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犯罪者名鑑 宅間守 9


たくまあ


 大阪池田小事件


 2001年6月8日、朝七時ごろに目を覚ました宅間は、自宅の布団に、火のついたタバコを落としてから家を出ました。以前から大家にちょっとした恨みがあり、その意趣返しに、うまく燃えてくれればいいな、というくらいの軽い気持ちだったそうですが、幸いにも火事にはならず、火は自然に鎮火したようです。

 近所の刃物屋で、凶器となった出刃包丁を購入した宅間は、カーナビに池田小の住所をセットして、「戦場」へと出発しました。車を走らせていく途中、宅間は道を歩く女性を殺害するなどの想像をしながら、「戦闘」に向けて、徐々にテンションを高めていきました。

 そのときにふと思い浮かんだのは、「よく考えると僕死んどったんじゃないか。たまたま助かっただけやないか、と思ったのを覚えているんです。飛び降りたときに。あの時死んどったんや。おまけの人生やないか、と」という考えでした。

 「自分は一度死んだ人間なのだから、何をやってもええんや」、という理屈ですが、他にも、「一度死んだ人間が、自分の人生をそんなに大切に考えるのはあほらしい」「自分が命を粗末にしているのだから、他人の命も粗末にしていい」、という風にも考えられ、宅間にとっては、犯行を正当化するに十分な理屈になりました。

 私も一時、自殺という選択を真剣に考え、自分の身体を破壊しようとした経験のある者として、宅間のこの考えを、一概に「身勝手」と切って捨てられないところがあります。事件を起こして逮捕された後、宅間の元には、「そんなに死にたいなら、勝手に自殺していればいいだろ!」という声が多数届いたことでしょうが、宅間にしてみれば、「ワシだって死のうとした」という話だったでしょう。「もう一度飛べよ」とは、私にはとても言えません。

 犯行に一切の躊躇がなくなった宅間は、包丁が二本入ったビニール袋をぶら下げながら、大阪池田小の校門を潜りました。途中、教員の一人とすれ違いましたが、父兄だと思われたのか、軽く会釈をされただけで、怪しまれることもなく、宅間はそのままノシノシと歩きながら、校舎へと向かいました。

 宅間はできるだけ多くの命を奪うために、逃げ足の遅い低学年を襲うことを、最初から決めていました。宅間が用務員を務めた小学校では、低学年の教室は二階にあったそうですが、大阪池田小では、低学年の教室は1階にあり、玄関のように扉もあって、外から簡単に入り込めるような構造になっていたようです。宅間は外から見える教室のうち、たまたま教員が席をはずしていた教室に、土足のまま上がりました。

 父兄や教員の一人が入り込むように、いとも簡単に大阪池田小の校舎に侵入した宅間は、警戒心もなく、フラフラと近づいてきた女児を、さっそく出刃包丁で突き刺しました。

「終わりやな――」

 宅間は逃げ惑う児童、腰を抜かして立てなくなる児童を、次々に刺しまくりました。最初に入った教室の児童がみんな逃げて、数が少なくなると、次は隣の教室に移り、事態が把握できていない児童を、同じように、次々と刺しまくりました。

 宅間は凶行に及んでいるときの自分の感覚を、

「国家の命令で戦争してるような感じ。自分が悪いんと違うて。戦争は国の命令やから、冷静にみんな戦ってるでしょう。ああいう」

 と語っています。また、犯行中は無我夢中で、子供が騒ぐ声など、音が一切聞こえていなかった、とも語っていますが、これは 極度に集中力が高まったアスリートなどによく起こる現象です。とにかく異常な精神状態にいたということでしょう。

 やがて、二つ目の教室にいた女性教諭から連絡を受けて駆け付けてきた男性教諭の一人によって、宅間は取り押さえられました。そのときは悔しいというよりも、もう疲れたし、ずいぶん殺したからこんなもんでええやろうと、達成感のような気持ちが強かったといいます。

「あー、しんど」

 現場で最後にこう呟いた宅間は、通報を受けた警察によって現行犯逮捕、警察署へと連行され、史上まれにみる惨劇は幕を閉じました。

 死者は女子児童7人、男子児童1人、計8人に及びました。

タックマン


 
 宅間守名言集


 大阪拘置所へと移送され、被告人の身分となった宅間は、法廷で遺族を侮辱する発言や、あくび、貧乏ゆすりなど、反省の見えない態度を取り続け、一審で死刑が決まると、弁護団の控訴を自ら取り下げて、早々に死刑が決まりました。

 拘置所での宅間は比較的穏やかな毎日を過ごしたようで、七十五キロだった体重も八十キロまで増えていました。精神鑑定などにも積極的に応じ、笑顔もみせていたそうです。シャバでの悩み、煩いごとから解放され、一日三食、決まった時間に出てくる生活は、宅間にとって、案外快適だったのかもしれません。山地のケースなどもそうですが、「自由」を与えられることが、必ずしも本人にとって幸せとは限らないこともあります。

 父、武士もそうでしたが、宅間という男の言い回しは独特の味があり、言葉のチョイスなどもセンスがあって頭に残りやすく、非常に「聞かせる」催眠的な磁力があるように思います。それが社会正義として見たときに正しいかどうかはともかく、本人が自分の生き方を正当化する理屈には一応なっており、私は宅間という男は、少なくともけしてバカではなかったと思います。

 最後に、宅間が裁判所や拘置所で放った発言の中から、特に印象深いものを紹介して、波乱に満ちた怪物の「物語」を完結させたいと思います。




次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。
そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも安定した職でもあり、
ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いをしながらも生きて、
むしろ普通の人間よりも死なないように、バイクの乗るのをやめたり、
他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのではないかな。

しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、早くおさらばしたい気持ちで一杯です。
今度生まれてきたら、金持ちのボンボンで、中の上の知能で3流私立医大へ行き、内科医になって、
トラブルで殺されたりしないよう気をつけて、ベッピンの女とセックスをしまくりたい。
まあ今生でもセックスはしまくったが・・・・・・

年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」という人がいるとは思うが、
そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。あんまりワシに憎まれ口を叩くな。
人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、
人間なんか、いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。


これでよかったのだ。これで、私は、生まれて来たのが間違いだったのだ。
しかし、宝くじ3億当たっとたら、今回のブスブス事件は起こしてないよ。
やはり金なのかな、イライラカリカリしていても、温泉につかり、マッサージされて、
美人に酌でもしてもらったら少しはおだやかになれるだろう。
やはり、皆が言うように金だな、世の中は金、世の中は金。金があれば美人の嫁も買える。

犯罪者諸君は思っているのでないか、「宅間はバカだな、あんな事するんだったら、大口のタタキ5回出来るぜ」と、
しかし、強盗君よ、「おまえらとワシは価値観が違うのだ、成功すれば一億失敗すれば10年、ワシはそのリスクは困ります」

話変わりますが、あんな親から出来ていたら、こうなりまっせと言いたい。
ワシが悪いんじゃない、全て親が悪いのだ。その親の家のガラスが一枚も割れていないとは、ワシには理解できません。
ジロジロ見る奴、わざとイヤキチする奴、もううんざりです。

遺族は、国から7500万もらってホクホクですな。よろしいな、
自分の子供に保険金かけて、殺す親もいるのだから、転り込んだ7500万円よろしいな、もうワシは後、確定するだけです、

人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪くなり、
現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。湯川なんとやらという歌手の歌で
「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、50やったら人生の7分か8分か過ぎているではないか、
100まで生きる人間もいるが、60から感性も体力もよぼよぼで、
70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、臭い口臭をハーハーやりながら老害をまきちらして生きているだけではないか、

追伸
人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。


 非常に言いたいことがわかりやすく、内容はともかく、簡潔で明瞭ないい文章だと思います。酒鬼薔薇よりはよっぽど読ませる力がある。

 シャバにいるヤツ(数十人)への恨みとありますが、これが本当だとしたら、やっぱり「無差別大量」しかなかったのかな、という気はします。

 例えば恨みのある対象が一人だったとすれば、ただ単にそいつを殺せば済む話です。

 複数いたとしても、そいつらがまったく同じ集団に属していたとしたら、皆殺しにするのも比較的容易であるし、それが無理でも、「代表者」を一人殺すだけで、アイツが死んだのはお前のせいだという形でダメージを与えることができる。

 ところが、恨む対象が複数いて、それぞれは縁もゆかりもないというときには、皆殺しにするのはまず不可能で、「代表者」を殺害して、全員に罪悪感というダメージを与えるのも難しい。たとえば恨みのある父を殺害したとしても、まったく別の集団に属して、関係のない三番目の妻などは痛くも痒くもなく、「私関係なーい」で終わってしまう。

 私もちょっと真剣に考えてみたのですが、それぞれ別の集団に所属する複数の人間に「罪悪感」というダメージを与えるためには、無差別に、それもできるだけ社会的に弱い存在を殺して、「これはアイツらのせいだったんや」と後でコメントをする、という方法しかないようです。

 宅間は手記では「やっぱり父や三番目の妻を殺していればよかったかな」と後悔を見せており、「父と三番目の妻以外への恨みはない」と語っている資料もありますが、やはり宅間という男が人生をケジメをつける手段は、「無差別大量」しかなかったのかな、と思います。


コラッ雑民、コラッ二、三流大学出、コラッ下級公務員

コラッ大工、コラッ左官屋、コラッ職工、コラッ運転手

コラッ貧乏人、コラッ、ブスの嫁はんとオメコしている奴、

コラッ、ホームレス、コラッ借家住まい、コラッ団地

コラッ、マイホームやけどローンにあえいでいる奴、

コラッ自衛隊、コラッ二、三流職人、コラッ散髪屋

コラッコック・板前、コラッーコラッ雑民たちよ、

ワシを下げすむな、ワシをアホにするな

おまえらに言われたない、おまえらに思われたない、
お前らの人生よりワシの方が勝ちや。

処女と20人以上やった事、おまえらにあるか?

ホテトル嬢50人以上とケツの穴セックス、
おまえらやった事あるか?医者のねるとんパーティーに行って、
ベッピンの女、数人とオメコやった事、おまえらにあるか?
複数回、再婚やのに初婚とだまして結婚した事おまえらにあるか?
歩いている女、スパッとナイフで顔を切って逃げた事あるか?
ワシは全部、全部、おまえら雑民の二生分も三生分も
いやそれ以上の思いも、事もやったのや。おまえら雑民の
人生なんかやるより、大量殺人やって、死刑になる方がええんや。

コラッ ホームレス おまえら、何にしがみついているんや。
おまえらは、動物や。

ただ、死ぬのをびびって、生き長らえている動物や。
人間のプライドが、少しでもあるのやったら、無差別なり、又、
昔、不愉快な思いをさせた奴にケジメをつけて、懲役なり、死刑なりに、
ならんかい。ウジウジウジウジ、生ゴミ喰うてるのか。
何を喰うているのか、知らんが、おまえらは、動物や。

無差別に殺すまでは、せんでいい。
女の顔をスパッとナイフで切ってみろ、殺すより顔を切られる方が、
女によったら、ダメージが、あるし、殺したら、家族に金が入るけど、
顔を切っても金は、入らん。

顔を切れ 顔を切れ 顔を切れ 顔を切れ

 
 私が宅間の名言の中でもっとも好きなのが、この言葉です。

 私のサイトにも「説教厨」が多数出現しましたが、彼らが言っていることは、全部、「みんな辛くても我慢してるんだから、お前も我慢しろ!」ということでしかありませんでした。

 自分が上にあがる努力をするわけでもなく、どこかに助けを求めに行くわけでもなく、ただ単に「辛い現状を我慢している」なんてことは、自慢になるようなことでも何でもありません。どっちかと言えば「能無し」がやることです。それは本人も良く分かっていることで、結局、悪いことをしたヤツとか、愚痴を呟いているヤツを見つけて説教をし、自分の下位に置くことで、心の均衡を図ろうとしている。

 本当にさもしい、蛆虫みたいな惨めな奴らです。そんな奴らにグダグダ言われるほどは、宅間も落ちぶれた男ではないと思います。

 金もなく、女もできず、孤独のまま爺さんになるよりは、宅間のように、散々好き放題やって死んでいった方が勝ちではないかと、私も思います。そういう風に思わせる社会が悪いのです。

宅間被告、口笛を吹きながら入廷する
   ・・・どよめく法廷、
  裁判長 「静粛に!、被告は法廷では口笛を吹いてはいけません」
  宅間  「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、、ひまなヤツらがようけ来て、、、あほやのお~」
  裁判長 「被告は許可があるまで、みだりに喋ってはいけません。わかりましたか?」
  宅間  「おう、座っちゃあかんか?」    
  裁判長 「立って聞いていなさい」
  裁判長 「判決の前に、被告は何か言いたい事はありますか?」
  宅間  「えー、発言してもよろしいか?・・・なら話すわ。まあ、まだ判決はでとらんのやけども、 もうすぐ出るし、わかっとる事やから、最初に言うとく。 どうも死刑にしてくれてありがとう!、裁判長さん。 感謝するわ!わし、もうはよう、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」

 ・・・どよめく室内。「宅間ああ~、はよう、死ね!」「独りで死ね」等の怒号が飛び交う・・・
  混乱する法廷。怒号は収まらない

宅間 「おまえらに言われたない、お前らの人生よりワシの方が勝ちや」
  さらに混乱する法廷、怒号は収まらない
  宅間 「いわせてーな!」
裁判長 「静粛に!・・・被告は裁判を誹謗しないよにしてください。これ以上、不穏当な発言を続ければ
 退廷させます。いいですね」
宅間 「今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出たほんまの気持ち。
 わかってもらわんでもええ。言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!」
 ・・・混乱収まり、一瞬、どよめく室内。まさか?謝罪するのか?との期待感・・・
宅間 「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。
 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!
 でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」
  ・・・再びどよめく法廷内、怒号が飛び交う「宅間、しねええ」


宅間「あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことびびってないで。
遺族にはなにもできへんし最高や!、世の中どんなに金かけてもワシに一瞬に
して殺されれば勝ちも負けもあらへん!。世の中は公平やない!。わしは世の
中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来
に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺
される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃう
ぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かっ
てよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生
きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。ワシを悩ませた糞親に
も嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへん
な!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ぶすぶす事件は、ほんま!、おもろ
い!、ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」

・・・遺族は泣きながら退場者もでる。
裁判長 「被告は不穏当な発言を控えなさい!」
かまわず宅間は暴言を吐き続ける。
宅間  「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、
ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、
後悔もない!。しょうもない貧乏たれの人生やったら今回のこのパターンの方
がよかったんや。あるんは自分への後悔だけや!。なんで、幼稚園にせんかっ
たんやろ?、幼稚園ならもっと殺せたと今でもこんなんことばかり考えてしま
うんや、なんで、ダンプにせんかったんやろ、その方が数もいけた!。親父を
殺しておればもっと違う人生があったかもしれん、○○(元妻)の顔をあの
時、ズタズタにしてやればよかった。何でせえへんかったんやろと今でも、ほ
んま、後悔しとる。まあ、いずれにせよ、こんなひどい人生に終止符を打てら
れて、ほんま、幸せや!。死刑は、はようにしてな!、そや、裁判長、死ぬ前
日はうまいもんでも食いたいが、ワシ、うまいもん、食べれるやろうか!」
   ・・・混乱を極める室内。裁判長が退廷を命じる・・・

   宅間(引きづられなから) 
   「おい、こらっ、なにするんじゃ、離せ!、喋りよう途中じゃ、おい
    コラァ!!くそガキの親ども!○○××△△◇◇!(実際は被害者4    
    人の親の名前を連呼)、おまえらは、ほんなに偉いんか?、
    おまえらは、7500万円、もらってホクホクやな!。よろしいな。
    転がり込んだ7500万円よろしいな!。
    そやけど、おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの
    程度の価値やったんやぞ!
    エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!ガキどもが死
    んだ原因はおまえらあるんやぞーー!、せいぜい一生反省せいよ!、
    あの世でもおまえらの子供、追いかけ回して、しばき倒したるから
    な!
    あははははは!あははは!、こらおもろい、!こら、傑作や。」

  ・・・どよめく室内。 退廷・・・

(廊下から小さく)
  宅間 「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人 
      の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」


 2ちゃんねるなどでは、「煽りスキル高すぎ」という書き込みもみられましたが、まったくその通りだと思います。幾つかの言葉は、拘置所の独房の中であらかじめ考えてきたのだとしても、法廷という舞台でこれだけ口の回る男はそういないでしょう。一流の脚本家が頭を捻って考えても、これ以上に人を地獄に突き落とすセリフを果たして生み出せるでしょうか?遺族にしてみたらたまったものではありません。自分の遺族の裁判だとしても、下手に裁判所まで見に行くのも考え物です。

 本当に私個人には遺族を愚弄する考えはまったくないのですが、紛れもない事実として、今から4年ほど前、宅間と同様に鬱のどん底にあり、食欲もなくなって死の寸前にあったとき、私に生きる力を与えたのは、「キレイごと」や、「温かい励ましの言葉」や、「説教」ではなく、宅間のような「悪の権化」が吐く、人を自殺に追いやるような強烈な言葉でした。宅間の言葉が、当時死にかけていた私の心に、砂漠の砂に水が染み込むように、瑞々しく入り込み、私に生きる力を与えてくれたのです。

 「バトルロイヤル」の連載当初、「宅間ファン」を名乗る女の子がよくコメントをくれていたのですが、閲覧数が伸び悩み、私が愚痴めいたことを書くと、「そんなことでプロとしてやっていけると思うのですか!」「右肩上がりにうまく行くと思ってるんですか!」「愚痴を吐かず、弱音を吐かず、書き続けてください!」とか、ありきたりな言葉で叱咤激励されて、なんかすごく残念な気持ちになったのを覚えています(その方はもうずっとコメントを書きにきてくれません。だから紹介した)。「それ宅間に言ったら激昂するか撃沈するだけだろう」と・・・(笑)

 やっぱり、同じ思いを共有した者にしかわからないんでしょう。どれだけ資料を読もうが、ファンを名乗ろうが、「あっち側」を覗いたことがない人間には、宅間のことを本当に理解することはできないんだと思います。

 一度死にかけて、恨みのあるヤツを八つ裂きにして殺したいと思った人間――宅間は何というか知りませんが、私は彼を「命の恩人」だと思っていますし、「絶望友達」だと思っています。

 ここまで書いて冥福を祈るというのも白々しいですが、本当に被害者や遺族を侮辱するつもりはありません。 しかし・・・。宅間の行為を「称賛」するわけではないのですが、気持ちはわかりますし、彼が一時期の私に生きる力をくれたのは紛れもない事実なのです。勝手ですが、「それはそれ。これはこれ」という風に考えさせていただいて、宅間についてこういう風に書く人間が、世の中に一人くらいいてもいいんじゃないかという思いで、このような文章を書き残させていただきます。

たくくま


 
 最期

 最期まで遺族を愚弄し続けた宅間は、死刑確定から僅か一年というスピードで、刑が執行されました。

 宅間には獄中結婚した女性がいました。死刑囚が獄中結婚するのは、家族という立場で、面会をしやすくする目的がある場合も多いそうですが、宅間と結婚した女性は、宅間を一人の男性として愛し、本当に宅間のためになりたいと思って、彼に結婚を申し込んでくれたそうです。

 世間は女性に対し、「自己満足」とか、「偽善者」などと心無い言葉を浴びせましたが、「人のためになりたい、救いたい」という尊い気持ちを、こういう言葉で汚してしまうのはよくないと思います。それこそ、口でワアワア言うだけで、遺族のために何もしない連中の方が「偽善者」なのではないか?そういう世間の言葉にめげて、中途半端に終わったりするようであれば、彼女も偽善者といえたかもしれませんが、獄中妻は足しげく宅間の面会に通い、物資などでの支援を最後まで責任をもって続けました。

 宅間も「キレイごと」ではなく、批判を承知で、本気で自分の世話を焼いてくれた女性だからこそ、心を開いたのでしょう。宅間は最期に、大好きなタバコとリンゴジュースを味わうと、「妻にありがとうと伝えておいてください」という言葉を残し、絞首台の露と消えました。享年40。


 総括: 

 加藤と並び、私がもっとも思い入れのある犯罪者についての文章を最後まで書くことができました。

 まさしく悪の権化という言葉が相応しい男で、脳の前頭葉に欠陥があったことがわかっており、この男の矯正は、何をどうあがいても無理だったのかもしれません。

 しかし、コメント欄で度々申し述べていることですが、「近親相姦」の一件がなかったらどうだったかな、ということは、やはり思わずにはいられません。この件自体、真偽のほどが定かではないので、確かなことは言えないのですが、この件が宅間が犯した過ちの中でもっとも致命的なものだったのではないかと。これによって、宅間の中で「何でもアリ」になってしまって、自制が効かなくなり、せっかくのチャンスも生かせなかったのかなあという考えはあります。

 欠けたパズルのピースを補うように、ちょっとした何かが噛みあっていれば、宅間のような男でも、まっとうに生きる道はあったのではないか、と信じたいです。

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犯罪者名鑑 宅間守 8




たく0あ
あさd無題


 しんどい


 小学校の用務員時代に起こした薬物混入事件により、人生最大のチャンスといえた公務員の職を失ってしまった宅間は、これで何もかも燃え尽きてしまったようです。

 読者さんからのご意見にもありましたが、宅間のエピソードを見ていると、あれほどブチ切れて、大暴れして、女ともヤリまくって、随分タフな男だな、という印象を持つ方もいると思います。

 「血と骨」の主人公、金俊平のように、世の中には超人的な体力を持ち、若いころから暴れまくり、女とヤリまくりでも、爺さんになって死ぬまで元気でいられるという人もいるのかもしれませんが、どうも、宅間の場合はタフというより、感情の赴くまま、とりあえずグワーーッと暴れて、後で我に返ったときにグターーッとダウンしていただけだったようです。

 金俊平はウジ虫の漬け物を食べたりなど、健康面にかなり気を遣っていたようですが、宅間は一日八十本はタバコを吸うヘビースモーカーで、飲んでいる薬の影響もあったのか、事件のあった平成13年ごろにはめっきり食欲が落ちて、一日バナナ一本や、カロリーメイト一箱だけで済ませるような状態でした。

 無理をしすぎたしわ寄せが、37歳、まもなく人生の折り返し地点に差し掛かるという年齢で、ドッと襲い掛かってきたようです。公務員の職を失ってからの宅間は抜け殻のようになってしまい、仕事も長続きせず(若い頃もそうですが)、あれほどあった性欲も枯れ果てて、お見合いパーティに出ることもなくなり、自分の家に泊まっていった女性と行為に及べない体たらくを晒したりもしていました。

 それでも、時々は元気になるときもありました。事件が起きた平成13年の二月か三月には、当時飲んでいた精神安定剤の影響か、宅間は「物事を合理的に考えられるようになり、勉強に適した頭になってきた」ようで、突然、難関の司法書士試験を受けようと思い立ち、父親に五十万円ものお金を出してもらって、専門学校の社会人講座に通い始めました。

 得意の「希望的観測」であり、こんな適当な思いつきで始めたことが、うまく行くはずもありません。案の定というべきか、授業にはまったくついていけず、四月には宅建に切り替え、五月の終わりごろには、宅建も諦めてしまったようです。

 これでますます絶望的になった宅間は、仕事もせず、部屋にこもりがちの生活を送るようになってしまいました。テレビもつけず、ロクに食事もとらないまま、家でゴロゴロしていた宅間の頭に浮かんでいたのは、恨みのある人間を殺害して自分も死に、今生に別れを告げる妄想だけでした。

 苦しい状態にある宅間は、それでもしばらくは、二番目の妻、パーティで知り合ったスナックのママ、市バスの運転手時代の同僚などに連絡を取り、食料の援助などをしてもらっていました。宅間にも親しい人物はいたということですが、彼らとの交友関係は、宅間にとっては歯止めとまではなりませんでした。

 宅間の家族についてですが、宅間と近親相姦があった疑惑のある母親は、10年前から精神を病んでおり、ずっと父、武士が介護をしてきましたが、宅間が事件を起こす前年から、とうとう入院をしていました。7歳上の兄は、この前年に事業に失敗して、自ら頸動脈を切って自殺。シャバに残されていたのは、父、武士と、守の二人だけという状態でした。

 結局、宅間は、最後に実の父親、武士に、金の無心を頼んで断れられたところで、人に頼ろうとすることもやめ、世間に対してケジメをつけて、人生を終わらせることだけを考えるようになります。


せーかつほふぉ

 


 生活保護


 事件直前の宅間について、様々な文献をめくっても情報がハッキリとしないのですが、この時期、彼は生活保護を受けていなかったのでしょうか?

 宅間の半生を見るに、彼はよほどの幸運に恵まれなければ、労働者として生きていくことは難しかったように思いますし、それなりの罰も受け、十分に苦しんできたと思います。精神病歴など振り返っても、受給資格は十分にあったと思いますし、事件など起こすよりは、一生保護を受けて暮らさせた方がよかったように思います。

 宅間という男について確実にいえるのは、彼は就労意欲はあった男だということです。あれほど押しの強い男ならば、ゴネ得でもなんでも生活保護を取りにいってもおかしくないように思いますし、仮に受給資格が微妙でも、女を強姦するエネルギーを全部生活保護を取ることに振り向けていたら何とかなったんじゃないかとも思いますが、彼が生活保護を取りに動いた形跡は一切見えない。何よりも大事にしていた公務員の職を失い、上がり目が完全になくなってからですら、何とか働いて金を得ようとしている。

 立派と言っていいのかわかりませんが、成人してから29歳となる現在まで、およそ半分近い期間を、就学も就労もせずに過ごしてきた私などよりも、ある意味、宅間は社会に貢献してきた面もあったともいえると思います。これだけ就労意欲のある人間が、最後に犯罪という形で人生を終えなくてはならないのは、どこか残念に思います。


いけだしょう


 
 
 なぜ、池田小に向かったのか


 宅間が事件の動機として述べているのは、「自分が死から逃れるため」であったということです。
 
 激しい鬱状態にあった宅間が、少し元気を取り戻したのは、人を殺すことを考え始めたときでした。特に恨みのあった三番目の妻を殺害しようと、具体的な計画まで考えると、宅間は食欲が「モリモリー」と湧いてきて、カレーひと皿をペロリと平らげてしまったそうです。

 おそらくこの経験により、元来短絡的な上に、鬱で思考能力も弱まっていた宅間の脳は、「殺人=己の生きる道」というふうな結び付けをしてしまったのでしょう。「このままだと自分の命が危ないから、警察に捕まえてもらいたかった」ということも言っていますが、ようするに、毎年暮れになると、ホームレスがとりあえず雨風をしのいで三食食べるために、わざと万引きなどの軽微な犯罪を起こして警察に捕まろうとするのと同じような動機もあったようです。

 宅間に限らず、犯罪なんかするくらいならなぜ生活保護を受けようとしなかったのか?と思いますが、あるいは「男らしさの病」にかかっていたのでしょうか?生活保護についての情報は結構重要だと思うのですが、私のリサーチ力の限界で、十分なことがわかっていません。

 事件の前日、所有していた中古車の支払いの件で業者と話しをした宅間は、その帰りに、自宅アパートの隣の家のおばさんが、しゃがんで花に水をあげているところを見て、「殺したいなあ」とふと思い、それで完全にスイッチが入ってしまいました。自分の部屋に戻った宅間は、もう明日やろうと決断し、ターゲットの選定に移りました。

 パッと思いついたのは、宅間の人生にもっとも大きな影響を与えた父親と、宅間がもっとも執着した、三番目の妻のことでした。後に宅間は、獄中で、やはり恨みのある父親と元妻を殺しておけばよかったかな、と、後悔の言葉を口にしているのですが、このときの宅間は鬱状態で、衰弱の極致にあり、大人を確実に殺せるほどのエネルギーはどうやっても湧いてこなかったのでしょう。宅間は自分が警察に捕まるため、死から逃れるために、今の弱った自分でも確実に殺せる子供に刃を向けることを思い立ってしまいました。

 子供を殺すという選択肢の中で、大阪池田小を狙うことを決めた理由は、単に、宅間が当時住んでいた池田市の中で知っていた小学校が池田小しかなかった(加藤が秋葉原を選んだ理由とよく似ている)からでしたが、一度決断すると、後付けのように色々な理由が思い浮かんでいきます。

 国立の池田小に通っている子供は将来のエリート予備軍である。エリート予備軍を殺すのはエリートを殺すのと同じことであり、自分を虐げてきたこの社会に復讐することができる。家が安定した裕福な子供でも、自分のような将来の展望もないオッサンに5分か10分で殺されることもあるという不条理を世の中にわからせたかった。世の中、勉強だけちゃうぞと一撃を与えたかった。恨みのある父親と三番目の妻に対しても、自分が事件を起こして、多数の被害者が出ることで、罪悪感というダメージを負わせることができる・・・・。

 宅間が大阪池田小を選んだきっかけは、単に「近所で知ってる学校がそこくらいしかなかった」程度のものでしたが、後付けでもこれだけの理由が浮かんでくるということは、宅間にとって、やはり大阪池田小は「定めの地」だったのでしょう。

 考えれば考えるほど、宅間の中で、大阪池田小襲撃は素晴らしいアイデアのように思え、宅間の決意は揺るぎないものになっていきました。

犯罪者名鑑 宅間守 7


けっこん



 四度の結婚 



 宅間の結婚について纏めて紹介します。

 一番目の妻Sと結婚したのは、平成二年、宅間27歳のときのことでした。

 Sの詳しい供述がないため詳細は不明なのですが、Sは宅間より十数歳年上で、宅間と知り合ったばかりのうちに、宅間から脅されるような形で強引に結婚を迫られて婚姻届けに判を押したものの、すぐに別れることが決まり、結婚から数日で、Sの家族が割って入る形で和解が成立、宅間には百二十万円が支払われることになったといいます。

 宅間がSに愛情を持っていたかどうかにもよりますが、まあ、女体と引き換えに金をとれたわけですから、「勝ち」といえるかもしれません。

 二番目の妻Kとは、一番目の妻Sと別れてから数か月後に結婚。Kは宅間の小学校時代の担任教師でした。

 宅間はKの家にいきなり電話をかけ、職業などのことについてウソを言って会い、強引に肉体関係を持って、付き合ってから半年ほどで結婚にまでこぎ着けました。KはSF作家の小松左京の実妹で、特殊なコネクションを持っていたようで、宅間は結婚生活中、市バスの運転手として、公務員として働いていました。

 このKとの間には、珍しくトラブルは少なく、結婚生活は四年間持ちましたが、最終的には、宅間が31歳のときに起こした強姦事件によって離婚してしまいます。しかし、小学校の教師であったKは面倒見のいい性格だったようで、拘置所にも足しげく面会に通い、宅間が別の女性と結婚してからも、度々顔を合わせていたようです。

 Kは宅間との結婚当時、なんと、宅間守「定めの地」大阪池田小学校で働いていました。宅間は自分に公務員の仕事に就くチャンスを与えてくれたKに対しては特別に感謝の気持ちを持っていたようですから、Kが池田小で働いていたことは、動機としてはまったく関係なかったでしょうが、改めて、宅間守と大阪池田小の深い因縁を感じずにはいられません。

 一番目、二番目の妻は宅間とは年齢が離れており、宅間は「飯を作ってくれる女、家のことをやってくれる女がほしかった」と、愛情はまったくなく、生活の安定のためだけに結婚を申し込んだことを公言しています。その宅間が初めて、惚れた腫れたで結婚を申し込んだのが、宅間が平成九年、33歳のときに結婚した二歳年上の三番目の妻、Iでした。

 宅間はこのIに対して、一貫して強い執着を抱き、獄中においても敵意を持ち続けていました。

 Iについて宅間は、「容貌が美しかった。セックスが気持ちよかった」と、珍しく褒めたたえる発言をしています。しかし、愛情を持っていたからこそ、裏切られたと感じたときの憎しみも激しいものとなってしまいました。

 宅間は例によって、強引に迫る形で、Iと短期間での結婚にこぎ着けたのですが、結婚後間もなく、新婚旅行で訪れた香港で、ツアーで一緒になった客と、ガンをつけたのつけないのといったトラブルを起こしたり、執拗に浮気を疑ってきたり、騒音に過敏に反応して騒ぎ出したりと、愛するIの前で神経質なところを見せてしまうようになります。

 病院でカウンセリングを受けるように勧めるIの前で、宅間は「すごく神妙に、涙目みたいな感じ」に、「しんどいんや。人を常に疑いの目でみないといけないのは」ということを言ったといいます。

 宅間にも人に縋る気持ちがあり、女に甘えられる一面もあったというエピソードですが、問題は、宅間が女を見た目だけでしか選べなかった、ということでした。宅間も面倒見のよかった二番目の妻や四番目の妻にもっと誠意を見せたうえで、思い切り甘えていたらよかったと思うのですが、三番目の妻Iは、どちらかといえば自分優先のタイプだったようで、トラブルメーカーで猜疑心の強い宅間に対して、「あんたみたいなんとは、付き合いきれんわ」と、離婚を申し出てきたのです。

 宅間は自分から逃げようとするIに対し、自宅や職場に押しかけたり、中傷ビラをばら撒いたり、脅迫電話をかけたりなどのストーカー行為に及びました。宅間は本気でIを手放したくなかったようでしたが、Iの方の意志も固く、彼女は、宅間との間にできた子供をおろしてしまいました。

 なんだかんだと言っても、お腹の中には子供がいるのだから、必ず帰ってくるだろう――。一縷の望みが断たれた宅間は激しく落胆し、他に聞いてくれる人もいなかったのか、あれほど嫌っていた父親に電話をかけ、大号泣しながら、悲しみを訴えたといいます。
 
 宅間はIに執着した理由として、「好きやったんかな。それと憎しみと何もかもミックスしとった」と語ると同時に、「周囲に対しては全く品行方正」「ええかっこしい」「こっちばっかりワルモンにされた」「お前もこんなヤツやないか言うてね、暴いてやりたい気持ちもかなりあって」ということを語っています。

 宅間のような被害妄想の強い男の言うことですから、100%真に受けるわけにはいかないとしても、ストーカーの被害者がまったく落ち度がなかったケースは少なく、「言わなくてもいい余計な一言」を言っていたり、「やらなくてもいい余計なこと」をやっている場合が多いのは事実ですから、確かにIの側にも、何らかの非はあったのかもしれません。

 自分の容姿を鼻にかけて、男のプライドを平気で傷つける、高飛車な物言いが目立つ女性であったのか、もしくは、悪い人間ではなかったかもしれませんが、負けん気が強く、宅間に対しても物怖じせず言い返すタイプの女性だったのか・・・。まあ、さすがに宅間レベルの破天荒な男と一緒にいれば、何か一言言いたくなる気持ちもわからないではないですが、むしろそういう人物相手だからこそ、安易にプライドを傷つけるような一言を吐くのは避けた方が無難ということは言えるでしょう。

 平成十一年、宅間35歳のときに結婚した四番目の妻Hは、宅間と関わった女性の中で、もっとも不憫な女性です。

 宅間はお見合いパーティで出会った、数歳年下のHとの結婚を「緊急避難的な決断だった」などと語り、同棲中も、頻繁に暴言、暴力を振るっていました。逮捕されてからも、「セックスも気持ちええことない」「タイプじゃない」「頭も悪い」「インテリとまったく正反対」「なんでそんなんに縛られないとあかんねん」と散々です。

 宅間はIとの間に出来た子供には、父親に泣き言を言うほど執着したにも関わらず、Hとの間に出来た子供には、出産費用のことばかり気にして、「おろせ!」と怒鳴ったこともあったそうです。宅間にとって子供とは、好きな女を繋ぎ止めるためだけの道具であり、どうでもいいと思っている女との子供は、逆に邪魔だったようです。

 宅間に散々酷いことを言われながらも、Hは子供をおろしたりはせず、宅間が勤務していた小学校で薬物混入事件を起こしたのをきっかけに離婚し、実家で元気な男の子を出産しました。このとき生まれた子供が、今どうなっているのかわかりませんが、宅間はIよりは情深い女性であったろうこのHになぜ甘えられなかったのか、もっと大事にしようと思えなかったのかと、残念ではあります。

こうむいん


 
 公務員

 
 宅間は平成五年から平成十一年にかけて、縁故により大阪市に採用されて、公務員として勤務していました。不況に強い公務員は今や夢の職業とも言われていますが、宅間も 「給料そこそこもらって、仕事も無茶苦茶楽で、休みもふんだんに取れて、で聞こえがよくて、安定して終身雇用いうて。ほんなら僕にとったら、学校も出てない、頭もそないええことない僕にとったら、最高の仕事をしよった」と本人が語る公務員の仕事を維持することには、並々ならぬ意欲を燃やしていました。関わった人間すべてを悪く言っている宅間が、唯一、自分が公務員になれるように便宜を図ってくれた二番目の妻にだけは恨みごとを述べていないことからも、宅間がどれだけ公務員の仕事を大事にしていたかがわかります。

 それでもやはり、市バスの運転手時代には、気に入らないお客に文句をつけてクレームを浴び、小学校の用務員時代には、子供を怒鳴ったり、暴力を振るったりなどのトラブルを起こし、最終的には、用務員室でオナニーをしていたのを見られた腹いせに、教員がお茶を飲むのに使う給湯器に精神安定剤を混入させる騒ぎを起こして解雇されています。

 宅間が公務員の仕事を得られたことは、彼の人生で最大のチャンスだったと思います。客観的に見ても恵まれた立場にあり、本人もその重要性を十分にわかっていたにも関わらず、結局は放り出してしまったわけですから、やはり宅間にまともな社会生活を送ることは無理だったのかもしれません。

 それでも、公務員の職を得た三十代の宅間には、「二十代に比べれば」というレベルではあるものの、トラブルが少なかったのは事実です。市バスの運転手時代には、裁判のことなどで、親身に相談に乗ってくれるような同僚もいました。これをこうしていれば、というアイデアを上げろと言われればそれは難しいのですが、もうちょっと、何か一つ一つの噛み合わせがうまいこと行っていれば、何とかなったのではないか、という気もしないではありません。
 

 

犯罪者名鑑 宅間守 6


 ~後編~ 定めの地へ――宅間守、大阪池田小までの”彷徨”


たくまあ



精神病院


 
 父、武士との「決闘」から暫くして、守は自らの意志で、精神病院へと入院しました。当事者の声を聞いていただいた方が状況がわかりやすいと思うので、父、武士のインタビューを掲載します。

「まあ、そんなんしてレイプ犯罪熱中してたとき、たまたま奴は一個だけ引っかかったわけよ。それは不動産賃貸物件の紹介案内をした際にやった事件や。女の客を部屋に上げて犯ってしまうもよし、合鍵ももっとるさかい、契約成立すれば入居してからいつでも犯れるし、趣味と実益を兼ねてヤツにはもってこいの仕事やったんやろね。この件の捜査が始まっとったことを察知したのか、今思えばあれほど入院するの嫌がっとった精神病院に、己から急に飛び込んでいったのはやはりそれやろ。守の犯罪ライフプランによると、キチガイの実績をここんとこでちゃんと積んどけば、後々女の件でも使えるちゅうこっちゃ。ヤツなりに悪知恵働かせたうえでのことやろ。パワーアップや。犯罪者も進化するっちゅうの。昭和五十九年の十二月のことや」

 武士の推察通り、守が自ら精神病院に入ったのは、レイプ犯罪を起こしても、いわゆる「心神喪失状態による無罪」を勝ち取るための実績づくり、また詐病のノウハウ獲得のための「研修」のつもりだったようですが、守の当ては完全に外れてしまいました。軽い研修の気分で入ったはずが、精神病院とは、守が思っていた以上の「地獄」だったのです。以下、当人の言葉をお伝えします。

「あんな鍵かけられて無茶苦茶やられるところやと思わなかった」
「なんかしたら縛られる」
「薬飲むとよだれバーーッと出てくる」
「なんかソワソワソワソワしてイライライライラして」
「早朝覚醒するし」
「小便は出んようになる」
「看護人に、あんなんやったらお前、何年でも入っとけとか言われるし」


 この「地獄」から逃れるため、宅間はとんでもない暴挙に出ます。なんと、精神病院の五階から、地上めがけて決死のダイブを試みたのです。

 幼き日、人前でチンチンを平気で露出し、月光仮面の真似事をして両親をハラハラさせる、「坊ちゃんとクレヨンしんちゃんのハイブリッド」であった守は、大人になって、「クレヨンしんちゃん」の部分がパワーアップされ、ちんちんを露出するだけでなく、そこら中の女に片っ端から突っ込むようになってしまいましたが、「坊ちゃん」の方も大幅パワーアップし、学校の二階から飛び降りた本家を越える、五階から飛び降りてしまったのです。

 どうやら向精神薬の影響もあって、衝動性がますます盛んになってしまったところもあったようです。一体何のための薬なのでしょうか。当然、五階から飛び降りて、タダで済むはずがなく、守は全身を複雑骨折し、一か月半以上の長期入院を余儀なくされてしまいました。また、父、武士の言葉で当時の状況を紹介します。

「そのとき病院見舞いに言ったら、恨めしそうな顔でこっち見とるんよ。下あごが砕けて口も聞けんようになっとったが、なにやらもごもご言っとったよ。わけわからんことをよ」

 守の被害妄想かもしれませんが、どうやら守の母親が、守を精神病院に長期収容し、絶対に外に出さないように働きかけたということがあったそうです。守はそれを酷く恨み、母親に「慰謝料」を払うように求めたそうですが、母親は断固拒否。この直後、守は強姦罪で奈良少年刑務所に収監されることになるのですが、守は刑務所の中からも、母親に対する「請求書」を送り続けていたといいます。

 守はこの飛び降り事件によって、チックの後遺症を負ってしまいました。他にも、手足のしびれなどの症状が、この後も度々あったようです。

 また、確実な話ではありませんが、守はこのとき、脳の前頭葉も損傷してしまった可能性もあります。ドラゴンボールの悟空などは、頭を強く打ち付けたことで穏やかな性格になりましたが、実際にはその逆で、事故で脳の一部を損傷した人は、衝動性を抑えることができなくなり、粗暴になったり、また異常性欲に悩まされたりする場合が多いようです。宅間がもともと持っていた性質が、事故の後遺症により、ますます増幅されてしまった可能性があるということです。


kouつうじこ


 
 武勇伝


 
 二十代の頃のタックマンの武勇伝を纏めて紹介します。

 ・昭和六十年の御巣鷹山飛行機墜落事故の際、遺族とウソをついてバスで事故現場まで行き、一泊した。

「トコトンのことをやっていると思わせたかった。好奇心ゆうか暇つぶしに、ひょっとしたら散らばってる死体みれるかなあと思いたかった」

 後学のため、一度「実物」を見てみたいという気持ちがある人は少なくはないと思います。しかし、大抵は死者を冒涜することの畏れなどが先に立ち、自ら現場に行くということは躊躇われるものです。

 倫理を超越しているというより、私が感じるのは、底なしの「絶望」です。死者に祟られることを恐れるのは、幸福な人生を送っている者、大事にしたい何かがある者だけです。何も失うものがないと思う者には、亡者はまとわりついてきません。宅間の人生には、冥界に引きずりこまれて困るものは、何もなかったのでしょう。自分の命すらも。

 ・昭和六十一年ごろ、奈良刑務所で、「結婚式の引き出物を作る仕事」があった際のこと。

「結婚式の引き出物だい、と帰るヤツがあれば、不快な思いをするやろうと思って(笑いながら)、ケツに指突っ込んで、ウンコ掻き出して、チュッチュッとぬっとった」


 退屈な刑務所暮らしですから、この程度のことは割りと誰でもやるような気もします。自分でその光景が見れるのだったら、私も間違いなくやると思います。手を洗うついでに、ムカつくヤツのお味噌汁に溶かし込んでおくのもいいでしょう。

 ・刑務所出所後、ダンプやトラックの運転手を勤めていたときのこと。

「山奥に産業廃棄物を十トンダンプで運ぶ仕事をしていたときに、下りのカーブでブレーキ踏んだらスピンして、対向の十トントラックにボカーンと当たって、十トンのヤツが何日か後に死んだ。警察には、向こうがセンター割ってきたとウソをついて、不起訴になった」

「トラックを運転中に、首都高速の付近で、乗用車とかぶせあいとなり、割り込んでブレーキを踏むことを十回くらい繰り返しているうちに、相手の乗用車が側壁にぶつかり、運転手が失敗して死んだ。知らん顔して逃げたので事件にはならなかった」


 二件の死亡事故について、宅間は薄ら笑いを浮かべながら語り、

「こんな形で死に損になってるヤツ、なんぼでも世の中におるやろうなあ」

 と、他人事のように言い放ったそうです。

 二件は書類上では事故として処理されているものの、宅間の無茶な運転が原因であったことはおそらく間違いのないところでしょう。そして、日本では年間4000~5000人が、交通事故で命を失っています。

 宅間の言う通り、「こんな形で死に損になっている」人は、世の中には案外、たくさんいるのかもしれません。

うんこ


 
 精神疾患

 二十代のころ現れていた宅間の精神疾患について纏めて紹介します。

 二十代のころから、宅間は被害妄想が激しくなり、人が三、四人集まっているとき、自分の噂話をヒソヒソとしているのではないか、と疑うようになっていました。視線恐怖もあり、「誰かにじーっと見られている気がして」いつも不快で仕方なかったといいます。

 誰しも経験はあると思います。ようは頻度と程度の問題ですが、宅間の場合はしょっちゅうで、思い込みも強く、刑務所でもシャバでも喧嘩騒ぎを起こしていました。

 潔癖症も現れていました。

 宅間は排便について異様なこだわりがあり、自衛隊に入っていたころから、「うんこがついているような気がして」共同便所のサンダルがはけなかったり、手を石鹸で洗わなければ気が済まなくなったりするようになっていました。

 それはまだしも、刑務所を出たころから、「水しぶきがかかるような気がして」うんこを流さなくなったというのはいただけません。手を洗ったあとも、自分がひねった蛇口が、「うんこついてる気がして」もう触れず、水をずっと出しっぱなしにしていたというのも酷い話です。

 電車の座席にも「うんこついてる可能性あるから」座ることができず、自宅の座布団にさえも、「うんこついてるかもしれんから」お気に入りのズボンを脱いでからでないと座れなかったそうです。

 ちょっと前に、自分のうんこを結婚式の引き出物にくっつけたときのお前はどこに行ったという話ですが、二十代のころの宅間にとっては、「うんこ」との戦いがひとつの重大なテーマだったようです。

犯罪者名鑑 宅間守 5


たかうあままもる



 決闘

 自宅で始めた運送屋ごっこをやめた、21歳ころの宅間は特に荒れており、何度も警察沙汰を起こしては、身元引受人である父、武士に警察署まで迎えにきてもらうことを繰り返していました。武士は息子の悪行三昧、金食い三昧にほとほと疲れ果てており、途中で何度も、車で崖に突っ込んで、守と心中を図ろうとしたことがあったようです。

 家庭内暴力も始まっていました。武士も身長170㎝台半ばで、戦前生まれにしては大柄な方であり、守が幼いころは体罰を加えたこともあったようですが、成長した守を止めることはできませんでした。守は父や兄が家を空けている隙に、いつも母を殴っていたようです。

 この武士の体罰についてですが、私は世代を考えれば、そこまで突出して酷いとはいえないのではないか、と思います。まだ軍国教育の名残が残っていたころで、武士は特に、男らしさが価値を持つ、薩摩の国の出身です。酒を飲んだくれて暴れているというならともかく、子供が悪いことをしたとき、殴って痛みで覚えさせるという理屈は、今は悪とされていますが当時としてはそんなに珍しくはないもので、これで武士を非難するなら、この時代の親の半分ぐらいは鬼親になってしまうと思います。
 
 ただ、いくら時代的な背景を考慮すれば酷いとはいえなかったとしても、肝心の子供がどう感じていたかはまったく別の問題である、ということは、一応書き加えておきます。

 そして守は、ある日母を連れて、五百万円ものお金を持ち出し、突然に家を出てしまいました。武士は失踪した妻と子を、四方八方手を尽くして探し、半年後、兵庫県内のアパートで暮らしていることを突き止めます。武士は妻に自分のところに戻るように言いましたが、妻は夫に反発し、帰ろうとはしませんでした。

 母は暴力を振るう守の元から、なぜ離れようとしなかったのか?とあるジャーナリストは、この時期、守と母の間に、近親相姦があったのではないか、という推論を述べています。

 二度と繋がるはずがなかった母と息子が、再び一つに結ばれてしまった。息子を「男」と認識してしまった母は、理性ではいけないとわかっていても、下半身の疼きに抗うことができなかったのではないか――。まことに悍ましい話であり、宅間本人の口から事実が語られたわけではないのですが、かなり「怪しい」ことは否定できないでしょう。

 妻を取り返しにアパートに赴いた武士と守の「決闘」が始まりました。

 守はアパート近くの建設現場からスコップを持ってきて、肩を怒らせながら武士に近づくと、スコップを脳天めがけて、思いっきり振り下ろしました。守は本気で殺しに来ていたようです。

 当時五十歳で、まだ身体は動き、力も強かった武士は、守の渾身の一撃をかわすと、一気に間合いを詰め、守をタックルで突き飛ばしました。テイクダウンに成功すると、武士は仰向けになった守の身体に馬乗りになり、傍にあったレンガを掴み、頭をめがけて思い切り振り下ろしました。父も本気で、息子を殺すつもりだったのです。

 これまで父を舐め腐っていた守は、まさかの父の本気の殺意を感じ取り、動転した表情を浮かべていたといいます。しかし、悪魔の頭脳は冴えていました。守はここで、まさかの命乞いに出たのです。

お父ちゃん、やめといてんか。ゴメンヨ、ボク、考え変えるわ、もうせえへん。ゴメンよ、後生や、許してんか。ボク考え変えるわ」

 これまで見たこともないような守の哀願の表情と、聞いたこともない弱弱しい声を耳にして、武士の脳裏に、まだ可愛らしかったころの守の姿が浮かびました。

「お父ちゃん、殺さんといて。改心するさかい」

 守の命乞いを受け、盤石だった父の意志は砕けてしまいました。守の頭上に振り上げられたレンガが手から零れ落ち、息子の身体にかける体重も弱くなってしまったのです。一瞬のスキをついて、守は父の下から脱出しました。

 守は一目散に二十メートルほども遠ざかると、そこでさっきの哀願の仮面を脱ぎ捨て、もとの冷酷で残忍な悪魔の貌で、武士を睨みつけました。

「バカめ、まんまと引っかかったな。覚えとけ、地元ヤクザの○○に言って、お前ら二人(父と母)、無茶苦茶にしてやるから。死ぬまで俺様のために苦しめてやる。この請求書は高うつくぞ」


 父、武士にとっては、このときが一生の不覚でした。悪魔の予言通り、まさにこのときから、宅間家の完全な崩壊が始まっていったのです。

たくまあああああああ



 家庭崩壊

 
「今考えればあの時じゃろ、ヤツの中の”怪物”が一回り大きくなったんは。もうその暴走が誰にも止められんようになっていくんや」

 父、武士が語るように、母を父に奪い返された守は、宅間家に様々な嫌がらせ行為を働くようになっていきました。以下、そのまま武士の言葉で紹介します。

「あれから大変やったで。十件を超すレンタルビデオ店から未払い分のエロビデオの請求書わんさと来るんや。確かにヤツの言っとった通り請求書は高こう付いた。どれも一件十万円を超えていたんや ~略~ また夜になると我が家や車に向かって投石があるのよ。兄貴がアウディゆう外車買うたら、守のヤツから「生意気じゃ」と脅しがあり、ある夜また投石があったんで外に出てみたら案の定、兄貴の車フロントガラスが割られるわ、ボンネットぼこぼこにされるわ・・・。兄貴はショックでしばらく寝込んだよ」

 私が説明するよりも、、当事者の言葉をそのまま読んでいただいた方が重みがあると思うので、この時期の武士の疲弊具合を表すコメントの紹介を続けます。

「ワシらがヤツを刑務所にぶち込むチャンスは何度もあった。でも、警察の理解者がどれだけ尽力しても、司法と精神医療の現場では高い壁が立ちふさがっておるのよ。人権っちゅうやっちゃ。じゃがワシは敢えて言う。鬼畜に人権いりまへん。いらんヤツにいらんもんくれて、ややこしゅうしとんのが、ええ大学出のおっさんたちや。問題や事件が起こればそりゃ当然犠牲者が生まれるやろ。そちらの悲劇ばかりやが、ワシらキチガイの家族はどうなんねん。事件が起きる、そのずっと前から危なっかしいキチガイの一番近くでビクビクしながら暮らしとんよ。そこんとこもう少し考えてくださらんと、ワシらキチガイに人権蹂躙されとんや。もうええかげんにしてくれな」

 宅間もなかなか味わい深い言葉を吐く男でしたが、この武士さんもユーモアのセンスに溢れた、トークのうまい人で、彼へのインタビューを載せた「新潮45」の記事は、一つの読み物として非常に面白い出来になっており、私がお勧めする一冊です。

 武士の言う通り、日本という国は被害者遺族への配慮もまだまだ十分とはいえませんが、加害者家族の保護というものも、まだまだおざなりになっています。世の中にはキレイごとを吐くだけで、実際の援助は何もしないという人種は大勢いますが、武士が批判する人権屋という人たちも、口々に平等だとか博愛を叫ぶだけで、実際の守の面倒はすべて武士ら家族に任せていただけだったとしたら、ただの自己満足の偽善者と言われても仕方ありません。

 2ちゃんねるやヤフコメを見れば一目瞭然ですが、日本という国は、「悪いヤツだったら何を言ってもいいし、何をやってもいい」という風潮のある国です。同じ厳罰化の世論が強いアメリカもそういう傾向がありますが、加害者はまあ仕方ないにしても、問題は社会のバッシングが、加害者家族にまで及んでしまうということです。百歩譲って、親は批判されても仕方ないかもしれませんが、兄弟や子供にまで飛び火するのは明らかなやり過ぎで、正義の名を借りたイジメにしか過ぎません。

 親だって本当に悪いかはわかりません。犯罪者名鑑でいえば、山地や加藤、小林薫の親あたりは明確な毒親かもしれませんが、私は宅間守の父、武士は、ちょっとアクが強いだけの、ユニークなおっさんくらいにしか思いません。

 先日、清原が逮捕された際も、憔悴した面持ちで警察の車に乗り込もうとする清原に、「清原さん何か言いたいことはありますか」などと質問をぶつける記者の姿が映されましたが、ああいうのを見ると、マスコミはやっぱりマスゴミと言われても仕方ない人種なんだと思います。

 37歳の息子から借金の申し出があった際、「お前のようなヤツは死ね」と言い放ったこと。不躾な質問をぶつけるマスゴミに、「死っねーーーーっ」と、誰もが当たり前に思う言葉を言い放ったこと。世代的に見ればそう珍しくはない体罰。

 息子から受けてきた精神的苦痛に比べればあまりに軽い、たったそれだけの要素で、長年、息子の起こしたトラブルの尻拭いに奔走して疲れ切った武士を「鬼父」などと決めつける。それがマスゴミと、世間がやったことでした。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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