凶悪犯罪者バトルロイヤル 第178話

 悲鳴をあげる膀胱――。麻原にとって、宅間守との決戦以来の試練が迫っていた。

 思考が硬直し、一歩も動くことができない。これが、蛇に睨まれた蛙というやつか。もはや、成行きに身を任せるしかない状態。そんな中でも、麻原は括約筋を弛めることはない。

 神への道への挑戦――。それは麻原にとって、目先の命を拾うよりも大事なことである。ここで自分との戦いに負け、小便を漏らしてしまえば、救済者としての麻原の救済者としての生涯は終わってしまう。俗物としてただ生きながらえるだけの人生は、死んだも同じ。断じて、この作務衣の股間を濡らすようなことがあってはならない。

 永山が元いた4の島では、角田軍、及び乱入してきた芸能人コンビを相手に、大道寺将司、小平義男、丸山博文の3名が奮闘している。しかし、人数の増えた敵を相手に、かなり手間取っているようだ。永山はその隙をついて、2の島へとやってきたのである。当然、1の島への援軍は期待できそうもない。

 信号が切り替わる。いよいよ、永山則夫が1の島へとやってくる。絶体絶命。人としての生涯より神への道への挑戦などといっても、やはり死は怖い。足がすくみ、立っていることもままならなくなった麻原は、その場に腰を落とす。括約筋を締める作業も限界に近づき、絶望感が立ち込め始めた、そのときだった。

「下がってろっ、オッサン!」

 救世主の登場――。宅間軍の金川真大が蒲田駅側から登場し、麻原の前に立ちふさがった。これにより、永山と直接戦わなくてはならない事態は避けられた。永山が横断歩道を渡ってくるのと同時に、麻原は後方へと退いていく。

 永山と金川の、激しい打ち合いが始まった。金川は弓の名手という触れ込みであったが、白兵戦もかなりのもので、参加者最強候補である永山に、付け入る隙を与えない。永山が止められている間に、3の島から、B班の勝田清孝、菊池正の二人が駆け付ける。数的有利の発生――。形勢は一気に我が軍有利となった。

「なあ、光彦。俺も手伝おうか」

 心に余裕が生まれた麻原は、自分が大事な信徒ばかりを危険に晒しているわけではなく、自らも前線で命を投げ出す覚悟があることをアピールした。もちろん、自らの無力を悟った今、本気で戦闘に参加しようとしているわけではない。信徒たちが止めてくれるのを見越してのことである。

「いいよ!尊師は弱いんだから、そこで見てなよ!」

「そうです!尊師は役に立たないんだから、余計なことをしないでください!」

 関光彦と小田島鐡男から、加勢を退けられた麻原は憤る。確かに狙い通りの展開ではあるのだが、信徒たちの言い方が気に入らない。仮にも教祖たるこの自分が、助太刀を買って出たのである。「お気持ちはありがたいのですが」の一言くらいはあってもいいではないか。

「いや、お前たちだけでは不安だ。俺も加勢するぞ」

 ムキになった麻原が三人の元へと足を踏み出しかけたそのとき、脇腹を冷たい何かが走る。後方から疾風の速さで駆けてきた男――ヒロポン・ウォリアー、川俣軍司の乱入であった。

 川俣は特定の集団には属していないものの、個人として麻原包囲網に参加している。重信一派と八木茂軍が激突した際にも、傭兵として戦闘に参加し、八木軍の庄子幸一を討ち取った。今回は角田軍の要請により、後詰として待機し、いつでも戦闘に参加できる態勢をとっていたらしい。

 麻原のぶよついた脇腹に、鋭い痛みが走る。危なかった。もし、三人の方へと足を踏み出していなければ、川俣のナイフは、分厚い脂肪を切り裂き、内臓へと達していたであろう。まさに神のご加護といえる。

 戦場に乱入した川俣は、援軍に駆け付けたB班と打ち合いを始める。二人を相手にしながら華麗な立ち回りを見せる川俣。戦闘力は、この戦いに参加している者の中でも上位に位置するだろう。

 がっぷり四つ、互角の展開となった戦いの様子を眺めながら、麻原は妙な不安に襲われる。

 気になるのは、後詰として待機していた川俣軍司が、このタイミングになって戦闘に参加してきたことである。ここまで待たなくても、大将首を取るチャンスはいくらでもあったはず。川俣は、C班のところに乱入してきた芸能人コンビのような素人ではない。戦の心得がある彼が、今の今まで様子見に徹していたのは、何か必ず理由があるはずである。

 罠を警戒していたのか。あるいは――自分を脅かす絶対的強者のリタイヤを確認したからか?

 気になることがある。金川真大が援軍に訪れているにもかからわず、宅間守の姿が、この1の島に見えない。先ほど大きな声が聞こえたことから、生きていることはわかるが、何らかの理由で、戦うことができない状態にあるのではないか。

 2の島の戦闘は互角か、ややC班が不利の状況である。宅間たちが動けないのならば、我がA班には、これ以上戦力の上乗せはない。一方、敵軍には、まだ隠し玉があるかもしれないのである。

 我がA班が、ここから相手の一人でも倒せればいい。しかし、逆に、A班の戦力が一人でも欠けてしまったら・・?

「ぐあっ」

 予感が、現実に変わる――。金川真大が永山則夫の攻撃を腕に受け、蹲ってしまった。
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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第177話

 1の島への進軍を、信号により阻まれた宅間守は、すぐに進路を、3の島西側へと切り替える。向かう先にいるのは、闇サイトトリオである。

 このままB班と合流して闇サイトトリオを叩き潰し、返す刀で1の島へと向かい、コリアントリオを壊滅させる。敵軍を半壊状態へと追い込み、4の島で取り残された角田軍を倒す。そう青写真を描いたのだが、それは次の瞬間には、修正を余儀なくされる。

 克己茂,西川和孝。芸能人コンビが、4の島の戦いへと乱入してきたのである。

 やはり、敵軍に隠し玉はあった。蒲田の町を歩き回る我が軍と睨み合いを続けていたのは、バドラの到着を待つ目的もあったが、どこかでこの芸能人コンビを炸裂させるチャンスをうかがう目的もあったのだ。

 乱入するなら、麻原のオッサンがいる1の島だろうとは思うのだが、そこはしょせん素人である。麻原のオッサンに気がつかなかったか、パニックになって、わけがわからなかったのだろう。

 しかし、これにより、4の島での戦いに、戦力の不均衡が生じた。ここで宅間は、一つの判断を迫られる。4の島に、援軍を送るか否か、である。

 もし、このまま4の島にいる自軍C班が角田軍に壊滅させられてしまえば、角田軍+芸能人コンビで6人にもなる大群が、1の島に雪崩れ込んできてしまう。そのとき、我がD班が闇サイトトリオを壊滅して1の島の援護に行ければいいが、もし闇サイトトリオとの戦いに手間取ってしまった場合、総攻撃を受けたバドラ本軍A班は壊滅し、麻原のオッサンは射ち取られてしまう。絶対的カリスマである麻原のオッサンが打ち取られれば、バドラは滅亡である。

 4の島に援軍を送れば、取りあえず、最悪の事態を招く恐れは軽減される。しかし、そうしたらそうしたで、闇サイトを速攻で叩き潰し、敵軍を一気に壊滅させるチャンスを失ってしまうことにもなる。

 すなわち、オフェンスを重視するかディフェンスを重視するかという判断である。ならば当然、前者を選ぶ。名前は守だが、自分は常に攻めの人生を歩んできた。勝てぬ喧嘩はしないが、勝てる喧嘩であれば、積極的に前に出ていくのが、自分の信条だ。

「や、やばいッスよ・・宅間がこっち来ますよ・・・」

「戦ってられんっしょ・・・逃げるっしょ」

 B班とD班に挟みうちにされた闇サイトトリオが、突然車道に出る。今現在、信号が赤になっている都道11号線は、車の流れが停止している。「川」を渡ることができるのである。

「逃がすかあっ!」

 宅間もまた、「川」をダイブし、闇サイトトリオを追う。戦場を離脱しようとする闇サイトトリオは、麻原のオッサンがいる1の島に渡ると、都道11号線を、蒲田駅に向かって駆けて行こうとするが、我がD班はいとも簡単に追いつく。宅間が、リーダーの神田司の衣服を背中から掴んで引き倒し、金川が川岸健治に強烈なタックルを食らわせて倒し、鳥の巣頭の上部が、堀慶末に先回りして追い込んだ。

「死っねーーーーーーーーっ」
 
 宅間の振り下ろしたナイフは、神田司の太ももに深々と突き刺さる。これで機動力は殺した。あとは悠々と、料理に移るのみである。

 神田の頸動脈を目がけてナイフを振り上げた宅間は、ここでとてつもなく嫌な予感に襲われ、手を止める。

 昨晩、寝入り際に、金川のアホが、妙なことを口走ったのを思い出した。

――この間、闇サイト事件のことを調べたんですけど、最初にあの闇サイトを通じて集まったのは、実は4人だったそうっすよ。1人は、グループが強盗殺人の前に犯した事務所荒らしのときに逃げ出して自首し、窃盗未遂で不起訴になったそうです。

 当然、その最後の一人とやらは大会には参加していないため、宅間は聞き流したのだが、今になってなぜか、そのことが頭をよぎる。

 人知を超えた運命の力によって集まった、闇サイトの三人。たとえ地球の真裏で生まれたとしても、必ずどこかで出会ったであろう三人。運命の絆の強さを証明するように、三人は、過去の記憶を消されていたにも関わらず、今大会でも出会った。ならば、犯行直前に逃げ出したという「四人目の男」も――。どこかで、何らかの形で、三人と出会い、関わる運命にあるのではないか?

 バカバカしい妄想かもしれない。しかし、自らもまた「運命の力」に導かれ、あの池田小へと入った宅間には、どうしてもそれが気になって仕方がなかった。

 殺し合いの最中に見せてしまった、一瞬の隙。それはまさに、致命的な隙であった。

 文明の利器によって結び付けられた、4人の男たち――。数奇な運命の輪が、宅間をも絡めとっていく。突然、信号で止まっていたはずの一台の車が走り出して、あろうことか歩道に乗り上げてきた。

 危機を感じたときには、もう遅かった。宅間は神田司とともに暴走車にはねられ、アスファルトへと叩きつけられた。

 臀部を激痛が襲う。暴走車は減速しており、大きな怪我はしなかった。骨には異常はない。しかし、しばらくは動けない。この状況で、宅間はひとまず、すぐ横に転がる神田司の首をナイフで裂いた。

「ああっ、あうあう、あっ」

 二メートル以上上空にまで鮮血を噴出させて、神田は絶命する。殺害人数は1名である闇サイトトリオの中では唯一死刑判決を受けた、主犯の最後である。また、ほぼ同時に、金川真大が、川岸健治を殺害した。自首をしてグループの逮捕に一役買ったことから、トリオの中では小心者とみられているが、実は強殺の計画を最初に言い出したのはこの男とも言われている。ようするに、その場のテンションですぐに行動してしまうタイプの男だったのかもしれない。

 暴走車のドライバーは、すぐに車を降りて、どこかへ逃げ去ってしまったようだ。車内には乾燥した草のようなものが散らばり、妙な臭気が漏れ出している。

 あのドライバーが、自分が予感した「四人目の男」であったのか?真相はわからない。とにかく、今やらねばならないのは、今、動ける者を動かすこと。

「小僧、貴様は麻原のオッサンの援護へと向かえ」

 そして、戦場全体に響き渡る声を出す。

「永山が横断歩道を渡ったぞーーーーっ!止めえええーーーーーっ!」

 
 

 
 

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第176話

 意気揚々とワゴンから降りてきた麻原彰晃は、早くも後悔し始めていた。

 横断歩道を渡り、自分の方へと迫ってくる、コリアントリオの三人。手に刃物を携え、修羅の形相をしている。

 怖い。怖すぎる。出発前、トイレにおいて、誤って後ろの穴から招かれざる客が頭を覗かせてしまうほど強く踏ん張って小便を絞り出し、クソ熱い時期だというのに、大好きな濃い~いカルピスを飲むのを我慢してきたというのに、麻原の膀胱は、はやくも悲鳴を上げ始めていた。

 交差点という特殊な戦場。横断歩道に隔てられた四つのブロック。宅間守が配下を率いて、3の島から、麻原のいる1の島へと移ろうとしている。しかし、その進軍は、ある人工物によって阻まれる。

 信号である。交通量の多いこの交差点では、信号が赤になってしまえば、横断歩道を渡るのは至難である。1の島~3の島を結ぶ信号が赤になったのに対し、1の島~2の島を結ぶ信号は青になったが、現在、2の島には敵軍はいないから、これでコリアントリオと、A班がいる1の島は孤立した形となった。

「おぅああああああっ」

 雄叫びとともに迫りくるコリアントリオを、バドラの造田博、小田島鐡男、関光彦が迎え撃つ。3対3の白兵戦が始まった。

 麻原は、ワゴンに帰るべきか、踏みとどまるか迷う。ワゴンに帰り、ロックをかけてしまえば、とりあえず身の安全は保障される。しかし、夜原なおきを応援してくれる今田夕子ちゃんとの約束が守れなくなる。それに、もしA班が全滅し、コリアントリオに取り囲まれてしまったら、自分は逃げ場のない袋のネズミとなってしまう。

 どうする?どうする?どうする?迷いに迷い、決断が下せない。この状況であってはならない、優柔不断。かつて、まだ信徒が少なかったころのオウム時代には、自ら前線に赴いて指揮をとったこともある麻原だったが、後半からはほとんど信徒任せにし、自らは実戦から離れていたのが裏目となった。

 その麻原の目の前に、ふと、最強の男、造田博との打ち合いにかかりきりで、周囲の警戒をおろそかにしている、イチヌの姿が映る。ひょっとして、今なら、自分でも殺れるのではないだろうか。もし、本来ならば高みの見物を決め込める立場にある教祖の自分が、実戦においても手柄を立てたとなれば、全軍の士気は大いに上がるだろう。そして、自分のカリスマ性も向上し、たとえ信徒が取っておいたプリンを盗み食いしたとしても、許してくれるかもしれない。

 麻原が一日2時間は閲覧している「なんJ」においては、体重=パワーという記述が頻繁になされている。確かに、近代野球のホームランバッターには、体重が90キロを超えるような選手が珍しくない。ならば、体重が100キロを超える自分も、かなりのパワーを秘めているのではないか。

 いける。確信した麻原は、金属バットを振り上げて、イチヌに殴り掛かった。

「ポアするぞ」

 掛け声とともに振り下ろした金属バットが、イチヌの背中を直撃する。しかし、イの強靭な体はビクともしない。

 しまった。野球においては、デッドボールは背面で受けるのが鉄則であるように、背面の耐久力は前面の比ではないのだ。それにしたって、もうちょっとダメージがあってもいいようにも思うが、自分は、思っていた以上に非力であったらしい。デブにパワーがなかったら、それはもう、フィジカル的に何の取りえもない、どうしようもない役立たずということである。

 しかし、しょげかえっている暇はない。まずは距離を取り、危険を回避しなければならない。麻原は後方に飛びのいた。巨大な尻がクッションとなり、麻原の全体重を受け止める。衝撃をすべては吸収しきれないが、痛がっている場合ではない。麻原はアクション映画のヒーローがそうするように、アスファルト上をを転がって退避した。

「ははは、こんな熱い道路を豚が転がって、丸焼きにでもなるつもりか」

 この状況で、コリアントリオの孫斗八が、麻原を挑発する。殺し合いの最中に、よく回る口だ。やられたら、やり返すといきたいところだが、己の無力さを理解した今となっては、もはや信徒たちに委ねるしかない。

「永山が横断歩道を渡ったぞーーーっ。止めえーーーーーっ!」

 宅間守が大きな声を出す。何かと思ってみてみると、信号が変わり、開通した4の島~2の島間の横断歩道を、永山則夫が渡っていくのが見えた。これでまた信号が変わり、2の島~1の島間の横断歩道が開通すれば、敵軍のエース、永山則夫が、麻原のいる1の島に移ってくるということになる。

 写真ではトロンとして覇気がなかった永山の目が吊り上がり、麻原を睨んでいる。殺る気満々であった。今、1の島では、造田博がイチヌ、関光彦が金嬉老、小田島鐡男が孫斗八と、対応する相手との戦っている。もし永山が信号を渡ってきたなら、手の空いている自分が相手をせねばならない。冗談ではない。勝てるはずがない。

 麻原の膀胱を、史上最大級の尿意が襲った。

175話 挿絵

さしえ

 稚拙な絵ですがとりあえず戦場の様子はこんな感じです
 グーグルマップ見た方がわかりやすいかも

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第175話

セブンスターをゆっくりと灰にしながら、宅間は今回の戦場である「あやめ橋交差点」へと、敵軍を誘導する。

 宅間達自身があやめ橋交差点を通過し、交差点の名の由来であるあやめ橋に到達したころ、麻原のオッサンからのワンコールが入った。戦場到着の合図。今まさにあやめ橋交差点に到達した角田、闇サイト、コリアン連合軍の背後から、バドラの所有するファミリーワゴンが現れた。

 ワゴンから、造田博、小田島鐡男の二人が降りてくる。さらに、都道11号線の蒲田駅側からは、バドラの勝田清孝、菊池正の二人、反対の京急蒲田駅側からは、大道寺将司、小平義男、丸山博文の三人が姿を現す。

 ワゴンに乗って現れたグループをA班とするなら、蒲田駅側から現れたグループはB班、京急蒲田駅側から現れたグループはC班、そして宅間たち三人をD班とする。この四班で角田連合軍を取り囲んで逃げ場をなくし、一気に叩き潰す。それが宅間が即席で考え、麻原のオッサンに、金川真大のメールで伝えた作戦であった。

 バドラの連中は、例の「秘密基地」に、城番として正田昭を残し、九人が出陣している。バドラ、宅間連合軍の十二に対し、角田、闇サイト、コリアン連合軍の十。そのうち、女の吉田純子はおそらく全体の目付け役として戦地に赴いているだけで、戦闘には参加しないだろうから、実際の戦力差は十二対九。人数の上でも、配置の上でも、こちらが有利の体制だ。

 宅間達が横断歩道を渡ったとき、ようやく信号の前まで来た敵が何かを感じたのか、歩みを止めた。しかし、もう遅い。もはや角田連合軍は、四方をバドラと宅間軍に囲まれた、袋のネズミである。

 狭まる包囲の輪を見て、敵軍が動いた。敵は、9人の集団を分割し、A,B,Cの各班に向かって攻めかかったのである。

 宅間が憂慮していた一つの事態は避けられた。それは、敵軍が一か八か、麻原のオッサンがいるワゴンの方へ、全軍を投入して攻めかかることである。戦力の一極集中の原則からいけば十分あり得る展開であったが、敵軍はそれよりも、前後から挟み撃ちにされる事態を恐れたらしい。

 ワゴンに麻原のオッサンが乗っているとわかれば事態は違っただろうが、スモークフィルムが貼られた窓ガラスからは、車内にいる麻原のオッサンは視認できない。敵軍は、己らが総大将の角田の婆が戦場に出てこなかったのをいいことに、こちらも麻原のオッサンが家で寝ていると思い込んでおるようだ。

 ともかく、敵は軍を分割する手を選んだ。A班に向かったのがコリアントリオ、B班に向かったのが闇サイトトリオ、C班に向かったのが、角田軍の連中である。最強の男、永山則夫をA班にぶつけなかったことからも、敵軍が麻原のオッサンが戦場に赴いていることに気が付いていないのがわかる。

 最大の戦力を持つ我がD班と真正面からぶつかろうとしなかったのは懸命な判断のようだが、奴らはわかっていない。我がD班が、A班、B班、C班、どの班に援護に回っても、戦力の均衡は著しく崩れるのである。宅間が援護に向かった班が、対峙する敵軍のグループを壊滅させれば、すぐさま別の班の援護へと向かい、そこでまた戦力の不均衡が発生する。敵が全滅するまで、それが繰り返される。

 敵軍を蒲田駅周辺の然るべき場所まで誘導するにあたっては、二通りのパターンが考えられた。一本道で前後から挟み撃ちにするパターンと、交差点で四方から包囲するパターンである。特に根拠はなく、宅間独特の動物的勘により後者を選んだわけだが、どうやら正解だったようだ。

「手始めに、一番近いところにおる闇サイトの奴らからや。チャッチャと済ますぞ」

 宅間が、蒲田駅側から現れたB班の援護に回ろうと走り出した瞬間、信じられないことが起こった。麻原のオッサンが、ボディーガード兼運転手の関光彦を伴い、ワゴン車から降りてきたのである。

 あのアホは、何を考えておる?車の中に隠れて、高みの見物を決め込んでおればいいものを、なぜわざわざ、危険に身を晒す?あんな不細工な体で殺し合いなどできるはずもないのに、何を考えて出てきたのか?宅間にはまったく、わけがわからなかった。

 大声を出すわけにもいかない。まだ、敵が全員、麻原のオッサンに気が付いているわけでもないのである。とにかく、宅間が今せねばならないのは、速やかに麻原のオッサンと同じ島に移ることだ。島というのは、交差点を中心とした、北西、北東、南西、南東の歩道のことで、それぞれを、米屋のある北西が1の島、レンタカー屋がある北東が2の島、便所がある南西が3の島、駐車場がある南東が4の島とする。

 現在の配置は、麻原のオッサンがいるA班が1の島信号機付近、蒲田駅側から到着したB班が3の島西側、京急蒲田駅側から到着したC班が4の島信号機付近、そして我がD班が、3の島南側に位置している、という状況である。

 もともとは3の島信号機付近にいた敵軍は、今、それぞれの敵と相対しに、各島へと散っている最中である。避けなくてはならないのは、麻原のオッサンがいる3の島に、敵軍が殺到してしまう事態だった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第174話

 昨晩、「夜原なおき」の名で詩人として活動している麻原の元に、一通のファンレターが届いた。

 ――夜原先生、こんにちは。突然ですが、私は現在、病魔に体を蝕まれています。毎日、大事なところが痛くて、苦しくて・・このままでは、余命いくばくもないかもしれません。闘病生活の中、夜原先生の「おじおち」だけが心の支えです。これからも、素晴らしい作品を世の中に発表し続けてください。
 
 差出人の名は、今田夕子という、26歳の女性である。彼女は「おじおち」ファンの中でも最も熱心なファンで、届いたファンレターは、今まで10通を超える。

 その彼女が、病気で余命いくばくもないというのは、初めて知った。大事なところが痛いということから、病名は乳がんか子宮がんと推測されるが、過酷な闘病生活を送る彼女を是非とも勇気づけてやらねばと、麻原の心は使命感に燃えていた。

 しかし、使命感に燃えたとて、直ちに創作のアイデアが浮かぶわけではない。そこで麻原は、彼女に初めて、ファンレターの返事を書くことにした。

 ――今田夕子ちゃん、こんにちは。夜原のおじさんだよ。おじさんも夕子ちゃんのこと、応援してるからね。詩とは関係ないけど、実は今度、おじさんは生死をかけた大勝負に臨むんだ。その戦いでおじさんが勝ったら、夕子ちゃんの病気も治るはずさ。だからおじさん、絶対に勝つことを約束するよ。

 生死をかけた大勝負――言うまでもなく、角田、闇サイト、コリアン連合軍との一大決戦のことだが、本文中の勝つとは、戦争に勝利することを意味するわけではない。戦争に負けたら、麻原の命までも脅かされるのだから、絶対に勝たなければならない。そんな当たり前のことを、わざわざファンとの約束にしても仕方がない。

 麻原が勝つといっているのは、自分の尿意に打ち勝つということである。その昔、野球の神様ベーブ・ルースが、病弱の子供に次の試合でホームランを打つことを約束し、実際に打って子供を勇気づけたエピソードにちなんで、今度の角田軍との戦いにおいて、麻原がおもらしを我慢することで、今田夕子ちゃんを勇気づけようと思ったのである。

 これは、麻原の自分自身との戦い――なればこそ、絶対に負けるわけにはいかない。宗教の修行とは、突き詰めれば自分自身との戦いである。史上最大の宗教団体を作ろうとしている麻原にとって、躓きは絶対に許されない。

 そしてバドラ本部の電話が、高らかと鳴り響く。電話に出た勝田清孝が、話ながら、麻原の方を向いてうなずく。宅間守から、敵軍の襲撃を受けたとの連絡――。いよいよ、決戦の火ぶたが切っておとされたのである。

「よし!お前たち、出撃するぞ」

 応援してくれる今田夕子ちゃんのために――何がなんでも、おもらしはしない。自分を追い込むために、おむつははかない。麻原は、この日のために密かに買い込んだ「ムーニーマン」が眠る戸棚に未練たっぷりの視線を送りながら、信徒たちとともにバドラ本部を後にした。

               ☆      ☆      ☆     ☆     ☆

「そういうことやから・・・できるだけはよ来いよ。ほな、切るぞ」

 宅間守は、配下の二名とともに、大田区の町内を歩いていた。怨敵、角田軍と対峙しながらの練り歩きである。

 バドラの正田昭から提示された作戦――次回、敵から襲撃を受けた際は、相手を引きつけながら速やかにバドラに連絡し、到着まで時間を稼ぐ。大ざっぱにいえばそういうことであったが、大ざっぱにも程があるというものである。

 古来より、戦闘において時間稼ぎにもっとも有効な戦術といえば籠城である。宅間もはじめそれを考え、ホテルをチェックアウトしたと見せかけて、敵軍の襲撃を受けるやいなやとんぼ返りして、予め連泊の予約をとっていたホテルの自室に籠る――という考えでいたのだが、そうすると敵軍は、深追いせず撤退してしまうのである。

 小さな意味ではなく、大きな意味での時間稼ぎというなら、このまま引きこもっていればいいのかもしれない。そうすれば、角田の婆と決着をつける機会は先送りされ続ける。だが、あいにく、こちらにはこのまま引きこもり生活を続ける資金力がない。遊びにいけないストレスも溜っている。そうこうしているうちに角田の婆はより大きな力をつけ、城に籠っていようがなんだろうがお構いなしに潰しに来るかもしれない。

 やはり、イチかバチか打って出て、野外で決着をつける必要があった。そこで宅間が考えたのが、大田区の蒲田駅周辺を縦横無尽に走り回り、自分たちで疲弊させた相手を、バドラに叩かせるという作戦である。土地勘のある本拠地の大田区ならば捕まることはないし、相手の思わぬ奇襲を受けるリスクも少ない。この作戦はうまくいくであろう、と思っていたのだが・・。

 角田軍は、予想に反した動きを見せた。逃げる宅間達を必死で追おうとはせず、一定の距離を保ちながら、不気味ににじり寄ってくるだけなのである。川中島の上杉謙信よろしく、敵の別働隊が合流するまでにケリをつけようと、全力で攻めてくると考えていたのだが、完全にあてが外れた形となった。

 吉田純子、永山則夫、藤井政安、向井義己。金嬉老、イチヌ、孫斗八。堀慶末、神田司、川岸健治。敵軍は、角田の婆さんを除く全員いる。盟主である重信房子、永田洋子とのラインと角田の婆さんとは、強い信頼関係にはないという話が本当ならば、別働隊が控えていたとしても大した人数ではなかろう。

「くらぁ、なにビビッとんや腰抜けどもが!かかってこい、三十秒で皆殺しにしたる!」

 宅間の挑発にも、敵は顔色一つ変えない。

 確信。敵はこちらの作戦を看破している。にらみ合いを続けたまま、無理には争わない方針のようだ。こんなときこそ役に立つはずの金川真大の弓矢は、今ここにはない。追いかけっこに不利になるからと、大きな武器は置いてきてしまったのだ。

 こちらの思惑とは違う展開となったが、動じることはない。ようは、敵が数的有利を頼みにしなかった、それだけの話。がっぷり四つ、組み合うつもりでいるなら、それに応じてやればいい。

 襲ってこないのなら、こちらは運動前の一服をくゆらせてもらうとしよう。宅間はポケットから、セブンスターのパッケージを取り出した。

「おい、宅間。蒲田駅周辺についたぞ。今どこにいる?」

 麻原のオッサンからの着信。頼もしい援軍の到着である。

「・・・あやめ橋交差点に来いや。そこで決着をつけたる」

 宅間は紫煙とともに、低い声を送話口に送り込んだ。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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