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犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 5

させぼ




  PTSD 

 事件は子供たちの心に、深刻な傷痕を残しました。6年生の児童の一部は、事件後、しばらくは言葉を発せなかったり、夜、電気を消して眠れなかったりするなどのPTSDに苦しめられました。

 中でも症状が重かったのは、事件前、Aから暴力を受けていたというBくんでした。彼はマスコミからの取材を受け、事件前、Aにカッターナイフを振り上げられたときのことを語ったのですが、後日、学校側の記者会見で、マスコミからその件について質問があった際、佐世保小学校の出崎叡子校長がとんでもない発言をして、Bくんを傷つけてしまったのです。

「学校では、何かあったらすぐに担任に報告するよう、指導を徹底していました。カッターナイフ振り上げ事件のことを、(Bくんが)事前に言ってくれていたら、対応は違ったと思います」

 これではまるで、事件が起きたのはBくんのせいだと言っているようなものです。さらに、話しはこれで終わらず、出崎校長は、「ナイフを振り上げられた児童は、アスペルガー症候群だった」などと、事実無根の記者発表をして、Bくんを不当に貶め、自分たちの監督不十分を誤魔化そうとします。

 出崎校長も、想定外の事態でいっぱいいっぱいだったのでしょうし、悪気はなかった可能性もあります。しかし、それにしたところで、あまりに稚拙な対応です。出崎校長は、発言の撤回を求めるBくん親子から逃げ続け、「訂正発表をしたら、マスコミにまたあることないこと書かれますよ」と、脅すようなことさえしたといいます。結局、謝罪が行われたのは、事件から一年も経ってからのことでした。

 最終的に作成された第一次報告書には、AがBくんに振るっていた暴力について、「ある特定の生徒がちょっかいを出しており、それに反発した」などとウソの記載がされていました。報告書には、ほかにも「担任は適切な処置を行っていた」「事前の予見は不可能であった」などと、学校関係者の責任を回避するかのような内容が書き並べられていたといいます。

 学校というところには昔から身内を庇う体質があり、校内暴力が盛んであった80年代ごろから、校内で起きた問題の責任を特定の生徒に被せて始末をつけるといったことが、当たり前のように行われていました。時代は変わり、今では「モンスターペアレント」の出現など、逆に生徒や保護者側の方が力をつけすぎてしまったという見方もありますが、どちらにせよパワーバランスを均等に保つためには、行き過ぎた行為は批判されなければいけないところです。佐世保市や出崎叡子校長のBくんへの対応は最悪といってもいいものでしたが、では、彼らの言っていることは、全部がデタラメであったのか?

 今度は学校側の視点から見てみようと思います。即ち、「予見は本当に不可能だったのか?」ということです。


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 「普通の子」


 家庭裁判所でAと接した弁護士は、Aが自分のことを「チュウカンの子」と評していたことを語っていました。記者会見では、佐世保小学校の出崎叡子校長も、女児は「普通の子」という印象だったと、同様のコメントを残しています。

 凄惨な事件が起きたとき、他人、特に子供を持つ親は、「事件は異常な家庭で育った異常な子供が犯したもので、ウチには関係ない」と思いたがる心理が働きます。話しを面白おかしくしようとするマスコミの悪ふざけがそれを煽り、ときに事実とは全く異なる犯人像が世間に伝えられることがあります。しかし、Aに関しては、関係者の誰もが、当初は「普通の子」と言っていたのです。

 「普通の子」の基準も人それぞれですが、一応の解答としては、「特別優れた能力はないが特別遅れた能力もなく、もの凄く褒められた行動をするわけでもないが、もの凄い問題を起こすわけでもない児童である」・・・・と、いえると思います。この事件は、そうした「普通の子」が犯した事件とされ、被害者のお父さん、御手洗恭二さんも、その点を不審に思う手記を残していました。

 Aは「普通の子」であったのか。わかっている情報を元に、Aがどんな子であったかと聞かれたら、私は、「頑張り屋さんで、年相応に分別もあり、友達付き合いもちゃんとできる子」と答えます。御手洗さんらとのトラブルも、この年頃の子にはよくある程度のものです。取調べに当たった刑事も、「コロシに発展するほどのことじゃないんだけどなぁ・・・・・」と、首を捻っていました。

 では、「予兆」がまったくなかったかといえばそうではなく、Aは同級生の男子生徒に馬乗りになって暴力を振るうなど、明らかに異常な行動が目撃されていました。過激な映像作品にのめり込むというのは、私は特にまずいとは思いませんが、そういうものをまずいと思う人が注意して見ていれば、別のもっと深刻な問題に気付けていたかもしれません。

 一つ一つは小さかったかもしれませんが、「予兆」はあったのです。では、それに気づけなかった関係者が悪いのでしょうか。それはそれで追及するべきかもしれませんが、親や教師など、少数の人に責任を背負わせただけで、今後の改善に繋がっていくのでしょうか。私が言いたいのは、「目が足りない」のではないか、ということです。


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 地域社会の連帯感の復活 


 事件を受け、大久保小学校と同じ中学校区内にある春日小学校の校長は、

「今回の事件は対岸の火事ではない。だが、学校だけで何ができるだろうか。これまで学校は閉鎖的だった。もはや、みんなの目を借りなければ、教育はやっていけない」

 と発言しました。学校関係者として、現実をよく捉えた、勇気ある発言といえます。

 昭和の中期まで、日本の地域社会には、子供を持つ家庭もそうでない家庭も一体となって、子供を見守り、育てていこうという機能が働いていました。余所の家庭の子をとっ捕まえて叱るといった光景も珍しくはなかったといいます。

 ところが、時代が下り、個人のプライバシーということが喧しく言われるようになると、地域の繋がりは薄くなり、ご近所同士、顔も知らない、挨拶も交わさないといったことが当たり前の社会になってしまいました。

 そもそも、忙しすぎる現代人には、余所の家庭を気にしている余裕などありません。地域で子供を見守るという機能が失われ、学校や親にかかる負担、責任があまりに重くなり、事件が起きた際には親と学校だけがもの凄く叩かれてしまう。そのせいで、事件が起きた際に学校が隠ぺいに走り、親は逃げるという態度に繋がり、結果的に、世間に真実が伝わらないという結果になっているように思います。

 今年は大阪で中学一年の児童二人が誘拐、殺害されるという痛ましい事件が起きました。あの事件でも、ビラを作って一生懸命子供を探したお母さんが何故か叩かれるという現象が起きましたが、あれはインターネットの普及により、昔から人々が感じていたことが炙りだされてきただけなのでしょうか?

 遠く離れた場所に住んでいる人の意見はあんなもんだったのかもしれませんが、少なくとも、近隣住民は違ったはずです。深夜に外を出歩いている子供がいれば、とりあえず声をかけるというのが、昔の地域社会だったはずです。防犯カメラの映像には、営業中のコンビニが映されてもいましたが、子どもが夜中に外に出ていても、取りあえず朝まで過ごせてしまうという、コンビニやファストフード店の二十四時間営業化も見直していかなければならないでしょう。

 ここまで、「昔は良かった、今はダメ」といったようなことを書いてしまいましたが、当の私も近所づきあいは面倒だと考える方で、そもそもそういう社会で小さい頃から育ってきたため、昔に還れといっても、具体的にどうすればいいのかまではわかりません。また、今は昔と違って個人の移動範囲も広く、コミュニティも無数に存在し、パソコンを開けば、自分の居心地のいい場所は幾らでも見つかるという時代です。「家が近いからというだけで、なんで世代も違う、よくわからん連中と付き合う必要があるんだ」という考えも当然といえば当然です。

 ただ一つ確実にいえるのは、「子供を作り、育てるのも自己責任」といった社会では、今後少子化はますます進む一方で、子どもが凶悪事件に巻き込まれるのを抑えることもできず、また、多数の老人を少数の若者で養う社会の維持はできないであろう、ということです。

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 その後の加害者
 
 
 犯行当時11歳、刑罰の対象にならない「触法少年」であったAは、少年院でも少年刑務所でもなく、児童自立支援施設での生活を命ぜられました。栃木県の「国立きぬ川学院」です。当初の収容予定期間は2年間でしたが、その後延長され、2008年、併設された中学校を卒業したAは、心身に問題なしとして、強制措置を解除されました。

 きぬ川学園の中でのAの様子、更生に向けてどのようなプログラムが行われたかについて、詳しいことはわかっていません。供述の中で、事件を起こしたことにたいして反省、悔悟の気持ちが弱いとされたAには、アスペルガーなど発達障害の疑いがあったことから、「他人の気持ちを理解する」ことを、感性ではなくロジックで覚えさせる、ソーシャル・スキルなどのトレーニングが行われたものと推察されますが、どれほどの成果をあげたのか、本当に社会生活を送っていけるほど更生できたのかは不明です。 
 
 今年は「元少年A」酒鬼薔薇聖斗が手記を出版したとして、大きな話題となりました。自己陶酔に満ち溢れた表現からして、彼が反省など一切していなかったのは明らかですが、私が注目しているのはそこではありません。

 手記の後半には、酒鬼薔薇が出所後、人並みに世間の波にもまれ、厳しい労働環境で苦労してきたことが伺える内容が記されていました。私は彼の手記出版の一番の動機は、「強烈な自己顕示欲」などではなく、その底辺の悲惨な労働環境から脱出したかったのではないか、と睨んでいます。

 犯罪の素養がない人間でさえ「やってらんねぇ」と思うような世の中で、ちょっとしたキッカケで一線を越えてしまう人間が、果たしてやっていけるでしょうか。「少女A」は現在22歳になりますが、22歳は大学をストレートで卒業した人が社会に出る年齢で、まだまだ人生は始まったばかりです。これから社会の矛盾や理不尽、トラブルにぶつかっていく中で、Aの「狂気」が絶対に弾けないとはいえないでしょう。

 本人だけではなく、社会全体が変わらなくては、悲劇はなくなりません。Aの事件から10年間、あれほど「命の大切さ」を子供たちに教えてきたはずの佐世保で、高校一年の女子が同級生を殺傷するという事件が起きてしまいました。「高1女子」では、事件を予見できるポイントが「小6女児」とは比較にならないほど多かったにも関わらず、見過ごされてきた経緯があります。「小6女児」の教訓をなぜ生かせなかったのか?どんなに生かそうとしても、やはり「目が足りない」のか?

 「佐世保は呪われた土地」などと言われないためにも、教育関係者には諦めず研究を続けてもらい、もう十年後には、「真の教育発祥の地」といわれるようになって欲しいものです。


 総括 : 情報が発達した今の社会は、昭和の中期に比べ、「大人は昔よりずっと子供で、子供は昔よりずっと大人」になっていると、個人的には思います。今の子供は大人が考えているより、ずっと複雑な想いを抱えて生きています。昔と同じ感覚では、もう子供を育てていくことはできません。一方で、昔の社会が持っていたいいところを、もう一度見直してみる必要もあるでしょう。


 佐世保小6女児殺害事件 完

 
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犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 4

させぼ


 トラブル

 
 新学年が始まった四月までは仲良しだったAと御手洗さんの関係が俄かに悪化するのは、五月が終わりに差し掛かったころのことでした。Aが御手洗さんに「ぶりっこ」「いい子ぶってる」などとHPに書き込まれ、怒りを露わにしたというのです。Aは、不快な書き込みを辞めて欲しいと訴えましたが、聞き入れられず、御手洗さんがもう一度そのような書き込みをしたことから、殺意を覚えた、と語っています。

 Aは口頭による警告だけでなく、御手洗さんのHPの内容を勝手に書き換えたりするなどの報復措置も行っていたようですが、これに対して御手洗さんは、「なんで(原文ママ)アバターがなくなったり、HPが元に戻っちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ」「荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかワわかるケド。心当たりがあれば出てくればイイし。ほっとけばイイや。ネ。ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイ」と、HP上に書き込んでいます。

 他にも、五月の頭ごろに、女の子同士でおんぶをする遊びをしていたところ、御手洗さんが冗談で、Aを「重い」と言ったのを真に受けて(Aの体重は40キロ台で、太ってはいない)、Aがダイエットをする決意をHPに書き込んでいたこと、御手洗さんも参加していた交換日記で、Aが文末に「NEXT」と書いていたのを、面白がってみんなが真似し始めたところ、Aが「パクらないで」と真剣に怒ったこと、などが伝えられています。これなどは、「冗談が通じず、相手の言葉を真に受けやすい」「些細なことに拘りを見せる」アスペルガーの特徴と取ることもできますが、真偽はわかりません。

 Aと御手洗さんの関係について、私は前回、「一方が無二の親友だと思っていたのが、もう一方にとっては多数いる友達の一人にすぎず、独占欲が満たされないことへの不満があった」ケースではない、と書きました。実際に、Aは他の友達とも普通に遊んでいましたし、御手洗さんとの関係について、「もっと仲のいい友達は他にいた」と、捜査関係者には語っています。

 しかし、六年生にもなれば、本音はごく一部の信頼できる人以外には隠すようになるものです。まして、殺意を抱くほどに強く思った相手への感情を、第三者に簡単に語ろうとするものでしょうか。凶悪犯罪者には自己顕示欲が強く、聞かれてもいない自分の本音や、事件の真相をポンポンと喋るような人もいますが、Aは伝わっている本人の発言の少なさから考えても、どちらかといえば口を閉ざすタイプであるように思います。Aが御手洗さんにどのような感情を抱いていたのか、その真相は、本人にしかわかりません。

 私が個人的に気になるのは、御手洗さんがHPに記述した「ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイ」という部分です。これは女性が良く使う嫌な手段ですが、御手洗さんはこのトラブルにおいて、多数の人(自分に同意してくれそうな人)の意見を求め、あたかも大勢の人が相手を責めているような形に持っていっています。確かに相手を心理的に追い詰めるには有効な手段なので、男でもやる人はいますが、どちらかといえば、「一対一」の美学の意識が薄い女性のほうが、やる人が多い気がします。

 御手洗さんは事件の被害者であり、この程度のトラブルを殺害にまで発展させたAの方が悪いことは承知の上ですが、やはり最後の「ミンナも意見チョーダイ」はダメ押し、余計な一言ではなかったか、という気はします。これがAを必要以上に追い詰めてしまったのではないか、というのが、私の個人的な想像です。

 また、Aは4月の末から5月にかけて、同級生の食事の仕方を中傷する文章や、有名な「うぜークラス」、また、クラスメイトたちが殺し合いを繰り広げる小説を、HP上にUPしていました。Aが憎んでいたのはクラスメイト全体であり、その怒りの矛先が、クラスの中心人物だった御手洗さんに向いてしまった。バトルロワイヤルのように皆殺しにするのが無理ならば、「お前らが一番大事にしているものをぶっ壊してやる」ということだったのかもしれません。

させぼ


 
 佐世保小6女児殺害事件


 二○○四年六月一日、午後〇時三十五分ごろ、六年生の教室で、「いただきます」の声とともに、給食の時間が始まりました。そのとき、担任教諭が、教室にAと御手洗さんの姿がないことに気が付きます。

 その頃二人は、同じ階の学習ルームにいました。Aが御手洗さんを「話がある」と呼び出したのです。昼休みなどの自由時間ではなく、給食の前の時間を利用したのは、余人を立ち入らせないためでしょう。午前の授業が終わってから、給食が始まるまでの僅かの時間で犯行に及んだのは、もうこの時点で話し合いをするつもりはなく、明確な殺意があったものと断定できます。

 Aは学習ルームのカーテンを締め、椅子に座らせた御手洗さんの目を手で隠すと、首筋を一気に、カッターナイフで切り裂きました。大量の返り血を浴びたAは、そのまま教室へと帰っていきますが、すぐに教室に入っていくことはできず、しばらく廊下で立っていました。それを担任教師が発見します。

「どうしたんだ」

 担任教師が声をかけると、Aは

「私の血じゃない!!」

 と、大声で叫びました。

 担任はAが固く握りしめたカッターナイフを取り上げると、もう一度、Aの身体をゆすりながら、「どうしたんだ」と声をかけます。Aは消え入りそうな声で「あっち」と言い、学習ルームの方を指さしました。担任が学習ルームに行くと、そこで御手洗さんが、折れたカッターの刃が浮かぶ血の海の中、うつ伏せに倒れていました。

 担任は他の教師に応援を頼み、病院、警察に通報。御手洗さんのお父さんも連絡を受け、タクシーで救急車よりも早く到着。変わり果てた娘の姿を目の当たりにしました。その頃Aは、保健室に移されていました。

 大久保小学校は混乱の様相を呈していきました。学校から連絡を受けた保護者が校門の前に立ち、我が子の安否を心配し、校内に向けて怒号を飛ばしますが、警察がガードする校門は固く閉じられ、学校側から詳しい説明は何もありません。教室で待機していた六年生がようやく解放されたのは、午後七時ごろのことでした。

 1日夜は、学校内にて、御手洗さんのお父さんの記者会見が開かれました。ジャーナリストである恭二さんは、「正直、話をしたくないと思っているが、逆の立場ならお願いしている」と、気丈にコメントに応じました。校門前では、群がる報道陣の前に、この後の事態収拾に信じられない稚拙な対応を連発する、出崎叡子校長が登場。「まずは御手洗さんのご冥福をお祈りします。子供たちの心のケアを図っていかなければならないし、教職員一丸となって、また事件が起きないよう努力していきます」とコメントし、嵐のような一日は締めくくられました。

犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 3

担任



 意欲のない担任教師

 
 六年間を一つだけの学級で過ごす大久保小学校ですが、担任の交代はありました。Aの六年次の担任は、以前から大久保小に勤務していましたが、Aのクラスを受け持つのは、六年次が初めてでした。

 担任は三十代の男性教師で、六年生の担任経験は豊富でしたが、どうも彼には、教師としての資質に問題があったという噂が囁かれているようです。保護者によれば、担任は教育よりも趣味のサッカーに熱心で、放課後は早く帰って、大人同士のサッカークラブの活動に参加することばかり考えており、事件の前、保護者との懇談会で、「本当はこのクラスを受け持ちたくなかった」と発言し、また、児童の前で「喧嘩は俺の見ていないところでやれ。面倒なことを俺に相談するな」というようなことを常日頃言っていた、などという話が聞かれています。

 これについて、担任は後に、「このクラスを受け持ちたくなかった」は、「六年生の担任ばかりをやっていたので、他の学年の担任を希望していたのですが、また六年生になってしまいました」・・・・「喧嘩は俺の見ていないところでやれ」は、「六年生なのだから、自分のことはある程度自分で解決しよう」がと言ったのが、それぞれ間違って伝わった、という弁明をしています。

 確かに、人の言葉が誤解を生むことは珍しいことではありません。特に、「このクラスを受け持ちたくなかった」とは、教師以前に一人の大人として資質が疑われる発言で、保護者の前でそんなことを言うというのは、確かに現実的ではありません。

 担任が本当に、「問題教師」であったのかどうかはわかりません。しかし、彼が教師として、果たすべき説明責任をしっかり果たしていれば、あらぬ噂が立つことはなく、集中砲火のように批判を浴びることもなかった、とはいえるでしょう。

 担任は事件後、精神を患ったとして自宅に引きこもり、保護者の前にもあまり顔を出さず、マスコミのインタビューにも積極的に応じませんでした。確かに、自分が受け持った生徒が殺人事件を起こしたというショックは大きく、大人であっても正気ではいられないでしょう。

 ですが、担任は、Aが六年生になってから事件が起きるまでの経緯をもっとも詳しく知る人物であり、さらに事件直後のAと、切られた直後でまだ息があった被害者、御手洗怜美さんの様子を目の当たりにしていた、貴重な証言者なのです。その彼が、事件について詳しく語らなかったのでは、保護者の間に不満が募り、「突かれたら困ることでもあるんじゃないのか?」と疑われ、上記のような噂が囁かれるようになってしまうのも無理はないでしょう。

 担任の休養は長引き、結局、Aのクラスの担任に復帰することはありませんでした。しかし教員は、一年後、大久保小とは別の小学校で、何事もなかったかのように教員として再起しました。大好きなサッカークラブも続けていたようです。

 第一回から、この事件には関係者の隠ぺい体質が目立つということを紹介してきましたが、Aの親に加えて、担任教師もまた、口を固く閉ざし、事件について詳しくは語ろうとしないのです。


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 被害者、御手洗怜美さんとの関係



 殺害したのも小学六年の少女、殺害されたのも小学六年の少女ということで注目を浴びたこの事件。被害者の御手洗怜美さんがどのような児童であったのかを知ることも、事件の解明には重要なことです。

 怜美さんは小学校四年生のとき、ジャーナリストであるお父さんの転勤に従って、大久保小学校に転校してきました。四人兄弟の末っ子だった怜美さんは、男手ひとつで子供たちを育てるお父さんの手伝いを良くする優しい性格で、途中から加わった学級でもすぐに中心人物になれる、明るい少女でした。

 Aとは小説、絵という共通の趣味を持っており、二人はすぐに意気投合。同じミニバスケットチームにも所属し、誰からも仲良しと見られる関係を築いていました。Aからの指南を受ける形でホームページも始め、日記上で「Aの絵は私よりうまい」と褒めるなどしています。

 こういう二人のトラブルとしてありがちなのは、一方が唯一無二の親友だと思っていたものが、片一方にとっては大勢いる友達の内の一人にすぎず、独占欲が満たされないことへの不満から危害を加えるに及ぶというパターンですが、この二人に当てはまるかどうかは少し微妙で、怜美さんは言わずもがな、Aも怜美さん以外の友達と普通に遊んでいたようで、いわゆる陰の側が陽の側に過度な執着心を抱き、逆恨みをしたということではないようです。

 そもそもAと怜美さんは、六学年の四月まで、集合写真でも仲良く隣同士で写るなど、良好な関係を築いていました。少なくとも傍目から見れば、争いになる要素は影も形もなかったのです。



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 第二の被害者



 集合写真の四月から、事件が起きた二○○四年六月一日までの間に、Aと御手洗さんの間に何があったのか・・・。二人のトラブルを語る前に、ここで、事件の第二の被害者とでも言うべき男子児童(以下Bくんとする)について紹介します。

 軽い聴覚障害の持ち主だったBくんは、ある日、授業中に先生に指名されたとき、「問題をもう一度言ってください」、とお願いしました。それに対し、担任は「変な質問をする人には教えません」とにべもなく言って、Bくんがまるで授業をちゃんと聞いていなかったかのような形にしてしまいました。

 このあたり、五年次から六年次に、担任の間でちゃんとした引き継ぎができていなかった可能性も考えられます。大久保小学校では週一で教職員会議があり、担任はその会議での報告により引き継ぎができていたつもりになっていた、と語っていますが、全学年の状況を纏めて話し合う教職員会議の場では、児童個別の引き継ぎまではできなかったでしょう。家庭訪問など、保護者との個別懇談でやることだ、という考えであったのかもしれませんが、それであるならば、個別懇談があるまでは、上記のような、児童を傷つける恐れがある対応はすべきではなかったでしょう。

 この件を境に、Bくんへのイジメが始まってしまいました。「担任公認」の大義名分が大きな効力を持っていたことは、言うまでもありません。このイジメというのがどのような規模だったのかわかりませんが、恐らくはAもBくんに対しては「こいつは何をしてもいいヤツ」といった認識があったのでしょう。六年生のころから、AはBくんに対して、内に秘めた暴力衝動をぶつけるようになっていきます。

 あるときは、図書室で男女複数名で遊んでいた際、AがBくんに馬乗りになって、暴力を振るったことがありました。その際、担任は、Bくんからロクに事情もきかず、「お前がいつまでも図書室に残っているから悪いんだ」と一方的に怒鳴りつけ、その場を収めてしまったといいます。

 また、事件が起きる一週間前、Aが学校で本を読んでいたのを、「今度は何を読んでいるんだろう」と、Bくんが後ろから覗いたことがありました。「世界の中心で、愛を叫ぶ」と、ハードな内容の作品を好むAには意外なチョイスでしたが、それが気恥ずかしかったのか、Aは突然カッターを持ち出し、それをBくんに振りかざしました。後に御手洗怜美さんの命を奪った、あのカッターです。

 Bくんは事件後、「もしかしたら、殺されていたのは自分だったかもしれない」と、強烈なPTSDに苦しめられることになります。BくんがPTSDを患ったのは、Aとのことだけではなく、担任や校長らの対応にも原因があったのですが、それについては事件後編で詳述するとして、ここでは事件前のAの様子について、担任や校長ら大人の報告とBくんの報告に、大きな食い違いがあったことを紹介します。

 事件前のAの様子について、担任は「真面目で授業にも積極的だった」「たまに男子を叩いているのは見たが、ヘラヘラとふざけている感じで、深刻とは思わなかった」と、事件を起こすのが信じられないといった回答をしています。それに対し、Bくんは、「Aの暴力は激しく、日常的で、担任もそれは把握していた」「酷くなったのは六年次からだが、五年次から兆候はあった」と、正反対の回答をしています。

 人によって受け方が違うというのはよくあることですが、担任の一連の対応を見ると、責任逃れの意図があったようにも思われます。ちなみに、「兆候はあった」という五年次の担任は、「Aちゃんが暴力を振るっているのは見たが、もっと問題のある児童は他にいて、Aちゃんは目立ってはいなかった」と答えています。

 六年生で問題があったのは、Aだけではありませんでした。日常的に暴力行為があったというクラスの空気の中で、善悪の境が希薄になってしまったということはあるかもしれません。ただ、それでも、ただの暴行と殺害との間には天と地ほどの開きがあり、まして暴行だけで他人に大怪我を負わせることはあまり考えられない小学生の教員では、殺意という感情は「まず予見できない」と、教育関係者も、口を揃えて言っています。

 今は両親が共働きをしていない家庭を探す方が難しいという時代で、担任がすべての教科を担当する小学校では、教師の方が親よりも、児童に接している時間が長いのかもしれません。国の未来を担う子供を預かっているという立場上、普通の職業以上の責任感が求められなくてはいけないのは事実ですが、一方、教師とて勤め人、学校を離れれば普通の人です。生まれたときからその子のことを知っているわけではない他人であり、他人が他人を知ることには限界があることも、一応考慮はしなくてはいけません。

犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 2

無題じょーだん



 バスケットボール

 
 加害女児AがHPに趣味・特技として書いていたのが、「バスケットボール」と、「読書」でした。

 まず、バスケットボールについてですが、佐世保市では小学校のクラブ活動を、学校とは別に、区の自治体ごとに行っているのが特徴で、女児が通っていた大久保小学校の地域では、指導者に定年退職したボランティアを招き、毎日休みなしで、メニューに校庭100周が含まれる本格的な練習が行われており、対外試合でも優秀な成績を収めていました。

 Aはバスケットボール部の活動に大変熱心に取り組んでおり、HP上の日記にも、試合に勝利したことが誇らしげに記述されていました。しかし、Aは小学六年に上がるころ、成績不良を理由に、バスケットボールを父親の判断で辞めさせられてしまいます。実際には、Aの成績は「中の上」程度でしたが、父親はAに名門の公立中学校への受験を望んでいたのです。Aは酷く落ち込み、友達も心配して、Aの五年次の担任に「クラブを辞めさせられてしまうから、Aの成績を下げないで」とお願いしていたといいますが、結局、Aは部活動の継続を断念せざるを得ませんでした。

 Aが熱心に取り組んでいたクラブ活動を辞めさせたことについて、父親には批判的な意見が集中していますが、少し父親の視点に立ってみれば、まだ身体の出来ていない小学生に、毎日休みなし、校庭100周などという練習を課すのは、ちょっと常軌を逸しており、成績悪化への懸念も無理はないという考えもあります。もし、Aの所属していたミニバスケットクラブが、土日限定、せいぜい+平日二日程度の、小学生らしい日程での活動であったなら、Aがクラブを辞めさせられることはなかったのかもしれません。

 Aがバスケットボールを辞めさせられたことにより、攻撃衝動を発散する場を失ってしまったことを凶行の理由に挙げる人もいますが、その可能性に言及するなればこそ、フェアな見方は必要でしょう。


バトルロワイヤル


 
 小説
 
 バスケットボールとはある意味対極的な、読書の趣味。Aの場合は、書く方も行っていましたから、「小説」の趣味と言った方がいいでしょうか。

 読む方では、Aが強い影響を受けたとされる「バトル・ロワイヤル」のほか、「呪怨」などのホラーものなど、割りとハードな内容の作品を好んで読んでいたようですが、「恋空」など若い女の子向けの作品も読むなど、好みは幅広かったようです。

 書く方では、あのバトルロワイヤルを模した作品をHP上にUPしていたことが知られています。紙数の都合がありますのでここでは紹介しませんが、ある程度既存の作品のトレースがあったにしても、小学生にしてはよく書けている文章です。ごく稀に、私のように、一般就労が無理だと思ったからクリエイティブな道に進もうと思った、という人間もいますが、基本的に「創る」ということは、よほど好きでなくてはできないことです。小説というものが、Aの内面の大きな部分を占めていたのは間違いないでしょう。

 しかし、Aの犯罪に小説の悪影響があったとするのは、責任転嫁というものでしょう。

 そもそも我が国における娯楽作品とは、古くは平安時代の源氏物語に始まり、江戸時代にはお上の政治姿勢を暗に批判した歌舞伎が持てはやされ、さらに明治以降の近代文学の黎明期に繋がるまで、「鬱屈、性衝動、暴力衝動」といった、暗い方面のエネルギーを昇華させることで発展してきたものです。「みんな明るく元気になあ~れ」という趣旨の作品が持て囃されるようになってきたのは、歴史から見ればごくごく最近、ここ三、四十年のことに過ぎません。

 そうした文化の成立過程を無視して、過激な描写を規制したり、ハードな内容の作品を批判することは、「元は同じもの」であるプレステやパソコンを楽しみながら、「元々こっちが主目的」である弾道ミサイルなどのコンピュータ技術を駆使した軍事兵器を批判するようなもので、これを昔の作家が見たら「俺たちのやってきたことはなんやねん」と頭を抱えてしまうでしょう。

 確かに、昔の小説や演劇とは違い、近年の最新の映像技術を駆使したドラマやアニメは非常にリアルで、刺激が強く、人の感性に与える影響は大きいのかもしれません。しかし、原因の大きなところをそれに求めるのはやり過ぎではないでしょうか。ポルノ作品と同じで、下手に取り締まったら、発散する術をなくして、むしろ犯罪が増えそうな気もします。R指定は取りあえず必要かもしれませんが、焚書坑儒とか、出版禁止のようなことを考えるのは言語道断でしょう。

 この点に関しては、私は草薙厚子さんら識者の意見に異を唱えざるをえません。


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 一学年一クラス


 大久保小では児童数の問題もあり、一学年一クラス制による学級運営が行われていました。当然、クラス替えはありません。

 小学校、中学校におけるクラス替えは、昔は通知表の五段階評価を、クラスごとの相対評価で決めるため、成績の平均点を近くする、という明確な目的のもとに行われていましたが、絶対評価となった現在は、一般的に「学級の均一化」を目的に行われているようです。クラスの平均点が近くなることに加えて、50メートル走の平均タイムが近くなるように・・・問題児童の数が同じになるように・・・等、ありとあらゆる分野で、生徒の個性が偏らないようにしているのです。

 色々なタイプの子と交わることでコミュニケーション能力を育む、といえば聞こえはいいですが、ようはクラス間格差の解消と、問題学級出現の防止でしょう。

 成長著しい年齢の子供ですから、二年も経てば、クラスごとに学業や身体の発育に大きな差が出るのは当然です。その歪みが原因で学級運営に支障をきたすということも十分あり得ます。同じ学年の中で、軍隊のように規律の取れたクラスと、動物園みたいなクラスに分かれてしまったら、既存の人間関係をぶち壊して一度リセットするという作業はやはり必要でしょう。

 しかし大久保小では、一学年で一つしかクラスが存在しないため、一年生のときに編成されたクラスのまま六年生まで過ごすしかありませんでした。子供からすれば、大好きな友達と離ればなれにならずに済んで良かったかもしれませんが、やはりクラスの中での能力格差が顕著となり、また悪い人間関係も六年間持ち越されて溝が深刻になり、それらが子供の内面に悪影響を及ぼしていた可能性は考えられます。

 事実、Aの所属していたクラスは、教員や保護者から、「問題児童が多いクラス」と見られていました。

犯罪者名鑑 佐世保小6女児殺害事件 1

させぼ



 秘匿性の高い事件

 
 佐世保小6女児殺害事件を調べて思うのは、世間での注目度に比して、これほど謎が多く残された事件があっただろうか、ということです。事件に関する書籍は数多く出版されており、ネットでも事件を取り扱ったサイトは多数あるのも関わらず、あまりにも「わからない」部分が多い。

 この事件は、当時14歳に満たない触法少年が犯したものであり、被害者もまた小学生、そして事件の現場もまた小学校という空間であったことから、成長過程にある児童を傷つけないような配慮はもちろん必要であったとは思いますが、この事件の場合それとは関係なく、事件関係者が、説明責任を放棄して「逃げている」。佐世保市の行政に明らかな隠ぺい体質があると感じざるをえない、酷い対応が目立ちます。

 事件は「特別に異常な女児」が起こしたものなのではなく、事件の責任を幼い女児一人に被せて収拾を図ろうとする周囲の影響が非常に大きかったのではないか。そうした観点から、事件の真相に迫ってみたいと思います。

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 幼少期


 加害少女(以下Aとする)が誕生したのは、共働きの両親と、五歳年上の姉がいる普通の家庭でした。両親は幼い子供を養うため、懸命に働いていましたが、Aが二歳になる直前にアクシデントが襲います。父親が脳梗塞で倒れてしまったのです。やむを得ない事情であったとはいえ、このとき母親が、父親の看病にてんやわんやで、Aにあまり構ってあげられなくなってしまったのは、やはり情緒面の発育上良くなかったのかもしれません。

 父親は数年のリハビリを経て、おしぼりの配達など自分のペースでできる仕事で社会復帰を果たし、母親の負担も和らいだのですが、それからも、どうやら両親の愛情不足は続いていたようです。

 小学校に入学するころになったAは、「感情をあまり表に出さず、おとなしく手のかからない、いい子」だったといいます。両親は、大事な時期に十分な愛情を注がれなかったために感情の認知ができず、その表現の仕方もわからなかっただけのAの様子を肯定的に捉え、後からでもたっぷり愛情を注いで育てていく義務を怠ってしまったのかもしれません。

 Aは運営していたHP上の日記や小説の中では、「愚民」「猜疑心」など、年齢に合わない難しい単語を使っているにも関わらず、保護された後に受けた精神鑑定で、「ひまわり」「菜の花」「カブトムシ」「モンシロチョウ」などが描かれたイラストを提示されたとき、その名称を答えられなかったといいます。ジャーナリストの草薙厚子氏は、これを「視覚した画像と言語を整合させる能力に支障がある、アスペルガー症候群の特徴」と考えていますが、もしかすると、「本当に知らなかった」という可能性もあるのではないでしょうか。

 子供は小さいころは野に咲く花や虫など、原初的に存在するものを、ただ単に「見る、聞く、触る」ことから始め、成長するに従って、多数の言語を組み合わせた文章を読み書きしたり、複雑なルールのスポーツに自ら参加することに興味を持っていきます。しかしAの場合は、幼いころ両親に連れられて外に出て遊ぶという経験があまりなく、小説やバスケットボールに興味を持つ以前の、原初的なものと触れ合う機会が、もしかすると丸々すっぽ抜けていたのではないでしょうか。


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 家庭


 Aの幼少期には、非行少年の親の特徴として多くあげられる「無関心」の陰がちらつきます。これに関しては、父親の脳梗塞というアクシデントの影響も大きく、両親ばかりを責めることもできませんが、両親はAが小学生になると、今度は一転、非行少年の親の、無関心とは対極的なもう一つの特徴である「過干渉」を見せるようになっていきます。
 
 父親はAが小学校に入学した後は、門限に厳しかったり、「校区外に出てはならない」として遊ぶ範囲を制限したり、成績不良を理由に、Aが積極的に取り組んでいたミニバスケットボールチームを辞めさせるなど、管理主義的な態度でAに接していました。

 また、同級生の保護者からは、Aが友達を家に連れてきたときのこと、Aが父親に、「パソコンを使わせて」と頼んでから友達と遊び始めたところ、父親は、「なぜ一言パソコンを使わせてくださいと言ってから遊ばないんだ!」と、Aの友達に対して大声で怒鳴ったという話が聞かれています。父親からすれば、友達もA任せにせず、自分で頭を下げて頼みに来いと言いたかったのでしょうが、それにしても、これはあまりにも娘の立場に配慮のない、酷い態度と言うほかありません。

 他にも、このような話が、保護者の間に伝わっています。Aが友達数人で買い物をしたときのこと、割り勘でお菓子を買った際、Aが他の友達よりも三十円、多く支払いました。そのことでAの姉が、その保護者宅に抗議の電話をかけてきたというのです。その後、保護者がAの家を訪れ、三十円を支払うことで解決しましたが、電話をかけてきたAの姉は、正確な料金の計算をしようと電卓をはじく両親の隣りで、しょんぼりとしていたといいます。

 この件は、もし、嫌がるAに無理やり多く支払わせたというなら問題かもしれませんが、実際には友達同士の好意的なやり取りか、もしくは手違いだった可能性が高いようです。さらに妙なのは、抗議の電話をなぜかAの姉にかけさせているということでしょう。この行為の裏には、もし分が悪いとわかったなら、上の娘のせいにしようという魂胆が伺えます。

 一方で父親は、AがR指定の「バトルロワイヤル」などを読むことに関しては、特に厳しく叱責したり、取り上げたりすることはありませんでした。それ自体は、そもそもハードな内容の作品を読むことが犯罪に繋がるという思考自体が、短絡的かつ責任転嫁的なものであり、個人的には文学の成立過程までも否定する暴論とすら思うので私は批判しませんが、他の部分で娘に見せる過干渉とは矛盾しているようには思います。

 なにか「暴君体質」というよりは、教育に変な哲学を持つ、偏屈な父親像が浮かび上がります。その父親を諌めることなく同調する母親の方は、「とにかく不愛想だった」という印象が語られており、保護者間で親しい会話を交わすこともなく、Aを可愛がっているような姿もあまり見かけられなかったそうです。

 Aの家庭での様子に関しては、両親があまり多くを語らないため、詳しくはわかりません。冒頭でも触れましたが、各メディアからの取材を受けた両親は、居留守を使ったりするなど誠実な態度を見せず、「事件については十分に反省しています」「生涯をかけて被害者に償いをし、Aの更生に全力を尽くします」など、通り一辺のコメントに終始するだけでした。そういう態度では、やはり知られては困るような事実があったのでは、事件直前のAのサインも見落としていたのでは、などと疑われても仕方ないでしょう。

 家庭編の最後に、AがHPに掲載した、「親」に関する詩を紹介します。


 
 詩@許せない
皆は親なんていなかったら良かった・・・・・なんて言うけど、不思議だ。
私なんて親が死んでもう、親なんて・・・・・いないのに。とにかくずるい。
恨めしい。
親なんていらないなんて・・・・・。
親を亡くした私の気持ちわかる?
親がいなくなったらこんなに・・・・・。
さみしい
親のいる人が羨ましい
家事とかの問題では無い。
心の事だ。
楽しかった時には戻れない。
親に怒られてもそれはそれで良かった。
あなたの親がいなくなったらわかることでしょう。親に限った事ではないけれど、身内の人が死んでも悲しいでしょう?
なのに皆はいなくなって欲しいといった。
その皆の親がいるのがずるい。

 ぉわり~
 あと、私に親はいますので(汗)
 架空の中の詩なんで(汗)

 

 ジャーナリストの草薙厚子氏はこの詩に対し、仮想世界の中で、Aは親を亡くした「もう一人の自分」を作り上げていた。親を亡くしたもう一人の自分に、両親との情愛が薄く「さみしい」彼女の気持ちが込められているのではないか・・・・と感想を語っています。あるいは、仮想世界の中に「親を亡くした子」を作り上げることによって、どんなに冷たくとも親がいる私はなんと恵まれているのだろう、と自分を慰めていた・・・など、勝手に推察しようと思えばいくらでもできますが、結局は、本人のみぞ知る、としかいえません。わからなくなってしまったのは、親の説明不足のせいです。

プロフィール

津島 博行

Author:津島 博行
1987年4月3日生 男性
相互リンク歓迎します。

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