加藤智大 番外編3   説教厨へのレクイエム

 説教厨↓

こかんしみ

 
 加藤智大番外編として、ここまで主に、ネット上の不快なウジ虫「荒らし」についての記事を書いて参りましたが、最終回では、荒らしに勝るとも劣らぬネット上のゴミ虫、「説教厨」という人種について書いていきたいと思います。

 「説教厨」の定義は、作品の評価ではなく、私の人格が問題あるとして、「もっと立派な社会人になれ!好青年になれ!強い男になれ!」とかいった、作品の評価とはまったく関係のない、文章で金を稼ぎたいという私の目標とは何の関係もない、極めて自己満足的なコメントしかしてこない(その多くは名無し、単発である)ことを言ってくる人のことです。

 私はサイト開設以来、散々、「説教厨」のテロに悩まされてきました。地道に叩いてきたり、そもそも説教が来たときは読まずに消すという対応を取ってきた成果もあって、ここ一年ほどはその手の輩が出ることはなくなっていますが、今よりもっと好き勝手に色々なことを書き、また、荒らし的な書き込みにも一々丁寧に応対していたいていた初期の頃は、その手の輩が出るたびに、本当に不快な思いをさせられていました。

 説教厨は所詮バカですから、いつもありきたりなことしか言えません。

 ・弱音を吐くな、愚痴を吐くな、そんなことでプロになれるか!
 ・人気ものになりたいなら、お前が面白いものを書けばいいだけだ!
 ・彼女がいるなら、実家がそこそこ裕福なら幸せと思え!


 毎回、微妙に言い方は変えてくるのですが、結局、彼らが言いたいことは全部、「我慢しろ」ということだけです。いつも言ってくることが同じで、ウンザリするだけだから嫌いだというところもあります。

 「我慢」についての記事も色々書いてきましたが、私は別に、我慢を全否定しているわけではありません。何かしらの希望が見えている状況での我慢はいいが、まったく意義を見いだせないただの「やせ我慢」は、むしろ状況を悪化させるだけで、害毒にしか過ぎないということをずっと言っていました。

 辛い状況が良くなる見通しもないまま、愚痴も吐かずにやれ。全部自己責任だと思って納得しろ。説教厨が言っているのは全部、ただの「やせ我慢」です。説教厨は、意味のある我慢とやせ我慢の区別もつかないタダのアホです。もしくは、「我慢」しか能のない惨めな人生を送っている自分を否定されたくなくて、「我慢」せず向上しようと前向きに活動している人間の足を引っ張ろうとするのです。

 彼女が実家がどうのこうのなんてことは、どんな人間にも与えられる程度の幸せであり、こんな程度の幸せで満足できる人間だったら、そもそも私は、執筆活動=自分の生活を向上させるための努力などしていません。つまり、私が説教厨のいうことを受けいられる人間であれば、そもそも説教厨が「説教できる機会」もなくなってしまうわけですが、説教厨は頭が悪すぎるせいで、そんなこともわからないようです。

 説教厨の中には、それから常連というほどではないものの、ごくたまにコメントをくれるようになってくれた方もいますが、それはごく僅かで、ほとんどの説教厨は、一度説教をしたきり、二度とサイトに書き込んでくることはありませんでした。酷いヤツになると、HNも書きこまずに「名無し」で説教をしてくる。

 考えられますか?「名無し」で説教です。名前も生年月日も顔写真も出して堂々と活動している人間に、「名無し」で説教してくるのです。どれだけ卑怯で、まったく説得力がない行為であるかはわかると思います。

 私がいらないと言ってる説教はするけど、私が欲しい通常の感想コメントはしない。説教でしか人とコミュニケーションをとることができない人間のくせに、本当は自分に自信がないから、名指しで悪く言われる勇気がないから、深く突っ込まれたらこまるから、自分の名は明かさない。一体どういう生き方をしてきたヤツなんだろう?と、心底疑問に思います。

 また、こちらは現実の話ですが、サイト運営中に勤めた派遣先では、私の仕事の覚えが遅いのをいいことに、一緒に働いてからまだ一か月も経っていないうちから「もう二十代後半なんだからさぁ」「彼女と結婚するつもりだったら、もっとしっかりしなきゃ」とか、親父みたいな口をきいてくるバカにも出会いました。

 「説教厨」の口ぶりは、いかにも、相手のことを真剣に考えているかのようですが、こいつらの頭の中には、相手のことを思いやる気持ちなどは欠片もありません。こいつらはただ、「人に偉そうな言葉を吐いて、自分が気持ち良くなりたいだけ」です。相手に反論されないために、他の読者に批判されないために、「お前のために言ってるんだ!」という態度をとっていますが、本質的には荒らしと大差ない、さもしい根性の持ち主です。

 もう一度書きますが、説教厨は、「コメントが欲しい、リアクションが欲しい」という私のお願いは一切聞かないくせに、自分の言いたいことは言ってくるというゴミ虫です。自分のお願いは一つも聞いてくれない人から説教などされて、真剣に耳を傾けようと思う人間などいないはずです。

 派遣先で出会ったヤツにしても、1年2年一緒に働いて、十分な信頼関係があるならともかく、出会ってからまだ一か月も経ってない、ただ齢が上という以外なにも敬う要素のない、わけのわからないオッサンから説教されて、ムカつかない人間などいないはずです。

 自分の要求は何一つ聞いてくれないヤツに偉そうにされたくない。尊敬も信頼もしてないただの汚いオッサンにわかったふうな口を利かれたくない。それは、「説教厨」だって同じのはずです。こいつらは、「自分がされて嫌なことは、人にやらない」という、小学生でも知っている基本中の基本もわからないカスです。小学生でも知っている常識を弁えていないカスに、人に「説教」などする資格などあるのでしょうか?

 以前、加藤智大についての記事で、ある読者さんから、「言葉ひとつで人を思いとどまらせる手段はないのでしょうか?」というコメントを頂きました。答えを言わせてもらえば、そんな安易な手段はない、ということになります。

 言うだけならタダ、という言葉もある通り、言葉というのは安いものです。自分の生活上なんの関わりもない、自分が肌を脱ぐ必要もない相手に、無責任なことばっか言うだけで人を変えられると思うのは、その人を舐め腐っているともいえます。

 本当に人を変えたいと思うんだったら、まずは信頼を得るために、その人が望む何かを提供するという姿勢が必要なはずです。例えばジュース一杯おごる程度のことでも、相手の聞く態度は違ってきます。

 私の場合は、お金どころか、コメントをくれればそれでいいから、と、ずっと言っていました。そんな「お安い御用」も聞かないくせに、自分の言葉だけは受け入れられると思っている。信頼を得る、というプロセスをすっ飛ばして、いきなり自分の言いたいことを言ってくる。説教厨は、自分のことを、神様か何かだと思っていたのでしょうか?

 確かに「読者は神様」といえるかもしれません。私に説教をしてきた人たちも、「俺は読者だから神様だ。こいつに何を言ってもいい」と思っていたのかもしれません。しかし、彼らがどれだけ「俺は神様、読者様だ」と思っていたとしても、私の方は彼らから何のリアクションも貰っていない以上、彼らを読者とは認識していません。私からすれば、どこの誰かもわからない、自分の読者かもわからないキモいオッサン(オバハン)から説教をされているという感覚です。説教厨は他人の気持ちを思いやる想像力が欠如しているから、そんなこともわからないのです。

 まさに「説教厨」とは、「自分さえよければ、相手の気持ちなどどうでもいい」という考えの持ち主であり、他人に上から目線で何かを言う資格があるような立派な人間ではないのです。 

 説教厨は、今のように、このサイトを「作品」として残すという考えがなく、それこそ通常のブログ形式でもっと好き勝手に書いていた初期のころ、私のサイトによく現れたのですが、二年、三年と月日を経るごとに、段々と数を減らしていきました。私がサイト内で散々批判したこともあるのでしょうが、もしかしたら、私が人に説教されるほど落ちぶれた人生を送っているわけではないことが伝わったからかもしれません。

 私は別に自分を立派な人間だとは思いませんし、努力だけを誇る気もありません。が、三年間、自分の生活を少しでも良くするために、能力を開発していくという作業を地道にやり続け、間もなく、一人の女を真剣に愛して結婚もするという時点で、少なくとも、自分自身はなんの努力もせず、努力している人間を応援しようという気もなく、ただ「説教」などという行為によって、他人を自分よりも下位に置くことでしか自分の存在価値を認識できないさもしい人間よりかは、大分マシな生き方をしているのではないかと思います。そして、ここが肝心なことですが、私がそういう生き方をしていることについて、説教厨の口から放たれた言葉が役に立ったことは一つもありません。

 ・こちらに何も提供する姿勢がないくせに、自分の言いたいことだけは偉そうに言ってくる。
 ・十分な信頼関係を築けていないにも関わらず、偉そうに説教をしてくる。

 最後に啓発めいたことを言わせてもらいますが、十代、二十代の若い読者さんは、どこかでこのような人間に出会っても、こいつは頭の悪いバカだと思って、言っていることをけして真に受けないようにしましょう。
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加藤智大 番外編 2

うじむし


 こちらの方を更新するタイミングが掴めず、先に本編が始まってしまいましたが、最近また荒らしが出てきているようなので久々に更新してみます。

 昔からそうだったのですが、荒らしは私がみなさんにコメントをお願いする記事を書いた直後に、よく出没するようです。最近の荒らしのコメントは一文字も読まずに消しているのですが、そういえば昔の荒らしには、なにか私の態度が気に食わないからコメントをしないみたいなことが書いてありました。では、私が黙って書いていればそいつがコメントをくれるかといったら、全然そんなことはないわけで、そいつの言い分は全く通らないわけですが。

 それで思ったのは、もしかしたら、荒らしは自分が私の呼びかけにまったく応えようとしないことへの罪悪感を払しょくするために、荒らし行為などをしているのかな、ということです。最初は荒らしは、ただの誹謗中傷目的だけでここにきているのかと決めつけていたのですが、長期間粘着してくる以上、やっぱり記事も読んでおり、私の書いた文章にそれなりの見どころを感じてくれているのだと思うのです。その気持ちを素直に表せない、異常に心がねじれているのが荒らしではないかということです。

 当たり前の話ですが、私は読者の皆さんに、罪悪感を感じて欲しいなどとは思っていません。なかなかそうなっていかないですが、理想をいえば、罪悪感を感じる前にコメントをしてほしいと思っています。

 皆さんがコメントできない事情というのはわからないのですが、なかなかコメントができず済みません・・・と謝ってくれる方もいらっしゃいますし(ときどき、毎回コメントをくださる常連の方にまで謝らせてしまうのが、本当に心苦しいです)、結果として「しない」ということになっているにしろ、私がこれだけ頼んでいれば、何か少しくらいは皆さんにも感じることはあるのだと思います 

 荒らしも荒らしなりに、私のお願いに応えられない自分に後ろめたさを感じているようなのですが、荒らしはなぜか、その後ろめたさを払しょくするための手段に、私を誹謗中傷、あるいは説教するということしかできない人たちです。「サイトを盛り上げるのにこれだけ貢献したんだから、何か言わせろ」ではなく、「何にもしてない」人が、誹謗中傷やクレーム、説教をしてくるのです。

 私もこうして偉そうに語っていますが、私がやっていることは路上でパフォーマンスをする大道芸人みたいなもので、コメントはあくまで皆さんの「気持ち」を表してもらうだけの物です。私のお願いを完全にスルーして、「タダ読み」するだけでも、別に犯罪になるわけではありません。私が書いたものを全部読んでも、私がどれだけお願いをしても知らん顔をしていられる図太い神経をお持ちなのであれば、まあ、勝手にすればいいのではないかな、と思います。

 荒らしも、すぐ消されるとわかっていて荒らし行為なんかするくらいなら、私が何を言おうが「何とかの面に水」の心境で、堂々とタダ読みしてればいいのではないかとも思うのですが、妙に生真面目なところがあるのか、タダ読みが後ろめたくって後ろめたくってどうしようもなくて、人のお願いに応えようとしない自分を正当化しないとやってられなくて、ついつい私に非難めいたことを言ってみたくなるみたいです。

 一体、荒らしとは、どんな人物なのでしょう?

 たぶん、今も現在も、友達の一人もできたことがなく、異性との付き合いもなかった、寂しい人なのだと思われます。荒らしは必ずといっていいほど、HNをつけずに書き込んできますが、荒らしはたとえインターネット上の仮の名前でも、自分という存在を他人に認証されるのが怖いのです。他人が自分という存在を認識した瞬間、自分は嫌われると思い込んでいる。自分が人から感謝されるはずがない、自分が人から好かれるはずがない、自分には人を支える力がない、と信じ込んでしまっているのです。

 かわいそうな人です。哀れな人です。

 こういうサイトを運営しているので皆さんにもわかるかと思いますが、おそらく日本という国の中で、私ほど犯罪者の気持ちを理解し、犯罪者に同情的な人間は、たぶん100人いるかいないかぐらいだと思います。

 悲惨な人生を送っている荒らしが、いつか犯罪を起こす可能性は、極めて高いといえるでしょう。犯罪者予備軍であるにも関わらず、自分が犯罪を起こしたとき、ただ一人味方になってくれそうな私を敵に回してしまうというのは、やはり脳の構造が絶対に人と仲良くなれないようにできているのでしょう。本当に可愛そうな人間ですが、私にはどうしてやることもできません。

 同情はします・・・が、私に嫌がらせをしてくる以上、私はその人を受け入れることはできません。私がその人の気持ちを踏みにじったからストーカーになったというなら私にも落ち度がありますが、最初から嫌がらせをしてきた人間に、私が誠意ある対応をしなければならない理由などどこにもありません。

 一応、記事の中では、私は社会の中で弱い立場の味方である風に書いていますが、それはあくまで一般論であって、個人としては、私は「私を応援してくださる方の味方」です。社会的に強者であるか弱者であるかは、私個人の立場としては関係ありません。私の世界を理解し、応援してくださるかどうかだけが、すべてを判断する基準です。私の作品を読んでもいない人は、近親者を除き死んだところでどうでもいいと思っているような私が、私の邪魔をする人――いや「蛆虫」のことを思いやることなどできるはずもありません。

 私は動物が大好きです。哺乳類も爬虫類も両生類も魚類も鳥類も好きです。昆虫類も、カブトやクワガタはもとより、カマキリやバッタあたりまでなら触れますし、チョウは奇麗だと思いますし、ムカデは怖いけどデザインはカッコいいなと思います。

 ですがそんな私も、「蛆虫」はちょっとキツイかな、というのが正直なところです。

 「蛆虫」が友達を求めるのであれば、自殺をすればいいのではないかな、と思います。人里離れた山奥とかで死ねば、発見も遅れ、何百匹という蛆虫が湧いてくることでしょう。友達100人、あっという間にできます。今まで一度として同窓会に呼ばれたことがなく、ネットはともかくリアルでは飲み友達の一人もいない私からすれば、羨ましいことこの上ありません。

 「蛆虫」には「蛆虫」の住むべき場所がありますので、どうぞそちらの世界に旅立っていただけるよう、お願いします。

加藤智大 番外編 1

 
あらし



 はじめに

 
 そろそろ加藤智大を取り上げようと思います・・・が、初めに断っておくと、今回の記事は加藤智大の犯罪とは関係のない内容が多く含まれています。

 加藤智大を取り上げるために、まず、加藤という人物の犯罪に密接に関わったとされる「荒らし」というキーワードについて、今回もまた私の生きた経験、すなわち、このサイトに現れた荒らしに対して感じたことを書いていこうと思ったのですが、書いているうちに、加藤が書き込みを行っていた掲示板における荒らし行為と、私のような個人のサイトを荒らす行為は、根本的に別ではないかという考えが強くなってきました。

 個人が直接運営を行っているサイトは、運営者側にすべての権限が握られています。記事のUPや削除は自由にできますし、自分の考えを自由に述べることができます。その代わり、読者を呼び込むための活動も、自分の努力によって行わなくてはなりません。

 一方、加藤智大が書き込みを行っていた掲示板では、掲示板の運営者と、同じ掲示板の利用者が、ある程度読者を集めてきてくれる代わりに、利用者には運営上の権限が与えられていません。自分で建てたスレッドや、荒らしの書き込みを削除するなどといったことも簡単にはできませんし、時間が経てばスレッドは落ちてしまいます。

 この違いを例えていうなら、私のようにサイトを運営している人が、自分でお店を開いて商売をやっている経営者、加藤智大のような掲示板利用者が、キャバクラや一人親方のように、経営者に箱を提供してもらったうえで商売をやっている個人事業主、といった感じでしょうか。

 こういう特質の違いがある以上、同じネットの活動ではありますが、私が荒らしに対して感じたことと、加藤智大が掲示板の荒らしに感じたことが、必ずしも相通ずるとはいえません。かといって、六千文字近くも書いた文章をボツにするのも勿体ないですし、同じ荒らし行為についての解説である以上、加藤智大の本性を紐解くためにまったく役に立たないということもないと思いますので、犯罪者名鑑というカテゴリとも別個で、加藤智大本編とは区別した記事という形でUPすることにしました。

 また、大切な常連の読者さんとのトラブルを未然に防止するため、いつもはこの手の、運営上に関わる記事にはコメントを受け付けないようにしていますが、今回に限り、作品という形でいつまでも残しておこうと考えていますので、奮ってコメントをしていってくだされば、と思います。手前勝手ではありますが、よろしくお願いします。


 




 私が荒らしと判断するもの


 私がこのサイトの運営を始めてから、約二年半の月日が過ぎました。その間、様々な方々がコメントを寄せてくださり、その多くは暖かい励ましの言葉と、有難い評価の言葉でしたが、中にはそうでない意見もありました。私が「荒らし」と呼んでいるものです。

 私にとって不快な内容のコメントすべてを、荒らしと定義しているわけではありません。私の場合、細々とはいえ宣伝活動も行っているため、ある程度、冷やかしのコメントが来るのは仕方がないと思っています。2ちゃんねるなどでは、私が宣伝活動をすること自体を不快に思う方もいらっしゃるでしょうし、そのことについて抗議されるのは荒らしというより、正当なクレームというべきで、自分に非難する資格があるとは思っていません。

 単発での冷やかしやクレームなら仕方ないのですが、中には長期間、複数回にわたって誹謗、中傷の内容のコメントを書き込んでくる者もおり、(今もいるのかもしれないが、自分では確認していない)そういう悪質な人間のことは「荒らし」と定義しています。一回ではなく、長期間、複数回に渡って絡んでくるというのは、単なる冷やかしや、正当なクレームの域を超えて、何らかの理由で私という個人に並々ならぬ執着を燃やしている人物であり、その行動には強い悪意があるというふうに捉えても、間違いはないはずです。

あらしのかお
↑ あらしのかお


 
 アラシはシカト



 私がコメントを荒らしと判断するポイントは、シンプルに「名無しで書き込んでくる」「批判的な意見(誹謗、中傷、説教)から入ってくる」の二点ですが、二点に関しての詳しい説明は次章以降に回して、先に、今現在の私の、荒らしへの対応について語っていきたいと思います。

 対応といっても、私が自分自身の手で、特別に何かをしているわけではありません。私にはサイトの運営上のパートナーがおり、そのパートナーに、荒らしと思える書き込みを発見次第削除してもらう、つまり私の目に触れないうちに消してもらうということです。

 私が二年間サイトを運営して学んだこと、それは、荒らしに対しては「対応しないことが最善の対応」、つまり無視をするのが一番いいということです。

 当初、私は荒らしのコメントに対しても一々返事を書き、初めのキッカケはなんであれ、何とかこのサイトに定着してもらえるよう、いつかは普通の感想コメントも貰えるようにと、根気強く呼びかけてきました。実際、名無しから入った人でも後にHNをつけてコメントをしてくれた人、説教から入った人でも、後にちゃんとした感想コメントをくれるようになった人もいましたが、その割合は、恐ろしく少ないものでした。

 基本的に荒らしというのは、他人のことをこきおろして優越感に浸ることが主目的であり、私の文章をロクに読んでもいない人間が多いようです。それならまだいい方で、ただアラを探すためだけに、一回平均三千文字近くの文章を読むという、昏いエネルギーの持ち主もいるようです。

 私がこのサイトに書いている内容には、現在の境遇への絶望ということも多く含まれてはいるのは確かです・・が、それでも二年間も続けてきたのは、私もすべてに絶望しているわけではなく、前を向いて人生を歩み、活動しているからです。

 そういう私にとっては、人のアラを探すためだけに三千文字近くの文章を読むという、本人にとっても何の実にもならない、恐ろしい徒労に時間とエネルギーを使ってしまうような人間の思考回路は理解できませんし、そんな人間と相容れることができるとも思えません。どんなに努力して歩み寄っても平行線になることが分かっている人間には、真面目に対応するだけバカをみるだけであり、実際、真面目に対応しても、荒らしから本当の読者になってくれたという例は、ほんのわずかしかありませんでした。

 これからも荒らしに対しても全レスを心がけていれば、後々本当の読者になってくれるという例が出てくる可能性もないとはいえませんが、荒らしはそういう、一人でも多くのコメントが欲しいという私の弱みを利用して叩いてくるような、歪んだ人格の持ち主です。十人中一人のファンを得るために九人からストレスだけを浴びせられるのでは、とても割に合いません。

 私はけして、荒らしを端から毛嫌いしていたのではありません。信じて対応した荒らしに煮え湯を飲まされ続けるという経験があったうえで、現在の「無視」という対応に行きつきました。今後、私が文章の仕事でお金を稼げるようになるか、私のサイトがもっと多数のコメントであふれかえる状況になれば、私にもいくらかの心の余裕がうまれ、また荒らしに対しても返事をするようになるかもしれませんが、今のところは、荒らしに対しては無視という手段を取ることとしています。

 今回は荒らしについての記事ということで、今までなりをひそめていた荒らしもここぞとばかりに奮起するかもしれませんが、上記で触れたとおり、荒らしが一生懸命、何行も私を中傷するコメントを書いたところで、それは私の目に一切触れることなく削除されてしまいますので、あしからず。


 2に続きます。
プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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