犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 終


 

ざつこら

 失敗した少年A更生プログラム


 猟奇的な愉快犯の正体が、「触法少年」にあたる14歳の少年だったという衝撃は日本全国を駆け巡り、加熱した報道合戦の結果、週刊誌には顔写真が公開されるに至りました。ニュースやワイドショーでは、連日、酒鬼薔薇の抱えた「心の闇」が取りざたされ、事件の取材に訪れた記者の後ろに写った、酒鬼薔薇と同じ年頃の少年がピースサインをしていたことがやり玉に挙げられ、「土地柄が悪いのではないか」などと言われたり、例によってホラービデオの規制が叫ばれるなど、不毛な議論が交わされました。

 地下鉄サリン事件と、阪神・淡路大震災という「二大カタストロフィ」からわずか2年で起こった惨劇。当時の世の中に蔓延していた「終末」の予感に拍車をかけるには、十分すぎる出来事でした。

 裁判の結果、関東の医療少年院に送致された酒鬼薔薇は、通常の収容期間を延長し、「少年A更生特別プログラム」を受けることになりました。

 プログラムの内容は、「少年院内に”疑似家族”を作り、親の愛を知らない酒鬼薔薇を赤ん坊のように包み込む」というものでしたが、このプログラムの経過について、ここで詳しく紹介するつもりはありません。知っての通り、酒鬼薔薇本人が、自らの行動によって、このプログラムの成果を完全否定してしまったからです。
 
 後出しみたいに言うのもなんですが、私は「少年A更生プログラム」は完全なる失敗であり、また、「失敗は予期できたこと」だったと思っています。

 理由はこれまで述べてきたことの繰り返しなので、ここで長々とは書きません。簡単にまとめれば、失敗の原因は、「酒鬼薔薇のお母さんが”鬼母”であったなどと、なぜか決めつけ、親の人格や教育を全否定した」こと。そして、その決めつけが間違いであると気づく根拠が無数にあったことは、第1回からここまで書いた内容で、概ね証明できたと思います。

 酒鬼薔薇は、裁判や矯正教育の過程において、自分自身、「母親が悪い」と、司法関係者によって思わされていた時期があったことを述べています。そのことから、面会に訪れた母親に反抗的な態度をとってしまったのかもしれません。一種の洗脳ですが、この、一時期「自分を歪められたこと」が、洗脳から覚めた後、酒鬼薔薇が「少年A更生プログラム」を余計に憎む理由になった可能性もあります。

 「絶歌」から、酒鬼薔薇本人の声を紹介します。

「母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。事件後、新聞や週刊誌に、”母親との関係に問題があった”、”母親の愛情に飢えていた”、”母親に責任がある”、”母親は本当は息子の犯罪に気づいていたのではないか”などと書かれた。自分のことは何と言われようと仕方がない。でも、母親を非難されるのだけは我慢できなかった。母親は事件のことについてはまったく気づいていなかったし、母親は僕を本当に愛して、大事にしてくれた。僕の起こした事件と母親には何の因果関係もない。母親に気づいてほしくて事件を起こしたとか、母親を振り向かせるために事件を起こしたとかいうストーリーは、確かにわかりやすいし面白い。でも実際はそうではない」

「事件のさなか、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともなかった。須磨警察署で自白する直前になって、初めて母親のことを思い出した。あの事件は、どこまでもどこまでも、僕が、”超”極私的にやったことだ。母親はいっさい関係なかった」

「誰もかれもが、母親を悪者に仕立て上げようとした。ともすれば、事件の元凶は母親だというニュアンスで語られることも多かった。裁判所からは少年院側に、母子関係の改善をはかるように、という要望が出された。そんな状況の中で、いつしか僕自身、”母親を悪く思わなくてはならない”と考えるようになってしまった。そうすることで、周囲からどんなに非難されても、最後の最後まで自分を信じようとしてくれた母親を、僕は二度も裏切った」

 もしかしたらこれこそが、酒鬼薔薇が一番書きたかったことなのかもしれません。


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 出所


 2004年、関東医療少年院を二十一歳で出所した酒鬼薔薇は、はじめ更生保護施設を利用しながら、日雇い派遣や廃品回収の仕事をしながら生活していました。しかし、ここでは身元バレのトラブルに見舞われ、一時、保護施設の職員の手引きでウィークリーマンションに引っ越すなど、しばらくは安定しない生活が続いていました。

 酒鬼薔薇がようやく腰を落ち着けたのは、地方にある篤志家の家でした。篤志家というのは、もともと警察官や刑務官など、犯罪者に関わる仕事をしていた人で、引退してからも犯罪者の更生を支援する活動を無償で行っている人のことです。

 篤志家の夫婦は、酒鬼薔薇と二人きりで夜道を歩くことをまったく怖がらなかったり、酒鬼薔薇が自らの意志で、自分についての報道をTVで観たとき、一緒に付き添ってくれ、酒鬼薔薇について辛辣な意見がでたとき、「私はAくんを、そんな風には思わなかったけどなぁ」とフォローしてくれるなど、非常に理解のある方で、酒鬼薔薇は、「自分のことを、こんなに想ってくれる人がいるなど信じられなかった」と、衝撃を受けたといいます。

 篤志家の家にお世話になりながら、ハローワークで就職先を探していた酒鬼薔薇は、数か月かかってようやくプレス工の正社員の口を見つけ、アパートで独り暮らしを始めることになりました。

 プレス工の会社では一年ほど働いていましたが、あるとき酒鬼薔薇は、急に仕事を辞めて、遠くへと引っ越してしまいました。酒鬼薔薇は仮退院の期間が終わって本退院となってからも、篤志家や保護施設の職員から、遺族に手紙を届けてもらったり、生活の相談に乗ってもらったりなどのサポートを継続して受けていましたが、彼らとの連絡も、自ら断ち切ってしまいました。

 身元バレの経験がある酒鬼薔薇には、彼らの支援を断ち切るのがどれだけ社会生活をする上で不利になるか、重々わかっていたはずですが、酒鬼薔薇はこれまでの全てを捨てて、「逃亡」してしまったのです。

 酒鬼薔薇はその理由について、

 ・一人になって、自分自身と向き合いたい。贖罪ということについて考えたい。
 ・広い世界に出て、自分がなんぼのもんか確かめたい。自分を試したい。
 ・若気の至りのようなもの。

 などと書いていますが、私はこれは欺瞞で、酒鬼薔薇は本当は、たとえ社会生活が不自由になってもいいから、忌々しい「矯正」から逃げたかったのだと思います。客観的に見て恵まれていると思える環境すら捨ててしまったことが、酒鬼薔薇の、「矯正」への憎悪を物語っていると言えると思います。


さけおにばら



 自由 



 2006年、酒鬼薔薇二十三歳。サポートの手を一切断って、一人になった彼は、いくつかの建築会社を転々としながら、キツイ肉体労働をする日々を過ごしていました。

 酒鬼薔薇は、カタコト外人の指示がわからずボヤっとしていると、顔に工具を投げつけられたり、鋼材が足に落ちて大けがをした仲間を見て、「あのガキ、労災いくらもらえんだろうな?」などとヘラヘラ笑いながら話していた同僚に不快な感情を抱いたりなど、気性の荒い労働者たちと、危険な仕事をする中で随分苦しみ、ストレスのせいで、何度か断片的な記憶喪失に陥ってしまったといいます。

 プレス工の仕事を辞めてから四年間。こうした何のスキルも身につかない劣悪な労働環境にいても、いつか心身を壊されるだけだと判断した酒鬼薔薇は、必死で就職活動に励み、ようやく、少年院内で培った技術が生かせる、溶接の仕事に就くことができました。酒鬼薔薇は二十七歳になっていました。

 酒鬼薔薇の溶接の腕はよく、仕事ぶりも真面目で、社長からの覚えは良かったのですが、飲み会の誘いを断ったり、休憩時間も守らずに働くなど、協調性が欠如していたために同僚からは嫌われ、身に覚えのないミスの責任を取らされるなど、イジメまがいのことも受けていたようです。
 
 なんとか耐え忍びながら三年間働き、三十歳になったころ、酒鬼薔薇はこの会社も辞めて、短期のアルバイトを転々としながら食い繋ぐ生活を始めました。このとき2012年。「絶歌」の出版が2015年で、2014年には出版社に400万円の借金をし、執筆作業に専念する生活を送っていましたから、約一年間が「短期バイト時代」ということになります。酒鬼薔薇はおそらくこの時期に、「絶歌」を出版し、印税生活を送る青写真を描き始めたのでしょう。

 酒鬼薔薇は、趣味である読書を通じ、自分は書くことでしか救済されないという確信に至っていました。「救済」の意味をすべて知っているのは本人だけですが、

 ・酷い労働環境から抜け出す、金銭を獲得することで、自分自身を救う。
 ・「真の動機」を公表することで、言われなき批判から母を救う。

 おそらくはこの二つが、出版における彼の主な目的だったものと思われます。よく言われる「自己顕示欲」は、ないとは言いませんが、本人の中で一番大事だったことかといえば、少し違うのではないかと、私は考えています。 

 

 
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 社会的抹殺へのカウントダウン


 
 現在、酒鬼薔薇は33歳。「絶歌」で数千万円の印税を手にしたと言われ、会社に雇われて働く形での労働はせず、貯金で悠々と生活しているといいます。

 実際には、税金や出版社への借金を差っ引いて、酒鬼薔薇の手元に渡ったのは多くても千五百万円程度だったでしょうが、食事は毎日カップ麺で平気、趣味は読書とナメクジ採集程度、女にも興味がないという酒鬼薔薇なら、余裕で五年は暮らせる額です。仕事を転々としていたにも関わらず、酒鬼薔薇は一時期最高で百万を超える貯金を持っていたときもあったそうで、この「金を使わない」ことが、酒鬼薔薇が身元バレを恐れながら、底辺社会でやっていけた大きな理由の一つでもありました。

 彼の暮らしを「羨ましい」と見るかは人それぞれですが、まあ、底辺労働の現場で這い蹲って働くよりは「勝ち」と言えるのではないかと思います。

 前述したとおり、「絶歌」では、少年院出所後の酒鬼薔薇が、人並みに世の中にもまれ、底辺労働の世界で苦しんできた様子が綴られていました。いくつかのエピソードには、酒鬼薔薇の方に問題があったケースもありましたが、いずれもよくある程度のことで、酒鬼薔薇の社会性に、それほど大きな欠陥があったとは思いません。

 中学時代にも、酒鬼薔薇に友人はいましたが、社会に出てからも、職場で中国人の留学生などと仲良くなるなど、それなりに社交的なところも見せています。酒鬼薔薇が労働者として生活することはまったく不可能ではなかったと思いますが、彼は低賃金、単純労働を繰り返す日々に耐えられませんでした。

 我慢が足りない、納得して生きろ、などと、偉そうに説教じみたことを言うつもりはありません。犯罪者的傾向のない人でも、底辺労働は辛いと思うのですから、衝動を抑えられず、人を二人も殺した酒鬼薔薇が耐えられないのは、ある意味当然ともいえます。そこで昔のように、簡単に弾けることなく、向上心を持って底辺から抜け出す努力をするのなら、それは尊いことではないかと思います。

 しかし、限度はあります。会社の中で責任ある仕事を任されたり、結婚して平和に暮らす程度のことだったら、なにも問題はなかったでしょう。ですが、「大儲け」はいけません。世間は元重大犯罪者が「勝ち組」の仲間入りをすることは、絶対に許してはくれないのです。

 真面目にやってる俺たちが苦しい思いをしているのに、なんで人殺しのアイツが左うちわで暮らしているんだ?という、当然の感情。私も自分の努力が報われていないと感じる一人として、これに関しては、世間に共感します。

 猛勉強をして弁護士になった少年すら、社会的制裁を受けたのです。自分の犯罪をネタに手記で大儲けした酒鬼薔薇に、世間が黙っているはずはないでしょう。すでに週刊文春の取材によって、酒鬼薔薇の現在の顔写真が公開されました。少年時代の面影は残っており、まず本人とみて間違いないでしょう。

 酒鬼薔薇が社会から再び抹殺される日は迫っています。彼は今後、いったいどういう形で、世間と対峙していくことになるのでしょうか。趨勢に注目していきたいと思います。



 総括:酒鬼薔薇のお母さんは、けして鬼母でもないし、お母さんの育て方にそれほど大きな問題があったわけでもありませんでした。こうした少年院側の決めつけ、及び、「悪いヤツには何を言ってもいい」式のマスコミの乱暴な報道の仕方が、酒鬼薔薇の態度を硬直化させ、彼の反省を妨げてしまった面はあったと思います。当時、酒鬼薔薇の矯正や報道に関わった人間の中には、酒鬼薔薇に偉そうに「反省」を言う資格のない人たちが大勢いるはずです。

 が・・・そのことと、自分の起こした重大犯罪をネタに金儲けをするという行為は、まったく別の問題です。
 
 本を買った人は、何も悪くありません。売った人も、そんなに悪くありません。書いた人はまあ悪いですが、一番ではありません。一番悪いのは国です。個人や企業が利益を求めて動くのは、ある意味当たり前のこと。それを制限するのが国の仕事です。国が危険を予期し、適切な法の整備を怠っていた結果が、今回の遺族の悲劇でした。

 サムの息子法の成立は急がれるべきでしょう。「やったもん勝ち」の世の中には、してはいけません。
 
 酒鬼薔薇聖斗 完

 
 
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犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 6


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 連続通り魔事件


 1997年2月10日、酒鬼薔薇は、神戸市須磨区の路上にて、二人の女の子を、ショックレス・ハンマーによって殴打する事件を起こしました。一人は頭蓋骨陥没の重症。事件はこの時点では非公開捜査とされていました。

 一か月後の3月16日、酒鬼薔薇は、神戸市須磨区の竜が台公園にて遊んでいた、山下彩花ちゃんに近づき、「どこか手を洗えるところは知りませんか?」と声をかけました。そうして近くの小学校まで案内させたあと、「お礼を言いたいので、こっちを向いてください」と言い、振り返った彩花ちゃんを、八角げんのうで殴打しました。その直後、付近にいた別の小学三年生の女児を小刀で刺傷。胃袋を貫通させる大けがを負わせました。二人はすぐに病院に運び込まれ、刃物で刺された女児は2週間後に退院しましたが、彩花ちゃんは、数日後に息を引き取りました。

 それぞれの犯行に使われた凶器が違ったのは、酒鬼薔薇が、人がどのようにすれば壊れるのか、「実験」を行う目的のためでした。

 以下、事件の詳細も兼ねて、酒鬼薔薇がこの時期ノートに記していた、「神」への手紙を紹介します。

・愛する「バモイドオキ神」様へ H9.3.16 (中2)
 
 今日人間の「こわれやすさ」をたしかめるための「聖なる実験」を行いました。その記念としてこの日記をつけることを決めたのです。実験の内容は、まず公園に一人であそんでいた女の子に話しかけ、「ここらへんに手を洗う場所はありませんか?」と聞き、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。2人で歩いている時、ぼくはあらかじめ用意していたハンマーかナイフかどちらで実験を行うか迷っていました、最終的にはハンマーでやることに決め、ナイフはこの次にためそうと思ったのです。しばらく歩くと、ぼくは「お礼を言いたいのでこちらを向いて下さい」と言いました。そして女の子がこちらを向いたしゅん間、ぼくはハンマーを取り出し、女の子は悲鳴をあげました。女の子の頭めがけて力いっぱいハンマーをふりおろし、ゴキッという音が聞こえました。2、3回なぐったと思いますが、こうふんしていてよくおぼえていません。そのまま、階だんの下に止めておいた自転車に乗り、走り出しました。走っていると中、またまた小さな男の子を見つけ、あとをつけましたが団地の中に入りこみ、見失ってしまいました。仕方なくもと来た道を自転車で進んでいると中、またまたまた女の子が道を歩いているのが見えました。その女の子が歩いている道の少し後ろの方に自転車を止め、公園を通って先回りし、道から歩いてくる女の子を通りすがりに今度はナイフをつかってさしました。まるでねん土のようにズボズボっとナイフがめりこんでいきました。女の子をさした後にその後ろの方に止めておいた自転車に乗り、家に向かって走り出しました。家に帰りつくと、急きゅう車やパトカーのサイレンの音がなりひびき、とてもうるさかったです。ひどくつかれていたようなので、そのまま夜までねむりました。今回の「聖なる実験」がうまくいったことを、バモイドオキ神さまに感しゃします。 
  
          
・愛する「バモイドオキ神」様へ  H9.3.17 (中2)                                           
 今日の朝新聞を読むと、昨日の「聖なる実験」の事がのっていたのでおどろきました。内容を読んでみると、どうやらあの2人の女の子は死んでいなかったようです。ハンマーでなぐった女の子の方は、意識不明の重態で入院し、ナイフでさした方の女の子は軽いケガですんだそうです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのか分からなかったけど、今回の実験で意外とがんじょうだということを知りました。
・愛する「バモイドオキ神」様へ  H9.3.23 (中2)   
  
 今日の朝目が覚め、階段をおりて下に行くと、母が「かわいそうに、通り魔におそわれた子が亡くなったそうよ」と言いました。新聞を読んでみると、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。頭をハンマーでなぐった方は死に、お中をさした方は順調に回復していったそうです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなってきました。容疑も傷害から殺人と殺人未遂に変わりましたが、以前として捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとはかけはなれています。これというのも全てバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守り下さい。

・愛する「バモイドオキ神」様へ  H9.5.8 (中3)

 バモイドオキ神様、ぼくは今現在14歳です。もうそろそろ聖名をいただくための聖なる儀式、「アングリ」を行う決意をせねばなりません。ぼくなりに「アングリ」についてよく考えてみました。その結果、「アングリ」を遂行する第一段階として、学校を休む事を決めました。いきなり休んではあやしまれるので、まず自分なりに筋書を考えてみました。その筋書きとはこうです


 バモイドオキとは、「バイオもどき」のアナグラムで、おそらくは「生物っぽいけど生物ではない」異形の怪物である(と思い込んでいる)酒鬼薔薇自身が、名前の由来ではないかと思います。この時期酒鬼薔薇が書いた文章としてもう一つ有名な「懲役13年」も、同時に紹介します。


・「懲役13年 」  97.4?(中3)                                                                
1.いつの世も・・・、同じ事の繰り返しである。
  止めようのないものはとめられぬし、殺せようのないものは殺せない。
  時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・
  「魔物」である。
  仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い防臭漂う心の独房の中
  死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、“何”が見えているのであろう
  か。
  俺には、おおよそ予測することすらままならない。
  「理解」に苦しまざるをえないのである。

2.魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感を煽り、あたかも熟練された人
  形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。
  それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせるのである。
  とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
  こうして俺は追いつめられてゆく。「自分の中」に・・・
  しかし、敗北するわけではない。
  行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は
  全くそれに反している。
  通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そ
  のように振る舞う。
  彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう・・・
  ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た桃の方が、実物は不完全な形で
  あったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、バラのつぼみや挑はこういう風でなければなら
  ないと俺たちが思いこんでしまうように。
4.今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のように思える。
  良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
  しかし最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
  そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆けめぐった。
  「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばなら
  ない。
  深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである。
    「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと
              俺は真っ直ぐな道を見失い、
                          暗い森に迷い込んでいた。」

 こうした文章を書き残した理由として、酒鬼薔薇本人が述べているのは、「自分の中に潜む止みがたい殺人衝動と、僕なりに葛藤していた」ということです。

 酒鬼薔薇は事件後、自分のやったことが怖くなり、毎日を不安の中で過ごしていました。自分は異常な行動をしたはずなのに、日常は何も変わらない。その強烈な違和感は吐き気を催すほどで、今、自分が見ているのは夢なのではないか、と思いたくなるほど、危うい精神のバランスの中にいたといいます。

 ギリギリの状態から何とか助け出してほしくて、「神様」に縋ろうとした。また、自分の中に潜む魔物と、必死に戦おうとしていた。そんな気持ちから、この二つの文章は書かれたようです。


ばもいどおき


 人間らしさ

 酒鬼薔薇が通り魔事件を起こした際に感じていた恐怖は、いかにも、人間的な感情のように思えます。気の小さい、普通の少年のように思えます。人の命を奪う大罪を起こした時点で、何を言っても擁護する理由にはならないのは事実ですが、こうした酒鬼薔薇の人間らしい心について、「同情して欲しいから言っているだけである」「欺瞞」と決めつける意見には、私は首を縦には振れません。

 前々回の記事で、読者さんから、「絶歌」の内容について、酒鬼薔薇が自分の罪について正当化している、同情を買おうとしているのではないかというご意見をいただきました。私はそのご意見を否定させていただいたのですが、見返すと、意見を否定した理由をちゃんと語っておらず、コメント返信として失礼な対応に当たると思ったため、このタイミングで、私が「絶歌」において、酒鬼薔薇に「正当化」「同情を買う」目的はないと考える根拠について語ろうと思います。

 まず、酒鬼薔薇が手記を書く・・・それはいいにしても、印税を遺族の元に送るというのではなく、自分自身の懐に入れているなどと世間が知った時点で、もう大バッシングの荒らしであることは、酒鬼薔薇自身、よくわかっていたと思います。また、絶歌の中には、淳くんや猫を殺害するシーンを、小説的な表現を交えて書いた記述などもあり、これもまた世間の批判を浴びるであろうことは、あれだけの文章を書ける知能のある酒鬼薔薇なら、ちゃんとわかっていたと思います。

 酒鬼薔薇が最初に出版社に持ってきた原稿は、「絶歌」以上に過激な内容であったといいます。「これはあんまりだ」と編集者に直しを要求された結果、酒鬼薔薇が渋々直して出版にこぎ着けた原稿が、「絶歌」の内容でした。

 酒鬼薔薇は、世間から批判されることを屁とも思っていない。むしろ炎上して話題になればなるほどいいと思っている。逆に考えると、酒鬼薔薇の「セールスポイント」であるヒール性が薄まってしまう、人間らしい罪悪感や、人を思いやる感情をわざわざ描いた記述は、かなりの程度、酒鬼薔薇の「本心」であると、信用していいと思うのです。

 「俺のことをいくら悪いと思ってくれてもいいし、むしろ世間が悪いと思ってくれればくれるほど金になっていいが、これだけは本当のことだから書いておくぜ」

 ということです。


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 ダフネ君


 酒鬼薔薇は四件の通り魔事件後、当時の親友であり、「懲役13年」のワープロ清書を依頼した、「ダフネくん」という友達に暴力をふるう事件を起こしていました。酒鬼薔薇は「懲役13年」の清書を依頼するにあたり、自分の昏い衝動や、実際に猫殺しをして愉しんでいるということをダフネくんに告白していたのですが、ダフネくんは、それを面白がって、ほかの友達に言いふらしてしまったようなのです。

 こう書くと、ダフネくんを信じて相談をした酒鬼薔薇を、ダフネくんが裏切ったことで、酒鬼薔薇が激怒したのかと思うでしょうが、実際には、酒鬼薔薇はただ単に、ダフネくんを殴りたかったから殴っただけだ、ということを書いています。酒鬼薔薇がダフネくんに振るった暴力は尋常ではなく、前歯を折り、最後には刃物すらちらつかせる場面もあったそうです。不良同士の喧嘩ならまだしも、無抵抗の相手にここまでやってしまうのは尋常ではなく、事件のあらましを聞いた先生も驚いていたそうです。 酒鬼薔薇とお母さんは、ダフネくんに謝罪しましたが、ダフネくんはこの事件で心に大きな傷を負い、すぐさま転校してしまいました。

 酒鬼薔薇はダフネくんを殴った理由について、「僕が身体障碍者をイジメているというウソを、ダフネが言いふらしたから」と、ウソをついていました。共感性の薄さと虚言癖。「絶歌」において、前述の通り魔事件の被害者についてはあまり多くの筆を割いていない酒鬼薔薇が、友達のダフネくんを殴ったことについては何ページもの筆を費やし、自分が情勢欠如の、異常な欠陥人間であったことを悔やむ記述を残しています。

 私も子供のころは喧嘩っ早い方であり、実の弟にほとんどイジメというような酷い暴力をふるったこともあったので、子供の頃の暴力については、酒鬼薔薇にあまり偉そうなことはいえません。ただ、現在は弟とも和解し、曲がりなりにも一人の社会人としてまっとうに暮らしている身から言わせてもらえば、「一線」さえ越えなければ、人間何とかやっていけるものです。

 友達を傷つけたことを反省するのは結構なことだと思いますが、それよりもっと重い罪、殺人についての記述を端折ったり、小説的な表現で書いたりするというのは、一体どうなのかとは思います。

 ダフネくんが転校してから10日後、酒鬼薔薇は、幼馴染の淳くんの命を奪ってしまいました。


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 淳くん殺害事件



 1997年5月24日、酒鬼薔薇は、道を歩いている途中に偶然出会った淳くんを「亀を見に行こう」といって、近所のタンク山に連れて行き、首を絞めて殺害しました。前回の殺害方法と違う方法をとったのは、やはり殺人は酒鬼薔薇にとっての「実験」だったからでしょう。

 「絶歌」における、淳くんをタンク山で殺害する場面の記述は驚くほどに少量に留められています。彩花ちゃん殺害に関する記述が少ないことも述べましたが、酒鬼薔薇の「絶歌」を読むと、ネットや他の書籍などで十分に紹介されている部分についてはできる限り簡素な記述にとどめ、まだ世間に知られていない部分に多くの筆を使っていることがわかります。

 酒鬼薔薇は、世間に発表されている酒鬼薔薇関連の情報に、よく目を通しているということでしょう。酒鬼薔薇を扱った文献の中には、酒鬼薔薇や彼の家族を強烈に批判したものも少なくありませんが、酒鬼薔薇は、いったいどういう気持ちでそれらの資料を読んだのでしょうか。自分に対してマイナスのことが書かれたものについては目を背けようとするのが普通の心理だと思いますが、この部分がやはり、酒鬼薔薇が常人とは違う「マゾヒズム」の信奉者であったところなのでしょうか。

 淳くんの遺体をタンク山内のアンテナ施設に隠した酒鬼薔薇は、夕方、友人と遊んだ後に帰宅。淳くんがいなくなったことを報告したお母さんに、「ふうん」と気のない返事をしたといいます。

 翌日、酒鬼薔薇は再びタンク山に登り、アンテナ施設の中に放置されていた淳くんの遺体から、頭部を切断しました。酒鬼薔薇は射精していたといいます。酒鬼薔薇は、切断した頭部をビニール袋に入れて、一旦、近所の「入角の池」にある「生命の樹」の洞の中に移動させて保管。その晩は再び家に帰り、翌日、さらに頭部を、自宅の屋根裏に移しました。ついに淳くんの頭部を家にまで持ち帰った酒鬼薔薇は、心ゆくまでマスターベーションに耽ったようです。

 ちなみに、このころ酒鬼薔薇は完全に不登校になっており、学校にはまったく通わず、ときどきお母さんと一緒に、児童相談所に通う程度でしか、社会と繋がっていませんでした。不登校になってしまったこと自体は酒鬼薔薇だけの責任ではありませんが、酒鬼薔薇が膨大な「時間」を手にしていなければこのような悲劇も起きなかったかもしれないと思うと、遺族はやりきれないところでしょう。

 そしてその晩、酒鬼薔薇は、有名な犯行声明文とともに、淳くんの頭部を、自らの通う中学校の正門前に置きました。酒鬼薔薇本人が、「僕が起こした事件が、人々に異常極まりない印象を与えた原因」であると語る残虐な愉快犯的行為により、酒鬼薔薇聖斗の名前は、瞬く間にして日本全国の人が知るところとなったのです。

 その数日後、酒鬼薔薇は、ニュースで酒鬼薔薇の名を「さけおにばら」などと読み間違えたキャスターを非難する声明を新たに発表。世間を挑発し続けますが、事件から約一か月後の6月28日、とうとう逮捕され、惨劇に「一応の」幕が引かれることになりました。

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 5



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 トラブル

 中学二年になった酒鬼薔薇は、同級生とのトラブルを頻発させるようになっていきます。部活の際にラケットで友達を殴りつけたり、友達三人と一緒になって、女の子の体育館シューズを燃やしたうえ、カバンを男子トイレに隠したりといった行動をとっては、親が学校に呼び出されていました。

 後者の動機について、酒鬼薔薇は、「母のことをブタと言われたから。自分のことを悪く言われるのはよくても、家族のことを悪く言われるのは許せなかった」と語っており、それが本当だとしたら相手にも非があったといえるでしょう。

――自分のことを悪く言われるのはよくても、家族のことを悪く言われるのは許せなかった。

 人としてとても大事な感情であり、酒鬼薔薇が本当にこの感情を持っているなら、それは何よりも大事にすべきものだと思います。そして、酒鬼薔薇のこの感情が本当だとするなら、それは酒鬼薔薇が「更生していなかった」ことに、密接に関係してくると、私は思っています。

 私は前編の中で、酒鬼薔薇のお母さんがとった厳しい態度は躾の範囲内であり、酒鬼薔薇がお母さんを怖がっていたと作文に書いたのは、創作上の「ユーモア」であり、お母さんに見せた反抗の態度も、ふつうの子供によくある範囲のものだと強調してきました。

 しかし、偏向報道のあった世間では、酒鬼薔薇のお母さんは「鬼母」だと決めつけられ、その育て方が激しいバッシングの対象となりました。当の酒鬼薔薇は、けしてお母さんを恨んでいるわけではなく、逆に、お母さんが大好きであり、深い愛情を持っていたと語っていたにも関わらず、です。

 そんな酒鬼薔薇に、少年院内で行われたのは、酒鬼薔薇を「お母さんの愛情を知らない子供」と決めつけ、「酒鬼薔薇を赤子のころに戻し、愛情を注ぎなおす」というコンセプトのもと、少年院内にお父さん、お母さん、おじいちゃんなどの配役を決めて「疑似家族」を作り、酒鬼薔薇に「これが家族愛や!」と教え込むというような矯正プログラムでした。

 草なぎ厚子さんなどは、この少年院で行われた矯正プログラムを大層誇りに思い、テレビなどでもドヤ顔で語って、その成果に物凄い自信を持っていたようですが、私にはどうしても、当局のエゴが強すぎたようにしか思いません。

 みなさんも自分の立場で想像できると思うのですが、酒鬼薔薇が、「愛おしい」と思っていた親や家族を完全否定するような「矯正プログラム」で、果たして本当に酒鬼薔薇を矯正できるでしょうか?むしろ、逆に反発してしまうだけのようにしか思わないのですが、どうでしょうか。

 「酒鬼薔薇矯正2500日計画」は当局の膨大な徒労であり、それは酒鬼薔薇をしっかり分析できていなかった、当局の責任が大きいということも考えられます。

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 教師


 中学二年になったころから、酒鬼薔薇は学業成績の低下が目立つようになっていきました。そもそも意欲がまったくみられなかったようで、テスト前ですら家で勉強することはなく、「テストは本当の実力が出ればええんや。テストのときだけ勉強してすぐ忘れたら意味ないやろ(正論ですが)」と、成績を上げることにまったく関心がなかったようです。

 後に映像記憶能力が異常に発達していることが判明したように、類まれな暗記力の持ち主ではあったようで、百人一首大会の前日に八十首以上もの句を暗記して、大会で好成績を収めたことなどもあったようですが、通知表には2と3ばかりが並んでいました。

 学業成績が悪く、暴力沙汰を頻繁に起こす子供。次第に教師たちは、酒鬼薔薇に問題児のレッテルを貼り付けるようになっていきました。

 あるときのこと、教師は酒鬼薔薇のクラスメイトに向かって、「Aくんはちょっとおかしい子だから、みんな、Aくんとは遊ばないようにしましょう」などと、突然言い放ったといいます。酒鬼薔薇もこれにはいたく傷つき、涙を見せていたといました。お母さんもこの件については学校に抗議し、謝罪を要求しましたが、学校側は、「教師が簡単に頭を下げてしまったら、指導ができなくなる」と拒絶しました。

 言葉足らずもあったかもしれませんが、教師の発言と、お母さんの正当な抗議に対する学校側の対応には確かに問題があり、今だったらニュースに晒されてバッシングを浴びていたかもしれない事案です。この件以来、酒鬼薔薇は被害妄想的になり、「先生は僕ばかり悪く言う」「みんなから除け者にされている」と漏らし始め、学校に行くのが辛そうになっていたといいます。殺人の理由にはまったくならないにしても、学校側の非については、もう少し洗いなおすべきなのかもしれません。

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 家庭


 前述の一件もあって、中学二年の後半ごろから学校を不登校気味になっていった酒鬼薔薇でしたが、家庭では相変わらずで、笑顔も見せていました。

 この頃から気になり始めたのは、酒鬼薔薇が喫煙を始めたことでした。マールボロを好んで吸い、当時はまだ200円台だったとはいえ、中三に上がるころにはすでに一日一箱空けていたといいますから、お小遣いだけでは足りなかったでしょう。スモーキング・ボーイの多くがそうするように、親の財布から金を抜いていたものと思われます。

 万引き癖も直らず、ナイフや斧など、物騒なものもどこからか盗んできて、「趣味」の猫殺しに明け暮れていました。「絶歌」で本人も書いていましたが、殺しは麻薬と一緒で、何度も繰り返していると耐性がついてしまうのだそうです。ナメクジがカエルに、カエルが猫に・・・猫で満足できなくなったら、今度は人を殺したくなるのは、快楽殺人者にとっては必然でした。一度、家の軒下で猫が死んでいたのを、家族が発見したこともあったそうですが、それが酒鬼薔薇の仕業だとは気づかず、「もともと病気で、たまたまうちで死んだんだろう」と、あっさり片付けてしまったのが痛恨の極みでした。

 次第に不登校気味になっていった酒鬼薔薇は、家でよくビデオやテレビ番組を見ていたといいます。「13日の金曜日」などのホラーものから、中学生にはまだ難しい社会派もの、「関西圏の若者にとってのヒーロー」と本人がいうダウンタウンのバラエティ、ナチスのヒトラーを取り上げたドキュメンタリーものなど、割と幅広く見ていたようです。

 ヒトラーについては、宅間守なども興味を示していたことが知られています。宅間編のコメント欄にも書きましたが、極めて差別意識の強い男だった宅間は、ヒトラーが優生学を根拠に政治を行っていた部分に注目していたようです。

 あとは、「独裁者で、何でも自分の好きにできる」「虐殺」といったキーワードが魅力的だったようですが、実際のヒトラーは菜食主義の極めてストイックな人で、ホロコーストなどは、中世以前から溜まりに溜まったヨーロッパ人のユダヤ人への反感を考慮すれば、いつかは、誰かの手によって行われていたことだと思いますが、まあ、義務教育レベルの歴史知識の中でのヒトラーに、凶悪犯罪者を惹きつける何かがあるのは確かなようです。

 一方の酒鬼薔薇の方は、「社会の底辺から、欧州の支配者までのし上がったのは凄い」と、英雄譚に憧れる普通の中学生のような言葉を残していました。こうしたことをキッカケにして、歴史にでも興味を持てたら、何かが違っていたかもしれないのに、と、残念でなりません。

 お母さんは不登校がちになっていく酒鬼薔薇を、「勉強しなくてもえらくなった人はおる。自分のペースでやればええんやで」と励ましていました。今だったら、無理やり学校に行かせるより良いと皆言うでしょうが、当時の風潮の中でこれができたのは、なかなか凄いことだと思います。私は酒鬼薔薇のお母さんは「正常、むしろ普通より優れた母親」だったと思います。

 酒鬼薔薇は中学二年生のころ、お母さんに、母の日のプレゼントとして、似顔絵を描いていました。母の日のプレゼントなど成人になるまで渡したこともなかった私からすれば、酒鬼薔薇は大変な親孝行者のように思えます。いったい、この酒鬼薔薇のどこが、「母親の愛情を受けずに育った子供」だったというのでしょうか?私には、さっぱりわかりません。

 しかし、酒鬼薔薇の中の「魔物」は、親の愛情とは関係ないところで育っていました。三年への進級を間近に控えた1997年二月、ついに酒鬼薔薇は、最初の殺人を犯してしまうのです。

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 4



 
 後編~絶歌~酒鬼薔薇聖斗の凶行と社会的抹殺へのカウントダウン


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 秘密の儀式


 酒鬼薔薇が小学校5年生のころ、酒鬼薔薇を可愛がってくれていた祖母が亡くなりました。

 酒鬼薔薇は、祖母には大変よく懐き、いつも会うのを楽しみにしていたといいます。手記「絶歌」にも、幼い酒鬼薔薇を抱く祖母の姿が、唯一の写真として挿入されています。
 
 その「絶歌」の中で、酒鬼薔薇は最愛の祖母との思い出を汚す行為をしたことを、自らの「原罪」として記しています。祖母の死後のこと、酒鬼薔薇は押入れを開き、祖母が愛用していた電気按摩器を発見したのですが、それを何の気になしにペニスにあてがったところ、激しい快感を覚え、以後何度も、祖母の部屋で「電マオナニー」を愉しんだ、というものです。

 酒鬼薔薇といえば「性的サディズム」の持ち主と言われていますが、「生物の死」と「性的快楽」が初めて結びついたのがこのときである、と、本人は自己分析しています。酒鬼薔薇は愛する祖母の遺影に見つめられながら、祖母の電気按摩器でオナニーをしたことに激しい罪悪感を感じ、射精の際には快楽とともに激痛を伴った、などと書いていました。

 酒鬼薔薇が、「猫殺し」を始めてしまったのは、この直後のことでした。

 凶悪犯の生い立ちを見ると、幼いころ動物を虐待していたという話が出てくる例が非常に多いですが、動物「殺傷」と「虐待」の間には、明確な隔たりがあるといっていいでしょう。あの宅間守も子供のころ猫を虐待していたことで有名ですが、本人によれば殺すことが目的だったわけではなく、弱い者をイジメて苦しむところを見て楽しむのが目的だったそうです。それだけでも大きな問題には違いありませんが、やはり、「殺して性的な快楽を得る」目的とは、ヤバさ加減もヤバさの質も違ってくると思います。

 酒鬼薔薇が殺していたのは、近所の野良猫でした。本当の動機は、殺して性的な快楽を得ることでしたが、それは心の奥深くに仕舞われていたもので、猫を殺した直接的な「トリガー」として酒鬼薔薇があげていたのは、「亡くなった愛犬・サスケの余ったドッグフードを、サスケのお皿で食べていたのが許せなかったから」ということです。

 私も大好きだった家族の犬と死別した経験はありますが、酒鬼薔薇の気持ちはまったくわかりません。余ったご飯を猫ちゃんが食べてくれたら嬉しいやんけと思うのですが、酒鬼薔薇は変なところに異常に拘って、感じなくてもいい不快感に苦しめられてしまっていたようです。 

 電気あんまオナの件にしても、この時点でそんなに罪悪感を感じる必要があったのかな、という気はします。猫殺しや、2件の殺人事件のあと、「俺が異常になったのは電気あんまオナがキッカケだった」と振り返って罪悪感を感じるならわかるのですが、たまたま婆ちゃんの遺影の前で、溜めに溜め込んだアソコに電気あんまをあてがった結果、ドピュッとイってしまっただけのことになんでそんな罪悪感を感じるのか、私にはよくわかりません。

 お祖母ちゃんが生きていたら、「Sくんも男になったんやねえ」と、むしろ喜んでくれたでしょう。お祖母ちゃんの思い出が汚れたのは、この後に殺人などを犯したからであり、電気あんまオナの時点では何も汚れていなかったはずです。こんなことが「原罪」になるのなら、小学生の頃から同級生だろうが学校の先生だろうが、かたっぱしからオカズにしていた私の方が「原罪者」といえるはずです。

 なんというか、妙に潔癖というか、生真面目なヤツだったのかもしれません。あまりにもウブすぎて、物事をなあなあで済ませられず、ちょっとした矛盾も受け入れられないようなヤツだったから、あそこまで荒れ果て、歪んでしまったのかもしれません。


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 劣等感



 1995年4月、酒鬼薔薇は、惨劇の舞台となった友が丘中学校に入学しました。
 
 「絶歌」を読んで私が印象的だったのは、中学生当時に酒鬼薔薇が抱えていた悩みやコンプレックスはけして特別なものではなく、むしろ彼は普通の、どこにでもいるような、ちょっと「もっさい」少年だったということです。

 中学時代に酒鬼薔薇が愛読していたマンガに、「行け!稲中卓球部」という作品があります。私は高校ぐらいのときにチラっと立ち読みしただけですが、私が読んだことのある学園モノでいえば、「スラムダンク」のような、爽やかな青春を描いたものではなく、「GTO」のように荒唐無稽なアクション活劇が描かれているわけでもなく、何の取柄もなく注目もされない、「非リア」階層にいる少年が、ごく日常的に感じている、卑屈で哀れな感情を淡々と描いた作品だったと思います。

 非リアのマンガを愛読する子が必ず非リアであるとはいえませんが、酒鬼薔薇は当時、この作品の登場人物に、深く自分を投影していたと語っています。「絶歌」の冒頭から、酒鬼薔薇は自分のことを、


――勉強も、運動もできない。他人とまともにコミュニケーションを取ることもできない。教室に入ってきても彼の方を見る者はいない。廊下でぶつかっても誰も彼を振り返りはしない。彼の名を呼ぶ人はひとりもいない。いてもいなくても誰も気づかない。それが僕だ。



――どの学校のどのクラスのも必ず何人かはいる、スクールカーストの最下層に属する〝カオナシ”の一人だったぼくは、この日を境に少年犯罪の”象徴(カオ)”となった。



 と書き記しており、当時の自分がいかに、「勉強・運動・ルックス・コミュニケーション」といった、ごく普通の少年が感じるようなコンプレックスに塗れており、全国に事件が報道されたことで、そのコンプレックスを克服した瞬間にいかに歓びを感じたかを語っています。

 「序」では、少年院を出た後の酒鬼薔薇が、人並みに世間の波にもまれ、底辺労働の世界で苦しんできたことも書きましたが、彼は酒鬼薔薇のことを詳しくは知らない人が思っている以上には、「普通」だと思います。
 
 酒鬼薔薇は犯行声明文の中では、自分は「異常快楽殺人者」であり、自分をまるで神聖なものかのように装っていましたが、それは酒鬼薔薇が世間に認知してほしい自分の像であって、本当の自分の姿が、あまりにも卑小かつ「俗物」であり、醜いものだということの裏返しだったのでしょう。

 「絶歌」を出版し、HPを開設した酒鬼薔薇は、当初「ナメクジ」のイメージを強調していましたが、まさしく自分は、日陰者の「ナメクジ」のような存在だったのだと、ずっと思っていたようです。

 その「ナメクジ」が、虫でいえばカブトムシやクワガタのような花形の存在になる唯一の手段として見出したのが、「異常快楽殺人」だったのです。

酒鬼ばあ



 
 卓球


 「稲中卓球部」をバイブルとする酒鬼薔薇は、友が丘中学校でも卓球部に入部し、毎日部活動に取り組んでいました。お母さんも地域の卓球サークルに参加しており、お父さんも卓球をする卓球一家でしたから、中学一年生のころはよく家族で卓球をし、良いコミュニケーションが取れていたようです。

 最初のうちはお父さんお母さんに叶わなかった酒鬼薔薇でしたが、卓球部に入部して半年もするとメキメキと実力をつけ、お父さんお母さんを追い抜いてしまいました。酒鬼薔薇は初めてお母さんに勝った日、記念にカレンダーに印をつけていたようです。

 ただ、卓球部内での酒鬼薔薇の実力は下から数えた方が早いレベルだったようで、対抗試合での選手に選ばれるようなことはなかったようです。酒鬼薔薇も、がむしゃらにレギュラーを取りに行こうと自主練習をするような情熱は見られず、次第に面白くなくなってしまったのか、二年生の中頃には、部活に行くのをやめ、家族での卓球もやめてしまったようです。

 頑張ったうえでの挫折なら心の傷にもなったでしょうし、「試合に出られない生徒にとっては苦行でしかない」日本の部活動システムの欠陥にも言及したかったところですが、最初から情熱もなかったのなら、本人にとってもどうでもよかったことなのでしょう。「絶歌」にも卓球に関する記述はほとんど見られません。

 なので卓球のことに関してはあまり深く掘り下げる必要はないと思いますが、それでも、一時とはいえ家族のコミュニケーションになり、エネルギーの発散場にもなっていたこの卓球をもうちょっと頑張れていたら、酒鬼薔薇が事件を起こすこともなかったのではないか、という一抹の思いはないではありません。
 
 

犯罪者名鑑 酒鬼薔薇聖斗 3

 
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 淳くん殴打事件

 
 酒鬼薔薇の小学校高学年時代の問題行動について語っていきます。

 酒鬼薔薇が小学校高学年になると、万引きで補導されたり、友達に暴力行為を働くなど、次第に家庭の外での問題行動が目立つようになっていきます。殺人事件の被害者となる土師淳くんに初めて暴力を振るったのも、このころのことでした。
 
 淳くんは、酒鬼薔薇の下の弟の友達でした。淳くんは知的障害の持ち主でしたが、非常に軽度なもので、日常会話程度ならまったく差し障りがなく、酒鬼薔薇の家にもよく遊びにきていました。お母さんが見る限り、酒鬼薔薇とは、おやつのときに顔を合わせる程度だったようですが、同じ小学校に通っている間柄でもあり、二人で遊ぶようなこともあったのでしょう。ある日、酒鬼薔薇は、学校のグラウンドで、「吊り輪、吊り輪」といって酒鬼薔薇の手を引き、吊り輪の遊具まで導こうとする淳くんを、突然、馬乗りになって殴りつけたといいます。

 先生に対しては、淳くんのほうがちょっかいを出してきたと言い訳をしていた酒鬼薔薇でしたが、それは真っ赤な嘘とわかり、あとで先生と一緒に、淳くんの家に謝りに行くことになりました。酒鬼薔薇は、たんこぶができるまで殴りつけた淳くんが、何事もなかったかのように「Aや!」と、笑顔で迎えてくれたのを見て、泣いて謝っていたといいます。このときは本当に反省したのだと思います。

 しかし、酒鬼薔薇はこれ以後も、純粋無垢で、天使のような淳くんを、あまりにも醜く汚れた自分と対局の存在として、ずっと複雑な感情を抱いていたようです。そしてこのときから二年後、酒鬼薔薇はついに、淳くんの命を奪ってしまいました。

 なぜ酒鬼薔薇は、暴力事件を起こしてもなお、友達のお兄ちゃんだからと酒鬼薔薇を信頼してくれていた淳くんを、最悪の形で裏切ってしまったのでしょうか?

 「絶歌」の中で、酒鬼薔薇は、「淳くんの純粋無垢な世界に、醜く汚れた自分が受け入れられることで、自分を壊されてしまうような気がして怖かった」と語っています。

 人にはいいところもあれば悪いところもあります。いいところも悪いところも含めて、かけがえのない自分という存在です。普通の人であれば、良いところだけを見せ合って仲良くするのが当たり前で、悪いところは全部隠したいと思うのでしょう。しかし、自己顕示欲の強い人は、自分の悪いところまで、人に受け入れてもらわなければ満足できません。

 もしかしたら、自己顕示欲と自己愛が強い酒鬼薔薇にとっては、いかに純粋無垢な淳くんといえど、自分の悪いところをまったく見ず、いいところばかり見て仲良くしようとされるのは、自分を否定されているようで、激しい苦痛だったのではないでしょうか。「お前の都合のいいように、俺を作り変えるな!」という抵抗の感情です。

 この推測は、酒鬼薔薇が「絶歌」の中で、少年院で行われた「少年A矯正2500日計画」についてまったく語らなかったこと、また、そもそも酒鬼薔薇が「絶歌」を執筆し世に出した理由に関しても重要な意味を持ってくるので、ぜひ頭に留めておいていただきたいと思います。


さけおにばら



 阪神・淡路大震災


 酒鬼薔薇小学校六年生のとき、西日本と東日本の中心地を、未曾有の惨劇が襲います。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件です。

 神戸在住の酒鬼薔薇にとってより衝撃が大きかったのは、やはり阪神大震災のほうだったでしょう。酒鬼薔薇が住んでいた須磨区は大きな打撃を受けませんでしたが、子供心にも関心が深かったようで、酒鬼薔薇は学校で書いた作文の中で、被災者の救援活動が遅れたことで批判された当時の首相、村山富市に対して、次のような怒りを露わにしています。


 村山さんが、スイスの人たちが来てもすぐに活動しなかったので、はらが立ちます。ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います。


 弟たちや淳くんをいじめたり、弱者に対する思いやりが欠けたところと矛盾するようですが、私は酒鬼薔薇の作文は、思いやりというより「正義感」から書かれたものではないかと思います。

 世の中にはしばしば、「正義感は強いが思いやりがない」という人がいます。早い話、「ジャイアン」を思い浮かべていただければいいかと思うのですが、曲がったことが大嫌いで、男が女子供を襲ったりするような犯罪や、権力者が不正を働き私腹を肥やすようなことを厳しく批判する反面、なぜか当の自分は、近くにいる弱い立場の人をいじめている、というような人です。

 歴史上では、三国志の張飛など戦場で勇敢さを発揮する武将にこのタイプが結構おり、意外に優秀な人である場合もあります。しかし、私の私小説に出てきた某O氏を知っている方ならわかると思いますが、バカがやるとこれ以上にタチが悪いものはないというタイプです。

 「正義感は強いが思いやりがない」タイプの人間、私はこれは警察官にも多いタイプだと思っています。知っての通り、犯罪者には社会的弱者が多く、生い立ちやトラウマなどの面に情けをかけていたら仕事にならないというところを考えれば、性格的には適正があるといえなくもありません。人格的な問題を抱えながらも、どうにか社会に適合しルールを守っていけるなら、それも個性のひとつということもできます。

 もしかしたら、この正義感という部分に着目し、うまく利用して導くことができていれば、酒鬼薔薇が罪を犯さずに成長できた可能性があったのかもしれません。体力のない酒鬼薔薇に警察官は無理だったでしょうが、今ごろは溶接工場(酒鬼薔薇が出所後に勤めたのが溶接の会社)の、陰気でちょっと意地悪な兄ちゃんくらいで済んでいたかもしれません。

 可能性の話ですが。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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