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不定期更新3 「見る目があった」という欺瞞

高畑雄太



 先日、有名女優のドラ息子が熟女を強姦して逮捕された事件が話題になりました。

 それについて、事件の少し前に放映されたバラエティ番組にて、ドラ息子が橋本なんとやらという女のタレントに告白し、「友達としてもあり得ない。触れられるのも嫌」という言葉を投げかけられて、こっ酷く振られたということがあり、それで傷ついたドラ息子が、自棄になって事件を起こしたのではないかと推測する記事を目にしました。

 テレビでの企画の一環だったので、橋本なんとやらもウケ狙いのつもりだったのかもしれません。こういうバラエティでのことを、一般人の間にあった恋愛トラブルと同じに考えるのはオカシイと思います。ドラ息子がレイプ事件など起こしたのは、橋本なんとやらに振られたこととは一切関係なかったはずですし、あったとしてもそれが本人だったらともかく、別の女性に危害を加える理由には全然ならないのは百も承知ですが、ちょっとヤフーのコメント欄で書かれていた意見で、私の書いた作品とこじつけて語れる部分があったので、記事にさせてもらいます。

 私が気になったのは、「橋本なんとやらは高畑の異常性を見抜いていた。見る目があったんだ!」という意見です。「偽善の国のアリス」を読んでいただけた方なら、私がこの意見を気になった意味はわかっていただけると思います。
 
 偽善の国のアリス本編でも同じような説明をしましたが、橋本とやらの「辛辣な言葉」が「高畑の異常性を見抜いていたから」というのは絶対におかしいことです。本当に警戒していたのなら、むしろ相手を刺激するような言葉は使わないはず。「大人の対応」で、やんわりと断っていたはずです。

 「こういうタイプにはキッパリ言わないとダメなんだ!」という意見もありましたが、それは何度もしつこくされてからのことでしょう。一番最初の最初に好意を見せた段階、まだ男が何も悪いことをやっていない段階で、男の人格を否定するような言葉を吐くのは、逆に女の人格の方に問題があったはずです。そんな段階で相手を見抜くことができるとしたら、洞察力云々ではなく「エスパー」である。こういうことをする女には、男を愚弄し、侮辱し、自分の優越感を満たす目的があるはずです。

 「神山」のように。

 後出しで「最初からわかっていたんだ」などと言うだけだったら、バカにでもできます。結果論だけでしか物事考えられない人間は、すべての出来事を一方が悪いとするための材料にしようとする。犯罪など起こせば、なにがあっても擁護することはできないというのは一理ありますが、だからといって、「見る目があった」などと、傷つけた側が称賛されるように言われるのはいかがなものか?

 「大河原」卒業以来、当時の連中とは会っていないのですが、私が反社会的な問題を取り上げたサイトを立ち上げたことで、もしかしたら飲み会の席などで、神山のバカが「見る目があった」などと持ち上げられるようなことがあったかもしれないと思うと、憮然とした気持ちになってしまいます。

 コメント欄を見れば、私は自分の記事をしっかり読んでくれ、私を応援してくださる読者さんには誠実に対応していることはわかると思いますし、奥さんと仲睦まじく生活し、職場でもトラブルなど起こさず、周りと仲良くやっています。そういう人間を自殺寸前にまで追い込んだのが、神山のやった行為です。私も自分がすべて正しいとは思っていませんが、アイツが100%の被害者面するのは絶対に間違っている。そもそも、中尾や金澤が自分を馬鹿にしていたことも知らずに、どぶ臭いマンコをいじくってアイツらの写真とかでオナニーしてる神山に、「人を見抜く力」などあったはずはない。神山は見る目があったのではなく。、ただ単に格差の下にいる男を愚弄してストレスを発散していただけである。

 ドラ息子のようにレイプ事件など起こしたら何を言われても仕方がないかもしれませんが、私はただ単に、世の中のおかしな風潮に疑問を持っているというだけです。それが悪だというなら悪でもいいですが、だったらそれこそ私も「後出し」「結果論」で、「神山に不当に貶められたりしなければ、悪になどならなかった」と主張します。

 サイトの定期更新を中断してから、4か月の歳月が過ぎました。サイトの定期更新を中断してから、4か月の歳月が過ぎました。常連の読者さんは、「アリス」の話はもういいよ・・・と思われるかもしれませんが、正直、自分の書いた作品とのこじつけでもないと、まだ更新する動機を見いだせないというのが現状です。犯罪者バトルロイヤルなど、未完に終わった作品のことは、ずっと心に残ってはいるのですが、サイトの方にあまり比重を置きすぎてしまうと、文学賞応募という今のメインの活動がおろそかになってしまいます。

 定期更新を再開するとしたらプロになってからということになると思いますが、プロになってからも壁にぶち当たることはあると思いますし、そうなったら私のような人間はまた愚痴などを書いてしまうかもしれません。そのときに寄せられる「説教」の数は、アマチュアだったときの比ではないでしょう。それに一々反応していたら炎上してしまうかもしれない。だったらいっそ、サイトというかSNSなんてやらないほうがいいのかもしれない。

 定期更新の再開のビジョンはなかなか見えてきません。あるとしたら、有料のブロマガという形でしょうが、そんなのでまともに稼げるのはプロの中でもごく一部でしょう。私が神山の悪夢を振り払えるレベルに設定する「年収400万レベル」ではたぶん無理だと思います。それこそ、普段本を読まない人でも名前を知っているレベルにまでいかないと難しいと思いますが、私がそこまで上がれるのかどうか・・。

 なんにしても、暗い道を抜け、未来への扉をこじ開けられる日が来ることを信じたいです。
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偽善の国のアリス補足 自殺について



ダダあ

 「偽善の国のアリス」補足第二段ということで、今回は「自殺」というテーマについて、本編で書き足りなかったところを補完していこうと思います。

 学校を卒業後、内定先を辞退して、ずっと引きこもりの生活を送っているという中で、自殺という言葉は何度も頭を過ぎりました。当時は精神安定剤を服用して睡眠過多になっており、起きているときもずっと頭がボーっとして、何をやるにも気力が湧かない。神山程度の女にバカにされ、コケにされるのなら、自分にはもう、まともな容姿の女を得ることも不可能である(男にそういう諦めを抱かせる、ボーダーライン的な立ち位置にいる顔であることをわかってほしいです)。もう、私に人生の展望はまったくない。

 洋の東西を問わず、死人を悪く言わないという文化はあります。私が死ねば、さすがにあの連中も同情を寄せてくれるだろう。あるいは神山と金澤が、私を侮辱していたことを、私の親にでも謝罪するかもしれない。一時はかなり本気で死ぬつもりでしたが、どこか引っかかっていたのは、当時の連中の、「偽善者」という性質でした。

 死人に口なしという言葉があります。私と神山の間にあった経緯を、全部じゃなくてもある程度知った上で、「自分の恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい姿じゃないですか」とか言ってくるヤツら。あんな奴らの前で自殺などしても、また「臭いものに蓋をして」「都合の悪いことはうやむやにして」「全部キレイごとで丸め込まれる」だけだ。

 自殺なんかしても、何のデモンストレーションにもならない。私が自殺しても、神山と金澤が自分の非を認めることなどは絶対になく、逆に、あいつが死んで、これで自分たちのめくるめく最高のラブストーリーに、一点の曇りもなくなったとほくそ笑むだけではないか。そこに気づいた私の頭からは、もう自殺という選択肢は消えていました。

 キレイごとで丸め込まれるのが嫌なら、遺書を書いてから死ぬという手もありますが、たとえ遺書を残したところで、私の気持ちをあの連中がまともに受け止めたかどうかは五分五分だったでしょう。

 日本人は自己主張が苦手で、また、自己主張をする人を嫌う民族です。どれだけ自分が酷い目に遭わされたといっても、それを自分の口から言うと反感を覚えるのが、日本人という民族です。

 「とにかく自己主張をするのが悪」という固定観念があるから、どれだけ論理的に事実関係を説明しても、冷静な頭ではなかなか聞いてくれない。幸いにもこのサイトの読者さんには理解を示してくれた方が多数いらっしゃいましたが、あくまでコメントをくれた方だけです。コメントをくれない、私という人間にまったく好感を抱いていない読者さんがどう思っているかは、わかったものじゃありません。「神山が、ありがとう、ごめんなさいの一言を言えていれば、私は恨みなど抱いていなかった」。私としては、人が取るべき最低限の誠実な対応を述べたつもりだったのですが、「それはおめーが自分で言うことじゃねーだろ」と言われたら、確かに返す言葉はありません。

 遺書を残したところで、結局、揚げ足とりをされるだけだった可能性は十分あります。それこそ死人に口なしで、「こんなヤツ死んで当然だったんだ」という結論に持っていく材料に使われただけだったかもしれない。

 自殺などは何の意味もない。どうしても理屈で片付けられないことがあるんだったら、どれだけ困難でも、苦しくても、生きて解決するしかない。憎くて仕方がないんだったら、せめてそいつを道連れにしてからでないと、死ぬ意味はまったくない。自殺ということについては、私はその結論で決着をつけました。

 今もまだ当時の記憶には苦しめられ、夜中うなされて起きることもあります。私が苦しいのは奴らのせいだけではなく、私に金と名誉がないからです。

 私の神山への憎しみを頭ごなしに否定し、他人事だと思って、神山への恨みを失くせ!とか簡単に言ってきた読者さんもいましたが、その読者さんに言われるまでもなく、私だって、神山への恨みを消したいのは山々です。私だって、こんな私怨をエネルギーにして執筆を続けるようなステージは早く卒業して、本物の「プロ」として、もっと大きなものを背負いながら書いていきたい。背負うものがないから、私怨をエネルギーにするしかない。私を「恩讐を乗り越え、明るく夢に突き進む爽やかな好青年」とかいうわけのわからんものにしないでほしい。私がそんな奴だったら、そもそも専業作家など目指さず、また就職を目指している。

 いま、私は派遣社員として生活しています。このサイト内ではよく誤解されますが、私は、自分が何のこだわりも持っていない人間関係だったら、全然ソツなつこなせます。自分が本当にこだわりを持っている「小説」に取り組んでいるこのサイト内や、「神山」にこだわりを持っていたあの大河原のようなところでなければ、私は驚くほどふつうに見えるはずで、対人関係でトラブルを起こすこともあまりありません(あるとしたら、つまらん仕事に命を懸けちゃう系のバカ助だけ)。神山や金澤に出会っていなければ、あるいは私がどこかの企業で、まっとうに正社員として勤めていた未来もあったのかもしれません。でも、私はその道にはまったく未練はない。そのことで神山と金澤を恨んでもいない。

 私は文章で金を稼ぎたい。そのことだけしか考えていない。今更就活なんてバカバカしくてやっていられない。いまさら「正社員一年生」になるということは、逆に神山と金澤の風下に立つ屈辱である。結婚したことは私のゴールではない。勝手に私の物語を終わらせないでほしい。神山への恨みを消す方法は、キレイごとなんかじゃない。まだこのサイトを設立した当初だったら、あいつらとの話し合いで解決できた部分もあったかもしれないが、サイトの運営中にも私は神山への憎しみを膨れ上がらせ、また、誰に何を言われても絶対にブレない自分自身を作り上げてしまった。

 執筆活動の比重を文学賞への応募というところにシフトした今、サイトを運営していた期間は、ただの回り道だったようにも思えますが、20代後半という年齢で、自分自身と徹底的に向き合うことができたという意味はあったと信じています。私小説も二本書きあげて、「犯罪者」という、これから小説でテーマにしていきたいことも研究できた。私の3年間がけして無駄ではなかったことを、結果を出して証明したい。

 すべてのキレイごとをはねのける私が神山への憎しみを払しょくする方法は、私が奴の人生を上回ることのみ。具体的な方法は、「文章で」金を1億以上稼ぐ。それが達成できないなら、神山の方を不幸にするしかない。

 いきなり大出世できなくてもいい。何か少しでも、自分が確実に上がっている実感がほしい。キッカケがほしい。チャンスがほしい。いまはただ単に自分の好きなこと、得意なことを書いていくしかないが、原稿が確実に金になるとわかれば、どんなものでも書いてみせる。

 文章で金を1億稼ぎたい。それができれば、命が尽きてもいい。文章で金を稼げない私の人生には何の価値もない。今の人生はまだクソだ。きれいごとなんていらない。ただ、一定の金と名誉がほしい。たくさんのファンがほしい。

 心の叫びです。

ゲリラ更新 偽善の国のアリス補足



うえまつ


 更新終了を一度宣言しましたが、またコメントくださる方がいたのが嬉しかったので、ちょっとゲリラ更新をしてみます。

 偽善の国のアリス連載を終了して三か月半が過ぎ、落ち着いた頭で整理したとき、まだ書き足りなかった部分、もう少し強調したほうがよかった部分、もっとわかりやすく書けばよかった部分も見えてきたので追記しておきます。

 先日、法律の専門学校に通う同性愛の青年が、恋した同級生に自分の性的嗜好を周囲にバラされた結果、自殺に及んでしまった。青年の両親が同級生を相手取って訴訟を起こしたという記事を目にしました。コメント欄では、「ホモが勝手に恋して、勝手に死んだだけだろ」というような心無い書き込みが並んでいるかと思いましたが、実際には、自殺した男子を思いやる普通の意見が多く、まだ世の中捨てたものではないと安心しました。

 この話で問題になるのは、周囲にバラした同級生に、悪意があったか否かという点です。陰で笑いものにしたりしていなかったか。記事においてその点は明言されておらず、同級生は法廷において、「自分だけで抱え込めなかった」と証言したそうですが、男子生徒が自殺をするほど思いつめることです。私はやはり、愚弄、嘲笑ということがあったのではないかと思います。

 確かに、男子生徒がそもそも恋心など抱かなければ、事件は発生しなかった。しかし、そこを否定されたら、人間の生きがいも否定されてしまいますし、子孫を残すという生物として当然の営み(本件は同性愛ですが)も否定されてしまいます。相手の同意を得たうえで抱く好意などは存在しません。どんな場合でも、好意のほうが先です。そこを否定されたら、もう恋愛など二度とできなくなる。

 告白を受けるか受けないかは本人の自由。しかし、侮辱するとか、余計なことをしてはいけない。まさに、「偽善の国のアリス」の神山と一緒。恋した男が何も悪いことをしたわけではないのに、男が恋愛恐怖に陥るような酷い行為をして踏みにじり、己の歪んだプライドを満たすために利用していた神山は、やっぱり殺されても無理はないヤツだったといえると思います。
 
 それから、金澤のこと。奴に関して書き足りなかったのですが、アイツに対する私の恨みの正体は、結局、ヤツのご都合主義というところに尽きると思っています。

 すでに紹介したように、金澤は、かつて私をバカにして嫌がらせをしていました。そのバカにして嫌がらせをしていたヤツが、私が好きだった神山と付き合っている。金澤は、私を何だと思っていたのか?

 当時、私と金澤の関係は険悪ではありませんでした。すごく仲が良く、プライベートも行動を共にするほどではないですが、まあ、友人といっても差支えはなかったと思います。ですが、過去にバカにされていたことで、私の胸の中にはけしてきえないしこりが残っていますし、金澤から正式に謝罪を受けたわけではありません。そういう関係の男に、好きだった女を持っていかれたら、私がどう思うか、ヤツは想像できなかったのか?

 本編でも述べましたが、金澤に関しては、ヤツが「きれいごと」を抜かしてきた瞬間、神山をこえて殺したいリストの最上位に置かなくてはいけないと思っています。

 仮にアイツが、私のことを、大切な友達だったと言っていたとします。アイツは私をなぜ、友達だと思うのか?「津島は嫌がらせしていたことを許してくれたから」友達なのか?「好きな女を持っていっても恨みごとを言ったりしないイイやつ」だから友達だというのか?あいつはどこまで、私を自分にとって都合のいい人間だとみているのか?

 金澤が神山と交際を始めた時点で、どう取り繕っても、金澤と私との友情関係など成立しないのです。私が金澤を好意的にみることなど絶対にあり得ない。金澤は私のことなど、死んでもどうでもいいヤツだと思っていたはずで、それを正直に言うならまだ半殺しにしたいでいいと思いますが、あくまできれいごとを抜かすなら、私は金澤にも神山同様、殺意を抱き続けなければならないことになるでしょう。

 当時の連中は、いま私のことを逆恨みしてるアホとか言ってると思いますが、神山と金澤が私を愚弄し、侮辱していた以上、私の恨みには正当性があります。

 当時の連中は、私のことを心配しているとか言っていたようですが、「自分が恋した女性の幸せを願うのが、男として正しい道じゃないですか」という伝説の名言を残したアホの関口を筆頭に、奴らは、奴らが大切にする「偽善の国」が破壊されるのを心配しているだけで、私個人の安否などはどうでもいいと思っている。熱心に応援してくれた読者さんが仰ってくださいましたが、神山にあそこまで酷い目にあわされた私が、ただ単に「男だから」という理由だけで神山の幸せを願わなくてはいけないなら、女は男に何を言っても許されるということになってしまいます。とんでもない男女差別です。

 奴らも私が嫌いなわけではなかったのでしょうが、基本的には、死んでもどうでもいいヤツだとみていた。私の本音に誰一人耳を傾けず、臭いものにふたをして、全部きれいごとで丸め込もうとしていた。私が人間関係を大切にしていないと言ってきた読者さんもいましたが、別にあいつらとの人間関係などは、大切にすべきものでもなんでもなかったと思います。
 
 また、結婚生活も数か月が過ぎ、まあまあ幸せにやっていると思いますが、今も実感することは、奥さんと出会ったのは神山に振られたことを納得する理由にはなっても、神山に侮辱されたことまでも納得する理由には全然ならないということです。そもそも、奥さんと出会ったことを神山に傷つけられたことと結びつけるのは、少し無理のあるこじつけである。幸せなことには違いありませんが、これくらいは、すべての人が実感すべき幸せであり、けして過去の傷を埋めるほどの成功とはいえない。ここがゴールだと言われて納得するような人間なら、私は自分が上がるための努力などしていません。

 私が出した最終的な結論は実にシンプルだと思います。シンプルほどいいとも思いますが、大事なのは思考のプロセスで、よく考えたうえでのシンプルと、ただ単に考えるのが面倒くさいからシンプルにしているだけなのとでは大違いです。私に女ができたのだから納得しろと言ってきた読者さんは明らかに後者だったと思うので、強く反論させていただきました。

 自分の抱える問題に向き合わず、考える作業を放棄していれば、障碍者殺人事件の植松聖くんのような歪んだ正義感を抱き、刃を関係のない他者に向けてしまうことにもなりかねません。

 あの事件が恐ろしいのは、植松くんの言っていることが、けして間違いとはいえないところにあります。社会を営む上ではお荷物にしかならない人を排除することは、ナチスが一番有名ですが、他の欧州諸国も似たようなことをやった前歴があります。

 しかし、社会に不要だと思われる人を排除するという発想を突き詰めれば、一部のエリート以外は生きられない社会に行き着いてしまいます。長らく不要だと思われていた米の胚芽に、実はとんでもない栄養が入っていたことがわかったように、一見、姿かたちが悪く、不要だと思われる人に秘められた無限の可能性を否定することになる。

 やっぱり、植松くんの正義感は「浅はか」です。彼はいずれそれに気づく優秀な頭脳の持ち主だと思います。これから、辛い悔悟の日々が続くことになるでしょう。

 最後に、まだサイトをチェックしてくださっている読者さんへ、お願いをさせていただきます。いまだ、サイトの定期更新を再開する予定はありませんが、コメントは随時受け付けています。いまはサイトの運営を生活から切り離したほうがメリットがあると感じているため、少し間が空いてしまうかもしれませんが、必ず返信はします。 

 やはりサイトのほうに目をやると、数字のほうがどうしても気になってしまいます。これまでコメントをくださった方々に最後のお礼を言えなかったのが心残りです。この記事でも、偽善アリスの最終話でも、他の記事でもいいので、ぜひ、私にお礼を言う機会をいただければ、と思います。新しい方からのコメントも大歓迎です。

 至らない点があるのは重々承知。新しい読者さんにも仰っていただきましたが、私が完璧な人間なら、そもそも作家など志望していなかった。

 執筆活動を文学賞への応募というところにシフトして、はや三月半。まだ、詳しくは紹介できないものの、私が3年間取り組んできた活動の成果が、少しずつ世間に認められだした兆しも見えてきました。いつか、このサイトを応援してくださった読者さんに胸を張って報告できる日がくると信じ、今後も精進してまいります。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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