感性を司る知能は言語性IQ、作業の効率化や注意力、整理能力などを司る知能は動作性IQといい、二つの知能の働きが違うとは言われている。よく「アイツは学歴は高いけど仕事はだめだ」などと言われる人は、言語性IQばかりが高くて、動作性IQが低いパターンである。そういう人は空気を読むといったことも苦手だから、せっかく語彙が豊富なのにコミュ障だともみられやすく、社会の中では苦労しやすい。だから、学歴(知識)と仕事(ソーシャル・スキル)が関係ないというのは間違いではない。

 だが、折茂のように読書や勉強、あるいは映画鑑賞によって得た知識や感性が仕事の役に立っているという実感が「まったくない」というのは、ようするに、底の浅い単純労働しかやらせてもらえないという証拠。それを屈辱と思う思考回路もないほど、底辺世界に無駄に適応しているだけの話ではないか。アメリカザリガニのごとく劣悪な環境にも平気で住めて、それを正当化さえしてしまえるこの適応力はある意味では強みかもしれないが、その視野の狭い考えを他人にまで押し付けてくるのは勘弁してもらいたいものである。

 ・・・などと偉そうに語る僕も、最終学歴は大学を経由していない専門学校卒である。僕の場合、これもADHDの特徴のひとつで、知的欲求自体は強いが、興味のあることしか勉強しないため、学校の成績は悪かったのだ。

 さらに読書関連で、この後、折茂の家に行った際、僕が逆に「隣人18号」なる漫画を見つけ、僕はこれの映画版を観たことがあると報告した際、折茂は、

「お前にはこういう作品は見て欲しくないな。悪影響がある」

 などと、真面目な顔をして言ってきた。隣人18号という作品はいじめられっ子がいじめっ子を残虐な方法で殺すという話なのだが、僕がそれを読んで、悪の道に目覚めないかと懸念しているのである。「もう遅い」ともいえるし、「余計なお世話」ともいえる。

 ☆          ☆           ☆           

  早朝、布団を出た僕たちは、昨日のうちに借りた車に乗り、一路、日本最高峰の山、富士山へと向かった。五合目までは車で登り、そこからいよいよ、登山道を自らの足で歩きだす。

「そういえば、聞いていなかったですが、途中、タバコを吸えるところはあるんですかね?」

 当時喫煙者であり、一日十五本は吸っていた僕にとって、途中に喫煙所があるかどうかは、切実な問題である。

「山小屋でなら、一応吸えるよ。だが、上に行くにつれて空気が薄くなって、自然と吸いたくなくなるから、心配しなくていいよ」

 折茂の説明を受け、とりあえず安心して登りだした。

「こんにちは」

 登山者同士の挨拶である。折茂はこれに、ちゃんとした意味があることを教えてくれた。
「山は常に危険と隣り合わせだからな。登山者同士でコミュニケーションを取って、違うパーティ同士でも助け合えるような雰囲気をつくることが大事なんだ」

 折茂の顔は嬉々としている。純粋に心から登山を楽しんでおり、僕にもその楽しさを味わってほしいという思いが伝わってくる。「カッコいい俺を見て欲しい!」という、彼特有の自己顕示欲は感じられない。こういうときの折茂と一緒にいるときは僕も楽しくなるし、本当の友達になれるのではないかという感じもしてくる。最初は憂鬱だったが、このときは、来てよかったな、と思ったものだ。

「大丈夫か?疲れてないか?」

「ええ、大丈夫です」

 当時、夜勤による不規則な生活と不摂生をしていた僕だったが、何しろまだ二十一歳と若い。登山のベテランである折茂のペースにも全然ついていけたが、八合目に差し掛かったあたりから傾斜がきつくなり、徐々に息が切れ始める。

「無理はするな。ちょっと休みながら行こうか」

 山小屋に立ち寄り、休憩をする。はっきりとはしないのだが、山小屋はかなり不潔であった記憶
がある。富士山といえばご来光を楽しみに登る人が多いが、僕はここには泊まれないな、と思った。

「さあ、帰りが遅くなるといけないから、ここで少し頑張ろう。お前の体力と時間配分を考慮してちゃんとペースは考えてあるから、大丈夫だ。俺を信じろ」

 登山のときの折茂は頼もしく、優しかった。指示や説明も的確で澱みなく、納得できるものである。

 警備のときも常にこの顔を見せてくれていれば、僕の印象だって違っただろう。そしてそれは、今からでも遅くはない。もう僕を信者にする、あるいは、伊勢佐木屋警備隊が終了してからも仲が続く親友になることは無理だったろうが、あと残り二か月で、笑顔でお別れできる関係くらいにはなったはずだ。

 結果はそうならなかったのは読者の予想する通りであるが、ひとまず後のことは置いておいて、登山の話を進めていく。

「あと一息だ。頑張れ、頑張れ」

「は・・はい・・・」

 僕と折茂はついに、登頂へと成功した。日本で一番高い場所に登ったときの感慨は深く、僕の心の中には、確かに瑞々しいものが満ち溢れていた。この気持ちよさ、達成感を与えてくれた折茂とも、もしかしたら真の意味で打ち解け、信頼関係を築けるのではないかと、一瞬思ったものである。

 だが、それも食事と神社への参拝を終え、下山を始めるころには、早くも崩れ始める。霊峰富士のパワーのお蔭か知らないが、富士山のてっぺんに向かう過程では、確かに「頼れるアニキ、一緒にいて楽しい人」に変わっていったはずの折茂は、富士のパワーから離れ、下界に近づくに連れ、「受け入れがたいナルシスト」に戻っていってしまったのである。

「博行。お前は自分の見た目にコンプレックスがあるか?」

 どういう流れだったか忘れたが、確かこういう質問をされた。

「え?ええ、そうですね・・・。こんな顔じゃ、女には誰も相手にされないでしょうね・・」

 思い込みが激しい僕は、当時、自分の顔をとんでもない不細工のように思っていた。当時、何人もの女に連続して振られ続けていた時期で、性欲を発散する手段を買淫に頼るしかなかった僕は、自分が置かれていた状況のみをもって、自分をとてつもない不細工だと思い込んでいたのだ。

 人間は思い込みの生き物である。思い込みによって、黒いものも白く見え、白いものも黒く見える。恋愛は相手あってのことだから簡単にはいかないが、取りあえず相手の顔を褒めて、悪い思い込みを取り除いてあげることは、誰にだってできる。僕が期待していたのは「お前は不細工なんかではないよ」と言ってくれることであり、折茂が本当に僕を思いやっているのなら、当然そう言うべきであったろう。しかし、折茂が言ったのは・・・。

「いいじゃないか。お前はこうして、顔が悪くたって、お前とずっと一緒にいてくれる人に出会えたんだから」

 僕のことを大事に思うようなことを口にしながら、折茂はいつも自分本位でしかないのである。自分のことしか考えられない折茂にとっては、僕が顔も悪ければ頭も悪い、何もかもダメなダメ人間であったほうが都合がいいのだ。僕がダメであればダメであるほど、そのダメ人間を面倒みてやっている、自分の株があがるからである。本当にこの男は、自分自身がプライドの塊であるくせに、他人のプライドを尊重しようという気持ちがひとかけらもないのだ。

 すべてを自分中心にしか見れない男。こんな男が、「人を導く人間」になろうとしているのだから、呆れるばかりである。

    ☆       ☆         ☆

 折茂の怒涛の逆戻りはさらに続く。

「博行。お前はさっきの参拝のとき、何を祈った?」

山頂の神社で参拝をしたのだが、折茂はそのとき、僕が祈った内容について尋ねてきた。

「え?いや、まあ、そういうのは口に出さないほうが・・・」

「何を祈った?」

 おそらく彼は、「折茂さんとずっと一緒にいられますようにと祈りました」と言ってもらいたかったのだろう。あまりのしつこさに根負けして、「金を儲けることです」と答えたとき、表情から激しい落胆ぶりがうかがえた。

 折茂は何事にしても、僕の気持ちが言葉とか形として明らかにならないと満足できない男であった。折茂から誕生日プレゼントに腕時計を貰ったことを書いたと思うが、あれを付け忘れたとき、折茂は「なんでつけてこなかった?」としつこく聞いてくることも、それを表している。まるでキャバ嬢が自分の貢物を身に着けていないと不機嫌になるオヤジと一緒であり、ようするに相手との信頼関係に自信がないから、はっきり目と耳で認識できるものがないと不安になってしまうのだ。

 足腰の筋疲労に加え、折茂のナルシストにも耐えなくてはいけなかったから、下山したときにはもうクタクタであった。折茂だって疲れていただろうが、帰りが遅くなりすぎてはいけないと、すぐにハンドルを握ってくれた、そのことには少し感謝する。身体が砂だらけになっていたので、高速に入る前にログハウスに立ち寄り、二人で露天風呂に入ったのだが、そのときは別に変なことはなかった。

 変なことがあったのは、高速に入ってからである。突然、折茂がハンドルから左手を離し、助手席に座る僕の右手を握りしめてきたのだ。

「ドキッとしたか?」

 ドキッとはしていない。ゾクッとしたのである。

「博行・・・お前が俺にプロポーズをしてきたときのことを、覚えているか?」

 頭の中をひよこが旋回する。今、プロポーズという言葉を辞書で調べると、「男性が女性に、または女性が男性に結婚を申し込むこと」と出てくる。僕は女性ではないし、折茂もまた女性ではない。したがって、日本の法律で結婚することはできない。法律以前に、僕は同性が好きではない。七年前、二〇〇八年当時の国語辞典を開けば、別の意味が出てくるのか?調べるのはあまりに悍ましく、また面倒くさく、Amazonで注文する気は起こらない。

「いや・・・プロポーズはしてないですけど・・・」

「あのとき俺は、お前の言葉に素直になれなかった。すまないことをした。だから今度は俺が、お前に逆にプロポーズをする」

 最高潮に自分に酔いしれ、折茂ワールドに没入している折茂に、否定する僕の言葉は届かなかった。このときスルーされたせいで、結局、僕のプロポーズというのは何だったのかは、今でもわからずじまいである。

「博行・・・俺の故郷に来ないか?実は今、昔勤めていた会社から、正社員の待遇で誘いを受けている。俺はお前も、故郷に連れていこうと思っている」

 これが、折茂の「プロポーズ」の言葉であった。折茂が、僕の存在を通して自己の偉大さを証明するパフォーマンスの集大成が、僕と同棲し、自分の故郷に連れて帰ることであったのだ。

「いや、それは・・・さすがに・・・その・・・」

 折茂と同棲など、もってのほかである。折茂という人間が好きではないということもあるが、まず、実家を出るメリットがない。同居する家族との関係は別に良くはないが、悪くもない。今の状況で、家を出るギャンブルをする理由がない。

 大体、生活が大変だろう。お金の面でも大変だし、プライバシーを守ることも大変だ。けして金持ちではない折茂との生活はワンルームのアパートということになる。朝起きる時間はともかく、夜寝る時間もある程度揃えなくはならないから、自分のリズムもくそもない。横でテレビを見られていたら、落ち着いて本も読めない。

 何より、二十一歳の僕にとってもっとも切実なのは、性欲の問題だ。同居するのが女性なら性欲を処理してもらえるが、男性では無理だ。折茂が寝ているときにオナニーをするにしても、横に男が寝ていたら気分が乗らないだろう。折茂がその点をまったく考慮に入れていないのは、僕を「汚れなき、純潔な赤子」だと思っているからか?それとも、「俺が処理してあげるぞ」ということだったのか?想像することも悍ましい。

「いや、その、ちょっと今は、考えられないです・・・」

 何も折茂だから拒絶するわけではなく、男と一つ屋根の下で寝るなどは、修学旅行などたまにするから楽しいのであって、毎日毎日一緒に暮らすのは真っ平御免である。それこそ刑務所と同じではないか。刑務所なら家賃はタダだからまだいいが、家賃を払って男と暮らすなど、罰ゲームに等しい。ルームシェアなど、お金がなかったり、地方から出てきて仕方なくやらなければならない人だけがすればいいことであり、実家に住める環境のある僕には考えられない。

「そうか。まあ、あと二か月あるから、考えも変わるかもしれない。俺はお前が、その気になるのを待っているぞ。俺はお前を一人にするのが不安なんだ。お前が俺と離れたあと、一人でやっていけるのか?とな。お前を安心して託せる人がいればいいが、俺の周りにはいないからな」

 この期に及んで、「僕が折茂を慕っている」という前提で話を進めていこうとする折茂。僕は折茂の何が嫌いかといえば、そこが一番嫌いなのである。

 まだ、現時点で己が僕に好かれていない事実を認めた上で、「俺はお前が好きだ。そしてお前に慕われたい。どうすればいい」と、自分から頭を下げて、素直に本当の気持ちを打ち明けてくるのなら、僕の心だって少しは動いたかもしれない。少なくとも話くらいは聞いてやっただろう。なのに折茂は、恥をかくのを恐れ、いまだに恰好をつけて、僕の方が折茂を求めているという形にしようとしている。そんな思い上がった態度で、どうして他人の気持ちを動かせると思うのか。別に折茂を上から目線で見たいわけではないが、そこまで安く、僕の心を売るつもりはないのである。

 このとき丁重に断ったのだが、僕を故郷に連れて帰ることを最終目標に定めてしまった折茂は、横浜に帰り、勤務が再開されたあとも、しつこくこの話題を振り、無駄な足掻きを見せてくるようになる。

 自己愛性人格障害者との奇妙な物語が、いよいよ最終章に入っていく。

犯罪者名鑑 加藤智大 3


ちゅうがく



 彼女



 中学生になった加藤には、彼女ができたそうです。学級委員を務める優等生で、お似合いのカップルと言えたかもしれません。しかし、この交際も、彼女からもらった手紙をお母さんに発見されたことで、あっさり潰されてしまいました。

 ただ、このときのことに関しては、加藤は特に母親を恨んでもいないし、当時の彼女に未練が残ったということもないと思います。ましてや、「あのときできたんだから、自分も頑張れば彼女ができる」と、ポジティブに考えることにはまったく繫がらなかったでしょう。

 私自身の経験を言わせてもらえば、私も中学生のとき、彼女「らしきもの」はいました。しかし、それが男としての自信に繫がったということもありませんし、「キャリア」に含むつもりもありません。ローティーンという未熟な年齢で、恋愛の何たるかもわかっておらず、セックスに持ち込む知識も度胸もなく、結局なにもないまま終わってしまった相手に比べたら、長年お世話になったAV女優の方が、まだ自分が情愛を抱いた女といえます。

 私がこの件で悲哀を感じるのは、加藤の掲示板の、

――人生にモテ期は三度来るというけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。

 という書き込みです。

 プロ野球選手でいえば、まだ地力の蓄えられていない若手時代に無駄に出場機会に恵まれ、本当に選手として脂が乗って、フル出場すれば3割が打てるくらいまで成長したときにチームに大物打者が加入して出られなくなったとかそんな感じでしょうが、ようするにどんな幸運も、自分が本当にチャンスを活かせるときに巡ってこなければ意味がないということです。
 
 掲示板には小456とあるものの、実際には加藤のモテ期は中学くらいまでは続いていたみたいですが、それにしたって、行動力もない未熟な年齢であるには変わりなく、そんな時期にモテたところでどうしようもないという話ではあります。ようやく母親の束縛から逃れられ、男として女を楽しませるだけの器量も備えたと思った途端、まったくモテなくなるという切なさ。

 少し余談めいてしまいましたが、幸運はいくら巡ってきても、時期的な噛み合わせが良くなければ何の意味もないという、加藤の名言の中でも特に好きな言葉なので、紹介させてもらいました。


にんぎょう

 

 反抗



 小学校のころまではお母さんにやられっぱなしだった加藤ですが、中学に上がり、自我というものが芽生え、腕力もついてくると、ついに母親に牙を剥き始めます。

 中学二年生のとき、お母さんはいつものように成績のことで加藤を咎めていました。加藤がしばらく返事もせず黙っていると、お母さんは加藤の頬をつねったり、頭を揺さぶったりといった嫌がらせを始めます。加藤が無言で席を立ち、洗面所に行くと、あとを追いかけて、ほうきで叩くようなことまでしていました。
 
 加藤はここでキレました。むしろ、よくぞここまで我慢したというべきでしょう。右手の拳で思い切り殴りつけると、母親は倒れ、メガネが割れてしまいました。優しいことに、加藤は殴り倒した母親に「目は大丈夫か?」と尋ねたそうですが、母親は加藤を口汚い言葉で罵ったそうです。

 それ以降、加藤がお母さんに直接暴力を振るうことはありませんでしたが、お母さんとの間で何かあると「警告」するように壁を殴るようになり、壁にはいくつもの穴が開いてしまいました。

 ようやく母親に反撃することを覚えたこと自体は、私はすごく良かったことだと思います。反抗期というものは、子供が親から精神的に自立する上で必要不可欠なもので、これが無かった人は、自分の意志で物事を決められない、他者に対して依存心の強い人間になってしまいがちです。あのオウム真理教の信者の多くに共通する特徴として、「反抗期がなかった」、敢えて言うなら、オウムに入ったことが初めての親への反抗だったという話もあります。

 ただ、やはり表現の仕方がよくありませんでした。この期に及んでも、この親子は「じっくりと話し合う」ことをせず、直接的な行動によってしか、自分の感情を表そうとしなかったのです。中学時代に加藤が暴力をふるっていたのは家だけでなく、学校でも何か気に入らないことがあると暴力に及び、素手で窓ガラスをたたき割って、拳に包帯を巻いて帰ってきたこともあったそうですが、やはりそのときにも、「怒る理由の説明」はありませんでした。

 ちょうどそのころ、神戸ではあの「酒鬼薔薇事件」が起こっていました。児童二人の命を無残にも奪った悪魔と同い年の息子が、家庭内暴力をふるっている。お母さんは知人に対して、

「あの子と二人きりになるのがとても苦痛。息子が”酒鬼薔薇聖斗”と同じ年だと思うと、怖い」


 と漏らしていたそうです。 

 自分のやってきたことを棚に上げて何を言ってるんだとは、誰もが思うことでしょう。お母さんもお母さんなりに必死だった部分もあったと思いますが、この発言を聞くと、やっぱり”鬼母”の烙印を押されるのは仕方ないし、同情は不要なのかなと思えてきます。
 

文集

 


 黒歴史



 加藤は中学校の卒業文集に、「テイルズオブディスティ二―2」のキャラクターのイラストを載せていました。

 また、これは高校時代の生徒会誌には、加藤が直撃世代に当たる「エヴァンゲリオン」の登場人物、綾波レイの有名なセリフを書き残しています。

 私はアナタの人形じゃない。赤い瞳の少女(三人目)

 「旧劇場版」において、それまで冷徹な司令官、碇ゲンドウに絶対服従だったレイが、初めてゲンドウの命令に背いて独自の意志で行動をとり始めたシーンで発せられたセリフですが、精神学者の片田珠美氏の分析によれば、これは加藤が母親に対して反旗を翻し、自分の意志で進路を決めて歩み始めた気持ちの現れだとされています。それは私も多分そうだと思いますが、それ以前に恥ずかしいです。

 「エヴァンゲリオン」「テイルズ」ヲタの人には申し訳ないですが、私がもし死刑になるような事件を起こし、このような作文を全国ネットで晒されたら、恥ずかしくて泣くと思います。この黒歴史に関する加藤のコメントが出てないので本人がどう思っているかわからないですが、これはどう考えても恥ずかしいです。
 
 これは小説というものを書く私のような人間の独特の考え方かもしれませんが、「掲示板」のように、拙いながらも自分の言葉で、自分の気持ち、自分の考えを語っているものなら、あまり「恥ずかしい」という気はしません。綾波レイのような、他人が考えたキャラクターのセリフを使って何かを表現しようとしているところが、滅茶苦茶恥ずかしいと思うのです。

 これで事件当時の加藤がまだ綾波ファン、テイルズファンだったならまだいいですが、事件当時は綾波レイやテイルズにそれほどお熱ではなかった場合、その恥ずかしさは自殺レベルに到達するといっても過言ではありません。

 この「黒歴史」晒しこそ、死刑を越える、究極の抑止と言えるかもしれません。

完成版私小説 愛獣 5


           
 
 その日の勤務は、塩村との相勤であった。

「それでは、事務館点検巡回行ってきます」

 二十三時前後、いつもと同じように、ごく普通に、僕は巡回へと出発した。鍵の点検簿には、すべての確認印が押されている。この時点では、確かにすべての鍵が、キーバッグの中に納められていた。

 が・・。点検巡回から帰ってきたとき、一階商品管理室の鍵が、忽然となくなっていたのである。
 
 血液が氷結する思いだった。鍵の紛失とは、警備員が一番やってはいけないミスである。勤務初日、隊長の戸叶に、弁償代百万円などと脅されたのは大げさにしても、それぐらいに気を付けなくてはいけないのは間違いない。

「おいおい、勘弁してくれよ・・・」

 塩村の顔も青ざめている。事態は深刻である。

「すいません。今すぐ事務館に行って、鍵を探してきます」
 今やれることは、それしかない。

「いいか。絶対に見つけだしてくるんだぞ」

 塩村に送り出され、僕はついさっき回ったばかりの事務館に戻っていく。悲壮な覚悟での捜索が始まったのである。

 巡回のコースを、丹念に見て回った。可能性が高いのは商品管理室の周辺だが、別の場所で落としたということも考えられる。商品管理室の鍵には大き目のタグが付いており、鍵の中では目立つ方ではあるのだが・・・。

 一時間・・・二時間・・・。いくら探しても、鍵は影も形も見当たらなかった。こうなってくると、問題解決能力に乏しい僕の頭はパニックになってしまう。完全に冷静さを欠き、闇雲に同じところばかり何度も探し回って、ますます時間をロスしてしまう悪循環に陥ってしまっていた。

「なんで見つからないんだよ・・。なんで・・」

 絶望的な感情が脳内を埋め尽くしていく。ADHDの僕は、これまでの人生で何度となく、物をなくすミスを繰り返してきた。その都度、周りの人からは叱責を受けたし、自分でも十分に反省したのだが、不注意は一向に治らなかった。そして二十歳を越えた今なお、大事な物を失くして、会社に損害を与えようとしている・・・。

「なんでだよ。なんでいつもこうなるんだよ。」

 人が出来て当然のことが、自分だけにはできない。親や、折茂のような説教好きからは「努力不足」などと言われるが、僕から言わせれば、努力不足でこうなったのではなく、目いっぱい努力した結果がこれなのである。いったいどこの誰が、「努力不足」で愛するペットを餓死させるというのか?全て「やらない」のではなく、「できない」のである。

 小さいときに、親が気づいてくれなかったのが運のつきだった。まだ小さいとき、思想も確立されていないときに、親が僕を然るべき機関に連れて行って、改善に向けた取り組みをしてくれていたら、また違った人生もあったと思う。

 日本人は、「短所を潰す」という育て方が大好きである。集団に所属する人間に対し、個性を重んじるのではなく、画一的で和を乱さない人間であることを望む。

 だから発達障害者に対しても、その個性を尊重するのではなく、「健常者と同じくらいの努力で追いつかないんだったら、健常者以上に努力をしろ」ということを言ってくる人が多い。しかし僕は、それは違うのではないか、と考える。間違っても、発達障害を克服するために、健常者ならやらないようなことまではやったりしない。

 だって理不尽だからだ。みんなが「ゴールに向かって努力をしている」中、どうして僕だけが、「スタートラインに立つための努力」をしなければならないのか?それでは理不尽ではないか。「目いっぱい努力して努力して、ようやく人並み」で、どうやってやる気を出せというのか?そんな小さい夢には、小さいなりのエネルギーしか出ない。

 問題を問題のまま放置されているうちに、僕は一つの哲学を作り上げてしまった。鉄は熱いうちに打てという言葉はまったくその通りで、いったん「努力をしない哲学」を作り上げてしまったら、もう変えるのは容易ではない。

「こんなのは理不尽だ」

 膨れ上がるのは、劣等感と嫉妬心、孤独感ばかりであった。同世代が大学に通い、友人や恋人に囲まれて青春を謳歌しているときに、僕は将来の展望もない施設警備員の仕事などをし、自己愛性人格障害者に執着され、今は仕事で失敗をし、暗い建物を彷徨い歩いている。こういうとき、心の支えになってくれる人は、僕には一人もいないのである。

 あまりの人生の差に、絶望的な気分になる。こんなので、発達障害を克服するための努力をする気になどなるか。発達障害さえ克服できれば人生が薔薇色だったらいくらだって頑張るが、発達障害を克服したところで、友人もおらず、女もできず、一生非正規のガードマンのような仕事をやるしかない、惨めで孤独な、糞みたいな人生しかないんだったら、無駄に労力を使っただけ損ではないか。バカバカしくて、やってられるか。

 運命を呪いたくなる。今よりは悪くならないと信じてみても、実際はまだ下があるのである。どうして僕だけが、こんな目に遭わなければいけないのか。

「見つけなきゃ。絶対に見つけなきゃ」

 とにかく、鍵さえ見つけてしまえば、今現在の苦しみからは解放されるのである。必死だった。必死になりすぎていた。頭に血が上っていては、見つかるものも見つからない。状況を自分で悪くしていた。

 若かった僕は、追い詰められた状況で、思考の幅が極端に狭まってしまっていた。

 ここでまず考えるべきは、あと四か月弱で、伊勢佐木屋は閉店するという事実だった。建物自体も、すぐに取り壊されることが決まっている。

 つまり、仮に鍵を失くした事実が発覚したとしても、客先はそれほどうるさいことは言ってこなかったはずなのだ。あと四か月弱のために、南洋警備保障との契約を解除して別の警備会社を入れるとは考えづらい。仲間たちに迷惑をかけることもなく、何事もなかったかのように勤務が継続した可能性はかなり高かったと思われる。

 それでも、複数の扉に対応するマスターキーだったら大事になっていたかもしれないが、今回失くしたのは、たかが一つの扉だけに対応した鍵である。また、これは後から発覚した事実なのだが、事務館は建物自体古いのもあってセキュリティ面はザルそのもので、なんと、ドアの構造が似ている四階裏階段の鍵を使えば、商品管理室も開いてしまうようになっていたのである。

 ごく冷静に頭を働かせれば、今の状況は、それほど思いつめるものではないとわかるはずだった。しかし、感情の針が両極端に振れやすい僕は、必要以上の自責の念にかられ、自分の首を自分の手で締め上げてしまっていた。

 そして思い浮かぶのは、折茂の怒声であった。折茂は、普通ならごめんで済むようなことでも、会社に大損害を与える重大ミスかのように怒鳴るような男なのに、本当に会社に損害を与えるミスをしたら、一体どうなってしまうのか?失敗をして申し訳ない、という気持ちはやがてなくなり、ただ子供のように、怒られるのが怖い、それしか考えられなくなってしまった。

 五時を回り、空が白み始めると、もう鍵を探すことは諦めていた。次に考え始めたのは、いかに自分に降りかかる火の粉を抑えるか。どうしたらみんなに同情してもらえるか、ということである。
 パニックが極限に達した僕が向かったのは、屋上であった。


  ☆        ☆         ☆


 屋上へと出た僕を、乳白色の空が出迎える。通常、屋上へと出るのは、夜二十三時の事務館点検巡回のときだけだから、これは普通に勤務していたら絶対に見るはずがない、あり得ない光景である。

「なんでこんなことになったんだ。なんで・・・・」

 ブツブツと独り言を呟きながら、僕は夢遊病者のような足取りで、フェンス際へと歩いていった。
 そのフェンスを乗り越え、アスファルトへとダイブしようとしているわけではない。さすがに死ぬつもりはなかった。僕はこれから、同情を買うための演技をしようとしていたのである。

 鍵を失くしたことで、津島は死ぬほど思いつめた。そういうことにすれば、怒られないで済むと思った。

 今から考えれば、本当にバカなことを考えたものだと思う。あまりにも身勝手な考えだとも思う。しかし、極限まで追い詰められた状況で、当時二十一歳の青年だった僕には、この選択肢しか思い浮かばなかった。

 やると決めたら、あとは中途半端せず徹底的にやるのみである。僕は鉄製のフェンス際まで辿り着くと、コンクリートの地面に、身体を横たえた。そして、パニックで精神崩壊状態に陥ったことにリアリティを持たせるため、故意に失禁した。日本語を変えてもう一度書くが、わざと小便を漏らしたのである。

 繰り返して書くが、僕は本当にどうしようもない、大馬鹿である。他にも方法は色々あったのに、なぜこんなバカなことをしたのかと思う。犯罪を起こしたわけでもないし、高額な金を弁償しなければいけないわけでもないのだから、手をつき、膝をついて謝ればそれでよかった。小便など漏らすよりも、そちらの方がよっぽど、男としてのメンツを保てた。二十一歳、男としてのプライドも確立できていない、小僧であったがゆえの悲劇である。

「津島!」

 演技を開始してから一時間ほど経ったころ、声とともに、塩村が屋上の入口に姿を現した。一緒にいるのは、若い管制官の江崎である。すでに会社にまで連絡が行っていたのだ。

「おい、津島。しっかりしろ」

 僕の演技はいっそう堂に入る。仰向けに倒れた状態で、視線をうつろにし、口をパクパクさせ、涎を垂らし、呼吸を早め、意識が平常でない様子を装った。

「津島、鍵は見つかったから。鍵は見つかったよ!」

 たぶん、僕を安心させるための嘘であろう。ここで気を緩めて、演技の手を抜いたりはしない。
 塩村と江崎は、僕の演技に騙されているようである。してやったり・・・とは思わない。とにかくこのときは、無我夢中である。

 やがて、救急隊員が現れた。担架に乗せられ、階段を降り、救急車へと運ばれていく。日勤隊の港はじめ、何人かの人が心配そうに見ているのが、視界の端に映った。

 そして救急車に乗り、病院へと向かう。塩村は勤務が残っているため現場に残り、江崎が一緒に乗ってくれた。救急隊員に血液型などを説明するため、江崎が僕の財布を漁ったとき、風俗の名刺が見えてしまったのが恥ずかしいと感じるくらいには、冷静さを取り戻していた。取りあえず、芝居はうまくいったと安堵していた。

 病院に到着し、一通りの検査を受ける。異常などは見当たるはずはない。演技なのだから。その演技がバレないか、それだけが心配であった。

 検査の結果、当然のことながら、あっさりと退院となった。小便まみれのトランクスはトイレの個室で脱ぎ、ビニール袋に入れて持ち帰った。

「おう、どうだ調子は。大丈夫か?」

 病室を出た僕を、インテリヤクザ風の南洋警備保障部長、この日休みであった隊長の戸叶、夜勤を終えて駆け付けてくれた塩村らが、心配そうに出迎えてくれた。皆にファミレスに連れて行ってもらい、部長のおごりでジャンバラヤを食した。

「部長、五十万のプラズマテレビ買ったんですって?」

「なにそれ、誰から聞いたんだよ」

 皆は敢えて、事件の話題には触れないようにしているようだった。塩村にしろ戸叶にしろ、いたっていつも通りの感じである。落ち込んでいるときには、変に心配されるよりいつも通りに接してくれた方がありがたかったりもするのだが、重要な話題に全く触れられないというのも、こっちは心配である。医師からどういった説明を受けたのか、芝居はばれていないのかということが、気になって仕方がない。食欲などあるはずもなく、注文したジャンバラヤは殆ど喉を通らなかった。

「どうやら大丈夫みたいだな。落ち着いたらまた連絡するから、今日はゆっくり休んでくれ」

 部長のこの一言で、僕の芝居には幕が下りた。どうやら、看破されたわけではないようである。ほっと胸をなでおろし、僕は塩村と一緒に駅へと向かい、電車には一人で乗って帰った。 

 この一件では、多くの人に迷惑をかけてしまった。この日相勤だった塩村には、特に申し訳なく思う。折茂に対しても、この件に関しては、僕は彼を責める資格はない。

 迷惑をかけてしまった人に対し、陳謝したい気持ちはある。だが、失敗を犯したこと、またその後に芝居を演じ救急車まで呼ぶほど騒ぎを大きくしたことに対し、そこまで罪悪感は感じていなかった。

 だって僕の人生は、こんなことの繰り返しになることが確定しているのである。どんなに気を付けていても、不注意を繰り返してしまう。どんなに出来るようになったと思っても、いつかは落とし穴に嵌ってしまう。その度にまともに反省していたのでは、とてもではないが精神が持たない。

 いや、反省はしている。だから僕は、不注意による失敗をしたとしても、仕方ないと開き直ることにしている。注意欠陥障害という理不尽な運命に生まれてしまった僕は、可愛そうなのだから、まともに責任など取る必要はない。もちろん法律の範囲内で責任をとらなくてはならないことは責任はとるし、表向き謝罪の意は示すが、内心では鼻くそをほじって、アホらしい、面倒くさいと考える。

 それが、「ADHDを克服する努力」を放棄した、僕の解答である。ただ、僕だけでなく、ADHDが社会で生きていくには、実際、それぐらい図太くなるしかないと思う。対策は対策で必要だろうが、どれだけ対策しても限界があるのだから、これは自分が悪いのではなく、自分の遺伝子が悪いという考えを貫くしかないということだ。社会は守ってくれないのだから、自分のメンタルは自分で守るしかないのだ。


  ☆          ☆       ☆     


 鍵紛失事件後、僕は二日間の休養に入った。務めて仕事のことは考えず、家でゆっくりと過ごす。この間、会社からは特に連絡はない。あんな大きな失敗をし、救急車まで呼ぶ騒ぎを起こした後であるから、ひょっとしたら辞める辞めないの話にもなってくるのではないかと思っていたのだが、会社側としては、僕を当然のように続投させるつもりのようだった。 

 これは僕が必要だったというよりも、その方がメリットがあったからだろう。何しろ、伊勢佐木屋の現場はあと数か月で終わってしまうのである。あと数か月のために手間をかけて人を探し、高い金を出してインターンを組むよりも、能力にかなり難があっても、既存の隊員を使い続けた方がいいに決まっている。

 事件のことは会社を通じて母親にも伝えられた。説教はされなかった。だが、そんな向いていない仕事は辞めろとも言われない。家で休むよりは、外で苦しみぬくのを美徳と考える人である。

 伊勢佐木屋の同僚からの連絡もなかった。気になるのは、やはり折茂のことである。病院を出た後に食事をした際には、折茂は東京支社の方に研修の講師として出かけていたため駆け付けられなかったが、とても心配していた、という。

 だが、実際彼に会って話したわけではないので、本当かどうかはわからない。些細なミスをしただけで、まるで会社に大損害を与えたかのように怒る男が、本当に会社に損害を与えかねないミスをしたとき、どれほどの怒りを見せるのか?出勤が憂鬱で仕方なかった。

 明け公休の二日間はあっという間に過ぎてしまう。いよいよ、事件後初勤務のときがやってきた。精神安定剤のデパスをいつもの倍の量飲み、家を出る。この日C番だった僕は、二十二時の上番である。シフト通りであれば、折茂と塩村との勤務である。

「おう、元気か?」

「ええ。ご迷惑をおかけしました・・」

「いいって。気にすんなよ」

 塩村の様子はいつも通りである。折茂はそのとき本館の巡回に出かけており、席をはずしていた

「なくなった商品管理室の鍵だけど、どうやら五階裏階段の鍵が使えそうだから、差し替えておいたよ。五階裏階段の鍵は従業員が使うことはほとんどないし、たぶんバレないだろ」

 実際、翌日自分で試してみてわかったが、確かにちょっとコツはいるものの、五階裏階段の鍵は問題なく使用できた。たかがその程度のセキュリティ。自殺未遂を演じるほど思いつめる必要など、どこにもなかったのである。

「折茂も随分心配してたぞ。元気な顔を見せて、安心させてやれ」

 そう言われても、実際に心配してもらっているところを見たわけではないので、僕のほうが安心できない。本当の答えは、もうすぐ出る。生きた心地がしない。

 保安室の木戸が、ゆっくりと開く。折茂が現れた。彼は何も言わず、僕を抱きしめた。

 純粋だった僕は、ここで涙を流した。おいおいと、声をあげて泣いた。怒られなかった安堵の気持ちもあるが、本当に嬉しかったのである。

「この二日間、俺はお前をどう迎えればいいのか、頭が壊れるくらい悩んだよ。怒ったらいいのか、笑顔で迎えたらいいのか・・・。結局、答えが出ないままこの日になってしまったが、実際会うと、考えるより先に、体が動いたよ。そしてわかった。俺もお前が好きなんだ」

 折茂も涙ぐんだような目で語る。嘘を言っているとは思えなかった。俺も・・・などと、僕が折茂を好きという前提にされてしまっていることも、このときは気にならない。僕は折茂に、本当に感謝していた。

「今回の事件で一番悪いのは、お前ではなく俺だ。俺があんなにもお前を追い詰めなかったら、お前があんなパニックになることはなかったんだ。博行、すまん」

 折茂もけして根っからの悪人ではない。僕に辛くあたりすぎていた自覚はちゃんとあり、それを正当化する論理を唱えながらも、内心では申し訳ないとも思っていたのである。わかっていながら、自分を抑えられなかったのだ。

「博行。これからはもう、何があってもお前を離さないからな。俺とお前とは、両想いだからな」

「はい。ありがとうございます。僕も折茂さんについていきます」

 体育会系の暴力教師の常套手段・・。怒鳴られ、プレッシャーをかけられて、限界一歩手前まで来たところで、ちょっと優しくする。普段鬼のような人がふとしたときに仏の顔になると、普段仏の人よりも神々しく見えてしまうことがある。このときほど、それが見事にハマった状況はなかった。秋葉原事件以来、嫌悪方面に向いていた折茂への感情は、また好感方面へと振れていた。半分自業自得とはいえ、僕は完全に「洗脳」にかかってしまったのである。

 この日から二日間、折茂と一緒の勤務が続いた。彼は自分がどれほど僕のことを大事に思っているかを繰り返し伝え、今までにない優しさを見せてくれた。事件当夜、塩村が折茂に助けを求めて電話をした際、「おい塩村、落ち着いて行動しろ」などと言ったことを伝え、非常時には年上だろうが呼び捨てにする自分のかっこよさをアピールした。なぜそれをかっこいいと思ってしまうのか、洗脳下にあった僕にすら意味不明であったが、大した問題にはならない。

 塩村や鳥居も、鍵を失くした僕を咎めたりすることはなかった。ヤバいを通り越した、本当にシャレにならない事件があったとき、人はむしろ優しくなるものかもしれない。

 そして二日目の勤務が明け、話の流れとその場の勢いで、僕は折茂の自宅に伺うことになった。僕が自分に憧れていると信じてやまない折茂は、僕と一つ屋根の下で一日を過ごすことこそ、立ち直りにもっとも効果がある方法だと思ったのである。


   ☆          ☆        ☆  

 折茂の家は駅からも近く、レンタルビデオ店やスーパーなども近くにあり、中々に住みやすそうな所にあった。平凡な1Kのアパートで、室内は程ほどに整頓されている。特に変哲のない、普通の男の部屋であった。

「今、飲み物を出すから、遠慮なく寛いでくれ」

「は、はい・・」

「どうした?何か気になるか?」

 緊張して室内に視線を巡らせる僕に、折茂が問う。自己顕示欲の塊である彼としては、たぶん何かを気にしてほしいところなのだろう。確かに、せっかく客人として招かれたのなら、部屋の様子に対し、何かひとつくらいはコメントすべきかもしれない。

「折茂さん、ガンダムが好きなんですか」

「ああ。ガンダムは俺のもっとも思い入れの強いアニメでな。ほぼ全シリーズを見ているよ」

 折茂の部屋には、アニメ「ガンダム」のプラモデルやフィギュアが沢山置いてあった。己が「出来る男」「大人の男」「スタイリッシュな男」であると見せることに全力を尽くす折茂に、こんな少年っぽい趣味があったことが、何か微笑ましかった。

「博行は、エヴァンゲリオンが好きなんだっけ?」

「え?いや、めちゃくちゃ好きってほどではないですが・・まあ、実はアニメはそれくらいしか見たことないんで・・・」

「そうか。エヴァンゲリオンが肌に合ってるなら、ガンダムよりもラーゼフォンの方がいいのかな。DVD借りて、一緒に見てみるか。さっそく、駅前のビデオ店に行こう。即断即決だ」

 「即断即決」とは、折茂が金科玉条としている言葉である。今回の場合は「即断即決」というより、「思い立ったら即行動」とでも言うべきだろうが、ともあれ、この後、僕は折茂と二人、「ラーゼフォン」なるDVDを鑑賞することとなる。

 あまり細かいストーリーまでは覚えていないのだが、印象的だったのは、この作品について折茂が、「主人公の境遇が、外の世界を知らないお前と被る」と語っていたことだ。何が言いたいかというと、折茂から見て僕は、よほどの世間知らず、温室育ちと見えているということである。

「今まで殻の中にいたお前を、俺が外の世界に解き放ってやる。もう、お前を縛り付けるものは何もないからな」

 それは確かに、二十そこそこで一人暮らしを始め、ヤクザまがいの会社に勤め、三百万もの借金を背負い、今はダメ人間の巣窟、人間牧場である警備会社に所属する折茂から見たら、僕は世間知らずもいいところのお坊ちゃんなのかもしれないが、たかだか四歳上にしか過ぎない人から、なんでここまで見下されければならないのだろうかとも思う。そして引っかかるのは、親が僕を「縛り付けている」という言葉である。

「今までお前は、両親によって家の中に縛り付けられ、外の世界を見ることができなかった。だが、これからは違う。お前にとって、両親よりも重い存在となった俺が、お前を外の世界に連れ出してやる」

 ついさっきまで、自分が追い詰めすぎたからこそ僕がパニックになったと考え、申し訳なさそうな態度をとっていた男が、もう自信を取り戻すどころか、以前にまして自信過剰になってしまっている。僕の両親より重いという言葉で自己の存在を大きく見せているようだが、どうしてこう、何に関しても「仮想敵」を作り、他人と張り合わないと気が済まないのだろうか。

 僕は親をそこまで尊敬しているわけではないが、自分の親を、わけのわからないアニメの設定と勝手に重ね合わせられ、縛り付けたとかなんとか、事実無根のことを言われれば、良い気はしない。この一言で、僕のテンションはまた冷めてしまった。せっかく僕を洗脳するチャンスを、折茂は自分で台無しにしてしまったのだ。

「うーん・・・いや、両親より重いというのは・・・」

「博行。お前が屋上から飛ぼうとしたとき、誰の顔が浮かんだ?誰のおかげで、お前は思いとどまることができた?」

 自分のことしか考えられない折茂には、あまりにも魂胆が見え見えだと、そんな魂胆も見抜けないと思っているのか、と、なんだかバカにされている気分になり、それに応えたくなくなってしまう人間の心理は理解できないらしい。変にまどろっこしいやり口で心を掴もうとするから、余計に僕の気
持ちは遠のいてしまうのである。

「いや・・・まあ・・・それこそ、家族の顔ですかね・・・」

「そうか。わかった」

 自分でもおかしなことを言っている自覚があったのか、折茂はこのときはあっさり引き下がった。
 この一件で少し白けはしたが、折茂に不信を抱いたというほどでもない。帰りたいなどとは思わず、むしろ、折茂の家にまだまだ居たかった。あんな事件があった後で、僕の心は疲弊しており、誰かに寄っかかっていたい気持ちは強かったのだ。

 二人きりでいることに、何の疑問も警戒心もなく折茂の家で過ごすうち、段々と夜の帳が降りてくる。DVD観賞が終わり、夜のクイズ番組の時間となった。


――関ヶ原の合戦で、西軍の総大将を務めた人物はだれか?

 歴史の問題である。これに対し、僕が答えたのは、毛利輝元。折茂が答えたのは、石田三成である。

「お前、何を言ってるんだ。関ヶ原の合戦といえば、石田三成と徳川家康の戦いだろう。そんな誰かもわからん・・・・」

 力説する折茂であったが、読み上げられた答えは、毛利輝元であった。

「関ヶ原では、石田三成は西軍のコーディネーターとして全体を調整していただけで、名目上の大将は五大老の毛利輝元だったんですよ」

「・・・・」

 折茂は口惜しそうな顔を浮かべる。人には得手不得手というものがあり、ましてや僕の歴史好きに関しては前から説明していたはずなのに、歴史のクイズで負けたことで悔しがってしまう。折茂は、僕に対しては、すべてにおいて勝っていなければ気が済まないのだ。なぜならば、僕は、外の世界を知らない赤子、だからである。

「・・・確かにお前は、うんちくはあるのかもしれない。だが、現実の仕事では、そんなものは役に立たないからな」

 折茂が悔し紛れに絞り出した負け惜しみであったが、別に仕事で折茂に勝ちたいなどと思っていない僕には、何の痛痒もなかった。

 その後、折茂と夕食をとりながら、僕たちはお互いの過去について語り合った。

「俺は中学時代からイケイケでな。親父に反発して非行に明け暮れて、いろんな人に迷惑をかけたな。毎晩暴れまくって、警察に補導されてさ。よく格技場に連れていかれて、空手の稽古をつけてもらったよ。高校では、その刑事さんに勧められるまま空手部に入って、練習に明け暮れた。それで段々、荒れた心が静まっていったんだ。あのときの刑事さんが、俺を変えてくれた大恩人だ」

 折茂の憧れの人物が、また登場した。相変わらず自分に陶酔したような口ぶりで語るのだが、曲りなりにも武道をかじったことがある人が、どうして部下の頭をクリップボードで殴ったりしてしまうのだろうか。そんなことをして、大恩ある師匠が泣くとは思わないのだろうか。

「博行は、ガキの頃から大人しかったんだろう?」

 そうでもない。僕にも中学のころ、折茂と同様に非行に手を染めており、不良グループに属していた時期があった。

 しかし、足を洗うのも早かった。経済的に貧しくはなく、常識ある両親に育てられ、無償の絆で結ばれた犬までいる家庭環境にあった僕は、住んでいる世界が違う不良たちにはついていけなかった。彼らは明確に違う世界の人間だった。

 例外もないことはないだろうが、不良やヤクザになるような人は、家庭環境に問題があるケースがほとんどだろう。家族の愛情に恵まれなかった人は、「疑似家族」を求めるのである。

 あの世界は、ただ単に親や学校への反発心や、アウトローへの憧れだけで続く世界ではないと、一時期身を染めたことがある僕は断言できる。ならば、折茂の場合はどうであろうか。

「うちは貧乏ではなかったが、親父がどうしようもないヤツでな。俺やお袋に暴力をふるったりして、いつか殺してやるって毎日思ってたよ」

 こういう事情があったのである。彼の生い立ちにも、同情すべき点はあったのだ。

「あと・・・これは俺の絶対に消えないトラウマだが・・」

 さっきの話の続きで、折茂は二十歳ごろ初めて知ったという、自らの出生の闇について語った。本当のことかもわからないし、僕も他人に晒していいことと悪いことは弁えている。いくら快く思わない人物だといっても、一線は越えてはならない。その一線を越えてしまったら、僕も殺されても文句は言えない。だから詳細は書かないこととする。

 とにかく折茂にとってそれは、自殺も考えるほどショックな出来事だった。彼の人格にもっとも陰を落としているのがおそらくこの出来事で、このとき生まれた強い自己否定を埋めるために、彼は逆に極端なナルシスト、自己愛性人格障害者になってしまったのではないか。あくまで憶測にすぎないが、彼も根っからおかしい人ではなく、悲しい運命を背負った人だったのだ。

「・・・さて、風呂の準備をするか」

 ひとしきり語り終えた折茂が、バスルームへと向かって歩き出した。

「どうする?一緒に入るか?」

「え?」

 いたって真顔で、折茂は僕と同じ湯船に浸かろうという。銭湯のような大浴場ではない、アパートの狭い浴室である。そんなところに男二人で入ろうという、その発想がまったく理解できなかった。

「い、いや・・・それは・・・」

「なんだ、恥ずかしいか?」

 恥ずかしいのではない。意味がわからないのである。

「博行・・・もっと自分に、素直になってもいいんだぞ」

 なぜ、僕が本心を隠していると思ってしまう?僕が他に何を思っているというのか?

 まったくわけがわからない。恐怖が頭を埋め尽くす。男としてノーマルに生まれた僕が、絶対に守り通さねばならぬものが犯されようとしている恐怖である。

 折茂が塩村の冗談を真に受けていることは、もはや確定的となった。いったい何故だろうと思う。折茂は確かに頑固で一本気な男だが、他の人との会話をよく聞いてみると、まったく冗談が通じないという感じではない。塩村や鳥居らとは、適切な距離を保ってコミュニケーションが取れているのである。それがどういうわけか、僕のことになると、理性を失ってしまうのだ。

 折茂は僕に、特別な執着を抱いていた。僕を自分の信者にしようと・・・自分を崇め奉り、褒め称えてくれる存在にしようとしていた。他人にとってはバカバカしい話だが、己の強烈な自己愛が満たされず、常に枯渇感に苛まれている折茂にとって、それは飯を食べることや寝ることと同じこと、「生きるため」必要不可欠な活動なのである。

 洗脳は、心身ともに弱り果てた人ほどかかりやすい。僕を「信者」とする千載一遇のチャンスに、折茂はすべてをかけていた。

「い、いや・・・やめておきますよ。男同士で風呂に入るって・・・変ですよ」

「そうか?俺は昔よく、友達と風呂に一緒に入ったりしていたが」

 世の中に人の集団は無数にあり、それぞれ常識も違う。折茂が僕を風呂に誘ったのはゲイ的な意味ではなく、僕の経験してきた友人関係と、折茂の経験してきた友人関係が違うだけか?とも考えたが、たとえそうだとしても、僕は男同士で狭い風呂になど入りたくはない。また、ワナという可能性も考えられる。

「まあいい。じゃあ、博行、先に一人で入れ」

 どうにか折茂をやり過ごし、風呂には一人で入ることができたのだが、不安の種が尽きたわけではない。まだ、夜は長いのである。

 ただちに帰ろうと考えていたわけではなかった。なにしろこのときの僕は、まだ心が弱っている。貞操を奪われる恐怖は確かにあったが、折茂に寄りかかりたい気持ちも同じくらいあった。折茂もいくらなんでもいきなり襲い掛かってきたりはしないだろうし、この段階で帰るのはあまりに失礼に思えた。

 やがて眠気に襲われ、思考能力が低下していく。僕はそろそろ寝ようかという折茂の言葉に、首を縦に振った。

 布団に入り、目を閉じたそのときだった。ふいに、折茂が自らの頬を、僕の頬に押し付けてきた。

「・・・な・・・?」

「博行、愛しているからな」

 まったく突然の出来事で、反応できない。引き剥がそうと試みるが、折茂に空手の心得があるという情報が、ここで引っかかる。力で抵抗すれば、より大きな力で抑えつけられるのではないかという恐怖を感じたのである。

「ちょ、やめて・・・」

「博行、自分に素直になれ」

 どうしても、僕がそっちの道に目覚めたと認めさせたい折茂。百歩譲って、自分がゲイに目覚めて僕を好きになったというだけならまだいいが、僕の方をゲイということに仕立てあげようとする、それが嫌で仕方なかった。

 プライドの高い折茂は、自分の方が先にゲイに目覚めたとは、間違ってもいえない。ゲイの僕が先に折茂を好きになり、それに合わせて、仕方なく自分もゲイになったという形にしようとする。

 しかし彼はなぜ、頑ななまでにゲイにこだわるのだろうか。そもそも彼の性癖はノーマルなのに、なぜ無理をしてまで、僕との関係をゲイに持っていこうとするのか。

 折茂は、僕が折茂の前に出ると、目を泳がせたり、どもったりしてしまう僕のリアクションを、折茂への苦手意識から出たものではなく、好きな人の前に出て緊張してしまっているということにしようとしている。信じられない話だが、折茂にとっては、僕がゲイということにした方が、僕が折茂を怖いと思っているよりはいいらしいのだ。

 僕の勝手な推理にすぎない。しかし、それ以外には、折茂がこのような行動に走った理由はわからない。

「いや、ほんと、やめてくださいよ・・」

「・・・暑いか?くっつかれて、暑いんだな?」

 生理的に受け付けないのだとは、どうしても認めたくないのである。

「は、はい・・」

 取りあえず、そういうことにしておいた。もう疲れていて、眠りたかった。

 翌朝ははやくに目が覚めた。折茂はまだ寝ている。やることに困り、僕はひとり、近所を散歩しに出かけた。

 心地よい朝の陽射しを浴びながら、しかし僕は憤りを覚えていた。

 ゲイなんて、冗談じゃない。僕は女性が好きなのだ。

 仮に僕が、男を愛することがあるとしよう。しかし、その相手は折茂ではないことは断言できる。彼は洞察力に優れていると自分で言っている割に、なぜか僕のことを受け身側の人間と思い込んでいるようだが、今小説などを書いているように、僕は自分が発信したい側の人間なのである。折茂の信者になり、「折茂ワールド」に染められることなど我慢できない。僕の主義、主張を一切無視して、僕に自分の考えを押し付けてくるような人は、女であっても恋愛対象にはなりえない。

 また、僕はけして自分の容姿をいいとは思っておらず、実際女にはモテないが、そのことが、不快感に拍車をかけていた。仮に僕が、道を歩けばすれ違う女すべてに振り向かれるような美男子ならば、折茂のような男に迫られたとしても、「そういうこともあるか」と思えるだろう。ぜいたく税みたいなものである。

 しかし、なぜ僕のような冴えない男が、男に迫られなければならないのか?なんで女にはまったく相手にされないのに、ゲイに迫られなくてはいけないのか?神は、僕に女は無理だから、男に走れといっているのか?

 あらゆる憤りが、マグマのように煮え立っている。僕が神に作られたのなら、神を八つ裂きにしたかった。 

 ここで帰ろうかどうか真剣に悩んだが、この日の昼になれば滞在の予定も終わるということが、決断を思いとどまらせた。あと少しなのだから、時間まで我慢した方が、角が立たずに別れられると、冷静に考え直したのである。

 折茂が起きてくると、僕たちは二人で公園へと出かけた。折茂は僕がもと、バスケットボール部に所属していたという話を聞いて、公園のゴールで1on1をして遊ぼうと提案してきたのである。

「痛っ」

 折茂のディフェンスはやたらハードで、バチバチと僕の手を叩いてくる。バスケットは、背中でゴリゴリ押し合うようなフィジカルコンタクトには寛容だが、叩く、ぶつかるなどといった類のコンタクトには、厳しくファウルをとるスポーツである。素人の折茂でもそれぐらいは知っているはずで、知らないにしても、もう少し遠慮しろよとは思う。

 しかし、敢えて指摘することはしなかった。折茂が怖いからではなく、このときは純粋に、人と一緒に身体を動かすのが楽しかったからだ。スポーツには、人の心を通わせる、不思議な力がある。

「飯を食ったら、今度はツーリングに出かけようか」

 折茂にはバイクの趣味があった。健全でいい趣味だと思う。趣味だけでなく、元二号警備員の折茂には、交通費を浮かせるという実用的な面もあった。

「おい、ちゃんと俺の腹に掴まれ。落っこちちゃうぞ」

「す、すいません・・・」

 バイクの二人乗りを自転車の二人乗りと同じように考え、後ろの荷物置きに掴まっていた僕に、折茂が注意を促した。昨夜の一件もあり、折茂の体に触れることには抵抗を覚えたが、これは変な意味はなく、純粋に、安全面に配慮してのことであると理解できた。

「どうだ、楽しいか?」

「ええ、楽しいですね」

 モータ音とともに、風を切って走っていく感覚には、僕も確かに快感を覚えた。バイクに乗っているときの折茂は本当に楽しそうである。まるで少年のようだった。変に恰好を意識したり、僕にバイクの免許を取るのを薦めてくるようなこともない。自己顕示欲の塊で、常に他人と自分を比べなくてはいられない折茂がただ一つだけ、誰に見せるためでも誰に勝つためでもない、ただ好きだからやっている、という趣味を持てたのはいいことだと思う。それはきっと彼の救いとなるだろう。

「さて、もう昼だが、どうする?」

「そうですね。予定通り、帰ります」

「ずっとうちにいたっていいんだぞ」

「いえ・・さすがに、それは・・」

「博行、もっと自分の欲求に素直になれよ」

 まるで僕が折茂の家に住み着きたいと思っているような言い方だが、本当は、折茂自身が僕と同棲したがっているのである。

 しつこさは後ろめたさの裏返し。僕に素直になれと何度もいうのは、自分自身が素直になれないからである。

 折茂が自分の気持ちを素直に言えば、まだ僕の心も動くかもしれないのに、なぜか、僕の方が折茂に気があり、折茂がそれに答えてやっている、みたいな形にしようとするから、こっちは余計にその気がなくなってしまう。相手が自分のことをどう思っているかなどこの際どうでもいいから、自分の正直な心を真正面からぶつけてくればいいではないか。それができないのは、彼は僕のことが好きなのではなく、自分自身が愛されたいだけだからだ。

「まあいい。帰るというのなら、送っていくよ」

 折茂のバイクに乗り、僕は自宅へと帰った。一人は落ち着くものである。このひとときを捨てて、他人と生活をするなど、やはり考えられない。女ならばいいが、男は無理だ。男同士で寝泊まりをするなどは、修学旅行など短期間だから楽しいのであって、好きにオナニーもできない環境で毎日を過ごしていたら、ストレスで爆発してしまう。

 余談であるが、僕が勤めたことがある別の警備会社では、寮の三人部屋で、家賃がひとり四万というふざけた搾取を行っていた。いまどきタコ部屋労働でも、こんな条件はないだろう。福利厚生の一環というより、それで儲けてやろうと思っているのである。

 こういうことについては会社が一番悪いのは間違いないが、労働者の方も、不満があるなら、待遇の改善をみんなで訴えていかねばならないと思う。なんでもかんでも言いなりになってはいけない。少しでもいい暮らしがしたいのなら、奴隷根性は捨て去らなければならない。

 折茂の家で起きたことは、これで大体話せた。彼の家の門をくぐったときには、折茂を深く信頼し、深い洗脳下にあったものが、帰ってきたときには大分抜け出していた。すべて折茂が、自分自身の行動によって招いた結果である。

 しかし、折茂から逃げ出したいと思うレベルには至っておらず、このときの僕は、これから先の伊勢佐木屋施設警備の仕事が楽しいものになるであろうと期待を抱いていた。折茂とはずっと一緒にいるわけではないのだし、我慢しよう。あと数か月は安心していられるくらい関係を改善できてよかったと、呑気に考えていた。

 僕のそんな気楽な思いをよそに、折茂の方は、ますます僕への執着を強めていた。あと数か月、波風立てずうまくやっていこうという僕の考えをよそに、僕と一生一緒にいる気でいた折茂によって、僕の安息はめちゃめちゃに壊されていくのである。


 

プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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