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犯罪者名鑑 加藤智大 2


かとーもとだい


 母親


 1982年9月28日、加藤智大は青森県で誕生しました。

 両親は地元の金融機関で知り合い、結婚。お母さんの方が3歳年上でした。

 このお母さんの教育方針はあまりにも有名ですが、早くも加藤が3歳のときから、トイレに閉じ込めるなどの仕打ちを受けていたようです。

 加藤の母親の、一般家庭ではあり得ないような厳しい叱り方は、他にも枚挙に暇がありません。



 ・加藤の母が三皿に並べたキャベツの千切りを、加藤が悪戯で一皿にまとめたところ、怒った母親が二階の窓から加藤を落とそうとした(母は本気で落とそうとしていたわけではなく、恐怖を味合わせたかっただけと主張)

 ・冬の雪が降り積もる日、玄関の外に何時間も立たされた。

 ・家から閉め出され、自宅から歩いて4キロかかる祖母の家まで歩いていった。
 
 ・作文や絵画は親の検閲がはいる(先生ウケする様に親が指示命令)。

 ・見ることが許されたテレビ番組は「ドラえもん」「まんが日本昔ばなし」
 
 ・掛け算九九の暗唱をさせられ、間違えると風呂の浴槽に顔を沈められた。

 ・泣き止まない加藤の口の中にタオルを詰め、そのうえからガムテープを張られた。

 ・※弟の証言より 『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』


 犯罪者を作り出す原因を親に求めすぎることには否定的な私から見ても、確かに酷いな、と感じるレベルで、お母さんが厳しすぎたことが加藤の人格形成に影を落としたことは容易に想像できますが、加藤本人に言わせれば、叱り方が厳しかったこと自体は、大きな問題ではないということです。

 この世で最後に頼りになるのは、やはり家族の絆です。親と骨肉の争いと呼べる激しいいがみ合いをしたとしても、月日が経てば憎しみも薄れ、和解できることもあります。加藤は実家を出て就職してから、一度実家に戻っていますが、その際の加藤とお母さんの関係は、けして悪いものではありませんでした。

 加藤のお母さんがいけなかったのは、叱り方が厳しすぎたことではなく、「息子を叱るときに、叱る原因を説明せずに、ただ単に恐怖を与えて思い知らせようとする」という癖でした。犬の躾でもそうですが、叱責というのは、「なぜ怒られているのか」をしっかりと理解させたうえでやらないと、無意味どころか逆効果になります。こういう叱り方をされた人の頭の中には、理不尽に怖い思い、嫌な思いをさせられた記憶だけが残り、大人になってもちょっとしたことでも委縮してしまったり、同じことを他人にもやるようになってしまいます。お父さんはお母さんほど厳しくはありませんでしたが、やはりお母さんと同じような癖があったようで、「怒っている原因を説明せず、いきなり行動で示す」は、加藤家全員の特徴でした。

 母親から受け継いだ、「自分が怒っている原因を説明せず、いきなり行動で示そうとする」癖こそが、事件に直結する考え方であったと、加藤本人は分析しています。加藤が秋葉原事件の直接の動機として主張する掲示板でのトラブルの場合、荒らしやなりすましに対して自分が怒っている原因を説明したところで、奴らはますます調子に乗るだけなので無駄だったかもしれませんが、加藤に母親から受け継いだ癖がなければ、秋葉原で無差別殺傷事件を起こすという極端な行動に走ることはなかったのかもしれません。

 加藤の「怒っている理由を説明しない」癖は、はやくも小学生のころから現れていました。あるとき、工作の時間に使った文具を誰が片付けるか、という、(加藤からみて)無駄な争いに時間を使っていた友人を、加藤はいきなり、有無を言わさず殴りつけたのです。またある時には、集会の際、列からはみ出した友人を、いきなりひっかいたということもありました。

 本人の中には、本人なりに怒る理由がちゃんとあるのですが、それを言葉で伝える前に、手が出てしまう。仔馬が母馬の歩き方を真似るように、お母さんの癖を、完全にコピーしてしまっているのです。

 小学校のころの担任は、加藤はキレやすいところがあり、粗暴な一面があったと記憶していたようですが、厳密にはキレやすいというより回路の問題でした。普通のパターンであれば、まず自分の気持ちを言葉として伝えた後に、どうしても解決できないときの最後の手段として手が出るところが、加藤の場合は感情が暴力に直結してしまっていたのです。

 しかし、いくら「回路の異常」があったとしても、それでも普通の人なら、倫理観なり罪悪感に遮られて、人を無差別に殺すところまでは論理の飛躍は起こらないものです。直接の動機は掲示板でのトラブルであり、加藤の独特の思考回路だったとしても、それが7人もの命を奪うところまで発展してしまったのは、「積もり積もったもの」があったというのも事実ではないかと思います。

 「母親」「掲示板」「劣等感」すべてを考慮に入れたうえで、加藤智大という男の足跡を振り返ってみたいと思います。


かと0ともだい


 秀才



 家庭で厳しい躾を受ける加藤は、学校では優秀な子で通っていました。テストはいつも100点で、スポーツも万能だったそうです。しかし、その秀才の評価すら、加藤に言わせれば、「俺の力じゃなく、母親の強制のおかげ」でした。

 加藤のお母さんは高卒ですが、加藤と同じ名門の青森高校出身で、成績もトップクラスでした。しかし、県外の国立大学を受験したところ失敗。それにより、大学受験そのものを断念してしまいました。

 せっかく成績優秀だったのなら、一年浪人して再受験してもよかったのではないかと思いますが、経済的な事情があったのか、プッツンして全部放り出してしまったのか、とにかくお母さんの夢は、息子二人に引き継がれることになりました。お母さんは加藤が小さいころから、進路を青森高校→北海道大学工学部と定め、猛勉強をさせていたのです。

 お母さんの干渉は勉強だけにとどまりません。小学校のころまでは、加藤が学校に来ていく服も全部お母さんが決め、加藤が自分で服を選ぶと、無理やり脱がせていました。中学に入って部活を選ぶときも、加藤が選んだ野球部を辞めさせ、陸上部に強制加入。近所の大工さんと親しくしていた加藤が、ある日「大工さんになりたい」と口にすると、「なんでそんなものになりたいの!」と、頭ごなしに夢を否定します。

 作文は学校に提出する前に必ずチェックを入れる「検閲」のほかに、消しゴムを使うことすら認めず、一文字間違えたら全部最初からやり直させるなどしていたそうです。ここまでくると嫌がらせの目的もあったと思いますが、実際、お母さんは、夫の帰りが毎日遅く、このころから夫婦仲がギクシャクしていたストレスを、息子たちにぶつけていた面があったことを認めています。

 少年犯罪の裏には、親の「無関心」もしくは「過干渉」があるといわれていますが、加藤の家庭では、異常なまでの過干渉があったのです。 

 お母さんは加藤に対して厳しすぎるようでしたが、お母さんなりに、家族の団欒を保つための努力もしていました。小学校6年のころまでは、毎週日曜日の夕食後、家族全員でリビングに集まってカードゲームをし、家族旅行にも頻繁に出かけていました。根っからの鬼母ではなく、感情表現の苦手な、不器用な人だったのかもしれません。

 このお母さんの努力に、自殺した加藤の弟さんは、「家族団らんがあった。兄も楽しんでいる風だった」と語っているのですが、悲しいことに、加藤本人は「嫌々参加していた。楽しんでいるフリをしていた」ということを言っています。

 加藤は小学校を卒業するころまで、おねしょが治りませんでした。お母さんはおねしょをする加藤を叱責し、赤ちゃん用のおむつを無理やり履かせたり、そのおむつをわざわざベランダに干して「晒しもの」にしたそうですが、「生理現象」なのですから、いくら怒っても仕方ありません。小学校高学年になってもおねしょをするのはストレスが一因だそうですが、やはり母親の叱りすぎは、それ自体が致命的な問題ではないといっても、加藤の心に甚大なダメージを与えていたのでしょう。
 
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完成版私小説 愛獣 4

    
             
 
 折茂とのペアを中心にシフトを組むことを申し出て以来、折茂は僕に優しくなった。以前なら怒声を浴びせられていたようなミスをしても、笑って許してくれるようになったのである。

 この時期の折茂は、本当に優しかった。食事をよく奢ってくれたり、プライベートを削って職場にやってきて、僕が以前失敗した、西館の点検巡回を一から教えてくれたこともあった。

 折茂と初めてプライベートでショッピングに出かけたのも、この頃のことである。買ったのは主に服。折茂はファッションが趣味で、営業職に就いて羽振りがよかったころは、給料の半分近くを服につぎ込んでいたようなことを言っていた。

「最近の若者は酒も飲まず、タバコもやらず、質素で堅実というが、俺には理解できないね。二十代で遊ばずに、いつ遊ぶっていうんだ。貯金が趣味なんて、寂しい人生だと思うよ」

 世代的にはゆとり世代の頭の方に当たり、貯金が趣味の一つである僕より四歳年上で、氷河期世代の末期に属する折茂だが、押し出しの強さといい、自信過剰で見栄っ張りなところといい、そのメンタルは少しさかのぼって、典型的なバブル世代のそれだったといっていい。おそらく、彼が憧れていたという人たちの影響なのだろうが、折茂の場合は、同世代への反発からか、さらにその傾向を拗らせていたようだ。

 性格はまったく違うとはいえ、若い男が二人顔を突き合わせているのだから、当然、恋愛の話にもなった。

「俺は十三で童貞を卒業して、女とは腐るほど付き合ったよ。二回ほども中絶させたこともあったな。今は彼女がいるからしないが、ナンパをすれば、九十五パーセントは成功したよ」

 九十五パーセント、この話は嘘である。ナンパは、熟練のナンパ師が、慎重に相手を選んでしても二十回に一回ゲットできればいいほうで、キャッチの経験などもない素人では、足を止めてもらうことも困難を極めるものだ。などと、偉そうに言っている僕は一度も成功したことはないのだが、世の中が折茂の話に出てくる女のように軽い女ばかりなら、僕だって苦労はしていない。そんなに言うなら、実際やって見せてくれと頼んだら、彼はどう反応したのだろうか。

「そうなんですか・・・。今の彼女とは、どういう風に知り合ったんですか?」

「逆ナンだよ。勤務中に声をかけられて、上がった後に遊びに行ったのさ」

 これも間違いなく嘘であろう。折茂は確かに、俳優の向井理とやらの顔を少し骨ばらせて精悍にしたような顔だちで、ルックスはいいほうなのだが、あの底辺丸出しの二号警備員の制服を着た男に声をかけるような物好きな女などいるはずがない。

 折茂のホラ話は、あまりにもしょうもなかった。自分でそのしょうもなさがわかっていないのか、はたまた、そんなしょうもない嘘も見抜けないほど、僕のことをバカだと思っているのか。少しテンションが下がってしまったが、この程度のことで、折茂に対して生まれつつあった好感が失われたわけではない。プライベートでショッピング、飲み会に出かけた後も、折茂とは勤務後に朝食など、よく一緒にとった。四月末期の勤務では、折茂と僕の関係は順調すぎるほどうまくいっていたのだ。

 
 四月は僕の誕生月でもあり、夜勤隊の皆からプレゼントももらった。塩村からはジッポーライター、鳥居からはメンズコロン。そして折茂からは、腕時計である。

「ありがとうございます・・!感謝します」

 現在は、ADHDらしくモノ自体はすべて失くしてしまったのだが、嬉しかった思い出は残っている。色々あったが、この件に関しては、みんなに感謝はしている。

 折茂との関係が改善されたことで、僕の職場に関する悩みはすべて解決したに思われた。とにかくこの時期は、これといったストレスもなく穏やかに過ごせたのである。

 しかし、楽しい時期があっても、けして長くは続かないのが、僕という人間の人生である。ある出来事をきっかけに、折茂と僕の蜜月は終わり、また地獄へと舞い戻ってしまうのだ。

 実に些細なことであった。鳥居と一緒の勤務のとき、日勤隊の勤務内容が話題に上ったのだが、日勤隊の勤務時間帯では、社員やテナント従業員と話をする機会が頻繁にあるため、港や立義などは酒を飲みにいく友達が増えたなどという話を聞いて、僕が「楽しそうでいいですね」と言った。ただ、それだけのことだった。

 折茂はそれで激怒したのである。

   ☆         ☆      ☆      

「お前には失望したよ。この前、夜勤隊を追い出されると不安になってたのに、やっぱり日勤隊に行きたいってどういうことだ!」

「い、いや、そんなこと言ってないですよ・・・」

「嘘をつけ!鳥居さんは、確かに、お前が日勤隊に行きたいと言っていた、と教えてくれたぞ」
「いや、日勤隊に行きたいと言ったわけじゃなくて・・。ただ単に、友達ができたのは良かったですね、と言っただけで・・・」

 必死に弁解して誤解は解けたのだが、早とちりして激怒した折茂は、五月度の勤務シフトを独断で変更しており、結局また、僕は塩村とのペアをメインで働くことになった。津島が日勤隊に行きたい(と勝手に思いこんだ)から、来月のシフトを変える、という思考回路もよくわからないのだが、たぶん「津島は俺とメインで組むのが嫌だから日勤隊に行きたいと言ったのではないか」と、被害妄想的に考えたのではないか。

 人間は暇になるとロクなことを考えないという言葉があるが、折茂ほどそれが当てはまる人間もいない。仕事が暇だからこそ、二時間も人を軟禁して説教をすることができる。暇だからこそ、疑心暗鬼、被害妄想もどんどん膨らむ。すでに決まっていた来月のシフトを、直前になって強引に変えてしまうというのも、暇だからこそできる芸当だ。

 警備員とは暇な仕事であり、警備員が暇なのはお客にとってはいいことなのだから、堂々とのんびりしていればいいのに、折茂はじっとしていられない。常に何らかのトラブルを抱えていないと気が済まないのである。自己顕示欲が異常に強い折茂にとっては、トラブルがなければ、自分の有能さを周囲にアピールするチャンスもなくなって困るからだ。

 しかし、新宿歌舞伎町の交番にでも勤めているならともかく、いちデパートでの警備業務ではそうそうトラブルなど起こるはずもない。積もった鬱憤を晴らそうと思ったら、内輪で自作自演の炎上騒ぎを起こすしかなく、警備隊で一番立場の弱い僕が、火の粉をモロに浴びているという形である。
 
 本人に確認もとらず、勝手に怒り狂ってシフトまで変えてしまう折茂は明らかにおかしい。だが、この件に関しては、折茂に僕の発言を伝えた鳥居も悪いと思っている。悪い話が人づてに伝わるにつれ、尾ひれ、葉ひれがついてどんどん大げさになっていくというケースはよくあるが、そもそも最初に僕がした話は、人に悪い印象を与える要素は一つもなかった。いったい、どれだけ人の話を捻じ曲げて伝えたのかと思ってしまう。

 鳥居に悪意はなく、本当に勘違いしただけだったのかもしれないが、この件は僕にとって重大な意味をもたらした。周りの誰も、信用できなくなったということである。後から振り返れば、誕生日プレゼントまでくれた彼らが、僕を悪意の目で見ていたわけはないことはわかるのだが、当時から常に物事を悪い方へと考える癖のあった僕は、もうこの一件で、誰にも下手なことはいえないと考えるようになってしまった。教育係の塩村にも、折茂の横暴を相談できなくなってしまったのだ。

 また折茂との関係は悪化してしまったわけだが、折茂と離れられたおかげもあり、五月度の勤務においては、特筆すべきことはなかった。何事もなかった、平穏無事というのではなく、平均して嫌だったということである。

 ここで家族の話に触れておく。当時、我が家には、雌のラブラドール・レトリバーがいた。僕が保育園に通っていたころから一緒に暮らしており、このとき年齢は十四歳。大型犬としては長寿の域である。

 散歩にエサやりと、毎日ではないが世話には参加していたから、僕にはよく懐いてくれていた。アホなガキだった僕は、学校で嫌なことがあると、よく八つ当たりして叩いたりもしていたのだが、それでも彼女は僕を信頼してくれ、帰宅したときにはいつも玄関でしっぽを振って迎えてくれたし、言うこともちゃんと聞いてくれた。

 ADHDの持ち主である僕は、小学生時代に、餌やりを怠ってハムスターを死なせてしまったことがあった。それがADHDの失敗談では、一番のトラウマである。犬は小動物とは違い、自分から意思表示をしてくれるため、ある意味では飼い易く、注意力欠陥の僕とは相性がよかったといえる。無論、しっかりした家族と一緒に飼育している、という前提はつくが。

 その犬が、この頃には老齢により、かなり体が衰えていた。後ろ足が細くなって満足に立ち上がることもできず、床ずれができて毎日痛そうにしていた。トイレは散歩のときしかできないように躾けていたのが仇となり、弛んだ括約筋で必死に我慢をしていた姿もかわいそうだった。

 書いているだけで泣けてくる。彼女は、子供のときから交友関係が長く続かず、同窓会というものに一度として呼ばれたこともない僕が、唯一友達といえる存在だった。親との関係が不和になったときも、彼女だけはずっと僕の味方でいてくれた。

 その彼女と、永遠の別れのときが近づいていた。ここまで書いてきてなんだが、寂しさはそれほどなかった。天寿を全うしての死であり、苦しんでいる姿を見ると、むしろ早く楽になってほしかった。
 この話しの中で犬のことを紹介したのは、のちに彼女のことで、職場で嫌な思いをしたからである。なにもかも折茂のせいなのだが、その件に関してはのちに紹介する。

 
   ☆          ☆         ☆      

 六月度の勤務がスタートした。この月からは、僕は折茂とメインでペアを組むこととなる。本来なら五月度から実現するはずだったのだが、折茂の早とちり、被害妄想、大激怒により、一か月延期されてのスタートである。

「おはようございます」

「・・・・」

 決意を新たに迎えた、六月の一日。僕の挨拶を、折茂は無視した。

 四月のやはり一日、二名体制初日の悪夢がデジャブする。しかし、理由がわからない。五月度の勤務では、僕が日勤隊に行きたい云々が誤解であったことが知れて以降は、僕と折茂の関係は、徐々に良くなる兆しを見せていたはずである。それが一体、なぜこうなってしまうのか。月初めは波乱から始まらなくてはいけないルールでもあるというのか。

「それでは、事務館施錠巡回に行ってきます」

「・・・・・」

 巡回の出発報告。パートナーが知らぬ間にいなくなってしまうということがないようにするため、重要な職務上のコミュニケーションであるが、折茂はこれにすら無視を貫く。

 わからない。折茂の態度の意味が、まったくわからない。特に機嫌が悪いというわけでもなく、僕以外の人とは、いつも通り明るく話しているのである。僕だけに冷たい折茂の態度。まったく意味がわからない。

「あ、あの、折茂副隊長・・。僕、何かしたんでしょうか?」

 折茂の無言のプレッシャーに押しつぶされそうになった僕は、折茂が本館の施錠巡回から戻ってきた際、意を決して、折茂の真意を尋ねてみた。

「何かした?なんでそう思うんだ?」

 この日初めて、折茂が僕の言葉にまともに応じた。

「いや、その・・・折茂さんの態度が・・・・その・・・・」

「怖いのか?」

「・・・・はい」

 この時点で、僕はもう涙をぼろぼろと流している。

「あのな。俺もお前に対してはどう接すればいいか迷ってるんだよ。完全無視でいったらいいのか、もっと優しくすればいいのか」

 結果、折茂が選んだのは、完全無視という方向だった。無視を貫くことがいいことに繋がるという発想は常人の発想を超えているが、いかにしてその境地に行きついたかについては、本人が語ることはなく、今でも謎のままである。

「今のままじゃキツイか?」

「はい・・・」

「わかった。もっと優しくするよ。怖い思いさせてすまなかったな」

 折茂はそこで笑顔を見せた。安堵した僕は、また大きな涙を流す。あの「大激怒、大説教」事件以来、僕の涙腺は完全に脆くなっていた。軽いPTSDにより、体質までもが変わってしまっていたのだ。

「博行。お前が本当に憧れているのは、俺なんだな」

「はい。そうです・・・」

 追い込んで突き落とし、限界一歩手前まで来たところで、ふっと優しさを見せる。この繰り返しにより揺さぶられた僕は、確実に折茂への洗脳度合いを深めていた。まだ本当に、折茂に憧れ、慕っていたわけではないが、「折茂劇場」に付き合うことへの抵抗はなくなっていた。レイプされ、抵抗を諦めた女性の心境といったらいいのか、「何かもう、どうでもいいや」という、諦めの境地に達していた。

「博行。これからはお前のことを、下の名前で呼ぼう」

 親族以外の人間から下の名前で呼ばれた経験は、覚えている限りない。人の名を苗字で呼ぶ傾向が強い日本においては、下の名前で呼び合うことは、強く親しみを感じさせる行為である。
「お前も、俺のことを下の名前で呼んでこいよ」

「え?いや・・・」

「なんだ?嫌なのか?なぜだ?」

 自分が他人に対して特別な思い入れを抱いた場合、相手にも自分に対し、同じレベルの感情を要求、いや強要する。そして、受け入れないと怒り出す。四か月間の付き合いで、折茂の性格をよく理解している僕は、必死に逃げ道を探す。

「いや・・・その・・・・恥ずかしいから・・・・」

「そうか。わかった。無理にとは言わない」

 案外あっさりと、折茂は僕が拒否するのを受け入れてくれた。恥ずかしいというのは本当の話だが、実際には、これまで友達を下の名前で呼んだ経験がまったくないわけではなく、下の名前で呼ぶこと自体が嫌なわけではない。ただ、折茂とはまだ、そこまで親しい仲ではないと判断しているだけの話である。

 ともあれ、これで折茂はまた、僕に優しくなった。悪化、改善、悪化、改善を繰り返す、僕と折茂の関係。飴と鞭を使い分ける折茂の揺さぶりにより、僕は折茂に洗脳されていく。
 
 一貫して優しいのならば、言うことはない。一貫して厳しいのならば、すぐに辞めてしまっていただろう。しかし、折茂は厳しい中に時折優しさを見せ、関係の改善を示唆してくるので辞めるに辞
められず、僕はずるずると居続けてしまった。

 折茂は意図して、飴と鞭を使い分け、僕を洗脳しようとしていたのだろうか。それとも、何の計算もなく、ただ感情の赴くまま怒り狂ったり、笑顔で赦したりしているのが、たまたま洗脳度を深める結果を生んでいるのだろうか。

 本人に聞いたわけではないので、はっきりとしたことはいえない。彼もまだ若かったし、百パーセント計算してやったことではなかったかもしれないが、彼が僕を「信者」にしようとしていたのは事実だから、意識の片隅にはあったかもしれない。百パーセントの計算もないが、百パーセント自然だったわけでもない。そんなところが、真実かもしれない。

 絶対に相容れることのない両者がいつまでも一緒にいたことによって生まれたのは、フィクションの世界のような逆転の友情劇などではなく、滑稽で異常な、カオスな関係であった。カオスの最果てに向かって、僕たちは突き進んでいく。

 一方、狭い保安室の外の世間では、とんでもないことが起こっていた。

 六月八日。秋葉原無差別殺傷事件が発生したのである。


 ☆         ☆       ☆


 六月八日、秋葉原無差別殺傷事件当日。この日、僕は明け番であった。初めて報道を見たときの感想はといえば、別に大したことはないというか、なんか凄いことが起きているなあ、というくらいのものだったと思う。

 しかし、それから数日が経ち、報道の中から、容疑者、加藤智大の人となりが明らかになるにつれ、この事件は他人事ではないと思うようになっていった。索漠とした孤独世界に生きていた彼の人生が、僕とあまりに似通っていたからである。

 一九八二年、青森県で生まれた加藤智大は、自動車関係の短大を卒業後、警備員、トラック運転手、自動車部品の製造派遣などの仕事を転々とした後、秋葉原の歩行者天国に二トントラックで突っ込み、ナイフで七人を殺害、二十人以上に重軽傷を負わせる事件を引き起こした。当時の報道では、小さい頃の母親の異常な躾、恋人ができないのを悩んでいたことなどが伝えられ、格差社会への恨みが、事件を引き起こす大きな動機であったとされていた。

 僕は加藤智大を自分と似ていると思いつつも、必死になって「自分はこの男とは違う」と、抵抗の意思を見せていたようにも思う。自分の人生には、まだ望みがあると思っていた。加藤智大のような結末だけは迎えないものと信じたかった。

 一方で、加藤智大が犯した行為については「やってくれた」と拍手喝采を送っていた。当時ネット上では、加藤智大を英雄視する意見が散見されたが、僕もそうした書き込みをした一人である。また、加藤智大を崇めるのと同時に、特定の被害者を貶めるような風潮もあったが、ぶっちゃけてしまうと僕もそちら側の空気の中にいた。

 加藤容疑者の気持ちがわかる。そんな書き込みに対して、「共感するなら被害者に共感しろ、バカ者」などという意見を書き込む者もいたが、僕に言わせればバカはそっちの方である。下層階級が上流階級の不幸を喜ぶのは、いつの時代も当然のことではないのか?まさか、現代社会が身分社会ではないと思っているのだろうか?

 こんな偽善的な書き込みもあった。

「被害者がお前の大事な家族、友人、恋人だったとしても、お前は加藤を支持できるのか?」

 何がおかしい、何が偽善かと思うかもしれないが、これは完全に偽善である。

 なにがおかしいかというのは、加藤智大に共感する層=大事な家族、友人、恋人がいない(少ない)者に、家族、友人、恋人が被害者になったときのことを想像させようとしていることだ。自分が家族、友人、恋人に恵まれているからといって、みんながみんなそうだと思っている。あたかも、加藤智大を支持する人々を、自分のことしか考えられないクズかのように言っておきながら、実は自分自身が、自分のことしか考えていないではないか。

 家族や友人、恋人がいない(少ない)孤独な人に、大切な人を思いやれなどというヤツは、自分が孤独な人のことを思いやっていないのである。そういう、相手の立場を考慮せず、相手の考えを一切認めようとしない姿勢は、まさしく犯罪者のものではないのか。

「遺族の前で、同じように加藤を讃えられるのか!」

 じゃあ、自分は遺族に会ったことがあるのだろうか。自分を格好よくみせるためだけに、遺族を利用しているだけではないのか。

 私小説の趣旨とは、当時の自分がどういうことを考えて生きていたかをできるだけ正確に書くことだと思うので、敢えて過激な表現も多用しているが、今現在の僕の考えを書けば、犯人を賞賛してみたり、被害者を掲示板で貶めてみたりするほどには冷静さを欠いてはいない。だが、他の人がそういう意見を述べることは自由だと思うし、それが悪いこととも思わない。犯罪を起こした人を叩く資格は一般人にもあるが、犯罪者に共感する人の人格までを叩くのは、ちょっと毒されてると思う。人には思想の自由があるのだ。

 と、ここまで、当時の僕がいかに加藤智大に共感したかを書いているが、当の加藤智大自身は、その後の裁判や手記において、事件の動機は報道されているような社会への恨みや人生への不満ではなく、掲示板に書いていたことは全部「ネタ」であり、本当の動機は、掲示板上の荒らしやなりすましに対抗するため、彼らに自分の苦痛をわからせるためだった、ということを言っている。

 確かに加藤の言う通り、事件を迅速に処理したい警察、検察、面白おかしく記事を書こうとするマスコミによって、事件の真実が歪められるということもあるのかもしれないが、かといって、僕は加藤の言い分を、百パーセント真に受けるつもりもない。

 加藤智大の手記「解」の内容はそれなりに筋が通っており、一つの完成した思考のロジックには一応なっている。ネット上で活動する者にとって、自分の掲示板を荒らされることがどれだけ不快であるかもわかる。しかし、本当にたったそれだけの動機で、人を七人も殺害するエネルギーが捻り出せるものだろうか?

 加藤は手記の中で、あまりに第三者的な目線で、事件を他人事のように振り返っているため、事件当時に彼の心の中に起こっていたはずである、マグマのように燃え盛る怒りが今一つ見えてこない。

 当初報道されていた、学歴や容姿のコンプレックスなどはまったくなかったとしており、自分の弱みは、ネタとして笑ってもらえるようなものはよく話しているのだが、読んでいるこちらの胸にも突き刺さってくるような痛切な話はほとんど語っていない。

 燃え盛る怒りも、どす黒いコンプレックスがなくても人を殺す、だから異常者なのだと決めつけるのは簡単だが、加藤の言い分を全面的に信じ、当初の報道内容をすべて切り捨ててしまうのも、僕には真実からかけ離れているように思える。加藤の手記を読んだだけでは、友人もごく普通におり、人として最低限の常識も弁えている加藤智大という「普通の男」が、何の恨みもない人を七人も殺す罪悪感をどうやって乗り越えたかの説明には、なっていないと思うのだ。

 当たり前の話だが、犯行の動機について、本人にとって不名誉になるような事実を、本人自らの口から言わなければいけない義務はない。酷いコンプレックスや、トラウマの中でも人に同情されにくい類のものなど、特にデリケートな話題になるほど口を閉ざすのは、犯罪者でない人も同じである。

 警察や検察が自分たちの都合がいいように事件のシナリオを書き換えるように、犯人も、自分が本当に触れられたくないことを隠すために、虚偽のシナリオを語るということもあるのではないか・・?

 特に秋葉原事件は、世間からの注目度が大きく、多くの人が、事件の動機に関心を寄せていた。これ以上、自分の心の中を土足で踏み荒らされるのを嫌がった加藤が、防波堤としての「結論」を出してしまった、ということは考えられないだろうか。

 掲示板上に書かれていたことは彼の本心、真実も含まれていた。だが、それをマスコミに取り上げられ、世間から自分の考えを批判され、わけのわからないオッサン、オバサンどもから説教されたり、うざいオタクどもから勝手に悲劇のヒーローに祭り上げられるのは我慢ならず、真実をぼかしたのではないか。

 真相は本人のみぞ知るとしかいえないが、僕の結論は、当初の報道、加藤の手記、どっちも本当で、どっちも嘘、といったところである。

 秋葉原事件は、当時の僕にとっても、他人事とは思えない事件であった。僕と加藤智大は似ている。それは自分で思っているだけではなく、僕の周囲の人間もまた、そう思っていた。

 僕と加藤智大を結びつけた折茂の、混沌の世界が幕を開けるのである。

 
    ☆      ☆       ☆         

 
 深夜二時前、本館巡回から帰ってきた折茂が放った衝撃の一言で、混沌の世界は幕を開けた。
「秋葉原事件が起きたとき、俺はお前がやったのかと思ったぞ」

 ふつう、人はそんなことを思っても、それを本人に直接は言わないものである。自分が犯罪者予備軍という自覚があっても、それを人から言われていい気になる人間など、一人もいないだろう。

「あの日の夜、俺は塩村さんや鳥居さんと話し合ったよ・・・。もしお前がああいう事件を起こしそうになったとき、歯止めになるのは誰か?ってことをな・・・。みんなは口々にこう言ったよ。歯止めになるのは、折茂さんだ、てな・・・」

 視線を虚空に向け、己に最高潮に酔った顔を見せつける折茂。聞いている僕の方が、空に飛んでいってしまいそうだった。

 人を犯罪者予備軍扱いするのは、自分に酔うため。折茂は、自分が歯止めになってやる、などと言うことで、僕が喜ぶと思っているようだが、とんでもない話である。僕にとっては、ただ犯罪者予備軍扱いされて、とてつもなく不愉快な思いをしただけなのだが、折茂に僕の気持ちはわからず、ただひたすら、犯罪者予備軍の津島を面倒見てやっている俺は凄い男であり、津島は俺に感謝すべきだ、と思い込んでいるのである。

「は?・・・・。そうですか」

 さすがに僕も不快さを隠せない表情を見せたのだが、それに対し、折茂は特に気にした様子はなく、そのときは意外にも、あっさり話は終わった。しかし、一日の勤務が終わったわけではない。僕の仮眠休憩が明け、朝になると、折茂はまた僕と加藤智大を結び付け、「犯罪者予備軍の津島を面倒見てやっている俺は凄い男で、津島は俺に感謝すべきだ」という理屈を僕に納得させようと、独りよがりな話をし始めたのである。

「実は昨日、職場以外の友達と飲む機会があってな。お前の話をしてみたんだよ。今、職場に、秋葉原の犯人に似ている後輩がいる、てな。それを聞いた友達はこう言ったよ。そんな奴は見捨ててしまえ、と。そんなヤツに関わっていると、お前がダメになる、と。俺は友達に言ってやったよ。俺は誰に何と言われようと、博行を見捨てない、とな」

 これを聞いて、僕は感動しなければならないのか?感動しない僕が悪いのか?そんなわけがあるか。

 折茂はどこまでも、自分のことしか考えられない人間だった。この男に、僕への思いやりなどは微塵もない。あるのは僕を利用して、自分を格好良く見せることだけである。

 僕のことを犯罪者予備軍扱いしてくるだけでは飽き足らず、「津島は犯罪者予備軍だ」と、関係ない奴にまで宣伝して回ったとはとんでもない話だが、それでも、百歩譲って、その見捨ててしまえといった友人に対し、「でも、津島にはこういういいところもあるんだぞ」と、フォローしてくれたという話しだったのなら、まだ納得できる。だが、折茂が実際にやったのは、僕の人格を全否定した上で、「津島みたいな犯罪者予備軍の面倒を見ている俺ってカッコいいだろ?」と、友人とやらの前で自己アピールをしたことだけではないか。

 おそらく折茂は、僕との関係を、昔のアメリカの、白人の主人と黒人奴隷の関係のように思っているのだろう。同じ人間としてみていないのである。そして、下等生物の僕は、僕自身もまた下等生物であることを自覚しており、人並みの自尊心などは一切ないと思っている。だから、その下等生物を人間扱いしようとしている折茂様には、無条件で感謝して当然だというとんでもない理屈になる。

「博行・・・俺はなにがあっても、お前を見捨てないからな。お前の居場所はここだ。もし、秋葉原の奴みたいにブチ切れそうになったときは、俺のところに電話をしてこいよ」

 折茂は、僕のリアクションが冷めていることにも構わず、しつこく、僕を混沌の折茂ワールドに導こうとする。何もかもが寒々しかった。

 折茂の言動、行動に、おそらく悪意は一切ないのだろう。だからこそタチが悪いのだ。相手にとっても良かれと思ってやっていることだから、自分のおかしさに気づけない。なまじ骨を折っているという自覚があるだけに、余計なお世話をされた相手が喜ばなければ、「俺がこんなにしてやってるのになんだ」と怒り出す。

 折茂という人の精神病理を専門的な言葉でいえば、「自己愛性人格障害」というものに当てはまるだろう。常に自己愛に餓え、自分のプライドは山よりも高いにも関わらず、他者のプライドは尊重できない。また他者に対して支配的で、他者を自分の色で染めなくては気が済まない。有名な犯罪者では、あのオウム真理教教祖、麻原彰晃などが、同じく自己愛性人格障害の疑いが強いと言われている。

 自分のことしか考えられない自己愛性人格障害者の折茂は、秋葉原無差別殺傷事件という、多くの命が失われた惨劇すら利用し、くだらない自己愛を満たそうとしてきたのである。

 もしかしたら、本人も自分がおかしなことを言っている自覚が少しはあったのか、そのときは僕のリアクションが薄くても、特に怒り出すことはなかったが、やはり不満はあったらしい。預かりものを、鍵を取りに来た社員に渡すのを忘れてしまったという(後でこちらから足を運んで届けにいけばいいだけのことである)細かいミスを一々取り上げ、仮眠時間を削って一時間近くもネチネチと説教されたのは、翌日のことだった。


   ☆       ☆        ☆        


 先述の一件で、僕の心はまた冷め気味になっていたのだが、六月度の勤務においては、折茂の僕への態度は概ね優しかった。何はともあれ、「津島くんの憧れの人」にはすでに選ばれたという余裕が、折茂を穏やかにしていた。

 そうして、折茂と僕の仲が好転(あくまで、表向きのことである)した機会を逃すまじと、今後その関係を永続的なものとしようと奔走し始める人がいた。‘元‘「津島くんの憧れの人」、塩村である。

 塩村は塩村なりに、僕が折茂に辛くあたられることに心を痛めていた。自分が教育係を務めたこともあり、僕のことは可愛がってくれていたし、また、かつて前任の阿川隊員が警備隊を去ってしまったときに陥った、休みが取れない状況を繰り返したくもなかったのだろう。彼は折茂が僕に辛くあたる原因が「嫉妬」にあることがわかってからは(僕は別に塩村に憧れているわけでもない。折茂が勝手にそう思い込んでいただけである)、自らは一歩引き、なるべく折茂の方に僕の気持ちを向けさせる道を選んだ。

 その、「津島くんと折茂くんをくっつける大作戦」の方法がまた独特というか、塩村らしいやり方だったのだが、これが僕にとっては、あらぬ災難を巻き起こしてしまう。

「津島は折茂に恋をしてるんだろ?」

「おい、憧れの折茂先輩だぞ!告白しちゃえよ」

 塩村は、僕が同性愛として折茂が好きだ、という設定をネタとして作り、僕と折茂を冷やかしはじめたのである。

 誰がどう見てもネタとわかる行為。普通なら適当に合わせてやり、本気では取り合わないところであるが、なんと折茂は、これを真に受けてしまうのである。

「彼女に、お前が俺を好きだという話をしたら、嫉妬していたぞ」

「俺もお前を、男と女の中間くらいに見ているぞ(意味不明である)」

 折茂はどこまでも、人を百かゼロでしか見られない男だった。好きか嫌いか、正しいか間違っているか。どっちに振れるにしても極端なのである。一度でも好もしいと思えば、「憧れの人」「生涯の目標」果ては「ケツを貸してもいい」までいくことを求めてくるし、一度でも嫌いになれば、殺す勢いで潰しにかかる。

 折茂の一本気な性格は、昔の武士やヤクザの世界ならば成功に繋がっただろう。しかし、現代の日本社会では、必ずしもいい方向に働くとは言い難い。あまりにド真剣するぎあまり、軽いジョークが理解できず、何でも真に受けてしまう。つかず離れず、ちょうどいい塩梅の距離感を維持できないのである。

「塩村さん・・ちょっとマジで、勘弁してくださいよ・・・」

 さすがにこんな事態となっては、もうシャレでは済まない。

「なーに言ってんだよ。お前が憧れの折茂先輩とくっつけるように、俺がキューピッドになってやってるんじゃねえか」

 塩村はどこまでも人がいい、性善説の信奉者だった。人を悪意のフィルターを通してみるということを知らない。だから、折茂が腹に抱える底知れぬドス黒さが見えない。もっとも、だからこそ、僕のような、折茂とは別の意味で闇の深い人間とも仲良くできる、ともいえるかもしれないが。

「博行。お前が塩村さんに茶化すのをやめろというのは、それだけ真剣に俺に恋をしているからじゃないのか?」

 まったく歪んだ解釈をしてくれるものであるが、折茂が塩村の茶化しをネタではなくマジに受け取ろうとするのは、一本気な性格以外にも、どうやらもう一つ理由がありそうだった。

「博行。お前は俺の前に立つと、首を竦めたり、喋るときどもったりするが、それは好きな人の前に立った緊張から、そんな風になってしまうんじゃないか?そうだろ?」

 僕は折茂と直に接するとき、植え付けられた恐怖から、無意識に、折茂が言うような変な挙動を取ってしまっていたのだが、どうやら折茂は、それを自分への恐怖から出たものと認めたくないがために、恋愛感情から照れている、などという解釈に逃げ込もうとしていたようなのである。

 自分で僕に恐怖を植え付けておいて勝手なものだが、折茂としては、普段怒っているからといって、僕から「怖い人」と思われたいわけではない、むしろ本人はそれを気にしているようであった。だったら折茂が僕を怒らなければすべては解決する、という話なのだが、「わかっていてもやってしまう」ということであろう。

 秋葉原事件についての一件もあわせて、この時期の僕は、また折茂に対しては嫌悪の方向に針が触れ始めていた。どう頑張っても、彼と僕の関係は安定しない。絶対にうまくいかない星の下に生まれたとしか言いようがないほど、いい関係になっていかないのである。

 塩村のネタのせいで、まったくいい迷惑をしたが、彼のことを嫌いになったわけではない。おかしいのは、どう考えても冗談なのを真に受ける折茂だ。この時期、塩村は伊勢佐木屋とはまた別の現場で警備業務を行うこともあったのだが、僕が公休のとき、そこに食事を差し入れになど行ったこともある。

 そこまでしたのは、塩村が別の現場に流出してしまうのを阻止するためだった。なんだかんだといって、頼りになるのは塩村だけなのである。鳥居はダメだ。僕を悪く見ているのではないのかもしれないが、以前、何のことはない発言を変な伝え方をされ、折茂に激怒された恨みが忘れられない。塩村がいなくなってしまったら、僕はもう伊勢佐木屋警備隊ではやっていけない。

 とっとと辞めてしまえばそんな苦労もなくなるものを、ここしかないと縋り付いてしまったあたり、僕もおかしくなっていた。折茂が言う「ここでやめたら根性なし」「どこいっても通用しない」などといった言葉に縛られていたこと・・・実際に仕事は楽で、その点は捨てがたかったこと・・・あるいは惰性。
 色々あるが、この辛い状況に、ようやく神は救いの手を差し伸べた。

 伊勢佐木屋の店舗自体が、十月で閉店することが通達されたのである

   ☆          ☆        ☆         

 報せを受けた日は、塩村との勤務であった。

「まさか、こんなことになるとは・・・意外でしたね」

「前々から噂はあったらしいけどな・・。俺らはいいけど、社員の人たちは動揺しているだろうな」

 これよりしばらく後だが、年配の社員の自殺騒ぎが起きる。正社員については、全員何らかの形で雇用は確保されていたらしいのだが、例外もあったのだろうか。会社に残れたとしても、酷い条件だったのだろうか。詳しいことはわからない。

 この決定では多くの人がダメージを受けたようだが、僕はといえば、はっきりいって嬉しかった。辛い状況でも、終わりが見えると精神的に楽になるものである。運命に感謝していた。

「あと四か月弱で、僕らも引き上げるんですか?」

「しばらくは残務整理だのがあるだろうから、営業が終了しても、それからもう一か月くらいはやるんじゃないか?でも閉店した後は、仕事はぐっと楽になるだろうな」

 泣いても笑っても、あと半年ほどで全てに終止符が打たれる。折茂と離れることができるのである。
「博行。伊勢佐木屋が閉店したとしても、俺とお前の関係は終わらないからな」

 当の折茂はそんな恐ろしいことを言っていたが、もし本当に仕事の関わりがなくなった後も付きまとわれるようなことになれば、そのときはそのときで対策を考えるまでである。状況が好転したことには変わりはない。

「博行。お前と仕事で関わるのはあと少しだが、その間に俺は、絶対にお前を一人前の存在にしてみせるからな」

 ただ一つ厄介だったのは、終わりが近づいてきたことで、折茂の中に、僕の「人生の師」などという、迷惑な自覚が強固になってしまったことであった。僕に尊敬されていると思い込んでいる折茂は、このときから僕への干渉度合を一層強めていったのだ。

「博行。お前は暗黒や暴力系の小説などが好きなようだが、そういうのは変な影響を受けるからよくないぞ。読むにしても、人前で堂々と読むな。人によってはドン引きされるぞ」

 大きなお世話、ここに極まれりである。暗黒物の小説などを受け付けないのは勝手だが、それを読んでいる人の人格まで否定するのは、そちらの方が毒されているという話であろう。人が好きで読んでいる物を批判して、「明るく楽しく前向きになる作品を見ろ!」などと押し付ける行為こそ、暗黒ではないのか?

 等身大の己の器と向き合えない折茂は、自分を「人に影響を与えられる、凄い男」などと過大評価し、僕を育てようとする。趣味のことにまで干渉する折茂は、仕事でも毎日のように、僕を怒鳴った。 彼に言わせれば、それは「愛のムチ」ということである。僕には、自分が我慢できずに怒ってるだけなのを正当化しているだけにしか聞こえなかったが、まあこれに関しては、仕方ない部分もある。 

 ADHDを抱える僕は、実に多くのミスを繰り返した。わかりやすいように机のど真ん中に貼ってあったメモを見落として、従業員に鍵を渡しそびれる。施錠忘れを探すための巡回で、自分が扉の施錠を忘れて、翌朝従業員に指摘される・・・。

 警備員の仕事は楽である。しかし、楽な故に無能な僕でも出来そうな仕事と思うのは単純であった。物の管理が多く、しかも大事な鍵を扱う警備員は、むしろ僕には向いていなかったといえるかもしれない。もっとも、ADHDが向いている仕事など、この世にはただの一つも存在しないのだが・・。

 折茂ばかりを批判しているようだが、僕も僕で、彼に仕事の面で迷惑をかけていた事実は否定できない。ただ、それでもやはり、折茂は「やりすぎ」だったと思う。

 その時期、僕が仮眠時間に寝坊してしまったときのことである。

「なに寝坊してんだ!自己管理がなってないじゃないか!」

 朝っぱらからそんなに怒るくらいなら、起こしてくれればいいだけではないか。もし寝坊したのが塩村や鳥居だったら、笑って起こして、それで終わりだったはずである。これでは、僕を怒るネタを作るために、あえて起こさなかったようなものではないか。

「別に俺が早く寝たいってわけじゃない!お前がしっかりできてないことについて怒ってるんだ!」

 取り繕えば取り繕うほど、本音はバレバレなのである。

 本当は早く寝たい。だが、だからといって起こすのは、下の者を休ませ、自分が負担を負うという折茂の美学に反する。「折茂さんに憧れている」僕の前では、なおさらそんなマネはできない。しかし確実に疲労はしてイライラするから、怒鳴るということになる。

 そして、僕は怒鳴りつけられると涙を流してしまうわけだが、折茂の方はそれをただ、僕が「子供っぽいから」としか思っていなかった。

 とんでもない話である。むしろ子供のころの僕は、泣かない方だったのだ。泣くようになったのは、折茂に二時間も狭い保安室の中に軟禁され、説教をされたことで、深刻な精神的外傷を負ってしまったからである。男一人が泣くということの重みを、まるで考えようとしない男であった。

 すべての現象を自分にとって都合のいいように解釈する折茂は、この時期僕の体重が増加していたことすら、「折茂との関係が好転したことによる幸せ太り」などと思っていたらしい。実際には、不規則な生活と折茂のせいで負ったストレスが主原因である。 

 数々のミスを犯していながら、こういう風に折茂を悪く書けるのは、ここまでの僕のミスは、全部「しょうもないこと」であったからである。ミスの重さにしては、折茂の叱責が厳しすぎるから、僕には折茂を批判する権利があった。

 しかし、僕はついにやってしまったのである。折茂に文句をいえない、絶対に言い訳できない、大変なミスを起こしてしまった。

 七月の終わり――。湿度高い夜の事務館内で、僕は生死の境を彷徨うことになる。
 

完成版私小説 愛獣 3


             

 その異様な雰囲気は、着替えのため待機室に入った、その瞬間からわかった。

「おはようございます」

「・・・・」

 射抜くような目でこちらを睨みつけただけで、折茂は僕の挨拶を無視したのである。勿論こんなことは、僕が入ってから初めてのことだ。

 聞こえなかったのだろうか?いや、だとしても、向こうから挨拶をしてくるはず。大体、この異様に張り詰めた空気、いや殺気はなんだ?

「・・・お前、今日からはもう甘やかさないからな」

 まったくわけがわからず、ただ緊張して黙っていると、着替えを終えた折茂が、僕を鋭い目で睨み付け、低い声でそう言った。甘やかさないといわれても、さっぱりわけがわからない。

「ちょっと来い」

 言われるがまま付いていくと、折茂はデスクの中から、警備日誌の束を取り出し、僕に見せてきた


「ここ、ここ、ここ!記入漏れが三点!お前、こんなもん、よく提出できたな!」

 通路にまで響き渡る大声で、折茂が僕を怒鳴りつけてきた。

「あとこれ!ハンコの押し忘れ!それと、この間の手荷物確認のとき、元保安の村田さんが、手荷物確認をちゃんとやってないって、お前のこと名指しでクレームつけてきたぞ!」

「は・・え・・・は・・」

 今まで見たこともないような折茂の剣幕に、僕はたじろぐことしかできなかった。保安室で勤務中の日勤隊の戸叶隊長、港らも、ドン引きするほどの勢いである。こんな折茂は見たことがなかったし、僕の人生の中でもこれほど激しく怒鳴られるのは、十九歳のときにやった、悪名高い佐川急便の仕分けバイト以来のことだった。

「・・・もうこんな時間か。説教は後でたっぷりしてやる。とりあえず、タバコを吸いに行くぞ」

 毎日の習慣である、業務開始前のタバコに二人で向かったのだが、手が震えて、うまくタバコに火をつけることもできない。ようやく火がついても、味はまったくわからなかった。

 そして業務が開始されたのだが、折茂の怒りのマグマは冷却されることを知らず、僕は細かいミスをしては怒鳴られ、もたもたしては怒鳴られた。狭い保安室の中は戦場さながらで、まったく生きた心地がしなかったものである。

 巡回に受付・・いつまた怒鳴られるかと、針の筵に座った気持ちになりながら、なんとか夜間の業務をこなして、仮眠休憩の時間となった。しかし、折茂には、すぐに僕を寝かせるつもりはなかった。業務開始前の宣言通り、お説教タイムが始まったのである。

「三名体制最後の日に、部長が巡察にきたとき言ってたぞ!津島は本当に大丈夫なのか?とな!」

 立場が上の人の名前を持ち出して、僕がいかにみんなから頼りなげに見えているかということを強調しようとする。昨晩、塩村に褒められて上がっていたテンションは、もう完全にゼロになっていた。

 やはり僕は、みんなから無能視されていたのか?味方は塩村だけだったのか?頭の中で不安を増殖させる僕に、折茂は、イジメによって職場を去った前任の隊員、阿川の話を出してきた。

「お前の前に勤めていた、阿川もだらしない奴でな。何度言っても直らないから、毎日のように怒鳴ってたよ。このクリップボード、へこんでいるのが気になったことはないか?これはな、俺が阿川の頭をぶん殴ったときに出来たもんだ。」

 折茂は阿川に対する暴力行為を、恥じることもなく堂々と言ってのけたのである。お前にも、同じようにやってやろうか。状況からして、そう言われているのも同然であろう。

 自分が正しいと思ったことなら、それが犯罪行為であっても平然とやってのける――そんな自分に酔っている。まさにヤクザである。

「その件があってからしばらくして、現任研修で一緒になったとき、阿川は俺にこう言ってきたんだ。心を入れ替え、やり直します、とな。俺はそれを聞いて、阿川を許したよ。これからのお前に期待すると言ってやったよ。だが、その翌日、アイツはバックレた。何があったと思う?」

「さあ・・・わかりません」

「お前と同じ、日誌の記入ミスをした阿川を、ちょうど今と同じ時間帯に、戸叶のバカがネチネチと追い詰めてな。仮眠休憩も取らせずに日誌の書き直しを命じ、朝になると、阿川には一切仕事をやらせず、通用口前で、まったく無意味な立哨警備をずっとやらせていたそうだ。阿川がやる巡回は、全部鳥居さんにやらせてな。その件があった日に、阿川はいきなりバックレたんだよ」

 自分の意志でサボるのはいい。しかし、やろうと思っている仕事をやらせてもらえないのは、精神的にダメージが大きい行為である。戸叶のやったことは、けして許されることではない。

が・・問題は、折茂にそれを責める資格があるのか?ということである。折茂は戸叶をスケープゴートに仕立てて、自分の罪は棚に上げているだけではないのか。偉そうなことを言っているが、彼のやっていることは、ただの保身ではないのか。

 結局、折茂の説教は一時間にも及んだ。シフト表に明記してある仮眠時間を、タダで奪われたのである。それが終わってようやく仮眠休憩に入ることができたのだが、身も心もヘトヘトであった。すぐにぐっすりと眠りについた。

 そして朝を迎えたのだが、驚くべきことに折茂のこの厳しい態度は、なんと、朝九時に下番するまで、十四時間延々と続けられた。

 二十歳の、まだ社会経験も未熟な若者が、畳でいえば六畳程度の狭い部屋の中、副隊長という立場の上司から、十四時間にもわたって怒鳴られ続け、プレッシャーに晒され続けたストレスは、生半可ではなかった。折茂は僕が小さなミスをしたり、モタモタするたびに、まるで大犯罪でも起こしたかのように怒鳴ってきたのだが、そんな風に頭ごなしに、恐怖で押さえつけるようなことをされれば、脳も身体も委縮して、余計に仕事ができなくなってしまうというものだ。

 今でも学校の運動部などでよく見かける光景だが、「怒る」という行為は、「悪いことをした」人には必要でも、「できない」人にするのは、まったくの逆効果ではないか。百歩譲って練習のときは緊張感を保つためにいいとしても、試合のときまで選手を怒鳴り散らすのは、委縮して思い切ったプレーができなくなるだけで、いいことは何もないだろう。仕事でも同じである。正当な理由もないのに怒鳴りまくるのは、上の者のストレス発散にしかならない行為でしかないはずだ。

 地獄のような一日が終わったが、しかし、僕はまったく解放された気がしなかった。翌日の勤務も、僕は折茂と一緒だったのである。

     ☆      ☆        ☆            

  翌日の勤務でも、折茂の怒りは続いた。この男、二日連続に渡って、このスタイルを続ける気のようである。

「何モタモタしてんだ!外商の木塚さんが来たらこの鍵を渡すって、ちゃんと教えただろ!」

「お前、なんで退館者からバッジを回収し忘れてるんだ!作り直すのが手間になるだろ!」

 かつて、教育係の先輩隊員、塩村は、警備員はサービス業であり、愛想と丁寧な応対こそが一番である、と、僕に教えてくれた。しかし、塩村より上の立場に君臨する副隊長の折茂がやっているのは、下の隊員を怒鳴り散らし、精神的肉体的に委縮させることである。

 上の立場の者から常に高圧的な態度でプレッシャーをかけられ、ストレスまみれにされて、それで「明るい笑顔の応対」など、できるものだろうか。これで折茂が、「お客さんには笑顔で接しろ!!!」などと怒鳴ってきたらギャグになったのだが、さすがにそれはなかった。

 A番が本館巡回に出ている時間帯――束の間の、安らぎの時間。折茂の豹変具合に納得がいかない僕は、なぜ自分がこれほどまでの理不尽なプレッシャーに晒されなければならなくなったのか、その理由を考えてみた。

 折茂本人が言うのは、僕に「やる気がみられない」ということである。別に間違いではないし、凡ミスが多かったのは事実だから、確かにそう思われても仕方がなかったかもしれない。だが、もし部下の気を引き締めるだけが目的ならば、仕事の前にでも、一発ビシッと言うだけでよかったはずである。二日間にも渡って怒鳴り散らし、挙句、暴力をチラつかせて脅すなどというのは明らかなやり過ぎだ。


 折茂が僕を育てるために、あえて厳しくしているという言い分は信じられない。大体、いくらヒステリーな人でも、ただ指導のためという理由だけで、二日間も人を怒鳴り続けるなどというエネルギーは中々わかないものである。折茂が僕に厳しくするのは、僕という人間が嫌いだからではないか、としか思えない。「敵」を追い詰めるためなら、人間は無限のエネルギーが湧くものだ。 

 だが、折茂が僕を嫌う理由となると、これがまた見当がつかない。確かに僕と折茂の性格は水と油ほども違うが、仕事上のコミュニケーションに限れば、何の問題もなかったはずだ。何か失礼なことを言ってしまった、という記憶もない。実際、今まではうまくいっていたのである。

 なかなか結論が出ないまま頭を悩ませていると、突然、廊下から激しい物音が聞こえた。何かと思って見に行こうとすると、受付の前を全力疾走する人影が――。

 折茂であった。修羅の形相をした折茂が、保安室の前を猛ダッシュで横切り、その勢いのまま通用口の鉄扉を開けると、外に飛び出していったのである。

 呆然としたまま保安室で待機していると、二分ほど経って、折茂が息を切らせながら戻ってきた。

「本館の屋上を巡回中、事務館の駐車場に、二人の男が侵入するのが見えた。急いで現場に行ってみたが、逃げられた後だったみたいだ」

 どうやらそれが、深夜のスーパーダッシュの理由だったらしい。報告を終えると、折茂は中断していた巡回へと戻っていった。

 一度は納得した僕であったが、トイレのために廊下に出たとき、先ほどの折茂の行動に疑問を感じるようになった。

 折茂が廊下をダッシュする際に生じた大きな音の正体は、トイレの入り口にある、バケツを蹴飛ばしたものであることがわかった。位置が大きく変わり、横向きに転がっていたからである。

 しかし、だとするとどうも変なのである。トイレは、本館巡回の際に使われる職員用エレベーターの向かい側にあるのだが、エレベーターとトイレの距離は、ざっと四メートルほどはある。エレベーターから見て右側奥にある通用口の鉄扉に最短距離で行こうと思ったなら、トイレの入り口にあるバケツをわざわざ蹴飛ばすというのは、かなり不自然な行動なのである。

 一つの仮説が浮かぶ。折茂は、自分の行為を、僕に強く印象付けるために、わざと大きな音を鳴らしたのではなかったか。 

 それは、こういうことである。折茂は、不審者を注意するために、全力疾走していち早く現場に向かおうとしている自分を恰好いいと思った。僕の価値観では、その感覚はよくわからないのだが、とにかく折茂はそう思った。そして、そんな恰好いい自分を見て欲しくて、大きな音を鳴らしてこちらに注意を向けたのではないか。

 実際に本人からそう聞いたわけではなく、あくまで、折茂のナルシストという性格を考慮しての、僕の推理である。だからまったく見当外れかもしれないが、確実にいえるのは、事務館の駐車場には、とくに高額な商品が置いてあるわけでもなく、持ち運び困難な食材類が、厳重な施錠でもって冷蔵庫に入れられているのみ――つまり、不審な人物の侵入があったとしても、そんなに大騒ぎする必要はなく、ゆっくりと落ち着いて対処すればそれでよかった、ということだけだ。

 この、折茂の「ナルシスト」という性格、そしてそういう人の思考パターンを当てはめていけば、この二日間、折茂が異常に僕に厳しかった理由も説明できる。

 ポイントとなるのは、困難が予想された二名体制での勤務は、実際には思ったより楽だった、ということである。細かいミスを繰り返しておいて言うのもなんだが、二名体制によって業務が変わったといっても、実際には、それほど大変になったという感じはなかった。

 警備という仕事はサラリーマンとは違って、物騒な事件が起きたときに備えるための仕事だから、あまり効率重視で人数を絞るというのも問題なのだが、それはさておき、何もトラブルがなければ――通常業務をこなす分には、三名が二名になったからといって、大きな支障があったということは絶対にない。断言できる。新人の僕が余裕を感じているくらいだから、自分で、自分は仕事ができるなどと豪語するほどの折茂にとっては、それこそ何でもなかったはずだ。

 大変だと予想された仕事が、思ったより楽だったとき、普通の人はそれを喜ぶだろう。だが、折茂にとっては都合が悪い。折茂は以前、四十日間連続勤務を達成したことや、国道の現場で、社内の語り草となる仕事をやってのけたことを自慢していたことがある。彼は、「困難な仕事をこなすことをカッコいいと思う」価値観の持ち主なのである。そんな男にとっては、仕事が楽では、アピールするチャンスが失われてしまうということで、逆に困りものなのである。

 そこで折茂は、その「思ったより楽だった」二名体制を、「やっぱり大変だった」ことにしようとした。本当は楽勝の仕事を、いかにも大変なことをやっているように見せかけるために、二日間も続けて僕に怒鳴り散らしてきたり、過去の暴力行為を暴露するなどといったこともして、ピリピリした態度で、保安室の雰囲気を無駄に緊張させていたのだ。

 かつてプロ野球のミスター長嶋さんは、お客に魅せるために、何でもないゴロを難しいゴロに見せる工夫をしていたというが、折茂のやっていることは、それと似ている。問題は、プロ野球ならともかく、警備が他人から大変に見られたところで何の意味もなく、一緒に働いている者にとっては大迷惑である、ということだ。

 折茂との勤務は、僕にとっては地獄でしかなかった。だが、明けない夜はない。朝を迎え、残りの勤務を歯を食いしばって堪えて、九時〇〇分、ようやく下番のときを迎えることができた。

 二名体制として初めての勤務、ただでさえ慣れない中、異常なパートナーと、異常な雰囲気の中で働き続け、身も心も疲労困憊していた。よく耐えたものだと自分を褒めたかった。 

「お疲れさん。初めての二名体制はどうだった?」

 待機室で着替えながら、折茂との会話である。勤務開始前、挨拶をしたときは返事をしてくれなかった折茂だが、一応、終わったときは労ってくれるようである。

「ええ、まあ・・・。やってやれないことはなさそうですが・・」

「そうか。この二日間、厳しくされて、お前も嫌になっただろうが、安心しろ。明日からはお前の希望通り、塩村さんとのペアを中心にシフトを組んでおいたからな」

「・・?希望、って・・?」

 僕には、折茂が何を言っているのかわからなかった。折茂に、塩村と組ませてくれ、などと頼んだ覚えは一回もない。

「お前、言ってただろ。塩村さんを目標に頑張ります、と」

 思い出した。先月までの三名体制時代、最後に折茂と一緒に仕事に入った日、彼に西館の受付業務の指導を受けたとき、彼が突然言ってきた言葉である。

――お前がこれから仕事をうまくなるためには、誰か一人、目標にする人物を決めた方がいい。その人の仕事ぶり、仕事のスタイルを徹底的に観察して真似をする。それが、上達の一番の早道だ。

――お前は誰を目標にする?お前はこの現場で、誰が一番仕事ができると思う?

 彼の問いに対し、僕は教育係の塩村の名を答えた。僕に一から仕事を教えてくれたのは彼であり、ポジションも同じ。折茂を差し置いて彼の名前を出しても、角は立たないだろうと思っていた。

 それが、違っていたのではないか。折茂はいつまでも根に持っていたのではないか。「津島くんの憧れの人物」に、己を指名してもらえなかったことを、水あめと納豆をぐじぐじとこねくり回したような執念と嫉妬心でもって根に持ち続け、僕をイジメようとしていたのではないか。

 嫉妬深さという性質に関しては、僕もそれを強く持っていると自覚している。自覚しているからこそ安全なのだ。人に迷惑をかけないように、出来得る限り嫉妬を感じる場面に直面しないよう、気を付けることができる。自分の心の闇と向かい合えていれば、少なくとも自分に対しては、自分を偽装しなくて済む。

 しかし、折茂が嫉妬深さを自覚している様子はなかった。彼が常々売りにしているのは、自分が休まず、下の者に休憩を取らせるような「漢の中の漢」ということである。本人は嫉妬とは正反対の、器の大きい、また竹を割ったようにさっぱりとした性格のつもりでいるのだ。

 自分の中の闇と向かい合うことができない人間は、自分自身に対しても、自分を偽装して生きていかなければならない。それでは余計にストレスがたまる。たまったストレスは、どこかで爆発させなければならない。たとえば、自分が嫉妬深さを感じるハメになった、その原因の人間をイジメるという行為によって・・・。

「そ、それじゃあ・・失礼します」

 思い込みであってほしかった。自分自身が嫉妬深い僕だが、自分を手に入れられないことで嫉妬する人物がいるなどは、想像したくもない。若い女性なら大歓迎だが、男では不気味でしかない


「・・・そうか。塩村さんとは一緒に帰るが、こんな怖い俺とは一緒に帰りたくないか」

 先に着替えを終え、帰ろうとした僕に、折茂が口だけで笑って言う。駅までの距離は、たかだか歩いて五分程度である。それを一緒に帰らないだけで、不満をあらわにするとは・・・女子中学生か?

「いいよ。お疲れさん」

「お疲れ様です・・」

 とにもかくにも、地獄のような二日間は終わったのである。これ以上、深くは考えないことにした。
 青い空、暖かな陽射し――。張り詰めていた心が、一気に弛緩する。二日間、家に帰ってもその気になれずに溜まっていたものを抜きに、僕は川崎へと向かった。


 ☆          ☆       ☆

 折茂は僕のシフトを、塩村とのペアを中心に組むと言ったが、さしあたって次の勤務は、僕のC番のインターンだった。土曜日と日曜日、競馬の開催日限定のポジションである。

 C番の上番時刻は二十一時半で、A、Bより三時間遅い。巡回の負担もA,Bに比べると遙かに少なく、それでいて仮眠時間はA,Bと同じ三時間あり、実働は八時間。しかも、そのうち半分以上は暇な時間で、本当に仕事をしているのは四時間程度と、まさにご褒美のようなポジションと言える。

 これで日給一万一千円が手に入るのだから、本来ならウキウキで仕事に臨むところなのだが、僕のテンションはさっぱり上がらなかった。この日のA番は、折茂だったからである。

「お・・はようございます」

「おーっす」

 手を上げて挨拶を返してくれた塩村に対し、折茂はムスッとした表情で、軽く頷いただけ。挨拶もロクに返してくれなかったのである。そして・・。

「お前、またミスしたな!前の勤務で、鍵授受簿にハンコ押し忘れただろ!何やってんだ!」

 取るに足らないミスを、さも警備隊の存続にかかわるかのような重大事件のように激しく怒るのである。

 折茂と僕の関係が悪化したことについては、塩村もすでに聞き及んでいるところらしく、0時を回って、折茂が本館巡回に出たとき、僕に心配の声をかけてくれた。

「まあ、あんまりマジに受け取るなよ。アイツなりに、お前を鍛えようとしているだけだからよ」

 果たしてそうだろうか。あの怒り方は尋常じゃないと思う。僕にはどうしても、個人的な嫌悪の現れとしか思えない。

「・・・やっぱり、怖いか?」

「・・・はい」

 塩村の問いかけに、僕は正直な気持ちを答えた。まだ、パワハラやブラック企業という言葉の認知度がそれほど高くなかった時代であるが、折茂の態度が異常であることは、どう見ても明らかだ。はっきり言って、一緒には働きたくなかった。

 この辺りではっきり書くが、僕が作品の冒頭から述べていた「魔物」とは、折茂のことである。僕は「魔物」のせいで、伊勢佐木屋警備隊の現場には既存の隊員が来ないと書いていたが、折茂や同僚たちが言っていたのは、「戸叶のせいで人が来ない」ということであった。しかし僕は、実際には、折茂がいるせいで伊勢佐木屋警備隊に行くのをためらった人も相当数いたのではないかと思っている。

 折茂が嫌いであると、はっきりと口に出していた人は誰もいなかったのだが、だからこそタチが悪いのだ。戸叶のように、みんなと悪口を言い合える人であれば少しは発散できるが、折茂の場合、なまじ周囲の評判がいいだけに、自分の中だけで抱え込まなくてはならない。余計にストレスが溜まってしまうのだ。

 怖い人がいて、嫌な思いをして――。しかし僕には、伊勢佐木屋警備隊を辞めるという考えは、この時点ではまだなかった。

 楽な仕事でいい給料を貰えたからである。長く勤めたところで給料も上がらず、将来ステップアップするためのスキルも獲得できない非正規の仕事で大事なのは、給料に対してどれだけ楽ができるか、ただそれだけだ。その点、伊勢佐木屋警備の仕事は合格であった。時給にすると千円を割ってしまうほど賃金は安いのだが、業務内容からすればお釣りが来ると感じるレベルなのである。楽して稼ぐ味を知ってしまったら、飲食や清掃など、3Kの仕事などもうできない。

 また、人間関係だって、けして崩壊しているわけではなかった。嫌なのは折茂だけで、他の同僚との関係は概ね良好なのである。前任の阿川のように、極限まで追い詰められている、というわけではない。少なくとも、塩村のように、気にしてくれている人はいる。

 それに、当時まだ世間を知らない、若干二十歳のウブな青年であった僕は、「ここで辞めたら根性なしだ。どこに行っても通用しない。頑張らなきゃ」などと、無邪気に思ってしまうような、可愛らしいところもあった。それは、苦痛の根源である折茂本人から言われていたことなのだが、「世間はこんなものだ。どこに行っても厳しい人はいるのだ。耐えて、根性をつけないとダメだ」などと、折茂の、ただの自己正当化をまともに受け止めて、見事に洗脳されてしまっていたのである。

 折茂の厳しい態度に泣き言を言うのは情けないことである」と思っていた。下の者に暴力を振るうような性格破綻者のパワハラを、決定的におかしいことであるとは感じていなかったのである。

 この時点でも十分追い詰められていたが、客観的冷静に状況をみれば、ここで辞めるのは勿体ない、まだ様子を見るべきだ、と判断できる段階ではあった。今より下はないだろう。ここからは上がっていくだけだ。などと、ポジティブに考えてしまったせいで、更なる深みへと、ズブズブと嵌ってしまったのである。

 C番のインターンについては、メインである西館の点検巡回以外は覚えることも多くはなく、朝の五時から始まる西館受付業務では折茂とも会わずに済み、気楽な時間を過ごした。ただ、唯一閉口したのは、西館隊の田丸が、業務終了後も、僕と、教官役の鳥居を捕まえ、長話に及んだことである。

「今度、そっちの日勤で入った新人の二人、俺のところに挨拶もこないじゃないか。隊長の戸叶はどういう教育をしているんだ、まったく・・」

 夜勤隊ならともかく、日勤帯は業務上西館隊との関わりもないのだが、自分のところに顔を見せないのが不満で仕方ないという。

「大体、部長の大島も・・・」

 話は次々に飛び、ほとんどすべてが、会社の人間に対する不満だったのだが、そのどれもが、死活問題でも何でもない下らないことで、今となってはまったく覚えていない。この田丸の長話、どうやら昔からよくあることらしく、慣れっこの鳥居は平然と対応していたのだが、僕にはたまったものではなかった。

「あ。津島君は、明日も勤務があるから、もう帰りな」

 鳥居が機転を利かせてくれたお蔭で、僕は十五分ほど捕まっていただけで帰れたのだが、鳥居はこの後、四十分近く解放されなかったらしい。まさしく不当な拘束である。

 日勤隊の戸叶に終了報告をし、待機室に入ってみると、折茂が着替えをしていた。保安室よりもさらに狭隘な空間で、空気が張り詰める。

「お。お疲れ様です・・・」

「塩村さんから聞いたよ。お前、俺のこと怖いんだってな」

 折茂の第一声が、僕の背筋を凍らせた。

「いや・・・」

「いいよ。別に、責めているわけじゃない。お前が怖いというなら、仕方がない。だが、俺は自分の方針を変えるつもりはない。俺を手本にしろとも言わない。だからお前は、これから俺と勤務に入るときは、テストだと思え。俺との勤務のとき、塩村さんや鳥居さんとのペアで学んだことを、発揮してみせろ。いいな」

 そう思うことで、「憧れの人」に指名されなかった自分を納得させたのだろう。僕より先に着替えを終えた折茂は、それだけを言い残して出ていった。

 ☆         ☆        ☆            

 折茂から離れ、塩村とのペアを中心にシフトに入るようになると、段々と僕も落ち着いてきた。理不尽なプレッシャーに押しつぶされることはなくなり、楽な気持ちで仕事ができるようになったのである。

「おう。二名体制には、もう慣れたか?」

「ええ。巡回も全部覚えたし、特別なことがなければ、バッチリですね」

「そうか。そりゃよかった。じゃあよ、ここらで、前から話してたように、二人で遊びに行こうぜ」

 四月後半のある日、塩村は僕を遊びに誘ってくれた。ちょうど、二人同時に三連休に入るのを利用し、泊りがけでどこかに行こうという計画である。

 当時はメガネをかけて、大人しそうな見た目をしていたことから、皆からはオタク気質と見られていた僕だが、元々は活発で、人と遊ぶのは大好きである。喜んで塩村の誘いを受けた。

「どこか、行きたい場所はあるか?」

「いや、特にここってのはないですね」
「じゃあ、特に予定は決めずにとりあえず東京に出て、適当にぶらつくか」

「ええ、それで行きましょう」

 そして、迎えた当日。僕と塩村は、はじめ秋葉原で落ち合った。それから二か月弱後、未曾有の惨劇の舞台となる地である。

 秋葉原ではフィギュアショップを適当に冷やかし、おにぎりやケバブなどを食べ歩いて、その後、アメ横を歩いて上野まで出て、いわゆるハッテン場として有名な、ホモ映画館へと入った。僕はもちろん、塩村にも特にそういう趣味があるわけではないが、塩村には人の行為をネタとして楽しむところがあり、警備隊の皆への土産話を作るために、わざわざ二人分の料金を払ってまで、僕をそんなところに連れて行ったのである。

 二百席ほどのシアターは閑散としており、観客は乳くりあうのに夢中で、映画を見ている人は誰もいなかった。同性愛の人には、女性と見紛うような美しい容姿をしている人もいるが、ここにいるのは皆小汚いオッサンばかりで、小汚いオッサン同士で乳くりあっていた。

 そして、シアターに入って五分ほどで、僕は恐怖の体験をする。突然、隣に座ってきたオッサンに、太ももを触られたのである。オッサンの息は荒く、このままでは太ももだけでは済みそうもない気配が濃厚にあった。塩村はどうしていたかといえば、後ろの方の座席から、その光景をニヤニヤ笑いながら見ていた。もとより、この展開を狙っていたのである。物好きな人なのだ。

 人に笑いネタを提供するのは嫌いではないが、そんなことで大事な貞操は失えない。僕は慌てて、映画館から逃げ出した。

「おいおい、もうギブかよ」

「当たり前ですよ。酷いじゃないですか。本当に危ない時は助けてくれるっていったでしょ」

「まだ大丈夫だって。ったく、あれじゃネタにならねえよ」

 一体どこまでが、塩村にとっての大丈夫だったのやら。まあ、この程度であればいい人生勉強であり、この件について塩村には特に恨みはない。

 夜になると、僕らは新宿方面へと向かい、洋食屋で食事をとった後、サウナで汗を流した。プールについているものではなく、サウナ自体がメインの施設に行ったのは初めてのことだったが、中々乙なものだった。

 寝る前に食堂でビールを飲みながら、僕たちは語り合う。話題はもっぱら、職場の愉快な仲間たちのことで、その中でも最も多く話題に上ったのが、折茂のことであった。

「折茂さんって、なんていうか、自己評価めちゃくちゃ高いですよね」

「お前もわかってきたか。アイツは本当に、自分大好き人間でよ、俺も時々、話合わせるのが大変なときあるんだよ」

 塩村のような「リア充」寄りの人から見ても、折茂のナルシストぶりは、やはり際立って見えるものらしい。折茂を異様だと思っているのが僕だけではないことがわかり、少し安心した。

 その晩はカプセルホテルに泊まり、翌日もまた、特に目的は決めずに東京の街を歩き回って、夕方になる前には横浜に帰ったのだが、電車の中で、塩村が携帯を見ながら、気になることを口走った。

「・・・なんか、職場でまた問題が起きたみたいだな」

「え?」

「前回、お前が西館巡回に行ったとき、最初に機械警備を解除するのを忘れてたらしくてよ。折茂がカンカンになってるんだよ」

 競馬の開催日限定の西館点検巡回では、巡回を開始する前に、まずは施設の機械警備を解除しなければならない決まりとなっている。そうしないと、警備員の巡回中に機械警備が発報してしまうからだ。本館での巡回についても同じである。ただし、本館の場合は、機械警備が発報すると、ただちに大手警備会社の機動隊が駆けつける手はずとなっているのに対し、西館では、翌朝来た施設の職員が、発報の有無をチェックするのみとなっている。

 今回、僕は巡回前に機械警備を解除し忘れただけでなく、巡回後、機械警備を再セットするのも忘れていたようであった。もし、巡回前に機械警備を解除し忘れたとしても、巡回後に再セットに訪れていれば、機械警備を誤発砲させてしまったことに自分で気づいて、ただちに機械警備を止め、人的ミスがあった旨をメモか何かで置いておくなどの対処ができ、大きな問題とはならなかったのだが、僕は両方を忘れて、機械警備の存在を完全にスルーしてしまっていた。そのため、機械警備は翌朝まで鳴りっぱなしになっていたのだ。まさにADHDの本領発揮である。

 とにかく、折茂がそのことについて激怒しているというので、僕は帰り次第、翌日の勤務で折茂に提出する反省文をしたためることになった。楽しかった遊びの日は一転し、次回の勤務に不安を感じながら、夜を迎える形となってしまったのである。

  ☆         ☆          ☆          

 かつてない憂鬱な気分を引きずりながら、僕は職場である伊勢佐木屋へと向かっていた。折茂に怒られることは、すでに確定しているのである。

 この日は、僕はC番での勤務であり、A番の折茂とB番の塩村より三時間遅れて勤務に入った。時刻は二十二時ちょうど。伊勢佐木屋社員やテナント従業員の退館は概ね完了し、大声で怒鳴るのにはうってつけの時間帯である。

「おはよう、ございます・・・」

 塩村は巡回に出ていて、保安室にはいないようである。折茂はといえば、伊勢佐木屋のテナント従業員と会話をしていた。その顔には、これから人を精神的に追い詰めようとしているとは思えない、実に朗らかな笑みが浮かんでいる。外面はいい男なのである。

 待機室に入って着替えをしていると、保安室から聞こえてくる声が消えた。折茂と話していたテナント従業員が退館したようである。カーテンを開けて保安室に行けば、いよいよ折茂の大激怒が始まるのだ。

 一歩が重い。足に鉛がついたようだった。それでも、ここを乗り越えなくては、今後、勤務を続けることはできない。どうにかこうにか僕は、デスクに座り、イライラして貧乏揺すりを繰り返す折茂の前までたどり着いた。

「反省文を出せ!!!」

 受付のガラス戸が閉められ、外に声が漏れないようになった保安室の中に、天まで轟くような大音声が響き渡る。狼に吠えられたウサギのように、僕は震えた。

 ガタガタと震えている。反省文を持つ、折茂の手も震えている。これは、僕をより怖がらせるための演出なのか?それとも、本心から湧き上がる怒り――いや、僕に対する強烈な嗜虐心を抑えきれず、手が震えているのか。

「機械警備を切るのを忘れていただと?なんで教わったことを、ちゃんとできないんだ!」

 なんでと言われても、忘れていたから忘れたのだとしか言いようがない。そんなに知りたいなら、僕の脳を分解して調べてみてくれとしかいえない。

「メモはとったのか!」

「取りました・・・」

「メモはとったのに、お前はどうしてそんなに失敗を繰り返すんだ!やる気があるのか!!」

 そして、説教好きの常で、話がすぐ、方法論から精神論にすり替わっていく。

 折茂の説教は、信じられないことに、なんと二時間近くにも及んだ。だが、正直、内容はよく覚えていない。恐ろしい、もう嫌だ、早く終わってくれ、ということだけで頭が埋め尽くされていた。

 しかし、二時間である。どんなにヒステリーな人でも、二時間もの間、怒りのエネルギーを持続するというのは簡単なことではないだろう。たかが仕事のミスだけでここまで怒れるとは考えられない。それほど、僕という人間を憎悪していたのである。だが、なぜ僕が折茂に、そこまで憎悪されないといけないのか?

「お前を教えてくれた、塩村さんに対する感謝の気持ちはないのか!!塩村さんに申し訳ないと思わないのか!」

 印象に残っているのは、この言葉である。これは果たして、折茂の本心だろうか。

 前回、二名体制変更後初勤務のときにおきた折茂大激怒事件と、今回の折茂大激怒事件には、一つの共通点がある。いずれも、僕が塩村とプライベートで遊んだ次の日に起きたということである。
 
 折茂はおそらく確実に、僕と塩村の仲がいいのを、嫉妬の眼で見ていた。しかしそれは、「自分の闇と向き合えない」折茂には、受け入れ難い事実である。折茂は自分が嫉妬という感情を抱いていないことを、自分自身に対して証明するために、僕がミスをしたのは塩村への感謝の気持ちが足りないせいだなどと、わけのわからない理屈を持ちだしてきたのではないか。

「おい!!!人の話し聞いてるのか!!!!なんとかいえ!!!!!」

 床を踏みつけながら、折茂が怒鳴り散らす。何とか言ったところで、今度はその言葉を理由にしてまた怒られるに決まっているのだから、黙っているのだが・・。

「すみません、すみません・・・」

 僕の口からかろうじて出てくるのは、謝罪の言葉だけである。

 二時間にも渡って狭い室内に軟禁され、鬼のような形相で怒声を浴びせられ続け・・・追い詰めて追い詰めて追い詰められて、あまりの恐怖とストレスに、僕の精神は、ついに限界に達してしまった。

 涙腺が決壊し、二十歳の男が人前で泣いてしまったのである。まさに、「決壊」という言葉が相応しい現象で、小学校高学年ごろから二十歳になるまで、どんなに辛いことがあっても人前で泣いたことなどない僕が、二十歳を過ぎてから、人前でよく泣くようになってしまったのだ。そうなってしまったキッカケが、この「大激怒、大説教事件」だった。

 折茂はまさに、僕の心に深々と爪痕を残したのである。

 ようやくに「拷問」が終わったとき、僕の精神は崩壊していた。折茂が巡回に出ると、僕は完全に放心状態となってしまった。

 折茂の「大激怒、大説教」中、塩村が何をしていたかといえば、彼は折茂のあまりの剣幕にたじろぎ、僕を庇うこともできず、ただ黙って事態を静観していた。一応、彼も折茂に反省文を提出していたのだが、それには、己の指導力不足を反省する旨に加えて、罰として一週間前後の謹慎を申し出る旨が書かれてあった。

 これは、単に塩村が休んでパチンコに行きたかっただけと考える。そもそも今回のミス自体、謹慎云々の騒ぎにするほど大げさなものではないし、そんなことで一週間も休まれたら、残された隊員の方が困ってしまう。今回の騒動に乗じて休みをゲットしようという魂胆に違いなく、僕は塩村のそういうチャッカリさは嫌いではない。もともと、僕のミスに関して、彼には何一つ責任などないのだから。

「今日は掃除も布団敷きも、俺がやっとくからな。お前は休んでいればいいから」

 塩村の言葉に甘えて、僕はデスクに座って休むことにした。タバコを吸う気力も起きず、ただ下を向いてぼーっとしていると、突然、巡回に出ていたはずの折茂がずかずか歩いてやってきて、僕の顔を覗き込んできた。身体がビクリと反応する。

「俺はお前を諦めないからな」

 一言だけ言い残し、折茂はまた巡回へと出ていった。折茂の持つ異常な自己愛と、僕への執着については散々書いたが、これはまあ変な意味ではなしに、僕が仕事が出来るようになるまで諦めない、という意味にとっていいだろう。

 この後は、塩村が日常の会話を振ってくれたりなどして、仮眠休憩に入る頃には、だいぶ僕の心は持ち直してきた。こういうとき、第三者の人には、変に励ましの言葉などかけられるよりも、普段通りに接してくれる方がありがたい。

 かといって、何事もなかったことになって、事件が風化してしまっても、それはそれで困る。折茂の先ほどの態度は明らかに異常であり、僕としては、ここで塩村には何とか力になってほしいところだった。

 塩村はその期待に応え、この後、僕と折茂との仲を取り持とうと色々尽力してくれるようにはなった。方法も別に、そんなに間違いではないというか、いかにも塩村らしいやり方だったのだが・・・結果はおかしな方向へと進み、新たな苦痛が始まるきっかけとなってしまう。まだ、先の話だが。

 仮眠休憩が明けると、僕は西館へと出発し、受付業務を開始した。折茂から離れ、一人で仕事が出来る喜び。何も忙しいこともなく、のんびりと過ごす中で、心は平常同様にまで落ち着き、勤務明けに向かう風俗のHPを検索し、心と身体を慰めてもらう嬢に誰を指名するかを吟味する余裕まで生まれていた。

 そこに突然、塩村がやってきた。競馬の開催日には、B番は西館の巡回がなく、朝の巡回は、八時から八時二十分までの事務館開放巡回のみとなるため、かなり余裕が生じる。その暇な時間を利用して、折茂が塩村を西館に寄越したのだろう。折茂なりに、さっきは言い過ぎたと反省して、フォローが必要だと考えたのだ。人として最低限の良心はあるといえる。

「おう、気分は落ち着いたか」

「ええ、まあ・・・」

 いつも通りの調子で声をかけると、塩村はしばし躊躇った後、何か意を決したように突然顔を引き締め、僕の方を向いた。

「津島。俺たちはお前を大事な仕事の仲間だと思っている。お前が友達が欲しいというなら、友達にもなってやる。お前の居場所はここだからな」

 いつも自然体の塩村が、珍しく、塩村が芝居がかったような言葉をかけてきたのである。

 後になってわかったのだが、これは折茂が塩村の口を通じて僕に伝えた思いである。ポイントは、「友達が欲しいなら友達になってやる」というくだりだ。

 以前にも書いたが、塩村のスタンスは、「僕と友達になりたい」である。僕と同じ目線に立ってくれて、自分の方から歩み寄ってくれる形であり、だから僕はすんなり受け入れられたのである。

 翻って、先ほどの言葉。こんな上から目線の、恩着せがましい態度は、いかにも折茂特有のものだ。こんな言われ方をされれば、プライドだけは超一流の僕は、逆に臍を曲げてしまうのである。


 自分自身はプライドの塊なのに、他人にもプライドがあるということは理解できない――。それが折茂という人だった。

 ちなみに、後になってわかったというのは、折茂本人が暴露したのである。このときは、単なる気紛れか、怖がられている自分よりも、僕がよく懐いている塩村の口から言わせた方がいいと思ったようだが、後になって、やはり「手柄」を塩村にとられるのが惜しくなったのだ。

 折茂は器が小さな人間である。器が小さいことは、男として何も恥ずべきことではない。ましてや折茂の場合、まだ二十代半ばといった若さなのだから、変に完成されている方がおかしい。ようは、自分の器が小さいことを理解し、虚勢や見栄をはらずに生きていけばいいのである。

 折茂はそれが出来なかった。自分の小さな器を、必死で大きく見せようとしていた。

 折茂は僕に、自分を常に賞賛していること、「信者」となることを求めてきた。本当に自分に自信がある人なら、いちいち他人からの評価を気にしたりしない。実は自分に自信がないから、ハッキリとした言葉で、己の凄さを証明してくれる人を欲していたのである。

 あまりにバカバカしい話だが、当時の僕はまだ初々しい青年であり、なんとこの「脚本折茂、役者塩村」の言葉に対し、感動の涙を流してしまうような純粋さを持っていた。本当に嬉しかったのである。それは先ほど精神崩壊まで追い詰められたことからの、反動にすぎないものであったことに、当時の僕は気づいていなかった。

 アメとムチの使い分け。折茂が、僕を自分の信者にする計画が、着々と進行していくのである。

  ☆        ☆       ☆        

 伝説の「大激怒・大説教特大二時間SP」事件以後も、折茂の厳しい態度は変わらず続いた。「大激怒、大説教特大二時間SP」事件の直後は、気休めのフォローを入れた折茂だったが、それが過ぎると、また理不尽なプレッシャーを僕に与え始めたのである。

 雨降って地固まる、とはならなかった。嵐のあとには暖かな陽気が降り注ぐと信じていた僕の期待は、まさに一夜にして裏切られた形となった。

 同時に目立つようになってきたのが、折茂と、日勤隊、港との急接近であった。

 夜勤隊と日勤隊は、十九時~二十時の立哨、受付、手荷物検査の時間帯は協力して勤務にあたっており、また両隊員とも、現場に到着する上番時刻は勤務開始の三十分前と決まっているため、意外に絡む時間は多いといえる。

 その時間に、折茂と港が話している光景をよく見かけるようになったのだ。

「港さ~ん、何ですかその恰好~。これからキャバ巡りですか~?」

「ははは、まあ、週末ですからね」
「とかいいつつ、今週の頭にも遊んでたみたいじゃないですか。これから俺、港さんのこと夜の帝王って呼んじゃいますからね」

 折茂は僕といるときには見せたことのない笑顔で、港と楽しそうに話すのである。ただ仲良くしているだけというのなら僕には関係ない話であって、どうでもいい。誰にでも愛想がよく(それが行き過ぎて、八方美人と思えるところもあるが)、爽やかなお兄さんキャラの港には、僕も好感を抱いている。僕が気になったのは、折茂が港に、夜勤隊の業務と決まっていた、駐車場対応を教えていたことである。

 駐車場の入出庫対応――。伊勢佐木屋の営業時間は、朝の十時から十九時と決まっているが、客用駐車場は、二十四時間稼働している。ゲートの開閉、料金の精算は磁気読み取り式の入場券によって行われているのだが、機械が古いせいか、これがよく反応しないことがあった。その場合は手動によりゲートを操作することで対応するのだが、日中に駐車場対応に当たっている嘱託の社員はいつも定時で退勤してしまうため、夜間は伊勢佐木屋警備隊がこの業務を引き継ぐことになる。

 完全に警備とはかけ離れた、いわゆる付帯業務なのだが、南洋警備保障の前任の警備会社が伊勢佐木屋の警備に当たっていた頃からの風習のため、我が伊勢佐木屋警備隊も、これをやらざるをえなくなっていた。

 僕も二名体制になったころから、先輩隊員がやるのを見て覚えながら、この業務をやるようになったのだが、どうも上手くできない。巡回や鍵の受け渡しなど、ある程度やる時間が決まっており、十分に心の準備ができる仕事ならどうにかなるのだが、こうした、日によってあったりなかったりの仕事になると、突発的な事態への対応力に乏しい僕の脳は極度に慌ててしまい、覚えたはずのこともできなくなってしまうのである。

「何度も教えてるだろ!たるんでるんじゃないのか!」

 失敗して折茂に怒鳴られるわけだが、そもそもこれは警備業務とは関係ない仕事であり、出来なかったからといって厳しく叱責されるのは納得できない。しかし、何度も繰り返し雷を落とされれば、若かった僕は段々と負い目を感じ、自分を責め始めてしまう。そんなときに、折茂が港にこの駐車場対応を教えている場面を見てしまったのである。どうにもたまらなくなり、ある日ついに、塩村に相談するに至った。

「折茂さんは、ひょっとして僕を夜勤隊から追い出そうとしているんでしょうか・・・」

 そして、港を新しく夜勤隊に入れようと考えているのではないか、と思ったのである。折茂に人事の権限はないから、正確にいえば、会社ぐるみで僕を追い出す準備を進めているのではないか、と勘繰ったわけである。

 そんな回りくどいことをするくらいなら、直接言って来いよと思う。無能の烙印を押されることは悔しいが、こっちだって、プライドを傷つけられて、それでも頭を下げてまで働くつもりはない。それでなくても、これ以上折茂と一緒にいるのは限界とは思っていたから、辞めろと言われれば辞める準備はできていたのである。このままネチネチと嫌がらせを続けられるくらいなら、こっちから辞めるといってやるか。しょうがないかな、と、諦めかけていた。そんなときだった。

「お前とは、腹を割って話をしなければいけないと思っている」

 塩村に相談をしてから、しばらくが経ったある日の勤務――。仮眠休憩から明けたとき、デスクで難しい顔をしていた折茂が、真剣な面持ちでそう言ってきた。

「塩村さんから聞いたぞ。俺が駐車場対応のやり方を港さんに教えていたのを気にしてるんだろ?」

 僕が席に着くと、折茂が穏やかな調子で話を切り出した。

「お前に言ってなかった俺が悪かったが・・。駐車場対応は、夜勤と日勤、両方できるようにするって決まりに変わったんだよ。だから、俺が港さんに教えていたのは、お前が心配するような意味じゃないんだ」

 真実を知った僕は安堵する。これでひとまず、警備隊を追われる不安はなくなったわけである


「それよりも・・・そういう光景を見たとき、お前が俺に追い出されるのかと心配してしまうというのが、俺はショックだった。俺がそれほどお前に信頼されていなかったというのを、初めて知った」

「あ、いえ・・・」

「いいよ、お前を責めてるんじゃない。悪いのは俺だ」

 皮肉で言っている感じはしなかった。純粋に、今までの行き過ぎた指導を反省しているふうである。

「俺はお前を貴重な戦力だと思ってるし、大事な仲間だと思っている。前の阿川が抜けてみんな休みも取れなくなったとき、お前が来てくれて随分助かったしな・・。だから、俺からお前を追い出すなんてことはしない。逆に、もし俺がいることでお前がやりにくいなら、そのときは俺が辞める」

 まっすぐ僕の目を見据えて、折茂がそう言い切った。「一度吐いた言葉は飲まない」と日頃公言する折茂が、ここまで言い切ったのである。

 すべての不安が取り除かれたわけではない。だが、これで僕の心にも、折茂に対する信頼の気持ちが生まれた。色々と厄介な相手であるには違いないが、僕のことを悪意をもって見ているというわけではないと思えるようにはなった。

 翌日の勤務のことである。ペアを組んでいた塩村が、唐突に、来月・・五月度のシフトの話を切り出してきた。

「津島。お前の、来月のシフトのことだが・・・。来月は自分から、折茂とメインでペアを組ませてくださいとお願いしたらいいんじゃないか」

「え?」

「せっかく、折茂とのわだかまりが解けたんだろ?このタイミングで自分から歩み寄っていけば、今後ずっとうまくやっていけると思うぜ」

「そ、そうですね・・そうします」

 そして実際に、次回折茂と組んだときの勤務で、折茂に件の旨を申し出てみると・・。

「そうか。お前が本当は誰に憧れていたのか、ようやく素直に言う気になったんだな」

「え?え?」

 断じて、そんなつもりで言ったわけではない。なぜにそんな話にすり替わるのか、まったくわけがわからなかった。

「お前は、実は最初から俺に憧れていた。ずっと俺だけを見ていた。でも、本当のことを言うのは恥ずかしかった。だから塩村さんに憧れているといって誤魔化していた。だけど、この前の俺の言葉を聞いて、ようやく素直に自分の気持ちを打ち明けようと思ったんだろ?」 

 すべては、折茂の策略通りであった。「腹を割って話をする」などと切り出してきたときから、折茂の作戦は始まっていた。今までイジメていた僕に、突然優しい言葉をかけてきた狙いは、折茂が塩村から、「津島くんの憧れの人」の座を奪い取ることにあったのである。

 運動部の体罰教師がよく使う手法だが、普段異常なまでに厳しくされ、理不尽なプレッシャーをかけられ続けていると、ちょっと優しくされただけで、その人を神様のように思い、感謝してしまうことがある。反対に、いつも穏やかな人が急に怒り出すと、いつも怒っている人よりも怖く感じることもあるが、ようするにギャップの効果である。

 ギャップなどと言ってしまうと大したことではないようだが、折茂(体罰教師)のやっていることは悪質だ。人の幸福のハードルを理不尽に下げたうえで、ちょっと優しくして感謝させる・・などというやり方は、人を心服させたとは言わない。それは洗脳というのである。手間もいらない、コストもいらない。何一つ魅力もない人間が、もっとも手っ取り早く「カリスマ」になれる手法がこれである。

 自己愛に枯渇する折茂は、身も心も己に心酔し、己を崇めてくれる「信者」を求めていた。あの二名体制への変更時、折茂が、「職場の中で憧れの人はだれか?」などと僕に尋ねてきた時点から、折茂はずっと、僕を「信者」にしようと狙っていたのである。この時点では、まだ僕も自分の考えを突拍子もないものだと思っていたが、これ以後の折茂の言動、行動を考えると、彼の目的はそれであったとしか考えられない。

 怒鳴り散らし、プレッシャーをかけ続けて・・・限界一歩手前まで来たところで、ちょっと優しくする。この揺さぶりの繰り返しで、僕を「洗脳」しようとする折茂。まだ若く無垢であった二十歳当時の僕は、段々に、折茂の術中に嵌っていってしまう。 

犯罪者名鑑 山地悠紀夫 8


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 大阪美人姉妹殺人事件


 2005年11月17日午前2時半ごろ、勤務していた飲食店での仕事を終えて帰宅した明日香さんがドアを開けた瞬間、山地は背後から突然、襲いかかりました。ナイフで胸を突き刺し、痛みと恐怖で動けなくなっている明日香さんのズボンと下着を脱がせ、強姦したのです。

 その僅か10分後には、妹の千妃路さんが帰宅。お姉さん同様に、ナイフで胸を突き刺し、お姉さんのすぐ側で、同じように強姦しました。

 その後、山地は、ふつうに行為を終えた男がそうするように、ベランダでゆっくりと、タバコを燻らせていました。行動の異常性に慄然とするのもありますが、純粋に、このときの彼がどういう気持ちだった、吸ったタバコの味はどうだったのかという興味もあります。

 タバコをゆっくりと灰にした山地は、虫の息だった姉妹の胸を、再び突き刺して、完全に息の根を止めました。「山地はどうしてそこでやめてくれなかったのか、たとえ後遺症が残ったとしても、一生介護が必要だったとしても、命だけは助けてほしかった」という、姉妹のお母さんのコメントが涙を誘います。

 姉妹を殺害した後、山地は室内に放火し、現金5000円や小銭入れ、貯金箱などを奪った上で逃走しました。姉妹は出火により通報を受けた消防によって発見されましたが、搬送された病院で死亡が確認されました。

 すぐに捜査が開始されましたが、山地は事件から一か月も経たないうちに、あっさりと逮捕されました。なんと事件現場のすぐ近くの公園や神社で、ずっと野宿をしていたということです。凶器となったナイフも、神社の倉庫に隠しただけでした。最初から逃げるつもりなどなかったのです。

 逮捕された瞬間、山地が放った一言は「完全黙秘します」でした。

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  真里


 明日香さん、千妃路さんの父である和男さんは、事件について「娘がストーカーに殺害されたのならまだ納得できた」と語っていました。

 ストーカーというと偏執狂による犯罪のように言われますが、それは一方的な見方というものです。どっちが悪いかといえばストーカーが悪いのでしょうが、被害者の方にもまったく落ち度がないケースはむしろ稀で、ストーカーの被害に遭うような人は、大抵「言わなくてもいい余計な一言」を言っています。相手の想いを断るだけではなく「踏みにじって」いるケースがほとんどです。

 本題はストーカーではないのでこれくらいにしますが、ご自身が子供のころから、悪いことをすれば親や教師から鉄拳制裁を加えられ、人の「筋道」について厳しく教えられてきたという和男さんは、娘にも何か落ち度があったとしたならば、山地を許す気にはなれないにしても、少しは納得できたが、まったくの無差別に殺害されたというのではどうにも遣り切れない、と仰っているということです。

 和男さんの言っていることはまったく正しいと思いますが、微妙なのは、この事件が純粋な無差別殺人事件だったとは限らない、というところです。山地と姉妹の間には面識はありませんし、姉妹に落ち度はまったくないという点も確かなのですが、この事件は「怨恨による殺人」の可能性があるのです。

 山地を扱った書籍やHPの中には、本人の供述から、山地の第二の殺人を、「山地は母親を殺したときの快楽が忘れられなかったから」とし、山地を異常快楽殺人者のように書いているものもあります。確かに大阪美人姉妹殺人事件の手口は、実母殺害事件同様とびきり残虐なものであり、山地に残虐行為を楽しむ性向がまったくなかったとは言いませんが、山地には酒鬼薔薇のような動物虐待の過去はなく、性的サディズムを証明する根拠は、それこそ本人の供述以外にはありません。

 快楽殺人以外で、とびきり残虐な手口で人を殺す動機は、「怨恨」以外にはありえません。しかし、山地と姉妹には面識がありません。

 これまた本人の供述を鵜呑みにして、「山地はゴト師グループのボスに頭にきて、あてつけのために犯行に及んだ」などと書いてあるものもありますが、これは正しくないでしょう。恨みというものは上書きされるものであり、田岡は山地が深く関わった最後の人物ではありましたが、彼が山地の生涯でもっとも恨むべき人物であったかと言われれば、私はそうではない気がします。

 田岡は山地が出て行った後、まだ自分のアジトの近くをうろついているのを知ったとき、「頭を冷やしたら、すぐ戻ってくるだろう」と思っていたといいます。田岡はガサツな男ではあったようですが、身寄りのない山地を引き取って、息子のように面倒を見てくれた男であり、山地にもそれは伝わっていたはずです。

 そもそも山地が社会に出て苦労するようになったのは自分の起こした犯罪のせいであり、露頭に迷った原因を田岡に責任転嫁するほど浅はかな思考回路はなかったはずです。「引導を渡された」とは思っていたかもしれませんが、「恨み」まで行っていたかといえば違うでしょう。

 秋葉原事件などでもいえますが、犯罪の動機において、本人の供述が100パーセントの真実であると思うのは、あまりに単純に過ぎると、私は思います。山地が姉妹を殺害したのは動かせない事実であり、どう足掻いたところで極刑は免れません。「ドラえもんが助けてくれると思った」などと語って心神喪失でも装うというのであればともかく、このうえわざわざ、自分にとって不都合になる真実を語る必要はありません。

 では、山地が姉妹を殺害した本当の動機は何なのか?山地はなぜ、真の動機を隠そうとしたのでしょうか?

 こういうケースで男が口を閉ざす理由といえば、「女」が関わっているときではないでしょうか。男と女の力関係がイーブンあるいは逆転するに至った時代に育った最近の子ならわかりませんが、私(1987年生)以前の世代の男なら、多かれ少なかれ、「男が女のことでメソメソするのは恥」といったような感覚を持っているはずです。「惚れた女が忘れられなくて事件を起こした」なんて本当のことを言うよりも、「異常快楽殺人者」として怖れられて死んだほうが、一等箔がつく、と山地が思ったとしても、不思議ではないように思います。

 山地には、少年時代に、焦がれて焦がれて焦がれぬいた女性がいました。彼女と肉体関係を持てたことは、山地の人生で唯一といっていい成功体験であり、彼女の存在は、暗い地を這うような山地の人生で、たった一つの光でした。

 彼女は、山地の実母殺害事件の後、当時交際していたガソリンスタンド店員とは別の男性と結婚し、家庭を築いていました。姉妹殺害事件後、彼女――真里は、取材に訪れた記者に対し、激しい嫌悪感を露わにしました。

「姉妹殺害事件にわたしがなんの関係があるんですか!前の事件(実母殺害事件)では私も傷ついているんだ!」

 平穏をかき乱された真里にも、同情すべき点はあります。しかし、実母殺害事件からは6年もの月日が経ち、真里は29歳になっていました。誰も彼女を責めているわけでもないのに、彼女がこれほど取り乱す必要はあったのでしょうか。

 一貫して山地を拒絶し、迷惑だと吐き捨てる彼女の冷たい言葉が、どこかで、誰かを通じて、山地に届いていた可能性はないでしょうか。

 山地は少年院出所後も、実母殺害事件当時の真里の携帯番号を、ずっと電話帳に登録していました。もう、とっくに使われなくなっている電話番号を・・・・。

  姉妹殺害事件の前、山地はマンションの配電盤をいじくって、姉妹の部屋の電気を止めるいたずらをしていました。姉妹をおびき出したという意見もありますが、私にはなにか、山地が姉妹の気を引きたくて、子供じみたいたずらをしていたようにも思えます。

 法廷において、山地は逮捕時の言葉通り、事件の核心に触れる質問のほとんどに黙秘を貫きましたが、質問が真里に及んだときの「黙秘します!!!!」は、他に比べてずっと力が入っていたそうです。

 真里との一夜から六年あまりの月日が経った当時も、山地は真里のことを強烈に、狂おしいほどに想っていたのではないでしょうか。

 愛情は、それが強ければ強いほど、裏切られ、踏みにじられたときの憎しみも強くなります。山地は自分の人生が詰んだときは、真里を殺して刑務所に入る、あるいは死刑になることを、ずっと前から決めていたのではないでしょうか。

 しかし山地は、大好きで大好きで仕方がなく、憎くて憎くて仕方がない真里の居場所を知りません。ゴト師の田岡のところを飛び出したときの所持金は三万円程度しかなく、山地はごく限られた時間の中で、ごく限られた行動範囲の中から、「真里」を探し出さねばいけませんでした。

 山地は姉妹、とくにお姉さんの明日香さんに、真里の姿を重ね合わせていたのではないでしょうか。山地は取り調べにおいて、若い女性検事を相手に、レイプをしたときの状況を嬉々として語っていたといいますが、真里への憎しみは、少なからず真里の年頃の女性全体への憎しみになっていたのかもしれません。

 本当に嫌な言い方になってしまって恐縮なのですが、姉妹は山地に、真里の「代わり」として殺害された可能性があるということです。山地の生涯を長年追い続けたジャーナリストは、「事件のことを調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、この結論に行きつかざるをえなかった」と語っていますが、私もまったく同感です。

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 その後

  山地は逮捕時の言葉通り、裁判や取り調べにおいて、頑ななまでの黙秘を貫きました。特に、事件の動機に関する部分においては完全に口を閉ざし、何を聞かれても「わかりません」「「黙秘します」の一言で最後まで通しました。
 
 お父さんの和男さんは、裁判の傍聴に向かう前、必ず、姉妹の骨を食べていたといいます。お隣の国には、血は母より、骨は父より受け継ぐ、という有名な歌がありますが、娘の体の一部を直接体内に取り込むことで、娘の悲しみや怒りを自らの心と同化させていたのでしょう。

 山地の死刑を嘆願する署名には、2万通以上もの署名が集まりました。実母を殺害したときの署名の数が約5千通でしたから、山地の更生を望んだ4倍もの数の人が、山地の死を望んだということになります。悲しい結末ですが、それが山地が犯した罪の重さです。

 無残にも殺害された姉妹の家には、その後、姉妹が生前親しくしていた友人が頻繁に訪ねてくるようになりました。友人たちは、お母さんと一緒に料理を作ったり、布団を持ち込んで泊まっていったりと、上原家で自分の家のようにくつろぎ、ときには千妃路さんの友達が喧嘩をはじめ、お兄さんに怒られるなどということもあったそうです。

 これを知ったとき、私は友人たちの温かさに心打たれるより、痛々しさを感じてしまいました。殺人は遺族だけでなく、遺族の友人たちにも深い傷を残すのです。

 死刑確定から2年後の2009年7月28日、山地の死刑は執行されました。享年25。


 総括:山地の生い立ちには同情すべきところがありました。あの環境で、発達障害の疑いまで抱えながら、友人も作り、恋もして、山地はむしろ前向きに、立派に生きようとしていたと思います。

 日本の矯正教育は、異常なまでに「反省」を重視するという特徴がある反面、世間の前科者への風当たりは強く、受刑者の社会復帰の支援が十分に出来ているとは言い難いところがあります。このままでは、当局の社会復帰支援の不備を覆い隠すために、受刑者に過剰なまでに「反省」を押し付けているようなものです。

 この事件も私が何度も述べていることと同じ結論になってしまいますが、いたずらに厳罰化を推し進めることではなく、貧困の連鎖を断ち切ることと、不幸な生い立ちを背負った人がもう一度夢を見られる社会づくりこそが、犯罪を減らす唯一の手段であると私は思います。

 犯罪者名鑑 山地悠紀夫 完

 完成版私小説 愛獣 2

  
    
           
 
 この時期の僕が一番の楽しみとしていたのが、風俗通いである。

 これより一年ほど前、映画の専門学校に通っていた十九歳のころ、二歳年下の女の子と初体験は済ませていたが、その女の子とはすぐに連絡が取れなくなり、その後何人かの女性に交際を申し込んだものの断られ、専門学校を辞めたことで、女性との出会いの場も失ってしまった。初体験の子とは、インターネットの出会い系サイトを介しての出会いであり、今後はそれ一本でいくつもりでいたのだが、どうもその最初の女の子との出会いで、僕の出会い系運は使い果たしてしまったようで、その後は何百通と女にメールを送ろうが、交際はおろか、一夜限りの関係にまで発展することもなかった。

 出会い系サイトなど利用するのはブスで性格も悪い女ばかりというのは偏見で、実際にはリアルでいくらでも出会いを求められるような女性も利用している(最初に会えた子はそうだった)が、確かに出会い系にいる女をザックリと、ごく大雑把に、当たりと外れで分けたら、まあ外れが多いのは厳然たる事実であろう。そして、出会い系というのはどこでも男女比率は圧倒的に男の方が多く、少数の女に多数の男からのメールが殺到する形になる。

 すると、リアルでさっぱりモテず、歪んだコンプレックスを膨らませて生きてきたブス女が、急にモテモテの美女になったかのような錯覚を起こすらしい。

 僕の顔は、全体的にゴツゴツと骨ばった輪郭をしているのだが、ある女に、「じゃがいも小僧」などと罵られたことがあった。本来同じ立場にある非モテ男性を罵ることで、自分がモテ女の仲間入りを果たした気になり、歪んだプライドを満たしているのだ。

 また、メールやプロフィール欄などで、「イケメン以外お断り!年収~未満お断り!」などと、勘違いも甚だしいことを平気で書いてみたりするバカもいた。本当に高収入の男と出会う気があるのならば、自分も金をかけて、会員制のクラブなどに加入するべきである。自分は金をケチって無料出会い系などを利用しておきながら、男に高スペックを求めるなど、甘ったれているにも程があるのである。

 不快な思いをしながらも、切実な性欲を満たすためには我慢して利用せざるを得なかったのだが、前述の二歳年下の女の子以降で出会ったのは、ウルトラマン怪獣のガラモンに空気を注入して膨らませたような、とんでもないバケモノのようなおばさんだけであった。 女性の容姿に頓着しない僕でもウッと唸りそうになったのだが、せっかく来てくれたのだから話だけでもしてみようとファミレスに入ると、そのガラモンババアは、こともあろうに僕の話の途中に居眠りをこき始めた。シミ、ソバカス、イボだらけの汚い顔を見せつけられ、話の途中で居眠りまでこかれて、食事代だけはしっかり僕に払わせたのである。そんな経験をしてしまったことで、懲りない性格の僕もすっかりバカらしくなり、出会い系の利用はそれきりやめてしまった。それでこの時期は、もっぱらプロ相手に発散していたのである。

 風俗は遊びは楽しい――が、虚しい。いや、お金に余裕があり、素人の女と幾らでもセックスができる男が、本当の遊びのつもりで行くならいいと思うのだが、当時の僕のように、素人の女にまったく相手にされないモテない貧乏な男が、他の遊びを我慢し、切り詰めて切り詰めて溜めた虎の子の金を握りしめて、切実な性欲を満たすために行くのは、あまりに虚しい。

 いくらプロのテクを持っているとはいえ、一発ヌクのに一万円近い金を落とすことでしか、僕は女の温もりを得ることができないのに対し、イケメンの奴らは、タダで三発も四発も好きなだけヤリまくることができる・・・。たった数ミリ、目鼻口の大きさ、形が違うだけで、なぜこれほどまでに人生が違うのかと、不条理な思いで頭をかきむしってしまう。若い男なら誰もが一度は感じることだろうが、僕は特にそれが強かった。

 通う風俗店は、料金帯は六十分あたり一万三千円~一万八千円の、いわゆる格安店を選んでいた。挿入をそこまで重視しない僕の場合は、ソープよりも質のいい嬢に巡り合えるヘルスの方をよく利用していた。直前まで通っていた映画の専門学校で、ふくよかなタイプの女に振られたこともあって、指名するのはほとんど、アンコ型の体型をした嬢であった。執念深い性格を持つ僕は、振られた女のことを、いつまでも根に持つのである。

 ADHDの持ち主は、物事へのこだわりが非常に強い特徴を持っている。それ自体は、けして悪いことではない。歴史上の有名人、織田信長や坂本龍馬、トーマス・エジソンなどはADHDであったと言われているが、どんな困難が立ちはだかっても、何が何でも物事を達成するという執念がいい方向に向かえば、社会にとって有意義な偉業を成し遂げたりもするのだ。

 しかし、その執着癖がこと人間関係に向かうと、往々にしてよくない結果を生む。織田信長も、盟友浅井長政に離反された以後、長政との友好回復に拘るあまり、姉川の合戦で破った長政をすぐに追撃せず、本拠の小谷城にみすみす逃げ込ませるという重大な軍事的ミスを犯してしまったこともあった。そして現代社会においては、ストーカー犯罪で逮捕された人の多くに、ADHDやアスペルガーなどの発達障害がある傾向が報告されている。

 女にまつわる嫉妬心と、異常につよい執着心。それこそが、直前まで通っていた専門学校を辞めることになった理由であった。退学の理由を、友人や担当講師、親には、「映画への情熱がなくなった」などと語っていたのだが、本当は、同じ学内にいた女生徒に失恋し、その女生徒が他の男とくっついてしまうのではないか、という「嫉妬妄想」に耐えきれず、その空間から逃げ出したかった、というのが真実だった。

 周囲の人になぜウソをついたかといえば、本当のことをいえば、そんな理由で親が払ってくれた多額の学費を無駄にしたのか、などと責められるに違いないからである。誰が何と言おうと、僕は、一人の女に執着するあまり、食事もとれなくなり、二か月で十キロも痩せこけるほどの強烈なストレスに苛まれていた。それほどの強い嫉妬心と執着心を感じたこともない人間に、偉そうに説教などされたくはないのである。

 僕も、あれが大学だったら辞めなかったかもしれないが、僕が通っていたのは卒業するだけでも意味がある大学ではなく、金さえ払えばだれでもいける専門学校であった。自らの持つ強烈な業、嫉妬心に焼き殺されるくらいなら、辞めたほうがマシだった。

 恋愛――。嫉妬心の強い僕の、最大の急所がこれであった。女、セックス――そうしたキーワードが、僕をもっとも蝕むのである。

 その点では、伊勢佐木屋警備の職場は楽であった。そもそも、好きになろうにも、職場の仲間内には女がいない。それは同時に、希望もないということなのだが、どうせ手に入らない希望なら、無い方がいいともいえる。女がいなければ、セクハラなどといった問題も起こらない。仕事のうえでは、女がいない環境の方がまったく快適であった。

 嫉妬心と執着心――僕を長年苦しめ続けてきた感情であるが、この施設警備員時代に出会った男――「魔物」も、それを強烈に有していた。この後の展開は、「魔物」との対決を経て、僕が「魔物」を超える強烈な自我を身に着けていく過程の物語である。


     ☆       ☆      ☆     

 五日間のインターンが終了し、いよいよ僕が、一人でシフトに組み込まれる日がやってきた。

「おう、おはよう。今日はよろしくな」

 この日の相勤は、隊長の戸叶と、副隊長の折茂である。

「俺と隊長は、事務館は把握してないから、巡回のフォローはできないけど、大丈夫か?」
「え、ええ・・多分、大丈夫です」

「本当なら、今日は事務館を把握してる、塩村さんか鳥居さんをBに入れるべきだったんだけどな・・ったく何にも考えてないんだ、あの隊長は」

 戸叶がトイレに行っている間、折茂がそう言って苦い顔をする。同じことを、インターン中に塩村も言っていた。どうも、隊の中での戸叶の評判は悪く、皆が彼には、能力的人格的に、隊長には不適格であるとの評価を下しているようだった。

 また、戸叶は伊勢佐木屋に配属されてから、ひとつ大きなスキャンダルを起こしていた。伊勢佐木屋の社員である三十代の女性とくっついて、妊娠させてしまったのだ。配属後、わずか四か月での出来事だという。

 交際すること自体は、男女のことだから自由だが、妊娠させたのはまずかった。いい年をした男女が避妊もせず行為に及び、できちゃった婚してしまったというのは、イメージ的によろしくない。一般の隊員ならまだしも、隊長という立場でそんな軽率なことをしてしまったことで、戸叶は南洋警備保障のインテリヤクザ部長から、大目玉を食ったという。

 他の隊員は、皆そのエピソードについて批判的だったが、僕には微笑ましかった。第一印象からは冷徹だと思っていた戸叶の、人間らしい一面が見えたからである。実際、話してみると、戸叶はけして不愛想ではなく、子供っぽい冗談が好きで、意外に茶目っ気のある人だった。

「おお、おはよう。昨日は裏の、愛$でヌイてきた?」

 愛$とは、伊勢佐木屋の事務館の裏にある、ソープランドのことである。

「いや、さすがに職場の目の前の店には行かないですよ。僕はいつも川崎に行ってます」
「堀之内か?」

「いや~、南町ですね。あっちの方が、格安店が充実してますから。高級な店にも行ってみたいですけどね」

 塩村の口を通じて、僕の風俗通いは皆に知れていたのだが、メガネをかけて坊ちゃん坊ちゃんした風貌の僕が風俗通いが好きということが、戸叶にはツボに入ったらしく、よくそれで僕をからかってきた。ネタにされて茶化されるのは、新人にはむしろ喜ばしいことである。少し恥ずかしかったが、風俗ネタを振られれば、積極的に応えていた。

 反対に、風俗ネタに対し、妙に真剣なリアクションをするのが、副隊長の折茂だった。

「先輩のオゴリで行ったことはあるけど、自分で金払ったことはないな・・。あんなとこ行って、何が楽しいのか。お前も風俗に行くくらいなら、彼女を作れよ」

 マリーアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」に通ずる暴言を、折茂は大真面目な顔で言うのである。どうもこの人とは、価値観が合わないようだ。

 折茂は生真面目で、潔癖な人であった。そして、自分が人から生真面目で潔癖な人間に見られることに、命を懸けているような人であった。自然にそう見えるのではなく、まさに「見せている」というのが相応しい、芝居がかった感じなのである。

「津島。塩村さんから、お前は友達がいないと聞いた。もしお前に友達がいないのなら、俺たちが友達になってやるからな。ここがお前の居場所だ。辛いことがあったら、何でも言って来いよ」

 こういう、安っぽい学園ドラマに出てくるセリフのような発言も、折茂にかかれば息を吐くように出てくるのである。

 これが本当に学園もののドラマなどなら、涙を流して折茂の胸に飛び込むところなのだろうが、あいにく僕は、学園ドラマの主人公のようには、素直な青年ではない。大体、女ならともかく、同性の友達は、「欲しいか欲しくないかといったら、欲しい」というくらいのもので、そこまで切迫したものではない。だから、友達に「なってやる」などと、恩を売りつけるような言い方をされると、「いや、頼んでないから・・」と、逆に反発心が芽生えてしまう。

 塩村は、そうではなかった。塩村が言ってくれたのは、「友達になろうぜ」ということである。魅力があるお前と友達になりたい、ということをいってくれている。

 折茂は違う。折茂の場合は、「魅力のないお前と友達になってやる」というスタンスである。これでは、プライドが高い僕の心は動かず、逆に意固地になってしまうのである。

 周囲からの評判はやたら悪いが、僕にはそれほど悪い人とは思えない、隊長の戸叶。
 周囲からの評判は良いが、どうも僕とは合わない、副隊長の折茂。

 人柄の良さが滲み出る、きさくな教育係の塩村。

 可もなく不可もなく、隊の中ではもっとも無難な存在である鳥居。

 それが本勤務開始時点での、先輩隊員たちの印象だった。
 
   ☆     ☆        ☆                 

 初めて一人でシフトに入るということで、不安はあったが、どうにか巡回も一人で回れ、無事に勤務をこなすことができた。そして何回か数をこなすと、段々と仕事にも慣れてくる。ひと月あまり勤務したころには、微かに自信めいたものも芽生え始めていた。

 しかし、そんな折、せっかくのやる気に水を差すような、ある決定が告げられる。

「来月から、伊勢佐木屋の勤務シフトが、二名体制になるから」

 現在、三名体制で入っている勤務シフトを、二人に削減するのだという。さらにいえば、隊員をさらに三名補充して、全八名の隊員を、日勤隊と夜勤隊に分けるということである。

「勤務数自体は、大幅に減ったり、増えたりはしないはずだから。そんなに不安にならなくてもいいよ」

 そうは言うが、今まで三ポジションでこなしてきた業務を、これからは二つのポジションで賄うというのだから、一日のタイムスケジュールは大きく変わってくるはずである。慣れてきたとはいっても、それは巡回やバッジの貸し出しなど、日々決まりきった業務をこなすことについてのみで、マニュアルにない突発的な事態には、僕はまだ対応できない。手探りの部分も多い状況で、また新たな仕事を覚えなくてはならないのか。

 何より、負担は明らかに増大するはずである。現在もそうだが、僕は少しくらいの金よりは、できるだけ楽をできることと、たくさんの休憩時間が確保できることの方が大事、という考えである。給料を据え置いたまま、負担だけを増やされるなどは、もっとも嫌うところだ。十五時間拘束ながら、実働はその半分程度、三時間の仮眠もあるという、ぬるい仕事だから気に入っていたというのに、その勤務体系が変わってしまうというのはショックであった。

「津島は夜勤希望か。俺もだ。一緒に頑張っていこうな」

「日勤隊に、いきなり回されたりとかはしないですよね・・・?」

「それはねえよ。夜勤って条件で入ってきた者を、たった二か月かそこらで強制的に日勤に回したら大問題だ。給料だって違うんだしな。大体、五日間のインターン代を払って、二か月程度しかシフトに入れないんじゃ、会社も元が取れないしな」

 塩村のその言葉で、取りあえずは安心した。日勤の業務内容はわからないが、夜勤に含まれる深夜手当がなくなるのだから、今より賃金が少なくなるのは間違いない。現状、夜勤の業務内容にはそれなりに満足しているのだから、勤務時間から何から、まったく別の仕事に移されるのはごめんである。

 日勤の業務は、それまで伊勢佐木屋の嘱託社員が任されていた、昼間の保安業務を引き継ぐことになるという。夜間の警備業務から館内の巡回がなくなるだけで、受付対応では、やることは一緒だ。嘱託社員の爺さんらは元伊勢佐木屋の正社員であるが、外部の警備会社に任せるよりはコストがかかる上、爺さんらは現在の伊勢佐木屋の正社員から見れば先輩にあたるから、大して仕事もしないくせに、無駄に態度だけはでかい。そんな役立たずの年寄をこのタイミングで切り捨てて、安い金で頑張って仕事をしてくれる、南洋警備保障の隊員を使おう、というのが、今回の伊勢佐木屋総務部の決定だった。夜勤隊の人数まで減らしてしまおうというのは、いわばそのどさくさに紛れた形である。

「じゃあ、日勤には誰が?」

「隊長で決まりだろうな。本人は夜勤に残りたがっていたけど、俺たちが説得したんだ。戸叶さん、あんた結婚して子供も生まれるんだから、日勤の方がいいだろう、てな」

 もっともな話であり、確かにそうなるのが妥当と思われた。どうやら、日勤隊に移される心配は、しなくてもよさそうである。

 隊長の戸叶が日勤隊に移るということは、事実上、夜勤隊の隊長は、折茂になるということか。僕としては、誰が隊長をやっても構わない。自分が楽をできればそれでいいのだが、折茂は変なことを聞いてきた。

「津島。お前は、俺と戸叶隊長、どっちの下についていきたい?」

「え?いや、どっちでもいいですけど・・・」

「それは、日勤隊に移りたいということか?」

「いや、そうじゃなくて・・・。じゃあ、折茂さんでいいです」

「じゃあ、てなんだ、じゃあ、て」

 そして不機嫌な顔をするのである。

 夜勤隊に残る、日勤隊に移るを、仕事で選ぶのではなく、リーダーで選べという。確かにそれも重要な要素には違いないが、僕はまだ伊勢佐木屋警備隊に入ってひと月弱であり、仲間たちの人となりを十分に把握しているわけではない。戸叶はやたら評判が悪いが、僕自身は、別に彼にイジメられたわけでもなく、戸叶にそれほど悪い印象は抱いていない。折茂は反対に、やたら評判がいいが、僕自身は、彼から特別に目をかけられているわけでもなく、性格的には、どちらかというと苦手である。だから、別にどちらに思い入れがあるわけでもないのだが、折茂は二人の優劣の評価を、僕に下させたがるのである。

「お前、ひと月も仕事をしていればわかるだろう。俺と戸叶隊長、どちらが仕事ができるか」

「え?はあ・・」

「俺と戸叶隊長、どっちが仕事が出来ると思うんだ?」

「え・・・あ・・・」

 隊長クラスとはいえ、毎日決まりきったことをやるだけの警備員の仕事に、出来る出来ないもないだろう、と思う。ドングリが背比べをするようなものではないか・・・と答えたいところだが、多分、この人にそれを言ってはいけないのだろう。

「折茂さん、です・・」

「そうか。俺についてきたいか」

 満足げな笑みを浮かべながら、折茂が頷く。

 なんだろう、この人は。自分大好き人間、いわゆるナルシストなのだろうが、あまり自分という存在が好きではない僕からすれば、警備員という底辺労働者でありながら、妙に自分に自信を持っているこの人の存在は異様に映った。向こうからもそう見えているのかもしれないが。

 何かこの時点で、実は隊長の戸叶の方がまともな人物かとも思えたのだが、後日、その印象を覆す出来事が。朝の受付業務を一人で行っていた際、従業員に渡すカギの在処がわからず、やむを得ず、仮眠中の戸叶を起こしたときのことである。

「お前!!この間教えただろうが!!忘れてんじゃねえよ!!」

 激昂され、人前で怒鳴られたのである。

 確かに、眠っているところをいきなり起こされたら誰だっていい気はしないだろうが、相手はまだ仕事がわからない新人である。この大人げない態度については、折茂や塩村、鳥居に話したところ、みんなが批判的な意見を述べて、僕を慰めてくれた。

 折茂と戸叶。伊勢佐木屋の隊長クラスは、二人ともに、どうもひと癖ある人物だった。 

   ☆        ☆       ☆    
 
 三名体制から二名体制への移行に伴い、増殖する不安。それに、さらに追い打ちをかける出来事が起こる。三月の下旬――隊長の戸叶がA、副隊長の折茂がB、僕がC担当での勤務のときだった。

 〇時三十分。AとBは本館の点検巡回へと出発し、Cは保安室での待機となるこの時間帯。いつもは本を読んで過ごしていた僕だったが、その日は、ちょうど持ってきていた本を読み終えてしまい、時間を潰す手段をなくしていた。そこで、デスクの中に保管されている、書類関係に目を通してみることにした。

 取り出したのは、伊勢佐木屋警備隊の申し送り簿である。その日に発生した事案を、後日にシフトに入る隊員に伝達するための書類で、業務開始前には毎回これに目を通すように言われているのだが、これまで僕は前日の記述を見るばかりで、まだ自分が入る前の、過去の記述を見ていなかった。この機会にそれを見て、伊勢佐木屋警備隊の歴史を把握しておこうと考えたのである。

 記述されている連絡事項は、僕が入る半年前、前任の警備会社から引き継ぎを受けたばかりの初めのうちは、どんな小さなことでも取りあえず書いておこうというスタンスだったのか、毎日のように問題事項が記載されていたが、やがて月日が経って彼らが仕事に慣れてくると、一日おき、二日おき・・・と、段々と頻度が減っていた。

 代わりに増えてきたのが、一人の隊員に関する、ごく個人的な記述である。
 
――― ○月×日 本日、阿川警備士が、勤務終了後に伊勢佐木屋総務部に提出する書類を落とし、強風によって一部を紛失させる事案が発生。口頭による注意を行う。阿川以外はこのようなミスを犯すことはないと思われるが、何事も馬鹿に合わせていれば間違いはないということで、以後、書類はゴムで束ねて運ぶことを徹底するように。  戸叶。

 ――― ○月×日 本日、阿川がまた機械警備を誤発砲させました。阿川による同じミスは、もうこれで三度目です。自分はもう阿川を見捨てるので、戸叶隊長以下皆さんで育ててください。 折茂。
 
 僕の前任のC番隊員、阿川を狙い撃ちした、辛辣な意見。隊長、副隊長の二人にここまで言わせるとは、阿川という人は、よほど仕事ができない人だったのだろうが、この文章は、業務上の申し送りの範疇を越えている、陰湿な臭いがする。阿川という人がいかに無能でも、個人に対するこんな厳しい注意を、普通は文書という形では残さないのではないか。また、その内容も、阿川氏の発奮を促すようなものではなく、彼の人格を否定し、追い詰めているだけにしか見えない。

 戸叶と折茂。二人の隊長クラスは、厳しい、というより、少しおかしいのではないか。申し送り簿を元あった引き出しの中に戻した後、僕は頬杖をつきながら、頭の中で漠然とした不安を増殖させていた。

「おい」

 ハッとして声の方を向くと、いつの間にか巡回から帰ってきていた戸叶と折茂が立っていた。

「お前、寝てただろ」

 戸叶と折茂が、僕にするどい視線を向ける。

「い、いや・・寝てないですよ。頬杖ついてただけですよ」

「・・・・そうか」

 机に伏せていたならともかく、あの微妙なポーズで、そこまで決めつけるものか?ひとまず疑惑は晴れたようだが、釈然としない気分だった。

 そして、仮眠中のこと。その日は公休の翌日で、十分休養がとれていたということもあり、僕はなかなか寝つけず、一時間がたってもまだ、布団の中で携帯をいじくっていた。

 すると、閉鎖されたシャッターの脇の鉄扉が開く音がして、戸叶と折茂が誰かを迎える挨拶をしたのが聞こえてきた。誰か、南洋警備保障の内勤が訪問してきたようである。

 隊員が仮眠休憩をとる待機室と保安室との間にはカーテンが敷かれており、普通のトーンで話していれば会話はシャットアウトされてしまうのだが、先ほど、居眠りを疑われた一件もあり、もしかしたら自分のことを話しているのかもしれないと思った僕は、カーテンを少しだけあけて、保安室での会話に耳をそばだてた。

「・・・津島はどうだ?」

 声の主は、南洋警備保障の、野中管制長である。どうやら、定期の巡察に訪れているようだ。

 その問いに対する戸叶と折茂の答えは聞こえなかったが、しばらくして、折茂のこんな言葉が聞こえた。

「・・・我々も、阿川の件で学びました」

 阿川・・・かつて、僕が入社する以前、連絡もなしに会社を去ってしまった隊員の名である。

 申し送り簿の内容から、阿川がバックレてしまったのは、ズバリ戸叶や折茂、もしかしたら塩村と鳥居も加わっていたかもしれない、行き過ぎた指導が理由と見て間違いない。そして、パワハラがあったとすれば完全な自業自得だが、阿川のいなくなった伊勢佐木屋警備隊は、風邪を引いて熱を出しても休むことができない状況に追い込まれた。

 その一件から、彼らが学んだことが何かというのを推理すれば、すなわち、「無能な隊員がいても、厳しく追い詰めすぎない」ということに他なるまい。その無能な隊員とは、新人隊員の僕のこと以外には考えられない。

 自分が無能なのはわかっている。今まで、アルバイトや学校行事の準備などあるたび、作業効率の悪さや、不注意から来るミスの多さは散々指摘されてきた。

 しかし、今回もそんなに仕事ができていないか?とは思う。確かにやらかしはないではなかったが、それはまだ新人だからという理由で言い訳ができる程度のものであり、少なくとも誤魔化しは十分にできていると思っていた。だが、それは自分で思っているだけで、本当はやはり、誰の目にも明らかな無能を露呈していたのだろうか。

 野中管制長はそこで帰っていき、それから会話は聞こえなくなった。やがて僕も眠りについた。

 自分の評価の、本当のところがわからない。そして、戸叶と折茂、二人の先輩隊員に見え隠れする嗜虐性。不安な状況の中、二名体制移行後の新シフトでの、僕のB番インターンが始まろうとしていた。

    ☆        ☆        ☆         

 夜勤隊二名体制移行を一週間後に控え、先輩隊員たちが調整した、新シフトでの役割分担が明らかになった。

 大ざっぱにいえば、旧B番が担っていた業務を、旧Aと旧Cにそれぞれ振り分けるという形である。これにより、新A番は本館に専念し、新B番は、事務館に加え、競馬のエクセルがある西館の巡回及び受付業務を担うことになった。各隊員のポジションは、折茂がA専門、塩村、鳥居がAとBの兼務、そして僕が、B専門という形である。

 ただし、競馬の開催日である土日だけは、特別に三名体制になるという、変則的な形となった。
 競馬の開催日には、朝の五時から西館のエクセルで職員の入館があり、伊勢佐木屋警備隊が受付業務を行わなければならない。しかし、始発で出たところで、朝の五時にはどうやっても間に合わないから、勤務に入るのは翌朝にしても、前日から職場に身体は置いていなければならない。

 前日の待機時間中も、ただぼーっとしているだけでは能がないから、本来BとAが担うべき業務を、Cにも少し振り分ける。朝五時になれば、Cは西館に向かい、西館の日勤の隊員が来る朝の十時まで、受付業務を行う、という塩梅である。この新C番は、全員が担うことが決まった。ちなみに、これは朗報だが、AとBは今までより仮眠休憩の時間が三十分少なくなる代わりに、拘束時間が一時間短くなり、朝の九時に下番を迎えられることとなった。自宅で休む時間に余裕ができたのである。

 旧B番を経験していた塩村と鳥居に関しては、本館巡回でAのコースを教えるだけで済むため、特にインターンは組まれなかった。例えば、日勤隊に移る戸叶と、夜勤隊に残る折茂、塩村(鳥居)の三人で勤務した場合、本来戸叶が行くべき本館点検巡回を、その日旧Cを担当している塩村(鳥居)が周り、そのときに折茂が塩村(鳥居)にAのコースを教える、など、いくらでもやりようがあるからである。

 しかし、西館の巡回が真っ新な僕に関しては、特別にインターンを組む必要性があった。西館の点検巡回、及び五時からの受け付け業務は土日にしか機会がないためである。一方、平日にも、西館の施錠及び開放巡回、及び朝八時からの受け付け業務はあるため、これは普段の勤務の中でも行われることとなった。

 西館の場合、受付業務といっても、カギの受け渡し以外には特にすることもない。その受け渡しも、何十分に一度というくらいのペースであるため、本館の受付に輪をかけて暇である。この時間に、僕は指導を受けながら、先輩隊員たちと色々な話をした。主な話題は、それぞれの過去の経歴である。

 まず、副隊長の折茂。彼は高校卒業後、地元の水産加工会社に勤めていたが、給料の低さに不満を抱き、教材の営業職に転職。そこでは営業成績トップを走り、二十歳で主任を任され、一時期は月収五十万円を超える稼ぎがあったのだという。

 しかし、仕事で下手を打った彼は、責任をとらされ、三百万円の債務を背負わされて会社を解雇された。この辺、詳しくは聞かなかったのだが、もし、それが本当に会社の正当な業務内で出した損害なら彼に返済の義務はないはずだ。ブラックを超えて、なにかヤクザチックな臭いがする話である。折茂は多くは語らなかったが、あるいは、何か弱みでも握られていたのだろうか。とにかく、折茂はその債務を、今も黙って返済し続けているという。 

 世の中の決まりよりも、人と人、あるいは人と組織との絆、約束を順守する――折茂はそういう、一本気な人であった。そういう気質は、例えば、ヤクザの世界なら高く評価されるのかもしれないが、カタギの世界では、必ずしも大事なものではない。下手をすれば、会社に不当な搾取を許すことになってしまう。ブラック企業は間違いなく悪いが、労働者の方も、安易に洗脳されないように、社会的な常識を身に着け、理論武装をしなければならない。

「その後、二十一歳で南洋警備保障に入ったんだが、そこで今の俺の師匠の、野中管制長と、中崎管制官に出会ってな。あの人たちに憧れて、俺は仕事を一生懸命頑張ったよ。日勤夜勤、連続で四十勤務とかもやったな。現場からも頼りにされてさ。二つ、三つも常駐を掛け持ちしてたから、休む暇なんてちっともなかったよ」

 折茂は誇らしげに語るが、僕には彼の得意満面の意味が、よくわからなかった。

 四十日も連続で勤務をしたなら、それは身体も大変だったろうが、家にもロクに帰れず、自分の時間などまったく取れなかっただろう。つまり四十日間連続で勤務している間、彼には何の進歩もなかったということである。

 非正規のアルバイトでは、職業能力の向上は望めない。これは常識といっていい。非正規のアルバイトを頑張ることは、努力とはいわない。努力とは似て非なる苦労というべきものである。

 折茂がやっていることを、例えば「ドラクエ」でいうなら、一番最初の街の周りをウロウロして、スライムを何千匹も狩っているようなものだろう。折茂が膨大な時間をかけて、世界で一番弱いモンスターを倒すという誰でもできることを延々とやって、スズメの涙のようなお金と経験値をシコシコと稼いでいる間、同じ世代の正社員の若者は着実に人生のステージを進め、ボスモンスターを倒すような難関にチャレンジし、折茂の一生分も二生分ものお金と経験値を稼いでいる。それが現実ではないか。

 このご時世である。社会のレールからドロップアウトし、底辺の非正規労働者になってしまうこと自体を恥じる必要はないだろう。それは自己責任ではない。努力が足りないわけでも、我慢が足りないわけでもない。自分を卑下する必要はない。

 正社員で働いている人間が、折茂より偉いわけでもなんでもない。ただ、理不尽だろうが、格差があるのは現実である。大事なのは、自分の現在位置を冷静に見つめ、奈落の底からどうやって這い上がるかを考えることだろう。若い折茂には、チャンスは幾らでもある。

 警備の道を究めたいというのなら、それもいいだろう。警備会社の社長には、末端の隊員から管制官となり、それから経営幹部と着々とステップを上って、そのまま叩き上げで経営者にまでなったという人もいる。僕は初め、折茂もそのつもりなのだろうと思っていたが、彼によれば、警備会社で出世を目指す気はないという。では、どうして他業種への就職活動をせず、底辺のガードマンでずっと甘んじているかといえば・・・。

「俺が足を向けて寝られない、野中管制長と中崎管制官から頼りにされてるからな。俺がいなくなったら、この現場がどうなるか心配だしな」

 と、実にさっぱりとした表情で答えるのである。

 自分がアルバイトの立場で、会社に気を遣って辞められない、というのが、僕にはよくわからない。それは自意識過剰ではないか。会社を辞める辞めないなど本人の勝手であり、正社員ですら、一々気兼ねする必要などないはずだ。

 憧れの人と同じ会社で働ける幸せというが、そもそもその二人に憧れているということ自体、僕はどうかと思う。自分を慕ってくれる若者がいて、その若者がこんな先のない、低賃金の仕事で働かされているのを知っているのなら、上に引き上げる努力をしてやるなり、さっさとこんな会社は辞めて、就職活動をしろと言ってあげるのが、本当の愛情ではないのか。大体、折茂が誇りにしている四十日連続勤務などは、労働基準法違反ではないのか。本人が働きたいと言ってるからいい、ではなく、そこをセーブするのが、管理者の仕事ではないのか。

 折茂はこの南洋警備保障での仕事で、確実に成長を遂げ、何者かになった気でいるようだが、客観的な目でみれば、彼が南洋警備保障で過ごした三年間とは、変な情に引きずられて、二十一歳から二十四歳という、人が大きくステップアップできる貴重な時期を、大学に通うでもなく、資格の勉強をするでもなく、正社員として勤めるでもなく、スポーツや芸術の道を進むでもなく、ただただ、職歴にも何もならない、非正規のガードマンとして「浪費」しただけとしか映らなかった。

「俺が指揮する現場を、お前にも見せたかったよ。国道の交差点のど真ん中。工事会社の見積もりが甘く、明らかに人手が足りない状況で、俺は無線機を三本、誘導棒を二本も持って、隊員を動かした。休憩はまず取れない現場だったんだが、俺はみんなに一時間ずつ休憩を取らせたからな。ちなみに、俺の休憩はなしでな」

「は、はあ・・すごいですね」

 小学生並みの感想であるが、そう言うのが精いっぱいだった。

――井の中の蛙。

 折茂という人を表現するのに、これ以上に適切な言葉はないだろう。現場で褒められた、会社から褒められた、憧れの人から褒められた。それが何だというのか。それで一円でも、給料が増えたというのか。ただ、「憧れの人」とやらに、自尊心をくすぐられて、いいように使われているだけなのに、どうしてそれに気付かないのだろうか。あるいは、気づいていながら目を背けているだけなのか。

 そして残り時間も僅かとなったところで、折茂が襟元を正し、今までにない神妙な表情で、ある話を始めた。

「津島。さっきも言ったように、俺は野中管制長と、中崎管制官のお蔭で、ここまで成長することができた。あの人たちの仕事のスタイルを真似することで、成長できたんだ。お前も、これから仕事をうまくなるためには、誰か一人、目標にする人物を絞った方がいい。その人の仕事ぶり、仕事のスタイルを徹底的に観察して、真似をする。それが、上達の一番の早道だ」

 警備などは、誰がやっても同じ仕事であり、スタイルもくそもないと思うのだが、折茂は誰か一人、「師」となる人物を決めろと言うのである。

「お前は誰を目標にする?お前はこの現場で、誰が一番仕事ができると思う?」

 げんなりした。「折茂さんです」と、自分を指名して欲しいのが丸わかりだからである。ここまでわかりすぎるほどわかってしまうと、逆に裏があるのではないかとも疑ってしまうが、この人の普段のナルシスト的言動を考えれば、おそらくこれは大まじめにやっているのだろう。

 しかし、いくらナルシストだといっても、ここまでわかりやすければ、相手も自分の本心に気づくと思うのが普通だろうが、折茂本人は、僕に自分の本心に気づかれているとは、夢にも思っていない様子である。僕はそれほど純朴な、もっとはっきり言えばバカだと思われているのだろうか。

「うーん・・。僕からすれば、みんな仕事は出来ると思うし・・みんなを目標にしますよ」

 僕は折茂の期待を裏切る答えを返した。ここまでわかりすぎるほどわかる折茂の狙い通りの答えを返してしまったら、僕はただのバカになってしまうではないか。折茂は僕を見た目で見くびっているのだろうが、僕はプライドは超一流なのである。他人におもちゃのようにされるなどというのは、もっとも嫌うところなのだ。

「お前、俺の話聞いていたか?俺は、目標は一人に絞れと言ったんだぞ。みんなを目標にしたら、色んな情報がごっちゃになって、集中できないだろ。一人に絞った方が、絶対に覚えられるぞ」

 いったい、どういう理屈なのかと思う。少なくとも僕には、まったく意味がわからない。

「いや・・・えーと・・じゃあ、塩村さんで・・・」

 困った末に出したのは、教育係の先輩の名前であった。僕に一から仕事を教えてくれたのは彼であり、ポジションも同じ。折茂を差し置いて彼の名前を出しても角は立たないないであろう、と配慮しての答えである。

「・・・そうか。お前が塩村さんに憧れているなら、これからは塩村さんについていけ。塩村さんの動きに注目して、一挙手一投足を見逃さないようにするんだぞ」

 折茂の期待した答えではなかっただろうが、とりあえず塩村の名前を出したことで、このときは解放された。

 僕も人のことを言えるわけではないが、何かこの人は、世間の価値観から「ずれている」。この日、はじめて折茂と二人きりで話をした時点で、僕の印象は確定した。
  

 ☆            ☆        ☆

 続いては、隊員最年長の鳥居。彼は中学卒業後、トラック運転手やカジノのディーラーなどの職を転々としたのち、今から二年前に南洋警備保障に入社。当初は交通誘導の二号警備隊員として勤め、やがて施設を任されるようになり、伊勢佐木屋警備隊の隊員に抜擢されたという。

「トラック乗ってたときは、月収六十万なんてときもあったけど、今の方がいいな。これだけ楽して稼げる仕事を知ってしまうと、なかなか抜け出せないよ」

 警備員とは暇な仕事である。暇に耐えるのが仕事といってもいい。道路交通誘導の二号警備で、人通りの少ない住宅街での通行止めの仕事をやったときなどでは、本当に自分はいる意味があるのかと思うこともある。こんな楽して金貰っていいのか――と、無用な焦燥感、罪悪感に苛まれてしまう人もたまにいるが、それでいいのである。

 現場仕事は安全第一、これは本当だ。何の仕事でもそうだが、信用が大事である。事故を起こして一般人を大怪我させたなどということが明るみに出れば、その会社にはもう仕事が回ってこなくなる。何十、何百人の従業員が露頭に迷うことになるのである。安全のためのコストは、いくら使っても損にはならない。ガードマンに遣う金くらい、惜しむ企業などはない。

 といっても、実際には、大けがに繋がるような事故などは、そうそう起こるものではない。何度も起こっていたら、ガードマンだって怖くて行きたくない。工事現場においてもっとも身近なトラブルとは、事故ではなく近隣住民のクレームである。

 住宅街の工事は、ライフライン関係でもない限り、普通の勤め人が仕事に出ている昼間に行われるが、昼間でも、家にいる者はいないわけではない。その多くは主婦と老人である。暇を持て余した彼らが、騒音や道を塞ぐ車などのことで、クレームを入れてくるケースが、結構あるのだ。

 そのときにもし、必要な数の保安要員を立たせていなかったら、そこをクレーマーに突っ込まれることになる。行政にチクられたら、建築会社は注意を受けてしまう。いくら仕事がなく暇に見えていたとしても、ガードマンは現場に存在するだけで仕事になっているのであり、それは建設会社の職人もみんなわかっていることだ。 

 だから、「楽をしてお金を貰うのは申し訳ない」などといらん心配をして、余計な仕事をやる必要はない。まあ、カラーコーンを並べるのを手伝うくらいはいいだろうが、暇だからといって穴掘りとか、土木作業を手伝う必要はまったくない。むしろ手伝ってはいけない。業務外のことをやってもし怪我を負っても、労災は支払われないのだ。

 大体そういう、余計なことをやるガードマンは建築会社の職人からも嫌われるのだが、稀に、ブラックな会社や、よくわかってない会社などからは、向こうから手伝うことを要請される場合がある。そういうときは、毅然と断らなくてはならない。次に来たガードマンが、「アイツがやってんだからお前もやれ」となってしまうからだ。自分がボランティアでやるだけならともかく、仲間を巻き込んではならない。

 こういう「付帯業務」の問題は、暇な時間帯が多いガードマンの仕事には、どこに行っても付きまとう問題である。アルバイトの警備員は、客から言われたことだけをやっていればいい。変にアピールしようとして、余計な気を利かせる必要はないのである。

「俺ももう歳だし、あとは一生、この仕事でもいいかな。津島くんは、なにか夢はあるの?」

「まあ、とくにこれってのはないですが・・・。一応、まだ若いと言っていられる年齢ではあるんで、もう一度、なにか別の学校に入りなおすってのは考えてますけどね・・・」

「そう。まあ何かやるんだったら、早い方がいいよ。人生あっという間だからね」

「そうですね・・・」 

「俺も何とか今より豊かになろうと思って、一生懸命やってきたけどね。結婚して、子供もできたんだが・・。今頃は、津島くんと同じくらいかな・・。長いこと会ってないけどね」

 人生の悲哀を感じる言葉である。あまり、深くは詮索しないことにした。

 そして、隊長の戸叶。予定では来月から日勤隊に移るということで、仕事上の絡みは少なくなるわけだが、そのことが心底嬉しいと感じられるようなよからぬ過去の話が、先輩隊員の口から僕の耳に入ってきた。

「隊長は元々、管制官を務めていたんだが、とにかく、声は聞き取りにくいわ、指示はいい加減だわで、隊員からクレームが続出してな。俺もあの人の応対を受けたけど、まあ、酷いもんだったよ」
 こう語るのは、戸叶ともっとも付き合いの長い、副隊長の折茂である。 

 現場に直行直帰の体制をとっている警備員は、現場に入った際の上番報告、帰りの下番報告を、携帯電話から会社に行うことを義務付けられている。それを受け取るのが管制官で、毎回勤務場所が異なる、スポットの形態である二号警備の場合には、翌日入る現場の指示も、下番報告の際に一緒に行う。指示が間違っていたら翌日の勤務には入れなくなってしまうから、声が聞き取りにくかったりするのは、たしかに問題だ。

「仕舞いには、朝、道に迷った隊員がちゃんと電話をしてきたのに、冷静にナビゲートすることもせずに怒鳴り散らして、その隊員はパニックになって、そのままバックレちまった。その件で、隊員みんなの怒りが爆発して、アイツを辞めさせなければ俺たちが辞める、と、みんなで部長に抗議をした。で、戸叶隊長は、管制から一般の隊員に降格になった、てわけだ」

「はあ・・。でも、そこまでみんなに嫌われて、なんで会社に残ってるんですか?」

「なんか、会社に借金があるみたいだぞ。しかも会社の寮に住んでいるから、辞めるとなれば、家もなくなってしまうからな。簡単にはいかないだろう」

「あれ・・?でも、戸叶隊長は今度、結婚するんですよね。寮生活のままでいいんですか?」

「当然、新居は用意したが、その際にも、会社にいくらか金を出してもらったらしい。何から何まで、ダメなヤツだよ。あんな大人には、なりたくはないな」

 辛辣な意見であるが、折茂だけが特に戸叶を嫌っているわけではない。鳥居もまた、同じような意見であった。

「俺が入ってきたときには、戸叶さんはすでに一般の隊員だった。俺が初勤務のときに入った五人現場で、隊長やってたんだけどね。まあ、随分とイジメられたよ。伊勢佐木屋で、今度はずっとあの人の下でやるって決まったときは、憂鬱になったもんだ」

 どうやら、個人的な恨みがあるようである。確かに鳥居は見た目は小柄で、あまり自己主張をしない人だから、イジメられやすいとはいえるのかもしれないが、本当は、こういう人がキレたときが一番怖いと、僕は思う。

 みんなからの評価は散々だが、その戸叶本人は、朝方、AとCが一緒に保安室にいる時間帯には、僕にこんなことを語っていた。

「昔はトラック乗ったり、居酒屋の店長やったり、色々やってはみたけどな。にっちもさっちも行かなくなって、今ではこんなんだ。俺みたいになりたくなかったら、学校に入り直すなりなんなりして、今のうちにもっと勉強しとけよ」

 戸叶の口から洩れたのは、自虐であった。七年間勤めた会社では失敗続きで、仲間からも嫌われていれば、自虐的になるのも無理はないが、こういうのを聞くと、自分もまた自分が嫌で仕方ない僕は、その人を嫌いになれなくなる。少なくとも、社会的に見れば底辺労働者であり、若いということくらいしか取り柄がないのに、妙に自分に自信を持っている折茂よりは、ずっと好感がもてる。戸叶の方も、僕にはどこか、波長が通じると感じているフシもあり、阿川の件で反省したにしても、僕をイジメてくるような気配は感じられなかった。

 戸叶という人は、根っから嫌な人ではなく、子供っぽくて、衝動を抑えられない人なのだろう。良く言えば人間味豊かな人で、本当はいいところや優しいところもいっぱいあるのに、どうも他人には誤解されやすい・・・そんなタイプの人であると、僕は思った。

     ☆      ☆      ☆      

 二名体制移行まで一週間を切ると、戸叶隊長は、伊勢佐木屋保安隊の老人たちの指導のもと、新設される日勤隊のインターンに入るようになり、夜勤隊からは姿を消した。そして、その戸叶隊長の下につくことになる、日勤隊のメンバーとも顔を合わせた。

 二十九歳の港は、入社して二か月で、今までは二号警備の隊員として勤務に当たっていた。よく笑う人で、塩村タイプの、爽やかで明るい好青年だった。

 三十五歳の立義も、入社して間もない新人隊員。ちょっと恍けたところがあるが、ユーモラスな人で、こちらも中々雰囲気はよかった。

 もう一人、これは予備の人員で、メインの三人が週に一度、休みを取る日のみの出勤となるのが、これまで西館の予備隊員として勤務していた加来。五十代後半で、伊勢佐木屋警備隊では最年長となる。聞けば、夜勤隊の鳥居とは、かつてカジノでディーラーをやっていたときからの仲とのこと。世間は狭いということでもあるのだろうが、年齢も違う二人が、まったく違う職種で再び同僚となるというのは、非正規労働の離職率の高さ、不安定さの証明ということでもあろう。

 新たに加わった隊員のうち二名は、またしても既存の隊員ではなく、僕と同じ、計算のできない新しい隊員であった。これも、伊勢佐木屋警備隊に巣食う「魔物」のせいで陥った事態である。

 また、業務内容が変わって、僕も西館の巡回や受付業務を行うようになったため、西館の日勤の隊員とも、引き継ぎの際によく話すようになった。

 西館は昼間、二名の隊員によって警備体制が敷かれている。通用口での受付業務と、馬券場での立哨という二つのポジションを、隊長の田丸、副隊長の江塚、そして二人が休みを取る際に出勤する加来の三名によって回すという形だ。比較的若い世代の多い伊勢佐木屋警備隊に比べ、こちらの隊員は、三人とも六十歳前後。巡回が多い少ないという業務内容の違いもあるが、警備員などは、基本的にはそのくらいの年寄りでも勤まる仕事ということである。

 そのベテラン集団を率いる、隊長の田丸であるが、これが一癖ある人物だった。僕の人生の奇人変人列伝に間違いなく載る人物なのだが、意外なことに、彼の言葉で印象に残っているものはほとんどない。

 それは彼が無口だったということではなく、その逆である。とにかく速射砲のように、休む間もなく、次から次へと色々なことを話しまくるものだから、内容がまったく頭に入ってこない。トークが下手な人の特徴で、会話がキャッチボールになっていないにも関わらず、本人は面白い話をしていると思い込んで、ノンストップで喋りまくってしまうのである。

「あの部長はなんだ。現場の苦労をわかっていない。俺がこれだけ言っているのに。あんな決定をして。会社の上の連中はみんなバカ。バカでバカでどうしようもない」

 よくよく聞いてみると、彼の言っていることのほとんどは、会社への不満、愚痴であるようだった。それが、給与の不満やら、労働時間の長さ、パワハラ、といった切実なことならいい。しかし、彼が言っているのは、ほんの少し、たかが五分程度の巡回を追加されたことでグチャグチャと文句を垂れたり、誰それが誰それに、内緒にしてね、と言ったことを、みんなにバラした~とか、女子中学生じみたしょうもないことであったり、自分には関係のない他所の現場のことに口出ししたり、管制官の人事異動など、一隊員が意見するべきではないことに文句をつけたりなど、まったくどうしようもないことばかりであった。

「田丸は元々、南洋警備保障以前に伊勢佐木屋の警備業務を担当していた警備会社の隊員でな。南洋警備保障が業務を引き継ぐにあたって、田丸も一緒に南洋警備保障に移ってきたんだ。なんといっても西館の業務内容を熟知しているから、はじめはうちの会社も重宝していたんだが、あの態度だからな。今では厄介モンとしか思われてねえよ」

 塩村にも酷評される始末である。

 また、上のやることにグチャグチャ文句をつけるだけでなく、田丸は下の者の面倒を見よう、育てようという意識もない人であった。彼の相方の江塚――田丸より少し年上の、元経済産業相のエリートは、腰が低く、穏やかな好人物なのだが、彼も田丸を快く思ってはいないようだった。田丸という人物は、上にも下にも嫌われる、本当にみみっちい、器の小さい人物のようである。

「田丸はウチの戸叶隊長と仲が悪くて、しょっちゅう喧嘩しているんだが・・。俺から言わせれば、どっちもどっち。同族嫌悪って奴だな」

 彼らを反面教師にしているという、折茂の意見である。

 また一癖ある人物とも関わらなければならなくなり、人間関係には不安の材料が増えてしまったわけだが、そんな中で救いは、教育係を務めてくれた先輩隊員、塩村への信頼感は、日増しに強まっていくことだった。彼は僕の歓迎会を開いてくれるといい、いよいよ明日から二名体制が始まるという日、僕を焼き肉に誘ってくれたのである。

「今日は俺のオゴリにするからよ、どんどん食って飲めよ」
「ありがとうございます!ごちそうさまです!」

 プライベートで人から誘われることなど久しぶりのことで、しかもオゴリである。僕は舞い上がって、実際に、食って飲みまくった。

「最初はオタクみてーな、弱そうなガキが入ってきたと思ったけどよ。津島は結構しっかりやってるよ。休みもとれるようになったし、大助かりだよ」

「いやあ・・」

 警備員の仕事とはいえ、人から褒められるのは嬉しいことである。僕は素直に喜びを見せた。
「先輩もみなさんいい人たちばかりですし、本当に入ってよかったですよ」

 まるきりの世辞ではない。確かにちょっと癖がありそうな人物は多いが、それも被害を受けているというほどではない。あの人たちなら、これからもやっていける。この時点では、僕はそう確信していた。

「まあな・・・。けど、戸叶と折茂の二人は、結構サドっ気があるから、気を付けろよ」

 塩村は、浮かれる僕に対し、二人の隊長クラスの名前を出して、僕に注意を喚起した。

「はあ・・。まあ、戸叶隊長はわかるんですけど、折茂さんも、やっぱりそうなんですか?」

「ああ。お前の前任の阿川が、会社をバックレたことはもう知ってるだろ?あれについて会社内では、戸叶のイジメのせいだってのが定説になっているが、俺に言わせりゃ、折茂も相当なもんだったよ。アイツは戸叶と違って会社内で支持者も多いから、なぜか悪くないってことになってるけどな」

 阿川に対しては、折茂もかなり厳しい態度で接していたことは、あの申し送り簿を見ればわかる。しかし、僕は半信半疑だった。折茂はナルシストであり、人としての苦手度でいえば戸叶より上だが、今まで彼から怒鳴られたことなどは一度もなく、仕事の上では、良い先輩であったからだ。明るく賢く、評判がいいのは当然であるとも思っていた。

「あと、アイツは自分大好き人間だからよ。俺もぶっちゃけ、ちょっと苦手と思うこともあるんだが、面倒見はいいヤツだからよ。ちょっとスパルタだなと思っても、あんまり気にすんなよ」

 確かに塩村の言う通り、折茂は面倒見のいい人だった。一々機嫌を取らなくてはならないのが疲れるのだが、そういう人は、うまく煽てていれば、仕事の負担を肩代わりしてくれたりするのは事実だ。もっとも、彼らナルシストの「面倒見がいい」とは、「人のために尽くすのが好き」ではなく、「人のために尽くしている自分が好き」である、というところは注意が必要だ。

 例えば、折茂が誇りにしている、国道の忙しい現場で、「神采配」を見せたというエピソード・・。あれに関して、折茂は自分が休憩を取らず、下の隊員には休憩を取らせたということを誇りにしているようだが、あれだって、初日は仕方ないが二日目以降には、人員の不足を訴えて新しい人を寄越してもらうなり、何かしら、自分も無理をしない手段はあったはずである。もしも折茂が、自らも堂々と休憩を取っていれば、下の隊員も気兼ねすることなく、みんながもっと幸せな思いをすることができたではないか。

 大体、無理な誘導をしているということは、事故の危険性だって高い。自分が楽をして下の者に苦労させるというのは論外であるが、自分ばかりが苦労を背負い込むというのも、優秀な人がやることとは言い難い気がする。無理をしたツケというのは、どこかで出てくるものではないか。

「ええ、大丈夫ですよ。折茂さんは、いい人です」

 楽しい飲み会の場であるこのときは、そう呑気に答え、また塩村もそれ以上の話はしなかったのだが、実はすでにこのとき、僕は折茂から、かなりの度合いで嫌われていたらしい。折茂が爆発するのは時間の問題であり、そのときに備え、僕に心の準備をしておくようにと、塩村はわざわざ警告をしてくれたのだ。

 翌日、二名体制初めての勤務のパートナーは、折茂であった。

加藤智大 番外編 2

うじむし


 こちらの方を更新するタイミングが掴めず、先に本編が始まってしまいましたが、最近また荒らしが出てきているようなので久々に更新してみます。

 昔からそうだったのですが、荒らしは私がみなさんにコメントをお願いする記事を書いた直後に、よく出没するようです。最近の荒らしのコメントは一文字も読まずに消しているのですが、そういえば昔の荒らしには、なにか私の態度が気に食わないからコメントをしないみたいなことが書いてありました。では、私が黙って書いていればそいつがコメントをくれるかといったら、全然そんなことはないわけで、そいつの言い分は全く通らないわけですが。

 それで思ったのは、もしかしたら、荒らしは自分が私の呼びかけにまったく応えようとしないことへの罪悪感を払しょくするために、荒らし行為などをしているのかな、ということです。最初は荒らしは、ただの誹謗中傷目的だけでここにきているのかと決めつけていたのですが、長期間粘着してくる以上、やっぱり記事も読んでおり、私の書いた文章にそれなりの見どころを感じてくれているのだと思うのです。その気持ちを素直に表せない、異常に心がねじれているのが荒らしではないかということです。

 当たり前の話ですが、私は読者の皆さんに、罪悪感を感じて欲しいなどとは思っていません。なかなかそうなっていかないですが、理想をいえば、罪悪感を感じる前にコメントをしてほしいと思っています。

 皆さんがコメントできない事情というのはわからないのですが、なかなかコメントができず済みません・・・と謝ってくれる方もいらっしゃいますし(ときどき、毎回コメントをくださる常連の方にまで謝らせてしまうのが、本当に心苦しいです)、結果として「しない」ということになっているにしろ、私がこれだけ頼んでいれば、何か少しくらいは皆さんにも感じることはあるのだと思います 

 荒らしも荒らしなりに、私のお願いに応えられない自分に後ろめたさを感じているようなのですが、荒らしはなぜか、その後ろめたさを払しょくするための手段に、私を誹謗中傷、あるいは説教するということしかできない人たちです。「サイトを盛り上げるのにこれだけ貢献したんだから、何か言わせろ」ではなく、「何にもしてない」人が、誹謗中傷やクレーム、説教をしてくるのです。

 私もこうして偉そうに語っていますが、私がやっていることは路上でパフォーマンスをする大道芸人みたいなもので、コメントはあくまで皆さんの「気持ち」を表してもらうだけの物です。私のお願いを完全にスルーして、「タダ読み」するだけでも、別に犯罪になるわけではありません。私が書いたものを全部読んでも、私がどれだけお願いをしても知らん顔をしていられる図太い神経をお持ちなのであれば、まあ、勝手にすればいいのではないかな、と思います。

 荒らしも、すぐ消されるとわかっていて荒らし行為なんかするくらいなら、私が何を言おうが「何とかの面に水」の心境で、堂々とタダ読みしてればいいのではないかとも思うのですが、妙に生真面目なところがあるのか、タダ読みが後ろめたくって後ろめたくってどうしようもなくて、人のお願いに応えようとしない自分を正当化しないとやってられなくて、ついつい私に非難めいたことを言ってみたくなるみたいです。

 一体、荒らしとは、どんな人物なのでしょう?

 たぶん、今も現在も、友達の一人もできたことがなく、異性との付き合いもなかった、寂しい人なのだと思われます。荒らしは必ずといっていいほど、HNをつけずに書き込んできますが、荒らしはたとえインターネット上の仮の名前でも、自分という存在を他人に認証されるのが怖いのです。他人が自分という存在を認識した瞬間、自分は嫌われると思い込んでいる。自分が人から感謝されるはずがない、自分が人から好かれるはずがない、自分には人を支える力がない、と信じ込んでしまっているのです。

 かわいそうな人です。哀れな人です。

 こういうサイトを運営しているので皆さんにもわかるかと思いますが、おそらく日本という国の中で、私ほど犯罪者の気持ちを理解し、犯罪者に同情的な人間は、たぶん100人いるかいないかぐらいだと思います。

 悲惨な人生を送っている荒らしが、いつか犯罪を起こす可能性は、極めて高いといえるでしょう。犯罪者予備軍であるにも関わらず、自分が犯罪を起こしたとき、ただ一人味方になってくれそうな私を敵に回してしまうというのは、やはり脳の構造が絶対に人と仲良くなれないようにできているのでしょう。本当に可愛そうな人間ですが、私にはどうしてやることもできません。

 同情はします・・・が、私に嫌がらせをしてくる以上、私はその人を受け入れることはできません。私がその人の気持ちを踏みにじったからストーカーになったというなら私にも落ち度がありますが、最初から嫌がらせをしてきた人間に、私が誠意ある対応をしなければならない理由などどこにもありません。

 一応、記事の中では、私は社会の中で弱い立場の味方である風に書いていますが、それはあくまで一般論であって、個人としては、私は「私を応援してくださる方の味方」です。社会的に強者であるか弱者であるかは、私個人の立場としては関係ありません。私の世界を理解し、応援してくださるかどうかだけが、すべてを判断する基準です。私の作品を読んでもいない人は、近親者を除き死んだところでどうでもいいと思っているような私が、私の邪魔をする人――いや「蛆虫」のことを思いやることなどできるはずもありません。

 私は動物が大好きです。哺乳類も爬虫類も両生類も魚類も鳥類も好きです。昆虫類も、カブトやクワガタはもとより、カマキリやバッタあたりまでなら触れますし、チョウは奇麗だと思いますし、ムカデは怖いけどデザインはカッコいいなと思います。

 ですがそんな私も、「蛆虫」はちょっとキツイかな、というのが正直なところです。

 「蛆虫」が友達を求めるのであれば、自殺をすればいいのではないかな、と思います。人里離れた山奥とかで死ねば、発見も遅れ、何百匹という蛆虫が湧いてくることでしょう。友達100人、あっという間にできます。今まで一度として同窓会に呼ばれたことがなく、ネットはともかくリアルでは飲み友達の一人もいない私からすれば、羨ましいことこの上ありません。

 「蛆虫」には「蛆虫」の住むべき場所がありますので、どうぞそちらの世界に旅立っていただけるよう、お願いします。

 完成版私小説 愛獣 1(1月31日までの掲載となります)

                    
           

 二○○八年二月某日、僕は警備会社、南洋警備保障(仮)の面接を受けた。

 横浜市内の百貨店での夜間施設警備業務。夜十九時から翌朝十時までの十五時間拘束、途中三時間の仮眠付で実働十二時間。勤務シフト応相談、交通費全支給、日給一万三千円・・・というのが、求人広告に記載されていた労働条件である。面接官の話では、客先との契約期間中に、常駐の隊員に一人欠員が出てしまい、その補充のための募集ということだった。

 僕は十六歳から二十歳にかけて、都合五つ以上の会社でバイトをしたが、半年以上の期間、一所に落ち着いたことがない。いつも向こうから不必要とされるか、精神的肉体的に辛くなって自分からやめてしまうことの繰り返しである。労働にいい思い出はまるでないが、一年前、専門学校の夏、冬休み期間中に経験した、道路交通誘導警備のバイトが、比較的好感触であったのは覚えている。

 所謂底辺の非正規労働での話だから、何が楽しかったとか、勉強になったとかいうことではまったくないのだが、あの仕事はとにかく暇で、とくに人も車も通りが少ない住宅街の通行止めなどでは、一日中、迂回経路を示す看板と一緒にただ突っ立っているだけで仕事が終わってしまう。県から道路使用許可を取ったうえで行う仕事だから、時間を厳守しないとクレームに繋がるため、作業はある程度余裕を持って段取りが組まれており、大抵は定時よりも早く終わる。天候不良などのアクシデントにより、午前中だけで終わってしまうようなことだって、そう珍しくはない。

 工事ではなく、イベント会場などの雑踏警備なら、そのイベントが開催されている時間に合わせた勤務時間になる。サッカーの試合で観客席の警備業務についたときなどは、試合とハーフタイムの合計の約二時間だけで、勤務が終わった。給料は日給で出ているため、勤務が定時より早く終わっても、ちゃんと一日分の賃金は保証される。

 どれだけ長く勤め、成果をあげたところで給料は上がらない非正規の仕事で大事なのは、賃金に対してどれだけ楽ができるかということだけだ。今回の募集は、屋外で雑踏や工事の警備を行う二号警備ではなく、施設内の警備を行う一号警備だったが、二号警備をやっていたときの「おいしい」思い出が残っていた僕は、求人を見つけるや否や、さっそく応募することを決めたのだった。

 面接は過去のアルバイト歴に関する軽い質問だけで、十五分程度で終わった。その翌日、すぐに採用の連絡があった。履歴書の書き方も知らず、誤字を修正液で直したような代物を平気で提出してしまう世間知らずであったが、採用は随分あっさりと決まった。年中人手不足の交通誘導警備と違い、施設警備の求人は結構人気があり、椅子の取り合いとなる場合が多く、このときも他に競合相手が数名いたそうだが、僕はその競合を勝ち抜いたという形である。

 決め手となったものがあるとすれば、二十歳という若さのおかげであろう。警備員はサービス業である。そして、スキルもいらない、誰でもできる仕事である。水商売ほどではないが、若くて元気のあるガードマンの方が、客には喜ばれる。二号警備をやっていたとき世話になった建設会社の親方も、「十の仕事が出来る爺さんより、七しか仕事ができない若者、もっといえば、一しか仕事ができなくてもいいから、若い女の子に来てほしい」なんてことを、冗談半分に言っていた。よほど経験値に差がない限りは、少しでも年齢が若い方が優先されるのだ。

 こうして採用が決まり、僕はこれより少し前まで通っていた映画の専門学校を中退して以来、四か月あまりのニート生活を脱して社会とつながった。それは同時に、初めて学生の身分を失い、社会人として歩み始めたということである。昇給も休業補償もない非正規労働であり、前途には不安しかなかったが、学校という、あのリア充至上主義の、僕にとっては眩しすぎる環境から離れられることに、わずかな安堵もあった。

 しかし、このときは疑問の抱きようもなかったが、この時点で早くもおかしなことは起こっていた。そもそも、南洋警備保障が、欠員をわざわざ求人広告で募集をする、ということが、すでにおかしいのである。

 南洋警備保障は中堅の警備会社で、一号、二号合わせて数百名の隊員を抱えている。底辺の非正規労働の類であるから、皆が皆、市常識のある人材というわけにはいかないが、しかし九割以上の隊員は、現場に出して無事仕事を果たして帰ってくる分には問題のない、最低レベルの人格と能力は備えている。

 だから、その中から選抜した者を、現場に送り込めばいいだけの話であった。常駐現場で、決められたシフト通りに動いている一号警備はともかく、日々違う現場にスポットで派遣される二号警備の隊員なら自由に動かせるのだから、あの現場でやってくれと、命令一つしてやればそれでよかったのである。命令といっても、冷暖房が備わった室内で働ける一号の仕事は、二号の仕事に比べて大概は楽なのだから、隊員の方から希望者が殺到するはずである。どこの馬の骨ともわからない人間を、わざわざ求人広告を打つ手間と費用をかけてまで、わざわざ外から招き入れる必要はない。計算のできる既存の隊員をあてがえば、それで済む話であったのだ。

 南洋警備保障がなぜそれをせず、外からまったく新しい、計算のできない人間を雇い入れなければならなかったのかといえば、現場・・横浜市のデパート、「伊勢佐木屋(仮)」警備隊には、「魔物」が住んでいたからである。「魔物」と働くくらいならば、雨に打たれ、暑さ寒さに耐えながら、二号警備の仕事をしていた方がいい。既存の隊員が皆そう言って聞かなかったため、何も知らない外部の人間を、新たに雇い入れなければならなかったのである。


 しかし、人の好さが滲み出る五十代の人事担当に面接を受けた時点では、現場に住む「魔物」のことなどは知りようもなく、僕はただ日給の一万三千円を、川崎市の格安ソープランドで使い果たすことばかりを無邪気に考えていた。

  ☆      ☆       ☆              

 南洋警備保障に入社し、横浜伊勢佐木屋への配属が決まった僕は、面接を受けた翌日から、警備業法で定められた三十時間の新任研修を受けることとなった。座学十五時間、実技十五時間からなるカリキュラムで警備業の基本を学ぶ、警備員の要となる研修である。

 我が国における近代警備業は、昭和中期、東京オリンピックの頃から俄かに勃興した。しかし、当初の警備業界は、反社会勢力が経営に携わるなど無法地帯の様相を呈しており、隊員の質も悪く、泥棒を防ぐために置いた警備員に泥棒された、などという話は日常茶飯事であった(発展途上国では、右記の文章の警備員の文字が警察官に変わるから、問題はもっと深刻である。それは現在でも、である)。

 そこで法律が整備された。厳格な警備業法を定め、反社会勢力を業界から排除し、真の安心と信頼を提供する日本の近代警備業が始まったのである。

 身分証明、直近五年の会社への在籍証明の義務。入社時の新任、半年に一度の現任研修受講の義務。装備品の規定制定と、機関の検査を受ける義務。何より大切なのは、警備業法第十五条、特別な権限がないことを、各隊員にしっかりと認識させることである。

 今はそうでもないが、昔の警備員の制服は警察官の制服と酷似しており、またテレビドラマなどでは、ガードマンが派手な立ち回りを演じて犯罪者を取り押さえるようなシーンが描かれる機会がよくあることなどから、警備員には警察と同等の権限が与えられているような勘違いをしている人もいる。

 これは大きな誤りである。例えば、百貨店などで万引き犯を捕らえたとする。民間人にも逮捕の権限はあるから、その場で取り押さえること自体は違法ではない。しかし、事務所などに連行して勝手に取り調べなどを行えば、立派な監禁罪、あるいは強要罪となってしまう。そうした場合は速やかに警察に連絡し、警察官の指示を仰いで行動しなければならないのである。

 交通誘導にもおいても同じで、警察官には交通規制の権限があり、車両の通行、停止を強制できるが、警備員には特別な権限はないため、ドライバーの判断を強制することはできない。行きたいと言っているものを、無理に止めることはできないのである。あくまで、「お願いする」という立場なのだ。

 警備員とは、「頭を下げること」「報告すること」が仕事である。イメージと違うかもしれないが、「男気がある」「骨がある」ような人は、反対に警備員には向かないのである。

 座学ではそんなことを、ビデオを観ながら、講師役の内勤に教わった。以前に勤めた警備会社では、他にも数人の新人と一緒に研修を受けたが、南洋警備保障での研修では、たまたま入社時期が重なった人がおらず、三日間一人で受けた。研修には最低賃金も保障されており、三十時間で約二万五千円がもらえる。昔はこの研修費を目当てに各警備会社を渡り歩き、研修だけを受けて本勤務になるとバックレてしまう「研修荒らし」なる存在もいたらしい。そのため現在では、どの警備会社でも十五勤務前後は本勤務に入らないと、研修費を受け取れないようになっている。

 そして三日間の座学を終え、四日目の実技研修へと移った。実技研修は、実際に現場に赴いて行われる。三十時間の研修は、すべてのカリキュラムが法律で細かく決められているわけではなく、ある程度は警備会社に任されている。もっとも、だからといって、研修生を最低賃金の給料でこき使えると思って、研修とは名ばかりで、事実上本勤務に入れさせるようなことをやっていれば、すぐに警察ににらまれて、営業停止に追い込まれてしまうが。

 時刻は午後十八時三十分、勤務開始の三十分前・・上番時刻に、僕はインテリヤクザ風の南洋警備保障部長に連れられ、現場である伊勢佐木屋の保安室へと入った。

 いよいよ、「魔物」との邂逅が迫っていた。

   ☆         ☆        ☆

 迎えた伊勢佐木屋施設警備での初勤務。四畳の畳が敷き詰められた保安員控室に足を踏み入れた僕を、三人の先輩隊員が出迎えた。

「・・・・」

 暗い光を帯びたジト目で僕を見るのが、隊長の戸叶。年齢は四十歳で、南洋警備保障には、七年前の創業当時からいる古株という話である。元は内勤で、隊員からの電話連絡を受けとり、翌日派遣される現場の指示をしたりする管制官を務めていたというが、どういう事情があったのか、今は現場の隊員に「降格」となっている。僕を現場に連れてきたインテリヤクザ風の部長とは、南洋警備保障創立以前からの旧知の仲らしい。

「おはようございます(夜勤であるが、最初の挨拶はおはよう、で統一する決まりになっている)。今日からお世話になる、津島と申します・・・」

「・・・・よろしく」

 この戸叶という男、顔は俳優の堤真一似で、中々の二枚目なのだが、どうにも不愛想で雰囲気が暗い。第一印象は最悪である。同じ創業以来のメンバーであるインテリヤクザ部長が今、会社の首脳になっている一方で、この戸叶が管制官も降ろされて、隊長とはいえ最前線の現場で働いているのは、もしてかして人格面の問題によるものなのだろうか。

「おう、君が新人くんか。よろしくな」

 戸叶とは大違いの爽やかスマイルで僕を迎え入れてくれたのが、副隊長の折茂。年齢は二十四歳で、僕が入ってくるまでは警備隊で最年少であった。年齢は若いが、南洋警備保障では三年も務めており(人材の入れ替わりが激しい警備会社では、一年も務めれば立派なベテランである)、二号警備の隊員だったころは、どこの現場からも引っ張りだこの優秀なガードマンであったらしい。

「いやー、若いなー。一瞬高校生かと思ったぞ。ま、俺も若いんだけどね」

 弾むような声音。底抜けの明るいといった印象である。きっと性格もいいのだろう。年齢も近く、本来なら、いい友達になれるかも、と期待を抱くところなのだろうが、あいにく僕は、真っ暗な世界の住人である。生き生きと輝くようなオーラを発せられると、反対に委縮し、壁を作ってしまうのだ。そんな僕にとっては、この副隊長の折茂は、隊長の戸叶とは違った意味で苦手なタイプであった。

「あ、どうも。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれた小柄な隊員が、鳥居。年齢は四十五歳で、警備隊では最年長である。年相応に落ち着いており、後輩で若輩の僕にも腰が低い。三人の中では一番、好感のもてるタイプだった。

「あと一人、今日は非番の、塩村って隊員がいるから。その人が君の教育係になる。今日はまだ研修だし、何もわからないだろうから、とりあえず俺たちの仕事を見ていて」

 初日は仕事をせず、見学に徹しろとの指示。僕は頷き、真新しい制服に着替えた。

 伊勢佐木屋施設警備の業務は、通常、三名体制で行われる。全体の司令塔となり、売り場がある本館の巡回を担当するA番。同様に本館の巡回を担当し、競馬のエクセルがある西館の巡回、及び受付業務も行うB番。そして、伊勢佐木屋の社員が会議やデスクワークを行う事務館の巡回を担当するC番の三ポジションである。

 各隊員の担当は、戸叶がA専門。折茂がA,Bの兼務で、鳥居と塩村がB、Cの兼務である。僕の担当はCで、後々にはBとの兼務もあるかもしれないが、当分はC専門でやっていく、ということであった。

 十九時、勤務開始。最初の仕事は、本館従業員通用口から外に出ていく、各テナント従業員の、手荷物検査である。従業員が店の商品を持ち出さないための確認であるが、少ない警備員で多数の従業員を迅速に捌かなければいけないから、実際にはおざなりになりがちで、十分に点検することはできない。しかし、抑止にはなる。重要な仕事である。

「手荷物確認します。はい。はい。オッケーです。お疲れ様でした。はい、鍵の返却ありがとうございます。授受簿にハンコを押して下さい」

 通用口の入り口に立って手荷物の確認に専念できるのはCのみであり、通用口に面した保安室の中にいるAとBは、窓口越しに鍵の受け渡しや、搬出入業者にバッジを渡したりなどの受付業務を並行して行わなくてはならない。警備の仕事は「のんびり」したものであると、ぶっちゃけ舐めていたのだが、この目まぐるしく動き回る様は、かつて働いたファミレスの調理を思い出させる。半年間働いたファミレスで、店長から「君はいつまでたっても成長がないな」などと吐き捨てられ、行き辛くなって辞めることになった嫌な思い出が蘇り、業務開始早々、心は暗鬱となった。

 二十時になり、各テナントの退館が粗方済むと、Cは立哨を終え、事務館の閉鎖巡回へと出発する。総務を除く事務館の各部屋を施錠する巡回で、所要時間は二十分ほど。僕がいずれ行う仕事であるが、初日ということで、Cの鳥居には帯同せず、保安室で待機となった。

「これが工事の業者に渡す腕章で、こっちが搬入業者に渡すバッジ。あとこれはリボンで、バッジとはちょっと使い方が違うんだけど、それは後で説明しよう。それから、これが鍵のボックスで・・」

 副隊長の折茂が色々と説明してくれるのだが、何が何だかさっぱりわからない。もとより優秀な頭脳を持っているとは言い難いうえ、仕事に臨む心構えに問題があるのが、僕という人間である。

「ただ聞くだけじゃ覚えられないだろうから、ほら。メモ帳をあげる。これに書いて、しっかりと仕事を覚えるんだ」

 折茂から新しいメモ帳を渡される。わざわざ買ってきてくれたのだろうか。家にある使っていないものを持ってきてくれただけかもしれないが、いずれにしてもタダでくれるのは、よほど面倒見がいい人なのだろう。

「ありがとうございます」

 一応、お礼を言っておいたが、正直、戸惑いの方が大きかった。

 僕はメモを取るという行為が苦手である。学生の頃からそうだった。同級生が、授業を受けつつ、大事なところをノートに纏めるということを平然とやっているのはわかるのだが、僕にはどうもその要領がつかめない。やろうとすると、いつの間にか、先生が黒板に書いたことを丸写ししているだけということになり、しかもその字は解読不能な古代文字みたいな代物で、後で見直したりなどするわけがないから、結局書いた意味がまったくなく、意味がないからやめてしまおうとなる。ノート検査のときには、いつも先生からは苦い顔をされていた。

 メモを取る習慣、メモの取り方が身につかない。それが原因で、学生時代、僕の成績は散々だった。しかし、この南洋警備保障を辞めた後に入学した専門学校では、ノート学習ではなく、問題集を解き、その問題ごとに解説を行うという授業のスタイルを取っており、それに従った結果、僕は在学中に簿記二級と、情報処理の国家資格を取得できた。だから知能そのものが低いわけではなかった。ただ単に、どこかでタイミングを逃し、同年齢が本来身に着けているべき「メモを取る」スキルを掴めなかったがために、勉強が遅れていただけだった。

 学校の先生には、それに気づいてくれる人は誰もおらず、ただ頭ごなしに「努力しろ」「集中しろ」と、具体性に欠けるアドバイスをするだけだった。母親も、である。

 日本にはどうも、原因不明のよくわからないことを、じっくり考えることをせず、取りあえず「努力不足」で解決しようとする風潮がある。生来、ADHD――注意欠陥・多動性障害を抱える僕の半生は、この風潮との戦いといってもいいものであった。

「おい、ちゃんと聞いてるか?まだ初日だからいいけど、そんなにボーッとしてたら、この先、仕事覚えられなくなるぞ」

「す、すいません・・」

 学校の先生にも気づいてもらえなかったことが、今日初めて会ったばかりの折茂にわかるわけもなく、眉を顰めて、不安げな表情をされてしまっただけだった。

 二十時三十分。Cが事務館の施錠巡回を終えると、ここから一時間、交代で食事休憩の時間となる。その後、二十一時三十分から、AとBが合同で所要一時間の本館施錠巡回に向かい、その間は、Cが保安室で受け付け業務を行う。二十二時からは、Cがメインの巡回である事務館点検巡回を行い、二十三時に帰ってくると、今度はAとBが、メインの本館点検巡回に向かう。一時から二時までは、三名が揃っての受付業務となり、その後に交代で三時間の仮眠休憩に入る――というのが、夜間の業務の流れである。

 巡回には、三名がそろって出発する、ということは絶対にない。従業員通用口の入口にあり、セキュリティ上もっとも重要な本館保安室には、非常事態でもA、B、Cの誰か一名は、必ず身を置いていなければいけない決まりとなっている。反対に、三名がそろって保安室にいる、という状況も少ない。保安室は畳八畳ほどの広さで、そこにデスクを二つ、五十センチ立方のキーボックス、本棚、消火器などを置いたら、大人二人が身動きするのがやっとのスペースしか残らない。三人の隊員が、巡回、受付、休憩、というサイクルを回し、保安室に交代で出入りしていくことで、伊勢佐木屋の警備業務は成り立っている。

 巡回と受付。この二つが施設警備業務の柱であり、それは入社前のイメージと違いはなかったのだが、一方で、色々と予想外のこともあった。

 まず、扱う書類の多さである。鍵、腕章、バッジなどの貸し出しには、すべて授受簿への記入と押印が必要で、また、各テナントの最終退館者にも、書類に名前を記入してもらわなければならない。ちょっとした事務職のようで、それら書類の管理が、実に面倒そうなのである。

 そして、警備日誌の記帳である。その日の勤務で行った巡回業務、機械警備の発報の有無などを、時系列で書き記すのだが、これは南洋警備保障に仕事を依頼している、大手警備会社ALSOKの担当が目を通すため、それなりに丁寧な字で書かなくてはならない。これが、乱字、雑字の帝王である僕には、なかなかに億劫な作業だった。

 さらに、巡回で使用する鍵の多さである。Cのメインである事務館点検巡回においては、およそ十本以上ものカギを使用することとなり、それは全て、腰に巻く帯革についたキーバッグの中に納められる。キーバッグの中には、伸縮式の操作ロープが取り付けられており、先端のナスカンフックに鍵を一本一本つけ、ドアを開ける際は、ロープを伸ばして鍵を使用する、という構造である。
 鍵は紛失してしまうと、ドアごと取り替えなくてはならないため、取扱いはとくに慎重に行わなくてはならない。幸いにも、Cが担当する事務館では、複数の扉に対応するマスターキーの使用はないが、それでも責任は重大である。

「鍵をなくしたら、ドアの取り換えには百万円かかるからね。絶対になくしたりしちゃだめだよ」

 百万円はさすがに大げさにしても、それほど鍵の管理は重要だということはわかる。これについては初日から、先輩隊員全員から、厳しい口調でもって言われたものである。

 ADHD――注意欠陥、多動性障害。僕が抱えた発達障害の一種である。ADHDには大きく分けて、落ち着きがなく、じっとしていられないなどの多動性と、忘れ物やなくし物が多く、整理整頓が苦手な不注意の障害があり、多動が優勢の「ジャイアン症候群」、不注意が優勢の「のび太症候群」などといった俗称もある。

 僕の場合は不注意の方が優勢で、小学校のころから、必要な教材を学校に持ってこなかったり、給食の際に机に敷くナプキンの袋を持って帰るのを忘れて、いくつも机の端のフックにぶら下げていたりして、よく親や先生に怒られていた。

 中学に上がっても改善は見られず、体育のグループ学習でリーダーを務めた際、皆の記録カードをうっかり外に置き忘れて、雨に晒してグチャグチャにしてしまったこともあったし、修学旅行に着ていく服を選ぶために母親からもらった二万円を、財布ごと落としてしまったこともあった。ADHDにも学習能力というものはあるから、年齢を重ねるにつれマシにはなるのだが、段々と責任が重大になり、扱うお金の額も大きくなった分、問題はさらに深刻になっていったともいえる。

 何より一番つらい思い出は、小学校三年のとき、餌やりを忘れて、飼っていたハムスターを餓死させてしまったことだ。今まで迷惑をかけた人間に対してはあまり申し訳ないと思う気持ちはないが、ハムスターにだけは、本当に悪いことをしたと思っている。

 警備員以前に勤めたアルバイトでも、コンビニでは入って三日目に早々「使えない」とのことで自主退職を促され、ファミレスの調理のアルバイトでも前述の通りうまくいかず、比較的好感触だった道路交通誘導警備の仕事でも、制服や仕事道具を忘れるなどして叱責を浴びたことがあった。 

 そんな僕が、大事な鍵の管理ができるだろうか。多少不安にはなったが、やるしかないことである。また、アルバイトの職場で出会うような人に自分の障害を訴えても理解されないのは、経験上わかっている。

 それに・・・・小さなミスならともかく、自分の首に関わるようなミスだから、さすがの僕にも、「いくらなんでも」という気持ちもあった。その過信――健常者にとっては、過信でもない当たり前の自信だが、ADHDの僕にとっては紛れもない過信のせいで、後の悲劇は起きてしまった。

「おーっす」

「あ、塩村さん。どうしたんですか」

 夜間の業務が終了し、全社員、全テナントの最終退館も済んだ午前一時、一人の男性が、通用口の鉄扉を開けて入ってきた。両腕には、なにやら大きな荷物を抱えている。

 塩村――伊勢佐木屋警備隊隊員であり、僕の教育係になるという先輩隊員である。

 年齢は三十三歳。痩せ型で、彫りが深い顔立ち。明るい、というより、気さくな性格で、暗い世界に生きる僕にも、実に親しみやすい。属性としては紛れもなく陽性で、それだけなら副隊長の折茂と同じなのだが、折茂の場合、自分に合わない人間は排除しそうなキツさが感じられるのに対し、塩村の場合は、陰性の人間にも合わせられる温厚さと柔軟性が感じられる。僕の教育係に指名されたのは、ポジションが同じということ以外にも、性格的な適正の面も関係がありそうだった。

「明日から、俺が仕事教えるからよ。今日はコイツで、ゆっくり寝ろよ」

 塩村が持ってきた荷物とは、布団であった。隊員が仮眠休憩を取る待機室の押し入れには、布団は二枚入っている。シフト上では、三人がいっぺんに仮眠に入ることはまずないため、普段はそれだけで十分なのだが、明日からは僕がインターンに入るため、自分の家から布団を持ってきてくれたのだ。こんな時間にこれだけの荷物を持ってきてくれる、ということは・・・。

「俺んちは、伊勢佐木屋から徒歩で三十分ほどの場所にあるからよ。いつでも遊びに来いよ」

 と、いうことである。その日は、塩村はそれだけ言って帰っていった。

 とにもかくにも、教育係の塩村がいい人そうで安心した。塩村だけではなく、他の先輩も、概ねいい人そうである。隊長の戸叶は少し陰湿そうで、癖がありそうだが、それも明らかに異常というレベルではない。

 労働にまつわる人間関係にいい思い出はまるでないが、ここでなら、そこそこ楽しくやっていけるのではないか。この時点で、この四人の先輩隊員の中に「魔物」が紛れていたことを知らない僕は、そんな淡い期待を抱きながら、仮眠休憩に入った。そして朝を迎え、本館、事務館の開放巡回、出勤してくる社員や各テナント従業員への受付業務などの仕事を見学してから、下番となった。

 十五時間という拘束時間は長いが、仮眠休憩もあり、また、僕が担当することになるCに関していえば、事務館の点検巡回が終わった二十三時から、通用口シャッターを開放し、朝の受付業務が本格的に始まる七時までは仕事らしい仕事はなく、実労働時間は八時間程度であるから、体力的な消耗は思ったよりは少なそうだ。普通の仕事とは逆に、夜の帳が明け、気持ちのいい朝に仕事を終えるのは、何か爽快な心地にもさせられる。

 不安が無くなったわけではなかったが、実地研修を終えた時点では、手ごたえの方が大きかった。
 
  ☆        ☆         ☆    
 
 実地研修を終えた翌日――正確にいえば、その日の夕方から、僕のC番インターンが始まった。給料の計算上では今日から本勤務となるが、正式にシフトに入るわけではなく、先輩隊員の塩村と一緒に動いて、Cの業務を覚える、という期間で、途中に休みを挟みながら、計五日間が予定されている。

 伊勢佐木屋警備隊のシフトは、「勤務」「明け」「公休」という、三つのサイクルを回すことで成り立っている。朝の十時に仕事が終わって、その晩十九時からの仕事もあるという日が「勤務」。朝の十時に仕事を終え、その晩は休んで、翌日の夜十九時から仕事があるという日が「明け」。そして、一日のうちどの時間帯も仕事に入っていない、という日が、「公休」である。

 仮眠があるとはいえ、十五時間も拘束される仕事だから、普通の勤め人のように、月曜日から金曜日まで五日連続で仕事をする、ということは、基本的にはない(ブラック会社に勤めている人なら、そういう働き方をしているのかもしれないが・・・)。二日か三日、長くても四日勤めたら明けや公休を取るという配分で、隊員の身体に無理がないよう、シフトが組まれている。

 しかし、僕の前任の隊員が、会社に連絡もなしに退職してしまった後は、一時的に全隊員が無理をしなければならない状況が発生した。そもそも、三つのポジションを五人の隊員で回すという発想に無理があり、万が一のときに備えて補欠要因をもう一,二名は育成しておくべきだったのだが、会社がインターン代をケチって、シフトを組めるギリギリの人数で警備隊を結成してしまったため、その内の一人が欠けてしまった後は、本当に悲惨な状況となったらしい。

 人数が少ないだけならまだよかった。問題は、それが寒い季節だったことである。誰かが風邪を患えば、狭い保安室の中にはあっと言う間に菌が蔓延してしまう。僕が入る半月ほど前には、隊員全員がマスクをつけ、フラフラになりながら仕事をしていたという。さすがにたまりかねて、一刻もはやく隊員を補充してくれと上に頼んだが、前述の通り、既存の隊員が伊勢佐木屋警備隊に配属されるのを嫌がったために、事情を知らない僕が外部から雇われることになった。

 このとき僕は、前任の隊員――阿川が、なぜ会社に連絡もせずバックレてしまったのか、もう少し気にすべきだった。気にしたところで何か対策を打てた、というわけでもないかもしれないが、先輩隊員たちにもう少し警戒することはできたのだ。

 しかし、当時の僕は、まだまだ人を疑うことを知らない二十歳の青年である。ここの先輩たちは、皆いい人に違いない。そう信じたい気持ちが強かった。

「よう、来たか。今日からビシビシ鍛えてやっからな。覚悟しとけよ~」

 僕の願いに一番応えてくれそうなのが、教育係の塩村だった。この塩村、とにかく愛想がよく、周りの隊員や、社員、テナント従業員にも働きかけて、僕が現場に馴染みやすくなるような雰囲気を作ってくれる。これだけコミュニケーション能力が高く、年齢もまだ若い彼が、なぜに警備員などで燻っているのだろう。そう思うくらい、僕から見れば優れた人だった。

「お疲れ様です。手荷物を確認します。はい。はい。オッケ―です」

 インターン初日、十五時間の勤務が始まった。最初の仕事は手荷物確認。何も難しいことはない。従業員が検品台の上に置いた荷物の中身を確認する、それだけの作業である。見よう見まねで充分できた。

「大人しい印象だけど、声は出るみたいだな。ガードマンはそれが一番大事だからよ。仕事ができなくてもいくらでもフォローできるが、声を代わりに出してやることはできない。従業員と世間話をしろとまでは言わないから、挨拶だけはきっちりな」

 塩村の言葉に、僕は深く頷いた。仕事ができないのはわかりきっているのだから、せめて愛想だけはよくしよう。今までの失敗を踏まえ、それだけは常に心がけようと、僕は入社の前から決意していた。内面にドス黒いものを抱えているとはいえ、表向きは、僕はそれほど根暗でも無口でもない。人と話すのは、むしろ好きな方だ。愛想よくしていれば、多少なりとも評価の対象になるのなら、喜んでするつもりだった。

「よし。次は、事務館の施錠巡回だな」

 手荷物確認を終え、いよいよ、初めての巡回業務へ出発である。この日は、塩村に一緒にくっついて回るだけであるが、いずれは一人で回らなければならない。保安室での受付業務なら、先輩がいくらでもサポートしてくれるが、巡回ではそうはいかない。五日間のインターンで、すべてを覚え込まなくてはならないのである。覚えの悪さ無類の僕の緊張は、否が応にも高まった。

「事務館の場合に気を付けるのは、各ドアや金庫の施錠確認。それと今の時期は、電気ストーブだな。それと、窓のシャッターの閉鎖と解放。そんなところだ。別に難しくはない。五日もありゃ、簡単に覚えられるさ」

 ホンマかいな、と思ってしまうが、インターン初日、まだ何もしていない内から、自信のないようなことを口にするわけにはいかない。巡回中、僕はありったけの集中力を動員し、塩村の動きを追った。

「ま、ざっとこんなもんだな。じゃ、鍵返したら、飯にするぞ」

 所要二十分の巡回を終え、保安室に戻ったときには、脳みそは疲弊しきっていた。

 二十時三十分、事務館施錠巡回を終えてから、九時までの三十分は、Cの食事休憩時間である。

 繁華街のど真ん中であるから、コンビニなど食料品を売っている店は付近に幾らでもあり、この時間に買いに行くこともできる。冷蔵庫や電気ポットもあるから、予め買ってきて保存しておいてもいいし、カップ麺を調理することもできる。

また、嬉しいことに、何も食事を用意しなくても、食料品を扱うテナントから、差し入れを貰えることもある。廃棄のものだが、賞味期限なんてものは、一日二日過ぎたところで、素人の舌には影響しない。二十時どころか、翌朝までとっておいても、十分おいしく頂くことができる。

 パン、巻きずし、カツサンド、ケーキ。ごくたまには、おでんなどももらえる。これが金銭的に非常に助かるのである。警備隊の先輩連中は、施しを受けているような恥ずかしさがあったのか、あまり積極的には手をつけなかったのだが、そうしたプライドの一切ない僕は、仕事を辞めるまでずっと、ありがたく頂戴していた。

 二十一時に、AとBが本館の施錠巡回に出発すると、Cは保安室での受付業務となる。この時間帯には、社員や各テナント従業員の最終退館があり、最終退館者には書類に名前を記入してもらっている。これが重要で、全社員、全テナント従業員の退館を確認しないと、施設の消灯ができないのである。

 そして二十三時から、いよいよC番メインの、事務館の点検巡回となる。十本以上のカギ、そして懐中電灯を持ち、僕は塩村に連れられ、本館と道路を一つ挟んだ敷地に建つ、事務館へと出発した。

「よし、着いたぞ。まず、やることは?」

 夕方の二十時以降、手荷物確認が終わった段階で、事務館は電子錠によって施錠される。ロックの解除は、本館の保安室にあるボタンで行うようになっており、夜間に事務館に入るには、鉄扉の脇に取り付けられたインターホンを押し、保安室の警備員に連絡しなければならない。

「じゃあ、ここからは俺についてこい。口頭で色々説明していくから、必要ならメモとってな」

 そして巡回が始まった。一階、商品管理、二階、会議室、三階、総務販促オフィス、四階、外商オフィス、五階、用度、労働組合、社員食堂、六階、電話交換室・・社員がすべて退館した事務館内の、様々な部屋を点検していく。

 やること自体は大したことはない・・・と思えてきたのは慣れてきてからで、最初の印象は「無理だろ」であった。一度回っただけではチンプンカンプンである。所要五十分の巡回が終了した時点で、僕の頭は真っ白、何も入っていない、という状態だった。

「まあ、五日間あるんだから、焦る必要はないさ。大体、俺たちのときは、八日間貰ってたんだから。五日で覚えさそうって会社のやり方に無理があるんだ。なんなら、インターンを期間を延ばしてもらえばいいさ」

 塩村はそう言ってくれたが、僕は不安だった。八日貰おうが十日もらおうが、覚えられる気はまったくしなかったが、とりあえずはまだ、インターン期間である。続けるか辞めるか、あるいはインターン期間を延ばしてもらうか、最終的な判断は五日間が終わってからすればいいと気を取り直し、仮眠室の布団敷きや、保安室内の簡単な清掃などの雑事を済ませた。

 午後二十三時半から午前二時までは、AとBが本館の点検巡回に出ている時間帯で、Cは完全に暇になる。本当に、何もすることがないのである。備え付けのテレビを見ていてもいいし、本を読んでいてもいい。携帯をいじっていてもいい。とにかく、保安室に身を置いてさえいればそれでいい、という時間帯である。インターンが終わって、正式にシフトに組み込まれるようになれば、当然一人で過ごすことになるのだが、インターン期間中は、塩村が一緒である。この時間に、僕は塩村と、お互いのことを語り合った。

 塩村は、前職はクリーニング店の新規開拓の営業。その前は、地元で自動車会社の、やはり営業職として勤めていたという。彼のコミュニケーション能力の高さは、長年営業畑で培ったものであったらしい。趣味はパチンコで、これは月単位ならほぼ確実にプラスに持っていけるほどの腕前とのこと。 

 余談だが、警備員にはギャンブル好きが非常に多い。中には仕事中に、トイレを借りにホールに立ち寄った際、どうしても我慢できず台に座ってしまい、制服姿のまま打っていたところ、たまたま通りがかった客先の作業員に見つかってしまい、結局クビになってしまった、という猛者もいるらしい。サボるならサボるで、せめて上着を脱ぐなりすればいいではないかと思うのだが、いわゆる依存症の人は、いったん勝負モードに入ると、子供でも回る頭も回らなくなってしまうのだろうか。

 ちなみに、当時の僕の趣味はゲームである。そして、直近では、映画の専門学校に通い、仕事中はメガネをかけ、小柄で弱そうな風貌。とくれば、人が抱く印象はひとつしかない。

「なんだよ~、津島はオタクか~」

「ええ、まあ・・・」

 アニメは子供向けのもの以外には、ジブリ作品と「ルパン」「エヴァンゲリオン」くらいしか見たことがなかったし、自分がいわゆるステレオタイプのオタクだとは思わないが、別に間違ってはいない。いちいち訂正するのも面倒だったし、オタクキャラならオタクキャラでよかった。

「じゃあ、あれか。休日はいつも、ダチと秋葉原まで行ってんのか」

「いや、秋葉原にはまだ、一、二回くらいしか行ってないですね。それに、僕、友達とかいないですから」

 何気なく言った言葉だったが、塩村はこれに案外、深刻そうな受け止め方をする。

「え?友達いないのかよ。一人も?」

「ええ・・まあ・・ここ半年、メールのやり取りとかは誰ともしてないですね・・」

「マジかよ・・。お前、その若さで・・・。高校も出てから何年も経ってないのにそんな孤独なのって、やばくないか」

 やばいとまで言われるとは思わなかったが、友達の少ないことと、自分が社会不適応者であることは、百も承知である。

 友達ができない――いや、より正しくいえば、友達はむしろ出来やすい方なのだが、折角できた友達が、すぐいなくなってしまう。これもADHDの特徴の一つなのだが、よく言えば天真爛漫、悪くいったら情緒不安定な僕は、感情の起伏が激しく、しかもそれが表情や態度に出やすい。何かいいことが続いているときはどこまでも明るく振る舞うことができ、友達が沢山寄ってくるのだが、トラブルを抱えたり、うまくいかなくなると、露骨に不満を露わにしたり、落ち込んだり、口数が少なくなってしまったりする。喜怒哀楽の喜と楽だけを表現していればいいものを、怒と哀までもを豊かに表現してしまうからいけない。自己主張が強く、何かといえば和を乱しやすい僕は、今まで長く一つの集団に溶け込んでいるということができなかった。

「ま、まあ、僕は一人でいるのが好きなんで・・。友達とか、別にいなくても平気ですから、ご心配なく」

 強がりというわけではない。高校の頃までは、友達の少なさに人並みにコンプレックスを抱えていたが、この頃になると、友達――同性との、対等な立場での人付き合いというものに執着する気持ちはなくなっていた。この頃欲しかったのは、もっぱら異性である。

 何も、人が羨むような美しい容姿の女を望んでいるわけではない。最低限、女とわかる顔かたちをしていて、健康で、会話が成り立つ程度の知性がある人ならば、それでよかった。年齢層も幅広く、四十歳くらいまでだったら喜んで飛びついた。そのくらい門戸を広く開けており、なおかつ、黙って待っているだけではなく、割りと積極的に動いているのに、まるで相手にされない。交際にまでこぎつけないのである。

 女のぬくもりに触れたくて触れたくて、仕方がなかった。女がいる同世代の男が、羨ましくて羨ましてくて仕方がなかった。

 二〇〇八年、二月――。僕と同じことを、インターネットの掲示板上に書き込んでいた一人の男が、秋葉原で無差別殺傷事件を起こす、四か月前のことであった。

 二時にAの戸叶とBの折茂が巡回から帰ってくると、Cは仮眠となる。シフトに組み込まれれば、当然一人で眠ることになるのだが、この日は塩村と一緒に就寝タイムに入った。枕が違うと眠れないということはないが、まだ、生活のリズムが、伊勢佐木屋の勤務に適応できていない。ようやく夢の世界に入れたのは、Bの折茂が仮眠に入る四時ごろのことで、五時に起きるまで、約一時間程度しか休めなかった。

「よし。じゃあ、目え覚ましに巡回に行くぞ」

 仮眠から明けて一発目の仕事は、伊勢佐木屋の周囲と、客用駐車場を回る、外周巡回である。施設内と違い、扉の開け閉めはないため鍵は必要なく、主な仕事は、敷地内で横たわっている路上生活者への声掛けとなる。

 伊勢佐木屋の周辺は、横浜市内でも有数の繁華街であり、また有名なドヤ街も近くにあるためか、路上生活者の数が非常に多い。いまどきの路上生活者には、見た目ではそれとわからない、意外と小奇麗にしている人もいるが、この町の路上生活者は仙人のような、昔ながらの浮浪者といった趣きの人が多かった。

 実家暮らしの僕には、路上生活というのはさほどリアルではないが、「明日は我が身」である。
 近々現物支給になるとか、施設で集団生活をさせるとかいう話もあるが、今の日本にはまだ、生活保護という制度がある。しかし世の中には、生活困窮者が、なかなか生活保護の利用に漕ぎつけない現実がある。

 罪が大きいのは、「自己責任」の風潮だ。政治家やメディアが繰り返し、生活保護の利用者をバッシングし続けることで、なんとなく「生活保護を貰うのは悪いこと」「生活保護者はだらしない奴らだ」と思わされている。そのせいで、いざ自分が露頭に迷っても、役所に生活保護の申請に行けなかったり、いわゆる「窓際作戦」で、役人にちょっと厳しく突かれただけで、あっさり申請を引っこめてしまう人がいる。

 また、信じられないような話だが、生活保護の制度があること自体を、本当に知らない人もいる。名前だけは知っていたとしても、年金のように六十五歳以上の人しか利用できないとか、身体に障害がある人しか利用できないとか、間違った覚え方をしている人も少なくない。

 これは学校が悪いだろう。中学校とか高校で、社会のセーフティネットについての学習を、ちゃんと時間をとってやるべきなのだ。ヨーロッパではそれが常識である。

 もちろん、中学校や高校で生活保護のことなど教わっても、ちゃんと中身を理解できる子供は少ないだろう。だが、「そういうものがある」ことだけでも知っていれば、大人になって困ったとき、「あのとき、先生が教えてくれたことをもう一度調べてみよう」となる。だが、存在すら知らなかったら、調べてみるところまでも行けない。

 もちろん、生活保護のことは十分知っていても、ヤバい筋からの借金や、犯罪を起こして逃げているというケースもあり、問題はそう単純ではない。だが、彼らを救うために、国ができることはもっとあるはずである。

 彼らに対して色々同情するところはあるが、あくまで自分の仕事のうえでは、彼らには関わりたくない思いが強かった。面倒はごめんなのである。Cの外周巡回の時間は、朝の五時。スルーしたところで、それを先輩隊員にチクるような人が外に歩いているわけではない。クソ真面目に仕事をして、彼らを叩き起こしたりして、反撃にでもあったらたまらない。僕はこのインターン期間の時点で、実際に路上生活者を目にしたら、迷わずスルーすることを心に決めていた。

 所要時間十五分。五時三十分に保安室に帰って、しばらくはコーヒーでも飲みながらゆっくりとし、六時ごろからは、食料品の搬入業者の受付が始まる。新聞の配達もこの時間にあり、全国紙や地方紙を各部署のポストに入れる仕事がある。まだやることは少ないから、適当に遊んでいても、食事をとっていても大丈夫だ。 

「よーし、じゃあ開放だ」

 そして七時に、いよいよ通用口シャッターの開放である。朝の陽射しが入り込んで、実に気持ちがいい。同時に、搬入業者の入館が一気に増え、社員、テナント従業員も続々と出勤して、受付業務が本格的に忙しくなってくる。

「ここからの時間は、立って受け付けな」

 保安室内の受付業務は、シャッターが閉まっているときは座っていてもいいが、一度シャッターを開放したら、立って行う決まりになっているという。別に座ってやっていたところで怒られるわけでもないと思うが、客の目を意識してのことだそうだ。C番の残りの巡回は、八時三十分の事務館開放巡回のみで、あとは最後まで、本館保安室での受付業務である。

「よーし、今日はこれで下番だ。一日、お疲れさん」

 受け付け業務、事務館の開放巡回、最後の立哨警備を終え、午前十時、ついに一日の業務が終了した。普通の勤め人とは反対に、清々しい朝の光を浴びながら帰宅し、その晩は、夜のネオンを浴びながら出勤する。これまでとは一線を画す生活パターンであるが、なにか、当時僕が憧れていた、アンダーグラウンドの住人になれたようで、少し嬉しくもあった。

 その後、明け公休を挟みながら、五日間のインターンは無事終了した。僕の覚えは悪く、塩村には声を荒げて怒られたこともあったが、どうにか五日目には、一人で施設の巡回も回れるようになった。

 五日目の勤務が終了した際、塩村は僕をモスバーガーに連れて行ってくれ、食事をおごってくれた。

「次回から俺と一緒に勤務するときは、俺はB番ってことになるけど、わからないことがあったら、何でも聞けよ」

「はい。ありがとうございます」

 五日間、塩村は、本当によく面倒を見てくれた。途中、挫けそうになったこともあったが、無事最後までインターンを乗り切れたのは、彼が親しみを持って接し、丁寧に指導してくれたからだ。感謝、感謝である。

「それと、これ。俺のアドレスな」

 塩村は僕の携帯を取って、電話帳に自分のアドレスを入力した。警備隊とは、インターン初日の時点で、全員の番号を交換済みだが、メールアドレスを交換したのは、塩村ただ一人である。

「なんか仕事の悩みで、言いにくいこととかあったら、メールで連絡してこいよ。電話でもいいけどよ」

「は、はい。ありがとうございます」

「それと、津島は友達がいないとか言ってたけど、一緒に休みに入れた日には、遊びにでもいこうや」

「え?ああ、はい。ありがとうございます」

 これまでの人生で、アルバイト先の人と携帯電話の番号を交換したのは初めてのことである。仕事はお金を稼ぐためだけに行くところと割り切っており、それ以上のことは期待していなかった僕の心は弾んだ。本当に嬉しかったのである。

「それじゃ、またな。今晩はゆっくり休めよ」

「はい、お疲れさまです」

 五日間のインターンを終えた満足感。そして、一つの確信。この塩村という先輩は、確実に僕の力になってくれる。

 すでにこのとき、「魔物」の瞳は、僕をじっと捉えていたことを知らない僕は、弾む心地で電車に乗り込み、週払いの給料を持って、川崎の格安ソープランドへと向かっていた。

犯罪者名鑑 宅間守 2


たくま

 
  無鉄砲


 宅間守は昭和38年11月23日、大阪府のプレス工場で働く父、武士と、3歳年上で、同じ工場で働く母の間に誕生しました。あのJFKが暗殺されたのと同じ日です。

 守を身籠ったのがわかったとき、母は不安げな顔で、こんなことを言ったといいます。

「あかんわ、これ。ウチおろしたいねんこれ。あかんねん絶対」


 いわゆる、第六感というものが働いたのでしょうか。そんな漫画のような話があるのかと思いますが、父、武士は、確かに妻のこの言葉を聞いたのだといいます。守が真っ当に育っていれば、母の方が酷いことを言う親だということになったのでしょうが、結果的には、母の予感が見事に的中したことになってしまいました。

 4000グラムと、生まれたときから大柄だった守は、すくすくと育っていきました。活発すぎるほど活発な子供で、まだよちよち歩きのころから、ご両親や祖母の目を盗んで家を飛び出しては、三輪車で近所を走り回っていたといいます。そんなことを書いてある文献はどこにもありませんが、「名前は”宅の間を守る”やのになぁ・・・」と呟いた人も、近所にはいたことでしょう。

「あのころから守は自ら深みにはまるヤツやった。親がハラハラするようなこと平気でやりよるんよ。兄貴は面倒かけず、どちらかというと慎重な性格やったのにな」

 とは、父、武士の言葉ですが、守はどうも、当時から怖いもの知らずというか、後先のことがまったく考えられない性格であったようです。

 守少年が小学校に上がる前に起こした、無謀さを表すエピソードは枚挙に暇がありません。

 ・海に出たとき、何度注意しても沖の方まで泳いでいく。
 ・落ちたらケガでは済まない高さの木にも平気で登っていく。
 ・テレビの月光仮面の真似をして、押入れから飛び降りる。
 ・両親や祖母と町へ出かけても、目を離したらすぐにいなくなる。
 ・国道の真ん中を三輪車で走り、車が渋滞するのを見て愉しむ。 


 まあ、典型的な、多動優勢型のADHDの症状です。ADHDに関しては別の記事でも触れていますが、一応ここでも簡単に説明すると、落着きがなく、じっと座っていられなかったり、食事中にも立ち歩いたりしてしまう多動性障害と、注意散漫で、忘れ物や落とし物が多い注意欠陥障害の二つの障害を併せ持つ、発達障害の一種です。

 このうち注意欠陥の方は、成人以後も症状が残りやすいのですが、多動性の方は、成人が近づくにつれ収まってくるもので、三十歳前にはほとんど目立たなくなるのが普通です。

 が・・・。宅間の場合は、成人以後も「無鉄砲」な部分が濃厚に残ってしまったようで、二十二歳のとき、宅間は精神病院の5階からの決死のダイブを慣行し、瀕死の重傷を負ってしまうことになってしまいました。このとき、守は頭部も強打したようで、これ以後、持ち前の凶暴性がさらに激しくなってしまったようです。


あくま


 羞恥心



 守には幼児のころから、人並みの羞恥心が足りないところがありました。ふら~っと外へ出てかえってこれなくなり、警察に保護されて帰ってきたとき、悪びれた様子もみせず「お巡りさんとかえってきた!」「パトカー乗せてもろうた!」と無邪気にはしゃいでいたり、好奇心から一人でバスに乗ったとき、運転手さんに「ちんちん(乗車賃)もってきたか」、と聞かれ、おもむろにパンツを脱いで、男の子の大事なおちんちんを引っ張り出したこともあったそうです。

 とんでもない子供のようですが、まあ、夏目漱石の「坊ちゃん」と「クレヨンしんちゃん」のハイブリッドみたいなものだと思えば、かわいいものかもしれません。

 行動力のある人は、例外なく羞恥心が希薄であるといえると思います。恥をかくことを恐れていたら、思い切ったことなどできません。家族にとってみればたまったものではないかもしれませんが、個人の目線では、羞恥心のなさはある意味強みともいえます。 

 後先を考えられない故とはいえ、宅間の行動力だけは感嘆に値すると、素直に思います。失敗も多かったのでしょうが、まあ、引きこもるよりはマシな生き方でしょう。

<ホテトル嬢50人以上とケツの穴セックス、おまえらやったことあるか?医者のねるとんパーティに行って、ベッピンの女、数人とオメコやったことあるか?複数回、再婚なのに初婚とだまして結婚したことあるか?処女と20人以上やったこと、お前らにあるか?歩いてる女、スパッとナイフで顔を切って逃げたことあるか?>


 という宅間の獄中手記に対し、「コンプレックスに喘いだ男の悲しい咆哮。男はセックスした女の数だけを誇りに、絞首台に上っていった」――などと、冷めたコメントをしている記事もありましたが、いったいこの記者は、どれだけ勝ち組の人生を歩んできたというのでしょうか。多数の女とセックスできたんなら、勝ちでいいじゃないかと思いますが。

 長所は常に、短所の裏側にあるものです。この超アグレッシブという長所を生かしつつ、一線を越えないよう何とかコントロールできれば、宅間が人並み以上に幸福な人生を送れた可能性も、私はあったと思います。

 彼の人生は、いったいどこから、本格的に狂ってしまったのでしょうか・・?


じえいたい


 
 小学校


 守は小学校に上がってからも、相変わらずの問題児でした。

 実家に残された通知表の中で特に目につくのは、弱い者に暴力を振るっていた、という記述です。毎年のようにこれが書かれています。父、武士も、守はこのころから、特殊学級の子供を子分にして、殴ったり、万引きをさせたりしていたと語っています。

 弱い者いじめは良くないことですが、私が守をそこまで責める気になれないのは、彼はイジメにしても、誰の後ろ盾もなく一人でやっているのであり、徒党を組んで、一人を集中的に、ねちねちイジメているわけではないところです。

 成人以後もそうなのですが、宅間は悪事を働くにも、「仲間を作る」ということを、まったくといっていいほどしません。あまりの社会性のなさに、不良ですら寄り付かなかったのだと言ってしまえばそれまでなのですが、どうも宅間本人も、根っから友人というものを必要としない体質だったようにも思えます。

 大人になり、自分の時間を大切にするようになってからそうなる人は大勢いますが、まだ自己のアイデンティティも確立できていない小学生のころから孤独に強かったというのは、結構凄いことではないかと思います。どんな問題児でも、この時期はまだ、除け者にされて寂しい、とか、放課後に一緒に帰ってくれる友達がいなくて辛い、とかいった風に思うはずなのですが、宅間がそんな風に思っていた形跡は、まったくといっていいほどないのです。共感性が極端に薄かったからでしょうか?それにしても、他人から孤独に見られてもまったく気にしないのはすごいです。友達がいない恥ずかしいやつだと思われたくなくて、「便所飯」をしている大学生などには、宅間を見習ってほしいくらいです。

 この孤高さというのは、宅間の魅力ではあります。

 もう一つ目につくのは、守は当時から「虚言癖」「空想癖」を発揮していたということです。虚言、空想といっても、小学六年のとき、「正月に日光に行った(父は完全に否定)」ときのことをテーマにして作文に書いただけの可愛らしいものではありましたが、それが卒業文集だったというのがすごいところで、国語の授業の単発モノならともかく、一生モノの文集に堂々と嘘を書いてしまうというのは、考えようによっては大物の風格ともいえます。

 わかっている限りではこの程度ですが、他にもきっと、大人では予想もつかない、しょうもないような、とんでもないような嘘がたくさんあったのでしょう。のちに泌尿器科の医師を装って、ねるとんパーティで高学歴の女を食い荒らした猛者は、こうして成長していったのです。

 将来、自衛隊に入隊し、パイロットになるという夢もこのころから抱いていたようで、アメリカやドイツの戦闘機に乗るんだとか、山本五十六がどうのこうのといったことを、よく先生や友達に言っていたようです。

 私も軍オタというほどではないですが、どこの国の軍でも、軍服や武器、乗り物はカッコいいなと思います。ただ戦うための機能美を追求しただけとは思えないくらい、無駄にデザインが凝っています。

 まあ、間違いなくリクルーティングを意識しているのでしょう。中世の武士が、戦場で個性を出すために華美な軍装を好んだのとは違い、みんなでカッコいいユニフォームを着ることで、連帯感を高める効果も狙っているものと思われます。素朴な旧日本軍の制服とかも、あれはあれで味があっていいと思いますし、ミリタリーファッションには、なにか男心を引き付ける磁力のようなものがあります。

 自衛隊のパイロットに憧れること自体は、男の子らしい、いい夢だと思います。しかし、夢を叶えるためには、当然、それなりの努力というものが必要です。守もそのことはわかっていたのでしょう。小学六年のある日突然、守少年は、大阪池田中学校の願書を取り寄せたのです。

 しかしそれは、パイロットになるためにはいい大学に通わなくてはならない=それには国立のいい中学校に行かなければならない。と、安直に考えただけにすぎませんでした。実際には、守には池田中に入る学力などまったくなく、しかも、地道に勉強を始めることもなかったのです。

 受験もタダではありません。近所の笑いものになることも恐れたのか、母親は怒って、守がとってきた願書を捨ててしまいます。守も無謀な計画であったのをわかっていたのか、受験をやめさせられたことについては納得していたようでしたが、ねじくれ曲がった守は、「親がもっと勉強に適した頭に産んでくれたら、池田中にも入れた」などと恨むようになってしまいました。

 宅間守と大阪池田小の深い因縁は、ここから始まったのです。

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 3

 
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 淳くん殴打事件

 
 酒鬼薔薇の小学校高学年時代の問題行動について語っていきます。

 酒鬼薔薇が小学校高学年になると、万引きで補導されたり、友達に暴力行為を働くなど、次第に家庭の外での問題行動が目立つようになっていきます。殺人事件の被害者となる土師淳くんに初めて暴力を振るったのも、このころのことでした。
 
 淳くんは、酒鬼薔薇の下の弟の友達でした。淳くんは知的障害の持ち主でしたが、非常に軽度なもので、日常会話程度ならまったく差し障りがなく、酒鬼薔薇の家にもよく遊びにきていました。お母さんが見る限り、酒鬼薔薇とは、おやつのときに顔を合わせる程度だったようですが、同じ小学校に通っている間柄でもあり、二人で遊ぶようなこともあったのでしょう。ある日、酒鬼薔薇は、学校のグラウンドで、「吊り輪、吊り輪」といって酒鬼薔薇の手を引き、吊り輪の遊具まで導こうとする淳くんを、突然、馬乗りになって殴りつけたといいます。

 先生に対しては、淳くんのほうがちょっかいを出してきたと言い訳をしていた酒鬼薔薇でしたが、それは真っ赤な嘘とわかり、あとで先生と一緒に、淳くんの家に謝りに行くことになりました。酒鬼薔薇は、たんこぶができるまで殴りつけた淳くんが、何事もなかったかのように「Aや!」と、笑顔で迎えてくれたのを見て、泣いて謝っていたといいます。このときは本当に反省したのだと思います。

 しかし、酒鬼薔薇はこれ以後も、純粋無垢で、天使のような淳くんを、あまりにも醜く汚れた自分と対局の存在として、ずっと複雑な感情を抱いていたようです。そしてこのときから二年後、酒鬼薔薇はついに、淳くんの命を奪ってしまいました。

 なぜ酒鬼薔薇は、暴力事件を起こしてもなお、友達のお兄ちゃんだからと酒鬼薔薇を信頼してくれていた淳くんを、最悪の形で裏切ってしまったのでしょうか?

 「絶歌」の中で、酒鬼薔薇は、「淳くんの純粋無垢な世界に、醜く汚れた自分が受け入れられることで、自分を壊されてしまうような気がして怖かった」と語っています。

 人にはいいところもあれば悪いところもあります。いいところも悪いところも含めて、かけがえのない自分という存在です。普通の人であれば、良いところだけを見せ合って仲良くするのが当たり前で、悪いところは全部隠したいと思うのでしょう。しかし、自己顕示欲の強い人は、自分の悪いところまで、人に受け入れてもらわなければ満足できません。

 もしかしたら、自己顕示欲と自己愛が強い酒鬼薔薇にとっては、いかに純粋無垢な淳くんといえど、自分の悪いところをまったく見ず、いいところばかり見て仲良くしようとされるのは、自分を否定されているようで、激しい苦痛だったのではないでしょうか。「お前の都合のいいように、俺を作り変えるな!」という抵抗の感情です。

 この推測は、酒鬼薔薇が「絶歌」の中で、少年院で行われた「少年A矯正2500日計画」についてまったく語らなかったこと、また、そもそも酒鬼薔薇が「絶歌」を執筆し世に出した理由に関しても重要な意味を持ってくるので、ぜひ頭に留めておいていただきたいと思います。


さけおにばら



 阪神・淡路大震災


 酒鬼薔薇小学校六年生のとき、西日本と東日本の中心地を、未曾有の惨劇が襲います。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件です。

 神戸在住の酒鬼薔薇にとってより衝撃が大きかったのは、やはり阪神大震災のほうだったでしょう。酒鬼薔薇が住んでいた須磨区は大きな打撃を受けませんでしたが、子供心にも関心が深かったようで、酒鬼薔薇は学校で書いた作文の中で、被災者の救援活動が遅れたことで批判された当時の首相、村山富市に対して、次のような怒りを露わにしています。


 村山さんが、スイスの人たちが来てもすぐに活動しなかったので、はらが立ちます。ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います。


 弟たちや淳くんをいじめたり、弱者に対する思いやりが欠けたところと矛盾するようですが、私は酒鬼薔薇の作文は、思いやりというより「正義感」から書かれたものではないかと思います。

 世の中にはしばしば、「正義感は強いが思いやりがない」という人がいます。早い話、「ジャイアン」を思い浮かべていただければいいかと思うのですが、曲がったことが大嫌いで、男が女子供を襲ったりするような犯罪や、権力者が不正を働き私腹を肥やすようなことを厳しく批判する反面、なぜか当の自分は、近くにいる弱い立場の人をいじめている、というような人です。

 歴史上では、三国志の張飛など戦場で勇敢さを発揮する武将にこのタイプが結構おり、意外に優秀な人である場合もあります。しかし、私の私小説に出てきた某O氏を知っている方ならわかると思いますが、バカがやるとこれ以上にタチが悪いものはないというタイプです。

 「正義感は強いが思いやりがない」タイプの人間、私はこれは警察官にも多いタイプだと思っています。知っての通り、犯罪者には社会的弱者が多く、生い立ちやトラウマなどの面に情けをかけていたら仕事にならないというところを考えれば、性格的には適正があるといえなくもありません。人格的な問題を抱えながらも、どうにか社会に適合しルールを守っていけるなら、それも個性のひとつということもできます。

 もしかしたら、この正義感という部分に着目し、うまく利用して導くことができていれば、酒鬼薔薇が罪を犯さずに成長できた可能性があったのかもしれません。体力のない酒鬼薔薇に警察官は無理だったでしょうが、今ごろは溶接工場(酒鬼薔薇が出所後に勤めたのが溶接の会社)の、陰気でちょっと意地悪な兄ちゃんくらいで済んでいたかもしれません。

 可能性の話ですが。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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