凶悪犯罪者バトルロイヤル 第112話

「ようこそカウさん。私が松永です」

 松永太は、初対面となる小林カウに笑顔を振りまき、自分の座る後部座席に招き入れた。

「どうもどうも、皆さん方、小林カウと申します。あんたが松永さんか。いやあ、男前だねえ。そっちの運転席に座ってるのが、若い兄ちゃんが、加藤智大さんだ。中央座席の真ん中に座ってるのが、重信房子さんだね。美人さんだねえ。いいねえ。あたしも、若いときの顔で復元してもらいたかったよ」

 のっけからよく喋るカウ。現場到着まで時間もごく僅かであり、悠長に会話をしている時間はない。とにかく、己が一方的に話しやすい雰囲気を作ろうとしているのが伺える。

 間近で見て改めて思うが、よくこの女に、男を殺しに駆り立てるほど魅了させられたと思う。重信のように若き日の容姿で復帰したかったなどというが、仮に二十代の姿で蘇ったとしても、これではたかが知れているというものだろう。

 いや、見下しているわけではなく、感心しているのである。世の中には、容姿が悪いくせに妙な勘違いをして、恥ずかしげもなく婚活プロフィールに年収一千万以上希望だの、タレントの誰々似を希望だの書いて、分不相応な相手を求めようとする気持ち悪い女もいるが、カウは己の魅力を客観的に評価する冷静さを持っている。その上で、モテない男にはむしろ安心感を与えやすい己の容姿、年齢の特性を理解し、それを最大限に発揮して、己でも落とせる、モテない男を選んで取り入っている。

 戦う土俵の選択は重要だ。米球界で、生涯に渡ってメジャーとマイナーを行き来する二流半の選手で終わるのと、日本のプロ野球でタイトルを総なめにし、高額契約を勝ち取る名選手として現役を全うするのと、どちらが幸せか、ということである。

まあ、人の価値観の問題であり、どちらがいいという話でもないが、前者のように、分不相応な幸せに執着していつまでももがき苦しむ人間は大抵心もギスギスしてくるが、自分の力量をよく理解して、それなりの幸せに満足している後者の人間は実にいい顔をしているということは言えるだろう。

「えーと。そいから、こっちの坊やが、松村恭造くんで・・」

「カウさん、一人ひとりを紹介している時間はありませんから。それより、本当のところを聞かせてください。こちらの坂巻くんが、八木軍と通じているのかどうか」

 松永の問いに、坂巻が激昂し、カウがギョッとした顔を見せる。

「あ!?なにいい加減なこと・・こ・・のっ、ババアっ!」

「い、いやいや・・その、それは、その、言葉のあや?いや、その、なんだ・・全部、アタシがついた大嘘だ。許しとくれ・・」

 松永の狙いが成功した。変に考える余裕を与えず、ストレートに本題を突く。これで真相がわかる。仮に坂巻が八木軍の刺客だったとしたら、カウが我が軍に寝返る展開は打ち合わせにはなかったはずだから、二人のリアクションはもっと不自然な感じになったはずだ。

 嘘をつく術を熟知している名人は、同時に、嘘を見破る術にも長けている。松永の「千里眼」の鑑定によれば、坂巻は「シロ」だった。

「ふーん。嘘はいけませんねえ、嘘は」

 松永は、車に乗ってからずっと、ライターで先端をよく熱していたピンセットで、カウの頬を突いた。

「あぢっ・・な、なにするんだい!」

「なにって、罰を与えたんですよ。わが軍ではね、いけないことをした人には、体にお仕置きをするという決まりがあるんです。カウさんにもわが軍の一員となったからには、ちゃあんと従ってもらわなきゃ」

 松永が、人を食ったような口調で言った。理由はなんでもいい。精神的に負い目を作り、恐怖で相手を支配する。我の強い犯罪者相手には通用しないと判断し、今までは封印していたが、本来はこれが自分の真骨頂だ。

 一発で主導権を握る。それを絶対に離さない。カウに付け入る隙を与えず、ただの情報を吐き出す機械にしてやる。

「罰って・・アタシがその嘘をついたのは、あんたの軍に加わる前じゃないか!」

「おや?口ごたえですか?」

 松永は、先ほどピンセットをあてがった箇所に、今度は強めにピンセットを突き刺した。鋭い叫び声が、車内にこだまする。
 
「おい、うるさいぞ、ババア!」

 孫斗八が、目の前で行われているのは、ただの針灸ですとでもいった口ぶりで、カウに怒鳴った。あまり嫌な感じがしないのは、この男は、やられているのが自分の母親であっても、同じように言っただろう、と思えるからだろうか。

 しかし、いい援護射撃ではあった。狭い車内に、味方は誰もいないと思ったカウの表情が、ライオンの群れに放り込まれたウサギのように萎縮していくのが、はっきりとわかった。

「カウさん、今度は嘘はつかないでくださいね。八木軍の構成についてです。見てわかる通り、今回、我が軍では三名の傭兵の方々に助けを頂いています。私は常に、自分が考えるくらいのことは、相手も当然考えている、というスタンスで物事にあたるようにしていましてね。八木軍でも同じように、傭兵を雇っているのでは、と、気になっているのですよ」

「あ、ああ・・確かにうちでも、一人傭兵を雇っている。小川・・小川博だよ」

 恐怖を植え付けられたカウは、あっさりと機密情報を吐いた。

 小川博。元ロッテ所属のプロ野球選手。現役時代は、二ケタ勝利を挙げたこともある先発投手として活躍し、引退後はコーチも務めた。しかし金遣いが荒く、2004年、借金を断られた腹いせに、知人女性を強殺。奇しくもその年は、自身が登板した10.19伝説のダブルヘッダーの相手チーム、近鉄バファローズが消滅した年であった。

 元プロ野球選手であり、身体能力は折り紙付き。また鈍器の扱いは手慣れたものだろう。傭兵ということもあり、どこまで真剣に戦うかはわからないが、厄介な敵であることには間違いない。

「しかしね・・それがわかっていても、あんたらは八木を倒すことはできない」

「どういうことです・・」

 問いかけようとしたところで、松永の携帯が鳴った。池袋の「IKB48」の監視を依頼している、山崎組組員からの連絡である。

「松永さん、大変です!八木が・・八木が10台あまりのレンタカーを手配して、同時に出発していきました。大人数のエキストラと一緒に出てきたため、八木たちがどの車に乗り込んだかもわかりません。車も同じ車種で、どれがどれだか・・。ナンバーも、確認できませんでした」

 影武者作戦、人海戦術。確かにこの状況で取れる手段としては、もっとも有効というか、それ以外に打ちようのない一手である。

これを破るためには、横山組本部ビルのまん前で、我々も車を降りて待機しているしかないが、それでは八木軍を仕留めることはできない。さすがにそこまでやれば、八木にも会合欠席の申し訳が立つからである。

 八木たちがビルの中に入ってしまえば、もうお手上げだ。何しろ、奴らが入るのは組事務所なのである。カチ込むなどもっての他。奴らが出てくるまで、外で待機などという作戦も難しい。八木たちを倒すには、奴らが車を降りてからビルの自動ドアを潜るまでの、4メートルそこそこの距離を歩く間に仕留めなければならない。

「まずいことになりましたね・・。たとえば、こういう戦術も考えられます。八木軍のだれか一人が、囮としてビルに駆け込む。それを殺そうと我々が車を飛び出した瞬間、別々の車に待機していた八木たちは悠々と逃亡する。また、雇った大量のエキストラを人間バリケードにして、ビルの中に入るなどといったことも可能です。そんなことをされたらば、一般人に手出しすることを禁じられた我々には、どうにもできません」

 重信房子が、戦術家の目線から相手の狙いを分析した。ならば、今度は自分が、戦略家の目線で、八木軍の狙いを分析してみる。

 八木軍の狙いは、ずばり戦争の長期化である。長期戦に持ち込まれれば、八木が、我が軍の資金源である「スカーフキッス」に営業妨害を仕掛けてくるのは目に見えている。じわじわと財力を削がれ、気づいたときには、埋められない差が出来てしまう。なんとしてもここで決定的な打撃を与えておかなければならないのだが、しかし・・。

「そういうことだ・・。あんたらは、八木に勝つことは絶対にできないんだよ!絶対になあ」

 カウの目が四白に剥かれ、獰猛な赤い血の色が宿った。
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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第111話

 加藤智大は、仲間とともに、今夜の戦場である、赤羽の横山組東京支部ビル前の見取り図に目を落としていた。

「ビルへの入り口は一つ。正面玄関の自動ドアのみです。敵軍は必ずここから入ってきます」

 重信さんが、赤いボールペンでビルを指しながら言う。

「本当か?場所を変えて行うかもしれないじゃないか」

「ヤクザはメンツの生き物です。襲撃を受ける可能性があると聞いたからといって、警戒して場所を変えるようなことはしません。相手が同じヤクザならともかく、私たちは、彼らから見たらカタギですから、なおさらです」

 孫斗八の疑問に、重信さんが答えた。

「八木たちが来ない、ということも考えられません。ヤクザは何よりも礼にこだわる生き物ですから。同時に、粗探し、揚げ足とりの名人でもあります。援助を受けるようになって最初に行われる定例の会合に顔も出さないなどとなれば、後々大きなデメリットになることを、八木はよくわかっているはずです」

 戦争開始、待ったなし。出撃予定時刻まであと20分、現場に辿り着くまでおよそ30分。遅くとも1時間後には、確実に血の雨が降るということだ。

 先ほどから、重信さんはまるで自分が考えたことのように、八木軍やヤクザの思考を語っているが、彼女との付き合いも3か月になる俺には、なんとなくわかる。今のはすべて、重信さんではなく、松永さんが分析したことだ。

 全体を見据えた戦略や資金獲得、人材獲得など、内務的なことは、松永さんが。実戦を指揮するのは、重信さんが。どうやらそれが、わが軍の首脳陣の役割分担となっているらしい。お互いがそれぞれの得意分野で力を発揮する、理想的なコンビのようにも思えるが、一抹の不安がある。我が軍のリーダーが、重信さんであるということだ。

 トップが武略に優れ、補佐であるナンバー2が知略に優れる。歴史上、このようなコンビがうまくいった例は少ない。うまくいっているのは、宰相ビスマルクと将軍モルトケ、源頼朝と源義経のような、政治家が完全に軍人の上に君臨するパターンだ。

 文民統制に失敗した旧日本軍が自滅したことからもわかる通り、政治は常に軍事に優先しなければならない。今のところは、重信さんが松永さんを信頼しきっているからいいが、この先、二人が決別するようなことがないともいえない。そのとき、俺はどうしたらいいのか。

「今後のことを考える必要はありません。今日の戦いに、あなたたちの全てをぶつけてください。死を恐れてはなりません。死なぬ、帰らぬと思えば、逆に生還できるものです」

 重信さんが言った。その通りだ。先のことを考えても仕方がない。まずは今日の戦いで、確実に生き残ることを考えなければ。

 そして出発時刻となり、俺たちは車へと乗り込んだ。いつも使っているハイエースとは別のワゴンである。みんながシートに座り、俺がエンジンをかけたところで、松永さんから重大発表があった。

「10分後。敵軍の参謀、小林カウが我が軍に合流します。一応、味方に加わって頂けるという形になるので、丁重に迎えて差し上げてください」

 この発表を受け、車内にはざわめきが広がる。

「小林カウを?・・信頼できるんですか?」

「信頼はできないと思いますよ。向こうにも何かしら、よからぬ企みがあってのことでしょう」

 軍団員、とくに傭兵部隊三人の顔色がどう変化するかを観察しながら、松永さんが答える。

「何かしらって・・」

「おそらくは、開戦直前のこのタイミングで我が軍に潜り込み、内部から我が軍に工作を仕掛けようとしていると思うのですが、断言はできません。もしかすると、車で小林を拾う瞬間に、向こうから襲撃を受けるのかもしれませんし。そうなれば、ちょうど立場があべこべになる形になりますから、多少は面食らうでしょうね。またあるいは、本当に我が軍に味方しようと考えているのかもしれません。色々なパターンが考えられます。色々、ね」

 松永さんが、楽しいゲームをプレイしているかのように、口角を吊り上げる。

 正直、余計なことをしてくれたと思う。我が軍と八木軍の戦力比は、9対5。普通にやれば勝てる兵力差だ。策というのは、本来、力が劣っている側が弄するもので、地力に勝っている場合には、素直に数で押した方がいい結果を生む場合が多い。変に動けば、その分相手に付け入る隙を与えることにもなり兼ねない。

 兵力で勝っている側が策を弄するなら、よほど成功率が高いか、あるいはリスクがまったくない、という策以外は、やるべきではないが、松永さんはそこまで自信があるのか。俺にはそうは思えない。ただ、己の趣味でやっているようにしか見えない。

 どうも松永さんには、人殺しをゲーム感覚で行っているようなところが見受けられる。ゲームというよりは、競馬などのギャンブル行為や、ロッククライミングやスカイダイビングのような、エクストリームスポーツに近い感覚なのかもしれない。人の命を奪うことへの罪悪感や、味方の命を危険に晒すことへの躊躇はまるでなく、ただひたすら、己の命や財産を差し出すスリルしかないということだ。格闘技のプロがアドレナリンの放出によりそうなるのではなく、あくまで本人の中では冷静であるところが恐ろしい。
 
 意見してもいいものだろうか。しかし、ここまで、松永さんが立てた戦略で勝ってきたのも事実。やはり門外漢は、口を出さない方が賢明か。

 車を新宿から赤羽に向かって進めていくと、途中、歩道の脇で手を振っている中年の女が見えたので、車に載せた。当時の基準で見ても、さして美人ともいえないこのオバサンが、小林カウらしい。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第110話


 松永太は、作戦会議の進行を妨げぬよう、一端会議室から退出した上で、宿敵の参謀からの電話を受け取った。

「もしもし。松永ですが」

「ああ、松永さんかい。私だよ、私。小林だよ。小林カウだ」

「わかっていますよ。ディスプレイ・・画面に、名前が表示されますから」
 
 昭和の犯罪者カウに、携帯電話の仕組みを説明してやりながら、松永は思考を巡らせる。

 出撃を間近に控えたこの時間にかかってきた電話。おそらく八木軍でも、店舗である「IKB48」から出なくてはならないこの日に、わが軍の襲撃があることを予測して、こちらを攪乱させようとしているのであろう。

 出撃予定時刻まで、あと二十分。わずかな時間で、できる限りの情報を明らかにしなければならない。松永は頭脳のギアを、フルスロットルにもっていった。

「それで、ご用件は?」

「あんたが接触した人物にね、坂巻ってのがいるだろう。あいつにはね、ウチの大将も唾をつけているんだ。それを教えてやろうと思ってね」

「・・そちらの話が、どの程度まで進んでいるかにもよりますね。電話で話をするだけなら、私とあなただって、こうして通じているわけですし」

「私も、すべてを知っているわけではないけどね。なんでも、八木は500万もの大金を積んで、坂巻にあんたの軍を滅茶苦茶にさせようとしているらしいよ」

「滅茶苦茶に、とは?」

「さあ。私も直接話を聞いたわけじゃないから、詳しくはわからないけどね。この先何があるかわからないし、あんたの世話になるかもしれないからさ。一応、忠告しておこうと思ってね」

 保険をかけようというカウの言葉を鵜呑みにはできないが、カウの言動がまったくのウソとも思えない。少なくともカウは、坂巻が我が軍と繋がっていることは、知っているのだ。

 坂巻脩吉が八木軍と昵懇にしているとしたら、厄介なことになる。戦力の中心である坂巻が戦闘中に寝返ったら、関ヶ原の西軍よろしく、有利な態勢であっても敗北は必至である。

 だからといって、坂巻を戦闘に参加させず、帰してしまうとなると、孫と川俣に支払う金を、最低でも3倍は増やさなくてはならなくなる。当たり前の話だが、同じ金を払って、一人だけ何もしないでいいとなれば、残った二人が真面目に働くはずがないからだ。

 坂巻が八木の刺客である決定的な証拠でもあれば話は別だが、それを探すのは難しい。無理やりに携帯電話を取り上げて調べるようなことをすれば、カドが立ってしまう。証拠がない以上、作戦に参加させないというのは難しい。ましてや処分など、もっての他である。

 それに、もしかしたら、刺客は一人ではないのかもしれない。坂巻にマークを絞らせておいて、他の二人が裏切るということだって考えられる。そうなったら、金を払うだけ払って、殺され損ということになってしまう。松永にとって、もっとも我慢ならない結末である。

 カウの狙いを、明らかにはしたい。しかし、下手に口を滑らせれば、こちらの大事な情報を知られてしまうかもしれない。情報とは探り合いによって引き出すものだが、今は駆け引きをしている時間的猶予がない。早急に結論を出さねばならない。

 ・・・と、ここまで考えて、急に、腹の虫がざわめくのを感じた。この自分が、半世紀も昔の化石に、疑心暗鬼にさせられているという事実。不甲斐なさに歯噛みしたくなると同時に、こともあろうに自分を翻弄できるなどと考えるカウの増上慢に、烈しい怒りを覚えていた。

 松永は、怒りが頂点に達すると、頭の中が、ドライアイスをぶちこまれたように凍えるのを感じる。世間では冷血鬼などと呼称され、人ならぬ者と語られる自分だが、この感覚は、人並みのものなのだろうか。

「カウさん、単刀直入に言います。あと40分後、わが軍は、あなたの軍を攻めようとしています。2500万で、わが軍に来ませんか。いますぐ、前金で1000万円を、仲間の一人に届けさせます。残りの1500万は、合流後にお渡しします。今すぐ、こちらの軍に加わっていただけませんか」

 松永はここで方針を転換し、カウを何が何でも自軍に引き入れることを決めた。

 戦前の流言飛語など、よくあること。一笑に付して電話を切ればいいだけなのに、何を言っているのだろうかと思う。しかし、どうしても抑えきれない。猪口才な小利口者を、いたぶってやりたい衝動を抑えきれない。

 あの事件を起こす前から、そうだった。通電などしなくても、自分には陽気な笑顔で社員を惹きつける人間的魅力と、実業家としての才があった。しかし、それだけではだめだった。他人が、恐怖で顔を歪ませる姿を見なければ気が済まなかった。自分に屈服する姿を見なければ気が済まなかった。

 自分は、犯罪の天才などと言われている。確かに、並大抵の人間には殺せない数を殺しはしたが、それを緻密と言われてしまうと、我がことながら違和感がある。冷静に考えれば、それだけの人間を殺して捕まらないと考えること自体は、大ざっぱで無謀、そして愚かなことではないのか。

 だが、自分はそれをやらずにはいられなかった。まっとうな手段で成功する方法はいくらでも知っていたし、その能力もあった。しかし、それでは足りなかった。人を虐げずにはいられなかった。人を屈服させずにはいられなかった。

 そして、虐げ、屈服させる対象の中でもっともそそるのは、八木やカウのような、自分と同じ人種だった。同族というのは、極端に惹かれ合うか、極端に憎しみ合うか、常にそのどちらからしい。

 こともあろうに、自分を騙せるなどと調略を仕掛けてきたカウは、後者のカテゴリに分類された。必ずや、痛めつけてやらねば気が済まない。

 八木軍を切り崩すのは不可能と思っていたが、ここに来て状況が変わった。少しは目端の利くと思っていたカウは、思いのほか身の程知らずであった。今、松永は、見栄っ張りなカウの功名心と、度外れた金銭欲を刺激しようとしている。自分の誘いに対し、思い上がったカウは、こう考えるであろう。「これから私は、重信軍にスパイとして潜り込む。まるでウイルスのように、中から重信軍を崩壊させ、兵数的には絶対不利な状況を覆してやる」と。あわよくば、松永がカウに払うと約束した2500万もの大金も奪った上で、ということだ。

 これから八木軍を襲撃することは明かしてしまったが、このタイミングで攪乱の電話などしてきたくらいだから、そんなのは、向こうとて先刻承知であろう。従って、こちらに失うものはない。

 考えてみれば、坂巻の裏切りがどうの、といったことも、それを言い出したカウをこちらの懐に呼びこめば、すべて明らかになることである。

 最善の策は、いつもシンプルである。シンプルな策は、シンプルであるがゆえに実行されないことも多い。誰もそんなことが可能であるとは思わないからだが、自分は、コロンブスの卵を立たせられなかった男を演じたりはしない。

「それだけの大金・・本当に・・」

「時間がありません。今すぐ、決断してください」

「・・わかった。わかったよ。金が届き次第、すぐ八木の軍を抜けるよ」

 松永は、口角を吊り上げた。小賢しいハエが、罠にかかったようだ。

 策士策に溺れる。小林カウ。そして八木茂。己より一段上の謀略家が存在することを知り、口惜しさに顔を歪めるがいい。屈辱に身を震わせながら地獄の業火に焼かれ、その熱さに悶え苦しむがいい。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第109話

 午後八時。営業中のスカーフキッスの待機所は、物々しい雰囲気に包まれていた。

 6月25日。いよいよ、八木軍との決戦の日が来た。集まったのは、重信軍のメンバー6名+傭兵部隊の3名+の、計10名である。A軍には、八木軍の同盟軍である日高夫妻を引き付けておくことを依頼しており、彼らは戦闘には参加しない。
 
 松永太は、戦闘員たちがテーブルを囲んで作戦会議をしているところから少し離れ、一人パイプ椅子に腰かけて、これまでの対八木軍戦略を振り返っていた。

 八木軍と争うにあたり、松永がまず真っ先に考えたのは、八木軍の資金源である「IKB48」の営業を妨害し、経済力を削ぐこと。具体的な方法としては、キャストのスキャンダルを明らかにすることだが、しかしこれは、質より量を標榜し、キャストの首のすげ替えが容易な「IKB48」に対しては効果が薄い。薬物事犯や、未成年を働かせていた、売春防止法など、法的な問題が明らかになれば話は別だが、そうでない以上、下手に動いても時間と手間の無駄である。従って、この方法は取れなかった。

 次に考えたのは、八木軍に所属する参加者の切り崩しである。好待遇をちらつかせ、また戦力を誇示して脅しをかけるなどしたのだが、待遇に関していえば、八木軍の俸給は相当なものらしく、付け入る隙はなかった。脅しにしても、今まで八木軍は連戦連勝の状態だから、己の軍団より上の脅威が存在するとは、リアルには思い描けなかったのであろう。唯一、目端の利く小林カウだけは、多少心を動かされたようだったが、他の面々には、鼻であしらわれただけだった。

 結論・・八木軍の戦力ダウンを狙うよりも、ひたすら我が軍の戦力アップだけに専心したほうがいい。敵は八木軍だけでなく、麻原彰晃のバドラ始め、今後も多くの敵との争いが控えているのだから、総合戦略的にも、そちらに注力した方が効果的である。

 そして松永は、「麻原包囲網」を築き上げるために声をかけていた参加者たちに、わが軍に加わるよう持ちかけたのだが、これは全員に断られた。適応性が極端に低い彼らには、高い給金を貰っても、人に管理される暮らしが耐えられなかったのである。

 松永はすぐさま方針を切り替え、彼らを傭兵として用いることを決めた。暴飲暴食は寿命を縮めるように、誰でも彼でも、軍団に引き入れればいいというものでもない。多少割高でも、必要なときに、必要に応じて人を使うやり方があってもいいはずである。とにかく、接触して交流を深めたことこそが大事なのだ。初期に声をかけたあの宮崎勤にだって、いずれ利用するときが来るかもしれない。

 経済的な面でいえば、スカーフキッスも、キャストの淘汰が進み、厳しい競争を勝ち抜いた精鋭たちの頑張りで、売上は全国のキャバクラで2位となるまで成長していた。八木茂の経営する「IKB48」などと比べても圧倒的に上で、バトルロイヤル参加者の中では、資金力はダントツの№1であることは間違いない。

 そして、ついに八木軍との決戦のときが来た。慎重居士を自認する松永が、まだ時期尚早とも思えるこのタイミングで攻撃を決断したのは、八木軍からの営業妨害を避けるためだった。八木の「IKB48」と反対に、少数精鋭で、キャスト一人当たりの売り上げ単価が大きい、我が「スカーフキッス」に対しては、キャストの不行状を暴かれるのは、効果絶大なのである。

 こちらが考えていることは、八木も当然考えている、くらいに思っておいた方がいい。策士策に溺れるになってはいけない。

 「フォーメーションの確認をします。八木軍が、横山組東京支部前で車を降りてきたら、加藤くん、松村くん、坂巻くん、川俣さんが突撃。相手の陣形を崩し、特に相手の主力、都井睦雄を孤立させます。都井を四人が集中攻撃している間に、私、前上さん、孫さんの後詰部隊が、八木茂を狙います」

 重信房子が熱弁を振るう。大敵との戦闘を目前にして、その顔は活き活きとしているように見える。

「八木軍の構成の最大の弱点は、実戦を指揮できる人材がいないことです。参謀の小林カウは全体戦略を立案するタイプであり、エースの都井睦雄には、生前に集団での戦闘を経験した形跡はありません。この点では、わが軍が圧倒的有利。私と加藤くんの指揮を信頼して、思う存分、その力を発揮してください」

 自分が指摘した八木軍の弱点を、重信の口から言わせる。一応、名目上のリーダーは彼女なのだから、彼女を立ててやらねばならない。彼女のカリスマが上がれば上がるほど、いざというときに被せられる責任の量も大きくなる。ナンバー1に別の人物を置き、自らは影の支配者として力を振るうのは、目立ちたがり屋の八木にはできない統治法である。

 そして、実戦はすべて、重信に任せる。ただ乗っからせておくだけでなく、味方でいる内は、重信の能力を存分に使わせる。

 任せる、という行為は、簡単なようでいて難しい。なまじ能力がある人間は、何でも自分の手でやりたがってしまうため、逆に効率の低下を招きやすいのだ。

 第二次大戦中、ナチスドイツの対ソ連電撃戦が失敗に終わったのは、ヒトラーとドイツ軍首脳の意見の相違による作戦の遅延が原因の一つだった。古代中国の英雄、項羽や曹操は、まさにその自分で何でもやりたがるタイプの英雄だったが、彼らは天下をとれなかった。「指揮官に向いているのは、有能な怠け者である。怠け者であるため、どうすれば自分や部隊が楽に勝利できるかを考えるためである」という軍人の格言が、すべてを表しているといっていい。

 人を操り、自分の手を一切汚さず物事を遂行する能力において、自分に勝る者はいない。松永は、自分を天才とは思わないが、天才が「完璧」であるとも考えない。超人と思えるような人間でも、一部の隙もないなどということは有り得ない。一人の力には限界がある。漢の劉邦しかり、「自分に足りない能力を、他人に補わせる力」に長けた者が、万能の超人に勝った例は、古今東西いくらでもあるのだ。

 出発時間まであと二十分となったとき、携帯が鳴った。ディスプレイには、「小林カウ」の名が表示されていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第107話


 悪夢の夜は、確実にNの心を蝕んだ。異常に性欲の強い小林は、飽くことなく一日に10回も20回も、私の体を求めてきた。小林の饐えた体臭が、私の全身に隈なく染み込むまで、小林は私を凌辱した。

 そして、当初、私がリミットと区切っていた、3日が経った。性欲がひと段落したのだろうか、小林が私を求めてくる回数は格段に減り、昨晩はついに、私の体に一度も触れずに眠ってくれた。

 さらに驚くべきは、それまでの二日間は、寝る前に必ず私の四肢を拘束し、逃げられないようにしていたのが、三日目の晩はついに、私の自由を保ったまま寝かせてくれたことである。トイレに立ってみたりもしたが、小林は特に何も言わなかった。

 私の作戦はうまくいったということである。チャンスは、いくらでもあった。しかし、なぜか私は、小林から逃げられなかった。

 哀れに思い始めていた。あまりに愛情に恵まれず育った、小林の生い立ちを。

 どうしようもない悪人に見えるような人物でも、よくよくその経歴を辿ってみれば、どこかに心の歪みができるような、客観的原因が垣間見えたりすることがある。小林の場合は、多感な10歳のころに、この時期の少年にとってもっとも大きな存在である母親を失っており、以後成人するまで、父親からは体罰を伴う冷遇を受け続けた。学校生活も充実していたとは言いがたく、イジメなどを受けた経験もあるという。

 小林の場合、とくに幼い女児に欲情するなど、性的な倒錯は確かに見受けられる。しかし、性的嗜好が歪んでいようと、大きな問題を起こさず、立派に社会で生きている人は幾らでもいる。人として真っ当な愛情を注いでくれた人の存在が、歯止めになっているのだ。小林にはそれがなかった。失うものがなかったから、容易に犯罪に走ってしまった。彼が、自分を宮崎勤と宅間守の融合型の犯罪者と自称する通りである。

 小林はけして、根っからの悪人ではなかった。二日間、女を力でねじ伏せる快感を満たした小林は、今度は私に、女としての愛情を求めるようになっていた。

 私に歩み寄りを求めるだけでなく、自分自身を変える努力も見せ始めた。ワカメみたいな髪の毛を切って、ワックスで立つくらいの短髪にした。メガネをコンタクトにした。風呂に毎日入るようになり、歯も磨くようになった。性欲同様に激しい食欲を抑え、ダイエットに取り組むようになった。肉欲の嵐が過ぎ去り、プラトニックな恋愛を求めるようになっていた。 

 そして今、小林は、私に店への出勤までをも許可した。これに関しては、ずっと休んでいた方が、むしろ松永社長たちに怪しまれ、身に危険が及ぶからという見方もできるが、小林は自らも求人情報誌を開き、職を探そうとしている。

 雇用の平等が推進されたことにより、近頃では男が外に出ず家事を担うライフスタイルも普及しつつあるが、小林の世代では、やはり男が外に出て金を稼ぐのが、一般的な男女の関係である。さらに、これはさすがに引いてしまうのだが、どうやら書店で「たまごクラブ」などを買い求め、「イクメン」がどうのという記事を、とくによくチェックしているようだった。

 小林は、かつて交際した女性に、三日目でプロポーズをしたほど、温かい家庭への憧れが強い。殺人鬼に堕ちてなお、その希求は衰えていないようだった。

「じゃあ・・仕事、行ってくるから」

「ああ。いってらっしゃい。気を付けてね」

 あまりにあっさりと外出許可を出したことに、なにか不気味さを覚える。私が自信過剰だったならば、自分の魅力が、彼にたった三日でそれほどの信頼感を与えたのだ、などと思うところだが、おそらくそうではあるまい。

 元々彼は、死刑願望があったことを忘れてはいけない。松永社長たちに引き渡されたら引き渡されたで、それまでである、と、観念しているのだ。

 私は駅まで歩き、山の手線で新宿に向かった。スカーフキッスの門を潜った私を、フロアマネージャーの松村恭造さんが出迎える。

「おはようございます」

「おお、Nか。体調はどうだ?」

 この三日間、私は風邪による体調不良で休んでいたことになっている。

「ええ。もう、すっかり良くなりました。また頑張りますので、よろしくお願いします」

 よほど、小林のことを言ってやろうかと思う。けれど・・私と過ごすことでどんどんいい方向に変わっていく彼のことを考えると、どうしても、殺すとわかっている人たちに、引き渡すことができない。

 人に言ったら、自分がよく思われたいだけの偽善者のように思われるのだろうか。それとも、頭のおかしな女だと笑われるのだろうか。

 頭の中に思い浮かんだのは、あの宅間守と獄中結婚をした女性のことである。

 私は、小林を男性として愛しているわけではない。それは断じてない。しかし、人と人の関係には、他人には踏み入れぬ領域があるのだということを、今度のことで知った。

 店が終わって家に帰ると、小林が食事を作って待っていた。カレーである。小林の指は絆創膏だらけで、シンクには、大量の失敗作たる野菜が転がっている。悪戦苦闘して作ったことが伺えた。

 そして床に就いた。小林は、今日も私の体を求めてくることはなかった。肉体に飽きたというより、憑き物が落ちたという感じである。

 これから先・・私はどうしたらいいのだろう。わからない。未熟な私には、なにも結論を出すことができない。小林との奇妙な共同生活を続けるより他に、何も思いつかない。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第106話

 加藤智大は、ビジネスホテルの一室にて、最終調整に汗を流していた。

 いよいよ、八木軍との対決の日取りが決まった。今回は、永田軍の援軍は期待できない。傭兵部隊の三人も、どこまで当てになるかはわからない。戦力はほぼ五分と見積もっておいて、間違いはない。ならば、問われるのは、ここから先、どちらにどれだけの上積みがあるか、である。

 投擲訓練。ゴルフボールを、ダーツの的に向かって投げる。ボールは的の中央付近に命中した。

 よく野球においては、肩の強さこそが天性のもので、コントロールは練習次第で幾らでも向上するような言われ方がされているが、とんでもない。指先の感覚が重要なコントロールも、肩の強さと同程度には、天性のものが大きい。ノーコンピッチャーが、ノーコンを克服できないまま消えていった例が、どれほどあることか。よくわからないものを、取りあえず努力不足みたいに考えるのは、日本人の悪癖である。

 50球ほどを投げ終わって、松村恭三くんを相手に、白兵戦の訓練に移る。今回用いる武器は、日本刀である。

 使ってみてよくわかったが、刃物というのは、基本的には「突く」武器である。斬撃は予備動作も大きく、攻撃後の隙も大きい。目標を最速、最短距離で仕留められる刺突こそが、刃物の最も有効な使い方だ。

 ならばフェンシングのように、突きに特化した武器で、突きに特化した動きだけを学んでいればいいかといえば、そうでもない。直線の攻撃しかないとわかれば回避も容易だし、斬撃には斬撃の利点もある。突きでは、急所を確実に貫かない限りは、一撃で相手を戦闘不能に至らしめることはできないが、斬撃ならば、多少急所を外れても、その重みと破壊力をもって相手に致命傷を与えることができる、ということだ。「点」と「面」の攻撃には、それぞれのメリット、デメリットが考えられる。状況に応じて使い分けでいくのが重要だ。

「ぐふっ・・か、加藤くん、加減してくれよ・・」

 腹部に竹刀を打ち込まれた松村くんが、蹲ってえづく。無意識のうちに、力が入りすぎていたようだ。

「しかし・・強くなったよなあ。今の加藤くんなら、誰が相手でも怖くないだろ」

 確かに、同時期に訓練を始めたはずの松村くんとは、随分差がついてしまった。しかし、誰が相手でも怖くないなんてとんでもない。実戦はなにがあるのかわからないのだ。たとえ女性や老人の参加者が相手であっても、油断などは有り得ない。

 ましてや、次の相手は、あの津山30人殺しの都井睦雄。単純な殺害数では、参加者中ダントツトップの記録を持つ男である。舐めてかかったりなどしたら、全軍の壊滅は必至だ。

「加藤くん、松村くん。食事の準備ができたよ」

 軍団員の畠山鈴香さんが、重信房子さんがメニューを厳選した食事をもって現れた。

 彼女を見ていると、いつも、痛まれない気持ちになる。確かに幼い子供を殺した罪は、到底許されるものではないが、ならば彼女がすべて悪かったのか。根っからの悪人だったといえるのか。彼女だけを責めて終わらせていいのか。

 ニュースで報道された、卒業アルバムの寄せ書き・・。あんなものを見てしまったら、もうまともな人間ではいられないのではないか。盗癖があったなどという話もあり、確かに彼女自身に不適応の要素がなかったわけでもないだろうが、だからといって、悪いやつには何をしてもいいというのか。いついかなる場合でも、イジメられる側が悪いの論理は適用してはいけない。そんな考えは、社会をギスギスしたものに変えるだけだ。

 と・・。俺がそんな偉そうなことを言っても、白々しい自己正当化に聞こえるだけが、畠山さんには、生きていてほしいと思う。彼女の死をもって、区切りをつけてはいけない。生き続けて、あんな文書を残した連中に、戒めを与え続けなくてはならない。彼女を守れるのは、俺だけだ。

「加藤くん、大変です。これを」

 食事中、血相を変えて俺たちの部屋に飛び込んできた重信さんが、八木軍の監視を依頼している山崎組組員から届いたメールを見せてきた。

 文面によれば、池袋の繁華街にて、八木軍が、参加者の朝倉幸治郎を殺害したのだという。経営する店舗に籠りっきりで守りを固めている八木軍だが、自らテリトリーに足を踏み入れてきた獲物を襲うには、躊躇はなかった。これまで、都井睦雄による中山進の殺害が報告されていたが、わが軍との大一番を前に、より濃密な実戦経験が必要と考えたのであろう。チームワークを駆使した、鮮やかな戦闘だったという。その中心にいたのは間違いなく、都井睦雄・・。最多殺人の日本記録保持者に違いなかった。

 間違いなく、これまでで最大の強敵。俺はあの男に、勝てるのだろうか。

 同じ能力を持つ両者がかち合った場合、勝敗を分けるのはモチベーションだが、正直、自分自身が都井に勝ちたいかと思っているかと聞かれて、そうだと答える自信がない。守りたい人はいる。畠山さん、N。しかし、それ以外の人はどうか。出会って以来、松永さん、重信さんにはよくしてもらった。友人として、松村くんのことは好きである。しかし、彼らが娑婆で起こした犯罪の性質を考えると、どうしても、命をかけて守るべき人とは思えないのも事実だ。

 何より・・俺自身が最も、この世に生きてはならない存在としか思えない。死にきれないから、ただ生きている。仕事もトレーニングも、人一倍やっているとみんなは評価してくれているが、実際には、それは人として一番大切な何かから逃げるための行為に過ぎないのだ。

 こんな気持ちで、勝利を拾えるのだろうか。迷いを吹っ切るためには、身体を動かすしかない。食事を終えると、俺はまた一心不乱に、トレーニングに打ち込んだ。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第106話

 松永太は、軍団の配下とともに、新宿中央公園にて、三人の参加者と待ち合わせをしていた。そのうちの一人――坂巻脩吉が、十八番の「マンボ・イタリアーノ」を口ずさみながら現れた。1954年、東京都文京区幼女殺害事件の犯人。今大会においては、Aに殺された小松和人を瀕死にまで追いやった実績を持つ男である。

「どうも、松永さん」

「やあ、坂巻くん。しばらくですね」

 松永が坂巻と会うのは、これが初めてではない。

 この一か月、松永は「麻原包囲網」を完成させるべく、どの勢力にも属していない、一匹狼の参加者に対して、接触を図ってきた。無論、全員と顔を合わせるとはいかなかったが、そのうちの何人かとは、酒を酌み交わすなどして親睦を深め、相互協力を約す仲となっていた。

 できることなら、わが軍の一員として迎えたかったのだが、それは接触した全員に断られた。さすがにこの時期まで一人で活動していただけあり、彼らのアクの強さと協調性の無さは、社会不適応者の集まりである参加者の中でも度外れていた。そんな彼らを無理やり従わせようとしても、本来の力を発揮できないばかりか、不満分子として燻る結果になってしまう。

 ならば、金で仕事を請け負う、傭兵として利用する。それが松永の考えであった。今、彼らを使ってしまえば、当然「麻原包囲網」のピースは減ってしまうが、目先の八木軍との戦いで、「麻原包囲網」の盟主となる予定のわが軍そのものが弱体化してしまっては意味がない。バランスを考えながら、必要なときに必要な戦力を整えていくことが重要である。

「ほんで?用ってのは?」

「まあ、待ってください。今日はまだ、あと二名の方を、この場にお呼びしています」

 傭兵部隊の三人が、意志を統一する必要はない。お互いの顔も知らなくていい。だが、条件は、全員一緒に詰めておかなければならない。後々、あいつは幾らもらった、こいつは幾らもらったと、話がこじれては面倒である。

「・・・」

 しばらくして、周囲を異様なまでに警戒しながら現れたのは、1981年、深川通り魔事件の川俣軍治である。覚せい剤を使用して錯乱し、4人の命を奪った男。鮮烈な印象を残す白ブリーフ一丁の逮捕シーンの写真は、あまりにも有名である。余談だが、なんと川俣の祖父は、被害者の女性の祖父に、同じように殺されていた。川俣はそのことを知らなかったというが、偶然で片付けるには無理のある話である。因果応報といったものだろうか。

「おうおう、来てやったぞ!」

 続いて現れた最後の一人が、孫斗八である。1951年、洋服店主殺害事件の犯人。寒い雪の日、詐欺などの容疑で手配され、薄着で歩く孫に同情し、ぜんざいを振る舞い、酒まで奢ってくれた店主から金を奪って逃走した罪で死刑判決を受けた孫は、拘置所の中で法律を学び、100回を超える訴訟を起こしては、数々の監獄法を改正させた。拘置所の職員は、孫に訴訟を起こされないため、孫を腫れ物に触るように扱うようになり、尊大な態度で刑務官を顎で使う様は「第二の所長」と言われた。

「おいおいおい。俺を呼び出しやがって、何の用だ?」

 孫が、ベンチに腰掛けていた前上博と畠山鈴香の首根っこを掴んでどかせ、踏ん反り返って座った。どかされた二人は、苦笑いである。孫の性格については、前もってメンバーには説明していたため、余計なトラブルにはならずに済んだ。

「今日は、みなさんに頼み事があって、ご足労願いました。来週、6月25日。みなさんには、我が軍の総攻撃に加わっていただきたいのです」

 全員が揃ったところで、松永が、三人への用件を説明した。

 総攻撃―――。いよいよ、八木軍との決戦の日取りが決まった。この日を選んだのは、八木が提携するヤクザとの会合に出席するためである。

 わが軍との対決姿勢を鮮明にしてからというもの、八木は本拠とする池袋の「IKB48」をそのまま住居とし、施設を要塞化して、わが軍の襲来に備えていた。食事もデリバリーで済ませ、徹底的に守りを固めていたが、ヤクザとの会合に出席するためには、どうしても外に出なければならなかった。

 わが軍のように、「ブラック・ナイトゲーム」関連の依頼に応えるなどして信頼関係を作っておけば、緊急時に一度くらい予定をパスすることもできただろうが、八木が暴力団、横山組と提携を結んだのはつい最近のことであり、時間が足りなかった。動くのが、あまりにも遅すぎたのだ。

「いいけど、あんたらと一緒に行動するのはゴメンだよ。一人が気楽でいいからね」

「そうだそうだ!誰がお前の下なんかにつくものか!」

 早とちりした坂巻と孫が、不満を述べる。

「当然です。みなさんには、決戦当日、その瞬間だけ、わが軍の指揮下に入って戦って頂ければ、それで結構です。金で戦いを請け負う、傭兵ですね」

 二人が、納得した様子で頷いた。特に川俣には、「傭兵」という言葉がお気に入りだったらしく、何やら神妙な面持ちで「傭兵か・・」と呟きながら、何度も何度も頷いていた。

「傭兵かあ。なんだか、かっこいいや。で、いくらくれるの?」

 交渉開始である。いかにコストを削減しつつ、彼らにやる気を出させるか。腕の見せ所だ。

「前金で100万。戦闘後の報酬として、大将の八木茂殺害で300万、懐刀の都井睦雄殺害で250万、あとは、男性メンバー殺害で100万、女性メンバー殺害で50万。この条件で、どうでしょう」

「安い!安い安い!そんな値段では、引き受けられん!」

 案の定、タチの悪いクレーマーである孫斗八が噛みついてきた。おそらく孫は、自分がこの先どれほど高い条件を提示しても、なんやかやと文句をつけてくることだろう。

 それを予想していながら、なぜ孫を呼んだのか。一つには、復帰年齢30歳(犯行年齢は24歳だが、拘置所で訴訟を繰り返していたころのほうがむしろメインと評価された結果であろうか)と若い孫の戦闘力を買ったこと。もう一つは・・。

 公園の四方から、松永が提携している暴力団、山崎組の構成員および準構成員たちが現れる。その数は、あっという間に100を超えた。

「孫さん。うちで借りている100万円。はやく、払ってもらいましょうか」

 準構成員の一人が、孫に巻き舌を飛ばした。ブランドものに目がない孫は、山崎組のフロント企業である闇金で、借金をしていたのである。

 弱気な者には強く、強気に出てくる者には弱い、小悪党の鏡であるような孫は、これですっかり萎縮してしまった。クレーマーの口を封じたことで、結局、松永が提示した条件が、三人にすんなり呑まれる形となった。 

 八木茂の軍団統制は中々に見事で、内通者を誘うことは難しい。ならば、味方を増やし、自力を高めるまでである。

 金で傭兵を雇うのは、自分の専売特許ではない。事実、八木茂の同盟相手である日高夫妻が、金銭で小林薫を雇ったという情報が入っている。

 しかし、奴らと自分とでは、人の使い方が違う。しょせん奴ら如きの頭では、クセの強い連中を、単に「殺し屋」として使うのが関の山だろう。自分は奴らと違い、クセの強い連中を、「傭兵」として使うことができる。戦力の逐次投入などという愚の骨頂は犯さない。戦力を一局集中させ、一気に相手を叩いてやる。

 八木茂。宿敵の命は、カウントダウンに入った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第105話

 酸っぱい臭いのする汗にまみれた小林薫の体は私に密着している。背に触れる悍ましい感触。人の胸の鼓動を、これほど醜悪に捉えたことはなかった。

「殺す前に・・楽しまないとな」

 荒い息遣い。ぬめった手は私の下半身に伸び、恥毛をかき分け襞に押し入る。計り知れない苦痛。時を刻む時計の針の音が、恨めしいほどに遅く感じる。小林は、引き抜いた手をぴちゃぴちゃと音を立てながら舐め、息をいっそう荒げた。

 なに・・これは。宅間守との死闘を生き抜いた私が、声一つ発することができない。猛烈な生理的嫌悪感。人間が感じる恐怖にも色々あるが、これはもっとも耐え難い種類ではないかと思う。ライオンや熊に立ち向かおうとする人間はそれなりにいるが、人と同じ大きさをしたゴキブリがいたとして、それに立ち向かおうとする人間はそういないのではないか。

 小林薫・・奈良県女児殺害事件の犯人。小児性愛者にして死刑願望者であったこの男は、獣欲を満たすため女児を殺害した後、遺体の画像を家族に送り付けるなど、日本の犯罪史上類を見ない悪質な挑発行為をしてのけた。

 小林は、女児殺害以前にも幼児わいせつの前科を持ち、自宅に大量の児童ポルノを所有し、精神鑑定においては、生まれつき幼い女の子にしか興味を示さないペドフェリアの診断を受けている。だが、宮崎勤然り、100%小児にしか興味を示さない男というのはそうはいないもので、大人の女性と付き合った経験もちゃんとある。運命の悪戯で蘇った獣の牙は、どうやら私に向けられたようだった。

「ふう、ふう、ふう」

 異様に粘っこい涎を私の髪に垂らしながら、小林はズボンを脱ぎ、屹立した陰茎を露出させた。室内に、鼻がもげそうな悪臭が漂った。

 男性のシンボル。生命を宿すもの。男性の誇りの象徴。尊いものが放つ温度を、なぜこれほど悍ましく感じるのだろう。

「どうして・・私を、助けてくれたじゃない」

 必死で細く頼りない声を出し、小林の良心を引き出そうと足掻いた。

 しばらく前、裏切者の尾形英紀に殺されそうになった私を助けてくれた、肥満体の男性・・。一回り小さい気もするが、あれは小林だったのではないか。いつからかはわからないが、おそらく、生き残りのための戦略とかではなく、ただ性の対象として、常日頃私を監視していたのだろう。背筋が寒くなるような事実であるが、私に興味があるのだとしたら、その気持ちを利用しない手はない。

「助けた・・・?なんのことだ・・?」

 違ったの?じゃあ、もう・・これで終わりなの?

「俺があんたを見たのは、今日が初めてだ。日高とかいうおっさんに、金で殺害を依頼されてな。だが、間近で見てみると、いい女だな。殺してしまうのが、惜しくなってきたよ」

 どうやら、私に興味があるのは間違いないようだ。ならばまだ望みはある。私の、唯一にして最大の武器――魅力を使って、桎梏の状況を乗り切る。

「なら、殺さないでよ。私、あなたの女になってあげるから」

 小林が私を掴む力が、ふっと弱くなった。チャンス。一気に畳みかける。

「正直、いきなりこんなことをしてくる人を男性として好きにはなれないわ。でも、心はともかく、体はあなたにあげる。あなたのこれからの心がけ次第では、本当に好きになっちゃうかもしれないし」

 振り返って、小林の目を見つめて言った。小林は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

「そんな話・・信じられるか」

「これでも?」

 私は、小林の唇に、己の唇を重ねた。一瞬強張った小林の体が、みるみる弛緩していく。私はそのまま膝を折り、天を向く小林の陰茎を、口に含んだ。どれほどの快感を味わっているのかは、女の私には知る由もないが、足が震え立っていられなくなり、床に腰砕けになってしまったのを見ると、私も経験は少ないながら、それなりにやれてはいるようである。

「あなたの気が済むまで、この部屋から一歩も出ずに、二人で一緒にいてあげる。もちろん、この体は好きにしていい。私を生かすか殺すか、その後で判断すればいい。どうかしら?」

 三日間。それだけあれば、逃走するチャンスは生まれる。少なくとも、小林を翻意させることはできる。その自信はあった。

「いや・・しかし」
 
 決断を渋る小林が、射精寸前に至ったのを見計らって、ペニスから口を離した。そして再度問う。

「どうするの?」

「う・・わかった。わかったから・・頼む」

「契約成立ね」

 私は小林のペニスを再び口に含み、最後の一押しをしてやった。法悦の吐息を漏らして、私の口の中で果てる小林。放出された熱い液体は、もちろん残さず飲んでやった。

 契約成立といっても、約束の観念もない凶悪犯罪者のことである。出すものを出した途端に襲い掛かってくることも考えられたが、小林は黙って私をベッドにまで運び、本番行為を所望してきた。先のことはわからないが、ひとまず、すぐに命を奪われる事態は避けられたらしい。

 おそらく大半の女が、死ぬよりも苦痛と感じるであろう行為を、私はやってのけた。私は、一つ山を登ったのだろうか。

 抵抗は当然あるが、我を失ったりはしない。想定の範囲内。あれだけの罪を犯した私が幸せになるには、人の何千倍もの艱難辛苦を乗り越えなくてはならないことくらい、わかっている。
 
 私は負けない。どんなことをしてでも、生き延びてやる。生きててくれてありがとうって、誰かが言ってくれるまでは。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第104話

 一週間ぶりに浴びる歌舞伎町の熱気をかき分けて、Nはスカーフキッスの門を潜った。

「おはようございます・・?」

 店長室には、松永社長、加藤店長以下、軍団の面々が勢ぞろいしている。

「あ・・すいません。ミーティング中でしたか?」

「いえ。三日前から我々は、昼間だろうと夜だろうと、一日中、行動を共にしているのです。ヤクザでいうところの、完全待機という状態ですね」

 リーダーの重信房子さんが説明した。

 集団対集団の戦いで最も有効な戦術は、各個撃破である。一人が、もしくは一つの部隊が軍から離れた隙をついて、総力を結集して攻めかかる。どんな大軍でも、これを繰り返されれば一たまりもない。10対100がまともにぶつかれば10人の方に勝ち目はないが、10対5を20回繰り返せば戦局は逆転する、というわけだ。

 それを防ぐためには、何をするときも常に、全員で一緒に行動しているしかない。これまでは、ストレスを溜め込みすぎないために、睡眠時間以外は別々に行動していた松永社長たちだったが、いよいよ、八木軍との戦いが本格化してきたということか。

 社長、店長への挨拶を済ませ、私はキャストの控室へと向かった。ドアを開けるなり、ホミカが抱きついてきた。

「Nちゃん、待ってたよ。待ってたよ」

「うん・・うん。ホミカ、また一緒に頑張ろうね」

 私がいない間に、色々辛い思いもしたのだろうが、それ以上に、確かな自信が漲っているのが伺える。ホミカの成長は目覚ましい。「戦友」に負けないよう、私も頑張らねば。

 そして、月定例のランキング発表が行われた。ホミカが、堂々のナンバー入りの5位。途中まで、絶対女王リノに迫る勢いだった私は、結局3位に終わった。しかし、一週間の欠勤がなければ、どうなっていたか。売上推移を調べる気もないが、お歴々の歯噛みする顔を見たら、大体察しはついた。

 フロアーに出ると、私はさらに、成長したホミカの姿に瞠目させられることとなった。

 客の心を掴むためホミカが始めた新しい接客が「交換日記」だった。いまどきはメールで済ませるようなことを、ノートに書いてやり取りするのである。

 ホミカは携帯が使えないわけではない。メールも、簡単なあいさつ程度の文章なら、問題なく打てる。しかし、あえて電子ツールを使用せず、肉筆でやり取りするところに意味がある。ワードが半ば必須知識となったビジネス社会でも、いまだに反省文の類などは手書きで行うことからもわかるように、肉筆による文書には、確かに人の心が滲み出るものなのだ。

 大人の女がやれば、人によっては「イタイ」と思われかねない行為も、ホミカなら、ごく自然にできる。自分の個性を活かしたアイデアである。

 負けてはいられない。一週間の間に鈍った勘を取り戻すべく、私は必死に立ちまわった。

 驚いたのは、開店から二時間ほどが過ぎたころ。なんと、あの麻原彰晃が、供の者を連れて入店してきたのである。

「嘘でしょ・・?」

 私は、急ぎ店長室に走った。

「松永社長!加藤店長!」

「どうしたんだ?血相を変えて」

 私が状況を説明したのだが、意外にも二人は、驚いた顔を見せない。

「ああ。私が店に遊びに来てくださいと言ったんですよ」

「え?それって・・バドラと手を結んだというわけですか?」

「まさか。近い将来、鉾を交えなくてはならない相手です。妥協はありえませんよ」

「だったら・・」

「同盟ではなく、不戦協定です。彼らが遊びに来てくれれば、バドラの情報収集もできるし、八木軍からのボディーガードにもなってくれる。こちらは軽い冗談のつもりで誘ったのですが、本当に来てくれるとは。せっかくですから、大いに利用して差し上げましょう。Nくん、やってくれますね」

 松永社長の指示で、私はホミカと一緒に、麻原彰晃のテーブルに着くことになった。

「麻原尊師、こんばんは。T・Nです」

「お・・き、きみが・・そうか・・」

 細い瞼の奥の目を泳がせ、あからさまにビビっていた麻原だったが、酒が入ってくると、段々打ち解けてきた。

「ぐっふっふー。Nちゃんとホミカちゃんのパンツを脱がせて、どっちがどっちのだかを当てる、パンツ神経衰弱をやりたいものだな」

「もー。尊師、そんなのしたことあるんですか?」

 いったいどうしたらそんな発想が出てくるのか、脳をこじ開けて研究した方がいいのではと思うような下劣極まりない麻原のトークをやり過ごしつつ、バドラの情報を探る。私にしかできない任務。八木茂・・。私の存在価値を貶めたあの男に、私は私の道で一矢報いてみせる。

 麻原たちも帰り、店が終わると、私は加藤店長の運転する車で、アパートへと帰っていったのだが、玄関まで来たとき、なにか嫌な気配を感じとった。誰かに見られているような。周囲に視線を巡らせるが、人影は見当たらない。しばらくすると、嫌な気配は消え去った。気のせいだったのだろうか。

「どうした?」

「いえ・・何でもないです」
 
 加藤店長に見送られ、私は部屋の中に入っていった。ドアを閉めた瞬間、一度は消えた嫌な空気が、さっきとは比べものにならない濃さで復活した。直感でわかった。これはいけない。失礼な話だが、松永社長やAが発するものに似た空気。この世に存在してはならない者が発する空気だった。

「声を出すな」

 ドアを開け、外に飛び出そうとした私の口を、男の手が掴んだ。

「あなたは・・?」

「小林薫。あんたの命を狙ってる者だよ」

 生温かくて臭い息とともに、じっとりと湿り気を帯びた声音が、私の体に纏わりついてきた。


凶悪犯罪者バトルロイヤル 第103話

「高崎さんが、19歳のときのことだった。近所に住む15歳の少年が、何者かに頭部を殴打されて死亡しているのが、近所の山の中で見つかった。しばらくして逮捕されたのが、高崎さんだ。少年と高崎さんは幼友達で、当日も、死亡推定時刻の一時間前まで、公園で遊んでいたそうだ」

 シジマが語るのを、僕は黙って聞いていた。

「ロクな物的証拠もないままに、高崎さんの刑は確定してしまった。自白が記録されたテープが決め手となったようだが、後に私が聞いた感想では、どう聞いても、無理やり言わされたとしか考えられない代物だった」

「冤罪・・の可能性が高いということですか」

 シジマが頷いた。

「殺害された少年とは仲が良かった高崎さんだが、たびたび奇声を上げたり、子供を追いかけまわしたりしていたことなどから、近所の住民からの評判は芳しくなくてな。警察の厄介になったことも一度や二度ではなく、そういう所も、裁判の結果には影響したらしい」

 情景は容易に想像がついた。高崎には協調性に欠けるところがあり、他の利用者とトラブルを起こしやすい傾向があった。性格的な問題もあるのだろうが、僕には高崎が荒れるのは、言葉を使って己の感情を発露させる術を持たない彼が、何かメッセージを発しているように思う。それが何なのかは、経験の浅い僕には到底わからないが・・。

「結論から言って、私は高崎さんは冤罪だと思う。実は、そうやって知的障碍者が、やってもいない罪で刑務所に入るケースは珍しくないんだよ」

 知っている。知的障碍者だけではない。警察には「犯人を作り出すのも仕事」という側面も、確かにあるのだ。特に複雑な要素が絡む重大犯罪では、警察が作り上げた調書に、ねつ造された記述が一行もない方が珍しい。健常者でさえそうなのだから、言葉も持たない重度知的障碍者なら、まさに警察、検察の作りたい放題だろう。

「刑務所に入っている受刑者は、その半数近くが、IQ69以下の知的障碍者なんだ。まあ、ああいう所に入る羽目になった人は、そもそも知能検査なんて真面目には受けないだろうから、単純に数字を鵜呑みにもできないが。しかし、誰の目にも明らかなハンデを背負った人が多いのは確かで、そのうちの何割くらいが、本当に罪を犯したのか。また、本当に罪を犯したとして、社会の方には問題がないのか。家族の支援を受けられない状況にある知的障碍者には、刑務所で生活するために、わざと犯罪を起こしている人が少なくないんだよ」

 僕が一時期生活していた、ホームレス村のことを思い出した。あのホームレス村にも知的障碍者を何人か見かけたが、彼らの中に、社会で生活できないために、衣食住の保証された刑務所にわざと入ろうと軽微な犯罪を繰り返す「累犯障碍者」がいた。他のホームレスに話を聞いたところ、知的障碍者だけでなく、広汎性発達障害や精神障害、また高齢者などにも、同じように自分から刑務所に入りたがる人はいるのだという。

 福祉の対応のまずさ。脳の障害に関する、世間の理解のなさ。出所時に貰える、刑務所の作業報奨金の安さ。前科者に対する風当たりの強さ。様々な要因から、一部の人にとって、日本という国は「刑務所よりも、娑婆の方がまともに生きられない」という状況になっているのである。

「高崎さんは、大層なお母さん子でね。知的障碍者の親は、育児放棄をしてしまう場合も多いんだが、彼のお母さんは愛情深く彼を育て、また彼もお母さんをとても信頼していたんだ。しかしそのお母さんも、高崎さんが刑務所に入った5年後に、失意のうちに亡くなった。高崎さんは、お母さんが亡くなったことを、まだわかっていないようなんだ」

 深夜、ときどき高崎が、「お母さん」と叫びながら、施設から逃げ出そうとするのは、そのためだったのか。彼の心に嵐を吹きすさばせているものの正体が、わかった気がした。

「重い話をしてしまって、すまなかったね。前科のある人を受け入れているのは、隠していてもいつかはわかることだし、本当なら面接の際に言っておくべきことだったんだが・・。人手不足の現状で、つい躊躇ってしまったんだ。卑怯な男だな」

「・・気にしないでください、館長。僕なんかでよかったら、これからも、頑張らせてください。話をして頂いて、ありがとうございました」

 僕は、話を聞く前と同じ返事を、シジマに返した。

 別に、シジマの話に心を打たれたわけではない。心情的には、話を聞く前と何も変わっていない。ただ、自分の仕事に対する知識が深まって、よかったと思っているだけだ。

 他人に同情するとか、社会の在り方について義憤を感じるとか、そんな感情は、僕にはない。ただ、自分と猫を生かしてくれるこの場所に留まりたい。そう思っただけだ。

 シジマの指示で、その日の以降の勤務を免除された僕は、レストランを出てから初めての長時間睡眠を貪った。が、それも束の間。高崎が、職員が一人欠けて管理が手薄になった隙をついて、施設から脱走してしまったのだ。朝まで探し回って、結局、高崎は、警察に保護される形で帰ってきた。

 己の行いがどれだけの人に心配をかけたかもわからず、子供のように眠る高崎。彼にかける言葉は、何もない。砂漠のように枯れた心。潤いを知らない僕が、僕よりもっと乾いた場所で苦しむ高崎を、救えるはずなどない。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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