凶悪犯罪者バトルロイヤル 第55話

 
 麻原彰晃率いるバドラは、ツンベアーズのワタルの妹、イブキが通う、「ドラゴンほいくえん」を訪れていた。

 世田谷区における麻原の名声は日増しに高まっており、麻原は地域のおもしろおじさんとして、保育園や老人会、婦人会などから引っ張りだこだった。それぞれの会合に顔を出すことにはそれぞれのメリットがある。老人会や婦人会では、資金の獲得。そして、保育園においては、若い保育士さんと、仲良くなることである。

「さあみんな、今日は粘土遊びをしますよ~。自分の作りたいものを、自由に作りましょう」

「は~い」

 イブキの所属するかいりゅう組の担任、ショートカットが似合うアヤ先生の声に、園児たちが元気に返事をする。我がバドラの信徒たちも、鼻の下を伸ばしながら返事をした。

 園児たちと一緒に、麻原たちも粘土をこねる。アヤ先生に気に入られようと、みな必死である。

「さあ、みんな出来たかな?あら、イブキちゃん、これはお猿さんを作ったの?よく出来てるわね~」

「ありがとう。これはね、ポケモンのゴウカザルっていうんだよ。強くて器用で、とっても、とーっても使いやすいポケモンだって、お兄ちゃんが言ってた!」

 麻原は瞠目した。麻原には、イブキが作ったものがなんなのか、まったくわからなかったからだ。猿と言われれば猿にも見えるし、犬と言われれば犬にも見える。豚にも、見えないことはない。もしアヤ先生が、あれを犬とか豚とか間違えていたら、幼いイブキは深く傷つき、涙を流しただろう。そうならぬよう、確実にオブジェの正体を看破する眼力。麻原はアヤ先生に、保育士としての高いプロ意識を感じた。

「バドラのみんなも、よく出来てるわね。菊池くんは、お山を作ったのかな?」

「はい。子供時代を過ごした山です。この山を思い出すと、死んだおかやんのことを思い出し、哀愁にかられますね」

「やさしいのね、菊池くんは」

 菊池正が、刑務所を脱走後に、警察と熾烈な逃亡戦を繰り広げていた山のことか。この男を残虐な殺人鬼だと知らないアヤ先生は、労わるような眼差しで菊池正を見ている。母親思いで優しく純粋な心の持ち主というのは、まあ本当のことではあるのだが、菊池の犯罪を知る麻原には、どうも釈然としなかった。

「正田くんは、ロボットを作ったのかな?」

「ええ。幾何学と哲学の融合を目指した、あらゆる意味を包括した・・・」

 何を言っているのか、さっぱりわからない。アヤ先生は、ややドン引きである。これだから、インテリバカはダメなのだ。

「関くんは・・あら」

 関光彦が作ったのは、頂上に丸い岩石が置かれた、二つの山であった。

「えっへっへ。最近、たまっちゃっててさー。やっぱり女は、巨乳がいいよね。アヤ先生のも隠してるけど、かなりの代物だよね?隠されると、逆に見たくなっちゃうなー」

「もう、ふざけてないで、ちゃんと作りなさい!」

 教室内が、爆笑に包まれる。まったく、品のない男だ。うんことしっこを言っていれば笑いが取れる幼児相手だったからよかったものを、場所柄を弁えてなければ、とんでもないことになっていたかもしれない。このあたりは、指導が必要だった。

「尊師が作ったのは・・ええっと、これは、象さんかしら?」

「その通りだ。これは、ヒンドゥー教の神、ガネーシャといってな。あらゆる幸運を、人に届けてくれるのだ。俺とアヤ先生を、巡り合わせてくれたようにな」

 麻原は、俗世に出てから一番の「ドヤ顔」を浮かべた。今の自分ほどに決まっている男といえば、なんたらいうダンスユニットの、元力士のお笑い芸人と同じ名前の男くらいしか思い浮かばなかった。アヤ先生が近い将来、自分の妻となるのは、疑いようもなかった。

「え?これ、象さんだったの?だったら下手くそすぎだよ。俺、さっきから、ちんこ作ってんのかと思ってたよ」

 すべてを台無しにする関光彦の発言が、放たれてしまった。

「ば、ばかもの!何を言っておるのだ!貴様のような不埒な男と、一緒にするでない!」

 激昂する麻原。教室内が、関光彦のとき以上の笑いに包まれる。

「尊師・・失礼ながら、私もあれを作っているのかと・・」

「私もです・・。この前みんなでサウナに行ったときにみた尊師のものと、同じくらいのサイズだったものですから・・」

 関光彦に同意する、菊池正と正田昭。麻原の肉まんのような顔が、真っ赤に染まった。

「き、貴様らは・・。大体、俺のはこんな粗末では・・ああ、何を言っているのだ!」

 どっと沸くかいりゅう組の教室。いったい何事かと、がぶりあす組のマキ先生と、ぼおまんだ組のマサミ先生、さざんどら組のノゾミ先生も、イギリス人園長のシャガさえもが、廊下から覗いている。アクシデントすらもが、求心力アップに繋がってしまう。麻原の勢いは、本物のようだった。

 粘土遊びが終わると、給食の時間となった。子供向けのメニューであり、量は少ないのだが、味はなかなかいい。とくに、一口サイズの豆腐食品「ちょうどのおとうふ」は絶品である。それまで、生ものであることから給食に採用されなかった豆腐を、パック詰めすることにより衛生面の課題を克服し、栄養価は非常に高いが子供には敬遠されがちの豆腐を食べやすくした、画期的な食品である。「奇跡体験!アンビリバボー」で紹介されたこの食品の誕生秘話を動画で観たのだが、麻原は感動して泣いてしまった。食を通じて道徳の授業もできる、給食の歴史を変えた食品といえる。

「うわああああああああん」

 突然、一人の園児が欷泣を上げ始めた。どうやら、「ちょうどのおとうふ」を、床に落としてしまったようだ。

「アイリスちゃん、泣かないで。また来週食べられるから・・ね?」

「やだやだあ!おとうふたべたあいいい!」

 アヤ先生が必死になだめるも、アイリスは、泣き止む様子を見せない。しかし、純正日本人の娘にアイリスと名付けるなど、近頃の親は何を考えているのだろうか。などと、麻原が、己の娘たちにつけたホーリーネームを棚に上げてぼんやりと考えていると、突然、アヤ先生が、自分に懇願するような眼を向けてきた。

「うっ・・・くっ・・・」

 麻原の「ちょうどのおとうふ」は、開封されたばかりである。アヤ先生が何を言いたいかはわかる。しかし・・。

「アイリスよ。明後日、俺の分のプリンをやろう。それでいいだろう?」

「やだやだあ!おとうふがいい!アイリスはおとうふがたべたいの!おとうふじゃなきゃやあだ!」

 麻原は、本気で困り果てた。「ちょうどのおとうふ」を手放すことは、麻原にとって、血肉を切り売りするような痛みを伴う。しかし、ここでアヤ先生にいいところを見せなければ、近々予定している合コンの話が流れてしまうかもしれない。以前のホームランボールの件といい、どうして自分ばかりが、究極の二者択一を迫られなければならないのか。麻原は天を恨んだが、ごく僅か、髪の毛ほどの重さで、アヤ先生の、どういうわけか胸元の目立たぬようデザインされた服の向こうに隠された、巨大山脈を見たい気持ちが上回った。

「アイリスよ、あまりアヤ先生を困らせるでない。俺がちょうどのおとうふを授けてやる。受け取るがよい」

「・・・・そんしのおぢちゃん、ありがとう」

 アイリスは泣き止んだ。人前で堂々と泣ける子供を、これほどまでに羨ましいと思ったことはなかった。

 しかし、麻原が苦渋の決断を下したおかげで、アヤ先生のハートを掴むことには、成功したようだった。この後、麻原たちが保育園を去るとき、アヤ先生は、どらごん保育園の先生たちと、バドラメンバーとの合コンの開催を、今週末に予定してくれた。男所帯のバドラに、可憐なる花が咲いた瞬間だった。

 だが、このときまだ、麻原たちは気づいていなかった。このときの約束が原因となり、かつてバドラと死闘を繰り広げた、恐るべきあの男との、血みどろの戦端が開かれてしまったことを。麻原たちを待ち受けていたのは、花は花でも、毒々しく咲き誇る、仇花であったことを――。
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凶悪犯罪者バトルロイヤル 第54話

「勝手に決めないで。どうして、私が」

「Nちゃん。君は立場を弁えた方がいい」

 Aの目が、語っている。私の生殺与奪の権限は、彼の手中に握られていることを。

「1969年。神奈川県で起きた、サレジオ高校首切り事件を知っているかい?」

 知っている。児童自立支援施設にいたころ、犯罪少年が社会復帰後に犯した失敗談の例として、仲間の児童や教員から重ねて聞かされていた。

「IQ130の秀才だった彼は、少年院の中で法律に目覚め、出所後、司法試験に合格。勝ち組の象徴である、弁護士になった。結婚して子供も産まれ、地元の名士として名声も獲得し、順風満帆な暮らしを送っていたが、遺族の怨念は、彼の人生に勝ち逃げを許さなかった。とある雑誌の取材での彼の受け答えが、世間の反発を呼び、彼はネットの住人に本名を特定され、弁護士稼業を廃業に追い込まれた」

「・・なにが言いたいの?」

「人間には古来より、嫉妬という感情がプログラムされている。それは世を動かすほどに強烈なパワーを生む。後ろめたい気持ちがある勝ち組ほど、声高にその感情を否定するが、人間はどうしたって、人の足を引っ張りたがるようにできとるんや」

「・・・」

「ネット社会は、隙あらば勝ち組を引き摺り下ろしてやろうと企む人間の吹き溜まりや。子供を平日に遊園地に連れていったとブログで報告しただけで、まるで人殺しでも犯したかのような罵倒を受けたり、障碍者がレストランでの顛末をツイッターで報告した途端、あらゆる差別語をもって、存在を否定するかのようなことを言われたりする。そんな世の中で、殺人の咎を背負う君が、華やかな世界で月何百万もの収入を得ていることが知れたら、どうなると思う?」

 返す言葉もなかった。人の命を奪った私が、人に愛され、人より幸せになろうとしている。世間がそれを許すはずがないことは、初めからわかっていた。

 私はもう、陽の当たる場所には出られない。一生を、細々と――。目立たぬように、この世界から隠れるようにして、闇の中で目を瞑って生きていくしかない。誰もがしたり顔で、私にそう言った。

 私はそれを受け入れなかった。全力で拒絶した。たとえ行き着く先に、すべての人間から否定され、居場所を奪われ、どこかの街の片隅でのたうち回るだけの人生が待っていようとも、光を求めてあがく生き方を選んだ。この世界で生き残るために、あえて死地に飛び込むことを選んだ。

 微かに見えた光は、しかし今、禍々しき別の光に、かき消されようとしている。

「Nちゃん。僕らは、否定されてるんよ」

「・・・」

「光は咎を覆い隠してはくれるが、消してはくれない。仮初めの幸せを得たとしても、君の脳裏から、被害者のあの子の残像が消えることはない。大罪を背負った僕らには、救いが与えられることは永遠にないんよ」

 そう語るAの瞳は、少し寂しげに見える。

「救いが与えられないのなら、戦うしかない。すべてを破壊しつくす。それだけが、僕らが唯一、生き残る道なんよ」
 
 私は、言葉を返せなかった。生への呪詛と破壊衝動。私もそれに突き動かされている。
 
 ホラー小説の主人公のように、血を見て興奮するなどという趣味はない。生まれついて他者への共感性に欠けた、サイコパスとも思えない。自己愛性人格障害。やや近いが、それとてしっくりくるものではない。

 生温く湿り気を帯びた、陰性の気質。些細な衝撃で罅が入ってしまう、繊細すぎる心。内から迸る攻撃的な衝動。これにずっと苦しめられてきた。本当は寂しがりやで、人と交わりたくて仕方がない私を、もって生まれたこの気質がいつも邪魔してきた。
 
 深く冷たい海の底で喘いでいた私を救い上げてくれたのが、あの子だった。闇に生きる私と正反対の、太陽のように明るく、誰からも好かれるあの子。大好きな、大好きなトモダチ。でもあの子は、陽の光に届くその寸前で、私の手を離した。暗く冷たい海の底に突き落とした。

 ダカラ、コロシタ。

 それから、十年余りの月日が経った。太陽を失った私は、狂おしい魂を、ずっと持て余している。あれから、多くの人を恨んだ。多くの人に、殺意を抱いた。誰にも、何者にも傷つけられない立場を得るため、お金を稼げる今の仕事を選んだ。生きる苦しみと、自らを含むすべての人間への恨みを、出世欲へと昇華させた。

 だが、本当に、今私が進んでいる道に、求めているものがあるだろうか。富と名声、女としての自信を得たところで、狂おしき魂に安楽が訪れるだろうか。自分が満たされるだろうか。確証がないまま、ただ闇雲に突き進んでいる事実を、否定できるだろうか。

「君は僕と同じなんや。だから誘った」

 私はあなたとは違う。否定するその言葉が、どうしても出てこない。

「Nちゃん。君が世を恨むのなら、目に映るすべての景色を灰にしたいと望むのなら、僕についてきい。僕が、閉ざされた自由への扉を開いてあげるから」

 決断を迫られていた。選択の余地はない。それはわかる。Aからは逃げられない。夜の世界から足を洗ったとしても、Aは執拗に私を追ってくるだろう。目の前の男に従う以外に、私に生きる道はない。

 だが―――。私に、また罪を犯せというのか。十年余り、背負った重荷に押しつぶされそうになりながら生きてきた私に。

「少し、考えさせて」

「三日間。それ以上は待てない。バトルロイヤルの期限は一年間やからね。あまり、悠長に過ごしてはいられないんよ」

 NはAの言葉には答えず、テーブルに自分の勘定を置き、無言で立ち去った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第53話

 
 スカーフキッスを出たNは、A・Sを名乗る男に連れられ、新宿の裏稼業ご用達の喫茶店「ルノアール」に入った。ホテルに直行を覚悟していたNには、拍子抜けの展開である。すぐに体の関係を求めないことで、誠意をアピールしているつもりなのだろうか。私としては、ちゃっちゃと済ませてもらったほうが、楽でいいのだが。

「女性の身体に欲情する、という感覚が、よくわからんのよ。医療少年院でいろいろプログラムを受けて、ぼんやりと、そんなようなものが芽吹いた気もしたのやけど、外に出たら元の木阿弥になってしもうたね」

 Aが、私の感情を見透かしたように言った。男女問わず、性欲がまったくないマイノリティが存在することは知っている。そして、そうした人間は概して食欲や睡眠欲など、生物的欲求全般に欠けている場合が多い。170㎝前後あるAの身体は、同年代で、筋肉質の加藤さんと違い、ガリガリに痩せている。

「医療少年院で、散々に体育をやらされたのやけどね。一日スクワット2000回とか、あんなん拷問やで。それでちょっとは筋肉もついたのやけど、出所したとたんにこの通りよ」

 また、Aが私の心を見透かす。職業柄、洞察力には長けていると自負していた私をして瞠目させるAの読心術。というより、長年起居を共にしてきた兄に、なんでも見通されているような・・。この男は、いったい何者なのだろうか。

「君も帰って休まなあかんやろし、本題に入ろうか。君は今、この東京を舞台にした、殺し合いゲームが行われていることを知っとるかな?」

 それから一時間経ったとき、私の思考は迷宮の奥を彷徨っていた。私も名前を知っている有名凶悪犯罪者たちが、獄から出で、またクローンとして再生され、都内を舞台に、現金十億円と自由を賭けて殺しあっている・・。そしてその中には、私が勤めている「スカーフキッス」のスタッフも含まれているというのだ。

「妄想で、でたらめなことを言わないで。松永社長や、加藤チーフが、そんな・・」

「容姿を変え、簡単には気付かれんようにはしているけどね。君かて、言われてみればそうかと思っとるはずやで。血生臭いあの匂いばかりは、娑婆の垢に塗れたとて、そう簡単には落ちんからね」

 返す言葉もなかった。私のよく知るあの二人の顔は今や、同名の死刑囚の肖像と、完全に一致していた。

 続けてAは、自らの正体を、少年犯罪史上最も有名な、あの神戸児童連続殺傷事件の犯人と名乗った。私が事件を起こした年に医療少年院を出所した彼は、現在、30歳。確かに年恰好はそれぐらいに見えるが、まさか、そんなことが・・。

「バトルロイヤルの噂を聞いて、いてもたってもいられなくなった僕は、責任者に、途中参加を申し入れたんよ。そして条件として提示されたのが、正規の参加者を殺し、椅子を自らの手で勝ち取れということだったんでね。言う通りにしてやったんよ。一週間前、上野公園で火災があったやろ。あれ、僕の仕業なんよ」

「そんな、まさか・・。だってあの事件では、一般の人も大勢亡くなったじゃない」

「そうやね。バトルロイヤルのルールでは、参加者以外の一般人には、なにがあっても手を出してはいけないことになっとる。それがどんな外道であってもね」

「だったら・・!」

「あそこに火を放ったあの時点では、僕はまだ正式な参加者ではなかった。従って、バトルロイヤルのルールに抵触しない。そして、バトルロイヤルの参加者となった時点で、僕は法の外の住人となった。これで警察に追求されることもない。完全犯罪が、成立したわけやね。バトルロイヤルの責任者は苦い顔をしとったけど、結局は、ホームレスの命よりも、僕がゲームに参加することの方に価値を認めてくれたね」

「そんなことを言ってるんじゃない!どうして・・どうして、そんな酷いことを・・」

「酷いこと、ね・・。そうとも思えんのやけど、一応、大義名分はあるよ。奴らは、一般人の女の子を拉致して性の玩具にしとったんよ。その女の子を救出してくれと、女の子の両親から依頼を受けてね。それで現地調査に行ったら、なんとビックリ、バトルロイヤルの参加者が三人も暮らしとったのよ。お小遣いをゲットできて、バトルロイヤル参加の椅子も手に入る。このタイミングでこんなおいしい仕事が入るなんて、天が僕の決断を祝福しとるとしか思えんよね。それで行ったのはいいけど、やっぱり、そう物事はすべて完璧にはいかんもんでね。参加者の一人を殺したところで、何人かのホームレスに姿を目撃されてしもうたんでね。全員を確実に殺すのは諦めて、あわよくば、くらいの考えで、火を放ったんよ。結局参加者には逃げられて、ホームレスだけが三人も死んでしもうた。ま、それが彼らの運命やったんやね」

 Aは、カラカラと笑って言った。罪悪感という感情を、母親の腹の中に置き忘れていったとでもいうような態度である。

「椅子は三つ必要やった。放火事件の前に、すでに一つは確保しとったから、残りはもう一つ。僕の専門分野の先輩と後輩にとられそうやったけど、ギリギリで間に合ったわ。ついさっきな。ほれ、そんときの返り血がまだついとる」

 Aは、首筋に残る赤茶けた血痕を指さして言った。

「まったく難儀したで。一方的に狙う立場とはいえ、三人を殺すというのはとんでもない重労働や。君のためにやったことやで。感謝せえよ、ホンマ」

「私のため・・って・・?」

「三つの椅子に座るのは、僕と、西鉄バスジャック事件のT・S。もう一人が、君。T・Nちゃんや」

 Aの掠れた笑い声に、脊髄を戦慄が駆け抜ける。悪魔が、私をけして抜けられぬ地獄に誘っていく。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第52話

  スカーフキッスの控え室が、異様な熱気に包まれていた。オープンから一か月。この日は、全キャストの売り上げランキングが発表される日である。Nは、ランキングを読み上げる、チーフの加藤智大の声に、全神経を傾けていた。

「七位、マユ。六位、マリコ・・以上、ナンバー以下のランキングだ」

 歯噛みして悔しがる者、歓喜の笑みを浮かべる者、ホッと胸を撫で下ろす者・・。キャストたちの悲喜こもごもが、展開されている。そして彼女たちは、ある事実に気が付き、一様に戸惑いの顔を浮かべる。この一か月間、自分たちが見下しに見下してきた女の名が、まだ呼ばれていないことに、驚きの表情を浮かべる。

「続いて、ナンバークラスを発表する。第五位・・ユウコ」

 ナンバークラスの発表だというのに、拍手の音はまばらである。みんな、他のことが気になっている。すべてにおいて自分より下だと思っていた女が、ナンバー入りを果たしたどころか、トップ3に名を連ねているかもしれないことへの驚愕に、頭を支配されている。

「第四位・・N」

 私の名が、ようやくに呼ばれた。舌打ちと、最悪の事態を回避できたことに対する安堵のため息。いずれにしろ好意的ではない雰囲気の中、Nは歩を進める。スカーフキッスでは、ナンバー入りを果たしたキャストに、金一封が送られることになっているのだ。

「よく頑張ったな。この一か月間の成長、目覚ましかったぞ。来月もこの調子でな」

 加藤さんからの言葉を受け、私は頭を下げた。すべては、この人がかけてくれた言葉がきっかけだった。金を稼ぎたい。私をバカにしてきたやつらを、見返したい。憎悪ばかり強くて、それを力に変える方法を知らなかった私に、道を示してくれたのが、この人だった。

 金一封を受け取り、元いた場所に帰ろうとする私の足元に、何者かの足が突き出された。顔も話術もショボイなら、やることもショボイ奴。私は、児童自立支援施設での体育、体育の連続の日々で鍛えられた跳躍力で、足払いをひらりと飛び越えた。

 続いて、リノ、アツコ、ミナミのトップ3の名が読み上げられたが、誰も真剣に耳を傾ける者はいなかった。すべての嫉妬が、自分に注がれている。人間は、雲の上の存在がどこまで上に行こうがそれほど気にはならないが、今まで下だと思っていた人間に抜かれると、途端に慌てふためく動物なのである。

 キャバクラの世界は、残酷な格差社会だ。ナンバーに入ったキャストは、風俗情報誌でも大きく取り上げられ、指名も増える。ナンバーに入ったキャストはとんとん拍子で伸びていくが、ナンバーに入れないキャストは、いつまでも燻ったままで終わってしまう。ナンバーに入るまでが大変なのだが、私はそれを一か月で達成してしまった。やっかみの目も当然。もともとみんなと仲良くしていたわけではないし、嫌われるなんて屁でもなかった。

 ミーティング終了後、トイレに立った私が帰ってくると、案の定というべき光景が広がっていた。テーブルに、ズタズタに引き裂かれた私のスーツが置かれていたのだ。

 こんなことは、予想されたこと。私は、同僚たちを問い詰めることもせず、ボロボロのスーツを持って、社長室に足を運んだ。

 しかし、私が証拠物を見せた松永社長の反応は、意外なものだった。

「犯人捜し?そんなことは、する必要はない。それより君、今日は普段着のまま接客してみなさい」

 松永社長の提案に、私は首をひねった。白無地のTシャツにジーンズ。とてもではないが、お客の前に出る服装ではなかったからだ。

 しかし、これが大当たりだった。私の普段着姿に、客は恋人と同棲生活を送っているような気分になるらしく、いつにも増して高いお酒を次々に入れてくれた。イジメのつもりでやったことで、逆に私をアシストしてしまったキャストたちは、すっかり心を乱され、接客どころではないようだった。いい気味である。

 閉店一時間前になって、最後の予約客がテーブルについた。普段着姿の、三十歳くらいの男。見た目、フリーターかギャンブラー。

「いらっしゃいませ。Nと申します」

 挨拶を浮かべる私に、男は値踏みするような視線を這わせた。ただのスケベ男とは、明らかに違う周波数の視線。ひょっとして、他店のスカウトかしら。今の店を移る気はないけど、条件を吊り上げるのに、使えるかもしれない。

 男の会話はウィットに富んでいて、ヤルことしか考えてないスケベ男や、仕事しかしらない俄か成金と話しているより、ずっと楽しいひと時を過ごせた。接客を心から楽しむ。キャストとして大事な心構えであるが、こっちだって人間だから、それは相手にもよる。

「Aさん。名残惜しいけど、もう閉店時間なの。また次回いらして、私を指名してくれると嬉しいな」

「次回、ね・・。それは、この後、君がアフターに付き合ってくれるかやね」

 アフターの誘い。冗談じゃなかった。一日50万以上を落としてくれる太客ならともかく、なんの仕事をしているかもわからない男に、アフターに付き合うわけがない。

「ごめんなさい。一見さんとのアフターは、受けないことにしているの。Aさんを信頼していないわけじゃないんだけど・・。もっとお店での会話を重ねて、仲良くなったら、ね・・?」

「佐世保児童殺傷事件の、T・N。まさか、キャバクラ嬢になっていたとはね」

 男が、シニカルな笑いを浮かべた。特に慌てもしない。この道に進むにあたって、最初から覚悟していたことだ。

「・・わかったわ。準備を済ませてくるから、テーブルで待っていて」

 私は覚悟を決めて、控室に行った。

 この身体を差し出すくらいで済むなら、安いものだ。

 もとより、リスクは承知。マイナスからのスタートで上等だ。
 
 それが、私が背負った咎なのだから。

 この時、私はまだ気が付いていなかった。
 
 A・Sと名乗るその男に、血塗られた運命の糸で絡めとられていたことをーー。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第51話


 宮崎勤は、山地悠紀夫と二人、道玄坂を歩いていた。服屋に入っては、今はやりのコスプレファッションを二人で品評し合い、飲食店に入っては、食べ物そっちのけで、居合わせた女性の肉の味を二人で想像し合ったり、ペットショップに入っては、幼いころ殺した猫の数を語り合って、居合わせた若い女の子や子供を青ざめさせるなど、楽しいひと時を過ごしていた。

 オシャレなお店以外に目に付いたのは、路上パフォーマーの多さだった。ただ多いだけでなく、僕のころとは比べ物にならないほど、芸の質は向上しており、種類も多彩だった。僕のころは、まだ河原乞食なんて言葉が生きていて、芸で生計を立てる奴なんてロクでもないという風潮が無きにしも非ずだったが、現代では、高い技術を持った芸人は、むしろ賞賛されている。芸人の世界は、スポーツの世界のように年齢的な限界がない分、新陳代謝が進まず、番組の司会など、美味しいポジションが中々あかなくて苦労することもあるだろうが、先人たちが血のにじむ努力で芸人肯定の風潮を作ってくれたお蔭で今のステージがあると考えれば、嫉妬などはおこがましい感情だろう。

 パントマイマー、路上ライブ、路上漫才・・この辺は予想できる範囲だが、変わったところでは、奇虫食士なんてのがいた。ミミズやダンゴムシ、アオムシ、クモなどを並べ、お金をもらってリクエストを受けた品目を食べるという芸だが、怖いもの見たさで、一定数客はとれるようだ。ちゃんと区の許可を取ってやっているにも関わらず、苦情は結構来るみたいだが。

 他には、漫画読み士なんてのもいた。名作どころの漫画を自分で持ってきて、客のリクエストに応じて朗読するというものだが、これが意外にうまい。劇団出身者などではなく、完全に我流だというから大したものだ。熱血系、コミカル系、シリアス系のキャラクターを、阿部寛ばりに演じ分けている。さすがに女性キャラクターを演じるのは限界があるようで、これに関しては是非ともパートナーが付いてほしいと願うのだが、現状でも、ひとたび劇が始まればかなりの数のギャラリーが足を止めて見ているし、収入も二ケタ万円にかろうじて届くぐらいはあるそうだ。実家暮らしなら、趣味の延長でそれだけの金が稼げれば十分勝ち組といえるだろう。

 インターネットの発達した現代は、一億総評論家時代などと言われているが、それは裏を返せば、一億総表現者時代が幕を開けたことも意味している。表現の場がない、チャンスを貰えない、賞に引っかからない、などという言葉は、もはや甘えである。ブロガー出身の作家やライターはもはや珍しくないし、テレビ離れが加速しストリーミングサイトがメジャーとなった今なら、ネットアイドルから本物のアイドルにステップアップする人だって、今に必ず出てくるだろう。同人作家だって、やりようによっては数百万の収入を稼ぐことだって出来るのだ。

 その他にも、道玄坂という道には、ファッション雑誌のカメラマンにストリートスナップされることを狙った読者モデル志望などもいて、実に活気に沸いている。人間が放つ、すべての個性を受け入れる空気が存在する。新宿歌舞伎町とは違った意味で、どんなに人間にもウェルカムな町なのだ。

 しかし、そんな町でもノーセンキューな人たちもいる。我ら、バトルロイヤルの参加者である。町を歩いていた僕らは、他の参加者同士が殺し合っている現場に、偶然にもかち合ってしまったのだ。

「山地くん、あれって・・」

「知ってる。幼女殺害事件の坂巻脩吉と、桶川ストーカー事件の小松和人だろ」

「うん。どうする?逃げた方がいいんじゃないの?」

「僕は残るよ。他人の殺人を見れる機会なんて、そうそうないじゃないか」

「だよね。僕も同じことを考えていたんだ」

 僕たち二人は、一般人の野次馬と一緒に、坂巻と小松の戦いを眺めた。二人とも目の前の相手に夢中で、僕らの存在は一切感知していない。坂巻はコンバットナイフ、小松はマグライトを装備している。マグライトは、ライトと警棒が一体になった武器で、光量の高いものなら、相手の目を眩ませてから殴るという戦い方ができる。が、今はまだ、日が陰ったばかりという時間帯であり、街中ではネオンの光もあるため、その性能を十分には発揮できない。結局、小松の一撃を、左腕を犠牲にしてガードした坂巻が、小松の腹部にナイフを突き立てたところで、勝負は決した。

「はいはいみなさん、ごめんなすって」

 小松の衣服から財布を抜き出した坂巻が、今しがた人を殺したばかりとは思えない明るい声音で、野次馬をかき分け、何処かへ消えていった。雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」をこよなく愛し、死刑になる直前にも歌っていたという、享楽的な犯罪者である。

「あいつ、まだ息があるね。殺しに行こっか」

「うん。そうだね」

 僕と山地くんは、腸が飛び出した腹部を抑えて蹲っている小松に近づいた。トドメを刺そうとナイフを抜いたところで、突然、野次馬の中から、ベースボールキャップを被った男が現れ、僕たちの獲物を掻っ攫っていった。

「ふう。危ない危ない」

 小松を殺した、痩せぎすのその男が、鮮血に塗れた顔を、僕たちに向けた。年のころは、三十歳くらいだろうか。なかなか整った目鼻立ちをしている。残虐な行為をしたというのに、眼には狂気が感じられない。人殺しを、悪と認識していない者の眼――間違いなく、僕たちの同類だった。

「宮崎勤さんと、山地悠紀夫くんやね」

「僕たちを知ってるの?でも、君、名鑑には載ってなかったけど・・」

 山地くんが、特に慌てた様子もなく、たばこを吸いながら言った。

「今まで、僕らは部外者やったんでね。でも、これで椅子が三つ空いた。グランドマスターさんとの約束は果たしたんで、これで僕も正式な参加者になれましたわ。他、あと二人、新しく参加予定のモンがいますんで、そいつらともども、よろしゅうお願いしますわ」

 男は、実に飄々とした口調でそう言った。

「やかましゅうなってきな。ほな、僕はお暇させてもらいますわ」

 男は、軽やかな足取りで去って行った。
 禍々しい、血の臭いのする男――。
 僕の狂った血が、危険信号を放っている――。
 苛烈な戦いを、予見している――。
 でも、とりあえずそのことは、今はどうでもよかった。

「お腹すいちゃったな。ソフトクリームでも、食べよっか」

「そうしよう、そうしよう」

 僕と山地くんは、原宿から渋谷の街を目指し、また歩いて行った。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第50話

 宅間守は、駐車場で煙草を吸いながら、「生徒」を待っていた。宅間が座っているスペースの番号は「68」である。別に、特別な意図があったわけではない。たまたま座ったら、この番号である。

「68のおっちゃん、ちーっす」

「おっちゃん、今日も悪いこと教えてもらいにきたよ」

 「生徒」たちが、今日も仲良く揃ってやってきた。19:00。学校の通学時間など守ったことなどないだろうに、宅間の「授業」には、ゴルゴ13並みの正確さで現れる。

 宅間は一週間前より、大田区の小中学生を相手に、「塾」を主宰していた。言うまでもないが、国語や数学を教えているわけではなく、宅間が今までやってきた悪事を教えているのである。料金は、一人一時間1500円。中学生が簡単に出せる金額ではないが、自分が教えた悪事によって彼らが儲けた金額を考えれば、安いものである。

 今日の生徒は、5人。一週間前には2人だったのが、もう倍の数に増えている。5人に2時間、教授を施して、15000円の収入である。ボロイ商売。笑いが止まらなかった。

「おう。そんじゃ、始めるで。一時間目は、ATMの荒らし方や」

 生徒たちの表情が引き締まる。

「一昔前のATMは、バールかなんかでこじ開ければあっという間に壊せたものやが、近年のは頑丈に出来とって、そうもいかん。ごちゃごちゃとやっているうちに、機械警備が作動して、警備会社の機動隊がやってきてオシマイや。そうならんためには、ショベルカーを使って、機械ごと分捕ればええ。安全なところまで運んで、ゆっくりと破壊しにかかるんや。ショベルカーと、ショベルカーを積むダンプの盗み方については、後日に講義する」

 生徒たちが真剣な表情で、ノートにペンを走らせる。私語や居眠りをする者は、誰一人としていない。学校の授業では見せたことなどないであろう、物凄い集中力である。この集中力を学校の勉強に活かせれば、とは誰もが思うことだろうが、なかなかそうもいかないことは、宅間が一番よく知っている。

 家庭の悩みや友達関係。最初は、ちょっとした躓きだった。ちょっとした躓きで、授業についていけなくなった子供が、そのまま劣等生の烙印を押され、放置されているうち、自信を失い、ますます勉強しなくなっていく。潜在能力が開花せぬまま、自分はバカだと思い込んだまま大人になり、十分な収入を得ることができない、不安定な職についてしまう。

 しかし、その者は、本当に勉強がダメだったのだろうか?本人や、周りの人間が、できないと思い込んでいただけではないのか?

 一度躓いた子供がもう一度立ち上がるチャンスが、十分に提供されていないのではないか。本来は優秀な頭脳を持ち、学習意欲だってあるのに、キッカケを掴めないでいる子供は大勢いるのではないか。頭の柔らかい子供のうちに、ちょっと誰かが手を差し伸べてやっていれば、眠っていたポテンシャルが花開くということは、いくらでもあると思うのだ。

 宅間には、社会貢献をしようだとか、人を導き、育てようなどという気はさらさらないが、宅間の授業がきっかけで、生徒たちが勉学に目覚めるというようなことがあれば、それもよかろう。そのまま悪の道を究めるならそれもよし。自分の知ったことではい。

「よし。2時間目は、強姦についてレクチャーするで。女を犯るのに一番ええのは、やっぱり徒党を組むことやな。女っちゅうても必死に抵抗するから、一人だと返り討ちにされることは結構あるんや。4,5人のグループを組んで、狙っている女の生活パターンをつぶさに調べる。一人になったときを狙って、車に引きずり込んで、人気のないところまで連れて行き、代わる代わるに突っ込んだるんや。フェイスマスクを被って、絶対に顔見せたらアカンぞ。体液を残さんのは、言うまでもないな」

 白けた目をしている少女と対照的に、少年たちの目が、爛々と輝く。やはりこの年頃の子供を一番惹きつけるは、性にまつわる話である。

「まあ、ワシは集団行動は肌に合わんかったから、もっぱら一人で犯しとったけどな。お前らと同じ齢のころからやり放題やったが、一番よかったのは、不動産賃貸物件の紹介案内をしとったころや。合鍵もっとるから、契約成立した後に、いつでも犯ったれるんや。趣味と実益を兼ねて、まったくボロイ商売やったで」

「バれないものなの?」

「そらいつかはバレるわ。そんときに備えて、精神病院入ったりして、キチガイの実績を積んでおくんや。そうするとな、司法と精神医療、それから、人権なんてのが、強力な盾になって、守ってくれるんや。ま、そうは言うても、実際にはバレんかった方が多いけどな。世の中にはどんなに真面目に生きても女とヤレずに死んでいくやつもおる。それに比べれば、100回女を犯って、1回の懲役で済むなら安いもんやろ。勝ち組や」

 少年たちが、大いに納得した様子でうなずく。この年頃の子供だと、いわゆる不良であっても、まだまだ女には甘美な幻想を抱き、まともな恋愛に憧れをもってもいそうなものだが、最近のガキの心は、自分の頃よりも遥かに冷え込んでいるようだ。結構なことである。

「よし、今日の授業は終いや。家帰ったら、ちゃんと復習しとくんやぞ。それから、紹介の件な。一人紹介するごとに授業料100円免除やからな、忘れんなよな」

「はーい。68のおっちゃん、今日もありがとな」

「おう」

 敬語もよう使えん悪ガキどもが、大人にお礼を述べている。宅間の授業でしか、見られない光景だろう。親が知ったら、涙するかもしれない。

「ねえ、68のおっちゃん」

 少女が、腰をくねらせながら近づき、艶っぽい声で話しかける。

「なんや」

「あのね、アタシ、今日、お金もってないの」

「なんやと」

「それでね、体で払うならどうかと思って」

 宅間は考え込んだ。少女は目も一重で、肌も浅黒く、髪質も悪く、容姿は自分の好みではない。だが、なんといっても若さがある。未成年とは長らくご無沙汰だ。おそらく処女ではないだろうが、ヤッてやっても、いいかもしれない。

「ええで。ほんなら、ホテル行こか」

「だめよ。だって、その必要もないもん。おっぱい触らせるだけだから」

「なんや、それは」

「授業一回でボディタッチ、二回でキスとハグ、三回でフェラ、七回でスマタ、十回でゴム付き本番、十五回で生本番。キモイオヤジならもっと取るけど、68のおっちゃんはタイプやから、安くしといてあげる」

 宅間は苦笑した。近頃のメスガキは、こまっしゃくれている。

「わかった。ほなら、十五回目まで我慢するわ。そん代わり、毎日来るんやぞ」

「うん。また明日ね」

 少女は、ウインクをして去っていった。
 
 まったく、ボロイ商売である。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第49話

 

 麻原彰晃が、北村ファミリーの魔の手から逃れてバドラ本部に帰還した、その前日の夜――。

 仕事を終えて集落に帰ってきた市橋達也は、仲間のホームレスたちと歓談に花を咲かせていた。会話に参加するメンバーは、ほぼ固定されている。気が合うから、というわけではない。まともに会話をできる人が、ごく少数に限られているのだ。

 軽い知的障害を持っている人、精神に障害を負っている人、認知症を発症している人、言語能力は正常だが、歯が壊滅していて、脳が発した言葉が、口を経由すると別の言葉になってしまう人。コミュニケーション能力に問題を抱えた人たちばかりで、まともな日本語を話せる人は、全体の半分もいない。

 その半分の会話ができる人たちの話も、正直、聞いていて辟易するようなものが多い。中でも一番ウンザリなのが、説教する人だ。これが本当に多くて困る。ホームレスにまで身を落として、いったい何を偉そうに説教することがあるのかと思うが、人間、どんな立場でも、若い者には威張れるものらしい。

 説教と同じく多いのが、自慢である。自慢がしたいから説教するのか、説教がしたいから自慢するのか、どちらなのかはわからないが、説教したがりは必ずと言っていいほど、自慢好きである。彼らは皆、約束事のように、「俺が若いころはお前と違って」「若いころの苦労は買ってでもしろ」ということを言うのだが、結果ホームレスになっているのだから、説得力は皆無である。

 説教、自慢好きなのと関係しているのか、ホームレスには、変にポジティブな人が多い。社会の最下層にまで身を落としながら、自分は結構豊かな人生を送っていると思っている。ホームレスから成り上がって会社経営者になった人の逸話を持ち出したりして、自分にもまだ先がある、なんてことを、思うだけでなく、実際に口にしている。70過ぎの老人がである。もっともこれは、根っからの楽天家というよりは、虚勢を張って空元気でも出していなければやってられない、という心境なのかもしれない。

 そういった人たちと違い、自分がホームレスに落ちた現実を受け入れ、謙虚に、粛々と、それでも僅かなチャンスを探して生きている人たちも、いるにはいる。僕や小池さんが親しくしているのはそういう人たちなのだが、環境が変われば常識も変わるといったものか、そうした、現実認識がしっかりしている人たちは、ホームレスの集落では爪弾きに合うことが多い。

 リーダーのヤナイに代表される、押し出しが強く、腕っぷしも強い、物理的な弱肉強食の頂点に立つ人間が一番エライ奴。二番目が、現実逃避のポジティブ属。三番目が、世間から見た常識人。最下層が、知能や精神が劣っている人。それが、ホームレス社会のカーストである。

 ただ、ポジティブ属も、こと女性問題に関しては現実志向らしく、まっとうな社会生活を送っている若い女性には目もくれず、同じ境遇に生きる、ボロを纏って据えた体臭を発する、生理も上がったような女性に、必死になって甘い言葉をささやいて口説いたりしているのが、お茶目なところではある。

 その女性問題なのだが、ちょっと厄介なことになっていた。ヤナイが自分のテントに、家出少女を泊めているのだ。

 最近、だいぶ暖かくなってきたとはいえ、夜は冷え込みの厳しい日もある。季節の変わり目が近づき、雨が降る日も増えてきた。ヤナイはそうしたとき、途方に暮れている家出少女を、たびたび自分のテントに連れ込み、宿を貸すかわりに、身体を提供させていた。ヤナイのテントは、災害避難用としても通用しそうな頑丈で大きなもので、中にベッドやテーブル、食器棚など家具一式が設置されている

 普段は一晩泊めたら解放していたようだが、内妻のレイコを失って欲求のはけ口に窮していたからか、女の子がよほど好みだったのか、今回は、一週間たっても、自分のところに繋ぎ止めているままのようだった。

 僕も小池さんも、確実に誘拐騒ぎに発展するものと思っていたのだが、どうも様子が違った。女の子が、ヤナイをべったり信頼しているようなのだ。

 家庭環境が、よほど複雑なのだろう。愛情はおろか、衣服も食事も、まともに与えられていないのかもしれない。ヤナイのテントにいれば、雨風を凌げるばかりか、食事は下手なサラリーマンよりもいいものを食べられるし、ヤクザ特有の情の深さと性の奥義によって、包み込むような愛情を受けることもできる。ヤナイの手下たち相手に、「女王」として振る舞うこともできる。女の子が帰りたくないと思っても、不思議はないのかもしれなかった。

 ところが、三日前、女の子の親が、ようやく娘を取り戻しに来た。それに対し、女の子は帰宅を拒否し、ヤナイも親の要求を突っぱね、追い返していた。親の方も、疚しいことがあるのだろう。それきり彼らが集落を訪れることはなく、警察沙汰になる様子もなかった。

「まったく、親分には困ったものだよ。後先のこと、何にも考えちゃいないんだから」

「いくら親が騒がないっていっても、世に知れるのは時間の問題だよ。そしたらえらいことになる。マスコミが騒ぎ立てて、こんな集落、あっという間に潰されちまうぞ」

「世間の風当たりも強くなりそうだな。今のうちに、湘南海岸の砂防林にでも移り住もうかな」

「ああ、あそこは気候が温暖だからな。仕事は少なくなるだろうが、釣竿一本もっていけば、食い物に困ることはない。人間関係もここよりは緩いだろうしな」

「沖縄に行けば、もっと環境はいいぞ。旅費が問題だが・・」

「そんなことを考えなきゃいけなくなったのも、あのメスガキのせいだよ。どうせ俺たちに回ってくることはないんだから、とっとといなくなってほしいよ」

 仲間のホームレスたちは、口々に、女の子への不満を言い合っていた。

 彼らと違い、ずっとここにいるつもりはない僕は、事態をまるで他人事のように眺めていた。だが、後に起こったことからすると、どうやらその考えは、甘かったようだ。かといって、僕に何かができた、というわけでもないのだが、いずれにしろ、あの状態を放置していたせいで、悲劇は起きてしまったのだ。

 深夜、みんなが寝静まった時間帯――。紅蓮の炎が、集落を包み込んだ。火元は、ヤナイのテント。警察の発表によると、三十歳前後の男がヤナイのテントに忍び込み、ヤナイを殺害したうえで女の子を無理やり奪還し、去り際に火を放ったのだという。

 ガソリンを撒いたうえで放たれた炎は、瞬く間に燃え広がった。身体障碍者や老齢のホームレスが逃げ遅れ、四人が焼け死んだ。

 そして、驚いたことに、四人の中には、バトルロイヤルの参加者も混じっていたようだった。加納恵喜。名古屋市スナック経営者強殺事件の犯人。ここで二週間近く顔を合わせていながら、こっちはまったく気が付かなかった。彼は焼け死んだのではなく、放火犯が、火をつけて逃げ去る間際に、直接刃物で刺して殺したのだそうだった。

 参加者と同じ場所で生活していながら、まったく気が付かなかった。向こうも全力で気配を消していたのだろうが、思わぬ不覚である。しかし、その参加者はこの世から消えた。僕たちは殺されかけたようで、もしかしたら、命が助かったのかもしれない。そんな風にも考えてみたが、まったく別のある思いが、脳裏に引っかかっていた。小池さんにそれを話してみたところ、彼もまったく同じことを考えていたという。

 放火犯の殺意は、僕たちにも向けられていたのではないか――。なんの根拠もない、まるで荒唐無稽な思いが、なぜか確信をもって、僕に危険を訴えていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第48話

 

 麻原彰晃が北村ファミリーに監禁されて、今日で3日目。今晩8時に、身代金の受け渡しが行われる予定だった。

 麻原は、食事を掻き込む。生き残るために、食ってやる。どんな環境だろうと、負けはしない。どんな食事だろうと、憎き敵の作る食事だろうと、食ってやる―――。

「あんた、どれだけ食うのよ。ウチの子供たちと同じくらい食ってるじゃない。自分の立場わかってる?」

 昼に出されたカレーを丼三杯、軽く平らげた麻原に、北村母が呆れた調子で言った。

「いや、すまぬ。マハー・ニルヴァーナの料理にも勝る、あまりの美味だったのでな」

 世辞ではなく、北村母の作る料理はうまかった。カレーなどは、誰が作ってもそこそこの味にはなるものだが、北村母の作ったものは絶品だった。カレー以外にも、昨日はベトナム風春巻き、その前はミックスフライ定食を食べたのだが、どれも、下手な店で食べるより、よほどうまいものばかりだった。

「あら、上手なのね。なんなら、帰るときにレシピを持たせてあげましょうか?」

 レシピと言わず、北村母に、バドラに移籍してもらいたかった。その容姿は人間離れしており、とても目の保養になるような代物ではないが、この料理の腕は魅力だ。料理以外にも、家事全般できるし、男所帯のバドラに、今もっとも求められている人材――

「その代わり、身代金2000万に加えて、200万円を、アタシに個人的に払ってもらわんとね。マハ・ニルヴァーナの料理に勝るレシピなら、それだけの価値はあるでしょう?」

 ――商売っ気さえなければ。

 その後は、北村兄弟が、次々と開けては、「まずい」と捨てていく菓子などを食いつつ、「スーパーニュース」を観た。上野公園で、大規模な火災があったらしい。ホームレスが何人か焼死したのだという。原因は、放火か。まったく、酷いことをする奴がいるものだ。

 そして、受け渡し時間が近づいてくる。

「よし。行くばい、麻原尊師」

 巨漢の息子たちに両脇を抱えられ、麻原は車に乗った。道中、麻原の脳裏を、不安がよぎる。2000万を用意するなどと言っていたが、本当に可能なのか?どうにも信じられなかった。信徒たちのことだから、札束の両端だけ本物の一万円札で、中には、最近みんなでよくやっている「人生ゲーム」のお札を挟むとか、やりそうではないか。そんなバカなことをすれば、逆上した北村兄弟に殺されてしまうのは確実だ。信徒たちを信じても、大丈夫なのだろうか・・。

 車が、受け渡し場所に到着した。葛西臨海公園前である。18:56。指定時刻まであと4分と迫っているが、バドラの信徒たちの姿は見えない。麻原の胸に不安が募る。自分は、見捨てられたのではなかろうか。

「ふっふ。捨てられた子犬のような眼やね」

 北村父が、笑って言った。返す言葉もない。自分は今、猛烈な寂しさに襲われている。今は、信徒がきっちり言い値を払ってくれるかとかはどうでもよく、とにかく、信徒たちがここに来てさえくれればよかった。みんなが自分を心配していることを、証明してほしかった。

 誰かに愛されたい。必要とされたい。自分のその感情は、ただの構ってちゃんの次元ではない。宗教団体の教祖たる自分にとって、魅力を否定されるということは、死活に関わる問題である。学歴も才能も体力もない自分は、人を操り、利用することでしか生きていけないのだ。今も、そしてこれからも。こんなところで魅力を否定されているようでは、バトルロイヤル制覇後、オウムを超える巨大宗教団体を作ることなど、できはしない。

 しかし、麻原の思いとは裏腹に、時間は無情にも過ぎていく。携帯のデジタル表示が、19:00に切り替わった。

「なんばしよっとね、あいつらは。麻原尊師。ちょっとかけてみてくれんね」

 言われなくても、そうするつもりだった。断じて、受け入れるわけにはいかない。渋滞が発生しているとか、電車が遅延しているとか、なんでもいいから、言い訳が聞きたかった。

 1コール、10コール、20コール・・。信徒すべての携帯に電話をかけてみたが、応答する気配はない。諦めるしかないのか。この上はプライドをかなぐり捨て、北村ファミリーに命乞いをしようと、地に膝をつきかけた、そのときだった。

「・・・・こー・・しょーこー・・」

 彼方から、歌が聞こえてくる。自分を讃えるあの歌が、聞こえてくる。一人や二人ではない。七人の信徒だけではない。もっと、もっと大勢の人たちが、あの歌を高吟している。

「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 ツンベアーズの子供たちと、彼らが集めたのであろう小学校の同級生が、輪になって、自分や北村ファミリーを取り囲んでいる。その数、ざっと100。輪は徐々に収縮していく。彼らの放つ歌声が、確実に大きさを増し、耳に入ってくる。

 子供たちの輪が、直径およそ10メートルほどにまで収縮した。真ん中に麻原と北村ファミリーを囲み、バドラの信徒たちの指揮に合わせ、「麻原彰晃マーチ」を合唱する。

「な、なんね、これは・・」

 北村ファミリーの顔に、焦りが見える。素行不良を叩かれたときの、某平成の大横綱さながらに――ちゃんこを食らう時や稽古で流す汗とは違った質の、冷たい汗をタラタラ流している。

「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」

 四面楚歌ならぬ、四面オウムソングである。なかなかのプレッシャーだ。鬼気迫るものがある。麻原は感心していた。一般人をけしかけて、直接参加者の肉体にダメージを与えるのはルールで禁じられているが、ただ歌を歌うだけならば問題はない。宅間守と戦ったときのワタルのように、一般人が自主的に動いたのであれば尚よしだ。一般人の有効活用法である。麻原は、このアイデアを思いついた者には、二週間、3時と9時のおやつの量を二割増しにしてやることを決めた。

 やがて、子供たちとは関係のない、一般の通行人までもが、足を止め始めた。周囲に、瞬く間に人だかりができる。

「ちっ・・命拾いしたばいな、麻原尊師」

 プレッシャーに負けた北村ファミリーが、車に乗り込んで行った。クラクションを鳴らすと、子供たちが道を開けた。車は猛スピードで去っていく。

 バドラの信徒たちが、自分を取り囲む。子供たちから、歓声が沸き起こる。一般の通行人たちも、雰囲気で何かを感じ取ったのか、惜しみない拍手を送っている。

「尊師~。無事でよかった~」

「こらこら、涙と洟で、服が汚れるではないか」
 
 胸に飛び込んできた菊池正の頭を撫でながら、麻原は言った。

「まったく、みんなに迷惑かけて。これからは、どこに行くときも、俺から離れちゃだめだよ。なんのためのボディーガードだと思ってるの」

 関光彦が、頬を膨らませながら、しかし、目には涙を浮かべながら言う。

「さあ、尊師。家に帰りましょう。M-1グランプリ2003のDVD、みんな結果をググりたいのを我慢して、待っていたんですよ」

 勝田清孝が、ちょっと邪悪な笑みを浮かべて言った。もしかしたら、こっそりと結果をググっているのかもしれない。賭けの対象は、お小遣いか、おやつか、家事当番の免除か。何かはわからないが、麻原は自分の負担を減らすため、あとで勝田に結果を尋ねてみるつもりだった。

「よし。みんな、家に帰るぞ!」

 麻原は力強く言って、100人を超える信徒と子供たちを引き連れ、東京湾沿いの夜道を歩き始めた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第四十七話

 
 時刻は夕方7時。麻原彰晃は、八王子にある、北村ファミリーのマンションに監禁されていた。巨人―横浜戦のデーゲームを見終え、食事を取っていたところを、拉致されたのだ。

「ド・・ドライブには付き合ったぞ。も、もう、解放してくれてもいいんでは、ないのかな?」

「麻原尊師。おうちに帰りたいのだったら、こちらの言うことを聞いてもらわんといかんばいね」

 麻原の往生際の悪い言葉には取り合わず、北村父は携帯電話を差し出した。

「2000万。それが麻原尊師の身代金ばい。信徒に要求してくれんね?尊師の口から」

「バカな。そんな蓄えは、バドラにはない」

「わかっとるばい。尊師の懐にある金は、人の弱みに付け込んでだまし取った500万プラス、いたいけな信者を働かせて得た100万円、せいぜい600万がよかところね。あちこちからかき集めても、せいぜい1000万が関の山だろうね」

「ならば・・」

「尊師も素人じゃないのなら、わかっとるだろうもん。初めに要求した金をそっくりもらってしまったら、相手に遺恨が残る。初めは思い切りふっかけて、相手が値切るのに応じてやれば、相手も気持ちよく金を吐き出せるし、わだかまりも残らんというもんちゃろう」

 悪党め。北村父の、薄汚いツラに、唾を吐きかけてやりたいところだったが、彼の背後に控える息子たちが恐ろしく、口答え一つできなかった。麻原は北村父に言われるがまま、バドラ本部の固定電話の番号をダイヤルした。

「はい、バドラ本部」

 電話に出たのは、勝田清孝だった。全員かはわからないが、どうやら彼らは、自分を探さず、とっとと家に帰ってしまっていたようだ。

「おう、清孝か。俺だ。麻原だ」

「ああ、尊師。何してるんです。早く帰ってきてくださいよ。今晩はみんなで、M-1グランプリ2003のDVDを、順位を賭けながら観る約束だったでしょう」

「あ、ああ、そうだったな。ところで、みんなは、もう家に帰っているのか?」

「みんな帰ってますよ」

「お、俺が心配で、探したりとかは、しなかったのか?」

「私は探した方がいいと言ったんですがね。関くんや尾田くんが、ピンサロでも行ったんじゃないの、なんて言うもんだから、みんなそれで納得して帰ってきちゃんですよ」

「な・・お、俺が、ピンサロなど、行くわけがないではないか!そんな、黄白を代償に射精の快楽を得るような、低俗な店になど・・。だいたい、教祖が行方不明になったというのに、その緊張感のない雰囲気はなんだ。オウムのときは、もっとみんな・・」

 北村兄が、麻原の脇腹につま先をめり込ませた。余計な話はするな、ということらしい。

「ま、まあいい。ところで、突然の話で、みんな驚いてしまうかもしれないが、実は今、誘拐されていてな。解放は、2000万円の身代金と引き換えだとか言われているんだが、ちょっと、払ってやってくれぬかな?」

 受話機の向こうの勝田清孝が、息をのむ気配が伝わってくる。

「・・・尊師。その話を信じるには、アレをやっていただかなければなりません」

「あ、あれ、とは・・?」

 わかっていたが、麻原はあえて恍けた。

「あれ、と言ったら、あれしかないでしょう。今、俗世では、オレオレ詐欺なんてのが流行っている、というニュースを観たときに、みんなで決めたじゃないですか。金銭を要求する電話がかかってきたら、あれをやってもらってから、判断しようって」

 麻原は戸惑った。「あれ」は、人前でやるのは恥ずかしすぎる。みんなで決めたときは、まさか自分が「あれ」をやる立場にはならないとタカをくくっていたために、軽い気持ちで賛成してしまったのだが、麻原は今、それを猛烈に後悔していた。北村ファミリーの連中は、相変わらず自分に剣呑な視線を向けている。ダメだ。やるしかない。麻原は覚悟を決めた。

「エムレモレマレー~レモレモレモラーミーオー~マモレ~マミーオー~レムレ~アラマミーアオ~」

 オペラ歌手ポール・ポッツがコンテストで歌った、「誰も寝てはならぬ」のサビである。ただでさえ全て耳コピなうえ、うろ覚えと来ており、自分でも、何を歌っているのか、まったくわからなかった。こんなことになるなら、一度くらいは練習しておくのだった。

 恐れていた通り、絶対零度の空気が、室内に流れてしまった。もう、取り返しがつかない。

「声が小さいですよ。決めたじゃないですか、受話器を耳元から30センチ離しても聞こえるボリュームじゃないとダメだって。さあ、もう一度」

 勝田清孝が、笑いを押し殺したような声で言う。この勝田という男、年齢が年齢だけあり、関光彦のように表立って自分を軽んじるような言動を取ったりはしないのだが、どうも腹に一物というか、普段は自分にぞっこんのフリをして、ここぞというときで自分を笑いのネタにしようとすることがあった。癪に障るが、今は信徒たちを頼るしかない。麻原は泣き出したいのを堪え、大きく息を吸い込んだ。

「エムレモレマレー~レモレモレモラーミーオー~レモレーモー~レムレーモー~マモレ~マミーケサーチャ~アラマミーレチェロ~リケロ~ロ~」

 摂氏マイナス273度の空気が、アパートを氷結させる。一周回って面白い、などという言葉が、最近、バドラでは流行っており、誰かがスベった際には、その言葉でフォローするのがお約束だったのだが、ここには、そんな暖かい心を持った者はいなかった。

 早くバドラに帰りたい。そもそも、こんな恥ずかしいことをしなければならなかったのは、他ならぬバドラの信徒、勝田清孝のせいなのだが、麻原はそれを忘れ、心から、我が家が恋しくなった。

「まだ28センチくらいまでしか届いてないし、なんかさっきと違いますが、まあ、信じましょう。ただ、本人ということは信じても、まだ、本当に誘拐されたかどうかを信じるわけにはいきません」

「ど、どういうことだ」

「いやね、関くんがこんなことを言うですよ。尊師は、みんなに構ってもらいたくて、自作自演をしているだけかもしれない、なんてね」

 金槌で頭を打たれたような衝撃が走る。しかし、まったく身に覚えがないわけではなかった。最近、バドラに、新しく、大道寺将司が加入したのだが、最近、信徒たちが大道寺ばかりをちやほやするため、僅かではあるのだが、麻原はやきもちを焼いている部分があったのだ。

 無論、麻原とて馬鹿ではないから、信徒たちが、大道寺が早くバドラに打ち解けられるように、気を使っているのはわかっている。だが、常にみんなの中心でいたい麻原には、少し面白くなかったのは事実だ。表には出さぬよう心掛けてはいたのだが、看破されていたのかもしれない。

「でも、本当に尊師が囚われていたら大変ですから、助けには行きましょう。2000万円でしたよね?ちょっと待っていてください」

「なに?ちょっと待て、2000万円など、そんな大金はないはずだろう?」

 まさかの答えが返ってきたため、つい、2000万円がふっかけた金額であるのがバレるようなことを言ってしまった。北村ファミリーが、射抜くような視線で自分を見る。

「安心してください。そのぐらいの金、すぐに用意しますから。今、誘拐犯は傍にいるんですか?受け渡し方法を教えてください」

 北村父が、自分の携帯に文字を打ち込む。「後でかけ直すといえ」

「ああ。後でかけ直す。そのときに伝える。24時間、電話が繋がるようにしておいてくれ」

「わかりました。尊師、弱気にならないでくださいね。必ず我々信徒が、あなたのことを助け出しますから」

 麻原に励ましの言葉をかけて、勝田清孝は電話を切った。
 
 頼もしい言葉だ。勇気が湧いてくる。かつて、オウムの信者も言ってくれた。麻原尊師を、必ず守ると。


 だが―――。


 彼らはみな、自分を裏切った。

 バドラはどうか?
 
 バドラの信徒は、本当に、自分を守ってくれるのか?
 
 自分に、永久の帰依を誓ってくれるのか?

 期待と不安が、麻原の心中で綯交ぜになっていた。

凶悪犯罪者バトルロイヤル 第四十六話

 
 麻原彰晃率いるバドラは、読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームに、野球観戦に訪れていた。世田谷区の少年野球チーム「がんばれツンベアーズ」の父兄親睦会に、同行したのである。

「バッター、四番、ファースト、ブランコ」

 ホームランダービートップをひた走る最強助っ人の登場に、レフト側外野席が湧く。許しがたいことに、我が栄光の巨人軍を応援するライト側外野席にも、声援を送っている者が何人もいるようだ。

「うおーーーっ!ブランコーーっ!かっ飛ばせー!!!」
 
 バドラに所属する関光彦も、その不届き者の一人だった。

「痴れ者めが。我が栄光の巨人軍の敵を応援してどうする」

 まったく、嘆かわしい。外人風情が、偉大なる王さんの記録に挑戦することを応援するなど、巨人ファンとして、これ以上に不届きなことがあろうか。麻原は自分の教育不足を深く反省し、川上哲治、王さん、チョーさんなど、少年時代の自分に夢と希望を与えてくれたレジェンドたちに、心で詫びた。

 小気味のいい打撃音がドーム内に響き渡った。観衆から、一斉にどよめきの声が上がる。打球は大きな放物線を描き、なんと、バドラとツンベアーズが座る席を目がけて飛んできた。麻原は身震いする。魔獣、宅間守に襲われたときに勝るとも劣らぬ緊張が、全身を駆け巡った。麻原は持ち寄ったグローブを構える。ボールはその中に、すっぽりと収まった。

「やったーーーーっ!捕った!捕ったぞーーーーっ!」

 年甲斐もなく、はしゃぐ麻原。周囲にいた観客たちが、ダイレクトキャッチに拍手を送る。照れ笑いを浮かべながら腰を降ろしたところで、ハッと我に返った。バドラの信徒たちと、ツンベアーズのメンバーが、自分に軽蔑の眼差しを向けている。麻原は咳払いし、キャッチしたボールをポケットにしまおうとした。とそのとき、身内の中に、一人だけ違う色の眼差しを放っている者がいることに気が付いた。

 一段下の席から、自分の手に握られたホームランボールに、物欲しそうな眼を向ける少女・・ワタルの六歳の妹、イブキだった。

「うっ・・・・」

 麻原は逡巡した。ホームランボールを、手放したくはない。しかし、ワタルとイブキの母親からは、500万円のお布施を得ているのだ。神性を損なうような態度を見せれば、返金を要求されてしまうかもしれない。それだけならまだいいが、詐欺罪で訴えられてしまったら大変だ。

 詐欺は親告罪ではなく、インチキをやった時点で罪に問われる条件を満たすものだが、委員会のスタンスとしては限りなくクロに近いグレーということらしく、たとえデタラメ話で金を巻き上げようとも、被害者――この場合は、ワタルとイブキの母親が、自分をべったり信頼している分には、咎められることはない。が、告訴されてしまっては、グランドマスターも看過することはできないだろう。

 ボールを手放すべきか、命を手放すべきか――。大好きなパーコー麺食べ放題券をもらうのと、大好きな中川翔子とディズニー・シーにデートをしに行くのと、どちらを選ぶか、に等しい、究極の選択を迫られていた。

 誰かが肩を叩き、誰かがぶよついた腹をさすり、誰かが足を踏み、誰かが太ももを抓った。バドラの信徒たちが、往生際の悪い自分にメッセージを発していた。

「・・・うむ。わかった。大事にするのだぞ、イブキよ」

「わーい。そんしのおぢちゃん、ありがとう!」
 
 ワタルと母親が、自分に礼を述べる。麻原は、顔で笑って、心で泣いていた。

 試合後、麻原たちは、ツンベアーズのメンバー、及び父兄たちと、ファミリーレストランで食事を取った。麻原は、父兄たちの前では名前を偽り、職業も中堅の投資家ということにしていた。麻原の巧みな話術と、人を引き寄せる魅力の前に、正体を看破できる者はおらず、麻原は地域の人気者として、徐々に存在感を高め始めていた。

 拘置所暮らしで身についてしまった、おかずを全て御飯にぶちまけて食べる癖をみんなに窘められつつ、ビールを三、四杯も飲んだ麻原は、尿意を覚えて立ち上がった。ボディーガードの関光彦は、酔いつぶれて眠っている。他のメンバーも、ツンベアーズのメンバーや父兄たちとの歓談に夢中で、自分のことを気に掛ける様子はない。麻原も、用を足すくらいのことで声をかけるのも煩わしく思え、一人でトイレに向かった。

 それがいけなかった。いつ、いかなるときも、自分が命を狙われる身であることの自覚を失ってはいけなかった。アルコールで茹で上がり、気を緩めてしまったばっかりに、小用中という、性行為以上に人間が無防備になるシチュエーションで、左右を力士のような巨漢男に挟まれ、脅迫されることになってしまった。

「宗教家が酒を飲むのはいただけんね、麻原尊師」

 麻原の背中にドスの先端を当てがいつつ、九州訛りで話しかけてきたのは、北村実雄――「我が一家全員死刑」の、北村ファミリーの父親である。自分の左右に立っているのが、彼の息子、北村真孝、北村孝紘の兄弟だ。どちらも、100キロ近い自分がスリムに見えるほどの巨体を誇っている。

「お、俺を、殺すのか?」

 恐怖のあまりに、狙いが狂う。小便を己の靴にびちゃびちゃ引っかけながら、麻原は北村父に尋ねた。

「安心せんね。物騒なまねをする気はなか。ただし、こちらのゆうこつば聞いてくれたらな」

「い、言うこと、とはなんだ?」

「なに、そんなにむずかしいこつじゃなか。痛いこつでもなか。ちょっと、俺らとドライブに付き合っちほしかだけばい」

「ド、ドライブって・・」

 小さな目を泳がせる麻原の脇腹を、左右に立つ二人の巨漢男が小突く。

「付き合うんか?付き合わんけんか?どっちじゃ!!」

 青き狼の異名を取る平成の大横綱が取組に臨む際のような、恐ろしい形相で凄まれては、気の小さい麻原には首肯するしかなかった。

「よし。そんなら、ちょっと付きあっちもらおうか」

 膀胱の中が空になったところで、麻原は小便器から引きはがされた。背中にドスをあてがわれたまま、駐車場へと連れて行かれる――。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
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