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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第170話

 第一試合。まずは、現在、重信軍で俺と松村くんのトレーニングコーチを務める、元プロ野球選手の小川博さんの登場である。相手は、川岸健治。闇サイトトリオの中では、犯行に使われたワゴン車の持ち主で、運転手を務めた。裁判では、犯行後に自首し、グループの逮捕に一役買った功績が評価され、三人の中でいち早く無期懲役を勝ち取った男である。

「ちょ、マジで僕が行くんすか~?もう一回ジャンケンやり直しましょうよ~」

 6m×6mの枠には入ったものの、なかなか開始線には立とうとしない川岸が、皆のテンションを下げる情けない声を出した。

「勝負にやり直しはないっしょ。早く行くっしょ」

 ヘラヘラと笑いながら川岸を送り出すのは、犯行ではもっとも主導的役割を担ったとされ、事件後には交際相手の女性に被害者を冒涜する内容の手紙を送った、神田司である。

「うわ~、神田さん鬼っすわ~。自分はこの間の合コンで、川岸さんが優先的にアタックするってみんなで決めてた女を、約束破って持ってっちゃったのに」

 堀慶末。闇サイトで最初にメンバーを募集する書き込みをした男である。

「それはそれ、これはこれっしょ。ほら、みんな待ってるんだから、早く行けって」

「そうそう。大丈夫、ちょっと痛いかもしれないけど、死ぬわけじゃないんだから。川岸さん勝ったら、ソープ一発奢りますから」

 二人に送り出され、川岸が、しぶしぶ開始線へと立つ。

 なんだろう、この緩い感じは。他の勢力でいえば、バドラがこれに近いだろうか。裁判ではお互いに罪を擦り付け合い、醜い争いを演じながら、委員会の実験的試みからその記憶を消された三人。そして、案の定大会でも出会い、互いに手を結んだ、運命の三人。チームワークは、今のところ良好のようだ。

「小川さん、盛り上げてください」

「任せとけ。普段、お前らに偉そうにしているからには、いいところを見せないとな」

 松村くんからの激励を受け、小川さんが開始線へと向かう。

「準備できたようだね。それじゃあ、始めるよ」

 角田の婆さんの右腕、吉田のオバサンにより、試合開始のゴングが鳴らされる。

 はじめ、小川さんは遠い間合いを保ち、警棒を構え、相手の出方を伺う態勢をとった。俺はこれに首を傾げる。相手の川岸は明らかに戦意が十分ではない。ここは、ゴングと同時に距離をつめて、一気に勝負を決めるべき場面ではなかったか。

 俺の予想通り、川岸は腹を括ってしまったようで、小川さんに積極的にうちかかってきた。しかし、元々の地力には大差がある。反撃に移った小川さんにあっという間に打ちのめされ、川岸はギブアップ。先鋒戦は、我が軍の勝利となった。

「何やってんすか~、川岸さん。初戦からチームの士気を下げないでくださいよ~」

「情けないっしょ。逆にソープ奢れ」

 闇サイトの二人のところに戻った川岸が、踏んだり蹴ったりの出迎えを受けている。確かに、結果だけみれば小川さんの圧勝であったが、それは相手が弱かったからに過ぎないと、俺は見る。

 小川さんは元プロ野球選手であり、肉体は頑健、フィジカルトレーニングの知識も豊富だが、実戦の経験が少ない。戦術に関しては、大会中幾度も修羅場を潜り抜けてきた俺の方が上であることを、今の戦いを見て確信した。トレーニングにおいてはコーチとして仰がなくてはいけないが、いざ実戦になったら、小川さんには俺の指示、命令に徹底的に従ってもらうことを納得してもらわなくてはならないだろう。

 続いて、第二戦。「おせんころがし」の栗田源蔵と、若干18歳、コリアントリオの戦闘エース、イチヌの戦いである。

「てめえクソガキ、なに笑ってやがる。気に入らねえな」

「なにを怒っているんです。これは殺し合いでもない、ただの試合ですよ」

 不敵な薄ら笑いを浮かべるイ――。劇場型犯罪を展開した目立ちたがりやは、この舞台を楽しんでいるようである。

 ゴングが鳴り、勝負が始まった。栗田は警棒を構えないまま、イに突進していく。そのまま肩からぶちかまそうとしているらしい。

 誰もが、イが背中から床に倒される光景を想像した。が――、イは90キロはある栗田の巨体を受け止め、がっぷり四つに組み合った。半島系の人は日本人よりも大柄な人が多いが、イもかなりの巨漢である。
 
 組み合ったまま、両者動かず――力比べの展開が、二分ほども続いた。先に動いたのは、栗田の方である。隙を見て体勢を変え、イの力をいなしたのである。

「――っと」

 体勢を崩されたイの背中に、すかさず栗田の警棒が飛ぶ。鈍い音が響き渡る。クッション付きとはいえ、栗田の強力から放たれる打撃は相当な威力である。

「栗田、タオルだ!攻撃をやめろ!」

 相手陣営が投入したタオルに気づいた永田のオバサンが、声で栗田を制止する――が、栗田は攻撃をやめようとしない。俺や松村くん、永田チームの面々が総がかりになって取り押さえ、ようやく場は収まった。

「おいおいおいおい!どういうことだこれは!」

「マナー違反だ!貴様、いったい何を考えている!」

 角田チームの面々が、口々に非難の声を上げる。どう考えてもこちらが悪いのだが、永田チームの面々は、それで頭を下げてしまうようなタマではない。

「熱くなった上での失敗にすぎない。怪我はなかったのだから、ごちゃごちゃごちゃ言うな!」

「負けた上に、スポーツマンシップがどうのこうのと文句をつけやがって。そういうのをなんていうか知ってるか?恥の上塗りっつうんだよ」

 失礼をした張本人の栗田源蔵と、チームのキャプテンである永田のオバサンがこれなのだから、相手が納得するはずがない。場は紛糾し、一触即発の事態となってしまった。このまま殺し合いになってしまうならそれでもいいのだが、一番いけないのは、揉め事が中途半端な形で終わってしまい、角田の婆さんに、恰好の落とし前ネタを提供してしまうことだ。

 とにかく松永さんに報告、連絡、相談をしようと、携帯に手を伸ばした、そのときだった。

 音を立てて割れる窓ガラス――。誰かが、パイプ椅子を投げつけたのだ。場にいた全ての人間が、圧倒的なオーラを感じ、一人の男の方を向く。

「うるさい。集中が乱れる」

 永山則夫である。彼の力を知る角田チームの面々は、これですっかり大人しくなったのだった。

 エキサイトした場を一瞬で鎮める、永山則夫の底知れない実力――。腹の底に、冷たいものを感じる。都井睦夫と戦ったとき以来の感覚だった。
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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第169話

 8月3日。加藤智大は、松村恭造、小川博、及び同盟軍の永田軍を伴って、角田美代子軍との合同トレーニング会場に赴いていた。

 場所は、杉並区内の倉庫である。どこぞの企業が所有する物件らしいが、現在は稼働していないところを、角田の婆さんが金を払って借りたらしい。永田軍の本拠ほどではないが、広さは十分あり、トレーニングマシンなど設備も充実している。今日はここで、角田美代子軍と、同盟軍であるコリアントリオ、闇サイトトリオの連中とのトレーニングに臨む。

「やあやあ、よく来た・・・ん?なんだい、随分まあ、大勢で来たもんだね」

 朗らかな笑顔で迎えに出てきた角田の婆さんが、俺と一緒に来た永田軍の面々を見て、目を丸くする。向こうのご指名は、当初、俺一人であった。

「まあ、人数が多い方が、充実した訓練が出来ていいやね。今日はひとつ、よろしく頼むよ。純子ちゃん、案内して」

 心にもないことを言っているに違いないが、角田の婆さんは、表情からはそれを微塵を感じさせない。

 角田の婆さんが、今回、俺を倉庫に呼んだのは、十中八九、のこのこ一人でやってきた俺を討ち取るためだろう。しかし、そんなことはこちらとて承知の上である。松永社長に限って、みすみす角田の婆さんの罠に嵌ることはない。

 角田の婆さんとて、己の策が本当にうまくいくなどとは思っていなかっただろう。しかし、人間のやることに絶対はない。松永社長が深読みをしすぎて、俺を本当に一人で寄越す可能性だって、丸きりないわけではない。角田の婆さんは、その僅かな可能性に賭けた。

 一年という期間の中で、やれることはすべてやる――。極限まで無駄を嫌う松永社長とは、一線を画するスタイルである。普通の人間なら躊躇するような大胆な提案でも平然と言ってのける、厚かましさと図々しさ。大阪のおばちゃんの特性をいかんなく発揮し、角田の婆さんは大会を立ち回ろうということらしい。

 ここで一つ、疑念が生じる。角田の婆さんは、俺が永田軍を連れていくことくらいは、読んでいたはずである。リスクは考えなかったのか――?

 一人の男の影がちらつく。永山則夫――角田軍に新たに加わった、連続射殺魔。仮に我々と戦闘になったとしても勝ち残るだけの、絶対的な自信があったからこそ、角田の婆さんは今回の提案に踏み切ったのではないか。

 ともあれ、着替えを終えた俺たちは、トレーニングルームへと通された。角田、コリアン、闇サイト連合軍との、初顔合わせである。

 永山則夫は、角田の婆さんの隣に侍っている。犯行当時、19歳の姿で復帰した彼の顔はあどけなく、凄みや威圧感のようなものは感じられない。都井睦夫、造田博、金川真大・・・大会に参加する戦闘タイプの面々には、そういえば他にも童顔が多かった。くだらないことかもしれないが、もしかしたら、坊ちゃん坊ちゃんした顔立ちのせいで周囲から舐められやすく、鬱屈を溜めやすかった、などといったこともあるのだろうか。

「それじゃあ、ぼちぼち始めようかね。特に段取りなんかは決めてないんやが、どういう風に進めようかね。何しろ、身体を使うようなことには疎くてね」

「せっかく、これだけ多くの軍が集まったのだ。当然、普段はできない、実戦形式のトレーニングメニューにするべきだ」

 提案したのは、永田のオバサンである。正論であり、賛成の声が多かったため、この意見が受け入れられた。また、どうせやるならさらに趣向を凝らしてみようということで、今回は、角田、闇サイト、コリアン連合軍VS永田、重信連合軍との、5VS5対抗戦を行うという形で話が纏まった。

 主なルールは、以下の通りである。
 
 ・勝敗は、本人のギブアップ、両軍キャプテンのタオル投入のいずれかにて決まるものとする。
 ・試合は6m×6mの枠の中で行う。故意に枠外に出た者は、戦意喪失と認め敗北とする。
 ・武器には、練習用のソフト警棒を使用。その他一切の使用は認められない。
 ・制限時間は、インターバルなしの20分。時間いっぱいで引き分けとする。
 
 さらに対戦カードが、以下のように決まった

  先鋒  小川博   ×  川岸健司
  次鋒  栗田源蔵 ×  イチヌ
  中堅  松村恭造 ×  孫斗八
  副将  永田洋子 ×  藤井政安
  大将  加藤智大 ×  永山則夫

「ルールに守られた試合とはいえ、これは我々のラインと、角田美代子のライン、どちらが包囲網の主軸となるかに関わる、大事な一戦だ。けして負けるわけにはいかない」

 キャプテンである永田のオバサンが力強く宣言したが、同感である。今度の戦いで俺たちが負けるようなことがあれば、角田の婆さんはすかさずそこに漬け込んでくるだろう。もしかしたらこの展開も、角田の婆さんの計算づくだったのかもしれない。負けたところで、もともと盟主の立場ではない角田の婆さんには失うものはなく、逆に、今現在主導権を握っている俺たちには大きな重圧がかかる。明らかに不利な条件での戦いである。

「いやあ、こりゃ盛り上がってきたね。両チームフェアプレイで、いい戦いを見せとくれよ。フェフェフェ」

 角田の婆さんの不気味な笑い声が、薄暗い倉庫内にこだまする――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第168話


 都内ホテルの一室――。松永太は、名目上の大将である重信房子と二人、余人を立ち入らせぬ戦略会議を開いていた。

「季節は八月に入りました。この月を乗り切れば、大会開始から半年が経つということになりますね。現在、我が軍の人員は、設立当初とほぼ同じ6名。新宿歌舞伎町を掌握し、経済的基盤も完全に確立。同盟軍も健在で、我が軍の他勢力に対する優位性は、揺るぎないものとなっています」
 
 小林正、八木茂・・強敵たちとの戦いを、自らの指揮によって勝ってきた重信房子の声は、感慨深げである。ここに至る道は、けして平坦ではなかった。この女のキャリアを、謀略面で支えてきた自分も、胸を張っていいだろう。
 
「・・・が。問題は、それ以上に巨大な勢力が存在すること」

 松永が言うと、重信の表情が険しくなる。

 我が軍のやり方は、けして間違っていない・・。大きなミスも犯さず、戦いに常に勝ち抜いてここまで来た。しかし、麻原彰晃のバドラとの差は開く一方である。

 つまり、努力では埋められない、圧倒的な地力の差があるということ。麻原が、松永と重信の能力を足しても届かない実力者だったということは、もう認めなくてはならない。

 悔しくもなんともない。我々は能力を競っているわけではなく、命を奪い合っているのである。法に守られた人間社会では味わえない、本当の弱肉強食。自然界の掟はただ一つ。強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのである。

「巨大な勢力、バドラに対抗するために、私たちは麻原包囲網を作り上げました。しかし、皆と一致団結して麻原を倒すつもりは毛頭ありません。極力、自らの手は汚さない。狙うは、包囲網の参加勢力とバドラの共倒れです」

「その通り。そしてその目論みは、今のところうまくいっている。現在、角田美代子とその傘下のグループが、バドラの同盟軍、宅間軍に攻勢をかけています。バドラ本軍とかち合うのも、時間の問題でしょう。いい知らせが聞けるかどうか、あとは天運に身を任せるのみです」

 噂をすれば、「同盟者」角田美代子からの電話である。

「どうしました?」

「ああ、松永さん。今度、またうちの方で、宅間を攻めようと思ってるんだけどさ。次こそは確実に敵を仕留めたいと思ってるんで、本格的に訓練をしようと思っているんだよ。そこで、お宅んとこの加藤の坊やを、練習相手に寄越してほしいんだ」

「うーむ・・・」

 何とも大胆な提案をしてくるものだ。さすがの松永も即答できず、考えこんでしまう。

「いけませんよ。罠に違いありません」


 松永も重信と同感なのだが、外交的には、ここでにべもなく断ってしまうと角が立ってしまうのではないか。また、加藤智大の成長のためにも、常に適度な緊張感の中に身を置いていた方がいいとも考えられる。

「いいでしょう。日時が確定したら、再度連絡をください」

 松永がそう答えてしまうと、重信もそれ以上は意見しない。政治向きの決断は、完全に松永に委任しているのである。

「この間、T・Nを引き込んで再起した八木茂のことですが・・。大丈夫でしょうか」

 その話題か。包囲網に参加する連中や、提携するヤクザなどから再三再四問われるのだが、皆、あの男を過大評価しすぎているのではないかと思う。

「問題ありません。Nと、その主であるAを引き込んだところで、恐れることはない。都井睦夫を失った八木など、爪と牙を剥がれた狼のようなものです」

 一連の八木との戦いで、松永は、八木の知力が自分の下にあることを確信した。戦略、コミュニケーション能力、シノギのうまさ・・。どれも、自分が完全に上回っている。八木のすべてに勝る存在、つまり自分がいる限り、八木の能力は、加藤智大の好きなゲームでいうところの、死にステータスである。あの男のことは、顔の周りを飛び回るハエのようなものと考えておけばいいだろう。

「ま、いずれケリをつける必要はあるでしょうけどね。おいしいステーキにして、宮崎さんにでも食べさせてあげましょう」

 ちょうど、その宮崎から電話がかかってきたことから出てきたコメントである。

「あっあっあっ。僕は木嶋に、赤い実はじけちゃったんだっ。なんであんなのに赤い実がはじけないといけないんだっ」

 なにを言っているのか、まったく理解できない。

「宮崎さん、今度は何にお困りなのですか。赤い実がはじけたとは、どういうことですか」

 話しを聞いてみると、「赤い実はじけた」とは、小学生の国語の教科書にもよく採用される小説のことで、ようするに宮崎は、木嶋香苗に恋をしてしまったかもしれないということらしい。

「うーむ・・・男女のことに立ち入るのは野暮な話ですが、私でよければ、恋のアドバイザーになりましょう。ご相談があれば、いつでも承りますよ」

「あっあっあっ。これから、あいつが捨てた生理用ナプキンを吸わないといけないから、とりあえず今回はこれで切るんだっ」

 宮崎勤・・・今までも何かと役に立ったが、あの男は、いつか必ず大仕事をしてくれると、松永は確信している。松永は、八木のような下位互換ではなく、ほとんどの能力で自分に劣っても、何か一つでも自分に無い特性を有している者を高く評価するのである。

 激しさを増す戦い。松永の頭脳に、休む暇は与えられない。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第167話

  さる日本有数の避暑地にて真夏の日差しに照らされながら、グランドマスターは、ここ十日間の参加者の戦いぶりを振り返っていた。

 なんといっても大きな動きは、謀略王松永太の手によって、ついに麻原包囲網が成立したことである。人員10名を抱える最大勢力を、総勢26名の参加者によって総攻撃する、という形だ。

「この状況をいかに見る。アヤメくん」

「麻原包囲網の人員は確かに脅威ですが、結成からまだ日が浅く、統制、連携が十分とはいえません。盟主は重信房子軍ということになっていますが、その権限は絶対的なものではなく、もう一方の雄である角田美代子は、隙あらば重信軍に取って代わろうと、機を窺っています。バドラ、宅間軍が付け込むとしたら、その部分でしょう」

 例えば、短い棒を繋げて作った一本の長い棒と、短いが太く丈夫な棒があるとする。長い棒はリーチがある分打ち合いで有利だが、継ぎ目が多い分強度がもろく、短い棒に力いっぱい打ち込まれれば、あっさりと折れてしまうかもしれない。

 麻原包囲網は人数こそ多いが、重信房子軍と角田美代子軍の間には埋められない溝が存在し、結束力には不安がある。対して、固い絆で結ばれたバドラと宅間軍。人数だけでは、両陣営の戦力差を測ることはできない。

 しかし、この二大連合軍のぶつかり合いこそが、今大会最大の山場となるのは間違いないであろう。戦いの推移を見守っていきたい。

「うっ・・・すみません、私は・・・」

 アヤメがたまらず目を背けたのは、宮崎勤と、保育士マキのデートが収められたフィルムである。己のペニスに汚水を塗り付けるという愚挙を犯した彼は、あろうことか一般人である保育士マキに、それを挿入しようとした。己の糞に塗れた部屋の中で・・・。幸い未遂に終わったが、あの男の監視には、さらに万全の体制をもって臨まねばならない。

「その宮崎勤は、親友のように仲がよかった山地由紀夫と、対立関係となったようだな。あの二人がいかなる戦いを見せてくれるのか・・・楽しみだな」

 ちっとも、楽しみではないといった顔をしているアヤメ。大会どころか、地球上で起こるあらゆる事象を眼中に入れず、ただ己の世界に没頭する彼らの戦いは、女性にはちと、刺激が強すぎるか。

「しかし、ここにきて、参加者同士の人間関係に大きな変化が生まれてきているのは確かなようですね。私が気になるのは、T・Nの方です」

「ふむ。私も予想だにしなかった展開だ。それだけに興味深い」

 かつて松永太と争った大物、八木茂が再起し、T・Nとコンタクトを取った。そして、松永太の店の中で、T・Nが人間関係に苦慮していることに漬け込み、見事協力関係へと持ち込むことに成功したのである。

「あの環七通りの戦いによって、金も力も失った八木ですが、ここからの巻き返しはあるのでしょうか」

「うむ・・一見すると、八木が執念を燃やす松永太との戦力差は絶望的だが、彼のバックには、あの大物参加者が付いている。バドラなどとも連携すれば、もしかすると息を吹き返すかもしれん」

 生命線であった都井睦夫と店を失い、無力と化したと思われた八木茂――しかし彼は復活した。転んでただ起きたわけではない。さる大物参加者を味方につけ、さらにT・Nを引き込むことで、恨み連なる松永太に泡を食わせる体制を整えた。一度地獄を見た者の逆転はあるのかどうか、見ものである。

「現在、麻原包囲網は、数の少ない同盟軍の宅間軍に攻撃の的を絞っています。大久保のコリアンタウンで行われた戦闘では、一般人が絡み、あわやの事態となりました」

「一般人を戦闘に巻き込んではならない・・・。厳格に定められたルールだが、そのグレーゾーンをうまく突いた者が、大会を有利な展開で進めることができる。ルールの穴を見つけるのは、彼ら犯罪者の十八番。あまり厳しく規制しすぎても面白味がなくなってしまうが、ともかく最悪の事態だけは防がなくてはならない。注意をしながら、見守っていく必要があるな」

 あのコリアンタウンの戦いで、一般人の犠牲者が出なかったのは幸いであった。

 大会によって一般人に被害が及ぶのは、グランドマスターの本意ではないが、しかし、だからといって、運営に躊躇することはまったくない。誰が死んでも・・たとえ自分の親が殺されようとも、考えは変わらない。この世の何も、自分の無上の楽しみに変えられるものはないのである。
 
「市橋達也は、日雇い仕事を紹介する派遣会社で働き始めたようですね。現代社会、最底辺の実情を見て、彼は何を思うのでしょうか」

「飯場労働をしていた彼にはあまり抵抗がないのかもしれないがね・・。憂うべきは、飯場労働のような劣悪な条件での仕事が、今や普通に、人に後ろ指をさされるような事情のない真っ当な人にまで利用されている、という事実だろうな」

 好きな時間に、すぐ金を調達できる、お手軽な仕事という建前で生まれたはずの、日雇い派遣。しかし、実際には、建前通り「気軽に利用してあげてる」感覚で働いているスタッフよりも、生活のため「頭を下げて雇ってもらっている」感覚で働いている、切羽詰ったスタッフの方が多数派なのが現状である。彼らの中から、宅間守や加藤智大に匹敵する、あるいはそれ以上の犯罪を犯すものが出てくるのは、時間の問題だ。強者を優遇し、弱者から徹底的に絞り上げる社会を目指す政府は、「その時」が来るまでわからないのだろう。

「バドラ、宅間連合軍と、麻原包囲網の争いを軸に、近々大会の流れが大きく動きそうな予感がするな。忙しくなってきそうだ」

 暑い暑い夏――戦いの季節。八月――死者の還る月。

 激化する戦いを生き残らんとする犯罪者たちを思いながら、グランドマスターは、こんがりと焼き色のついたトウモロコシを頬ばるのであった。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第166話

 演技を看破されて、目を覚ました彼が、動転したように視線を周囲に彷徨わせる。酷暑の沖縄で建設作業員をしていた僕は、熱中症の人は見ればすぐわかるのだ。

「別に、責めてるわけじゃないよ。倒れたフリしてるのも大変だろうと思ってさ」

 それに、演技だとわかっていて、ずっと一緒にいる僕も何となく気まずい。

「す、すいません・・・」

 彼はまるで調子の悪さは窺えない動きで起き上がり、気恥ずかしそうに頭をかいた。

「とにかくあの場から逃げたくて・・・わけがわからなくなって、気づいたら、熱中症になったフリしてて・・・」

 こちらが聞いたわけでもないのに、彼は熱中症の演技をした理由を話してきた。仕事から逃げたいなら、勝手に帰ってしまえばいいだろうとも思うが、気の弱い性格なのだろう。もしくは、今後、派遣会社から仕事を紹介してもらえなくなるのを恐れたのかもしれない。

「ど、どうしよう・・・。帰った方がいいですかね」

「一応、熱中症ってことになってるんだから、もう少しここにいたら」

「そ、そうですね・・」

 これをキッカケに、僕らは互いに自己紹介し、日々のことなどを語り合い始めた。

 彼は名をシゲユキくんといい、年齢は二十三歳。二十歳で親元を離れ、ずっと派遣など非正規労働で生計を立てているという。

「工場やオフィス・・色々なところで働きましたけど、どこに行っても、使えないと言われて、契約途中でクビを切られるんです。しまいには、まともな派遣会社から仕事を回してもらえなくなって、日雇いやるしかなくなっちゃいました」

 それはそうだろうと思っていた。先ほどからの彼の仕事ぶりを見ていれば、彼の経歴がいともたやすく想像できる。そして、彼の抱える問題も・・。

 ADHD――注意欠陥、多動性障害。彼にはその気が多く見受けられる。少し前まで知的障碍者の施設で働いていた僕は、そこで知的障害の親戚である、発達障害の知識も学んでいた。

 ADHDは発達障害の一種で、その名の通り、小学生ごろまでは、授業中に立ち歩いたりなどの多動性が顕著に見られる。多動性に関しては、成人以後はほぼ収まるのだが、ただ完全に治るわけではないから、やはり普通よりは落ち着きがない部分は残ってしまう。

 大きな問題は、不注意性の部分である。こちらは多動性よりも成人以後まで症状が残りやすく、改善は容易ではない――いや、治すということは不可能である。

 ADHDは知能的には何らの遅れはないため、学習や遊びはごく普通に覚え、仕事も、やり方を覚えるまでは健常者との間に差異はない。しかし、注意力が散漫なため、いわゆるポカミスが多く、それが何度指摘されても治らないのが特徴である。忘れ物、落し物も多く、また物事を後回しにする傾向があるから、掃除や整理整頓といった作業が致命的に苦手で、気付いたら会社のデスクや自分の部屋が物でグチャグチャになっているという状況に陥りがちである。

 そんなであるから、几帳面さが命のオフィスワークなどは、彼らにとっては鬼門である。しかし、手先が不器用かつ、物事に飽きっぽく退屈しやすい脳をしているため、現業系など職人的な仕事も向いているとは言い難い。発想が独特なためクリエイティブな仕事が向いているなどと言われるが、そういう仕事で生活に十分な金を稼ぐのは難しい話である。彼らが仕事をして生きていくというのは、現状、非常に厳しいというしかない。

「人ともうまく馴染めなくて・・。学生時代の友達も、気づいたら皆いなくなっちゃったなあ・・。メールなんか、最後にしたのは一年前かあ」

 ADHDは、表面的なコミュニケーション能力に関しては何の問題もない。むしろ、無邪気で人懐っこく、発想がユーモラスな彼らは、周囲の人気者になることもある。

 しかし、その天真爛漫さは諸刃の剣である。喜怒哀楽の喜と楽だけを出していればいいものを、怒と哀まで豊かに表現してしまうため、人から「自分勝手でワガママ、空気の読めない、足並みを乱すヤツ」と取られやすいのである。また、些細なことへの拘りが強い特徴を持つため、根に持ちやすく執念深いとも思われがちなところがある。その拘りがいい方に嵌れば、仕事や学業において素晴らしい実績をあげることも稀にはあるのだが、こと人間関係においては、マイナスになるケースがほとんどである。また、注意力の欠陥から約束を忘れたり、遅刻が多かったりすることも、人間関係に悪影響を及ぼす要因である。食べこぼしなど行儀が悪かったり、服装が乱れていたりするから、それだけで「ちゃんとした人」には嫌われるし、異性にも良い印象を抱かれない。

 仕事もできず、人付き合いもうまくいかない。努力をしても社会に適応できない。しかし、見た目には健常者とまるで変わらない発達障碍者は、人々から理解されず、忌み嫌われ、排除される。知的にはなんらの遅れもないというところも彼らにとってはジレンマで、能力が低いにも関わらず、望みの強さは健常者と同レベルだから、鬱屈を抱えやすい。なまじ障害の程度が軽いために、彼らは福祉の網からもこぼれ、「自己責任、努力次第」の枠で健常者と一緒に扱われ、辛酸をなめ続ける。

 そして犯罪に走る――。刑務所に収監されている囚人の3割程度は知的障碍者であるとは知られた話だが、発達障碍者にまで枠を広げれば、過半数を超えるのではないかと、僕は思っている。

「ああ、もうそろそろ、仕事が終わる時間だ・・。みんなが来ないうちに、僕、帰ります。今日の給料、全額もらえるのかなあ。不安だなあ・・・」

 海より深いため息をついて、シゲユキくんは休憩室を出ていった。このご時世で、同世代の若者は、まだ実家暮らしをしている者が大半だが、シゲユキ君に寄る辺はない。お金がないことは、命に関わるのである。いわゆるセレブニートの立場から逃亡者に転落したとき、僕もその恐怖は散々味わった。

 その後、僕も仕事が終わって、駅まで行って電車に乗ろうとしたのだが、改札口を潜ろうとしたところで、どこからか現れたシゲユキくんが、突然声をかけてきた。

「途中まで、一緒に帰りましょうよ」

 偶然を装ったつもりなのだろうが、おそらく彼は僕を待っていたのだろう。熱中症の件もそうだが、若い彼は芝居が稚拙である。

 そして僕らは、二人で小田急線に乗り、また肩を並べ合って語り合った。僕らが席に座ると、周囲にいる人がすーっと逃げて、僕らの周囲だけ休日の始発電車みたいな状況になる。ひょっとして、臭っているのだろうか。確かに、倉庫では沢山汗はかいたが・・自分ではよくわからない。

「シゲユキくん、家はどこなの」

 それを聞くと、彼は途端に顔を曇らせる。

「家、ないんですよ・・」

 ネットカフェ難民。日雇いの世界じゃ、とくに珍しくもない。

「ふうん・・じゃあ、僕、ここだから」

 素っ気ない口調で言って、僕は新しく借りたアパートのある駅で、電車を降りた。あわよくば、今夜のねぐらを――シゲユキくんはそんな期待をしていたのだろうが、僕はそれには応えられない。大会参加者は、一般人を無暗に危険に晒さないため、一般人との同棲が禁止されている。女性のみ例外だが、同性相手に危害が及んだ場合は、本人も処罰を受ける、というルールとなっている。

 それでなくとも――僕は人と親しい関係を築くのが苦手である。プライドが異常に高く、繊細で傷つきやすい。一度何かに対し強い感情を抱くと、歯止めが利かなくなってしまう。

 テンプレートのケースには該当しないが、もしかすると、僕も発達障害のキャリアなのかもしれない。発達障害は、これはこれ、あれはあれと、簡単に分類できるものではなく、例えばある人にアスペルガーの要素とADHDの要素が、全てではなく半々に見られる、などということも多い。症状の現れ方は千差万別、人それぞれなのである。

 もう、人とは関わらない。人を求めない。それは悲劇にしか繋がらないのだから。

 砂漠の中で孤独に生き、孤独に死んでいく。僕はそう決めたのだ。彼の期待に、応えることはできない――。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第165話

「あのなあ、ここはお前の家じゃねえんだよっ。ちゃんとやれよ!」

「す、すすすす、すみません・・・・」

 怒られた紹介スタッフは、目を泳がせ、肩を震わせて、正社員への恐怖と、失態を犯したことへの申し訳なさを露わにする。かなり大げさで、芝居がかっているとも思える反応である。そんなにビビるくらいなら、しょうもないヘマをしなければいいと思う人もいるだろうが、彼にとってはそんな簡単な問題ではないことは、僕にはすぐわかった。

 休憩が終了し、午後の勤務が始まる。先ほどの一件で目をつけられたのだろうか、若い紹介スタッフは、正社員から狙い撃ちで怒られるようになった。

「おい!てめ、いくらなんでもトイレ行き過ぎなんだよ!」

「滅茶苦茶な作り方してんじゃねえよ!」

 まさに集中砲火といった有様で、見ていて気の毒になるくらいだった。あれでは、最後まで持つかどうかも怪しいところだ。日雇いのスタッフがバックレることなど珍しくもなんともないことで、正社員とて、それくらいは覚悟で、あれほど厳しい態度をとっているのだろうが。

 「紹介スタッフ」には、他にも色々、個性的な人がいた。

「おい。よそ見をするな。手元に集中して働け」

「私語をするな。口を動かさず、手を動かせ」

 午前中から、よそのテーブルにわざわざ歩いていっては、紹介スタッフたちに偉そうに指図をして回っている、三十代半ばくらいの人がいるのだが、この人、実は正社員ではない。同じ立場の紹介スタッフなのである。

「なんだ、あいつ。リーダーでもないのに、偉そうにしやがって・・」

 仲間の紹介スタッフからも煙たがられているのだが、どうやら彼、派遣会社や左皮急便から頼まれたわけでもないのに、まったく同じ立場の紹介スタッフを仕切ろうとしているようなのである。

 正社員に登用されようと本気で頑張っているのか、単に、俺はお前らとは違うと、能力を誇示しているだけなのか・・。理由はわからない。一つ言えるのは、彼のやっていることは、己の立場を弁えない、極めて自己満足的な行為である、ということだ。

「おい、お前、勝手に工場の備品を動かしてんじゃねえよ!」

「あ、いえ・・しかし、こうした方が、作業の効率が・・」

「口ごたえしてんじゃねえっ!」

 仲間の派遣スタッフを仕切った気になっているくせに、自分が正社員に怒られているのである。

 ――仕事のできる人は余計なこともする。だから嫌われる。

 飯場で働いていたとき、現場監督がよく呟いていた言葉だが、あの仕切りたがりの紹介スタッフ――彼は別に、仕事ができるわけでもないが――には、その言葉がまったく相応しい。「戦場でもっとも不要なのは、無能な働き者の兵士である」とは軍人の格言だが、積極的に仕事をするにしても、方向性を間違っていれば、成果どころか損害を与えてしまう。我々紹介スタッフは、指示に従い、言われたことだけをやるのが仕事なのだから、それに徹していればいいのである。

「おい、お前。さっきからお客さんに怒られてんじゃねえよ」

 正社員に怒られた後、彼が懲りずに冷蔵庫開けっ放し事件の紹介スタッフにかけた言葉だが、ここまで己の立場が見えていないのは、凄いとしか言いようがない。権限もなく、能力もないくせに自分で判断し、動き回っては現場を引っ掻き回す――。もし、彼が正社員になりたくて頑張っているのだとしたら、まずは己の空気の読めなさと、客観性の無さを理解した方がいいと思う。

 十四時三十分――長きに渡る単純作業の繰り返しに、元、飯場労働者の僕も、さすがに疲れを覚えてきた。屋外での肉体労働の心地よい疲れとは決定的に違う、どっしりと圧し掛かるような、嫌な疲れである。

 自己責任、自業自得――社会の勝ち組と呼ばれる人は、底辺にいる人たちを、「努力していない、怠け者だ」と、したり顔で見下す。しかし、こんなに過酷で、人が厭うような労働に従事している彼らに努力をしていないなどと言うのは、あまりに酷ではないか。

 努力と苦労は似て非なるもの――努力すべきときに努力しなかったから「苦労」をするはめになったのだ。そんな風に言われれば返す言葉はないが、釈然とはしない。それで納得しろというのは、あまりに人の尊厳を踏みにじりすぎていると思う。

「おいっ、お前、大丈夫か。しっかりしろ」

 暑さと疲れで、意識が遠のきかけていたが、正社員のひっくり返った声で我に返った。目の前で、また事件が起きていた。冷蔵庫事件の紹介スタッフが、倒れて口をパクパクさせているのである。

「やばいな、熱中症か・・。おい、ちょっとお前、運ぶの手伝って」

 正社員から指名を受け、僕は冷蔵庫事件の紹介スタッフを担ぎ、休憩室へと連れていった。そこで彼を床に寝かせ、水を飲ませる。

「おい、大丈夫か?俺の声が聞こえるか?」

 正社員が何度も問いかけ、ようやく冷蔵庫事件の紹介スタッフが、首を小さく縦に振った。

「お前は、今日は仕事はもういいから・・。落ち着いたら、勝手に帰れ。あんた、運ぶの手伝ってもらって悪かったな。俺は作業場に戻るから、しばらく付いててくれ」

 そう言い残して、正社員は休憩室を出ていった。救急車は呼ばなくていいのだろうかと思ったが、冷蔵庫事件の紹介スタッフに付いていることでサボる口実になるなら、僕としては特に異存はない。
それに・・・。

「おい。もう演技はやめたらどうだい」

 虚ろな目を天井に向けていた冷蔵庫事件の紹介スタッフが、ギョッとして身を強張らせた。

 

 

 

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第164話

 市橋達也は、物流大手「左皮急便」の倉庫にて、梱包作業に従事していた。派遣会社「パワースタッフ」の紹介を介して、という形である。

 2012年に改正された労働者派遣法により、30日以内の短期契約による労働者派遣は、原則として禁止となった。しかし、実際には、スポット派遣そのものがなくなったわけではない。「日々派遣」から「日々紹介」と名を変え、今も存在し続けているのである。

 「日々紹介」とは、文字通り、派遣会社が労働者に「仕事を紹介する」ということで、形式的には、労働者に指揮命令を行う企業との直接雇用という形となる。給与の支払いは派遣会社を介さず、雇用した企業が直接労働者に払い、派遣会社は、紹介した企業から「紹介料を受け取る」という形で、従来の「マージン」に当たる利益を得ている。

 この「直接雇用」というのが曲者である。響きだけ見れば、派遣よりも安定しているようにも聞こえるが、労働者から見ると必ずしもそうとはいえない。例えば、有給休暇のことである。考えてみれば誰でもわかることだが、「日々紹介」では、基本的には、同じ企業の指揮命令下で長期間働くことはないから、いつまで経っても、有給を取得する権利が発生しないのである。従来通り、派遣会社との間に雇用関係があればそうした問題は起こらず、日々違った企業に派遣されようが、働いた日数に応じて、有給を取得する権利が発生する。また、最大の問題は、派遣から直接雇用に変わり、いわゆる搾取がなくなったところで、最終的に労働者の手元に渡る給与が増えるとは限らない、ということである。

 つまり、「日々紹介」とは名前が変わっただけで、従来の日雇い派遣と、実態は何も変わっていない。それどころか、派遣の方が優位と思える部分すらあるのである。法が変わろうが、悪い人間はすぐに抜け穴を見つけていくのだ。

「おらあ、お前ら手え動かすの遅えんだよ~!ちゃっちゃとやらねえと帰らせねえぞ!」

 直接雇用にしたから偉くなったとでも思っているのだろうか。左皮急便の社員が、「紹介スタッフ」に対して、容赦なく怒号を飛ばす。

 手を動かすのが遅いといっても、テキパキやったところで給料は変わらないのだから、やる気にならないのは当たり前である。成果ではなく、あくまで時間のみで給料を貰っている非正規労働者は、「何かに手をつけているだけで満足してしまう」生き物だ。それをいかに使うかが指揮命令者の腕の見せ所で、犬、猫並みに怒鳴ることしかできないのは、無能を露呈しているだけである。今は犬、猫のしつけでも、無暗に怒鳴るのは推奨されていないのだが・・。

 しかし、日雇いの労働者を使う立場としては、あれで間違いないのかもしれない。確かに、怒鳴ってケツを叩けば、その場では労働者は頑張るからだ。ただ、こういうやり方では、絶対に人は定着しない。つまり技術の習熟は見込めないのだが、梱包作業などは誰でも出来る単純作業であり、習熟もクソもない。このご時世で、日雇いの労働者は幾らでも確保できるから、定着しようがしなかろうが屁でもないということだ。日雇いという就労形態が無くならない限り、こうして悪循環が繰り返されるのだ。

「あ?お前今、なんつった?」

「いや、こうした方が自分はやりやすいって言ったんだよ」

 どうやら、教えられたやり方とは別の手順で作業を進めていたスタッフと、正社員との間で、口論が起きているようである。

「だよって、てめ、タメ口きいてんじゃねえよ」

 我が目を疑った。正社員が、スタッフの頭を、クリップボードで打擲したのである。

「いいか、口応えすんじゃねえ。お前は下っ端なんだよ。俺が偉いんだよ。言われた通りにしてりゃいいんだ。わかったか、ああっ!」

 暗澹たる気持ちになる。何が辛いって、怒鳴られているスタッフは50歳近く、怒鳴っている正社員の方は、まだ20代の若さだからだ。僕の父親でもおかしくない年齢のおじさんが、僕よりも若い正社員に、頭を叩かれているのである。あんなのを見るくらいなら、自分が怒られた方がまだマシだ。
 
 暑さと、単純労働特有の、体感時間の長さに苦しみながら、どうにかこうにか、昼休みを迎えた。過酷な労働での、束の間の安らぎの時間であったが、ここでもトラブルが起こる。

「お前、冷蔵庫開けっ放しじゃねえかっ。何やってんだっ」

 休憩室の冷蔵庫の扉を開け放っていたスタッフに対し、先ほどの20代正社員が、怒りを露わにしたのである。

 怒られているのは、20代前半と見られる青年だった。僕と同じ机で作業にあたっていたからよく見ていたのだが、彼、まだ若いのに、どうも作業の手際が悪く、仕損じが多い。また、極度に集中力がなく、十分に一回は作業の手を止め、周囲をキョロキョロしたり、トイレに行ってしまったりしていた。

 休憩中においても同じ様子で、落ち着いて座りながら食事をとることができず、歩き回りながらパンをかじって、ヘンゼルとグレーテルばりに床にパンくずをボロボロとこぼしていた。冷蔵庫の扉を開けたのも、ドリンクを取るわけでもなく、「ただなんとなく気になったから」衝動的に開けたようだった。

 いつかは正社員に怒られると思っていたのだが、そのときがやってきたようだった。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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