犯罪者名鑑 畠山鈴香 3


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 奇妙な行動

 

 2006年4月9日夕方、鈴香から能代署に、1人娘の彩香ちゃんが帰ってこないと、110番通報がありました。

 翌日から大規模な捜索が行われ、地元の大きな川、藤琴川のほとりで、彩香ちゃんの遺体が発見されました。

 悲しみにくれる鈴香。近隣住民は、娘を亡くした不幸な母親に同情の目を向けます。

 遺体に目立った外傷が発見されなかったことから、警察は彩香ちゃんが、河原で遊んでいるときに誤って落ち、溺死したと判断。彩香ちゃんの死は、事故として片付けられるはずでしたが、これに待ったをかける人物がいました。

 彩香ちゃんの死で、当初、悲劇の母親という目で見られていた、鈴香その人です。

「彩香が事故に遭ったとは思えない。事件として捜査してほしい」

 彩香ちゃんは事故で死んだのではなく、何者かに殺されたのだと主張する鈴香は、A4版のプリントを刷り、住民に情報提供を呼びかけました。

 いまも、どこかで生きているであろう彩香ちゃんを探すというなら、快く協力しようという人も多かったでしょう。しかし、すでに亡くなった娘が、亡くなる直前にどこでなにをしていたのかが知りたいというのでは、いまいち、人の情に訴えかけるものがなく、近隣住民はむしろ、これを機に鈴香を気味悪がるようになっていきました。

 近所にプリントを配布した直後、鈴香は彩香ちゃんの母校の運動会を、遺影を持って観覧しに訪れました。

 つい最近にも、高校在学中に亡くなった生徒の父兄が、卒業式の観覧に訪れたところ、部外者として門前払いを食らい、トラブルになったという問題がありましたが、子供を失くした親が母校の催しに参加したいという気持ちは、私にはいまいちよくわかりません。亡くなった子供の思い出が残った場所になど、近寄りたくもないと思うのが親の情ではないのでしょうか。
 
 案の定というべきか、鈴香は運動会に出たときに、「彩香はもういないのに、他の子が楽しそうにしているのが許せない」と、邪な感情を抱いたことを告白しています。自分の判断で出席しておいて、なんとも勝手な話ですが、鈴香のような人間の行動を、論理的に理解しようとするのは無駄というものかもしれません。

 このようなことがあり、老人や主婦など、日頃から家にいる人たちは、段々と「鈴香はどこかおかしい」という目で見るようになっていきましたが、普段、会社で働いているお父さんはそうでもなく、依然、鈴香に同情的な目を向ける人もいました。

 彩香ちゃんより二歳下ですが、よく一緒に遊んでいた豪憲くんの父、勝弘さんは、鈴香を哀れに思い、彩香ちゃんが豪憲くんとシャボン玉遊びをしているときに撮影したビデオを、鈴香に手渡しました。純粋に、子を失くした母親に対する善意からの行動でしたが、ビデオを見た鈴香は、あらぬ感情を豪憲くんに向けてしまうことになります。

「彩香はもういないのに、ほかの子が元気にしているのが許せない――」

あやか



 代理ミュンヒハウゼン症候群



 この事件が特異だったのは、警察がすでに事故として処理した事件を、彩香ちゃんを殺害した鈴香本人が、他殺だとして騒ぎ立てたことにありました。

 親の情も何もないような話になりますが、もし、この時点で鈴香が何も主張せず、警察のシナリオ通りに動いていれば、鈴香はずっと悲劇の母親という扱いで、刑務所にも入らずに済んだのです。

 なぜ鈴香は、わざわざ自らの罪を暴くような行動に出たのか。

 90年代のアメリカで、難病と闘う娘と、それを支える健気な母親として、連続ドキュメンタリーの企画で人気を博していたある母娘がいました。しかし、真相はとんでもないもので、母親は娘の点滴のチューブに毒物を入れるなどして、意図的に娘の体調を悪化させていたのです。 

 子供やペットなど、自分が支配できる弱い対象を傷つけ、その庇護者ということで注目される自分に酔う――代理ミュンヒハウゼン症候群という、精神の病です。

 当初、一人娘を不慮の事故で失った悲劇の母親として注目を浴びていた鈴香でしたが、日が経つにつれ、周囲の注目は他に移り、自分を忘れていくようである。そこで鈴香は、周囲に対し、自らの存在をアピールし始めた。そのように考えれば、鈴香がわざわざ自分の罪を暴くような行動に出たのも納得がいきます。

 しかし、鈴香の意図に反して、周囲はむしろ、鈴香を気味悪がるようになっていった。これに対しての不満が、豪憲くん殺害に繋がっていった可能性も考えられます。


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 米山豪憲くん殺害事件

 彩香ちゃんの死から一か月が経った2006年5月16日、鈴香は、「彩香がもっていたピカチュウのおもちゃがあるので、もらってほしい」と、家の近くを歩いていた豪憲くんを、自宅に誘い込みました。

 豪憲くんが、嬉しそうにピカチュウのおもちゃを手に取った――。このとき、鈴香は、運動会に出たとき同様に、「彩香はもういないのに、豪憲くんが楽しそうにしているのが許せない」という感情を発作的に抱いたといいます。

 そして鈴香は、豪憲くんの首に手をかけた。殺害した豪憲くんを、近くの藪に打ち捨てた――。

 このあと明らかになる、彩香ちゃん殺害事件でもそうですが、鈴香の仕業とされる二件の犯行では、「殺意の有無」という点が争点になりました。

 殺害は計画的だったのか?それとも、発作的だったのか。人の命を奪うという結果は同じでも、そこに至るまで、犯人の頭の中にどういう心境があったかというのは意外に重要で、場合によっては、殺人が過失致死となり、刑期が半減されるということもあります。

 豪憲くん殺害事件において、鈴香は豪憲くんを、最初から殺害するつもりで家の中に招いたのか。

 それとも、他意はなく家の中に招いた豪憲くんが、無邪気に振舞っているのを見てから、殺意を抱いたのか。

 鈴香は後者を主張し、それが支持されたことで、子供を二人も殺害した事件では甘い判決といえる無期懲役が確定しますが、裁判官が、発作的に殺意を抱いたという鈴香の主張を受け入れたのは、鈴香という女の行動が、実際まったく論理的ではなかったからでしょう。

 娘の殺害が事故として処理されそうになったのに、あれは殺人事件だったのだと騒ぎ立て、自らの罪を暴こうとする(にも関わらず、自首はしない)。娘が参加するはずだった運動会に、よせばいいものをわざわざ参加して、「彩香はもういないのに、ほかの子が楽しそうにしているのが許せない」という感情を抱く。しかし、その彩香ちゃんを殺害したのは、当の鈴香であった。

 文字に表すと、まるで支離滅裂です。こんな女に、計画などがあったはずがなく、発作性や、精神の病による行動と疑うのが、やはり自然でしょう。

 鈴香も哀れな女ではあるのですが、もっと哀れなのは、鈴香に狙われた彩香ちゃん、豪憲くんの二人です。

 このサイトには載せませんが、事件後、鈴香宅で撮られた「心霊写真」は、マニアの間で「ガチモン」であるとされているようです。死者の霊魂が写真に写り込む。そのようなことが本当にあるのか、私にはわかりませんが、彩香ちゃん、豪憲くんが、強烈な無念の思いを残してこの世を去ったことは間違いありません。
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犯罪者名鑑 畠山鈴香 2


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 離婚

 ニ十歳の夫と、二十一歳で結婚生活を始めた鈴香でしたが、綻びはすぐに見え始めました。

 若い夫婦の生活設計は、最初から破たんしていました。

 夫のKは、二十歳という年齢で、スポーツカーを二台も所有していました。当然、鈴香の父の会社で働く給料だけでローンを工面できるはずもなく、夫婦はサラ金からの借金で首が回らなくなっていきます。

 鈴香も家事が苦手で、とにかく外に着ていく服の洗濯だけは欠かしませんでしたが、掃除や片付けはおろそかになり、部屋の中は、常に足の踏み場もないほど散らかっていたといいます。

 やがて彩香ちゃんが生まれましたが、夫婦に育児能力がないことは明らかで、彩香ちゃんの世話は、主に鈴香の実家で行われていました。とくに夫のKは、最初から蚊帳の外に置かれていたようです。

 完全な自業自得なのですが、自分が除け者にされていると感じたKは、次第に家庭以外に癒しを求めるようになり、浮気をするようになっていきました。これで鈴香も愛想をつかしたのか、二人は結婚してわずか七か月で、離婚を選んでしまいます。

 鈴香は二十一歳という年齢で、シングルマザーとなってしまいました。

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 シングルマザー


 私が世の中でもっとも誤解に晒されている人種のひとつだと思うのが、シングルマザーと呼ばれる女性たちです。

 シングルマザーの人と接した経験は何度かありますが、私が感じた印象は、彼女たちは皆、普通のお母さんと一緒か、それ以上に頑張っているということです。

 シングルマザーは男を見る目がない。結局、彼女たちは、自分の子を不幸にしているのだ、などと非難する人間がいるのも事実です。しかし私は、彼らが言っていることが事実だとしても、それは見る目が悪いからではなく、彼女たちが普通以上に優しい性格だから、何かと問題の多い男を受け入れてしまったのではないか、と考えます。そう思うほど、私が知るシングルマザーたちは、人格的には愛すべき女性ばかりでした。

 鈴香も少々、考えの浅はかなところはあるようですが、根っからの悪人かというと、そうではないように思います。盗癖などもあって、トラブルを起こすことは度々あったようですが、悪意をもって人を陥れるようなことはなく、基本的にはいつも受け身の側でした。卒業文集に寄せたメッセージも、あれほどの悪罵を浴びながら、大変健気なものでした。

 ただ、やはり、もともとエネルギーに乏しい鈴香には、一人の子供を育てていくということは荷が重かったようです。

 鈴香は実家の援助を受け、職場を転々としながら彩香ちゃんとの生活を維持していきますが、段々と鬱症状に悩まされるようになり、精神安定剤に頼るようになっていきました。

 鈴香の勤務先での印象は場所によって様ざまですが、一番長続きしたパチンコ店では、勤務態度は真面目で、キツイ仕事も厭わずやり、別の職場で問題になった盗癖や虚言癖もなく、人間関係も良好だったようです。

 このパチンコ店で、鈴香は7歳年下の男性、Tと付き合っていました。彩香ちゃんの父親であるKと同様、やはり、どこか頼りないところのある若者だったそうです。

 私も実際に、メンヘラ気質のある女性が、なぜか年下の男ばかり選んで、短期間に五人も六人もの男を渡り歩いていた(交際以前にフラれたのが多かったようですが)のを見て、不思議に思ったことがあります。そういう女性は、年上の頼りがいのある男性と付き合った方がいいのではないかと思ったのですが、話を聞いてみると、彼女にも鈴香と同様、父親に絶対的な服従を強制されていた過去があったことがわかりました。

 父親から過度の抑圧を受けてきた女性には、年下の男を引っ張っていくことで、これまで抑えつけられていた自尊心を得たいという願望があるようです。鈴香はTを家に招くこともあり、Tは彩香ちゃんとの仲も良かったようですが、これがマスコミに、「連れ込んでいた男と一緒になるため、邪魔になった彩香ちゃんを殺した」と、希代の悪女のレッテルを貼られることに繋がってしまいます。

 相変わらず片付けは苦手で、食事もインスタントものが多かったそうですが、近所にあった実家の助けも受けながら、鈴香なりに懸命に育児と仕事を両立させ、彩香ちゃんは、なんとか小学校に上がるまで成長できました。

 しかし、その小学校で、彩香ちゃんは、イジメを受けるようになってしまいました。校庭のシーソーに「クソ、バカ、シネ、畠山」などという言葉が書かれてあったのです。

 鈴香は自分がされたイジメを思い出したのか、担任教師に食ってかかり、自分が教室に乗り込んで、直接犯人捜しもやると強く主張しましたが、担任は「イジメの事実は確認できなかった」と主張し、肝心の彩香ちゃん自身も、「べつになにもない」と、自分がイジメにあっていた事実を否認します。

 子供は自分がいじめられていることを親に話したがらないものです。鈴香自身もイジメを受けていたことを考えると、この辺りの地域性の問題で、イジメが伝統のようになっていたのではないかとも疑えるのですが、結局、この件はうやむやになってしまいました。

 こうした現状に疲れたのか、鈴香はあるとき、大量の精神安定剤を飲んで、自殺を図ってしまいました。

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 自殺未遂



 360錠もの精神安定剤を飲んで自殺を図った鈴香。しかし、長年の精神安定剤の常用により、身体に耐性ができていた鈴香は、致死量に当たる量を飲んでも死ぬことはできず、入院もせずに、数日で回復してしまいました。

  鈴香は自殺するに当たり、数少ない友人に、「ありがとう。バイバイ」とメールを送っていました。また、彩香ちゃんには、「10年後の彩香へ」と題し、離婚調停の書類と父親の写真を同封したうえで、「大きくなって会いたくなったら、裁判所を通して会いに行きなさい、途中で挫折するお母さんを許してください」といった内容の遺書を書き残していました。そして、パチンコ店で知り合い、六年間付き合った恋人のTには、「死体を発見させることになって申し訳ない」と書いたメッセージを残していました。

 鈴香なりの、関係者への誠意にも見えますが、どこか身勝手で、少女趣味のようにも見えます。

 私は自殺という手段を選ぶ人を、短絡的で乙女チックな人だと思います。死ぬという手段は大変なように見えますが、実際には、悩みから逃れるうえでは、もっとも安易な手段です。

 私も一時は自殺しかないと思った状態から、四年間も底辺の労働をしながら、報われない作家修行を続けていますが、その感、生きていて良かったと思ったことは、別にありません。妻と出会ったこと、おいしい御飯を食べたこと、素晴らしい景色を見たこと、好きな犬との触れ合い・・それらのことも、生きる上での艱難辛苦と相殺すれば儚い幸せであり、四年前に死んでも別に同じだったかな、と思う程度のことです。

 それでもどうにか生きているのは、死んだところで、何の解決にもならないことがわかっているからです。死ねば苦痛からは逃れられますが、苦痛の根本原因を取り除いて解決するには、生きて、もがき続けるしかない。

 それがわかった上で死ぬというのなら仕方ない、と私は思いますが、果たして鈴香はそこまで考えていたかどうか。

 彩香ちゃん事件から遡ること半年。もうこの時点で、鈴香は自分が何に苦しんでいるかもわからないくらいの、深い靄の中にいたのかもしれません。

犯罪者名鑑 畠山鈴香 1

すずか



 児童虐待


 2010年代に入っても、毎年のように子供の虐待、育児放棄の問題が報道されています。子どもを虐待する親は、「鬼」と言われて厳しい批判を受け、事件のすべては親が悪いというような論調で語られています。

 親が子を思う気持ちを、現代人の多くは当たり前のことだと思っています。もちろん、それが尊いものであることは間違いありません。それがない人間は子供を持つ資格がないというのもわかります。しかし、子どもを持つ親のすべてが、二十四時間三百六十五日、無条件に子供を愛する気持ちを持てるものでしょうか。

 江戸時代以前の農村では、畑仕事ができなくなった親を山に捨てたり、跡取り以外の子供を間引くということが、普通に行われていました。この日本でも、つい二百年程前までは、人が無条件に、親や子供を愛することは、「当たり前」ではなかったのです。

 児童虐待や育児放棄の問題を、親を責めただけで解決できるのか。経済状態など、子どもを育てる環境が十分に整っていない事情までもが、「愛」の問題にされてはいないか。「親の愛」というあやふやなものに、社会のシステムが依存しすぎてはいないか。虐待を生んでいる構造の問題を含めて検証したいと思います。

よせがき


 
 源流

 畠山鈴香は1973年、秋田県能代市にて、運送会社を経営する父親と、元ホステスの母親との間に誕生しました。母親は元バレーボールの選手で、鈴香の大柄な身体はこの母親譲りだったようです。
 
 父親は暴君体質で、鈴香が幼いころから、酒を飲んでは家族に暴力を振るっていました。鈴香が中学生のころ、糖尿病で男性機能が衰えると、暴力はますます激しくなり、家族はいつも怯えながら暮らしていたといいます。

 鈴香は小学生のころから、学校で激しいイジメを受けていました。最初は小学校一年生のころ。担任にいきなり「水子の霊が憑いている」と言われたのがキッカケという、俄かには信じがたい理由でした。どうも、自分が信仰している宗教団体の御守りを買わせるのが目的だったようで、この担任は校長の判断で替えさせられたそうですが、同級生たちに与えた影響は大きく、鈴香は「心霊写真」などと仇名をつけられ、からかいを受けるようになります。

 高学年になると、給食を食べるのが遅いからと、担任から両手に給食を受けさせられ、無理やり食べさせられるなどの仕打ちを受け、これが原因で「バイキン」などと呼ばれてまたイジメを受けるようになります。担任がイジメがあったときに守ってくれなかったという話はよく聞きますが、鈴香の場合は、担任が原因となってイジメが起きてしまったのです。子どもの数が少ない田舎のことで、小学校の人間関係はそのまま中、高に持ち越され、鈴香の青春は暗いものになってしまいました。

 家庭にも学校にも安息がないという中で、鈴香には盗癖が芽生えてしまいました。小学生のころから小物や文房具などを盗んでおり、高校時代にはバドミントン部の部費六万円を盗み、停学処分を受けています。子どもの盗癖は愛情不足から出るものと言われ、物が欲しいというよりも、周囲の関心を自分に向けるために盗みを働く場合が多いといいますが、鈴香の場合は、店からの万引きだけではなく、同級生の持ち物にまで手を出してしまったのがいけませんでした。罪悪感や共感性が薄かったのかもしれませんが、これにより、イジメはますます激しくなってしまいました。

 高校を卒業するときに書かれた卒業文集は、ワイドショーなどで大きく取り上げられて有名になりました。文集のメッセージ欄に、鈴香本人は、

「一年間、長い人は三年間どうもでした。すぐには仕事をやめてこないけど二ツ井に帰ってきたときは遊んでやってください。帰ってきたらまっすぐビューホテルのあかねのとこに行くのでよろしく!!」

 と、健気に書いていたのですが、それに対する同級生たちのメッセージは、


「いままでイジメられた分つよくなったべ、俺たちに感謝しなさい」

「秋田から永久追放」

「二度と帰ってくるな」

 (有名になりそうな人のコーナー)「自殺、詐欺、強盗、全国指名手配、変人大賞、女優、殺人、野生化」

 

 などという、心無いものでした。

 こういうことを書いてしまう子供もそうですが、こんな文章を残してしまう学校側も、私には信じられません。放任主義だったのかもしれませんが、この内容は一線を越えているでしょう。これでは、まともな教育が行われていたのかと疑われても仕方ありません。

 ただ、当の同級生は、鈴香の高校時代のイジメについて、「報道されているほど大したことはなかった」と語っています。確かに、文集の中には鈴香以外にも、「強姦」「殺人犯」などとメッセージを送られた同級生が何人かいたようです。もしかしたら、子供の稚拙な悪ふざけが大げさに捉えられただけなのかもしれません。

 真相はわかりません。確かなことは、鈴香本人は、この文集を捨ててしまったということです。


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 長女誕生


 高校を卒業した鈴香は、栃木県鬼怒川の旅館に就職しました。父親は県外に出ることを猛反対していましたが、週に一回、近くに住んでいる叔父のところに顔を出すという条件で折れたそうです。

 父親から離れて生活するのは、鈴香の長年の念願でした。まさに解き放たれたようで、友達もでき、このときばかりは人生をエンジョイしていたようです。

 が、わずか一年ほどで、その生活も終わりを告げてしまいます。父親が糖尿病で目が見えなくなり、帰って来いと言われたのです。それは一人娘を手元に置きたい父親がついた嘘だったのですが、鈴香は言われた通りに実家に帰り、父親に束縛された生活に戻ってしまいます。

 二十歳前後の鈴香の人生は糸をつたうようで、父親に無断で、鬼怒川の隣りの川治温泉のコンパニオンや、クラブのホステスを勤めようとするのですが、すぐに父親に発覚して連れ戻させることを繰り返します。本人なりに抵抗し、逃げようともするのですが、なかなか父親の束縛からは逃れられません。この頃は、鈴香の四歳下の弟が父親を凌ぐ体格に成長しており、家庭内暴力は収まっていたといいますが、恐怖で縛り付けられていたのは相変わらずでした。

 そんな時期に知り合ったのが、一歳年下の男性、川島(仮)でした。髪を茶色に染め、いまどきの若者風の恰好ではありましたが、どこか風采が上がらず、頼りなげな感じの青年だったといい、鈴香にとっては、弟と重なり合うところがあったのかもしれません。川島とは、一度連れ戻された川治温泉にもう一度逃げ出し、またコンパニオンをしていたころに同棲をしていたのですが、川島はガソリンスタンドのアルバイト店員、鈴香もコンパニオンというのでは、先の展望がありません。このままではどうしようもないと思っていたところに、父親から、川島を自分の運送会社の社員にしてやるという誘いがあり、二人はそれに乗ることに決めました。

 自分の絶対的な支配から抜け出した娘と同棲を始めた川島を、父親は意外にも好意的に受け入れました。父親は会社の金で川島に二種免許を取らせ、将来、自分の事業を継ぐ存在として大切に育てていたようです。川島も、「厳しい面もあったが、自分と鈴香のことを想ってくれているようだった」と、好意的に語っています。

 まもなく二人は婚姻届けを提出し、実家を出て借家で生活を始めました。しばらくして、日当たりのいい町営団地に移り住み、そこで長女、彩香ちゃんが誕生しました。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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