感謝の気持ち しばし別れのご挨拶

 読者さんが私との約束を守ってくださったお陰で、無事にコメント数のノルマを達成できましたので、最後にこの不定期更新期間の総括的な記事を書かせていただきたいと思います。

 サイトの更新を再開した際、最近このサイトを知ったという方が新しくコメントをくれたとき――。また、3か月も更新を停止し、コメント返信すら怠っていたにも関わらず、多くの常連さんがチェックを続けてくれていたのがわかったとき、私は本当にうれしい気持ちでした。当時、私の作品が某賞の一次選考を通過したのと相まって、すごく気持ちを前に持っていくことができました。私の中では、4月末に定期更新を中断したところで一区切りついており、最後まで残ってくれた方にはみんな感謝しているのですが、8月からの不定期更新期間にもコメントをくれた常連さんには特別に重ねて感謝をしています。
 
 不定期更新期間は、小説を書く前のウォーミングアップとして、気持ちを前に持っていく手段として、私の方としても大変効果的に利用できましたが、ひとつ心残りだったのは、最後に連載させていただいた「考え方の変化」シリーズにおいて、肝心の初期からの読者の中で、こちらのシリーズにコメントをくださった方が、たった一人しかいなかったことです。

 3年強もの月日が経てば、お客さんに入れ替わりがあるのも当然のことかもしれません。振り返れば、私の不徳の致すところもあって、これまで多くの読者さんを失ってきたものですが、それでも、「偽善の国のアリス」のころまでは、一年目からの読者さんが一定数残ってくれていたのも事実です。

 「偽善の国のアリス」の連載期間中に、私は、貴重なコメントをくれる読者さんを、二人も失ってしまいました。トラブルの発端となったのは、一人は私に「説教」をしてきたこと、もう一人は、15回の連載を終えた最後の最後のコメントが、自分の近況報告をしたのみだったということでした。

 ・ブログ主に「説教」をする。
 ・ブログ主が提示した話題を無視して、自分語りだけをする。

 こうした行為は、私のところだけでなく、どんなサイトにおいても推奨されない行為です。私の場合、マナー違反があっても、即出禁ということはせず、もっとちゃんとした感想コメントをくださるようならまた笑顔で受け入れますし、二人の方にも、実際にそのようにしてくださるよう、最初は穏やかな返信で促したのですが、結局、彼らは再度コメントをいただけることはなく、おそらく読むの自体やめてしまわれました。

 思うに、彼らは、私がもっと、通常のブログ形式で、自由に雑文を書き散らしていた初期のノリのままでコメントをされてしまったのでしょう。確かに、初期において、私は、今ほど「書く」ということに真剣ではありませんでした。こいつは真剣にやってないな、と思うから、書いている私をなめくさったようなコメントが届くこともある。

 実際、初期には「説教厨」や、私をホストか何かだと思って、ただ自分の話を聞いてほしいだけの人が多数訪れていたのは事実です。「説教」「自分語り」だけをしてくる人は、私にとっては荒らしと大差ない存在ですが、上にあげた二人の読者さんは、私の文章への感想コメントをくれることもたまにあり、私にとっては大切な「お客さん」でした。

 前者の方は、「津島は人間関係を大切にしていない!」と説教されながら、自分が人間関係を大切にせず、説教を最後にいなくなってしまった。偽善アリスの連載開始前、私は、人からどれだけ説教されようが、私の考えが変わることはないと釘を刺したにもかかわらず「説教」をしてきたからには、相当な覚悟があったのだろうと思いきや、あっさりドロンされてしまった。自分で言ったことも守れないような人に説教されたのかと思うと、私も悲しくなりますが、彼にとっても、3年間読み続けた最後がそんなんで終わってしまったのは、さぞ無念だったでしょう。

 後者の方は、もしかしたら、私と「友達」になって、自分を気にかけて欲しかったのかもしれません。ただ、それにしても、「君の話はど~でもい~から、僕の話をき~て」という方とは、「友達」にもちょっとなれないのかな、という気はします。私自身、自分に何の得にもならない、私の話を聞いてもくれない人のお悩み相談をしているほどの余裕がない立場なので仕方ない面もありますが、コミュニケーション力に難のある方が、勇気を持って書き込んでくれたのに、居場所を作ってあげられなかったのは残念に思います。

 いなくなった人のことを言うのは、ここまでにしようと思います。初期の読者がほとんどいなくなってしまったことについても、私の執筆活動を、ただ単に「底辺生活者が喚いている~」と、からかい半分で見ている人が消え、私が本気の本気で底辺からのし上がろうとしており、自分の「作品」を世に残そうとしている、と理解してくれる人だけが残った。そういう風に、前向きに捉えていこうと思います。

 「自分の気持ちを前に持っていく」――。私はそのために、この数か月間、このサイトを利用させてもらいました。前向きな言葉を文字にすることで、自分で自分に言い聞かせ、また、それを皆さんが承認してくれるという一連のやり取りによって、本当に気持ちが前に向いてくる。そういう効果を、確かに実感することができました。

 この不定期更新期間、私はずっと、「サイト運営にしがみ付き過ぎた」という言葉を連呼してきましたが、「何事も前向きに捉える」という観点からいくと、自分がサイト運営をずっとやってきたこも、そんなに卑下する必要はないとも思います。

 前回の読者さんへの返信で、私はサイト運営にしがみ付いていた自分と、アルバイトの警備員にずっとしがみ付いていた折茂が似ていると書きましたが、やっぱり折茂と私とは明確に違うと考え直しました。
 
 折茂はアルバイトの警備員という、続けても上がり目はないとわかりきっている非正規労働にしがみ付き、程々に手を抜いてやればいいものを、糞真面目にやろうとして、いちいち人を追い込むという意味のないことをしていましたが、私の場合は、サイトを大きくして出版社にアピールするという明確な目的があった。それが叶わなかったというのは結果であって、ビジョンはあった。

 折茂の場合は、ただ単に「必要とされる嬉しさ」にしがみ付き、切り上げ時を見失っていただけでしたが、私の場合は、このままじゃやめるにやめられないという絶望の状況でずっと粘り続け、最終的に、ある程度サイトが思うような形になったことで、文学賞への応募という道にシフトする決断ができた。「必要とされる嬉しさ」を理由に、切り上げる決断をした。

 やっぱり、折茂のやってきたことと私がやってきたことを同一に考えて卑下する必要などはまったくない。ただただ自分の貴重な時間をはした金に変えただけで、将来のことを思えばほとんど意味のなかった折茂の警備員時代と違い(あんまり人と比べるのもよくありませんが)、私の場合は、最終的に文章で金を稼ぐという目標への「道」にちゃんとなっていると、前向きに考えてもいいのではないかと思います。

 数日間という短いスパンの中でも、「考え方の変化」がある。そういうことをブログ形式でこれから書いていくのもいいのかもしれませんが、ちょっとやっぱり、十分な見返りがないという状態でこれ以上続けるのは無理なようです。
 
 二年目の後半あたりから、私はずっと、「コメント」を唯一のやりがいにして書き続けていました。コメントをしてもらうということは、読者さんに大切な時間を使ってもらうということであり、読者さんがそれだけ私の書いたものを読みたいと思ってくれている、と判断できる。

 今回、どうしても能力的な問題があって、コメントをする気持ちがあっても、なかなかうまく書けないという意見も頂きました。それを正直に言ってくださったことは、とても良かったことだと思います。

 ※「忙しくて」コメントができないという方もいらっしゃいますが、これは信じないようにしています。そんなに何か月も休みがないほど忙しいわけでもないでしょうし、じゃあ、毎回コメントをくださる読者さんは暇人なのかという話になってしまう。忙しいのが事実だとしても、それも結局、「時間(内に書く能力)がない」という風に解釈させていただいています(数か月に一回でもくれるだけ感謝しなければならないとは思いますが)。

 私もまだまだですが、「できる」人間から見ると、「できない」人の気持ちはわかりづらいものです。世の中には2,3行のコメントも、本当に書くことができない人もいるのかもしれない。そう考えてみてみると、確かに、毎回コメントをくれる読者さんに比べて、たまにコメントをくれる読者さんのコメントは、なんとなく「しんどそう」にも見えます。

 応援してくれる人に「しんどい」思いをさせてまで、続ける意味があるのだろうか・・・。結局のところ、コメントというものを頼りにして書き続ける、というスタイルに、限界が来ているのだと思います。

 また、ちょっと更新をお休みしようと思います。

 今回、更新を再開した理由は、偽善の国のアリスで補足したい部分があったこと、サイト運営上で、どうしても許せないと思った、一部の行儀が悪い読者への感情を吐き出したかったことでしたが、それをひとまず達成できて、私の気は済みました。

 また、どうしても書いておかなければならないこと、吐き出したいことが溜まってきたときに、ちょっと更新をしてみようかと思います。

 そのときはまた、コメントの方をよろしくお願いします。「したくてもできない」方もいるのはわかりましたが、それでもやはり今の私には、コメントしかないんです。プロから声がかからないこと、そのこと自体は本当に悔しく思う。だけど、一定の見返りがないと、私も書けません。

 願わくは、今度はプロとして皆さまの前に現れ、中断している作品を最後まで仕上げたいと思いますが、もし、アマチュアの立場のままで書き続けなくてはならなかったとするならば、そのときは、お金の代わりに、皆さまからの声援を寄せていただければ、と思います。
 
 麻原24は近日中に更新します。
スポンサーサイト

サイト開設当初から 考え方の変化 5

noguti.jpg



 最後に神山のことですが、ヤツのことに関して変化したのは、あの記憶を自分の中で、前向きに生かせるようになってきた――生かそうとしている、ということです。

 サイト開設当初に神山のことを思い出すときには、

「神山を捕らえ、まず飽きるまで自分で犯しまくった後、河川敷で拾ってきた汚いジジイにあの女を預け、神山にジジイの子を産ませ、その子供を、金澤に蹴殺させ、その光景を見せつけながら、アホの関口に「自分の恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですかぁ~」と叫ばせながらオナニーをさせ、子供の死体にかけさせながら、野村に「神山のおかげで彼女と出会えた。あーよかったな(その当時はまだその名言は生み出されていませんし、野村のセリフでもないですが)」と叫ばせながら、あの豚まんのような顔を殴りまくり、中尾と深沢には、子供を蹴殺した後で鬱になっている金澤をフェラさせ、腐ったザーメンを全部飲ませ、三人目の講師と加納に関してはただ単に殴りまくり、あとの連中がその光景を見ておいおい泣いているのを眺める」

 という妄想をするだけだったのが、最近というか、サイト運営中に徐々に変わってきて、私が一定の成功を収めたのち、なんかのキッカケであの連中に再会して、得意げに振舞ったりするといったようなシーンを想像するようになりました。

 その想像の内容は恥ずかしいので、ここでは書きませんが、そうしたことは自分のモチベーションを掻き立てるために大事なことで、下積み時代にそういうことを実践していた成功者は沢山いたそうです。具体的に成功を実現するための努力をしているなら、ただの「妄想」にはならないはずです。

 当時の連中――野村や関口らは、私と神山とのことを、「なかったこと」にして終わらせようとしました。

 冗談ではない。私にとって、あの経験は絶対に忘れてはならないことであり、これからの人生の糧にしていかなければならいことである。

 神山が私に対して言い放った言葉の中に、私に「反省しろ」というものがありました。当時の私は、それを「神山にしつこくしたことを反省しろ」という意味だと思い、鬱になっていましたが、慎重にヤツのやったことを振り返った結果、それは「お前のような乞食が、私のようなプリンセスに恋をしたことを反省しろ」という、極めて差別的な、身勝手な意味であったことが判明しました。

 その真相に気が付いた以上、「神山に執着したこと」を反省するのは、神山及び、あの「偽善の国」の連中の都合であり、私には何の得にもならないことです。

 神山が誠実に対応してくれたのに私がいつまでもしつこくしていたのなら、それは私の方がどうしようもないストーカー野郎だということになり、私が全部悪いということになりますが、神山の方が先にナメ腐ったことをしてきたのならおあいこであり、むしろ、鬱にまでなり、今現在の社会的地位が低い私の方が「被害者」ともいえると思います。

 では、あの当時のことで何も反省することがなかったかといえば、そうではありません。

 あの当時のことで、私が本当に反省しなくてはならないのは、「自分の気持ちを誰にも伝えなかったこと」「伝える能力を持たなかったこと」だと思っています。

 このサイトにも、コメントを積極的に下さる読者さんと、そうでない読者さんがいらっしゃいますが、「思い」というのは、相手に「伝え」なければ何の意味もないものです。

 以前、私がレビューの記事を消したときに恨み言を言ってきた読者のことを書きましたが、自分が今でも読んでいることを私にまったく伝えようとしなかったにも拘わらず、私が彼はいないもんだと思って記事を消したあとになってから突然出てきて、「俺は読んでいたのに何てことをするんだ!」などと、恨みごとを言われても、こっちはただムカつくだけです。また、「このサイトができたころから、ずっと読み続けてきた者です」などとでかい顔をされましても、HNをつけてコメントをされない以上、私から見れば初見とまったく変わりはなく、そんな相手から説教されても反発心しか湧きません。

 私があの専門学校を卒業した後、しばらくして、証書を受け取りに学校に顔を出した時、私は講師から、あのクラスの連中が、私のことを心配していたと聞きました。しかし、私が休暇に入ったとき、私に連絡をくれたのはごく僅かにすぎず、その連中も、私の本音については、まったく聞こうともしませんでした。相手に伝わらない「心配」などは、何にも思っていないのと同じことであり、こっちがどう歪もうが、奴らを恨もうが勝手ということになります。

 しかし、そういう私も、彼らに自分の本音を「伝えようと」していなかったのも事実ではないか。

「神山は私がしつこくしているから嫌っているように装っているが、実際に失礼な対応を取ってきたのは神山の方が先である。私にも問題があるにしても、神山が一方的に被害者ヅラをしているのはおかしい」

「私のことを当初バカにしており、その後も特に良くしてくれたわけでもない金澤に好きな女を持っていかれたらムカつくのは当たり前であり、それを祝福しろ(そこまでは言われてませんが、そんな雰囲気だった)なんてとんでもないことである」

 この辺は私が明確な「被害者」として主張できる部分であり、ここをうまく説明できれば、私に同情がいく向きもあった可能性は十分あったと思います。

 私が一番信頼していた関口に、「悩み事なんか相談してくんな」というふうに防衛線を張られてしまい、野村にしても、「神山のことは忘れろ」と自分の結論を押し付けられ、「なかったことにしよう」というふうにされてしまったことで、私も相談しにくくなった部分もありましたが、それでも、「伝えなかった」ことは、私が悪かった部分だと思います。もし、私がちゃんと「伝えようと」していたら、神山と金澤以外の連中には恨みは抱いていなかったかもしれない。

 とはいえ、伝えようにも、当時の私の能力で、ちゃんと伝えられたかという問題もあります。うまく整理できないまま伝えれば、やっぱり私の「逆恨み」「邪な嫉妬」で片付けられた可能性もあり、彼らに余計に恨みを募らせていただけかもしれません。


 「自分の思いを伝えなかったこと」「伝える能力を持たなかったこと」

 あの一件で私が反省しなくてはならないのは、この二点です。だから私は、自分の内に抱えたものをすべて吐き出し、それを人にうまく(面白おかしく)伝える道――「小説を書くこと」を始めた。

 アイツらのことは、もうしょうがないと思います。結果的に、恨みしか残らない形で終わってしまった以上、これからもずっと恨んでいくしかない。大事なのは、それを前向きな形で生かすことです。

 サイト開設当初には、あの連中に、物理的な方法で「復讐」することばかり考えていました。今も、完全にその選択肢を捨てたわけではありません。例えば40近くになってもまだ底辺に沈没したままで、もう絶対に逆転は不可能だと思ったときには、「やるしかない」とも思います。

 でも、その前に、限界までやってみなくてはいけないのではないか?限界までやってダメならともかく、中途半端のまま復讐などしても、自分の中で後悔が残るだけではないか?

 「そのとき」が来るまでには、あの時期のことを、できるだけ前向きな形で生かさねばならない。奴らのことを思い出すにしても、どうしようもない妄想ではなく、実のある「想像」をしなくてはならない。今はそのように考えて、当時の記憶に向き合い、また、活動に取り組んでいます。 

 また、神山と並んで、私小説の主役格を務めた折茂にも触れておきますが、彼に関しては、勝手に頑張ってくれとしか言いようがない。とにかくエネルギーはある男なのだから、ちゃんとやってれば、人並以上の人生は拓けると思います。ああいう意欲のある人間が30過ぎても底辺に沈没したままだとするのなら、それはもう社会の方が悪いということになる。

 私自身、世の中での成功を目指す立場として、あの男にはむしろ、それなりの成功を掴んでほしいと思います。というか、今生きていれば30半ばですから、すでにどこか、彼の能力を遺憾なく発揮でき、それに見合った報酬を得られるところで、それなりの立場に収まっていることを信じたいです。

 考え方の変化シリーズはここで終わります。あと、確実に更新できる予定は「麻原彰晃 24」となりますが、こちらの最終回もコメント数のノルマ達成できましたら(できるだけ早めに。一週間以内くらい)、最後におまけとして、一連の総括的な記事を書きたいと思います。よろしくお願いいたします。

サイト開設当初から 考え方の変化 4


kami.png


 「無駄な劣等感から解放された」に並ぶ、私の開設当初からの大きな精神的変化として、「信仰の対象を求めなくなった」ということが挙げられます。

 日本は無神論の国と言われますが、そんな中でも、ある人は好きなアニメのキャラクターに、ある人はスポーツ選手やタレントにと、特定の何かを「神」として崇め、心の支えにしている人は多いと思います。そういうのも、立派な「宗教」といえると思います。

 私もかつては、「信心深い」人間でした。レビューを書いていたように、ほかの作品に熱狂していたこともありましたし、少年時代には、格闘技の選手を崇拝していたこともありました。

 「神山」にあそこまで執着したのも、蛆村や野村、金澤といった連中に精神的に苦しめられ、キツイ状況下にあったときに親し気に話しかけてくれた神山を、「女神」として崇めてしまったのが理由でした。 

 後に、「女神」が私と親しくしてくれたのは、「ロイヤルプリンセスが乞食を哀れに思って優しくしてやっている」 といったような見下した感情からであったことがわかり、「女神」を、よりにもよって私を苦しめていた当の本人に持っていかれてしまったことから、かつて好きだった以上の憎しみを抱くことになってしまった。

 しかし、20代半ばという年齢で一度ぶっ壊れ、いちから自分という人間を作り上げるという作業を進める中で、私は「神」を追い求めなくなっていきました。

 サイトの開設当初は、明らかにそうではなかった。初期からの読者さん(今じゃほとんどいなくなってしまいましたが)ならご存じのように、サイト開設当初、私は変なニコ生主を崇拝する記事を書いていましたし、レビューも書いていました。今は奥さんとなった彼女を崇めるような記事も書いていたと思います。

 一時期、本当にやめようかと思った絶望の時期を乗り越え、犯罪者名鑑を始めた2年目の後半あたりから、「神」を必要としなくなった。その理由は、自信がついた・・・というより、サイトを運営し、小説の修行を進める中で、物事を自分の頭で考える癖がついてきたからだと思っています。

 「信仰する」というのは、ある意味、思考を停止する行為です。それがどういう行為か考えもせず、上から言われるままに地下鉄にサリンを撒いたオウムの信者を見れば、それがよくわかると思います。

 物事を考えるにおいて、「信仰」は邪魔である。思考をフルに使う小説の修行に励む中で、自然と、私の頭からは、「信仰心」というものが消えていきました。

 自分で判断して「信仰心」を捨てた私に、「俺の信じる神を、お前も信じろ!」などと押し付けるのは、とんでもない行為です。

 何度も同じ話をして恐縮ですが、今回の不定期更新期間の中で、私は、かつてレビューの記事を消したときに恨み言を言ってきた読者と、「彼女ができたな。あーよかったな」などというふざけた結論で私の物語を片付けようとしてきた読者を盛大に叩かせてもらいましたが、彼らがやってきたことは、結局、他の人が書いた作品や、彼女(妻)という自分の信仰の対象を、私に押し付けるという行為です。

 彼らは、それを信じることはいかにもイイことだという風に言ってきましたが、世界中で宗教戦争を起こしまくっているのは、そういう、人の考えを頭ごなしに否定し、自分の信じるものを押し付けることしかできない人間です。他の人が書いた作品も、うちの奥さんも、私にとっては大切な存在ですが、それに「依存」し、それ中心の人生を生きるのは考えられません。

 26歳から始めた活動の中で、自分以外の誰も信じないし、誰も崇拝しない、絶対にブレない自分自身を作り上げられたということは、創作だけではなく生活面においても、私にとって大きな成果でした。そして、それができたのは、他ならぬ、私のサイトにコメントをくれた読者さんのお陰です。

 自分自身というものは、自分で思うだけではなく、他人に承認してもらうことによって初めて固まるものです。承認されるだけではなく、「説教」に滅茶苦茶反論し、説教厨を叩きまくることでも固められる。

 私の書いた私小説や雑文に好意的なコメントを寄せてくださった方々には、本当に感謝したいと思います(説教厨には、帰ってくるなら感謝してあげます)。

 精神面の変化というより、純粋な進歩といえるかもしれませんが、社会に対する、必要以上の恐怖がなくなったこともあります。

 先に書いた通り、私はサイト開設当初、いわゆるニートの状態にありました。当時の私にとって、「働く」という行為が物凄く過酷なもののように見えていた理由の一つは、「健康で文化的な最低限度の女」ひとり与えられないのに、なんで労働の義務ばかり果たさなくてはいけないのだという不満。もう一つは、これまでの働き先が合わなかったことから、底辺労働の現場というものを、それこそ産業革命時代の奴隷工場のようなものと恐怖していたからでした。

 後者の認識については全面的に考えを改めたわけではなく、実際問題、酷い職場はあちこちにあると思います。結局、マッチングの問題であり、どうせ正社員でもないのだから、自分に合わない、酷いところだと感じたら、さっさと逃げればいいだけの話なわけですが、あまりにもそれが連続すると、社会に対する不信感、恐怖に繋がっていくことになる。同じ経験をした人は、たぶん何人もいるのではないでしょうか。

 給料は安くても、そこそこ楽ができて、まともに人間として扱ってくれる職場を見極める目を養い、労働に関する正しい知識を身に付けることが、正規の道から滑り落ちた人間が、「社会や、会社に殺されない」ために大事なことです。非正規労働の現場では、自分はとにかく身体ひとつで働いているのだからと安心して、ニートやホームレスを見下して喜んでいるような人間もいますが、ただ馬車馬のように働くだけではなく、「机上論」を身に着けるのも大事なことです。

 世の中は、無知な人間が食い物にされるようにできています。非正規労働の現場には、非正規は有給ももらえないと思っているような人もいますが、社会に関する基本的な知識がないばかりに、ブラック企業やブラック上司にいいようにされている人の、いかに多いことか。本当は、学校である程度教えるのが筋だと思うのですが、日本という国ではそうなっておらず、個人が自己防衛していくしかありません。
 
 まともな職場に入れるかは運もありますが、労働法の勉強はどんな環境でもできること。戦争も恋愛もそうですが、経験則と机上論、どちらかに偏ることなく、両方をバランスよく備えていることが大事になると思います。 

 現在、私は職場において、まずまず快適に過ごせています。相変わらず非正規の派遣労働で給料は安いのですが、仕事はキツくはなく、周りとはうまくやっています。

 ですが、私は今の境遇に、まったく満足していません。友人はどうでもいいというわけではありませんが、その程度の些細な幸せに逃げ込んで、「あーよかったな」で終わらせる気は、まったくありません。

 私はまだ、まったく救われてなどいない。こんな程度では、自分も自分の人生も好きにはなれません。

 私が血反吐を吐きながら作り上げたこのサイトには、一部過激な内容も含まれています。もし、現在の同僚にこのサイトを発見されたら、変に誤解されて、私から遠ざかってしまうかもしれませんが、私はこのサイトを閉鎖しようとも思いませんし、サイトから顔写真を撤去する気もありません。まだデビューのチャンスも掴んでいないのに、「守りに入る」つもりなど、まったくありません。

 私が救われる唯一の方法――最低限、達成しなければならない目標――正社員であり、正社員の夫を手に入れると想定される神山の人生を上回る。

 文章で生涯1億円稼ぐ。神山や、神山の夫の生涯賃金には及ばなかったとしても、組織の枠に縛られず、自分の名前を売れて、飲み屋でちょっとお姉ちゃんにモテて(わかりませんが)、この出版不況の中で、非常に希少価値の高い職業であり、自分のやりたいことで金を稼いでいるという満足感を得ることができるという付加価値を考慮すれば、十分、神山に「勝った」と言えると思います。

 かつて、自分がまだあやふやだったころの私を洗脳して、自分の承認欲求を満たすためだけの玩具にしようとした「折茂」という男もいましたが、私はあんな安っぽい男と違い、たった一人に承認されるだけでは満足できない。もっと大勢の、何十万、何百万という人に、私というか私の書いた作品を承認してほしい。1億円というのは最低の目標であり、もちろんもっと高みに登れるのなら登りたい。

 最終的な目標のことを思えば、些細なリスクなど気にもならない。「捨て身」の姿勢というのは、サイト開設当初からまったく変わっていない点です。

サイト開設当初から 考え方の変化 3

puroyakyuu.png

 今回は考え方が変化した点と反対に、開設当初からまったく変わっていない点について書きたいと思います。

 私はサイトを開設したころから今までずっと、執筆に臨むにおいて、常に明日のデビュー、明日有名になることを願って書いてきました。

 私の考えをよりわかりやすく説明するために、デビュー前の経歴が定かではない小説家ではなく、経歴がわかりやすいプロ野球選手を例に挙げたいと思います。

 プロ野球選手は、高卒の野手でいえば、大体6年目、7年目の、24,5歳くらいまでに一軍に定着し、選手としてもっとも脂が乗る27,8歳くらいまでにレギュラーとして活躍できれば、順調な成長曲線だと言われています。

 その順調な成長曲線を辿った選手を、仮にA選手としますが、24,5歳から一軍に定着し、27,8歳くらいでレギュラーとして活躍したA選手が、入団時からそういったキャリアプランを思い描いていたかといえば、答えは否であったと思います。

 A選手が27,8歳でレギュラーを掴んだという結果は、A選手が19歳のころから、明日こそは1軍、来年こそはレギュラーと信じて、血のにじむような練習をした結果だったはずです。A選手も松井やイチロー、今でいえば山田哲人や大谷のように若くして活躍したかったが、プロの壁は厚く、一軍に上がることも簡単ではなかった。しかし、意識としてはあくまで、松井やイチロー、山田や大谷と一緒。彼らと同じだけの志を抱き、同じだけの努力をした結果、彼らのようなスーパースターにはなれなかったが、なんとかプロで飯を食っていけるくらいの地点には着地できた。

 19歳のA選手が、最初から「僕は27,8歳でレギュラーになれればいいか・・・」という程度の志だったのでは、おそらく一軍の土すら踏むことはできなかったでしょう。

 私もA選手と同じように、サイト開設当初から、明日こそはこのサイトを大きくして有名になるんだという意気込みのもとで、ずっと執筆を続けていました。結果、その目標は叶わず、文学賞への応募というところに活動のメインをシフトすることになりましたが、今も当初の意気込みはまったく変わっていません。

 そう考えると、A選手のような意識のもとで生まれてしまった私と読者さんとのトラブルは、もうしょうがないことだったのかな、とも思います。明日こそデビュー、明日こそ有名になるという意識でやっていたからこそ、うまく数字が稼げなければ愚痴も漏れてしまう。それに読者さんがキレられ、出ていかれてしまうことがあるのも、すべては仕方のないことだったのではないか。

 サイトから去って行かれた読者さんに、「右肩上がりにうまくいくと思うのですか!」と叱咤されたこともありましたが、そもそもそういう意識でやっていないと成長もないし、結果も出てこないものだと思います。私が愚痴を言ったことで去って行った読者もいたのかもしれないが、専業作家となるという最終目標を叶え、何万、何十万の読者に私の本が読まれるようになれれば、それは実に些細なことであったと思えるはずです。

 必死の我慢、強い心で、「愚痴」を抑え込めばいいではないか!と言われるかもしれませんが、3年前の時点でそれができるような精神の持ち主なら、私は小説ではなく就職を目指していました。こういう性格も含めて私という人間なのであり、私は私なりにやっていけばいい。愚痴を吐かないのが偉いのではなく、愚痴を吐きながらだろうが、続けて、結果を出すのが偉いのである。当時の状況で続けるためには、「愚痴」がどうしても必要だった。

 野球選手の全盛期は、概ね27~32歳ごろと言われていますが、有名作家のデビュー時の年齢で一番多いのは、三十代です。二十代、四十代もいますが、私の見た感じでは、7割近くが三十代に集中している。これはけして偶然ではなく、作家に必要不可欠な資質である瑞々しい感性と言語能力を司る結晶性知能が、一番高いところでクロスオーバーする三十代という年齢が、作家のピークに一番近いのだと思います。

 私は現在29歳。「全盛期」はまだ先ともいえますが、それに胡坐をかいていたら、あっという間に年を食って、40の坂が見えてきてしまうことでしょう。私はこれからも、「右肩上がりに上るつもりで」書いていこうと思います。

 もう一つ、変わっていないのは、「執念深さ」という私の性格です。

 私の執念深さについては、「偽善の国のアリス」の方でも書かせていただきました。神山に対して執着するあまり、当時の人間関係をすべて台無しにしたことで、「津島は人間関係を大切にしていない」と激怒された読者さんもいらっしゃいましたが、今現在の職場においては、私は非常に良好な人間関係を築けていると自負しています。その理由は、以前の記事でも述べましたが、私が職場の人間関係に、まったく執着がないからです。

 人は執着がなければ楽に生きられる。人間関係の形成に大事なのは、思いの強さよりも、適切な距離感であると思います。「偽善アリス時代」においても、私は宿敵である神山以外の連中とはうまくやっていました。それも、私が彼らに執着がないため、適切な距離感を測れたからだったと思います。

 今にしてみれば、女に対しても、今の私だったら、また違った結果になっていたように思います。

 よくありがちな話ですが、ガッツキ過ぎていた部分があった。19歳から20代前半にかけて、私は異常ともいっていいほど女にモテませんでしたが、それはルックスやスキルよりも、あまりに切実に女を求めすぎていたせいだったのではないか。適度な自信がついて角が取れ、自然体で女と接することができるようになった今の私なら、あそこまで惨憺たる青春時代にはならなかったのではないか。少なくとも、単純に経験人数を増やしたいだけだったら、ガツガツしていない方が、何かと好都合のように思います。

 ただ、本当に一人の女と愛を極めたいというのなら、やはりある程度の「執着」は必要だと思います。世の中には神山のような、情緒というものがまったく欠落した、男を道具以上には考えない女も存在しますが、こっちが好きになればなるほど好きになってくれるという女も確実にいます。そういう女とは、よほど酷いやらかしさえなければ、「結婚」まで行くことになります。

 奥さんと付き合い始めた当時は、私もまだ経験不足から痛々しい部分が抜けておらず、別れを切り出されたこともあったのですが、そこで持ち前の執着心を発揮して食い下がったからこそ、ここまで来れた。

 そこそこのものを手に入れるためには、執着は邪魔になるのかもしれないが、本気で価値のある、欲しいものを手に入れたかったら、やはり本気で執着しないといけないのではないか。

 小説も同じこと。私は何がなんでも、文章で生活できるだけの金を稼ぎたかった。執着がなければ、ここまで続けていなかった。

 私が強く執着しているこのサイト上で、文章で金を稼ぎたいという私の執着に関わった人たちだから、しばしば強くぶつかり、ケンカになってしまった。私のまずい返信により、大切な読者を失ってしまったこともあったのかもしれないが、それも仕方のないことだったのかもしれない。

 津島は人間関係を大切にしていないと言われた読者さんは、私の物語を「塞翁が馬」などという言葉で片付けようとされましたが(その読者のことを何度も言い続けるのが、執念深さである)、それなら私はその読者さんに、「臥薪嘗胆」という言葉を送りたいと思います。

 なぜに負の感情を全否定するのか?コンプレックスやトラウマはバネとなって、人を成長させるものである。「彼女ができたな。あーよかったな」などと、いかにも「終わった人間」の発想で、人の物語を勝手に完結させないでいただきたい。

 今の時点では、損したことの方が多いかもしれませんが、いつか、私の念願が叶ったときは、「執着が強い性格でよかった」と、心から思えるはずです。そのときを信じて、精進するのみです。

サイト開設当初から 考え方の変化 2

ふこう


 本当に、余計な劣等感を抱かなくなった。

 サイト運営初期において、私は、自分の「不幸」「ダメ人間」ということを全面に押し出していました。

 自分は軽度の発達障害があり、性格も歪んでいる。とてもではないが、社会に適応できそうもない。まともに働くこともできない――。自分の弱みをあえて積極的に晒し、それで客を集めようとしていました。

 不幸を売りにしていたことは、メリットもデメリットもありました。メリットとは、女性が優しくしてくれたことです。

 初期において、私はブログとは別に、とある動画配信サイトを利用していたのですが、そのとき、私の放送によくコメントをくれる女性がいました。私より2つ3つ若い子で、二人の坊ちゃんを一生懸命育てているシンママさん。一度、写真を見せてもらったことがあったのですが、色白で非常にかわいらしい女の子でした。小説の方にもたまに感想をくれて、随分勇気づけられました。

 ほかにも、そっちの動画配信サイトの方で親しくなった女の子とSkypeのやり取りもしていました。結局、会うまでに至ったのは現在の奥さんだけで、他の女性とは恋とかセックスとかいうところには発展しなかったので、「モテ期」というのも憚られるのですが、あの不幸を売りにしていた時期、女性が私に好意的に接してくれたことと、不幸色を弱めて以降、(彼女がいると公言していたこともあるかもしれませんが)そういう話がまったくなくなったのは事実です。

 デメリットというのは、私があえて自分の弱みを晒け出したことで、俺がこいつを「説教」して、正しい道に導いてやらなければならないと思う人たちが集まってしまったことです。

 説教する人は、自分は正しい道を歩む、「漢の中の漢」であると思っているのでしょう。「漢の中の漢」たちは、私を「爽やかで、強い心を持ち、お友達をとっても大切にする、キラキラキレイな好青年」にしたがりますが、私はそんなものには、まったく憧れを持っていません。

 憧れというか、そういう男らしい男にならねばいけないと思っていた時期はありました。「偽善の国のアリス」の時代ですが、男らしい男にならなければいけないと思っていた私に与えられたのは、好きになった女からの侮辱だけでした。

 男らしい男は、女にモテるのではない。男らしい男は、女にいいようにされるだけである。少なくとも、私の場合はそうでした。私は、女にモテもしない「漢の中の漢」になど、なりたくもありません。 

 私を元気にさせるのは、「漢の中の漢」の説教などではなく、可愛いお姉ちゃんの優しい言葉です。

 私に優しくしてくれた女性の筆頭は言うまでもなく私の奥さんですが、説教厨は、自分は大したことをしてないくせに、勝手に奥さんのことを持ち出してきて、ちゃっかり、奥さんを使って、「津島を変えた男」の称号を掴もうとしてくる。とんだ「漢の中の漢」もいたものです。本当に腹立たしいやつらです。

 発達障害ADHDに関しては、パソコンをなくしたりなど今も失敗は多く、困ることもあるのですが、サラリーマンになろうとしているわけではなく、小説で身を立てようと決意しているのだから、もうそこにコンプレックスを抱く必要はないと、完全に割り切っています。

 性格は今も別に良いわけではありませんが、神山や金澤と違って、それを表に出している分マシではないかと思っています。「アリス」時代、私を散々愚弄してきた「稲生」を私が憎みきれないのは、ヤツは裏表がないという長所はあったからです(裏も表もない馬鹿というのが玉に瑕ではありますが)。

 劣等感を否定はしないが、余計なところで劣等感を抱いても仕方がない。小説を書くため、そういうところに劣等感を抱いていた「記憶」だけは残して、今の生活からは切り離しています。

 不幸、ダメ人間を売りにするのをやめたのは、前述のように、サイトの状況がよくなり、生活が上向いてきただけでなく、2015年の中ごろ、とあるブログを見つけて、自分の考えの甘さに気が付いたからです。
 
 45歳司法浪人で検索すればトップに出てくると思うのですが、いやはや凄まじい経歴の持ち主である。

 45歳、童貞。20年以上の月日を司法浪人生という名のニートとして過ごしてきた。現在の職は底辺の仕訳バイトで、月収は55000。精神年齢は高校生で止まっており、今も男子高校生が夢見るような日常に憧れている。

 中卒で父親が性犯罪者、自身も前科持ちで、たった一人、自分を愛してくれた女性に暴力を働き、一年で同棲を解消したという、芥川賞作家の西村賢太と同等かそれ以上の経歴の持ち主といえるでしょう。

 マイナスの経歴だけで人の注目を浴びるというのはこういうレベルである。私は自分の本を世に出したいと思いますが、その夢のためだけに、司法浪人のブログ主や、西村賢太のような境遇になりたいかと言われたら、答えはノーです。

 特異な経歴もなく、破滅的な人生を送る覚悟もない以上は、ひたすら能力に磨きをかけるしかない。それは私だけでなく、夢を持つ人間ならみんながやっていることであり、努力がまだ結実していないのも私だけではない以上、私はけして「不幸」ともいえない。今現在、私の中では、「不幸」「ダメ人間」を売りにするという考えは消えています。

 ただ、私が自分を不幸だと思っていた時代に感じていた、「世間の連中は、できる人間の視点から、できない僕にモノを言ってくる」という被害者意識、これは小説を書く上だけではなく、社会人としても、いつまでも忘れてはいけない感情ではないかと思っています。

 気づけば私も、「できる人間の視点から」、上から目線でモノを言う人間になってしまっているかもしれない。早い話が、サイトを運営するうえで必要不可欠な、読者のコメントのこと。

 私がサイトからカウンターや拍手ボタンを撤去し、ただただ、コメントだけを頼りにサイトを運営するようになった経緯は、すでに説明しました。とにかく、読者さんの方にいっさい労力がいらない「読んでいる」というだけで偉そうにされ、説教されるのは、私には納得できないところである。そういう、人に偉そうにできるハードルが極めて低い「説教厨」の出現を防ぐには、これしか手段はありませんでした。

 コメントを求める上で、私はいつも、2、3行でいいから、私の書いたものに関する感想が欲しいと言っていました。これがないと、私としては読者が自分の文章を読んでくれたかもわかりません。また、コメントをしてもらうときは、簡単なHNも付けてほしい。やはり名無しとか、あまりに適当過ぎるHNで書き込む方は、荒らしまがいのコメントをされる率が高い。

 という二つのお願いを、私は一昨日、新規の読者さんにさせていただきました。新規の読者さんは、書き込むときいつも名無しで書き込まれ、「更新期待してます」といったことは言ってくれるのですが、私の文章への具体的な感想は、まったくと言っていいほど書いてくれなかったからです。

 しかし、その読者さんは、まずHNの意味がわからないと言う。読んではいるが、どうしてもうまく感想が書けないのだという。

 HNで検索すれば、意味を説明しているサイトはすぐ出てきますし、そうでなくとも、普通に文脈でわかるかと思ったのですが、その方はHNの意味がわからないと強固に主張し、私が怒っていると決めつけられて(丁寧に対応したつもりだったのですが)「もうここには来ません」と、去っていかれてしまいました。

 少し前の記事で紹介した、自己完結の読者と同じ態度であり、そういう態度で来られるのなら、私としても、どうしようもありません。私はその方のコメントを削除してしまったのですが、少なくともその方は荒らしの類ではなく、私の方がもう少し気を配っていたら、お互いにとって、もっといい結果になった可能性もあります。

 少し前の記事で、私は、「私の作品への感想をまったく書かず、自分語りばかりをされる読者」「書けない理由を長文で延々と語る読者」を、一方的に叩いてしまいましたが、それは、文章の修行をしているお陰で、普通の人よりは書く力はある私の思い上がりではなかったか。

 世の中には、2,3行の感想も本当に書くことができない方もいるのかもしれないし、個人のサイトにコメントをするときはHNを付けるという常識もない方もいるのかもしれない。わからなければ検索するという発想もない方も、本当にいるのかもしれない。感想をうまく書けない読者が、なんとか自分が読んでいることを伝えようとした結果が、「自分語り」だったのかもしれない。

 馬鹿にしているわけではなく、そういう方にもっと配慮する方法はなかったのかと、後悔と反省をしています。もう少し、「できない人間」の視点に立つことはできなかったのだろうか。ただ、どうしても、コメントの代わりになるものがないというのは、紛れもない事実でもあります。

 いや、たった一つ、あることはあります。それは私の最終目標です。

 それは、私の口からは要求できないことです。いくら私でも、そこまでの図々しさはない。それをこっちから要求するのは、今までコメントで成り立ってきた私と常連さんたちの関係も破たんしかねない、危険な行為である。読者の方から言ってもらえれば嬉しかったのですが、3年間のサイト運営で、私にそれをくれた読者さんは、ただ一人の方だけでした(諭吉5人もくれた)。

 ちょっと私との感情の行き違いがあり、いまはもうコメントもされなくなり、私的な連絡も取っていないのですが、その方に対する感謝は、今も消えていません。

 なんにしても、もう少し私の方がうまくやっていたら、3年間のサイト運営期間はもっと充実したものになったのかもしれないと思うと、慙愧に耐えません。




プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR