犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 2

無題じょーだん



 バスケットボール

 
 加害女児AがHPに趣味・特技として書いていたのが、「バスケットボール」と、「読書」でした。

 まず、バスケットボールについてですが、佐世保市では小学校のクラブ活動を、学校とは別に、区の自治体ごとに行っているのが特徴で、女児が通っていた大久保小学校の地域では、指導者に定年退職したボランティアを招き、毎日休みなしで、メニューに校庭100周が含まれる本格的な練習が行われており、対外試合でも優秀な成績を収めていました。

 Aはバスケットボール部の活動に大変熱心に取り組んでおり、HP上の日記にも、試合に勝利したことが誇らしげに記述されていました。しかし、Aは小学六年に上がるころ、成績不良を理由に、バスケットボールを父親の判断で辞めさせられてしまいます。実際には、Aの成績は「中の上」程度でしたが、父親はAに名門の公立中学校への受験を望んでいたのです。Aは酷く落ち込み、友達も心配して、Aの五年次の担任に「クラブを辞めさせられてしまうから、Aの成績を下げないで」とお願いしていたといいますが、結局、Aは部活動の継続を断念せざるを得ませんでした。

 Aが熱心に取り組んでいたクラブ活動を辞めさせたことについて、父親には批判的な意見が集中していますが、少し父親の視点に立ってみれば、まだ身体の出来ていない小学生に、毎日休みなし、校庭100周などという練習を課すのは、ちょっと常軌を逸しており、成績悪化への懸念も無理はないという考えもあります。もし、Aの所属していたミニバスケットクラブが、土日限定、せいぜい+平日二日程度の、小学生らしい日程での活動であったなら、Aがクラブを辞めさせられることはなかったのかもしれません。

 Aがバスケットボールを辞めさせられたことにより、攻撃衝動を発散する場を失ってしまったことを凶行の理由に挙げる人もいますが、その可能性に言及するなればこそ、フェアな見方は必要でしょう。


バトルロワイヤル


 
 小説
 
 バスケットボールとはある意味対極的な、読書の趣味。Aの場合は、書く方も行っていましたから、「小説」の趣味と言った方がいいでしょうか。

 読む方では、Aが強い影響を受けたとされる「バトル・ロワイヤル」のほか、「呪怨」などのホラーものなど、割りとハードな内容の作品を好んで読んでいたようですが、「恋空」など若い女の子向けの作品も読むなど、好みは幅広かったようです。

 書く方では、あのバトルロワイヤルを模した作品をHP上にUPしていたことが知られています。紙数の都合がありますのでここでは紹介しませんが、ある程度既存の作品のトレースがあったにしても、小学生にしてはよく書けている文章です。ごく稀に、私のように、一般就労が無理だと思ったからクリエイティブな道に進もうと思った、という人間もいますが、基本的に「創る」ということは、よほど好きでなくてはできないことです。小説というものが、Aの内面の大きな部分を占めていたのは間違いないでしょう。

 しかし、Aの犯罪に小説の悪影響があったとするのは、責任転嫁というものでしょう。

 そもそも我が国における娯楽作品とは、古くは平安時代の源氏物語に始まり、江戸時代にはお上の政治姿勢を暗に批判した歌舞伎が持てはやされ、さらに明治以降の近代文学の黎明期に繋がるまで、「鬱屈、性衝動、暴力衝動」といった、暗い方面のエネルギーを昇華させることで発展してきたものです。「みんな明るく元気になあ~れ」という趣旨の作品が持て囃されるようになってきたのは、歴史から見ればごくごく最近、ここ三、四十年のことに過ぎません。

 そうした文化の成立過程を無視して、過激な描写を規制したり、ハードな内容の作品を批判することは、「元は同じもの」であるプレステやパソコンを楽しみながら、「元々こっちが主目的」である弾道ミサイルなどのコンピュータ技術を駆使した軍事兵器を批判するようなもので、これを昔の作家が見たら「俺たちのやってきたことはなんやねん」と頭を抱えてしまうでしょう。

 確かに、昔の小説や演劇とは違い、近年の最新の映像技術を駆使したドラマやアニメは非常にリアルで、刺激が強く、人の感性に与える影響は大きいのかもしれません。しかし、原因の大きなところをそれに求めるのはやり過ぎではないでしょうか。ポルノ作品と同じで、下手に取り締まったら、発散する術をなくして、むしろ犯罪が増えそうな気もします。R指定は取りあえず必要かもしれませんが、焚書坑儒とか、出版禁止のようなことを考えるのは言語道断でしょう。

 この点に関しては、私は草薙厚子さんら識者の意見に異を唱えざるをえません。


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 一学年一クラス


 大久保小では児童数の問題もあり、一学年一クラス制による学級運営が行われていました。当然、クラス替えはありません。

 小学校、中学校におけるクラス替えは、昔は通知表の五段階評価を、クラスごとの相対評価で決めるため、成績の平均点を近くする、という明確な目的のもとに行われていましたが、絶対評価となった現在は、一般的に「学級の均一化」を目的に行われているようです。クラスの平均点が近くなることに加えて、50メートル走の平均タイムが近くなるように・・・問題児童の数が同じになるように・・・等、ありとあらゆる分野で、生徒の個性が偏らないようにしているのです。

 色々なタイプの子と交わることでコミュニケーション能力を育む、といえば聞こえはいいですが、ようはクラス間格差の解消と、問題学級出現の防止でしょう。

 成長著しい年齢の子供ですから、二年も経てば、クラスごとに学業や身体の発育に大きな差が出るのは当然です。その歪みが原因で学級運営に支障をきたすということも十分あり得ます。同じ学年の中で、軍隊のように規律の取れたクラスと、動物園みたいなクラスに分かれてしまったら、既存の人間関係をぶち壊して一度リセットするという作業はやはり必要でしょう。

 しかし大久保小では、一学年で一つしかクラスが存在しないため、一年生のときに編成されたクラスのまま六年生まで過ごすしかありませんでした。子供からすれば、大好きな友達と離ればなれにならずに済んで良かったかもしれませんが、やはりクラスの中での能力格差が顕著となり、また悪い人間関係も六年間持ち越されて溝が深刻になり、それらが子供の内面に悪影響を及ぼしていた可能性は考えられます。

 事実、Aの所属していたクラスは、教員や保護者から、「問題児童が多いクラス」と見られていました。
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私小説の続き6 孤独と孤立の違いと動物愛

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 私小説の続きを進めていきます。

 現在、小説「外道記」を、九月完結目標に週二回のペースで更新しています。完結後は残りの小説二作と、犯罪者名鑑を中心に更新していこうと考えていますが、この私小説の続き、またその先の私小説第二段も、一応候補として検討しています。また、四月に一度消してしまいましたが、「私小説 施設警備員以前」を、もう一度再構成して書いてみるのもいいかなと思っています。

 なんにしても、読者様に好評をいただいているものを優先的に更新していこうと考えております。判断の基準は、何度も言いますがコメントです。コメントの数で、どのコーナーを優先的に更新すべきかを判断していきます。よろしくお願いします。

 

 外壁清掃の会社を後にする前だったか後だったか、施設警備員時代の塩村からのメールが届きました。私のことを遊びに誘ってくれたのですが、私はその誘いを断ってしまいました。

 なぜ、良くしてくれた塩村からの誘いを断ってしまったか、理由は三つありました。

 まず一つは、あの悍ましい折茂が背後にいるのではないかと疑ったということ。彼との出来事を小説にまとめ、折茂と心の中での決別を果たした現在と違い、当時の私は、折茂のトラウマを克服できていませんでした。

 二つ目は、当時無職で、金欠の状態にあった、惨めな私を見られたくなかった、ということでした。塩村に会うのが恥ずかしかったのです。


 当時の私を思い返すにつけ、「開き直り」という気持ちが欠けていたと本当に思います。

 自分が現在、困窮しているのは、自己責任以上に時代のせいである。また、百歩譲って自己責任だとしても、自分が社会でうまくいかないのは、努力が足りないのでもなく我慢が足りないのでもなく、生まれ持った気質のせいであり、それはけして変えられないものだから、引け目に思う必要はない。自分を惨めに感じる必要なんてない。

 このくらい割り切っていたら、塩村の誘いを受けるかどうかはともかく、自分自身を惨めに思うことはなく、余計な劣等感に苛まれ、鬱々とした毎日を送ることはなかったはずです。「自己責任」の毒が、当時の私の脳には濃厚に回っていました。

 またもう一つ、なぜかこの時期、十代のころの私を悩ませていた、「寂しい」、という感情が薄れていたこともあげられます。この時期の私は社会と繋がっておらず、家族以外との会話が絶無の状態で、普通なら索漠とした感情はより強くなりそうな気もしますが、なぜかこのときの私は、孤独をあまり苦にしていなかったのです。

 人それぞれでしょうが、どうも私の場合、「孤独」はそれほど致命的な苦にはならないようです。私が辛いのは、孤独ではなく孤立。「大勢の他人に囲まれているのに、友達がいない。誰も相手にしてくれない」という状況であり、社会との交わりを断ち、他人との関わりが全てなくなった状態は、ある意味、気楽とも思えるようです。かといって積極的に孤独になろうとも思いませんが、極端な話、死刑囚になったら達観した気持ちになれるタイプかもしれません。だから何が何でも、人に会いたい、友達が欲しいというわけではありませんでした。

 しかし、もしかしたら、それより何より大きいのは、私が「自分という存在を好きになれない」ことだったかもしれません。「私小説以前」でも触れたことですが、私自身が自分を嫌っているから、自分を良いと思ってくれる人がいても、うまく対応できないということです。私が、「他人が自分に好意を抱くこともあり得る」と信じられるようになったのは、このサイトを始めて人に褒められるという経験をし、多少なりとも「自分が嫌い」という感情が和らぎ、そして現在の婚約者と出会った、つい最近のことです。

 ただ、その婚約者の想いも、幼いころある動物との交流がなければ、信じられるようにはならなかったかもしれません。その動物とは犬です。女に愛される以前に、私は犬に愛されるという経験をしていました。犬という動物との交流を通じて、私は他者が自分に抱く好意というものを認識できるようになったのです。幼い頃から犬と一緒に育ったことが、私の情緒形成には大きく役立ちました。

 凶悪犯罪者の生い立ちを辿ってみると、どこかで犬や猫を虐待していたというエピソードが出てくることが非常に多いことは有名です。また、米国の少年院で、犬の訓練を通じて命の尊さを学ぶ「プロジェクト・プーチ」というプログラムが導入されており、そのプログラムの受講者400名は、ただの一人として再犯をしなかったというデータがあります。犬や猫に情を抱けるかどうかは、やはり塀の向こうに入る人間とそうでない人間を分けるひとつのポイントかもしれません。

 とはいえ、友達が沢山いるようなリア充なのに、犬を簡単に捨てるようなヤツもいますし、私のように、震災で飼い主と離ればなれになった犬のための募金は惜しまなくても、震災で家を失った人の募金にはビタ一文も協力しない人間もいますから、一筋縄ではいきません。私の場合は、人間や社会への憎しみから、動物との結びつきをより求めているのかもしれません。

 施設警備員時代の中で、私は十四年間一緒に生きてきた犬と永遠の別れをしたことを書きましたが、この頃、ようやく立て替えが済んだ我が家に、新しい犬がやってきました。弟が余所からもらってきた雄のポメラニアンですが、彼との出会いが、ニート状態だった私の生活に張り合いを齎してくれました。

 犬という生き物は、人を偏った目で見ることがありません。いい大人が働いていないとか、金を持っていないプータローとかいったことを一切気にせず、ただ、自分に世話を焼いてくれた人に恩を返そうとする生き物です。彼らはどんな人間にも平等に、「生きていていいんだ」と言ってくれます。毎日犬のさんぽに行き、一緒に遊ぶなかで、私も自分を惨めに思うこともなくなっていきました。

 気力を取り戻した私は、外壁清掃会社を辞めてから二か月後、施設警備員退職後、三つ目のアルバイトをする決断をしました。
 

犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 1

させぼ



 秘匿性の高い事件

 
 佐世保小6女児殺害事件を調べて思うのは、世間での注目度に比して、これほど謎が多く残された事件があっただろうか、ということです。事件に関する書籍は数多く出版されており、ネットでも事件を取り扱ったサイトは多数あるのも関わらず、あまりにも「わからない」部分が多い。

 この事件は、当時14歳に満たない触法少年が犯したものであり、被害者もまた小学生、そして事件の現場もまた小学校という空間であったことから、成長過程にある児童を傷つけないような配慮はもちろん必要であったとは思いますが、この事件の場合それとは関係なく、事件関係者が、説明責任を放棄して「逃げている」。佐世保市の行政に明らかな隠ぺい体質があると感じざるをえない、酷い対応が目立ちます。

 事件は「特別に異常な女児」が起こしたものなのではなく、事件の責任を幼い女児一人に被せて収拾を図ろうとする周囲の影響が非常に大きかったのではないか。そうした観点から、事件の真相に迫ってみたいと思います。

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 幼少期


 加害少女(以下Aとする)が誕生したのは、共働きの両親と、五歳年上の姉がいる普通の家庭でした。両親は幼い子供を養うため、懸命に働いていましたが、Aが二歳になる直前にアクシデントが襲います。父親が脳梗塞で倒れてしまったのです。やむを得ない事情であったとはいえ、このとき母親が、父親の看病にてんやわんやで、Aにあまり構ってあげられなくなってしまったのは、やはり情緒面の発育上良くなかったのかもしれません。

 父親は数年のリハビリを経て、おしぼりの配達など自分のペースでできる仕事で社会復帰を果たし、母親の負担も和らいだのですが、それからも、どうやら両親の愛情不足は続いていたようです。

 小学校に入学するころになったAは、「感情をあまり表に出さず、おとなしく手のかからない、いい子」だったといいます。両親は、大事な時期に十分な愛情を注がれなかったために感情の認知ができず、その表現の仕方もわからなかっただけのAの様子を肯定的に捉え、後からでもたっぷり愛情を注いで育てていく義務を怠ってしまったのかもしれません。

 Aは運営していたHP上の日記や小説の中では、「愚民」「猜疑心」など、年齢に合わない難しい単語を使っているにも関わらず、保護された後に受けた精神鑑定で、「ひまわり」「菜の花」「カブトムシ」「モンシロチョウ」などが描かれたイラストを提示されたとき、その名称を答えられなかったといいます。ジャーナリストの草薙厚子氏は、これを「視覚した画像と言語を整合させる能力に支障がある、アスペルガー症候群の特徴」と考えていますが、もしかすると、「本当に知らなかった」という可能性もあるのではないでしょうか。

 子供は小さいころは野に咲く花や虫など、原初的に存在するものを、ただ単に「見る、聞く、触る」ことから始め、成長するに従って、多数の言語を組み合わせた文章を読み書きしたり、複雑なルールのスポーツに自ら参加することに興味を持っていきます。しかしAの場合は、幼いころ両親に連れられて外に出て遊ぶという経験があまりなく、小説やバスケットボールに興味を持つ以前の、原初的なものと触れ合う機会が、もしかすると丸々すっぽ抜けていたのではないでしょうか。


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 家庭


 Aの幼少期には、非行少年の親の特徴として多くあげられる「無関心」の陰がちらつきます。これに関しては、父親の脳梗塞というアクシデントの影響も大きく、両親ばかりを責めることもできませんが、両親はAが小学生になると、今度は一転、非行少年の親の、無関心とは対極的なもう一つの特徴である「過干渉」を見せるようになっていきます。
 
 父親はAが小学校に入学した後は、門限に厳しかったり、「校区外に出てはならない」として遊ぶ範囲を制限したり、成績不良を理由に、Aが積極的に取り組んでいたミニバスケットボールチームを辞めさせるなど、管理主義的な態度でAに接していました。

 また、同級生の保護者からは、Aが友達を家に連れてきたときのこと、Aが父親に、「パソコンを使わせて」と頼んでから友達と遊び始めたところ、父親は、「なぜ一言パソコンを使わせてくださいと言ってから遊ばないんだ!」と、Aの友達に対して大声で怒鳴ったという話が聞かれています。父親からすれば、友達もA任せにせず、自分で頭を下げて頼みに来いと言いたかったのでしょうが、それにしても、これはあまりにも娘の立場に配慮のない、酷い態度と言うほかありません。

 他にも、このような話が、保護者の間に伝わっています。Aが友達数人で買い物をしたときのこと、割り勘でお菓子を買った際、Aが他の友達よりも三十円、多く支払いました。そのことでAの姉が、その保護者宅に抗議の電話をかけてきたというのです。その後、保護者がAの家を訪れ、三十円を支払うことで解決しましたが、電話をかけてきたAの姉は、正確な料金の計算をしようと電卓をはじく両親の隣りで、しょんぼりとしていたといいます。

 この件は、もし、嫌がるAに無理やり多く支払わせたというなら問題かもしれませんが、実際には友達同士の好意的なやり取りか、もしくは手違いだった可能性が高いようです。さらに妙なのは、抗議の電話をなぜかAの姉にかけさせているということでしょう。この行為の裏には、もし分が悪いとわかったなら、上の娘のせいにしようという魂胆が伺えます。

 一方で父親は、AがR指定の「バトルロワイヤル」などを読むことに関しては、特に厳しく叱責したり、取り上げたりすることはありませんでした。それ自体は、そもそもハードな内容の作品を読むことが犯罪に繋がるという思考自体が、短絡的かつ責任転嫁的なものであり、個人的には文学の成立過程までも否定する暴論とすら思うので私は批判しませんが、他の部分で娘に見せる過干渉とは矛盾しているようには思います。

 なにか「暴君体質」というよりは、教育に変な哲学を持つ、偏屈な父親像が浮かび上がります。その父親を諌めることなく同調する母親の方は、「とにかく不愛想だった」という印象が語られており、保護者間で親しい会話を交わすこともなく、Aを可愛がっているような姿もあまり見かけられなかったそうです。

 Aの家庭での様子に関しては、両親があまり多くを語らないため、詳しくはわかりません。冒頭でも触れましたが、各メディアからの取材を受けた両親は、居留守を使ったりするなど誠実な態度を見せず、「事件については十分に反省しています」「生涯をかけて被害者に償いをし、Aの更生に全力を尽くします」など、通り一辺のコメントに終始するだけでした。そういう態度では、やはり知られては困るような事実があったのでは、事件直前のAのサインも見落としていたのでは、などと疑われても仕方ないでしょう。

 家庭編の最後に、AがHPに掲載した、「親」に関する詩を紹介します。


 
 詩@許せない
皆は親なんていなかったら良かった・・・・・なんて言うけど、不思議だ。
私なんて親が死んでもう、親なんて・・・・・いないのに。とにかくずるい。
恨めしい。
親なんていらないなんて・・・・・。
親を亡くした私の気持ちわかる?
親がいなくなったらこんなに・・・・・。
さみしい
親のいる人が羨ましい
家事とかの問題では無い。
心の事だ。
楽しかった時には戻れない。
親に怒られてもそれはそれで良かった。
あなたの親がいなくなったらわかることでしょう。親に限った事ではないけれど、身内の人が死んでも悲しいでしょう?
なのに皆はいなくなって欲しいといった。
その皆の親がいるのがずるい。

 ぉわり~
 あと、私に親はいますので(汗)
 架空の中の詩なんで(汗)

 

 ジャーナリストの草薙厚子氏はこの詩に対し、仮想世界の中で、Aは親を亡くした「もう一人の自分」を作り上げていた。親を亡くしたもう一人の自分に、両親との情愛が薄く「さみしい」彼女の気持ちが込められているのではないか・・・・と感想を語っています。あるいは、仮想世界の中に「親を亡くした子」を作り上げることによって、どんなに冷たくとも親がいる私はなんと恵まれているのだろう、と自分を慰めていた・・・など、勝手に推察しようと思えばいくらでもできますが、結局は、本人のみぞ知る、としかいえません。わからなくなってしまったのは、親の説明不足のせいです。

犯罪者名鑑 造田博 3

ぞーだ


判決

 
 裁判では、造田の責任能力が焦点になりました。犯行当時、造田には統合失調症の疑いが強く、裁判中でも、被告が発言してはいけない場面で発言をする不規則発言や、裁判長が開廷を告げる間、突然腰を下ろすなど(宅間守ですら、「座っちゃああかんか?」と一応尋ねている)、挙動におかしなところが目立ちました。弁護側は統合失調症を理由に減刑を訴えるのですが、精神鑑定の結果、造田は統合失調症の疑いなしとされ、責任能力ありとして死刑判決が下されます。

 この判決には疑問を覚えます。犯行当時の造田の精神が異常であったことは、素人目にも明らかです。逮捕されてからの言動だけがおかしいというならともかく、事件よりずっと以前の行動内容からすでに異常が見受けられますから、詐病ではないでしょう。これは事件の重大さを鑑み、死刑が回避された場合の世論を危惧して、造田を何が何でも死刑にするために、敢えて造田を正常としたとみて間違いないでしょう。おそらくこの事件で死者が出ていなかったら、造田には責任能力なしとして、無罪か減刑の処分になったのではないでしょうか。造田は控訴しますが棄却され、死刑が確定しています。

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 造田博教


 死刑が決まった造田は、拘置所の中で、「造田博教」なる、不思議な宗教を開きます。教義とされるのは、以下の通りです。



 造田博教では決まった献金は平均収入の10分の1か100分の8くらいで,これ以上はないです(日本、アメリカで1ヵ月2万円くらいです。)。家族がいる人の場合とかは、いろいろ工夫しようと思っています。あと自由献金(決められていない献金)があってこれは金額の限度はないです。自由献金はいろいろなことに使います。 造田博教には入りたい気持が少しでもあれば入れます。
 造田博教の教会の人(集まるかどうかはわかりませんが)や造田博教の会社(造田博教で自動車、電気製品、テレビ局、銀行とかグループがたくさんある会社を作ろうと思っています。)はやめたければやめられます。造田博教の会社では問題がないように造田博教の教会の人でなくても(他の人や他の宗教の人も。)十分働けるようにしたり他のものを加えようと思っています。
 造田博教の教会の人は神の家族とかではなく他の人同士です。造田博教の教会の人は造田博教の教会の人です。
 私は造田博教ではトイレを自由にするのがいいと思っています。あと小便や大便をもらしてもふれないようにするのがいいと思っています。
 
   ~(中略)~
 私の思ったことを適当に書いただけなので、あまり深刻に考えないで下さい。S君に送っている手紙にも毎日こう書いています。前にS君は私の送った手紙に緊張したみたいで、変わった手紙を送ってきたので毎日こう書いています。その時はすぐ返事が変わりました。
 手紙を書くのに時間がかかるので、今度はいつ手紙を送るかわかりません。あと手紙を受け取りました。どうもありがとうございました。あと、短い手紙はかまいませんけど。
  長いのでボールペンで消しているところがあります。
 


 意味は深く考えても無駄でしょう。最後にある、「私の思ったことを適当に~」というのは、造田と書簡のやり取りをしていたジャーナリストに宛てた言葉です。ジャーナリスト氏はこの言葉を、自分の犯した罪に対する責任の回避、また自分で考えた造田博教の教義に深く突っ込まれないための予防線との解釈をしていますが、実際の真意は不明です。

 トイレがどうのというのは、最後に勤めた専売所で、忙しいときにトイレに行ったのを咎められたのを根に持っていたようですが、そうした小さなトラブルが積もり積もって、社会全体に対する巨大な憎悪となっていったのでしょう。「そんなこと気にするなよ」とは、そんなことが気にならないくらい楽しい人生を送っている人の言い分です。経済的にも、交友関係にも恵まれなかった造田は、小さな出来事で負った傷を癒す暇もなく新たな傷を増やし、最後にはもう回復できないほど心がボロボロになってしまったのです。大きな犯罪を起こした人でも、この点はやはり同情するべきです。


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 総括


  造田は明らかに統合失調症にかかっていました。当然のことですが、統合失調症の人が皆すべて犯罪を起こすわけではありません。動機には造田が抱いていた、自分を取り巻く環境に対する不満、日本社会への憤りなどといったことも大きく関係していることは間違いありません。

 だったらだったで、その個人的な動機の部分を強調して、一般のごく善良な統合失調症患者とは区別していけばいいのであり、ムキになって統合失調症であること自体まで否定することはないでしょう。それでは事件の本質がわからなくなってしまいます。思考停止で精神病患者の罪が減じられてしまう現行の法律は、時代に合わなくなっています。また、一度精神疾患なしとの診断が下ったということは、獄中ではもう、適切な治療や投薬を受けられない可能性があるということでもあります。これは人権問題にも抵触するのではないでしょうか。

 厳罰化は遺族感情を和らげる効果はあるものの、事件抑止の効果はあまりないというデータもあります。それでも、世論や遺族感情を考慮して、精神病患者にも極刑を下すという方針を貫くならば、法律もそれに合わせ、精神疾患を認めたうえで、なおかつ重い罪を科せるように変えるべきでしょう。なんにせよ、矛盾が発生することはよくありません。

 また、いかに精神病患者であれ、大きな罪を犯した人物であれ、造田が人を殺してまで世の中に訴えたかったメッセージに耳を傾けず、戯言として処理してしまうのは愚かなことです。自己責任などではなく、理不尽な運命によって凋落してしまった人がもう一度夢を見られるような社会を作り上げることこそ、犯罪者に厳罰を科す以上に社会がしなければならないことです。

 無差別大量殺人は、発散するエネルギーが膨大なせいか、様々な犯罪の中でも、特に模倣犯を呼びやすい犯罪です。このわずか三週間後に起きた下関通り魔事件で、五人の死者を出した上辺康明は、「池袋の事件を意識した」と明確に語っています。そしてこの三年後には、大阪市池田小学校にて、児童八人が殺傷される事件が・・・。

 二十一世紀型無差別大量殺人の先鞭は、まさに造田博によってつけられたのです。 


 犯罪者名鑑 造田博 完
 

犯罪者名鑑 山地悠紀夫 2

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 「変わった子供」
 
 小学校高学年となった山地は、段々と社会不適合を露呈し始めます。

 山地に限らず、大体、小学校高学年というのが、発達障害が目立ち始める最初の時期です。誤解があるかもしれませんが、発達障害は、産まれてすぐに異常がわかる障害ではありません。小さい頃を思い出して頂ければわかるかと思いますが、誰しも子供のころは我儘勝手なもので、最初から集団活動に馴染める人はいません。成長に従って社会性を身に着けていくものですが、発達障碍者はその社会性を身に着ける速度が、健常者に比べて遅れるのです。

 もっと異常のように思われる殺人願望などにしても、誰しも小さい頃、嬉々とした顔で蟻を踏んづけていたなどの経験はあるでしょう。人間は生来的に他者をいたわる生き物だなどと思うのは自惚れにすぎず、もともと残虐なのを、教育によって丸めているだけにすぎません。社会生活の中で成長し、他人の価値観を吸収していく中で、生き物をいたわる心を身に着けていっているのです。

 同じように、誰しも最初は「最初はみんなADHD,みんなアスペルガー」だったのが、学校での友達付き合いなどを経るうちに、段々と、場の空気を読むなどの高度なコミュニケーションができるようになっていく。発達障碍者も成長をしていくのは同じですが、その速度が健常者に比べて遅く、また、最後まで健常者レベルに追い付かないことが多い。そういうものだと思っていただければ、正しい理解に繋がるかと思います。

 まず山地は、忘れ物や落し物が非常に多い子供でした。これはADHDやアスペルガーなどあらゆる発達障害に共通していますが、飽きっぽく興味が分散しやすいために、言いつけなどすぐ忘れてしまい、大事な持ち物などにも注意が払えなくなってしまうのです。一方で、興味を持ったものにはとことんのめり込むという性質も発達障害共通の特徴で、山地の場合はトレーディングカードゲームに嵌り、小学生で、家が貧しいにも関わらず、一日五千円分ものカードを購入することなどもあり、しかも健常者でさえ目移りしやすい十代にあって、母親殺しで逮捕される十六歳までこの趣味は続きました。

 また、流行りものに流されにくいという特徴もありました。学校の中である遊びが流行っていたり、特定の言葉遣いが流行っていて、仲の良い友達もその輪の中に加わっていたとしても、自分だけは頑としてその輪に加わらない、といった具合です。普通の子供なら、特にその遊びに興味がなくても、取りあえず合わせる形で輪に加わったり、誘われて断るにしても、なるだけ相手を気遣った言葉を使うものですが、山地の場合それもなく、「そんなことやって、何が楽しいの?」と、ケンもホロロな態度を取ってしまうあたり、やはりアスペルガーだったのではないか、という感じがします。

 そんな風に協調性に欠ける山地は、同級生たちからよくからかわれていました。「山地、イボ痔、切れ痔」などと、名前をもじって言われるというのが定番で、山地はからかわれるたび、同級生に激しい怒りを露わにしていました。


きんぱち


 問題教師


 言うまでもなく、人との出会いも人格形成には重要なことですが、その点において、この時期の山地は不幸でした。小学校5,6年生ときの担任だった女教諭が酷い人で、忘れ物が多かったり、度々問題行動を起こす山地を毛嫌いし、冷たい態度をとっていたのです。

 あるとき、家庭科の授業のとき、担任教諭は、山地の家が教材費を払っていないのを理由に、調理実習で作ったクッキーを食べさせませんでした。そのやり方があまりに酷く、クッキーを作るところまでは、みんなと同じように参加させておきながら、いざクッキーが出来上がったところで、いただきますを言うまさにその直前に、周りの生徒にも聞こえるように、「山地くんは教材費を払っていないので、食べてはいけません」と言い放ったのです。山地は自分の分のクッキーをゴミ箱に捨てて、家庭科室を黙って出ていきました。

「オレが初めて暴れた時、あんた、おふくろ呼んで「飲み屋で働いてるから」とネチネチ痛ぶったよね。おふくろだってな、毎日毎日暴力団に金の取り立てくってなかったら、そんなところに働きに行くかっ!オレは向こうの中学に行って、そういう家には奨学金制度や民政法ってもんがあるってことを聞いた。あんた弱い者いじめをしてる暇があったらどうしてそういう事を教えてくれなかったんですか」


 金八先生の「加藤優」の名言が蘇ってくるようです。

 七十年代、高度経済成長期が終わりに差し掛かったころに教師になった人材には、あまり教育に熱心ではなく、自分の任期をとにかく事なかれ主義で終わらせようとする「でもしか教師」が多く、後世の揶揄の対象になりました。山地の担任教諭も、おそらくそうした人材の生き残りであったと推察されます。

 また、私の小学生のときにもいましたが、小学校の教師というのは、小さな子供を相手にしているせいか、特に長く勤めていると独裁者的な気質を露わにする傾向があるように思います。自分の一言で、子供を思うがままに操る快楽に酔うタイプの人であった可能性もあります。ちなみにこの教師は、山地が罪を犯してマスコミが取材に訪れた際、「迷惑だから帰ってください」と平然と言い放ったそうです。

 愛情表現が苦手な母親、露悪的な祖母、冷酷な教師と、すでにこの時点で、山地の周りに、問題のある女性が三人も登場してしまいました。では、男性はどうだったのでしょうか。


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 父親の死


 父親のアルコール依存症は、山地が小学校高学年になるころには、すでに手がつけられないほど進行していました。酔って妻や息子に暴力を振るったり、家の中で衣服を燃やしたりするのは、こう言っちゃなんですがまだ元気がある証拠です。しかし、もうこのときには段々と寝込みがちになり、手足のしびれや吐血などの症状まで見えはじめていたのです。

 もはや入院しての治療が必要なのは明らかでしたが、父親本人は、ときたま医者に顔を出すものの、本気でお酒をやめようとはしませんでした。さらに、あろうことか、祖母や友人たちが父親を訪ねては、お酒を勧めていました。依存症の改善には周りの環境も重要ですが、父親の場合は最悪だったのです。

 そしてついに、予想されたことが起こってしまいました。あるとき、悠紀夫の目の前で父親が吐血し、そのまま息を引き取ったのです。このとき、悠紀夫は近所の商店でパートをしている母親のところに助けを求める電話をしましたが、母親は「血を掃除せえ」と言ったのみで、本気で取り合おうとはしませんでした。悠紀夫は言われた通りにして母親の帰りを待ち、母親が家についたところで安心して布団に入りましたが、夜更けに起きると、父親はもう冷たくなっていました。

 翌日の晩に、通夜が開かれました。その通夜ふるまいの席のことです。故人を偲び、縁者たちが会話を交わす席では、必ずしも湿っぽくしていなければならないわけではありません。羽目を外しすぎるのは問題ですが、明るい話題を振り返ったときには、笑顔も零れる場面もあります。それを見た悠紀夫が、突然怒りを露わにしたのです。

「お父さんが死んだのに、どうして楽しそうにしているんだ!」

 一同はあっけにとられましたが、「子供のやること・・・」と、深くは考えなかったことでしょう。しかし、これもまた、「場の空気が読めない」アスペルガー症候群の特徴が現れたケースの一つと見ることもできます。

 悠紀夫は死んだ父親のことは、生涯に渡って慕っていました。これは不思議な話です。確かに、父親は悠紀夫におもちゃを買い与えたり、遊びに連れて行ったりと優しくしてくれたこともありましたが、それ以上に暴力を振るうなど酷い面があったはずです。それがなぜか、悠紀夫の思い出の中では、異常とも思えるほど美化されているのです。

 悠紀夫は反対に、殺した母親のことは最後まで憎んでいました。父親が血を吐いたとき、母親がすぐ帰ってきて助けてくれなかったことも恨みに思っていたようですが、母親からすれば、父親の暴力に散々苦しめられてきた被害者であり、通夜の際に言い放ったという「死んでせいせいした」という言葉も、経緯を考えれば無理もないと思えます。実際、近所の人は、この時点では母親に対して同情的でした。

 後に悠紀夫に殺される母親の兄、つまり悠紀夫からみて叔父にあたる人物は、「母親を殺した自分を正当化するために、父親を美化しているんだろう」と語っています。確かにそう考えれば辻褄が合いますが、そもそもアスペルガー症候群の人というのは、物事を断片的にしか捉えられない特徴を持っています。父に暴力を振るわれたことと、遊んでくれたことを完全に引き離して考えていたのかもしれません。また母親に対しても、人の感情の動きを線ではなく点でしか捉えられない山地は、「父親に散々苦しめられていたから、母は父に冷たかった」という経緯をまったく理解できず、ただ単に「母は父に冷たかった」と、狭まった見方をしていたという可能性も考えられます。

 いずれにしても、山地の中で父親との思い出は、いい思い出として残りました。父親に限らず、この後に登場する中学の担任、父の旧友や、ゴト師のボスなど、人生の中で出会った男性とは、比較的いい関係を築けているケースは多いのです。それらの人も、中学時代の担任を除けば社会的には問題のある人々ではありましたが、彼らと山地との間には、歪ながらも「絆」が存在していました。

 しかし、神が変なバランスを取ろうとしたのか、日本犯罪史上でも稀に見る美男子であった山地には、なぜか女難の相がありました。この後に登場する初恋の彼女も含む、問題のある女性との出会いの中で歪んだ女性観が、最後の姉妹殺害事件へと向かっていくのです・・・。

犯罪者名鑑 山地悠紀夫 1

やまじ


前編~ ガラス細工の天使 


 真の動機は不明
 

 2000年7月29日、実母殺害事件      当時16歳
 2005年11月17日、姉妹二人殺害事件  当時21歳

 山地悠紀夫が犯した二つの殺人事件です。
 
 山地悠紀夫がなぜ二件の殺人を起こしたのか、その真の理由についてはわかりません。本人が語ったのは、実母殺害については貧困と借金苦、交際していた女性にちょっかいを出されたこと。姉妹二人殺害については、母を殺したときの快感が忘れられなかったことでした。

 しかし、それがすべてなのでしょうか。若くして国家に命を奪われた彼には、まだ語っていないことが沢山あったのではないか。今後の事件抑止のためには、山地からはもっと沢山のことを聞き出すべきではなかったのか。事件を調べた誰もがそう思うほど、山地が21年の生涯で過ごした環境はあまりにも複雑で、内面に様々な問題を抱えていました。

 山地が犯罪者となり得る要因は無数に存在しました。その中のどれと決めつけることも単純であり、どれではないと切り捨てることも単純と、私は考えます。「要因は全部」。山地本人がすでにこの世の人でない以上、それがもっとも間違う可能性の少ない考え方ではないかと思います。

 読者の方々にも是非この前提で、山地の人生を追っていただきたいと思います。

山口県



 誕生

 山地悠紀夫は1983年、山口県下関市にて生を受けました。父親はパチンコ店や建築などの仕事を転々としていましたが、やがてアルコールに溺れて働かなくなり、一家は母親のパート収入だけを頼りに生活するようになります。

 父親は一日六合ものお酒を飲む大酒のみで、泥酔して母親や幼い悠紀夫に暴力を振るうこともありました。ただ、機嫌がいいときは悠紀夫を釣りに連れて行ったりなど、一緒に遊んでくれたこともあったようで、悠紀夫は父親によく懐いていたようです。その父親の母にあたる祖母の家にも悠紀夫はよく遊びにいっていましたが、これがとんでもない婆さんで、生活保護を受けながらたらふく酒を飲み、それでも足りないと、「孫に菓子を買ってやりたい」などと、幼い悠紀夫をダシにして近所から小金をつまみ、さらには、明らかにアル中になっていた悠紀夫の父親にまで酒を飲ませるなどしていました。そんな生活態度にも関わらず、祖母は悠紀夫の母を嫌って、必死に働いて家計を支える悠紀夫の母の悪口を、悠紀夫に吹き込んだりもしていました。

 祖母も、何の理由もなく悠紀夫の母を目の仇にしていたわけではありません。もともと悠紀夫の母は、悠紀夫の父と結婚する以前に他家の嫁に行っていましたが、離縁されて山口に出戻っていたという経緯がありました。前の家庭でもやはり姑と折り合わず、最後に味方になるはずの娘にも手をあげるなどしていたようです。悠紀夫も成長してから、夜遅く帰っても「おかえり」の一言も言われず、「愛情を感じられなかった」ということを語っています。

 しかし、母親は悠紀夫のことをけして愛していなかったわけではなく、帰りの遅い悠紀夫のことを心配して、ノートに「悠紀夫が帰らない」ということを書き残していたりもしました。それなのに、いざ悠紀夫が帰ってくると、なぜか不愛想な対応になってしまうのです。

 容姿はむしろキレイな方で、人並みの優しさもちゃんとあるのに、どこか「可愛げのない」。「女性」でいるときはまだマシですが、「妻」「母親」になった途端に破綻をきたしてしまう。そんな、感情表現が不器用な女性の姿が想像されます。今の世の中なら「ツンデレ」という言葉もありますが、そういう人がうまく溶け込めるのはアニメの世界くらいです。女性は家庭に入って、子供を産み育ててこそ一人前という価値観が、まだまだ主流だったこの時代、悠紀夫の母親のような人の苦労は今以上であったでしょう。

 どうも悠紀夫の母親には、怒り、悲しみなどといった感情はちゃんと存在するものの、その感情を相手と共有できない、共感性に欠けるところがあったようです。悠紀夫の母親が抱えていた可能性が非常に高いと思われる発達障害、それを「アスペルガー症候群」といいます。


アスペルガー



 アスペルガー症候群


 山地の生涯に陰を落としているのが、アスペルガー症候群という発達障害です。

 アスペルガー症候群は、それ自体が犯罪的傾向の高い障害ではありません。むしろ、彼らは順法精神が高く、底なしの善意の持ち主です。しかし、それこそが、彼らが社会で生きていくうえでの問題なのです。杓子定規にしか物事を解釈できず、「暗黙の了解」を理解することができない。自分がいいと思ったことは、人にとってもいいと思って、嫌だと言っているのも構わず押し付けてしまう。「人の気持ちを想像できない」彼らの受け入れ態勢が、社会の中で十分に整っていないために、アスペルガー症候群が犯罪に繋がってしまうのです。

 アスペルガー症候群という障害を理解してもらうためには、山地の生涯を追っていくだけでは不十分かと思いますので、私の生きた体験をご紹介します。

 私がサイトを開設した当初、今引きこもり状態にあるという24歳の女の子から、コメント欄ではなく、メールでやり取りがしたいという要望を受けたことがありました。私に異存はありません。女の子とのメールのやり取りが始まりました。

 彼女は、自分にはアスペルガー症候群の疑いがあると精神科に言われたことを話してくれました。やり取りをしてみると、確かに彼女の文章はいちいち理屈っぽく、しかも自分の言葉になっていないというか、何かウィキペディアをコピペしたようで、「血が通った」感じがしません。山地も、少年院の作文の授業で同じようなことを言われていましたが、これもアスペルガー症候群の特徴の一つです。

 また、彼女がある日、私のサイトの運営方針について意見をくれたのですが、そのとき「人気を取りたいんだったら既存の漫画作品の二次創作を書かないとだめですよ」「そんな暗い内容じゃ、大衆の共感は得られないですよ」「小説は観る人少ないし、漫画に転向した方がいいんじゃないですか」など、私が小説やサイトの運営にかける意気込みを、まるきり度外視したようなことばかり言われました。

 ただ、多分これは私を否定したつもりではなく、彼女にしてみれば、ありったけの「善意」のつもりだと思うのです。間違っているお前を私が直してやる、という善意なのです。

 誰しも、自分のやっていることを否定されたら嫌な気持ちになるもので、反対意見を言うときにはなるだけオブラートに包んで、言葉の使い方に注意をして言うものです。しかし、彼女の頭には、相手の気持ちを思いやるということは全くなく、ただただ、自分の底なしの「善意」を押し付けることしかありません。善意の押し付けは、ある意味、悪意ある嫌がらせよりもタチが悪いものです。何しろ本人に相手を不快にさせているという自覚がないため、「やめるにやめられない」のですから。

 彼女の感覚はどこかずれていました。彼女は、「自分はギャグセンスがある」と、臆面もなく言っていたのですが、私は彼女のメールや、スカイプでのやり取りの中で、クスっときたことは一度もありませんでした。わずかに、「面白いことを言おうとしているんだな」と思ったのは、自分のスカイプ名を「光宙(ぴかちゅう)」にしていることと、自分の体型を「デブデブデーブ」と称したことだけでした。それをもってして、自分にギャグセンスがあると豪語する彼女は、「私はギャグセンスがあるから何とかなりますけど、津島さんは社会で生きていくの大変ですよね」という、衝撃的な一言を放ってきたこともありました。

 本稿の主人公である山地が、友人たちから常に言われていたのも、「アイツは人を見下している感じがする」という印象でした。でも、彼女にしても山地にしても、多分本人には、そんなつもりはまったくないと思うのです。悪気はまったくない、あくまでナチュラルに尊大な態度を取り、人を不快にさせてしまう。これが「人の気持ちが理解できない」アスペルガー症候群です。

 私も軽度のADHDの持ち主であり、発達障害についての理解はあるつもりです。このぐらいのことは、元から覚悟していました。だから、特に気にすることもなく、彼女とのメールを続けました。正直、下心もありましたし。

 しかし、彼女からのメールは段々と滞るようになりました。四日、五日と待っても返事が返ってきません。こちらがもう一度メールを送って、それに対してはちゃんと返信が来ても、やはりすぐ途切れてしまいます。そこである日、彼女に、「最近、どうしてメールの返事をくれないの?」と尋ねてみたところ、「いま他の人とメールをしていて、忙しいんですよ。津島さんも、私みたいに色々な人とやり取りをしたらどうですか?」という答えが返ってきました。

 私は、それにカチンときました。だって、元々メールのやり取りを望んだのは彼女の方なのです。それに対して、私が応えてあげた、という形でやり取りが始まったのに、どうして私を蔑ろにする権利が彼女にあるのか?これでは、「私は用済みだ」と言っているものでしょう。しかも「私は、お前と違って友達が多い」と自慢しているようにも聞こえる。それは失礼ではないのか?

 私の考えを、できるだけ言葉を選んで、彼女に送りました。私はそれで、もう金輪際、返事が返ってこなくなることを予想しました。自分の考えを伝えられたのだから、それでいいと思っていました。

 ここで彼女から返事が返ってこなくなるようなら、逆に彼女は、人の心が理解できる健常者だ、ということも言えます。もしかしたらここまで私の文章を読んで、「それってリア充が下手にお前みたいな非リアに触れちゃって、慌ててるパターンじゃないの?」と思った方もいるかもしれませんが、もしそうなら、彼女はシカトするという手をとったでしょう。「トラブルに真剣に向き合わず、トンズラをこく」という行為は、負い目があるからこそするものだともいえます。

 しかし、案に相違して、彼女は返事をくれました。ここからがアスペルガーの真骨頂です。彼女は悪びれるどころか開き直り、「私に執着してもしょうがないですよ。私に執着する暇があったら、掲示板で出会いを探したらどうですか?」などと私に薦めてきて、よくわからない、精神病患者の掲示板のURLを貼って送ってきたのです。

 繰り返しますが、最初にメールのやり取りを望んだのは、彼女だったのです。それに対し、私が彼女の頼みを聞いてあげる形でやり取りが始まったのに、彼女は「私に執着しないでください」と、まるで私をストーカー扱いするかのようなことを言ってきたのです。これではたまったものではありません。しかも彼女はここでも、掲示板を紹介するという「溢れんばかりの善意」を私に押し付けてきています。私をバカにしているという意識は、おそらく彼女にはないのでしょう。あくまで、良かれと思ってやっているのだと思います。
 
 頭に来た私は、彼女にありったけの罵詈雑言を浴びせて、自分の方から関係を切りました。発達障害に理解がある私にも、さすがに限界でした。彼女とのメールは今残ってないですが、なんというか、終始宇宙人と話しているような感じでした。自分が勝手に感動したり、怒ることはできるのですが、人と感情を共有することができない、そういう脳の持ち主であることを感じさせました。

 ちなみに、山地が精神鑑定の中で、アスペルガー症候群の診断を受けたわけではありません。彼に下った診断は「性的サディズム」「人格障害」で、責任能力はありとして、死刑判決が下りました。

 しかし私は、「アスペルガーだ」「人格障害だ」という診断を、それほど意味があるものだと思っていません。風邪ですら人によって症状はまちまちなように、ある人に80%アスペルガーの傾向がみられると同時に、20%ADHDなど他の発達障害の傾向がみられるなど、人によって出てくるパターンは様々だからです。これから紹介する山地の人生をみていけば、彼がアスペルガーではないにしろ、何らかの発達障害を抱えていたことは明らかなのは読者の皆様にもわかると思います。それをムキになって否定しては、問題の本質は見えなくなってしまいます。

 発達障害は、遺伝する可能性が高い障害と言われています。山地の母親にはアスペルガー症候群が疑われ、父親はアルコール中毒、祖母も生活態度に問題がある人でした。私もはっきりとしたことはいえませんし、こういう問題は人権問題になってしまうので、世の中でもうやむやにされている傾向がありますが、山地が「うまく生きられない」脳の持ち主であった可能性は非常に高いことは、確実にいえると思うのです。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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