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party people 2


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「ハア、ハア、ハァ・・・・」

 友麻の中に、この晩、八発目となる豪弾を打ち込んだ俺は、友麻の身体から離れ、服を着て水分を補給した。

「あーあーあー。青木っちのセクハラザーメンが、どぷどぷ溢れ出しちゃって」

 俺に二度も犯された友麻は、生気の抜けたビー玉のような目を、星屑の浮かぶ夜空に向けながら、地面に横たわっている。口は半開きになって、涙と洟が垂れ流しになり、影沼の言う通り、秘裂からは、気泡をプクプクと弾けさせる白濁のものが溢れ出していた。

「こんなんじゃ、PTSDっちゃって、生かしてやっても、もう使いものにならないだろう。ひと思いに殺してやった方が、本人のためだ」

 俺をゴミのような目で見ていた友麻を殺すことを、影沼がゴミを処理するように言った。

「青木っち。せっかくナイフとか持ってきたんだし、青木っち、殺ってみる?」

「いや・・・俺は・・・」

「そっか。エッチして、疲れちゃったもんね。んじゃ、俺が代わりにやっとくわ」

 これからお遣いに行くような、あっさりとした口調で言って、影沼が、友麻から十メートルほど距離を取った。

「これから友麻ちゃんはぁっ、青木っちの遺伝子ミルクを持ったまま、あの世へと旅立ちまぁす!あの世で友麻ちゃんはぁ、おでこが広くて、眼鏡をかけて、ひげが濃い青木っちそっくりの赤ちゃんを、お腹痛い痛いして産んじゃいます!」

 影沼は、友麻にとって、もっとも耐え難いことを口走ると、大きく助走を取り、友麻の前で大きくジャンプして、蝋人形のように凝固した友麻の顔面を、靴の踵で思い切り踏みつけた。

「いって・・いててて・・・ぐのぉぉっ、怒ったぞぉっ」

 友麻の涙と洟に塗れた顔面を踏んで滑り、地面にしたたかに後頭部を打ち付けた影沼が、目にイトミミズのような血管を浮かべ、顔面を紅潮させながら、靴底に鉄板の入った安全靴で、友麻の顔面を何度も踏みつけた。

 友麻の眼窩の骨と鼻骨が砕け、枯れ木の折れるような音が、静かな夜の山林に響き渡る。しかし、影沼に暴力を受ける以前に、すでに心を殺されていた友麻は、悲鳴一つ上げようとしない。むしろ、これから先、俺に犯された女として生きなければならない地獄から解放されることを、喜んでいるようにすら見える。

 友麻にとっての絶望は、影沼の踏みつけ地獄よりもむしろ、俺の生殖器を大事なところに出し入れされ、俺の遺伝子を子宮に送りこまれたことだった。友麻を本当に殺したのは、俺だった。

 脳内に横溢するカタルシスの前に、これから死にゆく女への情けは、あっさり霧消した。俺はまたぞろ熱を持ち始めたものを扱きながら、影沼が、無機質な肉の袋と化した友麻の、最後の命の灯を消しに行く様に見入った。

「セクハラという言葉は、確かに、たった一言で男に致命傷を与えられる、拳銃のように便利で強力な武器だ。だからこそ、使用者側のモラルが求められる。武器というのは常に、まともに立ち向かっても到底かなわない強敵に、本当の危機に追い詰められたときにしか抜いてはいけないものなんだ。自分だけが便利な武器を持っているという万能感に酔いしれるな。すべての武器は諸刃の剣。むやみやたらとぶっ放していれば、その弾丸は、いつか自分に跳ね返ってくるんだ。お前は生涯の最後に知ったその教訓をよく心に刻み、あの世で産むことになる青木っちのセクハラベイベーに伝えてやれ」

 影沼が、悪代官と対峙する時代劇の主人公のように言ってから、また大きくジャンプし、全体重をかけた両足で、友麻の顔面を思い切り踏みつけた。

 ゲジャアッ、バキバキィッ、と音がして、断末魔を上げる力も残されていない友麻の、首の骨が砕けた。同時に、俺の下腹部に、心地よい電流が走った。

「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ。ふぅ、友麻ちゃん頑張ったねぇ。もう、楽になったからねぇ。あの世で、青木っちのヒゲヒゲ赤ちゃんを、ぷりって産むときはもっと痛いかもしれないけど、でもそのときは、大好きな藤井ちゃんが一緒だから耐えられるかなぁ。そのあと、藤井ちゃんの赤ちゃんが生まれても、青木っちのハゲメガネ赤ちゃんを、イジメたりしたらダメだよぉ」

 影沼が、友麻のぷっくり膨らんだ下腹部を撫ぜながら、おちょくるように言うのに合わせ、俺も透明が僅かに白く濁った液体を、土の上に吐き出した。

「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ。ちょい、休憩」

 影沼がカローラに戻ってきて、ドアを開けたまま運転席に腰を下ろし、タバコに火をつけ、貪るように紫煙を吸い込んだ。

「ははっ・・・とうとう・・とうとう、やっちまったんだな」

 俺は泥の付いたズボンを上げ、汚いものを触れたあとのイカ臭い手で乱れた頭髪を抱えながら、カラカラと笑った。

「そうだ青木っち。君はこれで晴れて、俺たちの住む底辺世界を蝕む敵、ココロキレイマンを打ち倒す、正義の戦士となれたんだ」

 二本目のタバコに火をつけながら、影沼が弾むような声音で言った。

「その・・さっきから言ってる、ココロキレイマンって何?」

 大分、呼吸の整ってきた影沼に、俺は先ほどからの疑問をぶつけた。

「さっき説明した通りさ。人を嫉まず、憎まず、すべて自分のせいだと受け止められる謙虚な心を持ち、愚痴をけしてこぼさない。世の中では、そんな人間が正しいとされている。だが、何が正しいかなんてことは、立場によって変わるものだ。底辺世界に生きる、貧乏、不細工、無能が、世の中で正しいとされている価値観なんて信じていても、何の意味も持たないどころか、幸せが邪魔されてしまうんだよ」

 影沼が否定しているのは、俺をこれまで、ずっと苦しめてきた価値観である。

 人を嫉まず、憎まず、常に謙虚で、愚痴をこぼさない。ずっとそうしなきゃだめだと、教わってきた。貧乏で不細工で無能な俺が、何かに挑戦して敗れたとき、頑張ってダメだったとき、人に馬鹿にされたとき、自分の本音を口にすると、いつも誰かに、それを言われてきた。実際に言われたわけじゃなくても、誰かにそれを言われている気がしていた。

 正論、キレイゴト――そいつがいつも、俺の傷口に塩を塗り込んできた。
 
「そもそも、それを最初に言い出した人間は誰だ。誰が何のために、それを言い出した!」

 影沼が、語尾に力を込めて言った。

「・・・そりゃ、人に嫉まれ、憎まれ、他人のせいだと思われて、愚痴をこぼされたら困る人間だろ。自分の才能や努力だけじゃなくて、後ろめたい何かを抱えながら幸せになった連中・・」

 不当な言いがかりやでっち上げで他人を追い落としたとか――。踏みつけていった相手を、余計に侮辱したとか。

 そいつらが、負け組の敵意を自分に向けさせないために、正論、キレイゴトを吐く。

「そう。だからそれを信じることは、自分を踏みにじった奴らの思う壺なんだ。それを知らずに、貧乏で不細工で無能な負け組のくせに、他人に正論、キレイゴトなんかを吐いて、自分が何者かになった気になっている馬鹿がいる。わざわざ自分を踏みつけ、不当に追い落としていった側の思惑に嵌まろうとするばかりか、同じ負け犬の頭を抑え付けて満足している馬鹿がいる」

 俺の言ったことに上乗せする形で、影沼が答えた。

「貧乏人から自由、気楽を奪ったら、何が残る。どうせ誰にも期待されていない負け組なのだから、好き勝手にやりたい放題、言いたい放題。自分の感情に素直になって生きるのは、俺たち負け組に許された唯一の特権なんだ。それを強引に剥奪し、正しさ、心のキレイさなどという、底辺生活においては邪魔にしかならないものを押し付けてくる愚か者を、改心させなくてはならない。それが、俺と青木っちがこれから取り組む活動だ」

 影沼が言っているのは、俺を藤井や友麻と同じか、ある意味それ以上に苦しめてきた連中のことである。

 世の中からゴミのように扱われている立場のくせに、世の中で正しいとされている価値観を信じ込み、あたかも、聖人君子のように生きることを金科玉条とするヤツ。自分がそんな生き方を実践するだけでなく、自分とは考え方も、歩んできた道のりも違う他人にまで、それを押し付けようとするヤツ。

 そいつがいつも、俺の傷口に塩を擦り込んできた。

「人を嫉むな、憎むな、すべて自分のせいだと受け止めて、けして愚痴をこぼすな。俺はそうしている。他人にそれを言う者は、果たして、相手に本当に良くなってもらいたいと思っているのだろうか。本当に、相手の成長、あるいは幸せを願っているのだろうか」

 影沼に言われ、俺はこれまで、俺の傷口に塩を塗り込んできた奴らの顔を思い浮かべた。

 奴らのすべてが、好き勝手なことを偉そうに言うだけで、具体的に何かをしてくれたわけではなかったのを思い出した。奴らのすべてが、好き勝手なことを偉そうに言いながら、缶コーヒーの一本も奢ってくれなかったのを思い出した。

「・・・いや。違うと思う。ヤツらは、自分が気持ちよくなりたいだけだ」

 他人事だと思って、勝手なことばかり言ってくる無責任な連中――そいつがいつも、俺の傷口に塩を塗り込んできた。

「彼らは、承認欲求の塊だ。いつも、誰かに褒められ、また、誰かに感謝されたいと思っている。しかし、悲しいかな、彼らは見た目がいいわけでも、才能に溢れているわけでもない。だからそのままでは、誰も褒めてはくれない。感謝されるために、人に何かを与えようにも、肝心の原資がない」

 言うことばかり一丁前で、行動が伴ってない連中のことを思い浮かべた――確かに、そいつらの顔は反吐が出るほど不細工で、周りから評価されるどころか、ウザがられ、軽んじられているヤツばっかりだった。

「そこで彼らは、見た目、才能の代わりに、ただ人格が優れているだけのことを誇りにしようとする。それがなってない者に、お金の代わりに、自分の素晴らしい考え方を押し付けることによって、他人に何かを与えた気になろうとする」 

 影沼の説明で、俺にもココロキレイマンなるものが、おぼろげながら理解できてきた。

 人を嫉まず、憎まず、謙虚であり愚痴をこぼさない。後ろめたいことのある金持ち、イケメン、才能の持ち主が、自分が踏みつけていった貧乏、不細工、無能に、自分の不幸を納得させるために作り出した「正論、キレイゴト」を、幸せになるための方法論だと錯覚している貧乏、不細工、無能。それがココロキレイマンだと、影沼は言っている。

 ココロキレイマンが特に数多く生息するのは、俺たちの住む底辺世界である。

 見た目のいいヤツ、才能を持っているヤツは上に行く。上にいる奴らには金がある。自分をひけらかさなくても周りが勝手に褒めてくれるし、人にすぐ与えられるだけのものが手元にある。

 何もないヤツだけが、自分の正義を誇る。まるで新興宗教の勧誘のように、自分自身が考え出したものではなく、自分以外の誰かが、てめえの都合のために考え出した正義を盲目的に信じ込み、他人にまで押し付けようとする。

 愚かなココロキレイマンが、隅っこに追いやられて誰にも相手にされていないのなら、その職場は健全だ。この底辺世界、哀れなココロキレイマンが主流となり、幅を利かせている職場など山ほどある。

 影沼の話を聞きながら、俺は今の工場で働き始める前、四年間も勤めていた、交通誘導警備の会社でのことを思い出していた。



 まったくもって、クソみたいな職場だった。

 自分の待遇を少しでもマシにしようとするより、他人のアラを探すことに血眼になる連中。棒の振り方がなってないとか、現場に着くのが自分より遅いとか、どうでもいいようなことで威張りくさり、無能がさらなる無能を叩いて、自分の存在意義を確認しようとする連中。みんながそうだとは言わないが、そんな人種の割合が、ほかの業種に比べて明らかに多かった。

 俺が思うに、あの仕事をやっている連中がおかしくなってしまう主な原因は二つある。仕事が暇すぎることと、周りに女がいないことだ。

 警備員が暇なのは、お客にとってはいいことなのだから、堂々と暇そうにしていればいいのに、生真面目な日本人はなかなかそうは考えられない。自分は本当は社会の役に立っていないんじゃないか、通行人に、立っているだけで金がもらえていいご身分だと思われているんじゃないかと、どうしても、余計な不安と後ろめたさに駆られてしまう。

 しかし、焦ったところで、手っ取り早く充実感を得られるような仕事が湧いて出てくるわけではない。そこで、若い女が笑顔でも振りまいていれば、喧嘩なんかするより楽しくやった方が得だと考えられるが、得られるものが何一つないとなると、自分が評価されるという方向では満たされない承認欲求が、仲間を貶める方向に向かってしまう。仕事が暇だから、人の悪口を言い合ったり、人に嫌がらせをする時間は山ほどある。

 俺自身がターゲットになったこともあったし、ほかの人間がターゲットになるのも嫌ほど見てきた。あの仕事にいい思い出はまったくなかったが、それが四年も続いたのは、やはり仕事が暇なことと、周りに女がいないからだった。

 なまじ、手を伸ばせば届くところに女がいるから、それを持っていない自分が酷く惨めな存在に思えてくる。見渡す限り、女にまったく相手にされない小汚いオッサンばかりの職場は、女を得ようとして得られない俺にとっては、実に気が楽だった。仕事が暇でも、暇を気にして動き回ろうとする連中から受けるストレスを考慮すれば割には合わないのだが、いちど覚えた暇の味から抜け出すのは難しかった。
 
 その警備員時代、俺の「師匠」を務めていたのが、森尾という、八歳年上の男だった。

 べつに、頼んだわけではないのだが、森尾はたまたま現場で一緒になった俺を見て、こいつはすべてにおいて自分より劣った存在であり、傍に置いておけば、自分が優越感を満たす材料に使えると思ったらしく、そのときから俺を「弟子」に認定し、会社に言って、自分が隊長を務める現場に引っ張ってくるようになった。

――俺はこの会社ではエースと言われていて、誰よりも誘導はうまくできるし、みんなに頼りにされる。管制の人たちや、業者さんからの信頼も厚い。俺の動きを追って損はない。お前が俺を師匠に選んだのは正解だぞ。

 森尾は確かに、仕事は出来る男だった。上の人間や、工事の業者から好かれているというのも本当だった。しかし、非正規の単純労働がうまくできるということに、さしたる意味はない。

 非正規の単純労働を極めようとする行為を何かに例えるならば、それはドラクエで最初の町の周りをいつまでもウロウロし、スライムを何千匹も狩る行為に等しい。たしかに成長はゼロではないかもしれないが、あまりにも効率が悪く、実りが少ない。そしてそれを続けていては、永久にクリアにはたどり着けないのだ。

 それだけ自信があるのなら、せっかくまだ若いのだから、正社員の仕事を探してみるとか、警備を続けるにしても管理の仕事に引き上げてもらうよう直談判すればいいのに、森尾は「俺がいないと現場が回らなくなる」とか言って、なかなか次のステップに進もうとはせず、俺が入ったときですでに在社年数は三年を超え、休みの日でも当欠の穴埋めに駆り出されたり、日勤夜勤の連勤を何日も入れられるなど、会社にはいいようにこき使われていた。

 本当は、森尾にもよくわかっていたのだろう。世の中で不足しているのは、安価ですげ替えの利きやすい労働力であり、それをやりたいという者は優しい顔で歓迎されるが、安定した身分で働きたいと願う者には、途端に厳しい目が向けられる。お前に本当にそれができるのかと鋭い言葉が浴びせられ、これから何をしたいか、ではなく、これまで何をやってきたか、というアピールが求められる。
 
 俺も就職活動の経験者として、森尾が管理者や客から褒められ、年上の隊員のほとんどが自分に言いなりになってくれる居心地の良い環境を捨てるのが惜しくなる気持ちも、わからないではない。だが、世間はそれを、井の中の蛙というのだ。

 それでも、自分に与えられた仕事を黙々と頑張っているだけなら、俺のようなカスにまで見下されることはないという話だが、森尾は警備の現場を舞台に、自分が主役の人生劇場を演じながら、共演者を何人も潰していたのだからどうしようもない。

 森尾は自分が管理者から可愛がられているのをいいことに、自分の現場に気に入らない隊員がいると、年上だろうが平気で怒鳴り散らし、ときに折檻を加え、退職にまで追い込むような、とんでもないヤツだった。

――社内には俺を嫌う者もいるようだが、そいつらはみんな、仕事のできる俺に嫉妬して、逆恨みしているだけのクズだ。できないヤツを会社に残しておいてもみんなが迷惑するだけだし、クズを追い出すことも、俺の役割だと思っている。だが、お前は違う。俺はここでお前と出会えたのは運命だと思っているし、お前を本当の弟のように思っている。俺が責任をもって、必ずお前を一人前の男にしてやるからな。

 言っていることは立派でも、人に誇れる価値のあるものなど何一つ持っておらず、これからそれを手に入れようとする意志もなく、ただアメリカザリガニの如く、劣悪な底辺に過剰適応することだけに邁進する男が人に教えられることといえば、それは「清貧たれ」ということしかない。

――仕事をちゃんと教えてくれて、仕事が終わった後には一緒に飯を食ってくれて、毎日メールもしてくれる。こんなにお前を思ってくれる人間なんて、ほかにはいないぞ。お前は本当に幸せ者だって、みんな言ってたぞ。俺に出会えただけで、お前はハッピーだろ。

 辛抱我慢。森尾はそれを、自分を向上させるための努力とはき違えていた。これからもっと上を望むのではなく、底辺に燻って、何の進歩もないながらも、「心の師匠」はいる今、現在の状況を幸せだと思い込むことを、俺に求めてきた。

――確かにお前は、不細工で、頭も悪くて、みんなに嫌われているのかもしれない。だが、お前には俺がいるからな。俺だけは絶対に、お前を見捨てたりしないからな。

 俺の成長を願っていると言いながら、森尾は俺を滅多に褒めず、むしろ、俺の自信を挫くようなことばかり言っていた。

 俺にとっては、自分が不細工で無能で、誰からも、特に女から相手にされないこと自体が問題なのであり、そんな俺を大事とか言ってくる男がいても、まったく有難みはないという話。結局、俺を傍において優越感に浸りたいだけの森尾にとっては、俺が不細工で無能で人望もない、何の取り柄もない男のままであった方が都合が良かったのだ。

――この前、みんなと飲み会に行ったとき、もしお前がこの先、通り魔殺人でも起こしそうになったら、誰が止めるんだ?って話になったんだ。そのとき、みんなは口を揃えてこう言ったよ。青木を止めるのは、森尾さんしかいないとな。

 自分が犯罪者予備軍との自覚があっても、それを人に言われていい気分になる人間など、一人もいない。森尾の目的はただ、無能で不細工な犯罪者予備軍である俺の面倒を見ている自分自身に酔いたかっただけだが、タチの悪いことに、本人にはその自覚がまったくなかった。

 すべて俺のために、良かれと思って言ってやっているつもりだから、俺が期待した通りのリアクションを見せないと、プライドを傷つけられ、不満を抱いてしまう。しかし、その不満こそが、自分が人のために何かしようとするタイプの人間ではなく、自分のために人に何かをしようとする人間だという証明である。

 激しいジレンマを解消するために、ますます俺に付き纏い、ますます強烈なジレンマに襲われていく。俺にとってはとんでもなくはた迷惑な悪循環に、森尾は陥っていた。

――お前、宮田さんと二人で飯を食いに行ったとき、昔、自分をバカにしたヤツが、今じゃ正社員で働いて、彼女もいて幸せそうでムカつくとか言ってたらしいな。お前は俺があれほど、他人を嫉んだり、憎んだりしてもいいことはないと言ったのに、まだわからないのか?昔、お前に酷いことを言ったヤツもいたかもしれないが、そいつのお陰でそこを辞められ、今の会社に流れ着き、俺に出会えた。あー良かったな。そうやって、人間万事塞翁が馬という風に考えれば、人生は幸せなんだと、何度言えばわかるんだ?

 他人を嫉むなと言いながら、森尾は俺がほかの仲間とプライベートを共にしたり、もっといい条件の仕事に移りたいとか、彼女を欲しているとか、今以上の幸せを望んでいるようなことを言うと、烈火のごとく怒り狂った。一度森尾の逆鱗に触れると、棒のふり幅が小さいとか、声が出ていないとか、些細なことで難癖をつけられ、二時間以上も説教されるのはザラで、反省文の提出を要求されたこともあった。

――今のお前にとって、本当に必要なのはなんだ?彼女を望むのもいいし、正社員になりたいと思うのもいい。だが、その前に、お前にはやるべきことがあるんじゃないのか?お前にそれを教えてくれるのは誰だ?お前を導いてくれるのは誰だ?お前が見つめるべき人は誰だ?

 弟子の指導を大義名分に、無茶苦茶に怒鳴り散らし、俺が委縮したところで、ふいに優しげな――冷静に聞けば、かなり独りよがりな――言葉をかけることにより、自分が俺にとって必要な存在だと思い込ませる。そんな形で、森尾は俺を一種の洗脳にかけようとしていた。

――さっきは怖かったかもしれないが、俺はお前のことを、誰より大切に考えているぞ。お前は俺を尊敬しているんだよな。お前は俺に憧れ、俺を目指しているんだよな。お前は俺と、一生一緒にいたいと思ってるんだよな。

 俺が自分を尊敬し、憧れ、目指しているという確信があるのなら、わざわざそれを尋ねて、確認を取ったりはしない。不安に苛まれて、俺が自分を慕っていることを確かめようとするが、無理やり言わせるだけでは不安は晴れない。

 はた迷惑な悪循環。まったく進歩の見えない無限ループが、俺が警備会社を辞めるまで続けられた。

 森尾は哀れであり、愚かであり、滑稽な男ではあったが、根っからの悪人というわけではなかった。森尾があそこまで俺に付きまとったのは、俺を騙して、利益を得ようとしていたからではない。

 ただ、誰かに愛され、必要とされたい。森尾はただそれだけのために、四年間もの間、俺に無益なストーカー紛いの行為を繰り返していたのだ。

 森尾が見ているのは、誰よりも可愛い自分自身のみ。ただ自己肯定の材料とするために、自分より何もかもが劣った俺を利用しようとしていただけに過ぎない。

 森尾の吐くキレイゴトのすべては、俺の成長や、幸せのためを思ってではなく、自分が気持ちよくなるため――それがなってない俺を見下し、優越感に浸るだけの目的で発せられたものだということはわかりきっている。

 しかし――。

――いいか。人を嫉んだり、人を憎んだりしても、いいことなんて何もないぞ。すべて自分のせいだと受け止められる謙虚な心を持ち、愚痴をこぼしたりしなければ、お前はきっと幸せになれるんだからな。

 俺が警備員を辞め、森尾から離れて以降の人生で、幸せになるどころか、坂道を転げ落ちるように、状況がどんどん悪化していくだけだったという事実が、俺の中に残る森尾の言葉に真実味を持たせた。

 見渡す限りオッサンばかりの楽園から、狂おしい生物に囲まれる地獄に放り込まれ、手を伸ばせば届くはずのそれに、どうしても触れられない煩悶に喘ぐ中で――俺がどんなにしても手に入れられない女を、当たり前のように持っている男への嫉妬の炎に焼かれる苦しみの中で、森尾の言葉が蘇り、不気味に色濃さを増していった。

 やはり、森尾に付いていくのが正解だったのではないか・・・。森尾の言っていたことの方が正しいのではないか・・・。そう思わせることに繋がった。

 たとえこっ酷くフラれたのであろうが、自分の恋した女の幸せを祈るのが、男として正しい姿だ。酷いことを言われたのも、やっぱりお前の方に原因があったんじゃないのか。お前が我慢すればいいだけだ。友麻にコケにされ、藤井と差別された俺に、森尾がそう言っている気がした。

「人を嫉まず、人を憎まず、謙虚であり、愚痴をこぼさない。大変結構なことではあるが、それを人を見下す材料にしたら、ただの偽善になってしまう。そもそも人格などというものは、財力、見た目、才能が、他人に認められた結果ついてくるものであり、何もない人間が、それを誇りにするためにあるものではない」

 影沼の言葉が、強い力を持って、俺の中に巣食う森尾に吹きつける。しかし、四年の月日をかけて植え付けられ、ずっと俺を苛み続けてきた重しは、そう簡単に吹き飛ぶものではない。

「だけどさぁ。そんな人間だから、人生うまくいかないんだろ、て言われたらどうすんの?人を嫉んで、憎んで、他人のせいにして、愚痴ばっか吐いているから、お前は底辺なんだって・・」

 俺が、ずっと言われてきたこと。別に直接言われたわけじゃなくても、常に誰かに、言われているように感じてきたこと。そいつを、影沼の力強い言葉で吹っ飛ばしてほしい。

「それは、鶏と卵が逆になっている。因果関係を逆転させて、不満の矛先を自分たちに向けさせないようにするための方便だ」

 そんなんだからダメなんだ、ではなく、ダメだからそうなったんだ。俺がずっと思ってて、言えなかったこと。俺がダメである理由、俺が報われない理由を列挙するばかりで、肝心のチャンスを一度も与えてくれなかった世の中に――女たちに、俺がずっと言いたかったこと。しかし、奴らの言うことにも一理ある。

「だけど、やっぱり、人を嫉んだり、憎んだりしても苦しいだけだし、誰かのせいにしたり、愚痴をこぼしたりしたら、周りの人は嫌な思いをするだろ。やっぱり、人を嫉まず、憎まず、すべて自分のせいだと思って、愚痴をこぼさずにいた方が、幸せになれるんじゃ・・」

「なれない!青木っちみたいな不細工で、何の取り柄もない無能は、人を嫉まず、憎まず、自分のせいだと思って、愚痴を吐かずにいても、けして幸せにはなれない!一生涯、貧乏から抜け出せない!」

 影沼が言っているのは俺の資質の否定だが、しかし、どういうわけか、ちっとも嫌な気はしなかった。それは、俺が幸せになるための方法論を、さっきから影沼が明示しているから。

 俺が幸せになるための、唯一の方法――。影沼と一緒に、ココロキレイマンを打ち倒す、正義の戦士となること――。

「その・・ココロキレイマンってのは、説教する奴らってこと?」

 自分の進むべき道が本当に正しいのか確かめるために、ココロキレイマンについて、もっと詳しくなっておかなければならない。俺はこれから倒すべき敵、ココロキレイマンの実態を解明すべく、影沼に教授を仰ぐことにした。

「ココロキレイマンとは、世の中で正しいとされる価値観そのもの。それは青木っちの中にもいるし、藤井ちゃんや友麻の中にもいる。文明社会の中に生きる者なら誰しもが持っている、概念的なものと捉えてくれればいい」

 誰しもが持っている概念的なもの――しかし、それを信じて幸せになれる人間と、なれない人間とがいる。ココロキレイマンを信じていてもけして幸せになれない人間。それをこれから救うのだと、影沼は言っている。

「実体のないものを相手に戦うってことか?なんか、大変そうだな」

「大変だが、その手段はシンプルだ。具体的に、ココロキレイマンを打ち倒すための方法は、”抵抗” ”説得” ”証明”この三つに分けられる。”抵抗”とは、負け組にココロキレイマンになることを強制してくる人間、すなわち、後ろめたいことのある勝ち組を、力ずくで駆除すること。”説得”とは、ココロキレイマンに毒されてしまった人を、文字通り口頭で説得し、彼らの中のココロキレイマンを追い払ってあげること。”証明”とは、ココロキレイマンにでない自分が、実際に幸せになっている姿を見せつけることにより、本当に正しいのはこちらであるのを、みんなにわからせること。それを繰り返すことにより、この底辺世界からココロキレイマンを駆逐するのが、俺たちの活動の最終的な目的だ」

「・・・藤井と友麻を殺したのは、”抵抗”?」

「そうだ。藤井ちゃんと友麻は、青木っちに、自分たちを嫉まず憎まない、ココロキレイマンとなることを強制しようとしてきた。あと一歩のところで、ココロキレイマンになってしまうところだった青木っちを救済して俺のパートナーにするのと、奴らが放つ本物の輝きを消し去り、あの職場に隠れているココロキレイマンをいぶり出すために、俺はあの二人を殺すことを決めた」

 影沼の言う通りだった。

 俺が今の工場に留まるには、自分をボロクソに侮辱してきた女がイケメンと付き合う幸せを笑顔で祝福できる、ココロキレイマンになるしかなかった。大切にできるものが何もない俺が、友麻にゴミのように扱われた理不尽を納得するには、人間の女という生き物を無条件に労われる、ココロキレイマンになるしかなかった。

 女を無条件に労われなど、ふざけるのもほどがある。大人の女とは、子供や動物のような、無償の愛を注げる対象ではない。異性への思いは、受け入れられて初めて愛になるものだ。理不尽に踏みにじられたりしたら、憎悪に変わってしまうこともある。

 男女平等を叫びながら、一方で女は保護されるべき対象だと主張し、女は男に何を言っても許されると思い込むなど、けして許されるものではない。そして同じく、もっといい女をいくらでも抱けるくせに、本来、俺のような貧乏、不細工、無能に希望を与えなければならないはずのブスを持っていった藤井の節操なしも、けして許されるものではない。

 しかし、世間はそれを、逆恨みという。そいつを打ち破いてくれる理屈を、俺は欲している。

「だけどさぁ。藤井と友麻だって派遣だろ。上のヤツから見たら同じ穴の貉じゃん。弱い者が弱い者同士でつぶし合うってのは、正義の味方がやることじゃないんじゃない?ココロキレイマンになることを強制してくる人間を倒すなら、それこそ、格差社会を作り出してる政治家とかをやっつけた方がいいんじゃ・・」

「俺たちが救済しなければならないのは、ココロキレイマンではけして幸せにはなれない、世の中の貧乏、不細工、無能たちだ。これに一点でも当てはまらない者は、たとえ雇用形態が非正規であっても、救済の対象からは除外される」

「俺と藤井、友麻が同じ穴の貉なんじゃなくて、政治家と藤井、友麻が、同じ敵ってこと?」

「胸に手を当てて考えてみろ。政治家と藤井ちゃんとの差と、イケメンで、彼女がいてセックスやり放題な藤井ちゃんと、女に馬鹿にされ、部屋でマス掻いてばかりの青木っちとの差。どっちが大きい?」

 どこからどう考えても、俺と藤井との差の方が大きいとしか思えず、苦笑が漏れた。藤井が自分より政治家を憎めというのは、泥棒が人殺しを指さして、あいつを先に捕まえろというのに等しい。

「もちろん、大局的な見方も大切だが、一足飛びに大きな敵を狙ったところで、敢え無く潰されるだけだ。そもそも、今まさに拳銃を突き付けてくる相手を取り除かなければ、それを操る大敵を倒すこともできない。青木っちは藤井と友麻のラブラブを見せつけられ、ココロキレイマンに支配される寸前だった。死よりも辛いその運命に、全力で抗ったまでのことだ」

 俺の投げかけた疑問を、影沼は淀みない口調で、あっさりと論破してみせる。影沼の言っていることは至極もっともであり、反論の余地もない。少なくとも俺にとっては、圧倒的に正しいと思えることである。

 非正規社員、年収二百万以下。そこから抜け出したくて抜け出せない人間の苦痛を、ココロがキレイでなくてはいけないという強迫観念が助長していると主張する男が、俺に光を示そうとしている。

 自分に好意を持った貧乏、不細工、無能をコケにしまくって、己の穴ぼこだらけの自尊心の補修を図ろうとする、しもぶくれでビーバーみたいな顔をした友麻。ほかにもっといい女をいくらでも抱けるくせに、わざわざしもぶくれでビーバーみたいな顔をした女に手を出して、貧乏、不細工、無能のささやかな希望を搔っ攫っていった、節操なしの藤井。

 藤井と友麻を殺さなかったら、俺と同じように心を傷つけられ、ココロキレイマンとなることを強制される貧乏、不細工、無能が、もっと大勢出ただろう。俺と影沼は、その身を犠牲にして、貧乏、不細工、無能を、ココロキレイマンの毒で染めようとする悪を、この底辺世界から追い出したのだ。

 法では罰せない奴らを成敗してやったのは、正義の行いだったのだと主張する男が、俺に今まで見たことのない景色を見せようとしている。

「本物の輝きの前では、紛いものは息を潜めているしかない。けして真似できない相手がいる前で自己主張などしても、惨めになるだけだからな。だが、本物は消え去った。みていろ。藤井ちゃんと友麻が消えたあの職場から、これからココロキレイマンが、雨後の筍のように湧き出てくるはずだ。そいつらを、これから一人ひとり、叩き潰していくんだ」

 影沼の力強い言葉が、もう、思い出せないほど昔――人生が地獄でしかなくなる前に、俺が思い描いていた夢想を呼び覚ましていく。まだ、ちんぽが精力を持っていない、純真だったころの俺を蘇らせていく。

 みんなの憧れの、正義のヒーローになりたい。底辺世界にいる貧乏、不細工、無能を苦しめるココロキレイマンを一人残らず取り除き、みんなを幸せにしてやりたい。男として生まれたからには、価値のある、でっかいことがしてみたい。

 でも――。

「世のため、人のためだけじゃ動けない。あんた、ココロキレイマンをやっつけるには、自分が幸せになってるところを見せつける方法もあるっていったよな。俺はこれから、幸せになれるのか?あんたについていけば、幸せになれるのか?」

「なれるとも。人を嫉み、憎み、謙虚でなく傲慢で、愚痴をこぼしながらでも、人はいくらでも幸せになれる。むしろそうでなくては、底辺世界の住人はけして幸せになれない」

「具体的に、どうすりゃいいんだ?」

「簡単なことさ。どうせ誰にも期待されていない負け組なんだから、本音で生きろ。自由に生きろ。ココロキレイマンの信じる方角とは、逆に向かって歩め。その先に道は拓ける。俺が青木っちを案内してやる」

 俺は拳を、力強く握りしめた。

 社会の常識を逸脱し、理解不能の妄言を並べる人間に出会ったとき、ほとんどの人間は、目を背け、耳を閉じて、自分の中で、なかったことにしようとする。

 だが、俺は敢えて、向き合ってみようと思った。

 これまで、右へ倣えでやってきたが、にっちもさっちもいかなかった。でも、影沼が藤井を殺し、俺が友麻を犯して、影沼が友麻を殺したとき、俺はスッキリした。

 普通にやってちゃ、どうしても幸せになれないヤツもいる。ありきたりなことばかり言っている奴らより、コイツの言うことを聞いていた方が、まだマシになれる気がした。

 ココロキレイマン――後ろめたい勝ち組が、負け組を納得させるために作り出したそいつを、これからぶっ倒す。貧乏で不細工で無能なくせに、ココロキレイマンを信じているせいで苦しんでいる奴らを解放し、底辺世界に平和をもたらしてやる。

 自分のやるべきことがわかると――それが正義の行いであることがわかると、腹の底から、熱いものが湧き上がってくる。

「青木っちは、何かやりたいこととか、夢はあるのか?」

「いや。小学校高学年から、夢なんてもんは、一度も持ったことはない」

「就職活動は?」

「まぁ、ぼちぼちにとは考えてるけど、今すぐに動くってことはないよ」

「だったら、暫くの間、俺と一緒に、ココロキレイマンを打ち倒す、正義の戦士としての活動をしてみよう。いいじゃないか、減るもんじゃない」

「だけど、俺なんかにできるかどうか・・・」

「できる!きっとできるさ。嫉妬と憎悪の塊で、自己中で我儘で甘ったれで、異常な性欲の強さと歪んだ性癖を持ち、まるでヘドロみたいな、いや、ほとんどヘドロそのもののような青木っちなら、きっと、底辺世界を汚染するココロキレイマンを打ち倒し、貧乏で不細工で無能な人間が、せめて気楽に生きられるよう、底辺世界を変えられるさ」

 俺の人格をメタメタに非難する影沼の言葉を聞いて、腹の底から湧き上がってきた力が、全身に漲っていくのを感じる。

 ずっと、誰かに愛され、必要とされたかった。しかし、その相手は、世の中で値打ちのある人間、値打ちのある組織でなければ意味がなかった。

 俺の現在の立場は、安価で、いくらでも代えの利く、非正規の派遣労働者。その敗残者の中でさえ争いに負け、ゴミ捨て場の中の掃き溜めに掃き寄せられた「非リア」「陰キャ」。

 だからこそ、できることがあるのだと、目の前の男は言っている。

「やってやる。俺が底辺世界から、ココロキレイマンをなくしてやる」

 俺がこれからすることは、履歴書に書けるようなことではない。世間一般から、すごいこと、立派なことだと評価されることはない。

 しかし、俺がこれからやることは、圧倒的に正しく、何より楽しいことだ。まだ、ガイドラインを聞いたに過ぎない段階だが、この影沼という男に付いていけば、これからの俺の生活が最高に充実したものになるであろうことに、揺るぎない確信が生まれていた。

「自分のやるべきことがわかったのなら、さっさと後片付けして、明日から始まるココロキレイマンとの戦いに備え、家に帰ってゆっくり休もう。我々にとって幸いなことに、この産廃置き場は、違法に投棄された薬品が化学反応を起こし、いつ火災が発生してもおかしくない状況にある。よく、地元のワルどもがヤバい物を捨てに来るのに使われているようだから、身元不明の焼死体が二つ転がっていても、警察はそいつらの同類と判断して、真剣に調べたりはしないはずだ。顔もわからないほどまっ黒焦げにすれば、けして捕まることはない・・」

 もし捕まったとして、それが何だというのだろう。もともと俺は影沼がいなくとも、藤井と友麻を殺して、人生にケリをつけるつもりだったのだ。

 衝撃的な男が、俺の背中を押し、やりたかったことをやらせてくれた。

 塀の中にいるのと何ら変わりなかった暮らしが激変していく。

 影沼と、一緒なら――。

「キャアァンプ、ファイヤー!!グッバイ、ココロキレイマン!グッバイ、クソだった人生!」

 紅蓮の炎に焼かれるカローラを背に、俺は影沼を後ろに乗せた自転車で、山道を駆け下りていった。 


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「あ~あ。友麻ちゃん辞めちゃったよぉ。ダメじゃないか青木っち~、LINEをブロックされてるのに、しつっこくメールを送ったり、電話かけたりして付き纏っちゃあ。しかも、友麻ちゃんの画像でオナニーして、出した精子を、友麻ちゃんのロッカーの取っ手に塗りたくったりしてたんだってぇ?そんなストーカーしてたら、そりゃ怖くて逃げだすさぁ」

 藤井と友麻を殺害した翌日、十分間の休憩時間に、影沼が事実無根の情報を、みんなに聞こえるような大きな声で並べ立てた。

 昼休憩になると、俺は遠慮がちに後をついてくる竹山を振り切って、影沼と二人で食堂に席を取り、目を見合わせてニヤリと笑った。
 
「これでよし。あれであのフロアの連中は、青木っちのことを、最低の、どうしようもない変態クソ野郎だと思っただろう。そんなヤツが、これからここで幸せを手に入れる。ココロキレイマンじゃない方が幸せになれると”証明”してみせるんだ。痛快じゃないか」

 影沼の言葉に頷いた。だが、正直まだ、影沼を信じ切れていない部分もあった。

 ココロキレイマンじゃない方が幸せであることを証明するために、まず、自分のココロが汚いことを、みんなに大々的にアピールする。理屈はわかるが、リスクはでかい。これで本当に幸せになれなければ、俺はただの変態ストーカー野郎として終わってしまう。

 しかし、やるしかない。まともなやり方じゃ何べんやってもうまくいかなかった俺が、唯一幸せになる道が、ココロキレイマンをぶっ倒すことなのだ。

「ココロが汚いとわかった青木っちの元には、これから、自分がココロがキレイな正しい人間であることを証明したいココロキレイマンたちが、群れをなして襲い掛かってくるだろう。青木っちに説教をしてくる彼らを、逆に”説得”するんだ。最初は、俺がお手本を見せるから、青木っちは黙って見ていてくれ」

 影沼の予言は、すぐさま的中した。俺と影沼の食事が終わったころ、昨日までの「ランチメイト」田辺が、眉間にしわを寄せながら、俺に苦言を呈しに来たのである。

「青木くんさぁ、十分休憩の時間、話聞いてたけどさ、職場恋愛はご法度でしょ。石田さんだって、そりゃ迷惑したと思うよ。君は何しにここに来てるんだよ。自分のやるべきことをよく考えろよ。そんな浮ついた気分で仕事してたんじゃ、いい製品なんか出せないだろ」

「おい青木っち。トイレに行こう」

 まだ言い足りなそうな田辺を置いて、俺は食器の載ったトレーを下げ、影沼の後についてトイレに入った。

「あれはココロキレイマンの一種、シゴトスウコウマンだ」

「シゴトスウコウマン?」

 放尿しながら、俺は耳慣れない単語に首をひねった。

「生きるために働くのではなく、自分は働くために生きているのだと主張する人々。職業に貴賎なしを建前に、時給なんぼの仕事を、あたかも、世間から仰ぎ見られるような仕事であるかのように語り、仕事へのモチベーションが低い人を見下して喜んでいる人種だ」

 シゴトスウコウマン。影沼が述べた田辺の人物評は、ピタリと当てはまっていた。

「シゴトスウコウマンのほとんどは口ばかりで、中身が伴っていない。たまに行動に移しても、それはほとんどの場合、自分を過度にアピールするために出た余計な動きで、むしろ上を困らせていることの方が多い」

 またしても、影沼の言う通りだった。

 今日、田辺が、俺と影沼が食事を終えたころにようやく食堂にやってきたのも、休み時間を潰して仕事をやっていたからである。それで田辺が社員に評価されているかといったらまったくの反対で、社員の目の届かない時間に勝手なことをされるので迷惑がられているだけなのだが、本人にはその自覚がまったくなく、あくまで自分の行いは、会社のためになっていると思い込んでいるようだった。

 仕事に誇りを持つのは尊いことである。しかし、非正規の単純労働の世界でそれをやっても、ほとんどの場合、自分が向上することには繋がらず、人を見下すことにしか使えない。

 シゴトスウコウマン。藤井や友麻のような奴らに傷つけられた俺に、塩を摺り込んできた連中。自分こそ、藤井や友麻のような奴らに馬鹿にされているくせに、敵意を勝ち組に向けるのではなく、同じ負け組の頭を抑え付けて満足しようとするくだらない奴ら。俺がずっと苛立ってきた連中。殺したいほどではないが、ボコボコにはしたかった連中。

「彼らには決まって、なにか切羽詰まった事情がある。あの人、趣味はなにか知ってる?」

「う~ん・・趣味っていえるのかわからないけど、パチンコの話はよくしてるね。勝ったときしか話さないから儲けてるみたいに聞こえるけど、それで旅行に行ったとか、キャバで豪遊したみたいな景気のいい話は聞かないから、結局は軍資金に消えて、トータルじゃ赤字になってるんだろうな」

「収入の少ない者ほど、なぜか遊興費の支出が多い。働いてもお金が貯まらず、まとまった休みも取れないから、正社員で働く意思はあるのに就職活動を行う余裕がない。仕方なく、いま自分のやっている仕事を、自分が本当に就きたい仕事と同等に崇高なものだと思い込み、周囲にもそう思わせようとしている。よくありがちなパターンだ。行くぞ」

 反撃の狼煙が上がった。トイレから出ると、俺は影沼と一緒に食堂へと戻り、田辺の隣の席に腰を下ろした。

「あ。青木くん。さっきの話の続きだけどさ。そもそも職場ってのは、戦場みたいなもんだろ。戦場に女は連れて行かないのと同じように、職場で女の尻を追いかけまわすのも、緊張感の緩むもとになるから、それは慎むべきだよ。だから・・」

 俺を見つけるや、田辺の舌がフルスロットルで回転し始めた。ココロキレイマンに支配された人間にとって、自分より劣った人間、何かやらかした人間は、一流ホテルのディナーにも勝る馳走なのである。

「四十三歳。職業、派遣社員。年収二百万円。趣味、パチンコ・スロット。結婚歴なし、彼女なし」

 影沼が述べた事実の羅列に、田辺が絶句した。

「なん、なん、なん・・・・」

 何も言い返せないでいる田辺を置いて、俺と影沼は席を立った。

 ぐうの音も出ない、事実の羅列。影沼の”説得”は、ただそれだけで終わった。

「今ので、いいのか?」

 正直、意外だった。影沼が、田辺の説教を一言一言論破し、こちらの自論をズバズバと展開していくのを想像していた俺には、影沼の対応は、物足りなさすら感じた。

 しかし、田辺に与えたダメージは、それこそ百万語を並べ立てるよりも甚大だった。そのことが、驚きだった。

「自分が彼らにやられてきたことを考えろ。人は自分が正しいと思っていることを頭ごなしに否定されると、かえって頑なになってしまう生き物だ。ムキになって言い返しても、水掛け論になるだけ。だから、ただ事実を伝えるだけでいい。人を嫉まず、憎まず、謙虚で愚痴をこぼさない。それが正しいと思い、人にもそれを押し付けようとしているようですが、それで何か得られましたか?バカでなければ考えるだろう。貧乏で不細工で無能な者が、己の人格なんかを誇りにし、他人に偉そうにしても、得るものは虚しさだけではないだろうか。”清貧”なんか目指すのはやめて、もっと本音を出して、自由に、気楽に生きた方がいいんじゃないか・・と、まぁ、こんな具合さ」

 影沼の言葉を聞いて、俺は自分を深く恥じ入った。

 ただ、うっとおしい説教オヤジをギタギタにしたかっただけの俺と違い、影沼は、本気でココロキレイマンを、底辺世界から追い出したいと思っている。ただの私怨ではなく、使命感によって動いている。

 ベストな手段とは、いつだってシンプルである。無駄を省き、洗練され研ぎ澄まされた言葉ほど、効果は絶大となる。きっと影沼は、これまで幾度もの挫折を経て、「事実の羅列」という結論に至ったのだろう。俺が無駄な人生を過ごしている間、影沼はずっと、正義のための活動に邁進してきたのだ。

 影沼の、殺人すら正当化できるほどの強い使命感は、一体どこから来るのだろうか。影沼は、なぜそれほどまでにココロキレイマンを憎むのか。今度、酒でも飲んだときに聞こうと思った。

「絶対に言ってはいけないのが、自分はそうしている。お前もそうしろ。それを言った時点で、こいつは他人を思っているのではなく、ただ自分が気持ちよくなりたいだけだ、と、相手に思われてしまう。”説得”と、ただの説教との間には、天地の差があると覚えておけ」

 影沼に言われたことを、俺はしっかりと胸に刻んだ。

 底辺世界にありがちな、師匠の押し売りというパターンではない。生まれて初めて、俺自身が必要を感じ、誰かに教えを乞いたいと思った。学生時代にも、こんなことはなかった。

 俺も影沼のような、私怨ではなく使命感に突き動かされる、正義の戦士になりたい。クソだった人生とオサラバするために、俺は影沼の弟子になろうと決めた。


                            8

 

「え~、藤井くん、辞めちゃったのぉ?」

「なんか、会社に連絡もなく、いなくなっちゃったんだって」

「ショック~。いるだけで目の保養になったのに・・・」

「あの、仲の良かった同じ派遣の女の子と、別のところに行ったのかしら・・・」

 藤井が工場から去って数日が経つと、社員のご婦人方が、藤井のことをひそひそと噂し合うようになった。それと同時に、俺と影沼のアンテナに引っ掛かる「ココロキレイマン」の数も増えていった。

 本物の輝きが消え、紛い物が雨後の筍のように姿を現す――影沼の予言が、見事に的中したのである。

「青木くん、君はとんでもないことをしてくれたな。藤井くんと石田さんは、この職場で出会った大切な仲間だろう?たとえ君が侮辱を受けたのだとしても、カップルが成立したのなら、その幸せを祈るのが、男として正しい道じゃないか。それなのに、君は邪な嫉妬を抱き、彼らに嫌がらせをして、彼らを追い出した。けして許されないことだぞ」

 ある日の勤務終了後、駐輪場で俺に絡んできたのは、藤井や友麻と親しくし、彼らとともに食事に出かけることもあった、三十八歳の男性派遣社員、矢島である。

 矢島は「リア充」グループの一人ではあったが、俺が彼を羨ましいと思ったことはなかった。それは矢島が貧乏で無能、そして、でかい鼻にでかい耳、糸のように細い目、ぽっこりと突き出たお腹の、俺と同じ不細工男だからである。

 仮に女を持っていたとしても、同じ不細工であれば嫉妬はしない。単純な話で、俺にもいつかは回ってくると思えるからだ。俺が許せないのは、あくまで、もっといい女をいくらでも抱けるイケメンであるくせに、俺の獲物であるブスとババアに手を出してくる節操なしである。

 貧乏、不細工、無能。これに一点でも該当しない者は、救済の対象とはならない。同じ非正規の派遣労働者でも、彼らは底辺ではない。彼らに、ココロキレイマンとなることを強制された場合は、全力で”抵抗”し、緊急性が高い場合には、殺害することも厭わない――。

「これは、ココロキレイマンの一種、キズナダイジマンだ。知り合ってから一年も経ってないような職場の人間関係を、あたかも、長年連れ添った戦友かのように持ち上げ、それをあまり重視していない人を見下してくる人種だ。青木っち、俺がこの前言ったように、彼に事実を伝えてみろ」

 矢島が舌鋒鋭く俺を糾弾する前で、影沼が俺に耳打ちした。
 
 キズナダイジマン。藤井や友麻のような奴らに傷つけられた俺に、塩を擦り込んできた連中。自分こそ、藤井や友麻のような奴らに馬鹿にされているくせに、敵意を勝ち組に向けるのではなく、同じ負け組の頭を抑え付けて満足しようとするくだらない奴ら。俺がずっと苛立ってきた連中。殺したいほどではないが、ボコボコにはしたかった連中。

「派遣社員。年収二百万。三十八歳。結婚歴なし、彼女なし」

「な?何?何・・なんだよっ。派遣が仲間との絆を大切にすることが、そんなにおかしいか?そ、そもそも、君は石田さんをデートに誘う前に、脈があると思ったのか?興味のない男からデートに誘われて、石田さんも怖かったんじゃないのか。そういうのは和を乱すもとになるんだから、もっと慎重にしろよ」

 絶句するだけだった田辺と違い、矢島は懸命に言い返してきたが、その声音は震えていた。

 キズナダイジマン。影沼の言っていることは、矢島の人物像とピッタリ一致しているが、付け加えるのを忘れてはならないのは、彼らはさも絆が大事かのように言っているが、彼らが本当に周囲の人間から慕われているかといったら、それは大間違いであるということだ。むしろ、説教くさく、何かと余計な世話を焼きたがる彼らは、自分が大事だと思っている連中から、反対にウザがられている場合が多い。

 どれだけ絆が大事と口にしていても、それは周りから慕われることではなく、絆を重視していない人間を見下す目的にしか使えない。おそらく矢島の動揺は、自分が藤井や友麻、あるいは満智子から、本当は厄介者扱いされていた自覚から来るものであろう。そして俺は、矢島が内心、後ろめたく思っていることがもう一つあるのを知っている。

「職場の人間関係、仲間同士の和が大切であることに異論はない。しかし、それをチャレンジしない言い訳にしてどうする。あんたも藤井が来る前まで、ずっと友麻のことを狙っていたんだろ。なんであんた、友麻に一度もアタックしなかったんだよ」

 痛いところを突かれた矢島が、狼狽し目線を泳がせた。

 矢島が友麻のことが好きだったのを、俺がなぜ知っているかといえば、それは本人が直接、俺に言ってきたからである。

 藤井と友麻が親密な仲となったのがわかってから、矢島は、それまで、特に交流の無かった俺をわざわざファミレスに呼び出し、「俺も君と同じように友麻ちゃんが好きだった、でもこうなったからには、好きになった女の幸せを素直に祝福し、二人の交際を暖かく見守ろうじゃないか」などといったことを、俺に熱い眼差しを向けながら語ってきた。

 矢島がまんこにむしゃぶりつきたい友麻。友麻がちんぽをしゃぶりたくてやまない藤井。その二人と、敢えて仲良くする。

 矢島はそれにより、二人に対し、嫉妬という邪な感情を抱かず、素直に仲間の幸せを祝福できるキレイなココロを持った己を俺に見せつけ、得意げになりたかったのだろう。そして、それができない俺をいつか、こうして糾弾するつもりだったのだ。

「そ、そりゃお前、俺じゃ友麻ちゃんを、幸せにはできねえと思ったからだろうが・・。好きでもない相手から告白されたり、二人きりで食事になんか誘われたら、むこうは迷惑に思うだけだろ。相手が自分に興味がないのを察したら、黙って引くのが、大人の男ってもんだろうよ・・・」

 正社員ならともかく、失うものが何もない非正規の派遣社員が、我慢だとか、引くとかいう判断を誇りにしている。まことに滑稽であり、無益な話である。

「人の幸せを祈ってる間に、あんたは何人の女とヤッたんだって話だよ。自分のエゴを押し込めたって、何にも守れてないじゃねえか。あんたが俺に勝っているのは、ただ人に迷惑をかけていない、それだけのことだ。さっきも言ってやったろうが。 派遣社員。年収二百万。三十八歳。結婚歴なし、彼女なし。それが現実なんだよ」

「なん、なん、なん・・・・」

「大体、その脈がないってのは、なんでわかったんだ?本人に直接聞いたのか?仲間の和とか、人間関係が大事とかいえば聞こえはいいが、結局あんたは、挑戦してコケた俺をあざ笑うことで、自分が臆病で、まったく動かないでいることに意味を持たせようとしているだけじゃないのか?」

 ただ、事実を伝えるだけでいい。わかってはいるつもりだったが、抑えられなかった。俺が、この職場で唯一価値があると思っていたもの――友麻が絡んでいると、ついムキになってしまう。

「青木っち。その辺にしておこう」

 影沼に肩をつかまれ、俺はまだ何か言いたげな矢島を置いて、自転車に乗った。

「悲しいことだ。彼らは、負け組であることそれ自体を、恥ずかしいことだと思っている。自分は負け組ではない、それを証明する材料をかき集めることだけに必死になっている。自分はけして負けていないと思い込んでいれば、底辺から這い上がろうとする気が起こらないのも当然だ」

 帰りに寄った公園で、コンビニで買った焼き鳥を頬張りながら、影沼が言った。影沼の言葉に、俺は二度、三度と頷いた。

 なぜ、無理をしてまで、自分を満ち足りた人間だと思い込もうとするのだろう。

 たしかに食うには困らない。しかし、ガマの油を搾るように、生きぬよう死なぬよう、真綿でじわじわと首を絞められる生き地獄を味わっているではないか。仕事は将来の蓄積にならない単純労働で、女とセックスすることもできていないではないか。

 辛い、苦しい。

 寂しい。

 タスケテ。

 ちょっとでいいから、僕に分けて。

 キレイゴトで誤魔化さないで。

 具体的なノウハウを教えて。

 なぜそれを、大声で叫ぼうとしないのか?自分がちっとも幸せじゃないのに、他人の幸せを祈っているなど、嘘を吐いて自分を慰めようとする?弱音を吐くのを恥だと思い込み、無駄な男らしさなどを見せて、痩せ我慢をしようとする?

 自分の中に巣食うココロキレイマンを一掃しなければ、底辺世界に生きる貧乏、不細工、無能は、底辺から抜け出す一歩を踏み出すことすらできない。そのことを、ココロキレイマンに支配された他人を客観的に眺めることで、初めて理解した。

「・・・少し前の俺も、同じだった。なにもかもが俺より劣った竹山を傍に置いて、ヤツに偉そうにすることで、自分の存在意義を確認していた」

「それでも、青木っちはまだ、友麻にアタックして、現状を打破しようとしたじゃないか。たまたま、偉大なチャレンジャーを侮辱し、チャレンジすること自体が悪、というような酷い対応をする女に当たったのが不運だっただけだ。そいつに対して、ケジメはつけた。次に向かって、気持ちを切り替えられただろう」

 そうだった。俺はあのままでは、気持ちの切り替えもできない状態だった。

 キッパリ断ることと、相手を不必要に傷つけることは、まったく違う。先に因果を含めてきたのは、あなたとお付き合いすることはできません、それだけのことを伝える以外の、余計なことをしてきたあの女だった。

 復讐――マイナスをゼロにする行為は済んだ。再びチャレンジする態勢は整った。

「負けるのが恥なんじゃない。負けたままでいるのが恥なんだ。いずれ勝つためには、まず、自分が負け組であることを自覚しなければどうしようもないんだ」

 自分の立場を、客観的に理解する。すると、自分がけして、何も抗う術を持たない社会的な弱者などではないことが見えてくる。

 底辺世界にいる負け組。失うものは何もない。だからこそ、何も恐れず前に進める。考えてみれば、これほどの強みはないではないか。

 派遣社員、年収二百万、彼女なし。それは情けないのではなく、この世で最強なのだと理解する。そこから、一歩が始まる。

「俺はっ、女が欲しいっ。何よりもまず、女が欲しい。女とヤレなければ、正社員になるどころじゃねぇっ。チャランポランなのに彼女がいるヤツはいくらでもいるのに、俺だけが、彼女を作るためにちゃんとしなきゃならねえなんて、納得できねえっ。俺にも彼女はいていい。俺も、女とヤレていいっ」

 迸るような、思いの発露だった。

 頑張る前に、まず、誰かに愛され、必要とされたい。誰かに言えば、彼女が欲しいのならちゃんとしろ、とか言われると思って飲み込んできた言葉が、影沼の前だとすんなり言えた。

「おう、その意気だ。んで、青木っちは、誰とヤリたいんだ?」

「満智子だっ。俺は、満智子とやりてぇっ。満智子のでっけえおっぱいを、モミまくりてぇっ。満智子のたるんだ腹を、正常位で突きまくって、揺らしまくりてぇっ。満智子のくせぇまんこを舐め回して、俺のかてぇもんをぶち込みてぇっ」

 渡会満智子。友麻が眼前から消失したことで、俺の好意は、友麻と親しくしていた一回り年上の女へと、一直線に向かっていた。

 満智子はおばさんである。童女のような天真爛漫な雰囲気はあるものの、肌にはシミ・ソバカス、小じわが浮かび、全身に肉の乗った、どこにでもいる普通のおばさんである。作業中には関節の痛みに悩み、苦しげに腰を抑えている姿を見せ、近づけば、甘酸っぱいフェロモンの香りではなく、ハッカのような加齢臭の漂うおばさんである。

 だからこそ、俺は満智子が好きになった。

 若く美しい女を追い求めるのなら、もっと魅力的な女は、満智子よりもすぐ近くにいる。


                            9


「へぇ。美都ちゃんは、この会社のサッカー部出身だったんだぁ。どうりで、なんだか動きにキレがあると思ったよ」

「キレなんてないですよ。もう引退して三年も経つし、二十代も後半になっちゃったし」

 川辺美都――新しくラインリーダーになった女は、仕事だけでなく、プライベートの話にも積極的に応じてくれた。もっとも、話しかけるのはほとんど、影沼一人なのだが・・。

「二十六なんてまだ若いよ、ピチピチじゃん。なぁ、青木っち」

「あ?ああ・・・・」

 実力で大企業のクラブチームに入り、大学新卒と同期で社員になって、順調にキャリアを重ねている女。川辺美都の存在は俺にとってあまりに眩しく、直視すらかなわない。俺と同じ貧乏、不細工、無能であるにも関わらず、川辺美都に、まるで友達のような感覚で話しかけられる影沼は、いったいどういう神経をしているのかと思う。

「えーと。そうそう、これから、このラインの作業環境を色々改善していこうと思うんで、みんなも、積極的に案をあげて下さいねっ」

 美都が顔を横に向けながら笑顔を見せると、胸を撃ち抜かれたようになる。友麻に惚れたときとは比べものにならないほどピュアで、甘く切ないものが横溢し、全身の細胞が瑞々しくなっていく。

 俺が女に飢えているのを差し引いても、美都は可愛かった。だからこそ、俺は美都には手を出そうと思わない。

 みすぼらしいジャッカルは、逞しい四肢でサバンナをかけるシマウマには見向きもしない。後ろ足で蹴り殺されるだけなのがわかっているからだ。ジャッカルが狙いを定めるのは、非力な自分にも仕留められる、深い草藪に潜む野兎なのである。

「いいのか青木っち。美都ちゃんじゃなくて、渡会さんでいいのか?」

「ああ。高嶺の花に手を出したってしょうがない」

「わかった。じゃ、これから渡会さんに狙いを絞って、作戦を練っていこう」

 自分の商品価値を客観的に把握できる年齢になったら、「好き」と「付き合いたい」は、分けなければならない。高望みをしていたら、俺のちんぽは、ただ神が欲求不満のために俺に与えたもので終わってしまうのだ。

 俺がちんぽをぶち込むのは、ブスでババアの満智子。若く美しい川辺美都とは、ただ話せるだけで、幸せと思わなくてはならない。

「あ、あのさ・・・。昨日直してもらった部分なんだけど・・あそこは、変える意味ないんじゃないかな。ただ、やりにくくなっただけで・・・」

 影沼のように、プライベートの話をするところまでもいかない。ただ、ライン作業の改善の話ができるだけで、幸せと思わなければならない。

「ごめんなさい。いいかと思ったんですけど、やっぱり余計でしたよね・・・」

「う、うん。まぁ、全然できないってわけじゃないんだけど・・」

「すみません。明日までに直しておきますんで、今日だけ我慢してください。それでいいですか・・?」

「う、うん。いいよ」

 俺が、しょんぼりした様子の川辺美都とやり取りするのを、隣の工程の影沼は、終始渋い目で見ていた。

「なぁ、青木っち、さっきのはないだろ」

 昼休憩になると、さっそく影沼は、俺の先ほどの言動を咎めてきた。普通に、仕事の話をしていただけなのに、なぜ影沼が険しい顔をしているのかがわからず、俺は戸惑った。

「青木っち、お前、美都ちゃんのこと可愛いと思うか?」

「あ、ああ、そりゃ・・」

「美都ちゃんに気に入られたいと思うか?」

「まあ、そりゃ・・」

 男としてではない。頼りになる部下として、俺は美都に気に入られたいと思っている。

「だったら、その、否定から入っていく癖をどうにかしろよ」

「いや、でも。川辺さん、俺たちにも、改善の案を、積極的に出して欲しいって・・・」

「だから、アラを指摘するより先に、良くなったところを褒めてやれよ。美都ちゃんが改善してくれて、やりやすくなったところもあったろ。そういうのを、まず先に言えって」

「あ・・・」

 目から鱗が落ちる思いだった。

 自分自身が、褒められたことがなかった。好きに発言できるのは――俺の言うことに反応してくれるのは、便所の落書きのような罵詈雑言が飛び交う、ネットの匿名掲示板だけだった。

 相手を褒められるときには敢えて何も言わず、否定するときだけ口を開く。嫌われる人間の癖が、無意識のうちに身に付いていた。そんなことも、他人から指摘されなければわからなかった。指摘してくれる他人が――俺の成長を心から願ってくれる他人が、今までいなかった。

「そういうのは、デートのときにも出るからな。渡会さんと話すときも、気を付けるんだぞ」

「あ、ああ。気を付ける」

 俺の成長を心から願ってくれる他人が、初めて現れた。今、現在を幸せだと思い込ませようとするのではなく、俺を未来の幸せへと導いてくれる男が現れた。それで初めて、自分を変えようと思った。

「いいか青木っち。女なんてのはな、褒めてさえいりゃあ、まず間違いはないんだ」

「ああ」

 知らなかった。そんな簡単なこともわからなかったし、今までできていなかった。

「女は、たとえ一パーセントでもセックスの可能性があるのなら、全力で敬え。褒めて、おだてて、奉れ。が・・・・それでもヤラせてくれない女には、もう下手には出るな。てめえのくっせえマンコに大層な価値があるなどと思い込み、かつ、こちらから金を騙し取ったり、プライドを傷つけたり、名誉を貶めるようなふざけた真似をしてくる女がいたら、犯して殺せ」

「ああ」

「女の選ぶ権利を否定するのなら、こちらも女は選ぶな。ブスとババアにも勃起しろ。ブスとババアの好意を受け入れ、ブスとババアを美人と同じように口説き、ブスとババアを、美人と同じように大事にしろ」

「その点に関しちゃ、まったく問題ない。ブスとババアこそが、俺の欲情の対象だ」

 自分に言い聞かせるように、口にした。

「おう。四十三歳の満智子ちゃんの熟熟おまんこを、青木っちのちんぽの先についてる、ピンク色したモンスタータートルでかきまわしてやれ」

 影沼が、親指を人差し指と中指の間に挟んで言った。

 師匠の教えで、目が覚めた。

 影沼の指摘を受けて、俺が今まで、いかに女に不快な思いをさせる言動を取ってきたかを、思い知らされた。俺にも非があったことがわかって、顔や頭の回転など、持って生まれたどうしようもないものを必要以上に卑下する気持ちは薄れていった。

 これまで、フラれた女は一人ではなかった。その中には、友麻のように、初めから俺のいいところなど探す気もなかったような女だけではなく、少なくともアピールのチャンスをくれた女もいた。それを活かせなかった俺が悪かったと、素直に思えた。地球上三十五億人、すべての女を憎む気持ちは消えていった。

 満智子が好きになり、もう抑えきれなくなった。

 その日の勤務が終了し、ロッカーへと向かって廊下を歩いている途中、俺は偶然を装って満智子に近づき、満智子に話しかけた。

「お、お疲れ様です、渡会さん」

「あら。お疲れ様、青木くん」

 満智子とまともに会話をするのはこれが初めてといってよかったが、意外に話は弾み、ロッカーにたどり着くまでの五分間、会話が途切れることはなかった。

「ところであの、失礼かもしれませんが、渡会さんって、結婚してるんですか?」

「私、独身よ」

「え!!そうだったんだ。渡会さんみたいな素敵な人が独身だったなんて、驚きだぁ」

 すでに知りえていた情報。しかし、大げさに驚いてみせた。

「それじゃ、今度、飲みに行きましょうよ。二人で」

 影沼にアドバイスされた通り、満智子が独身だとわかったタイミングで、俺はすぐさま彼女を飲みへと誘った。

「え~。私みたいなおばさんと飲んだって、楽しくないよ」

「そんなことない。渡会さん素敵だし、十分可愛らしいですよ。渡会さんと飲めたら、俺、嬉しいですよ」

「そんなこと言って~。まさか、エッチなこと考えてる?青木くん、最近変な噂たってるよ」

 口調は俺を窘めるようだったが、満智子はけして嫌そうではなかった。すべての女が俺に敵意を向けているかのように思い込んでいたこれまでの俺ならここで怯んでいたかもしれないが、今の俺は、影沼のお陰で、極度の女性不信を脱している。

「お願いします!俺、渡会さんといつか、二人きりで話したいと思ってた。ずっと思ってた」

 女がすぐに承諾しないのは、必ずしも拒絶のサインではない。ここは、食い下がってもいい場面。ひたすらに押しまくれば、首を縦に振ることもある。

 そして――。

「そ、それじゃ、俺と満智子さんの幸せを願って、かんぱ~い」

「ふふ、何それ。でも、悪くないかも」

 週末、俺と満智子は、近所の居酒屋で杯を突き合わせていた。

 二十八年の人生、女とここまで持ち込めたことは、初めてではない。勝負はここから。

「ここだけの話・・・私、ずっと友麻ちゃんのこと、嫌いだった。何よ。ちょっと若いからって、私のこと下に見て・・。私にもいつか素敵な人が現れるとか、心にもないこと言っちゃって・・。結局、私のこと、自分を引き立てるための道具としか思ってなかったんだから」

 程よくアルコールが入ってくると、満智子は当たり障りのない話題から踏み込み、自分の抱えている気持ちを語り始めた。

 満智子が友麻のことを嫌っていたことは、初めて知った。それは大変結構なことだが、よく聞いてみれば、満智子が友麻を嫌っていることに、大した理由はないようである。

 これまでの俺であれば、「そりゃ被害妄想じゃないですか」などと、デリカシーの欠片もないことを言って、せっかくのチャンスを棒に振ってしまうところだが、影沼の教えを受けた今の俺は一味違う。

「それは酷い話だな。アイツがそんな女だったとは知らず好意を抱いた俺は、大馬鹿だった」

 自分のことを語る女が求めているのは、正論ではなく共感である。

 真実などはどうでもいい。大切なのは、満智子が俺に好意を持ってくれるかどうか。最終的に、俺が満智子を抱けるかどうか、ただそれだけである。

「あの。渡会さん、俺、前から渡会さんのこと、ずっと気になってて・・。渡会さん、てっきり既婚者だと思ってたから、先に石田の方にいったけど、本当は、渡会さんの方が好きだったんだ」

「え~。本当かしら」

「だからその・・渡会さんと、お付き合いできたらなって、思ってるんですけど・・」

「えぇ~。私なんか、おばさんよ。青木くんより一回りも上なのに、私でいいの?」

「いい。俺、渡会さんがいい。渡会さんは最高に可愛い。美しい。俺、渡会さんが、大好きなんです」

 遠くから眺めているときは、まるで童女のような雰囲気があると思った。しかし、一日の終わりで化粧が剥げかけ、酒に酔い、男に口説かれて照れているときの満智子の顔は、やはりアラフォーのおばさんである。

 だから俺は、満智子の肉体を求める。ブスとババアが、俺をビンビンにさせる。

「そんなに言ってくれるなら・・・最後の幸せのチャンス、信じてみようかな」

 初めてのデートでいきなり告白して、満智子からOKの返事を貰えた。二十八年、欲しくて欲しくてできなかった彼女が、呆気なく出来た。

 酒に酔い、トロンと瞳を潤ませている満智子の手を握りしめ、近所のラブホテルへと導いた。部屋へとたどり着くや、俺は服を床に脱ぎ去り、満智子をあっという間に全裸に剥いた。

 満智子の、重力に負けてたるんと落ちた乳房を摘まんだ俺の怒張はビクンと脈打ち、先端からお掃除液を垂れ流す。

「やっ青木くん。そんなとこ、汚いよ」

「はふっもぐっむぐっ。満智子さんに、汚いところなんかないよ」

 カッテージチーズのようなオリモノと、ティッシュのカスがビトビトこびりついた、納豆くさいまんこを舐めながら、心にもないことを口にした。汚い、くさぁい満智子のまんこ。でも、舐めまわす。

「渡会さんの身体、柔らかい・・ずっと、包まれていたい」

 ズプズプに柔らかい、たるんだ脂肪まみれの肉体がたまらない。

 満智子の中に、出したかった。美人ではないババアの中に、俺の不細工遺伝子を、ぶちまけたかった。

 高齢の母体に、過酷な出産を強いる。若い女相手ではけして味わえない背徳感。

 身体のいたるところにガタがきた高齢の満智子を妊娠させ、俺の子を産み落とさせるということに、俺は死んだ友麻や川辺美都のような、健康な若い女を妊娠させ、出産させる以上の興奮を覚える。

「あっ。ァアアあああっ」

 生のまま挿入し、四十三歳を吼えさせた。獣のように抽送し、緩んだ肉体を揺らしまくった。

「あっ。おぉん、いぃん、青木くぅん、青木くぅん」

「いっ、いくぅ、いくぞぉっ、満智子っ」

 電気の刺激が、ズクッと襲ってきた。

 白濁の喜びが、四十三歳の赤ちゃん部屋めがけて、ドヴァッと放たれた。
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party people 1



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 アラームの音で目を覚ます。シャワーを浴び、カップ麺をすする。何度も繰り返される日常の合間に、ウッとした倦怠感と、頭が潰れそうなほどの気分の重さが、絶え間なく割って入ってくる。

 四畳一間の独身寮を出て、自転車に乗って工場に向かう。派遣会社から、月に千円でリースしているオンボロ自転車。たぶん、とっくに原価は払い終えているはずだが、会社は買い取りを許可してくれない。修理代も自己負担。テレビ、冷蔵庫、寝具。すべて、新品を購入した方がずっと安上がりなのはわかっているが、なかなか惰性が断ち切れない。
 
 半年前から働いている電子基板製造工場。タイムカードを押し、共用のロッカーで制服に着替え、作業場に向かう。ラインリーダーから朝礼を受け、作業を開始する。 

 仕事は嫌いじゃない。金がもらえて時間が潰せる。人生という名の罰ゲームを、少しでも意味のあることで消化できる。

 だけど、心は擦り切れていく。

 無機質で、硬く冷たい金属の基盤を、右から左に流していく。俺じゃなくても、誰でもできる仕事。俺が明日からいなくなっても誰も困らないし、誰かがすぐにやってきて代わりを務める。

 勉強もスポーツも頑張らなかったし、手に職をつけようともしなかった。なるべくしてなった部分もあると思っている。だけど、全部自分が悪いとも思えない。だってあの頃は、少しくらいそれを頑張ったところで、何かが変わるとは思えなかったから。

 誰でもできる単純労働では何も身に着くものがなく、時間ばかりが奪われ、歳を重ねて先細りになっていく。普通にやっていても、浮上のチャンスは巡ってこない。

 何とかしなきゃいけないのはわかっている。だが、死に物狂いになるにはキッカケがいる。頑張れば幸せになれるって保証が何もなければ、頑張れない。

 誰かに愛され、必要とされたことがなかった。俺が今現在、二十八歳という年齢で、非正規の派遣労働なんかやっている理由はそれに尽きるし、今現在、片田舎の電子基板製造工場で働いている俺を苦しめている理由もそれに尽きる。
 
 まず、誰かに愛され、必要とされたい。頑張る前に、そっちが先に来ることが、そんなに情けないことなのだろうか。

 頑張れば誰かに愛され、必要とされるなんて信用できない。ゼロをどんなに掛けても、イチにはならない。学のない俺でも、それぐらいの計算はカンタンにできる。

 頑張るために、最低限の保証が欲しい。誰かに愛され、必要とされれば、もっと誰かに愛され、必要とされるために頑張れる。

 最低限、誰かに愛され、必要とされるために、そんなに死に物狂いの頑張りが必要だとは、どうしても思えない。俺より頑張っていないヤツが、当たり前のように誰かに愛され、必要とされているのに、どうして俺が頑張らなくてはいけないのかわからない。

 でも頑張らないから、やっぱり、誰にも愛されないし、必要とされない。悪循環の泥沼に、つま先から頭の天辺まで浸かりきって、身動きすら取れなくなってしまった。
            

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 正午のチャイムが鳴らされた。一日のうちでもっとも苦痛な、昼休憩の時間が始まった。

「さぁ、メシだメシだ。さあ行こう、青木くん、竹山くん」

「・・・はい、田辺さん」

 俺が、同じラインに所属する竹山と二人、足早に作業場の入り口を出て行こうとすると、後ろから、工場に十六年も勤めている古株の派遣社員、田辺が追いついてきて、先頭に立ち、俺たちを食堂に引っぱっていった。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛し、必要としてくれるのなら、誰でもいいというわけじゃない。

 食堂に到着し、テーブルにつくや、入り口で、社員証を読み取り機に充てて定食を注文するやり方がわからずにまごついていた新人をゲストに招いて、承認欲求モンスター、田辺のオナニー午餐会が、盛大に幕を開く。

「岸くんはもう、この工場で、誰を作業の師匠にするか、決めたかい?みんなそれぞれやり方が違うからさ。混乱しないためには、誰か一人を師匠に決めて、その人の動きを徹底的に追うのが一番だからね。無理には勧めないけど、もしよかったら、俺の動きを参考にしてみるといいよ。俺の作業は機械のように正確だって、社員の人たちみんなから言われてるからさ。間違っても、君の隣の工程の、片田さんなんかは見習っちゃだめだよ。あれは人柄はいいけど、やることが適当だから」

 誰でもできる単純労働の世界で稀に発生する、頼むから弟子にしてくださいではなく、師匠の押し売りというパターン。

 自分の仕事に誇りを持つのは尊いことである。だが、誰でもできる単純労働に誇りを持つのが悲しいのは、それが自分が向上することには繋がらず、ほとんど他人を見下す材料にしか使えないことである。

 こんな誰でもできるライン作業などはつまらなくて当然なのだし、みんなで仲良くやればいいだけなのに、誰それは手が遅いとか、誰それはミスが多いだとか、くだらないことで仲間を貶め、優越感に浸ろうとする。そんなことが、どれだけ愚かなことかをわかっている二十代の新人、岸は、苦笑いを浮かべながら、俺と竹山が、もう百回くらい聞かされた田辺の自慢話をやり過ごしている。

「そういえば、岸くんはもう、俺たちのフロアの責任者、宮塚部長に挨拶はしたのかな?俺は宮塚さんとは工場に入ったころからの付き合いでさ。あの人がまだ、ラインリーダーやってたころには、改善の案を積極的に出したり、随分協力したもんだよ。岸くんはまだ入ったばかりだから知らないだろうけどさ、あの人を部長にまでしたのは俺みたいなもんだよ。それと、うちの営業の石島くんのことは知っているかな?彼、入ったのは僕より後で、年下なんだけど、彼ができる男だっていうのはすぐに見抜けたからさ。十年前、俺を管理者に引き上げるって話が出たとき、俺が石島くんにその話を譲ってやったんだよ。だから石島くん、今でも俺に足を向けて眠れないって言ってるよ」

 片田舎の工場に長年勤めて、自分が何かを成し遂げた気になっているようだが、自慢しているのはすべて他人の実績。片田舎の工場、片田舎の派遣会社を世界のすべてのように思い込み、狭い世界の中で少しでもデカい顔をする材料を集めることだけに必死な、井の中の蛙である。

「この間、統合ラインの小林さんのとこに入った新しい子、二日で根を上げちゃったらしいね。まったく、最近の若いヤツはなってないよ。ちょっと厳しく言われただけでメソメソしちゃってさ。世の中に出たら、辛いことなんていくらでもあるのに。長続きしてる子にしたって、要領ばっかよくて、手ぇ抜くことばかり覚えちゃってるだけでしょ。そんなんで渡っていけると思ったら大間違いだって」

 資本主義社会の中で何の恩恵も得ていないくせに、ゴミ溜めの中でまだ争おうとする愚か者。弱い者同士で足を引っ張り合うことしか能がなく、自分自身が上に行くという発想がまったくない、田辺のような模範的な奴隷が厄介者扱いされているなら、その職場は健全だ。

 水が変われば、魚も変わる。この世界、田辺のような絵に描いた底辺労働者が主流となって幅を利かせている職場など山ほどある。これまで、そんな泥溝のような環境に馴染めず、嫌な思いばかりさせられてきたはずが、今の俺は、泥溝から清流に這い上がってきたアメリカザリガニのような男と仲良く、肩を寄せ合いながら飯を食っている。

 除け者、嫌われ者、厄介者。それでも一人ではいられず、どこかに自分の居場所がないと不安になってしまう寂しがり屋という共通項が、忌み嫌う人種である田辺と俺を結び付けている。
 
「それじゃ、俺はこれから、工場の偉い人と話してくるから。青木くん、後は任せたからね」

 一足先に食事を終えた田辺は、聞いてもいない行き先を伝えてから席を立ち、俺たち三人を残して、工場の上の人間がたむろしている喫煙所へと向かっていった。

 田辺が工場の上の人間と、いつも仲良さげに喋っているのは本当である。だからといって、何も羨ましいとは思わないし、田辺がそれで具体的に何か、得をしているわけでもない。

 どれだけ上に媚びを売ろうとしても、四十歳を過ぎて、性格に問題のある田辺を工場の正社員に引き上げようという話は出てこないし、時給が一円でも増えているわけでもない。仲がよさそうに見えても、向こうは半分、絡んでくるので仕方なく付き合ってやっているにすぎず、本当に大事な話には混ぜてもらえない。

 田辺がお偉いさんと仲良くしているのは、ただの自己満足。俺は他の派遣の奴らとは違うぞ、会社から必要とされた人材であるぞ、と思い込んで、他の派遣の連中を見下したいだけの目的でしかない。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要としてくれるなら、誰でもいいというわけではない。

 そもそも田辺が俺や竹山を必要とするのは、自分より下だと、田辺が勝手に思っている人間を傍に置き、自分が誰かより優位に立っているという確認がしたい、ただそれだけの理由でしかない。ここにしか居場所がないから留まり続けてはいるが、自分が田辺の仕切る、掃き溜めの中のゴミ捨て場グループに組み入れられているのは、不本意でしかなかった。

 しかし、人のことは言えない。俺が同じラインに所属する三十八歳の派遣スタッフ、竹山と常に一緒にいるのも、田辺が俺を傍に置きたがるのと、まったく同じ理由なのだから。

「竹山くんさぁ、今日の動き、あれ何?最悪だったよ。この前俺が教えたこと、全然できてないじゃないか」

 田辺に場を任された俺は、スマホをいじり始めた新人には目もくれず、気心の知れた竹山に、ライン内での作業のことで説教を始めた。

 背丈は日本人の平均より少し低い俺とちょうど同じだが、体重は九十キロもある肥満体。分厚い眼鏡、天然パーマ、滝のように流れ出る汗。典型的秋葉ヲタクのような見た目だが、アニメは観ず、ゲームもやらないという竹山は、常に受け身で、自分の意志がなく、みんなで輪になっても、積極的に話題を上げることはない。

 そのくせ、俺と同様、職場に自分の居場所がないと不安になってしまうタチで、同時期の入社で、ラインも同じ俺の後を、いつも金魚のフンのように追いかけてくる。それをいいことに、俺は俺で、工場のスタッフの中でただ一人、自分以下の人間だと思える十歳上の竹山に、日常のどうでもいいことで説教をすることで、自分が誰かより上で、価値のある人間だという確認をし、優越感に浸るための材料にしていた。

「今日も竹山くんのせいで、午前中に数が間に合わなかったんだよ。竹山くん、やる気あるの?」

 竹山の仕事のできなさが誰の目にも余るほどで、ラインの足を引っ張り、リーダーから度々叱責を受けているのは、紛れもない事実ではある。しかし、別にそのことで、俺が迷惑しているわけではない。むしろ、自分よりできないヤツがいるお陰で、自分が相対的にマシに見えている点において、竹山は俺にとっては立派に存在価値があった。

 無能が切られたら、次に無能なヤツが新たな標的になる。竹山を潰しても、俺には何のメリットもない。無駄であるどころか、己の首を絞めるだけの行為であるとわかっていて、それでもやってしまう。

 弱い者が、弱い者同士で潰し合う。ともに手を取り合い、世間の逆風に立ち向かっていかなくてはいけない、不安定な立場の人間同士が、なぜか互いに足を引っ張り合い、潰し合おうとする。長年に渡って忌み嫌ってきたはずの愚かな図を演じなくてはやっていけないほど、俺もギリギリの状態にある。

「ぼ・・僕も、頑張ってるよ」

 調子に乗って、上から目線でしゃべり続ける俺に、竹山が、喉が肉で圧迫されたような声を絞り出し、精いっぱいの口ごたえをした。

「竹山くんが頑張っているのはわかっているよ。だけど、結果が出てないんだよ。竹山くんはもう学生じゃないんだから、結果を残さないと、社会は認めてくれないんだよ。わかってる?」

 こんな単純労働の世界で、プロ野球選手のようなことを言って得意げになっている俺の、その視線の先で、ある男女の三人組が、楽しそうに盛り上がっている。

 食堂では百名を超す工場の従業員が食事を取っており、二列も離れたテーブルでの会話はまったく耳に届かない。しかし、彼らの笑顔をみれば、身分は同じ非正規の派遣社員ながら、彼らの人生が、俺とはまったく違った充実したもので、生きる喜びに満ち溢れているのはわかる。

 向かいに座る二人の女と楽しそうに喋っている男、藤井は、俺より一つ下の二十七歳で、身長が百八十五センチもある。無駄な肉がそぎ落とされてプロポーション抜群、色黒で、顔立ちも細面で整っている。

 容貌貴種。仕事は同じ非正規の派遣労働でも、イケメンは生まれながらに、俺とは住む世界が違う。普通にレールの上を走っていれば、俺とは交わることもなかったはずだが、藤井は十代のころからミュージシャンなんぞに憧れて、叶いもしない夢を追いかけていたせいで、夢も希望もないままに掃き溜めに寄せられた俺と同じ時給で働く身となった。

 掃き溜めの鶴が、掃き溜めのクソとゲロが抱く、ささやかな希望をかっさらっていく。

 タレントのような美女を抱きたい願望など、端から抱いてはいない。ごく普通の容姿をした女、たった一人に愛されれば、俺はそれで満足できた。

 それを得るために、死に物狂いの頑張りが必要だとは、どうしても思えなかった。仕事が派遣でも、服や髪の毛に何万も使っていなくても、トークがうまくなくても、ごく普通の容姿をした彼女が、たった一人くらいはできてもいいと思っていた。

 それまで二十八年間も生きてきて、商売以外の女を抱いたことが一度もないという経歴をみれば、それがとんだ高望みであったことはわかったはずなのに、彼女がいつも明るく挨拶してくれるせいで、ついつい期待してしまった。

 石田友麻。藤井の侍らせる女のうちの若い方。目はクリクリとして大きいが、しもぶくれで前歯が出ており、ビーバーみたいな顔立ち。だが、笑った顔が、ハンパなく可愛かった。その笑顔を、俺にだけ見せてくれる瞬間が欲しくて、思い切って、食事に誘った。

 セクハラだと騒がれ、嫌らしい目で見てくるとか、作業の中で偶然を装って触ってくるとか、あることないことでっち上げられ、担当者に報告され、叱責を受け、ラインを移された。クビにならなかっただけマシなのかもしれないが、気分はひどく惨めになった。

 藤井が入ってきたのは、そのすぐ後だった。友麻が藤井に向ける笑顔を見て、かつての俺がカワイイと思っていた友麻の笑顔は、所詮、その他大勢に向ける用のものだったことを思い知らされた。

 友麻が俺と藤井を差別するのは仕方がない。同じ工場で、同じ時給で働いていても、俺と藤井では、住む世界が違う。容姿も頭のキレも性格の良さも、何もかもが違う。

 俺が連絡先を聞けば怪しい宗教のお誘いでも、藤井が連絡先を聞けば嬉しい恋の始まり。俺が言えば不快なセクハラになる友麻への褒め言葉も、藤井が言えば素直に嬉しく、自信になる。

 現状、藤井と友麻の交際の事実が確定しているわけではなかったが、いずれはそういう流れになっていくであろうことは、陳腐なメロドラマの展開よりも容易に予測できた。さっさと付き合って、俺にトドメを刺して欲しかった。

 早く、仲睦まじく、手を繋いで歩く姿を見せてくれ。お前らが愛で結ばれ、俺をこの世で一番惨めな男にしてくれたら、すべての抑止を振り切り、躊躇なく奴らの背中に、冷たい刃を突き刺せるのに――。

「あれ?岸、何やってんの?」

 バンド仕込みの、透き通るようなテナーボイス――。食事を終えて、女二人と一緒に、俺たちの座るテーブルの傍を通りがかった藤井が、俺と竹山の会話にはまったく関心を示さず、終始スマホと睨めっこをしていた新人、岸に声をかけた。

「いや。俺が定食の注文の仕方がわからなくて、この人たちに聞いたら、この人たちと一緒に、飯食うことになって。別にそこまではお願いしてなかったんだけど」

 岸が、向かいの俺と竹山に、あからさまな侮蔑の視線を投げて言った。

「つーかお前、いつからここに入ったんだよ」

「今日からだよ」

「なんだよ、だったら挨拶しに来いよ、水くせえな」

「んなこと言ったって、俺もお前がこの工場にいたなんて知らなかったし」

 新人の岸は、どうやら、藤井とは旧知の間柄のようだった。

 食事を取っているときは意識しなかったが、よく見てみれば、岸は藤井ほど背は高くないものの、涼やかで切れ長の目をしており、鼻も細く通って、顔立ちはまずまず整っている。髪色は明るく、オシャレにも精通していそうである。

 どうやら、コイツも藤井と同じだったようだ。俺と同じ掃き溜めにいても、まるで価値のないゴミではない人間。俺とは、住む世界の違う人間――。

「まぁ、でもこうしてせっかく久々に会ったんだし、週末に飲みにでも行く?」

 岸が、俺たちと喋っていたときとは打って変わった明るい声音で、藤井を飲みに誘った。

「あぁ、わりぃ。週末は俺、主任と予定あるんだわ。飲みに行って、次の日は、朝からゴルフ連れて行ってくれるって」

「へぇ。すげえじゃん。気に入られてるんだな、お前。もしかしたら、ここで正社員になれるんじゃねえの?」

「そんな簡単じゃねえよ。俺だってまだバンド続けたいし、社員になれとか言われても困るしな。つーわけで週末は無理なんだけど、今日だったら空いてるから、軽く一杯やるかい?」

 親し気に、座っている岸の肩を叩きながら話す藤井の様子と、その後ろから、好意的に岸を眺める二人の女の様子で、密かに期待していた「枠」が埋まってしまったのを理解する。初めから、チャンスがあったわけでもないのに――確率が一パーセントもなかったのはわかっていたのに、胸の奥から、湿気含みの嫌な熱がジワリとこみ上げる。

 世の中全体を見渡せば、嫉妬を向けるべき対象は他にゴマンといるのはわかっている。しかし、人というのはどうしても、今、現在目の前にいる、近いレベルの相手としか争うことができない。

 彼らとて、同じ掃き溜めの住人。どこかで、何かに敗れて、ここに掃き寄せられた連中。しかし、人の集団というものは、敗残者の中でもさらに、明と暗に分岐する。

 気に入られ、頼りにされ、友達もいて、彼女もいるヤツ。そいつがいつも、俺の欲しいものをすべて持っていく。値打ちがあるものをみんな食い散らかして、残りカスを俺に押し付ける。

 学生時代から苦しめられて、やっと解放されたと思っても、まだ俺の前に立ちはだかってくる。

 リア充――もっと新しい言葉で、「陽キャ」とかいわれる連中が、ずっと羨ましくて、妬ましかった。

 こいつらと一緒になれれば、何かが変わる気がした。勉強やスポーツを頑張る前に、まずこいつらの仲間に入りたかった。こいつらになれなければ――誰かに愛され、必要とされなければ、何かを頑張る意味はないと思った。

 今も、こいつらになりたいと思っている。ずっとこいつらになりたくて、なりたくてなれなくて、一方的に邪な感情を抱き続けている。永遠にこいつらになれないのなら、ぶっ殺して、目の前から消してやりたいと思っている。

「いいね。つかさ、昼休憩の時間、あと十分くらい残ってるし、俺もそっちに混ぜてよ」

「ああ、もちろん。ごめんね青木くん、コイツの面倒見てもらっちゃって」

 誰にも愛想の良い藤井は、非リア――もっと新しい言葉で「陰キャ」とかいわれる位置で、湿ったナメクジのように生きている俺にも、煌めく笑顔を向けてくる。そのまばゆい光が俺を焼き焦がし、余計に惨めな気持ちにさせているのも知らずに――。

「あのさぁ。もう話すこともないだろうから言っとくけど・・・」

 俺たちから解放され、藤井たちに合流できることになった岸が席を立ち、侮蔑に満ちた視線で、俺と竹山を見下ろしてきた。

「あんたら、キモイんだよ」

 予想通り飛び出した、気持ち悪い、というストレートな感情と、略し言葉で相手の不快感を煽る、二十一世紀最強の罵倒語。岸が吐き捨てるように言った瞬間、後ろにいた友麻の口角がニッと釣りあがったのを、俺は見逃さなかった。 

 ただ、連絡先の交換を頼む。俺が友麻にやったことは、本当に、ただそれだけだった。ただそれだけのことで、派遣の担当者とラインリーダーから叱責され、まるで犯罪者のように扱われて、ラインを移された。

 美人ではないごく普通の女を、口説く自由も許されない男に、キモいという評価は、まったく相応しい。女に好意を持ったとき、その女から、好きになってくれて嬉しいではなく、こんな男に落とせると思われた、侮辱されたと取られるような俺は、キモイと言われて当たり前。正しいことを言われていると思ったから、岸に何も言い返せなかったし、怒る気もしなかった。

「バカ。お前、青木くんと竹山さんは、ここでは先輩だろうが。なんて口の利き方すんだよ」

「だってよぉ。もっさいオッサン同士が、食事中にマジな顔して、羨ましくも何ともねぇ自慢話とかしたり、熱血学園マンガみたいな説教したりしてんだぜ。そんなん見せられたら、せっかくのメシがまずくなるっつうんだよ。一言くらい、なんか言いたくもなるだろ」

 先にいなくなった田辺の分まで、俺のせいにされている。俺がどれだけ、自分は田辺とは違うと思っても、「リア充」「陽キャ」から見れば、同じ除け者、嫌われ者――泥溝の中にいるのが相応しい「非リア」「陰キャ」の枠に括られているのだ。

 泥溝の中にいるのが嫌で嫌で仕方ないのに、泥溝の中から抜けられない。俺が行きたい、澄み渡った清流の中に入れてもらえることは、絶対にない――。

「うるせえよ。ごめんな、青木くん。気にしないで・・つっても無理かもしれないけど、ほんと気にしないで。こいつも、本当はそんなに悪いヤツじゃないんだけど・・・ごめん、とにかくごめん」

 藤井が俺と竹山に手を合わせ、申し訳なさそうな顔をしながら、友人の無礼を繰り返し詫びた。

 藤井は俺とは対極の立ち位置にいるが、本当にいいヤツだ。しかし、藤井がいいヤツであることが、岸の罵倒よりも余計に、俺の心を蝕む原因になっている。

 俺からすべてを奪うなら、せめて、飛び切り嫌なヤツであって欲しかった。俺が欲しいものをすべて持っていて、俺がなりたくてたまらないヤツ。そいつを妬み、嫉み、恨み、憎むことさえ許されないなんて、残酷すぎるではないか。

 やがて藤井と岸、女二人が食堂の外へと消え、俺と竹山だけが残されたテーブルに、気まずい沈黙が流れていった。

 誰も、俺たちに注目している人間などいないのはわかっている。だが、あんなことがあった後、傷をなめ合っているように見られるのが嫌で、竹山とはどうしても話せない。スマホでネットを見ても、ニュースや掲示板の書き込みの内容は、まったく頭に入ってこなかった。食堂にいる全員が、俺たちのことを笑っているような気がする。

 隣に座る竹山が、肩を震わせている俺の方を、心配そうにチラチラとみてくるのに、無性に腹が立った。こいつは、岸や友麻の侮蔑の視線が、自分にも向けられていたのをわかっていないのか?自分もバカにされていたのに、まるで他人事扱いか?

 理不尽に打ちのめされるのは初めてじゃないはずなのに、こみ上げてくるものを抑えられない。どうせ痛みしか味わえないのならば、いっそのこと、擦り切れてなくなってしまえばいい。願いはかなわず、胸の奥が酸っぱくなって、目の端から熱いものがこぼれ落ちてくる。

「あっあ・・青木くん、これ使って」

 俺が制服の袖で涙をぬぐおうとすると、竹山が、顔に似合わない、ひよこのキャラクターがあしらわれた黄色いハンカチを差し出してきた。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要とされるなら、誰でもいいというわけじゃない。

 俺は竹山の毛むくじゃらの手を振り払い、乱暴に椅子を引いて立ち上がった。

「あっ・・あ」

「うるせえ!付いてくんな!」

 慌てて席を立ち、追いかけてこようとした竹山にピシャリと言い放って、俺は早足で食堂を出て行った。
 
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 チャイムが鳴らされ、地獄のような昼休憩が終わり、作業場へと向かう。掃き溜めの中のゴミ捨て場に捨てられた湿ったナメクジで非リアで陰キャな俺にも、仕事は与えられる。

 どんな仕事も、誰かの役に立っている。だが、誰かの仕事は、俺の役には立っていない。

 世の中で楽しい思いをするのは、藤井や岸、友麻のような、リア充で陽キャな連中だけと、相場が決まっている。奴らが楽しい思いをするために、非リアで陰キャな俺が汗水たらし、奴隷のように働かなければならない。

 非リアで陰キャな俺が、冷たく硬い金属の塊を触れている間に、リア充で陽キャな藤井は、あったかくて柔らかい友麻の肌に触れている。非リアで陰キャな俺が上司からの罵声を浴びている間に、リア充で陽キャな藤井は、友麻と愛のささやきを交わしている。非リアで陰キャな俺が、誰でもできる単純労働で身体を動かしている間に、リア充で陽キャな藤井は、ベッドの上で腰を振り、友麻を突いている。

 藤井と友麻だって同じ空間にいて、同じような作業に従事しているはずなのに、なぜだか変な錯覚に襲われる。一度思考が悪い方に向かうと、嫌いじゃなかった仕事も苦痛になる。

 その藤井と友麻が、俺がかつていたラインの中で、社員の連中と楽しそうに喋っているのが、視界の端に映る。奴らと同じことを、俺がすれば嫌われる。俺が集団で居場所を確保するためには、ただ空気のように、誰に見向きもされない存在でいるしかない。誰かに愛され、必要とされたくても、自己主張をする権利が、俺には認められない。誰かに愛され、必要とされている人間が、もっと誰かに愛され、必要とされるようになっていくのを、指を咥えて眺めていることしか許されない。 

 職場という空間の中に、どこにも逃げ場がない。完全に詰んだのかもしれない。

「青木くん、竹山くん。午前中に言ったと思うけど、俺、今日でリーダーから外れるから。今日の午後からは、この子の指示で作業して」

 午後の作業が始まる前に、ラインリーダーの交代と、午前中に研修を受けていた、新しい作業者の加入の挨拶があった。

 繰り返される日常の中に、まったく想定もしていなかった人種が割り込んできた瞬間だった。

「ひょ!この子がラインリーダー?カワイイ!まじカワイイ!この子のいるラインに入れるの?うぉー、俺持ってるわ。っしゃ~きたコレ!ね!俺!影沼!よろしく!君、名前なんていうの?」

 ラインに新しく入った作業者、影沼が、二十代半ばと思しき新ラインリーダーの女の顔を覗き込み、いきなり興奮気味にまくしたてた。

「か、川辺です。よろしく・・・」

「川辺さん。美都ちゃんね。美都ちゃん!みなさんよろしく!新ラインリーダーの川辺美都といいます!歳は二十二歳、趣味はデコレーションケーキ作りです!」

 新ラインリーダー、川辺美都が挨拶を終える前に、影沼が川辺美都の社員証を覗き込み、フルネームを口にし、勝手に決めた年齢と趣味までも紹介した。

「あ、二十二歳じゃなくて二十六歳で、ケーキは作ったことないです・・あの、もう言われちゃいましたけど、川辺美都といいます。よろしくお願いします・・・」

 川辺美都が影沼の挨拶を訂正し、元々の作業者だった俺と竹山に、ペコリと頭を下げた。

「あ。よ、よろしくお願いしまふ・・」

「あ!噛んだ噛んだ!神田明神発見!しまふってなんだよ、しまふって!おまえはシマフクロウか!」

 影沼が、影沼の意味不明なテンションの高さと、川辺美都の可憐さに動揺したせいで、思わず噛んでしまった俺の頭をチョップし、ツッコミを入れてきた。

 言うまでもなく、俺と影沼は、これが初対面である。影沼は、面識のまったくない相手に、いきなりチョップをかましたのである。

 なんだこいつは――?あまりに常識はずれの影沼の行動、言動に、俺は悪寒を覚えていた。宇宙人よりもなお奇怪なこんな男と、一緒に仕事ができるのか?俺はついさっきまで、藤井と友麻を殺して人生を終わらせることを考えていたのをすっかり忘れ、これから繰り返される日常のことを心配していた。

「青木さん。私、まだこのラインの作業よくわからないんで、私と影沼さんに、作業の要領を教えてもらえますか?」

 気を取り直し、いつも通りに作業を始めようとすると、川辺美都が俺の傍に寄り、作業内容の指導を請うてきた。上目遣いと、独特の甘えたような声に、思わず心音が高鳴り、頬が熱を持つ。

 小柄で顔も小さく、一重だが大きな瞳をしており、鼻と口元はやや、ネコ科の動物に似ているかもしれない。パーツの形は完ぺきではないが、配置のバランスが絶妙で、遠くから見れば見るほど美人に見えるタイプ。正直、川辺美都の外見は俺好みだった。

 だが、もちろん、美都に気に入られたいとか、美都と付き合えるのではないかという願望などは、欠片も抱きはしない。

 この女は、俺とは住む世界の違う人間。子供のときから誰かに愛され、必要とされ、レールの上で、やるべきことをしっかりやってきた人間。藤井のように夢があったわけでもなく、何の実績もないままにレールの上から外れ、掃き溜めに寄せられた俺とは、これまで見てきた景色も、これから見る景色もまるで違う、本当の別世界の住人である。

 近くにいて、同じ職場で働いていても、けして交わることのない平行線。この女の目からは俺の存在など、ラインで扱われる部品、いや廃棄品のようにしか見えていない。

 高鳴る心音を、深呼吸で掻き消した。住む世界の違う女に、恋心を抱くなどおこがましい。あるはずもないし、あってはいけない。その先にあるのは、友麻のとき以上にボロクソにされて、掃き溜めの中のゴミ捨て場からも放り出される末路だけなのだ。

「青木先生!ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

 口を開く度に、隣のラインの作業者がビックリするほど大きな声を出す影沼は、俺より目線一つ分背が低く、小太りの体型。帯電帽の後ろのネットから砂鉄のように飛び出た髪の毛は金色で、眼窩からこぼれ落ちてきそうなほど大きな目は視点が定まっておらず、ギラギラと異様な光を帯びて、まるで薬物中毒者のようである。

 年齢は、肌の質からいえば三十半ばくらいが妥当なところだろうが、二十代といわれれば二十代にもみえるし、四十代といわれれば四十代にもみえる。なんというか、解釈の幅が広すぎる顔立ちをしていた。

「う~ん・・と。これ、こうでいいですかぁ?」

 肩が触れ合う距離にいる美都から、柑橘系の果実のような匂いが漂ってくる。小首を傾げる仕草や、語尾を伸ばす喋り方は、二十六歳という年齢に比しても幼いが、絶妙に可愛らしい。

 現業系の正社員。男社会を渡り歩いてきた経験で、男心をくすぐる癖がナチュラルに身についているのだろう。ありえない、おこがましいと思っても、どうしても、男の本能がざわめいてしまう。鏡をみなくとも、今の俺の顔がゆでだこのようになっているのはわかった。

「あ!青木先生、いま、美都ちゃんに恋した!青木先生、美都ちゃんのこと可愛いって思った!青木先生は美都ちゃんに恋をし、三か月後には告白しちゃう!でもその告白は失敗し、青木先生は美都ちゃんにストーカー扱いされ、精神を病んで、通り魔殺人を起こしちゃう!駅前とかでナイフを振り回して大暴れして、人を五人くらい殺しちゃう!美都ちゃんとエッチできない悔しさを、無関係の人にぶつけちゃう!」

 影沼に今現在の俺の心境と、これから起こることを勝手に予測され、それを川辺美都の前でやけに具体的に述べられて、さっきとは違った意味で、顔が熱くなっていく。

 自分が犯罪者予備軍であることぐらい、よくわかっている。しかし、それを他人から言われて快く思う人間など、一人もいない。今、この瞬間、影沼は俺の中で、血祭りに上げたい一人に追加された。

「そんなこと、しませんよ。影沼さん、青木さんに失礼ですよ」

 川辺美都が頬を膨らませて、影沼を𠮟りつけた。

「あ!そうだね。ご!ごめん、そんなつもりじゃなかった!ごめんね、美都ちゃん」

「私じゃなくて、青木さんに謝ってください!」

「あ、そ、そうだね。ごめん、ごめんな、青木先生!いや、青木っち。そうだ、今日から青木くんのことを、青木っちと呼ぼう。たまごっちって、昔流行ったよな。俺ら世代はみんなやってたよな、竹山っち。青木っちや美都ちゃん世代は、やったことないかな?」

 影沼のハイテンションに、ラインのメンバーはまったく付いていけないが、中でも俺の心は特に冷めていた。

 住む世界が違う――というより、人の世界に住んでいない。思ったことをそのまま口にしてしまう、協調性の欠片もない影沼のような男と、これから同じラインで一緒に作業ができるとは思えなかった。

 普通に考えれば、こんな滅茶苦茶な男はすぐにクビになるはずだが、万が一ということもある。世界に住んだことのない男と、世界で最底辺の男――世界の中での生き残り競争で、俺が勝てる可能性は五分五分といったところだろう。影沼の代わりに、俺がこの工場を放り出される未来は、十分にあり得る。

 部品の一部と同じように、労働市場を右から左に流されるのが当たり前の立場だとわかっている。しかし、掃き溜めの中で繰り広げられる敗残者の争いにすら敗れ、切り捨てられていく屈辱は、何度味わっても慣れるものではない。

 抵抗しようのない人間の脅威に、次々と見舞われる。策を打つ間もなく、加速度的に状況が悪くなっていく。これが運命によるものだとしたら、きっと俺を後押ししているのだ。

 年に一度は起こる、派遣社員の暴発。もしかすると、今年は俺に順番が回ってきたのかもしれない。

 場所はどこにして、道具は何を使おう。計画を練る時間は山ほどある。何しろ俺の仕事は、誰でもできる単純労働。頭の中で別のことを考えながら、手を動かすだけで金になる。

 遅くとも今月中には、人を殺す気がしている。早ければ、今日から明日にかけて殺すかもしれない。

 人を二人以上殺して死刑になる。確実にそれを成し遂げるその方法を、右から左に金属の基盤を流すだけの、誰でもできる単純労働を繰り返しながら考える・・。


                             3


「竹山くん、昼間は悪かったな。帰りに、外で飯でも食おうか」

 定時で勤務が終わったあと、俺はいつものように、自分の後を金魚のフンのようについてきた竹山を誘い、工場近くのファミレスに入った。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要としてくれるのなら、誰でもいいというわけじゃない。

 醜い容姿で、面白い話もできない、人としての魅力がまったくない嫌われ者といるくらいならば、一人でいた方がマシというものである――と、多くの人間は考える。だから俺と竹山は、工場の誰からも相手にされない。例外があるとすれば、田辺のように、自分以下の人間を傍に置いて、優越感に浸りたいという目的のヤツだけだ。

 俺が、自分の後を金魚のフンのようにくっついてくる竹山を敢えて突き放そうとしない理由も、基本的には田辺と同じだが、もう一つある。

 愛され、必要として欲しい人のランクが、年々下がってきている。竹山のような男でも、邪険にして突き放してしまったら、いずれ後悔するときも来るんじゃないかと思う。

 クソみたいな人生だが、チャンスが一度もなかったわけじゃない。

 高校の頃、クラスメイトの一人に、太って眼鏡をかけた、吹き出物だらけの女がいた。クラスの中ではつまはじきにされ、グループ活動でそいつと一緒になるのは罰ゲーム、あの女と付き合うくらいなら彼女がいない方がマシといわれるような女だったが、俺は実のところ、彼女にそれほど嫌悪感は抱いておらず、下校時に電車の中で会ったとき、何となく話すこともあった。

 話してみると、意外とウマがあった。今でいう歴女というヤツで、俺と同じように、歴史関係の本を読んだり、城や寺巡りをするのが好き。食い物の好みも似通っており、帰省先で買ってきた土産をくれたこともあった。

 電車で隣の席に座ったとき、偶然、スカートから露出した太ももに手が触れてしまったことがあったが、嫌な顔はしていなかったと思う。一度だけ恋愛話をしたとき、カッコイイ男は苦手、優しければ容姿は気にしないとか言っていたと思う。

 あのとき、あの女に告白していれば、人生が変わった気がしてならない。

 イケるという確信はあった。ヤリタイ気持ちもあった。だが、周りの目が怖かった。

 当時の俺はクラスの中心人物とは言い難かったが、今とは違って誰にも相手にされないほどではないポジションにはおり、プライベートで遊ぶ友人もかろうじて存在した。

 もし、クラスの中でバケモノ扱いされているあの女とヤッていることがバレたら、俺までクラスの連中からバカにされてしまい、クラスメイトとの関係が崩れてしまうのではないか。それが怖くて、一歩を踏み出せなかった。帰宅コースが同じ友人が他にできると、電車の中でも何となくあの女を遠ざけるようになり、教室で一人、寂しげに過ごしているときのあの女にはついに一度も話しかけることなく、連絡先も交換しないまま、高校生活は終わってしまった。

 くだらない見栄を気にして、ヤレそうな女とヤらなかった結果が、このザマだ。
 
 高校時代のクラスメイトとは、卒業したきり一度も顔を合わさず、連絡も取り合わなくなった。奴らの目を気にしてあの女に手を出さなかったのは、後からみれば何の意味もなかった。

 あの女と付き合ったとして、長続きしたかはわからないが、大事なのは、十代のうちに彼女ができて、セックスができたという実績を作ることだった。あのとき、あの女と付き合っていたら、自分に自信がつき、女との接し方も磨けて、トントン拍子に人生の階段を昇れた気がしてならない。

 街を歩いてアンケートを取ったとき、通行人の多くが、あの女の容姿レベルを、十段階中で一と評価したとしよう。レベル一の女と付き合うことは、恥ずかしいのかもしれない。だが、ゼロより小さなイチなどは存在しない。優先すべきはその他大勢の視線なんかよりも、自分を見てくれるたった一人の女だったはずなのに、俺は「見栄」とかいう下らない感情に囚われ、あの女をモノにしようとしなかった。

 あの女に手を出さなかった後悔は、そのまま、女に求める見た目のハードルが下がっていくことに繋がった。今じゃ、女の形さえしているのならば、どんなブスとでもヤレるし、付き合える。ブルドッグみたいな顔をしていても、百キロを超える相撲取りみたいな身体をしていても、鶏ガラのように痩せこけていてもいい。

 ただ一人の女を抱けるのならば、片手の指を全部失っても、腎臓を一つ失ってもいいとすら思っているのに、いつまでたっても、俺が女と仲良くなれる気配はなかった。
 
 悔やんでも悔やみきれないあの経験で学んだこと――個人との絆より大切な多数の目などは、存在しない。見栄などを気にして人を邪険にすると、ロクなことにはならない。

 高校時代のあの女と同じように、みんなの嫌われ者で、内心、一緒にいるところを見られるのが恥ずかしい竹山でも、ここで切り捨ててしまったら、いつかは後悔するときが来るかもしれない。そんな思いから、俺は太っちょの汗っかきで、話が面白いわけでもない竹山との仲を、ずっと切れないでいた。

「なぁ。新しく入った、影沼って人、どう思う?」

 テーブルにつき、料理の注文を終えると、俺は衝撃のデビューを飾った新人、影沼のことを話題に上げた。

「ぼ・・僕、あの人、苦手・・」

 竹山の答えは、聞く前からわかっていた。明るいというよりは頭が沸いており、周囲の空気などお構いなしに暴走する影沼のような男に、竹山のような気弱で根暗な男が好印象を抱くはずがない。

 それはつまり、俺が影沼に好印象を抱くはずもない、ということである。これから先、影沼と日々、ラインの中で顔を突き合わせていれば、また今日のようにからかわれて、不愉快な思いをするのは目に見えている。悪口を言われるだけならまだしも、子分のように扱われ、パシリにされるようなことになれば、もうここには居られない。

 工場を移るという意味ではない。もし、俺が今の職場から放り出されるときが来るなら、俺はそのとき、殺したくてたまらないヤツを殺して、シャバから居なくなる決意を固めつつある。

 それが長年続けたものであればあるほど、惰性を断ち切るのは難しい。人生に本腰を入れるためにはキッカケがいるように、人生を終わらせるためにも、何かしらのキッカケがいる。内心、それを望んでいるのかもしれない。

「それじゃ、ラインリーダーの川辺さんは?」

 続いて、俺は竹山に、新ラインリーダー、川辺美都への印象を問うた。

「ぼ・・僕、あの人も、苦手・・・」

 こちらの答えも、俺の予想した通りだった。

 俺や竹山のようなモテない不細工が、川辺美都のような、若くて可愛い女と仕事ができるのはハッピーだと思うかもしれないが、とんでもない。

 猛獣や毒虫と一緒にラインに入っているのと同じこと。絶対に好意を持たれることがないとわかっている生物から向けられる視線は、恐怖の対象でしかない。

 川辺美都のような女からゴミを見るような目をぶつけられたり、冷たい言葉を投げかけられるくらいなら、いっそ、猛獣に噛みつかれたり、毒虫に刺された方が、どんなに楽だろうかと思う。心を殺された人間にとって、肉体的な死は、救い以外の何物でもない。俺と竹山にとって、女ラインリーダー、川辺美都は、ある意味で影沼よりも脅威の存在だった。

「ところで、竹山くん、渡会さんにはいつコクるのさ」

 女に相手にされず、女に馬鹿にされ、恐怖すら覚えるようになって、しかし、男の性に抗って生きることもできない。自分が若く、容貌の整った女には永遠に好かれないとわかった不細工は、次に若くない女、容貌の整っていない女に好意を寄せるようになった。

「もう、入って半年だろ。そろそろ連絡先くらい聞いとかないと。派遣なんて、いついなくなっちゃうかわからないんだぜ」

 竹山が片思いを寄せる女性、渡会満智子は四十三歳の派遣社員で、昼間、藤井とランチを取っていた女二人組の、年配の方である。

 ふっくらとした体形の満智子は、口数は少ないが、いつもニコニコとしていて愛嬌があり、スタッフでは人気者の一人である。くりくりと大きな目、おかめのような髪型で、皺が少なく、つるっとした肌は年齢を感じさせず、童女のような雰囲気さえ醸し出している。

 しかし、美しいとまではいえない。若くもなく、美しくもないからこそ、俺は満智子に魅力を感じ、竹山は満智子に惚れて惚れぬいている。

 川辺美都のような女に、俺や竹山の存在が廃棄品のようにしか見えていないのと同じように、俺たちもまた、川辺美都のような女を、同じ生き物だとは見做していない。

 ライオンのような力も、チーターのような速さも、ハイエナのような狡猾さもないみすぼらしいジャッカルは、広大なサバンナを駆け回るシマウマには見向きもせず、藪の中をこそこそと動く野兎に食指を伸ばす。

 俺が友麻にこっ酷くフラれ、友麻と満智子が藤井と親しくなる前までは、俺は毎日のように竹山と二人、「恋バナ」で盛り上がっていたものだった。

「む・・無理だよ。僕には、とても・・・」

「無理かどうかなんて、わからないじゃないか。アタックしてみないと、何も始まらないよ」

 アタックしてみなければ、何も始まらない。それは確かだが、当たって砕けて、ボロボロに踏みにじられた男がそれを言っても、何の説得力もない。

 人には分というものがあり、どこかでそれを自覚しなければならない。自分が腐肉を漁るジャッカルですらない、暗い洞窟の奥で、塵や埃に塗れた蟲の死骸を食らっていなければならないドブネズミだったことも知らなかった俺は大馬鹿だった。

 殺意を抱くだけでは罪にならないのと同じように、恋心を抱く自由は誰にもある。だが、その思いを表に出せば罪になる。俺が友麻にしていいのは、ただ友麻の幸せを陰ながら祈り、友麻がイケメンに見初められるために色気を振りまく姿を、暖かく見守ることだけだった。 

 二十八歳という年齢で、自分がごく普通の容姿をした、たった一人の彼女を得ることも許されない男だという自覚もなく、友麻を食事になど誘ってしまった自分は、大馬鹿だった。友麻にボロクソに言われ、セクハラだと騒がれ、ラインを移されたのは、仕方のないことだった。

 馬鹿の巻き添えを増やしたい。俺が竹山に告白を勧める理由は、それだけである。

 歳を重ねてはいるが、女として十分に魅力的な満智子が、肥満体型で、不潔感溢れる竹山の相手などするはずがない。竹山が満智子に告白してフラれ、満智子があの新しく入った岸の女にでもなって、竹山が歯噛みして悔しがるところが見たかった。道連れを増やして、少しでも溜飲を下げたかった。

 「暴発」しない理由――人生を終わりにしない理由を、まだ探している。

 自分が幸せになる方向では、その理由が見つからないことはわかっている。だから、誰かの不幸を目にしたい。俺以下のゴミがいるのを見ることで、自分が世の中で生きていい理由を見出したかった。

「竹山くん、ドリンク取りに行ってくるけど、何か――」

 ドリンクバーを取りに席を立ち上がりかけたところで、全身の皮膚が総毛立ち、天敵の襲来を告げた。

 洞窟で蠢くドブネズミ、暗い地を這う湿ったナメクジが、焼けつくような陽光に照らされて、自分が世の中に生きてちゃいけないんだという気分に満たされていく。

 藤井、友麻、岸、満智子。工場の中で、俺が常に嫉妬の目を向ける四人組がファミレスに入ってきて、俺たちの座る斜め後ろのテーブルに席を取った。

「あれ。あそこに座ってるの、竹山さんじゃん。てことは、その向かいにいるのは青木くんか」

「ふうん、いたんだ。それより、俺が今日やった作業、けっこう腰にきてさ、あれ毎日やるのは・・・」

 俺がすぐに姿勢を低くして身を隠したのに、愚鈍な竹山がいつまでも顔を上げていたせいで、あっという間に見つかってしまったが、奴らはすぐに興味もないという風に、ほかの雑談に移っていった。

 しかし、生きた心地がしない。光り輝く存在である「リア充」「陽キャ」は、ただそこにいるだけで俺にダメージを与える。暴力的な輝きに焼き焦がされ、ナメクジが渇いていくように、俺の存在理由を消されていく。

「あ・・青木、くん・・・・」

 竹山が何を言いたいかはわかる。しかし、俺たちとてまだ、ここには来たばかりなのだ。まだ、料理も運ばれてきてはいない。人としてのプライドが残っている限り、奴らから逃げるようなマネだけはできない。

「それじゃぁ、岸くんの入社を祝して、かんぱーい!」

 あとに注文したはずの「リア充」「陽キャ」グループの方に、先に料理が運ばれてくる。これは、たまたまなのか?思考がどこまでも、被害妄想的になっていく。

 やがて俺たちのテーブルにも料理が運ばれてきたが、まったく箸が進まなかった。ひき肉の塊を豆粒みたいに小さく切っても、口に入れるのに四苦八苦した。

 女と、女を連れた男に、幸せな姿を見せつけられると、食欲がなくなってくる。あんなキモチ悪い顔した男がご飯を食べて、身体を作ろうとしている――女にまったく好かれないのに、必死に生きようとしている――などと、嘲笑されている気がして、口に入れたものから味がしなくなり、水で流しても喉を通らなくなる。

 いま、この世の中で、食べるということは誰にでもできるが、女とセックスをすることは、誰しもに許された権利ではない。同じ生物の三大欲求に数えられるのに、両者を満たす難易度は、天と地ほどにも差が存在する。女と好きにセックスできる男から、誰でもできる食事をしているところを見られると、なんだかバカにされている気分になる。自分でもわけのわからない被害妄想で、頭が一杯になっていく。

「ねえ、これどうする?みんなもうお腹いっぱい?せっかく注文したのに、残していくのもあれだし・・・」

 俺が自分の注文したハンバーグセットと格闘しているうちに、奴らは次々に皿を開けて、これからみんなで、どこかに遊びに行こうという流れになっているようだった。それにあたり、みんなで食べるために注文した、フライドポテトの大皿をどう処理するかが問題になっているらしい。 

「もう冷めちゃって、しなしなになっちゃってるしなぁ・・・そうだ。ちょうどいい処理係がいるじゃん」

 スタンガンで撃たれたように身が震え、頭にカッと血が上った。岸が口にした処理係というのが、俺と竹山のことを指しているのは明らかだった。

「いや・・・・それまずいって」

「けど、もったいないし」

「もらってくれないよ」

 この後、どんな惨めな思いになるかはわかっているが、逃げれば負けになる気がして動けない。抗う術はない。湿ったナメクジのような俺にできるのは、愚図愚図と処刑の時を待つことだけなのだ。

「女の子が頼めば・・」

「早くしないと・・・」

「ほら、友麻ちゃん・・・」

 ひそひそ話が終わり、友麻がフライドポテトの大皿を、俺と竹山のテーブルに運んできた。

「あの・・・よかったら、これ、どうぞ」

 愛想笑いを浮かべながら、友麻は野良犬に餌をやるように、大皿をガチャンとテーブルに置いて、パタパタと走り去っていった。

 腹の底で煮えたぎるどす黒いマグマが昇り、脳を侵していく。

 いつもそうだ。美味しいところは全部お前らが搔っ攫って、俺たちには残りカスばかりが押し付けられる。

 プライドの塊みたいなヤツらに限って、他の人間にも、同じようにプライドがあるってことを想像できない。もしかすると、同じ人間だとすら思っていないのかもしれない。面白おかしい珍獣みたいに思っているから、こんなことが平気でできるのではないか。

 いつまでも、大人しくしていると思うな。

 俺が、レジの前で待つ藤井たちのところに駆けて行く友麻の背中に、フライドポテトの大皿を投げつけてやろうと指をかけた、そのときだった。

「こら!何てことするんだ!」

 神出鬼没――いつから店の中にいたのか、トイレの方からツカツカと歩いてきた影沼が、友麻に向かって、店中に響き渡る声で叫んだ。

「エッチがしたくてたまらないのにエッチができない犯罪者予備軍の青木っちに、あろうことかフライドポテトを食べさせようとするなんて、お前はとんでもない女だな!」

 坊主が伸びたような金髪に野球帽。派手なオレンジ色のパーカーに、ダボダボのジーンズ。典型的、田舎のヤンキーみたいな恰好をした影沼は、無関係の他の客のジョッキを勝手に煽り、ガニ股でのしのしと、友麻に詰め寄っていった。

「自分がこれから大好きな藤井ちゃんとエッチをして、性欲を満たすからって、エッチができない青木っちに食べ物をあげ、せめて食欲を満たさせてあげようとする。お前はなんて、なんて嫌味な女なんだ!」

 突然現れた影沼の発言の奇怪さに、その場にいる全員は、唖然として凍り付いていた。今、この場にいる人間で、影沼の発言の内容を理解できているのは誰もいない。おそらく、ただ一人俺だけが、影沼の言いたいことを、何となくだが理解できている。

 いま、この世の中で、食べるということは誰にでもできるが、女とセックスをすることは、誰しもに許された権利ではない。同じ三大欲求に数えられるのに、両者を満たす難易度は、天と地ほどにも差が存在する。好き放題、タダでセックスができる偉い立場の男と女が、お金をはたいて店に通うことでしかセックスができない可哀想な立場の男に、誰でも食べられる食べ物を与えていい気になるのは、決して許されることのない侮辱である。 

 そんなことを、薄ぼんやりと考えたことのある人間は、他にもいるかもしれない。しかし、それを敢えて口にしようという人間は、おそらく一人もいないだろう。

 常識の世界に住む普通の人間が、頭の中で考えても言わないことを平気で口にする男に、なぜだか俺が、自分自身に密かに抱いている自己評価が重なっていく。

 本人の持っているポテンシャルはけして悪いものではないのに、ついつい、生きる上で考えなくてもいい余計なことばかりに思考を費やしてしまうあまり、やるべきことをやる場面では頭が働かない。結果、無能の烙印を押され、交友関係もうまくいかず、下層階級で燻っている。

 俺と影沼は、もしかして、似た人間なのではないか・・・。

「お前と藤井ちゃんは、ベッドの上でハッスルしまくっているお陰で、カロリーを消費でき、スリムな体型を保てているようだが、エッチができない不満を、ばくばく食べることで満たしている竹山っちなんか、こんなブヨンブヨンに太ってしまっているじゃないか。お前は青木っちにもバクバクとポテトを食べさせて、竹山っちみたいに、ますます女にモテない体型にしたいのか!」

 影沼は友麻を指さして、口角泡を飛ばしながら、異常な言動を――俺が内心思ってはいるが口にはしないことを、一方的に捲し立てる。俺の頭もこんがらかってはいるが、どうやら影沼が、俺と竹山を野良犬扱いした友麻に、激しい憤りを露にしているのは間違いないようだ。

 影沼は、同じラインに所属している俺と竹山を、庇ってくれているのだろうか。一瞬、影沼が、これから俺の頼もしい味方になってくれる、という期待を抱いたが、影沼は自分の言いたいことを言うと、それでスッキリしたのか、そのまますぐに俺たちの目の前から去って、ファミレスを出て行ってしまった。

 一分ほど静寂が流れ、やがてその場にいた全員の表情が、影沼が姿を現す前のものに、すっかり戻った。まるで、影沼が出てきたそのときだけ、ずっと時間が止まっていたかのような再現率の高さである。百万遍生まれ変わっても理解できそうにないものを見てしまったとき、人間の脳は、それが起きたこと自体を忘れようとするらしかった。

「あ!」

 影沼から解放され、レジの前にいる藤井たちの傍まで来たとき、友麻が何かを思い出したように、またパタパタと足音を立てて駆け戻ってきた。

「あの。青木くんのことで、気になってることがあるんですけど、聞いてもいいですか?」

「え?え、なに・・・」

 どうせ、ロクなことではないのはわかっている。わかっているのに、いまも胸の奥底から消えてなくならない友麻への淡い思いが、ドクドクと鼓動を鳴らさせる。

 セクハラだと騒がれ、あることないことでっちあげられ、ラインを移され、幸せを見せつけられ、残飯の処理を押し付けられて、それでも俺はまだ、友麻が好きだった。今からでも藤井たちのグループから離れて、俺の方を振り向いてほしかった。

 俺は友麻のことが常に気になって仕方ないが、友麻の方が俺を気にするなどあり得ない。そう思っているから、友麻が俺に、何かを質問してくれるのが、嬉しくてたまらなかった。

「あの。青木くんと竹山さんって、いっつも一緒にいるけど、二人は付き合ってるんですか?」

 邪気などひとかけらも感じさせない、屈託のない笑顔を浮かべながら、友麻が暗い地の底から舞い上がりかけた俺を、再びどん底まで叩き落した。

 友麻が最初に問いかけてきたとき、せめて、俺と竹山のことで問いたいことがある、と聞いてくれれば、俺は次に続くこの言葉を予測できたかもしれない。理不尽な侮辱を受けるのは一緒でも、あるはずもない良いことに、余計な期待を抱かずに済んだかもしれない。

 友麻が、俺の中にいまだ燻る友麻への思いを知っているのかはわからない。しかし、結果は、俺が友麻に弄ばれたような形になった。

「・・・・・」

 俺が何も答えずに、テーブルの上で握りしめた拳を震わせていると、友麻が可愛らし気に、きょとんと首を横に傾げた。わざとやっているのでなければ、大したタマである。

 友麻の仕草に、岸は腹を抱えて笑い、満智子は何が起こっているのかわからないといった風に、いつものように、童女にもみえる無邪気なほほ笑みを浮かべている。

 ピエロのようになることが、俺の唯一の存在意義。ネタにされ、消費されていくだけの扱いを受け入れれば、集団の中で、俺の居場所は確保される。ただそこに居られることに、感謝しなければならない。本当に欲しいものが手に入らなくても、声をあげることは許されない――。

「おい、やめとけって。ごめんね、青木くん、竹山さん」

 俺の不愉快な気分を察した藤井が、昼間と同じように、俺たちに謝ってから、友麻の肩を抱いて連れていった。

 俺たちに頭を下げても、結局は友麻、あるいは岸の方が大事。俺たち「非リア」「陰キャ」をどれだけ見下し、バカにし、尊厳を踏みにじるようなことをしても、人として値打ちのあるものを持っているヤツは、結局、「リア充」「陽キャ」の位置に留まれる。俺たちはどこまでも、外部の人間なのだ。

 奴らと俺の間に引かれた境界線はけして越えようがなく、どう頑張っても、俺はあちらに混ぜてはもらえない。だから今決めた。明日の勤務中に、藤井と友麻をダガーナイフで刺し殺す。

 怒りが頂点に達すると、人はかえって冷静になるらしい。今すぐブチ切れて、大きな声を上げようとか、友麻に掴みかかろうとかいう考えは浮かんでこなかった。

 藤井たちが去っていったあと、俺は竹山に何も言わないまま、自分で注文したハンバーグセットと、友麻の置いていったフライドポテトの皿、そして昼間と同じく、自分もバカにされた対象であるかをわかっていないように、俺を心配げに見つめる竹山を置いて、さっさと会計を済ませてファミレスを後にした。

 自転車のチェーンロックを外そうとするが、さっきの怒りで、指先が震えてうまくいかない。やがて、竹山が息を切らせながら追いついてきて、何事かをもごもごと口走った。

「青木くんは、僕じゃ・・・僕じゃ、だめなの?」 

「・・・は?」

「僕じゃだめ?僕が一緒じゃ、その、その・・・前向きに生きてみようって気にはならない?」

 俺がなりたくてなれない奴らから、人生を終わらせる決意ができるほどメタメタに打ちのめされた後に、太っちょで汗っかき、面白いことがいえるわけでもない男に暖かい言葉をかけられ、心は白み、背筋を冷たいものが這った。

 誰かに愛され、必要とされたい。だが、愛され、必要とされるなら、誰でもいいというわけではない 

「僕たち・・・とも、トモダ」

「うるせぇっ。もう職場でも、俺に近寄ってくんな。お前に付いてこられると、迷惑なんだよっ」

 馬鹿にもわかるくらいハッキリと、竹山に絶縁通告を突きつけた。明日に予定している藤井と友麻殺害を実行するか否かに関わらず、竹山との付き合いは、本当にこれで終わりにするつもりだった。竹山を邪険にして突き放しても、絶対に後悔しない自信があった。

 高校時代、確かに俺は、見栄という下らない感情から、付き合えた可能性のあった女にアタックしない痛恨のミスを犯した。だが、俺は当時から、周囲の目さえなければ、あの女と付き合いたい、ヤリたいとは思っていた。

 竹山とあの女とは違う。今、現在において、俺は竹山という男を好きではないし、これから竹山という男と、絆を深めていきたいと望んでいない。周りに蔑まれながらも一緒にいるメリットが何一つない竹山との関係を切っても、失うものは何もないし、後悔するはずもない。

 ゼロより価値のないイチは存在する。みんなに馬鹿にされる嫌われ者と一緒にいるところを見られれば、己の惨めさがより増すだけである。

 俺は自転車のチェーンロックを外すと、肩を震わせながら傲然と立ち尽くす竹山を置いて、走り出していった。


                          5


 明日の勤務時間帯に、藤井と友麻を、確実に殺す。大仕事を成し遂げるためには、たっぷり休息をとって、体調を万全にしておかなければならない。俺は帰宅した早々、風呂にも入らないまま布団に潜り込んだ。

 不細工のくせに性欲の強い俺は、寝る前に必ず一度は精を放っていないと、夢の世界には旅立てない。俺は枕元のティッシュを取って、チノパンとトランクスを一緒にずりおろした。

 藤井と岸をロープで柱に括り付け、奴らの目の前で、友麻と満智子を一辺に犯す光景を脳裏に描きながら、神がただ、欲求不満の苦痛を味合わせるためだけに俺に与えたものを扱いた。あっという間に熱を持ち、硬度を増していったそれは、一分もしないうちに、ティッシュ一枚では到底吸いきれない白濁のものを吹き出した。

 大仕事を明日に控え、興奮していきり立ったものは、一度達したくらいでは満足しない。次はロープで柱に括り付けた藤井と岸の顔面を、ハンマーでぐちゃぐちゃに潰しながら、満智子のたわわな乳房を吸い、友麻の中に溢れんばかりの精液を注ぐのを思い描きながら、少し勢いの落ちた二発目をティッシュの中に打ち込んだ。

 次の妄想で、友麻と満智子は俺の子を懐妊しており、その次の妄想では、俺の子を産み落としている。不細工でバカな俺と、美人ではない友麻と満智子の子供は、十歳くらいになると、容姿と頭の悪さから学校でイジメに遭い、鬱になって自殺してしまう。

 友麻と満智子をとても愛している俺は、友麻と満智子に、年に一人は子供を産ませるが、子供は十歳になると必ずイジメに遭い、精神を病んで自殺してしまう。十男が生まれた年には長男が死に、十一男が生まれた年には次男が死ぬ。乾電池が一杯に詰まった筒の中に、後ろから新しい電池を入れれば、前の電池はポコッと落ちてしまうが、そんな感じで、新しい子供が生まれるたびに、古い子供が死んでいく。子供が鬱になり、首つり自殺で死んでいくのを見届けながら、また新しい子供を、友麻と満智子に産ませる。

 死んでいく子供がみんな男なのは、女はそれだけで生きる価値があるからだ。友麻や満智子くらいの容姿ならば、十分イケメンに相手にされるし、俺が高校時代に手を出さなかった女のようなバケモノ顔でも、俺よりもう少し顔が良くて金のある男に相手にされる。すべての女と、俺よりもう少し顔が良くて頭のいい男には生きる希望があるが、俺ほど不細工で頭の悪い男は、ちんぽが精力を持ち、女を求め始める十歳を過ぎたら人生が地獄になるのだから、すぐに死ななければならない。

 俺の劣等遺伝子を植え付けられることは、女にとって、喜びではなく悲劇。だからこそ、中にぶちまける意味がある。地獄の人生を送るとわかりきっている子供を、俺に地獄を味合わせた女に産ませる妄想で愚息を慰める。

 都合六度の射精を終え、いきり立ったものはようやく収まったが、まだ、眠気は襲ってこなかった。スマホのデジタル表示は、二十時ちょうどを指している。

 明日まで待たず、今すぐ、藤井と友麻を殺しに行くことを決めた。

 六枚のティッシュをゴミ箱に捨て、イカ臭くなった手を洗った。シンクから百円ショップで買った包丁を取り出し、ナップザックに入れた。上着を羽織って家を出た。

 工場からほど近い国道沿いに、ネットカフェにカラオケ店、ダーツやビリヤード台などが併設された、複合遊興施設がある。藤井と友麻はそこにいる。俺も今からそこへと向かう。

 年に一度は起こる、派遣社員の暴発。どうやら、今年は俺に順番が回ってきたようだ。

 先達の多くは、社会への復讐と称して無差別に多くの人間を傷つけたが、俺にそれはとてもできそうにない。俺は個人的な恨みでないと、人を殺すところまでは燃え上がれない。

 俺が藤井と友麻を殺すのは、ただのフラれた逆恨みだ。クソみたいに身勝手でクソどうでもいい動機だからこそ、藤井と友麻を殺さなくてはならない。

 人が人を殺すとき、ミステリー作品のようなトリックなんか使わないのは今では誰でも知っているが、同じくミステリー作品のように、人は親や恋人を殺された復讐とか、誰もが同情できるような動機では人を殺さないということは、意外と知られていない。

 俺が抱いているのが、逆恨みではない正当な憎しみだったら、世の中で値打ちのある誰かが傍に寄り添って、温かい言葉をかけてくれる。俺は生きていていんだって思えるし、自分を大切にしようって思える。

 しかし、不細工な俺が、クソみたいに身勝手でクソどうでもいい横恋慕を吐露したところで、心を寄せてくれるのは誰もいない。せいぜい、田辺のような説教好きのオッサンがどこからか現れて、「そんなことぐらい、誰しも経験することだ」「この経験を次に生かせばいいだけだ」など、ありきたりなキレイゴトを吐かれ、オナニーの材料に使われるのが関の山だ。

 この世のどこにも、俺の理解者はいない。だから俺は、藤井と友麻をぶち殺して、人生を終わりにしなければならないのだ。

 途中で寄り道せず、真っ直ぐに、藤井たちの居場所へ自転車を走らせた。こういうのは何よりもまず、勢いが大切である。日が空けるのを待ち、工場に出勤してからではもう遅い。今すぐ人を殺せるほどの熱が冷め、また、何も変わらない鬱屈の繰り返しに取り込まれてしまう。

 藤井と友麻を今すぐ殺すことを決めたのは、紛れもなく正解だ。惰性で続く地獄を、ここで終わりにしてやる。

 目的の施設に着くと、駐車場で、藤井と友麻が並んで歩いているのが見えた。彼らを先導するのは、金髪の男――影沼。どうやら藤井と友麻は、影沼の車へと乗りこもうとしているようである。

 失望――ファミレスで、影沼と一瞬、心が通じ合い、影沼がこれから、俺の頼もしい味方になってくれる気がしたのは、どうやら俺の勘違いだったらしい。考えてみれば、言っている内容はほとんど理解不能だが、底抜けに陽気な影沼は、俺よりよほどあちら側に相応しい。適応能力は、世界で最底辺の男よりも、世界の中に生きていない男の方が上だったのだ。

 仕方ないが、影沼も一緒に殺すしかない。今日、ライン作業中にからかわれただけの影沼に、そこまで恨みがあるわけではないが、運が悪かったと思って諦めてもらう。俺は駐車場の前で自転車を止め、ナップザックから包丁を抜いた。

 鬨の声をあげて飛び出そうとした刹那、射竦めるような影沼の視線に捉えられた。影沼は藤井と友麻に気付かれないようにして、俺の方に手のひらを向けている。ストップの合図を送っているようだ。

 運転席のドアを閉め、車のエンジンをかけた影沼が、ウィンドウから右手を出して、俺を手招きした。付いてこいと言っているらしい。俺は影沼に従って、自転車で影沼の運転する白のカローラを追尾し始めた。

 車の通りが少ない田舎道で、影沼は法定速度をさらに下回るスピードで、のろのろとカローラを走らせる。俺が本気でペダルをこがなくても追えるように、配慮してくれているようだ。カローラは、やがてカエルの鳴き声が響く田園地帯へと入っていった。

 田畑を割る一本道を深々と進み、人家が見えないほど遠くなってきたところで、軽自動車がストップした。慌てた様子で後部座席を降りてきた藤井の背中に、すぐに運転席から出て後を追いかけてきた影沼の手に握られた、煌めく白刃が吸い込まれていった。

 頽れるようにして田んぼにダイブした藤井の背中に馬乗りになり、影沼が滅多無尽に白刃を振り下ろした。ザシ、ザシ、と、人の肉が裂かれる嫌な音と、嘆くような藤井の呻き声が、カエルの大合唱の中に割って入る。肉袋の裂け目から噴き出したもので、泥水がそこだけ赤黒く染まっていく。

「う~ん、う~ん・・ん・・ぅっ」

 藤井の呻き声はどんどんか細くなり、ついにはカエルや夜蟲の声の中に掻き消えていった。

 日常の中で爆発した非日常に、空間が歪んで見える。彫像のように凝固して一歩も動けないでいる俺に、「大仕事」を終えた影沼が、異様な光を帯びる眼と、三日月形にアーチを描く口元を向けた。

「これからさぁ、藤井ちゃん車に乗っけるから、青木っち、手伝って」

 空虚な言動を繰り返す影沼の口から、初めて具体的な指示を聞いて、身体が勝手に反応した。ピクピクと、爪楊枝で突かれたナメクジのように痙攣している藤井の足を掴み、頭の方を持った影沼と一緒に、友麻が震えているカローラの後部座席に運び込んだ。

「な、なんで、こんなこと・・・・」

「なぜって?それは、俺たちの住む底辺世界を蝕む敵、ココロキレイマンを倒すことが、俺の使命だからさ」

 長身の藤井を座席の下に横たえてから、息をゼエゼエと吐きながら問うた俺に、影沼が息一つ切らさずに答えた。

「愛、友情、希望。世の中は、キレイな言葉で溢れかえっている。人を嫉まず、憎まず、すべて自分のせいだと受け入れられる謙虚さを持ち、愚痴をこぼさない。そんな人間が素晴らしいとされている。だけどさぁ。そんな言葉を信じても、そんな人間になろうとしても、どう頑張っても、どうシミュレーションを繰り返しても、幸せにはなれないんだよ。俺たちの住む、底辺世界ではね。だから俺は、俺たち底辺世界に生きる底辺労働者にキレイな言葉を信じさせ、素晴らしい聖人君子にさせようとする悪の勢力、ココロキレイマンを打ち倒す、正義の戦士となったんだよ」

 早口で捲し立てるように言う影沼の言葉が、妙にスラスラと頭に入ってきた。まるで、何年も前から、俺自身がそれを考えていたかのように・・・。

「詳しい話はあとだ。これから山の中に、藤井ちゃんを捨てに行くから、青木っちも乗って」

「いや・・でも、俺、自転車で来てるし・・・」

「自転車ごと乗せちゃいなよぉ」
 
 影沼の指示に、また、意志に関わりなく、身体が反応した。俺は自転車をカローラの助手席に無理やり突っ込んで、足元に横たえられた藤井の亡骸を踏みつけながら、後部座席で怯えて、縮こまっている友麻の隣に腰を下ろした。同時に、カローラが人気のない夜道を、ゆっくりと走り出した。

「青木っち。その女も殺しちゃうから、思い出にヤッちゃいなよぉ」

 ドライブに出かけているように享楽的な口調で、影沼が言った。

「え?え、え、え」

「わかってる。緊張して勃たねぇっつうんだろ?大丈夫だ、そういうときのために、こういう薬を用意してある。飲んでから十五分もすれば、青木っちのチンポは、こんな状況でもビンビンだ」

 言われるままに、影沼に渡された錠剤を奥歯で砕いて飲むと、数分で顔が火照り、下腹部に異変が起こってきた。

「青木っち、ちんちん勃ってきたなら、その女、ヤッちゃいなよ」

 影沼が俺の気を見透かしたように言うと、俺の隣で、藤井の亡骸を踏まないように膝を抱えて座る友麻が、ビクリと身を震わせた。

「え?いや、でも・・・」

「失うもんなんかなんもねえ奴が、失うことを恐れるな!底辺世界の住人に、一瞬より大切な一生なんか存在しねぇ!いま、目の前に置かれたまんこをヤる。お前がやるべきことは、ただそれだけだ!」
 
 シンプルかつ力強い影沼の言葉で、また、身体が勝手に動いた。俺は脇で震える友麻のか細い身体を力強く抱きしめ、青くなっている唇を吸った。
 
「んっんぅむ。んんっむ」

 身をよじって俺を振り払おうとする友麻を固く抱きしめ、歯茎を舌先で撫ぜた。殺したいほど憎んだ女なのに、友麻の唾液は、バニラソフトのような甘い味がした。

「いいねぇ。君たち、ラブラブだねぇ。それじゃぁ次は、おちんちんとおまんまん、ジュポジュポ出し入れしちゃおうかぁ」

 影沼に言われるまでもなく、俺はチノパンとトランクスを脱ぎ去り、剛直を露出させていた。

 狭いスぺースの中で、友麻の衣服を強引にはぎ取り、全裸に剥いて、左右の膨らみにむしゃぶりついた。経産婦ではない友麻の乳から母乳が出るはずもないのに、汗ばんだ友麻の乳房を含んだ俺の口の中には、甘酸っぱい女の味に混ざって、ミルクの甘い味が広がっていた。 

「ばぁぁぁっ。ばぁぁぁっ」

 恐怖が限界を超えた友麻が目を剥き、山姥のように髪を振り乱して叫び出した。友麻の豹変ぶりに、俺がたじろぎ、ペニスを縮こまらせていると、影沼が車を止め、後部座席に身を乗り出してきた。

「騒ぐんじゃねぇ!さ、わ、ぐ、の、や、め、ろ!さ、わ、ぐ、の、や、め、ろ!」

 言葉に合わせて、影沼が友麻の顔面に拳をめり込ませる。女を平手ではなく、グーパンチで打つという、ある意味、殺人以上に思い描きもしなかった所業を目の当たりにし、背筋にゾッとしたものが走った。

 何度も脳を揺らされて、友麻がぐったりとすると、影沼は運転席へと戻っていった。俺は己の手で刺激して勃起を復活させると、友麻を対面座位の形で抱き抱え、挿入を試みた。

 狭くて動き辛い上に、風俗でも、本番からは三年ほど遠ざかっているため、なかなか穴を探り当てることができない。ずっと、硬直した棒を、生魚のような臭いを発している友麻の秘所にすり合わせるのを続けているうち、向こうが段々と濡れてきた。無理やりヤッても、女の身体が反応することに驚くと同時に、とうとう俺のものが、友麻の中にジュプッと入った。

「いいねえ青木っち。ついにまんこに、青木っちの毒毒ナイフ、ブッ刺しちゃったねぇ。それじゃ次は、素人童貞で経験が少ない青木っちのぎこちなピストンで、まんこを突き上げてみようかぁ」

 不細工遺伝子をばら撒く俺の生殖器。女から見れば、たしかに、毒を塗ったナイフのような危険物に他ならない。影沼の言葉を聞いて、硬直の度合いはより高まった。

「青木っち。お前がその女に受けた仕打ちを思い出せ。まんこを突きまくって、お前の中に残った僅かな罪悪感を吹き飛ばせ!すべてのココロキレイ菌を浄化して、俺とともに、ココロキレイマンを打ち倒す戦士となれ!」

 俺が友麻にされた仕打ち――ただ、普通に食事に誘っただけで、セクハラだと騒がれ、あることないことでっちあげられて、担当者から叱責を受け、ラインを移された。

 セクハラ。その言葉は、若い女が、組織で重要なポストに就いている男から、立場上の弱みを突かれて性的な嫌がらせをされるのから守るために存在する言葉のはずである。それを最底辺の社会的地位にいて、生まれてこの方、一人の女にも振り向いてもらえなかった男の不器用な口説きに対して使えば、当然、あらぬ感情の縺れが発生する。

 俺の友麻へのデートの誘い方は、本当におかしかったのかもしれない。本当に好きだったから、ジロジロ見つめてしまったこともあったかもしれないし、ライン作業の中で、偶然身体に手が触れてしまったこともあったかもしれない。

 友麻がこの工場の中で、ほかの誰かと恋愛することがなかったら、「迷惑かけたな、申し訳なかったな」と思うこともできただろう。だが、友麻は藤井が俺と同じことをしたとき、それを嬉しそうに受け入れた。俺は藤井と差別された。これでもう、反省できなくなった。

 組織で重要なポストに就いているわけではない俺は、女からボロクソ言われて、プライドをズタズタに傷つけられて、そこで踏みとどまることができるだけの大切なものを、何も持っていないのだ。非正規の派遣社員の俺が、あそこまでやられて友麻を許す理由は、せいぜい「男らしさ」とかいう感情論しかない。

「男らしさなんて感情は、男が常に、女を上回る地位を得ている世界でしか価値を持たないものだ!地位も財産もないのに、わざわざ男らしさなどという感情で自らを縛りに行くのは、女の奴隷となることを受け入れた愚かな男の選択だ!俺たち底辺世界の住人にとって、男らしさなんて感情は、何の意味もない!どんな事情があれ、男を振るときに遺恨を残さないことを、相手の男らしさなんてもんに依存する対応しかできない時点で、その女は終わっているんだ!そいつに社会的に制裁を加える手段がないのなら、ちんぽをブッ刺して成敗するしかなあぁぁぁい!」

 影沼の放つ言葉は一々至極もっともで、反論の余地がない。俺自身が長年考え続けていたことを、そのまま代弁してくれているかのように聞こえる。

「青木っち。お前が藤井ちゃんから受けた仕打ちを思い出せ。お前の中に残った僅かな罪悪感も吹き飛ばせ!すべてのココロキレイ菌を浄化して、俺とともに、ココロキレイマンを打ち倒す戦士となれ!」
 
 影沼が、友麻と藤井を入れ替えただけで、先ほどとそっくり同じことを言った。

 過剰な対応と侮辱の被害を受けた友麻はともかく、表面上、俺によく接してくれた藤井を憎むのは、ただの逆恨みになるようだが、そうでもない。

 一握りのイケメンが、多数の女を独占する構図。客観的冷静に見て、藤井の容姿と、藤井が仲良くする友麻、あるいは満智子の容姿は釣り合っていないという事実が、俺が藤井を憎む正当な理由である。

 今、この世の中で、節操という言葉は、もっと注目されていいと思う。その気になれば、もっと若くて可愛い女を抱くことのできるイケメンが、不細工が抱きたくて抱きたくてたまらない、おばさんやブスを持っていくという暴挙が、果たして許されていいのだろうか。

 凛々しい鬣をなびかせるライオンが、サバンナでシマウマを追いかける姿を見ても、みすぼらしいジャッカルは何も感じない。自分が同じことをしても、敢え無く後ろ足で蹴り殺されるだけなのをわかっているのだから、ライオンを憎みもしないし、妬みもしない。

 しかし、シマウマの味に飽いたライオンが、深い草藪に潜む野兎をつまみ食いしようというのなら――これから野兎は俺の獲物だから、これからお前はドブネズミに混じって、洞窟で蟲の死骸を追えと言われるのなら、ジャッカルは黙っていられない。

「俺は竹山みたいな、女を諦めなきゃいけないどうしようもないゴミじゃねえ!俺はドブネズミじゃねえ!俺にはまだ、彼女ができる希望はある!女に愛される希望はある!てめえは、俺でもゲットできるような女を持っていくな!イケメンは大人しく、もっといい女のケツを追っかけてろよ!」

 俺は剛直で友麻を突き上げながら、足元に横たわる藤井の顔面を踏みつけた。

 分相応という言葉をわからせてやらないといけないのは、何も、根拠のない自信を振りかざして無謀な挑戦を繰り返そうとする者だけではなく、逆も然りである。友麻のような美人ではない女からみれば、藤井は女を顔で判断しない心もイケメンな男かもしれないが、美人ではない女に最初から狙いを定めている俺からみれば、藤井は謙虚という皮を被りながら俺の獲物を掻っ攫っていく、とんでもない節操なしでしかない。

 無差別に人を傷つけたのでは、きっと後悔し、反省するときがくる。しかし、藤井と友麻を殺しても、俺はこの先ずっと、後悔も反省もしないと思う。奴らを殺すことは、俺をこんなにまでした社会への復讐になる。それほど憎める相手を、俺の目の前に遣わしてくれたのは、神の慈悲だと思う。

 女が心底嫌うグロテスクなもので、女を貫く。自分を女へのご褒美だと思っている藤井のようなイケメンにはけして味わえない高揚感に酔いしれながら、俺は影沼の言う通り、素人童貞のぎこちない動きで友麻の襞を擦り、ツブツブの感触を味わった。

「うぅぅうぅおっ、うぅぅうぅおぉぉおっ」

 この世に生まれたことを呪う友麻の叫びが、鼓膜を心地よく慰撫する。

「友麻っ。友麻っ友麻っ友麻ぁっ」

 愛し合って、するはずだった。

 俺と友麻が、女が社会的に弱い立場で、経済的に男に依存しなけれなならなかった時代に生まれていれば、俺と友麻が、愛し合って肉体を重ねることもあり得たかもしれなかった。

 友麻は知る由もないだろうが、俺が友麻を好きになり、セックスをしなければならないのは、前世からの因縁で決まっていた。友麻の意志に関わらず、俺は友麻に、俺の種を送り込まなければならなかった。時代さえ良ければ、それはもっと、平和裏に行われるはずだった。

 一握りの条件に恵まれた男が、すべての女を独占する社会に生まれてしまったおかげで、俺は友麻を無理やりヤらなくてはならなくなった。

 恨むなら、時代を、社会を憎んでくれ。

 この女に復讐することは世の中に復讐することと同義だと思える女の中で、絶頂の時が近づいていた。

「うぅぅあぁっ。おぉぉぉおぅぅぅぅぅオっ」

 この男に復讐することは、世の中への復讐になる――。足元でこと切れている藤井の顔面をもう一度踏みつけると、友麻の泣き声がいっそう高くなった。友麻の中で、赤黒く鬱血したものがグググッと持ち上がった。

「うっ。ぬっ、むーーーーっ」

 すでにこの晩、六度も射精しているのが信じられないほど大量のおたまじゃくしが、友麻と俺の子が作られる部屋を目がけて、ドヴァッと放たれた。

「ふぅぅっ」

 肺腑から大きく吐息を漏らして、蜜壺から剛直を引き抜いた。精液と愛液が絡みあった体液がてらてらと光って、足元で天井を見上げている藤井の顔面に垂れ落ちていった。

「激しかったねぇ。スッキリした?」

「あ、あぁ・・・」

 俺が肩をつき、息を切らせながら返事をすると同時に、カローラが停車した。周りには、スクラップとなった自動車や冷蔵庫などがうず高く積まれている。山道を中腹辺りまで入り、産廃置き場にまでたどり着いたようである。

「これからその女、殺して燃やしちゃうから。青木っちは、車の周りにガソリンまいて」

 ライン作業に従事しているように淡々と俺に指示を飛ばしながら、影沼が助手席からポリタンクを取って、俺に寄越してきた。

 終始、友麻のことを、モノのように言う影沼。俺が欲しくて欲しくてたまらなかった女を、人として見ていない男に、俺の中にある人の心が反発する。

「ま、待てよ。殺すことないだろ」

「だって、そのまんこ殺さないと、俺と青木っちが、国に殺されちゃうよ。自分が死なないためには、そのまんこを殺さないといけないだろ。さあ、早く車の周りにガソリンをまいて、火をつけるんだ。思い残しがあるなら、その前に済ませておけ。青木っちをバカにしたまんこを、もっとグチャグチャにしたいんだったら、今のうちにやっておけ」

 影沼の言うことは一々至極もっともであり、反論の余地もない。さらに、影沼の言っていることは、俺がずっと、やりたくてできなかったことでもあった。

 着やせするタイプだったのか、友麻を抱いているうち、彼女の腹回りは意外に肉付きが多いことに気が付いていた。俺をお下劣なもの扱いする割には、友麻の身体がだらしなかったことが、俺の劣情を誘い、僅かに残った人の心を吹き飛ばした。

「こんなエロい身体しやがって。許さねえ。許さねえ、許さねえ、許さねえ」

 俺は友麻を車の外に引っ張り出すと、土と雑草の上に押し倒し、正常位で友麻をしっかり抱きしめ、バニラソフトの味がする口を吸いながら、今晩八度目の絶頂に向かう剛直を抽送した。

 何度も、何度も、俺の恨みで友麻を突いた。擦り切れて血を滲ませる秘裂に、幾度出しても収まれない俺の恨みを擦れ合わせた。友麻の中が白濁の憎悪で満ちていくまで、無心で腰を振り続けた。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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