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犯罪者名鑑 市橋達也 8 (2009年11月)

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 終わりの始まり

 大阪の飯場を出た市橋は、名古屋で眉間を高くする整形手術を受けることを決めました。

 美容を目的とした整形手術は健康保険の対象外であり、当時は身分証明書なしでも受けられたようで、実際、福田和子をはじめとする逃亡犯は、整形して人相を手配写真とかけ離れたものとすることで長期間の逃亡を可能としていました。

 名古屋で受ける整形手術を最後にしよう・・そう決めていた市橋ですが、しかし、市橋が最後に手術を受けた名古屋の病院の医師は偶然にも、市橋が取り上げられたテレビのバラエティ番組を観ていました。医師は術前に市橋がかつてほくろを取り除いた跡を見つけて疑問を抱き、手術が終わった後に警察に通報したのです。

 そして手術前と手術後の比較写真が掲載されたあのポスターが刷られ、全国の交番に貼り出されました。名古屋の病院を出た市橋は、自分で抜糸を行い、ビジネスホテルやネットカフェを泊まり歩いていましたが、自分が名古屋の病院で整形手術を受けたという報道を目にすると恐怖に青ざめ、沖縄のオーハ島を目指して南下を始めました。

 何とか鹿児島までたどり着きましたが、市橋はフェリー乗り場の近くまで来てあることに気づき、フェリーに乗ることを断念しました。

 市橋は複数のネットカフェの会員証を持っていましたが、偽名はすべて同じものを使用していました。警察は手当たり次第にネットカフェを当たっているはずで、市橋の偽名はすでにわかっており、途中、福岡のネットカフェで沖縄行きのフェリーの出航時間を検索した履歴を調べられているかもしれない。また、市橋は名古屋で手術を受けたときから服を変えておらず、監視カメラからおおよその居場所を突き止められているかもしれないという判断でした。

 市橋は鹿児島から沖縄に渡ることを諦め、熊本へと向かいました。

オーハ島


 逮捕

 行くあてもなく熊本を彷徨う市橋は、携帯販売店の前にパソコンを発見しました。これなら警察に検索履歴を調べられることなく、沖縄に行くための情報が得られるかもしれない。市橋は店員に頼み込んでパソコンを使わせてもらいました。

 調べてみると、沖縄行きのフェリーは九州からだけではなく、神戸からも出ていることがわかりました。

 大分県の別府から神戸行きのフェリーに乗り、神戸から那覇へと向かう算段を立てた市橋は、その晩はホテルに泊まり、翌朝から、熊本から大分に向かって線路沿いを歩き始めました。

 昼過ぎまで無心に歩いていると、「こんにちは」と声をかけられ、後ろからポンと肩を叩かれました。振り向いたところに立っていたのは、一人の制服警官でした。

 市橋は一目散に逃げ出しました。後ろから「どこに行ったって捕まるぞ」と声が聴こえましたが、振り返らずに走り続けました。逃げる途中に上着を失いましたが、構わず走りました。

 川を泳いで渡り、土木作業員の作業服とヘルメット、放置自転車を盗み、有刺鉄線を乗り越え、工場に忍び込み、自動車教習所に忍び込み、疑似道路を横切って、市橋は逃げました。トウモロコシ畑の中に四時間も隠れ、腹が減るとトウモロコシを生のまま齧り、民家に忍び込み、スーツを盗み、自転車をまた盗んで、市橋はさらに逃げました。

 熊本駅までたどり着いた市橋は、新幹線の博多駅を目指しました。途中、路線を間違え、終電がなくなってホームで一夜を過ごすアクシデントもありましたが、二日間かけて博多駅に到着し、神戸に向かう新幹線に乗ることに成功しました。

 新幹線の中は警官が巡回していましたが、頻繁に服を盗んで姿を変え、このときはベレー帽とサングラスをかけていた市橋は気づかれることはありませんでした。

 新神戸で新幹線を降りた市橋は、新聞で自分についての記事をチェックすると、コインランドリーで持っていた服を洗濯し、着替えをしました。ニット帽、サングラス、グレーのパーカー、ジーンズ、ブーツ。逮捕時に着ていたあの服装でした。

 なんとかしてオーハ島に渡り、島の風に吹かれながらひっそりと餓死する。市橋はそのことだけを考えていました。死ぬのは構わない。ただ、逮捕してさらし者にだけはなりたくありませんでした。

 大阪千里中央駅に、硬貨を入れればインターネットが使えるパソコンがあることを知っていた市橋は、そこで神戸発那覇行きのフェリーの時間を調べ、フェリーターミナルに向かいましたが、出航日を勘違いしていたらしく、ターミナルには船も人もいませんでした。

 市橋は予定を変更し、大阪の港にむかいましたが、沖縄行きのフェリーが出るまでには時間がありました。市橋が大阪の飯場で働いていたことはすでに報道されており、繁華街には警察が大勢いるはず。時間まではターミナルで待っているしかありませんでした。

 ベンチに腰掛け、フェリーの到着を待つ市橋の傍に、二名の警察官が近づいてきました。「あきらめなさい」直感がそう言っている気がしました。

 死に場所が変わっただけだ。

 警察官に「名前きかせてくれよ」と言われた市橋は、偽名ではなく「市橋達也です」と、自分の本当の名前を答え、逮捕されました。

西成


 別の未来

 こうして市橋の2年7か月に及ぶ逃亡生活は終わりを告げました。死体遺棄の時効の3年を過ぎたとしても、容疑を殺人に切り替えて捜査が継続されることは確実だったでしょうが、方法を間違えなければ、市橋の逃亡はまだ続いていたのでしょうか?

 市橋が逃亡にあたって選択した、人口の少ない離島に潜伏するというアイデアはよかったと思います。しかし、市橋がオーハ島に滞在していたのは意外に短い期間で、彼はオーハ島の存在を充分に活かしきれていなかったように思います。環境面など厳しいところもあったのでしょうが、もし市橋がオーハ島に隠れ住むことをもっと本気で考えていたら、結果は違ったものになった可能性もあります。実際に、月に一万円ほどの現金収入だけで、沖縄の離島に何十年も住み着いているホームレスもいます。

 人相を手配写真とかけ離れたものにするというのは長期の逃亡を可能にするうえで有効な手段であり、整形手術を受けるという選択は間違いではないですが、結果的にはそれが仇になり、市橋は逮捕されました。もし市橋が整形手術を受けず、稼いだ金を食料や道具を買うことに費やして、オーハ島に長期滞在していれば、彼の逃亡生活はまだ続いていた可能性もあります。

 もちろん性別や体力、性格などによっても違うでしょうが、市橋が体力のある若い男性であったことを考えると、やはり飯場労働でお金を貯めて沖縄のオーハ島に長期滞在する、というのが、逃亡を長期にわたって継続するにあたりベストな手段であったように思います。

 また、言うまでもないことですが、そもそも殺人事件など起こさなければ、逃亡生活など送る必要はありませんでした。
 
 逃げている間、感謝ってどういうことなんだろうって、ずっと考えていた。事件を起こすまで、僕は親や周りの人たちから沢山のチャンスをもらってきた。でもそのことに気付かなかった。それが恵まれた状況だということを、僕は考えようともしなかった。

 感謝、という言葉の意味を知っていれば、自分はあんなことはしなかったのではないか。


 と本人は語っていますがその通りだったでしょう。市橋が20代だったときは今より就職が厳しかった時代ですが、医者の家に生まれ、高身長に悪くない顔立ち、能力も普通以上にある市橋には、客観的にみて洋々たる前途が拓けていました。

 人の好意を無碍にしたり、つまらぬプライドからチャンスを棒に振ったりということは誰しも覚えがあることではあり、特に若い頃はそういうことには気づきにくいものですが、殺人という罪を犯してからようやくわかるというのはあまりに遅すぎました。

 市橋が犯したのはけして許されない罪であり、本人も自らの行為を深く悔やんでいることでしょうが、第三者の立場からみると、市橋の逃亡劇は一風変わったロードムービーのようであり、平凡な日常を送る人間がけしてしないような体験や、けして考えないであろうことを考えた彼の2年7か月はある意味で光を放っており、市橋はこの2年7か月のために生まれたのではないかという気もします。

 1979年生まれの市橋は現在41歳。現在の無期懲役は事実上の終身刑として運用されていますが、身元引受人のいる受刑者には僅かに釈放の可能性があり、もし両親が生きながらえていれば、市橋は60~70歳くらいで刑務所を出てくる可能性もあります。

 
 犯罪者名鑑 市橋達也 完
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犯罪者名鑑 市橋達也 7 (2008年8月~2009年10月)

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 最後の沖縄

 飯場に戻った市橋は、業者の斡旋を受け、解体現場で夜も昼もなく働きました。

 寮から現場までは他の労働者と一緒にボックスカーで移動することが多かったのですが(たまに電車で行くこともあった)、ある日、交番の前を通りがかり、市橋の手配写真が貼ってあるのが目に入ったとき、隣に乗った労働者が「イギリス人事件の犯人、まだ捕まってなかったんだな。もう死んでるよ」と口にしたのを聞いたことがありました(市橋は「ここにいるよ」と思った)。

 死体遺棄の時効である3年が迫り、市橋に関する有力情報には100万円の懸賞金がかけられるようになっていました。飯場に流れ着く人は皆事情を抱えており、他人の素性にはあまり踏み込まない人が多いですが、それだけの大金がかかれば、金目当てで通報する人は出てくるかもしれない。

 ウェストバッグの中に四十万円ほどのお金を貯めると、市橋は沖縄に戻ることを決めました。食料を買い込み、あのオーハ島に長期滞在すると思われましたが、市橋が四度目となったオーハ島にいたのは一か月程度の短い間でした。

 夏真っ盛りの沖縄には、台風が近づいていました。台風といっても内地のそれとはわけが違い、熱帯性気候の沖縄の台風は車を容易に吹き飛ばす強烈なもので、それを警戒してオーハ島を撤退した市橋の判断は決して間違いではなかったでしょう。

 那覇に戻った市橋は、なるべく安い宿を泊まり歩いて暮らしていました。開放的な南国の空気にあてられたのか、このときの市橋は繁華街をぶらつき、パブに酒を飲みに行ったり、ゲストハウスのような場所で知り合った若い女性とバスケットボールをしたりなど、典型的な逃亡犯のイメージのように息をひそめるようにしているわけではなく、普通に遊んで暮らしていたようです。

 ゲストハウスでは死に場所を求めて大阪から沖縄にやってきたという30代の男としばらく行動を共にし、彼からデリヘルを共同経営しないか、偽造パスポートを作らないか、と話を持ち掛けられたこともありました。結局、すべて断ったのですが、根無し草のように見える人も常に繋がりを求めていて、それがこういう場所で知り合うんだなと思わせるエピソードです。

 三か月ほど沖縄に滞在し、所持金が尽きた市橋は、また大阪に戻ってお金を稼ぐことを決めました。

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 飯場3
 
 西成に着いた市橋は、人を集めている業者の中から一番寮費が安いところを選び、大阪の飯場に入りました。昔の飯場は大部屋に雑魚寝というところもあったようですが、市橋が入った飯場はすべて個室で、さらにこのとき入った飯場は衛生状態も良く、まかないが作る食事も美味く、住み心地はそう悪いものではなかったそうです(それでも寮費は適正とは言い難いと思いますが)。

 現場での作業は、地上15メートルの建物の屋上にトタンを貼り付けるというものでした。足場は細い鉄筋だけで、転落防止用のネットはところどころにしか張られていない。安全帯は一応あるが、つけていると作業にならないため誰も装着していない。さらに、トタンの下につけられている断熱材は体に悪いとされるグラスウールでしたが、マスクをつけていると作業にならないため、これも誰も装着していませんでした。

 安全策はあってないようなものですが、飯場で紹介される仕事にはこうしたところは珍しくありません。だから飯場では、労働者が突然いなくなってしまう「トンコ」が後を絶たないのですが、このとき市橋がいた飯場には若い労働者が定着しており、仕事からの帰りにはバカ話でよく盛り上がっていたそうです。

 交通整理やマンホール交換の手伝いの仕事をすることもありました。ボックスカーで大阪池田小の前を通りがかったとき、同僚と「かわいそうだね」と話しましたが、自分が犯した罪のことを考えて微妙な気持ちになった、ということもあったそうです。

さけおにばらあ


 報道


 逃亡犯という境遇では、人は現実逃避に走りそうな気もしますが、市橋の場合は、世間がどの程度自分に関心を抱いているかを確かめるために、自分に関する報道には常に目を光らせていました。

 テレビのバラエティ番組や、コンビニコミックで紹介される内容はまったくデタラメなものばかりで、市橋は呆れる思いでそれらを観ていたそうですが、「市橋は女装して逃げている」「市橋はゲイにカラダを売って逃亡資金を稼いでいる」という内容には本気で怒りました。

「僕はそんなことはしていない!僕は性的倒錯者なんかじゃない!そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだ!」

 市橋の心の叫びであり、これを主張したかったのが市橋が著書を出版した動機の一つだと考えられますが、私はたとえ犯罪者であろうと、まったく根拠のないデタラメや誹謗中傷に反論すること自体はいいのではないかと思います。

 あの酒鬼薔薇聖斗が「絶歌」を出版した動機のひとつは、「報道の中に母親を鬼母のように言うものがあり、自分自身、周囲の影響でそのように考えてしまったことがあったが、実際の母親は鬼母などではないし、自分が母を恨んだことなど一度もない」ことを主張したかったのだと私は考えています。それにより金銭を得ているというのがいただけないですが、動機としてはこちらの方が市橋よりも筋が通っています。

 一方、逃亡犯を扱ったバラエティ番組は、面白おかしくするために内容はデタラメでも、事件の風化を防ぐという意義はあると私は思います。事実、こうした番組が決め手となり、市橋は逮捕されることになります。

タコ部屋


 飯場4
 
 このとき市橋がいたのはもともと仕事が少ない飯場でしたが、年が明けるとさらに日当が下がってしまいました。新しく口の整形手術を目指していた市橋には痛手でしたが、住み心地の良い飯場だったのでそのまま働くことにしました。

 現場で行われていたのは地中に電線を通す作業でしたが、ここで市橋はいちど他の労働者とケンカをしました。二人で別れて、堀った穴に電線に見立てた紐を通す導通試験のときに、市橋が紐を引くのがはやすぎて、反対側で紐を持っていた作業員が手にやけどをしてしまったというので文句をつけてきたのです。

 この作業ではよくあることで、お互い様だろうと思いましたが、相手は周囲に人だかりができると、止めてくれるのを計算してか市橋に掴みかかってきました。

 キレた市橋に襟首を掴み返された男はあっけなく後ろに下がり、情けない顔になりました。あとで廊下ですれ違いましたが、男は小さな声で「なんだよ・・・」と小声で言ってくるだけでした。

 「喧嘩を売ってきた彼には相手を殺す覚悟はあっても、自分が殺される覚悟は明らかにないようだった。その覚悟もなくて、騒ぎを起こさないように我慢している僕にどうしてケンカなんかふっかけてくるのか、信じられなかった」というのが市橋の言葉ですが、人を殺害し、警察から逃げるという経験の中で、市橋には独特の凄みのようなものが生まれていたのかもしれません。

 飯場の労働者は、初めのうち印象がよくても、後になって使い走りをさせたり、文句ばかり言ってくる人が多かったようです。世話をするのは親切ではなく、後々相手を利用するためだけだったのでしょう。「事件を起こす前には、僕は空気を読まない自己中心的な人間に見えていただろう」と分析する市橋ですが、一癖も二癖もある労働者相手によくやっていました。

 「事件を起こす前は、小さなことで悩んだり、ささいなことに対してすぐ怒っていたが、こういう仕事をして色々な人たちと付き合うようになって、細かいことは気にしなくなった。そんなことはどうでもよくなった」と本人が言う通り、逃亡犯という最低以下の身分に堕ちたことで、市橋は余計なプライドを捨て去ることができ、ある意味で自由な気持ちになれたのでしょう。まったくの皮肉ですが、誰より繊細で神経質な男が、逞しい労働者でありサバイバーに変貌を遂げていたことは事実でした。

 最後の飯場を、市橋は「寮の前の駐車場に見慣れぬ車が停まっており、スーツを着た男たちが出入りしていたのが見えた」という理由で抜け出しました。住み心地が良かっただけに未練はありましたが、市橋は自分の直感を信じました。

 ウェストバッグの中には90万円ほどが貯まっていました。
 

犯罪者名鑑 市橋達也 6 (2007年九月~2008年八月)

西成

 飯場

 大阪の西成に戻ってきた市橋は、ハローワークの前で人夫を募集している「手配師」を見つけると、行き先も会社名もわからないままバンに乗り込みました。

 市橋が連れていかれたのは、暴力団が管理する「飯場」でした。飯場は昔はタコ部屋労働などと言われ、多重債務に陥った人などが、衛生環境の悪い寮に詰め込まれ、労働基準法の無視された危険な現場で働かされる場所でしたが、市橋が働いていた2008年ごろも状況は大きく改善されてはおらず、市橋はアスベストが舞う解体現場で、コンビニに売っている簡易マスクをつけただけで作業に従事していたこともあったようです。

 現場仕事のスキルがない市橋は、現場でとび職の補佐を行う「土工」として働きました。鉄や木材、アルミ、銅線、コンクリートのガラなどを分別してまとめる単純作業で、キツイ肉体労働でしたが、市橋は「リンゼイさんはもっと辛かったんだ」と思って耐えていたそうです。

 飯場で働く人はすべてが多重債務者というわけではないのでしょうが、やはり収入の中から遊ぶということができない人が多いらしく、給料の前借をしない市橋は会社から珍しがられ、重宝されていたようです。

 日勤で1万円、夜勤では1万3千円の日当がもらえましたが、寮費が1日3千円、洗濯機を使用するのに2百円かかるので明らかなボッタクリでした。売店で売られているお菓子や酒、タバコなどの嗜好品、カミソリやタオルなど日用品も普通に買うより高く、飯場特有の抜け出したくても抜け出せない搾取の構造でした。

 飯場の労働者は気が荒く、意地悪をされて精神的に辛い思いをしたこともありました。断熱材の繊維がチクチクと刺さったり、上を向いている釘を踏んだりと危険もありました。部屋に帰ると涙が出てくることもありましたが、腰に巻いて片時も離さぬウェストバッグに溜まっていくお金を見て耐えました。

 経験者は口を揃えて「飯場で貯金ができたヤツを見たことがない」という飯場ですが、わずかな睡眠時間で昼も夜も働き、贅沢はしない市橋は月に10万~15万円ほどのお金をためることができていました。周囲から金の使い道について詮索されたときは「女の子を買いに行っている」と答えていましたが、市橋は自分の犯した罪からセックス恐怖症になっており(身勝手な話ですが)、逃走期間中、性欲はまったくなかったといいます。

 休みもなく働き、疲労の泥沼に浸ることは、逃走生活のプレッシャーを忘れる意味でも良かったのでしょう。便所の解体工事では大便まみれになりながら働きましたが、市橋には充実感があったそうです。

 忙しくてテレビを観る暇はありませんでしたが、ある日、夜勤の仕事がなく、たまたまつけたテレビで、市橋の特集が放送されていました。超能力者が容疑者の行き先を予言するという内容で、市橋が外国に詳しい知人と接触し、海外への逃亡を企てているということが言われていたようです。

 現実には市橋に海外逃亡を手助けしてくれる知人などおらず、バラエティ番組のデタラメさに呆れる思いだったそうですが、しかし市橋にプレッシャーを与える効果はあり、翌日の仕事で、昼休み、同僚に「昨日の番組みたか?」と訊かれた市橋は、通報を恐れて飯場から逃走しました。すぐに福井の飯場に入りましたが、そこでも、寮の前にパトカーが停まっているのをみてすぐに逃走しました。

 ウェストバッグの中には80万円ほどのお金が貯まっており、市橋は大阪で、かねてから考えていた整形手術を受けることにしました。小鼻を高くし、鼻を細くする整形手術は60万円ほどかかり、ネットカフェに寝泊まりし、抜糸は自分で行いました。

 サングラスをかけて、顔の印象が変わったことに満足した市橋は、フェリーに乗ってオーハ島に戻りました。季節は冬に入り、沖縄でも野宿は厳しかったようですが、前回植えた野菜のうちネギが生えており、岩場では岩海苔も取れ、食生活の面では喜びもありました。

 寒い季節を乗り切るのに一番いいのは沖縄にいることだったはずですが、市橋はなぜか、10日ほどで島を出ることを決めました。

 その理由は、「東京ディズニーランドに行きたい」というものでした。


タコ部屋



 飯場2


 千葉県出身の市橋にとって、ディズニーランドは特別な思い入れのある場所だったでしょうが、それにしても、事件現場からも近いディズニーランドに行くことは大変危険な行為です。2年間、雲隠れすることに成功し、多少は気のゆるみもあったのでしょうが、それにしても大胆すぎました。

 結局は衝動性を抑えられない人間だったのでしょう。そうした傾向のある人、すべてが犯罪を起こすわけではありませんが、市橋の場合は特に、その後のことをよく考えず、思い付きで(リスクの高い)行動をしてしまう傾向が強い人間であるように思えます。

 貴重な逃走資金を使い、危険を冒して出かけた東京ディズニーランドの感想は「ディズニーランドってこんなものだったか。楽しくなかった」でした。

 兵庫県に戻った市橋は、再び飯場に入って働き始めました。入ってすぐ、重機のアームにぶつかって怪我をしたのに労災にならないというトラブルがあり、飯場労働という劣悪な働き方の現実を味わいました。

 同僚とのケンカ騒ぎもありました。現場では、仕事が終わった後に伝票をもらうことになっており、15時を過ぎれば17時まで働いたことにして良いというルールだったのですが、そのことを知らなかった市橋は、監督に言われるまま15時でサインしてしまい、給料が2時間分減ってしまったということで、「どういうことだ!使えねーな、お前!」と、50代の労働者が絡んできたのです。

 知らなかったのなら仕方ないことであり、そこまで怒るのならそもそも自分で伝票を貰えばよかっただけの話ですが、50代は市橋に激怒し、殴り合いになりそうな勢いでした。腹は立ちましたが、逃亡犯の市橋が一番困るのは、騒ぎが大きくなって警察が来るような事態です。市橋は黙ってその場をやり過ごし、50代が倒した消化器の粉を掃除しました。50代は執拗で、その後も現場でよく嫌味を言ってきたようですが、じきに飯場からいなくなっていきました。

 日勤夜勤の連勤をこなしていたことで、いつも3人でつるんで行動しているガラの悪い男たちに「働きすぎだ」と嫌味をいわれたこともありました。ある日、リーダー格の男に腕相撲を申し込まれ、はじめ右手で勝ち、次に左手で圧勝(市橋は左利きだが、現場では目立つと思って右手を使っていた)すると絡まれなくなったそうです。

 前の会社で一緒だった単純粗暴なロシア人は、現場素人の市橋に「ネコ(一輪車)持ってこい!」「シバ(木材)持ってこい!」などと命令して、市橋がわからないで困っているのを見てニヤニヤしていたそうですが、話してみるといいヤツで、金を貸してくれと言われたとき(飯場では借りパクのリスクが高い)には「実家に送っているといって断れ」とアドバイスしてくれたり、昼間着ていた作業着にが夜までにかわかず、Tシャツの上にヤッケ姿で現場に出てきた市橋を「アニキは外でも寝れるよ!(実際に寝てたよ、と思った)」とからかったりしてきたそうです。

 紹介料目当てか、通いで来ている労働者から遠洋漁業の仕事に誘われたこともありました。船の上はお金を使うことがないため溜まる一方で、アパートを借りたいなら保証人にもなってやるとのこと。一見、美味しい話のようにも思えますが、逃げ場もない海の上で素性がバレてしまえば一たまりもありません。このときの申し出を断ったのは正解だったでしょう。

 飯場という環境で、粗野な労働者に囲まれながら生活するのは初めてのことで、事件さえ起こさなければ一生経験することはなかったでしょうが、市橋は我慢するべきは我慢し、主張するべきは主張して、不器用なりにうまくやっていこうとしていました。

 

犯罪者名鑑 市橋達也 5

福田和子


 福田和子

 後半に入る前に、市橋以外に世間で大きな話題となった逃亡犯の紹介していきます。

 福田和子は1948年に愛媛県松山市で出生。高校中退後、タイル工の男と同棲を始めますが、そこで悪の道に染まり、18歳のときに国税庁宅に強盗に入って逮捕されます。

 福田が収監された松山刑務所では、地元のヤクザが刑務官を買収して様々な不正行為を働いていました。所内を自由に出歩く、飲酒、喫煙、賭博、果ては女子受刑者へのレイプまで行われており、うら若き福田もその被害者でした。

 この松山刑務所事件は国会でも取り上げられ問題となりましたが、当局は福田ら被害者に圧力をかけて告訴を取り下げさせるなどして事件のもみ消しを図りました。責任者の自殺もあって有耶無耶となり、結局、公訴時効によって事件そのものがなかったことにされました。

 出所した福田はホステスとして働き、鉄工所経営者と結婚して4人の子供をもうけますが、見栄っ張りな性格が災いして金に困るようになり、同僚のホステスに借金を申し込みます。人気ホステスに対する嫉妬もあったのか、借金の申し込みを断った同僚を殺害した福田は、あろうことか家財道具一式を盗み出してから、夫とともに山で遺体を処理しました。

 しかし、目撃情報から福田の犯行はすぐに発覚。警察に捕まる直前、福田は60万ほどの資金を手に逃走しました。福田の夫は自首を勧めていましたが、松山刑務所でのことがトラウマとなっていた福田はそれを断固として拒否し、逃亡生活を送ることを選びました(夫は死体遺棄罪で逮捕)。

 逃亡先に石川県の金沢を選んだ福田はそこでもホステスとして働き、和菓子店経営者の客と懇意になると、内妻として店の厄介となることに成功します。

 逃亡中に美容整形を繰り返していた割には、それほど美人とはいえない福田でしたが、濃厚な「房中術」でも持っていたのか、店主と福田の間は仲睦まじかったようです。福田も店のために甲斐甲斐しく働き、商品にもアイデアを出すなどして老舗をの和菓子店を繁盛させます。

 二年ほどそんな暮らしが続き、気持ちにはゆとりが出てきましたが、募ってきたのは自分の実の子への思いでした。犯罪者とはいえ福田も人の親。特に、長男に対する溺愛ぶりは半端ではなかった福田は、大胆にも愛媛に帰って長男と会い、そのまま金沢に連れ帰り、甥だと偽って和菓子店の従業員にしてしまいます。

 福田は和菓子店に溶け込んでいるようでしたが、福田がいつまでも店主と籍を入れないこと、甥ということになっていた福田の息子の免許証に記されていた住所が松山市となっていたことから、徐々に疑いの目を向けられるようになり、通報される直前に逃亡しました。

 その後の福田は8年間、同じ場所に3か月以上とどまらないようにしながら全国を転々としました。20以上もの偽名を使い分け、ラブホテル清掃員、葬儀屋の手伝いなどをしながら収入を得ていたようですが、生活は困窮を極めていたようです。

 当時の殺人の時効である15年が近づくと、テレビで福田の報道が増えていきました。当時、福井県に潜伏していた福田は何を思ったのか、行きつけのおでん屋で「私、福田和子に似ているでしょ」と漏らし、まさかと思った店主が通報。ビール瓶に残されていた指紋が証拠となり逮捕、福田の逃亡生活は終わりを告げました。
 
 取り調べにおいて、福田は共犯者にでっち上げた死亡済みの男に罪を擦り付けようとしますが、警察は執念の捜査で共犯者のアリバイを証明し、福田の容疑は確定。裁判で無期懲役の判決を受けた福田は、刑務作業中にくも膜下出血により息を引き取りました。

 逮捕の直前、おでん屋で自分の素性を打ち明けるようなことを言ったのは、罪の意識からでしょうか、はたまた別人を装って逃げることに疲れ果て、本当の自分を知って欲しかったからでしょうか。

 いずれにしても、福田和子は犯罪者でありながら豊かな人間味も持ち合わせる人物で、その数奇な生涯がドラマ化もされ話題を呼びました。

 金沢の和菓子屋店に潜伏していた時期には、小学生だった石川県出身の大打者、松井秀喜とも交流があり、松井は「きれいで感じのいいおばさんだった」と当時の印象を語っています。


おいこいけ



 小池俊一、菊池直子、高橋克也


 「おい、小池!」のポスターで有名な小池俊一は、2001年に徳島県でパチンコ仲間の男性を殺害、4000万円の預金が入った通帳を奪って逃亡します。

 人まで殺したにも関わらず、預金を引き出すことはできなかった小池は各地を転々とした後、岡山県で一回りも年上(小池自身が逃亡時40代)の女性の家に転がり込み、ヒモ生活を送るようになります。

 2012年に居候先のアパートで病死。死亡時の小池は逃走生活のプレッシャーからか、五十代後半という年齢に比してかなり老け込んでおり、手配写真とはかけ離れていたようで、同居女性は小池が逃走犯であったことは知らなかったそうです。ポスターを見て寄せられた情報は4400件を越えましたが、何一つとして逮捕に結びつくことはありませんでした。

 1995年に地下鉄サリン事件に関わったとする容疑で指名手配された菊池直子は、97年まで高橋克也らほかのオウム幹部と同じアパートに潜伏していましたが、やがて一般人として社会に溶け込み、2007年からは介護ヘルパーをしながら、オウムとは無関係の一般の男性と一緒に生活していました。

 同居する男性は菊池に結婚を申し込み、対して菊池が「自分はオウムの菊池だ」と正直に打ち明けても警察には通報せず、同居も解消しませんでした。勤務先での評判も良く、女子会にも参加するなど、普通とまったく変わらない暮らしを送っていたようです。

 2012年に提供された情報を元に逮捕。裁判では無罪判決を受け、17年間の逃亡はまったくの無意味だったという結果になりました。ちなみに、菊池が無罪でも同居男性の犯人隠匿罪は変わらず、懲役1年6か月、執行猶予5年の判決を受け、事件でもっとも割を食った人物となってしまいました。

 高橋克也は櫻井信哉の偽名で住民票まで取得し、川崎市内の建築会社などで働いていました。

 ある時期までは菊池直子と二人きりで生活しており、性行為の強要もあったなど生々しい話も伝わっていますが、菊池同様、一般社会に溶け込んで普通に暮らしていたのは間違いないようです。

 先に逮捕された菊池の証言をもとに、蒲田のネットカフェにいるところを逮捕。裁判では無期懲役が確定しました。教団に元気があった頃から入信を後悔し始めていた菊池と違い、高橋は潜伏中も教団や麻原への強い信仰を抱き続け、取り調べ中にも麻原のことを「尊師」と呼んでいたそうです。

 それにしても、菊池にしても小池にしても、よく身元も確かでない人間と一緒に住みたいという人が見つかるものです。内に何かを秘める人物には魅力があるということなのでしょうか?

 小池、高橋、菊池ともに、長期間の逃走を可能とした理由に「手配写真がまったく似ていなかった」ということが言え、それを考えると、市橋が整形に拘ったのも一概に間違いとは言い切れないかもしれません。

犯罪者名鑑 市橋達也 4 (2007年6月~9月ごろ)

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 働く



 那覇に帰ってきた市橋は、さっそくフリーペーパーの求人誌を捲って職を探し始めましたが、はじめのうちは青森で職探しをしていたとき同様、携帯電話を持っていないという理由で断られる連続でした。

 真っ当に生きていてもホームレスやネットカフェ難民に転落してしまうということもありますが、一度どん底まで堕ちた人が、普通の生活レベルまで自力で立て直すのは困難を極めます。まず生活保護を申請し、住居と携帯電話を手に入れなければ職にもありつけませんが、逃亡犯である市橋にそれは不可能な話でした。

 しかし、何度も電話をかけるうち、ようやく携帯電話を持っていなくても使ってくれるという建築の会社が見つかり、翌日に面接に行くことになりました。

 そこでも住居もなく、携帯電話も持っていないことを不審に思われましたが、何とか雇ってもらうことができ、市橋は支度金として渡されたお金でホテルに泊まり、逃亡してから三か月ぶりにお風呂に入り、人間らしい食事をとることができました。

 会社の金で仕事着だけでなく、部屋着も用意してもらった市橋は、数日後からさっそく建築現場で働き始めました。

 二十七歳にして就労の経験がなかった市橋は、酷暑の下での肉体労働で何度も倒れそうになりながらも、何とか仕事に食らいついていきました。日当は七千円。諸物価の安い沖縄なら、生活が不可能な額ではありませんでした。

 仕事にも慣れてきたころ、市橋は勤務中、同僚に突然「あなた高橋さん?」と訊かれました。このとき、手配写真を見て「市橋」を「高橋」と間違えたのだろうかと思った市橋は、翌日は出勤せず、バックパックに荷物を詰めて、宿泊していた民宿を後にしました。

 市橋の危惧が正しかったのかはわかりませんが、有り得ることではあり、用心するに越したことはなかったでしょう。給料は日払いでもらっており、懐には十分なお金がありました。給料以外にも、仕事着や部屋着を準備してもらったり、食事をご馳走になったこともあり、この会社での暮らしはけして悪いものではなかったようで、市橋も申し訳なく思っているようです。

沖縄


 
 島へ


 最初に勤めた会社をやめて逃げた市橋は、ホームセンターで生活に必要な物資を購入し、再びフェリーでオーハ島へと向かいました。

 スコップ、ござ、ゴミ袋、虫眼鏡、飯盒、鍋、裁縫道具、缶詰、野菜の種・・。前回の経験を踏まえて、市橋が購入した物資は大量で、島に向かう途中にバックパックが重みで破けてしまうほどでした。

 また、図書館では図鑑で植物のことを勉強し、食べられる野草と食べられない野草を見分けられるようになりました。知識は犯罪者にも平等なものであり、図書館という施設をうまく利用して、市橋は長期間の逃亡を可能にしていました。

 フェリーターミナルのある島からオーハ島に渡る直前、浜にいた黒い子猫が市橋の傍に寄ってきました。子猫はガリガリに痩せて汚れており、飼い主に捨てられたのだろうと思われました。

 海に入れば諦めるだろうと思いきや、子猫は岩と岩の間を飛び越えながら市橋の後をついてきました。しかし、やがて飛び移れる岩がなくなると、ポツンと取り残されてしまいました。

 この辺りは食べ物もないし、カラスも時々飛んでいる。子猫はとても生きていけないだろう。

 市橋はネコを肩に乗せて島に渡りました。

オーハ島小屋



 オーハ島2


 
 入念な勉強と準備をしてから渡った二度目のオーハ島では、市橋は飢餓に陥らないだけの食糧を確保できるようになっていました。飲料水はあずまやの水道で一週間分の水をペットボトルに詰めて持ち帰り、貝などをエサにして魚釣りをしました。岩場ではカニを獲り、潜水をしてウニ、エビ、ナマコを獲りました。

 毒蛇の首を切り落とし、毒のうのある首とサルモネラ菌のいる内臓を取り除いて食べたこともありました。砂浜や森に生えている植物も海水で煮て味付けをして食べました。ハチの巣を見つけたときには巣を壊してハチの子を食べました。たまに毒のあるものを口に入れてしまい、痺れや痛みに襲われることもありましたが、図鑑で得た知識を頼りに、食べられるものは何でも食べました。

 医者の道楽息子で、ついこの間まで恵まれた環境で働きもせずぬくぬくと暮らしていた市橋が、警察に追われ、誰も頼ることができない極限状態に置かれたことで、高度なサバイバル技術を身に着けていました。これを見て、ひきこもりは追い出した方がいいと思うのは早計ですが(言うまでもなく自殺を選んでしまうリスクの方が高い)、市橋の場合は追い詰められて覚醒するタイプの人間だったようです。

 そしてニュース映像でも頻繁に紹介された、あのコンクリートブロックづくりの小屋を見つけた市橋は、すぐにそこに住み始めました。危険はゼロではないものの、蟻やヤドカリの襲撃に悩まされることはなくなり、最低限生きていけるだけの住環境を手に入れて市橋の生活は安定していきました。

 食料はいくら獲っても満たされるということはありませんでした。那覇で買って持ってきた種はニンジン、キュウリ、ダイコン、トウモロコシ、ネギなどでしたが、当然ながら植えてすぐ食べられるものではありません。小屋の傍にはサトウキビの原種などが生えていましたが、トリカブトなど毒のある植物も多く危険でした。

 可能な限りは野外採取に努めましたが、どうしても獲れないときは隣の島に買い出しに出かけたり、畑の作物を盗ったりしました。街路樹になっているパパイヤやマンゴーも、うまくはなかったものの腹の足しにはなりました。

 結論を先に書きますが、整形手術など考えずに、働いて稼いだ金をすべて食料や生活用品を得ることに使っていたら、市橋の逃亡生活はまだ続いていたかもしれません。市橋自身も体験したように、ホームレスにとって最も辛いのは冬の寒さですから、冬でも二十度はある沖縄は、ホームレス生活をするには条件の良い土地といえます。実際に沖縄ホームレスは多く、一か月に一万円ほどの現金収入さえあれば仙人のように暮らすことができるようです。市橋自身、二度目のオーハ島では、猫に餌をやる余裕もありました。

 しかし、逃げ始めた頃に新聞で見た逃亡犯の女の記事がよほど印象に残ったのか、あるいは元々そういった願望があったのか、市橋は逃亡を続けるには整形しかないという考えを捨てられず、結果、2年7か月という期間で逃亡生活には終止符が打たれることになります。

 最初に沖縄で働いたのはわずかな期間でしかたら、このときは生活費も底を尽きかけており、市橋は再び働くために、大阪の西成に向かう決断をしました。

 西成を初めて訪れたときには苦い思いをしましたが、沖縄での就労経験と、半年あまりのサバイバル生活で、今度はやっていけると自信を深めていたのでしょう。市橋は隣の島に猫を置き、フェリーで本州に舞い戻りました。

 以後、市橋は西成と沖縄を往復する生活が続きました。

 
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